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先日、夢をみた。夢をみたと言っても、ただ夢をみたわけではない。それは、明らかに今までにない感覚だった。夢と現実の境目を体験したのだ。(なんじゃそりゃ?)よく身体や脳(厳密には脳だけである)が疲れた時、す~と気持ち良くなってどこかに引き込まれるような落ちていく感覚は皆少なからず経験があると思う。その時の脳のイメージを視覚的にとらえたと記憶している。それは、突然夢の世界に場面が切り替わるのではなく、徐々に切り替わる感覚を体験したのだ。具体的に説明すると、うとうとし始めて今から正に夢のシーンへ突入しようとする際、視覚的イメージの背景(今からみる夢の場面)がモノクロで、所々がジグゾーパズルのように抜けていた。その抜けた部分にパズルが徐々にはめ込まれていくような映像をみたのだ。(実際にはイメージだけだが)そして、そのパズルが完成したと同時に場面が一気にカラーに変わり、夢に突入したのだ。通常はこの手の感覚は直ちに忘却するはずなのであろうが、なぜか未だに記憶に焼き付いていることが、不思議に思えてならないので投稿したのである。結論を言ってしまえば、この感覚は、『三途の川を見た』とか『怪奇現象を体験した』と言われる感覚と同じで、脳内の思い込みに過ぎないのであろうと思う。要は自分の脳が理論立ててクリエイトしたものなんだと思う。みたものは事実だという人がいるが、実際は自分と同様な体験をしただけなのかもしれない。
August 10, 2020
私は、自慢ではないが便秘という経験が殆どない。一応快便なのだが、残念ながら決してお腹が快調(腸)というわけでもない。どちらかといえば、いつもゆるい方(下痢気味)である。計算した事はないが、今までの人生で一日平均√3(約1.7320508)回くらいはトイレで(大きいほうの)用を足しているのではないかと思う。(ちなみに√ルートを使ったのは特に意味はない)今まで、いろんなヨーグルトや整腸剤を試してみたが、どれも顕著な成果を得る事はできなかった。そもそもヨーグルト自体に整腸効果を求めた事はなかった。あまり期待をしていなかったのだ。しかしながら、数ヶ月前永年便秘気味だった母が、大腸の悪性腫瘍の除去手術をしたので、最近は整腸効果がある食品などを気にするようにしていた。今CMでお馴染みのヨーグルト『D○non BI○』も試したが、例外ではなかった。ヨーグルトとしてのあの食感は日本では珍しいが、ニュージーランドでは普通のヨーグルトの食感と全く同じで、効果も遜色ない気がする。(中の成分は知らないが)そこで出会ったのがやずやの千年ケフィアである。カプセルを1日2回服用するように書かれているが、実際の効果は初回服用後数時間で顕著に現れた。先ず、おなら(o(`^´*)o.。o○ぷー)の匂いが普段とかなり違う。違うとは言っても、シャネルやブルガリの香りがするわけではない。(・_*)\ペチ腸の中で善良菌が活躍していることを疑わせないような香りなのだ。(個人差はあると思うが)それに便の硬さも丁度良く、私の場合は年に1、2位を争うくらいの健康便に匹敵しそうなのが毎日出てくるのだ。「出た」というより、「出した」という感じである。大腸の中がイメージできるような感覚も養われる気がするのだ。この前、1錠飲んでどれくらいの間、それらの症状が続くのか試してみたが、結果は2~3日は維持していた。例え、奨励どおり1日2カプセルを服用したとしても、市販のヨーグルト1個分より安価である。また、ケフィアの中には生のヨーグルト菌を繁殖させて、自家製のものを作るタイプもあるようだ。しかし、私が経験したカスピ海ヨーグルトやヨーグルトキノコのように、菌の繁殖過程で雑菌が紛れ、肝心な善玉菌が減少してしまう恐れもある為、基本的には滅菌が必至であり、容器などの取り扱いにはかなり注意と継続には根気が必要だ。カプセル状のものであれば、いつでもどこでも、特に腸の働きが悪くなる傾向がある旅行中(年末年始の帰省の際)などにはもってこいの逸品?だ。とにかく恐るべし、千年ケフィアなのだ。近年大腸癌による死亡は急増しており、男性で死因の第4位、女性で第2位を占めるといわれている。また、腸の中の有益菌が多いと、自然治癒力や免疫力が増強され血行も良くなるので、ガンや他の成人病、生活習慣病の予防の大きな要因になるようだ。洒落ではないが、まさに整腸こそが逆に人体の調整(腸盛)を司っているのだ。(爆) 今まで親孝行の「K」の字のこともしていないので、早速千年ケフィアを母に送ることにした。皆さんも腸の中をきれいにして、病気と縁遠い身体にしてみませんか。今癒し系の人気ブログタイトルはなに?
December 14, 2007
今、次男が入院しているので、今日は上の息子と二人で某ファミレスへディナーに出かけた。4歳の息子は、普段は飛びつくはずのお子様セットには目もくれず、いっちょ前に大人用のお奨めメニューのホイル包み焼きハンバーグステーキを指差した。流れ?というものは不思議なもので、私の方もなぜか普段なら素通りするはずのシーフードリゾットのセットをオーダーしてしまった。さて、注文したものがテーブルに並び、食べ始めたのだが、火を通し過ぎていた所為かライスが少し硬め気味だったので、結構歯にくっ付くような食感であった。そして、もうすぐ完食というところの最後から2口目で『ガリッ』という今まであまり経験してない食感を味わう事になった。一瞬、『石か食器のかけらでも入ってたかな....』と呑気に考えたが、口から出してみると、銀色に光るものが皿に落ちた瞬間、『キン』という高い周波数たてた。これはまさか自分の銀の詰め物(歯の)かと思い、早速歯を一本一本舌で確認してみたが、しかし舌の感触は通常と変わらず、自分のものではないらしかった。そもそも、ここ十数年歯に詰めたものが取れたことはないので、その時は自分のではないという確信があった。ということは、『異物混入?』ということになる。どうしようかと思ったが、このまま皿に置いておくと自分のものと思われるのも嫌だし、かといって紙に包んで隠滅する義理もないと思い、お店の人にいって店長を呼んでもらい報告した。店長の感じが良い人だったこともあり、口調も全く穏やかで、嫌味もなく報告させてもらった。本社へも報告して原因追及をしてもらうとのことだった。また、最初は断ったのだが、こういうケースでは当たり前なのかリゾットの分をどうしても差し引かせてくれというので、結局甘えさせてもらった。その一件があってから、ファミレスを出る前も家に帰ってからも、約5分おきに、念のため舌で歯を丁寧に異常がないか確かめていたのだが、異常は全く認められなかった。しかしながら、先ほど長男が寝付いた後、うがいをし、舌で確認したら『ん?』という感触、なんか右上の奥から2番目か3番目に穴みたいなものが........。Gee!何かが丁度良い具合?にその穴に詰まっていたから今まで気づかなかったのだ。ということは、あの詰め物は自分のだということになる。このままにしておくと店や従業員に迷惑がかかり、自分も落ち着かなくなると思ったので、夜遅かったが店に行って謝ることにした。丁寧に謝罪した後、サービスしてもらった代金の支払いは不要といってくれたが、気がすまないと言って強引に払ってきた。(当然であるが)幸い、当初自分も決して失礼な言い方をしたわけではないので、謝罪しやすかったのだと思う。ここで、もし最初に私が強くクレームをつけていたら、おそらく謝罪の為、わざわざ夜中に出向き、代金を支払いに行くという選択肢はなかったかもしれない。もしそうなれば、この種の出来事は時間が経っても、自分の記憶では忘れるかもしれないが、自分の脳は決して忘れず、何らかの自傷行為をしてしまう。特に気を遣う人や神経質な人は血管収縮や癌細胞誘発など顕著に現れる。結局は私の間違いから起こった事であるが、後ろめたい事は何もないという(かなり人騒がせな)自己満足を得たことになった。勝手な事を言わせていただくと、夜中にわざわざ恥を忍んで謝罪とお金を払いに来てくれる客もいる事を知った店の人も迷惑と思いながらも、気を悪くしただけではないと信じている。今回の件で宗教の真理を再認識したような気がする。つまり自己満足とはこういうことなのだ。(爆)早く歯医者行かなくては.........。。。゛(/>
October 21, 2007
数ヶ月前から外国為替証拠取引(巷ではFXと呼ばれている)という金融投資を始めている。私にとっては投資というよりもどちらかというと投機に近い。(苦笑)始めた時期が悪かったということもあるが、かなりの損を出している。(笑)噂には聞いていたが、ポジションを持った時に感じる緊張感は並々ならぬものがある。これが独特で、言葉では何とも言い表わせないくらいの緊張(精神状態)なのだ。損失が嵩んでいる時などは急速に上下するロウソク足を眺めながらそれらが長くなればなるほど(含み損が増加すればするほど)、自分の首が絞まっているような錯覚さえ起こしてしまう。株やFX投資経験者の誰もが経験するらしいのだが、一度は死んでしまいたくなるらしい。(私はそこまでは思わなかったが)しかし、事実嫌な汗は出る、喉はカラカラになるはで、もしその時に血圧計や心電図で自分の身体を測定したら、かなり面白いデータが取れるのではないかと思うほどである。特に、ここ1~2ヶ月の相場の急変には肝を冷やしっぱなしだった。数年振りかにストレスというものを感じてしまったかもしれない。わずか数週間(実際には2~3日)で数十万円という損失を出している。(ただの( ̄○ ̄)ア( ̄о ̄)ホ!である)しかしながら、投資というものには必ずみかえりがあってしかるべきなのだ。つまり、現金での損失はかなりの額になるが、(負け惜しみではなく)これらの損失よりも大きなものを得ることができたと思っている。今では、ほんの数十分で数万円の損失を出したとしても脈拍や血圧に異常をきたさないくらいに慣れてしまった。いや、厳密に言うと慣れたのではなく、平常心でいられる方法を早々と発見し、取引開始2日目で落ち着くことができたのだ。やはり決め手は呼吸法にあった。私にとって、あの呼吸法がこの類まれな緊張感(絶望感)にも適用し、克服できる事を発見したのは何事にも勝る収穫である。また、ここ半年間日本経済新聞の政治、経済、企業、投資欄等を隅々まで読み漁ったお陰で、今まで全く興味がなかった各国の経済指標にもかなり敏感になれたことも幸いに思う。最近本を読まないようにしていたので、人の意見に惑わされる事なく、事実関係だけを知る事ができ、非常に脳が新鮮になってきているような気がする。おまけに投資やギャンブルはポジティブな思考や感情はむしろ邪魔なのかもしれないという事も悟った。なぜならば、投資とは安い時に買って、高い時に売るのが基本である。例えばあるデータを基に米ドル/円を買おう(円を売って米ドルを買う)と思った時、そこに米ドル/円が上がって欲しいという感情がどうしても働いてしまう。そして実際に買ったと仮定する。しかし、当初の予想に反し、どんどん値が下がったとすればどう思うだろう。殆どの人は普段ネガティブな人でも、なぜかこういうときはポジティブな思考になってしまい「後から必ず値を上げる」などと思う。とにかく、上がる要因や材料だけを探し求めるのである。だから、同じ経済指標を見聞きしても自分が持っているポジションに有利になるように(勝手に)解釈してしまうこともしばしばで、判断力を失ってしまうことになる。非常に恐ろしいことである。これでは、幽霊を見る人が絶えないのも無理はない。(またその話か?)だから、経済動向を推測する経済評論家は株や投資をやってはいけないというのが定説らしい。話を戻すと、やはり根拠のないポジティブな思考は危険且つ無意味であり、「飲む!買う!打つ!」に感情を導入するとトラブルの原因になりかねないということなのだ。(ちょっと強引?)これらのことから言えることは、私のFXの投資は単なる外為投資ではなく、自分自身に投資しているということにもなるのである。(これも強引?(爆))人気blogランキングへ:ポジティブにプチッとお願いします
October 9, 2007
2月に日本に帰国し、まず不思議に思ったことがあった。最初は悪いインフルエンザが蔓延しているのかと勘違いしたのであるが、恒例のスギ花粉によるアレルギー対策の一法として、花粉用マスクを装着している人がかなり目立った。いや、目立ったどころの騒ぎではなく、ほとんど目以外が白いマスクで隠れているのである。ペンキ屋かカーペット屋くらいしかマスクを使わない国から帰ってきた私から見ればかなり異様な光景であった。ちなみに、私が日本を出る前もこんなヴィジュアルは記憶にない。どの人を見てもマスクの下に埋もれた顔を想像すらさせてもらえないような風貌(?)である。これではどんなに綺麗な顔であってももったいない気がする。Newsで見たことしかないが、何年か前に大陸で流行したSARSを彷彿させるような光景といっても過言ではない。しかし、山手線の満員電車の中でも、周囲は誰も珍しい光景だとは思っていないようであった。実際には、雨が降ったから傘を差しているくらいのことなのだろうが、なぜか私には夜サングラスをかけている人達のように映ってしまった。毎年花粉に悩まされている人にとっては、『好んでやってるわけではない』とお叱りを受けそうだ。しかしながらこの光景(実情)を違う角度から思考するとこのマスクが花粉症の人も花粉症でない人もストレスが解消されるのである。よく考えてみれば、自分の顔を隠していても誰も不思議に思わない環境なのである。こんなことが堂々とできる日本の他人を思いやる性質(カルチャー)が素晴らしいのではないだろうか。たまには通勤通学、買い物、勤務中でさえも堂々と顔を隠すことができたら何かしらからのプレッシャーから開放され少し顔の筋肉が緩むのかもしれない気がした。余談ではあるが、犯人の検挙率は圧倒的に春の花粉のシーズンが低い(んじゃないかな?)(爆)人気blogランキングへ:プチッとお願いします
May 10, 2007
私が興味あるものの一つにマーケティングというものがある。興味があるとは言っても専門書やHow to本などを読んで勉学に励むわけではない。色々な業界を想定してマーケティングを考えるとこれが結構楽しい。マーケティングや営業にとっては統計学的なデータとしての知識や理論は勿論重要であるが、センスも肝心ではないかと思っている。日本への帰国により自分たちの家をマーケットに出すことになり、良い機会なのでこのコラムはNZの不動産マーケットから見たマーケティング思考について考えてみたい。ちなみにタイトルを(-vol.1)にしたのは、連続ではないが時々気づいたら他のマーケティング思考も考えてみたいからである。家を市場に出す前には必ずVender(つまり家を売る人)が仲介を依頼する不動産屋に希望価格を提示しなければならないのだが、これが結構重要である。家と土地の希望価格と自分達が設定したボトムライン(最低価格)が妥当でないと、後悔することになるか、あるいはVenderが売りたい価格とBuyerが買いたい価格に差があり過ぎることになり売れ残ってしまう。だからこそ例え個人の取引でもそのボトムラインを決めるためにマーケティングが必要になってくる。我家のような面倒くさがり屋は、プロパティー・プレスという毎週フリー配布される不動産(家と土地)専門の雑誌から我家と同様な条件の物件のだいたいの平均を希望価格に想定し、暇な週末に数件Open Homeで見て決めた程度に過ぎない。それでもうちのケースは偶然にも希望価格と不動産屋が提示した価格がほぼ同じであった。しかしながら、本当に少しでも適正価格に近く、しかも早く売却したければ十分なマーケティングを行うべきだと思う。マーケットは常に変動しているからという理由もあるのだが、自分でマーケティングを行っていないと、不動産屋のいいなりになり、判断を見失うことになるかもしれない。そもそもマーケティングの利点は一般的には、そこに市場がありその市場の条件や詳細、動向がわかるのでそれらに適した営業活動ができるということにある。一般的には営業の方法は二通りのやり方がありる。言い換えれば、物を売るという方法はあれこれ専門家や書籍が世の中に氾濫しているが、たった二つのやり方しかないということである。通常はマーケティングを行えばどちらの方が適しているのかが明確になるのだが、NZの不動産業界の場合は両方行っているようである。一つはできるだけ多くの人を取り合えず見させたり、訪問させたり、試させたりして、その中の客(ユーザー)の何人かを拾うというやりかた。不動産の場合はOpen Homeで不特定多数の人に見てもらうやり方で、その中からフォローアップしてBuyerのオファーを引き出す。二つ目は欲しがってる人、あるいは条件にあいそうな人を中心に営業をかける。これは、平日などのOpen Home以外の時に不動産エージェントが客と物件の持ち主に個別にアポをとり物件を見せる方法である。この方法はVenderにとってはその度に準備をしなければならないので非常に厄介であるが、マーケティングを考えると当然受け入れるべき営業方法なのである。また、マーケティングというものはオークション市場をチェックすると大変参考になるのだが、不動産のような商品は価格が大きすぎるため、余程の資産家かあるいは投資家や開拓業者でないと参加しないようなので、残念ながら余り参考にならない。小物や動産ならネットオークションなどをチェックするとだいたいの傾向やデータをたたき出すことができる。日本のマーケットは巨大ではあるが、日本人は飽きっぽい気質であるため変則的であると思う。この常識にとらわれない日本の市場で成功すれば、世界でも通用するのだろう。今日も話しのまとまりがなかった。(爆)人気blogランキングへ:ポジティブにプチッとお願いします
December 10, 2006
