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30日の午後9時です。 以前からひいたままの風邪。 咳がちょっと止まらないので、少しでも 早く寝ようと今日は考えている ところで。 今日の昼間は、予告していた通りで 舞台「阪神淡路大震災」を見るために 神戸は元町海側、メリケンパークにある 海洋博物館へ行ってきました。 いろいろ考えさせられたのは事実で。 一つには、自分があの時(95年1月17日)、 神戸に住み、この災害のそばにいた、という 事実。にもかかわらず、山一つのおかげで 大きな災害にはあわず(マンションは2割損壊 で済んだ。耐震基準もきちんと守られて作られて たのは証明されていて、私は13階建てのマンション の8階部に住んでいたので、昨今の騒ぎとなって いるような建物に住んでいたらこの世にいなかった のは確実でしょう)、交通網が寸断された 関係で会社に行くことも免除され、と むしろ楽をさせてもらえた部分もあって。 もちろん、水やガスは止まってたし(復旧は3月 半ばから4月にかけてだったと思う、食料の確保 なども、それなりに工夫をしないとダメでしたが、 そんなもの、山一つ向こうに住んでいた人々に比べたら 屁みたいなもんで(イチローもそういうことを 言ってた。彼のいたオリックスの合宿所から私の マンションまで歩いて10分ぐらいでした)。 だから、この舞台に描かれていたような、直下型の 災害は僕には起こってなくて。ただ、自分が記者 だったのに、地震が起こった直後に、車に乗って 外に出(全く車は周辺で走ってなかった。信号が すべて止まってたのは不気味でしたが)、被害の大 きかった地域と逆の方(垂水区の方)へ走って 「人は外に出てないけど、大したことないのか」と 思った事実は未だに痛恨で。 舞台にも出てきたAM神戸(ラジオ関西)の放送 で「もう死んでる」「誰がですか?」「息子や(だった と僕は思うのですが、違ってたらすみません)」と、 いう被災者と取材者(女性)のやり取りを聞いていて、 “え?どこのことや”と思ったのも否定出来ず、で。 朝の6時半ごろ、車の中で聞いた放送やった。取材者が 「もう死んでる」という意味が把握出来ずに、何度も 聞きなおしていたのも覚えています。 事実を事実としてなかなか捉えられないのが、 災害からほんの少し逸れただけの人にも起こる、って いうのは僕だけのことじゃなかったのは、この AM神戸の取材者の放送でも窺えた記憶があります。 いざ、揺れたら何も出来ない、と舞台では告げて ましたが、これはその通りだと思います。揺れた瞬間。 最初にドーン、と立て揺れが来て飛び起きたのですが その直後の問題の横揺れには全く対応出来ませんでした。 布団から一歩も動けなかった。 別の部屋にあった熱帯魚の水槽とかが割れる音が響き、 ものが倒れる気配は感じてましたが、本当に動けなかった。 寝ていた部屋に本棚をはじめ、何も置いてなかった のが幸運でした。下敷きになるものもなかったん ですから。 揺れてる瞬間、考えていたのは人生を振り返る走馬灯 じゃなく“ここは神戸だ。東京じゃない。これは地震じゃ ない”-だったのも情けない話で。90年から94年まで 4年間、東京に住んでいて小さな揺れは再三経験して ましたが、神戸で地震、なんて、それこそ想定外で。 ただ、“ここは8階だから、倒れたら死ぬな”と 覚悟を揺れてる間のどの地点でか、したのも確か でした。車で外へ出たのは、揺れがとんでもないの を実感して周辺の様子を見るためだったのですが、 実際の被害と反対の判断を僕は午前7時前にはく だしてました。 だから、電気が戻ってきた午前9時半。テレビに 映し出された神戸の様子の一部でびっくりした口 です。停電してたり、ガスが止まった時点で気が付く べきなのに。 長々となんの話をしてるんやろ。 舞台「阪神大震災」を見て、考えた一番のことは こういうそのときの状況でなく、“オレはなんで 何もせんかったんやろ?”で。 取材者としてもイチローの動向を見守っただけだし、 ただの人として考えたら救出活動にも参加してない。 大体、当日か翌日に、神戸の繁華街に向かう 努力をした記憶がない。 同じ神戸でも山一つで大違い。 20日には学園都市のパチンコ屋は再開して たの覚えているし、外食に頼れば垂水区 名谷地区はなんとかなった。 取材者としては、約一週間後に、会社の要請を 受けて(電話も通じていた証拠ですが)、神戸総局 に出向き、ようやく震災取材にあたりましたが、 遅い。遅すぎましたね。 僕の取材にあたった場所は、舞台に描かれていたような 人々の生活でもなかったし。実際には見てるに 違いない(西宮ー三宮間を何度も歩いてるから) のに、覚えているのは壊れかけた家から飛び出してる カーテンやボロ、家具、雑誌などが散らばってる 光景ばかり。 公演が行われたメリケンパークの取材にしても 液状化現象でぐにゃぐにゃになった上に、砂まみれ、 みたいな感じの時に、それでも集まってくるスケボー 少年グループを取材した明るい調子の原稿を提出 した記憶が。 結局、被災地にいながら、自分も罹災証明(2割損壊) をもらいながら、被災の現実を見なかった、ということ なのか。 別に後悔やざんげをしてる訳でなく。 かっこのいいことなんか一つもしてない 上に、状況判断も甘かった。って いうのを再認識はしましたが。 不肖があの鷹取のピアノの写真を撮ったのが 1月18日と聞いてます。昨日、講演の前に 初めてカラーバージョンのピアノの写真を 見せてもらいましたが、現場にいた、っていう のはそういう“証拠”を残してるケースの ことを言うので。 阪神淡路大震災の時、僕は現場近くにはいました。 それは間違いない。しかし、現場にはいなかった。 不在だった。 舞台「阪神淡路大震災」を見て確認できたことが その事実だったのは間違いありません。 ps・毎日放送(MBS)の「VOICE」(午後6時 15分から放映)の放送予定日が急遽、今日(1日) の予定から明日(2日)に変わりました。ご注意下さい。 (下)演出者の岡本貴也さんが約束を守ってくれた 証拠。海洋博物館大ホール、公演会場の入り口 扉に舞台のポスターとともに貼られていた「不肖・ 宮嶋 報道写真展IN明石」のポスター。劇の トーンともマッチしたいい写真、という形になって ました、不肖の写真。「めっちゃピンぼけ」の 表紙に使わせてもらえたのが今更ながら、光栄 だったな、と思っています。ありがとう、岡本さん。 ありがとう、不肖。
2005年11月30日
