老師の言葉 0
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長女の通っていた学校の10周年記念の式典があった。長女は、中学校のときに不登校になり、さて高校はどうすればいいのだろうとあれこれ悩み迷っていたとき、東京には、不登校の子のためのチャレンジ校という高校があるということを知った。入学試験もないし、内申書もない。入学願書と作文と面接で決まる。娘と一緒に何度も学校説明会に行き、傾向と対策をつかんだ。おげさまで合格できた。1年のときは、行ったり休んだりで、ハラハラする毎日だった。それでも、2年になると生徒会を手伝うようになり、演劇部にも入り、学校が楽しくなってきたのか、休むこともほとんどなくなった。昨日、娘の母校の開校10周年式典とパーティがあった。娘が3年のときに保護者の会ができて、ぼくは、その初代の会長を仰せつかった。娘が入学して、この学校が、わが家も娘のことも救ってくれたと思ったから、とにかく学校行事には必ず顔を出そうと心に決めていた。何よりも学校の行事を優先させてスケジュールを立てた。ただ参加するだけなのだが、お父さんは一人もいない。お母さん方の中で、何を話せばいいのか、どう動けばいいのか、さっぱりわからなかったし、居心地も悪かったけれども、これは自分に課したテーマだし、学校への感謝の気持ちだと、尻に鞭を打って出かけたわけだ。そんな中で、保護者の会が立ち上がり、やっぱり会長は男でないとということで、あっさりとぼくに決まった。何でも引き受けるつもりだったから、ありがたく受けさせてもらった。お母さん方がよく働くので、ぼくは入学式と卒業式のあいさつだけが仕事。何もしない会長だった。3年ぶりに高校へ行って、当時の役員の方や先生方と顔を合わせて、懐かしさが込み上げてきた。体育館には、長女と同じような悩み、苦しみを抱えて、今、がんばって学校へ通っている生徒たちがいた。そして、堅苦しい式が終わったあと、第二部では、彼らが、一生懸命に準備をした演劇やダンス、ブラスバンドを披露してくれた。彼らの輝いている姿に、胸がじーんと熱くなった。子どもが生き生きと毎日を暮らしているのを見るのが、親の最高の幸せだと思う。式典に父兄の方々が参加してなかったのだが残念だ。あのころは、ずいぶんと心が揺れた。そんな自分が、すぐそばにいるような気がした。その長女も大学3年生だ。悩みながら苦しみながら迷いながら、一人暮らしを続けている。でも、それでいい。自分の人生をどう生きるか。親は、気にしながら、あいつのことを見ていることにする。
2016年11月23日
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世の中にはいろいろな人がいて、すごいなと思う。フリースペースたまりばの25周年シンポジウムに行ってきた。大ホールが満員になるほどの大盛況。10年前にはこんなに注目されるとは思ってもみなかっただろうと思う。フリースペースというのは、居場所のない子たちの避難所といったところか。今、学校も家も居心地が悪くて、行き場所がなくなっている子がすごく増えている。そういう子たちを受け入れようという試みが広がっている。簡単なことじゃない。主催者の負担は大きい。でも、そこにチャレンジしている人は増えている。「たまりば」は25年も続いているというのだからすごいことだ。何とも頼もしい動きだと思う。最初に登壇した山口由美子さんのお話は強烈だった。2000年5月に、「西鉄バスジャック事件」というのがあった。よく覚えている。あの年は、17歳の少年による事件が頻発した。包丁をもった17歳の少年が高速バスを乗っ取った。1人が亡くなっている。山口さんは、そのバスに乗っていた。亡くなった人は、彼女の友だちで、彼女自身も、包丁で刺されて瀕死の重傷を負っている。こんなすさまじい体験をした彼女が、傷が癒えてから考えたことは、なぜ、彼は、こんな事件を起こしたのだろうということだった。普通なら恨んでもいいような立場なのだが、山口さんは、不登校の娘さんを抱えていて、犯人のことが、他人事だと思えなかった。2000年というと、今みたいに不登校に寛大じゃなかった。今だって、決して寛大じゃないけれど、学校へ行かないなんて、人生おしまいだと、だれもが考えるようなころだったから、山口さんも、娘の不登校に、すごく心を痛めていた。娘さんは、もっとつらい状態だったはずだ。それがわかっていても、何もしてあげられない自分に、山口さんはふがいなさも感じていた。ただ、山口さんの娘さんは、両親と話ができる環境にあった。学校へ行かない娘を完全否定するのではなく、彼女の話をきちんと聞くという態度で接することができたのが良かった。居場所があったのだ。たぶん・・・。と山口さんは考えた。犯人の17歳の少年は、まわりから完全否定されて、居場所を失い、自分を価値のないものと思い込んでいたのではないか。今のシステムだと、犯罪を犯した少年には、厳罰を与えることで更正させようとするのだけれども、そうじゃない道があるのではないか。居場所のない子に居場所を作ってあげたい。居場所がなくて非行に走る子を減らしたい。そう思って、仲間とともに、「ハッピービバーク」というフリースペースを立ち上げた。傷つけられたことに対して、友だちを殺されたことに対して、「恨み」で返すのではなくて、それをきっかけに、一歩でも先に進んでいこうとする、山口さんの決断には、頭が下がる。「入院しているとき、とても大切にしてもらいました。大切にされている実感がありました。そのとき、何もできないこんな自分でも生きていていいんだって思えました。がんばっている自分は良くて、がんばれない自分は悪いと、ずっと思っていました。そうじゃない。何もできなくてもいいんだって、心の底から思えました」価値のない人間なんていない。そしたら、子どもたちが変わった。自分を丸ごと受け入れ、子どもたちも丸ごと受け入れる。「子どもを変えよう、動かそうとするのではなくて、親が、自ら学ぼうという姿勢を失わないことです」胸に染みる言葉だ。
2016年09月20日
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9月だ。子どもたちは新学期。また、学校生活が始まる。わが家の長女は中1の3学期から学校へ行かなくなった。晴天の霹靂。大事件だった。新学期というのは、不登校の親にとっては、けっこう期待が大きい。休みで気分が変わってひょっとしたら行くのではと思ったりする。「2学期からは行くんだよ」と、約束させたりもした。わが家は、いろいろと事情もあって、6月に引越しをし、2学期から新しい中学校へ通うことになっていたから余計、行ってくれるだろうという期待は大きかった。結局、1ヶ月くらいは通った。でも、そのあとは、やっぱり行けずに、市の適応教室というところへ通うことになる。期待した2学期に学校へ行けず、親はがっかりするし、イライラもする。「どうするんだ。こんなことじゃ、高校も行けないぞ」そんなことも口にしてしまう。中には、「学校くらい行けないでどうする! 社会はもっと厳しいんだぞ」と、寝ている子をベッドから引っ張り出したり、階段から突き落としたりするような父親もいると、子どもが不登校になったときの修羅場を語ってくれた人もいた。わが家は、中学校へ行かないことを選択した。もっと先を見て、不登校の子を受け入れてくれる高校を探した。親は、先に道が見えてこないことが、すごく不安になってしまう。だから、先があると思うとほっとできるものだ。東京都にはチャレンジ校という制度があって、見学にも行った。5校あって、それぞれ特徴がある。ここなら通えると思えるようなところを選べばいい。同じような境遇の子が多いから、安心して通えたりする。結局、彼女はチャレンジ校で3年間を過ごし、自分で進路を決めて、今は奈良の大学に通っている。自分の体験を生かして、不登校と心理学と大好きなイルカを組み合わせた研究をしたいと言っている。今、3年生で、大学院を目指している。学校へ行かないといけないという強迫観念は、いったい、どこで植えつけられたのだろうか。強烈だ。ぼくは、幸い、いろいろな人と会うのが仕事なので、学校へ行かなくてもすばらしい仕事をしている人をたくさん知っている。不良だったり、暴走族だったり、そんな若者が、大人になってから、すばらしい社会貢献をしていたりする。学校へ行かないことイコール、将来が真っ暗ということはない。学校生活でドロップアウトしたら人生おしまいだということもない。人生には、いくらでも敗者復活戦が用意されている。勝ち進むばかりの人生よりも、負けたことによって、はるかに味わいが深くなる人もいる。学校も苦しい、家も息が詰まる。そんな状況に子どもを追い込まないでいただきたい。親が、肩の力を抜いて、リラックスすることが大事かと思う。子どもが学校へ行かないのは大事件だけど、いろいろな生き方があっていい。進む道は無数にある。何とかなる。この子にはこの子の運命があって、学校へ行かないのもそのひとつだ。この子の運命を信じよう。ぼくは、自分にそう言い聞かせて、娘の不登校を乗り越えてきた。おかげさまで、悩んだけれども、悩んだ分だけ、ぼくも家内も、成長することができたと思っている。
2016年09月01日
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親子ほど年の違う28歳の青年に魅せられている。「孤独を解消する」をテーマに、活動を続けている。彼が世に出したのは、OriHimeという分身ロボット。このロボットがあれば、たとえば、入院中の人でも、わが家の居間での家族団らんを味わうことができる。孤独というのは、一人ぽっちでいることではない。人から認められないことだ。たとえ、家の中で一人でいたとしても、自分がだれかの役に立っていることがわかれば、孤独のかなりの部分は解消されるものだ。この青年は、小学校の高学年から中学校まで、3年半の不登校体験をしている。学校へ行くのが当たり前、行かない子は落ちこぼれ、社会に適応できないという常識の中で、学校へ行かないというのは、大変なストレス。体が不自由だったり、病気ならば、学校へ行かないのも許容される。しかし、体は何ともないのに行かないのは、「甘え」とか「怠け」ととられる。でも、たくさんの不登校の子に話を聞いたが、行こうと思っても、行きたくても、動けないのだ。無理に学校へ行かせることで、たくさんの悲しい出来事も起こっている。彼も同じで、自分を責め、いなくなった方がいいとまで思い詰めた。そんな体験があったらこそ、彼は、分身ロボットを開発できた。人工知能ではない、人間味のあるロボット。人の魅力というのは、心の奥にかなしみをきちんと抱いて生きていることで醸成される。ませなら、そういう人は、人の心の痛みを敬えるから。病院で寝た切りの人、一人暮らしの高齢者、外へ出られない人、彼らを外とつなげるのがOriHime。4歳のときに交通事故にあって首から下が動かない青年。彼は、OriHimeと出会うことで、仕事を始めた。ベッドに横になったまま、OriHimeを通して、打ち合わせも会議もできる。彼のアイデアが採用される。そこに、生きがい、やりがいが生まれる。何のために自分は生まれてきたのだろう。生きている意味があるのだろうか。重度の障がいを抱えた人が思い詰めることだ。何か、表現手段があれば、彼らの生きる意味は見つかる。人と人とのかかわりの中に、生きがいは生まれる。今日は、希少な病気の人たちの日で、日本中でイベントが行われている。これから、丸の内へ行ってくる。そこでは、OriHimeが待ってくれている。
2016年02月29日
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人を信じるということはどういうことか?難しい話しだけど、親と子ということで考えてみたい。だいたい、親が子どものことで悩むのは、自分の思うように子どもが行動しないときだ。赤ん坊なら、夜中に泣くとか、おっぱいを飲まないとか。小学校になると、先生の言うことをきちんときかないとか、忘れ物が多いとか、成績が悪いとか、学校へ行きたくないとか。高校生くらいになると、夜遊びをするとか、親と口をきかないとか。自分の言うことをはいはいと聞く子なら、親は安心している。今風に言えば、これって、親の勝手じゃね、ってことになる。親は親で、お前のために言っているんだと言うけれど、そういう関係というのは、信じているとは言えない。単なるご都合主義だ。たとえば、不登校だとする。親の立場として、そこだけ切り取れば、困ったものだということになる。ほかの子と同じように学校へ行けばほっとする。しかし、不登校だからって悪いと決めつける必要はない。不登校が必要な子もいる。この子の長い人生の中で、その体験が、意味をもって輝くときが、必ずある。我が子の、「運命」を信じることだ。こういうことをしよう! と、強い意志をもって、だれもがこの世に生まれてきている。ぼくたちが、明日からは早起きしようとか、ジョギングしようとか、禁酒をしようとか、そんなレベルではない、まさに命をかけた決意をもって、オギャーと生まれてきているわけだ。不登校であろうが、やんちゃをしようが、みんな、やるべきことへの通過点であり、目標を達成するためには必要なことだ。この子には、大きな役割があるんだ。使命をもって生まれてきているんだ。それは、親も同じ。お互いの決断、プログラムを、尊重し合うこと。それが信じるということなんじゃないだろうか。
2015年09月08日
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8月が終わる。暑かったけど、急に涼しくなった。ぼくにとっては、中身の濃い一ヶ月だった。時のたつのは速いと思う。でも、このごろは、フワフワヒュッというような速さではなく、機関車が煙を吐きながら前進していくような重厚さがあるように、自分では感じている。明日から9月。子どもたちは、新学期が始まる。9月1日に自ら命を断つ子が多いのだそうだ。テレビや新聞で紹介されているグラフを見ると、明らかに、この日が突出している。理由は、新学期が始まって、学校へ行かなければならないから。そこまで子どもたちを追い詰めることになってしまう学校って何なのだと思ってしまう。学校を責めても、教師に怒りをぶつけても、この問題は解決しないと思う。また、来年の今頃も、同じようなことを、新聞やテレビは言っているはずだ。根本的に考え直さないことがある。そこにメスを入れないと、この問題は解決しない。しかし、そんなこと言ったって、9月1日は明日だから。根本解決をしている時間なんかない。ひょっとしたら、今すぐに対処しないといけない子もいるかもしれない。児童精神科医の高岡健さんのアドバイスが、不登校新聞に出ていた。周囲がとるべき対応について、「『死なないでくれ』とずばり頼むこと。『死んではダメだ』と説教してはいけません」お父さん、お母さん、今日、今すぐ、お子さんに、「死なないでくれ」「生きててほしい」と、自分の思いを伝えたらどうだろうか。一般論でも説経でも尋問でもなく、今、お父さん、お母さんはこう思っている、こう願っているというのを、心から伝えてみる。「死ぬのは卑怯だとか」「死ぬなんて逃げだとか」「死んでも何も解決しないぞ」なんて、他人事のような話しではなく、学校へ行くよりも、いい成績をとるよりも、もっと大切なこと、それは、お前に生きていてほしいんだということを伝える。本気で伝える。ぼくは、今日、娘たちに、伝える。明日からも伝え続けたい。「死なないでくれ。それだけがお父さんの願いだよ」と。
2015年08月31日
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長女が不登校だったころ、こんな話をしてくれた。まだ、学校へ行ったり行かなかったりという状況のとき、ぼくが何とか学校へ行かそうと思っていたころだ。朝、起きてくるとお腹が痛いと言う。仕方なく休ませせるのだが、「明日は絶対に行くんだぞ!」という一言は忘れなかった。「約束だからな」と、さらにひと押しすることも多くなっていた。しかし、翌朝も、またお腹が痛いと言って起きて来ない。イライラした。むかむかした。布団から引っ張り出して、外へ放り出してやろうと思った。そんなころのことを、長女はこんなふうに話してくれた。「お父さんに『明日は行け』って言われたときは、絶対に行くって思うんだよ。だけど、夜になると、だんだんと不安になってくるんだ。明日もお腹が痛くなったらどうしよう。お父さんとの約束守れなかったらどうしよう。そう思うと、胸がドキドキしてきて眠れなくなってしまう。1時になっても、2時になっても、3時になっても寝られない。どうしよう、どうしよう。そんなことばかりで頭がいっぱいになってしまう。ウトウトしたと思ったら、朝になって、起こされる。起きないとと思っても、ああ、お腹が痛い! となってしまうんだ。朝になるのが、すごく怖くて怖くて。朝がこなきゃいいって、いつも思ってた」彼女は、学校で嫌がらせをされていた。そのことを親にも先生にも言えず、じっと耐えていた。つらかっただろうと思う。今、夏休みも終わりに近づき、学校へ行きたくない子は、針のむしろの上にいるようなものだ。長女にとっての苦しい日々を、同じように体験している子がいると思うと、胸が痛くなってくる。少しでも楽になってもらいたい。そのためには、お父さん、お母さんが鍵の対応は大事だと思う。ぼくのように、子どもを追い詰めるようなことはしない方がいい。学校へ行きたくないのには理由がある。子どもは、いじめられているとか、嫌がらせをされているとか、親に言いたくないものだ。そこは、親が察してあげて、休む自由を与えてあげた方がいいのではないかと思っている。三女のときは、「休みたい」と言えば、それ以上のことは言わなかった。彼女は、のびのび不登校ライフを過ごしたと、ぼくは思っている。その分、ぼくのストレスも少なかった。つらい思いをした長女も、あまりプレッシャーのなかった三女も、今は、自分で選んだ大学、高校へ通っている。学校はいろいろなことが学べる大切なところではあるが、命をかけてまで行くほどのところではない。行かないからと言って、将来が真っ暗になるほどのところでもない。まずは、親御さんが楽になってほしい。そうすれば、子どもは子どもで、きちんと自分の道を見つけ出すものだと、ぼくは思っている。
2015年08月29日
