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30日。午前10時過ぎ。 顔は知ってるし、名前も判ってるかも しれん上司の方(運動担当の方のことで はないですよ)、はるか格下の部下の 出勤時間チェック、ご苦労様です。 この時間、出勤してません。 今日は休みですし。 きのうは大阪ドームでの取材で帰ったら 午前1時や。勤務日報には午後11時 で終わったことにしてあるから、 最低半時間ぐらいはサービスしてるんやけど、 判ってくれんか? 本名のブログ。 会社員である限り、やりにくいのは当たり 前なんだけど、僕みたいな会社で将来なんて ありえない、自分らで社員失格って烙印押した 人間の自由時間まで監視して何が面白いんやろ? オレには判らん。 そんなことする暇あったら、さっさと 紀伊国屋へ行ってオレの本買って、読んで 感想送って下さい。よっぽど生産的 やから。 さて、愚痴はここまで。 昨日の夜中。倒れる前に、ごみ溜めに なってる部屋を発掘してたら、18年前の 日記が出てきた。 1987年7月7日から、同年の10月26日で途切れた 日記。 26歳の頃のモノってことになって。 阪急西宮北口の風呂なし、エアコンなし、の ぼろアパート(震災で倒壊したのは後日確認) 家賃1万5千円、1Kのところに住んでいた時代で。 風呂、銭湯へ行ってたよなあ。同年の8月30日に 大阪市淀川区の2DK、風呂、エアコン付き家賃 4万5千円の部屋に引っ越したってかいてあるから その前後の話だな。 代表的なページ。 たとえば、1987年8月19日の日記。 AM2時40分から書かれたことになってる。 別のページで確認すると、この日は 近鉄ー南海の試合を藤井寺球場で取材 してるから、ナイターの取材を終えて、 河内から梅田へ出て、西宮へ帰って、 おそらく銭湯へ行って一服しての寝る前。 スポーツ新聞の近鉄担当時代にあたるの、 今、思い出したよ。 で、この日の日記がなぜ代表的か、というと 読んだ本の抜書き(ポール・セローの、 村上春樹が訳してるやつからだった)が記してあり、 見た映画(「誓い」(ピーター・ウェア監督、 おそらくビデオ)の感想が記してあり、 描写の練習と称して喫茶店での風景と感じたこと が書いてある。もちろん、自分のその日感じたことも 記してあって。 本の抜書き。映画の感想。描写の練習。 すごいなあ、と思う。 これを仕事が終わって、寝る前にやってる。 当時のオレって。 ほとんど書いた記憶がないところを みると、それを苦にしてたんじゃない ことも判って。 そのまま、やり続けてれば今のこの 状態じゃなかったかもしれんのに。 へんな監視に頭にくるような、レベルの 低い位置にも居なくてすんだかもしれ ないし。 まあ、いいか。 終わってしまった時間のことを言っても。 死んでしまった時間は戻って来ないんだから。 なんか一つぐらいこの日の日記から抜き出し ます。一番短そうなやつ。映画の感想やな。 「誓い」(1981年、オーストラリア 監督ピーター・ウェア、メル・ギブソン主演) 『エジプトを離れ、“ガリポリ”へむかう際の夜景。 綺麗なもの、美しいものへの憧れ。「純粋さ」など 全く意識しない青年達。実は「美」に憧れる、 そして「生」にあふれるそういった若者以上に、 「純粋」なものはない。意識した途端、そこには 打算が組み込まれる。 ほんの少しでも打算の洗礼をあびたものは、その 瞬間から「純粋さ」を失ってしまう』 と、記してありました。 もう、ほんまに自意識過剰の文章で。 ただ、正直だとは思いますよ。 第一次世界大戦で、命を失った連中を 描いた映画を見たあととしては。 いつ見たのかなあ?ひょっとして、ナイター 終わって帰ってから見て、日記に 書いてる可能性も。 タフやねえ。 これがまさに青春ってやつでしょう。 体力や気力が溢れてないとねえ。 さて、今は。 もう聞かんといて。 毎日、倒れた、倒れたって、書いとんの で判ってちょうだい。 (下)B5版の大学ノート。味も素っ気も ないけど、飾るより文章を鍛えよう、忘れない ように記録しよう、という強い意志を発掘して 眺めてみて感じた。他人事みたいなのは、ほんまに 書いたことを発見するまで忘れてたから。 オレの昔の資料、みんなそんな感じやからなあ。 執着しなさすぎ、の気もしてきた。
2005年06月30日
29日の午前11時。 やらなければいけないこと、考えさせら れることが山積みなのに、家に帰ると倒 れる日が続いていて。 6月中に済ませたかった1月に引越した時のままの 部屋の掃除。何人かへのメール、私信の返し。 本に関するまだやれるかもしれないプロモーション とアプローチ。天皇陛下のサイパンでのニュースにも 心惹かれたし。大体、一番やらないかんのは、 新しい小説を書くことやろ、ほんまに。 なんもかも本末転倒してしまってて。 本。「めっちゃピンぼけ」、売れてるのか、売れて ないのか? 文芸社には返品がたまっていて約180冊、 今あるそうです。僕のところにある約60冊 と合わせて240冊。 全体で刷ったのが2000冊。 流通してるのが1800冊、っていう世界で 考えたら、十分すぎるほどの在庫あり、で。 ところが試しにアマゾンを見ると、 4ー6週間、手元に届くまで掛かること になってる。YAHOOのセブンアンドアイ、とか、 楽天とかはすぐだけど。 アマゾン、しっかりしてよ。 在庫、十分あるよ。 すぐ送れる状態や。不肖のわざわざ私の本を 紹介してくれてるページから飛ぶとアマゾンへ 行くんやから、これは痛い。 なんで、こうなるんやろ? どんどん、欲しい方、読もうと考える方は 申し込んでください。アマゾンでもOK。絶対、 表示より早く手元に本、届くから。もちろん、 直接僕に注文は大歓迎です。喜んで、サインして 送らせていただきます。 口コミの世界で考えたら、手元に来た 感想は良くも悪くもすべてフリーページに 公開してるので、悪いどころか、って気は 本当にするんです。 すごく、励まされてるし。 こんなに反響があること自体、すごくて。 文芸社さんのサイトみたら、紀伊国屋調べの 売り上げで6月4週目、3位やった。文芸社の どれだけ出てるか判らん本のなかで、一週間 とはいえ、売り上げ3位って? 売れてると捉えるべきなのか、本は売れん、と 全体を見て考えるべきなのか? だって、売れた冊数大体、把握出来てるから。 いや、素直に感謝しないと。 買ってくれた方、本当にありがとう。 そういえば、文芸社さん。 ひとつ感謝を。 神戸の海文堂(何度かこのブログで話題に してますが)さんの出している「カイエ」 っていう、ミニ小紙。7月1日発行のものに 「めっちゃピンぼけ」の広告を入れてくれて いるそうです。3千部。 いや、神戸の元町が世界で一番好きな場所、 と言える私にとって、そこの本屋さん、それも 地元の著者を大切にしてくれるので昔から 評判だったこの本屋さんの刷り物に、 自分の本が出るって。 朝日新聞に出るより(いや、出たらそれも また違うんやろけど)嬉しい気分に 今はなってて。 あ、ちゃんと平積みで、神戸新聞の記事のPO Pとともに「めっちゃピンぼけ」、置いてくれてるし。 なんちゅう、長い前置きや。 別の日記にした方がええ感じやけど、続けて書きます。 で、耳の状態がまた悪化してることもあって、 考え方がマイナス方向へ。そうなると、逃避癖が はじまって。 亡くなって10年以上経つ吉行淳之介さん。 この方の本を読み漁った時期がありました。 7、8年前ですかね。 もうこの世の方ではなかったから。 あの時に、本屋(古本屋さんじゃないよ)さんの 本って、生きてる方の書かれたものがほとんどなんだ、 と実感出来て。だって、吉行さん、当時でも 亡くなって3、4年だったけど、もうほとんど 本屋さんでまっさらでは手に入らなくなってて。 角川文庫で「街の底で」がまだ、ちらほら残ってた のと、集英社文庫の「男と女の子」がかなり目に ついたぐらいで、あとは全集(当時、新しいのが 発刊されてた)。それと、講談社の文芸文庫(これが 値段が高くてびっくりで)。 だから、大半の本(40冊ぐいらい文庫本で買い漁った) が、古本屋さんで手に入れた形になって。 その中でも、惹かれたのはこの2作だったですね。 いろいろ、考えても所詮、世の中、男と女、って 感じで考えてられたのか、あるいは小説家の方法 として、男と女を扱えば古びにくく、あとの世代 (僕のような)が読んでも通用する、と意識された のか?どちらか、どちらでもないのかは知りません。 「星と月は天の穴」を読んだ当時、僕は主人公の方 (40歳の設定)よりも3つほど若かったし、相手と なる女子大生ぐらいの年代の方と付き合っていた時期 でもあって(小説の主人公と違って、私は早めにあっさ りと振られましたが)。 作家と女子大生、って設定に惹かれましたよね。ただ のスケベ心理で。その上、割と早い段階で、その女子大 生が車の中(だったと思う)で、おしっこ漏らすシーン なんかあって。“なんじゃこれは”とともに、日常のリア ルさ、って結局、これだよなあ、と書き方として感心させ られたり。 いや、吉行さんの凄かったのは、簡潔な文章と ともに、現実感、リアルさをあっさりと醸し出す シーンの作り方にあったような。女子大生のおしっこ もそうなら、もうひとつの宮城まりこさんとの関係 をモデルにした「闇の中の祝祭」もそう。 これなんか、そのモデルになったかたのシーンとかは 全くリアル感がないのに、ラストの10数ページ。 バラの花束が出てきてからが凄くて。いや、これから 図書館で全集借りてきて読まれる方もいるかもしれんので ネタばれ、になることは書かんけど、あれはリアルやった。 女って。いや、はっきり書くと女の情念、もっと 書くと女に限らないかもしれなくて、人間の情念 って…。ほんまに、ぞっとしたからねえ。 一般的には「星と月は天の穴」は佳作らしくて、 「闇の中の祝祭」は失敗作という評価らしけど、 そんなん気にせず読んだら、まさに対価や。 違いは、救いのある、なしぐらい。 いや、その救いだって怪しいもんやから。 でも、40代でも吉行さんって、元気だった んだよねえ。女のことって?考えたいけど、 体がついていかん。いや、ほんまに、生理的に。 まだまだ、頑張りたいけどねえ。 せいぜいユンケルまでが許せる範囲で、バイアグラ 飲むぐらいやったら男やめる、と今は考えてる けど、その時が来たら、果たしてどうなることやら? 何かいてるのか判らん日記になってもた。 吉行さん、すんません。 (下)「星と月は天の穴」(講談社文芸文庫)と 「闇の中の祝祭」(集英社文庫)の表紙。この 「闇の中の祝祭」のおどろおどろしい絵、内容 そのままや。「星と月は天の穴」の方も、落ち 着いた内容(どこがや、という意見もあるが) にふさわしい、と私は思います。それにしても、 当時、付き合っていた(私はそのつもりやったが 向こうはどうだか)T・Yさん、元気にしてるの だろうか?見事な音信普通、行く先知れず、や。 調べることもますないから、もう音信が復活する こともないやろ。
2005年06月29日
28日の午前10時半。 また倒れたよ。もう、って感じで。 日記、書くと予告して これだから。 最初に。 「めっちゃピンぼけ」、 どうしても大手マスコミの書評とかに 上げてもらえない(今考えると、中日新聞の英断 はすごい。全く無名の、どこの馬の骨とか、を 発売日当日に取り上げる荒業だったから。ありがとう) のも、あります。 認知度の問題で。 この本が、この世に存在するっていうのを なかなか知ってもらえないからねえ。 また、日を改めてアップしますが、明石ケーブル テレビジョンさんの紹介(本のプレゼントもあるが) とか、アマゾンや楽天ブックスでレビューを書き込んで 下さっている方(昨日確認したらどちらも女性で、 一人ずつ。褒めすぎのキラいはあるけど)。 ありがたいことは多くて。 マスメが期待出来ない以上、こういうミニコミや 口コミしか今後はないかな、と。 ただ、僕もマスコミの人。話題になれば、 嫌でも飛びつくのがこの業界です。 本当に、フリーページに紹介してる感想の ような出来だとしたら、どこかで 日の目を見る可能性を信じますね。 それほど、出版業界、メディアも目は 節穴じゃないでしょう。あくまで、読者の 方が送って来て下さってる感想に見合うレベルの 小説だと、プロの読み手の方が判断すれば、 ですが。 前置きが長くなりましたが、前日の日記の予告どおり で僕の本と同じ5月に出たマイケル・ルイスの「コーチ」 (中山宥訳、ランダムハウス講談社、税抜き1200円) の話を。昨年「マネー・ボール」で僕を含む 野球に携わっている色んな方を唸らせた作家の新作。 この著者。僕は年令を知りませんでした。 「マネー・ボール」には書かれてないし、僕より 少し上ぐらいの人かと思った。 違いましたね。たぶん、同じ。違っても、半年 ぐらい向こうの方が若い程度。 1976年に15歳だった記述が「コーチ」には あって。“同じやんけ”と、ほんまに思ったよ。 で、題名通りで、コーチの話。著者が野球をやって た頃の、鬼コーチの話で、その教え方、方針が 今の自分等にとってどう生きてきたか、って話。 あ、っと思ったね。 「めっちゃピンぼけ」の幾つかあるテーマというか、 挿話の中の一つと見事にリンクするのは、読んだ方 なら分るとおり。出典がはっきりしている非商業の ものには部分的な抜書きOKだったと記憶があるので、 少し抜書きもします。 冒頭。 「十二歳のころは、地球の裏側で戦争が起こっている なんて、考えもしなかった。」 ここからして“そうなんだ”って感じで。ただ、 マイケル・ルイスはアメリカ人だから、十二歳の頃 ってベトナム戦争終結の頃にあたるはずで、僕とは 少し意味合いは違うけど。 軍人よろしく、スパルタ(古い表現ですが)猛烈 コーチの思い出。ともかく、人が向上するためには どうすればいいか、をルイスはこのコーチ=フィッツ に教えられた訳で。このコーチの厳しさ、規律のこと を書くのに、戦争のことから始めるのはうまい。 軍隊教育の精神論に近いものが書かれてる可能性 がある、っていうのは予想出来るから。 で、大抵の読み手は“うんざりだな。でも、なんで 書くんだろう?”って思って逆説的に読んでいって しまう。と、僕は思う。 で、結論から言えば、いい恩師に当たれば、自分の 可能性を信じて生きていける自信を得られるかも、 って話なんですが。 ルイスがフィッツから学んでいた頃。 僕には、その同じような存在として 白陵高校の学園長と、子分とも いうべき柔道部顧問がいたけど、 ルイスのフィッツとの大きな差は…。 ルイスは同窓生でNFLのスタープレーヤーと なったマニングと言う選手のコメントを引いて 書いている。 「フィッツは、ほんとうの意味で情熱あふれるコーチ です。