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夜中。というか、もう朝だよね。 午前4時半。なんか、疲れ果てて 午後10時前には就寝。早朝に起きる、 っていう習慣になってきた。 時間的には健康的そうだけど、実際は そうじゃないよねえ。困ったもんで。 昨日は通天閣のお膝元にあるボクシング ジムに行って、世界王者の公開練習の取材。 記者仲間やボクシング関係者は言ってたんだよね。 「たなぼた」世界王者って。 イサック・ブストスって選手。去年の12月に 日本のジムに所属するタイ人、イーグル京和の 試合中に起こった肩の負傷で敗色濃厚だった 試合を記録上はTKO勝ちで王者に就いた人。 でも、違ったよ。 練習見て思いました。やはり、ほんまに弱かったら 世界チャンピオンにはなれません。と、言い切っても いかんか。ほんまに反則勝ち、とかで王者に就いた 人でおかしな人は何人かいるのは確かなので。 初防衛戦。 練習内容もだけど、顔つきと姿勢が。 自信に溢れてる、と思いましたね。 ブストス。三十歳になったばかり、か。 挑戦の時と、防衛戦で顔つきが変わる 外国人選手。何人か、取材現場で見ました。 辰吉に挑戦する前の98年12月に見た ウィラポンと、同じく辰吉を相手に防衛戦 を行うためにやって来た99年8月の ウィラポン。全く、違っていたよ。顔付きが。 防衛戦の際には、サインまで取材の合間に もらってしまった。 自信のオーラ(本当にあると思うよ)が出てた からねえ。初戦で辰吉がKO負けしたのは、 びっくりしたけど、2戦目でもう一回やられた 時は、びっくりしなかった。試合前の 両者の練習、印象とかで。 ブストスも、そうなんじゃないかなあ。 ここで、最強挑戦者とか迎えると、試合 は分らないんだろうけど、挑戦する高山君、 ここまで読んでくれたあなたでさえ、どこの 誰か、詳しいことは分らないでしょう? それでいいんですけどね。日本も、東洋太平洋も、 タイトルを取ったことがない。わずかにある、 日本タイトル戦はTKO負け。世界ランカーに 勝ってランクインしてるから、挑戦資格は確かに ありますが、試された挑戦者ではない。 「たなぼた」王者と実力を試されてない挑戦者の 世界戦、と昨日までは思って「ケッ」と心の中で は通常のタイトルマッチより下に見ていたような 気がします。 今は、違います。 見たいもの。それは、ブストスの自信の裏側、 ですね。これだけ、王者になってしっかりした 顔、いい顔になった男がどう戦うか? 地位が作った顔がホンモノか、どうか? もし、ホンモノ、ならではの試合を見せて くれるようなら、自分らにも置き換えられる 部分があって…。 出版社が「ぜひ」と、本を出すのを願い出る ような者でなくても、出版することで、作家 を名乗る権利を持つことで、得られる自信も あるかも、という。 まあ、ボクシングと小説(本)が一緒って ことは絶対ないんですけどね。 (下)記者会見中に、私が横顔を撮ろうとカメラ を取り出すと、話すのをやめてポーズ。他の記者 には悪かったけど、どこまでもサービス精神のあ る、取材者には好感の持てるWBCミニマム級王者 のイサック・ブストス(メキシコ)。 2005年3月31日撮影
2005年03月31日
日記の更新、体力的な限界もあって2日間に一度のペースになって来てしまった。それでも、アクセスしてくださる方のおられるので感謝しないと。 何とか、時間と体力を工面して更新しないとね。最低でも小説が出版されるまでは。 今日からは甲子園の高校野球から、ボクシングの世界戦に備えたモードに変更。朝が少し楽になるので、今、書いてます。 リトルモアさんからコメントで頂いてたの、面白そうだったから、日記にこうやって書きます。「職業病」についてからの発想で。 僕らの仕事。僕の好きだった作家の一人、島田雅彦さんが「彼岸先生」(何か大きな賞ももらってましたね)っていう、夏目漱石のパロディとも、現代版とも取れる小説の中で、「僕は新聞記者ぐらいにしかなれない」と記者を揶揄していたシーンがどこかにありましたが、その通り、と僕は思いましたね。読んだ時。島田さんは、おそらく、新聞記者の書く文章で、嫌な思いをされたことがあって小説家>新聞記者、という構図をはっきりさせたかったのでしょうが、言葉の制約とか、許されたスペースとかをテクニカルに考えてその構図は正しいかな、と。 制約、スペースに納得出来ない記者、っていう人はノンフィクションの長い文章を書く、という策を取るでしょう。現状に満足してなければ。で、ここで現れるのは、新聞記者を含むノンフィクションライターとノンフィクションを書く作家との線引きです。 僕が新聞記者になった頃、はやっていたのはニュージャーナリズムって言葉と手法でした。一人称を使うなら自分が見たことしか書かない。三人称の場合は、取材して来たことをシーンに見事に溶け込ませ、見て来たかのような場面を再現する。 ゲイ・タリーズの「汝の父を敬え」などを一つの頂点とした手法。難点は、事件とかが起こった時点より、かなり遅れて発表される、ということにならざるを得ない、ということでした。日本では柳田邦男さんの「空白の天気図」とか、本田靖春さんの作品がそれに当って、面白かったけど、じゃあ、これらの作品と小説家の書く、実話を元にした小説との違いは?ということになって。 カポーティの「冷血」。映画と小説との間で、使おうと思ってたけど、ここで書きます。これは本当に、面白い。じっくり、殺人者を取材して、虚構をはさまない、という努力を極限までして、文体は三人称。これを実話と知らずに読めば、十分どころか一級の殺人者に対する心理ノベルとして読めます。けど、実話。これは変えれません。「冷血」をノンフィクション作品として評する人もいるのでしょうが、基本的にジャンルは「小説」に入ります。作者の意思の問題で「小説を書く」と表明して書かれたノンフィクションは、ノンフィクション扱いされない。 吉村昭さんの「戦艦武蔵」などが日本でのこのケースに当るっていうのは、沢木耕太郎さんなどが死ぬほど昔書いてたことで。吉村さんなど、ノンフィクション小説などというジャンルさえ認めてないと聞きます。彼らには「小説」を書く、という意思しかなく、たまたま素材が実話で、変更が出来ない事実ばかりだから、従ったまで、ということで。 これ以上書くと、論文になっちまうので一度、止めますが、なんで「職業病」からこれを連想したか、というと、昔、この仕事を始めた頃。たとえば、神戸でのユニバシアード大会で、ソ連の大学生、イゴール・パクリンが走り高跳びの世界記録を出した際に、僕が書いた原稿は相手の心理、心に入りこんで書く、ということが、心掛けていた、というよりも自然に出来ていた。競技終了後の、会見で聞いた言葉で相手の心理まで考え、その上で、一人称の許されない新聞という媒体に、どう三人称で書き込むか、を瞬時に考え実践していた気がします。その時に、手法がどうで、とか細かいことは一切考えてなかったのは覚えてます。 今。相手の心理の奥まで考えて新聞原稿を書く姿勢ってあるか、と言われれば、はっきり「ノー」と言えます。前回の日記の通りで、署名でない、というのも大きい要素を占めますが。 小説を書く、はともかく、何かを文章で創造している、一つの表現手段だ、ということを意識せずに生み出される新聞原稿やノンフィクションって、やはり、島田氏のいう小説家>新聞記者、と言われても仕方のないものになっているような気が。 何かいてるのか判りにくいかもしれませんが、結局、その仕事に対する愛情が仕事ぶりにも反映するのではないか、ということで。小説を書くことを愛する人は、たとえ素材が事実でも「小説」に固執するでしょうし、柳田氏らのようにジャーナリストの使命を信じる人は「ノンフィクション」に固執するに違いない。「アンダーグラウンド」を書いた際の村上春樹氏がどうだったのかは、僕は調査不足で知りませんが。 で、どちらにも固執出来ない、中途半端な僕のような連中だけが、やれ「ニュージャーナリズム」だの、「ノンフィクションノベル」だの、手法の話に固執する。抽象的だけど、事実と思うのは、どんな仕事でもそれに「愛情」を持てなくなるのが職業病、の最たるものでは?一流の人は、おそらく職業病、なんて言葉も使わないと思うし。たとえば、イチローが手にマメだらけとして真剣に「職業病です」なんて言うわけない、と思うのです。 自分が何をしたいのか?今、小説を書き続けたい、と思ってるのは事実ですが、全く書くのを止めている状態で。記者としては、そつなくこなす、は出来ている以上だと思いますが、それだけのことです。誰や?四十にして惑わず、とか言ったんは?まあ、なんであれ前向きには考えてやっていきますけどね。 (P・S)勘違いが一箇所。ニュージャーナリズムは三人称の文体を用いる場合だけだったですね。一人称は「私ノンフィクション」とかいう分野で、沢木耕太郎氏が『一瞬の夏』で試みてました。この作品が、新田次郎文学賞(文学賞!)を受賞したことでも、ノンフィクションという分野が認められるのが難しい、というのが分りますが。 (下)学生時代に、教科書のつもりで何度も読んだカポーティの「冷血」(新潮文庫)。文庫本になった際の初版で、昭和53年9月26日発行となってます。