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自分のことを振り返って思うのだけれども、親というのは、自分の価値観や知識をもとに作り上げた、「これが当たり前」「これが理想の生き方」を、子どもに押し付けたがるものだ。育った時代も環境も違うし、性格も違うのに、自分を中心に置いて、子どもというのを見てしまうから、いろいろな軋轢が生まれてくる。子どもには子どもの生き方があり、さまざまな困難に出あうこともあれば、悩んだりもする。でも、それは、自分で乗り越えていかないとどうしようもない。親は、相談を受けたって、大したいい答えを出してあげられるわけではない。おろおろするばかり。まあ、ある程度の年齢になれば、親に相談なんかしないけどね。結局、親と子は、血ではつながっているけれども、別の人格で、それぞれが、必要以上に干渉したり頼ったりせずに、自分の道を生きていくというのが、一番のいい関係かもしれない。子どもが、大変だけども毎日張り合いをもって生きていれば、親は、それで幸せだし、親がいくつになっても、自分らしく生きていれば、子どもはそれで幸せだ。親がなくても子は育つし、子どもが離れていっても、親は育っていかないと。
2015年08月27日
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正規分布というのがある。たとえば、テストの成績を、何点が何人だったかというのをグラフにするとする。ちょうど、真ん中が平均点だとすると、それは、富士山のような形で、左(点数の悪い方)からなだらかに上がって行って、平均のところが頂上になって、そこから右(点数のいい方)になだからに下がっていく。そんなイメージかな。日本人を対象として、その能力とか価値観とか欲求などを調べて行くと、きっと正規分布になるものも多いと思う。そして、その分布をもとに、できるだけたくさんの人が、満足したり、便利だと感じるようにと、社会は作られていく。そうなると、正規分布の麓に当たるところにいる人たちは、どうしても、置いてけぼりになってしまう。不便な思いをしてしまう。そういう社会構造があるというきちうぃ認識して物事を見ると、さまざまな矛盾というか、思い違いが見えてくる。たとえば、教育でもそうで、学校へ行かないのは麓の人間で、頂上近くいる人間たちは、みんな学校へ行っているのだから、行かせてあげないとかわいそうだという考え方が出てくる。成績はいい方がいいというのが、標準的な価値観で、だから、多くの子が塾へ通っているわけだ。そういう社会だから、不登校の子は、平均的な人から離れたところにいてかわいそう、もっと、平均に近づけてあげないといけないという考え方になってくる。障がいをもった人たちに対してもそうだと思う。平均的な人たちに近づけてあげることが親切みたいな考え方が幅をきかせているわけだ。現実的には、学校へ行かないと困ることも多いし、多くの人ができることができないと社会生活が送れない。この現実は、しっかりと見つめるべきだと思う。ただし、そこに固執し過ぎると、いろいろな不幸が生まれてくる。わが家は、子どもの不登校という麓を体験した。最初は、無理に頂上付近に連れて行こうとした。しかし、娘にとっては、頂上は居心地良くない。嫌なわけだ。にもかかわらず、頂上にこだわってしまうと、そこに亀裂が生じてくる。頂上じゃなくてもいい。麓で暮らす方法もあると知れば、楽に自分らしく生きられる。まわりから、変な子だと思われることに、誇りをもつ。それくらいの開き直りをもつと、きちんと、自分らしい生き方で、社会適応ができていくものだ。多様性とよく言われるが、頂上付近だけでなく、麓の人たちも生きやすい世の中を作るということだと思う。結局、頂上を優先するだけでは、頂上付近の人も幸せになれないというのは、もう、見えてきているからね。ラグビーで、ワンフォーオール、オールフォーワンと言う。一人はみんなのために、みんなは一人のために。ぽつんと、遠く離れてしまっているような人の幸せを考えることが、大勢で固まって生きている人の幸せにつながる。大勢の人の幸せは、その中に入れない一人の人の幸せにもつながらないといけない。
2015年08月23日
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9月1日は、子どもが自ら命を断ってしまう数がもっとも多い日だそうだ。新学期が始まって、子どもたちの心は大きく揺れる。特に、不登校の子にとっては、大きなハードルとなる日だ。不登校新聞社が、緊急メッセージを出した。ぜひ、読んでもらいたい。こちらぼくは、不登校大学という短期の研修講座に通った。そのレポートを、先日、出した。長くなるが、以下に紹介させていただきたい。《不登校バンザイ! と言える世の中に向けて》不登校は落ちこぼれでもないし、将来も心配ない 長女が不登校になったときには、「なんでうちの娘が!」「これからこいつ、どうするんだ」と、頭の中がこんがらがり、心はこれまでに体験したことのない感情でかき乱された。 そこから不登校情報を集めることになるのだが、面白かったのは、不登校の子どもを抱える親たちに話を聞くと、ほとんどの人が、同じような感情に心乱され、同じような行動をとっていることがわかったことだ。 だれもがある種のパニックに陥ってしまっている。海でパニックになると、体の力を抜いて、ゆっくりと呼吸をすれば何ともないのに、それができなくて溺れてしまう。私は、まわりの人の体験を聞くことで、冷静な気持ちを取りもどすことができた。冷静になって、何がパニックの原因なのだろうと考えてみると、私にはふたつの理由が頭に浮かんだ。ひとつは、ほとんどの子が平気で行ける学校に行けないわが子は社会から落ちこぼれてしまっているのだということ。もうひとつが、この子の将来はどうなるのだろうかという不安。 だったら、それを解決する方策を見つければ、いいじゃないか。 まず、不登校は落ちこぼれか。それはわからない。どの視点から見るかで違ってくる。 いい学校へ行って、いい会社へ就職することが正しいという価値観なら、学校へ行かないということは、落ちこぼれに違いない。でも、そんな時代はもう終わろうとしているじゃないか。大企業の凋落が現実に起こっているわけだ。現実をしっかりと見れば、学校へ行かないからと言って、それが不幸へとつながっていかないことがわかってくるものだ。 では、将来は? 長女は中学1年から不登校になったので、とりあえずは高校をどうする? ということが目先の問題だ。 内申書もないし、学力もない。でも、探せば不登校の子でも行ける高校はあるもので、あるとわかっただけでも安心できた。長女は、都立のチャレンジ校に進んだ。 不安を取り除けば、不登校は怖くなくなる。三女も、中二の終わりごろに、学校へ行かないと言い出した。いいんじゃないのと、あっさりと彼女は不登校になった。「お姉ちゃんのおかげで、お前は何も言われなくていいね」と、笑っていられるようになった。別に、学校へ行かないことが、落ちこぼれでもなければ、将来が真っ暗でもないのだから、行きたくなければ行かないという選択もありさ。学校へ行かないと決めた子たちは、本当はすごいんだ 私はそのころから、不登校のことを考えるたびに、「こいつらひょっとしたらすごいんじゃないか」と思えるようになってきた。 だって、責められることはあっても、だれも褒めてくれない道を選択したのだから。だけど、現実には、それが大きなコンプレックスになっている。勇気ある行動をとったのに、それじゃいけない。 不登校大学を受講して、その意を強くした。学校へ行かない選択をしたのは、落ちこぼれでもなければ、弱虫でもない。勇気ある行動なんだよということを、もっと伝えていかないといけない。不登校大学の若いスタッフたちの考え方にも触れて、彼らがどれだけ深く人生について、社会について考えているかを感じさせてもらった。我が家の不登校だった娘たちも、長女は大学生、三女は高校生になって、親が言うのもおかしいかもしれないが、毎日を本当に真剣に生き、自分がこの社会で何をやるべきかに、ぼんやりとながらも答えを見出している。不登校のおかげだと、私は思っている。親も成長する。学校へ行かなければいけないという考えで、いかに凝り固まっていたか。子どもが学校へ行かなくなったことで、そのことを強く思い知らされる。そこから、どう脱皮していくか。これが、親の修行であり、脱皮したとき、自分でもうれしくなるくらい、成長しているのがわかる。子どもが普通に学校へ行っていれば、不登校大学に通うことなど、なったわけだし。視野がものすごく広がっていく。今だから言えることだが、不登校さまさまだ。 学校へ行かないことは悪いことではない。親は、子どもが学校へ行きたくないと言い出したら、それは子どもたちの大きな成長の印だから「バンザイ!」と叫ぶべきだ。自分の成長の大きなチャンスだ。私は、「実は子どもが不登校で、悩んでいます」と言う親に出会うと、いつもそう言っている。なかなか理解されないけれども、これを言い続けたいと思っている。
2015年08月20日
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人間というのはみんな弱い存在だ。だから、強くなりたいと思う。強くなるためには、経験が必要だ。さまざまな経験をして、これが自分だと思えたとき、土台がしっかりとしてきて、心の揺れも小さくなる。経験を積んでいく過程が感動的だ。高校野球を見ていてそう思う。終盤の逆転とか、劇的な場面というのは、まだまだ弱いからこそ生まれるドラマが、試合が盛り上げる。逆転打を打たれたり、エラーをして、自分の弱さを痛感させられて、そこから立ち上がることで、それが経験となり、一歩だけ、前進できる。スポーツは、真剣に取り組めば取り組むほど、弱さに直面させられるし、そこから、心が鍛えられていく。氣歩の長い長い夏合宿も、いよいよ今日で終了。あすには帰ってくる。バスツアーで見学に行ったり、監督のブログを読んで、どんなふうに過ごしているのか、何となく想像はつく。彼女にとっては、触媒作用が起こっているのだと思う。これまでとはまったく違う角度からの刺激が、彼女を襲い、一気に化学反応が起こって、びっくりするほど成長した姿を見せてくれることだろう。厳しいラグビー部で、それもマネージャーの仕事は相当きついと聞いていて、果たして、氣歩にできるのだろうかと、少々、心配した。小笠原への旅を楽しんでも、彼女は、十分に成長していく。それでいいじゃないかと思った。しかし、彼女自身の中で、それじゃいけないというものがあったのだろう。「私はラグビー部に入ります。後悔はしたくないから」と、言った真剣な表情が忘れられない。親が言うから、先生に誘われたからという、消極的なものではなかった。自分を強くするため、変化するため、成長するため。明確な理由があって、氣歩は道を選んだ。合宿は、厳しいばかりではない。感動もいっぱいあったはずだ。氣歩の心は、大きく大きく動いて、そのキャパを広げたはずだ。あの甘えん坊が、こんなにもたくましくなったんだ。自分の意志で、ラグビー部を選んだ時点で、彼女は間違いなく、強さのひとかけらを手に入れた。この原動力は、かっこちゃんにあるし、照平やサラちゃん、ユウキ、みほちゃんら、上尾の子たちの影響も、タケちゃん、コウヤくん、梨穂ちゃんらと出会ったことも、大きかったと思う。こうした出会いがなければ、武蔵野東へ入学することもなかったし、ラグビー部に入ることもなかっただろうと思う。氣歩は、これから自分が歩いていく道が、決して平たんではないことを知っている。だから、今、自分を鍛えて、つらいけれども、やりがいのある道を歩いて行けるだけの基礎体力をつけておこうという、潜在意識の声に耳を傾けたのだと、ぼくは思っている。弱い存在だということを知っているから、経験を積んで、少しでも強くなろうという本能が働く。あす、氣歩が帰ってきて、どんな話をしてくれるか、楽しみだ。あいつの、脱皮した姿を見るのが楽しみだ。
2015年08月12日
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ピンチはチャンス!よく言われることだ。何か大きな転換期には、ピンチと思われるようなことが起こる。たとえば、親しかった人が離れていくとか、仕事が停滞するとか、やる気が失せるとか。そんなときは、焦ってはいけない。自分の立つステージが変わったわけだ。だから、まわりも変化していく。不登校もそうだ。幼稚園は喜んで行ったのに、小学校に入ると行かなくなった。小学校は行ったけど、中学で不登校になった。人それぞれ時期はあるが、見えないところで、その子に大きな変化が起こっていて、その現象として起こっているのが、不登校だということになる。娘たちのことを振り返って、ぼくが、もし、ピンチをチャンスに変えるお手伝いができたとしたら、彼女たちの心が躍るきっかけを作れたということだろう。長女は、小学校4年生のときから、イルカと泳ぎに行っている。不登校だった中学時代も、御蔵島に行き、小笠原に行った。小笠原は、長女と2人で出かけた。最高の海だった。長女は、ずっとイルカを意識して生きてきた。一年の生きるエネルギーをイルカにもらうと言っていた。今、大学へ行って、イルカと心理学の勉強をし、9月には、学校からの研修で、パラオに1ヵ月行く。三女は、何と言っても、かっこちゃん(山元加津子さん)に会って、人生が大きく動き出した。こんな大人になりたい!彼女は、かっこちゃんの本を読み、実際に会って話をして、自分の目標が明確になった。「特別支援学校の先生になる」と、はっきりと将来を決めて、今は動いている。次女は、不登校でなかったが、これから、すてきな出会いがあって、変化が起こってくるはずだ。とてもセンスのある子なので、せっかくのセンスを、どう生かせばいいか、親として、何かきっかけを作ってあげたいと思っている。でも、もうすぐだろう。高校を出たら、ピースボートで世界一周をするというのも、あいつらしい。不登校というピンチに立ったら、無理に学校へ戻そうとするのではなく、すてきな人に会ったり、すてきな体験をするということを考えてみたらどうだろうか?三女のように、こんな大人になりたいと思える人がいるというのは、とても幸せなことだ。すてきな人はいっぱいいる。まずは、親がすてきな人に会ってみる。そして、「今日、こんなすてきな人に会ったよ。こんなことしていてね・・・」と、興奮と感動を報告する。「お前にも会わせたいんだ」と、一緒に出掛けられるようにする。ただし、自分が本当に感動しないとダメで、親は、こんな人になりたいと本気で思える人を探すことから始める。ちょっとした視点の変化で、ピンチはチャンスに変わるものだ。
2015年07月24日
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ワオーッ!夏休みだ~~!子どものときは、うれしかったなあ。不登校の子も、夏休みはうれしもの。だって、みんなが学校へ行かないんだから。この1ヵ月ちょっとだけは、人と同じでほっとする。ぼくは、自由業で、土曜日も日曜日も関係なく働いている。それでも、休みの日はほっとするし、月曜日は、何となく気が重い。それと同じような心理があるかもしれない。今日から、わが家の三女、氣歩は、夏合宿。まずは、2週間の一次合宿。そのあと、80人くらいのメンバーのうち、半分くらいが1週間の二次合宿。マネージャーも残るそうだが、今年は人数が少ないので、1年生の氣歩も、3週間コースになるかもしれない。場所は、岩手県の八幡平。こんなに長く家を空けるのは初めてのことだ。のんびりとした高校生活を過ごすのかと思っていた。しかし、彼女が選んだのは、一番厳しいコース。ラグビー部は、生活の基本から、ビシビシ鍛えられる。甘えん坊の三女に果たして務まるのだろうかと、正直なところ不安があった。ところが、これまでの3ヶ月、よくがんばっていると、ぼくも家内も感心している。この間、試合を見に行ったが、暑い中、水をもって走り回っていたし、けが人が出れば、ピッチに入って、看病する。氣歩は、スピーチコンテストで、「私は強くなりたい」と宣言したそうだ。もともと、強い意志をもって学校へ行かないことを選んだ子だし、中学生活のけじめだけはつけたいと、卒業式には出席した。その強さを確信と自信にしたいと、彼女は思って、ラグビー部の門をたたいたのだと思う。そして、監督や顧問の先生は、本気になって、部員に接してくれる。叱るときは手加減しないし、うれしいとき、悔しいときは、一緒になって涙を流してくれる。そういう環境の中に、自分の成長を感じるのだろう。だから、厳しくても、苦しくても、そこには、魂の喜びがあって、やる気も生まれてくるのだろう。明日から、朝は5時に置き、一日中、雑務をこなし、ベッドに入るのは日が変わってからという生活が続くようだ。親は、遠くからがんばれ! とエネルギーを送っているしかない。いつまでも、やさしく手を差し伸べていたいのが親の思いだが、それでは、いつまでも子どもが成長できない。親も成長できない。長女、次女、三女と、次々と、親離れの兆候が出てきて、寂しさもあるが、子育てには、これは付き物なのだと思う。たくましくなった三女から、いろいろな話が聞ける、8月の後半を楽しみにしながら、ぼくはぼくで、小笠原もあるし、仕事もあるし、充実の夏を過ごしていこう。
2015年07月23日
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(子どもが不登校になって親が感じること 5)嫌なことから逃げるような弱い子でいいのだろうか?困難には立ち向かえ!ぼくたちは、そう教えられてきた。逃げるのは弱虫、卑怯者と見られる。弱音を吐くな! ともよく言われる。苦労は買ってもしろ! と教えられた。背水の陣、獅子は我が子を千尋の谷に落とす、かわいい子には旅をさせろ。などなど。いかに強い子に育てるか。日本人の子育ての底辺に、しっかりと根付いているものだ。強くなるというのは、大事なことだと思う。恐怖や不安というのも、逃げ続けていると、いつまでも恐いし、不安でたまらないものだ。しかし、立ち向かって、それを克服することで、恐怖も不安も感じなくなることは、確かにある。しかし、それも状況を見てのことだ。何でもかんでも逃げることを悪ととらえてしまうと、取り返しのつかないことになってしまうこともある。いじめの問題が後を絶たない。だいたい、いじめというのは、多数の暴力や暴言が一人に向かうもの。いじめられる側は、どうがんばったって勝てっこない。それでも、立ち向かっていくことが大事なのだろうか?逃げるのは卑怯なのだろうか?困難に立ち向かうには、そのバックボーンとなるものが必要だ。たとえば、いきなりエベレストに登ろうたって、そんなのは無理な話で、厳しいトレーニングと豊富な経験があってこそできるチャレンジだ。無謀や無茶は、勇気とは言わない。もう一歩踏み込んで考えてみる。果たして、学校へ行かないという選択をすることは、弱虫だからなのか。そういう見方をしてしまうことがそもそもの問題だ。嫌なこと対して、きちんと嫌だと意思表示ができる(行動できる)のは、逆に「強さ」ではないか。嫌な気持ちをごまかして、だらだらと学校へ行くよりも、行かないと決める方がどれだけ勇気がいるか。学校へ行かないということに「挑戦」していると思えばいい。その通りなのだから。ぼくは、彼らの勇気あるチャレンジにエールを送りたい。
2015年07月22日