30日の午前1時前です。 29日。無事終わりました。 不肖・宮嶋茂樹氏の伊丹講演。 いや、僕自身が講演した訳でもないのに、 緊張してましたから。 第一、某出版社の不肖の本を売る係りと いう大役がありましたからね。お釣りの お金を作っておくのに銀行で両替をして おかないかん、というのから始まって。 なんでそういう決まりになっとるんか 知らんけど、キャッシュカード1枚に付き、 一日で一度しか両替が出来ない、ということ になってるのも初めて知って。しかも、一種類 しか変えられへん。ATMの以外な弱点を見つけた。 いずれ、小説のネタに使こたろ。 午後2時半ぐらいに会場に着いてからは、 伊丹市の国際平和担当の佐藤さんらと手分け しながら会場準備。毎日放送(MBS)の 入念な取材(きちんとやってられた。カメラマン の方は不肖と現場仲間の一人、っていうおまけ つきやった)があって、午後7時の講演開始 まで不肖も私らもコーヒータイムを取るのが やっと、という感じでした。 佐藤さんらが予想されていた入場者数よりは、若干 少なめでしたが、伊丹のアイフォニックホールって 場所は、客席がゆったり目にとってあることもあってか そこそこ入ってる感じには見えてました。 肝心の講演ですが、僕は某出版社の売り子と自分の 本の販売も兼ねたため、会場にはほんの1、2分いた だけ。音声だけは聞こえてきてたので、不肖が何百枚 と紹介した写真は見れませんでしたが、内容はばっちり で。 「世界中安全なところなんて実はどこにもない」という 尼崎のJRの事故とアチェの津波などの突発災害、事故 の説明も分かりやすかったですが、私が一番印象に残った のは質疑応答の際に、デジカメのことが出た際の 不肖の答えで。 「記者会見なんかで、最中に下を向いてるカメラマンって いるんですよね。あれ、ほんまにみっともないですわ。 プロのカメラマンやったらどう写ってんのか分かるはず。 (撮った画像を)見るなよな。」 と言ったのですが、カメラで食ってる男の発言として さすが、と思ったのは事実で。いや、僕なども取材現場 でカメラマンの人の仕事ぶり、よく見るのですが、確か にデジカメの画像チェックしながら撮ってる人って目に 付くんですよね。 僕など“慎重に仕事してるんだな”と思ってしまう方 でしたが、プロの目から見れば、フィルム時代は出来な かったことをやってる反則技のようなものだ、っていうの が分かりました。 要はゴルゴ13と同じで一発で仕留めとかないかん ということです。 僕の危惧していた帰りですが「あした(30日)大阪で 用事がある」とのことで、不肖は明石でなく大阪へ。 時間もなかった(サイン会をした上、新聞社の取材も 受けてたから)し、でタクシーで大阪方面に去って 行かれました。 ということで、私は安心して一人電車で神戸は須磨の 家まで帰ったというところです。 明石の写真展ですが、不肖に確認したところでは 2日と5日(休館日)、それに8日が不在の可能性 が大とのことでした。あとの日は、ほぼ終日会場に 不肖・宮嶋氏はいますので、安心を。 3日、9日のトークショーでは、遠方から来られる 方には嬉しいことが待ってる可能性もあります。 それと。 1日はMBSの取材が昼の1時、写真展開始と同時に あることになっていて。早めに入場された方は当日の 報道番組「VOICE」(夕方6時15分から、予定 では6時半前後に宮嶋氏の今回の講演、写真展の特集 が放映されるはずです)に、はからずも出演という可 能性あり、です。 あと追加して。 明石の写真展ポスターと交換でもらってた「舞台・阪神 淡路大震災」のチラシ、伊丹ですべて配らせてもらいま した。伊丹市の佐藤さんをはじめとする国際平和担当の 方々に感謝! (下)不肖の本の販売員と化していた私の正体を見破り、 話しかけて下さった何人かのうら若き女性の方、ありがとう ございました。「ブログ」読んでます。と言われた瞬間、 アホ(愚痴のことと思ってください)は書けん、と改めて 思った。出来る限り、やめるようにするわ。やっぱり、読 んでくださる方に「ああいい気持ち」と思ってもらった 方が良いに決まってるから。 で、今日の写真は、不肖宮嶋氏のカメラを構える瞬間の ショット。今日、伊丹で実演されていた時のもの。ポケッ トデジカメなのでこの程度の出来なのは許してください。
2005年11月29日
29日の午前0時半です。 今日は短い日記で行きます。 昨日は昼間、神戸はメリケンパークの海洋博物館へ、 不肖・宮嶋茂樹氏の「明石写真展」のポスターを届けに行っ て来ました。 明日からこの場所で2日間、予定されている「舞台・阪神淡 路大震災」の公演会場。僕自身、明石の実行委員会から頂い ていたポスターの最後の一枚(他は兵庫県防災未来センター や伊丹の講演会の主催者などに渡しました。5枚しかなかった から慎重に、で)。 いや、実に友好的でした。 名刺は頂かなかったけど、たぶん演出家の 岡本さん本人が対応して下さったのだと 思うのですが、あのピアノの写真(「めっちゃ ピンぼけ」の表紙に使われた神戸市長田区の 写真)に感心し、関心がおおありだったようで 「(これを)撮ること自体が凄い」とポスターに 見入ることしきりの様子で。 30日の公演を見にいくことだけは約束して 帰ってきました。約束も何も、前売り券買っ てるしね。明日の公演といい、3日の西宮の 分といい、不肖のイベントと日が重なっている のが残念で。まあ、3日に関してはウイングスタジアム のコンサートがそれ以上の強敵だわな。 あと、きのう(28日)は病院へも行きました。 16日からの仕事復帰にお墨付きは出ましたよ。 相変わらず変な説明は受けた。 「達成欲の強い人はみんな精神的には強いけど、 ぎりぎりだ」みたいな。ノーベル賞や高橋尚子さん の例を出されてたけど、悪い気はしなかった。 達成欲は、そりゃあ、大きいほうがいいんじゃない か、と思う。登る山が険しい方がファイトは沸くからね 問題は、自分のレベル。登れないと最初から レベル的に分かってる山に向かっても遭難する だけだろうから。 だいぶ、休養はもらったから、高い山を目指すには 十分。どの山かは恥ずかしいから言わないけど。 不肖推薦の横山秀夫さんの本。今、「出口のない海」を 読んでます。「半落ち」から入らないのが、私らしいと ころですが、読み終えたらまたここに感想も書きますね。 さあ、今日の不肖・宮嶋茂樹氏の伊丹講演楽しみ。 約3ヶ月ぶりの再会だな。一日の毎日放送(MBS) の報道番組「VOICE」(午後6時15分から)も 見てください。写真展初日の模様(ということは初日 にくればテレビに映る可能性ありで)と合わせ、 宮嶋氏へのインタビューも含め4分間ほどの報道特集 が組まれることになってますので。 (下)舞台「阪神淡路大震災」のチラシ。 たぶん、演出の岡本貴也氏に直接渡されたんだと思う。 名前を聞かなかったけど、明らかな責任者で若い(岡 本さんは32、3歳のはず)方だったし。取材じゃな くって、ポスターのお願いに行っただけに聞けなか った。30日の公演に行けば分かることなので。 それにしても神戸市須磨区で震災で自宅は全壊、って 書いてあるから岡本氏もかなり厳しい状況で生き延び られたのは想像出来るのですが。 そういえば昨夜もサンテレビにオンエアとなってたのに 忘れてた。あしたのNHKは不肖の講演中やし。 やっぱり30日やなあ。
2005年11月28日
28日の午前零時直前です。 若干、薬のせいもあるのか、ぼんやり 過ごしてしまいました。 あした(28日)からは連日、大変なのが 判っているのに。 部屋の整理をまた少しだけして、22歳、大学生の 頃文章や編集の勉強にため通っていた大阪編集教室 (今はもうないだろうと思います)の文集「花ぎれ」 を見つけて。第11号となってました。版権もクソも、 無名のアマチュアの書いたものなので、転載はなんの 問題もないだろうから転載します。 何を転載するかって? 私が22歳の時、書いたはじめてのノンフィクションの 形態を借りたノベル。おそろしく短編だけど、小説を 意図したものなのだけははっきり判る、というか小説だ と思ってますが。 「”スパイ”」 その日、二階席へ行こう、と言ったのは沢田だった。 大学の授業が早くはねた一月の午後。大阪・毎日新聞 ビルの11階にある映画館。映画通の間では“名鑑”の 名で親しまれている所だ。ここの一階席は普通のパイプ 椅子が百程度並べられているだけ。二階席は段になって はいるが、一般の映画館と同じシートである。 一つしかない入り口を通って2階席の右端の前から 2列目に沢田洋と高井三郎は座った。彼らは大学のクラブ の先輩・後輩の間柄である。 ここのシートは感覚が狭い。