久し振りのUPである。ようやく先週末に会計士と最終打合せを行い、会社の財務整理はこれで一応終了した。また、Property(家と土地)の売却も先週不動産屋と契約を交わし、来月19日にTender(入札方式)として売却予定となった。入札といってもこちらではわりとメジャーな取引方法であり、最近の地価の高騰でマーケットを調査する時間がなかったので、不動産屋の勧めに応じただけなのだ。上手く行けば来年1月下旬の帰国となるかもしれないが、私としてはニュージーランド生活最後かもしれないこの夏をもう少し満喫したい気持ちもあり、複雑な心境である。さてそろそろ本題に入ることにしよう。先日、雑誌か何かに載っていた興味深い記事を目にした。アメリカの心理学者Dr. フォレンビューによれば人間は1日たった30分悩めば1日の残りの時間が楽しくなるとのことである。私も何年か前までは、何か悩みがあると1日の内に何回か気づいたときにその悩みを思い出し、その度に嫌な気分に陥っていた記憶がある。その悩みを考えると楽しいことをしていても気分が沈んでいた。しかしそれを繰り返すうちにその悩みが段々と些細なものに感じていった。でも実際は殆どの場合、悩んだ末に確たる解決策を生み出したわけでもなく、悩むことに慣れただけなのかもしれないのである。言い換えると、そのことについて悩むことが苦にならなくなっただけかもしれない。悩みの度合いにもよるが、今から思えば1日の内で途切れ途切れに悩む時間を合計すると30分くらいになるのかもしれない。もし悩み事があるならば、1日30分だけ悩むと後の23時間30分は全く違う一日を体験できそうである。ポジティブな人でいくら悩む事はなくても、考えなければならない事は尽きないはずである。皆さんも悩みや考え事があるなら、細切れではなく1日30分間だけ集中して考えてみはどうでしょうか。V(^0^)人気blogランキングへ:ポジティブにプチッとお願いします
November 27, 2006
人間の基本本能の一部に『自分との共通点をみつける』というものがあると思います。実はこの『自分との共通点をみつけ出す』ことはポジティブな思考を育むことにつながるのです。人は特に初対面の人と話をする時、第一印象でその人のことが嫌いでなければ、知らず知らずのうちに共通点や共通な話題をみつけ出そうとします。星座や血液型、都市部や海外では出身地など、挙げれば限がないくらいです。(「そんなにないだろう!」と一人突っ込み)また、相手と自分に共通点がなくても、自分の親兄弟、血縁関係、仲の良い友人とその人に共通点があればなんとなく安心するような気がします。逆に好意を持っていない人と接する時は『自分との違いを探り始める』のです。(笑) 実は、この『自分との違いをみつけ出す』ことがネガティブな思考の基にもなっていることを残念ながら多くの人たちは気づいていません。肌の色や文明、宗教などが原因で起こる人種差別などはその典型的な例だと思うのです。 余談ですが、人種や民族というものはその相違点を差別化なんかするものではなく、本来は環境によって変化した(生まれた)人種を区別する為になくてはならない存在であると思うのです。もともとアフリカのグレート・リフト・バレーから生まれたといわれている一種類の人間達が他の地域へ進んでいくうちにそれぞれ変化(進化)しただけの話なのです。環境により変化した者達は発祥の地にずっといた者達を蔑む根拠はどこにもなかったはずです。話を元に戻しますが、例えば現代を含め歴史上、自分が尊敬していたり目標としている人物がいるとします。 あなたはその人とご自分の共通点を探しますか、それとも相違点を探しますか?もしどちらも探さない、あるいは共通点がなかったという人たちは、その人が本当にあなたが目標としている人かをもう一度考えた方が良さそうですね。(笑)ちなみに、相違点を探して目標の人物を自分とのギャップを埋めたいと考える人は、いろいろ違いを埋めていっても結局は生まれや素質の違いをみつけ出してしまうのかもしれません。何事にも自分との相違点ではなく、自分との共通点を見つければ、もっとその人のことやその物のことを理解でき人間関係がスムーズになるのではないでしょうか。共通点は探しに行かないと待ってては探せないものなのです。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
November 5, 2006
大変ご無沙汰です。m(__)m公私共々まだまだ落ち着きませんが、(自分の中ではわりと)面白いことを思いついたのでUPしてみました。今日、ふとブログやmixiを考えてみたのです。自分のような筆不精者が、ブログなんかをやっているのだから、かなりの数の人が実行されて当然なのかもしれません。また、その方達の殆どが日記や過去にあったことを書かれているのではないでしょうか。 そこで考えたのです。『未来日記ってやつを使って自分の夢を実現する人はいても、実際にネットで公開している人がいるのかなあ?』『ブログや日記にその日や過去にあった出来事ではなく、明日に自分がどうしている、あるいはどうなりたいかを日記のように書いている人がいったい世界中でどれだけいるのだろうか。(そんな人がいるかどうかもわかりませんが)』『小説を書く人ならたくさんいるだろうが、日記形式で自分の明日を表現する人は稀かもしれない。』なぜ、ネット上での公開日記やブログなのかというと、人が見てる可能性があるので、辻褄を合わす為に実現可能のことしか書かなくなるから日記の内容が現実になるのではないでしょうか。実際に(どうなりたいかの)日記の通りにならくても、とにかく次の日に今の自分がどうなりたいのかだけを書き続ければなんとか、シナリオ通りに事が運ぶようになると思います。そうすれば、今からでも思い通りの人生が送れるのかもしれませんね。(笑)明日何やっていいかかわからない人でも、「○時起床、かなり目覚めが良い。」これだけでも本当にそうなるような気がします。どうせ書くなら、たまには今日やったり体験したことを日記に書くより、明日自分がどうあるべきかを書いた方がいいのかもしれませんよ。(爆)人気blogランキングへ:プチッとお願いします
October 22, 2006
最近特に感激と感謝をする機会が多い。それは、お客さんをはじめ自分の会社の一応組織上は部下に当たる方達にも本当に助けられて感謝や感動が絶えないのである。これほど短期で一度に人間関係の重要性と人の温かみを感じたことはなかったような気がする。ここまで読めば仕事上も順風満帆に上手くいっていると勘違いされそうであるが、実は今月一杯で、私が一応名前だけ代表である会社を完全にたたまなければならなくなった。。。゛(/>
October 1, 2006
久し振りの更新です。ちょっとバタバタしてまして、こういう時にこそ『ポジティブ振興会』を普及させないとなどと考えてました。(笑)「別にポジティブにならなくていい。自分の夢や目標だけ叶えさせてくれ~。」という人も必ず役に立つと思います。きれいごとではなく、いつも私は自分を含めた世の中の全ての人に、あるいは1人でも多くの人に何があっても常に『ポジティブ』な思考をしていただきたいと思っています。``r(^^;)ポリポリなぜだかわかりますか?その方が世の中上手くいき、断然暮らしやすくなるからです。(爆)そう思う余り、これまでは脳や思考について記述したり、単に『ネガティブ』な思考や行為を否定しているだけだったような気がします。肝心の波がある思考からポジティブな思考になる方法を考えることを全く忘れてました。今まで、私の理論の大前提にはネガティブなものはなかったのですから、その存在自体を認めたくなかったのです。また、個人個人が思考を変えるまではプラス思考の普及は難しいと考えていたのです。 先日、その考えから少し視点をずらし、誰でも容易にポジティブになれる方法に気づきました。実際にやってみたら、超簡単なことでした。常日頃からあることだけを心がけるだけで、後は普通の生活をするだけでいいのです。 先ず今現在自分の最も好きな物、モノ、人、時、場所、出来事等をイメージしてください。直ぐに思いつかない人は、大好きな趣味の事や想像するとハッピーな気分になれるものを考えていただいても結構です。つまり自分の脳にポジティブなイメージを連想させるものなら何だってかまわないのです。(それでも何もイメージできない人はとりあえず、『ポジティブ』とか『プラス思考』という単語を脳に思い浮かべてください。私の場合はこれをこれで試しました)次にそのイメージを連想させる一番近い単語(言葉)を考えてください。言葉が先に浮かんだ人で詳細にイメージしていない人は、詳細にそれをイメージしてください。この対象は日替わりでも、瞬間的に替わってもかまいませんが、とにかく一つは決めておいた方がいいと思います。そして、自分で(今この瞬間)どちらかというとポジティブだと思えるときは、ふと気づいたときでいいので、その単語(言葉)を脳の中で3回叫んでください。また、自分で(その瞬間)「いけてない」、「ネガティブだ」とか「どちらかというとネガティブなのかな~?そんなはずはずはないのにな~」などと少しでも感じる方はその単語を脳の中で10回叫んでください。(10回呟いた方がいいかもしれません)今後は同様にいつもそう感じた時に実行してください。もし、上記の方法を必ず実行するという条件で1週間試されて、まだ自分でポジティブになりきれない方はもう1週間だけ真剣に試していただけると必ず効果があるはずです。それでも効果がなかったという人はプラスに思考したくない人かもしれませんので、本当にポジティブになりたくなったらもう一度試してみてください。あっ! いま「自分は2週間も続くかな?」と思われた方は危険ですよ。1週目で全思考をその一定の約束だけに集中しながら生活するつもりが少しでもあれば2週間かかるなんてありえないと思います。頭の良い読者の皆さんの中には当然気づかれた方もいらっしゃると思います。これって、宗教と同じなんですよね。脳の中に10回叫んだり口で呟く代わりに、呼吸に集中してもいいのですが、とにかく何かに一瞬でも集中することがコントロールできれば、誰でもどこでもポジティブになれると思うのです。自分のためだけの『ポジティブ教』でもつくってみませんか?今日からあなたは自分だけの教祖様になれるのです。(爆)人気blogランキングへ:プチッとお願いします
September 16, 2006
私は開運などにはあまり興味はありませんが、『開運』とはどういうことだろうとふと考えてみました。占い師や祈祷師などの方が販売されているものや、雑誌に掲載されている開運グッズについて考えてみることにしました。「ウン十万円の壺」とか、「¥3000×4回払いのペンダント」とか「○万円の象牙の☆ミ凸ヽ(^-^)ハンコ!」などの一見「そんなものでまさか」と誰しもが最初は警戒するグッズばかりなのです。にもかかわらず、それらのシロモノは確実に売れ続けているのではないでしょうか。この売れるということにもそれなりの理由があるのです。見(視)たり触ったり身につけたりすることで、購入者をハッピーな気分にさせる、あるいはハッピーな気分をイメージさせるという効果(可能性)も十分にあるということです。また、なぜ『印鑑』や『ペンダント』、『壺』、『財布』などが多いのでしょうか?これにもしっかりとした理由があるのです。先程述べた、ハッピーな気分にさせるということもあるのかもしれませんが、何よりもそのアイテム(商品)を使ったり人に見せたりする時に自信がみなぎるという効果もあります。この自信こそが運気を向上(正確にはその人を良い方向へ変化させる)するのです。例えば、銀行や市役所で印鑑や実印を押す時、それは一つの決断の時とも言えます。その決断の時、高価な印鑑で堂々と署名することにより、自分の行動に自信がみなぎるのです。高価な壺も誇らしげに来客に真っ先に目に付く玄関付近に置く方が当然効果があるわけです。そうなると開運ペンダントや指輪なども常に身に着けることもとても重要なことに思えてきます。日本人に多く見られるのは他のものは余りこだわらないのに財布だけはルイ・ビトンやプラダという人もなぜか珍しくありません。この現象は決して使いやすさを求めたり見栄を張っているだけではなく、実は開運効果もあるということに気づいている人は多くありません。つまり開運グッズとは自分が所有し、あるいは身に着けていれば嬉しく(気分が良く)なるものなら何でもいいのではないでしょうか。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
September 3, 2006
お待たせしました。といっても誰も待っていないと思いますが、とにかく集中力が養われる呼吸法をご紹介します。集中力とは脳の機能を効率よく引き出す最適なアイテム(?)ではないでしょうか。集中力が養われれば、脳力が養われ自分をコントロールできるので結果的には頭が良くなるのです。ところで集中力には大きく分けて2つあります。1つは思考や記憶などを司る集中力、もう1つは身体の機能を司る集中力です。それにならって、呼吸法もそれぞれ2種類あるのです。これらの呼吸法を目的により使い分けます。思考や記憶などを司る『静の集中力』を養うには下記のような腹式呼吸法を用います。A.先ず呼吸法を行う前に、自分が何について考えたいのか、あるいは何について集中したいのかを明確にするB.下腹部を意識的に徐々に凹ませ、横隔膜を肺の方へ上に収縮し、約10秒くらいで肺の空気を吐ききるC.この時体内の二酸化炭素や老廃物が残らず排出されるイメージと共に吐き出すD.肺が完全に空になったら凹ました下腹部の筋肉を緩め、お腹が出るようにして約4秒くらいで肺を新しい空気で満たすお腹の筋肉を緩めるだけで息を吸うことを意識しなくても自然に空気が肺に入ってくるようにするE.この時吸っている約4秒の間は良質の酸素が肺を満たし、体内へ取り込んでいるイメージと共に吸うF.吸いきったら約4秒そのまま息を止めるG.この時息を止めている間は考えたいこと、あるいは集中したいことを司る脳細胞に良質の酸素が送り込まれ、その細胞がONになるようにイメージするA~Gを5~10回繰り返すこの呼吸法は試験や何かの本番前に緊張をほぐしたい場合にも非常に効果的なので是非試してみてください。2つ目の身体の機能を司る『動の呼吸法』は丹田呼吸やヨガ呼吸に近い呼吸法を適用します。a.先ず自分の身体のどの部分をどうしたいのかを明確にするb.ヘソの下の部分を凹ませながら、横隔膜を肺の方へ上に収縮し8秒くらいかけてゆっくり息を吐くc.この時『静』の場合と同様に体内の二酸化炭素や老廃物が残らず排出されるイメージと共に吐き出すd.吐ききったら息を止めないで、ヘソの下の部分は凹ませたままゆっくり8秒くらいかけて息を吸う(感覚的には腹式呼吸というより横隔膜だけを使った胸式呼吸にちかいかもしれません)この際両手を胸の前で合わせると肺の体積容量が増加し、酸素を多く取り入れることができるe.この時息を吸っている間は自分の身体のコントロールしたい部分を司る脳細胞に良質の酸素が送り込まれ、その細胞がONになるようにイメージする例えば、胃が悪く困っている人は胃をコントロールしている脳細胞をイメージし、ストレッチや柔軟運動を行う人はどこの筋肉を収縮しどこの筋肉を弛緩させるかを考えてそれらをコントロールする脳細胞をイメージすればよいのです。これは静の呼吸法にもいえることですが、脳細胞なんて考えたことなくて具体的にどうすればいいのかわからなくても全く問題ありません。とにかく、そう思うだけでも効果は十分にあるのです。ちなみに、動の呼吸法の『d.』のように左右の掌を胸の前であわせたり、頭の上であわせると、古来から伝わる武術の礼のポーズであったり、ヨガの太陽礼拝のポーズなどに近いポーズであることにもうお気づきですよね。あるいは、仏教の禅などのポーズも腕こそ下がってますが、これらは皆呼吸しやすいポーズなのではないでしょうか。全ての基本は呼吸から成り立っているといっても過言ではないでしょう。呼吸で自分の全てをコントロールできるのです。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
August 19, 2006
以前頭が良くなる呼吸法があると書きました。しかしながら頭が良くなるかどうかは実際には基準がないので少し訂正させていただき、頭が良いとは言い換えると集中力が優れているということにもなるので、集中力が養われる呼吸法ということにさせてもらい次回書くことにしました。今回はその前置きとして脳と酸素について書かせて頂きます。最近雑誌などでアンチエージングという言葉をよく目します。アンチエージングとは身体の酸化(老化)を防ぐということです。酸化とはいわゆる錆のようなものですが、ご存知の通り鉄が茶色くなって錆びるのも酸化しているわけです。勿論、食べ物が変色したり味が変化するのも酸化現象の一部です。では、この酸化とは具体的にはどういうことでしょう?そうですね、中学の理科で習うようにある物質が酸素と結びついて化学変化(燃焼等)を起こす現象、または物質が水素を奪われる現象のことです。ちなみに、髪の毛や体毛はアミノ酸のようなたんぱく質が水素(水素結合)により結びついています。ですから、水に濡れれば結合が弱くなり、乾燥すると再結合するわけです。寝ぐせは髪が濡れていたり、寝汗をかいたりして水分を含んでいないと発生しないのです。パーマやカラーリングもこれらの性質を利用しているようです。また話が逸れてしまいましたが、人間の身体の70%~80%が水分でできているということをいわれてますが、要は人間の身体も殆どこの酸素と水素でできているということがいえるのです。脳細胞も脂質は多く含まれているといわれてはいますが、身体と同様に水分もかなり多いのです。酸素は呼吸により取り入れるのですが、脳が消費する酸素量は通常肺が摂取する総量の20%~25%といわれています。身体の筋肉と違い、脳の細胞は微動だにしないのにこの消費量なのですから、このことが意味するものは脳は常に活発に働いているということですね。おまけに脳は供給された酸素を身体の筋肉のように貯蔵できないので一瞬で消費してしまうそうです。ということで当たり前のことですが、脳への酸素供給が他の身体の部分へ供給することよりも重要だということですね。またこれは、私が考えたこじつけのイメージ理論ですが、先の水素結合は人間の身体や脳の構造にも適用されており、良質の酸素を脳内に供給することにより、今までの不適切な脳細胞同士の結合を弱め、効率良く再構築させることができるのです。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