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先日、久しぶりに、映画「1/4の奇跡~本当のことだから」を見た。その映画に出演されていた中山靖男先生。ぼくは、お会いしたことがないのだが、中山先生を慕う人はたくさんおられるようだ。先生は、今年に入って、お亡くなりになったと聞いた。一度、お話をうかがいたかった。お会いできなかった方だが、映画の中での先生の言葉が、遺言のように、ぼくの耳に残った。「この映画が、いいふうに伝わりますように」「いいふうに」というのは、たぶん、中山先生がよく言っておられた言葉なのだろうと思う。映画の出来がいいとか悪いとかではなく、いいふうに伝わればいい。出来が悪いことで伝わることがあるのだから。そんなお話しだった。お伊勢さんに参拝しながら、「受験の合格祈願にくる人にも、いいふうになりますように願うようにと言っています」ともおっしゃっていた。大抵の人は、志望校に合格しますようにと手を合わせる。しかし、合格しない方がいい場合がある。そんな場合は、天は、合格しない方に導く。突き詰めれば、世の中で起こることは、すべていいこと。病気も事故も失業も、それだけを見ると、不幸な出来事だが、もっと広い視野で見ると、「病気のおかげで」「事故のおかげで」「失業のおかげで」ということが、見えてくるはず。ついつい目の前のことであたふたしてしまう自分がいる。いつかは、こういう心境になりたいものだ。まずは、「いいふうに」を、頭の中に入れておこうと思う。このごろ、不登校について発信しているが、不登校=怠けているみたいなとらえ方をされるけれども、学校へ行かないという選択は、そう簡単にできるものではない。それを、敢えてした勇気に、ぼくはエールを送りたいし、「いいふうに」なるための大事な一歩だと思う。
2015年07月21日
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(子どもが不登校になって親が感じること 4)育て方を間違ったのかもしれない。甘やかせすぎたのかもしれない。子どもが学校へ行かなくなると、まずは、子どもに対して怒りが向かう。どうして行かないんだ!次に、学校や教師や家族に対する怒り。そして、自分を責める。まわりからも、「育て方が悪かったんじゃないか」「甘やかせすぎたんだ」という目で見られたりする。何だか悲しくなってくる。おじいちゃん、おばあちゃんからそう見られてつらかったと言っている人もいる。とにかく、世の中は、「学校へ行くのは当たり前」「学校へ行かないのは悪いこと」という”常識”に支配されている。だから、その常識の外に出てしまった子は、落ちこぼれと見られてしまうのだ。そして、落ちこぼれた原因が、育て方だという発想になってしまう。学校へ行くのが正しい行動なのだから、親も先生も一生懸命に学校へ戻そうとする。でも、戻らない。そりゃそうだ。子どもしてみれば、気軽な気持ちで行かないと決めたわけじゃないのだから。何度説得しても学校へ行かないと、また怒りが込み上げてくる。自分の無力さに頭を抱えることになる。そんなことの繰り返しになってしまうのだ。なぜ、学校へ行きたくないのか?ぼくは、その原因を考えてみたことがある。長女は、嫌がらせがあって行かなくなった。でも、冷静に考えてみると、それはきっかけでしかなかった。小学校のときから、どこかまわりから浮いているところはあったと思う。三女も、不登校になったのは中2の終わりころからだったが、小学校のときから休みがちだった。「これが原因だ」という明確な理由は見つからない。いろいろ考えた結果、ぼくがたどり着いたのは、「つまらないからなんだ」ということだった。つまらない映画なんか見に行かない。つまらない本は読まない。それと同じレベルで、つまらない学校へは行かないというのがあってもいいんじゃないかと思う。そういう話をすると、「俺はつまらなくても仕事に行っている。我慢してがんばっている」と言うお父さんもいる。それはすごいことだと思う。そういうお父さんと同じように、つまらなくてもがんばって学校へ行っている子もいるわけで、ぼくは彼らは彼らで大したものだと思う。会社や学校が楽しくてたまらないという大人や子どもがいてもいいわけだ。だけど、つまらないからと会社を辞めて、自分の生きる道を見つけようとする人もいるし、同じように、つまらない学校へは行かないという生き方を選ぶ子だっているのだ。面白くもない映画でも、入場料を払ったし、ひょっとしたら、これから面白くなるかもしれないと、終わるまで映画館にいる人もいれば、つまらないからと、居眠りをしたり、途中で映画館を出る人もいるのと同じことだ。わが家の場合は、この子たちは、学校がつまらないから行かないんだという結論に達して、それなら、彼女たちが興味をもてるような学校を探せばいいじゃないかと、取りあえず、中学校は休ませることにした。そして、彼女たちが興味のもてる高校探しに、意識をシフトした。その結果、長女は、チャレンジ校という行き場所を見つけ、三女は、武蔵野東高等専修学校という、ユニークな高校への進学を決めた。2人とも、それは正解だった。わが子が不登校になったからと言って、育て方が悪かったわけではない。甘やかせ過ぎているわけでもない。親は、子のことを思って一生懸命にやっているわけだから、自分を責めることなんかないのだ。もし、育て方が悪かったとしても、すんだことはどうしようもない。大事なのは、今、どうするかだ。子どもが学校へ行かなくなった今、どう対応していくのか。本当に、学校へ戻れば万々歳なのか?つまらない映画を見せ続けるのか?この子がもっと輝く道というのはないのだろうか?ぼくは、そう考えることで、2人の娘が不登校になるというピンチを脱した。学校へ行くとか行かないというくらいのことで、自分の子育ての良し悪しを判断しないでほしい。ホームページもご覧ください。小原田弘美のブログ小原田泰久・弘美のイルカの時間(声のブログ)
2015年07月20日
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(子どもが不登校になって、親が不安に感じること3)学校が嫌だからと言って行かないような子で社会に通用するのか?大人はみんな、嫌なことでも我慢してやっている。好きなことだけやっていては生きていけない。楽な方へ流れていくのは人生の落伍者だ。つらくても、我慢してがんばれば、幸せになれる。これは、明治時代、欧米に追い付くための人材育成を目的として、学校が作られたときに、同時に作られた幻想。「蛍の光、窓の雪」「二宮金次郎」・・・貧しくてもがんばって勉強するのが偉いんだ。もちろん、それくらいのことをしないと、はるかに前方を行く、欧米には追いつくことができなかった。しかし、何で追いつくかと言えば、軍事力であり経済力だ。戦争で役立つ人、工場で文句を言わずに働く人を養成するのが学校教育だったのだ。(参考:白梅学園大学 汐見学長のお話)その結果、世界に誇る軍事力と経済力を手に入れた日本。当初の学校教育の目的を達することはできたが、国民の幸せという面ではどうだっただろうか?江戸時代の人たちと、今の人たちと、さてさて、どちらが幸せなのだろうか?学校教育の目的である欧米に負けない軍事力と経済力を手に入れたからと言って、必ずしも幸せになっているわけではないというのは、間違いのないことだ。つらくても、我慢してがんばれば幸せになれるという幻想は、日本を軍事的、経済的に世界のトップクラスにするために作られたものだ。そろそろ、学校教育も次の段階に進んでもいいのではないだろうか。ぼくは、つらくても我慢してがんばることを否定しているわけではない。大切なのは、「何のために」ということだ。成績を上げて、いい学校へ行くことが大切だと思えば、一生懸命に勉強すればいい。でも、そんな子ばかりではない。学校へ行くことが苦痛だったり、学校に価値を見出せない子もいる。そんな子は、学校以外の道を模索してもいいのではないか。あるいは、今の型にはまった学校ではなく、自分に合う学校を探すという手もある。つらくても我慢してがんばれる場所は必ずあるはずだし、そのつらさも我慢もがんばりも苦痛と感じないような、自分だけの目的というも、必ず見つかるはずだ。具体的に目的が見つからなくても、自分が成長していると実感がもてれば、我慢もできるし、がんばることもできる。何の目的もなく、成長の実感もなく、ただがんばれ、我慢しろでは、立派な大人だって、根を上げてしまう。それが見つかるまでゆっくりと休むという選択もありだ。親として考えないといけないのは、どうすれば我が子は幸せになれるのかということだ。いい学校を出て、いい会社に就職すれば幸せになれるの?決してそんなことはないというのは、まわりを見れば一目瞭然だ。幸せな人もいれば、幸せじゃない人もいる。幸せになるための条件として、学歴とか勤めている会社とか収入というのはほんの一部にしか過ぎない。高校や大学へ行かなくても、幸せになる道はいくらでもある。この子は、果たしてどんな道が合っているのだろうかと考えてみる。全体の中に埋もれてしまう幸せもあれば、個として自分を表現する幸せもある。学校へ行くのが当たり前だと思われている中、学校へ行かないという決断をするのは、決して楽な方に流れているわけではない。だれもほめてくれない厳しい道を選んだのだ。悩みもしただろうし、勇気も必要だっただろう。不安もあっただろう。それは、親が感じている不安や怖れよりも、何倍も大きなものだったはずだ。そして、悩み抜いた末に、学校へ行かない選択をした自分をだれも認めてくれなかったとしたら、どれほど孤独か。せめて、親だけは味方でいてほしいと思っているはずだ。わが家の長女も、学校を休みがちになってから、嫌がらせをされていると親に打ち明けるまで、数ヶ月はかかっている。その間、13歳の心の内に、どんな風が吹き荒れ、雨が降り注いでいたか。そう考えてみると、無理に学校へ行かそうとした自分の仕打ちが、彼女にとってどんな残酷なものだったのか、今でも、心が痛む。早く学校教育が作り出した幻想から抜け出した方がいい。子どもを、その幻想で縛り付けるのはやめた方がいい。ホームページもご覧ください。小原田弘美のブログ小原田泰久・弘美のイルカの時間(声のブログ)
2015年07月18日
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(子どもが不登校になって親が思うこと 2)こいつは将来、社会にきちんと適応できるのだろうか。不登校というのは、社会に対して不適応を起こしていることで、みんなができることができない落ちこぼれ。そう見られてしまう。社会に適応することがそんなに大切なことなのか?「人間は、適応したり、不適応を起こすから生きていられます。たとえば、体に合わないものを食べたら、下痢をしたり、嘔吐したりします。アレルギーが出たりする。あれも、不適応ですが、もし、不適応を起こさなければ、命を落とすことにもなりかねません」(宇部フロンティア大学・大学院教授 西村秀明先生)学校へ行きたくない、会社へ行きたくないといった「不適応」は、実は、自分を守るために起こっている場合もあるのだ。学校や会社は、命をかけてまで行くところなのか?下痢をしたり、吐き気をもよおしたり、アレルギーを起こしたりする食べ物を食べ続けるようなもので、いくら、まわりの人が平気で食べているとしても、自分には合わないのだから、違う選択をする必要があるはずだ。それを食べなくても、ほかにも食べ物はあるのだから。社会に適応することは、本質的はそうじゃないかもしれないが、現実的には、自分を殺して組織のルールに従うということだ。自分の意見をきちんと言って、自分の道を堂々と歩んで行ける人になってほしいのか、きょろきょろしながら、常に人に合わせて生きて行こうとする人になってほしいのか。いくら自分が後者であったとしても、子どもにまでそれを要求するのは果たして、親としての正しい態度なのか。社会というのは、時々刻々変わっていく。めまぐるしく変わっていく社会に合わせようと懸命になっている人たちは、結局、疲れ果てて、ぼろぼろになってしまうものだ。それに対して、自分をしっかりもって生きていられる人は、社会の変化に振り回されず、そのときどきの社会の中で、自分を表現することができるはずだ。不登校になった子は、社会に振り回されずに自分の道を歩んで行ける才能のある子だと、ぼくは思っている。だから、親は、その才能をつぶしてはいけない。せっかくの才能だ。どう生かしてあげるか。そこを見るのが親の役割だし、親だからこそ、そういう特異な才能をもった子をいい方向にリードしてあげられるのだ。ぼくの場合、これは結果論でしかないのだが、最初はずいぶんと混乱したものの、長女の学校へ行かないという選択を認め、そして、それでも、毎年、彼女が大好きだと言うイルカと泳ぎに連れて行ってあげたことが、彼女らしく生きる道を作ったのかなと思っている。子どもは、親が思っているよりも、ずっとたくましいし、ぼくたちよりも、もっと大きな視野で世の中を見ている部分もある。信じて任せてしまう。助けてほしいときには、きちんとサインを出すし、そういうときだけ、ちょっと手を貸してあげれば、彼らは、すばらしい将来を、自分の手でつかみとるはずだ。ホームページもご覧ください。小原田弘美のブログ小原田泰久・弘美のイルカの時間(声のブログ)
2015年07月17日
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子どもが不登校になったときに親が思うこと。「学校へ行かないなんて、一生、取り返しがつかないことだ」ブリキのおもちゃ博物館、北原照久さんの場合。彼が不登校になったとき、お母さんが言ったこと。「人生、やり直しはできないけれども、出直しはいつでもできる」学校へ行かないことも、貴重な体験として、人生のプラスになるものだ。「人生に遅れをとってしまう」何が遅れなのだろうか? 人と一緒にいたがるよりも、自分の道を歩んで行こうとする方が、はるかに進んでいるように思うが。学校で、人に合わせることに汲々として、もたもたしている方が、遅れになってしまう危険性が高い。大事なのは、自分の人生をどう生きるかだ。学校ではそれを教えてくれるだろうか?「集団生活が身に付かない。社会性が身に付かない」学校は集団生活が身につくようにという意図で作られた。ただし、その集団生活というのは、軍隊とか工場で、文句を言わずに働く集団生活だ。果たして、そんな集団生活が必要なのだろうか? 社会性も、あくまでも、国や政府の都合がいいような社会性だ。時代が変われば、社会性も変わってくる。これから、大きく社会が変わろうとしている中で、古い社会に合った生き方をしていると、とても生きづらくなってしまう。社会というのは多様なもの。柔軟に生きられる発想をもつことこそ、社会性をもつことだ。学校という呪縛から逃れ、その上で、自分にとって必要な場所だと思えば行けばいいし、必要ないと判断すれば、行かなくていい。また、学校とひと口に言っても、いろいろな学校がある。自分に合った学校を探すのも、社会性のひとつではないだろうか。ある不登校体験者がこんな話をしてくれた。若い女性で、彼女はきちんと仕事をし、社会生活を送っている。「社会というのは、こうだと決められたものではありません。私たちが社会を作ることもできます。今、あちこちで、さまざまなコミュニティができていますが、その動きこそ、自分たちで社会を作ろうというものです。気の合う仲間が集まって、自分たちの居心地のいい社会を作るということもありだと思います」脱帽だ。社会は、上から与えられるものではなく、だれかに決められたものでもなく、自分たちで作ろうと思えば作ることができる。そういう発想は、不登校を体験して、社会のさまざまな矛盾を、自分なりにとらえて、自分の言葉として消化できたからこそのものだろう。はっきりと、こんな意見が言える若者は、とてもたくましいく見える。彼女は、元不登校だったが、とても高度な社会性をもって生きていると、ぼくは感心した。不登校大学を受講して、不登校について、いろんなことを考えた。私たちは、靴を選ぶとき、自分の足に合った靴を選びますよね。でも、今の学校制度は、靴の大きさや形が決まっていて、それに自分の足を合わせなさいと言っているようなものですね。(宇部フロンティア大学・大学院教授 西村秀明先生)(つづく)
2015年07月16日
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三女の氣歩。高校へ入ってからは、別人のように生き生きと通い始めた。小学校高学年のころから学校を休みがちになった。何とか行かそうとした時期もあったが、どうも、これは無理そうだと思っていたら、中学校へ入って、2年生までは、気持ちはすっきりしないながらも、演劇部が面白くてあまり休まずに登校するようになった。しかし、2年生の後半から、「行かない」ということになり、市の学習適応教室へ通うことになった。さてさて、この子の将来はどうなるのだろうかと、心配になってくる。ところが、彼女とぼくたち両親を救ったのは、インド占星術だった。氣歩のホロスコープを見ると、人生の前半には、まったく星を入れてない。充電の時期というか、さなぎの時期というか、前半は何もしないと決めてきているのだ。そんな子に、あれもしろ、これもしろと親がうるさく言ったとしたら、自分で決めたプログラムを壊してしまうことになる。もし、家内がインド占星術をやってなかったら、ぼくたちは、彼女のプログラムをめちゃくちゃにしてしまったかもしれない。さなぎが成虫になるのをじっと待つことを、ぼくたちは選んだ。そしたら、意外に早く成虫になった。中学校に行かない間に、ぼくは、障がいをもった人たちの集まりなどに、彼女を連れて行った。結果的には、それがホームエデュケーションになったわけだ。彼女の目がきらりと光り、一生のテーマを決めて、それに向かってまい進し始めたのだ。自分の作ったプログラムよりも、かなり早めの発進となったかもしれないが、今の彼女を見ていると、待った甲斐があったと、うれしくなってくる。手前味噌の話になってしまうが、ぼくは、親は子どものことをもっと知らないといけないし、インド占星術は、その手助けになると、確信している。もっと楽に子育てができるきっかけにしてほしい。不登校のこと、あちこちから相談を受けるようになってきて、自分の体験とも照らし合わせて、親が少しでも楽になれば、光が見えてくるのにと、思えて仕方ない。インド占星術は、うちの扱う商品なので、あんまり言うと、「このサプリメントはすごいよ!」みたいな話になってしまうので、それが嫌で、強くは言わないようにしていたけれど、必要な人には必要だから、もう少し、積極的にすすめることにした。「ひょっとしたらこれはいいかもしれない」と思ったら、ぜひ、受けていただきたいと思う。この子はこういうプログラムを組んで生まれてきたのだと思うと、子どもに対してやさしくなれる。そして、子どもは、自分のプログラムを尊重してくれる親を、尊敬するようになる。いい関係を作ることができる。ぼくの体験から言えることだ。インド占星術は、生年月日と出生時刻、出生地がわかればOK。インド占星術だけでなく、からだ占い® 手相も、間違いなく手助けになる。たかが占いという見方もあるけれども、馬鹿にできないと、ぼくは思う。ホームページもご覧ください。小原田弘美のブログ小原田泰久・弘美のイルカの時間(声のブログ)