2005年03月31日
削除しました。 コメント下さってくれていた方、 すみません。
2005年03月29日
「泳ぐひと」(フランク・ペリー監督、68年)がそれで。場合によっては、これまで見た映画の1位に僕が挙げる作品でもあります。 バート・ランカスター演じる主人公が、水泳パンツ一枚で友人の家のプールに現れる。そこから、主人公は友人の家のプールを次々と訪ねて泳ぎながら家に帰る、っていうことを試みる。 ストーリーはそれだけです。 ランカスターが演じる中年の晩期に差し掛かっている男のパンツ一丁の肉体が見所の一つにもなってて…。この男、映画のラストまで、ついに水泳パンツ姿だけで貫き通して描かれてます。 まあ、寓話か怪談と言っていい。でも、郊外のプール付きの家、つまりアメリカで成功した人の象徴となっている住まいを裸の男が訪ねて回る、っていうとんでもない発想から、残酷なまでに主人公、そして周りの人物の真実の姿っていうのをこちらに想像させてくれる映画になってます。寓話であり、現実でも通じるってところがミソで。 チーバーの原作は、僕は原書(短いので読みやすかったのです)でしか読んでません。ただ、これは映画の勝ち、と思った記憶はあります。 なぜなら、映画のランカスターの50を過ぎても鍛え抜かれていて、だぶついてない肉体っていうのが、余計いろんな悲劇的要素を感じさせてくれていたためで、言うまでもなく、小説ではこの肉体を表現するのは難しいし、短編では絶望的と言って良かったと思います。 映画と原作の間、の中に入れましたが、これはともに同じテーマで。で、本来、奥行きは映像があって想像力が限定される映画よりも小説の方が深いケースが多いのですが、これは逆でした。 (下)「泳ぐひと」のレーザーディスクの表紙。 長い間、私はこの作品をこのディスクか、VHSの ダビングテープで繰り返し見てました。ネットで 調べると、昨年6月にDVD化されてるみたい。 買いに行こう、と。フランク・ペリー監督の作品、って DVD化されにくいみたいで「リサの瞳の中で」と「去年の夏」 って二本も、僕は見れてません。「去年の夏」は、 エバン・ハンターの原作が残酷でせつなくて、って青春もの で、本当に是非見たいのですが。
2005年03月26日
今日は、本当に寒かった。甲子園の記者席。第3試合は、なかなかのもんで、熱い試合内容とは違って、震えざるを得ないもんねえ。 私は右眼に眼帯をして以来、もう全く人の目が怖くなくなったので、堂々と真冬と同じ黒革のコートに、黒革のパンツ、それに黒革のブーツ。ついでに花粉症用の大き目のマスクもして、もう誰が見ても立派な“怪しいおじさん”状態となって。異性の目を気にしなくていい、と開き直るとこうなるんだよねえ。甲子園での寒さ対策は確かに万全だったけど…。 花粉症が治まって、右眼が治った折には、失われた時間の分、取り戻さないと。やはり、人間、見映えも大事やで、と思ったりしてます。 まあ、慶応高校が勝ったので、来週の火曜日には昨日の日記に書いた友成さんとは、甲子園で再会出来そうで良かった! 「めっちゃピンぼけ」っていうと、やはり、ロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」(ダヴィット社、および文春文庫)が本家、ホンモノなのは言うまでもなく、不肖が十八番にしていたようにタイトルをパクリ、もとい、参考にさせてもらったのは確かです。 で、本題。 昨年、出版を決めた直後に、手にした本で「ロバート・キャパ最期の日」(横木安良夫著、東京書籍=1800円)があります。これが、面白かった。「崩れ落ちる兵士」や「ノルマンディ上陸」の写真などで、すでに名声を得、二度と戦場の写真を撮らないと宣言していたキャパ。1954年、日本を訪れていたキャパが、なぜ、急にインドシナへ行き、地雷を踏んでサヨウナラ、となったのか?横木さんは、丁寧にキャパの足取りをトレースして、迫っていってます。 横木さんが得た結論が僕には凄く思えた。実に丹念にトレースした結果として、横木さんはキャパが漠然と地雷に触れたのでない、という結論に達します。その日(1954年5月25日)、心掛けていた象徴的な写真を撮れるベストなアングル。それがキャパの地雷を踏んだ時点だったというパラドックス。つまり偶然、キャパは自分の死ぬ場所を自分で選んでしまったのではないか、という結論。 唯一の、最高のベストショットを撮れる場所。それが死に場所だった、というのが本当だとしたら凄い。横木さんの丁寧な取材はこの仮説を「そうに違いない」と思わせるものがあります。そして、今、考えると…。 「めっちゃピンぼけ」を読まれる方には、失礼なのですが、小説の後半、はっきりとこのキャパに関する横木さんの仮説を下敷きにした方が、読者を納得させれたかも、と思えるところがあります。 作者(私)の技量の問題なのですが、もっといい作品に出来たかも、と思うところも。もっとも、そう思って書き直しても、考えた通りにいかない、って経験は何度もしてますから、今のままでも十分合格と思ってますが。 でも、横木さんの本を読むまで、つまるところ、「めっちゃピンぼけ」執筆中は、キャパは偶然、地雷に触れてしまって40歳の生涯を突然閉じる結果になったと信じてました。同時に、日本に来ていた時点で終っていた写真家だ、とも信じて。 違っていた可能性が今は、高いと思ってます。キャパは最期まで、やはりキャパだった、という方を信じます。そして、そう僕に見方を変えさせたという点からも、この「ロバート・キャパ最期の日」は凄い本です。なにも、ノンフィクションの賞、当ってないんやろか?もし、そうやったら日本の出版界も暗いのお、と不肖タッチで。 (下)「ロバート・キャパ最期の日」の表紙。写真を使わず、一見地味なカバーが作者の“文章で納得させたる”という意気込みのように僕には取れた。さすがに、本の本体には入れられる限りの参考写真が放り込まれている。キャパが最後の撮ったカラー写真の緑の草原が、目次の前で見るのと、本文終了後にもう一度使用されているのとで、全く違った印象で見えるのが凄い。
2005年03月24日
右目のことや、風邪、花粉症もあり、昨日は夜の九時前には就寝してました。で、日記の更新は、深夜のこの時間に。 昨日は、会える予定だったある人に、雨の影響で会うことが出来なかった。友成晋也氏。ガーナの野球元ナショナルチームの監督で、NPO[アフリカ野球友の会」の代表を現在務められている方。母校の慶応高校が45年ぶりに選抜出場することで、東京から応援に駆けつけることになってました。 朝、取材先の甲子園からすぐに友成氏には電話を入れ、開会式だけで試合自体は順延になったことを報告。夕方に、再度連絡すると「あした(24日)は仕事が休めないんですよ」と、母校の初戦が見れなくなったことが残念そうでした。ただ、一回戦を勝った場合、来週の火曜日は来られるということで「その時にお会いしましょう」と獲らぬ狸の約束を改めてしました。 友成氏との付き合いは昨年の春からで、約1年なのですが、割と要所で取材、プライベート両面で助けてもらってます。今日の日記を「めっちゃピンぼけ」のカテゴリーに入れたからには、その説明がここからのメインで。 友成氏の名前をはっきり意識したのは、昨年2月に南アフリカのケープタウンでした。ケープタウンでJICA(国際協力事業団)から派遣で野球を教えに来ていた浦野英一君に「ヨハネスブルグの毎日新聞社の方に渡してもらえれば」と、手渡されたのが「アフリカと白球」(文芸社)という本。“渇いてるヤツはこれを読め!”ビートたけし、って帯が印象的な野球の本。当時、勤務地だった広島で出版された直後(2003年の夏ごろ)に、多くの本を購入した際の一冊として僕の書籍にも埋もれてたのですが、まさに”積読”にしていた一冊でした。 野球の本の一冊として、買ったまま放り出していた本と、アフリカ大陸での再会。白地に赤のユニホームをあしらった表紙、黄色っぽいビートたけしの帯の写真。ケープタウンのホテルで、改めて本を見返すと、すごく魅力的に見えました。コピーも、自分が日本で買った時と、全く違うイメージに感じられて。 自分探し、に出てた訳じゃあないですが、何とか現状から違う形の仕事も出来るっていうことの証明が出来ないか、と模索しながらのアフリカ取材旅行(当然、自費で。帰国後は少なからぬ貢献を会社の出版物などにした、と自負はしてます)の最中だったことも手伝って。 で、帰国直後、取材担当していたプロ野球広島カープで、あることから友成さんの名前を聞きます。スポーツ紙もそれなりに扱いましたから。