老師の言葉 0
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火曜日は「気功の日」と決めた。朝10時に池袋のメトロポリタンホテルへ行く。帯津三敬塾クリニックの気功教室がある。最初の1時間は太極拳。前にもやったことがあるが、結局続かなかった。今度はきちんと覚える。次の1時間は智能功。これは昨日が初めてだった。終わったら歩いて10分ほどのエスエーエス東京センターへ。ここではしっかりと氣(真氣光)を受ける。気功には「内気功」と「外気功」がある。内気功は、自分で体を動かしたり呼吸法を行なって、宇宙から気を取り込み、自分の中で循環させる。外気功は、気功師などに気を中継してもらって、それを自分の中に取り込む。どちらも、不足している気を補充し、気の流れをスムーズにすることで、体調や運勢を良くするというもの。太極拳や智能功は内気功、真氣光は外気功に属する。週に一度は気のエネルギーを充電することにした。
2019年09月18日
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今日から太極拳を習いに行こうと思っている。池袋の帯津三敬クリニックで週に一度、500円で教えてくれる。ずいぶんと前にもチャレンジしたことがあった。しかし、なかなか覚えられずにドロップアウトした。足の運び方、手の動かし方、首の向き、とにかく全身をゆっくりと動かす。うまくやっている人を見るとほれぼれとしてしまうのだが、いざ自分がやるとなると、とてもついていけないのだ。さて今回の再チャレンジ。とにかく、動きを覚えてしまおう。なぜ再チャレンジしようと思ったか。ひとつは、大きなストレスがかかって、血圧が急上昇したからだ。日頃健康な分、体調が悪くなると、精神的に参ってしまう。これは、自分を支える何かが必要だと思った。ぼくの場合、気功だとピンときた。気功には内気功と外気功とある。両方やろう。太極拳も気功の一種だし、火曜日は智能功という気功も教えてもらえるようだ。そのあと、外気功である真氣光のセンターへ行って、氣を受けよう。同じ池袋だから。火曜日の午前中は氣の充電をする。もうひとつ、気功は単なる健康法ではない。帯津先生が言うには、魂の故郷である虚空との対話だ。エネルギーを高めて、あと何年生きるかわからないが、自分のラストシーンをより輝けるものにしたい。そんなことで、今日から気功がぼくの日課に入る。
2019年09月10日
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星状神経節ブロック。三鷹にある施無畏(せむい)クリニック。施無畏とは「人々の恐怖の気持ちをとりのぞき、安心させ救済すること」だそうだ。持田奈緒美先生という女医さんが院長。すごく柔らかい感じのいい先生だった。あの先生だったら余計な緊張もせず安心して受診できる。初診だったので30分くらいお話を聞いてくれて、いよいよ治療室へ。ベッドがずらりと並んでいる。12台かな。そこに注射を受ける人が入ってきて、横になって先生の登場を待つ。看護師さんが、どうやって注射を受けるのか説明してくれる。何しろ首に注射だから、ちょっとドキドキする。静かに横になっていると、先生が入ってきて、ぼくの枕元に。「大丈夫ですよ」と言いながら、チクッ。一瞬、痛みがあるが大したことはない。薬が入っていく感覚がある。でも別に不快だけではない。止血棒という血を止める棒があって、それで首を抑えてしばらくゆっくりする。左の首から肩にかけて痛みがあった。肩の奥にずしんとした重みがあって、けっこう気になっていた。それが軽くなっていくのがわかった。そして耳鳴り。特に気になるほどではないがずっと耳もとで「ジーン」という音がしている。その音が、はっきりとはしないが、左は小さくなっているような気がする。「右のまぶたが垂れてきて、目が充血して、右の鼻が詰まることもあります。右手が温かくなってきます」看護師さんはそんな説明をしてくれたが、それは感じなかった。でも、「これはいい」という感覚はあった。ストレスは知らず知らずのうちにためてしまっている。たまにはこういう方法でリラックスさせるのはいいだろうと思う。さっそく、家内にもすすめた。ぼくよりもはるかに交感神経優位型の生き方をしている。自分でも自覚があるのだろう。昨日の夕方、施無畏クリニックへ行った。彼女は、こんな変化がありますよと言われたこと、すべてが出たようだ。まぶたが下がったと写真を送ってきたが、見事に左目だけ半分ふさがってしまっている。充血もあるし、鼻も詰まったし、手足の血流が良くなって温かくなったと言う。まあ、なんて優等生。夜もゆっくり眠れたようだ。ぼくは来週、右をやってもらう。耳鳴りがどうなるか。楽しみだ。(写真)小笠原のウミガメの赤ちゃん
2019年05月25日
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以前からずっと気になっていた星状神経節ブロック療法。ときどき東京での講演をしていただいている、西本真司先生(和歌山・西本クリニック院長)の得意な治療でもある。三鷹にこの治療をやってくださる先生がいると教えてもらって朝から出かけた。小さなビルの2階にあるクリニック。9時半オープンだというので10分ほど前に到着。すると、階段に人がずらりと並んでいる。「これ、施無畏クリニックの患者さんですか?」そうだという返事。この日は午前中の診療だ。半日で終わるのだろうか?星状神経節というのは首にある。のど仏の両側にある神経の塊だ。自律神経には交感神経と副交感神経があって、交感神経が優位になれば体は緊張し、副交感神経が優位になるとリラックスする。現代人は、ストレスによって常に緊張状態を強いられているので、交感神経が四六時中働いていることもある。そうなると、血管は収縮し、呼吸は浅くなり、筋肉も硬くなる。それが続くと体調も悪くなる。免疫力も低下する。自律神経のアンバランスからくる病気は少なくない。星状神経節は、交感神経が集まっているところ。そこに麻酔薬を注射し、交感神経の働きを緩めることで、リラックス状態を作り出す。血流が良くなる。自然治癒力が高まる。注射自体は10秒ほどで終わるのだが、かなり高い技術が必要なので、この治療ができる医師はあまりいないようだ。初診ということもあって、先生の問診があるとのこと。1時間と少し待って、診察室へ呼ばれた。
2019年05月24日
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年末は、「平成最後の」というフレーズがあふれていた。娘たちは「新しい元号は何だろう?」と興味津々。3人とも平成生まれだから、元号が変わるというのは、とても新鮮なのだろう。娘たちは、3人とも「氣」という文字がつく。あいつらが生まれたときは、この字を名前につける人はあまりいなかったと思う。ぼくたちは真氣光という気功のひとつを学んでいたので、どうしてもこの字は使いたかった。何しろ、氣というのは宇宙の根源であり、命の源でもあるエネルギーだ。新しい元号が何か気になってならない娘たちに、ぼくは言ってやった。「「氣」という文字が入るんじゃないか」源氣元年とか、賢氣元年とか、昇氣元年とか、広氣元年とか、龍氣元年とか。「そうなったらいいね」と次女。自分の名前を説明しやすくなる。でも、あながち「ない」とも言えないと思う。あちこちで「氣」という言葉が使われるようになり、いよいよ氣の時代になってくるはず。物質ばかりを追いかけるのではなく、目に見えない世界にも思いを馳せ、やがては、それが当たり前になる。そんな流れを期待したいな。
2019年01月05日
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長女がお腹が痛いと横になっていた。小さいころからお腹の弱い子だ。顔をしかめて、うめき声まで出るくらいだから相当痛いのだろう。ぼくは、久々に気功をやってあげた。こう見えても気功歴30年。かつては、ぎっくり腰で動けなくなったおばあちゃんの腰を、さっとひとなでしただけで完治させたこともある。30分くらい、お腹や背中をさすってあげながら、氣を送った。何とかおさまってそのまま眠った。こういう力ももうちょっと使っていかないといけないな。昔は、家族の体調が悪くなると、時間をかけて手当をした。その時間が、家族の絆を深めたんじゃないかな。今は薬を飲んで終わりで、それでも良くならないと救急車を呼ぶことになる。薬や救急車が必要なときもあるけれども、人にゆだねるばかりではなく、まずは、家族で癒し合えると、家族のあり様が違ってくる。家内は、「一家に一人ヒーラーを」と言い続けているが、ちょっとしたコツさえつかめば、家族の苦痛くらいとってあげられるようになる。薬や病院ばかりに頼らなくても、元気に暮らしていける。長女はかわいそうだったが、そんなことを改めて考えさせられる30分だった。
2018年12月27日
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長女がお腹が痛いと横になっていた。小さいころからお腹の弱い子だ。顔をしかめて、うめき声まで出るくらいだから相当痛いのだろう。ぼくは、久々に気功をやってあげた。こう見えても気功歴30年。かつては、ぎっくり腰で動けなくなったおばあちゃんの腰を、さっとひとなでしただけで完治させたこともある。30分くらい、お腹や背中をさすってあげながら、氣を送った。何とかおさまってそのまま眠った。こういう力ももうちょっと使っていかないといけないな。昔は、家族の体調が悪くなると、時間をかけて手当をした。その時間が、家族の絆を深めたんじゃないかな。今は薬を飲んで終わりで、それでも良くならないと救急車を呼ぶことになる。薬や救急車が必要なときもあるけれども、人にゆだねるばかりではなく、まずは、家族で癒し合えると、家族のあり様が違ってくる。家内は、「一家に一人ヒーラーを」と言い続けているが、ちょっとしたコツさえつかめば、家族の苦痛くらいとってあげられるようになる。薬や病院ばかりに頼らなくても、元気に暮らしていける。長女はかわいそうだったが、そんなことを改めて考えさせられる30分だった。
2018年12月27日