前列には四つぐらいの席 があったが誰も座っていない。全体で四分ぐらいの人の 入り。沢田はシートに座るや否や靴を脱ぎ、前の席へ足 を伸ばした。高井もそれに従った。暫くして場内は暗く なる。ブザーが鳴り、映画が映し出された。同時に二人の 神経は画面に集中し、彼らの前列左端に“男”が座った のには気付いていなかった。 「ドスーン」と、映画の音声をいきなり引き裂くような 轟音が場内に響いたのは上映開始から約一時間を経た時 だった。高井は慌てて足を戻した。音は前列の“男”か ら。カーキ色のジャンパー、ヨレヨレの作業ズボン。四十 歳を少し過ぎたぐらいだろうか。取れかけのパーマに白い ものが混じりかけていた。“男”は彼の横の椅子を思いっ きり叩いたのだ。場内は異様な雰囲気に包まれる。しかし、 沢田は知らん顔である。 それから約10分が経過した後、“男”は沢田の前の席へ 移動してきた。沢田は漸く足を引っ込めた。しかし、まだ 膝が前の席に当たり続けていた。シートの間隔が狭すぎる のだ。暫くして“男”は席を立ち、入り口へと向かった。 もぎりの売店で買ったであろう「あられ」の袋を抱えて “男”が再び入ってきたのは、5分もしない内だった。“男” は真っすぐ沢田のほうへ向かってきた。沢田の後ろに立った “男”は場内に響き渡る声で、 「何の【目的】で椅子を揺するのか!」と叫んだ。 沢田は無視した。すると“男”は手に持っていた「あられ」 の袋で沢田の肩をつつき、続けた。 「【目的】を答えよ。なんで挑発したか。人の邪魔にな っとるのが判らんとは、お前は気狂いか?」 沢田は黙り続けた。男は再び叫んだ。 「答えろ!」 沢田は漸く言った。 「周りの人に迷惑やし、後でロビーで聞きます」 「今、【目的】を言えと言っとるだろうが!お 前は気狂いか?」男は吠えた。 「じゃあ、そうです」沢田が続ける。 「気狂いが自分で気狂いと認めるか!【目的】を 答えよ!」 「どうしたら納得するんです」 「納得なんかする必要ない!」 《うるさいのー、邪魔やぞ》という声が一階席から かかったのはこの時だった。 “男”は不承不承の体で、沢田の位置から引き下 がり、中央席の後方に座った。それから“男”は、 彼の持つビニール袋をバリッという場内に響く音と 共に引き裂き、カリカリ音をさせながら「あられ」 の摂取に熱中し始めた。 (原文まま。不適切なことばもそのまま22年前の 空気ということで記した) 以上です。 明るさのかけらもあらへん。 誰に読ませよ、思たんやろ。 ただ、短編小説、しかもニュージャーリズム の手法で書ける、と思って書いたのは事実で。 事件が小さいのは、当時の(今も同じだけど) 私の考えていた、生活していた世界が狭い ためと考えてもらって間違いなく。 ここまで読んでくれた方々にはありがとう、と 言います。ほんまに。最初からこれやったんや から。「恋愛もん」なんかどうやって書くんや、と 思うけど、次に予定して書き始めてるのは恋愛小説 やから。さあ、どないやろ? 連絡事項としては 舞台「阪神淡路大震災」 神戸公演の場所となる 29日、30日の神戸海洋博物館大ホールで不肖・宮嶋 茂樹の「明石写真展」のポスターも張り出してもらえ ることになりました。「場所があれば」と条件付きや ったけど大丈夫でしょう。 同じ震災事業には違いないから。私は30日の公演を見 に行く予定にしてますが、興味のある方はどうぞ。 それと、トップページの不肖・宮嶋氏に関係する部分 に追加と詳細の部分を書き加えました。まだ、「めっちゃ ピンぼけ」のフリーページは触ってないので更新出来て いませんが、MBSの件とか記載しましたのでご覧 下さい。 (下)編集が半年、取材が半年と一年間の過程で編集者や ルポの書き手を発掘するのが目的だった大阪編集教室。 この文集も手作りやもんなあ。ちなみに、発行日を見たら 1984年3月1日になってた。23歳の誕生日。初めての 海外、タイ、バングラディシュ経由インドへ向かう十日 ほど前の期日でした。どうでもええことやけど。
2005年11月27日
25日の午後11時前です。 眠たかった一日。昼間にLD(!)で 「ブレードランナー」の旧バージョンを見た 以外、何もせずに寝てばかりいたような。 こんな日があってもいい、って 今のオレは毎日が日曜日だから恥ずかしい限り なんだけど。 あしたからは、ほぼ毎日用事が入って るので、こんな日もなくなる でしょう。 そういえば夜中(25日早朝)に不肖・宮嶋氏から FAXが返って来て。いよいよ、写真展モードって 感じやった。 「本日帰国してやっと本番プリント拝見の上、 キャプションを送付した」とあって。 29日の伊丹の講演まであと3日、明石の写真展まで あと5日ってところだもんね。 実行委員でもなく、直接かかわってるわけでもないのに 緊張したりしてくるのは不思議なもんで。 成功して欲しいね。 で、今日の本題。 25日付け神戸新聞の1面の正平調と、スポーツ面の サッカー、ヴィッセル神戸に関する記事を読んでいる と嬉しくなってきてしまって。 神戸は来年のJ2降格が決まってて、三浦知良さんも とっくにいなくなって寂しいチームになってるなあ、と 思ってたのですが。 新しい監督として、前南アフリカ代表監督のスチュアート・ バクスター氏が有力になったとあって。地元神戸新聞の スクープだと思います。たぶん、間違いないでしょう (取材してないから分からんけど)。 嬉しかったなあ。 サッカーにほとんど興味もなかった僕が 最初に取材したプロチームがヴィッセル神戸 で、当時(96年)の監督がこのスチュアート・バクスター氏 だった。長身の細身で紳士って感じの方で。 直接、1対1での取材こそしたことが なかったのですが、監督会見などで話を 聞くごとに「ひいきの監督さん」になって いって。サッカーがほとんど分かってなかった 私には、本当に為になる話が多くて。 昨年2月に南アフリカを訪れた時、ドイツW杯を 目指すこの国に新監督にスチュアート・バクスター氏 の就任が決まった、という現地の新聞原稿を読んで 「え!」と思った経験もあります。 南アフリカは予選で敗退して本大会への出場権を 逃しましたが、それが神戸に再度バクスター氏が 来る可能性をもたらすのだから縁というのは。 震災後(95年)すぐの神戸全体が大変だった時期 にサンフレッチェ広島を前期優勝させた実績を引っ 提げてJ2神戸の監督に就任して、すぐにJ1へ 昇格させたのも印象深く(J1のチームになった おかげで取材出来た。当時の住まいからユニバー 記念競技場までが歩いて10分かからなかったのも あり難かった)。神戸新聞の正平調に書いてある 96年のJリーグ入りのパレードでバクスター氏が 「このチームを誇りに思って」とサポーターに願った というのは、当時も神戸市民だった僕も同感 でした。 まあ、9年間一度もJ2に落ちないでやってきたんだ から、1年ぐらいはいいんでないの?何年か前、担当してた サンフレッチェ広島も一度降格したし(降格決定と なった札幌戦の点の取り合いは壮絶だった)、今年 優勝争いしている本来の私の担当・C大阪も一度降格 経験してるからねえ。 J2は取材する機会がなかなかないから、難しいかも しれないけど、うまく仕事の休みとかと合えばユニバーか、 ウイングスタジアムかどちらか分からないけど、来年、見に 行ってみようと思う。もちろん、バクスターさんが監督に 復帰してるとした場合だけど。 今日は、珍しくスポーツの話で。 本来は、こういう話の方が得意でないと いけないんだけどね。 (下)1997年暮れに、神戸の朝日会館(今はシネりーブル) で行われた震災復興チャリティで手に入れた神戸に本社を持つ フェリシモのお皿。神戸近辺を代表するアスリートのサインと メッセージが入ったものを販売していて、イチローとかもあった に違いないのに、私が購入したのはたった一枚。 それが、なぜかスチュアート・バクスター氏のもの。オレぐらい しか買ってなかったんじゃあないかなあ。 「THE CREED」(信条)と題して、10の自分の 信条をバクスター氏はメッセージにされてました。 「My intuition to demand quality(質を要求=高める、 私の直観)」とかいう信条に当時は、そうだよなあ、と 思ったもの。当たり前だけど、大切な10条だった記憶 はあります。