キャンプ中に不祥事を起こした選手の罰金をガーナの野球支援に回すというもの。ここで、現実に取材で友成さんと初めて接することに。 以後、他にもいろいろあった結果。昨年9月に、五輪での野球存続の話を本に出来ないかな、と思って友成さんに相談しました。その際に、文芸社から出版された事情と、作者に対する扱い(友成さんの本は7刷までいった、それなりに売れた本となったこともあると思いますが)が丁寧と聞いて、“じゃあ、頼んでみようか”と考えたのが発端。 文芸社の方と実際、お会いして企画だけだった野球の話より、原稿がすでに出来上がっていて、発表するあての全くない小説「めっちゃピンぼけ」の方が、早く出版出来るってことも分って。なぜか、そのタイミングで不肖・宮嶋さんに、会社の仕事の一環で講演もやってもらわなければいけないことになり、宮嶋さんに協力してもらってばかりで、出すあてもない小説のモデル、はあんまりやなあ、と真剣に考えて、出版を決めた次第。 もちろん、協力出版の評判は今ではある程度知ってます。でも、乗りかかった船。大きな穴が開いてても、氷山にぶつかると分っていても出航した以上は、やります。友成さんほど本が売れても「出資したお金は全部は返ってこないですね」というのが、この出版形式の辛さ。 ただ「文芸社から本を出して、本当に良かった」と友成さんが、心の底から思ってる、としか思えない表情で語るのを聞くと、金の問題だけじゃない、とも思えるのです。 実際に本を出して、広がる世界。それに僕は期待してます。交友関係とかも含め。友成さんの本は、他の大手出版社は内容のあるなしでなく、商業ベースで採算が取れないから、と出版を断られた、と聞きます。もし、文芸社がなければ、本はあったとしても、広島で僕が買い、南アフリカで手渡され、みたいなことは起こってなかったかもしれない。 作品の出来の問題(どんな作者でも小説の場合、完璧だ、と思うことはないと思います)、冊数の少なさの問題、その他の周辺の雑音、といいことばかりじゃないのも分ってます。でも、サイは投げましたから。 結果は、近い将来に自分に跳ね返ってくるはず。 それがいい方向にいくことを願うばかりで。 (下)「アフリカと白球」(友成晋也著、文芸社)の表紙。 ビートたけしのせリフが利いてる。でも、アフリカでは別の 意味で「渇いてる」状態の時、この帯を見たのでコーラが 飲みたくなったのも事実で。実にベタですが。
2005年03月23日
ちょっと、固めの話題が続いたので、今日は久々に、純粋な旅の話を。 昨年2月。ルワンダに行くことを計画した時に、出てきたルートは2箇所でした。ケニア経由と南アフリカ経由。多くの人はルワンダのビザの件(日本では大使館がないので取れない)があるので、比較的楽なケニアのナイロビ経由を薦めてくれましたが、私は南アフリカのヨハネスブルグ経由を選びました。 何回もアフリカへいくチャンスなんかある訳ないのに、最南西端の喜望峰を見ずに帰る手もない、と思ったわけです。 いや、本当に夢を見てましたね。中学生の頃、ラルフ・ネルソン監督の「ケープタウン」という映画が見たくて見たくて。誰の映画評を読んでも、どうしょうもない作品ってのが分ってながら。その後も、日本人のボクシングの世界タイトル戦が政府の勧告もあって(アパルトヘイトを引いていたので、渡航が許可されなかった)中止になったり、と遠い国、憧れの国、として南アフリカはありました。 喜望峰を回り、大西洋からインド洋へ漕ぎ出し、インドへ到達したバスコ・ダ・ガマ。現在では、遠洋への長い船での航路はただ退屈なだけで、ガマの頃や、コンラッドの小説に出てくるような異国情緒ってものはない、と知ってはいます。それでも、日常からの脱出を夢見る、僕のような平凡な会社勤めの人間にとって、アフリカの端とか聞くと胸が騒ぐし、そこに見える何もない水平線、とかいうと「永遠の自由」とかいう、ただ言葉だけで内実のないセリフまで頭の中に湧き出してきてしまう始末でした。 要は、ルワンダで虐殺がらみの取材を予定してましたから、その前に、これまで行きたい、と思いそこへ行くことに日常脱出の「希望」さえ見出していた「喜望峰」を訪れて満願成就で、悲惨な地域に入ろう、と考えた訳で。 で、結果からいうと、見事に裏切られました。何を期待してたのだろう、僕は。喜望峰も、近くのケープポイント(眺めはこちらがベスト)も。実は、失望させられました。曇り空、という天気の問題もあったでしょう。でも、そこに見えるものは、自然の風景しかない、という当たり前のことが判ってなかった。別名の「嵐の岬」、ってほどじゃなかったですが、水平線を見るのがやっと。雲は出て、海はねずみ色。「永遠の自由」を約束するどこまでも青い海が…、ってことは全くなかったわけで。 あげく、「喜望峰」の看板は、欧米人のただの観光スポットで、かつ、これがちんけなんだよなあ。 勝手に喜望峰に希望を見出していた、地に足がついていない中年サラリーマンの姿。喜望峰を前にした僕の姿はまさにそれ。まあ、おかげで、ルワンダに入ってからは、地に足が何とか着くよう浮かれたことは考えず取材にまい進(一部嘘あり)しましたが。 (下)チンケな看板に群がる欧米人。全く、何もない場所に「CAPE OF GOOD HOPE」はあった。本当に、何を僕は期待していたのだろうか?いまだに、分らない。
2005年03月22日
花粉症で、ついに右目の角膜をダメにしてしまいました。昨日は、深夜に救急病院に運ばれる、というおまけ付きで。 ということで、今日からしばらくは右目に眼帯、コンタクトはやめて、メガネの生活。目に続いて、今日は鼻もおかしくなって四六時中、鼻水が流れっぱなし。たまんないよ、本当に。 それでも今日は、姫路へ行ってきました。アフリカを活動のフィールドにして、本当に真摯で、地道な取材活動を続けるフリージャーナリストの下村靖樹君の講演を聞くためです。 前日、京都で不肖・宮嶋さんの話を聞いていたので、ちょうどいい感じに、カメラマンとジャーナリスト、との違いが自分なりに、分った気が今日はしました。二人とも、結構、付き合っているのに、今頃、って感じなのですが。 宮嶋さんは表現手段として、まずカメラありき、で、報道の価値を重視した上で、考え撮る、という姿勢でいるような気がします。テーマとかは二の次っていう感じで。下村君の方は、一つのテーマに沿って取材し、その表現手段として自分が慣れ親しんでいるカメラ、を使うという入り方のような気がして。 下村君は今日の講演でも暗く、陰惨なウガンダのチャイルドソルジャーの話に入るまで、きちんと前戯ともいうべき、アフリカのおさらい、を中、高校生が多い入場者に分ってもらうためにクイズ形式でやったりと、まずテーマに興味を持ってもらうことからスタートする。そして、映像や写真を使って、本題をじっくり説明する。 完全な解釈をない、というのは宮嶋さんと同じで、二人とも自分の理解できている、自分の背丈以上のことは言いません。その範囲で、カメラで撮るものがなければなにも始まらない、と考える宮嶋さんとテーマが見ているものや読者に伝わるなら、どんな方法でも、と考えるのが下村君です。 甲乙は、実はない、と思ってます。ただ、宮嶋さんがジャーナリストや国際ジャーナリスト、って言葉を全く毛嫌いするのも分るし、逆に下村君がジャーナリストにこだわるのも分る。 一つ言えることは、有名と無名に近い、って差はありますが二人とも、わが国が誇っていい報道者であるということ。わが国、と言っていい。“決して地を這わないけど、天も翔けない”っていう沢木耕太郎氏が、「路上の視野」のあとがきだったかに記していたノンフィクションライターとしての自分の心構え。宮嶋さんにも下村君にも当てはまります。 「5月にアフリカへ行きます。ウガンダ、ルワンダに、もう一度、ソマリア、それにスーダンにも入るつもりです」 普段の話し方で、花粉症でアフリカの伝染病にかかってもこれほどひどい身なりにはそうならない、というほど眼帯、サングラス、マスク、を妙に配した僕に下村君は言いました。 ソマリアは今、国とは言えません。スーダンはおそらく、まだ虐殺の真っ最中。発表する媒体さはっきりしない自費での取材で、こんなぶっそうな国々には普通行こうと考えない。下村君にとっては、伝えたいテーマがそこにどうしてもある、ということなのでしょう。それがジャーナリストと看板を掲げる以上、当然、と考えてるふしがあります。 宮嶋さんの報道価値に重きを置くのもプロとしては当然と思うし、下村君の採算度返しでのテーマ重点取材もジャーナリストとしては王道、って感じで。 どっちにせよ、ホンマもんはかっこええ、ということです。ちなみに二人とも、播州の出身。宮嶋氏は明石。下村君は姫路。私は18までの育ちの大半を播州で過ごしながら、生まれは神戸。このあたりが、ホンマもん、と違う、バッタ記者、作家の真髄か、と思ったりもして。まあ、自分なりに、がんばろ、っと。 ちなみに、「めっちゃピンぼけ」の主人公はフリー・カメラマンです。フリージャーナリストでは決してない、と今日、改めて思いました。 (下)映像、写真を織り交ぜながら、ウガンダの闇“チャイルド・ソルジャー問題”について講演する下村靖樹さん