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新聞に子宮移植のことが出ていた。先天的に子宮がなかったり、病気や事故で子宮を摘出した人で、赤ちゃんが産みたいというときに、親や姉妹の子宮を移植して、あらかじめ受精させておいた卵子を戻し、出産が終われば、子宮は摘出してしまうのだそうだ。医学は、すごいところまできているのだなと思う。やがては、全部の内臓をだれかのものと取り替えても生きていけるようになるのではないか。提供者というのは、健康な人で、もう赤ちゃんは産まないからということなのだろうが、手術で摘出となると、大きな負担もあるだろうし、簡単な選択ではないと思う。そんな記事を、故障した機械の部品を取り換えるような発想でいいのだろうか。ぼくは、そう思いながら読んだ。ただ、そこは個人の価値観もあるだろうから、本人と提供者が納得すれば、そこに口をはさむ余地はないと思う。子宮は、胎児が育つための袋のように思われているが、このごろは、子宮内細菌がいることがわかって、その細菌たちは、腸内細菌のような働きをしているという話を聞いたことがある。腸内細菌は、食べた物を分解するばかりではなく、セロトニンやドーパミンといった神経伝達物質を作るための前駆体を産生しているそうだ。よく「腸で考える」というけれども、思考のもとを腸で作っているということだろう。女性は子宮で考えるという言い方もある。子宮内細菌が、思考につながる物質を作り出しているのかもしれない。きっと、子宮はただの袋ではなくて、もっと何か重大な役割があるのではないだろうかとも思ったりする。ただ、大腸を全摘しても、小腸がその肩代わりをするということらしいので、なくなったからと言って、すぐに問題が出るわけではないようだが。ぼくは、肉体ばかりではなく、心とか魂とか死後の世界、輪廻といったことまで含めて医療を考える「ホリスティック医学」に共鳴している。でも、医療も多様化でいいと思う。西洋医学でないと信じないという人がいても、それはそれでいいことで、この治療でないとダメだということではなくて、自分が納得することが大切だと思う。これでダメならあきらめるくらいの覚悟をもたないと。そのためには、自分で情報を集め、勉強もしないといけない。医学のことは難しいから、信頼できる専門家と親しくなっておくことも大事だな。絶対に治る方法もなければ絶対に治らない方法もないというのが医療だ。だれもが病気になるから。一人ひとりが自分はどうするのか、健康なときから考えておく必要があると思う。
2018年11月09日
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「心の力を抜いて、イルカみたいに、楽しく生きていきませんか」昨日紹介した腕をねじりながらの呼吸法、これは、人が二足歩行をするに至った過程と関係がある。先月、稲葉先生の講義で聞いた話だ。四つん這いだったころ、もともとは、犬や猫のように歩いていたわけではない。爬虫類のような歩き方だった。指先が、外側を向くような形で、前足(手)があったわけだ。そのまま立ち上がると、手のひらが前を向くような形になる。それでは不便だというので、腕がねじれて、今のようになった。でも、体には昔の記憶があるから、ときどきは戻してあげる必要がある。それが、あの呼吸法なのだ。気功で、五禽戯(ごきんぎ)というのがある。鹿、猿、熊、虎、鳥の格好をすることで、氣のエネルギーを高めていくというものだけれども、なんで、そんなことやらないといけないのかと、ずっと思ってきた。これは、体の中に残っている太古の記憶をよみがえらせるということじゃないかな。呼吸をつけて、腕をねじると、その一部がよみがえってくるわけで、体にも心にも魂にも、いのちのエネルギーをみなぎらせることになる。気功については、意識がすごく大切で、健康のためにやっている気功は、それだけのレベルであり、宇宙とつながろうと意識してやっている気功は、同じやり方でも、宇宙レベルのものになると思う。だから、息を吐いたり吸ったりしながら、腕をねじるだけの簡単なものであっても、太古に思いを馳せたり、宇宙をイメージすると、とても高度な気功になるわけだ。まずは、肩こり解消から始めてもらうといいと思うけど、良くなっているという実感があったら、意識を少しずつ広げていってもらえるといいかな。
2015年11月14日
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ぼくは、1988年に中国で「気功」のことを知り、すごく衝撃を受けて、上海で行われた国際気功シンポジウムに参加して、ホリスティック医学の帯津先生と真氣光の中川先生に出会い、人生が大きく変わった。あれから27年もたつ。昨日は、和歌山でクリニックを開業する西本真司先生の講演会を開催したが、西本先生との出会い、その流れの中から生まれたものだ。(西本先生の物語はこちら)気功を通して、いろいろな人と出会うことができた。帯津先生、中川先生、そして家内との縁も気功だった。西本先生、真氣光の今の中川雅仁会長、ヨガの龍村修先生、内観の石井光先生ら、親しくしてもらっている方がたくさんいる。イルカとの縁も、もとはと言えば、真氣光だ。何も考えずに生きていた10代のころ、迷路に入り込んだかのように、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしていた20代、そして、30代で気功と出あい、大まかな方向性が決まった。イルカの本が出て、まわりからも評価されるようになった。40代は、氣という宇宙エネルギー、生命エネルギーを、ぼくは持て余していた。氣を、病気治しとかイルカとか、そこだけで語るのがもったいなくて、もっと、広く大きな命の根源というレベルで語りたいと思いつつも、整理がつかないまま、散らかり放題という感じだったな。50代は、もっと整理できるはずだったが、思ったようにはいかなかったけれども、確実な手ごたえを感じて、今59歳というところだ。西本先生は、50代半ばに向かっているが、今、すばらしい充実期を迎えているのがわかる。彼は、医師を天職として、それも、スピリチュアルな世界も含めた医療を展開していくことを、ミッションとしている。その強い覚悟が、さまざまな困難を乗り越える原動力となっている。強さというのは、何かを信じてやり続けることで身につくものだと、西本先生の姿を見ていると感じる。ぼくが気功を知ったころに知り合った人たちは、それぞれの世界の第一線で活躍している。そういう人たちを、まわりに紹介していくのは、ぼくの役割だ。どんどんとやっていくぞ!昨日の西本先生にもすばらしいエネルギーをもらった。ありがとうございました。ホームページもご覧ください。小原田弘美のブログ小原田泰久・弘美のイルカの時間(声のブログ)
2015年07月06日
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7月5日に和歌山でクリニックを開業している西本真司先生の講演会を開催する。西本先生は、若いころ、潰瘍性大腸炎という難病で苦しんだ。大腸が炎症を起こし、ひどい下痢、腹痛、嘔吐に苦しむことになる。大きなストレスがかかると発症すると言われている。通常は、強い薬を使ったり、ひどい場合だと、手術で大腸を切除するという方法で治療をする。西本先生は、強い薬や外科的な方法に頼らず、西洋医学以外の治療法に活路を求めた。ストレスという、心の状態が原因となって発症した病気なのだから、心にアプローチする方法が適切だと考えたのだろう。彼が選んだ治療法のひとつに、真氣光というのがあった。気功の一種という言い方でいいと思うが、当時としては、とてもユニークな考え方で、気功の中ではかなりの異端児的な存在だった。ぼくは、真氣光の考え方や方法が好きで、創始者である中川先生にくっついて、先生の活動を取材していた。だれでもできる。心の持ち方が大切。気はためるものではなく中継するもの。ハイゲンキという気を中継する機械もあった。1週間で気功師になれる講座も大盛況だった。西本先生は、真氣光の体験会に行き、そこで、実際に気を受けて体が動き、体調が良くなることを体験し、ハイゲンキを購入する。そして、一週間の講座にも参加した。それが縁で親しく付き合うようになった。20年以上も前のことだ。西本先生にとって、真氣光はとても効果的だった。しかし、一足飛びに治癒するということではなかった。一度は良くなるのだが、また再燃し、苦しい思いをする。それでも、めげることなく、あきらめることなく治療を続けると、また良くなる。これを3度繰り返した。その結果、今は完全に完治した。西本先生は、自分の体験をもとに、西洋医学と東洋医学、その他の医療を組み合わせて使う統合医療を行っている。さらには、闘病中に臨死体験をしたこともあって、霊的な世界、死後の世界についても深く勉強をし、そこまで視野に入れた医療を展開している。自分自身が辛い思いをしてきただけに、患者さんの気持ちがよくわかる。自分が難病を克服したゆえに、治癒への過程もわかる。貴重なドクターだ。西本先生の講演会は、おかげさまで定員となった。また、半年後くらいにも企画したい。
2015年07月03日
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帯津良一先生の粋な生き方朝、病院の道場で太極拳をしているときに、娘から電話があって、「お母ちゃんが死んでいる!」って言うのでびっくりした。家内と娘は浦和のホテルに泊まっていたのだけれども、そこで、朝、ばたっと倒れて、そのまま亡くなったということだった。急いで、タクシーで駆けつけた。動揺しないわけがない。タクシーの中でいろんなこと考えたね。とにかく、私は、仕事仕事の毎日だったから、夫らしいことは何一つしてあげられなかった。かわいそうなことをした、不憫だったというのが、一番の思いだったかな。自分は家内の亡骸と対面してどう感じ、どういう行動をとるのだろうと想像した。これまで、さんざん、死のことを本に書いたり、講演で話してきた。死はだれにでも必ず訪れるもので、悲しいものでも、つらいことでもないという話をしてきたわけだ。その私が、妻の死に狼狽して、大泣きしたら、それまで自分が言ってきたことが、口先だけのことになるなと思った。でも、かなしさが込み上げてくれば、そんなこと関係なく、泣こうと思った。自分が未熟だっただけのことで、それはそれで受け入れないといけない。だけど、だんだんと腹が据わってきて、ぱっと、頭にひらめいたことがあった。私だって、これから何十年も生きるわけではない。あの世があれば、すぐに会えるじゃないか。あの世へ行ったら、妻に最初に謝ればいい。そう思ったら、気持ちがすーっと楽になって、これなら、平静な気持ちで、妻の旅立ちを見送れるという気持ちになったね。「道中ご無事で!」私は、患者さんが亡くなると、この言葉で見送る。あの世までの道中、楽しみながら旅を続けてほしいという思いで、手を合わせながら、心の中でつぶやくのだが、妻も、そう言って見送ることができた。長く夫婦として暮らしてきたというのは、ただならぬ深い縁があってのこと。そういう縁の深い人と別れるのはさみしいことだけれども、これも、必然のこと。さみしさ、かなしさは当然のこととして受け入れて、でも、自分もいずれはあの世へ行くわけで、そのときの再会を楽しみにするというのも、これもひとつの考え方。いつまでも、さみしさやかなしみを背負って生きるより、あの世での再会を楽しみに、そのときに報告できるすてきな体験を重ねてく方がいいと思った。帯津良一先生の「粋な生き方」(幻冬舎ルネサンス)から好評発売中!
