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前回記したように「闘病記」でインフル罹患により、K病院抗がん剤治療第4クールは1週間延期し、3月23日(月)入院、3月30日(月)退院予定としてもらった。いつもより1日長いが、点滴プログラムはいつもと同じだ。3月21日には平熱に戻ったが、風邪の症状は残り、完全に治ったなぁと感じたのは、入院後の3月25日だった。発症から12日かかってしまった。第3クールでドキソルビシンは増量してにもらったが、イホマイドはどうかとY先生に尋ねたら、第3クールは第2クールと同じだったとのことだったので、イホマイドを今回増量してもらった。それ以外のプログラムは第3クールと全く同じ。ただ、ドキソルビシンもイホマイドもまだフルではない。第3クール同様、手術用圧着ソックスをはいて治療に臨んだ。体重変化は第3クールと同様で、「むくみ」の問題はなかった。3月25日に泌尿器科の診察を受けてエコーで腎臓を診てもらったが特に異常はなし。イホマイド増量のせいか、食欲があまりなかった。病院食を無理矢理食べた感じだったが、全部完食はできた。いつものように入院日と退院日に血液検査と尿検査があった。大きな問題はなし。予定通り3月30日に退院した。第5クール入院は、4月14日(火)となった。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/03/30
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2017年度から、某大学で京都の歴史・文化についての、客員研究員を務めさせていただいています。報酬が出るわけでなく、趣味の一環でやっています。1年目は指導教授がつき、年度末に研究発表会があったのですが、2年目からは指導教授もつかず、一人で研究して、年度末に研究成果報告書を提出するというかたちです。最初決めたテーマは、ずっと変えることはできません。私のテーマは「伏見稲荷大社の不思議研究」です。過去、次のような小テーマを設定して研究して、毎年2ページほどの研究成果報告書を書いて、現在に至ります。◆平成29年度(2017年度) 『お滝』の成立過程と現状◆平成30年度(2018年度) 『お滝』の成立過程と現状 その2◆令和元年度(2019年度) 「あなたの知らない伏見稲荷大社」研究とフィールドワーク設計・実施◆令和2年度(2020年度) 『伊勢國一身田』の刻字のあるお塚◆令和3年度(2021年度) 「熊鷹社」の「お塚」研究◆令和4年度(2022年度) 「清めの滝」の「お塚」研究◆令和5年度(2023年度) 「権太夫の滝」の「お塚」研究◆令和6年度(2024年度) 「八嶋の滝」の「お塚」研究ここ4年は稲荷山の麓にある、「お塚」について、お塚の数、お塚に刻まれた神名、神名に使われている漢字などについて、現地調査で確認し、各「お塚」の特徴の究明、比較をしてきました。今年度は、ちょっと横道にそれて千本鳥居について、研究しました。私は伏見稲荷大社の講員になっており、今まで講員大祭に参加したことがなかったので、昨年10月12日に講員大祭への参加を兼ねて現地調査にいきました。千本鳥居には寄進者と建立年月が鳥居背面に刻んであります。これが研究対象の重要部分なのですが、筆記で書きうつすのは大変なので、スマホで適切な本数ごとに全部写真に収めました。しかし、その後忙しく、その写真を利用して集計を開始したのは、1ヵ月以上経った11月26日になってしまいました。11月21日の癌発覚で、入っているガイドの勤務を他の方に代わっていただいたので時間がとれるようになったという事情もあります。怪我の巧妙です。そして12月12日に写真を利用した集計は終わったのですが、写真で捉え切れてない部分が多くあったので、根拠データをできるだけ完璧にするため、12月14日と15日に、それぞれ2回目3回目の現地調査に行きました。1回目の現地調査で、不明な部分はごくわずかだったので、12月16日から集計作業を進め、翌日には集計を完了することができました。成果報告書作成にとりかかったのは、年が明けて、1月10日からになりました。