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ちなみにわたしは
『織豊政権下における前田利家の対宗教勢力策』
というので
日本の某二流大学文学部史学地理学科というのを卒業しております。ハイ。
16世紀後半に活躍した戦国武将が、
神道や仏教の各宗派、当時入ってきたばかりのキリスト教と
どんな風に関わっていったかを研究しました。
この当時、特に寺院は僧兵というのを持っていて、
宗教というのがいわば一大勢力でしたから、
それらとも戦わなければならなかった戦国武将は大変だったのです。
だって彼らの看板はあくまでも宗教で、
それを隠れ蓑にして戦力を蓄え、
いえいえ、その看板を盾にして襲いかかってくることもあったのです。
前田利家もそれら宗教勢力に苦労させられた一人です。
彼の統治した今の石川県周辺一帯、
廃仏毀釈前までにどのくらい寺社が残っていたか、
『石川縣史』の古びたページをめくり、
一つ一つ宗派別に数えた10ン年前を思い出します。
あの頃はインターネットもなくて、
コピー機もまだ今ほど発達していなかったから、
大学の図書館で必死に調べた記憶があります。
あー、あのくらい勉強できる日がまた来るのだろうか。
4年間もっともっと真面目に勉強すればよかった、なんて、
今更後悔しています。
卒論と教育実習の評価はとてもよかったのだけど、
卒業と教員免許修得はギリギリだったものですから…。
ま、終わりよければ全てよし、ってね。
わたしの話はさておき、友人Fの話に戻ります。
もちろんヴァチカンのあるローマの歴史もクロスしておもしろい!
ぜひ読んでみてください。
イタリアの見た日本人1・ 日本の若者
イタリアの見た日本人2・ 天正少年使節団
イタリアの見た日本人3・ ローマの天正少年使節団
イタリアの見た日本人4・ ヴィチェンツァ
イタリアの見た日本人5・ ヴェネツィアが失くしたもの
イタリアの見た日本人6・ ない袖は振れぬ?
イタリアの見た日本人7・ ない袖は振れぬ? 2
イタリアの見た日本人8・ 「アジア」の姿
イタリアの見た日本人9・ ローマ再び~支倉常長像
イタリアの見た日本人10・ 大統領官邸の支倉常長
イタリアの見た日本人10+おまけ・ 大統領官邸の外国人使節たち
大分の教員採用汚職事件
落とされたのがわたしだったら、と考えると、
頭に来るどころではすまないでしょう。
と同時に、これがイタリアだったら、と考えると、
普通に起き得ることですね、で流されてしまう話です。
コネがない人、不運だったね、と…。
おそろしいです。
CANTINA TIROLESE 2012年09月26日 コメント(2)
PRIMAVERA 2012年03月26日
AMIIIIICHEEEEE 2012年03月13日 コメント(3)
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