2014年11月05日
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「降霊会の夜」を読み終えた。人は、死んでしまえば、あの世へ行くのが道筋。しかし、多くの霊が、自分が死んだことがわからなかったり、この世に強い未練があったりして、さまよってしまう。霊になると、肉体がなく意識だけで生きているので、時間も空間もうまく認識できなくなる。死んでからどれくらいたったのか、自分がどこにいるか、あいまいなまま暮らすことになる。死ぬというのは魂の浄化で、ネガティブなエネルギーが一気に噴き出す。長く暮らした家族ともこれで別れなければならないというさみしさ、自分の思いがかなわなかった悔しさ、自分が去った後、家族は大丈夫だろうかという心配。このあと自分はどうなっていくのかという不安。ありとあらゆるマイナスのエネルギーが表に出てくる。生きているときには想像できないような感情もわき出てくる。何が起こったのか、どうしていいのかわからなくなる。ネガティブなエネルギーに翻弄されると、しばらくは放浪生活が続くことになる。家内は、ヒーラーとして「お化けにならないためにはどうすればいいか」を提唱している。基本的には、死んだから、過去を見るのではなく、未来を見ること。しかし、それができれば苦労はしない。すんだことをぐじぐじといつまでも引きずり、先の未来に不安を感じるのが、人間として生きてきて身についた癖だ。死んだからと言って、さっとその癖がなくなるはずもない。人はだれでも、自分がやってきたことを認めてほしいし、がんばったねと褒めてもらいたい。これは、肉体をなくしても同じこと。いや、死んだからこそ、その思いは強くなると思う。ヒーラーには、亡くなってさまよっている魂さんには、敬いのエネルギーを送ってあげてほしい。「いろいろと悔いはあるけれども、まあまあの人生だった」と、思えれば、過去が吹っ切れて成仏していける。「降霊会の夜」では、さまよえる霊たちが出てきて、自分が生きてきた、そして死んだ”歴史”を語るのだが、決して悪党だからさまよっているわけではない。愚かだから成仏できないわけではない。とても人間的でやさしい人たちばかりだ。だれよりもがんばって生きてきた人が、がんばったゆえに、悔いや未練を残してしまうというのもある。そこを、ていねいに解いてあげないといけない。霊能者やヒーラーの役割だ。さて、生きている人が、生きているうちに、さまよわないように心がけることは何か?まずは、死んでもすべてが終わるわけではないということを知ることだろう。肉体はなくなるが、意識はそのまま残る。人はいつ死ぬかわからない。突然、死ぬことになっても、戸惑わぬように、自分なりに予習をしておかないといけない。
2014年09月20日
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知り合いにすすめられて浅田次郎さんの「降霊会の夜」という小説を読み始めた。ひょんなことがきっかけで、降霊をしてもらうことになった男。子どものころの忘れてしまいたい体験。心の中でわだかまりをもちつつも封印してきた。その関係者(霊)が、次々と現れてくる。人は死んでしまうと、肉体はなくなってしまうが、本質的なもの(魂と言われている)は消え去らない。生きているときの記憶もそのまま。ある魂は、あの世へ旅立っていき、次の生に向けての準備をする。こういう魂は、何も問題ない。問題なのは、あの世に行けない魂たち。彼らの中には、自分が死んだこともわからない者もいるし、死んだことはわかっても、現世に強い未練や執着をもっていて、なかなかあちらへ行けないのだ。ぼくたちが「お化け」と読んでいるのは、あの世へ行けない魂たち。彼らは、中には、強い恨みをもっていて、意図的に生きている人をおとしめることもあるが、多くは、意図せずに、生きている人の足を引っ張ってしまう。あの世へ行くのが一番の幸せなのに、なかなか行けないのが現実だ。多くの人が死んだらすべて終わると思っているのが大きな原因だと思う。死んだら終わりだと信じている人は、きっと、死んだときに戸惑うだろうと思う。肉体はなくなっても意識は残っているのだから。自分が死んだことがわからず、何年も何十年も、生きているときと同じように会社に通っているような霊もいるそうだ。だから、何かおかしいと思ったら、自分は死んだのではないだろうかと疑った方がいい。そして、上を見る。小さな光が見えれば、そこに意識を集中する。少しずつ事態が呑み込めるようになってくるだろう。家内は、「お化けにならない生き方」というのを提唱している。死んだらすぐにあの世へ行くためには、生きているときの心がけが大事だ。ひとつは、「死後の世界」について学ぶこと。そして、死んだら、現世に未練をもたないこと。もうどうしようもないのだから。あの世へ行けば、いわゆる守護霊として子孫を守る道も開けてくるが、お化けとしてさまよっていると、自分が良かれと思ってやることが、ほとんどマイナスに働いてしまうのだ。だから、さまようお化けが多くなればなるほど、地球のエネルギーは淀んでいって、悪いことがたくさん起こってくる。ほとんどの人は、しばらくはお化けとしてさまようことになる。そして、ああどうしようもないなと悟ったときに、あの世へ旅立っていく。それが49日ということになるのだろう。降霊というのはさまよっているお化けと対話することだと、ぼくは思う。そして、未練を解いてあげて、あの世へ旅立たせてあげる儀式だ。この小説に出てくるお化けたちは、50年以上さまよっているわけで、そろそろ、このままではいけないと思い始めている。だから、霊能者を通して、思い残したことにピリオドを打とうとしているのだろうと思う。こういう小説をきっかけに、霊的な世界にも関心をもち、まじめに勉強しようという人が増えてくるといいなと思う。
2014年09月20日
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東大病院で「未来医療研究会」という、とても興味深い会が開かれた。これで3回目。主催は、東大病院の稲葉医師。まだ、35歳くらい。これほどの会をよくぞやってくださったと、拍手喝采したい。テーマは、自然出産、ヒーリング、ダウジング、占いなど。作家の田口ランディさんの講演もあった。12時に始まって、終わったのが7時過ぎ。長丁場だったけれども、内容が面白いと時間を感じさせない。懇親会も、初対面の人と大いに盛り上がって、来年の小笠原ツアーを宣伝してきた。それにしても、ぼくが氣の世界にかかわったのは1988年だから、今から26年前のこと。今でも、ヒーリングやダウジングなどやっていると、「お前はアサハラか」と言われたりするようだが、あのころと比べれば、はるかに理解の度合いは広がっている。こうやって、東大病院で研究会が開かれるほどになったのだから、それこそ隔世の感がする。代替療法とかヒーリングの世界は、ぼくが見てきた限り、狭いところで、独善的にやっているというのが多かった。病気治しの競争をしてみたり、西洋医学を敵対視したり、俺が俺がという自己主張が強かったりする。これでは、広がりは期待できない。たぶん、リーダー、施術者の世代が変わって、そういう雰囲気がなくなってきているのだなと、研究会に参加して感じることができた。確実に時代は変化している。それもいい方向に。25年以上、この世界にいる者として、まだまだやることがありそうだ。
2014年09月15日
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あれもしなければ、これもしなければと思っていると、結局、あれもできなかった、これもできなかったで終わってしまうことが多い。エネルギーというのは、あちこちに目が向いてしまうと、どうしても薄まってしまう。だいたい、ぼくは58歳だが、あと20年間、現役でがんばるとして、どれだけのことができるかだ。長いようで短い。短いようで長い。あまり過小評価してもつまらなくなるし、過大評価すると、きょろきょろするだけで終わってしまう。そろそろ、これをやる! と決めるべき時期だろうなと思う。ぼくの場合は、文章を書いていくしかない。妻がインド占星術をしていて、何度も何度も、自分のホロスコープを見せられた。決して、いい星回りのもとに生まれてきているわけではない。何をやるにしてもエネルギーが低いし、星の応援も少ない。ただし、文章を書くということに関しては、ほかのものに比べると高く設定している。「だから、あなたはこれしかない」と、さんざん言われてきた。ぼくの場合、消去法だ。あれもできない、これもできない。でも、これから人並みのことができるかもしれない。そんなわけで決まったわけだが、人並みの能力であっても、長く続けていると、花が開いてくるものだと、ぼくは思っている。別に大輪の花を咲かせて、みんなにほめそやせてもらおうなどとは思っていない。ちっぽけな花でいい。路地の目立たないところに咲いていればいい。でも、必ず、それに目を止めてくれる人がいるもので、大輪の花よりも、ひっそりと咲いている花のがいいと、ひょっとしたら、たくさんの人が見に来てくれるようになるかもしれない。うっとおしいなあと思いながらも、うれしさもあったりするだろうな。人並みの能力で、こんなにできるんだというところを、ぼくは見せたいと思ったりもする。それが、ぼくの野望、野心かな。凡才が、大した努力もせず、ただ、淡々と続けているだけで、何かできちゃった。そんなのいいなと思う。なぜそうなったか。ぼくはエラそうに言うかもしれない。自分で決めたプログラム通りに歩いてきたからです。それで良し!今日は、面白い研究会に参加する。ドルフィン・ヒーリング・タイム(オーラ、チャクラ、ヒーリング、インド占星術)
2014年09月14日
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和歌山でクリニックを開業している西本真司先生にお会いした。山梨で学会があって、羽田から帰るというので、新宿でお会いした。彼とは長い付き合いだ。20年くらいかな。本当に、大変な苦労をして、それでも志を貫いて、いい医療環境を作り、自らも患者さんのためになる医療を提供しようとがんばってきた。今、それが大きく花開こうとしている。彼は、大学病院に勤務しているときに、潰瘍性大腸炎という難病になった。西洋医学では治らないと察知して、代替療法に活路を見出そうとする。そのときに、彼が選んだひとつが、ぼくがかかわっていた真氣光だった。ハイゲンキという氣の中継器を購入し、下田で行われていた1週間の研修講座に参加し、これでいけるという手ごたえを感じた。しかし、すんなりと治るような病気ではない。いったんは、良くなっても、また再発があって、苦しみ抜いた。でも、彼は迷わなかった。これは、医師としての自分に課せられたテーマだと、真氣光をベースに、統合医療を自らの体を実験台として実践するのだ。まだまだ代替医療や氣に理解が浅いころ、さまざまな圧力もある中で、彼はひたすら自分の信じた道を歩き続けた。苦しい時期は何年も続いた。しかし、彼は克服した。今は、治癒困難とされてきた難病が完治した。元気なときには、何だって言える。でも、自分が病んだとき、どういう選択をするか、ここにその人の本質が出てくるものだ。そういう意味で、彼は本物だ。今は、自分と同じ潰瘍性大腸炎で苦しんでいる人たちに、クスリに頼らない治療をアドバイスし、元気になっている人がたくさんいる。断食、食事指導、氣功、音楽療法、笑い・・・。西洋医学はもちろん、本当に勉強熱心で、さまざまな治療法や哲学を学び、さらには深め、その中で、納得したものを、自分のセンスで組み合わせて使っている。ビアガーデンで、昔の話をし、これからどうするか、思いをぶつけあった。こういう男に刺激をもらいながら、ぼくも、また一歩踏み出す。今度、東京で彼のセミナーを開きたいと思っている。