2005年11月25日
20日の午前11時付近です。 日曜日の昼間に、こんなブログを書けるなんて ここ数年の勤務状態じゃあ、あんまり考えられ なかった。やはり、仕事も含めて一杯一杯だった んだな、と。 最近は少なくなってると思うけど、会社の方で ここを覗いてる人(JIJI.CO.JPの足跡がやっと 減ってきた。会社から覗くなよ、ほんま。休み 時間の可能性もあるけど、楽天ブログは分かる んだから)、この休み中に僕がやってることは 主治医公認のリハビリ作業ばかりだからね。 まあ、精神を病んでるとこまでいってないから、 普通に生活して、仕事してないだけ、って感じ。 それと薬の副作用で眠たいんだよね。抗うつ剤 が眠いのは聞いたことがあるけど、神経を和ら げる薬はほぼ例外なく眠気が副作用なのも分か った。 で、今日は。 久しぶりに、見ていないDVDを観たので、 考えたことを。 前から観たいと思って見落としていた「ニュースの天才」 (ビリー・レイ監督、ヘイデン・クリステンセン主演= 2003年)がそれで。いや、職業柄(スポーツを中心にした 記者)、どうしても記者もの、とかは惹かれるのですが、 これはその中でも“絶対”に近かった。 捏造記事を書き続けて、名声を得たアメリカの実在のジャ ーナリストの話だったからねえ。いや、僕も何度か小説で そういうねつ造に手を染める記者の話を書こうとして、資料 とかも集めていた(伊藤律会見記とかね)けど、まだ果たし てなくて。 結果。 映画の出来栄え以前に、やはり事実だったことが面白かった。 同じ雑誌(もちろん実在の高級紙)の記者仲間、編集者 のすべてが数年とは言え、だまされ続けたっていう事実 もすごいし。 淡々と描いているのは好感が持てた。 実在のねつ造記者=スティーブン・グラスの内実まで描け ているか、というと大いに疑問があるけど、周りの人物、 特に新編集長チャック(ピーター・サースガード)の静かな 好演が光ってる気はしました。それと、映画を捧げられて いる前編集長のマイケル(ハンク・アザレア)がイラク戦争 の取材中(2003年4月)に殉職されているという事実も。 まあ、ねつ造するやつの頭の中まで描ききるのは難しいだ ろうね。正直に告白するけど、僕だって何度も“こう書いた ら面白い”っていう経験はしてるし、一つ一つは事実でも つなぎあわせれば大嘘になったり、思わぬ人を傷つけたり ってあるから。それが嫌で、署名のあるスポーツ新聞社から 名前の出ない通信社に移ったのも。いや、もちろん一番大き かったのは五輪に行くチャンスが広がると思った(誤解だった のは何度も書いてる通り)からだけど。 それにしても。 アメリカってやつは、懐が深いというか。 この「ニュースの天才」って映画自体がそうだし、ねつ造 記者のグラスがもう社会復帰を果たしている。ロースクール を卒業したっていうんだから、弁護士業かな。頭がいいのは ねつ造記事を信じ込ませたことで世間に知れ渡っているから、 本当の悪人専門でやれば商売、成り立ちそうだし。 自分のねつ造経験も本にしてるっていうし。 したたかだよね。 DVDには本物のグラスのインタビューもついてたけど、 クリステンセンって、ほぼ容姿、そっくりに演じてたんだ ってよく分かる。短いインタビューの内容だけなら、映画の 主人公の性格も似通っていそうな感じだった。 これは映画館じゃあ分からないから、高いDVD(4000円近 くした)買った価値はあったと思う。 さて。 もう、五輪に一度は行きたい、以外報道者としての 野心はないから、僕がねつ造記事を今後書くことは ないと断言出きる。ただ、事実とずれた原稿(解釈の 間違い)とか、細部の間違いのある記事はまだいくつか 書くに違いない。その際に、“わざと”の気持ちが あるか、どうかがすべてで。 DVDの付録に入っていた現実のグラスの記者仲間、 編集者が「彼とは顔も見たくない。晴れの日に今日 は晴れていると彼が言っても信じない」と言っていた のは興味深いというより、人間そんなもんだろうな、 と思って。決定的な嘘を付かれると、人との関係を 再構築することなんて不可能。 この事実は、それこそ万国共通じゃないか、と思う んだけどどうだろう? まあ、今日はこんなもんで。 高橋尚子が走り始めたのでテレビ見ます。 現場じゃないんだよなあ。 高橋さんの出世レースの名古屋国際マラソン は、現場で取材したよ。いつだったのかさえ 忘れたけど。 (下)「ニュースの天才」 でも、写真は「ニュースの天才」じゃなく、発掘した私の 大学時代のマスコミュニケーション論の授業での1980年9月 8日に関学大社会学部で受けた戦後の三大誤報≒虚報の授業 のノートコピーを。その後、朝日新聞のいくつかの虚報とか あったから、ほんまにこの授業の内容は古いものになってし まってますが、取り上げられていたのは、朝日新聞の「伊藤 律会見記」(昭和25年9月)、長崎新報の「日航機衝突事件」 の際の墜落で亡くなったはずの漫談家・大辻四郎のインタビュー (昭和27年4月)、共同通信の「セイロン島での日食観察成功」 =実際は天候不良で失敗(昭和30年6月)。 最後の共同の失敗なんて、実はよくあるんですよ。 オレが言ってはいけないけど、速報を重視すれば、すぐ 起こってしまうミスで。予定稿を書く限り、どこの通信社、 新聞社にも起こりえることだと僕は思ってます。 起こっちゃいけないことだけど。
2005年11月20日
19日の午前2時前です。 でも、18日を今日としてブログは書きますね。 いや、さっき、ほとんど書きあがっていた ブログがパソコンの電源切れで消えてしまって。 いつもながら、だから保存しとけ、っていうやつで。 頑張ってもう一度書きます。 順序まで同じにはならんでしょうが、 内容は出来るだけ合わせます。 本来なら、スポーツ記者として今日はドラフト にかかる選手のところに張り付いていたはずなのですが。 遠く離れた感じですね。 さっき、ネットでやっと指名選手を確認した ぐらいだから。 加えて、ボクシングの徳山君に関する次戦での引退 報道に関することも記者仲間から連絡があって。 そういえば、先月の半ばから連絡、徳山にはしてない。 オレは次もなく引退するだろうと思ってたからいいんじゃ ないのかなあ。仕事で考えたら、すぐ電話して後追いする けど(というか、後追いにはならなかったと思う)しなかった。 今日でも携帯メール打っておこう。 全く別の話で。 まあ、今は仕事の件は仕方ない。 過労のツケってやつだしね。 今日は、で、仕事とは全然別。須磨発明石経由、 伊丹行きって日になりました。明石では不肖の 写真展の会場を一人でもう一度、じっくり見た (ヤクルトの集会みたいなのやってた)後、実行 委員会の方にお会いして写真展のポスターを5枚頂 きました。 自分の家に飾るためと違うで。 その足ですぐに伊丹に向かって、伊丹の講演会の 担当者の方とお会いしてポスター2枚(自衛隊用? と講演会場用)をお渡しして。