2005年03月21日
京都 で一日の大半を過ごしました。 不肖・宮嶋氏と自衛隊の佐藤連隊長とのトークショー を聞く、というところまでは予定通りだったのですが、 宮嶋氏の報道写真展を自分たちの力で開催にこぎつけた 39歳から50歳までの四十代中心の女性6人の取材が 結構、楽しいものになって。 宮嶋氏とは「めっちゃピンぼけ」のカバー選びの件とか、 あったので話す必要はあったのですが。それ以上に、代表の 女性の話が面白かった。 昨年8月、静岡での不肖の写真展を、6人の中の一人の この代表が訪ねたのがきっかけ、というのはよくある話か もしれないけど、そこで“写真展をやりたい”と思いついて、 すぐに会場にいた不肖に直談判する主婦って、そうは居ない でしょう。加えて「いいですよ」と即答する高名な写真家 ってのも。 何日か前の日記で書いたタイで17年ぶりにボクシングの試合 をしたプロデューサー(ディレクターは間違い)と同じくまさに 素敵な四十代という感じで。 みんな子持ちの主婦、しかも子供が小学生から大学生まで多岐 にわたってて。一歩間違えれば、更年期障害も含め、老いへの準 備となる日常に埋没する可能性のある危うい年代のはずなのです が、6人とも性的な意味も含め精力的で魅力的に見えました。「 結構、パワーがあるって確認しました」「みんな“夢”を追える 人たちなのかなあ」と、スポンサー企業が結局つかないままの開催 とあって資金繰りも大変(大体、写真展の相場は二週間で五百万円 前後)なはずなのに、みんないい顔してる。 いい女、って本当に思いました。6人とも。 同じ四十代でも、これからどうしょうか?と思案に明け暮れる 僕のような者とは大きな差で。「これが成功したら、まだ宮嶋さん の写真展をやってない全国6都市で、自分たちの力で写真展を実現 したい」って。へたなスポンサーよりよほど力強い味方を不肖は 得た、ってところです。気さくに、ファンの声を聞く姿勢が生んだ 強力チーム。そういえば、宮嶋氏も43歳。「地震、どうなったか 聞いてへん?」と、九州が震度6と聞くと、この日の予定に関係な くすぐ行けるよう構える姿勢。 やはり、いい顔してるもんなあ、不肖も。 四十代のいい女たちといい男。 前向きの姿勢を失くしたらお終い、と いうことで。たとえ、内心は揺らいでいても カッコつけてもさまになるのは この年代の特権かな、と思ったりして。 (下)不肖・宮嶋氏と佐藤連隊長を囲む 京美人(?)6人衆
2005年03月20日
「誰も知らない」のおかげで、どれだけ僕が現実に生きてる人、事件に依存して作品を書いてきたか、が改めて確認出来た気がします。 3年ほど前、バリ絵画のことを小説に書きたくなってバリのウブドへ取材に行きました。そこで、僕は鮮やかな赤を背景に、高層ビルをイメージさせる力強い線で構成された「メモリー・オブ・ホンコン」という題の絵に魅了されます。 すぐに、作者を調べると、エルリナ・ドーホー、という若い女性画家に当りました(当時はHPもあった)。細密画のような作品が多いバリの絵の中で、技法の違いが際立っていて「これだ!」と僕は思ったものです。 帰国して、神戸を舞台にバリと日本人の混血画家エルリナ・KATOを作り出し「メモリー・オブ・コウベ」という長編小説を書きました。バリ絵画についても、調べられるだけ調べて。その上で「赤」をモチーフにした、もう一人の芸術家の存在を確認します。 イサドラ・ダンカン。モダンダンスの創生者の一人。クラッシックバレエに反逆し、波乱の人生を送った彼女の伝記映画「裸足のイサドラ」(カレル・ライス監督=68年)が、偶然、その春にWOWOWで放送されたのです。DVDにも、ビデオにもなってない作品。本当に助かったというしかなく彼女の「赤は私の芸術、私のバイタリティのインスピレーションを表現するものなの」という言葉は刺激的でした。僕の小説の、女性主人公・エルリナに話させない訳にはいかない、と思いました。 ホンコンの高層ビルを、僕はポートタワーとホテルオオクラに変え、「メモリー・オブ・コウベ」という絵に置き変えました。題名にした、作品の出来上がりです。 こうやって、家のテレビでは録画した「裸足のイサドラ」を夜中中、バックグラウンドムービーとして、小説を書き続けました。数ヶ月して完成した作品は、某雑誌の新人賞の一次選考は通過。それだけで、当時は嬉しかったもの。ただ、次から次に「赤」が、現実に存在しているもの、人、店、などに結びついていって、あの作業は実に楽しかった。もっと、僕が男の主人公を自由に動かすことが出来れば、プロになれるような作品に仕上がったんじゃないか、と今も思ってます。 僕の想像力なんて本当に、乏しくて。文学作品と肩肘張らないなら、こうやって実在のものを見て、取材して応用するのが持ち味だろうな、と今も漠然と思ってます。モチーフが実在する、っていうのは扱いを間違えると、妙に現実とリンクして誰かに迷惑をかける可能性を絶えず秘めてる、っていうのも事実で。 「メモリー・オブ・コウベ」はいずれ、時が来たら書き直すというより、書き足して、僕の書く初のまともな恋愛小説に出来れば、と今もどこかで考えてます。今、書き上げたつもりになってる時点では「出発点」という感じだしね。 本当は、作法なんて明かすべきじゃないのですが、事実からしかなかなか発想出来ない私、というのをさらけ出して置いた方が「めっちゃピンぼけ」を読んでくれる方に参考となる点も多いか、と思って。 (下)映画「裸足のイサドラ」の原作の一冊。カレル・ライス監督は、これとイサドラ自身の回想録からの抜粋を巧みに配列し、イサドラの鮮烈な生き方を見事に再現してました。やはり、角川書店からで、昭和45年5月発行の初版本。
2005年03月19日
やっと深夜に「誰も知らない」をDVDで見て、今朝の5時。今日一日が始まるまでに、書いてしまいます。 映画の出来映えなんかのことは専門家に任せて、自分にも関係することを。 開始早々、画面にテロップが出ます。「この映画は東京で実際に起きた事件をモチーフにしています。しかし、物語の細部や心理描写等はすべてフィクションです」 これが大事なんですね。現実に起きた88年の「西巣鴨子供4人置き去り事件」をモチーフにしてるのですが、換骨奪胎の好例ですよね。監督の演出ノートってやつを見ても「当事者には会ってない」というんだから、状況から想像力で作り上げたのは間違いない。 で、現実にはモデルが存在してしまうのですから、どう「フィクション」と謳っても、見る者が現実とリンクしていることを知っている以上たとえばYOUさんのやった母親は改めて「無責任」と思われるわけで、ということは実在している母親も16、7年も経ってもう一度、「無責任」を自覚させられてしまったはずです。 映画が評判になり、後年まで残れば、残るほど(幸か不幸か、映画の出来は本当に素晴らしくて、映画史に残るのは必至なのですが)、実在の母親は過去の行動を忘れられなくなる、ということになります。映画は、そう取られない配慮もあってか、優しく子供にも気配りを持って接する母親という設定にしてますが、「捨てた」という現実に起きた事実をそのまま残してる限り、余計“となりの奥さんでもこういうことがあるのか”ということになって、現実感のある怖さになってるような気がします。 モデルがある創作のややこしさはそのあたりで。僕は今回の小説「めっちゃピンぼけ」では、現実にモデルとなってくれた宮嶋氏に会うどころか、細部の提供まで受けました。「何書いてもええで」という許可ももらってます。しかし、現実に書いて見ると、モデルが動いた空間で問題が起こってくる。完全に、舞台を変えてしまえば良かったのですが、学校など名称が変わってるだけで、知ってる人の誰が読んでもそれ、と分る。しかも、肯定的に書いてるとは限らない。 「誰も知らない」では、現実にあったといわれる虐待(誰が誰を、かは知りません)、とかいう部分は全く描いてません。配慮だけでなく、映画の展開上、必要もない、と思いますが。登場人物に対しての温かいまなざし、という視点は一環してます。そこまで配慮しても、やはり母親のように、傷つける可能性のある人物が出てきてしまう。 映画「青春の殺人者」(原作は中上健次さん)のモbデルとなった千葉の親殺し、小説「宴のあと」(三島由紀夫さん)の選挙の舞台裏、同じく三島さんの「金閣寺」。そこまで古くなくても柳美里さんの事件もありました。「プライバシー」と簡単にいうのは、僕は憚られるのですが。 映画や小説の出来が良ければ、いいほど、実在のもう書かれたくない人の負う傷は深くなる。「誰も知らない」、は優れた映画だと思います。それゆえに、残る意味合いも大きい。おそらく、監督や制作者の方も作品の成功に手放しで「万歳!」とは思ってないはず。もし、そういう感性の人なら、これほど寡黙で、ぎりぎりまで感情を表さない、繊細な映画が作りだせるとも思えない。 まあ、「青春の殺人者」の長谷川和彦監督なんかがどうだったのかも含め、現実には僕もこの映画のスタッフに取材してないし、作った側の「衝撃的な事件」をモチーフに成功した際の心理なんて分りませんが。 (下)映画にはなんの関係もないけど、あの子供たちには戸籍がなかったんだろう、と考えるとこれが貼りたくなった。ルワンダのとある寺院で見つけた虐殺の犠牲になった方のIDカード。人種の「ツチ」がすべて。「誰も知らない」状態のほうが、いい土地もきっとあるのです。2004年2月26日撮影