2014年08月25日
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ゆうべ、パソコンで仕事をしていたら、目がちかちかしてきた。視界の外側がぼーっとする。風邪をひいて熱が出る兆候として、そういう症状があったことがある。でも、熱が出るという感じではなさそうだ。今日の講演会の準備とか、小笠原ツアーの手続きとか、あまり得意ではないことが続いているので、ストレスもたまっているのかもしれない。安藤さんの講演会の前日だし、もう早く寝てしまおうと思ったら、家内から、「ヒーリングしてあげる」というやさしい声がかかった。ぼくが言うのも変だけど、家内のヒーリング能力は相当なものだ。これまで、たくさんのヒーラーに会ってきたけど、上位の部類に入ると、ぼくは高く評価している。もともとの才能もあるだろうし、これまで、超一流のヒーラーのもとで働いてきて、いろんなことを教えてもらったというご縁もあるだろう。独立してから、ますます腕を上げているのも確かだ。10分のほどのヒーリングで、すっかり良くなり、首の凝りも良くしてもらった。家内の面白いのは、実務的なことも得意なことだ。たとえば、毎年、川越で講演会があって、そのお手伝いに行くのだが、「弘美さんがいると、すべてがスムーズに進むから」「一人で三人分働いてくれる」と、ぼく以上に家内が当てにされている。日ごろは、家内のことをぼろくそに言っているけれども、体調が悪くなるとか、忙しくなるとか、何か、ネガティブなことが起こると、ありがたみを感じるわけだ。夫婦というのはそんなものかもしれないけれども、できるだけ、いい面を見て暮らしていきたいなと思う。
2014年07月12日
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我が家の3人の娘は、水中出産で生まれた。ぼくも一緒にプールへ入って、生まれる瞬間を目撃したり、へその緒を切ったりと、すてきな体験をさせてもらった。だけど、今の時代は、病院で出産する人がほとんどだ。ぼくや家内が、水中出産のことを話しても、興味はもっても、自分でもやってみようと思う人は限られてくる。きっと、どんな出産がいいかなんて、言えないだろうと思う。これは生き方や価値観の問題で、我が家では、とても満足した出産ができたけれども、ほかの人にとっては、自然出産なんて大きなストレスになるかもしれないわけだ。出産というと、女性の問題という考え方もある。ある年齢を過ぎれば関係ないということもある。結婚してない人にも関係ない。あるいは、赤ちゃんができない人も少なくない。だから、出産のことを考えるという人は、本当に少数派だ。出産というその瞬間だけをとらえるのではなく、人が生まれるということは、壮大な宇宙の仕組みの中でも、最大の神秘だ。自分が産むという視点だと、どうしても狭いものになるけれども、自分が生まれてきたというところに目を向けると、男も女も、年寄りも、独身も関係ない。実は、出産のことをもっと考えてほしいということで、とてもすてきな活動をしている方がいて、ぼくもその応援をしている。いずれは、自然出産ができる場所を作りたいと、これまたすてきなプランをもっている。6月15日にはひばりケ丘で、イベントをするが、そこにも、出産を控えている人だけではなく、男性も年配者も未婚の人もお子さんに恵まれない人も、いろんな方に集まってほしいのだが、なかなか思惑通りには進んでいないわけだ。そこで、仲間で知恵を出し合っているところだ。こういうことは焦ってもうまくいかない。しかし、行き当たりばったりでは、もっとうまくいかない。ひとつの方向性をもって、その方向に信念と覚悟をもって進んでいかないといけないわけだ。その方向性を模索しているところだ。これから、いろいろな方が協力してくれるだろうが、自然療法も自然栽培も自然食も、あらゆるものを包含していのちを考えるという、壮大なところから、少しずつ絞って考えていくのがいいかなという気がしている。ぼくは、だいたい、行き当たりばったりの性格なので、なかなかいいアイデアは浮かばないが、ぼくなりに、頭を使ってみようと思っているところだ。
2014年06月12日
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2011年3月に原発事故が起こってなかったら、今でも原発は稼働し続けていただろうし、あの大地震でも大丈夫だったのだからと、原発を推進する側は、さらに自信を深めて、脱原発の意見など、聞き入れられないまま、新しい原発が次々と建っていったに違いない。人間というのは、多大な犠牲がないと、方向転換ができない生き物なのかもしれない。犠牲があればいいというものでもない。多大な犠牲があっても、そんなことは関係なく、自分の利益の追求に血眼になる人もいるわけだから。人には、想像力が備わっている。すぐ横で誰かが転んだとする。その痛みは、自分には伝わってこない。でも、それまでの体験から、その人の痛みを想像することができる。そして、その想像の中から、思いやりが生まれてくる。想像力は、自分が痛みを経験することから育ってくる。人の痛みがわかれば、人の喜びも自分のことのように感じられるようになり、幸せの量が飛躍的にふえることにつながる。想像力は無限のエネルギー源だ。まずは、人の痛みを想像できる人間になりたい。
2014年06月11日
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「世の中に、偶然起きる戦争はなどはない。戦争は、全て計画されたものである」というフレーズに衝撃を受けた。今、読んでいる本の中に書かれいたことだ。戦争があることで、経済的に潤うという人たちがいて、その人たちが意図的に戦争を起こしているのだそうだ。そんなことできるはずないよ。マニアックな人たちの間で言われている陰謀論で、何の根拠もない。ぼくの知性は、そうささやく。しかし、こういうとき、頭から否定しないで、「もし本当だったらどうする?」と、自分に問いかけることにしている。氣で病気が治りますよ、イルカと泳ぐとうつ病の人が元気になりますよ。最初は、そんな馬鹿なと思った。でも、もし本当だったらという態度で、取材を続けたら、あらら、本当に劇的なことが起こっているのがわかってきて、自分の価値観にひびが入るのを感じた。固まった価値観を壊すのは、最初は嫌なものだ。でも、ひびが入り始めて、ぽこっと穴が開くと、さわやかな風が入ってきて、なんだかうれしいものだ。UFOなんてあるはずがないよ。宇宙人にさらわれたなんて、夢でしょ。そんな気持ちで聞いていた木村秋則さんの話だったが、どうも、嘘じゃないようだ。彼が、UFOにさらわれた裏には、重大な意味がある。そんなことが思えるようになってきた。もし、本当だったらと思うと、世界はどんどんと広がっていく。重度の障がい者には言葉もない。彼らは、何も考えていない。そう思っていたら、そんなことはないという話が入ってきた。もし、本当だったら・・・。そんな思いで、コウヤ君らと付き合っていると、嘘じゃないよ、彼らは言葉があるどころか、すごいこと考えているじゃないか。そんな発見があるのだ。戦争は偶然の産物ではない。だれかが計画して起こしている。これも、もし本当だと思って考えていくと、小さな価値観の枠が刺激を受けて揺らぎ出す。希望が出てくる。だって、地震や台風といった自然災害は、人間の手ではどうしようもない。止める手立てなんかないわけだ。戦争も、自然災害と同じように、起こらざるを得ないものだとしたら、それを止めることはできない。でも、だれかが裏で糸を引いて、人為的に起こしているものだとすれば、何か止める方法があるはずだ。もちろん、ぼくにそんなことができるはずがない。でも、少しは何かできるかもしれない。こういうときは、もし、できるとしたらと、考えた方がいいのだろう。いまは、常識が壊れていく時代だ。それを良しとしない人と、快感に思う人とに分かれる。そのせめぎ合いが、これからしばらく続くのだろう。
2014年05月15日
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お台場に行った。イルカ&プラネタリウム。すてきなイベントだった。桜も、まだぎりぎりがんばってくれている。チューリップがきれいに咲いている。春だね。でも、いつまでも肌寒い。北の方では、雪が降ったそうだ。異常気象だと言う。しかし、ひょっとしたら、ぼくたちが当たり前に思っていることが、実は、異常なことかもしれない。春にはると、ポカポカと温かくて、そろそろ半袖になれるというのは、1000年前もそうだったのだろうか。2000年前もそうだったのだろうか。46億年前に地球は誕生したと言われている。2000年前と言っても、地球の歴史から言えば、つい先ごろだ。ぼくたちが当たり前と思っていることなど、薄っぺらい表面だけのこと。異常なのではなく、普通に戻ったのかもしれないし、ある周期で、こういう季節の変動が訪れてきているのかもしれない。いずれにせよ、異常だ、異常だとあわててもどうしようもなくて、こういう現実を受け入れるしか、ぼくたちにはできないわけだ。常識というのは、ある種のマインドコントロールだ。ノミというのは、1メートル以上もジャンプできるらしい。しかし、口のところをガラスでふたをした容器に入れておくと、思いっきりジャンプをすると、ガラスにぶつかるため、いつの間にか、10センチほどしかジャンプしなくなる。そのノミを、容器から外に出して、思いっきりジャンプができる環境に置いても、やっぱり10センチくらいしかジャンプしないそうだ。ぼくたちも、知らず知らずのうちにマインドコントロールされてしまって、1メートルもジャンプできるのに、10センチほどしかジャンプのできないノミになってしまっている。このマインドコントロールを解くカギは、日常の中、自分の身の回りにある。日々、起こってくる出来事から、ぼくたちは、真理を知ることができて、はっと思った瞬間に、マインドコントロールが一つずつ解けていく。寒い春も、そこには、心を自由にするためのヒントがあるはずだ。それを見つけようとするか、それとも、異常だ異常だと、ぶつぶつ言っているか。人生に大きな差が出てくるのは間違いない。
2014年04月06日
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月に一度、FMラジオの収録で帯津先生とお会いする。長年、がんの患者さんを診ている。末期の方が多いので、これまでたくさんの方をお見送りしてきている。がんという病気は、死を意識せざるを得ない。特に、末期となると、現実問題として死が迫ってくる。それだけに、その人の本質が表に出てくるものだし、先生自身も、命や死について、真剣に考えさせるのだろう。だからこそ、たくさんの著書や講演で、含蓄のあるお話をお聞きすることができるのだ。昨日、一緒にお酒を飲んでいて先生がおっしゃったのは、「人間は決して強いものではない。だから、あんまりエラそうなおとは言わない方がいいよ。いざとなったときに、日ごろ言っていることとあまりに違うとみっともないよ」その通りだと思う。人間の本質には、かなしみがあり、弱さがある。だからこそ、人は成長できるわけだ。そのかなしみや弱さを隠して、明るく前向きを装い、強がっていても、そんな鎧は、死という大きな出来事の前では、こなごなになってしまうものだ。だから、日ごろから、自分のかなしみや弱さを知って生きる。実は、これが一番楽しい生き方だし、強いのかもしれない。帰り際、「先生の幸せは何ですか?」と、お聞きした。力いっぱい仕事をして、ああ、今日もがんばったと満足して、晩酌をすること。