2015年07月14日
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久しぶりに取材を受けた。とあるフリーペーパーで、2回にわたって取り上げてくれると言う。ユニークな活動をしている人を紹介しているコーナーなのだそうだ。ぼくの活動の何がユニークかとたずねてみた。本職以外に、お金になりそうもないし、手間のかかりそうなことを、一生懸命にやっていることだそうだ。そんな人はいっぱいいるし、ことさら威張れるようなことをやっているわけではないけれども、人に話すと、考えが整理されるということもあるので、あれこれしゃべってみた。普段は、取材する側だから、質問して聞くことに重点を置いたコミュニケーションが多いけれども、たまには、自分の意見を語るのも必要だと、このごろ、すごく思っていたところなので、いいタイミングで取材を受けることができた。話していてはっきりしてきたのは、今のぼくのもつテーマには、2つの柱があるということ。ひとつが「不登校」であり、もうひとつが「障がい者」だ。不登校に関しては、自分自身が、不登校の子の親を体験したことが大きい。当事者となると、思わぬ感情が湧き上がってくるもので、自分の未熟さを痛感させられるとともに、不登校の渦の中に巻き込まれたことによる自分の成長を、ものすごく感じている。障がい者についてもそうだ。これまで、障がいをもった方、その家族の方を偏見たっぷりに見てきた自分が、真正面から、彼らと向き合えるようになった。これも大変な成長だ。不登校や障がいを通して、社会の矛盾も見えてきた。精神的にも社会的にも、自分を成長させてくれたのは、この2つのテーマとかかわることができたからだ。自分を成長させてくれるものに、ぼくは、すごく愛着を感じる。不登校の渦の中にいたころは、とてもつらかったけれども、そこを抜けたときに、一回りも二回りも大きくなった自分がいた。心が押しつぶされるようなつらい気持ちにはなりたくはない。でも、あの重石をつけられたような日々が、人を成長させるための重要な要素だったということが、不登校の親を体験をしたことで、少しはわかったような気がする。不登校とか、障がいとか、ほかのさまざまな困難に遭遇したとき、それを解決しようと躍起になることではなくて、もっと大事なのは、なぜ、自分はそのことを大きな問題としてとらえているのか、そこに焦点を当てることじゃないかと思う。学校へ行くのは当たり前。行けないのは落ちこぼれ。将来が真っ暗。そんなことだれが決めたのか。本当にそうなのか。自分がそう思い込んでいるだけのことじゃないのか。思い込みというのは、どんどんと自分を小さくしていく。蚤をコップに入れて、跳び出せないようにガラスのふたをしておくと、跳ぶたびに、ガラスにぶつかって、しばらくすると、そのコップの深さくらいしかジャンプしなくなる。コップから出した蚤は、本来なら2メートルもジャンプできるのに、10センチほどしかジャンプできない蚤になっている。思い込みというのは、そういうものじゃないのだろうか。自分が混乱するような出来事が起これば、それを思い込み外しのきっかけにする。それくらいのしたたかさが必要だ。それが、本来の自分を取り戻すこと=成長になる。ぼくは、不登校と障がい者にかかわることで、思い込みが少しずつとれていくのを実感している。だから、このテーマから離れられない。これから、まだまだやりたいことはいっぱいある。やるぞ!そんな気持ちでいっぱいだ。
2015年07月04日
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息子さんが不登校になって悩んでいるお父さんから、「わがままなあなたがいちばん」を注文いただいたので、お会いして少しでもお役に立てればということで、1時間ほどお話をした。自分も体験してきたことだから、彼の気持ちも、こうなんだろうなと、推測できる部分はいっぱいあった。長女が不登校になる前、不登校の相談を受けたこともある。そのときは、「きっと、感性の豊かな子だから学校へ行けなくなったんじゃない。学校がすべてじゃないから、そんなに慌てなくてもいいと思うよ」といった答えをしてきた。実は、不登校の父親を体験した今でも、同じようなことを語っている。しかし、体験をする前と後とでは、言葉の重みが違うのが、自分でもわかる。「どうして」「なぜ」と、胸が苦しくなるような思いをし、「これからどうしたらいいんだろう」と不安に押しつぶされそうになる。自分がこんなにも動揺するなんてと、あのときは、違う自分を見ているような感じだった。あの体験によって、悩んでいる人に対して、一体感をもって、話しができるようになった。体験に勝るものはないと言うけれども、まさにその通りだと痛感する。ただ、何でもかんでも体験すればいいということではなく、必ず人には、必要な体験がやってくるので、その体験を通して、人間としての幅を広げていくことだ。そうすることで、不登校の親という体験が、また違った悩みをもつ人たちに寄り添える力となってくる。きっと、ぼくたちは何度も生まれ変わる中で、大抵のことは体験しているはずだ。今生での出来事を通して、そのときの記憶もよみがってきて、人の痛みが感じられるようになっているのではないだろうか。不登校の子をもつ親という体験をせっかくさせてもらったのだから、ぼくは、もっともっと、この体験を生かしていきたいと思っている。上から目線で諭すのではなく、当事者同士、同じ目線で語り合える場を作っていきたい。なるべく早く、スタートを切りたいと思う。
2015年06月28日
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北原さんにお会いしてお話をうかがった。楽しかったねえ。中学時代、北原さんはすごく荒れていて学校も不登校だったそうだ。越境入学した中学校は、進学一辺倒の学校で、勉強のできない子は、先生も見向きもしなかったそうだ。最下位クラスにいた北原さん、すっかり学校へ行くのが嫌になってしまった。学校も行かず、映画館や遊園地で時間をつぶし、ケンカもするし、ついに、退学処分になる。越境だから、本来の学区に帰らされるわけだ。さすがに、ショックだったと言う。そのときに、お母さんがすごかった。落ち込んで帰って来た北原少年に、こう言ったそうだ。「お前の人生はこれからの方が長いのだから、めげることないよ」「人生はやり直しはできないけど、出直しはできるよ」「お前は、たばこを吸わないだけ見どころがあるよ」怒るどころか、勇気の出る言葉をかけてくれたのだ。そして、「お前は、本当はやさしい子なんだよ。だって、お前は花を踏めなかったじゃないか」と、幼稚園のときのことを持ち出して、息子を褒めてくれたのだ。母親の次は、高校の先生。本郷高校だった。たまたま60点を取ったら、担任でラグビー部の顧問の沢辺先生から、「お前はやればできるじゃないか」と、大げさに褒められて、大きく人生が変わる。それまで、勉強なんか大嫌いと言っていたのに、急に勉強を始めて、いい成績を取れば先生に褒められる。ビリで入学して、トップで卒業したという伝説を作ったのだ。ここから、彼は、坂の上の雲をつかむ勢いで人生を駆け上っていくことになる。母親と先生から、人にかけるひと言がどれほど大切か痛感した。だから、言葉を大切にしている。相手が生きるような言葉をかけるよう心掛けている。いい言葉をかけて、うれしくなった人は、北原さんに恩返しをしようとする。まわりの人にいい言葉をかけるようになる。いいエネルギーの好循環が始まるのだ。子どもが不登校で悩んでいるなら、子どもにかける言葉を考えてみたいね。「お前の人生はこれからだ。学校へ行かないくらいでつぶれるような安っぽい命じゃないよ、お前は」くらい言ってあげてもいいかもしれない。不登校の子、その親にお話しをしてもらえないかと、北原さんにお願いしようと思っている。お楽しみに。北原さんのお話は、真氣光の中川会長との対談として、月刊ハイゲンキ8月号に掲載される。
2015年06月27日
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長女と三女が通っていた学習適応教室から電話があった。三女に、不登校だったときの体験や高校での様子を話してほしいとのことだった。毎年、夏休みには、通室する子たちがカレーを作って食べるという行事がある。そのときに、先輩を呼んで、話を聞くのだ。学習適応教室というのは、不登校の子が増えたことで市が、その対策のために作った施設だ。学校へ戻すことを目的としている。ぼくは、そんなこと知らなかったので、面談のときに、「先生、このままでいいですから、ずっとここへ置いてください」と言って、ひんしゅくを買ったものだ。それでも、先生たちはとても面倒見が良くて、やさしく接してくれて、2人とも、毎日、楽しく通っていた。子どもが学校へ行きたくないと言い出したとき、ぼくは、学校以外の行き場所を考えた。長女は、知っている人と会うのが嫌だったので外へ出ようとしなかった。だから、結果的に引っ越しをするということになって、そこから学習適応教室とつながった。もし、引っ越しをしなかったら、まったく外へ出ないまま中学時代は終わっていただろうと思う。学習適応教室は、学校へ戻すことを目的に子どもたちと接するから、そのプレッシャーが嫌な子もいるだろうと思う。そんなときはどうするか?今回、不登校大学で学んだ中に、ホームエデュケーションというのがあった。これは、何も家で英語や数学を勉強するということではない。学校の勉強をしなくても、家事でもいいし、図書館へ行くのでもいいし、家庭菜園でもいいし、家を拠点にして、やりたいことをやってみるというのが、ホームエデュケーションだ。親も、何かやらせないといけないと、肩ひじをはる必要はない。生活そのものが学びの場となるわけだ。その話を聞いて思ったのは、ぼくは、それをやってきたなあということ。毎年、イルカと泳ぎに行ったのもそうだし、長女の場合は、家で一緒に料理を作ったし、三女の場合は、障がいをもった人の集まりに顔を出したりした。それを、ホームエデュケーションだと意識すると、親も子も、きちんとやっているという気持ちになれて、あせりも少なくなる。うちの子は、どんなことだったら心地よくできるのか。それを、親と子で探すのがホームエデュケーションの大切なところだろうと思う。小学生や中学生に、何がやりたいと聞いてもすぐに答えが出るわけではない。それで、親が、自分の価値観で、「これをやるといいよ」と押し付けてしまいがちになってしまうが、子どもは、親がすすめることには、よほどのことがない限り、反発しないものだ。学校へ行かなくて親に心配をかけているという負い目もあるし。ここを親は見抜く必要がある。本当にやりたいと思っているのか、やってもいいかなくらいには思っているのか、それとも、親に気を使っているのか。子どもを観察していれば、何となく、この子は何に興味があるのか、見えてくることもある。学校へ行かないというのは、我が子をじっくりと観察して、どんなことに興味があって、個性があるのかを、見つけ出す、大きなチャンスだ。漠然と学校へ行っている子からは見えてこない。さてさて、三女は学習適応教室で、どんな話をするのだろうか?彼女は、小学校のときからやりたいことというのが見えていたし、それが、不登校をすることで、より明確になった。そして、確信をもって、今の高校を選んだし、今はほとんど迷いなく毎日を過ごしている。不登校のときに、ぼくは彼女といろいろな話をしたし、あちこち連れて行った。その経験を通して、親と子の相互の理解が深まった。先生方はどう思うかわからないが、不登校で良かったという話をすればいいのではないかと、ぼくは思っている。今、振り返ると、まったく意識はしてなかったが、ぼくは、娘の不登校に対して、けっこういい対応をしてきたように思う。せっかく、こんな体験をさせてもらったのだから、同じような境遇の親子がいれば、役に立てるのではないかと思っている。明日も、息子さんが不登校だということで悩んでいるお父さんとお会いする。「わがままなあなたがいちばん」を購入してくださった。同じような体験をした仲間として、じっくりとお話を聞きたいし、お話ししたいと思う。
2015年06月26日
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5月6日から始まった不登校大学の30講座が終了した。19講座に参加できた。欠席した講座は、ネットで受講できるのがありがたい。これからは、いろいろなタイプの学校が出てくるだろうなというのを、この講座を受けて感じた。そうならざるを得ない。そうしないと、不登校の子どもはますます増えてきて、収拾がつかなくなってしまう。そもそも、世間一般の学校というのは、人間をある枠の中に入れるために作られた。権力のある人たちが扱いやすい人間を作るのが目的だったわけだ。号令ひとつで、一列に並ぶわけだから、こんなにも扱いやすいことはない。その枠にはまらない人間は、問題児として徹底的に矯正されたり、どこかへ追いやられたり、病気にされてしまう場合もある。わが家は、長女と三女が不登校だし、次女も学校へは行ったけれども基本的に学校嫌いだったけれども、これは、困ったことではなくて、頼もしいことなわけだ。権力者の言いなりにならない反骨心の証拠だ。自立心があって、独立心があって、自分なりの価値観をもって生きていける素質があるということだ。そういう子を、ある標準に入れようと努力しても、そこには軋轢が出るばかりだ。標準とか普通とか当たり前とか平均とか人並みとか、早く、そこから脱することが必要だ。最近聞いた、大好きな話。ある自閉症の人。その人は、いつも手をばたばたさせて走り回っている。彼は、ある異才のアドバイスによって、農業で生きる道を見つけた。トマト畑で、好き勝手に走り回るというのが彼の仕事だった。仕事と言っても、いつもやっていることを、畑の中でやるだけ。広い畑なので、彼にとってはかえって気持ちがいい。彼が走り回るおかげで、トマトの収量がものすごく増えた。彼は何をしたのか。ミツバチの代わりに、受粉を手伝うという役割を果たしたのだ。これも立派な仕事だし、そのことで彼は褒められていいわけだ。それまで、じっとしてなくて困った困ったと言われるだけの彼の特性。それが、ちょっとした発想の転換で、彼は彼のままで人の役に立てるようになる。「落ち着きがない」という短所の裏には、「頭の回転が早くて行動力がある」という長所があり、「頑固者」という短所の裏には、「自分流を追求し、何事もやり遂げるまで粘り強くやれる」という長所がある。長所の裏には短所があり、短所の裏には長所がある。だから、短所だと思えばひっくり返して裏を見る。これが長所だと思えば、それを伸ばしていく。そうすれば、長所だらけになるというわけさ。
2015年06月25日
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長女は、今年の4月に20歳になった。中1のときに学校でいじめがあって不登校になった。朝になるとお腹が痛いと休みがちになり、親は、何とか学校へ行かそうと、なだめたりすかしたりした。腹も立ったし、混乱もした。ある朝、彼女は、ぼくの部屋へ泣きながらやって来た。手には、英語の辞書をもっていた。「お父さん、これ見て」と、見せてくれた。カバーが、セロテープで何重にも補強してあった。だれかにこんなことをされたと、彼女は打ち明けた。カッターで、カバーが切り刻まれていた。かなり前から、嫌なことが彼女の身の回りで起こっているようだった。美術の試験の前に色鉛筆がなくなっていたり、筆箱の中に、べっとりとボンドが塗られていたり、給食の牛乳のパックにコンパスの針で穴が開けられていたり、エナメルバックのショルダーの部分が切られていたり。そんなことから、学校へ行くのをやめた。これから、この子はどうなるのだろうか。ぼくも家内も、不安でたまらなかった。埼玉から東京へ引っ越しをした。新しい学校へ通い出したが、1ヵ月で行けなくなった。適応指導教室へ通いながら、高校をどうするかを模索した。東京へ越したのが功を奏した。東京には、都立のチャレンジ校というのがあり、中学時代に不登校だった子でも進学がしやすいシステムがあったからだ。今、彼女は奈良の大学へ行っている。慣れない一人暮らし。果たして、学校になじめるのだろうか?友だちとうまくやっていけるのだろうか?心配は尽きなかった。しかし、学校は楽しく行っているようだし、アルバイトもずっと続いている。おととい、成人式の写真を撮るために帰って来た。体調を崩して、写真はキャンセルになってしまったが、昨晩は、元気になったので、みんなで食事に行った。長女が、「今日は、私がごちそうするから」と照れくさそうに言った。「母の日と父の日ね」この数ヶ月、アルバイトをずいぶんとがんばって、給料がたくさん入ったのだそうだ。こんなうれしいことないな。親として、十分にやってあげられたか、自信はない。彼女を傷つけてしまったこともあるだろう。でも、こうやって20歳になって、お父さん、お母さん、妹たちにごちそうすると言えるようになった娘は、ぼくにとっては誇りだ。ぼくと家内の子育ては間違ってなかった。本当に、人生は山あり、谷あり。いじめや不登校で悩んでいたころは、こんなふうに展開するなど、想像もできなかった。悪いことばかりが頭に浮かんで、悩みはどんどんと深まっていった。日々、身のまわりで起こる出来事が、宇宙の法則を教えてくれている。悪いことばかりは続かない。それどころか、悪いと思っていたことが、大きな喜びへと変わることはいくらでもある。目先のことで一喜一憂しない。しないのは無理だとしても、短時間の悩み、喜びとして、すぐにいつもの自分に戻って、淡々と生きていく。どんなことにも感謝。すべては、波のように、振幅をもって、進んでいく。すべては、いいことに向かって。
2015年06月22日