August 14, 2006
人間のDNAには本能に近い3つの基本的なプログラムが組み込まれています。一つは自分に適合した(好みの)異性を見つけ出し、より優秀な遺伝子のコピーを持った子孫をこの世に残すこと。二つ目は欲などを満たすことにより、脳内にドーパミンのような神経伝達物質を分泌し快感を得ること。そして、三つ目は理由を考えることです。私のコラムで何度も登場しますが、人間は誰しも知らず知らずのうちに必ず理由を考えて生きています。何かをする理由、何かをやめる理由、立ち止まる理由、振り返る理由などなど、何らかの理由があるから思考や行動を始めるわけです。この思想は、(これも私独自の持論ですが)脳内に無意識の領域というものを存在させないということとある意味同じなのです。ある人は人間が転ばずに2足歩行できたり立っていられるのは、無意識の領域でコントロールされているからだという人もいますが、この無意識の領域をひとたび脳内に創造してしまうと、死ぬまで自分という存在に悩み、自分をコントロールすることが困難になります。挙句の果てには、無意識の領域が意識の領域に侵攻してしまうと、鬱になったり、精神の病を自ら引き起こしてしまうのです。私に言わせると、おそらく精神病患者の100%の人が意識と無意識が存在すると考えているはずです。ということで、私が推奨する後悔しない記憶法をご紹介します。後悔するということは実は何かを思考したり、行動したり、あるいは選択する時に考えた理由をはっきり覚えていないということなのです。はっきり覚えてないのですから、そうなった理由がわかりません。そうなった理由がわからないのですから結果に満足しなければ、当然後悔するのではないでしょうか。では、どうすればいいかというと、その結果を選んだ理由にこだわるようにすればよいのです。極端な例を挙げて分かりやすく言うと、今までの人生の分岐点と思われるところで何をどう決断をしたかという理由を記憶しておけば後悔することはなくなるのです。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
August 4, 2006
前回、「頭の良し悪しはクロックで決まる」ということでしたが、今回は個々の脳力(能力)の一つの機能である記憶について書かせていただきます。『記憶って、要はこだわりだよな。』となぜか突然思ったのです。その時の映像を文章にするとこういう感じです。もともと人間の脳は、覚えようとする対象にいかに興味を持ち、いかにこだわるか、ということだけが重要であると認識するようにプログラムされていたのではないか、ということです。本来の脳は興味がないことは記憶しないようになっていたのではないでしょうか。言い方を変えると、興味やこだわりがないことは記憶する必要がなかったのです。人間の歴史から比べると、そんなに古くない近年になり、大脳新皮質、特に前頭葉が発達してきました。この前頭葉は秩序を守る理性、感情なども司ります。その前頭葉の発達と共になぜか、生きて行くなかで段々とマイナスなことや自分にとって都合の悪いことも覚えていないと生きていけないということも認識するからです。例えば、とあることでA、B、C、Dの4人が集まり大笑いした記憶がそれぞれあると過程しましょう。5年後、4人に個別に集まってもらい、それぞれ当時の感想を述べてもらった。Aという人は他のことはいっさい覚えてないがなにか可笑しかったようなことだけは覚えていた。Bは今世紀最大(年がばれますね)に大笑いしたことは覚えてたようである。Cに至ってはいつどこでかは定かではなかったが、何のことで大笑いしたのかをはっきりと覚えていた。更にDはいつどこで誰と何について大笑いしたのかをはっきりと覚えている。ちなみに、当時の4人のメンバーを覚えていたのはAとDだけで、場所を覚えていたのはBとDだけであった。余り良い例えではないかもしれませんが、こいうことも事実として考えられるのです。この例から考えると、記憶とは要はその人がどの部分にこだわったかによって差(知識の差等)が出るのではないかということです。ということはやはり、記憶とはこだわればいいということになるのです。何かを覚えたいのであれば、とことん興味を持ちこだわるのが一番なのです。一見当たり前の事かもしれませんが、皆さんは記憶する時に本当にこだわってますか?次回は新しい記憶法を考えてみたいです。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
July 29, 2006
コンピュータはクロック周波数で一度に処理する情報量が決まってきます。では、脳のクロックに当たるものとは何でしょう?それは、血流の速さ、質、そして量のことです。血流の速さとはいっても心臓の鼓動の速さや血圧が原因というわけではありません。逆に鼓動が速くなり過ぎると緊張して頭があまり働かなくなることもあります。それに、血圧があまり高くなり過ぎると脳が働くどころか脳の血管が破裂してしまうこともあります。この場合の血液の速さとは、むしろ心臓の鼓動や血圧は余り上昇しない方が良いと思います。血液の量とは酸素(ヘモグロビン)や二酸化炭素の量、糖分や他の栄養素の量などのことです。また血液の質とは血液の濃度や人間の一般的な(その人にとっての)最良の血液の状態に関係します。ということは、正しい呼吸と規則正しい生活、バランスが取れた食生活を心がければ脳が活性化し活発に働き、頭が良くなるのです。「規則正しい生活?ハ~?バランスが取れた食~生~活ゥ~?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、いくら夜勤や外食が続く人でも呼吸はするでしょう?つまり脳の必要不可欠な栄養素の酸素が多く送り込まれると、脳は嫌でも活発に働くようになるのです。規則正しい生活や食生活を変えたくない人は呼吸を変えると頭が良くなります。後日、機会があれば頭が良くなる呼吸法もご紹介したいと思います。また、健康な血液以外にもう一つ忘れてはならないのが血流を圧迫したり、うっ血させるものがあると、脳に十分な酸素や栄養を送り込めないということです。首は心臓から脳までの道のりで一番細い部分です。ここを何も圧迫しないで真直ぐにして、痛みやコリによるうっ血をなくすと血流がスムーズに流れるのです。ちょっと待ってください。そうすると、その首と脳の間にある顔にもいえることですね。そうです、顔もリラックスしてどこにも歪や圧迫がなければ、血流がスムーズになります。だとしたら、首の下の肩や背中にも同じことが言えます。やはり肩こりなどは脳にとっても大敵なのです。更に、お腹や腰、上半身だけでなく下半身までも影響すると思うのです。また、心臓の近くにある筋肉もかなり影響があるかもしれないですね。その代表的な筋肉が『大胸筋』なのです。要は胸の筋肉(ゴリラがよく叩いてるところ)のことです。ここが圧迫されていたり、力が入って緊張状態が多いと、脳への血流に影響するのです。 ところで、体育会系のマッチョな男性や巨乳の女性は昔から頭の回転がどうのこうのと言われていますが、そういう人たちの中にも秀才タイプの人が大勢います。そういう人たちは大胸筋などの部分の力の抜き具合を知っているのかもしれませんね。とにかく、キーワードは筋肉の弛緩と精神のリラックス(ゆとり)そしてプラスに考えることなのです。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
July 23, 2006
前回は人の頭がいい悪いということについては総合的には余り大差がないのかもしれない、ということに触れましたが、今回はタイトル通り『頭の善し悪しはクロックで決まる』とはどういうことなのかについて述べたいと思います。今更ですが、『善し悪し』ではなくて『良し悪し』なのでしょうか。(知ってる方いらっしゃったら教えてください)クロックと言っても当然ながら時計のことではありませんが、時間が関係することには相違ありません。この場合のクロックとは、勿論脳をコンピュータに例えた場合のCPUの処理速度に関係するクロック周波数(一般的には水晶発信器等が発生する時間(秒)当たりに発生する周波数)のことで、このクロック周波数が多い回路(CPU等)ほど時間当たりに処理する情報量が大きくなります。つまりクロック周波数にデータを同期させて処理速度を速めているというわけです。1クロック周波数当たりに処理するデータ量(ビット数)が同じだと考えた場合、時間当たりのクロック周波数が多いほうが、当然時間当たりに処理するデータ量が大きくなります。私のプロフィールにも書いてありますが、私はコンピュータ、いやコンピュータや機械だけでなく人間が創造したものや作り出したもの全ては脳が発想したことであり、それらの発想の過程や物理的な機能、構造を知ることが人間の脳を知ることのshortcut(近道)であると思っています。つまり、脳の機能や構造を知ることで、脳のより良い使い方を知ることがきでるのではいかという発想です。そういった意味でも、人間は自然には勝てないんですね。先ずは以上のことが私の理論の根底にあるということだけ、覚えておいてください。以前同様のことを脳のハードウェアvol1とvpl2というコラムで書かせていただいたので、こいつは何を言ってるんだと思われる人はそちらからお読みいただけるとよりわかりやすいかもしれませんが、特に読まなくても話はわかるように書きます。この時点で更に長くなりそうなので、vol.3まで続きそうになってきました。m(_ _)mもういい加減にしてほしいですよね?(笑)ではでは、そろそろ本題に進みます。近年ハードウェアの集積化を筆頭にコンピュータテクノロジーは飛躍的な進歩を遂げています。ムーアの法則と言うものもありますが、この法則を分かりやすく説明するとハードウェアの性能向上は指数関数的に向上する(著しく進歩する)ということです。しかし、その法則もあと数年で適頭打ちになり適用されなくなってしまいます。要はハードウェア的にはあまり顕著な進歩はしなくなるだろうということです。毎度ながら少し話は逸れてしまいましたが、この現象はどういうことかというと、人間の脳もコンピュータテクノロジーの発達と共に著しく進歩に対する適応力が向上したということになります。例えば、いくら時代が変わったとはいえ、定年退職後の人達が携帯電話やPCなどを不自由なく取り扱うという社会現象ももう珍しくなくなってきています。しかし、その世代の人達が誕生した頃はPCやDVDレコーダーどころかテレビでさえも珍しい時代だったのです。この適応力は様々な技術に順応しただけように思われがちですが、本当のところはそれらの技術に同期したのです。例えば、ある人がある技術や法則を開発や発明すると、後からそれらを習得した人が使いこなせるようになった時、ある意味脳のレベルで同期したということになるのです。新しいモノ(機械や技術、法則を含む)というものは使って初めて便利さがわかります。逆に言えば使わないと食わず嫌いのように現在好きなものや現在使いやすいものを尊重したがる傾向にあります。しかし、一度そのものの恩恵(?)を受けると便利さというものを身をもって知ることになり、そのものの存在価値と存在理由を理解することになります。つまり、この現象が脳が技術の進歩と同期(同調)して、脳が処理する情報量が飛躍的に向上してきたのだと思います。これは、真の理解が生じれば単に知識が増えただけではないと思うのです。ごめんなさい。また続きます。m(_ _)m興味ない人は当然ながらこのコラムとばしてくださいね。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
July 14, 2006
今回からちょっとした実験(思考を含む)を試みながらブログを更新することにしました。なので、通常とは書き方と構成の感じがところどころ変わります。では、スタート!世の中のほとんどの人は「頭が良い人と悪い人がいる」と思っているのではないでしょうか。では、頭の善し悪しとは一体何でしょう?記憶力の良さ?暗記力?イメージのたくましさ?閃き?芸術的センス?もの識り(もの知り・知識力)?言語能力?計算力?暗算?超能力?Etc., etc.,etc.,.............。それともそれらの総合?「総合に決まっとるやんけ~!」と思われるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。 では、その『総合』とは何でしょう?私はこう考えます。頭の善し悪しの「総合」とは各脳力(能力)の総合得点です。「当然だべさ、各脳力(能力)毎の能力の得点の合計が多い人がより頭さええのは当たり前でねえか、そんなのアンタ ( ̄。 ̄)σサルでもわかるだ!〔アンタ!! σ゜ロ゜)σこそどこの人 ?〕」と奇妙な?突っ込みが入りそうですけど。(爆)が、しか~し。『人間は誰でも何かの天才だ』と誰かが言ったかどうかは知りませんが(笑)、全ての各脳力(能力)の水準が明らかになれば、どんな人も余り大した差はないということにならないでしょうか。私の下手な説明でわかりにくい方は、実際に各脳力(能力)をポイント制にして計れる、と仮定しイメージしてください。例えば、自分の手だけを使って、○を正確に書く脳力(能力)もあれば、跳び箱を高く飛ぶ脳力(能力)だってポイントになるのです。くどいようで申し訳ないですが、重要なパートなのでもっと分かりやすく説明させていただくと、以前見たTV番組でお惣菜屋のおばちゃんが味噌のグラム売りをするのに、しゃもじですくって量りに載せるのですが、1回で殆ど正確に指定の分量を取り分けるという達人技を見ました。極めるものは何だっていいのですが、要はアニメーションに世界一詳しい人も、世界一コンピュータのある部分に詳しい人も、さきのお惣菜屋のおばちゃんも、世界一掃除が速くて手際よい人も世界一(日本一)法律に詳しい人も獲得するポイントは各人のその脳力(能力)ポイントだけについては同じなのです。そうなると、いくら社会的地位や学歴、経歴が素晴らしいものであっても、人の脳力(能力)や頭の善し悪しには全く関係ないともいえるのです。ただ残念なことに今の世の中は、学業や知識、記憶力(暗記力)、芸術性など人間の脳力(能力)のほんの一部分の点数化(論理化) しかされていないだけなのです。次回は、「では一体頭の善し悪しとは何だ?」ということに迫ります。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
July 8, 2006
前回に引き続き、今回はなぜ今までに風邪の特効薬が世の中に出回らなかったのかということに迫りたい。あっ、これは私の勝手な思考遊びとイメージ力を養うほんの一例なので余り真剣に受け取らないでいただきたい。先ず、風邪は体内に何らかのウイルスやバクテリア(細菌)が引き起こす一つの病状である。一般の風邪薬はもそのウイルスや細菌を死滅させる効能は殆ど持っていない。あくまで症状を和らげるだけなのだ。それでも、症状が和らげば気分が楽になり思考通りに身体が反応しやすくなるので治癒効果はかなりある。通常全てのウイルスや細菌に共通して効く薬はなく、また薬でウイルスなどを死滅させることは、自分の細胞も傷つけることになるので危険である。ウイルスや細菌が特定できれば、特効薬が開発されることは可能であるが、残念ながら世の中には数百種類以上にのぼるかなり多くのウイルスや細菌が存在しているので、それらを患者一人一人に対し即座に特定することは不可能に近い。(通常は医者は患者の症状などから判断し処方しているようだ)それらを死滅させることができるのは最終的には免疫抗体だけなのである。では、自分の細胞を一切傷つけないで風邪を治癒させるその夢の新薬?を考えてみよう。 まず成分を考える。従来通り風邪の諸症状を抑える成分(挙げると限がないので省略します)は入れておきたい。とりあえず症状を抑え気分を良くすることが重要だ。そしてそれらに、脳の血管を広げ脳に酸素を十分に送り込むことができ、思考がある状態に集中するような成分を加えればよい。私は専門家ではないので、実際の物質名やその詳細にはふれないが脳を気持ち良くさせる成分であることは間違いない。とにかく脳が気持ちよくなると、ポジティブに物事を考えられるチャンスを与えてくれる。ところでそれは、抗うつ剤のようなものなんかではない。実際抗うつ剤で症状?が顕著に良くなるケースはまだまだ少ないような気がする。そうなれば、世の中の精神科医が廃業になってしまうので、そうなっていないことからもわかる。実は処方対象者(患者)がそれらのチャンスをモノにできない状態に処方されるから本来の期待効果が得られないのである。もしかすると、心理学的な抗うつ剤の処方は間違っているのかもしれない。というより、専門的に勉強された先生方なのに、それを知らないというかそんなことは教えてもらえないのかわからないが、私はそういう状態に処方された対象者(患者)は下手をすると一生その思考(病気と思われている原因)と付き合わされてしまうくらいのリスクを負う可能性も考えたほうがいいと思う。この理論が証明されれば精神医学会は将来必ず飛躍すると思うのだが.........、飛躍しているのはどうやら私の話のほうであった。(爆)話を戻すとその気持ち良くさせてくれる成分をひとたび脳の思考がポジティブにある状態、あるいはポジティブに傾いている状態の時、それを脳が感じれば免疫抗体も活発になり、身体が治そうと脳が命令を下し始めるのである。しかしながら、一つ大きな問題がある。WHO(世界保健機構)や厚生労働省がやすやすとそんな便利な薬の製造を認可してくれるわけがない。当然である、自分の身体をコントロールできると思わせるような薬でもあるのだ。ある意味危険極まりない。心臓の弱い人でなくても時と場合によっては自分の心臓がどんどん早くなると思う人がでて、発作を起こす人が後を絶たないかもしれないのだ。そうなのだ。この薬を服用すると自分の身体を極端に言うと細胞レベルで思ったとおりにコントロールできるのだ。市販されるとドラッグ的な用途で売買される可能性もあるからである。また、病は気からと昔から言われている。それも医学的な臨床実験からでも証明されている。なので薬なんて必要ないという考えもある。その薬の代わりになるものが常にポジティブに思考すれば、いくらでも出てくるのだ。この代表的なものがアンリミテット・ドーパミンや脳内モルヒネと呼ばれているものである。せめて風邪を引いたときくらい、上述したような薬を処方してもらえると、どうしても、自分の身体についてポジティブに考えることができない人でも確実に回復に向かうと思うのである。その薬も本当に効くかどうかはその人次第なのかもしれないのだが...............。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