2014年03月26日
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ホリスティック医学の帯津良一先生のラジオ収録、そのあとの飲み会という、楽しい時間を過ごした。今回は映画の話。先生は、中学生時代から映画が大好きで、毎日のように映画館に行っていたそうだ。戦後すぐの時代だから、娯楽と言えば、映画が主流だった時代だ。それにしても、見た映画のことを細かく覚えておられて、少年時代に戻ったかのような先生のお話に引き込まれていく。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの「カサブランカ」、オーソン・ウエルズの「第三の男」。見たことはある。しかし、ストーリーも断片的にしか覚えてなくて、特に印象にも残っていないが、改めて見てみたくなった。女優さんの話も出た。バーグマンにアリダ・ヴァリ、モーリン・オハラ。それに、ヴィヴィアン・リー。高校生のとき、テレビの洋画劇場で「哀愁」を見て、世の中にこんな美女がいるんだと、感動した覚えがある。そんな話から、映画から何を学んだかということになった。先生は言う。「ダンディズム」つまり、粋な生き方。「粋」というのはどういうことだろうか?飲みながら、そんな話をした。野球選手で言えば、長嶋茂雄。この人こそ、粋の見本だと言う。イチローは、粋かどうかというと、ちょっとイメージが違うそうだ。さてさて、長嶋さんとイチロー選手の違いは?あまりにもストイックさを感じさせらせるのは、粋ではないということだろうか。大らかに自分の世界を構築していく。柔軟な頑固さ。こだわりを越えた先のこだわりのなさ。イメージとしてはわかる気がするが、言葉ではうまく表現できないなあ。あと印象に残っているのは、市井に埋もれて生きていきたいという話。山にこもるのではなく浮世で生きる。ある高名な人から、「先生も、そろそろ田舎で暮らしてみたらどうですか?」と言われたそうだ。先生はすかさず断った。「私は、居酒屋に歩いて行けるところに住んでいたいんです」これもいい話だ。人と違う特別なことをやりたがる人は多いが、そうじゃなくて、人と同じように生きて、それでも輝きを発せられる生き方。これも粋かもしれない。人それぞれ、自分のダンディズムというのがあるのだろうと思う。それを追求するのは、人生を豊かにするひとつの方法かもしれない。小原田のダンディズムは?そんなことを考えて生きてみようか。
2014年02月28日
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風邪がはやっているみたいです。こんなに寒暖の差があれば、体調を崩しても仕方ないですね。でも、どんなに流行しても、風邪をひかない人もいます。風邪だけでなく、どんな病気でも、かかる人とかからない人がいて、だからこそ、人類は全滅することがないようになっているのでしょう。わが家では、数日前から、次女に風邪の兆候が出ています。のどが痛いということです。さて、これがもっとひどくなるのか、この程度でおさまるのか、家族に広がっていくのか、注意するにこしたことはなさそうです。しかし、注意と言っても、何をすればいいかわかりません。空気感染するわけですから、感染を防ぐことはできないでしょう。手洗い、うがいと言いますが、ぼくは、その効果を信じていません。ある専門家から聞きましたが、うがいをするなら、鼻うがいだそうです。ぬるま湯を鼻から入れて口から出す。ツーンとしますが、それだと、のどの奥にある扁桃腺などの免疫組織を刺激して、免疫力が高まり、風邪の予防になるそうです。通常の、水を口にふくんで、ガラガラペッとやるのでは、ほとんど無力だと言っていました。薬局に鼻うがい専用の器具があるみたいです。ぼくは、ずいぶんと前に家内が買ってきた、鼻うがい用の薬液についていたプラスチックのちゃちなのを使っています。とにかく、風邪をひいてから治すのは大変なので、日ごろから予防が大切。それも、お金をあまりかけない方がいい。さて、何をやるか。ぼくは、呼吸法です。お風呂へ入ったら、体をリラックスさせて、まず、7秒間吸います。そして、ゆっくり吐くのですが、そのとき、「延命十句観音経」というもっとも短いお経をあげるのです。簡単なお経なので、すぐにそらんじられます。実は、このお経、1000回唱えれば、願いがかなうと言われています。自分の願いもイメージしながらやるといいかもしれません。延命十句観音経を13秒くらいで唱えます。そうすると、吸って吐いてで20秒。1分で3回ですから、10回もすればいいでしょう。これを毎日やれば100日で願いがかないます。100日なんかすぐです。1年に3つも願いがかなってしまう。風邪が予防できて、願いがかなう。こんなありがたいものはないですよ。それも、ちょっとお風呂で温まっているうちにできてしまう。鼻うがいと呼吸。これで、風邪知らずでいけます。ぼくは、そう信じて、続けています。おかげさまで、元気にしております。
2014年02月06日
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帯津先生と三浦先生とのジョイント講演会でした。医師の講演会で、テーマが死。死を明るく話しつつ、本質をついた話でした。このお二人ならではです。ドクターもけっこう参加してくださいました。とてもいいイベントでした。企画してくださった高島敏子さんにも感謝です。
2014年01月25日
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1988年、ぼくは中国で気功と出あい、それがきっかけで、代替療法やホリスティック医学を取材することになった。真氣光の中川雅仁先生、帯津三敬病院の帯津良一先生には、その人柄にも魅かれて取材する中で、たくさんの貴重な話を聞かせていただいた。25日は、帯津先生と大阪の三浦直樹先生のコラボレーション講演会。先ごろ亡くなった船井幸雄先生の関係の団体の主催だ。帯津先生は、言わずと知れたホリスティック医学の大御所。三浦先生は、若手のホープ。これは、なかなか面白い企画だと思う。先生方がお話になったあとの最後の1時間、ぼくの加わって、3人でお話をする。さてさて、どんな話をするかと思っている。帯津先生に、「どうしましょう?」とお聞きしたら、「その場の雰囲気だな」という答えが帰ってきた。だいたい、先生は、講演会の前に原稿を用意するということはまずないと言う。ステージに立って、客席を見回して、その場のエネルギーを感じて、その時間に話すことを決めるようだ。これは、まさに名人芸だ。今、先生にはFMラジオで7分くらいの番組を毎週もってもらっているが、この収録も、見事なもの。テーマだけをお渡しすれば、原稿もなし。7分半で話してくださる。間の長いところとか、言いよどんだところをちょっとだけ切れば、そのまま流せてしまう。さて、三者でのお話だが、ぼくは、緩和ケアの話を振りたいと思っている。と言うのは、ラジオの収録でも、今年は緩和ケアに力を入れたいと、帯津先生は語っておられたからだ。緩和ケアといっても、帯津先生がやるのだから、いわゆる苦痛をとるだけのものではない。もっと、深い部分に足を踏み入れての緩和ケアだ。ぼくが思うのは、ある意味、生老病死を考える道場のようなものだと思う。緩和ケアに来られる人は、もう自分が、今生とお別れするときを意識している方たちだ。人生のラストシーンに突入している。ここをどう過ごすかは、とても重要なことだ。この時間こそ、百人百様であっていいはずだ。そして、同時に、この時期ほど、生きること、死ぬことを、我がこととして、真剣に考えられるときはないはずだ。ここで考えずして、どこで考えるのだと思えるくらいの貴重な時期だ。数十年の人生を振り返り、これから自分が行くべきところについて思いを巡らせる。死への不安や恐怖はあって当たり前だが、それだけではない。そこには、何か郷愁のようなものがあるかもしれないし、人生をリセットできるという希望を感じるかもしれない。あの世ってあるんだろうかと楽しみにできる人もいるだろう。決して、ネガティブなもにあふれているわけではないはずだ。これから見知らぬ外国に旅立つときの、空港のロビーにいるようなものだ。帯津先生は言う。緩和ケアを充実させることで医療は変わる。生き延びることばかりを強調する医療から、死を視野に入れた医療へと変われる可能性がある。そんな話を振ってみようと思う。1時間じゃ足りないかもね。詳細はこちら。
2014年01月23日
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世の中には、カンのいい人と悪い人がいる。氣をやっていると、確かにカンが良くなる。昨日、宅急便の再配達がくることになっていた。出かける用事はなかったから何時でも良かったのだが、インタビューの録音をイヤホンで聞くという仕事があったので、インターフォンのピンポンが聞こえない恐れがある。また、再配達になると悪いなと思いつつ仕事をしていて、一通り録音を聞き直したあと、ひょっとしてまた不在票が入っているかもしれないと思いつつ、玄関に向かった。そしたら、「ピンポン」となった。待っていた宅急便だった。ピンポンとなった瞬間にドアを開けたものだから、宅急便のおじさんもびっくりだ。カンを働かせようと思ってのことではない。ふっと気になって行動しただけのこと。犬は、飼い主さんが帰宅する時間がわかって、玄関で待っていると言う。帰宅時間がまちまちであっても、必ず、玄関にいると聞く。何かを彼らは感じ取っている。人間にもそういう感覚はあるはず。それが、どんどんと退化してしまっている。これはもったいない。この感覚をよみがえらせる方法のひとつが、氣を感じ取る力をつけることだろう。氣を感じ取るには、ふと思ったこと、感じたことを、やってみることだ。その結果、思ったとおりのことが起こることもあれば起こらないこともある。そんなことはとりあえず置いといて、まずは、思ったら動くということを習慣化する。そうすると、意外とカンは磨かれていき、運も良くなっていく。氣とのコンタクトもスムーズになる。あと、謙虚な姿勢をもつこと。上から目線で人を見降ろそうとする人は、なかなかいい運が巡ってこないみたいだ。そりゃそうだ。自分が運だったら、そんな威張った人の味方をしたいと思わないものね。自分に自信をもつのは大事だけど、それをひけらかさない。それこそ、だまっていても、低姿勢でも、氣を感じられれば、この人はすごい! ってわかるから。
2013年12月14日
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こたつでうつらうつらしているときに、夢を見た。夢の中では、長女の氣子が、こたつから顔だけ出して、ニコニコしている。10歳くらいのかわいい氣子だ。目が覚めてから、心の中に湧き上がってきたのは、ああ、もう10歳の氣子とは会えないんだなということ。10歳の氣子だけでなく、過去の氣子には、会うことはできない。時間というのは、連続しているように思うが、瞬間瞬間、ピリオドが打たれていて、常に新しい今を、ぼくたちは迎えて生きている。ただ、前の瞬間の余韻があって、連続しているように思えるのだと、そんなことを思いながら、目が覚めた。過去を思い煩うなかれ。未来を憂うなかれ。瞬間、瞬間、違う自分が生まれている。いつも、新しい気持ちでいればいい。昨日の成功も失敗も、忘れてしまえばいい。昼寝をするのも、たまにはいいものだ。いいことを気づかせてもらった。
2013年12月12日
