老師の言葉 0
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今年の「いるかのはたけ」は豊作だった。ジャガイモを植えたが、コロナで動けなくなって、しばらくは放置状態だった。ジャガイモはオオブタクサに覆われ、まったく日が当たらない有り様。まずはジャガイモの救出がスタート。オオブタクサを引き抜き、ジャガイモに日光浴をさせた。何とか持ち直してくれた。小さかったけれども、たくさんとれた。トマトは雨続きのために、ミニトマトはともかく、大玉はダメだった。キューリは、地面を這って広がっていく種類の苗を植えたが、これが良かった。どんどん育って、生で食べたり漬物にしたり、大きくなっているのはみそ汁に入れたりしていただいた。一番のハイライトは、ニンジンとダイコン。去年は両方とも失敗している。ニンジンは芽も出なかった。ダイコンはゴボウのような細いのができただけ。ニンジンは好光性だから、種を深く蒔いてはいけないと教えられた。その通りにやったら芽が出た。育つだろうかと心配していたが、立派なのが収穫できた。大成功だ。そしてダイコン。昨日、そろそろいいだろうとはたけに行った。見事に育っている。簡単に抜けない。やっと抜いたら、もう感激。満足感いっぱい。素人ならではの感動だった。妻も大興奮。一緒に行った仲間も喜んでくれた。五日市まで車で2時間近くかかるが、行く価値がある。冬のうちに、はたけを整備しておかないと。
2020年12月02日
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久しぶりにいるかのはたけへ行った。引っ越しがあってなかなか行けないでいた。それでも作物は順調に育ってくれている。落花生は、ネズミだろうか、けっこう食べられてしまっている。今年は防虫ネットを張ったけど、どこからか入り込んだ。ダイコンは立派になっていた。まだ収穫は先になりそうだが、いい感じだ。ニンジンはどうなっているか。ちょっと収穫が遅れたが。と思って見たら、予想以上に大きくなっている。なかなか抜けずに、スコップで掘り起こしたのも。去年も一昨年も失敗しているからうれしいな。あとはのらぼう菜。バラバラと種をまいてそのままにしていたので密集して育っている。間引きをし、移殖をしてきた。うまく根付いてくれるといいが。山梨へ引っ越すと、なかなか来れないかもしれない。だけど、このまま荒れ地に戻してしまうのはもったいない。がんばって続けるか。迷いどころだ。
2020年11月02日
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少しずつ人が都会から脱出しているように思う。人間の生存本能がささやいているのだろう。わが家のテーマも「東京脱出」。妻とも娘たちとも感じていることは同じだ。しかし、無防備に出てしまって、果たして、ぼくたちに生き抜く力があるのだろうか、という懸念もある。何とかなるとは思いつつも、それなりの準備が必要だ。あと半年か1年か。「農業」がひとつのテーマ。これからの時代の流れだと感じる。しかし、農業一本でやっていける自信はない。そういう才がぼくや妻にも備わっていないのは明らかだ。ぼくたちが得意なのは、「癒し」の世界。となれば、癒しを軸にして、そこに農業を絡ませる。農業のもっている、癒しの力を活用させてもらう。ぼくたちが企画してきた小笠原ツアー。非日常に身を置き、協力し合って生活する。そんな10日間を過ごすことで、みんなが元気になって帰ってくる。あれがモデルだ。農作業をして、食事を作って、ワイワイ言いながら楽しい時間を過ごす。作物がとれればみんなで分け合う。そんなことを考えている。
2020年09月02日
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このごろ、3日に一度は「いるかのはたけ」へ行っている。はたけがあるのは武蔵五日市。わが家から車で1時間半はかかる。数十年前には畑だったという荒れ地を借りて、「自然栽培」と称して、1年目は草むらにトマトの苗を植えたり、落花生の種をまいたり、どんな環境でも、種さえまけば作物ができるはずという横着なやり方。うまくいくはずもない。2年目は、知り合いも誘って、もうちょっと工夫しようかとなったが、なかなか手を入れない自然の中では育たない。ちっちゃなジャガイモ、ごぼうのようなダイコン、せっかくもらった自然栽培の玉ねぎの苗も、いつの間にか姿を消してしまった。「自然栽培と放置栽培は違います」と言われたことがある。ぼくの場合は放置の部類だったんだろうな。3年目の今年は、ちょっと気合を入れた。やっぱり開墾からやろう。草を刈り、浅めに耕して畝を作ると、けっこう畑らしくなる。キュウリ(地這い)は豊作。ジャガイモと枝豆もいいのが収穫できた。落花生も豊作の予感がする。ニンジンもきちんと芽が出た(ニンジンは発芽させるのが難しいと言われている)。春菊もまあまあ。9月になると、秋冬野菜の種まきとなる。その準備で、草を刈ってスペースを広げたり、畝を作ったりしている。何となく、畑仕事のリズムが分かってきた感じがアする。秋冬は、ダイコン、玉ねぎ、ジャガイモ、のらぼう菜を考えている。ダイコンとのらぼう菜の種は準備した。ダイコンの畝、のらぼう菜の苗を育てる畝も作った。のらぼう菜を植える畝、玉ねぎはどうしよう。ジャガイモのスペースも作らないと。座って仕事をしてきた人間には重労働。でも、次は何をしようかと思うとワクワクする。畑仕事は癒しになると言われたことがある。間違いない。2~3時間、畑で仕事をすると元気になる。作物が育つともっと元気になる。農業で人を元気にする仕事をしようと思っている。楽しみだ~~~。
2020年08月31日
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自然栽培の講習会。講師の関野さんのこだわりは種採り。種採りの大切さを、彼は熱く語る。たとえば、今年のような長梅雨で温度が上がらないとき、野菜は育ちにくいけれども、そんな中でも元気に育つものもある。厳しい環境の中で育った作物からは、生命力のある種を採ることができる。種が進化していくのだ。畑の環境に合うよう、遺伝子が変化してく。この畑ならではの種になっていくのだ。種なんか、ホームセンターで買ってきてまけばいいと思っていたけれども、それではもったいない。あの小さな粒の中に宇宙が凝縮されている。自然栽培を学ぶことで、何か大事なことに気づくことができる。いるかのはたけでも、去年のダイコンを放置しておいたら、花が咲いて、種ができた。図らずも種採りができることになった。(ダイコンの種)今、種は家の玄関に袋に入れて置いてある。9月には、これをまけばいい。はたけでも、自然にこぼれた種から芽が出て、ダイコンができるかもしれない。種を意識すると、自然栽培がさらに面白くなると関野さんは言っているが、そのとおりだと思う。ニンジンもいい種をもらってまいたので、来年は種と採ろうと思う。
2020年08月03日
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畑をやっていて思うのは、農業というのは経済と結び付けないほうがいいということ。ただし、人間の命を支える食と直結するわけだから、国民の食を賄えるだけの生産性も考えなければいけない。医療も似ている。お金儲けの医療になったらおしまいだ。でも、人の命を救うにはお金も必要。大切なのは、どちらもベースには「命」があるということを忘れないこと。佐藤初女さんは、「食は命の移しかえ」とおっしゃっていた。動植物の命が人の命になってくれる。私たちは命をいただいているのですよと、敬意をもって調理をしておられた。農業は、ぼくたちの命になってくれる命を育てること。間違いなく、小さな種に偉大な命が宿っている。落花生の種をまいておくと、種が割れて、そこから芽が出てくる。殻をつけたまま埋めておくと、殻を突き破って新しい命が生まれる。すごいと思う。この生命力をいただいて、ぼくたちは生きているのだと、改めて感じる。ぼくたちはほかの命に支えられて生きている。動植物だけではない。微生物だって、とても大切な存在だ。一人で生きていける人間などいない。今のぼくは、畑へ行くのが楽しみで仕方がない。命に触れることができるからかな。まだまだ農業初心者で、偉そうなことを言える立場ではないが、ぼくの感性は喜んでいる。
2020年06月10日
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自然栽培講習会初日。待ちに待った自然栽培の講習会。土曜日は冷たい雨だったが、一転していい天気になった。農家の長男に生まれながら、農業などやったことがない。一生、やることはないと思っていた。でも、木村さんにお会いしたころから自然栽培に魅かれていった。ずっと傍観者として取材をして原稿を書く立場で満足してきたが、自然栽培パーティという、障がいのある方が自然栽培をやっている団体と縁ができたり、末期がんだったおーちゃんが自然栽培を始めて、生き生きと農業をしているのを目の当たりにしたりして、自分でもやってみたいという気持ちになってきた。武蔵五日市に畑(いるかのはたけ)を借りて、自然栽培の真似事を始めた。本を読んだり、ユーチューブを見たりしての、手探りの作業。簡単なものではないことがわかった。それだけでも収穫だった。でも、やっぱりきちんと基本を知らないといけない。そう思っていたときに、自然栽培講習会のチラシを手にする機会があったという経緯だ。自然栽培の魅力は、農業をとおして、自然の摂理を学べるところだと思う。知識や情報ばかりを増やしてもいけない。実践が伴うことで、人は成長していく。1年間、しっかりと勉強をして、五日市や故郷の鈴鹿の畑で、さらに実践をしていこうと思う。
2020年03月16日
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久しぶりに五日市へ行った。いるかのはたけは荒れている。この冬はがんばってきれいにしないといけない。大根は、まだまだ細いまま。残念ながら当たり前の大根は今年も作れずだな。草を刈っていたら、何とキュウリがあった。ずっと放置しておいたら、1個だけキュウリらしいキュウリができていた。この時期にキュウリとは。このごろ、五日市あたりはイノシシが畑を荒らしているらしい。サツマイモが全滅したとか、畑をブルドーザーが通ったようにがたがたにされたとか、いろんな話を聞いた。いるかのはたけにも妙なくぼ地が。だれが耕したのか?これがイノシシの仕業のようだ。さらにさらに。つい最近、クマが目撃されたそうだ。よく通る橋のあたりに出没。でっかい大人のクマらしい。台風の影響か、山のエサが少なくなって、人里に降りてきたのかもしれない。どうも共存のバランスが崩れているようだ。それは台風のせいもあるけれども、もとをたどれば人間が山を壊してしまったからかもしれない。これも人がもたらした自然災害のひとつ。人は自分で自分の首を絞めている。そろそろ、賢く生きることを学ばないとな。
2019年11月07日
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去年から通っている武蔵五日市。いるかのはたけのすぐ近くに「戸倉しろやまテラス」。廃校になった小学校を改修して宿泊のできる研修施設に生まれ変わった。一度、仲間たちと宿泊してみたいと思っていたが、土日だとなかなか予約がとれない。この時期にとれると思わなかったけど、6月22日、23日が空いていてびっくり。ちょうどホタルの季節だ。家庭科室を借りてみんなで昼ご飯、晩ご飯を作ろう。あじさい山も今が見ごろ。昼はあじさい、夜はホタル。最高じゃないか。ところが問題は雨だ。天気予報では雨模様。雨だったら屋内でのんびりすればいい。一日目は小雨ですんだ。あじさい山にも行けた。大好きな小さな美術館(カフェ)も。みなさん大喜び。案内したこちらも鼻高々だ。さて暗くなってホタル!!去年はすごかった。乱舞の中で初夏を満喫した。しかし、今年は残念ながら、10匹ほどが飛ぶのを見たくらい。悔しいけど、こればかりは仕方ない。次の機会か、来年リベンジだ。夜はみんなで朋子と氣恵のキッチンカーの商品であるタコライスを腹いっぱい食べた。これはなかなかいける。あの2人のがんばりは大したものだ。11時消灯まで、みんなで飲んでしゃべって、こういう時間が最高だな。翌日は曇り空。いるかのはたけで草取り。ブタクサが繁茂し始めている。去年は、何も知らなかたので放置しておいてひどい目にあった。畑がブタクサジャングルになってしまった。今年は今から対処している分、ちっとはマシかな。少しはましかもしれない。気を使わなくていい仲間と一緒にワイワイやるのは本当に楽しい。みんなも楽しんでくれた。今度は小笠原だ!