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フリースクールやホームエデュケーションも、学校と同じ扱いにしようという法案が、国会に出されるそうだ。学校へは行けないけれども、フリースクールで伸び伸びと学んでいる子はたくさんいる。この法案が通れば、そういう子たちも、学校へ行っていると認められ、経済的にも国の支援を受けることができる。フリースクールへ行っていると言うと、学校へ行けない子ということで、肩身の狭さもあった。しかし、多様な学びの場が認められれば、フリースクールも学校と同等になるわけだから、堂々としていればいい。ホームエデュケーションも、家を拠点にしながら、やりたいことをやっていれば、それが、学校へ行っていることと同じに認められるのだから、これも、気が楽になる。今の硬直した学校制度に風穴を開けることができる大きな改革だと、とても期待がかかる。ただ、親の側から見れば、いくらフリースクールが学校と同等だと認められても、子どもが学校へ行かないというのは、大きな不安と恐怖がつきまとう。将来はどうなるのだろうか?社会に適応できるのだろうか?自分自身のことを振り返ってみても、この不安、恐怖は根強いものがある。制度を変えていくと同時に、親の世代の学校に対する思い込みを、解いていかないといけない。制度が変わろうとしているこの機会に、冷静になって学校のことを考えてみるといいだろうと思う。学校へ行くということは、将来のための、何かの保証になっているのだろうか。そんなことはないな。まわりの大人を見ればいい。きちんと学校へ行っていれば幸せになっているだろうか?幸せな人もいれば、幸せじゃない人もいる。学校へ行かなかった人は不幸なのだろうか?幸せな人もいれば、幸せじゃない人もいる。必ずしも、学校へ行くことと幸せとはリンクしていないのだ。まずは、学校へ行かなければいけないという強迫観念から、親が早く脱する必要がある。親の考え方が変わると、子どもも自由になれて、不思議なことに、その子に適したいい学校に巡り合えたりする。人生に大きな影響を与えるようなすてきな先生との出会いがあったりする。子どもが自分の進みたい道を、自ら見つけ出したりする。昨日、聞いた話。元不登校の30代後半の女性。彼女は、結局、中卒の資格しかなかったが、保育士になりたくなって、その時点から、一生懸命に勉強して、高卒資格をとり、通信教育の短大を出て、保育士になった。「集中して勉強しました。勉強するってこういうことなんだって、このとき初めて知りました」と、笑っていた。今は、2人の子育てをしながら、保育士の仕事もしている。幸せな30代を過ごしている。元不登校の30代後半の男性。しばらく引きこもっていた。彼の学歴は中卒だが、今は、飲食店、内装工事といった4つのお店のオーナーだ。「学校へ行かなくて良かったなと思うのは、固定観念に縛られずに行動できたことですかね。お店を出すときにも、こんなところに出してもだれも来ないよ、とみんなに言われましたが、ぼくはそうは思わなかったので、そこにお店を出しました。けっこう、お客さんは来てくれますよ」と言う。「40歳になったら、店を全部閉めて、京都に引っ越して、また、一からお店作りをしようと思っています。すごくワクワクしています」何ともたくましい生き方じゃないか。ぼくは、決して学校へ行かないことを奨励しているわけではない。いい学校はいっぱいある。すてきな先生はいっぱいいる。上の2人も、地域の学校へは行けなかったが、フリースクールへ通って、気の合う仲間に出会い、すてきな先生に出会い、いい体験をしたことが、たくましく生きるエネルギーになっている。そういう学校や先生に巡り合えればいいけれども、そうじゃない場合は、学校へ行かないという選択もあるんだということを頭に入れて、自分に合った居場所を、親と一緒になって探してほしいと思う。
2015年06月15日
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子どもが学校へ行かなくなると、大抵の親はあたふたしてしまう。ぼくもそうだった。何だろうね。学校へ行かないと、もう将来が真っ暗みたいな気持ちになってしまう。恐ろしい洗脳だね。親だけではなくて、先生も、学校へ行けないということは、人生をドロップアウトしているというふうに、信じ切っているようだし。そんな中で、学校へ行きたくないと言い出すのは本当に勇気がいることで、どんな思いで、行きたくないと告白したのか、長女が泣きながら、話をしてくれたときのことを思い出すと、今でも胸が痛くなる。今、ぼくが思うことは、「待つ」ことの大切さ。学校へ行かせようと、いくら言葉であれこれ言っても、それが子どもの心に響くことはない。逆に、心を傷つけ、親との間の信頼関係が崩れるもとにもなってしまう。親が不登校のことで口論したり、学校や先生を責めるのも得策ではない。自分の選択が原因で争い事が起こっているというのは、結局は、勇気ある選択を否定されていることにつながるのだから。「行きたくなければ、行かなくていいよ」のひと言でいい。「待つ」というのは消極的に思えるけれども、決してそうとばかりも言えない。「待つ」と決断することは、「待つ」という行動をすることであって、すごく積極的なこととも言える。青虫が成虫になるとき、さなぎという段階がある。さなぎは、ただじっとしているだけだから、何もしてないかのように思えるが、さなぎの中では、華麗なる変態の準備が着実に行われているのだ。子どもが不登校になって、待つという選択をした瞬間、親も子どもも、さなぎになれる。すてきな変態へのスイッチが入ることだ。鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎすの徳川家康は、決して消極的な人ではない。これこそ、積極的な待ちの姿勢のお手本であり、だからこそ、江戸幕府というすばらしい蝶となって羽ばたけたのだ。積極的に待っていると、必ず、親にとっても子どもにとっても、もっともいい方向へと進むきっかけが現れる。それが、とてもいい学校が見つかるということだったりもするわけで、そういうときは、その学校でお世話になればいいわけだ。したたかに、柔軟に。学校は、人生の一部でしかない。不登校で悩む親にも本人にも読んでいただきたい。「わがままなあなたがいちばん」
2015年06月13日
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白梅学園大学の学長、汐見稔幸先生の講義をお聞きした。テーマは、「学校の歴史と不登校」。1時間ほどの短い講義だったが、なぜ、子どもたちが学校へ行きたがらなくなったのか、「そういうことか」と、納得できるお話しが、満載だった。学校が大きく変わったのは明治維新から。だいたい、それまでは、庶民は寺子屋で勉強をした。読み書きそろばんを、わいわいと楽しみながら、学ぶ場だった。ところが、明治になって、新しい教育システムができた。寺子屋は、細々と続けるところもあったが、次第につぶれていってしまう。義務教育が始まったのが明治5年。新生日本は、大きな命題を自分たちに課した。西欧に追いつけ、追い越せ。まさに、坂の頂上まででは満足できず、空に浮かぶ雲にまで手を伸ばそうという勢いで走り出す。そこで、教育がとても大切になってくる。西欧に追いつには、まずは軍事力をつけないといけない。産業革命を起こして、近代的な工業国にしないといけない。これが、2大テーマだ。学校は、そのためにも重要な機関で、日本人を子どものうちから、国家権力に従順で、使いやすい道具に仕立てあげる。表には出ないが、そんな目的を底辺にもって、教育のシステムやプログラムが作られたのだ。運動場を作って、体育の授業を重視したのも、そのひとつ。体力をつけさせるためだ。その成果を、運動会で発表するわけだ。「健康優良児は真っ先に戦死した」なんて、タイトルで本が書けるかもしれない。それともうひとつが、言語。当時の日本は多言語国家で、東北の人と九州の人では話がまったく通じなかった。それでは、国が一体となれないので、学校を通して、同じ言葉を話す教育をした。それが、いまだに続いている。そして、そういう意図を知らなくても、子どもたちは、徐々に窮屈さを感じるようになってきた。「学校嫌い」「登校拒否」「不登校」と、名称は変わってきたが、学校へ行きたくないと言う子は急速に増えてきた。こうやって学校の歴史を見てくると、学校へ行きたくないと感じるのは、実は、すごく正常な神経なんじゃないかと思えてくる。近代日本は、資本主義を突き進めてきたけれども、ぼくが読んだある本によると、資本主義の発展に必要な人間というのは、「不安にとりつかれて欲望を無限に肥大化させる人間」「何のためには問わずに、闇雲に動いてしまう人間」だそうだ。学校へ行かないのを不安に思うことも、何のために学校へ行くかも問わずに、ただ行くことに重きを置く神経も、資本主義の発展のためには大いに役立っているわけだ。でも、人間としての成長としては、果たしてどうなのだろうか?子どもが学校へ行きたくないと言い出したときには、こういうことも考えて、子どもと語り合えるのもいいかもしれない。
2015年06月12日
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不登校というのは、精神的な病気だと思われていた時期があって、80年代というのは、学校へ行かなくなると、入院させられるということにもなっていたそうだ。ひどい話だ。そんな歴史のある不登校だから、今でも、とてもネガティブにとらえられている。子どもが学校へ行かなくなると、親は何とか行かそうとする。それでも行かないと、悩み、悩み、悩み・・・。毎日が真っ暗闇になってしまう。(ぼくも悩んだからよくわかります)学校へ行かない子どもは、行けないことで、コンプレックスをもってしまう。自分は学校へも行けないダメな子だと、思い込んでしまう。障がいをもっている人たちも同じ部分はあると思う。近代社会というのは、経済的な生産性の高さが、人の価値だとされてきた。そういう尺度で見れば、寝たきりの人とか、体が不自由だったり、多くの人のできることができないというハンディがあれば、それは、人間的な価値を下げることであり、本人にとっては、やはりコンプレックスになる。高齢者もそう。若さがもてはやされるのは、若いほうが、経済的な生産性が高いと思われているからだ。さまざまな体験を積み、知識や知恵が豊富な高齢者が、ただ肉体的に若くて元気なだけが取り柄の若者より劣っているって変でしょ。「強者」「弱者」という言葉はあまり好きじゃないけれども、生産性が落ちると、弱者にされてしまうのが、現代の構造だ。世間が、この人は弱者だというレッテルを貼ると、人間というのは、けっこう律儀にできていて、その期待に応えようとして、弱者を演じ、本当に弱者になってしまうものだ。不登校の話に戻すけれども、学校へ行かないのは、決して弱者ではない。弱者とか弱虫とか落伍者と、思わされているだけのこと。それは、生産性を高めるためのシステムに適合しないから。工場で企画に合わないものが検査ではじかれしまうようなものだ。不良品というレッテルを貼られて。そんなこと気にしないで、不良品のままで生きていけばいい。でも、現代の社会システムから外れてしまったことへのコンプレックスは根強いものがあって、口で大丈夫だと言ったって、一時的な慰めにしかならない。これを、何とかしないと、弱者という枠からは逃れられない。弱者から脱出するには、不登校に理解のある大人のサポートが必要だ。一つには、自分は弱者ではないという体験をする。困難を乗り切るとか、こんなことができるじゃないかという体験をする。スポーツとか山登りとか勉強でもいいし、何かチャレンジすることだ。そのときに、「お前たちは弱虫なんかじゃない。やればできるんだ」と、力強く応援してくれる大人が必要だ。それと同時に、もうひとつ重要なことがあって、仲間がいるということ、親や先生が支えてくれている、守ってくれている、味方になってくれているということを、実感することだ。そのためには、まずは親が変わらないといけない。この子は学校へ行けなくてダメな子だ、何とか学校へ行かそう、という思いから、早く脱する。そうしないと、一番身近で、味方になってほしい親なのに、間に壁や溝ができてしまう。親は、自分で悩みを抱え込んでいては、ここから脱することは難しい。どんどんと泥沼にはまっていくばかりだ。今は、あちこちで不登校の親の会があるから、参加してみるといい。ただ、学校へ戻しましょうとか、不登校の子が学校へ戻って良かったねという話は、あまり役に立たない。逆効果になることがある。悩み抜いたけれども、親が不登校を受け入れて、学校へ行かないことを悪だとは思わなくなり、今では、不登校の子どもを誇りに思っているというくらいの話を聞かないと。そうやって、徐々に不登校コンプレックスから、親も子も脱していくことだ。その過程の中で、当たり前の教育システムではない学校に協力してもらうということもありだ。フリースクールだったり、特殊な方針で子どもと接している学校だったり。子どもに合ったところがあるはずだから。不登校が悪いのではない。不登校によって植え付けられるコンプレックスが問題なわけで、そこに焦点を当てて、不登校は、親にとっても子にとっても、成長のチャンスだととらえて、脱コンプレックス。これが果たせれば、「強者だ」「弱者だ」「勝ち組だ」「負け組だ」と、しょうもないことを考えない、いい生き方ができるようになるわけだ。
2015年06月11日
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わが家には、3人の娘がいて、この春、一番下が高校に入ったが、とにかく、受験とは無縁の子育てだった。ぼくは、自分ではあまり勉強しなかったなあと思ってきたが、あいつらを見ていると、けっこう勉強したなと、自己評価が変わった。三女など、高校へ入ってから、「お父さん、勉強の仕方教えてくれる」と言い出すくらいだから、どれくらい勉強しなかったわかるというものだ。3人が進学した高校は、長女と次女が都立のチャレンジ校。8割くらいが不登校を体験している子という学校だ。不登校対策として設置された。中学校へ行っていないから、内申書もないし、学力も不十分。そのため、チャレンジ校の入試は、自己申告書と作文と面接で行われる。それぞれ、どういうことを書けばいいか、話せばいいか、ある程度の傾向と対策があるので、そこをしっかりと押さえておけば、合格できる。もっとも、最近は、倍率も高くなってきているが。三女が進学した武蔵野東高等専修学校は、ここも不登校体験者が多いところ。さらに、自閉症の子が半分くらいいるという、珍しい環境の学校で、三女は、小学校6年生のときにこの学校が気に入り、その気持ちを貫いた。受験という面では、ここも面接だけ。親子ともども、この学校のことを理解して、本気でカリキュラムに取り組むやる気があるかどうかが大切にされている。だから、三女も受験勉強はしていない。次女は、きちんと中学校へも通っていた。ソフトボール部でも部長でがんばっていた。でも、勉強が嫌いで、高校選びの基準として、まず、受験勉強をしなくていいところ、そして、私服で化粧ができるところ、さらに、授業が早く終わってバイトに精の出せるところ。この3条件で決めた。こんなとんでもない条件を出しても、それに当てはまる学校があるというのが、東京のすごいところだ。今、3年生だが、何とか卒業できそうな感じだ。よく休む。ぎりぎりで進級してきた。ぼくは、次女に対しては、学校へ行けとは一切言わない。彼女が学校へ行っている意味は、やんちゃで、世間から見れば、問題のある子だと見られがちな子たちの中にいるからこそ、学べることがいっぱいあるからだ。進学校にいる子たちと比べれば、勉強もできないし、ひねくれたところもあるかもしれない。しかし、優等生にはないすてきなところもいっぱいある。次女は、勉強などこれっぽちもしないけれども、たくましさを身に付けつつある。卒業したら、進学もしないし、就職もしない。ピースボートに乗って世界一周をしてから将来は考えると言っている。人の下で働くのは嫌だから、自分でお店をもつんだというのが彼女の夢。そういう夢があるから、バイトもがんばっている。お金を稼ぐだけのバイトではなく、バイトという立場でありながら、経営者の視点ももって、自分なりにああすればいい、こうすればいいと考えてもいるようだ。親から見れば、危なっかしいところもあるけれども、ぼくが彼女よりも10歳以上も年が上のときに感じたことを、彼女は17歳で感じて行動しているわけで、ここは、危なっかしいというより、頼もしいと見ることにしている。自分が高校生のころは、どこの大学に入れるだろうかというくらいしか興味がなかった。その先など、考えてもなかった。ぼくなんかより、はるかに広い視点で自分のこと、将来のこと、社会のことを見ている。うらやましい限りだ。子どもは、親の枠を超えて、どんどんと成長していく。親は、ちょっとさみしいけれども、それを喜ばないといけない。まあ、ぼくにはぼくのやるべきこと、やりたいことがあるから、あいつらが自分勝手にやってくれることは、それはそれで、自由になってありがたいことだ。思う存分、やっておくれ。
2015年06月10日
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子どもが学校へ行かないと言い出したとき、親は、何をすればいいのか。「いいよ、いいよ」というわけにはいかない。理由を問いただしても、きちんと答えられる子は、いないだろうと思う(言いたくないこともあるし)。これを機会に、学校について、子どもと話し合ってみたらどうだろうか。ぼくの場合、子どもにとっての学校の意味を大事にしたいと思っている。本当に、その学校に、無理してでも行くだけの意味、価値があるのかどうか?みんなが行くからとか、学校くらい行けなくてどうするとか、学校へ行くのが当たり前だからとか、まわりの目が気になるとか、行かないと親が困るとか、そんな理由で無理に学校へ行かそうとすると、子どもの心は確実にスポイルされてしまう。嫌だと言っているのに、それも行かせる価値。娘が不登校になったとき、中学には、それだけのものがあるとは、ぼくには思えなかった。娘も、私は行きたくないと、はっきりと意志表示をしていたので、もう行かないという選択しかなかった。(長女のときはさまざまな葛藤があったが)次女は、ソフトボールを一生懸命にやっていた。勉強は嫌いだったけれども、ソフトボールをやるだけでも行く価値があったと思った。だから、勉強に関しては、口出しはしなかった。でも、ソフトボールは、試合には必ず行って、一生懸命に応援した。三女は中学時代は不登校だったが、高校へ入ってからは、一日も休まず通っている。彼女の通う学校は、ぼくから見て、行く価値のある学校だ。三女にとっても、まだ2ヶ月ほどだが、自分が成長するのを実感できているのだと思う。ぼくは、三女に聞いてみた。どうして、この学校へは毎日通えるの? と。そしたら、彼女はこう答えた。厳しいけど、先生が本気になってかかわってくれるから。子どもたちは敏感だ。先生が、どう自分たちにかかわってくれているか、しっかりと感じ取っている。そう言えば、次女のソフトボールの監督は、授業にはあまり力が入っていなかったようだが、ソフトボールに関しては、人生をかけて取り組んでいた。だから、子どもたちにも妥協を許さない。徹底的に鍛え上げて、ボールを投げたこともない、バットなど振ったことのない子どもたちを、2年で一人前にして、毎年、都大会に出場させていた。ああいう一生懸命さに、子どもは心を開き、心引かれるのだろう。三女は、ラグビー部のマネージャーになった。監督は、名物監督。厳しいのを通り越しているほどの人。子どもたちは徹底的に鍛えられる。だけど、その厳しさの奥にあるものを、子どもたちは感じている。もし、何かあったら、あの先生は、命をかけて自分たちを守ってくれる。そんな信頼感が、子どもたちにはあるのだろうと思う。熱血指導には、賛否両論、いろいろな意見もあると聞く。合わない人には合わないかもしれない。でも、うちの娘には、見事にはまった。まだ入学して2ヶ月ほどなのに、日々、たくましく変化しているのがよくわかる。子ども本位に考えるということは、子どもがいかに成長するかを考えることだ。そんな場を探すのは、親の役割ではないだろうか。行く意味のない、価値のない学校なら、通わせない方がいい。今は、ホームエデュケーションと言って、家で学ぶ方法もある。フリースクールだっていい。行かないという選択も含めて、どうすればこの子が、成長の喜びを感じながら日々を過ごすことができるか。それを、大事にしたいものだ。