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人と人は、出会うべくして出会っている。ぼくの今生の師匠は、中川雅仁先生と帯津良一先生。お二人とは、1988年9月に、中国へ行ったとき、同じ日に同じ場所で出会った。上海の郊外にあるホテル(名前を忘れた)。そこで、気功の国際シンポジウムが開催され、中国へふらっと行ったぼくは、気功を知り、これはすごいと取材を始めた。その行き着いたところが、国際シンポジウムだった。あのころのぼくは、気功のことは浅いところしか知らなくて、超能力的な部分にしか目が向いていなかった。国際シンポジウムも、これまで見たことのないようなすごいことが起こるかもしれないという期待をもって参加したのだが、悲しいか、ぼくにはあまり興味のわかない学術的な発表ばかりで、眠いばかりだった。そんな中で、もっとも印象的だったのが、がん治療に気功を取り入れているという帯津先生の発表だった。そして、逆に、もっともあきれたのが、機械から気が出るという中川先生の発表だった。この両極端の印象をもった2人と、ぼくは、ずっとかかわることになり、ぼくの人生が大きく変わるきっかけをたくさんもらうことになるのだから不思議だ。中川先生の発表は、ぼくは、チラシを見ただけで聞く気がなくなり、席を立ってしまった。こういう人がいるから日本は世界から誤解されるのだとまで、批判的に感じたのである。ところがところが、ぼくの知り合いがぎっくり腰になり、中川先生の怪しい機械で良くなるという出来事が、その直後に起こった。日本へ帰ってから、ぼくは中川先生の作った機械・ハイゲンキを取材し始めた。そしたら、なんとなんと、たくさんのドラマチックな治癒例が、たくさんあるではないか。そんなことから、ぼくは、1995年12月11日に中川先生が亡くなるまで、先生のそばで取材を続けた。30か国近い国を回った。セミナーと治療会の旅で、ほとんど観光はしていない。そうこうしているうちに、自分も気を出せるようになった。腰をひねって動けなくなったおばあちゃんの背中を、さっとさすったら、きれいに痛みが消えてしまうという劇的なことも体験している。でも、中川先生は、お前は治療をやるのではなく、文章を書いて伝えるのが仕事だと、ぼくに言い続けた。それも、小学校3年生でもわかるような文章を書け。それが中川先生がぼくにいつも言っていたことだった。今日は、中川先生の命日。小学校3年生でもわかる文章というのを、ぼくは、もう一度、心に刻まないといけない。もっと、感性で書き上げる文章を心掛けないと。ちょっと、理屈っぽくなってしまっているから。もし、中川先生に会わなければ、ぼくはどうなっているだろうと考えることがある。でも、先生にお会いできたのは、必然だとも感じる。人は、人とかかわって、気づきを得て、チャンスをもらって、道を探し出す。ぼくも、だれかにとって、中川先生のような存在になれるだろうか。中川先生が亡くなったのは59歳だった。ぼくは、来年58歳になる。自分が、同じような年になって、先生の偉大さを、さらに感じる。
2013年12月11日
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連れ合いは、石神井公園にサロンを開いているが、彼女にとっては、天職だったのだろう。生き生きと毎日を暮らしている。だいたい、一日一軒の割合で予約が入っている。ヒーリングを受けたい、インド占星術をお願いしたいといった方も多いのだが、最近は、自分もヒーリングができるようになりたいという人が増えてきている。彼女は、「一家に一人ヒーラーを」と、ずっと言ってきた。確かに、この掛け声はいいと思う。家族に一人ヒーラーがいれば、ちょっとした不調があったときには助かる。それに、家族をヒーリングする程度なら、それほど難しくもない。ヒーリングとか気功は、かつては特殊なものだった。今では、ピンからキリとは言え、世の中、ヒーラーとか気功師であふれている。ぼくも、20年以上のキャリアのある気功師で、そこそこの腕はあるつもりだが、あまり面倒見のいい方ではないし、家内と比べれば、腕の違いは明らかなので、今は、ほとんどだれかをヒーリングするということはやっていない。ただ、娘たちが、お腹が痛いとか、腰が痛いとか、そんなときには、気功マッサージをしてあげる。だいたい、良くってしまうが、手におえないときには、家内がプロの技を見せてくれる。家族をヒーリングするということで始めても、中には、才能のある人がいて、プロとしてやっていけることもあると思う。でも、入り口は家族。もし、興味のある人は、ドルフィン・ヒーリング・タイムのホームページをご覧いただければと思う。こちら
2013年12月07日
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ぼくの知り合いが、帯津先生に質問した。「がんなどの難病とかかわっている医師で、一生懸命になればなるほど自分の体調を崩す人がいるのですが、先生のように、たくさんのがんの患者さんとかかわっていても元気でいられるコツはなんですか?」帯津先生はこう答えた。よく邪気にやられるという言い方をする人がいるが、自分は、邪気などないと思っている。患者さんとは、常に、同志の関係で、お互いが協力して、お互いのエネルギーを高めていく。邪気は、相手の足を引っ張るというイメージだが、そういうことではなく、生命場のエネルギーを高めてくれる存在だと、私は、患者さんを敬っている。お互いが敬い合うことで、エネルギーを高め合うことができる。どうしても、医師は治す人、患者さんは治してもらう人という、上下関係ができてしまうのが医療である。帯津先生の場合は、一緒にエネルギーを高めていく同志という考え方。ここには、重要なポイントがあると思えてならない。医療に限らない。教育でもそうだろう。教師と生徒は、お互いにエネルギーを高め合うという意識をもてば、学校も変わっていくのかもしれない。お酒を飲みながら、そんな話が聞けるというのはありがたいことだ。9月28日に、西東京市民会館で、帯津先生の講演会がある。ぜひ、足を運んでいただきたい。
2013年06月23日
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高校の卒業式。来賓として参加したので、式の始まる前に校長室で歓談をしていた。初めて会う人に挨拶をするのに、おじぎをしたら、背中がぴくぴくとつった。思わず、声が裏返ってしまった。このごろ、仕事がハードで、椅子に座っていることが多い。そのせいかもしれない。帰ったら、家内にヒーリングをしてもらった。本当に楽になる。家内は、いつも、「一家に一人ヒーラー」と言っているが、これは便利なことだ。TPPに参加すれば、医療費が高騰することも考えられる。アメリカと同じで、病気になっても、治療費が高くて病院にかかれない時代になりそうなのだ。まず、病気にならないようにする。大したことのないうちに、自分と家族で治してしまう。自分の身を守る術を考えないといけない。ヒーリングだけですべてを解決しようと考えてはいけないと思うが、日々の生活の中に、ヒーリングを取り入れていくことで、家族を守ることができるのだ。家内のサロンでは、ヒーリングのイロハから専門的なことまでレクチャーしている。興味ある人は、ぜひ、受講されるのをおすすめしたい。ぼくは、家内がヒーラーで本当に助かっている。詳細は、こちらで。
2013年03月21日
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原発は、まだまだ予断を許さない状況だ。1号炉は、メルトダウンしていたというニュースもあった。たぶん、放射能は出続けているのだろうと思う。そうなると、怖いのは、放射能による健康被害だろう。健康に影響はありませんと報道されたりしているけど、影響がないはずがない。知らないうちに蝕まれていく危険性をはらんでいる。ジュノーの会というのが広島にあるそうだ。ジュノーというのは、広島に原爆が投下されたときに、被爆者のために医薬品を集め、治療に当たったマルセル・ジュノーというスイス人の医師のことだ。広島の平和公園にも顕彰碑があると言う。アニメの映画にもなっている。ジュノーの会は、ジュノーの精神を受け継いで、原爆症で苦しむ人だとか、チェルノブイリの被爆者だとか、彼に救いの手を差しのべるとともに、さまざまな研究も行なっている団体のようだ。そこが調べたところ、放射能による健康被害を防ぐには、1.梅干2.味噌3.どくだみがいいのだそうだ。福島の被災者に、それを送るという活動もしているそうだ。できれば、梅干と味噌汁を朝・昼・晩ととり、どくだみ茶を飲むというのが、放射能対策として一番だと、この団体は言っている。ぼくも、何となく納得できる。梅干は、田舎の母が、たくさん送ってくれる。味噌汁も積極的に作ろう。どくだみ茶は、今日、買ってくることにする。こういう知恵は、大いに活用すべきだと思う。
2011年05月13日
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中川先生のヨーロッパセミナーツアーに同行して、ぼくは、氣を出すことができるようになった。大変な旅だった。東京からシンガポール経由でアムステルダムへ入り、列車で、アントワープへ。そこからパリへ移動し、さらにチューリッヒ。バルセロナ、マドリード、リスボン、そしてロンドンを経由して、東京へ帰ってきた。どこへ行っても、とにかく喜ばれた。長年の苦痛が、ほんのわずかの時間で、解消したり軽減したりしたのだから、まさにジャパニーズ・ミラクルである。荷物をもっての列車での移動は、思った以上にきつくて、体もへとへと。バルセロナだったか、ビデオを撮るときに、トランスを使わずにコンセントを差し込んでしまって、ビデオカメラを壊してしまうというチョンボもやった。ぼくの身に変化を感じたのは、リスボンだった。街中ん教会で、午前午後のセミナーがあった。ぼくは、写真を撮ったり、通訳を介してインタビューをしたりといった役割だったが、一通りそれを終えて、先生の話をぼんやりと聞いていたときだった。なんだか、手がジンジンし始めた。何だろうと手を見ると、少し、全体に赤みを帯びた感じになっていた。中川先生は、「だれでも氣は出せる」と言っていたから、ひょっとしたら、ぼくにも出せるのかなと思ったりもした。このセミナーで、一人の女性が、中川先生に食ってかかった。「あなたの氣は、とてもすばらしいと思います。でも、あなたが日本へ帰った後、私たちはどうしたらいいのでしょう。私は、おいしいケーキを味見させてもらって、もっとほしいのだけれども、これでおしまいと言われた気分です」中川先生には、ハイゲンキという分身とも言うべき機械があった。しかし、機械と人間とでは、ありがたみが違うのだろう。この女性の言ったことは、中川会長の心に強烈に引っ掛かったようだ。その翌年あたりから、医療氣功師養成講座というのが始まったのだ。自分一人では日本中、世界中をカバーできないので、氣功師をたくさん養成しようという気持ちになったのだろう。伊豆下田で始まった1週間の合宿制の講座は、毎月、200人を超える人が集まってきた。そして、そこで毎回、驚くべきことが数えきれないほど起こったのである。あそこは、異次元の世界だった。
2010年05月27日