それでいて、体罰なんかぜんぜん使いません」 (44ページから抜粋) これでょうね。 決定的です。自分がやるべき対象としっかり向かい合って 戦え、っていう教えは当たり前といえば当たり前だし、 それを伝えるのに、フィッツというコーチは言葉、動作、 その他、自分の生活まで犠牲にして子供と向き合っている。 その時、簡単に手を出したら、おしまいだ、と僕は思う のです。手を使わず、自分の存在で子供に大切なことを 伝える。 過去の母校の教師を僕がどうしても良く思えないのは、 簡単に手を使っていたからです。サッカーと同じ。手を 使うのは反則みたいなもので。逆らう権利のない奴、殴って も仕方なかっただろうに。 不肖は学園長のことを本当に尊敬している部分があるよう でしたが、僕はどうか? あの教育を受けてないと「めっちゃピンぼけ」も書かなか っただろうから、その意味では感謝してます。 間違いなく。 ただ、未だに、何か失敗した時、誰かに“殴られるんじゃ ないか”と脅えるところがあるのも事実で。私の両親は、 手を使う人たちではなかったので、これはもう母校の教育 のたまもの以外のなにものでもない、と思ってます。 ルイスのめぐり合った“人生の師”であるフィッツ。 同じ世代で、同じように厳しい師にめぐり合っていた にも係わらず、私の考えていることはルイスとはどう しても質が違ってしまう。 正誤はない、と思います。 母校がなければ、今の私もいず、こうやってブログを 作る元になった小説「めっちゃピンぼけ」もなく、おそらく 僕だけでなく不肖・宮嶋も全く違った人生を歩んだはず。 だから、感謝の気持ちはあるのです。 にも、かかわらず…。 「コーチ」のことをどうしても書きたかった、と 編集者にルイスは言ったと記されてます。同じように、 どうしても書きたいから「めっちゃピンぼけ」を 僕は書きました。 ただ、同じ年代でありながら、意識のこの違い。 かたや世界のベストセラー作家。かたや日本の田舎の バッタ作家。単にその差が出ただけかも。 人間の器の差ってやつなのかなあ。 (下)マイケル・ルイスの前作「マネー・ボール」。昨年3月、 ルワンダから帰ってすぐ本屋で見かけて購入。ビリー・ビーン (アスレチックスGM、今はどうなのかな?)は実際に会ったこ ともあったので、興味が湧いて。同年4月に巨人が最下位、 広島がトップの時期があってその時に、年俸とかの比較で この本の内容を枕言葉にして原稿を書いたっけ。上司の誰か さん、こういうのも先見の明って言うんじゃないの? 球界再編の波が来るのはその2ヶ月後だからね。 カス、ボケ、ということに社内ではされてる私の記者能力 だけど、まだ完全に捨てたもんじゃない、とも思うわけですよ。 こういうのがあると。そうでも思わんとやってられん、 ほんまに。
2005年06月28日
27日の午前1時近くです。 日記を書こうと思ってパソコンの前で 約2時間。 何もせずになってしまった。 疲れてんのかなあ。 広島県福山市の本屋から「めっちゃピンぼけ」が すべて引き上げられてるのを発見したため? まあ、確かにそれもある。 でも、そればかりじゃあ、ない。 一番は…。 書くことを予告していたことが あんまり明るい話じゃないから。 まあ、でも予告した手前、書きます。 南アフリカのヨハネスブルグから南西約 30キロに位置するソエト(South-West Townships)。 いや、知ってたように書くのはフェアじゃない。 この地へ行くまで、ここが黒人移住区 だって知らなかった。 今も、こう書いてるけど、本当に 黒人しか住んではいけないのか(たぶん、 そんな土地は南アフリカにはもうないはず。 法律上の話だけど)、実は知りません。 調べればすぐ判るのに、やらないって。 ほんまに。 で、きのう掲載した写真はこのソエトで撮った ものです。葬儀屋。大繁盛なんだよね。 南アフリカって、一日外にぼんやりいてエイズの 話を街で聞かないことが絶対ない国でね。 薬も行き届いてない。 だから…。 葬儀屋が儲かる。 ピンクの建物でも建てたくなるの、 判るような。タウンシップの中の 成金みたいなものだから。需要のない 日、っておそらくない。 ここへ連れて行ってくれた方の、婚約者 の弟さん(黒人)が教えてくれた。 「あの葬儀屋の経営者、有名なボクサーだったんだ」 って。興味沸きましたよ。 元ボクシング担当の記者としては。 「名前は?」「知らない」 「有名って?」「世界チャンピオン」 「え?」「ライト級だった」 「それ、トベラじゃない?」 「うん、トベラ」 本当に、こんな会話だった。 で、ティンガン・トベラ、別名・ソエトの黒い薔薇 がピンクの葬儀屋だったってわけで。 「このへんで一番の金持ちさ」「なんで」 「だって、毎日がっぽがっぽだよ」 この建物を見る直前、僕はタウンシップ内の 教会と墓地を見に行ってて。土葬の国だけに、 大変なことになってました。もう、死体=棺おけ 置く土地がない。エイズによる死者が止まらない 限り、墓地の確保さえ難しい状況でした。 で、こんな中で元世界王者トベラは財をなして いっている。同じ地区に住む、同じ黒人のエイズ による死によって。 ボクシングやめての転職成功って? 連れて行ってくれた方も含め、彼の 作り上げていってる財のことを良く語 るのを聞く機会、ついになかったなあ。 トベラがなんで日本に関係あるかって? トベラにこの、南アフリカはヨハネスブルグ で挑戦して王者になったのがナザロフ(ロシア)で。 当時、日本の協栄ジム所属や。 日本でも防衛戦やってたから、名前知ってる 人は多いやろ?グッシー・ナザロフって いえばいいか。 人の死を商売にして、どういう意味があるのか 知らんがピンク色の建物を建てる元世界王者。 いや、批判してるんやない。 棺おけの置き場もなくなった墓場を見て、ピンク の建物を見ると、勝手に想像力が働いて なぜか“人間ってやつは”って思ってしまって。 肌の色が同じだって、この有様。 金儲けが悪いわけじゃないのに。 何も法律に違反してるわけじゃない。 なんで、僕は引っかかるのだろう? 僕が正義を振り回すなんて柄じゃないし、 間違えてるし。 だから、そういう理由じゃない。 正しいか、間違えてるか、なんて 興味もない。ただ、ものすごい違和感 が心の中に巻き起こり、南アフリカを 出るまで消えなかったのは事実で。 何が言いたいんだろ? おそらく、葬儀屋が儲かることが 悲しいってことだと思う。 どんな時でも、葬儀屋は暇な方が いいと思ってしまう。たとえ、商売と しては苦しくなられても。 葬儀屋さん、すんません。 でも、これが偽らない僕の本音でも ある訳で。 (下)明日の日記はこれについて書きます。 写真、一日ずれたおかげで、次のブログの 予告に使うっていうやりかたになった。この 方法でしばらくやって見るか。
2005年06月26日
26日の午前7時30分。 男子プロゴルフの取材、最終日。 カメラの人、来てるんだろうか? いないと、またオレが下手くそな 写真、撮らないかん。 岡山へ出張へ行ってくれ、と言われて 4日目。なぜか、宿泊先は広島の福山だし。 まあ、滅多にない出張やけど、あと数時間、 ちゃんと仕事して神戸に帰ります。 で、昨夜書くつもりでいて、倒れて 書けなかった日記を。 不肖からのメール。 こちらから慰労用のメール出してから、 一日半で返事。 ずぼらなオレより早い。 本来は私信やから、公開したらいかん はずやけど、これは大丈夫の自信があるので 公開します。 “のびそうできがめいります。 部隊がひきょうりょくてきで。 日本の民間人がきたらあかんとこやから 宮嶋” 以上でした。 「サマワのいちばん暑い日」にも書かれてる とおりで、メール、書き慣れてない不肖だけ にこれ書くのも四苦八苦したろうことは想像 出来て。平かなばっか、やもんな。でも、言 わなおられへん気分になった彼の気持ちも判 る。で、自衛隊のことも。 行くな、というところへ行った不肖に 協力してたら、自衛隊も駐在地内の外務省 職員も“なんやねん”とどっかから因縁つけ られるの見えてる。協力してもらえるんやっ たら、行こか、って奴が増えるのも想像の 範囲ないや。だから、部隊は間違ってない。 でも、だから、と言って報道陣が一人もおらん かったら、この間の襲撃未遂みたいな事件、誰が 正確に伝えるんや?あきらかに、今、きな臭い。 オレだって、もっと修羅場の経験が豊富で、フリー ランスやったら行きたい。オレで思うんやから、 それこそこの国で人質になった安田純平君 (この人にも、不義理してるなあ。本の 売れ行きばかり気にしてメールも出してない) なんかが思わんはずはなく。 ひょっとして、行ってたりして。 いや、アホなことはこれ以上書かんとこ。 ブログ、ちょっと覗くだけで確かめられること やし。 それこそ、安田君だったかなあ。 数ヶ月前にもらったメールで “ひりひりするような現場の感覚” と書いてられたけど、取材する側が うんざりしながら惹かれてしまうのは まさにこの感覚で。 自分が“生きてる”とか、“仕事してる” とか、ともかく実感出来るからね。 ぼや、っとしてたらこの世のもので なくなってしまうんだから。 不肖のメール。 “のびそうできがめいります” に、取材のすべてが出てる気もして。 彼はこの国が大嫌いなのを公言してるし、 実際そうでしょう。でも、現場の感覚を 味わい、報道カメラマンとして 最前線にいるためには居続けるしかない。 それが仕事。 誰に命じられるでもなく、黙って行って 事態の変化をじっと待つ。回りは誰も 協力してくれず。 わずか3行ほどの、でも必死に打ってきた に違いない不肖のメールに、頼れる者は 自分ひとり、という状況に身を置かざる を得ないプロの厳しさを僕は読み取り ます。 それに比べたら、ゴルフの取材って。 いや、それはそれで、読みたい人も いるに違いないので、やはり大切な 仕事なんですけどね。 (下)不肖からのメールがなかったら、今日は この写真のことを書くつもりやった。あした、 書くわ。予告しておくと、これは南アフリカの 名目上はなくなってるけど実はある、黒人移住区 であるソエトのタウンシップでのもの。 葬儀屋です。ピンクの。時間がなくて、いや、 あっても盗み撮りしたか?なぜか、ほんの少し 日本にかすった人が経営者と分って私はびっくり しました。続きは、あした、ということで。
2005年06月26日
25日の午前8時半。 出張に出てて、どうしてもズボラに なってます。更新。 「めっちゃピンぼけ」、売り上げはともかく、 作者のところ(僕のところ)へ直接、メール などで感想を送ってくれている人の評判、 本当に好評が多くて。 自分でも、びっくりしてます。 まあ、わざわざ作者に感想を送ろうって 人は両極端しか考えられんのも事実やけど。 共感された方か、毛嫌いされ文句を言わない といられない方。ただ、思うのは、メール アドを本のプロフィール部分の印刷すると いう、昨今のプライバシー流行り、に逆行 するようなことをしたのに、きちんとメール が機能している点。 日本も捨てたもんじゃない、と本当に思っ てます。いや、本の流通数が少なすぎて( まだ二、三百冊って可能性も十分ある)、悪意 のある方の手に届いてない、って可能性も。 そんな人でも、手にとってください、と言いか ねないのが現状かなあ。全然、売れてない、 ってことはもうないので、悲惨、悲惨、とは 書きませんが(売れてる、って訳でもない。 さじ加減がむずかしい)。 で、本題。 PCのHDの容量が減りすぎて、 画像を少し整理しました。 大事なお宝H画像も、CDやDVDに 焼けばいいんだけど、保存が 下手でどこへ行ったのか分らなく なるの、見えてるのでいくつか削除して。 出てきたもので、これは、と思った のが、神戸市垂水区名谷のマンションの全景。 今年の4月に撮ったものなので、圧倒的 に新しいのですが、懐かしいもの。 数年前まで住んでいたマンションの写真で。 正確に記すと1994年3月から2001年6月まで 住んでいたマンション。方々に住んだり、 付き合っていた彼女のところへ転がり込んだ りで、いなかった期間もありますが、ともか くこの時期。 阪神・淡路大震災発生の一年弱前に、バブル 後期の値段(3LDK=4千万円越えてた)で 買ったんですよねえ、神戸のウブドといわれる グリーンスタジアム神戸(現スカイマークスタ ジアム)のそばに。ゆとり返済とかいう金融公庫 の甘い文句につられてローン組んで。 これが、今、決して居心地がいいと言えない 職場(ミニマムではそうでもない。大阪の運動 担当の範疇では、むしろやりやすくなってます。 いや、これは嘘じゃなく)を離れられなくなる 元凶になるとは、当時は思わんかった。 まさか、買って一年以内に、大災害が身近に 来るとは思わんかったよ。いや、それは僕だけ のことじゃないんだけど、でも新築の、35年 ローンのマンション。あ、って感じですよ。 しかも、中途半端やった。 やられ方が。 当時は、命が助かっただけでも(と言いながら 震災発生の三日間後ぐらいで、この近辺はパチ ンコ屋や遊興店は再開してた。そこで、遊んど った奴も多かったはずや。オレもその一人やっ たんは隠さん)、儲けモンやったから。 家の壁に大きなヒビが幾つか入ろうが、同じく 壁に大きな穴が開こうが、床が波打った状態に なっていようが、命や家を亡くした人に比べる とって、いうのがあって、何も言えんかった。 せいぜい、一番低いレベルの罹災証明もらった ぐらいで。よう考えたら修繕費だけで、百万円 ぐらいはかかってたから、あの当時でなかった ら文句どころでえすまんかったはずや、行政に。 電気だけは来てるけど、水もガスも止まった状態 で約3ヶ月。近所のラブホテルが、なぜか水が出て 湯も沸くって状態だったので、純粋に風呂入りに 行ったなあ。H関係なしで。一ヶ月ぶり、って感じ。 「サンサーラ」とかいうホテル。お風呂があんなに 嬉しく感じたんは、その後、ルワンダとか「ちょっ と」って国に行ってもなかった。 それでも、贅沢って感じやった。不肖の写真、たとえば 「めっちゃピンぼけ」の表紙の写真で十分。ああいう風に、 廃墟になった場所が山一つ越えたらある、っていう世界。 いや、自分の名誉のためにも言うけど、遊んでた時間が あったのも認めるけど、大半はオリックスのイチローの 取材や神戸総局の震災取材の手伝い(あれは手伝いなんて レベルやないけど)やってたんですよ。山一つ越えて、 瓦礫の山となった街へ出て。 で、元に帰ってマンション。 このローンが結局、身動きが取れん状態に 今の私を追い込んでいるわけで。冷静に 考えたら判るけど、震災前に建てられた 神戸のマンションなんて、普通の感覚では 買えん。信用出来へんもんなあ、耐久性 とかで。補修してないとこの方が珍しい わけで、必ず手が入っていると言っていい。 税金や補助とかのことを考えたら売って 買い換えた方が、少なくとも10年ぐらい は楽、って分ったので、二束三文でなんとか 売りましたが、買った値の3分の1以下 でしたよ。損益なんてもんやなく。 写真、見てもらっても分るけど、外から 見ればリゾートマンションみたいな、立派 な建物やのに。 まあ、文句言ってもしょうがないけど、こういう 僕らみたいな中途半端な被災者(っていうのも 未だに憚られるが)が、たぶん神戸市内には、掃い て捨てるほどおるはず。神戸だけじゃなく、近辺 には、ですね。 簡単に、会社辞めれるかい。 いくら、僕の手の届くことが絶対ないような役職 の方に目のカタキのようにされたり、やりたかっ た仕事が与えられずに終ってしまっていたとして も。 かすかな可能性を試してみた今回の小説の 出版で、よほどのことがない限り文筆だけで 食べていくのは難しいとも分ったしね。 人間。借りがあると、滅多なことでは 逃げられません。マンションのローン なんて、普通の範疇に入る借り、なんだけど、 僕のようなケースでは、そうとは言い切れん。 ちょうど、バブルがはじけて右往左往 した欲かき爺さんと大差ない。 いや、欲のレベルじゃないですよ、あくまで 借りたものを返すしんどさの話で。 (下)94年3月。はじめてこのマンションに、東京(千葉の 松戸在住でしたが)から戻ってきて住んだ時。坂を下りた 旧国道にあった「ファミリーレストラン」から、仰ぎみた 姿がいかに誇らしく思えたか。僕の部屋は8階の中央でベラ ンダが広くて。 “こんないい新築マンションに住めるなんて”って本当 に思った。33歳になったばかりの頃。会社との折り合いも悪 くて、「東京に戻らん」っていう意思表示もつもりで買った (思えば、やはり若かった)んですが。 近所にあったラブホテル「サンサーラ」は、今 「レッドスノーマン」と名前を変えてなぜかSMホテルになっ てる。こんな田舎に。興味のある方は、オリックスの試合を 「スカイマークスタジアム」で見た後、どうぞ。たぶん、僕 が95年2月に感激したお風呂とは全く違うお風呂になってんの やろなあ。詳しくは知らんけど。