2019年06月24日
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久しぶりにいるかのはたけに行った。草の勢いがすごい。作物が背の高い雑草の影になって小さくなってしまっている。自然栽培というのは、雑草も共生する栽培法だが、それでも、放置しておいてはいけない。それなりに手を加えて、コントロールをしないといい作物はできないようだ。ジャガイモの大きくなっているが、雑草たちに覆われてしまっている。日が当たるように、まわりの草を刈ってあげた。昨夏、苦労をしたブタクサも姿を現わした。放っておくと2メートル、3メートルの高さになる。早めに対処しないといけない。去年とは確かに雑草の様子は変わったけれども、それでも、作物と雑草が共生するような畑になるにはまだ時間がかかりそうだ。手を加えていけば、徐々に背の高い雑草はなくなるのではないかと期待している。暑い中の除草作業。大変だけど、ここを超えないと、いい畑にはならないのだろう。真夏になる前に、対策を講じていこうと思う。
2019年05月05日
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久しぶりに「いるかのはたけ」へ行った。縁があって、草ボーボーの野原を借りることになったのが1年前。数十年前には畑だったそうで、ここで我が家も畑をやろうと決めた。でも、何からやっていいかわからない。とにかく、草を刈って、少し耕して、何か作物を作ろうということで、落花生、トマト、大豆あたりから始めた。一緒にやりたいという仲間を募って、みんなでワイワイとやり始めた。隣に梅の木が10本ほど放置してあったので、仲間に声をかけてきれいにした。まる1年たって、去年とは様子が変わった。草の種類が違う。去年は一面、スギナだった。花など咲いていなかった。今年はカラスノエンドウが広がっている。ピンクのかわいい花を咲かせている。ほかにも、カラフルに花が咲いている。冷たい感じの土地から、温かな光を感じるようになった。人が入ることで変わったのだと思う。梅も、去年は数個の実しか見つけられなかったのに、今年は、かなりの数の小さな実がなり始めている。少しずつ少しずつ。変化が出てきた。大したことはできないけど、やっぱり続けるものだ。
2019年04月22日
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いるかのはたけ、冬場は大きな動きはなかった。寒いとどうしても動きはにぶくなる。少し暖かくなって、ジャガイモを植えることにした。不耕起栽培を目指したが、あまりにも土壌が固いので、ジャガイモ畑は耕すことにした。フーフー言いながら固い土を掘り起こしていたら、何人かの地元の人に、「がんばっていますね」と声をかけられた。少し話をしているうち、一人の人が、「自然栽培ですか」とうれしい話を振ってくれた。看板に「自然栽培」と書いてあるのに気づいてくれた。「そうなんですけど、なかなかうまくいきませんね」「種もこだわっていますか?」「ええ、飯能の・・・」「野口さんですね」話が分かる人だ。彼も、近くの畑で自然栽培をしていると言う。これから、いろいろとかかわりが出てきそうな気がする。動いていると、まわりが動く。ぼくの感覚だと、これから急速な動きが起こってくるはずだ。世の中、単純な法則で成り立っている。思ったら行動する。そうすれば、思いもしなかった展開が起こってくる。ジャガイモはうまくできそうな気がする。
2019年02月28日
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この間、梅の木の剪定をしてから、まわりにある梅の木が気になって仕方ない。ときどきもう花が咲いている木もある。あれは、梅の種類が違うのだろうか、日当たりが良くて早くに咲いたのだろうか。2月になれば花は咲き始める。春は近づいてくる。氣歩と、これからいるかのはたけで何を作ろうかと話している。去年どおりに、トマト、落花生、大豆は定番だ。それに加えて、キュウリやなすび。でも、1週間に一度くらいしか行けないから、水がなくても育つものがいい。いまのはたけは、ソラマメが目立ってきた。ただ、五日市は寒いところなので、元気がなくなっているのもあって、ちょっと心配でもある。それとのらぼう菜。これは、この地域の特産。寒さにも強い。ただ、イメージとしては、種をまいたところ一面にのらぼう菜が出てくるつもりだったが、思ったほどの数が育っていないのが気になる。玉ねぎは、寒さにどれくらい耐えられるか。そして、自己流で剪定をした梅の木に実はなってくれるか。試行錯誤の1年目。2年目も試行錯誤が続きそうだ。
2019年01月15日
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土曜日は、仲間たちとウメの木の剪定をした。いるかのはたけの横に、20本ほどの梅の木が、野生化している。数十年、放置されているウメの木。確か、去年の春先はきれいに花を咲かせていた。しかし、梅の実は、ほんの数個見かけただけだった。持ち主に話をしたら、「好きにやっていいよ」という返事があって、今年は剪定をしようと決めた。しかし、剪定と言っても、やったことがない。どの枝を残してどれを切ればいいのか、皆目わからない。最初は、だれかに教えてもらうと思ったが、なかなか五日市まで足を運んでもらうわけにはいかない。地元の人で教えてくれそうな人もいたが、まずは、自分たちでやってみようということになった。とにかく、太陽の光が当たるようにしよう。風が通るようにしよう。この2点を頭に入れて、切り過ぎじゃないのと思えるくらい切ってしまうことにした。桜切るバカ、ウメ切らぬバカという言葉があるらしく、ウメは切り過ぎるくらいがいいらしい。やっていると、何となく感覚がつかめる。これは切った方がいいなという枝がわかるようになる。正しいかどうかはわからないけれども、剪定というのはこういうものなんだと、コツはつかめた。半年前、こんなことをやっている自分は想像もできなかった。農業など、自分には縁がないと決めつけていた。やりたいとも思っていなかった。しかし、自然栽培をやっている人たちを見ているうち、心が騒ぎ出し、去年からいるかのはたけが始まり、今年は、いるかの梅林。そして、もうすぐオリーブ栽培がスタートする。家内や娘たちまでもがうれしそうに畑仕事、ウメの剪定をしている姿を見て、やって良かったと思う。できるとかできないと考えず、まずはやってみることだな。仲間たちも、楽しんでくれている。ここから、面白いことがもっと始まってきそうだ。
2019年01月07日
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今年最初のいるかのはたけ。わが家が3人、それに小島母子、かこちゃん、しんちゃんというメンバー。昼ごろに着いて城山テラスで食事をして、去年お世話になった隣のDさんとMさんにご挨拶をして、それから作業。大根の収穫をしたり、自分のはたけを手入れしてから、みんなで梅の木を剪定したり、絡まるつる草をとったりした。これが面白い。かなりの古木なので、腐った枝は手で折れる。少しでも日当たりと風通しがよくなるようにと、折ったり切ったりしたが、7人でやると作業がえらくはかどる。20本くらい木があって、薄暗かったのに、とても広々と明るい梅林になった。みんな夢中になって、いつの間にやら4時近くなっていた。比較的暖かい日だったが、それでも日が傾くと寒くなってくる。ソラマメとか玉ねぎとか、元気がない。寒いせいだろうか。隣のおじさんも、冬場は何も作らないと言っていた。そろそろ春野菜に向けて準備をしないと。
2019年01月06日
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いるかのはたけを始めてからさまざまな新しい展開が起ってきた。畑をやろうと動き出して1年くらいがたつ。だいたい、過去の自分を振り返れば、自然栽培なんて続くはずがない。でも、湧き上がってきた思いに背中を押されて始めたら、自然栽培をやっていますと偉そうなことを言えるほどではないにしろ、無農薬・無肥料で少しだけで作物ができた。これはこれで立派なものだと、自画自賛している。本で読んだり、人の話を聞いて「なるほど」とうなづているのと、曲りなりにも自分でやってみるのとでは大違い。木村さんや佐伯さんが言っていることが、「こういうことだったのか」と一つひとつ納得できる。昨日は、山梨で大規模な果樹園を始めようとしている人とお会いした。これも、小笠原へ一緒に行ったゆうじんさんが、ぼくがいるかのはたけをやっているということで、紹介してくださった人だ。ぼくの人脈の中だけでは、つながらないタイプの人だ。いい刺激を受けて帰ってきた。オリーブ栽培についても思わぬところから話が舞い込んできた。ぼくは、ビジネスになるかどうかよりも、楽しいかどうかを優先するので、まことに頼りなくて、説得力もなくて、大きなことにはならないけれども、これからの生き方、働き方のひとつのモデルを示すことができるのではないか。少なくとも娘たちには、こういうやり方もあるよと伝えていきたい。年内に、梅の木の剪定をしたいと思っている。ケガをした親指もだいぶん良くなってきた。年が明けたら、オリーブの苗を植えよう。いるかのはたけには何の種を播こうか。春になったら、のらぼう菜が収穫できるから、みんなでおむすびの会をしよう。梅の収穫もできる。山梨の桃の畑のお手伝いをしよう。豊かな日々が待っているぞ。畑とともに
2018年12月09日
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いるかのはたけ。何十年もほとんど放置されていた土地だから、面白いものが見つかることがある。隅の方に邪魔な木があった。何だろうと思ってのぞいてみたら、キウイの実がなっていた。キウイの木なんて初めて見る。こんな身近にあるとは思ってもみなかった。ただ手入れがしてないので、新しい枝と枯れた枝が混在していて、実をとろうにも手が届かない。本当は、棚を作って育てないといけないのだそうだ。自然栽培を超えた野生のキウイだ。昨日は、枯れ枝を取り除き、実を取りやすいように剪定した。梅林もある。古い木たちだ。手入れがされてないので、伸び放題になっている。梅の枝を切らないのはバカだという話もある。20本くらいあるんじゃないかな。全部は無理だとしても、何本かはきれいに剪定しようと思う。ところが、昨日やり始めたら、木から落ちてしまった。反射神経が鈍っているし、筋力が落ちている。10年前だったら、絶対に落ちないし、落ちてももっとうまく着地できたはずだ。右手の親指が突き指したみたいになって、黒く腫れてきた。高枝切ばさみを買わないといけないな。年甲斐もなく木に登るのはやめだ。来春には梅の実がなってくれるのをイメージしながら、ゆっくりと作業をしたい。さらに、2月くらいにはオリーブを植える。なんか、大仰なことになってきたぞ。
