老師の言葉 0
全4件 (4件中 1-4件目)
1
毎月第四土曜日の午後だけあいているカフェ。別に何か特別なことをやるわけではない。集まった人が一緒にコーヒーを飲みながら、あれこれ話をするだけの場。それにしても、いろいろな人生がある。楽しいことばかりではない。つらいことばかりでもない。浮いたり沈んだり、走ってみたり、転んだり、たまには道に迷ったり、もうこれ以上歩けないと立ち止まったり、助けを求めたり、泣いたり、笑ったり。大勢で話をしているので、話題が、あっちこっちに飛んで、その人の人生のほんの断片だけしか見えないが、それでも、それぞれのドラマを感じることができる。ぼくだったらとても耐えられないと思うような状況を乗り越えて生きている人がいる。その真っただ中で苦しんでいる人もいる。人に変わってもらうことができない。自分で背負うしかない。重い足を引きずって、一生懸命に歩いている人を見ると、少しでも力になりたいと思う。でも、大した力にはなれないのはよくわかっている。地球で肉体をもって生きるのは、とても不自由なことらしい。嫌なこともいっぱい起こってくる。だけど、不自由だからこそ、学べることがたくさんあるのだそうだ。自分で地球を選び、今の人生を決めてきた。苦しい中にいると、なかなか、その通りだと納得できないけれども、世の中を恨んでみても、人を憎んでみても、何も解決しないわけで、それなら、自分で選んで決めたことだと思って、重い足を前へ一歩踏み出すしかない。たぶん、自分の人生、不幸で終わらせるようなシナリオは書いてないと思う。何らかの形でハッピーエンドになるはず。そう信じて、今の状況ときちんと向き合うことかな。月に一度やっているカフェは、みんなで語り合ったり、笑い合ったりしながら、一歩を踏み出せるきっかけになればいいなと思っている。ぼく自身も、出会った人のおかげで、いろいろと悩みは抱えていても、それでも、考え方や受け止め方が変わったことで、かなり楽に生きられるようになった。その人に合った出会い、必要な出会いが必ずあると思う。昨日も、いい出会いがあって、とても満足のできる半日だった。
2017年07月23日
コメント(0)
月一カフェにはいろいろな人がお越しになる。子どもが不登校になって悩んでいるお母さん、お父さんにも来ていただきたいな。本人も来れるといいな。何しろ、我が家は、長女と三女が中学時代に不登校だった。次女も、勉強が嫌いを頑固にやり通した。高校時代、試験の日にも筆記用具をもっていかなかったというツワモノだ。試験勉強などしたことがない。3人とも、学校とか勉強ということで言えば、落ちこぼれだ。それでも、我が家の娘たちは、のびのびと育っているぞ。思い返せば、不登校の渦中にいるときは大変だった。特に長女のときは、予期せぬ出来事だったから。子どもが学校へ行かないということは、こんなにも大きな悩みになるのだと、思い知らされた。そこから、どうやって立ち直ったのだろうか?まず、校長の「えっ」と絶句してしまうような対応だな。あれで、「この学校はダメだ」と、腹が据わった。学校にしがみつかなかったのが良かった。「もう行かなくていいよ」と、長女には伝えた。これからどうするか?不安はあったが、前に目が向かったのは良かった。学校探しをした。長女に合う学校はどんなところだろうと、情報を集め、人に話を聞き、いくつか見て歩いた。結局、中学校へは行かなかったが、動くことで、少しずつ先が見えてきた。不登校だからと言って、道がなくなるわけではない。埼玉から東京へ引っ越してきたことで、チャレンジ校という制度に救われた。今、大学4年生。地方で一人暮らしをしているので、どんな生活をしているのかよくわからないが、それでも、来春には卒業。東京へ戻ってくるようだ。でも、就職はしない。バイトで生活費を稼ぎながら、自分の好きなことをやると宣言している。彼女はイルカが好きだから、お金がたまったら小笠原とかバハマとかハワイとか、イルカに会いに行くのだそうだ。それもすてきな生き方じゃないか。子どもの不登校で悩んでいる人が来れば、大したアドバイスができるわけではないけれども、体験は話せる。少しは役に立つかも。うつ病で苦しんだ人、がんでぎりぎりまで行った人、家族を突然亡くしてしまった人。いろんな人がくる。そこで、体験を分かち合うことで、次の一歩が見えてくる場合もある。ぼくはコーヒーをいれる係。当たり前にいれる、どこにでもあるようなコーヒーだけど、出逢いという味付けが加わると、最高のコーヒーになる。次回は、7月22日(土)13時~18時。18時からは、ビールタイムになることも。撮影/小島広太郎(小学5年生)