交換で、29日の 講演会のチラシをかなりの数頂いてきました( 希望される方には分けたいぐらい)。後で、写真で 公開します。すぐにはこれぐらいしか出来ん。 コーヒーおごってもらった返しとしてはチンケ やけど。 余談ですが、明石から伊丹までの移動時間は完全に 読み違えました。1時間半ぐらいかかってしまった。 理由は三宮で乗り換えた阪急が特急一本で伊丹と いかないためで。 講演当日。 終わってから不肖がどうやって帰るつもりなんか? 「オレんとこ泊ってったらええやん」とFAXしたら、 「新幹線の駅から遠いからいやや」って答が返って きて。明石の実家に戻るのは間違いなさそうですが、 まさか電車乗り継ぐつもりじゃあ?不肖やったらタクシー 使わずがありそうで。 まあ、30日、東京で仕事するつもりとみました。 その上で、1日からの写真展に備えるんやろけど、 タイトな時間割組んでるなあ、と何となく彼の仕事の 大変さも分かる気がして。 あ、インフルエンザの注射もしてきたわ。 近くの病院で。4000円もした。会社近くの 指定医師でやれば、ただ(会社もち)なん やけど、大阪の本町まで行く元気がまだない ねんなあ。会社。まあ、絶対何事もなかった かのように戻ったる。 まあ、いろいろあってともかく家に帰ってくると、 アマゾン(楽天さんごめんなさい)で頼んでいた 「死ぬまでに 観たい映画1001本」 が届いていて。6000円近くするとんでも本だけど、 約千ページの上質印刷とあって見ごたえあり、読み応えも ありそうで。「A・I」があって「泳ぐひと」や 「大いなる勇者」がないなどちょっと不満もあるんだけど。 でもクローネンバーグ監督の「ビデオドローム」が 入ってたりしてうれしかったな。 「編集後でも本作品がハリウッドでもっとも異常な映画で あることは変わらず、興行的には失敗した」という「ビデオ ドローム」の説明には笑ろたけど。 あと、伝えておかないかんこと。 写真展。日にちは一日から十一日でいいんですが、 五日は休館日でお休みです。 それと、施設の規則で本の販売が出来ず、 不肖の本も近所の誠心堂(近くとしか聞いて なくて私も場所知りません)に臨時で置いて 扱い、会場でサインするというシステムと なります。 私の著書の「めっちゃピンぼけ」も誠心堂さんに5冊 置いてもらえることになってます。もし、直のサイン本 が欲しい方は、僕が行く日(3日のトークショーの会場に は間違いなくいます。初日もいると思う。その他にも、 手伝いが必要と言われれば、ほとんど空いてるのでい くつもりではいますが)にお渡ししてもらえれば。 運が良ければ(悪くてもたぶん)、不肖と両方の サイン入りの本を手に入れられるはずです。 (オレのはいらんか) (下)伊丹の講演会のチラシ。伊丹アイフォニックホール って、ほんとに立派な建物で、これも見る価値はあると思い ますよ。バブル期に都市が何やってたか、っていう。 まあ、震災で壊れへん建物を作っていたと胸張られるのが オチかも。阪急の伊丹駅の惨状は、不肖の雑誌に載せた写真 で最近見られた方も多いと思いますが。 あ、それと、伊丹の講演会の担当者のゆきあやさんのページ にもこのチラシ出てるのでそれも紹介しておきます。 @ゆきあや
2005年11月18日
16日の午後11時です。 僕にしては珍しい時間のブログ。 今朝、書けなかったこともあって 2日間に起こったことと、考えたこと などを。 昨日(15日)の映画館は、想定内(使ってみました、 流行語対象候補)のこととはいえ結構、悲惨な 結果になりました。 神戸の湊川にある「パルシネマしんこうえん」へ、 ウディ・アレンの「さよなら、さよならハリウッド」と、 アレクサンダー・ペイン監督のゴールデングローブ賞受 賞作「サイドウェイ」の2本立てを見に行ったのですが…。 やはり、まだダメでした。 薬の強烈な眠気にやられて、一本目の「サイドウェイ」 の途中から別世界。別世界のはずなのに、そこに いる夢、っていう厄介なことになって。 しかも、真後ろのお客さんに黒いビニール袋を頭から 被せられる、っていうとんでもない夢で。 映画の途中で、夢から覚めた時、思わず後ろの お客さんがどんな人か確かめてしまった。 あかんねえ。 「さよなら、さよならハリウッド」は、だからパスしま した。劇場出て、まっすぐ行ったら福原のソープ街で、 思わず入りそうになったけど、性欲だけ旺盛ってことも ないので、捨て金することもない、と思ってこれもやめた。 いや、誤解しないで欲しいのですが、ソープなんて、学生 時代以来行ってないし、学生のときは呼び名も違うかった から、行ったことがない、と言っていいのですが。 まあ、今の薬を使っている間は2、3時間の集中も結構 難しい、っていうのは分かった。仕事復帰まで一ヶ月。 その間に、小説の手直しとかもやらないかんのに。 あ、不肖・宮嶋の写真展、その他もあるんやった。 なんとかなるやろ。 薬の量さえ減らしてもらえれば、大丈夫と思うから。 明日にでも主治医ともう一回、話しようと思う。 かなり回復してるのは実は、自覚出来てるので。 もう数週間。 辛抱すれば、大丈夫でしょう。 「めっちゃピンぼけ」に関しては二つ。 ともに、悪くはないことで。 一つはあるプロダクションの方から連絡を受けて、 NHKの3回ドラマの原作として推薦しておきます、 ということでした。 まあ、かつてのアポロ計画みたいなもので、 実現性がゼロではないですが。夢は見続けれた 方がいいかな、と。 あと、もう一つは、編集者の方と今日神戸でお会いして 「めっちゃピンぼけ」のいい点と欠けてる点の指摘を明 確に受けました。実際に本がもう市場に出ている限り、 大きなことは出来ないのですが、動きがある可能性はあり ます。 まあ、今売れ残っている7百冊が捌けないと話は進みませ んが。でも、分かりやすかった。編集者はああでないと、と 思いましたよ。1時間半ぐらいだったのかな、話したのは。 あと書き落としてることは。 不肖・宮嶋氏関係ぐらいですかね。 一番なのはFAX用紙が変わったこと。 「不肖・宮嶋」のロゴがついてくるようになって、 文藝春秋の便箋じゃなくなった。 結構、かっこいいんだよね。 見せれる部分、後で写真で公開します。 詳しくは知らないのですが、明石の写真展の準備も 進んでるようです。今日、実行委員会のほうから トークショー(3日)の招待券とパンフプレゼントの はがきが同封されて送られてきた。ポスターの件が あるので、明日はいやでも電話せな仕方ないんやけど、 実行委員会に。伊丹の講演と神戸防災センタ-へは持 っていかないかんから。MBSにも頼まれてるし。 今日は以上で。 あ、付け加えて嫌好法師さんのめっちゃピンぼけに関する レビュー紹介させて頂きます。フリーページにも明日にでも 載せますね。無断でだけど。 「めっちゃピンぼけ」レビュー (下)宮嶋氏が使用を始めたロゴ入りのFAX用紙と、 明石写真展の12月3日のトークショーの入場券、および パンフレットプレゼントのはがき(はがき持参の方で 連日先着百名と書いてあった)。写真、いびつになって るのは電話番号を隠したためです。住所はOKなんやろ けど、さすがに携帯の番号はあかんの違うか、と私が勝手 に判断しました。 みんな忙しく動いてられるのにねえ。会社もどうなってる んやろ?人事部とか、人が全部入れ替わってたねえ。たった 一年ほどで。 いや、会社から社内報も今日、郵便で届いて。 慌てずに、確実に、社会復帰はします。 小説も、必ず、元以上のレベルに上げてやる、と 啖呵ぐらい切らんと。だいぶ、元気になってきてるやろ?