2018年12月03日
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面白い話を聞いた。オリーブだ。オリーブといえばオリーブオイルをイメージするが、葉っぱが、お茶の葉のように使えるのだそうだ。それも非常に体にいい成分が含まれている。実を取ろうとすると、温暖な場所に植える必要があるが、葉っぱだけなら寒くても大丈夫。とても育てやすいと言う。サプリメントして売られているようだが、あまり活用されていないのが実態だそうだ。それを、高齢者や障がい者が仕事として取り組めばどうだろうという動きが出てきている。九州の70歳の方が、ライフワークとして取り組んでいる。昨日あった話というのは、どこか空いた畑でオリーブを育ててみないかということだった。もちろん、無農薬で。いるかのはたけでやってみようと思う。葉っぱは、自分でオリーブ葉茶にして飲むのもよし、主催者団体に買ってもらうのもよし、加工してもよし。いろいろな使い道がある。面白いことが次々と舞い込んでくる。いい風が吹いてきた。
2018年11月27日
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みんなでおむすびを作ろう!そんなことを思いついて、昨日、それが実現した。ちょうど、新米の季節。鴨川のおーちゃんの田んぼで自然栽培の米ができた。これを作って、初女さんから習ったおむすびを。2歳から60代まで20人が集まった。場所は、あきる野市中央公民館。いるかのはたけにも近いところだ。おむすびを作るくらいであんなにも楽しめるとは。いつもはチャカチャカと作ってしまうおむすびだけど、初女さんにかかると、ひとつの「道」であり「儀式」であり「瞑想」「祈り」でもあった。あれを再現するのは難しいけれども、年に一度くらいは、そんな気持ちで、自分だけのおむすびをむすんでみるのもいい。(撮影/Kakkoちゃん)それにしても、小笠原やいるかのはたけを通して、こういう気の合う仲間ができるというのは、なんと幸せなことか。結局、ぼくや家内が、こんなことに一所懸命になるのは、仲間作りをしたいからだと思う。まんがの「ワンピース」ではないが、ジグソーパズルを仕上げるための、ピースを集めているのかも。どんな完成図になるのかはわからないけれども、集まった一人ひとりが、それぞれの作品を作るために、このメンバーは必要不可欠なのだろう。(撮影/金ちゃん)次は12月9日の帯津先生の講演会&忘年会。いい感じで締めくくれそうだ。
2018年11月19日
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この間、いるかのはたけではたまねぎの苗を植えた。200本ほど、自然栽培で育てた苗を譲ってもらった。それを、4人でわけて、それぞれが自分のはたけに植えた。いろいろなやり方を試した。畝を作って、そこにマルチと呼ばれる黒いビニールをかぶせるやり方。ビニールに穴をあけて苗を植える。たまねぎは冬を越すから、霜とか寒さの対策なのだろうと思う。その隣には、草マルチと言われている、刈った草を畝の上に乗せて防寒対策をしたもの。さらに、はたけを耕さずに植えるやり方。大根も試してみたが、耕して畝を作ったところに種をまいたのが、一番よく育っている。多くの農家がやっているようなやり方がやっぱりいい結果が出る。今のところのいるかのはたけの状況だ。ただ、Youtubeとか見ていると、草を刈って耕さずにそこへ種をまくだけで育てている人もいれば、草も刈らずに、種を泥団子でくるんでまくだけで作物ができるという、ぼくから見れば理想的な農業をしている人もいる。(いるかのはたけでも泥団子は試してみた。大根は芽が出た。なかなか育たないけど。ビーツも大きくならない。のらぼう菜は順調のような気がする)しばらくは新しい作物は作らない。隣のはたけの梅の木の剪定をしようかとも思っている。どうやっていいのかわからないけど、自己流で何本かをやってみようと思う。それに、思いがけず、キウイの木があるのを見つけたので、これも手を加えないと。山梨の桃の件もあるし、オリーブの話も舞い込んできている。間違いなく「農業」の風が吹いてきている。この風に上手に乗っていきたいと思う。
2018年11月14日
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「いるかのはたけ」。おかげさまでにぎやかになってきた。ぼくは、五日市のどくどくの文化的なエネルギーが好きで、車で片道1時間半ほどかかるが、あまり苦にならない。はたけ仕事は、一種の瞑想かもしれないと思う。自分自身の深い部分にアクセスしながら草を刈ったり、土を耕したり、種をまいたりしている気がする。自然栽培をやっている人が哲学的になる理由がよくわかる。ふっと、自分の中の声が聴こえてくるような感じがすることがある。昨日は、よくしゃべっていた。ぼく自身が、まだ癒されてない部分が、ぼくに声をかけてきた。それはこういう声だった。「まだ足りない! まだ足りない!」自分はこうありたいという理想があって、そこに到達するには、「まだまだ不足しているよ」という声なんだよね。ずっとそう言われてきた気がする。それが、成長の原動力にもなった。ユニークな発想力の源にもなっている。しかしその一方で、自分への評価が厳しくなって、こんなによくやっているのに満足ができない、自信がもてないということにつながっている。よく氣歩に怒られる。はたけでも、ぼくがイメージしているようには作物ができてくれない。始めたばかりで無理な話だが、ついつい「こんなはずじゃなかった」「もっとできるはずだけど」と、愚痴っぽいことを言ってしまう。氣歩が言う。「トマトも落花生もとれたでしょ。キュウリだって。それでいいじゃん。うちはうれしいよ。なんでお父さんはそんなことばかり言うの!!!」氣歩の言う通りだけど、ぼくの耳元では、「まだ足りない、まだ足りない」という声がしていているのだ。昨日のはたけで、自分の課題が見つかって、本当に良かったと思う。
2018年11月03日
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いるかのはたけ。落花生が荒らされていた。隣の畑のおじさんが、おいしいところはみんなねずみとかハクビシンに食べられてしまうと嘆いていたのを思い出した。うちは被害がなかったが、ついにやられた。ちょうど、おいしくなったころを見計らって、食べ荒していく。あいつらだって生きるために食べないといけないので仕方ないとは思いつつ、せっかくここまで育ったのにと悔しさが湧き上がってくる。とりあえず収穫をした。隣のおじさんは「8割やられた」と言っていたが、うちも半分はやられている。落花生がとれたらあちこちに配ろうと楽しみにしていた。「ほんのわずかでごめんなさい」と、数人におすそ分けって感じかな。ぼくががっかりしていると、一緒に行った氣歩が、「これだけとれただけでもすごいじゃん。私は感激だよ。初めてやってこんなにとれたんだよ」と元気づけてくれた。だんだんと欲張りになってくる。大根もじわじわと大きくなっているが、「もっと大きくなれ」と、急かしたりする。となりの畑の大根の5分の1の大きさしかない。あいつらはあいつらのペースで大きくなっているのに、こちら都合で文句を言っている。自然栽培はあせっちゃいけない。化学肥料を使った畑とは比べてはいけない。頭ではわかっていても、欲が顔を出す。「最初のころを思い出せ。芽が出ただけでもあんなに感動したじゃないか」その通りだ。これでいい!!!!はたけをやる仲間も増えてきた。1メートル×1メートルくらいの小さなはたけがもういくつになっただろうか。ビニールひもで囲いを作っている。それぞれが思い思いの種をまいて育てている。大根、ビート、ブロッコリー、ソラマメ、ホウレンソウ・・・。耕したはたけもあれば、不耕起のはたけもある。楽しそうなはたけになってきた。みんなが集まって楽しむ場所としてのいるかのはたけ。それが目的で始めたこと。それを忘れないでやっていこう。いい感じで進んでいるのだから。
2018年10月15日
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五日市の「いるかのはたけ」に看板を立てた。「自然栽培」「いるかのはたけ」「あそこの野原(もともとは畑だったが40年間、放置されていた)で畑を始めたらしいよ」というのは、近所では話しの種になっているようだ。でも、草ボーボーで、そこにトマトやピーナッツ、大豆が植えられていて、いかにも素人の仕事だ。素人であることには間違いないが、取りあえずは「志」をもって始めたことだ。それが「自然栽培」であり、ゆくゆくの「農福連携」。そのことをそろそろ意思表示しないといけないなと思っての看板だ。何事も、言わないとわからない。まずは、これをやると宣言すると、エネルギーがわいてくる。まわりの人たちにも、あいつら面白いことをやっていると思えたら最高だ。形から入るのもとても大切なことだ。いろいろと実験をしている。大根の種をまいた。草を刈って、そこに直まき。耕して畝を作ってそこに種をまく。泥団子に種をくるんで草を刈った土の上に置く。この3通りのやり方で観察している。どうなっているか。耕して畝を作った畑がスタートダッシュがいい。2番目が直まき。泥団子はなかなかうまく出てこない。「いるかのはたけ」では、氣歩と話し合って、今年は泥団子中心でいこうと決めている。大根、ビーツ、野良坊菜の種まきを、泥団子方式でやってみる。壊滅するか成功するか。うまくいったら、これは「いるかのはたけ農法」の基本になる。泥団子作りはけっこう楽しめるから、子どもも障がい者も高齢者も、みんながかかわれる。楽しみだね~~!