2017年06月26日
コメント(0)
「お前に与えた才能は、とてもわかりやすい文章で物事を説明できること。それを武器にして、多くの人に感動や喜びや気づきを与えなさい。それさえやっていれば、お前のやりたいこと、お前に必要なことは、あとからついてくるから」今朝、起きがけに感じたことだ。家内がやっているインド占星術では、ぼくは、とにかく「気の毒なくらい」と言われるほどのホロスコープらしい。星からの応援のエネルギーは小さいし、才能もほとんどない。だけど、ぼくは、ぼくほど運のいい人間はいないのではと思うほど、恵まれた人生を歩んできていると思っている。それはなぜか?自分の背丈、自分の歩幅で、余計な計算をせず、人をうらやましがったりもせず、淡々とバカ正直に歩んできたからだそうだ。本当にそうだったかというと、そんなこともないよと思うこともあるけれども、うまく動いていることは間違いない。このペースを大事にしないといけない。特にこれと言った才能のないぼくだが、ホロスコープをよく見ると、ひとつだけ、ほんのちょっとだけエネルギーの高いものがある。高いと言っても、並の占星術師だと、読み取れないほどの微々たる高さ。家内にインド占星術を教えてくださった先生が読み取ってくれて、それを家内がさらに詳しく説明してくれた。それが、文章を書くことと、コミュニケーションだった。ぼくは、大学時代から、文章を書いて生きるという生き方に、あこがれをもっていた。なかなか文章を書くという機会はなかったが、28歳のときに、縁があって、東京へ出て、いきなりフリーライターになった。冷静に考えれば、奇跡的な流れで、ぼくは文章を書いて生活できるようになったのだ。その仕事を30年も続けているというのも、奇跡的なことだ。かすかな才能に、わずかに火がともり、それが燃え続けてくれている。この小さな火種を、あちこちの、もっと大きな才能に点火していくのが、ぼくの役割かもしれない。そのためにも、自分自身の火種を消してはいけないわけで、消さないためには、文章を書き続ける。それが大切だ。毎日、こうやってブログを書き、メルマガは、もっと頻繁に出すことにしよう。簡単なニューズレターも出していきたい。もちろん、本を書くことにももっと力を注いでいく。そんな決心を、昨日から今日にかけてすることができた。決心すれば、物事は動き出す。さてさて、どんな動きが起こってくるのか、とても楽しみだ。
2014年10月17日
コメント(0)
「夢」とか「希望」というのは、ポジティブなイメージを呼び起こすか、ネガティブなイメージを産み出すか、どちらですか?本を読んでいたら、そんな問いかけがあった。「夢」も「希望」も、すごくいい響きがあって、ぼくもよく使うし、とてもポジティブなイメージがあるのではないだろうか。そう思っていると、そのへそ曲がりの本はこう言う。ネガティブです。なぜなら、「夢」という言葉からは、多くの人が、夢があっても、それはしょせん夢に過ぎず、実現できないものというイメージをもつからです。希望は、状況が良くないとき、たとえば病気だとか、経済的に厳しいときとか、そういうときに出てくることが多い言葉で、希望をもてと言われると、希望のない自分がイメージされるからです。そこまでひねくれなくていいのではと思ったりもしたが、ここは大事なところではないかと、ぼくの深いところでささやくものがある。そのささやきに耳を傾け、昨日は一日が過ぎてしまった。「夢」も「希望」も、その本が言うように、もつだけ、語るだけでは、ネガティブなものなのではないだろうか。それは、手の届かない遠くにあるものだから。夢はあるけど、どうせかなわないよねというあきらめが、同時に頭をもたげてきて、人間の傾向として、「できる」よりも「できない」に思いは傾いてしまう。希望も同じで、希望をもとうと思った瞬間、裏側にある絶望がむくむくと頭をもたげてくる。そういう仕組みで、多くの人が、口先だけの夢で終わり、希望を語りつつも希望を失っていく。では、どうしたらいいのか?夢を実現させ、希望を現実にしていくには。夢を実現させるには、まず、夢を具体的なものとして表現することだ。漠然としたものでは、いつまでも霧の中から出られない。次に、夢に向かうための道筋を作る。お金がかかることなら、どれくらいの金額が必要で、それをどう工面するのか。そこを明確にしないといけない。そして、動く。動き出すと、思わぬことが起こってくることがある。