July 6, 2006
いきなりで申し訳ないが先日思ったことがある。何を思ったかというと、「世の中解明されていないことがあまりにも多過ぎる。しかし違う方向から考えると、解明されていないことは正解がないのである。最初に考えればそれが定説になる可能性もあるのではないだろうか。おまけに私がいつも考えるどうでもいいことに異議を申し立てる人もいないだろう。」というわけがわからないことである。(爆)しかしながら、世の中には21世紀になった今でもあらゆる分野で常識として伝えられたことが覆され続けている。(『だからなんだ』と言われると返す言葉もないのだが)ということで早速、『だからどないやねん』っと皆様から突っ込まれそうな内容のことを考えてみた。でも今回のは今の私にはそれなりの成果があった。先日、かなり久し振りに風邪といわれるものを体験してしまった。子供からもらったと思われるかなり頑固な風邪(一般的に子供から大人に移った風邪の症状は(T_T)ヒドイよ)だったので仕事を休むくらいの高熱が続いたわけでもないが結構長引いた。その時、気分だけでも良くなる薬がないかと思い、『そうだ。人間に即効性がある風邪薬があればいいんだ』と思ったら、もう脳は考え始めていた。(変な表現でごめんちゃいm( __ __ )m )とりあえずその効能からご説明しよう。その効能とは、例えどのような体質の人の脳にでも「この世の中で今飲んだもの(薬)が自分には一番効く」と思わせることである。「???こいつは何を言ってるんだ???」と思われるかもしれないが、実際にそんな効能の薬があればどのような病気にも必ずインパクトがあるに違いないと考えたのだ。つまり風邪やその病気が自分自身で真剣に治りそうだと思わせることができる薬があればどんな病気も回復に向かうということである。また、話は変わるがこの夢?のような効能をもとめる薬の発想実は大昔には至極当たり前のことだだったのかもしれないことにも気づいた。(勘違いかもしれないが)なぜかというと、大昔はその思考こそが病気や怪我に一番効くと思われていたからである。分かりやすく言うと、大昔には医学的知識や薬学的な知識がなかったので最も脳が自然に要求することだけを求めたことは容易に想像できる。昔は今の忙しい現代社会と違い、生き残る為だけに生きていたので、少なくとも今よりは自分の身体に集中する余裕、というか必要があったのではないだろうか。言い換えると、昔薬草にはどのようなモノが使われていたかを推測すると、直接症状に効果があるモノではなく、免疫システムへの呼びかけを起こす作用があるモノや脳に回復に向かうように思考させるようなモノ、あるいはそう考えた時に発生する神経伝達物質に類似したものを多く身体に取り込めるような成分が含まれるものが有効的だったのではないだろうか。ここでなぜ、『物』や『もの』でなく『モノ』なのかというと、実はこれはなにも『薬草の成分』である必要がないからである。つまり、音楽やマジナイでもよかったのではないかと考慮したからだ。(まただからなんだ?と1人突っ込みにも余念がない)(・_*)\ペチかなりずれてしまったが話を戻すと、とにかく効能はそういうことである。できるだけ誰にでもそう思わせることができる薬を開発すればいいのだ。そして少しずつ思考をシフトさせて考えると、その薬に脳にそう思わせるような成分を含ませればいいのだ。『そんな成分なんてあるのか?』とネガティブな発想をする前に更に考えるのである。 そう脳が感じる時に発生する物質と似た様な成分(正確には発生したからそう感じるのであるが)を含ませればいいのだ。そう、その一例が以前にもご紹介した半永久的に脳内で生産可能なアンリミテット・ドーパミンなのだ。この場をお借りして補足説明をさせていただくが、このアンリミテット・ドーパミンはネガティブなことを考えると増えるどころかその度に減ってゆくドーパミンの一種でもある。なぜならば、このような神経伝達物質の一種は思考により生産や増産したり、減少したりしてしまい、元来人間が生きてゆくのに必要ないものだからである。これが今なら、楽天市場でもれなく..........、なんて気軽に購入できたらいいのであるが、世の中そんなに甘くない。(笑)アン・リミテット・ドーパミンはポジティブ思考の人により多く作られるのである。普段ポジティブでない人でもポジティブに思考すればアン・リミテット・ドーパミンが脳内に溢れ出すことになる。『(* ´Д`*)=3 アハァァンリミテット・ドーパミン』、つまり気持ちいと感じるドーパミンの量は無限であると信じきるほど気持ちよくなればいいのである。(爆)まあここまでは予備知識のようなものである。次回は風邪の特効薬が永遠に作られない理由について書かせていただきますので、懲りずにまた読みにきてくださいね。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
July 1, 2006
目標を特定すれば必ず達成できるのであるから、目標を一つにしぼればいいのです。ということで、当たり前のことでしたが、今回は脳の思考からみた目標自体と真の目標について考えてみたいと思います。(ビジネスの成功とか欲望のような単純なことではありません)人間年をかさねればかさねるほど、本当に目指す目標や目的、あるいはなりたい職業、将来の夢等を語ることが難しくなる。なぜならば、中途半端な知識や思い込みの常識が邪魔をし、目標や夢を達成できない理由を創造してしまうからだ。その点子供はその時だけが全て、そしてもの凄い集中力や執着心を持っており、その上中途半端な知識や思い込みの常識が邪魔をしない為、純粋に今やりたいことを脳が考えるので、即答できてしまう。(直ぐ忘れてしまうが)以前のコラムでも書かせていただいたような気がするが、実は目標とはその瞬間瞬間で優先順位により人それぞれ、臨機応変に変化している。また、その欲の内容も確実に変化する。例えばマクロ的に考えると、息を吐き切って呼吸を長く止めれば長く止めるほど、息を止めることをしなくなったその直後の目標は息を吸うことだけに集中してしまう。いわゆる、無に近づくことになる。無ということは他に欲がないということである。他に欲がないということは一つの目標だけに集中し実行するということなのである。そこで私はあれこれ複雑でステップ・バイ・ステップの目標を設定するよりも、目標を単純化したほうが生きるのに楽なのではないかと考えたのだ。(コンセプトは宗教と同じである)また、その究極の目標は一言の形容詞(物や人などの名詞を修飾する単語)あるいは副詞的な単語で表現することができる、と思ったのだ。例えば、爪を切るという短期中間目標があるとしよう。参考書のようになってきたが、短期とは短期間でその目標を達成できるという意味である。また、中間とはどういうことなのかというと、真ん中とかハーフという意味ではなく、勿論学校の試験という意味でもないが(懐かしい)、途中の通過点という意味であり、その通過点の前にも後にも様々な目標が存在するということでもある。「爪を切る」ということはもう脳の司令塔からコマンド(命令)がでたから自動運転のようなものに切り替わっていることになり、実行するのは確実なので「どうのように」という言葉(単語)だけを考えればよい。例えば、「速く」とか、「きれいに」とか「安全に」、あるいは「慎重に」それとも「だらだらと?」ということである。複数の言葉(単語)を使ってもいいが、「速く、きれいに、安全に」と考えると、当然ながら集中力は一つの言葉(単語)の場合の3倍必要になる。この形容詞は主義というか心がけていることと同じである。但し、短い期間で時間ごとにその形容詞のは変化することもある。つまり、例えば2006年7月1日午後80:02に何を考え何に集中するか、またその5秒後にはどうか、厳密に言えばその5秒の間はどう変化した(あるいは変化しなかった)のだろうか、ということの積み重ねと同じようなことが今までの人生で起こり、そしてこれからの人生で起こることは間違いないのである。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
June 24, 2006
今後、気が向いたら自分で発見した法則のようなものをこのブログで取り上げてみたいと思う。ただし、私が考えた法則なので世の中にとってどうでもいいことであることには間違いない。(爆)ある人が私に質問した。「(インチキくさいとは言わないが)ある自己啓発本で目標をイメージ化して強く思い続けると、必ず実現する書いてあったが、いっこうに自分の目標を達成することができないがどうしてか?」ということであった。ちょっと面白そうなので、一応その人の目標を聞いてみた。その目標とは、「お金持ちになりたい」とのことであった。「なるほどな」と思った。多くの人が『成功』イコール『財を得る』ことだと思っている。価値観というものは人それぞれなので、そう思うことは決して間違いではない。ところで、実は我々は目標設定することが非常に苦手である。できれば、日々自由気ままに生きて、適度に幸福感を感じ、なるようになってくれれば、十分であると脳のどこかで考えている。またその反面欲張りでもあるため、どれか一つに目標を絞れない。これをやると、これができないなどと考えるからかもしれない。故に私の持論では一般的には、以下のような法則は成り立たない、または成り立つ可能性が低いと考えられる。例えば、現在財産を持たない人が将来お金持ちになりたいという目標を持っていると仮定する。しかも世間からケチと思われたり、恨みや妬みのターゲットにはなりたくない、できれば世間や周りからも評判が良く、気前もいいと思われるようなお金持ちになりたいと思っていると仮定する。しかし、それが達成される可能性は非常に低いのではないかと思う。なぜならば、もしお金持ちになることにこだわらず、世間からの評判を気にしたり、気前がいいと思われることを優先すると、世間からの評価を得る目標は達成されるかもしれないが、お金持ちにはなれないかもしれない、つまり世間や周りの目を気にしたり、付き合いを大切にしたい人がお金持ちになることは至難の業なのである。だが、もしお金持ちだけを選びたいなと思ったら決して無理ではなさそうである。ただし、お金持ちになる為には先ず、出費を抑えることが先決である。その為には倹約家になることが必要条件だ。また、とにかくお金持ちになりたいことに集中し、お金を増やすことにだけに脳を使うと、お金や資産は増えるかもしれないが、世間から気前が良いという評判はもらえないかもしれない。別の言い方をすれば、社会や環境のことを考え、ボランティアが趣味の成金は稀だということである。(笑)一般人がお金持ちになりたくてもお金持ちになれない理由はそこにあるのだ。だから自分の思考がわかっている人はそういう目標設定はしないのかもしれない。財を築きたい人の全てが、人からどう思われるか気にしないとは思えないし、全てのお金持ちの人が皆倹約家やケチといわれているのかというと勿論違うことはいうまでもない。おそらくお金持ちの人の殆どが、ある目標を達成した結果の一つとして資産や財産ができただけなのである。それらに対して、目標の項目の思考バランスが取れていれば(それぞれの目標の優先順位がどれも同等であれば)、複数の最終目標を同時に達成されることもあるが、途中でギブアップしてしまう可能性も高い。「そんなことは当たり前のことだ」と思われるかもしれないが、実はこの法則の本質はこうなのだ。よく自己啓発の本なんかで言われている「できるだけ具体的で鮮明なイメージを抱くと目標は達成されやすい」という法則は嘘ということにもなる。例えると、理想の金持ち像をいくら鮮明にイメージしても何も前には進まないのだ。しかしながら、誤解をしないでいただきたい。お金持ちになるということが最終目標であると仮定したら、取り合えずお金持ちになることを大前提として、最優先にイメージする。その最優先のイメージが完璧に抱けるようになれば、次の優先順位の目標(世間の評判を得る等)を考える。つまり、目標は贅沢に設定すればするほど達成されにくいので、目標のイメージが鮮明であればあるほど、それらの優先順位を明確化しなければ達成されにくいのだ。今回の要点は安っぽい自己啓発の本などに惑わされてはいけないということと、目標の優先順位を決めるということである。皆さんもたまには目標を立て「どうなりたい」のかを考えましょう。(笑)次回はもう少し目標について思考してみたいと思います。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
June 17, 2006
サブタイトル:身体と犯罪の関係今回はしばらくご無沙汰だったので、一気に3つくらいの思考論を盛り込んで絡めていきたいと思います。近年、日本を始め世界中でか弱い子供やお年寄りをターゲットにする異常犯罪が増え続けている。これらの原因と傾向は専門的な意見等様々であろうが、私は例のごとくまたまた勝手な事を書かせていただくことにした。人類が地球上で最も優れた知的生命体となって以来、 多方面における技術の進歩は地球上に飛躍的な変化をもたらした。(おっ、そこまでさかのぼる?)勿論人間自体の進化も同時に繰り返されてきた。環境は日々変化し、人間一人当たりの知識や情報量は増え続けているが、実は人間の思考自体はあまり変化していない。その証拠に昔ながらのことわざが現代社会にもズボッと当てはまることが少なくない。こんなに環境は変化しているのに。話題は少し変わるが、先日、1人でも多くの人が身体を動かしたり鍛れば、犯罪は必ず減るのではないかと考えた。先ずはその思考過程をご紹介したい。ちなみに身体を動かすということは自分を知るということだ。つまり、人間は自分の脳を使って身体を動かしているのだ。別の言い方をすれば、人間は自分の脳が自分の身体をいつどこでどのように動かすかをどのように自分で命令しているかを知っているということである。とにかく、身体を動かすと身体に良いばかりでなく脳が健康になるということもあるが、体力的にも自信が湧いてくる。体力的に自信が湧けば、スポーツや身体を動かすことに快感を感じやすくなる。(勿論このとき脳内で死ぬまで無限再生可能(無限貯蔵量)のドーパミンが発生する)快感を感じれば、例え医学的に証明されてしなくてもストレス(ストレスなんて自分で創りだしているだけなのですが)が軽減されることは自分の脳で少し考えれば誰だってわかる。(でしょう?)だからストレスが軽減されれば、ストレスをつくりにくくさせ、健全な思考ができる。何が健全かは人それぞれかもしれないが(爆)、健全な思考ができるようになれば満たされる気分になりやすいので結局は不満がなくなる。世の中に不満が無くなれば、犯罪が減る。なぜ、不満がなくなれば犯罪が減るのかというと、恨み妬みなどのマイナス部分がなくなるからだ。逆のこともいえる。身体を動かさないと犯罪が増える。そんな無茶な、と思われるかもしれないが実際そうなのである。(まあ程度にもよるが)仮にもし不満が爆発したとする。そうすると怒りをぶつける相手(矛先)を探してしまう。通常その相手(矛先またはストレス物質の発散行為)とは人か物である。当然、人を傷つけたり物を壊すと犯罪である。最近はTransport(交通機関)の発達でますます身体を動かさない。私がなぜTransportと書いたかは、便利だったから使っただけである。そういえば、英語は便利な表現がたくさんある。日本語で交通機関ときけば、先ずエンジンやモーター付きのものを想像するかもしれないが、英語でTransportと書けば語源は『楽をする乗り物』なのである。なぜ辞書もそう書いてないのか微妙に不思議であるが、少なくても私はそう解釈している。話を戻すと、え~だから、時代が進むと同時に異常犯罪も増えている。異常犯罪どころか犯罪自体も確実に増えている。なぜ、最近は子供達を対象の犯罪が増えているのかというと、ストレス物質の発散効果の対象が人であった場合、これは心理的にではなく思考的には自分より弱い対象を探してしまうようにできているからだ。日頃から身体を動かしてる人は普通は身体を動かすことでドーパミンを噴出し、不満や怒りを発散させるのだが、例えその人たちが不満を積もらせ冷静さをなくし怒りをぶつける相手(矛先)を探したとしても、この場合の相手(ストレス物質の発散行為)は身体を動かすことに加え『自然』や『アウトドア』などというオプション(選択肢)も増えるのだ。新聞沙汰になるような事件を起こすトップアスリート達は怪我や療養中またはオフシーズン、あるいは謹慎中や試合出場停止中に多く事件を起こしている。で、最初に戻ろう。我々人間は運動不足の人が多くなった、といわれる現在のIT社会になるように過去から環境を常に変化させてきた。それが皮肉なことに近年、人間の代々伝わってきた基本的な思考でさえも自ら創り出した環境により無理矢理変えさせられようとしているのである。「自然や環境にやさしい......」に加えて、「人間(の思考)に優しい.......」も考えていただきたいものである。(爆)人気blogランキングへ:そこをなんとかプチッとお願いします