2005年06月25日
24日の午前1時。 全然、眠る気にも、日記書く気にも ならず、ぼやっと過ごしてしまった。 約2時間ほど。 不肖は今、サマワだそうな。 オレは知らんかった。ロシア経由サマワじゃないか、と いつかブログに書いた記憶はあるけど、 全くの当てずっぽうだし。 とりあえず、全く見られることも期待してない メールは不肖にさっき出したが。それにしても。 テレビを見てないせいもあるけど、この現実感の なさ=だらだら感はなんだろう。 自分の日常と、他の人の生き方と。 会社の命令で、取材活動を続けるオレ。 小説を書いたり、スポーツ以外の文章、取材 の時は、自分の意思になるのでOK、って 気持ちになるけど、会社の仕事、と思うと 好きなものでさえ義務になり、挙句の果ては “取材対象に感情移入して書いたって、どうせ ろくなことはいわれへん”ととても原稿を 書く上でプラスになるとは思えんことを 考えたり。 これまで僕に大きな影響を与えたノンフィクション ライター。実は、本当は二人しかいません。 故人となった佐瀬稔さんと沢木耕太郎さん。 故佐瀬稔さん。 元報知新聞の 記者で運動部長でもあった人で。 この方、40歳で報知新聞の運動部長を務められて その数年後には退職されている。 今の僕の歳にはフリーランスのライターだった はず。どの時点で、金属バット殺人を扱った 骨太のノンフィクションを書かれたのか、分んない けど、僕の歳ではとりあえず、スポーツ記者として やるべきことは終えていたはずで。 この方がスポーツ紙出身の人でなければ、 スポーツ紙への入社なんて大学を出た 直後に考えたかどうか? 97年。 佐瀬さんの亡くなった年か、その前年。 調べればすぐ判るけどずぼらします。 エンゼルスのアナハイムスタジアムで 何度かお会いして。挨拶するぐらいしか 出来なかったけど、違和感、強かった。 佐瀬さんが執着してたスポーツはボクシング だったはずだから。 1970年代半ば。 ボクシングマガジンに連載された 佐瀬さんの「感情的ボクシング論」がなかったら、 果たしてスポーツ記者に、僕はなっていた のか、どうか? 確かに、数年後に沢木耕太郎氏の「敗れざる者たち」 に出会うので、スポーツに関して佐瀬さんの存在が すべてとは言いませんが、ことボクシングに 関しては佐瀬さんの影響が圧倒的に強かった。 何やってんのやろ、オレ。 って本当に思うわけです。 佐瀬さんも、沢木さんもスポーツの経験 はあったでしょうが、ボクサーではなかった。 でも、いいモノを書いてる。 分野は違えど、不肖も自衛隊員でも、 傭兵でもないけど、危険地域での 空気を伝えるいい文章(カメラよりも 文章の方がいまのところ的確じゃないか、 と思ってます。不肖には悪いけど)を 書き続けてる。 その競技、分野での実体験がなくてもい い文章は書ける、ってのを証明している 人たち。 彼らに共通しているのは、はっきり言って 取材対象に媚を売らず、でも真摯な姿勢で 取材を続け、思ったままをきちんと自分の 言葉で誠実に表現している、ってことです。 取材対象に対して、並々ならない関心がないと こんなことは出来ない。愛情でも、憎しみでも 良いけどまさに執する心を持って、真剣に物事 、表現にあたれば人の心を動かすものが出来上がる、 書ける、っていうのを証明してますよね。 今回のなぜかサマワにいる不肖も含め、結局、 ノンフィクションでいい仕事をしてる人って、 取材対象のそばにどんな形でも、ともかく居続けてます。 それは間違いない。 沢木氏とは未だに直接会ったことはないけど、故人 となった佐瀬さんには、いちばん最初にお会いした 時、無理やり名刺を渡したの思いだした。偶然、記者 席が隣合わせになって。暖房設備のない冬の名古屋の どこか展示場(名前忘れたよ)。畑中がデシマを逆転 KOで破って世界王者に就いた日。 「凄いですね」と話しかけた僕に、「こんなのはじめて みた!」と声を震わせて記者席で興奮されてた佐瀬氏。 競技に感情移入している氏の表情がどれほど生き生き して見えたか。14年を経過した未だにはっきり覚えてい て。 さあて、振り返って自分。 “取材対象に感情移入して書いたってどうせロクなこと いわれへん” って、書いた前言を翻して真摯に今日(24日)からは 仕事に取り組みます。なんてことを言えるほど、素直 な人だったら、果たしてオレはどうなってたんだろう? 日常の、だらだら続く日常の壁を破っていい、と真剣に 思える対象って?今の時点で、スポーツに関して執する モノがなくなってるオレが今後そういう対象に出会って 付き合い続けるって、実は果てしもなく難しいことじゃ ないか? 小説で何か、誰かから賞を頂く方が実は簡単なのかも。 少なくとも、小説に関してはまだ執する気持ちを完全に は失ってない以上。 これが完全に日常に埋没する時。 その時、オレは…。 (下)「ワールドボクシング」2005年7月号に掲載された 元ボクサー記者ばかりの座談会。 サマワの不肖の件を教えてくれる何通かのメール がなければ、今日はこのよく知ってる記者二人を含む3人 の雑誌座談会について書くつもりやった。3人とも、大学 時代にアマチュアボクサーだった人らで。経験値を買われて か、確かに専門誌に寄せた文章もよく見かけます。 “経験がないとやはり不利か?”という、よくあるネガティブ な文章書いてしまうところやった。ありがとう、不肖。 経験がすべてじゃないことを思い出させてくれたよ。 それをどう生かすか、は分ってないけど。
2005年06月23日
22日の午前11時です。 なんか、日記をどうしても書く気にならず 隔日になってしまって。 やはり、本の売り上げが良く言えば堅実。 悪く言うと、伸びないっていうのが気になって。 でも、確かに売れてるんですよ。野球で 言えば7番打者にはなってる。ベンチじゃない って意味です。 このまま2割5分を維持して、“実はいい打者な んじゃないの?”と一般の人に思ってもらえば、 ロングセラーははるかかなたの視野に入って来た、 って感じですね。 で、今日の本題。 戦争、というか教科書や絵本について。 際どいとこを突き過ぎると、これは荒らしに 合いかねないので慎重に。でも本音で。 月曜日(20日)に、京都で宮嶋氏の写真展を 主催された畑本久仁枝さんにアフガンの絵本の 話(このブログにも登場済み)を再度、お聞きする のに、会ったのですが、そのときのこと。 絵本、そして教育の話をしていて、 突然記憶の中から蘇ってきたことが。 教科書のことです。 不肖も僕も1970年代に、兵庫県の白陵中学、 高校に通いましたが、その際の教科書。 高校の方じゃなくて、中学の教科書。 もう時効だろうから、バラすで。学校の方。 「ニューホライゾン」だったかの当時の文部省検 定教科書は配布されたんです。でも、その教科書は 使われず、僕らにもう一冊の教科書が配布されました。 昭和13年発行の三省堂が出していた英語の教科書の 複製。バッタもんですな、つまり。 いや、バッタもんだったと思う。 三省堂からほんまに仕入れてたとすると、その方が 怖いし問題ありやから。 で、当時の学園長さんの命令で、この教科書が 授業で使われた訳です。昭和13年。どんな時代か 判りますか? 「I am a soldier」「I respect emperor」 だのが普通に載ってる教科書。 「This is a tank」ですよ、ほんまに。 別の章(次の2年次の教科書やったかもしれん)では 日本の領土が載ってて。 字に出来んわ。俺らの習った英語の教科書じゃあ、 日本は今みたいに小さい国やなかった とだけ言っておきます。 「めっちゃピンぼけ」書くとき、この教科書のこと すっかり忘れとった。絶対、みたいなエピソード やのに。 1970年代半ばぐらいにそんな教科書で勉強した わたしら。畑本さんとアフガニスタンの難民受け入れ をやってるパキスタンのラホールでの教科書や絵本 の話をやってる時、突然思い出して。 正直、自分でも鳥肌が立ちました。 記憶の奥に眠っていたものが浮上したので。 で、続くときは続くで。 翌日。某紀伊国屋で私の本のほぼ横に 並べてあった絵本。何気なく手にとって、 また鳥肌が。 なんか、去年の今頃から秋にかけて 良く売れた本らしいのですが、私は 初めて見て。 絵本なんて見る必要もないしね。 13ページに地図があって。世界が同じ 色に染まっていて、横の12ページに 「学校では、いい国民はなにをしなければいけないか、 をおそわります」 「どんな国やどんな人が悪者か、もおそわります」 と、その絵の補足説明があって。 デジャブ、って普通の人は笑えるんだけど、 デジャブじゃないんだよねえ。確かに、当時の 先生は「この教科書が正しい」とか、言わず 純粋に、イギリス英語の教科書として使って いたように思うけど、挿絵とか表現って、いやでも 頭に入ってくるよ。 僕らが学んだ教科書のパロディ版のように、 この「戦争のつくりかた」って本が読めてしまった。 さて。 私は、「戦争のつくりかた」という本に思い切り 賛同して、ピースに走る人ではもちろんない。かと 言って、昔の教科書を賛美するなんて、どんなことが あってもしない。 どこかの政党のうたい文句で、「ほかの国で戦争が 出来る国にはしません」というのがあったけど、じゃあ 自分のところならやっていいんかい。集団自衛権って のはあるけど、根本は戦争がある、という事実が 問題なのに。 戦争をなくす方法。 誰も発明してないから、今も、このブルグを 書いてる今も、最前線で、冷や汗をかきながら カラシニコフを握ってる兵士はいるに違いなく。 いや、冷や汗かかんほど熟練してるやつの方が 多いかもしれんけど。 なんにせよ、日本の法律の問題だけじゃない、 っていう根本的なことに気付いて、考えないと 戦争の全体像は見えないと思いますよ。 なわばりを守るっていうのは、ほとんどの 動物、生き物がやってる本能的なことです。 そこに絡んでるに違いない。 なわばりの教え方。 僕とか、不肖とかは、無理やりその時代の 本当のものでないところまで学ばされてるけど、 姿変えても、ありますよ、ずっと。 どう教えればいいか、っていうのは 僕なんか全く見当がつかん。 国、っていう単位がある限り、 地球上では何らかの争い、諍いは続 くに違いなく。 単純に現状をパロディにしたりして 訴える程度でなくなるほど、 底の浅い問題じゃないことに 本当は気付いてるでしょ、あなた。 (下)この絵本。誰が読んでるんやろ。 子供がほんまに手にとってんのやろか? 26ページ、27ページにあるカラーの 絵なんか、エグイでえ。こんなん、わざわざ 子供にオレやったら、見せん。戦争は怖い、 だからやっちゃあいけない、なんて論理で戦争 なくせるんやったら、なくして見せろよ、ほんまに。 動物の行動原理や、そのほかも調べて、なにか 代替のものでもないか、研究する、ぐらいしか オレは思いつかん。頭、悪いし。
2005年06月22日
20日の午前6時15分。 もうええわ、と思うぐらい簡単に 倒れる。家の中で、やけど。 やはり、安心感、あんのかなあ。 着の身着のまま、単純にリビングの床 の上に倒れとる。起きたら、朝って いうの、何日続けてんのやろ。 安心感。 きのう(19日)までの4日間、JR福知 山線を使い続けた。男子プロゴルフが西 宮の名塩っていう山ん中であったためで。 名塩に住んでる人、謝んないよ。たぶん、 住んでる人も思ってると思う。 僕も、オリックスの本拠地スカイマークス タジアム(旧グリーンスタジアム神戸)か ら徒歩5分のところに住んでいた時、“神 戸のウブド(インドネシアのバリ島、リゾ ート地だけど山ん中)”って、よくからか われてたもんで。 で、おかげでJR福知山線の再開には、取材で はなく通勤者として巻き込まれた、というか 見ることが出来て。野次馬じゃないからOKの はず。 会社のエラいさん“なんでゴルフの取材に行 ってそんなとこにいるんや”って、言いなや。 見とおて見てるんやないんや。 タクシーも使えん(名塩からゴルフ場までは 使ったけど)決まりやから、電車乗り継いで たらこうなったんや。 初めてですよ。 事故後、この線に近づいたの。 ほんまに、会社からのクレームがあった 場合が馬鹿らしくて。 記者ならセクションに関係なく、見たく なるの当然やのに。 近づくと、どないなっとるんやろ、と 思うし、写真も撮りたくなります。 いや、オレだけやない。 普通の人も、カメラ持ってたら、偶然 でも撮りたなるやろ。 現に、宝塚駅で再開を示す掲示板を 撮影してる、どうみてもオレらと違って カタギにしか見えんおっさん、3人 は見たで。 それ、非難なんて間違えても出来ん。 人間の好奇心って、そないなもんやろうし。 オレだって、予定もなかったのに、 工事してる現場見たとたんに、 いつも隠し持っているズームなし デジカメ(間違えても“犯罪”に使った 経験はないよ。ほんまに、神に誓って。 って、どこの神か知らんけど)で、 撮ってきてるし(2日連続で)。 タイトル見て、“安全管理しっかりして欲しい” とか、ワタシが書いてるかも、と思ったあなた、 甘いなあ。そんなん、オレが書かんでも、 この事故の検索したらブログであろうが、HP であろうが死ぬほど出てくるやろ。 それ読んで。 それより、ワタシが今日書いんは、 テレビやマスコミで注目を集めた 場所、って事故場所に限らず、なんか 行くと嬉しくなる、っていうワタシの 心理の問題で。 好奇心っていえばそれまで。 だけど、こういう群集心理的な、 あるいはマスメに飲み込まれたような モノの見方って、“おまえだけやで、 そんなん”って言い切ってしまえる 人、どれぐらいおるんやろ。 逆に、言い切ってしまえる人の無関心さも オレは怖いし、そういう人こそ小説で 扱ってみたくもなるけど。 (下)18日朝。この日、宝塚線の1番ホーム は閉鎖状態で、朝から点検入った人がうろうろ。 いや、私は「西宮名塩」に行く電車の乗るホーム が変わってて、右往左往しただけでしたが。 思わず駅員さんに聞いてもた。 「名塩へ行く電車って、ここからですか?」 って。再開してないんやから、発車する電車の 方向なんて一方向しかないのに。これって典型的 なマニュアル人間の行動やないか?と思った りして。