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三女がインフルエンザでダウンした。40度もの熱が出たので、昨夜、救急病院へ連れて行った。検査だけしてインフルエンザだと診断され、そのまま帰ってきて、ずっと寝ている。熱もかなり下がってきたようだ。親として何をしてあげられるかと言うと、頭が痛ければ手を当ててあげたり、足をもんであげたり、イメージ療法を誘導してあげる。うちの娘たちは妖精が大好きなので、妖精が応援にかけつけてきてくれているという話を、物語のようにしてあげるのだ。ぼくも、小さいころ、熱を出して寝ているとき、鉄腕アトムや鉄人28号、ビッグX、マグマ大使といったヒーローが自分を守ってくれているというイメージで遊んでいた覚えがある。もちろん、イメージ療法ということは知らなかったが、そういう知恵があったのだろうと思う。子どもには、とくにそういう本能が生きているのだろう。40度の熱でも解熱剤を使わず、乗り越えたのは、彼女の生命力の高さだろうと思う。子どもが本来持っている生命力に、少しでもアクセスできる方法があれば、親は、それを試してあげればいい。「お前は強い子だ。すごいよ」そんな一言でも、子どもは元気がわいてくるだろう。今日は、眠れるだけ眠らせることにしよう。
2009年11月24日
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NHKで、サプリメントによる健康被害の番組をやっていた。あまりにもサプリメントが氾濫し(いいことばかりが宣伝されている)、それに日ごろの食生活をおざなりにしてサプリメントに頼る風潮がいろんな問題を引き起こしているらしい。健康産業というのは、きちんとやっているところといい加減なところと、非常に極端だと感じる。市場が広がってきて、いい加減なところが増えているというのもあると思う。ぼくは、ムコ多糖というのを飲んでいる。10年も前から取材をしていて、これは安心できるし、効果も確かだと、子どもたちと一緒に飲んでいる。サプリメントは、「病気を治す」ためか「予防」「健康維持」かということで、選択の仕方、飲み方が違って当然だと思う。どこかに、たくさん飲めばよく効くという神話があって、これでもか、これでもかと、たくさん飲む人もいるようだが、病気を治す段階ならそれもいいかもしれないが、良くなってきたら、量を減らすなどしないと、弊害も出るのだろうと思う。いいものを選び、上手に使いこなす感覚と知識。それが求められている。体験談は参考になるが、それがすべて自分に当てはまるものではないということを覚えておく必要がある。自分でとってみて、どう感じるか。その感覚を磨いておかないと。それと、一番大事なのは、日常生活。食やストレス、運動など、当たり前のことをどうするかだろう。サプリメントは、あくまでも補助食品だということを忘れてはならない。
2009年10月09日
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健康法というのは、まず手間がかかると続かない。苦痛だと続かない。お金がかかると続かない。良くなっているという実感がないと続かない。手間とお金がかからず、苦痛もなくて効果が感じられる方法というのを探す必要がある。ぼくは、サプリメントが手軽で好きなので、いろいろと試すけど、ずっと取材している関係もあって、ムコ多糖がわが家のお気に入り。どんないいものを教えても、娘など、三日坊主で続かない。生理痛がひどくて、何とかしたいと思っていても、やらないのだからどうしようもない。でも、ムコ多糖だけはこの1ヶ月、続けて飲んでいる。効果も実感しているみたいだ。とは言っても、決して安いものではないから、月に2びんも3びんもというのは、今度は経済的に続かない。サプリメントは、月にせいぜい1万円くらいかな。となると、もっと安くてできるものを考えないと。食だと、微量ミネラルをいかにとるかが重要なポイントとなってきそうだ。呼吸法も、わざわざ時間をとってやるのではなくて、歩きながら深くて長い呼吸が意識できるように、癖をつける。なるべく歩く。駅のホームでは、遠回りしながら出口に向かう感じでいいかもしれない。エスカレーターには乗らない。歩くとき、呼吸法も付ける。なるべくリラックスする。これが一番難しいかも。あまり深刻にならず、気楽に考えるようにしている。何とかなるさって。本当は、日々の生活が健康に直結し、逆に、日常的になったとき、その健康法は自分のものになるのだろけど、そこまでにはなかなかいかない。あれこれ考えて、自分にいいものを見つけ出すしかない。
2009年02月20日
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家内と娘たちは、札幌へ里帰り。今年は一人の年越しだ(ウサギのキキと一緒だけど)。娘たちは、いとこたちと遊ぶのを楽しみにしているけど、中3のゆうちゃん(男の子)がインフルエンザになってしまったらしい。楽しいお正月だというのに、かわいそうなことだ。娘が電話で、「どうしてうちはインフルエンザの予防注射をしないの?」と、聞いてきた。だって、インフルエンザって、毎年、型が変わるから、あまり予防注射の意味がないんだよ。予防注射というのは、ある特定のウイルスに対する免疫を高めるもので、違う種類のものが入ってくると、お手上げなんだ。そんな話をしてあげた。遠い昔から変化のないウイルスなら予防注射も有効だけど、毎年、ころころ変わってしまうものには役に立たない。結局は、免疫システム全体が正常に機能しているかどうかが重要なことで、しっかりした免疫システムをもっていれば、感染はしても発症はしないものだ。それに、免疫以外にも、体を健康に維持する機能はあるはず。新型インフルエンザでは、100万人もの人がなくなると言われているけど、それでも全人口の1%。1000万人が亡くなったとしても10%。予防注射や治療薬がなくても、助かる人はたくさんいるのだから、人間には、計り知れない治癒力があるということだろうと思う。確かに、脅威ではあるけれども、病院へ行っても、予防も治療もできないなら、自分の力を信じるしかない。わが家は、梅干を焼いて、それをお茶に入れて飲むことで予防をと考えている。黒焼きにするのが一番いいらしいので、今日は試してみようかと思っている。薬に頼らず予防や治療ができる知恵をもっていると、いざというときに助かる。
2008年12月29日
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PHPのヒューマンドキュメントインタビュー。もと、ある宗派のトップだった僧侶が、もっと肉体のことを勉強しなければと、医学部に入学した。現在54歳で、研修医としてがんばっている。彼は、「自分とは何か」「生と死」をテーマに、自らに修行を課して生きている。宗教のトップに立つことが目的ではない。名医になることも目的ではない。彼はただただ知りたいのだ。いのちの真理を。ずいぶんと苦労し、今も苦労していると思うけど、はっきりしたテーマをもっている人間は、多少のことでひるまない。目に信念が宿っている。ぼくは、そういう人は好きだ。自分ができないことを、彼はやってくれている。そう思うとうれしくなってきて、応援したくなる。オリンピックや野球で、自分ができない超人的なことをやってくれている選手を応援する気持ちに似ているかもしれない。彼の名前は対本宗訓さん。ぜひ、彼の本を読んでほしい。http://www.sokun.net/
2008年11月30日
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今日は、日本橋で水中出産のお話をする。ずいぶんと昔のことのように思えるけど、3人目が8歳だから、そんな古い話ではない。昨日は、浦和で打ち合わせがあった。終わったあと、足を伸ばして南浦和まで行ってみた。南浦和は、13歳の長女が生まれたころに住んでいた場所だ。駅前のけっこう高級なマンションにいた。長女は、海老名の助産院のプールで生まれた。タクシーに乗って帰ってきた。途中、帝京大学病院に入院している恩師を見舞って、長女の頭をなでてもらった。しばらくして川越へ引っ越した。そこで、次女と三女が生まれた。海老名の助産院のプールよりもずっと小さな組み立てプールを自宅の居間に設置、なんだかお祭りみたいな気分で、生まれる瞬間を待っていた。月日のたつのは本当に早いものだと思う。あのときの感動も薄れてしまっているけど、今日、お話をするチャンスをもらって、また、思いを新たにできそうだ。
2008年11月16日
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最初の子は、海老名にある片桐助産院のプールで。 その子も13歳になりました。 取り上げてくれた片桐弘子先生はとてもいい方だったけど、数年前にがんで亡くなりました。 次女と三女は、自宅に組み立てプールを送ってもらって、その中で生まれました。 三女のときは、長女は特等席で生まれる瞬間を目撃しました。次女は、「恐い、恐い、赤ちゃんバイバイ」と私にしがみついていました。 次女は11歳、三女は8歳になりました。 早いものです。16日に水中出産のお話をします。☆ちょっと長いけど主催者よりの詳細です。午後の部 ≪女の幸せ≫好縁会 13:00開場 13:15~17:00 ◎内容 誕生&魂と肉体の健康と美&心の癒し (アナタの素敵な本質や感性をさらに磨く講座の数々です) 3組の素敵なナビゲーターがご登場♪ 『男の<水中出産>体験記』 お嬢様3人を<水中出産>なさった奥様を身近でサポートなさった、 イルカの学校の校長先生・小原田泰久さんがナビゲーター http://www.ne.jp/asahi/irukanogakko/oharada/index2007.html ◎ご本人から皆様へ一言 イルカが縁で結婚し、イルカみたいな水中出産を体験しました。 助産院への入院から出産までずっとこの目で見てきて、 子どもが誕生するということの意味をしみじみと感じさせてもらいました。 最初の子どもが13年前、一番下の子が8年前。 今でも鮮明に覚えているし、きっとこれからも忘れることはないでしょう。 そんな私の体験が、何か参考になればうれしいです。 小原田さんのお話はメチャメチャ面白いです♪ 男性の出産に対するマインドを知る絶好のチャンスでもありますよ。 ご著書の「犬と話しができる!」「植物と話ができる!」(廣済堂出版) などのお話しも時間があればぜひお聞きしたいですね♪ 『誰でも出来るヒーリング・クォンタムタッチの体験』 AK活性やエーテリックヒーリング、オーラリーディング、 クォンタムタッチなどを駆使する双子の美人セラピスト姉妹、 朝海遼子(あさみりょうこ)さんhttp://ryokoasami.com/ &楓雪乃(かえでゆきの)さんhttp://yukinokaede.com/ あなたもその日からヒーラー(施術者)になれるかも? みなさまがお家に帰ってからも活用していただけるように、 基本の呼吸法も彼女達に教えていただきます。 クォンタムタッチのいいところは何と言っても、 呼吸をしている人なら誰でもすぐにできることです! (呼吸してない方はいませんよね:笑) ヒーリングやセラピーをどのように日常に取り入れているか、 彼女たちの具体的な体験談も交えながらお話しいただきます。 ◎お二人から皆様へ一言 日本ではあまり馴染みのない「クォンタムタッチ」ですが、 アメリカでは看護士の認定単位にもなっている、 とても簡単なヒーリング法です。 ヒーリングが初めての方も、レイキと組み合わせたい方も、 みなさん一緒に楽しんでいただけたらと思います。 