June 10, 2006
道程とは言っても高村光太郎氏の有名な詩『道程』とは余り関係ないが、かといって全く関係がないわけではない。人が目標へ向かおうとする時、その道程(みちのり)がどういう状態なのか、つまり険しいのか楽なのか、登りなのか下りなのか、障害物があるのかないのか等を一瞬のうちにその人の脳がそう考えてしまう。どうしてかというと、もし進む道に障害物がある、言い換えると何か目標が達成されなかった場合には、必ずその証拠(理由)が残っているからだ。私は過去にそういう思考をしていたことがある。だから人にこういう証拠(できなかった理由)を突きつけていたのかもしれない。今思うと「ああ、この時に自分はその理由の障害物または道程に勝てなかったんだ。」などと今との違いを実感する。話は全く違うが、その人にとって嫌いな人や苦手な人は好きな人以上に気になる時がある、ということもこの思考が関連する。なぜかというと、嫌いな人や苦手な人達の存在そのものは今が楽しくない理由の一つのなので、これを克服しないと前に進めないこともあるからであり、その時点での一番の障害物なのだ。つまりその当初の目標が達成されなかった(前に進めなかった)理由が存在する。逆にいうと達成されやすいことには障害となるものが存在しない。だから以前は諦めた理由を必ず持っていた。ではどうすればそのような理由をつくらなくなるかというと、何に対してもその目標、あるいは自分が進む方向に何も障害物(問題)がないと考えることができればいいのである。理論的には当たり前のことであるが、思考的には困難な場合がある。一見この思考法は理想と思われがちであるが、決して理想などではない。誰にでもできるのである。やらない、あるいはできない理由という証拠を残してしまうと、その証拠がある種のトラウマとなり、その事に関してはなかなか前に進めなくなる。なぜトラウマとなりなかなか抜け出せないのかというと、自分が創った理由を人生の軌跡に残してしまうからなのだ。この場合、抜け出せないというのは、身体的または精神的逃避ではなく、根本的な解決が望めないという意味である。勿論、一般に人は様々な逃避という手段により、トラブルから抜け出したつもりになる。 しかし、それは本来の解決策ではない。ちなみに、その逃避さえできない人がいる。そういう人がかなりの精神的なストレス(心の病)を抱えてしまうのだ。では、逃避以外で解決するにはどうすればいいのだろうか。自分が考えて創り出した障害物(理由)なのである。その障害物を帳消しにできるような自分で前に進める理由を考えればいいのだ。つまり、ポジティブに「この目標にたどり着くには?」とできる理由を考え続ければよいのだ。人気blogランキングへ:そこをなんとかプチッとお願いします
June 5, 2006
私のような勝手な思考論を述べているブログにいち早くリンクしていただいた、潜水艦「ほのぼの101号」さんから理系脳バトンというものが回ってきた。などと書いてる間にいきなり今ゲシュタルト崩壊が襲ってきた。『襲う』という表現がいいのかどうかわからないが、『回』の漢字がこんなんだっけ?と思えてきた。(ゲシュタルト崩壊とはここをご参照ください)私の脳が理系なのか文系なのかはたまた渋谷系?なのかB系(爆)なのかわからないが、できることなら私は理系でありながら、文学や芸術にも通じていたいとも思っているので、最近よくわからなくなってしまった。そういえば、B系とはBreak Styleということらしい。歴史とファッションとブームは約10年サイクルで繰り返されるらしい。80年代に文字通りブレイクしたターボ(映画『Break Dance』)の動きに感動したものである。((´-ω-`)遠い目)そんなことはどうでもいいのだが、私の場合は強いてどちらかといえば日本での専攻と職業がモロ理系なので、理系なのかもしれない。では早速質問に答えてみよう。1・あなたが理系向きを決定すると思う授業科目は何ですか?A: 一応理科と体育かな?身体の動きは重要です。2・あなたの両親どちらかが理系でしたか?または身内(子供・兄弟)に理系がいますか?(理系の仕事に従事している)A: いないです。3・あなたは暗算ができますか?計算が得意ですか?A: 得意かどうかわかりませんが、決して不得意ではないと思います。4・子供の頃の遊び方はどのようでしたか?A: 殆ど外で近所の子供たちと遊んでました。5・あなたが自分の子供の頃を振り返って理系に向いていると改めて再確認した場合それは何歳ですか?その出来事はなにですか?A: 実験が凄く好きでしたが、学校の実験中にあまりドーパミンが出た記憶はないような気がします。理科と社会は大好きでしたが、数学と国語は余り好きではありませんでした。子供の頃は理系に向いてないと思ってました。6・あなたの一番最初の習い事は何で何歳ですか?それは自分の意志でしたか?A: たしか小2くらいで習字だったと思う。そのあとそろばんかな。友達が行ってたから、動機は極めて不純です。(笑)7・あなたの子供時代に好んだ本のジャンルは何ですか?(内容)A: 小中学生の頃は冗談抜きで殆ど本を読んだことがありませんでした。最近もそうですが。(本を読むと馬鹿になるので)それでも中学の頃、初めて書店で購入して呼んだのが多湖輝氏の『読心術』だったかな。8・あなたの子供の頃にあこがれた職業はなんでしたか?A: これといって特にありませんでした。9・メカに興味がありますか?A: 興味あります。子供の頃は組み立てるより壊す方が好きでしたね。(笑)10・子供の頃好んで見ていたテレビ番組は?A: アニメかな。宇宙船艦大和は感動ものでしたね。11・あなたが好きだった授業科目は何ですか?それは得意でしたか?A: 得意科目は体育は常でしたが、体育以外は年を追うごとに変化したような記憶があります。理→英→社→数かな?12・子供の頃感動した体験は何ですか?(心に今でも残っている)A: 現在の感動のほうが強すぎて、子供の頃の感動は覚えてません。13・あなたは一つの物事に熱中できるタイプですか?A: 集中する時はします。14・あなたの部屋はもしくは机の上が整理整頓出来ていますか?A: 残念ながら全くできてません。15・子供の頃(幼稚園~小学校)の友達との関わり方はどうでしたか?(人見知りするタイプかどうか)A: ケースバイケースだったような気がします。良く覚えてないんです。16・子供の頃(幼稚園~小学校)は「やんちゃ」でしたかそれとも「大人しかった」ですか?A: これもケースバイケースだったような気がします。良く覚えてないんです。17・子供の頃(幼稚園~小学校)は「おしゃべり」でしたか?A: 外ではよくしゃべってたかな。家ではあまりしゃべってなかったかな。18・進路決定に親が関わってきましたか?A: 関係ないと思います。余り参考にならなかったらごめんなさい。人気blogランキングへ:そこをなんとかプチッとお願いします
June 4, 2006
タイトルが何やら怪しげな雰囲気を漂わせてるが、今回は満更気のせいでもなさそうである。(笑)そんなことはどちらでもいいのだが、今回の思考は背中を考えるである。たまに手前味噌ながら自分でもビックリするほどどうでもいいような脳機能の一部を発見することがある。(爆)今回は身体の部分で、背中はかなり重要な部分であるということに気づいたのである。ただし、背中とは言っても背骨や神経等という意味だけではなく、それ以外にという意味である。そもそも、身体にも脳にも意味の無い場所(細胞等を含む)なんてない。まあこの話は別の機会にさせていただくが、とにかく今回は触覚的な観点からである。先日子供を抱いていた時、赤ちゃんが安心する理由から連想思考し、苦しい時擦る理由、背中がぞくぞくする理由等を経て、今の段階ではそのような理由が身体の成長過程から学習して得たもの、要は後天性のものではなくて、なぜ人間本来の機能であるDNAなどに組み込まれたかという理由に行き着いた。思いついてしまえば、答えは非常に簡単だった。背中は唯一身体の部分で自分が頻繁に触れられない面積が大きいところである。ということは、一般的には何かが触れたり自分以外の干渉や接触を一番敏感に感じる箇所ともいえる。 つまり、背中は自分の意思だけでは容易に触れないところともいえる。そこで対象物を人間に限定すると、触れられて一番違和感がある、言い換えるとえると一番人の温もりを感じられる器官ではないだろうか、と考えたのである。当然背中が性感帯の人がいて当たり前なのかもしれない。そういえば背中は全ての内臓の反応がでるところというのを何かの本で読んだことがあると、思い出した。調べたり、色々実験していけば、背中にはまだまだ意外な秘密(にしてるわけではないが(爆))が隠されているのかもしれない。(再爆)勝手な秘密で恐縮であるが。。。。。。。。人気blogランキングへ:そこをなんとかプチッとお願いします
May 26, 2006
世界中でベストセラー小説となったダ・ビンチ・コードの映画版が今日から世界各地で一斉に封切となったようだ。私は、ベストセラーの書物、特に自己啓発的な本と小説をできるだけ読まないようにしている。理由は自分がもっとバカになりそうだからである。(爆)しかし、このダ・ビンチ・コードだけは以前から読みたくて、幸い今やっとそれを読むことができるようになったところだ。今ちょうど3分の2を読んだところである。完読はしていないが、このストーリーのどの辺が面白いのかを考えてみた。先ず、冒頭に『この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。』と記されているところも見逃せない。美術関係はもとより学者並みにカソリックと歴史に通じている、あのルーブル美術館の館長である著名な祖父に育てられた、フランス司法警察の暗号解読課に属する美人で才女のソフィー・ヌヴーと、ハーバード大学の教授で宗教象徴学の第一人者であるロバート・ラングトンがソフィーの祖父であるジャック・ソニエールの謎の死をきっかけに、ソニエール達が命に代えても守らなければならなかった世界史上最も重大かつ難解な秘密を追っ手を避けながら次々に解き明かすのだ、面白くないわけがない。世界最大の宗教人口を誇るカソリックをルーツとしたキリスト教の宗派に関する神話が崩壊するかもしれないのだ。こんな重大かつ価値ある秘密である、当然その秘密を手に入れてそれを守りたい者、暴きたい者、売りたい者、恐喝したい者達ががひしめき合い、暗号解読が困難になることも見逃せないが、何より興味深いのはその秘密が世界の常識をも覆すような証拠となることではないだろうか。また、翻訳されている越前敏弥氏の訳が絶妙である。原作の構成を残したまま、忠実かつ明確に翻訳しているのだ、と読んでいて感じてしまう。原文を見なくてもそれが容易にイメージできてしまうところも流石である。さて、宗教の真実が明かされるという事実を皆さんはどう受け止めているだろうか。物語本文の歴史的資料等が事実なら、こういうこともいえる。宗教を信じることと、呼吸(息を吐いたり吸ったりする行為)に集中することは脳内で起こることはほぼ同じである。言い換えると宗教を信じるか、自分を信じるかということにもなる。もっと違う言い方で表現すると、宗教を信じても、自分自身を信頼してもまたはその他のものに従おうとしても脳内で発生する安心感はほぼ同じなのである。ほぼ同じというのは、神には時として見放されたり、裏切られることもあるが、自分は裏切らない。つまりどういうことかというと、宗教や他の何よりも自分(という存在)を信じたほうが何に対しても良い結果が生まれるような気がするのは私だけなのだろうか。人気blogランキングへ:最近ランキングはさがりっぱなしです
May 20, 2006
私は決して完璧主義ではないが『完璧主義』と聞くと、余り良い印象がない人が多いのではないだろうか。例えば『自分は完璧主義で、何に対しても完璧であるべきだ』と思っている人を「ロボットみたいで人間らしくない」とか「余り褒められることではないのではないか」と思う人がいらっしゃるかもしれないが、もしかするとそのような人達はお考えを変えた方がいいかもしれない。それはなぜかかというと簡単なことである、自分が立てた目標に対して完璧にやろうとしない人に未来はないからだ。私は決して、言葉尻をとって屁理屈を述べているのではない。自分がやること(未来の目標やビジョン)、あるいはやろうとしていること(例えば5秒後にやるだろうこと)が、できるだけイメージ通りに事が運ぶように思考することは非常に重要ではないだろうか。ということは、完璧なイメージや目標目的に近づくよう自分をそして世の中を変えていけるような完璧主義者だったらなってもいいなと思わないだろうか。但しここで言っておくが、自分以外の人には完璧を求めてはいけない。というよりも、自分以外の人にも自身が完璧にイメージ通りに目標が達成されるようになってもらいたいものである。そうなると、ある意味違った完璧主義を他人へ期待することも時と場合によるのかもしれない。 今回私が言いたかったのは、完璧といっても結果が完璧なのではなく、イメージについてが完璧であるということであり、完璧を目指さないものへの到達(達成)より目指したものへの到達(達成)の方が確実に到達(達成)率は高い、ということなのである。人気blogランキングへ:最近ランキングはさがりっぱなしです
May 12, 2006
占いとは統計学の一種であるといわれている。統計学というのは、簡単に言うとあるデータを取り集計しこれを数字や確率、グラフなどに表すということでもある。この原理をある一定の項目についてデータ化したものが占いだ。もっとも、そういうデータを誰がいつ取ったのかイメージどころか想像もつかない。(爆)だから私にとっては殆どの占いに対して余り信頼性が高くない。しかし、今回はこの占い思考について考えてみることにした。先ず、なぜ占いが流行るのか。それは、こう考えることもできるからではないだろうか。「未来に良いことが起こるにしても悪いことが起こるにしても、良いことが起これば嬉しくて気持ちよくなるし、悪いことは信じないが、例え信じたとしてもそうならないように今から回避できる時間があるんだ!」と考えることができるからである。また、占いと宗教は全く同じ、といえばどこからかお叱りを受けそうなので、言い方を変えるが、ある意味非常に類似している。例えば、占いや占い師のアドバイスに従って思考したり行動することと、聖書に謳ってあることや教祖が唱えることを思考したり実行するのと何が違うというのだろうか、ということである。ところでもし私が独自で開発した『shinapse占い』という占い師になるとして、どうすれば早く軌道に乗るか考えてみた。占いをビジネスと考えた場合には必ずしも残酷な真実を告げる必要はない。そもそも占いの目的をビジネスの基本に当てはめると、お客さんの為になることを告げることになる。言い方を変えると、お客さんを満足させることでもある。もっと言い方を変えると、お客さんを気持ち(気分)良くさせることである。なので私がやるとしたら、今更統計学的にデータをとるのは難しいだろうから、「できるだけ少しの情報で、できるだけ多くの人に当てはまるセリフや言い方」を考えるかもしれない。これも立派な統計学の一種なのであるが。(爆)よく、占いは良い事だけを信じるという人がいるが、良い事が当たるのなら、悪いことも当たる可能性が高そうである。というよりも、いい事だけを信じるといっても脳の思考レベルでは不可能に近い。つまり、良い事を信じる人は実は悪いことも信じているのである。どうせ信じるなら、全てを占いに任せるという楽な生き方もいいかもしれない。(爆)人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
May 3, 2006