2005年06月20日
午前6時。 ADSLの配線がおかしくなって 四苦八苦してたら2時間ぐらい 経ってしまった。 この忙しい時に、と言っても始まらず。 ちょっと、また不義理が続いてます。 メールとか、届いてもおかしくないのに 届いてない方、すんません。 一杯、一杯なんですよね、やっぱり。 時間の使い方が下手なのと、最近は 本当によく帰ると倒れてしまって。 で、本題。 今日は堅い話じゃなくて、モデルとの 距離の問題について(誰や、十分堅い、 言うのは)。 僕の本も、解釈はともかくモデル本の 変型であるには違いなく。実在のモデルを どう料理するか、で。 不肖・宮嶋氏に関しては、すでに2001年 から2002年にかけて「YOUHGアニマル」誌上 で、笠原倫さんが漫画にしてられました。 いや、当時は僕は手に取ってません。 「不肖・宮嶋!撮らずに死ねるか」(白泉社)と いう漫画単行本になってから手にすることになっ て。 まさか、自分が宮嶋氏をモデルにした小説を書こ うとは夢にも思ってなかった当時の話で、正直、 手にとって、ちょっとがっかりしました。 何がって? いや、全部、不肖・宮嶋本を読み漁っていた僕に とっては知ってたことだったから。 わざわざ、漫画でもう一度確認することもない、って やつで。 ただ、挿入されてる不肖のコラム「ゆきゆきて カメラマン」と、あとがき、あと漫画?は貴重 で。いや、宮嶋氏は本音の人だけど、輪をかけ て、の気もして。 「モデルって?ええで、どないに(話を)使うて も。 小説やろ?写真やったらワシはうるさいけ ど」 って不肖に許可をもらったのが2003年の10月。 その時、すでに着手していた「めっちゃピンぼ け」の執筆にあたり、“許可をもらった限り、(不 肖のエピソード、体験を)自分の能力の中で思い切 り改変する”と決心したのも、簡単にOKをもらった ためでした。 せっかく、改変も使用もOKしてもらってて、そのま ま書いてたんじゃあ意味が無い。 同時に、思い出したのがこの漫画でした。 「あの時も“好きなようにやってください”って言うた んや」と不肖は、漫画の出来栄えについては話さず、 “好きなように”を強調するように僕に漫画の原作 に使われたことに関しては話しました。 僕にとって漫画は大きな収穫にはならなかった。 会ったこともない笠原さんには失礼なのですが。 “じゃあ、やったろう”と私はやったわけです。 不肖が行きもしてないソマリアへも行かせたし、戦場で それなりの怪我もしてもらった。自衛隊の部分は どこかへ飛んでしまったし、設定もあれれ?って感じ。 おそらく、最初に完成版を読むことになった不肖は びっくりしたはずです。あるはずの、“ワイルド7”ば りの活劇はなく、なんでか12歳の女の子と心中はして るし。 しかも、本人の売りに近い関西弁であるべき独白が標準 語。 「ええやん。小説やねんから。ほんまに好きなようにや」 って、不肖庵から出る僕に言ってたけど、ほんまは どう表現していいか、判らんかったのではないか、と想像 して。 「宮嶋だけが、絶対ほかの読者と違う感覚になるんやから。 オレなんか、絶対判らんわ、どんな感じなんか」 と、あの時、僕は不肖に言いました。モデルってそういう もんじゃないかな、と。 それと、自分がどういう風に捉えられてるか、やはり 興味もあるでしょうし。それが、たとえば自分の書いた 本と同じだと、本人も”どう思われてんのか、判らんなあ” と思ってしまうのでは? 後日。 「おまえなあ。いくつか言いたいのあるけど、あの戦場で オナニーってあったやろ。そう思われてたんか、思うとな あ」 と苦笑いしながら不肖に言われましたが、そういう解釈っ てモデルになってくれた人とっても楽しいものじゃないか な、と。 あり得ないことなのに、妙にリアル。 それが創作の面白さでもあるし。 笠原氏の漫画は良くも悪くも不肖のそのままの 体験、人生をなぞってます。僕の小説はなぞるふり をして、フィクションとノンフィクションのはざま を楽しんでもらえたら、という意図がありました。 不肖の経験に敬意を払ってる、というところ だけが同じで、あとはまったく別物。 同じモデルでも、描き方によってこうも変わる、 というのを不肖を間において表した2作品。 作品の格はもちろん、笠原さんの漫画の方が はるかに上なのですが、志や目指したものは 絶対に勝負になったはず。 出来上がった作品で、不肖の価値を下げてれば 問題あり、なのですが、読まれた方は総じて不肖 の話から作り上げたフィクションと割り切ってく れてる方が多いようで今のところ成功だったの ではないかと。 モデル小説、また書くかって? いや、大きな声では言えんが、誰か モデルのいない小説なんてこれまで 実は書いたことあらへん。 私の創造力なんてそんなもんですよ。 (下)「不肖・宮嶋!撮らずに死ねるか」(白泉社)。 定価838円プラス税、なんだよね。私の本「めっちゃ ピンぼけ」が1500円プラス税=1575円。よく考 えたら、いや考えんでも倍近い値段。それだけの価値が あったらいいのになあ、と。同じ不肖の神戸鷹取商店街のピアノ の写真、使ってるもの同士として考えても。 まあ、どうひいき目にみても、倍の価値はないわな。うまく いって2-1のスプリットでの判定勝利、それも地元で 戦っての話やけど。
2005年06月18日
17日の午前9時半。 書き終わったらすぐ、ゴルフ場へ行きます。 男子プロゴルフの取材。 今話題のJR宝塚線に乗って。 売れない話題のついでに。 ぐちゃぐちゃの私の部屋で昨夜、発見した 映画のポスター。ボード付きだったけど。 ポール・ニューマン監督の 「わが緑の大地」(72)。原題も二つある映画 なんだけど、このポスターでは“NEVER GIVE AN INCH”。映画の内容にはこの原題のほうが 合ってます。 不遇の映画でしたね。 公開当時は。もちろん、知らないですよ。 数年経ってからの噂を映画雑誌などで読んだだけで。 僕自身、この映画はTVでしか見てないし、 それも吹き替え版(淀川さんの解説だったから 日曜日)で見ただけ。 日本公開時は、地方公開の2本立ての一本として、 それも2週間で切られた作品だとか。 はっきりいいますが、今観てもおそらく、ポール・ ニューマンという人を知る上で貴重な作品だし、 勇気が出るという意味でも、古びない名作 としか言いようがない。 気の毒だったんですよ。 「レーチェルレーチェル」っていう、ハイミス (この言葉も使っては駄目だったっけ?)の女 教師(だったと思う)の処女喪失物語を、じっく り描いてキワモノにしなかった技量。それを みせての次の作品だったんですけどね、ニューマン の監督作品としては。俳優としては、当時は 凄かった。「明日に向かって撃て!」だの、 「ステイング」だの、ジョージ・ロイ・ヒル監督 と組んで快作を飛ばしてた頃です。 で、「わが緑の大地」。アメリカでも、当時総ス カンだったようで。ニューシネマ全盛で、ベトナム戦争 の混乱があって、妙に反省したりする映画がはやってる 時に、強い男頑張れ!では確かに。 このポスター。手に入れたのは2001年。 広島で、です。 見事にプレミアがついてます。 映画も復権してるようですが、きちんと 誠実に作っていれば、時が経って評価される ものがある好例で。 大好きな映画でもあります。 ちょっと、グロテスクかもしれんラスト近く が特に。今観ると泣けるかも。 ヘンリー・フォンダ、マイケル・サラザン が好演です。 あっと仕事行かな。 それでは。 (下)「わが緑の大地」のポスター。広島の古本屋 さん(今は潰れてファーストフード店)で2001年 の秋に発見してすぐ購入。なんと1000円プラスボード 代260円、とロードショーの映画一本割引で見れる ぐらいの値段がついていた。でも、確かに宝物ですね。 手に入れてよかった、と思えるポスターです。
2005年06月17日
午前2時。 なんでこんな時間になるのか、 とも思うけど。 考えることも多くて。 私の本。「めっちゃピンぼけ」で、報告することが いくつか。どれも、今更だけど嬉しい。 オンライン書店。 楽天とアマゾン、それにYAHOOのセブンアンドアイ。 在庫確認とか、4、6週間かかるとか、品切れ じゃなく、すぐ手に入るようになりました。 アマゾンの方、1、2週間になってますが、 1週間はかかりません。在庫確認がなぜか、 僕には出来てるので。出版社の、ですよ。 でも、嬉しかったのはオンラインの復旧だけで なく、今まで画像がなかった楽天とアマゾンに 写真が登場したことで。YAHOOは帯なしだけど、 楽天とアマゾンは帯もあるし。 一ヶ月半も遅れてだけど、オンラインの、 手にとって見れない人にとっては貴重な 手がかりになるのは確かだと思うので。 で、今日のお話。 本を自分で売る、とは決めたけど、苦しいのは 確かで。決めた以上、弱音は吐かないけど。 で、ぼやっと、CDラックを見ていたら、目に付いた ジャケットがあって。 ウェス・モンゴメリーの遺作「ロード・ソング」 のCDジャケット。イージー・リスニングジャズの尖兵 として将来を嘱望されていたジャズ・ギターリスト のW・モンゴメリー。1968年に43歳で亡くなる直前に 録音されていたのがこのアルバムで。 僕の持ってるのは92年にポリドールがジャズCD名盤 シリーズで再販(だろうと思う)したものですが。 延々と続く格子状のガードレール。その遠方に去って 行こうとする車の赤いテールランプがかすかに見える。 空は朝焼け直前か夕焼け直後か、どちらにせよ太陽が消 えた中で雲ひとつない。写真の左端から続くガードレール は終わりがないかのよう。小さく浮かび上がっている車 はどこまでも彷徨うしかない風情。 「ロードソング」のタイトルにふさわしいジャケットです。 モンゴメリーはこんな素晴らしいジャケットを持ち、 内容もスカボロ・フェアやアラモ、といった曲を見事 にジャズテイストに変えたアルバムを完成させながら 発売前に亡くなってしまっている。 遠く消えていこうとするジャケットの車を見ながら、 このアルバムのジャケットが入り口近くに飾ってあった ある店を思い出したりして。 神戸の須磨と垂水の間の国道2号線沿いに、1982年から 2000年の初めまであった「ウェザー・リポート」って いうカフェ・バー。後年は、スパゲッティ中心の店に なってたけど。 1982年。21歳の頃。海沿いに出来たこのお洒落な店へ 行くのが嬉しかった。男同士でも、Hしたこともない 彼女とでも。 その後の、神戸市の埋め立て事業の中で、海のそば の店で無くなったことが恐らく大きくて。それでも、 明石大橋が夜になればきれいに見える店だったんだ けど、「海のさざなみ」が聞こえる店でなくなって。 2000年。僕が気付いた時にはもう閉店されてました。 夏に、やはり「ウェザー・リポート」と思って行った 時は遅かった。 あの2階、海側の入り口に飾ってあったウェス・モンゴ メリーの「ロード・ソング」LPのジャケット。どうなっ たのだろうか?マスターなんて人がいて、持ち帰ったの か? 神戸にいる限り、付き合った女の子とは、必ず一度は デートの場所として選んだ店。もうないんだよなあ。 そして「ロードソング」のジャケット。小型になって、 きちんと僕のCDラックの中で生きていた。車の行く末、 モンゴメリーは知る由もなかっただろうし。 44歳。モンゴメリーよりも長生きしてる僕。その幸運 だけでもありがたいと思って、日々、意識を明晰にして 生きていかないと。 (下)「ロードソング」のジャケット。別に商売するわけ じゃないから、紹介はOKだと思う。夜中の3時に近くなっ てるけど、さっきからずっとこのジャケットを眺めてる と、不思議に落ち着いて。本、売れなかったからと言って 命まで取られる訳じゃなし。生きてる限り、何かいいこと がある可能性は残されてる。それこそ、この車の行く末じゃ ないけど、先は長い、はず、きっと。
2005年06月15日