2005年11月16日
15日の午前1時半です。 早く寝ないかんのに、何しとんねんやろ。 やっぱり、毎日が日曜日状態に なると、規則正しい生活(そんなもん いつしてた?という話もあるが)が 出来んようになるもんや、と改めて 痛感。 明日、というか今日は映画館へ行きます。 娯楽のためと違うで。2時間の映画を、2本 ちゃんと集中して見れるかどうかの治療 のため。主治医の指示と思って下さい。 社会復帰、というか元の職場へ這ってでも 戻らんと。おまんま食い上げってことに なるからねえ。 闘病(過労との戦いですよ、実際は) 日誌はここまでで。 14日は三宮へ出ました。 「めっちゃピンぼけ」に関してはうれしいことだらけ。 紀伊国屋では地元作家フェアをやってて、表紙の見える 立て方で5冊あったし、ジュンク堂では本来の小説の売り場 である2階についに登場。ここも地元作家のコーナー ですが、レジの前の目に付きやすい場所。ここで売れん かったら、やはり売れん本やった、と観念するしかない って感じのところにあって。 神戸市須磨区板宿の「ブックス三ツ輪」では、あの渋い ポップが使われた上で、角のいい位置に3冊。 売れてない本とは思えん扱いになってて。 嬉しかったです。ほんまに。 で、嬉しいついでに、ジュンク堂の地下にあるHMVで DVDを買いました。本当は見逃していた「レイ」を買おう としたんですが、品切れ中の上に「25日に廉価版が出ます」 と店員の方が教えてくれて。そこまで待つことにしました。 で、他に目ぼしい映画はないかと探してると目に付いたのが。 名匠シドニー・ポラックの作品を堪能したい、とコピーのついた 3本セット。本来6000円が、3500円に下がっているもの でした。 いや、確かに僕はシドニー・ポラック監督の大ファンで、 高校時代には地元明石の映画サークルが出していた機関紙に 原稿用紙30枚は使った論文を載せて頂いたこともあるし、 このブログでも「ひとりぼっちの青春」(原作が「彼らは 廃馬を撃つ」)などをさりげなく(もないか)取り上げて ます。 しかし…。今日の3本パックはびっくりした。 何が、ってフランク・ペリー監督の、このブログでも 取り上げた傑作としかいいようのない「泳ぐひと」 が入ってたんだよねえ。 これって…。 要は、ゴーストライターが正体を明かすようなもの でしょう?「インディアン狩り」(僕は好きです。 ブラックユーモアのある作品でした)と「ひとりぼっち の青春」との間。67年から69年。確かに、どこかで 「泳ぐひと」のパーティのシーンとかはポラックが 撮っていた、とは聞いたことがあったけど。 家に帰って3本パックを開けて、「泳ぐひと」のスタッフ のところを見たら…。監督・フランク・ペリーと 書いてある後に、シドニー・ポラックとあって、丁寧にも (クレジット表記なし)とあります。 当たり前や。ゴーストが表記したらゴーストやあらへん。 「愛と哀しみの果て」とか、「大いなる勇者」とか、 ほんまにレッドフォードと組んで傑作の多いポラック 監督やけど、これはなあ。「トッツィー」を監督した 時に仰天した以上に、びっくりやった。公然の秘密 なんやろけどねえ。 何回もこのブログでフランク・ペリー監督(今は何してん のかも知らん)を持ち上げた私としては、ペリー監督の 、というか実は私の洋画史上ベストワンの作品の監督が こういう状態となっては、個人的に困るので。 今のほんまに私の、オレの頭の中みたいや。 整理整頓せんと。 ゴーストはゴースト。 いかに優れた作品を後に残していても。 ポラック監督は分かってると思う。 だから、彼のいくつかのインタビューで「泳ぐひと」 を中心に語ったものなんかあるわけもないし。 ともかく、もう一本「雨のニューオリンズ」って いうレッドフォードとナタリー・ウッドが泣かせる 悲恋を展開する(脚本はコッポラでっせ)ポラック 監督の1966年の作品も加えて4本買って帰りました。 で、今日は終わり。 (下)見た瞬間に、びっくりしたパッケージ。 「なんでお前がここに」って言う感じでしたね。 「泳ぐひと」が含まれてるのを見た時。でも、 正直に告白すると、どうせいずれ「泳ぐひと」の DVDは買ったに違いないから、3本パックで 安くなってて儲けた気分も。ちなみに入ってる 3本の中で見てないのは「ランダム・ハーツ」だけ。 見た映画やビデオで持ってるものでも買って しまうのは悪い癖です。そんなにお金もないのに。シドニー・ポラック監督作品
2005年11月14日
13日の午前1時半です。 いやあ、今日は一日外へも出ず、よく寝た。 薬のせいももちろんあるけど。 昔、付き合っていた彼女がうれしそうに 妊娠した連絡を僕にくれる夢(僕の子供じゃないですよ) がなぜか、今日(12日)のいちばん気分の 良かったことで。新潟の人でした。 元気かなあ?結婚も考えて、彼女の母親と会った こともあったの、今思い出した。 こんなとこで書くことじゃないかな? 新潟出身の作家、新井満氏が「ヴェクサシオン」や「尋ね人の時間」 でちょっとだけ流行した当時に知り合った んだったなあ。15年以上前ってことで。 で、今日はそれがメインの話じゃなく。 昨日書き忘れたことを二つ。 不肖・宮嶋氏絡みで。 11月10日付けの神戸新聞、地域ニュースのところで 明石の写真展のことが紹介されてます。 それと。 12月1日に発売となる予定の次の情報誌「タウンはりま」 (姫路から明石までを網羅)にも写真展、トークショーな どの紹介とコラムが掲載される予定。コラムの執筆者は知 りません。 私じゃないことは確かです。 12日。やっとDVDが見れるようになりました。 正直に告白すると、心身衰弱のおかげで漫画は読めても 本を完読することは出来ず、映画は画面を見るだけで 頭が痛くなる始末でした。2週間でやっと、テレビが 見れる状態に戻ってきた。 (その割りにブログの更新が何日か出来てるのが自分でも すごいと思う。要は気合、と思うけど、頭の中身は気合 で変えられんところもあるので) 「ロング・エンゲージメント」とか「アビエイター」、 「バットマン・ビギンズ」と言った買ってるけど見てない DVDもあるのですが、今日見たのは「青春の殺人者」 (デラックス版)で。 水谷豊のファンじゃなく、原田美枝子はファンだった 時期はあるけど。少なくとも、過去に10回は見てる映画。 劇場でも最初に見た1977年の6月(「サード」と二本 立て、今考えると暗いけど豪華な組み合わせ)以降も2回 時期を変えて見てるから、何回やら?って邦画なのですが。 昨年、キネマ旬報の1位となった「誰も知らない」と同じく、 実在の事件を題材にとって撮影され、同じくキネマ旬報の 1位となっていた作品。 中に入っていたブックレットをはじめて読んで、この ブログに取り上げようと思った訳で。 「青春の殺人者」は、実際に両親を殺害した罪ですでに 死刑が執行された人物がモデル。 長谷川監督も、脚本家の田村孟さんも、実際の 事件をじっくり取材してそれから脚本を進めてるのが よく分かって。単純に原作の「蛇淫」(中上健次)を 映画にしたんじゃない。 僕は、これが言いたかったんだ、って思った。 いや、「青春の殺人者」のスタッフのことじゃなく、 単純に僕が、です。僕がいいたかったこと。 映画の出来栄えや質は両作品同じかもしれない。 でも「誰も知らない」は、被疑者に会う努力を せず、推測で勝手に作り上げている。それでも いいものは出来る、って証明にはなってるけど、 僕も含め取材ってものに携わったことのある人なら 「?」って思うのでは? 出来栄えの話じゃないですよ、念を押しますが。 もっと、チリンチリンのキャンディーの話とか 書きたいことはあるのですが、薬を飲む時間が 来てしまった。すぐ意識がなくなるので、今日は このへんで。 (下)たぶん、公開当初のポスターをそのまま表紙に したに違いないDVD「青春の殺人者」デラックス版 の表紙。「父を殺し 母を殺し 恋人を捨て 地獄の 岸辺をさまよう ひとつの青春!」ってコピー、青臭 いけどそのままだよねえ。余談ですが、主題曲をはじめ 4曲「ゴダイゴ」の曲が使われてますが、すべてシーン にあってて、こういうところにも長谷川監督の秀でた 才能は感じます。 「青春の殺人者」