先日の『日本人が捕鯨を止めない理由-vol.1』では理由らしい理由は述べていなかったが、今回はその理由とは何だということを私のまことに勝手な見解から述べてみたい。理由は勿論いくつかある。例えば、日本人は古くから鯨を貴重な栄養源として摂取してきた歴史や背景、あるいは捨てるところがないといわれるほど利用価値が高い鯨のビジネスや金銭がらみ、何より世界でも最大級の魚貝類の消費量を誇る日本にとって、鯨が増え続けることの影響等々、挙げれば限がないかもしれないが、私の怪しく荒唐無稽な思考はこれらの当たり前の理由の中からはなぜか選出されなかったのである。これは例によって勝手な考察なので、余り真剣に受け止めないようにしていただきたい。 こんなことを書かなくても誰も本気にしないとは思うが、........(笑)今回私が独自に考えた理由もいくつかある。先ず、一つ目は日本が2次大戦後某国に洗脳されたためその洗脳部分が国として確たる位置を占めているということだ。前回でも触れたが、「栄養は鯨から採れ」ということも例外ではない。そう言った側が近年捕鯨反対派(国としてはどうかわからないが)にまわっても未だにその呪縛は解けないのだ。また、80年代の話になるが戦後は非核三原則などと一緒に軍事費(防衛費)GNP1%枠(当時GNPー国民総生産といっていたが、軍事費はそのGNPの1%以内におさえろという強制)で釘を刺されてたかと思うと、中東情勢が怪しくなれば、日本が十分に洗脳されているのを確認し、今度は金を出せ1%超えろと要求するのもどうかと思う。話は少しそれたが、そろほど洗脳とは深いものなのだ。(笑)おまけに日本人はかなり真面目で義理堅いときている。いい加減そうな他民族には考えられない律儀さが残っているのだ。2つ目は日本人の気質と思考が関係する。世の中には大きいものと小さいものが存在する。当たり前の事ながら、人により大きいものと小さいものの基準が異なる。つまり、同じ大きさなのに人により大きいと思う人と、小さいと思う人がいるということなのだ。勿論、大小どちらでもないと思う人もいると思うが、今回のコラムではその思考は無視させていただき、「どちらかというと」という前提で考えていただきたい。要点としては、「人によりかなり感覚というものが違ってくる」ということだけ、覚えておいていただきたい。ちなみに、これも大事なことであるが、「そういう感覚は各自個人個人が決めている」ということである。日本はどちらかというと国土面積や平地の面積が小さいほうに属す。また、資源が非常に少ない国でもある。なので、日本国民の殆どは自国は小さく、あまり資源がないと思っている人が多いのではないだろうか。それに日本人は欧米人に対して比較的身体は小さいほうである。それらが影響しているかどうかは定かではないが、日本ではペットは大きいものよりも小さいもののほうが好まれる。犬に例えるとレトリバー系やダルメシアンなんかよりもチワワやミニチュアダックスフンドの方が人気が高い。ちなみに西洋では小型犬よりも大型犬を飼っている家庭のほうが多い気がする。私の超勝手な解釈では、猟をするとしたら、我々日本人はウサギを撃つよりも、どちらかといえば大きな猪を撃つ方が罪悪感がないのではないだろうか。だから、鯨は体長がかなり大きいので、同じ海に住む哺乳類のイルカに銛をぶち込むよりはよりは感覚として鯨の方が受け入れやすいのかもしれない。また、資源の少ない国ならではの資源貧乏性の感覚として、廃棄する部分がく利用価値が高い鯨を捕ることは比較的効率が良い漁なのである。いつもながら、勝手なことを書かせていただいたが、とにかく今後も日本が鯨を取り続けたいのなら、子供だましのような理由ではなく、世界を納得させるような理由を考えて堂々と捕鯨を実行して欲しいものである。もし世界のマジョリティーを納得させられないのであれば、即刻止めるべきなのかもしれない。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
April 26, 2006
最近、ニュージーランド沖での日本の捕鯨船による鯨の乱獲がこちらのニュースや新聞でちょくちょく取り上げられている。勿論、ニュージーランドという国も環境問題や核問題を筆頭にかなり保守的(?)な思想の国なので、当然国民の大半は捕鯨という行為を理解できないのではないかと思う。日本の捕鯨船側も鯨は増え続けているとか、海洋や生態のリサーチなどとかの全く世間にとって説得力がない名目と理由で堂々と大規模な捕鯨用の銛を発射しているのも事実ではある。実は発射しているのは超大型の銛だけではない。連日抗議の為に、まるで捕鯨船の巡洋艦かタグボートかのように併進している地元のグリーンピースの船や人をめがけ、シューティングゲームのように高水圧の放水攻撃を行っている。海外で生活している日本人としては、多少なりとも肩身が狭い思いをする光景である。 私は特にどちらが正しくてどちらが間違っているとは思わないが、失礼な言い方をさせていただくと、どちらも非常に見苦しい。この捕鯨問題何年経っても平行線を辿ることになるだろう。その理由として双方の言い分が大変極端であることと、無知な上に相手の立場で物事を思考できないからではないかと思う。まあ、ここではアメリカのように戦後日本に鯨を食べろという半強制的な指示を与えておきながら、後年捕鯨に反対するような利害関係だけを重視するような国は別として、各国それぞれ言い分はあるだろう。また、我々も無知ゆえに騙され続けている。日本人は自分達の日本という国や国民はそんなに非常識なことをしないだろうと過信している。(私は今でもそう思い続けたいが)最近はそれ以前の問題で世間が無関心なだけなのかもしれない。だから、私も数年前までは捕鯨するのは正当な理由があり、国もそれを公認していると思っていたし、あるいは捕鯨は仕方なくそして細々と捕っていると思っていた。むしろ、国が捕っているくらいに思っている人も少なくないだろう。『無関心』は『知』を嫌うことでもある。それが無知をつくりあげるのだ。話を戻すと、ちなみに捕鯨反対国の大半は自国の岸に鯨が打ち上げられれば、莫大な資金と人手を費やして鯨を海に返しているのが現状である。その折角助けた同類の鯨を研究の為という子供だまし的、かつ見え透いた大義名分で商用の為、つまりはお金のために乱獲しているのである。彼らがその行為を許せない気持ちも少しは理解できる。しかしながら、誰が何と言おうと、何が起ころうと日本は捕鯨を止めない。地球温暖化対策会議で各国に無理難題を押し付けられても平気で、PKO問題などではどこかの国のいいなりになっている外交下手な日本が捕鯨問題についてはこれほど頑なに世界中の悪党になっても続けなければならない理由があるのではないかと考えた。その理由とは一体何なのであろうか。次回は私独自の荒唐無稽、奇想天外なその理由に迫ります。(なにもこんなことで、2回に分けることはないのだが)(爆笑)人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
April 20, 2006
最近笑顔について考えてきたが、今回は笑顔をつくる要素でもある『笑い』について少し考えてみたい。毎年5月中旬に長者番付が発表される。その中でタレント部門では、お笑い芸人やコメディアンの推定年収額が常にトップを独占している。勿論、売れない時にアルバイトや実家からの仕送りで生計を立てていた芸人達に、売れたからといって税金対策をおこなうという発想もないということもあるが、どちらにしても高額収入には違いない。実は、これにはしっかりとした理由がある。それは決して、熱いお湯に飛び込むなど、身体を張っているからではない。(笑)笑いは人々や社会を癒すのである。癒されるということは、笑いは今の病みかけた世の中にとって当然必要不可欠な存在であり、笑いを提供してくれることには価値がある。だから、芸人やコメディアンが高額収入を得ても誰も文句を言わない。故に、それは世間が知らず知らずの内に笑いに価値があると承認したことでもあるのだ。それにしても、誰にでも平等に与えられている『笑い』という脳の機能の一部は外からの情報、つまり人の手を借りないと果せないというのも情けないような気もするが、餅屋は餅屋である。お笑い芸人のように四六時中笑いのことばかり考えている人達にはかなわないのかもしれない。もし、お笑いのライブに入場料を支払って観るとすると、それは笑わせてくれるとか笑いを提供してくれると考えるよりも、時間をかけて、笑えるネタを考えてくれて、それを公開してくれた報酬だと考えてもいいのかもしれない。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
April 13, 2006
前回、笑顔と健康について考察してみたが、今回は笑顔と身体の関係について思考してみたい。特に笑顔と苦しそうな顔の根本的な違いについて考えてみたいと思う。先日、腕立て伏せをやっている時に、あることに気づいた。回数を重ねると腕が疲れて、腕以外の身体の部分になぜか力が入る。足や背中、そして顔までも余計な力が入り、苦悩に歪んでいたのではないかと思う。そこで、身体の余分な力を抜いて、顔の表情を笑顔に変えてみた。そうすると、なぜか嘘のようにスムーズに腕立て伏せを続けることができた。また、その後筋肉痛になることもなかったのだ。そこで考察した結果、いつものように勝手な理論を打ち立てた。(爆)身体の特定の部分に力を入れなければならない時に、他の部分が力むことは人体運動力学的に考えると非常に無駄な運動である。つまり、いくら顔を歪めても筋肉の働きは変わらないどころか、むしろ減衰するのではないかと思う。一般的に大声を出す瞬間に、最大限の力が発揮されると言われているが、実際はそう思われているだけなのではないだろうか。大声を出すことと顔を苦悩の表情で歪めることによって、意図的に極度な興奮状態をつくりあげ、瞬間的に脳のリミッターを外し、瞬発力を高めるということなのだが、考えてみると精神統一や瞑想により脳のリミッターの外し方さえ知っていれば、なにもわざわざ大声をだしたり、苦しそうな表情をつくる必要もないのだ。私はスポーツでもなんでも、それらを行っている時の表情が苦悩に歪んでいる人に天才と呼ばれる人はいないと思っている。逆に、天才と呼ばれる人はその瞬間は実に楽しく気持ち良さそうな表情をしているのではないだろうか。その表情は微笑み笑顔に近く笑ってるようにみえ、余裕さえ感じさせる。歯を食いしばって、苦しそうな表情をすることがだめだというわけではない。ポジティブに表現するならば、表情を笑顔に直せば、もっと身体能力が向上したり、良い成績を残せるはずだということだ。プロや一流選手が一番力の入る瞬間を連続写真やスローで見ると、顔が歪んでいるように見えるのは、決して苦しそうな表情をしているのではない。息を口から吐きながら行っているので、実はその瞬間顔の筋肉を緩めているということにもなるのだ。笑顔は身体能力にも影響するのである。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
April 7, 2006
前回の『笑顔が健康にいい本当の理由-vol.1』でかなり、マニアックなことを書いたので誰も相手にしてくれないかと思っていたら、意外にも反響があったようでビックリしている。今回はいよいよ笑顔が健康になぜないいのかという本当の理由を述べてみたいと思う。 笑顔をつくると頭皮に余裕ができる。頭皮に余裕ができると特に頭の横と後ろが緩む感覚を得ることができる。また余談になるが、以前にもご紹介したように実はこの頭皮が緩むことにより、頭皮が柔軟になり脱毛症の改善や発毛などにもかなりいいようである。つまり今では常識になっているが、ストレスや緊張で頭皮が硬くなると、脱毛の原因になるのである。頭皮と発毛の関係は女性ホルモンが影響するといわれているが、私に言わせるとこれもただの結果でしかない。どこかに原因があるはずなのだ。以前知り合いの美容師さんが言っていた。初めてのお客さんや、見るからにストレスを溜めていそうな職種の人は頭皮が硬いらしい。 初めての客の頭皮が硬いのは、常連客に比べると多少なりとも緊張しているからではないかと私は思う。話を戻そう。ここからは、連想思考法で書き下ろしていく。頭皮に余裕ができると、頭蓋骨を圧迫しなくなる。頭蓋骨を頭皮が圧迫しなくなると、脳へ行く血流がスムーズに流れる。脳への血流がスムーズに流れると、血流の絶対量が増える。血流が増えると、脳へ行く酸素と栄養が一般的には比例して増加する。脳に酸素と栄養が行き届けば、身体の各部分の機能を果す細胞が活性化する。細胞が活性化されれば、免疫システムを司る脳細胞も活性化するので、抗体を容易に増やすことができるようになるのだ。また、同時にドーパミンや脳内モルヒネの生産量も増える。笑うとドーパミンが分泌される。笑顔や笑いで得たドーパミンの形状や大きさ(前回のコラムを参照)は汎用的と考えられるのだ。だから、決して病的な依存症になることはない。いや、むしろ依存症になっていただきたいくらい脳と身体によい。しかしながら、ただ笑顔をつくればいいというわけではない。私の研究(?)では、笑顔をつくった瞬間と、戻した瞬間に顕著な効果が表れる。この、顔の筋肉のどこにも緊張がない運動こそが、脳への血流を増大させているのだ。地球には重力というものがある。この重力に逆らわないことが、地球上で最も長生きできる行き方ではないかと思う。その典型的なものが、笑顔なのだ。重力に逆らわずに形成された笑顔こそが理想の笑顔なのである。 言葉で表すなら恍惚の表情だ。(爆)また、ツボにはまるくらい笑ったときの表情もいいし、思い出し笑いをしたり、楽しいことや気持ちいいことを考えたりした時の笑顔も同等の効果を得る。道理で、愛想笑いを続けると、逆に疲れてストレスになることもあるはずである。ある医療研究チームの研究結果では、笑うことにより、ガンの侵攻が治まったり、末期ガンの患者が完治したという症例も発表されている。実際に末期ガンの患者を大阪の吉本興業のなんばグランド花月やうめだ花月に連れて行き、ライブを見せるという一風変わった治療法もあるという。世の中の全ての人が常に笑顔を絶やさずに生活できたら、どんなに素晴らしい世の中になるだろうか。また、平均寿命もかなり延びるのではないかと思われる。だが、ちょっと想像すると笑顔ばかりでかなりキモイかもしれない。(爆)人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
March 28, 2006
世界ひろしといえども、文化や言語の違い、または先進国、発展途上国に関わらず、必ず共通していることがある。つまり、ITや最先端技術の恩恵をうけている現代人でもジャングルの原住民でも共通していることがあるのだ。それが、笑顔である。楽しい時、嬉しい時などの表情として笑顔がある。これは、誰が伝えたというものではなく、人間の本能の一部分なのであろう。私は今この笑顔に注目しており、自称笑顔研究家として考察している。(爆)笑顔研究家といっても、多くの人の笑顔を集めて、共通性などをしらべるような、無駄なことはしない。(爆)私は、笑顔というものが身体の中で唯一脳をコントロールできる機能を持っているということを証明しようとしているのである。それで今回は、笑顔と健康について思考していきたい。先ず、タイトルが意味するとおり、笑顔が健康にいい本当の理由を考えてみた。どういうことかというと、世間一般で言われている免疫作用の向上とか、脳内の神経伝達物質であるドーパミンとの関係などという理由ではない。そんなものは私に言わせれば、単なる結果でしかない。免疫抗体が増加したり、ドーパミンが発生して、鍵穴のような受容体へ届くなどという現象を発生させことには必ずそうなる原因があるはずなのだ。ここで余談であるが、なぜ私は受容体が鍵穴のようなものだと思うのかというと、ドーパミンの種類によって、つまり何をやって、あるいは何を考えて発生したドーパミンなのかで、受容体の形状や大きさが違うと考えたのである。つまり、全くの新説なのだが、ドーパミンの種類によって、鍵となる形状や大きさが多少異なるのではないかと考えたのだ。ちなみにその鍵穴を人工的にもとの容(かたち)に戻すものがある。これがパーキンソン病などによく処方されているらしいドーパミン受容体刺激薬のではないだろうかと思うのだ。またこの場合、もとの容(かたち)とはどんな形状でも大きさでも容易に受けいれられるようになる、ということである。ということは、当然、ある決まったドーパミンが連続して受容体に結合すると、人によってはそれに飽きて他のドーパミンを発生させることを始めるか、あるいはそのドーパミンの発生原因となった行為の依存症になるかに分かれるだけなのではないだろうか。また、話が逸れてしまったが、しかしこれは非常に大事なことでもあるので、予備知識として理解していただきたい。なぜならば、人間はこのドーパミンを出す為に生きているといっても過言ではないからだ。だから、この理論から考えると、依存症など現代の社会から健康な精神というものが遠ざかってきた理由もうなずけるかもしれない。次回は笑顔が健康にいい本当の理由-vol.2をお届けします。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
March 26, 2006
近年、工業化とIT化が進むにつれて、世間では特定の業界を除いて『伝統』という言葉が軽くなったような気がする。確かに、大規模なIT革命が行われたここ10年でビジネス自体の形式も変わってきているのも揺るぎない事実である。今回は少しこの伝統について考えてみたい。古来から伝統は、創始者がつくりあげた技術や技、秘訣などが次々に後継者に受け継がれ、尚且つその後継者達の知恵と改良がミックスされているということもあるため、重要視されてきた。例えば、食べ物関係なら受け継がれた(最高の)素材を使い、その素材の最高の味を引き出すことをポリシー(理念・主義)として続けられてきた店などはかなりのものを食べさせてくれる。代々の知恵が注がれているからだ。それに比べて、最高の味は追求したいし、受け継がれた味などはできるだけ変えたくないが、できるだけコストを下げたいと思う会社や店が出てきたり、あるいは途中の世代やもともとのポリシーがビジネスとして、いわゆるお金儲けの為に始められた商売が伝統として受け継がれてきた店や会社で売られているものは、上述したものに比べると若干食べたくはない気がする。(実際はいっぱい食べているのであるが)そこで、『伝統』とは現代社会にとって何であろうと思考してみた。味を追求することの伝統を守ってきた店はビジネスとしても余り大きくしない、もしくはできない。また、店構えも昔ながらでそのままのようなところが多い。客に味を守ったり、追求してきたことをイメージさせる為でもあると私は思う。ある日突然、店も新装開店(パチンコではないが)し、チェーン店などを出すと、その世代で、今まで受け継がれたポリシーに何らかの変更があったと思われても仕方がないのだ。だから、『伝統』がどう受け継がれてきたかは、歴史よりも現在のありかたを見れば、明確であるはずだ。つまり、『伝統』とは、常に「過程よりも結果」が重要なのである。故に、『伝統』とはどう受け継いだかではなく、「何を受け継いだ」かなのである。ああ、今回もまたくだらないものについて考えてしまった。(爆)人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!