2015年06月09日
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「わがままなあなたがいちばん」は、女子中学生のえりちゃんが、不登校になってしまって、自分らしく生きるとはどういうことだろうかと、ずっと悩み続け、結局、納得するまで学校は休もうと決める話。長女が生まれて間もないころに出した物語だが、10数年後に、長女が本当に不登校になってしまって、ぼくはあたふたしてしまった。そのときに、この本を読み返してみて、とても心が軽くなるのを感じたので、家内と作ったばかりの会社で、再び、世にすことにした。子どもが不登校になったときに不安になることは、学校も行けなくて、この子は社会に適応できるのだろうかということ。これは、子どもが不登校になったのを体験している多くの親が感じていることのようだ。今、わが家の長女は、お陰様で、自分のやりたいことを大学で学んでいる。ちょっと変わった子と思われてはいるだろうが、それでも、社会の中できちんと暮らしている。今は、無理して行かさなくて良かったと思っている。不登校というのは、自己表現のひとつの手段だ。不登校の子は、原因はさまざまだけれども、学校へ行きたくなという自分の意志をきちんと行動で表現できる子だとも言える。そして、その根底には、自分は何のために生きてるのかとか、自分らしさって何だろうという、とても重要な問いかけがあるのだと思う。これは、その子が大きく成長するための芽だ。学校の中で、まわりに流されて、世の中の価値観に埋もれてしまっては、なかなか出てこない芽だ。これを大事に育ててあげないといけない。芽を育てるための基本になるのが、家族との信頼関係だろう。不登校というのは、子どもにとっては、命がけのメッセージだ。だれもほめてくれない、理解してくれない道を選ぶのだから。それを、親はどう受け止めるか。ぼくは、最初、学校へ行かない娘に、無性に腹が立ち、なだめすかして、何とか学校へ行かそうとした。そのときの子どもの気持ちはどうだろうか。そんなことを考える余裕などなかったが、今は、はっきりと言える。なぜ、親は自分の気持ちをわかってくれないのか。何を大切にしているのか。彼女は苦しかったはずだ。それがわかってあげられなかった。自分の都合だけで動こうとしていた。そんなところに、信頼関係は生まれない。子どもが不登校になったとき、親がもっとも考えたいのは、学校へ行かないことにコンプレックスをもたさないこと。学校へ行けなくなると、自分はダメな子なんだ、人よりも劣っていると、どうしても思ってしまう。学校へも行けない子は弱い子、かわいそうな子。あるいは、病気だとさえ思われているのだから。だけど、本当は、自分らしく生きようとする強い子だし、早くからそんなことを考えられるのは恵まれた子だ。もちろん、それが病気であるはずがない。強く生きるには、自分はこれでいいんだと思えるようになることだ。そう思えた子は、外からのさまざまな圧力に耐えることができる。人に合わせて生きなくていい。愛想笑いなんかしなくていい。嫌なことは嫌だと言える。それが、実は、自分を大切にすることでもある。学校へ行かなくても大丈夫な道は、これからもっともっと開かれてくるはずだ。安心して学校を休めばいい。ぼくは、そう思っている。
2015年06月08日
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「中学校までは、子どもには学校へ行く義務があるんだよ。義務教育だから」と、思ってきた。でも、これは大きな勘違いのようだ。憲法第26条第2項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」つまり、義務があるのは、保護者ということで、子どもではない。そして、第1項には、こう書かれている。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」子どもにとっては、学校へ行くことは「権利」だと言うことだ。義務と権利とでは偉く違うぞ。義務だったら、「行かないといけない」わけで、学校が威張っていればいいけど、権利だったら、子どもの方が威張れる。行きたくなければ、行かないという選択をしてもいいということだ。さらに発展的な人は、26条の第1項は、改正すべきだと言う。「教育を受ける権利」ではなく、「学習の権利」とすべきだと言うのだ。教育というのは、与えられるもので、学習は、自らすすんでやるものだということで、学校は、「教えてやる」という態度ではなく、楽しく、喜びをもって学ぶ場となるべきだという話だ。大人でも子どもでも、勉強させられるのは嫌だけど、自分が興味あることは、やれと言われなくてもやるわけだ。だれにでも、学習しようという意欲はある。だから、それをどうやって喚起させるか。うちの娘たちは3人とも見事に勉強嫌い、学校嫌い。でも、長女は、大学で自分の好きなことを一生懸命に勉強している。そして、好きなことをもっと勉強したくて、苦手な英語もがんばっている。次女は、中学校のときに、先生に「私は勉強をするために生まれてきたわけではありません」と、勉強しない宣言をしたツワモノだ。高校でもまったく勉強しないが、それでも、好きなネイルとかファッションとか、それに最近は手相も、自分のペースで勉強している。高校を卒業したらピースボートで世界一周をすると決めていて、少しずつだが、英語とか地理も勉強している。三女は、今、漢字の勉強をしてるんだと、漢字検定に出るような難しいのを、すらすらと読んでくれた。彼女の場合は、漢字に興味があるわけではないが、覚えてみようという雰囲気が学校にあって、やらされているという感じではなく、自分からすすんで学んでいる。だから、覚えられる。中学校のときは、毎日、ノートに漢字を一行ずつ書かされていたが、そんなのでは覚えられない。だって、つまんないんだもの、と言うわけだ。正直、「大丈夫か、こいつら」と心配したこともあったが、どうも、大丈夫そうだ。彼女たちは、教育を受けるという面では非常に劣ったところがあるが、学ぶということでは、決して劣っていないわけで、それがあれば、何も心配はいらないということが、この数年間で、腹におさまった。だれにでも、いつか、どこかで、何かを学ぶチャンスが必ずくる。親は、それを、「鳴くまで待とうほととぎす」でいいということだろうと思うね。
2015年06月04日
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不登校大学という、集中講座を受講している。不登校をテーマにした30講座を、2ケ月間で受ける。土曜日は2コマ、日曜日は3コマあった。土曜日は出られなかったが、昨日は、しっかりと3コマ、受けてきた。面白いのは、不登校は悪くないという立場から、専門家がお話してくれることだ。だいたい、不登校というと、問題行動ということになり、いかにすれば学校へ行けるようになるかという話になりがちだが、その視点だけではまったく不十分だ。学校へ行かないのは悪いことだという考え方は、とても根強い。その理由は、1983年にさかのぼる。当時の文部省が、ある精神医学の権威の書いた報告書を、全国の学校に配布した。それはすごいよ。当時は、登校拒否と言ったのだが、悪いのはすべて本人と家庭。学校や教師のあり方については、強くは言及されていない。たとえば、養育者の性格的傾向として、父親・・・社会性に乏しく、無口で内向的であり、男らしさや積極性に欠け、自信欠如である。母親・・・不安傾向をもち、自信欠如、情緒未成熟、依存的、内気であるといった場合には、・・・一般に子どもに対する態度が過保護なものとなりやすい。1989年には、その権威ある精神科医は、「不登校を放置しておくと、成人になって”無気力症”になる」という発表をして、それが、新聞の一面でそれが報道されるということもあった。不登校=悪という図式が作り上げられていく。ところが、1992年には、それはちょっとおかしいぞということになり、「不登校はだれにでも起こるうること」というスタンスに指導の転換が行われた。しかしながら、その流れはすぐに遮断され、今は、また1983年のころの考え方、見方が主流になっているというわけだ。わが家では、長女と三女が不登校。適応指導教室へ通った。親身に相談に乗ってくださって、ありがたかったが、先生方の基本に、この子は学校へ行けないかわいそうな子なので、学校へ復帰させてあげないといけない。そのためには、親にも問題があるから、親も子どもに厳しく接してくれないといけないといったような、姿勢があったので、違和感はずっと感じ続けていた。これも、1983年の亡霊だ。学校というのは、親や先生といった大人にとって都合のいい子ども作りをする場所という意味合いが、いつからか強くなっている。ひょっとしたら、学校というものは、もともと、そんな意図で作られたものなのかもしれない。かつては、国とか軍に滅私奉公する人間を作り、戦後は企業に都合のいい人間作り。つまりは、ある意図をもった管理システムにきちんとはまる人でないといけない。そして、そのシステムから外れると、落ちこぼれというレッテルをはって、本人にも子どもにも不安と恐怖を植え付ける。そういう心理作戦で、庶民を縛り付けてきた。ぼくたちはそこから解放されて、純粋に学ぶこと、成長することを喜べる場作りをしないといけないのだろう。ただし、学校が悪い、先生が悪い、文科省が悪いと言っていても始まらない。まずは、自分と自分の子どもを守ることが大切なこと。学校も、千差万別だ。100点満点の学校なんてあるわけがない。でも、いわゆる普通の学校が30点なら、50点の学校、70点の学校というのは見つかるはず。そういう学校を見つけて、上手に学校とかかわっていくことが大切だと、ぼくは思っている。熱い思いをもっている先生だっている。三女は、ある私立の高校へ通っているが、変わった学校で、世間の評判はプラスもあればマイナスもある。でも、ぼくは、何度も学校見学に行き、先生にお会いして、この学校は、三女には合っていると思えたし、本人もとても気に入っていたので、ここは、彼女にとっては行く価値のある学校だと判断した。いろんなことが学べる。体験できる。成長できる。だから、「休んでいいよ」とは言わない。3年間は、禅寺に修行に出したつもりで、皆勤を目指して、親子ともども、ちょっと異質な高校生活を楽しませてもらうつもりだ。不登校は悪いことではない。しかし、世間はそうは見てくれないし、本人や家族も、まるで悪いことをしているかのような気持ちになってしまうのも事実だ。無理に、悪くないと思い込もうとするのも苦しいから、もっと気楽に、この子に合う学校を探してみようと、動けばいいのではないだろうか。手間はかかるかもしれないが、必ず見つかる。そして、不登校は、親と子どもの絆を太くするチャンスでもあるということも、忘れてはならないことだ。
2015年05月25日
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氣歩の高校生活も2週間以上が過ぎた。今は、部活の仮入部の時期だ。「ラグビー部に入る」と決めたみたいだ。ラグビー部と言っても、プレーをするわけではない。マネージャーになる。氣歩の通う学校は、とてもユニークで、何しろ、生徒の3分の半分近くが、自閉症や発達障がいと診断されている子、残りが、不登校経験者や高校中退者など、わけありの子ばかりなのだ。そして、そのうちの半分がラグビー部に入る。ラグビーが、教育の一環になっている。小学校中学校で挫折を体験した子を、3年間で立派な社会人に育て上げるというミッションをもって、教師たちが一丸となって、子どもたちを育て上げていく。親たちも、それをサポートする立場で、学校とかかわっていく。ラグビー部には、強制的に入部させられるわけではないが、ミッションを果たすための手段として、この学校の教育の柱となっている。卒業時には、すべての子の進路が決まっている。社会適応の困難な生徒たちが多い中での100%だから、先生たちがいい加減な気持ちでかかわっていては達成できるものではない。ラグビー部に入ると、ほとんど休みがない。夏休みもずっと合宿だ。マネージャーと言えども、夏は真っ黒に日焼けしながら、グランドを駆け回り、部員の面倒を見る。氣歩に聞いた。「なんでラグビー部に入ったの? 休みの日は、かっこちゃんの講演会とかあるし、筆談・指談を広げる活動もしたいって言ってたのに」確か、入学前は、茶道部に入ると言っていた。どんな心境の変化があったのか?彼女がラグビー部に入ると決めたのには2つの理由がある。ひとつが、「後悔したくないから」。中学時代、演劇部でがんばっていたが、中2の3学期から学校へ行かなくなって、演劇部も中途半端に終わってしまった。演劇部は、氣歩が3年のときには、全国大会まで行っている。葛藤の中で考えに考えて、学校へ行かないと決めたのだが、仲間が活躍しているのを見るのは、とても悔しかったようだ。厳しいけれども、3年間を燃焼できるラグビー部に入らないと、中学時代と同じような悔しさを感じるのではと、本人は思ったのだ。もうひとつが、「強くなりたい」ということ。話を聞いていると、ラグビー部で3年間を過ごすことで、子どもたちは、相当、鍛えられるみたいだ。肉体的にも精神的にも、プレーヤー、マネージャー、自閉症の子、すべての子がものすごく成長して卒業する。氣歩は、自分の夢をかなえるためには、精神的に強くならないといけないと、すごく感じている。かっこちゃんや優さん。白雪姫プロジェクトをリードしている人たちは、本当に強い人たちばかり。今は、氣歩も高校生だから、強さは求められないけれども、これから、本当に白雪姫プロジェクトの役に立つ人間になるためには、かっこちゃんや優さんに依存するのではなく、自分も強い存在にならないといけないと、心に期するものがあるように、ぼくには感じる。せっかく氣歩がラグビー部のマネージャーをやるなら、ぼくも楽しませてもらおうと思っている。親の親睦会もあるようで、そこへも顔を出し、たまには練習のお手伝いをするのもいいかな。とにかく、氣歩の決意を精いっぱい応援していきたい。
2015年04月24日
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「学校」をテーマに記事を書くので、2本の映画を見てきた。まずは、「みんなの学校」。これは2回目だが、学校はこうあってほしいと思えるものだ。ドキュメンタリーだから、実際にこういう学校は存在している。大阪市住吉区の大空小学校。ここでは、校長先生をはじめ、教員職員ボランティアの方々が、日々、子どもがのびのびと生き生きと学校生活を送れるにはどうしたらいいか、模索し、行動しているのだ。↑ 「みんなの学校」公式ホームページよりそれにしても、木村泰子さんという校長先生は大したものだ。子どもたちにも先生たちにも、ダメなことはダメだとはっきりと言い、いいことをしたら、思いっきり褒める。「認めるってことは、人と比べてどうのこうのということとは違う。その子がどれだけ成長したかをきちんと見てあげることなんや」そんなことを言っていた。友だちを殴った子が、「もう二度と暴力はふるいません」と誓ったとき、「こんなんできすぎや。でも、この一瞬が大事なんや。あしたまた、暴力をふるっても、昨日、誓ったやろと責めるんとちごて、今の一瞬は、あの誓いは本物やから、この『点』を少しずつ『線』にすればいい」と言うのも、しびれるセリフだ。まわりが受け入れれば、子どもたちはどんどんと変わっていく。受け入れた側も、受け入れられた側も。先生も大変だと思うけれども、大空小学校の先生方のようなまなざしと意気込みをもって、子どもたちと接してくれる学校が少しでも増えれば、子どもたちはもっと幸せになれるはずだなあと、しみじみと思いながら、あったかい気分になった。もう一本が「さなぎ~学校に行きたくない」。これもドキュメンタリーだけど、ちょっと変わった映画で、ある女の子の小学校3年生から大学4年生までを、ずっと撮っている。愛ちゃんという主人公は、小学校に入ってから学校へ行きたくないと、不登校になった。なぜか、その理由はわからない。特に、大きな事件があるわけでもないし、愛ちゃんは、小学校4年生くらいから学校へ行くようになり、6年生のときには、児童会の会長までやるようになる。淡々と時間が流れて行くわけだが、あの不登校の時期というのは、どういう意味があったのだろうかと、見る人たちに問いかける。監督自身も考えたことだろう。監督が出した答えが、「さなぎ」というタイトルで表現されているわけだ。青虫がさなぎになって、やがてはきれいなチョウチョになる。人間にも、さなぎの時期がある。それを、学校へ行かないという形で表現する子もいていいじゃないか。さなぎの時期は、さなぎでいないとダメなのだ。さなぎになってじっとしているのに、「動かなくなって大変だ」とばかりに、外から突いたり、皮をむいたりしたら、チョウチョにはなれないということも起こってくる。大空小学校のような学校だったら、愛ちゃんも行ったかもしれない。でも、愛ちゃんの成長のためには、行きたくない学校があって、さまざまな葛藤の中で、行かないと決めて、そこからスタートするという過程が必要だったのかもしれない。
2015年04月20日