2018年09月22日
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いるかのはたけへ行くとみんな元気になれる。草を刈ったり、土を耕したり、種をまいたり、作物を収穫したり、ただそこにたたずんでいるだけでも、元気をもらえる。ぼくは週に一度、いるかのはたけに行く。そのときに元気が欲しい人は来ればいいなと思っている。自分なんか何の役にも立たないんだと思っている人がいれば、いるかのはたけを見てくれ。雑草が生い茂っている。その中に作物がある。雑草は役に立たない邪魔ものだと思われているけれども、ぼくは、作物を作る上でも、土壌のバランスを整える上でも、必ず役に立っているはずだと思っている。がんの人も来てほしい。がんはとんでもない悪者で、自分の命を奪おうとしていると、がんを憎んでいるかもしれないけれども、本当にそうなのか、いるかのはたけから気づくことがあるはずだ。何をしていいかわからなくて悩んでいる人。小さな種をまいてみよう。数日したら、小さな芽が出てくる。やがて人間が食べることができる作物にまで成長する。すごいよ。でも、大根の種からはニンジンは育たない。大根は大根。自分は自分。自分という種はすでにまかれている。時間はかかるかもしれないけれども、必ず、自分らしい自分に育つ。何をしていいかわからなくていいから、いるかのはたけで、草むしりでも土いじりでもやりたいことをやる。それだけで何かに気づける。もちろん、悩みなんかなくて元気いっぱいの人も来ておくれ。お金が有り余っている人は寄付しておくれ。すてきなアイデアが出せる人も歓迎。力もちもいいな。いろんな人が集まって楽しく過ごせる場所にしていきたい。
2018年09月19日
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いるかのはたけは草ボーボーの野原のようなところ。普通の畑は、草を刈って、耕起して、そこに作物を植える。いるかのはたけは、種をまくところだけ草を刈る。種は、泥団子に包んで、土の上に置いておく。自然農の元祖でもある福岡正信さんの真似だ。(福岡さんは草を刈ることもしなかったみたいだが)ぼくもこのやり方にはとても興味をもったけれども、ぼく以上に福岡さんに共鳴しているのが三女の氣歩。本当に熱心に畑に通って、ていねいに作業をしている。彼女が言うには、自然の状態を大切にしたい。雑草も、意味があって生えてくるのだから悪者にしたくない。いるかのはたけは共生の場。氣歩は、人が差別されるのを見るのが嫌でたまらない。自分自身も、勉強ができず、不登校で、「ダメな子」と見られてきた。高校時代も、「大きな声で話せ!」「ぐずぐずするな!」とさんざん怒鳴られてきた。なぜ学校へ行かないといけないのか、大声を出さないといけないのか、自分のペースで過ごしてはいけないのか。世の中の理不尽さを、子どもなりに感じてきた。いるかのはたけには、自分のこれまでの疑問を解決するヒントがいっぱいある。そこに、自分の理想の社会を作ることができる。ていねいに泥団子を作って、そこに種を入れて、畑にまいているのを見ていると、「ああ、いいなあ」と思えてくる。どうして泥団子なの?と聞くと、こんな答えが返ってきた。種をバラバラとまくと、どうしても間引きをしないといけない。それが嫌で、すべてのいのちを生かしたいから、泥に包んで、間引きをしなくていいように、隙間をあけてまくのだと言う。泥団子は手でていねいにつくるわけだが、まるで初女さんのおにぎりみたいだ。つまり、種のいのちを慈しんで、気持ちを込めて泥団子で包んであげる。彼女は何気なく、やりたいようにやっているわけだが、そこに生命哲学を感じるのは、親ばかだからだろうか。いるかのはたけは、ここに参加する人たちが、好きなように作物を育てる場所だ。無肥料、無農薬でやる以外は、何のルールもない。自分ができそうな広さを確保して(1メートル四方とか2メートル四方)、そこに自分のやり方で好きな作物を作る。いろいろな思いがあっていい。ただ、ぼくは、参加してくれる人が、いるかのはたけからいろいろなことを学んでほしい。作物がとれればいいというのではなく、畑の中でどんな営みが行われているのか、自分なりに感じてほしい。今週は、大根、ビーツの種をまく。再来週は、待ちに待った野良坊菜。大根、ビーツは泥団子に1個ずつ種を包む。数日で芽が出てきて、冬には収穫できるだろう。草むらの中にできた大根。パワーがありそうだ。野良坊菜は、種を混ぜた泥で泥団子を作って、みんながオオブタクサを抜いてくれた場所に放り投げる。春になれば、けっこう広い場所に黄色い花が咲くはずだ。そんなことを気歩と話していると、ワクワクしてくる。いるかのはたけへ行くのが楽しみで仕方ない。
2018年09月18日
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畑の草取りでこんなに喜んでもらえるとは。「いるかのはたけ」を始めたのはこの春のこと。五日市の畑を借りた。畑と言っても40年も使ってない野原。トマトを植え、落花生や大豆の種をまいて、芽が出たとか花が咲いたとか喜んでいた。暑くなってくると、雑草がどんどんと大きくなってきた。雑草か作物かわからなくなってしまう。農家の人が大変だと嘆くのもわかる。でも、いるかのはたけは雑草も作物も共生する場所。そんな理想を掲げている。と言っても、オオブタクサが人の背丈ほど伸びて畑を覆い始めたときには、さすがに何とかしないとと思った。一人二人でコツコツとブタクサを刈り取ったが、なかなか畑全部とはいかない。しかし、昨日4~5人がやってくれたら、畑全体がきれいになった。やっぱり人海戦術だ。それよりも、アレルギーの原因としてやっかいがられているブタクサも、都会の人にとっては、それを切ったり抜いたりするのが癒しになるみたいで、みんな喜んでやってくれた。ぼくは思った。いるかのはたけは、みんなが集まって、雑草や作物や昆虫や土と身近に触れる場所だ。そして、畑を楽しんで、収穫ができたらうれしいし、収穫よりも、人が集まってワイワイやることで、みんなが元気になればいい。やってみたいという仲間には、このあたり使っていいから、何か栽培してみたらと言っている。ルールは、無農薬・無肥料だけ。あとはどんな方法で何を栽培してもOK。教える人はいないから、自分で勉強してよという感じかな。わが家は、大根の種をまいて、次はビーツ、さらに五日市名物ののらぼう菜と育てていくつもりだ。もちろん、雑草との共生は念頭に入れながら、草むらに作物があるという畑にする。そして、興味ある人には集まってもらう。それで作物ができれば大儲け。昨日は、その第一歩として大成功! だった。バンザイ!!参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。またやりましょう!!