この瞬間が、ぼくなんかは、エキサイティングでたまらない。たとえば、11月2日に筆談の詩人・神原康弥くんの出版記念パーティがあるが、詩集を出すのは彼の夢だった。それがかなったのは、ベースには彼の才能がある。母親の献身的なサポートがある。小学生のときに書いた詩が残っていたことも大きかった。そして、2人の夢をあきらめなかった気持ちがある。そこに、ぼくの動きが加わって、夢は実現した。ぼくの動きとしては、彼の詩をFacebookで発表したこと。これは、三女の氣歩が手伝ってくれた。さらに、とにかくきちんした詩集にしようということで、知り合いの印刷業者であるダーツの大根田さんに相談して、詩集「コウヤのロマン さくさくさく」を1000部、家内と一緒に作り、ネットや口コミ、康弥君のお話会などで販売した。1000部完売までもうひと息のところまで本も動き、少しずつ、康弥くんの詩が知られていくことになる。家内のすすめで、半年前に「わがままなあなたがいちばん」を作っていたこともすぐに詩集を作ろうという動きにつながった。ぼくは、この詩集を何人もの編集者に見せた。康弥くんのこれまでの人生を、彼の才能を、そして、詩集を読んでくれた人の反応を、熱く熱く、語った。そしたら、忘れもしない。池袋にあるホテルメトロポリタンの2階にある喫茶店で、廣済堂出版の編集者である伊藤さんが、「これ、うちで出したいです」と、言ってくれたのだ。かなうかどうかわからない漠然とした「夢」が、行動によって、輪郭を現し、それをサポートしてくれる人を呼び寄せたのだ。ぼくは、「誘い水」だとよく言われる。夢が実現するための一歩を踏み出すきっかけを、ぼくは作れるのだと思う。夢とか希望は、ネガティブな言葉だとしても、夢を実現させる、希望を現実化するために、一歩を踏み出した途端に、それはポジティブなエネルギーに変化するのではないだろうか。ぼくは、次の夢に取り組んでいるところだ。ひとつが、ヒロトの個展を東京で開くこと。ヒロト君は自閉症の男の子で、パソコンですばらしい絵を描く。この夏、お母さんと一緒に、ぼくと家内で組んだ小笠原ツアーに参加した。イルカと泳ぎたいという、彼とお母さんの夢がかなった。青山のギャラリーを家内と見学に行く予定を立てていたら、親しくしているキャンディケイトの長澤さんから、銀座に知っているギャラリーがあると言われたので、そこへも話を聞きに行くつもりだ。スポンサーも当たりはつけてある。どれくらいの費用が必要かを出して、相談に行くつもりだ。さらに、詩集を出したいと長年、思い続けているリホちゃんの夢もかなえないと。康弥くんのようなパターンで行けるのかどうか、まだ検討が必要だが、動き出したら、何かのヒントが生まれてくるだろう。ひょんなことから、重度の障がいをもつ人たちとの縁ができた。本人、ご家族の方と協力しながら、ぼくは、彼らの夢を(お母さん、お父さんも)、少しでもかなえるお手伝いができたらなと思い動いていたら、それが自分の喜びになってきた。ぼくが夢見ている、Cafe「夢をかなえるイルカ」は、ここの扉を開けて入ってくると、夢がかなう場所だ。若いころ、お子さんを亡くしたりうつ病で苦しんだ体験をもつマスターが、笑顔で迎えてくれる。103歳の安藤久蔵さんのお店から仕入れた豆でコーヒーをいれる。焙煎しているのは、障がい者と言われる方たちだ。安藤さんのところに弟子入りして、みっちりと安藤流の焙煎法を習う。お店へ来たら、恥ずかしがらずに、自分の夢を語る。いろんな夢が、壁一面に貼られている。それを見て、こんなことできるよと、手をあげる人がいる。こうすればいいんじゃないとアイデアを出してくれる人がいる。費用をカンパしてくれる人がいる。「えっ、こんなすごい人がお話をしに来てくれるの」というようなイベントも企画する。たくさんの人の力で夢をかなえる。夢がかなったら、みんなで喜び合う。夢をかなえた人も、そのお手伝いをした人も、みんなが幸せを感じられる場所。それが、Cafe「夢をかなえるイルカ」。●筆談の詩人・神原康弥「大好きなママへ」の出版記念パーティどなたでも参加できます。11月2日(日)12時開場、12時30分開演場所 文京シビックホール3F会議室ゲスト 今野華都子先生会費 3000円(障がいある方と付添いの方 1000円 中学生以下 1000円)お申込み、お問合せinfo@dolphin-ht.com
2014年10月15日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1