2005年03月18日
今回は、ちょっと横道へ。 トップページに掲載した ペンギンの写真、意外なほど 好評なので。 とりあえず、カテゴリーは旅にしておきます。 南アフリカへは、「めっちゃピンぼけ」 の成果いかんで、もう一度、と思って ます。ほんまに、こういう喜望峰近辺の 野生の王国、みたいな、癒し系の ところがあると思えば、ヨハネスブルグ のような、街全体が肝だめし、みたい なところもある上から下までの、スリリング な国で。エイズの蔓延も、凄いからねえ。 一日、街やテレビを見てて、エイズの 話題にあたらないことは、まずないですよ、 この国。 まあ、ともかく、ペンギンの写真、追加 します。Ruriruriさんへのリンクしていた だいたことへのお礼の意味もあります。 (下)おすましのアフリカンペンギン。 2004年2月21日撮影
2005年03月16日
なんとか、ゲラ、宅急便で送り返しました。 たった一度の見直ししか出来んかった。 まだ、間違い多そうだし。 大丈夫か?オレの本。 まあ、やってしまったこと は仕方ないでしょう。 注文は4月半ばから、ここ(楽天) でも出来るみたいだから、 買っていただける方、よろしくお願いします。 発売日。もっと詳細が分れば書き込みます。 本屋に並ぶまで、本当にもう少し。 で、今回は「めっちゃピンぼけ」 で、心理描写やシーン説明などで、 使った映画を紹介します。わざと 順不同にしておきます。小説を読ま れる時に、変に先入観を持たれず、 かつ、楽しめるように。 「フルメタル・ジャケット」(スタンリー・キューブリック)87年 「華麗なるギャツビー」(ジャック・クレイトン)74年 「敵、ある愛の物語」(ポール・マザースキー)89年 「シン・レッド・ライン」(テレンス・マリック)98年 「サルバドルー遥かなる日々」(オリバー・ストーン)86年 「戦場のピアニスト」(ロマン・ポランスキー)02年 「戦場のフォト・グラファー」(クリスチャン・フレイ)01年 「結婚しない女」(ポール・マザースキー)78年 「フィツカラルド」(ヴェルナー・ヘルツウォーク)82年 「アギーレ・神の怒り」(ヴェルナー・ヘルツウォーク)72年 「グリニッチ・ビレッジの青春」(ポール・マザースキー)76年 「遠すぎた橋」(リチャード・アッテンボロー)77年 「シンドラーのリスト」(スティーブン・スピルバーグ)93年 「ブラックホーク・ダウン」(リドリー・スコット)01年 「ディア・ハンター」(マイケル・チミノ)78年 以上15本が何らかの形で小説の描写の助けを してます(抜けてるのもあるかも)。ちゃんと、 タイトル書いてるから、どこに出てくるか、も このページを読まれた方は楽しみにして頂ければ。 小説の性質上、当たり前だけど戦争映画の引用と か、利用が多くなりましたね。愛が少ない、と嘆 かないでね。それなりに、書いてるつもりだから。 愛については。 (作品、監督、制作年の順) (下)小説「めっちゃピンぼけ」の帯裏。 表の「コイツはもう一人のワシや!」と 会話させてみました。不肖・宮嶋氏の協力 がなければ、本当になかった一冊。
2005年03月16日
花粉症。どうしょうもないですね。 左目の下瞼が三分の一ほど、腫れ上がって コンタクトを入れるのが辛い。 メガネの柄、曲がったままだし。 ゲラ。今日の夕方までに、訂正して 出版社に送りかえさなければいけないんだけど、 出来るかなあ?いや、やるけどね。 こういう風に、余裕のない時は海を 見るのが落ち着くためには一番、と昔は 思ってたんですが、それも危うくなって 来たなあ。今、住んでいる神戸市内の マンションのベランダから、確かに海は 見えるのです。でも、今日みたいな気分 の時は、ヒーリング効果は薄い(ゼロでは ないと思うけど)。 「めっちゃピンぼけ」。舞台の場所は国 内外問わず多岐にわたってるけど、基本は 神戸です。表紙に使う予定の宮嶋さんの写 真も震災時の鷹取商店街のあたりものです し、それ以外にも、神戸地区から姫路、淡 路島も含め、兵庫県の瀬戸内に面している ところをかなりの部分で使ってます。 神戸がベース、っていうのは今後、小説を 書く上でも変わらないかもしれません。 いつぞや、ロスで大リーグの取材をしてい た時も「神戸なら一生居れるな」とか、ホ ームシックもどきで考えてたのも事実です し。 小説を読んで頂ける方に、少し作者サービス で。よくも悪くも、ベランダからの神戸の海 をアップします。昼間で、まったくダメな写真 ですが。でも、わざとらしく初日の出(今年 は曇りで見れなかったけど)の写真よりも、 日常の方が、と思ったりして。ここをイメージ して、作り上げたシーンも出てきます、と いうことで。 はよ、ゲラ、やってしまおう、っと。
2005年03月16日
さっき、帰ってきました。完全な酔っ払い。花粉症で大変で、あした(今日か?)は、朝早くにセンバツ高校野球の抽選会の取材だというのに。 でも、今日は参加する必要があったんですね。親しい某テレビ局のディレクターが、40歳になる5日前に、タイでボクシングの試合に出ました。2月28日のことです。 プロボクシング4回戦で17年前に、一度だけ試合して結果は1回KO負け。その後、仕事の傍ら、彼はずっとボクシングの練習を続けた訳です。 で、40歳を迎える直前。彼はタイへ向かいました。16歳のムエタイ(タイ式ボクシング)出身の選手と試合するためです。日本では年令制限があって試合の認可は下りません。1戦1敗の戦歴を彼が刻んだ時、相手の選手は生まれてさえいない。実に年齢差23です。 結果は3回逆転KO勝ち。3回に派手にダウンさせられた直後に、冷静に右のカウンターで逆に3度のダウンを奪ってKOしました。 39歳。敵地。17年ぶり。相手は16歳。どこにもプラス要素はない。その中で、堂々と勝利。「倒された時、“やめよかな”と思ったけど、あきらめずに戦って良かった」彼は言いました。 帰国しての内輪でのささやかな祝勝会。帰るのが少しぐらい遅くなっても、参加しないと嘘です。 個人的に、凄いことをして来たな、と思ってるんですが、本人は「日本よりやりやすかったし」と、飄々としてるのも良くて。 僕を含め疲れ気味の四十代前後の世代。こういう話で、少しは勇気を持ちたいところですね。やる気と継続力があれば、思わぬ成果を挙げる可能性は誰にでも残っているという…。 (下)タイで17年ぶりのプロ2戦目を KO勝ちで飾り戦績を1勝1敗としたTVディ レクターを囲んで。(名前はあえて、書き ません。私も含め写っている人の名前も)
2005年03月14日
さっき、名古屋から帰って来ました。「名古屋国際女子マラソン」の取材。 ようこれだけ、ちょんぼするわ、ってあきれるほど失敗してきました。花粉症や、寒さのせいだけにはできん。やはり、責任感の問題だろうなあ、やる気がなかった訳じゃない。 2位入賞の大島さん、所属は「しまむら」でした。私は「しもむら」と書いてしまった。「しもむら」は、アフリカ取材で僕が尊敬する30代前半のフリージャーナリストだった…。日本記録保持者の渋井さん、世界選手権代表の座を確実にするために走ったんじゃ、なかったっけ?選考レースでいい成績収めないと、日本記録を持ってることなんか選考の対象にならない、って原稿を書き終えてから知りました。 全然、ダメじゃん。 自分の敗因分析は明確で、自分が仕事の中心じゃなかったことで無意識の中に感じてた詰まらなさが形として出たまで、です。何事も、自分中心でないと面白くない、って子供やないか、ほんまに。 心温まる、というか、そこまでしなくても、っていうこともありました。大南敬美さん。あなたの取材者に対する態度は、出来すぎで、そこまでしなくても本当にいいんです、と言いたいくらいでした。足の感覚がなくなって、車椅子に乗ってるのに、何できちんと話が出来るんだ?もし、オレだったら、八つ当たりしてしまいそう。取材に来る人に。 で、改めて思ったのは、今、自分がやっていることを愛し、満足感が得られてると、他の人に対しても思わぬほど優しい姿勢で接することが出来るのでは、という当たり前のこと。幾つになっても出来んオレって…。 まあ、でも仕事は続けるし、どこかで自分が主体となれる取材も出てくるだろうし。それまで、書けない小説を書く努力。自分がやってること、どんなことでも愛着を持って、って出来んと分ってても書いてみる。とりあえず、早よ、小説のゲラ見直してしまおう、っと。 (下)左足の状態が悪く、車椅子で引き上げる 大南敬美さん、後ろで押しているのは双子の 姉の博美さん。