いつ完成できたのか記録が見つからないので断定できないですが、いつもは2月上旬が締切りなので、1月下旬には完成していたと思います。今年は大学での手続きに時間がかかったようで、締切り日程の連絡がきたのは、2月16日になり(いつもより半月遅れ)、締め切りは3月6日となっていました。すでに成果報告書は完成していたので、連絡がきたその日、2月16日に成果報告書を提出しました。そして、今日、3月28日に成果報告書に基づき、来年度も客員研究員の資格を継続することが可である旨の連絡がありました。下記が成果報告書です。【研究テーマ】伏見稲荷大社とその周辺の不思議研究【研究報告】 小テーマ:「千本鳥居」の研究1.はじめに 私の体調面の問題もあり、「お塚」の継続研究に替え、平坦地で現地調査が取り組みやすい「千本鳥居」に小テーマを変更した。千本鳥居は伏見稲荷大社(以下、大社)で最もよく知られた景観である。それ以外に「お山巡り」の参道には、より大きな鳥居群もあるが、今回は「千本鳥居」に絞った。2.千本鳥居の歴史 大社の創建には諸説あるが、山城国風土記逸文の和銅4年(711年)の創建説がよく知られる。当然その頃から鳥居は存在したと思われるが、現在の千本鳥居のように夥しい数が連続して建つようになったのは比較的新しい。安土桃山時代の「伏見稲荷大社絵図」には表参道・裏参道に鳥居が各1基ずつしか描かれていない。一方、1780年(安永9年)の「都名所図会」、1864年(元治元年)の「花洛名勝図会」には連続する鳥居群が描かれており、江戸時代以降に鳥居の奉納が盛んになったと考えられる。大社はもともとは農耕の神であった。しかし、今や商売繁盛の神の方が一般大衆にはよく知られている。応仁の乱で社殿のほとんどが焼失し、本願所(後の愛染寺)が再建のための浄財を全国から集める一環として、稲荷社の勧請を全国に広める活動を積極的に行った。その一つが江戸の「三囲稲荷社」(みめぐりいなり)であった。江戸時代初期、名前の類似性もあり、呉服屋三井家が熱心に参拝し、その結果商売が大繁盛したことが全国に広まり、商人による大社への鳥居奉納が盛んになったという説が濃厚である。鳥居には奉納者名が字刻されるので、当時は、格好の宣伝方法という側面もあったかもしれない。3.千本鳥居のかたち 稲荷社の鳥居の形は島木と柱の接合部に「台輪」と呼ばれる輪が付いている「台輪鳥居」が特徴といわれるが、大社では、実際にはこの台輪鳥居は、ごく少数に過ぎず、千本鳥居も含め、台輪を省略した明神鳥居がほとんどを占める。また、一部石鳥居が残っているが、大部分が木製である。大社境内では、石の鳥居の建造は昭和20年以降禁止され、木製のみが認められている。理由はよく分からないが、石造は地震時に危険ということもあると思うし、石造は耐用年数が長く、耐用年数の短いものにして、より多くの人に建てていただくためということかも知れない。適切な表現ではないかも知れないが、大社側にとっては、回転が早くより多くの浄財を集めるためということがあるかも知れない。4.千本鳥居の大きさと初穂料 大社に奉納する鳥居の大きさは、柱の上端部直径を基準にして号数で表わされる。人が潜れる鳥居として最も小さいのが5号で直径は15cm。これが千本鳥居の大きさである。初穂料は大社ホームページでは、5号30万円、10号(直径30cm)189万円~となっている。2020年時点の初穂料は、5号175,000円、10号1,302,000円~だったので、それぞれ71%、45%の高騰である。世の中の物価上昇率より、大きな上昇と考えられる。特に千本鳥居の上昇率が高い。千本鳥居は立錐の余地がないほど建っており、かつ初穂料も非常に高額という訳ではないので人気が高く、建てるには長いときには、4~5年待ちともいわれるほどである。 建立申込みは、伏見稲荷大社や「お山巡り」神蹟の茶店でできる。「長谷川工務店」(ゼネコンの会社とは別)など鳥居製作会社に発注される。筆者の過去の調査では、5、6社が請け負う。鳥居に刻まれた、建立年の字形を見ると、明らかに自体や字間の異なるものがあり、複数の製作会社が製作していることを示している。5.千本鳥居の基数 千本鳥居の基数については、文献上及びネット上では色々な基数が登場する。2025年10月12日から12月14日かけて筆者が現地調査をした。