March 24, 2006
前回の『限界』思考を考える-Vol.1の終わりにVol.2を予告しときながら、いつの間にかかなり時間が経ってしまった。書くことはたくさんあるのだが、日々増えている要点のメモ集を文章化する気が起こらない。要は書きたくない時の自分がいるということである。書くのが面倒ならブログをやめればいいのだが、無性に書きたい時も多々あるので、やめるつもりはない。こういう風に自分に正直で脳内矛盾を起こさなければ、ストレスが溜まることはない。 (結構お勧めです)ポジティブになりきるということを人間の能力範囲で何でもできるスーパーマンになることで、何でも成功する人になることだと思っている人がいるかもしれないが、それは思い違いではないだろうか。プラス思考というのは、「常に自分が何を考え、その為に何をしたか」を把握し、脳内の矛盾を起こさせないことでもあるのだ。そうだ、テーマは限界思考だった。前回は限界を知ると、ろくなことはないという、極端な理論であった。なぜかというと、あることの限界を認めた瞬間にそれが自分では越せないハードルになってしまう為、限界点を伸ばそうとしないで、違うカテゴリーの限界を脳が探しに行くので悪循環になるからなのだ。では限界を知らずに限界点を伸ばすには、どういう思考が望ましいのであろうか。限界点というものを伸ばすには、いつも全てにおいて80%くらいの感覚でいられるようコントロールする事が重要なのである。精一杯やったが、まだ余力があるので次はやれるような気にさせるのである。その為には次に向けて筋力を強化したり、脳や身体のトレーニングをすることが重要になってくる。逆に言うと、筋力をつけたり、トレーニングをすると、常に余力がある、あるいはまだまだ鍛え方次第では能力が伸びるという思いを誘発するのだ。卵が先かニワトリが先かという感じであるが、どちらからでも確実に限界点は伸びるのではないだろうか。「限界を知っても筋力や脳のトレーニングで限界点を伸ばすことも十分できるし、普通は皆そうやっているではないか」と思われるかもしれないが、良く考えていただきたい。そういう人たちは決してそれを限界点として認識していないのである。だから更なる改善を図るのだ。つまり、限界を知る(認識する)こととは、諦めることである。言い換えれば、限界を知らないということは、可能性があるということになるのだ。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!(お願いします)
March 18, 2006
『限界』という言葉がある。英語でいうと『limit(s)』であるが、物事にはそれぞれ限界というものが存在する、厳密に言うと存在すると思われている。『限界』や『limit(s)』といっても今回は以前ご紹介した脳や身体に関するリミッターとは更に違う内容である。近年私は自分の限界を超えない(知らない)という事が、自分にプラスになるということを実感した。逆に言うと、限界を一つ知るごとに自分の中にマイナス要素が増えてしまうということになる。一見当たり前のような事であるが、意外にもこのことに気づいている人はほんの一握りではないかと確信している。(もっとも、こんな事を考える人も稀であるがw)私の考えでは、本来動物は自分の限界を知ることにより成長及び学習し生きていくものなのであるが、唯一人間だけがこの限界を意識しない(知らない)ことで能力や才能を伸ばすことが可能である。通常一般的には、人間は個々の限界を知る事で様々な危険を察知し、学習して、新たな知識を得るようにプログラムされていると信じられており、またそれが必要不可欠であると信じられている。例えば、熱~いコーヒーを飲む時、ある程度の量なら口の中を火傷しないで美味しく味わうことができるが、ある量を超えると火傷をするか、もしくは熱くてかなり不快な思いをする。一般的にはこの量がその人の限界である。なので、この場合は飲む量の限界を知ることで火傷という危険を回避する。これを読まれた方は「それは当然ではないか」と思われるかもしれないが、これは生きてゆく上での学習能力の一部であることは間違いない。だが、実はその思考こそが限界点を下げている事になかなか気づかない。とはいっても、火傷をしろといっているのではないが、一度自分の限界を知って火傷なり不快な思いをすると、それ以上の量を一度に口にすることはなくなってくるものだ。しかしながら、一度も火傷や不快な思いを経験していない人は、自分の飲める量の限界を知らないので、徐々に多くの量を増やすことができ、限界を知らないで限界点を伸ばすことが可能なのである。(そんな人もいないと思うがw)上述したことはほんの一例なので、その事に余り突っ込んで考えないでいただきたい。(笑)また、最近日本にいる私の友人の勧めでその友人のヨガ仲間の1人がアシュタンガ・ヨガを極める為にニュージーランドに訪れた。その為、近頃ヨガについて話をする機会が多い。もともと(今でも)ヨガをやること自体には余り興味はなかったのだが、ヨガを習得した後の精神状態や過程には大変興味があった。どうしてかというと、ヨガには私が近年感じていることのある一部分と非常に類似している共通点があるのだ。ちなみに、余談であるが私の予測ではここ5年以内に空前のヨガブームが日本に訪れるのではないかと思っている。ヨガを始めると、ストレスや肩こり、腰痛、持病も治癒することはいうまでもなく、健康やダイエットの部分よりもむしろ精神的な部分のメリットを実感するだろうからである。ここで、実はやりたいと思っているのに「自分は身体が硬いからとてもヨガなんて...」とか、「時間がないので....」と思う方は、私がいうところの『限界』を知っている人なのである。(笑)ヨガにはまってるというと、少し宗教に近いようなイメージを抱いてしまうが、(ある意味そうなのであるが)真髄は新興宗教のような他力本願的なモノではなく、自分の脳と身体の関係が実感できるので、奥を知れば知る程物事の本質が理解できてしまうことがある。ここで話を限界の話に戻そう。ヨガをやられたことがある方ならご理解いただけると思うが、あるポーズをトライするのに自分で限界を感じた瞬間に、そのポーズはできない。また、昨日までなんら苦もなくできていたポーズが、翌日には少しの不安要素やネガティブな感情で突然不可能になってしまうらしい。ヨガなどやられたことがない方は過去に何かを達成できなかった事がもしあれば、思い出していただきたい。その影に必ず、ある事に対しての限界が影響していたのではないですか?次回は『限界』思考を考える-Vol.2です。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!(お願いします)
March 11, 2006
『思考を変えてツキを呼ぼう』というメルマガがあるのを発見した。内容は読んだことがないので知らないが、少なくともこのタイトルについてだけは、私はちょとおかしいのではないかと思ってしまった。ツキを呼ぶために変える思考のその内容はおそらくいかにプラス思考にするかというようなことで、事例とかが載ってるのだと思うが、当然メルマガにするくらいだから、発行者はこの矛盾を承知で、読者の1人でも多くの人にプラス思考になってもらいたい為にこのタイトルをつけたのかもしれない。私はこの様な説明を売りにする方法を『マッサージ師(マッサージを極めた超ベテラン)の法則』とよんでいる。(爆)マッサージ師は本来は不要な職種(失礼)かもしれないのだが、マッサージ師にマッサージをやってもらわないと、身体が気持ち良いと感じたり、肩こりや腰痛が解消されないのではと思っている人が大勢いるので、この商売はビジネスとしても、人助けという意味でも成り立っている。「そんなこといったら、医者だっていらないということになるじゃないか」、とお叱りを受けるかもしれないが、そこまで理解していただけたのなら、有難いくらいである。実は、この事実さえわかっていない人が、この世の中あまりにも多過ぎるのだ。というよりも、殆どの人が「えっ、それの何が悪いの?」という感じでなのではないだろか。つまりどういうことかというと、以前このブログでもご紹介したと思うが、『美容と健康に良いフェイシャルマッサージ』とか、『脳に効く肩こり解消法』などにも関連した事が書かれている。しかし、別に腰や肩に良いストレッチを知っているからだけというわけではない。身体中にあるツボの周りの筋肉を弛緩させる事により、指圧と同じ効果があるのだ。どうやるかは、イメージして試してみるしかないのだが。これをメルマガに当てはめると、本来はこの様なメルマガは不要(失礼)なのかもしれないのであるが、そういうものを読まないと、思考をプラスにもっていけない、ツキを呼ばないと思っている人が大勢いるので、この様なメルマガ、や本、講演、セミナー等がビジネスとしても人助けとしても十分に成り立っている、ということになる。(笑)私としては、どんな手を使ってでも、一人でもプラスな思考ができる人が増えることは大変望ましいと思うので、どんどん宣伝してやっていただきたい。そして、タイトルがおかしいという話に戻すと、このタイトルの矛盾点は2つある。一つは思考を変えれば、先ず運は関係ない。そして、そのツキと思われる良い事は実はツキでも偶然でもない。必然なのである。当然である、思考をプラス思考に変えるのであるから、物事がプラスに好転しても不思議ではない。二つ目は、プラス思考とは何事も良いように考える事である。何事も良いように考えるのであるから、ツイてないわけがない。まさについてくるのは当たり前なのだ。我々人間は本能や考えない行動こそが人間が本来求めるもの(動作)と勘違いをしており、その動作、行為自体合っているのか間違っているのかさえも考えない。その証拠に、私は10年くらい前までは毎日何万回も行っていた呼吸についても、『人間にとって最適な呼吸とは?』、など全く考えた事もなかった。そう、それまでは考えたこともなかったが、考えないことが本能のようなものだと思っていたのも事実であった。考えることにより、本能が本能でなくなるのである。この法則ご存じなかった方はプラス思考になると全ての神髄(真実)がみえてくることにいい加減気づきましょう! o(^_-)O人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッといっときましょう!(お願いします)
March 5, 2006
サブタイトル「腰痛解消の最適ストレッチは冬季五輪の異種複合体勢に隠されていた」いきなり、東スポの見出しのような意味不明なサブタイトルで失礼しました。今回の冬季オリンピックは日本人選手の活躍が目立たず、余り盛り上がってないように感じた。私は今回のオリンピックにはあまり興味がなかったが、メディアやニュースの見出しから『勝』や『金』、『銀』 、『銅』という文字はなかなか拾えなかったのも事実である。冬季オリンピックの見所の一つに日本では割と選手層が厚い「スピードスケート」と「ジャンプ」がある。この二つの競技からヒントを得て、新しいストレッチを考案した。要はまたくだらない事を考えたのである。(爆)物事に確たるセオリーはない、というのが私の持論であるが、ストレッチも例外ではない。何事もいいと思うことはやればいいのである。何にでも最適な体勢というものがある。このスピードスケートやジャンプにも例外なくある。一見この二つ競技の姿勢は腰に悪そうであるが、実はかなり腰に良い事が研究結果として出ており、それらの体勢こそが腰痛を即座に治すストレッチを生み出すことが判明したのである。ただし、私の独断であるが。(爆笑)先ず、スキージャンプではジャンプの前に滑走路をより早くスムーズに滑る為に、お尻を後ろに突き出し、顔を上げ、膝を胸にくっつける様に滑る。また、スピードスケートでは上半身と下半身を交互に動かし、体重移動により推進力をつけている。そこで、この二つの競技をミックスさせ、異種複合体勢をつくればいいのではないかと考えたのだ。1. 足を平行に肩幅プラス足の幅一つ分くらい広めに開く2. 前後左右の重心を移動させないで、お尻を後ろに突き出し、膝をワキにくっつけるようにして、肋骨と太股をくっつける3. 右足の土踏まずの真ん中辺りに重心を移し、ゆっくりとスピードスケートの腕の振りのように両手を回し、身体を捻り、左肩を徐々に内側に入れてゆく(この時右手は右外側を向いている)4. この時できるだけゆっくりと身体全体を捻り、ポイントは重心を完全に移動させ、身体のバランスを保ちながら行うのと、肋骨と太股が常にくっついていることである5. 今度は左に体重移動させ、同様にする6. 1~5を3回繰り返してどこにも違和感がなくなったら、徐々に速く動かす7. もし1~5で身体のどこかに違和感がある人は、どこかの筋肉に余分な力が入っているので、その余分な力を抜いてやりながら、違和感がなくなるまでゆっくりとストレッチを行うと効果的である以上の簡単な動作なのであるが、やろうと思う人はいないかもしれないが、もしやるなら傍から見ると非常に危険なので、人前では避けた方がよい事は言うまでもない。(爆)人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
March 2, 2006
今回は脳のバランス思考を考える第3弾完結編ということで、強引にまとめてみたいと思います。(笑)前回の第2弾で理由を考えることが脳をバランスよく使うことになると述べたが、先日理由がわかるということは、こういうことではないだろうかと、いつもながらふとくだらないことを考えてしまった。昔から正しい姿勢は顎をひく事と誰かに教えられたような気がするが、なぜだろうと考えたら、それにはちゃんとした理由があった。顎をひくように心掛けて正面を見るには、どうしても背筋を伸ばさなければならないからという理由もあるのだ。別の角度から考えると、その人の体型に一番最適な姿勢というものも容易に発見できる。背中を反らせて、首もそのラインに沿って後ろに倒す。今度はその首だけを段々と前に倒して最後は顎を軽くひいてやる。そして、肩に力が入っている場合は、肩の力を抜く。理想はその際ヘソの下の辺り、いわゆる丹田に力を入れない程度に少し引っ込めるとベターである。そうすれば、自分の身体にとってフィジカル的な理由での最適な姿勢を知ることができるのである。兎に角人間という生き物は不思議なものである。脳はバランスよく使うものだと理解しておきながら、実際は脳はバランスよく使えないものだとどこかで思っている。あるいは自分は脳をバランスよく使ってないのではないかと思っている。なぜならば、『脳をバランスよく使おうとする中枢回路(神経)』は右脳に含まれているからではないだろうか。言い換えれば、脳の使い方を意識すること自体を不可能と思っているからである。それでは、『人間は左脳ばかり使ってあまり右脳を使っていない』と素直に認めるのも無理はないのではないだろうか。事実は思い込みからでも成立するのだ。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
February 24, 2006
前回の『脳のバランス思考を考えるVol.1』の続きですが、特にVol.1を読まないと内容がわからないということはありません。しかし、なるべくなら読んで下さい。(爆)ただし、私のコラムはほどんど自分で勝手に思考し、それらしく書いているだけで、学術的に証明されている事ではないので、ご了承願います。言い換えると、今の時点で誰にも証明できないことを勝手に思考実験してることも多々あるのです。『理由』を考えることが思考する事であり、また右脳と左脳をバランスよく使う事になる、と過去に何度か私のこのブログでご紹介している。以前ある人が私が『理由を考える事』が重要だと唱えたら、『言い訳はよくないのではないか』と言われた人がいた。言い訳を考えることと、理由を考えることとが全く異なるということは『火のなかの栗を前歯でカチ割る』(私の造語)ことほど明らかではないかと思う。(爆)ある物事の理由がわかったとする。その時点でその人はその理由がわかるまでのストーリー(連想)をシミュレートしたということになるので、右脳を使って理解したことになる。物理や数学の公式を記憶してそれを応用(適用)し、その公式に文章問題等のデータをあてはめて答えを導く。この脳内の論理的作業は紛れもなく左脳が司っている。言語もしかりである。決められた文法に状況に応じて単語を入れ替えて新たな文を構成する。また、我々現代人の殆どの人は左脳発想型の思考を行っており、左脳中心で物事を判断している場合が多い。かといっても、世間が騙され信じて疑わない『右脳を数パーセントしか使ってない』ということは決してない。むしろ、そう信じてしまうと、脳がそうなるのではないかとさえ最近強く思うのである。左脳発想型の思考に話を戻すと、つまり、一杯本を読み勉強し、外部の情報を吸収してから、右脳でその事実(?)をイメージし、集中して論理的思考を完成するしか真実を知る方法がない。だから、思想や宗教、本の内容や勉強の仕方にかなり影響される可能性や傾向がある。自分で考えないと外部の情報に影響されるのは必然である。自分の右脳を駆使してシミュレーションで知る理由と、左脳を駆使して外部の情報源を使って知るどちらが良いかということは一概には言えないのだが、やはり、結論は両方をバランス良く使って知ることが望ましいと思う。左脳で情報を集め、右脳で理解するのは現代社会人の主流である。但し、その外部情報が真実かどうかは左脳では判断できないだけだ。次回は『脳のバランス思考を考えるVol.3』で完結予定です。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
February 18, 2006