最初に。 「めっちゃピンぼけ」、YAHOOを除いて オンライン復活しました。楽天でもアマゾンでも 買えます。売れてなかった分、ようやく出版社に 戻った(実は涙)ためですが。 よろしく、お願いします。 もちろん、私の方でも今まで以上に本確保して ますので直接、注文ください。サインして送り出します。 で、15日午前7時15分。 今日は休みなのですが、在宅というか どこで書いてもいいのですが、ボクシングの リング禍についてのことを書かないといけない。 いい話に出来にくいので、ちょっと気が重い。 朝から、もう。 外。夜の雨はやんでるけど須磨の海はどんより ねずみ色。耳が悪くて、いつも風の音が聞こえる 状態なので、本当に風が吹いてるのかどうか分か らないのですが、西側のベランダ越しに、木々の 葉が擦れて出る音が聞こえてるのでやはり風は 吹いてるってことでしょうね。 日常の音。 本当に、壊滅的で。 右の耳に突発性難聴が初めて起きたのが94年の11月。 おかげで薬師寺-辰吉戦、メイン担当だったのに、 病院のベッドで小さな液晶テレビの画面、隠し持って 見ることになった記憶、蘇ってきた。 まあ、それはともかく。 ここのところ、年々、下手すると日に日にひどく なっていて。もう、どこまでが普通の音なのか分からないし、 自分の右側に立って話されると途方に暮れてしまう ほど、人の話し声も右では聞き取れない。 メニエール病を発病してなくて、めまいがないのが 救いだけど。 いや、暗い話するために書いたんじゃないんです。 日常の、当たり前と思っている世界が、他の方の 見たり感じたりしている世界とずれているとすると、 って話で。 で。タイトルの「ビデオドローム」に辿り着く訳です。 この映画。最初からカルトムービーだったですよね。 クローネンバーグ監督の作品は、僕の同年代の大半の 人と同じく「ザ・フライ」(86)を見たのが最初です。 カッコよく「スキャナーズ」(80)なんかを上げる嘘 は書きません。 「ザ・フライ」も、人間がどんどん崩れていって、違うもの になる、って映画でしたが、「ビデオドローム」はそれに加えて、 現実か、妄想かも分からないって言う風に作ってあって。 引き込まれたし、はまりましたね。 ダビングしたビデオは何度見たことか。 SMチックなのに惹かれた部分もあったのでしょうが、 それ以上に「なにがなんだか分からない。でも、暴力 とか破壊とかに惹かれて破滅」ってストーリー(で、 いいのだろうか、あれは説明出来ん)、見るたびに 発見のある映画で。 間違えても、不朽の名作なんて言いません。 舌足らずで、中途半端でさえなく、でも何度も 見ずにはいられない映画。のちに、映画音楽に なくてはならない存在となるハワード・ショワ の製作当時ははやりだったシンセイサイザーを 使ったスコアも耳からはならずで。 主演はジェームズ・ウッズ。 この映画を何度も見てから、「サルバドル」に出会った ので、「サルバドル」の見方さえ普通の方と違っていた かも。ウッズ=ビデオドローム、に僕の頭は なってましたから。 日本では長らくCDは発売されず、ビデオは絶版。 という状態が続いてましたが、クローネンバーグが 「クラッシュ」でカンヌの賞を受賞し、一般でも OK(いや「クラッシュ」も「ビデオドローム」の 路線だったのに、不思議)って感じになってか、 一挙にオリジナルサントラの日本初CD化、DVD化 作品の発売と日の目を見て“幻”の作品ではなく なりました。 でも、それと同時にクローネンバーグの映画が時代 についていけず(と思います)、輝きを失ったのは 皮肉としか言いようがなく。僕も「イグジステンス」 を5年ほど前にみたのが最後で、「スパイダー」は DVDの廉価版を買ってますが、まだ見てない状態。 「どうせ金太郎飴」って、頭で思ってしまって。 ひょっとすると、「デッドゾーン」のような拾い ものかもしれんのに。 いやあ、でも今でも油断するとテレビの中のデボラ・ ハリーの悩ましげな姿が頭の中に浮かんでくるし、ビデオ を腹の中に埋めたり、テレビ画面が怪しげに浮き出したり、 ってシーン浮かんじゃうんだよね。きれいな世界の対極、 というか、“あっちへいっちゃあいかん”という世界。 で、なんの話だったっけ? (下)「ビデオドローム」のオリジナルサントラのパッケージ。 98年の暮れ。レコード店で発見した時のおどろき、と言ったら。 もう耳が普通でなくなっていた私でしたが、それでもCDウォークマン とかで左耳だけで聞き倒したもの。もう7年近く経ってる んですね。その時からでも。歳取るはずや。
2005年06月15日
14日の朝。7時過ぎです。 きのうも倒れてしまって更新出来ず。 すんません。 最初にここに来て下さってる方には感謝。 本。ようやく、あることが浸透してきた んでしょう、売れ始めました。 実感出来てます。全く、相手にされへん 状態は脱したみたい。不肖もはじめ、多くの 関係してくださった方に感謝してます、本当に。 で、 きのう。 事情があって拙書「めっちゃピンぼけ」を 2冊購入しました。1冊は明石のジュンク堂。 もう1冊は神戸市垂水区の文進堂書店さん。 自分の故郷みたいな明石で一番大きな 本屋さんに自分の本、どこに置かれてるか分らない っていうのも気になるもの。 6月4日付けの神戸新聞のコピー片手にお話に なってしまいましたが。元々、10冊置いてくれていて POPも付けてくれてた上で、残り2冊(僕が1冊買っ たので残りラスト1冊!)となっていた文進堂さんは 「追加で注文しますよ」とお願いするまでも なく、入れてくれるつもりだったようで。 明石のジュンク堂さんの方はもっと劇的に本の対応 が変わって。いや、ここは1冊だけ置いてあるって感じ でしたから。女性の店長さん「郷土のコーナーに POP立てて置きますよ。在庫、出版社さんにありま すよね」と聞かれて。 不肖・宮嶋氏の話も少し。明石に宮嶋氏の実家があ るって知らなかったみたい。まあ、一駅違う西明石や からなあ、宮嶋氏の実家は。でも、不明を恥じるよう な感じだった店長さん。全然、悪くないよ。世間の認 知度は宮嶋氏ぐらいでも、実はこの程度。ましてや、 オレなんか。 ともかく、これで三宮のジュンク堂や元町の海文堂書店 さんと合わせて、地元でそこそこ勝負出来る本屋さんが 確保できたのは確かで。いやあ、ありがたい。 で、自分の本を買わなければいけなかった事情。 簡単にいうと「版元品切れ 重版予定なし」(つまり 限りなく絶版)が書店に注文した場合、アマゾンなど オンラインでは在庫確認だの品切中だの、4~6週間 かかるだの出てしまう本を、もう自分の手で売ろうと 半分以上決心したからで。 あと数日で、返本が出版社に集まり次第、こういう表示は 消えていくはずです。でも、現状では「手に入らないんだ」 と、あまり売れていない本を“超人気本”か“訳有り本”と 誤解されかねない状況もあるので。 それなら、自分の手元に集めて売ろうと。 いや、ほんまに決めました。 市場に出回ってる1800部、必ず全部売り切ります。 売れようが、売れよまいが、印税(?)には関係 しません。印税に関係するのは増刷した場合だけ だから儲けのためじゃない。1800人の目に止まり、 その中の大半の人に読んで貰う、それだけですね。 「何部刷ったんですか?一万部?」「千八百部」 「え?少ない」「いや、だから手に入りにくくて」 野球の、それも阪神の関係の本を過去に出している 方との会話。 二百五十万円も自分で経費を負担し、その上、自 分で本屋巡りして売れてるか、どうかの確認。品薄 になったら「版元在庫なし重版予定なし」と“絶版” と取られても仕方のない表示を本屋さんが返しても気 にもしてない出版社を動かしてなんとか「在庫あり」 にしてもらえるように出来て嬉しい、と思う。こうい う感覚って、なかなか味わえない。ほんまに、プロ野 球の契約金なしで芽が出ない二軍選手みたいなもんや から。 こんな感じでやって、それで売り切っても上の阪神本の 方の出してる本の冊数のおそらく十分の一ぐらい。赤字 はほぼ全額のままだから、上下何百万円もの差もある。 いらんことせんでええ人の方が、きちんと儲かるシステム。 まさに、資本主義やなあ。まあ、お金のことはともかく、 部数。やはり少なすぎる。 いや、だからそれを逆手にとって、持っている人にプレミア が付くように今後、私が活躍すればいいわけで。絶対、希少 価値あるようにしてやる、と意欲は湧いてるので、プラスに 転嫁出来始めたかな、と。 「めっちゃピンぼけ」持ってる人、下手に古本屋とか、 アマゾンのユーズドとかに出さんほうがええで。もう 10年ほど持っとき。思わぬ宝ものになるから。今回の 悔しさ、って生きてる限り僕にとっては大きなバネに なるし、出版に関するいろんな事情が判ったことを生 かさない手、ないじゃない?! 今日はここまでやね。 本の話ばかりですんません。 (下)出版されてから10ヶ月後に手に入れて読み終えた 吉田修一君の「ランドマーク」。この時期でも初版が 手に入るってことは、「東京湾景」があっても売れる ものと売れんものが、芥川賞作家の吉田君の作品でさ えあったということでしょう。まあ、部数がおそらく 2万部とか3万部出てたんだろうから、こうなってるん でしょうけど。内容は、やはりさすがで現在《文字通り》 の「空気」を読ませる今一番の作家の面目躍如って、 作品ですが。
2005年06月13日
午前11時ちょっと前です。 最近の日記を書くノーマルな 時間帯。書き終れば、仕事へGO!で。 今日は、珍しく仕事の話を正面から。 いや、きのうは久しぶり(でもないか、 センバツ高校野球で毎日通ってたから) に、甲子園球場に取材に行きました。 日本ハムが負けてれば、お気楽な20行 ほどの原稿でお終いだったんですが、勝つんだよなあ。 そんな時に限って。 しかも、新庄選手とか活躍して。 でも、我が社の原稿は日本ハムのチームものだった ので、書けませんでしたが、昨日の試合後の新庄選手の 話は秀逸だった。たぶん、スポーツ新聞の読者はすでに 読まれてると思うので、僕の方があと(きのう倒れて 書けなかったのが痛い!)になってしまうのですが。 甲子園の芝。 これを抜いて、頭上にかざして風向きを見るって いう。漫画の一シーンみたいなことを新庄選手はやって た訳で。「十代の頃からここでずっとやってきてたから」 と新庄選手は答えてましたが、オールスターとかあると はいえ、公式戦でここでプレーするのはこの日が 最後。 メジャーでプレーした経験を持つ新庄選手が「世界で 一番の球場でしょう」と愛着を話す球場。高校野球 で甲子園を経験した球児も含め、この球場に特別な 意味合いを持たせる野球人は本当に多いはずで。 で、そういう話に水を差すようで悪いのですが、 この球場の記者席。プロ野球をやってるフランチャイズ 球場の中で、外気に触れざるを得ない状況で スポーツ記者が仕事をしなければいけない唯一の 球場となってます。 これが辛い。 いろんなスポーツに関する仕事を20年ぐらい やってきましたが、甲子園での高校野球の取材 以上に辛い仕事に当ったこともなく。一日、二日 ならなんとか耐えられるのですが、約2週間。 春は春と言っても冬。寒い中で凍えながら何試合 も見、夏は夏で暑さと湿気で意識を失いそうに なりながら、じっと見てないといけない。 スポーツ記者で、甲子園での取材が大好きって やつ、いるのかもしれないけど、今のところ 例外的に数人知ってるだけで大半はそうじゃない。 記事にも影響は、実は出てるんじゃあ、と思いますよ。 劣悪な状況で、いくらいいことを書こうと 思っても、どうだろう? あ、でもないか。 書ける時は、確かに書ける。 そろそろ、時間切れで、 中途半端になりましたが、 新庄選手をはじめ多くの野球選手に愛される 甲子園球場。現役の記者にとっては、仕事の 中で辛いランキングの上位に位置させてる 記者が多い、って矛盾はこの球場の関係者 やプロ野球の関係者も知っておいたほうが いい。 僕は、本名もわれてるし、今更隠し事を しても仕方ないので、正直に話してますが、 取材に現場でかかわってる大半の取材者は、 そういう本音の部分を隠さないと仕事しにくい。 それが、この球場で、記者の職場改善が なされないまま来た元凶じゃないか、と 僕は思うのです。 (下)甲子園の記者席から見た球場。気持ち良さそうに 思えるのはあくまで画像だから。現実には、ここで仕事 するのは本当に辛い。ルワンダで取材してる方が、どれ だけ楽か。カラシニコフがそばにあろうが、毎日、 感電死の恐怖と戦おうが、全然楽だったですよ、甲子園に まつわる各種取材に比べたら。
2005年06月13日
午後11時半。 なんでこんな時間になってしまうのか? 仕事がバタバタしてたんも事実やけど。 明日がプロ野球の取材で、日本ハムの12連敗 に備えないかんとなると、早よ寝な。 梅雨入りと聞いて“ひょっとしたら”と喜んだけど、 明日は晴れやそうや。建設事業にかかわって られる方と同じく、屋根の付いてない球場で 試合する限り、雨で中止はつきもの。 で、中止になれば、運がよければ休み。 悪くても、現場へいくだけでほとんど仕事 せずに帰ることは可能なんやな。で、雨、 期待するんですよ。ましてや梅雨やのに。 しかも、今季はじめて見る日本ハム。新庄って 怪我せずにやってるんだっけ?ってレベルでっせ。 大丈夫かオレ、と思わんわけにはいかんが、 これが何とか出来てしまうのがベテランの味 かなあ。 さて、今日は。 珍しく、「カフェ」のお話。 はじめてかなあ、正面から書くのは、このブログで。 月刊「神戸っ子」(新神戸出版)の6月号。 いや正直、この月刊誌、名前は知ってたけど家にこう やって来たのは初めてで。 「めっちゃピンぼけ」を、神戸の本棚って ページ(81ページ)で紹介してくださって。 文芸社の担当のO女史が送ってきてくれたわけです。 その内容はフリーページに転載させて もらってるので、読んでもらうとして パラパラめくってて、奇妙な縁を感じる ページに出くわして。 74ぺージ。 ぴっといん、ってページに見知った顔が。 ブログでも5月に、本を渡したことでちょっと だけ触れた「MOKUBA」が紹介されてて。 正確には「MOKUBA’S TAVERN」 という店で。小説、マスターに届けに行った ことを書いてた、というと思い出される読者 も(って、そんなこのページの主みたいな ウォッチャーいないって)いるかな? 『震災前は三宮で、震災後はトアウエストで、 足かけ28年間MOKUBAの看板を守って きたマスターの小西武志さん…』 と紹介が始まってますが、学生時代、三宮の JAZZ喫茶だった「木馬」で、カミュを テーマにした『経済学部の』卒論を書き上げた ことがあって。1985年1月のことですが。 マスターは、そんなこと知る由もないのですが、 お世話になりました。 次に、トアウエストの店では、モデルに使います、 とお断りしにいって、実際に小説を書きました。 小説の中では「木馬」を「火の車」ってのに変えま したが。これは文学賞、取れなかったけど、少しカスって 夢を見させていただきました。 今はパソコンの奥深くに眠っている青春小説の出来損ない 作品でしたが。これを本に出来ず、マスターに届けられ なかったのは少し心残りがあって。 で、「めっちゃピンぼけ」をやっと何とか、持っていった 訳で。映画「泥の河」の小栗監督が、「可耶子のために」 を撮る際、このマスターに出演依頼した、っていうエピソード 、ほんまか嘘か、伝え聞いてもいます。そんな方で、 震災でもエラい目に合われて、マイナスからのスタート も経験されてて(そういう話を盛り込んで書いたんです けどね、『メモリー・オブ・コウベ(神戸の記憶)』。 あ、自分の小説の話やなかった。 で、マスターもダンディさは変わってませんが、 歳に応じた皺を顔に刻まれて、ますます奥行きを 感じさせる人になってました。この紹介記事の マスターの写真。茶系のカッターに、茶系のネクタイ、 っていう取り合わせがシブい、実にしぶい。 「ジャズ喫茶なのか、カフェなのか、バーなのか、 それはお客さんが決めてくれればいい」っていう マスターの言葉が引用されて記事は終ってますが、 このセリフもシブイのお。ほんまに。 三宮の「木馬」の頃は、ほんまにJAZZ喫茶と いう以外なく、落書帖に分ったような分らんような 理屈を書いて、次に行った時に、誰かにそれを否定 されてる、みたいな、若者らしいコミュニケーション も取ってたよなあ。って、今もやろうと思えば出きる から若者らしいはおかしいか?いや、おかしくあらへ ん、そうやった、オレは若者やったんや(言うてて情 けない)。 いや、他人にとってはどうでもいいことで、おそらく 「MOKUBA」のマスターにとってもどうでもいい ことなんですが、僕にとっては大切な節目の思い出の ある店。 なぜか、僕が21歳の頃、はじめて女性と付き合った その相手、マスターの知り合いだったりして。もちろん、 彼女と僕の関係なんか知らないでしょうが。え? いや、オレ、不肖より奥手やったから、エッチなんか することもなく別れてるんやけど。 相手の子は、僕を彼氏のカウントからはずしてる かもしれん。純粋にプラトニックとは間違えても言 わんが、健全すぎたあの頃。「入れるときに入っとけ、 女と風呂」って、最近、誰かの本で何度も出てくるの を読んだ記憶が…。 (下)沢木耕太郎氏のマネをして経済学部でカミュの卒論。 「めっちゃピンぼけ」で、懺悔しているように、ほんまに マネしか出来ん人やった。私は。まだ、この新しい「MO KUBA’S TAVERN」では一度もコーヒーを飲んで ませんが、次に行く時は、この「神戸っ子」持っていって、 「ちょっとだけ縁があったかもしれません」とマスターに 言ってみよ。ほんまに、迷惑なだけやろなあ、他人の思い 込みに付き合わないかんのやから、マスターも気の毒や。