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不登校の子や親にとって、聞いていて胸が痛む言葉がある。「がんばれば、夢がかなう」とか、「挑戦すれば道は開ける」とか、「困難から逃げるんじゃない。歯を食いしばって乗り越えろ」といったもの。そして、学校へ行けないという壁にぶち当たったとき、大事なことは、がんばって学校へ行くことだ。学校へ行けるようにチャレンジすることだ。歯を食いしばって、学校へ行けないという困難に立ち向かうことだ。これができないのは、弱虫。根性なし。もう人生、お終い。まわりも自分も、そう思ってしまうことで、自分は価値のない人間だと思ってしまう。大きなコンプレックスになってしまう。親も先生も、「がんばれ! がんばれ!」というまわりからの大合唱のもとで生きてきた。だから、がんばることこそ、人生最大唯一の成功法だと思ってしまっている。がんばることは、ぼくは大切だと思う。でも、そのがんばりというのは?まわりの人たちにとって都合のいいがんばりじゃない、ひょっとして。平均的な人間になるためのがんばりだよ、きっと。やっぱり、せっかくがんばるなら、自分のためのものじゃないと。たとえば、がんばって勉強していい学校へ行く。それは、果たして、自分がそうしたいと思っているの?親や先生の価値観じゃないの?その親だって先生だって、前の代から、そんな価値観を引き継いだわけだ。自分の本当の価値観じゃないかもしれない。がんばるなら、自分ががんばりたいことにがんばる。学校へ行かないというのは、学校へ行った人にはわからないと思うが(ぼくもわからない一人だった)、決して、簡単なことではない。わざわざマイノリティーになるという選択なのだから。嫌でも、学校へ行っていれば、とりあえずは平穏に時間が過ぎていく。学校へ行きたくないなら、学校へ行かないことにがんばればいい。チャレンジすればいい、まさに、人と違う道を行くのだから、困難に立ち向かっている姿でもあるのだ。決して逃げることではない。学校へ行き続けるよりも、ずっと難しいことだ。親は、子どものその挑戦を尊重する。応援してあげる。それくらいの気持ちが必要だ。それが、親のがんばり。学校へ行かない子を、学校へ行かせるのではなく、学校へ行かなくても胸を張って生きられるような親になり子になる。それが、本当のがんばりじゃないかい。コンプレックスを克服するというのは、できないことができるようになることではない。できなくても気にならなくなることだ。泳げなくたっていいじゃないか!音痴でOK!英語なんかしゃべれなくていい!温泉でも前は隠さない!毛生え薬なんか使わない!ダイエットなんかしない!お金がなくたって楽しいことはいっぱいある!不登校、ばんざ~い!!!!どうせ努力をするなら、そんな人になれるように、ぼくは、がんばりたい。
2015年03月23日
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昨日は、三女が中学校を卒業した。2年生の3学期から学校へ行かなくなった。ずっと、市の学習適応教室に通って、卒業式の練習のために何度か中学校へ行くという3年目だった。それでも、けじめをつけたいという気持ちがあったみたいで、卒業式が終わったら、「すっきりした」と、次に向けて、気持ちが切り替わったみたいだ。思ったよりもたくましい子だと、感心しながら見ていた。長女も中1の3学期から中学時代は不登校。高校は、都立のチャレンジ校(不登校経験者が8割くらいの高校)に、1年目は行ったり休んだりだったが、3年間通うことができて、今は、奈良の大学へ行っている。不登校というのは、家庭のひとつの文化でもあるらしく、兄弟そろって不登校だという家はけっこうあるようだ。子どもが学校を休みがちになったり、行きたくないと言い出したとき、大抵の親は、「どうしてうちの子が」「何があったのだろう」とおろおろしてしまう。何とか行かそうと、なだめたり、すかしたりする。そして、そうこうするうちに、怒りがわき上がってくる。子どもに対する怒り。「学校くらいでくじけていてどうするんだ!」「社会はもっと厳しいんだぞ」。もうひとつは、学校や社会への怒り。まさに、消そうとしても次から次へと込み上げてくる怒り、怒り、怒り。さらには、不安。この子の将来はどうなるのだろうか。このまま、この子はずっと家にこもっているのだろうか。不安が押し寄せる。ぼくは、自分で体験したからよくわかるし、長女がチャレンジ校へ行っていたときには、PTAの役員もやらせてもらっていたので、不登校の子をもった親にもずいぶんと話を聞いた。みんなが同じような経過をへている。ほとんどの人が、同じパターンで、どんどんと悩みの奥に、蟻地獄に落ち込んだかのように、引きずり込まれている。しかし、この蟻地獄からは、ちょっと意識を変えることで、抜け出すことができる。大事なのは、ここは蟻地獄で、もがけばもがくほど、にっちもさっちもいかなくなる、ということを知ること。ここで選択を誤ると、どつぼにはまってしまう。意識を変えるために大事なのは、あまり大きく風呂敷を広げないこと。コンパクトに折りたたんだ中で、ものを考えること。小さなポーチのレベルで考える。社会が悪い、学校や先生が間違っている、教育はこうあるべきだと叫ぶのは、大きな風呂敷。ぼくは、社会や学校、先生たちの考え違いというのは、ものすごく大きいと思っている。社会や学校、先生に言いたいことはいくらでもある。だが、この風呂敷は、個人の手にはおえないもので、いくら切りつけても、のれんに腕押し、ぬかに釘。決して、手におえないからあきらめるというわけではないが、ひとまず、風呂敷は横に置いといて、小さなポーチを開ける。小さなポーチからどんな声が聞こえる?自分の不安や恐怖や迷いが、そこからはたくさんたくさん出てくるはずだ。それを、まずはきちんと聞くこと。耳をふさいだり、ほかに気をそらせるのではなく、子どもが学校へ行かなくなったことへの自分の正直な気持ちをしっかりと見つめる。それがないと、子どもの気持ちを考えると言っても、どこかうそっぽくなってしまうような気がする。ぼくは、自分を見るのが、すごく嫌だった。子どもが不登校になってしまったと、よく相談を受けたことがあった。ぼくは、「それは、子どもの感性が優れているからですよ。今の学校、喜んで行く方がおかしいでしょう」と、笑いながら答えていた。でも、いざ自分の子どもが不登校になったとき、さっき言った通りの、「これって、本当に自分の感情」と思えるようなことが次々と湧き上がってきた。オレって、うそつきやんか。人に対してはあんなにエラそうに言ってて、いざ自分のことになると、ああ情けない。だけど、まぎれもなく、それは自分の感情で、そこから逃げてはいけないという声も聞こえてくる。ぼくは、しばらくは逃げ回ったが、あるときから逃げることをやめた。情けない自分に目を向けた。今は、我が家からは不登校の嵐は去った。しかし、あのときの心の葛藤は大切にしないといけないと思っている。今までの人生の中で、もっとも自分が変われた出来事だったから。そういう思いもあって、5月から、「不登校大学」というセミナーに通う。そうそうたる講師による30講座がある。さまざまな角度から不登校に迫るという企画だ。不登校は、ぼくの人生テーマの重要な柱のひとつだ。もう終わったからいいやではなく、せっかく体験させてもらったのだから、もう一歩、二歩と、奥へ踏み込もうと思っている。そういう中で、少しずつ風呂敷を広げていけるかもしれない。渦中にいるときは、風呂敷を広げれば広げるほど、混乱は激しくなり、蟻地獄からの脱出が難しくなる。まずは、自分の感情を正直に見つめてほしい。自分の価値観からすれば、認められないような情けないものであっても、それは事実だから、受け止めてしまう。そうすると、次が楽になる。ぼくはそう思っている。近日、「不登校新聞」に関する取材記事を、ヤッサンNetworkにアップする予定です。
2015年03月21日
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学校というのは何のためにあるのだろう。映画「みんなの学校」は、学校について、子どもについて、障がいについて、いろいろと考えさせられるドキュメンタリーだった。学校というのは、多くの人の心の中にモンスターとして居座っている。ぼくは、もう7年ほど前になるが、長女が不登校になったときに、嫌というほど、その洗礼を受けた。まさか、うちの子が!この子の将来は真っ暗闇だ!そんな恐怖と不安に襲われてしまった。心の中で巨大台風が荒れ狂う。学校へ行かない娘にも、その原因と見られる嫌がらせをしただれかにも、そして、適切な対処をしようとしない学校や校長にも。得体の知れない怒りが込み上げてくる。そんなネガティブな感情は卒業したつもりでいたけれども、なんだこれはと思えるほど、さまざまな不快な思いがわき上がってくる。「学校へ行かない」「学校へ行けない」ことが、引き金となって、「笑顔が一番」なんて言っていられない自分に変身していく。冷静になってから思い起こすと、あれは何だったのだろうと、気味悪くなってくる。学校が人生を決めてしまうというような錯覚が、ぼくの心にしっかりとこびりついていた。そんなこと、娘が普通に学校へ行っているときには、気がつきもしなかった。行かなくなって初めてわかった、自分の心にすみついている学校という魔物。学校そのものが悪いわけではない。それを、「行かなければならぬもの」「通えないとおしまい」「人生の良し悪しを決めるのは学校」と思い込んでいる自分の心。それが学校をモンスターにしてしまっていた。↑映画「みんなの学校」より学校って何なのだろう。行けなくなるくらいで、こんなにも心を乱すほど、重要なものなのだろうか。もっと大切なものはいっぱいあるはずだ。そこに意識をもっていかないと。そんなふうに思えるようになるには、かなりの時間がかかった。学校へ行かないのは悪いこと。早く、そんな価値観から脱却しないと、子どもばかりではない、親も先生も、みんなが苦しい思いをするばかりだ。長女の不登校、それに三女も不登校。おかげさまで、いろんなことを考え、学ばせてもらって、ぼくも家内も、学校はモンスターではなくなってきた。もし、学校は行かなければならないところだとするなら、そういう思いを消し去れないなら、学校をもっと魅力的な場所にすべきだろう。先生と生徒と、それに保護者や地域の人が一緒になって、学校を良くしていく。先生も子どもたちも保護者の地域の人も、行ってみたくなる場所にする。それができないなら、学校へ行かないという子どもの苦しい選択を、親も先生も、認めてあげることが大切なのではないだろうか。学校へ行って幸せになるやつ学校へ行って不幸になるやつ学校へ行かなくて幸せになるやつ学校へ行かなくて不幸になるやつ学校へ行っても行かなくても幸せになるやつ学校へ行っても行かなくても不幸になるやつ学校は、人生の中の一部でしかない。学校について考えるいいきっかけを作ってくれる映画だと思う。
2015年03月19日
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卒業式のシーズンだ。わが家でも、三女の氣歩が中学校を卒業する。20日には卒業式がある。しかし、氣歩は、中2の3学期から学校へ行っていない。今は、市の学習適応教室へ通っている。長女の氣子も、中1の3学期から学校へ行っていなかった。卒業式は、校長室で、たった一人で卒業証書をもらった。それはそれで感動的だった。氣歩はどうするのだろうと見ていたら、今日は、予行演習があるからと言うので、出かけて行った。ずっといないのだから、卒業式が近いからと言って、学校へ行くのは苦痛だと思う。でも、彼女はそこは度胸があるというか、割り切っているというか。「私、校長室で卒業証書もらうの嫌だから」なんて言っている。氣子のときは、ぼくも家内も、学校へ行かないことを、ネガティブにとらえていて、一生懸命に、彼女の意識を学校に向けようと努力していた。「学校へ行かなくても何とかなる」と、自分に言い聞かせるのだが、心の中は、いつも波立っていた。1年とちょっと前、氣歩が学校へ行かなくなったときは、これは既定路線だなと考えられる自分がいた。この子は、学校よりも大事なものを感じ取っていると、どこか安心させてくれるものを、彼女は醸し出していた。あいつは、何か、一本、柱があって、そこからぶれていかない強さがある。氣歩の場合、「これしかない」という道があって、そこにきちんと乗っかって生きているから、揺れ動きようがないわけだ。勉強ができないから、この道は見つかった。運動ができないから、この道は見つかった。学校が嫌いだから、この道が見つかった。どんなにいろいろなことができても、選らべる道は一つだけだ。それなら、自分がやるべきこと以外は、何もできない方が、迷わなくていい。そんな生き方を、彼女は選んで生きてきたのだと、ぼくには思えてならない。もう、自分の道が決まっているから、卒業式でみんなに会うのは、あまり気が進まないけれども、それでも、そんなのは小事に過ぎない。一晩寝れば、「そんなこともあったな」と忘れてしまえることだ。そんな雰囲気が、彼女からは感じ取れるのだ。桜の花もほころびだした。卒業式から入学式。変化を楽しみたいと思う。
2015年03月10日
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「わがままなあなたがいちばん」という本は、不登校の女子中学生が主人公。学校へ行けないことを、悩んでいる。行かないといけないと思いつつも、どうしても行く気になれないのだ。親も、何とか行ってほしいと思うのだが、彼女の足は学校へ向かわない。そんなときに、不思議な体験をし、自分の悩みに答えを出すヒントをつかむという物語。この物語を書いたのは、長女が4歳くらいのころ。まさか、彼女が中学生になって不登校になるとは思ってもみなかった。中一のとき、朝になると腹痛を起こした。昼ごろまで寝て、けろっとした顔で起きてくる。そして、パソコンの前に座って、動画を見たり、ゲームをしてけらけらと笑っている。ぼくには、何が起こっているのか理解できなかった。無性に腹も立ってくる。「明日は行けよ!」と、声を荒げて言った。「うん、明日は大丈夫」と、明るい答えが返ってくる。しかし、翌朝も、やっぱりお腹が痛いが始まる。しばらくして、朝、いつものように、「お腹が痛い」「行けば治るから」といったやりとりをしているときに、彼女は、急に泣き出して、嫌がらせを受けていることを打ち明けた。すぐに学校へ行き、校長先生にお話をしたが、なんだか糠に釘の状態。これじゃ駄目だと、休ませることにした。このときの不安は忘れられない。こいつの将来はどうなるのだろうという不安だ。このまま中学校へ行かずに、高校はどうなるのか?引きこもりになったらどうしよう?そんなことで、日々、頭を悩ませていた。そんなときに、10年以上も前に書いた「わがままなあなたがいちばん」を読んだら、ああ、これでいいんだと、救われる思いがした。この本は、ある小さな出版社から出版されたけれども、書店に並んですぐに会社がつぶれてしまって、ほとんど世に出ていない。これをよみがえらせようと、知り合いの印刷屋さんに頼んでリニューアルした。それが2013年10月のこと。1000部刷って、インターネットで販売し、ほぼ完売。あと少し残っているので、興味ある方は、ここからご注文を。1冊1冊、違うメッセージを入れたサインをしている。おみくじみたいで楽しいと言って、毎年買ってくれる人もいる。長女は、おかげさまで、チャレンジ校という都立の高校へ進学し、今は、奈良の大学へ行っている。何とかなるものだということを学ばせてもらった。今、中学生の三女も不登校。さすがに、長女のときの体験があるので、あわてることもなく、対処している。進学先も決まった。親は、子どもがほかの大多数の子と違うことをし始めたとき、とても不安に感じてしまう。みんなが学校へ行っているのに、うちの子だけは行かないというのは、かなり上位の不安だ。しかし、学校へ行くことがそんなに大事なことなのだろうかと、じっくりと考えてみるといいだろう。学校で学ぶことはたくさんある。でも、学校以外で学べることもたくさんある。すべてのことには意味がある。無駄なことは何一つない。不登校も病気もけがも貧しさも、全部、肥やしにしてしまうしたたかさ。親もそうだけど、子どもにそんなパワーをもたせれば、将来、何も心配しなくていいわけだから、ぜひ、不登校をそのチャンスとしてほしい。
2015年02月25日
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子どもとのかかわり方というのは、病気にどう対処するかということと、よく似ているのではと思う。子どものことで悩んでいる人は、けっこう多い。勉強しないとか、反抗期だとか、不登校だとか、夜、遅くまで遊び歩いているとか。親を悩ませる種はいっぱいある。勉強しろ! と怒鳴ったり、このままだと、将来、大変なことになるぞと、脅してみたり、だれに育ててもらったと思っているんだと、恫喝したり、学校へ行ったらゲームを買ってあげるからと、買収しようとしたり・・・。親は、あの手この手で、子どもを自分の思い通りにコントロールしようとする。ある年齢までは、それで何とかなる。しかし、中学生、高校生になれば、親の小賢しい意図など、お見通しだ。子どもを抑え込もうというやり方は、熱が出たときに、解熱剤で熱を下げようとする、病気への対処法のようなもの。ほとんどの場合、発熱があっても、静かに寝ていれば下がっていく。体調を整えるために熱は出ているわけで、熱が出切ったら、今まで以上に元気になれるものだ。しかし、薬に頼っていると、一時的には熱が下がって楽になるが、単なる一時しのぎに過ぎないことが多い。痛みでもそうだし、下痢でもそうだ。不快に感じるの多くは、実は、悪いものを排泄しようとしていたり、治癒力を高めようとしたり、体にとっては、よりよくなるためのステップでもあるのだ。あるいは、これ以上無理をしない方がいいですよとか、生活を正した方がいいですよというメッセージだったりする。体調の悪いときには、まずは放っておく。と言うか、節制して体を休める。次に自然な療法を試す。それでもダメなら、薬の力を借りる。熱が出たとき、このまま放置しておくと、どこまでも熱が上がって、脳に大きなダメージがあると思ってしまうが、たいていの場合、あるところまで上がれば、きちんと下がってくれる。子どもも、たとえば、不登校の場合、子どもが学校へ行かなくなると、このまま引きこもりになって、社会に適応できない。将来は真っ暗だと、親は不安になるが、そこで、あわてて学校へ行かそうとしたり、怒鳴ったり、脅したり、責めたりするから、親の顔を見たくなくなって、部屋にこもってしまい、親は、またイライラするという悪循環。子どもに当たるよりも、どうしてイライラするのか、自分を見直すといい。じっと待っていれば、学校へは行かなくても、時間はかかっても、きちんと自分の道を見つけて、自分の足で歩き出す。学校へ行かない自分であっても、親は味方なんだという安心感を、いつももたせてあげるように、心がけておくことが、一番の薬かなと、ぼくは思っている。子どもには子どもの人生がある。どういう道を歩くか、模索をしながら、ときには親に反抗したくなるし、学校に行きたくなくなる。だけど、親が口出ししなくても、きちんと道は見つかるようになっている。子どもの人生を尊重する。彼らの自然治癒力を信じる。それが、親の修行だし、成長への道だと思う。
2015年01月31日