愛するご家族や動物を、 ぜひあなたの愛のエネルギーで包んであげてください☆ そして3番目の登場はヒーリングボイスの持ち主、 菅澤真理さんによる、トーク&ミニライブ トーク内容 テーマ:「自分らしく生きる」 ・歌を始めたきっかけ ・わたしにとっての「歌」とは何か ・今後の活動 曲目リスト(順不同) 1.Across The Universe 2.Here, There and Everywhere 3.Wild Horses 4.Take Me Home Country Road 5.Blackbird 菅澤真理(ジャズ・ボサノヴァ・ポップス ヴォーカリスト) 千葉県生まれ 幼少の頃より歌うことが好きで、歌手になることを夢見るが・・・ 恥ずかしがり屋で大人しくて、引っ込み思案のため、人前で歌うことはなかった。 学生時代に歌を通して英語を学ぶことが楽しくなり、 いろいろな洋楽を聴くようになる。 2003/01~2006/08 バンドに初加入、 洋楽ポップス・ロック中心のカヴァーバンドのメインヴォーカルとして、 千葉市周辺でライブ活動を行う。 2006/10 ジャズ・ボサノヴァを歌い始める。 2007/10 ギターリストとデュオでジャズ・ボサノヴァのライブ活動開始。 ◎ ご本人に代わりワタクシが一言♪ 真理さんの唄うJAZZやボサノバは聴く者の心を癒してくれます。 いつもは演奏をしてくれるギタリストを従えて唄いますが、 今回は、ご自身でも初めての弾き語りに挑戦です♪^^v 11月16日(日)楽喜囲スペシャルバージョン 『女祭り≪女の幸せ≫好縁会』 感性がより豊かになる至福の時間をお過ごしください。 【会場】 中央区立産業会館 http://www.chuo-sangyo.jp/ 〒103-0004 東京都中央区東日本橋2-22-4 アクセス 都営浅草線 東日本橋駅 押上方面よりB3出口4分 日本橋方面よりB4出口5分 都営新宿線 馬喰横山駅 B4出口5分 JR総武快速線 馬喰町駅 5番出口5分 JR総武線 浅草橋駅 東口8分 【定員】 ・午前の部:20名様(お申込み順) ・午後の部:45名様(お申込み順) 【時間】 午前の部『恋愛セミナー・特別講座』9:45開場 10:00~12:00 午後の部『女の幸せ・好縁会』 13:00開場 13:15~17:00 【参加費】(当日払い) ・午前の部 『恋愛セミナー・特別講座』 2000縁(円) ・午後の部 ≪女の幸せ≫好縁会 3900縁(円) ・午前&午後の部 5900縁(円) 【事前振込み割引】 ※午前の部のみの割引はありません。 ・午後の部 3150縁(円) ・午前&午後の部 4900縁(円) 【懇親会】 会場近くの中華料理店にて 17:30~20:00予定 会費3000円(←吃驚価格!) 前菜・約10種類 メイン料理・約40種類 点心・麺類・ご飯・デザート等・約15種類 以上の本格中華がお好みでオーダーできる「食べ放題」 (普通のバイキングではありません。全て注文ごとの調理です。) 飲み物は生ビール・紹興酒・ワイン・ソフトドリンク、各種飲み放題。 【お申し込み】 コチラのフォームで→http://form1.fc2.com/form/?id=356667 参加なさる皆様には忘れられない最幸の感動と空間を、 味わっていただけるものと確信しています 懇親会ではゲスト講師に個人的な質問や交流が出来ますので、 十分にご満喫なさってください
2008年11月10日
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作家で僧侶の玄侑宗久さんの呼吸法「ビジュアルに置き換えてイメージするんです。自分の体を空っぽの容器だとみなして、息を吸うたびに水が入ってくるとイメージする。足からずんずん頭の上までたまって、今度は吐きながら、喫水線を下げていく。でも、呼吸についても「こうしなきゃならない」というのはないんです。それぞれが臨機応変に、自分にとって快な呼吸法を身につけること」ただ、快という感覚を現代人は忘れているので、長い深い呼吸をすることで、何が快かを感じることが大切だそうだ。まずは長くて深い呼吸。それにイメージとあわせた呼吸。自分なりの呼吸法を作り上げるのもいいと思う。
2008年11月01日
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打ち合わせで、1年ぶりにお会いした方がいた。健康関係の仕事をされている女性だ。「私、9月に乳がんの手術をしたんですよ」そこからひとしきり乳がんの話になった。今、乳がんになる女性は、20人に1人だというから驚いた。日本人の場合は、30代、40代が増えているというのも恐いデータだ。このところ、宮崎ますみさんや大分の山ちゃん(いのちの授業をする養護教員)など、乳がん体験者にインタビューすることもあって、ここにも重大なメッセージがあるような気がしてならない。乳がんは左の乳房にできることが多いのだそうだ。どうしてだろう?がんは他人事ではなくなってきた。予防すると言っても、私の知り合いは、健康が専門だから、十分に注意していたはずだ。健康法など無縁に生きている人が元気で長生きしたりするから不思議だ。いずれにせよ、自分もがんになるということを前提に生きる時代になってきたということだけは確かなようだ。
2008年10月25日
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ぼくの知り合いのドクターは、西洋医学と代替療法を上手に使っている。まずは西洋医学で診療し、その患者さんが、代替療法を受け入れる人かどうかを探る。西洋医学しか信じない人なら、西洋医学の治療をする。代替療法を受け入れる人なら、氣功やホメオパシーの話をする。さらに深いところまでついてこれる方なら、霊的な話をする。こういう段階を踏んでいるので、トラブルがない。そして、代替療法を受ける方も、自分で納得して受けるので効果も高い。小さなクリニックで診療をしている若いドクターだが、彼の地道な努力は、いま実を結びつつある。まだまだ少数勢力だが、霊的な部分にまで踏み込める医師が徐々に増えてきているのだと思う。
2008年10月23日
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歩くとき、なるべく手を大きく振って、足を上げるようにしている。そんな歩き方をしていて気がついたことがある。肩に力が入っているのだ。ほんのわずかだけど、肩を持ち上げながら歩いている。腕を振るとき、自然に下へ垂れた状態から振ればいいのだけれども、一度、肩を少し上げてそれから振り出しにかかる。これが余分な力になって、肩こりの原因にもなっているのではないだろうか。立った姿勢で手をだらんと下げると、凝った部分に痛みが出る。首もうなだれるようにすると凝った部分の痛みは余計にわかりやすくなる。そこに意識をもっていく。筋肉が柔らかくなるのをイメージする。歩くときも、ときどき、肩に力が入ってないかチェックする。だいたい、少しだけ持ち上げていることが多い。そんなときは、深呼吸をして、肩と腕の力を抜く。きっと、毎日の生活の中で、いろんなところへ余分な力を入れて動いているのだと思う。まずは肩から力を抜いて、ほかの部分の余分な力も、少しずつ抜いていくと、体は軽くなっていくはずだ。
2008年10月22日
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ノーベル賞の話題も一区切りした。これまで実にさまざまな研究がノーベル賞を受賞している。ロボトミーという精神病の治療法が1949年に受賞した。これは、精神病の患者さんの前頭葉を切除してしまうという、今から見ると何とも乱暴な治療法だ。人格を破壊してしまって(当時はそんなことは思っていなかったと思う)、大人しくさせてしまうというものである。当時、治療薬がなかったので、この方法はもてはやされたらしい。確か、ケネディ元大統領のお姉さんも、この治療法を受けたと聞いたことがある。手術を受けさせたことを悔やんだケネディの父親は、自分の資産を障害者のために使いたいと寄付して、それが障害者のスポーツ大会、スペシャルオリンピクスにつながったと聞いている。この治療法の考案者も、悪意があってやったのではないと思う。病気治療に絶対は存在しない。でも、病気をすると、絶対を求めてしまう。絶対を求めるゆえに、医師や治療家を盲信してしまう。でも、絶対は存在しないから、結果的に悔しい思いをしてしまうのだ。いろいろな難病があって、今はこの治療法が最高だと信じていても、ロボトミーのような問題が後からわかってくるということもあるだろうと思う。特効薬や特攻治療はない。それを前提に考えていかないといけない。後からでは取り返しがつかないことが多いから。
2008年10月18日
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社会的に非常に地位の高い人たちが気功の勉強をしている。そんな集まりに顔を出した。気功の歴史を聞いたり、基礎を習ったり、簡単な練功をやったり。わきあいあいと楽しい会だった。気の本質というのはわかってないけど、気功はすっかり市民権を得た感がある。20年前、ただのオカルトだった気功も、よくぞここまでという気がする。
2008年10月16日
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ライフスタイルメディスンのメルマガ読者数が、100人の大台に乗りそう。何千、何万という読者数をもっているメルマガがたくさんあるわけだから、100なんて、大して数字じゃないけど、大した宣伝もしてないし、得をする情報を発信しているわけではないのに、一日数人、読者が増えているのは、とてもうれしいことです。医療関係だけでなくて、ぼくの視点で、さまざまな情報を発信していくつもりです。勝手な解釈や言い分もあるかと思いますが、200、300と、愛読してくれる方増えてくると嬉しいな。小冊子も作っている。どこかで目にとまることがあったら、よろしくお願いします。ライフスタイルメディスン(メルマガ登録も)http://www.lifestyle-m.jp/メルマガ予定・科学者は神様を信じない!?・話題のがん治療「ビタミンC大量療法」・アメリカ発 食を考える・花のエネルギーで作ったやるきスプレー・若返るセミナーのお知らせ などです(変更になることもあります)
2008年09月30日
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心の持ちようという言い方がある。嫌だなと思うと、体の萎縮して、気分が悪くなったり、頭が痛くなったりする。そんなのは気持ちの持ち方だから、気合を入れてがんばれば何とかなるというのが、何とかならないのが心の難しさ。心とか気持ちというのは、どこか軽視されているところがある。心と肉体と、どちらがコントロールしやすいか。心の方がはるかに難しいと思う。だから、心の持ちようと言って軽く見るのではなくて、嫌だなと思う気持ちをもっと、しっかりと見つめなければならないと思う。嫌だなと思う気持ちを、無理やりに引きずり回して、嫌だと思うことをやったらどうなるか。心はもっと抵抗する。軽視されればされるほど、心というのは自己主張をする。心をコントロールしようと思うと、いつの間にか、心にコントロールされて、振り回されてしまう。心とは話し合うべきだ。嫌だと思うなら、どうして嫌なのか、心に聞いてみる。そして、それが正当だと思えば、心に従うべきだ。正当じゃないと思えば、さらに話し合う。そんな根気がないと、心とは付き合えない。気合で踏みつけるなんてことするのは、一時的には前へ進めても、やがては一歩も動けなくなってしまう。
2008年09月27日
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