2018年09月16日
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畑をやっていると雑草をどうするかが大きなテーマになる。どこの畑を見て、雑草を取り除いてきれいな畝を作って、そこで作物を育てている。いるかのはたけは、草ボーボーの草原。作物を育てる部分だけ、鎌で草を刈り、そこに泥団子に包んだ種を植えるというやり方をしている。果たして、それで作物ができるのか。これまでの実験では、ピーナッツや大豆が何とか育っている。9月に入って涼しくなったので、大根の種を泥団子に包んでまいた。まわりは雑草だらけだ。今日、行ってみたら、双葉が出ていた。うまくいきそうな予感!!!雑草って何だろうな。邪魔者と思われているけど、ホントにそうなのだろうか。自然栽培の本を読むと、雑草をうまく利用して作物を作っている。土を柔らかくしたり、酸性土壌を中性にしたり、微生物を増やしたり、いい働きをするのだ。邪魔者、悪者とは扱わない。悪者とされている雑草だが、言葉として使われているのを見ると、ちょっとニュアンスが違う。雑草魂とか雑草のように生きるとか。強そうじゃないか。逆境にも負けないたくましい生き方をほめる言葉だ。逆に、温室育ちというと、なんかひ弱そう。雑草みたいと言われても不快ではない。不快どころか、雑草みたいい生きることにあこがれたりする人も多いと思う。そんな雑草なんだから、見直さないと。雑草を敬い大事にすると自然栽培はうまくいくみたいだ。ホントかな?いろいろと試してみよう。少なくも毛嫌いするのはやめにしよう。昭和天皇も「雑草という名前の草はありません」とおっしゃっている。雑草とひとまとめにするのは失礼な話だ。15日は、雑草だらけのいるかのはたけを仲間に披露する。
2018年09月12日
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畑をやっていると雑草をどうするかが大きなテーマになる。どこの畑を見て、雑草を取り除いてきれいな畝を作って、そこで作物を育てている。いるかのはたけは、草ボーボーの草原。作物を育てる部分だけ、鎌で草を刈り、そこに泥団子に包んだ種を植えるというやり方をしている。果たして、それで作物ができるのか。これまでの実験では、ピーナッツや大豆が何とか育っている。9月に入って涼しくなったので、大根の種を泥団子に包んでまいた。まわりは雑草だらけだ。今日、行ってみたら、双葉が出ていた。うまくいきそうな予感!!!雑草って何だろうな。邪魔者と思われているけど、ホントにそうなのだろうか。自然栽培の本を読むと、雑草をうまく利用して作物を作っている。土を柔らかくしたり、酸性土壌を中性にしたり、微生物を増やしたり、いい働きをするのだ。邪魔者、悪者とは扱わない。悪者とされている雑草だが、言葉として使われているのを見ると、ちょっとニュアンスが違う。雑草魂とか雑草のように生きるとか。強そうじゃないか。逆境にも負けないたくましい生き方をほめる言葉だ。逆に、温室育ちというと、なんかひ弱そう。雑草みたいと言われても不快ではない。不快どころか、雑草みたいい生きることにあこがれたりする人も多いと思う。そんな雑草なんだから、見直さないと。雑草を敬い大事にすると自然栽培はうまくいくみたいだ。ホントかな?いろいろと試してみよう。少なくも毛嫌いするのはやめにしよう。昭和天皇も「雑草という名前の草はありません」とおっしゃっている。雑草とひとまとめにするのは失礼な話だ。15日は、雑草だらけのいるかのはたけを仲間に披露する。
2018年09月12日
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面白いものだ。生活の中に畑が入ってきて、気持ちの持ち方も、仕事への取り組み方も違ってきた。せいぜい週に一度くらいしか畑にはいかないのだが、畑からの視点で物事を見ている自分がいる。まさに、地に足がついてきた感があるのだ。ぼくの本業は文筆業だが、これまで目がいかなかったことにも意識が向くようになった。これまでは、スーパーに陳列された野菜を表現していたような気がする。しかし、このごろ気になるのは、雑草も虫たちも含めた畑全体の中の野菜たちだ。ある場の中にある野菜たち。さまざまな要素がからんで実をつける。あるいは、うまく育たないのには理由がある。自然というのがいかにうまくできているか、これまでは頭でしかわからなかったが、小さな畑をやることで、実感としてとらえることができるようになってきた。自然栽培というのは、栽培方法を本で学んでもなかなかうまくいかない。自分の目で畑や田んぼで起っていることを観察する。そこから、自分なりの答えを出していく。そういう話を聞いたことがある。その通りだと思う。自然栽培は人の生き方と同じ。自分なりの方法がある。人のやり方はあくまでも参考。そのままをまねをしてもうまくいかないことが多い。世の中は合理的になりすぎている。こういうときにはこうするというマニュアル社会。ある枠の中では、マニュアルは通用するが、大事なのは、自らが観察して見出した方法を実践すること。そうすれば、成功からも失敗からも次が学べる。秋から冬にかけての種をそろそろまく準備をしないといけない。ビーツの種を買ってきた。大根の種も買ってきた。あとは、五日市名産ののらぼう菜。いるかのはたけもにぎやかになりそうだ。
2018年08月29日
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自然との共生とか共存とか、これは口で言うほど簡単なことではないと思う。本来、人間も自然の一部であるにもかかわらず、自然と距離を置いてしまって、それも支配するという立ち位置に立とうとしたことからおかしなことになってきた。自然との共生、共存という感覚が消えていってしまった。人間にとって、まわりのものはすべて利用するものという考え方になった。たとえば、地下資源とか海洋資源とか人的資源とか天然資源とか観光資源とかあるけれども、資源というのは、人間が利用可能なものという意味。何でもかんでも利用できるものは利用しようという、さもしい根性が見え隠れする。利用価値が高ければ高いほど、みんながほしがるわけで、その奪い合いの戦争が起こったりする。石油なんか、その最たるもので、石油は決して人間に利用されるために存在しているのではないと思うけど。こういう人間本位の見方を変えないと共生や共存は無理だな。ぼくがそんなことを実感として感じたのは、畑を始めたことがきっかけかな。草がすごい。はっきり言って手に負えないほど生い茂る。畑では、作物は善で雑草は悪。これも人間の都合。ぼくは、草刈り機を使って、バリバリと草を刈り倒していく。虫たちも慌てて逃げていく。作物をとるためには仕方がない。そんなぼくへのしっぺ返し。それが、草木かぶれ。草刈りをした2日後あたりから、耳、ほお、首が赤くただれてきた。手の指と指の間も。かゆみがある。じゅくじゅくと汁も出てきた。最初は日光のせいかと思った。日焼けのひどいやつ。でも、小笠原では何ともない。おかしいなと思ったいたときに、「草木かぶれじゃない」と教えてもらった。間違いないと思う。長く伸びた草を刈り倒すとき、まるで返り血を浴びるかのように、草木の汁が飛んでくる。一応、フェイスガードもしているし、タオルを首に巻いたりしているけれども、その隙間から、かなりの量が、直接、皮膚にかかっているのだと思う。草たちだって、簡単に殺されるわけにはいかない。理不尽なやり方には抗議をする。彼らは何も悪いことをしているわけじゃないのだから。だけど、あのまま成長されると、作物は雑草に埋もれてしまう。ここが難しいところ。これから試行錯誤だな。でも、こういう試行錯誤が、いろいろなことに気づくチャンスになる。ぼくは思った。がんもそうだし、病原菌も、人間本位で考えれば都合の悪いもの。だから殺そうとする。だけど、雑草と同じで、彼らだって何かの理由でそこにいるわけで、いきなり殺されるというのは納得できるはずがない。何らかの抵抗をする。自分の都合だけで善悪を決めて、悪は排除しようとしても、決していい関係は作れない。さてさてどうする?ぼくの畑で遭遇した問題は、人間社会全体の問題でもある。ぼくは、小さな畑の中で、自然との共生、共存を考える。きっと答えは見つかるはず。みんなで語り合える大事なテーマになる。口だけで議論するのではなく、こうしたらいいという答えが出れば、それを畑で実践してみる。いい実験場が手に入った。
2018年08月17日
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妙なことに、小笠原ではどんなに日に焼けても平気だったのに、五日市で畑仕事をしたら、耳から首にかけて大変なことになった。やけどかアトピーか。耳たぶは赤く腫れあがり、首筋はジュクジュクしている。痛痒い。2度目だ。どうしてそんなことになるのか。日光なのか、汗なのか。どうして小笠原では平気だったのか。よくわからないけれども、ここ3日ほど、熟睡ができていない。ずいぶんと落ち着いてきた。今度畑仕事に行くときには日光からしっかりとガードしないと。そう言えば、あんなにも快便が続いていたのに、小笠原から出なくなった。小笠原滞在中の10日間でいい感じで出たのが2日間。もっとも、以前から旅行に出ると便通は途端に悪くなる。のん気にしているようでストレスがあるんだろうな。特に小笠原というのは、まずは台風。船が出るかどうか、心配しても仕方ないことでも気になってしまう。着いたら着いたで、一緒に行ったみんなは楽しんでいるのだろうかと、主催者ならではの目配りが必要だ。人並に気を使っている証拠だ。帰ってからは2日の1度の割合。毎日快便という、あの心地良さを取り戻さないと。体の異変は何かのメッセージだ。変えなければならないことがあるのかもしれない。健康第一という言葉がぼくは好きになれない。健康だけを目的に生きる人生は面白くない。第二くらいがちょうどいいかも。でも、体調が悪いと、日々の楽しみは軽減するのも確か。毎日を楽しく生きられる程度の健康は大事にしたい。いるかのはたけも秋冬の準備をしないと。そのためには、この皮膚のトラブルは困る。さてさてどうするか。あれこれ工夫をしてみよう。
2018年08月13日