結果は、南側392基、北側391基、合計783基であった。経年劣化による撤去を経て抜けている部分も含め新造が行える場所は、多く見積もっても15箇所程度であり、全部そこに建造したとしても800基には届かない。現状を普遍的に表現するとすると、「800基をやや下回る基数」という表現が妥当な線かと思われる。「千本」は単に多いことを表す数字であると示す文献ももあるが、「昭30年代には本当に千本と数本しか違わなかったらしいが、現在は太さが太くなった関係で800本程度になったようである。」とする情報もある。6.千本鳥居の耐用年数 千本鳥居は木製であり、耐用年数は4~5年とも言われる。実際にどうか調べた文献、ネット記事はみかけない。鳥居には、創建年月も字刻されており、これも調査可能である。何年に何基建てられたかまでは分からないので、断定できないが、2018年に大きな落ち込みがあるのと、2014年以前の基数が年を遡るとともに漸減しているところから見て、平均的な耐用年数は、7年~11年といえよう。因みに現存する一番古い建立年は、2005年で21年経過したものであった。7.千本鳥居の奉納者全国分布 千本鳥居に字刻されるている住所を都道府県別に集計した。第1位は東京都、大阪府同数で、それぞれ130基、3位は地元京都府の108基、以下4位兵庫県48基、5位愛知県47基、神奈川県40基と続く。産業が盛んな関東、関西、東海地方が上位を占める。全く奉納がなかったのが、宮城・鹿児島・沖縄の3県であった。いずれも遠方であることが大きな理由であろうが、都道府県別の全神社数の統計では、沖縄の神社数は他の都道府県に比べて極端に低く(他都道府県最低447社に対して沖縄県15社)、琉球王国と呼ばれていたように、古くは別国で宗教文化も違うということことも沖縄県の特殊事情としてあるであろう。それ以外の都道府県は、1基から20基の間に分散している。 都道府県別の人口100万人当たりの基数でみてみると、地元京都が42.9基と群を抜いて1位であり、2位は大阪府、和歌山県それぞれ14.8基、4位は12.6基の山梨県、5位は10.8基の福井県と続く。山梨県が遠隔地であるにも拘わらす4位に位置している。理由は今のところ不明である。8.千本鳥居の建立月 千本鳥居は建立日も鳥居裏面に字刻されている。1位は2月で12.5%、2位は5月の12.1%、3位は3月の9.6%、4位は1月の8.6%であった。2月に多いのは、初午大祭があるからであろう。2月分のうち「二月吉日」とせず「二月初午」としたものが29%にものぼった。一月に多いのは暦上の年初月であるからであろう。1月分のうち、67%の鳥居で字刻が「1月吉日」ではなく、「一月元旦」となっていた。3月に多いのは。会社の新決算期に向けた奉納、8月に多いのは夏休みであることが主な理由ではないだろうか。 近年外国人観光客が多く、ご朱印の授与を受ける外国人も多くなっているが、今回の調査では、千本鳥居の外国人奉納者は見つからなかった。支払いや修繕、取り壊しなど、将来のコミュニケーションが取りにくいため奉納を認めていないのかもしれない。そのハードルがなくなって、外国人が奉納を始めると、こういった季節性の特徴はなくなっていくのだろう。9.千本鳥居奉納者の職業 千本鳥居裏面左側には、奉納者の氏名、会社名などが字刻されている。それらから職業別の統計をとった。形態が分からない場合はネット検索し、有限会社、株式会社などの表記がない場合は、「個人事業者」とした。また「個人」としたものでも「個人事業者」の場合があるなど、必ずしも正確ではない部分があることはお断りしておきたい。不明2基を除き、「株式会社」347基、「個人」231基、「有限会社」96基、「その他法人・団体」33基、「個人事業者」59基、「信者団体」15基であった。何らかの形の事業者が全体の68.3%を占め、今や商売繁盛の神としての方が有名になった大社の面目躍如というところであろうか。千本鳥居前に続く、大きな鳥居群には、花王、電通などのよく知られた会社名も多いが、千本鳥居の企業・団体名には筆者の知ったものは、ほとんどなく、有限会社の比率も多いことから、非上場の中小企業がほとんどであろう。初穂料の面からも身の丈にあった奉納ということになろう。個人による奉納分が29.5%と多く個人崇拝も活発であることが分かる。また、稲荷講など信者団体の奉納も一部ある。また中には同じ奉納者が2基以上建立しているものも10事象近く見られ、最大では、東京都港区のあるご家族が11基も奉納されていた。10.最後に 千本鳥居について、その歴史、初穂料などを文献・ネット情報から整理し、現地調査で、基数、建立年読み取りによる耐用年数の推定や建立月の特徴、奉納者の生業などを、詳らかにすることができた。 以上成果報告書には掲載していないが、分析結果をグラフにしたものがあるので添付しておきます。