2005年03月13日
サッカー。長居スタジアムは寒かった。もうどこを応援してるもないから、単純にマリノスの大島選手のハットトリックを原稿にしてお終い。 (中略です。やはり、ネガティブな書き込みは やめました。ここに書いてあったことを読めた 方は幸運と思ってください。人に背中を見せるな、 っていう生き方でないとねえ。でも、後に 書いてることでも十分背中丸見えって?) こうい時に、旅に出て、そこで聞いたこと、知ったことを書くのが一番なんだけど、今年は本の出版で、なぜか作者の私がお金を使わないといけないので、ちょっと行けないんですよね。困ったもんで。アフリカへ行ったのは本当に正解だった。あれがなければ、袋小路のようなつまらん小説をどんどん生産してたかも。書けなくなって、今は我慢の時だけど、どうしょうもない小説を量産するよりは良いって考えよう。 フリージャナリストの一人、「ソマリアーブラックホークダウンと消えた国」っていう写真集も出している下村靖樹君から、5月にアフリカへ取材にいくメドが立った、との連絡をもらう。昨年、ルワンダへ行く前には本当に世話になった人。僕よりだいぶ若いのに、ルワンダだけでなく、あの国とは言えない国、ソマリアへ行って取材してるっていうのも凄くて。宮嶋氏も「ソマリアへは、行かんやろ」と言ってたもんなあ。小説の主人公には、行かせましたが。影ながら応援はしてるんです。 アフリカ、というか、農村の多い国へ行くと、まず服装でびびりますよね。いや、悪い意味でなく、なんでこの人たち、こんなに皮膚とか丈夫なの?ってやつで。この日記の最後に掲載する写真も、ルワンダの大きな道路で出会った子供たちで、ごく日常の風景なんですが、靴は誰も履いてなかった。ちゃんと、撮影出来てないのは僕の技術とどこかで“撮っていいんか?”という、変な迷いがあったため。それでも、僕にしては珍しく動きのある写真で、見れないこともない。ルワンダの子供のさりげない様子は分ってもらえるのでは。 頭。脳をともかく刺激したい。旅=異国が一番なのは分ってます。一人で、訳の判らない国に出かけて、緊張しながら、意識は醒めた状態で、でも心の中は昂揚感で一杯、っていう不思議な環境。僕にとっての旅の醍醐味は、こういう心理状態のような気が。決して、リラックスするような状態で満足出来ないところが、ミソですね。ワイキキビーチで、のんびり、を優雅に楽しめる気分になった時、僕はモノを書くのをやめるんじゃないか、とは思ってます。それはそれで、楽しめるのも今、心のどこかで分っていて。そして、分っている自分を許していいのか、どうか、迷っている自分がもう一人いて…。(下)ルワンダ、キガリからコンゴ共和国のゴマへ行くまでの幹線で。
2005年03月12日
ようやくDVDで、映画も見直す ことが出来たので、書きこみます。 木管楽器ディジュリドゥの木霊する ような独特の音感が響く中、始まる 映画。 自分の記憶に唖然とするのですが、この ファーストシーンに、重要な独白シーン で誰が話しているのか、まであれほど10 数年前に真剣に見てたのに、忘れてました。 原作との大きな違いは、異文化に融合が 2週間という期間で出来るか、どうか、 という点です。映画は正確な期間が分る ようには描いてませんけど。 「クルラ」-アボリジニの言語で、水、を 意味するらしいのですが、「ウォーター」と この「クルラ」が映画と原作の決定的な違い で。一言でいうと、原作者のマーシャルは 融合は可能とみており、映画の監督ローグは 不可能と見ている、ということでしょう。 DVD版のカバー裏、紹介文の最後「あの時、 君が望みさえすれば…」、は意味深長です。 映画を見ればすぐ判りますが。思春期の性、 男女、異人種、文化、野生、その他にもあ りますが、ともかく融合、っていうやつ。 言葉では簡単だけど、現実にはそう簡単には…。 余談ですがDVD版の画質は素晴らしい。見事に 三十年以上前の映画の色を復元してる、と 思います。同時に見れるオリジナルの予告編 の色の抜け方、落ち方を見ると。オーストラ リアのむき出しの原野が一方の主役なだけに、 これは重要なことで。エリマキトカゲも出て くるけど、色が落ちてたら興ざめだわな、 確かに。 ジョン・バリーの透明感のある叙情的な音楽 も秀逸で、このアカデミー賞を何度も受賞して る巨匠さんが、決して金儲け(この映画の スコアを書いて儲かったとは思えない)ばかり 考えていたのでないのも分ります。 70年ごろのオーストラリア内陸部の風景を 見るだけでも価値あり、と思うし、その後の 例えばピ-ター・ウィア監督の「ラスト・ウェ ーブ」(これも不遇の一本)などでも使われて いるデジュリドゥの、ヒーリングだけでない、 本当の使われ方垣間見れる(といっても演奏する シーンなんて出てこないけどね)のも ありがたい、という映画。 (下)DVD版のBOXの表とカバー裏。 ブロードウエイとかいうところが出してるんだけど、 こんな高いもん、オレぐらいしか買わん。 おかげで、手に入ったけど(定価・税込みで6090円)
2005年03月12日
昼間のプロ野球、夜のセレッソ大阪の懇親会、と2つの仕事を終って家に帰って見ると…。待っていたのは、「めっちゃピンぼけ」のゲラ。出版社の方から送って来てくれたのですが、今回はかなり緊張して対処しないと…。モデルの不肖・宮嶋氏に「ディテールをもう少し慎重にやったほうがええ」というアドバイスをもらってるだけに、頑張らないと。時間が一週間もない、というものだけにだいぶ大変かも。野球の取材が終ってから、懇親会までの間に、東京の文化部と原稿取材の話し合い。電話でだったけど、結果として僕が取材者として写真展にいくことになってしまった。もちろん、宮嶋氏の。ここに書いててもバチも当たらないだろうから、書いときます。3月15日から4月3日まで、京都の池坊文化学院内アートフォーラムで宮嶋氏の「不肖・宮嶋 報道写真展」が行われるのですが、3月20日にイラク・サマワ第一次復興業務支援隊長を務められた佐藤正久第7普通科連隊長と宮嶋氏のトークショーが予定されていて、私もその日に取材にいくことになった次第です。でも、私の取材の本流はあくまで、この写真展を開く原動力となった京都の女性6人の方の熱意、ってやつなのですが。いい話が出てくれば、文化部の生活面扱いで、全国配信になる、という約束も会社に取り付けました。某大手全国紙が後援でもあるので、写真展単体では扱いにくいのですが、普通の主婦ら6人が企画し、宮嶋氏に掛け合って実現した写真展というところが素晴らしいわけで。「普通の主婦」らが、平和問題というより、世の中の不条理に「怒り」を感じ、宮嶋氏のイラクでの吹き飛ばされた手首の写真に代表されるような「怒り」の裏にある「愛」に共感を覚えて実現に…、と自分が取材してきたようなことを書いたらアカン。ただ、実行委員会代表で6人の中の一人、畑本久仁枝さんには電話で取材のアポ取りをした際に、少し話しをしましたので、全く他人のふんどし、って訳でもないんですが。というわけで、本人にまだFAXもしてませんが、二十日にお会いすることになるのは確定です。仕事上、写真は必要ですから、ここに載せれる写真も撮れるはず。あした、FAXで行くことは宮嶋氏に伝えますが、小説でお世話になって、その上仕事でも、で恐縮しきりなのは事実なのです。
2005年03月10日