脳の役割をまた一つ発見したような気がした。今回の一連のライブドアに関わる事件の真相を知らない人、あるいは事件の真相どころか、名前だけは聞いたことはあっても、『ホリエモン』や『ライブドア』という存在自体を知らないので右脳で正確にイメージできず、ドラえもんの親戚みたいなのが四次元ポケットから出す錬金術さながらの新手のアイテムのようなもの(ある意味正解であるが)だと思っていた人などが、「ライブドアのホリエモン(堀江氏)は悪い人」と誰かに聞いたり、TVで見たとする。理解しづらいと思うが、要はIT関係に全く興味もなく、ライブドアが何をやっている会社かも知らず、ドコデモドアとの区別もつかないような人が、この事件の報道だけを耳にした場合ということである。今、その人の左脳では『ホリエモンという人がいてその人が悪い事をして、捕まった。だからホリエモンは悪い人。』というデータが流れている。当然ながら、このデータは外部から左脳に入った情報であるが、実は世間でも、またその人の脳内でも、事実かどうかはまだわからない。一方その時右脳は何をしているかというと、実は理由(根拠)を探しているのだ。つまり、『なぜそういう事実が成り立つのか』という理由や根拠のようなものを一生懸命探しているのではないだろうか。この場合は『なぜ彼らが捕まったのか』、あるいは『本当に彼らは悪い事をしたのか』という理由や疑問のようなものである。これは、詳しい特集記事を読んで理解したり、知識をつけることとは少し異なる。(この差がわかる人は脳をバランス良くつかっているといえる)言い換えれば、右脳をあまり働かさない人は、更なる新たな外部情報が入るまでは、いつまで経っても理由が見つからない。見つからないということは、探しに行かないということになるので、興味やモチベーションも右脳の領域だと考える。ということは、左脳だけを使っている人は、その理由(根拠)を知る事が難しいので、真実を知る事が必然的に困難になる。全く違う例をあげると、何才かになれば、「1+1=2」になるということは左脳で習ったり、理解する。これは、完全に外部からの情報である。しかし、右脳はなぜ『1+1=2』になるのかという理由を求めるのかもしれない。余談であるが、この命題は昔、某有名国立大学の2次試験で出されたこともあると記憶している。いわゆる、数式は左脳で理解するが、その理由は右脳で理解するということである。真の理解とは左脳で理解するばかりでなく、一度は右脳で考察しなければ、永遠に理解もできないし、説明もつかないと考えられる。(残念ながら私の右脳もこの理由はどうでもいいので求めないが)また、子供に交通ルールの最も重要な事のひとつである信号について教える時は、「赤は止まれ、青は進め」と教えるが、そう習った子供は、このことを教えられた当初は左脳で理解するはずである。そして、月日が経つにつれ、段々と右脳でその理由を知る(理解する)ことになる。実は子供は右脳で理解しないと理解して行動しないと私は思う。例えば、子供に『なぜ赤信号では止まらなければならないのか』聞かれたとしよう。あなたならどう答えるだろうか?まさか理由を聞かれているのに、『それが交通ルールだから、ルールは守るものなんだよ』等と答えて、子供が理解すると思ってはないであろう。その理由はいたって簡単である。『(交差点において)どっちか止まらないと、ぶつかるから順番で止まるんだよ』と教えてやれば、なぜ『青でなく赤が止まれ』なのかは特に重要ではないが、カラーと人間の関係から必然的に決まったことを子供は右脳で理解してくれるに違いない。こんな事を書きながら、右脳で発想した事を上手く左脳で文章にできない自分に少々情けなく思っている。(爆)次回『脳のバランス思考を考えるVol.2』に続く。人気blogランキングへ:納得してもしなくても、プチッとお願いします
February 15, 2006
タイトルを読まれた方の中には、「あれっ、日本も西洋医学だよ」と思われた方もいらっしゃるかもしれないが、実は日本と西洋では、根本的な医学(身体)に対する考え方が違うのではないかと私は思っている。例を挙げれば限がないが、先ず日本では、医者にかかる理由として、殆どの人が、即効性があると信じられている注射を打ってもらったり、薬を処方してもらう為に行く。医者や病院と製薬会社との癒着に近い関係などもあるが、そもそも客である患者がそう望むのであるから、医者もそうせざるを得ないのだろう。西洋、少なくともここニュージーランド(NZ)の場合は意外にもできるだけ薬に頼らず、自然治癒力で治させるようにする場合が多いのだ。勿論、医療保険者が民間の企業で、その加入が任意ということもあり、薬も処方箋をドクターに書いてもらい最寄の薬局で購入するシステムなので、患者の為には余分な薬は処方しない。また、西洋では治療中や手術後の『痛み』に対して、日本に比べるとかなり過剰なケアがなされている。日本では通常、術後の鎮痛剤の分量は医者が処方する。しかし、ここNZでは、予めベッドの横に設置された、大量の鎮痛剤が入っている点滴を、患者の体内に注入できるようにボタンがついている。それを患者自らの判断で、いつでも何回でも押していいのである。もし、痛みを我慢していたり、余り痛みを感じなくて、ボタンを押していなかったとしても、巡回に来た看護師が『我慢してはだめ』などとわけがわからない事を言われ、勝手に押して退室していくこともあるのだ。また、入院日数もベッド数の不足という理由が多少はあるかもしれないが、日本に比べてかなり短い。入院中の食事にも余り制限はないようだ。そして、驚くべき事に、手術直後でも動けるようになれば、直ちにシャワーを浴びるように言われる。寝たきり老人の回復法と同様に、人間の身体は動かせば回復が早いということなのである。ちなみに、帝王切開で出産した場合、入院は4泊か5泊くらいで、シャワーは翌日に浴びさせられる。また、打身や筋肉痛で医者にかかると、通常シップ薬は処方しない。その代わりにスーパーマーケットでも販売している痛み止めを処方するのだ。私は最初、『(´‐` ;)ソ・・ソンナァバカな』と思っていたが、よくよく考えると、かなり理にかなった処置及び処方なのだ。つまり、痛みを感じるとは、従来その部分が傷ついていたり、異常があることを脳に知らせ、脳が治癒させる為の処置を各機関に命令する為のものでもある。しかしながら、痛みが継続すると、かえっていつまでも脳が身体に異常をきたしていると認識するので、治癒するどころか、その痛みの部分における本来の機能を停止するように脳が命令するのではないかと思うのだ。具体的な例を挙げると、筋肉痛や、捻挫、肩こりなどは続けば続くほど、その部分を動かす事をしなくなる。その結果、悪循環で治癒が遅延するのだ。以前私は、患部の痛みや苦しみに耐えることが治癒に早く結びつくと思っていたが、実は全く逆だったことに近年気づいたのである。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 10, 2006
前回の『脳が要求していること』からの続きです。これを読まれる方は先にこちらを読まれたほうがわかりやすいと思います。前回は脳が要求しないことをすると、寿命が短くなるという話をした。今回はなぜそうなるのかを考察していきたい。一言で言うなら、脳内に矛盾が生じるからである。脳内に矛盾とは、精神的な矛盾だけではない。肉体的にも脳と身体の間に矛盾が生じると、過度なストレスが生じる事にもなる。 殆どのストレスの原因はこの脳内矛盾が大きく影響しているのだ。ストレスが増えると、当然血管が細くなり、老廃物も溜まり、血管が詰まりやすくなるらしい。 そうなると、成人病といわれる病状が発生する確率が高くなる。成人病とは医学的にはどう定義付けられるかは知らないが、免疫系が問題で起こる病症ではないのではないかと私は思っている。だから、成人病は免疫力が高まっていても、一度発病すると、リカバリーに時間がかかるのではないだろうか。言い換えれば、成人病とは積み重ねの病気なのである。癌などは、諸説があるが、私は成人病とは逆で免疫系の強弱にかなり影響される性質だと思う。免疫系の強弱とはいっても、弱いと癌になりやすいかというと、そうとは限らない。免疫系が異常に強過ぎたり、弱すぎたり、たまにコントロールが利かなかったりしても、癌細胞生産の原因になるのではないかと考えている。では、成人病に話を戻そう。成人病とは、単に糖尿病や肝臓、心臓だけの病気ではなく、いろんなケースがなるのではないだろうか。その成人病から逃れるにはどうすればいいかというと、「脳が要求しないことはしてはいけない」更に、「脳が要求することをやればいい」のである。ところが、必ずしも本当は嫌だけどやらなければならいことが、脳が要求することとは限らない。では、どうすればいいのかというと、嫌と思うのであれば、やはりやってはいけない。やりたい事だけをやるのである。やりたくない事はご法度なのだ。(笑)脳が要求(欲求)することだけをするのだから、仮にあることをしたくないのに、しなければならない場合でも、そんなことはどうでもいい、やりたい事をやればいいのだ。これは、理想でもきれいごとでもない。やりたい事以外のことをやると、脳内矛盾が生じると説いているだけなのである。例えば、寝る事が脳が要求することだとしたら、寝ればよい。しかし、寝ないで、脳が要求しないことをやると当然脳内矛盾が発生する。だから「あることをしたくない」というマイナスの思考と観点は捨てていただきたい。そうすれば、何かが変わるかもしれない。そのやらなければならない事を、やりたい事に変える思考は十分に可能(可脳)なのだ。その為には、常に自分が、自分の脳が何を要求(欲求)いているのかということを知ることが重要ではないだろうか。今回は、少し説明不足なので、後日また詳しくまとめてみたいと思います。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 5, 2006
脳が要求(欲求)しているとは、考えようによっては当たり前の事だが、3欲を含め生きてゆく為に必要なことではないかと私は思っている。しかしながら、この意味の中には「では、脳が要求しないことはしてはいけないのか」と言うような疑問も含まれるのだが、答えは、YE------ d(゜∀゜)b ------S!! である。基本的に脳が要求しないことは、決してしてはいけないのである。これは本能や理性との関係とはまた違う話であるが、これを続けていると、寿命を短くすることになる。次回は、ではなぜ寿命を短くするのかについてご説明します。 人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 4, 2006
強く思ったり、イメージするとそれが現実になるといわれるが、それがなぜそうなるのかという説明を誰にでもわかるように考察してみた。例えば、あなたが絶対に悪い事が起こるとか、事故を起こしたり、事故にあう状況ばかりを四六時中(歯を磨いているときも、トイレにいるときも、車を運転している時も、電車やバスに乗っている時も)イメージしたり、考えてばかりいると、「いつか本当に事故を起こすのではないか」等と思わないだろうか?ここで、もし「いや、自分は決して思わない」という人がいらっしゃったとしても、その人は脳のどこかでこう思ってはいないだろうか。「何を思っても、自分は絶対に大丈夫だ。事故なんて起こすわけがない」と。要はそう思っている思考の方が、「事故を起こす」という思考より強いだけの話なのである。また言い換えれば、イメージした通りになろうと脳と身体が準備を始めようとしているのだ。だから、ついついマイナスな思考や言動になるのは、皆思った通りになるとわかっていながら、もっとマイナスな状況になりたいからという思考の結果なのであることもわすれてはならない。それでも「世の中思い通りになるわけがない」と思っている方は『そう』思っているのだから、思い通りにならなくて当たり前なのである。そういう人は比較的受け入れやすいマイナスのイメージのほうから体感してみてはどうでしょう?(ただし本当にやると、そうなりますから注意してくださいね。責任は持ちませんよ) 想いと、その結果は一体なのである。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
February 1, 2006
アメリカのシアトルでご活躍中の菊池みどりさん(本当のハンドルネームはかなり長い)から連想思考バトンというものを受け継ぎましたので、引き継がせていただきました。実は回ってきたのは『イメージバトン』だったんですが、勝手に連想思考バトンに変更しました。以下は菊池さんからのコピペです。【バトンのルール】イメージでつながっている言葉(キーワード)の最後に自分のイメージを1つ新しく付け加えそれを新たに『3名様を指名』した上でお渡しする。らしいのですが、私はあえてバトンは1人に渡したいと思っています。(どうもねずみ講のイメージが....(爆))【ちなみに】《「海」》から始まって、現在は『アルフレッド・ヒッチコック監督』だそうです。【現在までの経緯】海→ブルー→サッカー日本代表チーム→ドイツ→ソーセージ→バーべキュー→かに→白砂→砂丘→海→太陽→ひまわり→たね→すいか→うめぼし→和歌山→みかん→あたしンち →猿山→赤ちゃん→フレンチブルドッグ→おばあちゃん→ボーリング→ハイタッチ→アメリカ→カジノ→ドラクエ!!! →スライム→キング→トランプ→マギー審司→ジュエリーマキ →後藤真希ちゃん→モーニング娘。→テレビ東京→旅→駅弁 →牛タン→カルビ→脂肪→カプサイシン→ナルリョライスンヨプ →金山知憲→ミラクルホームラン→逆転→旗→体育祭→うちあげ→飲ま飲まイエイ→一気のみ→ウコン→インド人→ガンジー →ゼンジー北京→バンジージャンプ→SHONENJUMP→ナルト→博多弁→和田勉→天然ボケ→浅田美代子→女系家族 →婿養子→カカァ天下→カイヤ→巨乳→叶姉妹→美香→サルサ→情熱→赤い薔薇→おちょう婦人→縦ロール→名古屋嬢→しゃちほこ→グランパス→リゾートホテル→無縁→ルーズソックス →なが~~~い→しっぽ→ポニーテール→少女→ロングヘアー →貞子→暗黒舞踏→デスマスク→ナポレオン→痛風→飽食→グルメ→TOKIOの城島 茂→茂子→あひる隊長→村長 →ヒゲ → サンタクロース→プレゼント→アクセサリー→キラキラ→雪(の結晶)→北海道→実習(先)→調理→パスタ→カルボナーラ→フォーク→食器→レストランバー →お酒→忘年会→鍋→やかん→カップ麺→熱湯3分→コマーシャル→居酒屋クーポン→半額→スーパー!→スーパーヒーロー→仮面ライダー→藤岡弘→知らなかった芸能人→効かなかった霊能師→ぎぼあいこ→肝試し→運試し→おみくじ→初詣→人ごみ→痴漢→夜の公園→満月→危険な夜→不倫→麒麟→渋い声→中尾あきら→長いマフラー→ピエロ→ピロシキ(食べ物)→アイスコーヒー→アルバイト→ビアガーデン→祝賀会→サイコ~!!→アルフレッド・ヒッチコック監督→( )******************ヒッチコック監督といえば、かなり昔見た恐怖映画『The Birds(邦題:鳥)』が印象深いのですが、そんなのはありふれてますので、昔の深夜番組で中村ゆうじ氏がバラエティーの1コーナーで『ヒッチコックニュース』というのをパロディーでやってたのを思い出しました。なので、『中村ゆうじ』に一度は決定したのですが、肝心の中村ゆうじ氏をご存の方がいらっしゃらないようなので、無難なところで、『サスペンス』にします。それで、バトンは引き続きチャフィーさんにお願いします。どうかよろしくお願いします。m(__)m人気blogランキングへ:とりあえずプチッとよろしくです
January 30, 2006
あるひとつの知っている事を思い出すのに、『イメージ』で思い出すか、あるいは『文章』で思い出すかで、右脳を使っている割合が変わってくる。理想は、そのあることを知った時に、文章で理解するよりも、イメージが残って理解するほうが望ましいと思う。ここで注意しなければならないのは、「通常は文章を読んでからイメージするのではないのか」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、『閃いて知ったこと』は文章からではなく、殆どがイメージの延長からということも知っておいていただきたい。では、「文章を読まないほうが右脳が働くのか?」という疑問も勿論浮上することにもなるかもしれないが、答えはYE------ d(゜∀゜)b ------S!! である。文字を読まないでイメージする方が、右脳は確実に働いているのである。世の中には、本を読んだり、外からの情報からしか知識が身に付かない人と、外部からの情報を必要としなくても、同様の知識を身に付けることができる人とが存在する。簡単にいうとこういうことだ。以前、あるTV番組で、グラビア系のアイドルのような人がこんなことを言っていた。「私はレストランでバイトをした時に、食器洗い専門の人にコップの洗い方を習ったので、口紅とかも落とす事ができますよ。」と自慢していたのだ。どんな特別な洗い方かと思ったら、なんのことはない、コップの口の部分に沿って洗剤がついたスポンジを回すだけの事である。普通は、少し考えれば、というか考えなくてもその発想は常識に近いと思ったのであるが、その人は考えなかった為に、外からの情報により、知識をつけたことになるのだなと、勝手に解釈した。ここで、今、『本を読んだり、外からの情報を取り入れる事が無駄といっているのか!』と思われた人がいらっしゃるかもしれないが、その人は残念ながら、考えないで知識を本や外からの情報のみで吸収している人なのかもしれない。勿論、本を読んだり、情報を得ることは無駄ではない。私は本を読まないほうがいいとか、時間とお金の無駄だとは一言も言っていない。右脳と左脳をバランスよく使うには、本を読んだり、外からの情報を取り入れるほうが、圧倒的にバランスが取れるはずなのである。だから、本は読んだり、情報を取り入れるほうが良いに決まっている。ただ、どうせ読んだり取り入れるのなら、本を読む目的等を、今もっている最大限の知識を使って、その本などの内容について自分自身どう考えるかということを、読む前にイメージして、その自分の考えを確かめる一つの手段にしたいものである。そうすれば、読んだり、理解するスピードが速くなり、要点も容易につかめるはずだ。知識はメディアから吸収するのではなくて、メディアを文字通り媒体として、自分のイメージの一部として吸収したほうが、知識として脳に蓄積されやすいかもしれないのだ。人気blogランキングへ:今話題の癒し系ブログはこちら
January 26, 2006
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