2005年06月11日
午後11時少し前。 時間が経つのが早い。 小説「めっちゃピンぼけ」、出版社には 在庫ありますよ。僕のところにも50冊 ぐらいあるし。本屋さん「品切れ、重版予定なし」 なんて、買いに来られた人に言わないでね。 ようやく、少しずつ動き出した感じだけど、 ほんまに動きが鈍かったから。でも、ジュンク堂 三宮店なんかで「神戸新聞」に掲載された記事、 棚に貼り付けてくれてるのなんか見ると 可能性ゼロじゃない気はします。 文芸社さんは、今のところ重版を検討することは ない、っていうメールをくれてるのは事実ですが。 なんとなく、そこそこ売れていくんじゃないかなあ。 ここからの一ヶ月。そんな気が僕はするのだけど。 甘い?そう思ってやっていかんとねえ。 紀伊国屋の西神中央店と加古川店。 ともに、この時期に10冊づつ注文してくださって いて。拾う神あり、って感じで。 時間見つけて、何冊かは自分でも購入します。 感謝の意味もあって。 で、本題。 「ミリオンダラー・ベイビー」見ました。 三宮の国際松竹で。出版のごたごた、のおかげで 女性のボクシング映画って言う以外、内容を知って なかったのが正解で。 びっくりしたよ。 親子とかの愛情についての話だったからね。 見てない人のこともあるので、ストーリーは 書かないけど、知らなければ知らないほど意外 な展開になるのでは。 ボクシング映画として見ても、僕がいつも疑問に 思っていたスローモーションの多用(ボクシングは スピード感がないと、と思ってるので)が全くなくて。 というか、恐らくスローモーションはない。だから、 俳優らは本当に、ボクシングをやってるってことに なるんじゃないかなあ。こういう誠実な撮影の映画、 嫌でも好感持てますね。 で、イーストウッドの映画として。 珍しいほど笑えない。あ、「バード」も笑えなかった けど。それが少しだけ不満で。それ以外は、 あとの余韻といい、いい映画だよねえ。 あと、最初から出て来る実の娘との関係の描き方 が見事で。なんでも見せればいい、ってもんじゃ ないのを、本当に判らせてくれる。これは小説でも 同じことで。どう省略して空気を読ませるか。 いい映画、小説はまず、これがきちんと出来てます。 これでイーストウッドの監督作品見たのは21作目 になるんだけど、確かに完成度は上位だよねえ。情感 に完全に訴えてくるし。「ホワイトハンター ブラック ハート」や「スペースカウボーイ」のラストなんてのも、 それぞれ大好きだけど、やはり見終わり感を決定付ける のはラスト付近の描き方だなあ、とも改めて思いました。 あ、イーストウッドの監督作品で、僕がお薦めしないのも いくつかあります。「ファイアーフォックス」と「ハートブレイク リッジ/勝利の戦場」はお薦めしません。特に前者は。 震災で取り壊された旧国際松竹で82年の夏に見ましたが 画面が暗くて。何やってるのか、さっぱり判らんかった。 撮影の失敗としか思えんかった。DVDとかで出てるのかな? (下)親と子の愛情、っていうのを考えながら映画館から 電車に乗って須磨まで帰ってきて。駅前の店の軒先、いたると ころで気になったのは「ツバメの巣」。こんなに多かったんだ、 ってぐらい。親と子の愛情にこれも違いなくて。子育て。 大抵の哺乳類、鳥類はやってるわけだな、と。いや、ほかの 生き物もかなりそうかも。自然の摂理ってやつだよなあ。 で
2005年06月10日
午前10時50分。 今日は、実は何時でもいいんですけど。 お休みですからね。 何度、書いてるかなあ?「ミリオンダラー・ベイビー」 を見に行こう。今日は梅雨入り前の最後かもしれん晴れの 天気。映画はもったいないかあ、とも思って。 でも、こうやって家でぼやっとPCに向かってたら 意味ないけどね。 「ミリオンダラー・ベイビー」といえば、イーストウッド。 イーストウッドと言えば、やはりタフで屈強な男のイメージ、 強いよなあ。違う役、ってのもまずやってないんじゃない かなあ。マカロニウエスタン以後。 で、イーストウッドの話は、「ミリオンダラー・ベイビー」 を見てからするとして、今日は偏屈度では絶対イーストウッド を上回り、結局、その頭の固さから世界の一線監督だった のに、どうなっちゃったの、という風になったドイツの監督を。 あ、ヴィム・ヴェンダースじゃないです。 この方は偏屈じゃなさそうなので。 ヴェルナー・ヘルツォーク監督がその人。 今でこそ、韓国映画だけど、僕が大学時代の83年。 このあたりは、ドイツ映画を見るのがトレンドだった。 シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」が81年のキネ旬1位 になったりして(予断ですが、試写会でこの映画を見た 二十歳の私は“なんじゃこれは、さっぱり分らん。なんで、成長 せんなんてことが起こるんや”と、見た直後に思いました。 カッコ悪いから“いやあ、やはりドイツ映画、奥が深いわ”とか いうて、宣伝して回ったけど、良さが分ったのは 十年ぐらい経って見るの3回目ぐらいになってから)。 で、82年のドイツ映画際。 大阪でも梅田のピカデリーとか、借り切って。 そこで「フィツカラルド」に出会ったのが ヘルツウォークの最初。 びっくりしましたねえ。ことわざで「船頭多くして、 船山に登る」って、いう訳の分らない方向に 物事がいくたとえがありますが、映画で、 しかも今のようにCGもない時代に、アマゾンの 奥地に現地ロケして、ほんまに船を山に上げてしまった、 映画ですから。 それも「オペラ座を作る」っていう夢だけの ために。クラウス・キンスキーの代表作、と いうか、この映画は彼のため、って感じもあって。 娘のナスターシャ・キンスキーはポランスキーの 「テス」を代表作として挙げたいけど、絶対じゃない。 父親の方は「フィツカラルド」しかない、と言って いいぐらい。 「夢」、なんて言葉こそば痒いから、思い込みと置き換えましょう。 思い込みの実現のために、とんでもないことをやってしまう男 をヘルツウォークは見事に映し切ってました。たぶん、自分も ジャングルで船を山に上げるために汗だくになりながら。 で、この映画が一般上映された翌年に、この監督の作品11作が 回顧上映されました。東京と大阪で、だけだったと思う。 全部見ましたよ。で、打ちのめされるのが多かった。 いまだに、小説とか小文を書く時に引用したりするけど。 戦中に、戦いの起こらないギリシャの島に赴任しその変化 のなさから精神状態に異常をきたす青年を描いた「生の証明」、 火山の噴火を記録しにいっていつまで経っても噴火が起こらな いのをじっと記録した「ラ・スフリエールー起こらざる災害の 記録」《撮影が終ってから噴火は起こってるんだから、自然は 思うにならない》、誰よりも遠くへ飛べる天才ジャンパー、シ ュタイナーの卓越した才能が起こす孤独感を描き出した「跳躍 の孤独と恍惚」。 どれを取っても、やはりいまだに、僕の小説など、創作に大き な影響を残してるのは否定出来ません。このおっさんの映画、ほ んまに笑いが少なくて。妙な落ち方で笑えたのはK・キンスキー がドラキュラを演じた「ノスフェラトウ」だけど、これは監督の 意図でないのは確かで、だから怪作(僕はこれも大好きだけど) なんだけど。 いや、いろんなものが遭難している私の部屋をさっき、ちょっ とだけ掘り起こしたらこの映画祭のパンフが出てきて。イーストウ ッドは偏屈といっても笑いがあるから、万人に受け入れてもらえる けど、このおやじ=ヘルツウォークは笑い、つまり余裕のない作品 が多かったのが、結局は命取りになっていったのではないかと。だ って、「彼方へ」と言った商業映画の中途半端さは、制作者に笑い ながら媚を売って、腹の底では違うことを考えて作るっていった芸 当の出来なかった不器用な男を象徴しているようで。 男として強く共感出来るけど、やはり余裕はあって欲しい。 イーストウッドの方が馴染めてしまうのもそのためで。 今日は「ミリオンダラー・ベイビー」は無理かな? まあ、しばらくやってるだろうし。 (下)1983年のヴェルナー・ヘルツウォーク回顧展の パンフレットの表紙。ヘルツウォーク本人がバン!と正面から 出てます。意思の強そうな目っていうのは、この写真から も窺えて。ちなみに、このパンフ千円で売ってたのですが、 通しのチケットを買った私はそのオマケとしていただきました。 今では貴重な資料です。時には役に立つパンフレット。
2005年06月10日
午前11時45分。 白浜への移動、特急車の中です。 柔道のヤワラちゃんの取材。 日帰りなので、気持ちが重いだけ。 阪和線の遅れの関係とか言ってるけど、あの 事故以来、JR西日本の電車が時間通りに来る、 着くとは考えない方がよくて。 指定席取ってたのに、慌てて新大阪から 一本前の20分遅れの特急の自由席に飛び乗り ました。 で、駅でじっと立ってまってる時に、W杯サッカー の予選報道で一杯のスポーツ新聞の中で、埋もれている 訃報を見つけて。 アン・バンクロフト。73歳で死去。 「卒業」で、ダスティン・ホフマンを男にする 役だったミセス・ロビンソンを演じた女優さん。 あの映画では、キャサリン・ロスの母親役でも ありましたが。二十歳の頃、デビューした彼女 は当初人気が出ず。普通に演じられるようになった のはヘレン・ケラーの教師役を演じたアーサー・ ペン監督の「奇跡の人」で、アカデミー賞を獲得 した時から。10年の歳月が経ってました。 でも、晩年の方は何に出られてたのか、よく知りません。 で、人気を考えると、アン・バンクロフトの個性 まで決定的にさせた「卒業」に出ていたキャサリン・ ロスのことを僕は考えます。高校時代、本当に好きで。 なぜか「ローマに散る」っていう地味な、優れた 政治映画と2本立てで上映された「卒業」のリバイバル 上映をはじめ、「潮騒」とか「明日に向かって撃て!」 とか、ロードショー、リバイバルと追いかけるように 見まくった記憶が。 で、そのキャサリン・ロス。 最後に映画館で見たのはリチャード・ブルックス監督の 「シークレット・レンズ」って映画で。大学時代のはじめ の方だったから80年か81年の暮れですね。登場して、 15分ぐらいであっという間に消えて、2度と戻って こなかった(当たり前か、死んじゃう役だった。ちょうど、 「マーズアタック!」のマイケル・J・フォックスと同じ だなあ、立場も)。 あっけなく、キャサリン・ロスとはお別れとなって。 その後、どんな映画に出てるのかも確認してないし。 同じような形でお別れした女優にドミニク・サンダも います。「初恋」のジナイーダ役にはじまり、「暗殺の森」 「1900年」などなど、シブイ芸術的にも優れた映画に 多数出ていた彼女。最後は91年の2月。「ムーンリット・ ナイト」っていう、エイズの映画を無理に作りました、って 感じのリリアーナ・カバー二監督の作品で、端役やってた のを見たのが最後で。 キャサリン・ロスも、ドミニク・サンダも、最後に姿を 私が見た映画では十分、魅力的に見えました。でも、確かに 人気は下降線だった記憶が。 アン・バンクロフトとは関係ないかもしれん話に なって、この項終わりや。バッテリーが切れそう なんで、写真をはじめ、追加は取材が終って仕事も 終って、家に着いてから、ということで。 あ、これだけは書いときます。 「アフリカ友の会」の友成晋也さん、ほんとうに ありがとう。メルマガに本の紹介してくださって。 感謝してます。 (下)さっき帰ってきました。白浜から。約12時間後 の書き込みですね。で、写真。ヤワラちゃんも考えたけど、 なんか問題起こると嫌なので、やめます。 代わりは、仕方ないので「奇跡の人」のDVD版のジャ ケットで。盲目の役をやった二人(アン・バンクロフト、 パティ・デューク)がなぜか、カラーバージョンで。映画 はモノクロでした。 P・デュークって人も消えたのかなあ?NHKで大昔に 未公開映画で黒人と心でつながる白人の女の子って役の 作品(名前忘れた?)見たことあるけど、それっきり だなあ、僕の記憶では。小説家も俳優も、実力+人気 がないと続きにくい商売。と思いますよ。サリンジャーの ように、絶筆でも普遍の人気って人もいるけど。あ、 そうだよなあ、やはり傑作を書く、演じる、ってのを やると後世には残ってるってことだなあ。当たり前か。
2005年06月09日