何日かけてんのや、っていう感じですが、J・V・マーシャルの「WALKABOUT 美しき冒険旅行」読み終えました。気になった点といいな、と思う点なのですが、気になった一番は視点のぶれ、です。小説を書く際に、注意すべきこととして、僕などがまず心掛けるのは、心理描写とかでそのシーンを誰が見ているのか、感じてるのか、という点で。この小説は、基本的に3人の登場人物とオーストラリアの奥地=砂漠地帯とひとの住めない地帯の描写で構成されてます。その際、誰か一人を主人公としてその人物の視点から、他のものを書いていく、というのが王道です。しかし、この小説はそういった僕などの既成概念を簡単に無視してます。飛行機事故で生き残ってオーストラリアの原野をさまよう、メリーとピーターの二人の姉弟しか出てこない、最初のうちこそメリーの視点、となってますが、アボリジニ=ブッシュボーイが登場してからは、行ったり来たり。だから、心理をいとも簡単に解釈というか吐露させてしまえる。普通、このスタイルで書かれると読めるものは完成しにくいです。ところが、登場人物の極端な少なさと、ブッシュボーイと姉弟での、言葉の障壁というものもあって、心理を自由自在に行き来する方法が読み易さとなって、この小説の場合、むしろプラスに働いてます。読者を怖がらせたり、サスペンス的な状態に置きたいのならメリーの視点で統一した方がいい。ただ、作者の狙いは自炊から何から、自分等でやらないと死んでしまう、原野に放り出された子供たちのサバイバル状況を描きたいのですから、逆にサスペンスはいらない。そこが明確です。自分の書きたいことが判りやすく表現出来るなら、セオリーなんていらない、それをマーシャルは見事にやってます。もっと分り易く言うと「馬から落馬する」って書くと、まず普通の編集者は「直してください」とくる。でも、そのほうが分りやすいのならOKという手法です。映画。まだ見直してませんが、ニコラス・ローグ監督はメリー(ジョニー・アガター)を主役としてきちんと規程していた記憶があります。映画の場合、心理描写はいらない、というか映っているものをそのまま解釈するしかないですから、セリフが少ないということは、映像を見せるという意味でも監督にとって腕の見せどころです。その中で映像のどこかで、主人公となる人物の独白を入れてしまえば、それが主役って誰にでも分る。もっとメジャーな映画なら、「ブレードランナー」のハリソン・フォード、「地獄の黙示録」のマーティン・シーンらの独白を思い出していただければ、分りやすい。まあ、映画を見直してからまた書きます。今日は妙に、堅い話になってしまった。読んでくれてる人。懲りずに、また来てください。こんな、ややこしいことばかり考えとるわけ違うので。 スポーツ記者なら、スポーツ記者らしくスポーツの分野できちんと「仕事せいよ」って、ですか。そうだよなあ。いつからスポーツを見て熱くなる瞬間がこんなに少なくなったのかな? (下)今日の仕事場、大阪ドーム。 なぜかカメラを出すのがはばかられ、ピンぼけ が…。
2005年03月10日
パクリじゃないんです。 ちゃんと、災害・戦地カメラマンの 不肖・宮嶋こと、宮嶋茂樹さんの 許可、というか本人に私が手渡しで 写真はもらって来てたんだから。 謝礼はまだだけど。「そっちに 任すわ」とか、値段のことは言われ たんだけど相場ってどんなもんなん やろ? でも、こうやって出来上がって来た カバーデザインの案を見ると、本当に 本が出るんだな、っていう実感が 湧いてきて。 この3つの内、どのデザインにするか 思案中だし、ひょっとすると3つとも お蔵の可能性も。どれがいいと思います? 私は、この中の一つでいいかな、とは 思ってるんですが、さて? 予価が1700円プラス税になってた けど、自分が考えてたより百円高いや ないか。これは交渉します。うまく いかないかも知れないけど。ただ、 AMAZONとか、ここ(楽天)とか で買えば、おそらく送料はただになるはず。 それが救いかな? ついでに言っておきますが、宮嶋さんの 写真集「イツデモ ドコデモ ダレトデモ」 (小学館、2200円プラス税)は、間違い なく買って損の無い写真集です。 この20年の世界が分る部分も確かにあって …。 (下)カバーデザインの案3つ。どれが現実に 使われることになるのか?あと一ヶ月少 し。発売を期待して待て!
2005年03月08日
好きな映画とリンクするのですが。 なかなか「美しき冒険旅行」のDVDを 見直すチャンスがないので、それまで 他のもので。 今回は、原作が絶対に辻仁成さんの、芥川 賞作品「海峡の光」に影響を与えていたと 思える勝手に人の心理を読む純文学で。で も、個人的には原作、映画ともにかなり高 いレベルの作品だったと思ってます。 青春時代の幻影と現実からの逃避。それに よる新しい世界に対するときめきと期待。 って、ことになるんだよなあ。堅く書くと。 原作の独白。中年男「私」によるものだけど、 これを最初に読んだ84年3月にも“こう いう自分で何も手に入れられず、他人に期待 しておこぼれをもらおうとする男には なりたくないけど、なるかも”と思った 記憶はあるのですが、20年ほどの年月が 経って、やはりなってしまったか、が実感 で。 映画は、中年男を杉浦直樹さんにやらせて、 彼が期待を抱く青年に、沢田研二を配して ます。原作の方が、丸山健二さん自身が、 その10年以上前に書いていた「雨のドラ ゴン」をどこかほうふつさせる期待と現実 の残酷なコントラストを突きつける、しが ない中年男の心理ドラマなのに対し、映画 は無機質な人間関係を、涼しい北海道(函館 から大沼まで、って感じ)を舞台に描いてます。 この映画の公開前に、「風の歌を聴け」の ところでも書きましたが、大森一樹監督に インタビューしたことがあります。その時、 「家族ゲーム」で時の人、に近くなっていた 森田監督に関して「彼(森田監督)はほかの 監督とは付き合わないっていうのを信条にし てるらしいですよ。親しくなるとやる気がな くなるやないか、いうて」と話していたのを 思いだします。 同時期に「すかんぴんウォーク」が上映される という絡みもあって聞いたのですが、考えたら その時に「なんで映画は温かくなければいけな いんや、思いますね」という、「風の歌を聴け」 の低評価に対する、大森監督の本音を聞いた ことがありますが、この「ときめきに死す」 もまさに、そうなりました。「涼しいですね」 という、ジュリーのセリフを劇場で聞いた時、 僕はほんとうに鳥肌が立つほど感激しましたが、 そんな人は当時、ほんの一握り。 大沼公園や函館本線の渡島大野駅を巧みに使い、 映像(前田米造)も、音楽(塩村修)も監督の 狙い通り、透明感のあるガラス細工のような 見事な出来映えで。肝心の映画全体も、丸山 健二の原作ものは、原作があまりにきちんと 出来上がりすぎてるためか失敗作ばかり(「 アフリカの光」「正午なり」)だったのを、 最低ドローに持ち込んだ、ということで覆した 初めての作品だと思ってます。 大森一樹監督の「風の歌を聴け」と、この 森田芳光監督に「ときめきに死す」。 原作を見事に換骨奪胎し、自分のフィールド の話に作り変えて、映画ってこんなに 面白い、っていうのを認識させてくれた 二本。 ともに“温かみがない”と、低評価を受けた のがお笑いで。二本とも見事に、20年経って カルトムービーとして残っている(と僕は 思ってますが)というのが、監督の、と いうか作る側の醒めた映像の裏にあった熱意 の証明ではないか、と思います。 僕は眠れない夜。テレビを見る気もなくつける 時、DVDなら「ときめきに死す」、ビデオな ら「風の歌を聴け」をバックグラウンドムービ ーとしてよく使ってます。ともに、本当に心地 いい。こういう見方をされることを制作側が 望んでいたかどうかは知りませんが。(下)「ときめきに死す」(文芸春秋、84年2月 10日発行の第三刷、映画公開に合わせて 増刷されたんだと思います)
2005年03月07日
眠れぬ夜に。 といっても、明日(7日)も 朝の6時半には起きなけりゃ いけない身にはあーしんど、 って感じですが。 仕事の話でもいいんだけど、 びわ湖マラソン。ともかく寒かった 走ってる選手も大変だろうけど、 こっちもねえ。取材者は身体を 動かさないから不健康な上に、 ただ寒いだけ。やってられない、 って感じかな。 で、カテゴリーはコミック。 今、はまってるのは「ゴルゴ13」の リイド社が毎月2冊出してる文庫サイズ 版ですが、今日書くのはそれじゃないのです。 「変身忍者嵐」(1972年、少年マガジン連載) 作画・石森章太郎 この漫画は本当に、暗い、重い。 ようこんなの少年誌に載せたわ、って 思わず感心するぐらい。ヒーローもの の中で、暗さを競わせたら、池上遼一 の「スパイダーマン」と双璧と僕は 思っていて、しかもその両方が大好き なんだなあ。 "父が発明した化身忍法を盗み出した血車党の 化身忍者を根絶やしするために、戦うハヤテ。 ハヤテも化身忍法を身につけており、嵐に変 身し血車党の対峙した化身忍者を苦闘しながら も倒していく” っていうのが、概略ですが、こんな概略どおりの ヒーロー漫画、書いてないんだもん。石森章太郎 さんはうまく利用しましたね。おそらく「仮面ライダー」 「キカイダー」と、善と悪、をはっきりさせての 戦いものを書くのが続いて、実験したくなった んだろうね、当時に石森さん。 はっきりいって、ギリシア神話ですね。父と子、兄弟、 恋人、親友、その他血の繋がった者。 ハヤテこと嵐、いや実は変身する回数が極端に 少ないので、嵐ことハヤテが対峙し、何とか 死の世界へと送り込んでいく化身忍者の正体 のほとんどが、なんらかの形で主人公の生い立ち に絡んでいる。 要は、ハヤテは友を殺し、母を斬り…、 という無間地獄のような世界に落ちてしまう。 第一話の「化身忍軍、闇に踊る」だけが辛うじて、 さわやかかな、という感じですが。後はもう。 極端にコミックなのにセリフが少なく、変身 忍者と銘打ちながら変身するシーンも少ない。 (「スパイダーマン」との共通点ですが) ハヤテは何のために、戦ったのか、を考えると、 生の無常っていうものが浮かび上がってくる仕掛け は見事です。時代劇、の現代に通じるテーマ でもあるでしょうし。 どれも好きなのですが「蜜蜂の羽音は地獄の子守唄」 と「菩薩の牙が霧を裂く」の2エピソードが 特にお気に入りです。 (下)「変身忍者嵐」(SUN WIDE COMICS=朝日ソノラマ) 1984年に発刊された初版本(2冊完結) その前は、SUN COMICSで3巻で出ていた。