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妙なことに、小笠原ではどんなに日に焼けても平気だったのに、五日市で畑仕事をしたら、耳から首にかけて大変なことになった。やけどかアトピーか。耳たぶは赤く腫れあがり、首筋はジュクジュクしている。痛痒い。2度目だ。どうしてそんなことになるのか。日光なのか、汗なのか。どうして小笠原では平気だったのか。よくわからないけれども、ここ3日ほど、熟睡ができていない。ずいぶんと落ち着いてきた。今度畑仕事に行くときには日光からしっかりとガードしないと。そう言えば、あんなにも快便が続いていたのに、小笠原から出なくなった。小笠原滞在中の10日間でいい感じで出たのが2日間。もっとも、以前から旅行に出ると便通は途端に悪くなる。のん気にしているようでストレスがあるんだろうな。特に小笠原というのは、まずは台風。船が出るかどうか、心配しても仕方ないことでも気になってしまう。着いたら着いたで、一緒に行ったみんなは楽しんでいるのだろうかと、主催者ならではの目配りが必要だ。人並に気を使っている証拠だ。帰ってからは2日の1度の割合。毎日快便という、あの心地良さを取り戻さないと。体の異変は何かのメッセージだ。変えなければならないことがあるのかもしれない。健康第一という言葉がぼくは好きになれない。健康だけを目的に生きる人生は面白くない。第二くらいがちょうどいいかも。でも、体調が悪いと、日々の楽しみは軽減するのも確か。毎日を楽しく生きられる程度の健康は大事にしたい。いるかのはたけも秋冬の準備をしないと。そのためには、この皮膚のトラブルは困る。さてさてどうするか。あれこれ工夫をしてみよう。
2018年08月13日
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明日から小笠原。台風あとのいるかのはたけがどうなっているか、朝の5時に家を出て五日市にむかった。3日ぶりくらいで行ったら、もう草の勢いに愕然とした。これから10日も留守にする。このまま草が伸びれば、枝豆も落花生も見えなくなってしまうのではないか。雑草と作物が共生する畑を目指しているが、これだと放置はたけ。自然栽培と放ったらかしとは違う。上手に人の手が入らないといけない。人も自然の一部となって畑の作り手にならないと。小笠原から帰ったら大仕事になりそうだ。暑い中、がんばらないと。今日の収穫は、キュウリ1本。トマト4個。とれただけでうれしい初心者の役得。
2018年07月30日
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この動きはもっともっと広げていかないといけない。世の中をすてきにするために、こんなにもいい方法があるんだと、いつも感激する。農福連携。農業と福祉が連携する。それも「農」を担当するのは自然栽培。農福連携自然栽培パーティの楽しくておいしいイベントが八芳園で行われた。「SDGs ALL ATHLETE DINNER」自然栽培パーティと八芳園は提携を結んでいて、八芳園で提供する自然栽培の食材は、自然栽培パーティのメンバーが提供している。そして、自然栽培と福祉の連携を2019年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック・パラリンピックで世界に一気にアピールしようという壮大なチャレンジが着々と進んでいる。このイベントはそのアピールの場でもあった。150人ほどの集まり。奇跡のリンゴの木村秋則さんがいて、佐伯康人さんがいて、その強力な仲間がいて、八芳園のすばらしい知恵と技術があって、さらにはこの動きをサポートする人たち。そのすごさは、この会の食事が証明してくれていた。味わってみるといい。自然栽培で作った食材を、超一流のシェフが調理したこの味を。八芳園で食事なんて、そういう機会、なかなかないよね。ぼくは食にはそれほどうるさいわけではないが、そんなぼくが「わっ」と思う料理たち。一緒に行った知り合いは、なかなかのグルメだけど、彼が感動するのだから。写真を撮ったので紹介しておこう。1.奇跡のリンゴ ホタテ 自然栽培夏野菜2.自然栽培おうどんの八丁味噌とトマトのソース3.ベザンハーブ農園のサラダ 八幡平サーモンのマリネ ズッキーニのムース 4.泥豚と赤牛ロースの低温調理 黒ニンニクのピュレ かんずりのクレーム 自然栽培野菜5.自然栽培玄米を味噌リゾットに 国産鰻のかば焼きとともに6.保志場農園の鶴の子大豆と小豆 白玉の冷製ぜんざい 玄米甘酒のシャーベット カソナードとチアシードのチュイル添えパンにピーナッツ味噌をつけて食べたのもおいしかった。ハーブティーも甘くていい感じ。今度は11月にもあるそうだ。今回の会費が1万5000円。次回もそれくらいだと思う。それだけの価値は十分以上にある。いろんな人と知り合えるしね。いるかのはたけも微力ながら応援しています。佐伯さんの著書。これも大評判。感動の一冊。読んでください。
2018年07月28日
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暑い日が続く。西日本や関東でも一部の地域では大雨が降って大変なのに、東京では連日のカラカラ天気だ。五日市の「いるかのはたけ」が気になって仕方ない。この間、ニンジンの種をまいたが、ネットで見ると、発芽するまでは水がたくさん必要だし、35度以上だと芽が出ないとあった。ちょっと条件が厳し過ぎる。せっかく種をまいたけど、難しいかな。とは思いつつも、今日は、朝5時に家を出て、畑を見に行った。とにかく水だけはあげておこう。種をまいて5~6日たつが芽は出てないようだ。水をたっぷりあげて帰ってきた。失敗は糧になる。それでも、大豆やキュウリ、インゲン、ピーナッツは順調だ。トマトは、花は咲いているけれども、実がなかなか増えてこない。これからだろうか。とにかく、すべてが初めてのことなので、予測もつかない。いいんだか、悪いんだかも分からない。それでいいさ。初心者だもの。(こんなちっちゃな実がなっただけどすごくうれしい)こんな広い畑を借りたのに収穫はベランダで作れるほどと家内と笑っている。それでいいさ。
2018年07月20日
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甘く見てしまった。ここ数日の強烈な日差しを。1日おきか2日おきに「いるかのはたけ」に行っている。午前中とか夕方の比較的温度の低い時間帯を狙っていくのだが、それでも焼け付くような太陽に肌をさらし、汗まみれになる。その上、小さな蚊がいて、知らないうちに顔やら腕を刺していく。日ごろ、部屋の中ばかりで仕事をしている者の肌には、これはたまらない。今、耳はアトピー状態になり、頭皮もジュクジュクしているし、首にはあせも。顔も、蚊に刺されたあとが赤黒く腫れ上がっている。家内の指示に従って、一生懸命にスキンケアをして、少しは落ち着いてきた。普段から日光に当たっている人は、まだ抵抗力があるかもしれないが、ぼくのように、そうじゃない人は、この日射しには要注意だ。これから小笠原も待っている。小笠原では、こんなに肌がボロボロになることはなかった。それほど、今年の夏の太陽は猛烈なエネルギーを発している。これからも、いるかのはたけへは何度も出かける。ぼくの場合、外で働くことがほとんどないのだから、そのことをしっかり自覚して肌には気をつけないと。作物が成長し、実ってくれるのはうれしいけれども、それに浮かれてばかりもいられない。油断をしてはいけない。被災地の方々、ボランティアでがんばってくださっている方たちは、もっと大変なんだよね。
2018年07月18日
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充実の日曜日だった。午前中は、家族5人で、救急救命の講座へ。石神井消防署。心臓マッサージ、人工呼吸、AEDの使い方を習った。娘たちは、高校や自動車学校でトレーニングを受けたことがあるそうだが、ぼくと家内はまったく初めて。いつ何時、災害や事故、病気に遭遇するかわからない。そんなときに救命の処置を少しでも知っていれば、何かの役に立つはずだ。午前中に講座が終わって、涼しくなるのを見計らって、3人の娘を連れて「いるかのはたけ」へ行った。今回はTシャツを作ったのでみんな張り切っている。氣恵のピースボート仲間で、去年は小笠原へも行ったタマちゃんがイラストを描いてくれた。なかなかレベルが高い。大変な記念日になった。トマトが1個収穫できたのだ。肥料も農薬も使わない自然栽培だ。畑で作物を収穫するなんていうのは初めての体験だ。農家のせがれとして生まれたのに、田んぼのことも畑のこともまったく知らないで62歳になった。なぜかこの年になって畑に目覚めた。たかだか1個のトマトに、こんなにも幸せを感じられるとは思ってもみなかった。娘たちも同じ気持ちだったみたいで、夜、帰宅してから、みんなでおいしくいただいた。これが「初心」なんだと思う。お風呂へ入って、この日のことを振り返っていると、ふと思い出したことがあった。文章を書くという仕事の「初心」を。最初に就職した会社を辞めて、名古屋でアルバイトをしているころだっただろうと思う。あのころ、競馬が大好きで、大きなレースは必ず馬券を買っていた。寺山修二の競馬エッセイが愛読書。人生を斜めに見るのが気持ち良かった。「優駿」という中央競馬会が出している立派な競馬雑誌があった。そこに原稿を投稿したら採用された。と言っても、読者のページだけど。本屋さんで優駿を買って、読者のページを見たら、自分の名前があって、記事が出ている。うれしかったね。自分の書いた原稿が市販されている雑誌に掲載されたのは初めてのこと。そして、原稿料を5000円もらった。何度も振り込まれた通帳を見てはニヤニヤしていた。自分が文章を書いて生活していくとは思ってもみなかったが、あれが、ぼくにとっての大事な大事な「初心」だ。今から考えれば、「たかだか」の話に過ぎない。だけど、やった! という達成感、満足感、喜びは、これまでの中で最高だったかもしれない。まさに、「たかだか」1個のトマトが実ったくらいで喜んでいる昨日の自分の姿と同じだ。年を取るにつれて、体ばかりではなく、心にも初々しさがなくなっていく。それを「老化」というのかもしれない。肉体は仕方ない。でも、心の初々しさは生き方、考え方次第で保つことができる。1個のトマトが教えてくれたことだ。娘たちも昨日のことは忘れないと思う。ぼくも、昨日の喜びを忘れることなく、心の中に初々しさを持ち続けたい。