8日の午前11時過ぎ。 書き終えると、仕事に行きます。 最近、本当に時間の経つのが早い。 あれも出来てない、これも出来てない、 でも、オレ、床の上に倒れて寝てる、みたいな。 布団とか被ってなくても風邪引きにくい 季節になってて良かったよ。 で、今日は不肖・宮嶋氏の写真集「イツデモ ドコデモ ダレトデモ」にまつわる話を。 2003年11月11日。 忘れもしません(といいながら、日付けあってるか、考えて おろおろする自分がいたりして)。この写真集と初めて 出会った日です。 新宿の「ロフト+ワン」で行われた不肖・宮嶋氏 のトークショー。勝谷誠彦氏(いまだ、個人的には 面識ありません。これも不義理なんかなあ?本も 贈ってないけど、贈られても迷惑やろし。花田さんには、 WAC出版に送る形で、間接的にやるべきことを やった気にはなってます)と、共同通信の清水カメラマン とかも参加してのもので。 翌日の12日。小説のモデルの件も含め「まあ、気兼ねのお飲もうや」 と不肖から言われてた約束があって。どうせなら、と一日前に 広島から東京へ行ってたわけで。 トークショーのチケットが広島でも手に入ったのが あとで考えたら奇跡的だったらしいのですが、ともかく このトークショーに行ったわけです。 で、ここでトークショーはともかく、たまたま横に座られた うら若き女性と私は知り合いになって(最近、連絡が来なく なったので、たぶん身辺の変化があられたのでは、と思って ます。あくまで、ただの友人でしたが)。不肖というか、司会 やってられた勝谷さんの声よりも、彼女のほうが気になったの は事実ですし、彼女を見る視界に写真集を持った男が入って きたわけで。 見たこともない写真集。でも「不肖・宮嶋」って書いてある。 途中休憩の時だったか、帰り間際だったか忘れましたが、となりの 女性に「写真集置いてあるみたいやから、一緒に買いにいきません」 と声を掛けた訳です。で、入り口で手に入れたのが「イツデモ ドコデモ ダレトデモ」の試作版。限定20部だったようで、 あとで「誤植とかあってなあ」というのは、不肖から聞いたのか、 担当の小学館のHさんからか?忘れたわ。 ディナール紙幣と、当時開催中やった東京写真美術館での 不肖の写真展の入場券付き、ともの凄いサービス品で。 ピン札やったディナーナル紙幣を、隣の女性とそのあと 一緒に飲みに行った際に落としたのは私らしく、で。 でも、写真集までは失くさんかったし、ただ券はしっかり 財布に入れとった(普通、逆やなあ。ディナール紙幣、 入れとくよなあ、失敗や)。 これが最初のこの写真集との出会いで。 翌日、不肖と約束どおり会った際にも、この写真集の 話は当然出て。「写真展の開始に間に合わんかった」と、 まあ表情も変えんと言ってたなあ。「どうやった?」 と聞かれたのは、ほんまはビビッた。 白黒の迫力、っていうのを感じてたんで 凄い、とは思てたけど、単純に感想なんか言って いいもんか、どうか、考えてしまって。 何と答えたのかも覚えてない。 で、結論からいうと我が家にこの写真集は結局3冊あります。 1冊はその試作版。もう一冊は、本屋に並んですぐ時に “どこが違うのか”と思って買ったもの。そしてもう一冊は 昨年、広島で講演をやってもらった時に、展示即売した中の 一冊を原価で買ったもの。私らしくて、今、手元にはどの時 のものか分らないものが一冊出てきただけ。残りの2冊。 一冊は車の中ですが、もう一冊は僕のぐちゃぐちゃの部屋の 中で遭難してるのは間違いないところ。すまんのお、不肖。 でも、一冊はしばらく、肩身はなさず持ち運んだもんや。 街の中でも、お洒落なバー(行った記憶はないが)でも。 いや、だってこの写真集開きながらインスピレーションに 任せて書いた部分多かったからね。「めっちゃピンぼけ」。 広島の安佐南区の古市と大町の間にある「サンデー・サン」 。あそこで、夜11時から朝の3時まで、って時間決めて 何ヶ月か集中して書いたの、今、思い出した。冬近し、いや そのもので、寒かったよなあ、確かに。 (下)「不肖・宮嶋 イツデモ ドコデモ ダレトデモ」。 「担当者の方が、それでいいとおっしゃったので」と私の担当の 方(文芸社の)は言ってましたが、それでもひっかかるのは、 「めっちゃピンぼけ」の帯に書かれた不肖の写真集の名。「不肖・ 宮嶋」だけになってて。まあ、担当(Hさんだと思う)がOKと いうならそれでもいいんでしょうね。ちょっと、不安は今も あります(って、どうしょうもないけど)
2005年06月08日
7日の午前零時を少し回りました。 15分前の昨日は、いろんなことが ありました。 まあ、ともかく、僕が真っ先にやらないといけない には、神戸新聞のサイトにある「めっちゃピンぼけ」を 紹介してくれた記事のリンク。フリーページにでも これを書き終わったら貼らないといけない。 うまく出来るか?ほんまに、いろんな人に教えて もらっても全然やからなあ。 売れない作家。 今日は、もとい、きのうは二つ、自覚しました。 一つは、海文堂書店さん。 恥を晒すけど書きますね。 仕事に行く前、楽しみにして行ったんですよ、 元町のこの本屋さんへ。 地元の作家を手厚くもてなして下さることで 有名で。 でも、仕入れの段階から文芸社さんに、販促で頼める 2つの書店のうちの一つに指定させて頂いたのに、反応 が鈍くて。それでも、なんとか自分で購入したりして、 10部は置いてもらえる形になってたんです。 が、無名作家の作品だし、どこの馬の骨かも 分らん奴の書いた訳の判らん小説なんか、置いておかれ へん、というのも確かで。 なくなるんちゃうか、とビクビクはしてました。 ただ、きのうは違います。なんと言っても、 地元の大御所「神戸新聞」に紹介されたんですから。 4段で。紹介された神戸新聞のページとともに、店頭近くに 売り出されている地元作家の本、何冊もこの本屋 さんで昔から見てます。だから、販促を頼んだので。 で、結果。 新刊のところにないのはいいとして、文芸社さんの 借りてられる棚の端のほうに、POPをつけたまま 押し込まれてました。本屋さんの入り口からたどり着く まで5分かかる(それはいい過ぎか?)距離です。 誰が見に来るのか、ってところで。返すの面倒だから おいといたるわ、って感じで。 ほんまに、哀しかった。 「神戸新聞」に大々的に紹介されて、地元の、僕が 贔屓してるって文芸社さんにも言い、このページでも 何度か紹介している本屋さんでの扱い。 たしかに、ここの本屋さんに入っていた「めっちゃピンぼけ」 は僕しか買ってないのかもしれません (いや、そんあことはないな。僕以外に一人買って る計算になるな、確かに)。 それにしても。「神戸新聞」に出たら、地元作家なら 贔屓待遇だったはずじゃあないの?海文堂書店さん。 売れ行きなんか、気にしてももうどうしょうもないけど、 この扱いは納得がいかんかった。 で、レジで言いました。「私が著者です」って。 残ってる4冊の中で一番汚れてるやつを持っていって。 買ったのは当然として、一言いわないではおれんかった。 言い出すと止まらなくなって。「売れてないのは、僕も 知ってます。でも、神戸新聞で紹介されたら、ああいう風 (指指した方向には普通の人は知らない、神戸新聞に紹介 された記事の下に平積みになった本がありました)に大切に してくれるんだと思ってました」と言ってしまって。 店長じゃなかったのかもしれないんですが、50ぐらいの年配の 男性の店員の方、恐縮された表情、態度をされてしまって。そん なつもりじゃあ、なかったのに。 故郷には、神戸新聞のおかげで受け入れられた気持ちになりました が、作家(いや、もうバッタモン以下でしょう。偽作家)としては 決定的に故郷に「駄目」と言われた気になってしまいました。たまたま、 鞄に入れてた神戸新聞の掲載ページ、渡してきたけど、「変なやつ」 と思われたぐらいかもしれず(ちなみに、ここの本屋さん、地元の 作家さん、出版社さんの本なら絶版になっても置いてくれてたりする 地元の作家さんにとっては本当に素晴らしい本屋さんなのです。本当に)。 「エスケープ!」だの、「ずっと逢いたかった」だの、同じ文芸社でも 企画出版の本は、ポスター付きの店頭販売。どうしてそうなったのか、まで 言及するのは、まだ時期尚早なのでやりません。 で、もう一つ。 何度も書いている通りで、僕の本は売れてません。 嘘書いても仕方ないし、50軒以上の本屋を見ての 結論なので間違いない。で、そんな本がなんでネット 上(AMAZON、YAHOO、楽天)で見ると、 売れ切れだの、在庫確認だの、4週間から 6週間手に入るのにかかるだの、出るわけ? 売れてないんやから、すぐに出せるのが基本と 違うのか? 不肖・宮嶋君は、自分のサイトで「めっちゃピンぼけ」を 紹介してくれた上で、アマゾンにリンクを貼ってくれてます。 それが無駄に近くなってる、というパラドックス。 売れん本屋に、ぼやっと本が並び、ネットで申し込んで くれた方には「申し込み取り消し」だの、一ヶ月かかっても 届かないだの、矛盾が起こる。 そりゃあ、キレますよ。 確かに、本屋で売れてないんだから、注文が 殺到することなんかない。 でも、これもからくりがあって、本来の流通ベースって 言われてる三千冊出てないんですから。 商業ベースで出てるのは、あくまでわずか千8百冊です。 注文殺到したくても、本の注文受けてると あっという間に在庫パンクや。 刷る気にならない限り、返本を待つしか ないんやから、下手な宣伝も出来ん。 出版社の言い分も分るけど、割り切れん。 悔しい。何に対してやろ? 一番はどこの誰が見ても、読んでも 後世に残る、って褒められる小説が書けなかった オレの頭の中が問題なんやろなあ。 払ってもらった金額に見合う小説程度では、 駄目だったっていうのはよく分りました。 でも、前もって言っておきます。 宮嶋君が前線で活躍を続ける限り、後世で 必ず希少価値の出る本です。内容に関係なく。 彼の全面協力があった上に、彼とは別人格 のカメラマンを仕立て上げ、フィクションと ノンフィクションの融合を考えた小説。 そんなもん、二度と出るかい。 確かに、切れ味鋭い小説家が書くような言葉の キレはないかもしれん。でも、内容は今、を考え させてくれるもんに仕上がってたはずや。 たとえば。 6日付けの「神戸新聞」の夕刊。1面のコラム、 随想のページ。勝手に僕が敬愛してる柳田邦男さんが 書いてる。題名は「トラウマの発見」。内容は、心の 傷に対する日本での認識の話。自作の「零戦燃ゆ」 の取材の際の逸話で、戦前の日本。「敵前での神経症 や精神病などということは、恥とされ、記録すべき ことではないとされた」という事実を柳田さんは 書きつけてます。 先日の「JR尼崎の事故」の対応など を見る限り、ようやく精神側面からも見なければならない、 という価値観が根付きはじめた、と柳田さんは締めくくって ますが、じゃあ戦前と同じような教育を受けたらどうなるか? って、問題にも「めっちゃピンぼけ」は触れてます。 オレら実際、その教育を受けたんやから。 《詳しくは。宮嶋茂樹著「不肖・宮嶋青春記」(WAC出版) を読んでね!》 もうええわ。何でも。ここのページを覗いてくれて 励ましてくれた方々、ありがとうございます。弱気に なってるわけでもなく、次も小説、絶対書きます。ただ、 賞を取らずに売れる本を書く、と言う観点から考えると 今回以上のチャンスはなかったんじゃないかな、と (いや、まだあるかもしれんけど。生きてる限り)。 ここまで書くのに一時間以上かかった。 ただのアホやな。でも、愚痴なんですが、この 日記にはいろんな出版や本の流通に関する今の気持ちを 正直に書いてます。 紀伊国屋が、ジュンク堂が近くにない方、本屋に行くのが 面倒な方。僕が代わりに行って、本を取ってきた上、サインして 送り返します。今は無価値かもしれませんが、置いておいて もらえば、僕か宮嶋君の今後で価値が大きくなることは保証 出来ます。稀少本になって欲しくないけど、いざとなれば それも納得しないといけないんだろうなあ。 (下)きのうの取材で使えんかった写真。百万円を会長から 贈られたボクサー。「これまで50万円ぐらいしかみたこと なかった」と、ほんまに目を白黒で。リング禍がなかったら、 実名で書きたいけど、素朴なボクサーです。 「プロやから、いい試合したらお金もらうのが当然」と会長。 小説家も同じはす。だから、僕はまだ「いい小説」を書いたこ とにならないのだけは確かです。“プロ”って自分で宣言して も、出版社、編集者を含む読む側のプロがほとんど認めてくれ ていないという現実。 ここで、へこたれたらただの小心者、負け犬で。どれだけ愚痴 書いても、へこたれません。プロとして認められるまでは。
2005年06月06日
現在、6日の午前11時少し過ぎたところ。 昨日は世間の暦どおりにお休みでした。 ただし、どこからどこまで、とは言いませんが 爆睡状態。 ほんまに、疲れてたんやと思う。 安田記念の馬券も買いに行けんかったし。 夕方、夕涼みにもならんけど、須磨の 海岸へ行ってみました。 梅雨入り前。でも、気温は30度近くで。 全く夏なんですが、湿度がそれほどなくて 気持ち良かった。 まだ、海開きまでは少し日があるので、海の 家の設営も始まってなくて、砂浜がほんとうに 広々と見えて…。家族連れだらけで、子供 で浜辺は賑わってました。 写真とか、考えてもいなかったので、また いつも通りで、ポケットカメラ代わりの望遠 のないデジカメで何枚かを。のんびりしてたよなあ。 珍しく、ジェットスキーの連中もいなくて、 子供の声は心地よく響いていたので、気持ち 良さだけが残りました。 小説「めっちゃピンぼけ」で、登場する須磨の海岸は 僕がきのう、ぼんやり過ごしたところよりも姫路寄り を想定しましたが、海辺の状態はこういう海の家が準備 に入る前の、凪いだのんびりした状態を頭に思い浮かべて 書いた(書いたのは広島で、ですから)もんです。 もう一年半以上前になるんだな、とも思って。 で、爆睡してた関係で、やらなければいけなかったこと も全部先送り。いろんな方にまた、不義理状態になって しまった。でも、ここを読まれた方、許してください。 耳が土曜日にまた、反響するようになって、どうしょうか、 と思ってたので。よく眠ったおかげだと思いますが、 一日で解消出来ました。良かった! と、今日もあまり内容のない日記ですみません。 (下)須磨の海辺の写真、載せようと思ったけど、どれがいいのか 難しく。いや、出来ばえは似たり寄ったりだったんです。最低ライン の装備しかないデジカメで撮ったんだから。ただ、海辺で裸で 遊ぶ子供の写真と載せた写真とで迷って。やっぱり、小さい子供 を勝手に撮った裸の写真って、変に利用するやつとかいたら嫌なんで やめときました。夏のはじめを示す、それなりの写真だったんですけどね。 代わりに、まだ夏のはじめなのに、早くも秋が忍び寄ってるのを感じて 撮った一枚を。写真に入っている親子(かなあ?)は僕とは無関係 です、念のため。
2005年06月06日