2026/03/28
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K病院の第4クール入院予定は本日3月17日(火)の予定でした。ところが体調をくずしてしまいました。3月13日にちょっとしんどいなぁと思っていたら、翌朝37.0度の微熱。三重へのちょっと早いお彼岸のお墓参りに2人で行く予定だったけど翌日に延期。でも翌日3月15日になると37.5度の熱。もう一度お墓参りは延期。その後も37.0度程度の微熱は続き、お墓参りは、3月16日に家内に一人で行ってもらった。感謝。3月17日に、Y医院に行って診てもらったが、多分インフルだろうとのこと。検査はしてもらえなかった。発症から時間が経つとインフルだとしても検査結果に出ないそうだ。今年の大人のかかるインフルは熱は上がらず、風邪の症状が長く続くそうだ。第4クール開始までに治るかもしれないが、長引くといけないので、第4クールの延期を決め、K病院に電話。約1週間遅らせて、3月23日(月)入院、泌尿器科診察は3月25日に延期してもらった。これで4月2日の白内障手術が、第4クール退院後3日目になってしまったが、過去の経験から退院後3日目であれば、体調的には問題ないと考え、白内障手術の日程はそのままとした。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/03/17
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東海道歩きの5日目です。今日も2人旅です。感謝。JR線草津線は、三雲から、旧東海道を離れ、南東の拓植(つげ)に向かいます。鉄道の乗り換えでは帰路が成り立たず、終着予定の土山からはバスで貴生川まで行き、そこでJRに乗り換える必要があります。バスの本数は多くないので、バスダイヤを調べたうえで出かけました。雨や雪は降らなかったけれど、風が強く、寒い天気でした。ルート概略 水口~土山 9:20~16:00(6時間40分)15km 26,700歩JR貴生川駅で近江鉄道に乗り換え、水口石橋駅へ近江鉄道内 内装貴生川から2駅で、水口石橋駅着 前回の帰り道はPITAPAが使えなかったのですが、使えるようになっていました・安藤広重 水口宿名物の干瓢を栽培してそれを干して食べられるように加工している様子が描きこまれています。近江鉄道駅の駅名の由来になった「石橋」石橋 駒札街道は三筋に分かれますが、真ん中の道を行きました。三筋に分かれた道は、先の方で合流します。水口の町並み曳山の模型問屋場跡水口の町並み高札場跡高札場跡 駒札旧水口宿脇本陣水口は今は甲賀市に属しますが、2004年10月1日に土山町、甲賀町、甲南町、信楽町との新設合併までは甲賀郡水口町でした。マンホールもその水口のときのデザインです。町の花「サツキ」と、水口曳山祭の「曳山の車輪」がデザインされています。水口宿 東見附(江戸)跡東見付跡冠門のモニュメントがある。天和2年(1682)、水口が水口藩の城下町になると枡形土居がめぐらされ、木戸や番所が置かれた。東海道の松並木かつては松並木があった。八幡神社 祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと) 本殿は一間社流造り。今郷の一里塚。日本橋より112里目。復元されたもの。一里塚説明板甲賀市土山に入ります、」山燈籠。東海道今宿碑石仏甲賀市土山町のマンホール旧甲賀郡土山町町時代のものです。町の木「スギ」と町の鳥「キジ」、町の花「茶」が描かれています。