2005年11月12日
これから12日の午前1時を迎えます。 睡眠薬。もとい、心身衰弱の寝る前に飲む薬 はまだ。 もう。 闘病日記みたいになるからあかんわ。 いちばん苦手やのに。 闘病を扱った文学、映画、その他いろいろ。 一昔前の「ロレンツオのオイル」だったっけ。 泣けたし、いい映画と思ったけど、出来れば 自分の分野からははずしたいところなんですが。 いちばん、私が伝えられる不肖・宮嶋の件で 大きいのは、12月1日の予定でテレビ局MBSの 報道番組「VOICE」(夕方6時15分ごろかららしい) に、宮嶋茂樹の明石での写真展が取り上げられることが決まった こと。今のところ、4分間程度の放送の予定で、 11月29日の伊丹での講演も紹介されるはずです。 関西ローカルになるので、関東の方には気の毒なのですが、 誰か録画した人にでも見せてもらってください。 あ、本人からのFAXでは、二日ほど日帰りで東京に 戻る以外ずっと写真展の会場にいるということでしたよ。 昨日の情報なので、変わってる可能性も否定はせんが。 私のことですが、まあ、もう頭がおかしい人に 皆さん加えられてるかもしれませんが、そんなこと あらへん。なぜなら、11月9日に明石のロータリー クラブで自身初の講演までやってきた。 講演料なんてもらったことないから、そんなん入っと んの知らんともらったお菓子出して仰天した。 すぐ、明石の写真展の実行委員会の方に協力費として 振り込んだのは言うまでもないわな。 気にしてないというか、このぐらいがちょうど、って いうアクセス数2百ぐらいに下がってるので、 本当に私のことを心配してくださってる方ばかりと 勝手に解釈もしてます。 で、話した内容? 聞きたいですか? いや、不肖の写真を紹介するつもりで、「めっちゃピンぼけ」 の表紙のピアノのあった地域の取材とか、伊丹駅の現状とか、 ルワンダの静かな恐怖とか話そうと思って用意してたんですよ。 珍しく完璧に。 でも、不肖のことはえじぇくたーやったっけ。 なんかよう知らん機械が、昨年の暮れにどっか で放送された「グレートマザー物語」の一部を 写しただけで。 結局、スポーツ記者としての話題。「メジャーリーガ ーと私」と言う感じで、イチロー、吉井理人、田口壮 の奥さんの話になってしまいました。時間が余って、 予備に持ってた吉井君の高校時代の甲子園での失敗(?) の話まで披露したけど、まああの少ない時間でよく準備は 出来てたかな、と自画自賛。 宮嶋よ、ごめんな。 オレのせいやない。 相手の希望がどうしても、話す人物のことにして欲しい ということやったんで。 早口になったのは失敗やったけど、内容は自信あるで。 ほとんどが新聞にでんかった話やから。 聞けたロータリークラブの方はラッキーだったと 思っていただければうれしいかな、と。 ついでに、会場で「めっちゃピンぼけ」を買って下さった 3人の方、ありがとうございました。 (で、ここに書いていた2パラグラフ、数行分は 諸般の事情により今=12日午後6時15分に削除 します。個人的にはまだ納得出来ていないので、メール などでの事情説明は受け付けます。こちらの精神状態が まだ、心身衰弱状態なのだけは考慮していただきたいの ですが) 某ホテルの支配人の方には、ほんまに悪いことをした。 あれは、薬の眠気、ふらつきがどの程度かまだ 分かってなかったから起こったことや。 言い訳すれば、須磨の家から約束の15分前に三宮 までタクシー呼んで乗るのがやっとやった。 15分も遅れずに今やったら出来るやろけど、 時間は取り戻せん。仕方ないわな、やってしまったことは。 今なら、薬との付き合い方が分かってきたので 大丈夫やったのにな。でも、あれで関係もパー やな。人の付き合いって、ビジネスが絡むとシビア だからね。理解してます。 で、仕事の復帰は12月16日からを予定してます。 昨日、家にまでお越し頂いた大阪のわが社の編集部長 さんと話して決めました。それまで、ゆっくり休み ます。有給休暇なんか10年間一度も使ってないんや から、ええでしょう。 復帰して北京五輪を目指します(なんか体操選手みたい)。 さあ、薬飲もか。 すぐバタンになるのが、どうしても 慣れん。 (下)明石のロータリークラブの集会で講演中の 私。撮影は、明石の宮嶋茂樹写真展の実行委員の 中の一人に方にお願いしました。あの方がいなかった ら、あの日はやばかった。落ち着いて。平静で。 明日も雨かなあ?
2005年11月11日
7日の午前1時です。 いつものことながら、あと少しすれば 自動的に意識がなくなります。 怖い。 睡眠薬を愛用する人の気持ちがオレには 分からん。何があっても、いらん、と思う もんの一つに見事にランクインしてもらう ことに決めました。 ボクシングの連絡事項(徳山君の現役続行や亀田なにがし のスパーリングのこととか)の関係で、休職 状態となってから2度目の電話を会社に昨夜(11時半 つまり1時間ほど前)かけたのですが、怖かった。 あかん。 会社が怖い。 仕事は大丈夫だと思います。絶対出来る。 でも、会社へはいけん。 まあ、外勤やから、それで事足りるやろけど、 それにしても。 なるほど、心身衰弱や、と自分でもやっと 今日(昨夜か)納得しました。ズル休みやないで。 いじめるからや。 というのは冗談で、いや。ほんまに冗談で。 そんな単純な理由やないのは 自分で分かってます。 2004年の1月3日。 あの日に、壊れてたんや。 今考えると。アテネ五輪の派遣メンバー の候補にも入ってなかったこと が分かった日で。徳山君がロシアの キリロフを渋い技巧で完封して防衛に 成功した日やった。 よりによって、あの場所で。 仲のいい徳山君のいい試合を見ながらも 上の空やった。 考えようによっては、あれから1年半以上も経ってるから よう頑張ったって言えるんちゃうかなあ。 五輪の取材へ行くためにはじめた仕事やからねえ。 今年で21年目。ようやってるわ。 初志貫徹、って不肖にサインされたことあった けど、その通り。 オレは復帰して北京へ行く。 その前のアジア大会にも行かせろ、と交渉する、 と休んでる間に決めた。 北京へは取材が望ましいが、場合によったら 観客でもOKかな、と。 一回、五輪の雰囲気を現場で味わいたい、 それだけや、ほんま。 小説も、長編はあれ(2004年1月3日) 以後一作も書けてない、 というか書こうともしてない。 今は違うで。 書く、って気力とアイデアは浮かんで来てる から。書かないかん理由もある。 ほんまは、タイトルに書くべきやったけど、 書いていいのかどうか分からん(だから、 あかんと分かれば削除します)ので、ここで。 「めっちゃピンぼけ」。 某監督が「関心がある」との返事をプロダクション 経由でくれています。今月、もし僕が東京へ行けるようなら (今の身体でも仕事にかかわってなければ主治医のOKは 出るはず)、詳しく話も聞こうかな、と。 まあ、関心程度ではどうかは分かりませんが。 もう一つは、今までの2刷目までを持ってられる方は 大切にしておいて欲しくて。場合によって、増刷の話 が出てるのですが、その場合はある程度、内容に手を 加えてで。僕も今の誤植だらけの本では了承しないし、 文芸社さんは売れてない在庫7百冊を僕がどう考えてるのか、 を詰めて来るのも当然で。 でも、アイデアは浮かんでますので、3刷目は出る でしょう。モデルの宮嶋君の本が大量に出版され、すべて 好評、っていうのも追い風です。 プロとしてか、アマとしてか、これは付いてくださる 編集者の方の力量も問われるところだと思います。 なぜなら、「めっちゃピンぼけ」の、このページのフリー ページに寄せられた読者の方の感想(ただの一人も嘘の 方はいません。すべて実在されてる方がメールなりで下さった 感想です。