5日。午前9時45分、というところです。 きのうは、メンテナンスにやられてしまった。 きちんと書き込みたかったのに。 嬉しかったこと。 神戸新聞さん、やはりボツじゃなかったって ことで。4日の朝刊、25面の地域統合ページ に4段の囲みで大きく小説「めっちゃピンぼけ」を 書いた作者として紹介されました。 見出しが「『不肖・宮嶋』に同級生がフォーカス」 だったのは、違った意味で笑ってしまいましたが。 だって、不肖が二十代半ばに活躍してたのは「フライデー」 のカメラマンとしてだったですからねえ。 でも、この見出しのぼけ具合も好きだなあ。 本当に、ありがとうございます。 取材してくださった神戸新聞社会部の森本記者。 それに、ボツにせず、じっと机の中に入れて 保管しておいてくれたに違いない 神戸新聞の社会部のデスクさん。 なんか、やっと居場所があったような 気がしてます。これで、売れ行きが劇的に 変わる、とも思わないけど、少なくとも 神戸というか、兵庫県内の書店で僕の本を まだ置いてくださってる店は、宣伝してもらい やすくなったのでは。 本屋さん。 川西市とか宝塚市、姫路市の様子が分ってない のですが、もし1冊でもまだ置いてくださってる ようなら、 紀伊国屋川西店(川西市モザイクボックス4階)、 キャップ書店逆瀬川店(宝塚市逆瀬川アピア3階) ユートピア中筋店(宝塚市中筋) 阪急ブックファースト宝塚店(Gコレクション阪急宝塚1階) ジュンク堂姫路駅店(姫路駅ビルフェスタ3階) ブックスサンヨー山陽ブックセンター(姫路市) なんてところの宣伝やりやすくなったのでは。 もっとも、まだ本があると仮定しての話なのですが。 こういう店の近くの方、良ければ覗いてあげてください。 まだ、あるようでしたら希少価値が絶対出ますので (哀しいけど)家に持って帰ってあげてください。 それと東京の方、というか関東の方には本当に お願いしたくて。東京で全く売れないってなんでなのかなあ? 紀伊国屋に限っても、渋谷が10冊置いて一冊の売れずに 返本。それでも1冊棚に残してくれてるのが救いですが。 新宿店や新宿南店も右にならえ、で時間の問題かなあ。 1ヶ月でこの3店に限っても計35冊も置いてくれて 売れたのが2冊だけでは…。よく、本屋さんが 我慢してくれてるなあ、と思ったりもします。 評判は悪くないようなので、口コミで「不肖・宮嶋を モデルにした小説がある」というのは、広がっていって ると思いますが、いかんせん、宮嶋氏のファンに浸透した 頃には、本屋さんに本がない、って事態も十分。 まあ、それはそれで「幻の名作」として、偶然 読まれた人の心に残る、ってことにもなるから いいかなあ、って?よく、ないよなあ。 で、買って読んでね! また、宣伝に費やした日記になった。 次は、内容のあるものにするね。(下)「神戸新聞」(6月4日付け、朝刊)に取り上げられた 「めっちゃピンぼけ」と著者の私。写真は本がなくて、私の 顔写真だけやった。これで悪さが出来んようになってもた。 本屋さんや、『セブンイレブン」のメール便との死闘がやり にくくなってしもうたなあ。って、こんな場所で、闘ってる 自分がちょっと情けないのは確かやなあ。
2005年06月05日
午前一時半。 休みも終って、だけど、 いろいろあって。 オンライン系のYAHOO、楽天が品切れ、在庫確認 になって。YAHOOも注文可能だけど手元に届くまで に一ヶ月ぐらいかかる、っていう表示(実際には 確実にもっと早く着きます。出版社と掛け合った 私の感触ですが)が出て。 あ、拙著「めっちゃピンぼけ」の話ですよ。 で、もし3刷目にならなかったら、出版社に返本 されたものを再度、きれいにして出荷するまで 待たないといけないので約1ヶ月、オンラインで 本が動かなくなってしまう。まあ、実際には もっと早く動くでしょうが、僕の手元にまだ50冊 ぐらいはあるだけに、それなら読みたい、という方 に手渡る努力をしない手はない、ということで。 で、楽天でのフリマオークション、AMAZONのマーケット プレイスに出品しました。ともに20冊ずつ。ここに書いてる 通りで、サイン本希望の方にはサインしてお送りします。 少しでも早く、読みたい方の手に渡って欲しい、と切に 願ってるわけで。売れてる、売れてないは関係ないです。 読みたい、と思った方の手に一日でも早く届けたいって 希望で。 フリーページで紹介している「めっちゃピンぼけ」の感想。 本メールアドを公開している関係上、直接僕の元に寄せら れるものが圧倒的(それ以外は今ゼロ)なのですが、一ヶ月 で14にもなりました。ただ、読んで面白かった、面白くなかった、 って、本を放り投げてしまう習慣のある僕など、感想を寄せて 下さった14名の方にはいくら感謝してもし足りないぐらい。 貴重なお金を使って下さった上に、貴重な時間を使わせ、その 上、読後の思いまで寄せてもらって。 僕は、やはり幸せ者というべきでしょう。 現在、出版社が注文を受けて出荷が出来ていない数が 百冊少しで、これが5百冊を越えてこないと増刷はない そうです。どういう売れ方をしているかは、大阪、京都、 そして兵庫と3都道府県の「めっちゃピンぼけ」を置いて 下さっていた本屋さん50軒以上を回った僕は自分で よく分っています。 今のところ、出版社さんの考えは間違えていません。 でも、「判断、間違えてました」と言ってくれれば、うれしい じゃないですか。そう言ってくれるようになった時には、 「めっちゃピンぼけ」は、ヒット作になっているでしょうし。 新刊じゃなくなってるので、どこまで耐えられるか、ですが。 一冊でも多く、読みたい人、興味のある方の元に届いて欲しい。 読んで楽しんで欲しい。 3時間以上かけて、ITオンチは横に置いて、何とか作ったフリマ とマーケットプレイス。手作りと言っていいだけに、 少しはやった、という実感の得られる成果が現れたら 嬉しい。 正直、本当にそうで。嬉しい、と思える時間をどのくらい 持てるか、がこれからの重要課題。本の浸透度がそれに比例 してくれれば言うことないのですが。 (下)今日の紹介は、新作「風味絶佳」に書かれた山田詠美さん のサイン。先の吉田修一君のと同じく、直接もらったものでなく、 三宮のジュンク堂駅前店にサイン本としてあったもの。実に楽し そうなサインです。山田さんの肯定的な人生観まで感じられそう。 今、小笠原が先制ゴールしたところ。 ほんまに、また夜中やなあ。
2005年06月03日
3日、午前11時45分。 今日は、風もさわやかで。 ベランダの向こうに見える須磨沖の海も凪いでいて。 気分的には、やっとゆっくり。 休みです。 ヤクルトの原稿を書き続けた3日間が終って、 文化部用の原稿をさっき送って(どこが休みや、って 感じですが)。 で、久しぶりに映画でも見に行こう、と思った んですが、「ミリオンダラー・ベイビー」ぐらいしか 行けそうなのなくて、せっかくいい天気に一人で映画も なあ、と思案している私が今、います。 でも、良かった。右耳の奥の反響音がなくなった ので、左耳だけしか聞こえないとはいえ、普通に 音は聞こえる状態に戻りました。ほっとしてます。 映画、考えたら見れない状態だったんじゃないかなあ。 反響音で、頭、ガンガンになったはずで、見てたら。 映画の話題。昨年7月、イラクから帰って来てそんなに 経ってない頃に不肖・宮嶋氏と会って、映画の話をかなりしたこと があります。考えたら不肖、「私の異常な愛情」って、戦争映画 中心の映画の本を出す直前で、映画のことで頭のかなりの 部分を使ってた時だったろうし。 「いや、こないだ、悔しかったんや。オレ、知らんかってなあ」 と不肖が切り出した映画。それが「Deliverance」。 邦題は「脱出」。1972年製作のアメリカ映画で、監督はジョン・ ブアマン。「未来惑星ザルドス」や「エクソシスト2」、「戦場の 小さな天使たち」と言った傑作とはいかんけど、カルト的な映画を バンバン撮ってる人で。 で、「脱出」は、この監督さんにしては珍しく、おそらく見た人の ほとんどが秀作であることを認めないといけなくなるような作品で。 確か、アカデミー賞も受賞されへんのは、マイナー系映画の基本で 当然として、ノミネーションは主要何部門かであったはず。 いや、ちょっと、不肖に優越感覚えましたね。私は、これを高校時代 に日曜洋画劇場で、淀川長治さんの解説付きで見てました。もちろん、 びっくりさせられましたよ。何が、って、あんた男しか出てこえへん 映画や。いや、正確には主要な場面に、と言わないかんやろなあ。 でも、セックスシーンはあるんです。だから、想像つきますやろ。 72年。確かにフリードキンの「真夜中のパーティ」のように、正面か ら男同士、を描いたのもあったけど、これは…。そのための映画や あらへんのやから。 4人の仲良しグループが川をカヌーで下ろうとするだけの話。でも、 101分(TVやったからカットもあって90分ぐらいやったんやろけど) 後、見終わって、ただの川くだりの話で「おもしろかった」ってすぐに 現実に切り替えが出来たやつ、ってどのくらいおったんやろ。 私は震えましたね。 その後、ブライアン・デパルマの初期の映画で似たような経験は しましたが。 で、「傑作や、言うて教えてくれた人がおってな。おまえ、しっとう?」 って不肖に聞かれて。「知とうもなにも、男くさい映画、って言われたら 文句なしに1位やなあ。去年、DVDも買ったで」と誇らしげに答えた 私。ぜんぜん、誇ることじゃないのに。 さっき、部屋を少し掃除してたら、そのDVDが出てきて。 で、ここに少し紹介した次第。時には「めっちゃピンぼけ」 から離れてもいいかな、と。 あ、でも宣伝。オンラインの YAHOO,楽天とも品切れ状態(時々、買ってくださって る方がおられたということでしょう。ありがとうございます) で、アマゾンはなんとか受け付けてくれてますが、ネットで 手に入りにくくなってるよう。 で、私の手元には数十冊まだありますので、「めっちゃピンぼけ」 作者からどんどん直販売で買ってくださいね。左のメッセージを 送るのところから、本ほしい、と書いて送ってもらえれば。 サインして送料無料で、即日、あるいは翌日に必ずお送りさせて もらいます、申し込んでいただいた日の。 よろしく、お願いします。 (下)載せてええのか、迷ったけど、全然利害に絡んでないから 大丈夫のはず。「脱出」のDVD版のジャケット。バート・レイノルズ の弓を引いてる画像がシブい、ほんまにシブい映画です。
2005年06月03日
午前4時15分。 なんてことに。 いや、パソコンが水につかったのが すべて。修理なんて出来っこないけど、 やれるだけやってみて…。 で、あきらめて別のPCで。予備の 新しいけど、全く使い慣れてない もので。贅沢や、言わんといて下さい。 昨年、アフリカへ自費取材旅行へ行った際、 現地でもしも、のことがあったら、と 考えて購入してたものなので。 不肖もイラクで故障してエラい目に 会ってたみたいやけど、同じや。 備えだけして。 で、今日の本題。 今年2千本安打を達成して「兵庫県スポーツ優秀 選手特別賞」を授与されたヤクルトの古田選手の 取材に行ったわけです。 野茂投手の日米2百勝は、ホテルに着いた時点で、 この日はなくなってたので純粋に古田選手の取材 に切り替えて。 会社の原稿で使った部分は使えんので、それ以外の ところで。 故郷=ふるさと、について。 『兵庫県は生まれた場所でもありますし、今に至る人格形成も ここで成されたと思ってます。両親も(川西市)住んでますので。 僕は東京ですが、ふるさとは兵庫だと思ってます』 古田選手の声ですが、これ、僕なんかにも当てはまる もので。ただし、兵庫県下というだけで場所は全く違い ますが。 神戸に生まれて、高砂に15年ぐらい住んで、その後が 明石。就職してすぐが西宮。広島、東京に何年か就職 してからいましたが、結局、神戸に戻ってます。 故郷は兵庫ってのは、絶対言えますし、これまで書いた 小説の舞台もほとんどが神戸。「めっちゃピンぼけ」も、 現在進行形で進んでいる部分は、神戸と明石、淡路という 狭い範囲の話になってますからね。 自分のアイデンティティってやつ。きちんとないとやはり、 不安になるんじゃないか。たとえば、ボクシング の徳山君が北朝鮮にこだわるのも、いい悪いは別にして 、どこから来たのか?、をきちんとさせておかないと 自分の存在が揺らぐからじゃないか、と思うのです。 古田選手の言ってるのもそう。僕が神戸近辺にこだわった 小説ばかり書いてしまうのもきっとそうで。 それだけに古田選手が「兵庫のこんな良い賞をいただいて」 と言ってたのは社交辞令だけでない気が僕はします。その夜 の試合で、不振だった彼が3安打したのも偶然ではないのでは? 故郷=ふるさと、っていうのはある、なし、そしてそこで、 自分の存在を認められる、認められない、で、心理的にかなり の差が出るんじゃないか? なんでこれを書くか、というと、僕は神戸の新聞社に就職しながら 不義理(これは本当に不義理でした)して辞めて、東京に本社を持つ 別の会社に移りました。15年以上前のことですが。 もし、不義理をしてなければ、会社にとどまっていれば、 もっと強引にお願いしたに違いない協力(だって、兵庫県を舞台に した世界を相手に描く小説ってそうはないに違いない。出来は別にして) を、頼むことが難しい。故郷にいながら、故郷を一度、捨てたような 感覚がどこか心の中にあるためです。 本当は、泣いてでも頼みたい。4月14日に地元の新聞に取材を受け たのは確かなんだから。それがまだ掲載に至らず、で。 故郷に錦を飾ることまではいかないかもしれないけど、 地元の新聞に自分のことが掲載されることで、なんとなく免罪符を 頂けたような気になるだろう、と想像したのは確かで。 "オレは決して、故郷を捨てたんじゃない”という思いと、故郷の ために何か出来たのかもしれないという達成感。 この土地に再度、受け入れられたという感覚。 今、本当に欲しいのは、その感覚なんじゃないか?単純 に地元の新聞に自分が取り上げられるっていうのが、 それに当たるって考えてしまうところが了見は狭いの ですが。だって、本当に、どこかの文学賞でも取れば、 勝手に受け入れてもらえるに違いないのだから。 キセル乗車じゃあ、乗ったことにならない、って 感じですね。没になった、って連絡もないので、気長に 載る可能性を信じて待ちます。神戸に、兵庫県に受け入れ られないと、行き場がない、って感じ、確かにある。 古田選手の快挙と比べたら、とんでもないことになるし、 神戸ナンバーのベンツに乗る不肖・宮嶋氏のやってきた ことと比較することさえ失礼な、ちっぽけな私のやった こと。それでも、お膝元でくらい、“ようやってるな” と言って欲しい、と心の中で思っていた、ということ でしょう。 まあ、単に甘えですけどね。 甘えても許してくれるのが故郷っていう、 信じられん大甘の考え方をしてたのかも しれません。 あ、あ。朝が明けてもた。 徹夜やないか。 夜中に日記を書くと湿っぽくなるのは、 昔からで。 要、注意! かっこ悪くなったら、今日の日記は削除しますね。 (下)井戸兵庫県知事から表彰状を受ける古田選手。 ここで使わな、永久に没の写真や。ひとつの分野で 一流になる。言葉では簡単やけど難しい。オレなんか、 高校時代の体育祭で百メートル2等賞になった時の しか人様に、表彰ってされたこともない。まあ、 本当の意味での凡人としてここまで生きてきたって 証明かなあ。それも気楽で、実は気に入ってるんですけどね。
2005年06月01日
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