旅籠 東屋跡三好赤甫旧跡句碑「ほととぎす 早苗にかげを 残し行く」京に上り東福寺の虚白に俳諧を学び、幕末から明治にかけて活躍し、この地方の俳諧の基礎を築いた。旅籠 田畑屋跡明治天皇聖跡碑間の宿(あいのしゅく)大野防火水槽大野の旅籠跡など昼食は Hygee Cafe & Garden という街道沿いの小洒落たCafeでパスタをいただきました。花枝神社鳥居創祀は嘉祥3年(1699)、坂本日吉本社八王子社を分霊し、勧請したもの。東海道反畷碑従是淀領碑淀藩領界石。淀藩の飛び地があった。大野の旧東海道の松並木(一部しか残っていない)東海道反野畷碑大日川堀割跡大日川は野洲川の支流で、大雨が降ると氾濫し市場村や大野村は大きな被害を被った。そこで大野村は市場村との境に堤を築いたが、今度は市場村が被害を受けました。そこで元禄12年(1696)領主堀田筑前守に願い出て、総延長504間(約907m)掘割を築きました。市場の一里塚跡 日本橋より111里目諏訪神社天文11年(1542)甲賀三郎兼家が関東から故郷に帰る途次、信濃國諏訪大社より分霊したもの垂水頓宮御殿跡碑垂仁天皇の皇女倭姫命は天照大神の御神体を奉じて鎮座地を巡行し、その際、この地に御殿が造営された。地安禅寺 浄土宗 山門は鐘楼門。境内の御影堂には後水尾上皇の御位牌が安置されている。瀧樹(たぎ)神社 鳥居瀧樹神社由来土山は茶の産地街道沿いの家並大黒天が庇先に祀られている家が多い。京都なら鍾馗さん。本来の街道は、ここで左に折れ、北上し、松尾川の渡し(秋から冬は木橋か土橋。春から夏は徒歩か舟渡し)を渡るが、この松尾川(野洲川は当時は松尾川と称した)の渡しには、今は橋がかかっていないので、このまま真っすぐ進む。国史跡 垂水斎王頓宮跡天皇が即位すると名代として伊勢神宮に派遣される皇女を斎王といい、斎王が宿泊する仮の宮を頓宮といった。京から伊勢からまで、5迫6日の日程で、近江國では、勢多、甲賀、垂水、伊勢國では、鈴鹿、一志に宿泊した。実際の場所は、かなり北に行き、国道1号線を渡った先にある。歌声橋野洲川国道1号線に合流し、少し東に歩いたところから、土山宿に入っていく。万人常夜燈がある。土山宿の家並土山宿陣屋跡代官屋敷跡、寛政12年(1800)、土山宿の大火災で類焼し、以降、陣屋は信楽に移った。高札場跡大黒屋本陣跡土山宿の豪商、大黒屋立岡家が控本陣を務めた。明治天皇聖蹟高桑 闌更(たかくわ らんこう)歌碑前田製茶土山宿の家並土山宿絵地図土山宿本陣跡土山宿本陣は寛永11年(1634)、家光の上洛に際して建てられたもの。明治天皇はここで東行中17歳の誕生日を迎えた。住民には酒肴が振舞われた。問屋場跡、成道学校跡中町の問屋場堤家本陣跡平野屋跡森鴎外が白仙墓参の際に宿泊した旅籠井筒屋跡森鴎外の祖父、白仙は文久元年(1861)、参勤交代に随行し、ここで没した。土山宿 旅籠柏屋跡、旅籠 大工屋跡、旅籠 釣瓶屋跡白川神社本殿は文久3年(1863)の造営。本殿前には「願かけ神石」がある。この神石を撫でると、願い事が叶うと伝わっている。来見橋橋には「土山茶もみ唄」のパネルがはめ込まれている。土山宿の家並上島鬼貫(おにつら)歌碑「吹けばふけ 櫛を買いたり 秋乃風」鬼貫は伊丹生まれの俳人で、東の芭蕉、西の鬼貫ともいわれた。お六櫛お六櫛は土山の名産であった。中山道の奈良井宿を祖とし、薮原宿の名産となり、ここ土山宿にも伝わり、宿内には十数件の櫛屋があった。餅の駅「あいの土山」バスの時間まで、お土産を買おうと思ったが、残念なががら定休日であった。20分ほど待ってバスに乗って、JR貴生川駅へJR貴生川駅今日もよく歩きました。←前回「旧東海道」 次回「旧東海道」→
2026/03/10