2018年07月16日
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「いるかのはたけ」は4月24日にスタートしている。五日市へ行って、ハギーさんの従兄に畑を借りることになった。作業を始めたのが5月23日。草を刈って、ピーナッツや大豆の種をまいた。畑を借りてから3ヶ月。種をまいてから2ヶ月になる。その間に、トマトやキュウリ、サツマイモ、インゲンなどの苗を植えた。ずいぶんと畑らしくなった。うれしくなってくる。それに、五日市にある面白いお店や場所、人ともご縁ができた。今のところ、いるかのはたけにかかわっているのは、家族といろいろと手伝ってくれるスズちゃんの6人。長女は仕事があるので、まだいるかのはたけには行ってないが。いつものぼくなら、わーっと人を集めて、お祭り騒ぎをするのだが、いるかのはたけに関しては、動きがゆっくりしている。まず、身内だけで形を作っておかないとという気持ちがある。土台ができる前に人を集めてしまうと、収拾がつかなくなってしまう危険性もある。地域の人たちとの関係もあるから、何をするかわからない状態のまま人ばかりが集まってくると、「あいつら何だ?」と警戒されることにもなりかねない。まずは、よくやっていると思ってもらわないと。小笠原から帰ったあとくらいから、興味ある人たちに、いるかのはたけを見てもらおうと思っている。一緒に作業もしてもらいたいし、五日市の楽しい場所にもご案内したい。
2018年07月15日
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いるかのはたけが気になって朝から五日市へ出かけた。暑くて雨が降らない。人間以上に作物には厳しい畑に行こうと思ったら、入り口のところに黄色いロープが張ってあった。「立ち入り禁止 五日市警察署」とある。どういうことだ。おれの畑に何か問題あるのか!!!何があっても、作物たちに水をあげないといけない。こんなに暑いんだぞ。あいつら水を欲しがっている。ロープをまたいでバケツに入れた水を運んだ。この暑い中、水の入ったバケツを両手にもって何度も運ぶのはけっこう骨が折れる。隣の畑におばあちゃんがいたので、なんでロープが張ってあるんですかねと聞いた。そしたら、「放火があったから」と教えてくれた。3日連続で放火事件が起こっているらしい。それも昼間から火がつけられているみたいだ。楽しいことだらけの五日市だが、そんな嫌な事件もあるんだ。犯人はつかまっていない。嫌だな。来週の火曜か水曜まで畑へは行けないが、暑さに負けずがんばってほしい、
2018年06月30日
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ちょっと行ってみようかというところがことごとく大当たり!この流れは一体何なのだろうと思う。この間、五日市憲法を研究している新井先生を取材した。50年前、憲法の草案が見つかった、五日市の山の中の古い土蔵。それが修復されて残っていると言う。ぜひ、一度は見ておきたい。地図を調べていたら、すぐそばに「小さな美術館」というのがある。カフェの併設しているようだ。何か気になる。武蔵五日市駅から4キロ近く山奥に入っていく。バスも通ってない。わざわざ行ってみようと思わないと行かないような場所だ。当たり前の場所であるはずがない。対向車が来たらすれ違えないほどの狭い山道を、わが愛車は上っていく。この間行ったあじさい山のさらに先だ。もう行き止まりというところに土蔵があり、その手前のさらに狭い道を左に行くと「小さな美術館」はあった。駐車場に車を止めた途端、「これは当たりだ!」と感じた。何とも心地いいエネルギーが漂っている。入り口には、山道の両側に立っていた妙な人形が出迎えてくれた。山道に立っているよりも真新しい感じ。数も多い。鉛筆のような感じに頭がとんがっていて、顔はサンタクロースのようでもある。たれ目で癒し顔をしている。池があって、そこにはたくさんの鯉。その隣の池には「何だこれ!」って魚。あとからチョウザメだと聞いた。初めて見た。美術館はかわいい人形がいっぱい並んでいた。氣恵は、「プリンプリン物語!」と興奮していた。名前は知っているけど、何だっけ。NHKで放送されていた人気の人形劇だそうだ。実は、この美術館、プリンプリン物語の人形を作った造形作家の友永詔三さんが作ったものだそうだ。ご自分で作られたみたい。何とも温かな空間になっている。これはいいや。隣でコーヒーをいただく。涼しい風が吹いている。鯉の池もある。金の鯉だ。銀の鯉だ。これは縁起がいい。友永さんの奥さんが、いろいろと楽しい話をしてくださる。時間がたつのを忘れてしまう。まだ、いるかのはたけの仕事が残っているのに。いい時間と空間を堪能した。
2018年06月27日
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風邪を押して「いるかのはたけ」へ行ったら、夜から発熱。熱を出したのなんて何年ぶりだろうか。たまに風邪をひくことで免疫力は調整される。「いるかのはたけ」はエキサイティング。とにかく五日市というところは何とも奥深い地域で、ぼくはぞっこん。今回は、「五日市郷土館」からスタート。五日市は、五日市街道と秋川・多摩川で江戸・東京とつながっている。炭や材木が重宝されたようだ。さらに、養蚕も盛んで、五日市で作られた絹織物は八王子から横浜へ運ばれた。こういった江戸・東京や横浜という交流によって、山奥の小さな町にも都会や海外の文化が伝えられた。さらに、明治時代、自由民権運動が盛り上がったところだった。地元の豪農、豪商が、各地の自由と平和を訴えて運動をする若者たちの面倒を見たようだ。それが「五日市憲法」という形で残っている。郷土館で一人の若者と出会った。彼は五日市の駅前で飲食店をやりながら、地元の活性化のためにがんばっている。「あじさい山」というのがある。80歳のおじいちゃんが、何十年も前から山にあじさいを植え、今では1万本以上がきれいに咲いているあじさいの名所だ。若者たちがこのおじいちゃんを助け始めた。そのリーダーだった。数日前に新聞で「あじさい山」のことが出ていたので、行ってみようかということになった。あじさいに囲まれた山道を登っていく。いい感じだ。梅雨らしい曇り空があじさいに合う。そのあと、いるかのはたけに行き、日が暮れてから、ずっと念願だったホタルを見に行った。徳雲院というホタルの名所がある。川沿いにたくさんのホタルが舞っていた。ぼくは、子どものころによく見たけれども、家内や娘たちは初めてだということで大興奮。さらに、地元の人に聞いた穴場にも行ってみたら、ここでもたくさんのホタルが飛んでいた。何だろうな。幸せな気分になれる。いるかのはたけは、トマトやピーナッツ、モロヘイヤ、オクラ、大豆、インゲンが順調に育っている。この日は、キュウリとサツマイモの苗を植え、レタスの種をまいてきた。あいつらが実ったときのことを想像すると、ワクワクしてくる。体調はいまいちだったが、充実の一日だった。
2018年06月22日
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場所のエネルギーというのがある。ぼくは三重県鈴鹿市で生まれた。名古屋で大学時代を過ごし、就職したのは富山県。鈴鹿へ戻って、名古屋へ出て、それから東京ということになる。東京でも、最初は調布市、次に中野区。結婚してから埼玉県浦和市(今はさいたま市浦和区)、川越市。それから今の東久留米市に移ってきた。何かの縁があって、その場所に住んだのだと思う。自分のエネルギーに合わせて住む場所も決まる。特に、東京へ出ることになった1980年代から、動かされているかのように、いい場所と縁ができてきた。仕事がフリーになった。家も買わない、買えない。会社とか持家というのは、安定ではあるけれども、安定というのは人を縛ることにもつながっていく。流れる雲のように、南から風が吹けば北へ流れ、西から風が吹けば東へ流れて過ごしている。それが、ぼくの場合は功を奏していると、自分では思っている。風を読む力が自然についてきた。今は週に1度か2度、多摩地区の五日市に行っている。いるかのはたけを始めた。大したことをやっているわけではないが、何か、ぼくなりに風を読んで動いているのだろうと思う。
2018年06月19日
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いるかのはたけを始めてから、気になることが変わってきた。天気とか気温とか、今日ばかりではなく、数日先まで調べている。車で1時間半ほどかかるところなので、週に1、2回しか行けない。晴ればかりが続けば水は足りているだろうかと思い、雨が続けば大丈夫だろうかと心配になる。散歩をしているときも、よその畑を見て、ここのトマトはこんなにも大きくなっていると感心してみたり、こういうふうに支柱を立てればいいのかと、参考にさせてもらっている。ホームセンターへ行くと、ついつい苗や種のコーナーに足が向く。いるかの畑のトマトが実をつけた。ちっちゃな実が2個。三女と見つけて大騒ぎ。素人だから、初心者だから喜べる。これが初心というやつ。この喜びは忘れないようにしないと。次は何の種をまこうかと思案している。
2018年06月14日