悪いものもそのまま載せています)を読めば、 プロの作品のレベルに出来るっていうのが一目瞭然の ところがあるから。 スポーツ記者が同級生を題材に暇に任せて書いた小説、 って評価から、小説の書き手がたまたまスポーツ記者を やってる、という形への逆転は不可能じゃないと思って ますし、それに挑みたいし、挑みます。 いろいろ、書いたけど、だいぶアイデアも沸くようになってきて あと一歩。会社への恐怖心だけ、なんとかしたいなあ。 ルワンダやウガンダへ行く方が気が楽って思える心理って どっかおかしいもんね。 北京へ行く。 そのためには、会社から逃げる訳にはいかない。 早く、病気じゃないけど、治したい。 年内にはメド、つけたいなあ。 (下)神戸の紀伊国屋で、自分の本を買おうと思って行ったら なくて、仕方なく(仕方なくするものかどうかはよく知らん) 衝動買いした中村航君の「100回泣くこと」。かわいいサイン を見てたら欲しくなってしまって。帯に書いてある「死が二人を 別つまで共に生きることを誓いますか」ってやつ。まだ、読んで ないから内容は知らんけど、目の前に彼女がいるとして口では 言えるだろうけど、心の底から言えるかなあ?20代ぐらいで。 いや、今のオレなら言えるのよ、逆に。残りの楽しめる時間が 少なくなってるおかげで。 まあ、なんでもええわ。いつものようによう分からんブログや。 すんません。「百回泣くこと」
2005年11月06日
5日の午前2時です。 まあ、毎日が日曜日の私にとっては 宵の口かも。というか、睡眠薬、もとい、 精神安定剤(ほんまか?)、効きすぎるのよ。 何も考えられないのは辛い。 で、きょうの話は。 アマゾンで突然、新品の発売が消え、宮嶋君の 本のいくつかに姿を見せていた関連本(この 本を買った人はこんな本も買ってます、ってやつ) 扱いも消えたことで。 解せん。 確かに、自分の本を自分で買うことがあったのは 認める。けど、ほかの人の本、一緒に買ってたや ないか。今日なんか、「死ぬまでに見たい映画1001本」 なんて5775円もする本と一緒に頼んだから 目が飛び出る金額になってもた(と言っても、 一万円もいかんからしれてるといえばしれてるが)。 アマゾンさん、許して! もう自分の本はバラにして買いません。 買うときはまとめて一挙に買います。 (全く反省してないみたいに読めるなあ) いや、正直、マーケットプレイスのシステムが あったのと、自分で100冊以上自分の本を 何かのときの為に、と持ってたのが役立った。 アマゾンでも、私に直接でも、どちらでも 新品はありますので。注文を躊躇しないでくださいね。 「めっちゃピンぼけ」にとって、良かったことは まだ字に出来ないことが多くて。ただ、映画化に関し て、ほんの少し手ごたえが出てきてます。テレビの 2時間枠の作品となるかもしれませんが、ゼロでは ないです。 字に出来ることは…。 しょぼいなあ。でも大事なことで。 神戸市須磨区のブックス三ツ輪店 (地下鉄、山陽電鉄板宿駅上がってすぐ、パチンコ 屋のガイヤの隣) が「めっちゃピンぼけ」を扱ってくれるということで。 何冊なのか知りませんが、ポップも保存してた のを渡しました。 昔から好きな本屋さんで、それこそ仕事の本からエロ本 まで、多岐に渡って長年お世話になっていて。 冷静に考えたら、表紙の写真の場所から近い本屋 ベスト5に入る本屋さんやった。 あほやなあ、オレも。 直接、頼まんでも人伝で十分伝わったのに。 その気になってれば。 今日は、この雑談で許しておくれ。 それより、アマゾンの謎や。 オレ、ケンカはしてへんねんけどなあ。 アマゾンと文芸社の関係かもしれん。 考えても分からんので、考えるのやめます、 っていうかすぐに薬のせいで意識なくなる んやった。怖いなあ。意識なくなるの、 分かってるの。 (下)仕方ないので、楽天ブックスの「めっちゃピンぼけ」 を。こちらも、取り寄せになっていて。??、なんだよなあ。 文芸社には7百冊近い在庫があるのは確認出来ています。 それにしても、この表紙。昨日見てきた光景があるから、 何といえばいいのか?中島みゆきさんの「時代」(この曲、 リアルタイムで、ポプコンで葛城ユキさんの「木曾は山の中」 に勝ったの知ってる自分が怖い)の世界だね。回るんだよ、 本当に。出会いと別れを繰り返して。めっちゃピンぼけ
2005年11月04日
確かに時間はあることはあって…。 あ、最初に謝っておきます。 書き込みしてくださってる方は 寂しい思いをされてると思うので。 レス、遅れてますが必ず付けますので。 で、いつものごとく睡眠の恐怖に襲われて夜中の 2時。明日は珍しく朝の8時半から、交渉事があるのに。 夢遊病者状態は決定ですね。 薬の副作用と思ってたら、ある人に指摘されて これが作用らしいです。 いずれにしても、これでは仕事出来ん。 ウルトラマンの世界なら可能なんやけど。 意識がまともなままで4時間以上いれる日がない 訳ですから。 で、今日のブログ。 暇に任せて、宮嶋茂樹氏撮影、谷川俊規著の 「めっちゃピンぼけ」に使われた表紙の写真の 辺りがどうなってるのか、見に行ってきました。 昨日の夕方ですけどね。 近くなので、いつでも行ける、と思ってたら 出版してからでも半年経ってしまって。 どういう風になってるか、は私にしては珍しくキャノンの EOS KISS DISITALを使い、いつものように つまんまい写真を撮った訳ですが、大体この位置から不肖は あのピアノの写真を撮ったはずや。 ダイコク公園とかいう、公園の中。なんとか、スペースが 1995年当時でもあったんやないか、と。JR鷹取駅 から南東へ歩いて10分は掛からない距離でした。 不肖の文章スタイルで行くなら、そこに辿り着くまでの 苦労話は不可欠でしょうが、僕は書きません。 人間と行政の限界。自衛隊の優秀さ、それが分かれば 十分かな?と。 写真を見比べてもらえば分かりますが(そのためだけでも「めっちゃ ピンぼけ」を手元に持つ価値はありまあすが)、 (中断。薬の影響で倒れてました。アップだけは やってたみたいですが、現在4日の12時半で、再度で 書き足します) 8時半方の用事。キャンセル入れずにキャンセルになりました。 怖いわ、ほんまに。 もう、午前中には完全治癒まで予定は入れん。 会社の方も分かってな。 パチンコするにしても、自分の意思で時間さえ選べん ということを。 で、不肖の写真と今の鷹取商店街の話。 まず、鷹取商店街、ってものが今はありません。 場所が変わったからではない。(現実に地殻変動の 関係で1メートル前後、土地が左や右に動いていて、 そこにも利権争いが発生して、と。綺麗事ばかり じゃない)。 行政の街を早く復興させたいための区画整理に 賛成の人と反対の人が出て、それでも復興を優先させた 結果、約4割の人がこの鷹取の地を出ていかれたそうです。 その上で「隣同士の付き合いもなくなりました。寂しい もんです」と、僕が話を聞かせていただいた昔からこの 地におられ、震災の5年後、2000年にやっと店を 再開されたおじさんはおっしゃってました。 そんな近所付き合いで「商店街」は復興しません。 だから、「鷹取商店街」は、不肖の写真の中でしか存在 しなくなってる。市が資料写真を保管してれば別ですが。 ほかにも書きたいことはありますが、 ともかく薬が。なんとかして、この眠気。 これでとにかく、更新します。 辻褄のおかしいのは薬のせいが大半ですが、書き間違いも ありえるので教えてください。 (下)いや、状況や時代が違ってるからこういう感じに なるのも仕方ないのですが。不肖の撮った位置は、おそらく 公園の出口で、燃えるものがなくて、比較的ポジション取り が楽だったはず。ちなみに、ピアノのあったはずの位置。なんや よう分からん(ほんまに読んでも分からんかった)モニュメント が建てられてたのが、力の抜ける笑いを誘ったのは事実 です。b
2005年11月03日
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