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左目の白内障手術4月2日実施と決まりました。手術は日帰りで、家族の同伴は必要ないのですが、事前の説明には家族の同伴が必要とのことで、3月9日指定の日に、家内同でK病院眼科主治医K先生から説明を受けました。説明書の説明がありました。抜粋します。・目的:水晶体の濁り除去・方法: 濁った水晶体を水晶体の被膜だけ残して除去し、残した幕の中に人工眼内レンズを入れる。 手術は局所麻酔で行う。麻酔薬にアレルギーを示す人があり、重篤な合併症を起こすこ が ある。・効果: 視力改善が目標だが、他の部分、たとえば網膜や視神経などに病気がある場合は、視力が 出にくい場合がある。 人口レンズには調節力がないため、見るもの距離に応じて、メガネを使用する。 大まかにいうと ★裸眼で遠方を見えるようにする。通常は裸眼で過ごす。手元は老眼鏡をかける。 ★遠方はメガネをかける。手元はメガネを外して裸眼でみる。 ★保険外診療になるが、多焦点眼内レンもある。デメリットもあるが、選択は可能 私は、普段から近視で遠くを見るのにメガネをかけているので、一番上の方法を選択し、パソコンをよく使うので、40cmくらいの距離に合わせていただくようお願いしました。・副作用と合併症 稀に起こる、様々なリスク(再手術の必要になる場合があること。最悪1000例に1例の割合 で術後感染症が起こり失明に至る場合がある。1万例に1例、眼内大出血で失明。など) について説明がありました。 それらのリスクを承知のうえ、手術を受けることにしました。 手術前3日から点眼する薬を処方してもらいました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/03/09
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K病院での抗がん剤治療第3クールは、予定通り2月24日に入院し、今日3月2日に退院して終えました。前回の「闘病記」で示した、手術用の圧着ソックスを使ってみることを主治医のY先生が認めてくださったのでトライすることにしました。また、抗がん剤を始める前の利尿剤注射を第2クールではやってなかったことも分かったので、それもお願いすることにしました。また、今回からドキソルビシンの量が増量になりました。M病院の時同様、少な目からスタートしたのですが、重篤な副作用かが見られないのいで、今回から増やしていただきました。圧着ソックスを履いた状態体重変化結果は大成功。第1クール、第2クールはピーク時体重が8kg増えていたのが、M病院の2kgには及ばないものの、4kg程度まで半減することができました。圧着ソックスを「ふくらはぎ」に履いているので、太ももより上に、その反動が出るのですが、ほとんど気にならないレベルでした。腎臓の機能が重粒子線治療で若干落ちているものの、それほどではないので、下半身の血流をちゃんと上半身に戻してやれば、腎臓が排尿をしてくれるようです。食欲も今回も問題なしで完食でした。口内炎も出血性膀胱炎も問題なし。今回も入院時、退院時、血液検査、尿検査をしましたが、問題なしでした。また、入院中の2月26日に泌尿器科の診察でエコーで診ていただきましたが、特に大きな問題はありませんでした。第4クールの入院は、3月17日の予定です。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/03/02
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前回、「脂肪肉腫」の治療優先のため、白内障手術は延期の旨、投稿しました。その後、「脂肪肉腫」の治療は、手術による摘出ではなく、とりあえず抗がん剤治療ということになり、抗がん剤治療の第1クールが1月13日から、第2クールが2月3日から行われました。ここで、各クールは1週間入院で抗がん剤治療をし、2週間自宅療養というサイクルであること、退院後4日くらいすると通常の体調に戻ることが凡そ分かりました。特に見にくい左目だけの手術の予定なので、これなら抗がん剤治療の合間を縫ってできないことはないなぁと思うようになりました。2月24日からの第3クールのときに、「第4クールが終わった後、左目の白内障手術をしたい」旨申し出て、腫瘍内科の主治医Y先生と、眼科の主治医K先生と相談していただきOKが出てました。 3月9日、家族同伴で説明を聞くためにK病院に来院し、4月2日、日帰りで左目白内障手術と日程が決まりました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/03/02
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