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1ヵ月ほど前にヒマワリの種をまいた。大きいので10センチくらいに育っている。ところが、隣の畑では、1メートルくらいになっている。車で走っていたら、すでに咲いているヒマワリを見かけたりする。うちのヒマは育つのだろうか、大丈夫だろうかと、ついつい心配になってしまう。だけどノープロブレム。よほどの季節外れでない限り、種をまけば芽が出るし、成長するし、花も咲く。子育て、自分育ても同じこと。隣の畑なんか関係ない。種をまいて、それなりの世話をすれば育っていく。あせって余計なことをするからいびつになってしまう。やっかいなのは世間の常識。これが能力を発揮するのを遮断してしまっている。常識の枠を壊すのは大変だけど、少しだけ穴をあけておく。そうすると、そこから芽は外へ延びていける。サーカスで使うノミは、コップの中に入れられて育てられる。コップにふたをしておく。ジャンプしたノミはふたにぶつかる。それを繰り返すと、ノミはコップの外に出しても、コップの高さ以上にはとばなくなる。本当なら2メートルくらいジャンプできるのに、コップで育てられたノミは10センチくらいしかジャンプしない。だから、サーカスでも使いやすくなる。そんなことが人間社会でも行われているわけで、そこから脱することができないと、本当の能力は発揮できない。自分はもっとジャンプができると信じること。コップでコントロールされてきたこと。人は人、自分は自分と思えること。そのことを意識すれば、必ず、本来の自分が現れてくる。小さな狭い殻の中にいるのが安全だと思っているのも大きな勘違い。広い世界で自由に動き回る喜びを知らないと。うちのヒマワリもこの夏、見事に花を咲かせるはずだ。楽しみ、楽しみ。
2018年06月12日
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池袋から立川と動いた。池袋では木村秋則さんの講演会(池内オーガニックの池内社長とのトークショー)、立川ではシュタイナー学校(賢治の学校)のオープンスクール。立川まで来たなら五日市まで行ってこようと思い立った。台風が近づいている。いるかのはたけも気になるし、外に陰干ししてあるドクダミが風に飛ばされたら大変だ。初めて電車で五日市に行った。だんだんと山の中に入っていく感じがいい。武蔵五日市駅からバスに乗って戸倉まで。10分くらい。そこから歩くとすぐ。トマトも大豆も落花生も、みんな元気だった。がんばっておくれ。この地域の氏神様、三島神社にもお参りしてきた。急な坂、階段。汗びっしょりになった。帰りは、約2キロの道のり、歩いて帰ることにした。歩くと町の様子がよくわかる。半分以上あるいたところ、駅につながるメイン通りの左手に、ちょっと変わったお店があった。のぞいてみた。古い時計がたくさんかけられている。置物とか、重厚なテーブルとか。戦前に建ったと思われる建屋も興味をそそる。足を踏み入れた。「いらっしゃい」と、奥から男性の声。「ここは何のお店ですか?」「骨董屋ですよ」70歳くらいのおじさんが顔を出した。「趣味が高じてこういうお店になって、もう15年くらいやっているかな」「時計が多いですね」「好きでね。どう、お茶でも飲んでかない」というわけで、30分くらいいろいろとお話をうかがった。この町は気取ってない。だれとでも気安く話をすることができる。「畑を始めたんですが、鍬とか鋤とか鎌とか、使わなくなった農具を譲ってもいいという人がいたら紹介してください」初対面の人だったが、そんなお願いもしてきた。これから仲間と一緒にはたけをやろうと思うけれども、その下準備が必要で、いろいろと動かないといけない。そうそう、蛍のスポットもわかった。ちょっと下見をしたが、むちゃくちゃ水がきれいな川が流れている。楽しいことがいっぱいある場所だ。
2018年06月10日
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三女の氣歩と一緒に五日市の「いるかのはたけ」に行った。この間、トマトの苗を植えたが、ほとんど枯れてしまった。植えたあと晴天が続き、しばらく行けなかったので水不足だったのかも。氣歩はトマト栽培については本を読んだりして勉強していた。「トマトは乾燥に強いはずなのに」と、けっこう悔しかったみたいで、再チャレンジしたいという。ホームセンターへ行って苗を買ってきて、もう一度植えた。ぼくは農家の長男でありながら作物を育てたことがまるでない。興味もなかった。それが、まだままごとだが、 ピーナッツやトマトを植えて、収穫できたらどんなにうれしいかと楽しみで仕方ない。そもそも、畑をやりたいと言い出したのは次女の氣恵。氣歩もすぐに乗ってきた。ぼくは、これから農業はとても重要になってくると感じている。娘たちが農業に触れるのは、すごくいいことだと思う。特に、自然栽培をやると、命のこと食のことコミュニティのこと、いろいろなことを考えるきっかけになる。そんなとき、知り合いが「使わない畑がある」と言っていたことを思い出したので、すぐに行動に出た。そしたら、すんなりと畑を借りることができた。家内が張り切っているのには驚いた。土なんか触るの嫌だ! 虫は大嫌い! と言っていた人だから。次女、三女も畑へ行くのを楽しみにしている。長女はまだ行けてないが、みんながノリノリなのでうらやましそうだ。まわりからも、「行ってみたい」という声がどんどんとあがっている。あまり期待されても困るが、いい流れだ。この夏、少しでも収穫できると、ぼくも家内も娘たちも手伝ってくれているスズちゃんも、俄然意欲が高まるはずだ。自信をもって仲間にもすすめられる。数日は行けないけれども、トマト君、がんばっておくれ。ピーナッツ君、今度行ったら定植するからね。秋冬野菜の栽培から、まわりにも声をかけていこうと思う。
2018年06月07日
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五日市の畑は、ドクダミの花が一面に咲いている。おやきのお店へ行ったら(ここのおやきがおいしい)、店先でもドクダミの花が咲いていたので、「このあたりはドクダミが多いね」と話したら、おばさんが「これは八重咲きのドクダミで珍しいだよ」と教えてくれた。よく見ると花が何段にもなっていて、ふつうのドクダミの花とは違う。「この八重咲きのドクダミは薬草にはならないんだ」おばさんのレクチャーが始まった。「このあたりはドクダミがたくさんとれるんで、昔は薬草の業者が買い付けに来たものだ。ここらの人はこの時期になるとドクダミを集めて、それを干してお茶にして売ってた。このごろはそんなことをする人はいなくなったけどね」確かに、ドクダミ茶というのは昔からある。毒を出す、つまりデトックスにいいお茶として知られている。なんで需要がなくなったのだろうか。もったいないことだ。よし、せっかくだから作ってみよう。そんな難しいものではないから。今回の草刈りでは、ドクダミを何のためらいもなく捨ててしまっていたが、次に行ったときには、きちんと採取して洗って、陰干しをしよう。そう言えば、庭に柿の木があった。柿の葉茶もいい。自分でドクダミを採取して乾かして刻んでお茶にして飲むのは、単なる成分の効果ばかりではない、いい影響があるはずだ。いいサプリメントはいっぱいあるけれども、ただそれを買って飲むよりも、栽培(ドクダミは栽培しなくていい)からやってみると、違う変化が出てくるのではないか。まずは、今年は自分で作って飲んでみる。人体実験だ。月一カフェでも出してみよう。薬草カフェって、受けるかもしれない。いるかのはたけ、がんばって草を刈っています。
2018年06月04日
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「いるかのはたけ」は、一面草ボーボーの野原だ。これを畑にするのはかなりの労力が必要だ。まずは草刈り。少しずつ耕して畑にして、そこに種をまく。ぼくは、畝がきれいに並んだ、よく見かける畑にする必要はないのではと思っている。雑草もあり、作物もある。虫たちもいっぱいいる。社会というのは、本来そういうもので、いろんな人がいて成り立っている。畑だってそうだ。ああいう場所と縁ができたのも、野原のような畑にしなさいという意味があるんじゃないかな。ピーナッツが芽を出していた。うれしいね。ベテランの農家からすれば当たり前のことだろうけれども、ぼくのような素人は、土から顔を出した芽がかわいくてたまらない。大豆の種もまいたが、まだ3日くらい前のことだから変化なし。昨日は、トマトの苗をホームセンターで買ってきて植えてみた。いるかのはたけはとても水はけがいいので、トマトには適していると思う。夏から秋にかけてピーナッツやトマトが収穫できて、それを食べたとき・・・。大豆がうまくいけば、枝豆で食べられる。想像するだけでワクワクしてくる。草刈りをしながら、次は秋冬に向けてどうするか、考えないといけない。それに畑をやるには費用もけっこうかかる。稼がないと。
2018年06月03日
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東京多摩の五日市に畑を借りた。畑と言っても何十年も使っていないので野原のようなものだ。そこを開墾して畑にしようというわけだが、鍬をもつこともほとんどなかった身にとっては簡単なことではない。畑で生計を立てるわけではないので、気楽にかかわっていて、まずは草を刈ることからだなと思っている。でも、何か収穫しないとつまらないので、一部だけ開墾して、そこにピーナッツと大豆を植えた。あとはトマトの苗を10本ほど植えるかなと考えている。畑というと畝があるもの。だけど、ぼくは平地に種をまいている。と言うのは、五日市というのはものすごく水はけがいい。さらに、ぼくが種をまいたのは坂になっている。だから、畝をつくらなくても水が浮くようなことはない。そんな勝手な判断だ。何しろ素人だから。あとは、泥団子で種をくるんでまいてみた。自然農法の神様と言われた福岡正信さん方式だ。粘土じゃないので、乾くと割れてしまって、泥団子の意味をなさないかもしれないが。これも素人だからいいだろう。ぼくのイメージは、野原にいろいろな野菜があるという感じ。あっ、こんなところに大根。人参もあった。そんなふうに、楽しみながら収穫する。バカなことを考えている。素人だから許される。五日市には、のらぼう菜という特産品がある。この地域しか知られてないが、菜の花のようなものらしい。簡単にできて、おいしく食べられて、飢饉のときには、のらぼう菜がたくさんの人を救ったそうだ。春だから、種をまくのも先の話。いろいろと情報を仕入れておこうと思う。五日市は自由民権運動の町だったらしい。面白い歴史がありそうだ。今「五日市憲法」という本を読んでいる。小笠原といい、五日市といい、面白いところと縁ができたものだ。いるかのはたけ五日市
2018年05月31日
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