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氣歩の入学願書を出してきた。20日が試験で、22日には結果がわかる。入試と言っても、自閉症の子と不登校体験者がほとんどという特殊な学校なので、面接だけ(親も)。氣歩は、5日間の体験入学も行っていて、やる気は十分に見せることができた。成績よりもやる気ですと、校長先生もおっしゃっているので、たぶん、大丈夫だろうと思う。氣歩は、一本道をまっしぐらという感じで突き進んでいる。行く先々で、まわりの人たちからかわいがられて、本当に幸せな子だ。これで、3人娘の受験はひと段落。今は、小学生レベルの勉強をやり直している氣歩だが、特別支援学校の先生になるんだと、かっこちゃんが歩いた道を歩いていきたいという気持ちもあるようで、高校へ行ったら、一生懸命に勉強して、ひょっとしたら大学を受験することになるかもしれない。大学なら、柴田先生のいる国学院大学だと、本人はイメージしているようだ。長女の氣子のとき、高校受験はけっこう緊張した。中学時代に不登校で、都立のチャレンジ校というのがあるというので、そこ一本の受験。本人も大変だったかもしれないけれども、親にもプレッシャーはあった。おかげさまで、彼女にとっては、ベストの学校に入れて、きちんと楽しく通って、今は、大学生になって、奈良で一人暮らしだ。大学院まで行って、イルカと心理学の研究をするんだと張り切っている。次女の氣恵は、三人の中で特に勉強が嫌いな子。中学時代、先生から、「少しくらい勉強もしろ」と説教されたときに、「私は勉強するために生まれてきたのではありません」と、言い切った。高校も、学力試験のないチャレンジ校(氣子とは別の学校)を受けた。彼女の場合は、とても実践的な子なので、ぼくは、落ちたら中卒でいいかなと思った。ファッションが好きで、抜群のセンスをもっている。だから、いい師匠を見つけて修行をさせてもらえば、高校なんか行かなくたって、一流の仕事ができるようになるようなタイプだ。そんな娘だから、親としても気が楽だった。今、高校2年生。卒業したら、大学も専門学校も行かず、まずは、ピースボートに乗って世界一周をするのだと言っている。「将来、何をするかは、帰ってから考える」これも、いい生き方だと思う。だから、いわゆる受験生の親というのを、まともに体験したことがない。勉強に関しては、3人とも、見事に落ちこぼれ。ぼくは成績は良かった。家内も優等生だった。だから、1人くらい、その遺伝子を受け継いでくれても良かったのに、3人とも、そんなのには目もくれず、自分の世界を突き進んでいく。わが娘たちながら、こいつらかっこいいよなと、うらやましく思っている。まあ、お父さんは、これからだから。かっこいい60代、70代になってやる。
2014年12月16日
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三女・氣歩の通う市の適応教室(不登校の子が通う教室)の保護者会に行ってきた。個人面談で15分ほど先生と話をしたが、氣歩の長所、短所をよく見てくださっている。少人数なので、先生と会話する機会も多く、氣歩のような子にとっては、とても適した環境だ。「氣歩ちゃんは、まわりの子のこととても気遣ってくれるし、やさしいし、相手を尊重してくれます。ディズニーの話で盛り上がっていても、『まだ行ったことがないんだ』という子がいると、もうそれ以上、ディズニーの話題を出さないようにしているし、一人でぽつんとさみしそうにしている子がいると声をかけてくれます」 娘がほめられるのは、自分がほめられるよりもうれしいもので、目尻にじわっと涙がにじんでくる。「氣歩ちゃんの夢、知っていますか?」もちろん、知っている。障がいをもった人たちと一緒に過ごすことだ。彼らができないことは手助けする。だけど、氣歩にとっては、純粋な気持ちをもっている彼らと接することで、心が温かくなり、たくさんのことを学べることが、大きな喜びなのだ。「特別支援学校の先生になりたいと言ってますよ」と、先生は教えてくれた。氣歩の目標は、かっこちゃんだから、かっこちゃんみたいに、障がいある子たちとかかわる一生を過ごしたいのだと思う。でも、彼女には大きなハードルがある。学力だ。今、適応教室では、小学校高学年のレベルの勉強をしている。このままでは、大学へ行って、教員の免許を取ってとなると、厳しいだろう。でも!!!ぼくは、彼女のすてきな特質を知っている。行くべき道が決まると、だれよりもがんばれるし、信じられないような力を発揮する子なのだ。幼稚園のとき。何を思ったか、逆上がりに燃えたことがある。毎日、幼稚園に着くと、一目散に鉄棒に走って行って、何回も何回も、逆上がりの練習をする。汗まみれになって、先生がびっくりするほど練習をして、ついにはできるようになった。一輪車のときもそうだった。いつも学校から帰ると、暗くなるまで一輪車の練習をして、ついには乗れるようになった。運動神経のある子ではないので、人よりも時間はかかるが、「やりたい!」と思ったら、夢中になってやり、きちんと答えを出すことができるのだ。これも、素質だと思う。あれもこれもやれるという器用さは、彼女にはない。しかし、これしかない道が、きっと彼女の深い意識の中でははっきりと見えているのだろう。そこに向けてなら、人の何十倍もがんばれるし、力を発揮できるのだ。どうしたら特別支援学校の先生になれるのか、その道が見えたとき、彼女は、一心不乱にその道に向かってがんばることだろう。きっと、あの子は、かっこちゃんのようなすてきな先生になれるはずだ。神様もご先祖様もお父さんもお母さんも、みんなが応援している。すてきな道を見つけて、楽しくその道をまい進してもらいたい。
2014年11月29日
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武蔵野東高等専修学校の文化祭に行ってきた。高等専修学校というのは、正式には高校ではないが、実質的には高校と同じと考えていい。高等専修学校を含めて、幼稚園、小学校、中学校とあわせて、武蔵野東学園と呼んでいるが、ここのユニークさは、「混合教育」というところにある。混合というのは、いわゆる健常者と障がい者が一緒に勉強をするという意味で使われている。障がい者と言っても、自閉症の子たちだ。50年前、北原さんというご夫妻が、幼稚園を始めたところ、そこに自閉症の子を預かってほしいという依頼があり、そこから混合教育が始まった。だいたい、障がい児教育は、キリスト教を信仰する方が、その精神をもとに始めることが多いのだが、北原さんは、特に何かを熱心に信仰していたわけではなさそうだ。宗教人ではない。奥さんのキヨさんは小学校の教員だったようだ。ご主人は町工場の経営者。どちらかと言うと、奥さんがリードして、ご主人は経済的にサポートするという形で始まったのだろう。学園の中でも、中学校までと高等専修学校とでは、かなり趣が違ってくる。健常な子は、中学校までこの学園に通うと、ほかの高校へ進学することが多い。自閉症の子は、そのまま高等専修学校へ進学する。外部から健常な子を受け入れているのだが、そのほとんどは、不登校など、ほかに受け入れ先のない子たちだ。やんちゃをして退学になったような子もいる。今の学校制度から言えば、いわゆる落ちこぼれてしまった子たちが集まっている。そういう子たちが、3年間の学園生活の中で、どう変化していくかが、この学校の醍醐味だ。その醍醐味の一端を、文化祭では見せてもらった。新入生のころ、彼らの心は氷のように冷たく固まっていた。ところが、半年たち、1年たち、2年たつうち、心に温度が通い、ほぐれてくる。文化祭で彼らは、躍動していた。たぶん、中学時代、学校へ行かないとかやんちゃだとか、自閉症だとか、悩みや不安を抱えてこの学校へ送り出した親は、この変化にはびっくりしているだろうと思う。文化祭のメインイベントである、ステージショーでは、見ていて、涙がにじんでくるようなパフォーマンスを見せてくれた。うちの三女の氣歩は、1年ほど前から不登校。でも、小学校6年生のときから、彼女はこの学校へ行くと決めていて、ある意味、不登校であることが、入学資格みたいなものだから、予定通りの不登校ということになる。校長先生と以前、お話したことがある。ある女の子の話。学校訪問に来て、ひと通り、学校のことを話したら、彼女は、家へ帰ったあと、家族に宣言したそうだ。私は、あの学校へ行きます。だから、もう中学校へは行きません。不登校宣言だ。そして、武蔵野東に入った彼女は、3年間、皆出席で、校長先生の表彰を受けたそうだ。何となく学校へ行って、何となく進学する子よりも、ぼくは、こういう強い意志をもって生きられる子の方がずっとたくましいように思うがどうだろうか。こういう学校だから、先生の本気度も違う。熱血先生がゴロゴロいるみたいだ(特にラグビー部の監督)。氣歩がせっかく縁を作ってくれた学校だ。ぼくも、積極的にかかわっていきたいと思っている。
2014年11月16日
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1年前はどんなことをやっていたのかと、ブログを見直してみた。氣歩が演劇部でがんばっていて、「あらしのよるに」で地区大会に出たのが、ちょうど、1年前のことだった。いい出来だったが、あと一息で都大会には手が届かなかった。氣歩が不登校になったのは、そのあとだった。一生懸命にやっていた演劇がひと段落ついて、中学校へ通う意味が見えなくなってきた。「普通って何だろう?」彼女の中にある大きな疑問だ。適応教室へ通っていると、先生方は、一生懸命に、学校へ戻そうとする。なぜなら、学校へ通うのが普通だから。学校へ行けない子は、問題があって、かわいそうな子。学校へ行ける普通の子にしてあげよう。それが、常識的な考え方だ。学校へ行かないという選択は、とてもネガティブにとらえられている。だから、不登校の子たちは、自分は悪いことをしているんだと、学校へ行かないことで、自責の念にさいなまれる。親も、何とか学校へ行ってほしいと願う。不登校のことで、夫婦喧嘩が始まったりして、それが、子どもにとっては心の傷になってしまう。氣歩は、つらい思いをしている子たちと付き合ってきて、みんなが普通を求めることで、心が萎縮し、苦しまなければならないことを、感じ取っているようだ。ぼくも偉そうなことは言えない。長女が不登校になったときは、普通を求める親だった。ずいぶんと悩んだし迷った。しかし、何がきっかけだったかは忘れたが、普通信仰から少しは脱することができた。氣歩の不登校は、ぼくにとっては、既定路線だった。これでいいんだと思えた。不登校の傾向は小学校からあったし、長女のときの混乱をへて、普通ではない生き方をしてくれる娘たちに、少しずつ誇りを持てるようになってきたからだ。1年前から、ぼくも氣歩も、ずいぶんと成長したなと思う。順風満帆の中ではなかなか成長できない。まさに、「あらしのよるに」ではないが、嵐があることで、思わぬ出来事に遭遇できて、新しい自分を発見できるのだ。長女は奈良の大学へ行っている。東京にいくらでも大学はあるのに、なんで奈良へ行くのと思ってしまうが、自分がやりたいことはここにしかないからと、自分で決めた。頼もしいではないか。次女は、勉強は嫌いだから進学しない。人の下で働くのは嫌だから就職はしない。じゃあ、どうするの? って聞くと、とりあえず高校を卒業して、そのあと、ピースボートで世界一周して、それから考えると言う。いいじゃないか。三女は、不登校と自閉症の子が一緒に学ぶ学校へ進学することを決めている。「普通の高校なら行かない方がいい」と、強い意志をもってのことだ。これも、またすごじゃないか。そんな普通じゃない道を歩んでくる娘たちをもって、ぼくはうれしくてたまらない。いばらの道を歩くことになるかもしれない。そんな娘たちを見るのは、親としてつらいことだが、いばらの道は、どこにだってあるものだ。ぼくは、心配や不安が心に浮き上がってきたとき、こう自分に言い聞かせている。「運命を信じなさい」自分の運命、子どもの運命。紆余曲折はあっても、絶対に大丈夫なんだと信じること。信じることで道は開かれていくものだ。
2014年11月08日
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10月も間もなく終わろうとしている。今年ももう終盤だ。12月には、三女の高校入試がある。入試と言っても、三女の場合は、推薦・単願での受験なので、学力試験はなく、面接だけだ。小学校のときから「ここへ行きたい」と言っていた学校で、三女のような不登校の子が半分、自閉症の子が半分という変わった学校だ。何年か前に取材したことがあって、校長先生は、「中学校のときはまったく学校へ行けなかった子が、うちでは皆出席だったということもよくあります。子どもは環境で変わります」と、おっしゃっていた。なかなかユニークな先生がそろっていて、どちらかと言うと、体育系のノリかな。三女も最初は戸惑うかもしれないが、はっとすることも多いだろうと思う。もうすぐ、一週間の体験入学もあるので、いろんなこと感じて帰ってくることだろう。その学校はラグビーが盛んで、200人くらいの生徒のうち、女子マネージャーも含めて80人くらいがラグビー部員だ。ラグビーというのは15人でやるスポーツ。コミュニケーションがとても大切だが、不登校や自閉症というコミュニケーションの苦手な子がおろおろしながら始めて、熱い指導、厳しい練習で、東京都の大会で1回戦、2回戦を勝ち上がったりもする。学校生活を通して、社会に適応できる子を作り上げていくというシステムが、長い間に作り上げられた。この間見学に行った、「クーカ」というアトリエとは、やり方は違うのだが、教師や職員が、どれだけ深く濃くかかわるかという点では同じものがある。人は、自分に関心をもってくれる人がいるとうれしくなるものだ。多少の押しつけがあったとしても、それが真剣なものだったら、やる気も出てくるというものだ。今年は長女が一人暮らしを始めたし、次女は高校を出たらピースボートに乗ると準備を始めたし、三女は入試だし、我が家は、娘たちが大きく成長する時期を迎え、エキサイティングな日々を送らせてもらっている。
2014年10月30日
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なぜ、子どもが学校へ行かないのか?ぼくは、簡単な答えをもっている。「つまらないから」それに尽きる。子どもは楽しいことに夢中になる。ゲームなら一日中でもやっていられるのは、楽しいから。今、学校が楽しくてたまらない子どもって、いるだろうか?行かないと怒られるから、行くのが当たり前だから、行かないと変に思われるから、将来困るから。そんなネガティブな理由で、学校へ行っている子がたくさんいるのではないだろうか。子どもたちがかぶっている(かぶらされている)鎧をはぎとって、彼らの心の奥底から、学校へ行きたいか行きたくないかを探り出したとしたら、学年が上がれば上がるほど、行きたくないと思う子が多くなってくることがわかるはずだ。学校が楽しい場所になればいい。どうすれば楽しいのか。そもそも学校というのは、人間関係を広め、体験を重ね、知識や知恵を増やしていくことだ。学校へ行くことで、ああ、自分にはこんな興味や特技があったのだという発見が日々あれば、楽しくてたまらないだろう。それに、「将来、こんな大人になりたい」と、思えるような魅力的な先生がそろっていたら、子どもは、喜んで学校へ通うのではないだろうか。そんな学校だったら、厳しい指導があっても、耐えられるものだ。昨日、三女が来春から通う(はずの)学校の入学体験に行ってきた。半分が不登校体験者、半分が自閉症の子という学校だ。三女は、中学校へ行っていないが、この学校へ行くのが楽しみで仕方がない。世間的に見たら、行くところがないから仕方なく行く学校という位置づけだ。しかし、三女は、小学校のときから、ここに行くと言っていて、ここへ行くのが自分の夢で、それが、来春には実現する。何か、彼女なりに、あの学校は「楽しめる場所」だと、感じているのだろう。全力で応援してあげたいと思う。
2014年09月28日
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子どもが学校へ行かなくなると、親は途方に暮れてしまうわけだけど、一番、大変なのはがんばっているお父さんみたいだ。お父さんは、いつもがんばって仕事をしている。嫌な上司もいるし、生意気な部下もいる。取引先には、「この野郎」と思いながらも、頭を下げないといけない。そんなお父さんは、子どもが学校へ行けなくなると、どう思うか。「なんだ、学校へ行くくらい! 俺は、いつも嫌な思いをしながらも、がんばって会社へ行っているんだぞ。それが社会というものだ! 学校くらい行けなくて、社会で生きていけるか! 甘ったれるな!」怒りが腹からわき上がってくる。お腹が痛いという子どもを怒鳴りつけ、説教し、何とかして学校へ行かそうとする。それで泥沼にはまってしまっているお父さんはたくさんいる。ぼくは、そんなお父さんを主人公にした物語を書こうと思っている。ある日、家へ帰ると、妻も娘も出て行ってしまっていた。娘は不登校。お父さんは、ずっと娘を怒鳴り、妻を責めてきた。真っ暗な家の中で、「俺は悪くない」「どうして俺がこんな目に合わないといけないんだ」そんなお父さんが、ひょんなことから、小笠原へ行くことに。ドルフィンスイムのツアーに参加することになったのだ。10人ほどのグループ。そこには、自閉症の男の子、その母親、元不登校の女の子、余命を宣告されているがんの患者などなど、いろんな人がいた。最初はなかなかなじめなかったお父さんだが、彼らとの交流から、少しずつ変化が起こってくる。娘が学校へ行かなくなったとき、ぼくも相当混乱した。頭にくることもあった。理解できないこともあった。でも、そこで自分をコントロールすることの大切さもわかった。娘は今、大学の心理学部に通っている。学校へ行けなかったときに、どうして行けないのか、自分の内面を見ることも多かったのだろう。それに、イルカが大好きで、学校へ行けなくても、イルカとは毎年、泳ぎに行っていた。「イルカがエネルギーをくれるんだ」と、言っていた。どうしてイルカと泳ぐと元気になれるのか、それも勉強したいというので、「イルカ」と「心理学」を学べる学校を探して、今の大学へ行くことになったのだ。大学院まで行くのだと張り切っている。不登校から道を見つけたわけだ。何が功を奏するかわからない。ぼくにしても、妻にしても、彼女が学校へ行かなかったおかげで、人としてのキャパを広げることができたような気がする。ぼくは、お父さんの気持ち、良くわかるつもりだけど、焦ってしまうと、いい結果は出ないものだということを、伝えたいと思う。
2014年09月17日
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