2005年03月06日
このブログを開設する必要に迫られた4月後半に出す小説「めっちゃピンぼけ」のモデル、宮嶋茂樹氏に関して少し書きます。年末もインドネシアのアチェに津波災害の撮影に、日本のカメラマンとして一番早く乗り込むなど、活躍中の氏ですが、この人、本当に義理堅い。 小説のモデルをお願いしたのが、一昨年の11月。ほんまに、高校を卒業して以来、何年ぶり、って感じだったのですが、ちゃんと覚えていた、というか見破られましたね。宮嶋氏の写真展に黙って姿を見せただけだったのに。 「小説やろ、何書いてもええで」といきなり言われたのはびっくり。その後も、決して本人が気持ちの良くなる、愛と感動の物語でもないのに、資料提供や話をするのに、自宅(不肖庵)への寝泊りなど、忙しい身なのに、見事に支援してくれました。当初は出版など考えてなく、単に長編の練習のつもりだったのですが、よく考えたら僕の名前で、賞も取らず世間に流通する小説、といったらこれしかないな、と。 いろいろあるけど、近くで起こったことを一つ。昨日、会社に上がったら本が送られてきてて。差出人は書かれておらず。怪訝に思って、そのダンボールできちんとガードされた郵便物を開けると…。「不肖・宮嶋青春記」(WAC、1400円)が同封されてました。この3月3日に出版されたばかりの、不肖・宮嶋氏の新著。その間、FAXで私の小説の、どう考えてもおかしなところも指摘し続けてくれてたのに、本がいつ出るかは、おくびにも出してなかったんだなあ、宮嶋氏。 さて、帰ってきてから書き足します。宮嶋氏、私の小説のゲラ、全部読んでくれたようで。それにしても●●社(出版社さん)、ちょっと、原稿の読み方が粗くはないかな、と。作者の思い込みと、おかしいと思うところを的確に指摘してくれないと、本当に良質の本は出来にくいのでは。宮嶋氏が、「ディテールをもう少し注意したほうがエエな」と僕に書いてきてくれているところは、作者以外の人が注意して読めば、まず分るところでしたし。どちらにせよ、これを書いた時点での僕の小説の実力はこんなもの。これからまい進したとして、せめてあと5年ぐらいで、「これに賞をやらんのか?」と人に言われるような作品は書きたいもの。まあ、読みようによって「めっちゃピンぼけ」がそういう作品と評価されれば、ありがたいけど。 本の表紙のアップも考えたけど、ひょっとすると肖像権に引っかかる可能性(特に、宮嶋氏の顔写真なので)があるので、やめました。すんません。
2005年03月06日
書き込みを頂いてる、僕の少ない大切な方たちに。 びわ湖マラソンの取材で、ちょっと週末はガタガタしてます。 これ以上の書き込みをする 時間が今日はないので、 返事、あしたにしますね。 PS・直接、直しても良かったけど、ジェームズ・キャメロンの件は思い込み違いも。86年12月に「ターミネーター」を見た記録が残ってるんだよねえ。どう考えても「エイリアン2」以前に、「殺人魚フライング・キラー」には気がついていたはずで。20年ぐらい前の記憶ってこうやって錯綜するんだね。
2005年03月05日
小説も映画も、となるとこういうやり方しか ないかな、と今は思ってます。昨日の「美しき 冒険旅行」に続いて、今日は「風の歌を聴け」。 邦画も洋画も関係なく、人気、不人気にも関係 なく、自分の気になったものに対して書きます。 映画の公開が81年暮れ。この映画に関しては 公私ともにつながりがてんこ盛りなので、どこ から記していいのやら、で。今回は内容でなく、 まつわる話から。 前年の「ヒポクラテスたち」が劇場公開される 直前に、大森監督を大学の学際での自主映画上 映会に招いて、氏の「暗くなるまで待てない!」 ほか数本の上映をやったのが、今思えばこの映画 との出会いの始発点。私の出身大学は映画「風の 歌を聴け」でも、重要なロケ地として出てきます。 当時の大森さんは、「オレンジロードエクスプレス」 の興行的失敗もあって、ATGで撮った「ヒポ・・」 が背水の陣だったはずです。これが、興行的にも 作品的にも成功したのは周知の通り。で、その 成功の一年後の暮れに、「風の歌を聴け」の公開 にこぎつけます。 僕は、「風の歌を聴け」の、地元神戸でのロードシ ョーに行けませんでした。前売り券を買っていながら、 当時自分が撮ろうとしていた8ミリ映画(未完成) に出てもらっていた女の子にその券をあげた、という こともありますが、それ以上に映画の上映期間が問題 でした。三週間なかったんじゃないか、と記憶して ます。単館上映で、今は無き三宮の阪急文化っていう狭い 映画館でやって。ほんまに、絵に書いたようなこけ方 で。 僕がこの映画をやっと見ることが出来たのは、封切りから 7ヵ月後。これも今は無き大阪の毎日ホールで、当時周期的 にやっていた「映像のロマン」の一本として。人生20数年 で初めて出来た彼女と行って、映画館の中で軽いペッティング をやる、という行動を取りながらで。その彼女とは今後も 含め一度もSEXせずに終る、っていうオチまでつけて。 未だに、彼女のことを眠れぬ夜に考えると、切ない気持ち になる。 映画を見た一週間ほど後に、彼女と二人である研修旅行に 山梨まで出かける機会を持った。その時に、持参したのが 原作の「風の歌を聴け」。1979年に群像で新人賞を 村上春樹さんが受賞されて、その年の7月に初版。僕が 手にしたのは82年3月4日付けの9刷目。気がついた 時は、手遅れ、っていうのは当時からで。 付き合って、まだ2ヶ月目ぐらいだったのに、彼女はも う僕を見限りかけてました。そういう時期に、小説っていう ものからイメージしていた湿り気を完全に取っ払った小説 との出会い。 「この映画が評価されなくて『ヒポクラテスたち』が高い 評価ってのもねえ。なんで映画は温かくなければ、いけない のか、って思います。これは高級ないい映画だからね」 って、いうのは、映画を見てから1年半ほど後、ある情報誌 のインタビュアとして、大森監督に話を聞いた時の言葉。 大森監督に話を聞いた時には、とっくに彼女は僕の前 から姿を消してました。 「君の抜けて来た井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ」 の、原作から引用した小林薫のナレーションで始まる映画。 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が 存在しないようにね」で始まる小説。 1982年の夏。映画、小説の両方に同時に出会い、 彼女を失いました。それこそ、ノートの半分に線を引き 左に失ったもの、右に得たもの、…。もういいですよね。 このジャンルを覗く、多くの作家志望の人がやったように、 今もやっているように、僕もまねようとしました。 文体を、主人公の生き方を。 ちょっと、書き方が湿り気を帯びてきたので、 この日記はこの辺で。「風の歌を聴け」については 今後も、何度も書かせてもらいますね。 (下)「風の歌を聴け」、僕が擦り切れるほど読んだ 講談社からのハードカバー版の裏表紙。690円の値 段が、時代を感じさせてくれます。
2005年03月02日
もう真夜中で、やっと家に辿り着きで。 一日に3回、日記を書けるって本当か、 試したくなりました。何人かの訪問して 下さった方には失礼なのですが、この 日記を書くことを優先させますね。 本とか、映画の話が全然書けてないので、 書きましょう。 今、通勤時間を利用して読んでいるのは、 J・V・マーシャルの「美しき冒険旅行」 (角川文庫刊)。おととしの夏に、ネット オークションで手に入れました。昭和47年 2月に初版が出て、僕が手にしているのは昭和 49年6月の4版目のもの。 原題は「WALKABOUT」。オーストラリアの奥地 に放り出された姉弟とアボリジニの少年の 放浪と交流が描かれているはずです。 今、全編の三分の一ぐらい読んだところで、 明日の電車でどこまで読み終えれるか、ですね。 映画との関連は大いにあって、一週間ほど前に ニコラス・ローグ監督がこの原作を映画化した 「美しき冒険旅行(WALKABOUT)」のDVDを、三宮の TUTAYAで発見したのが発端です。懐かしくて、 嬉しくて、で。 「地球に落ちてきた男」っていう、D・ボワイ主演 の映画が大好きな僕にとって、大学時代からこの映 画の噂、それと手に入れそこなった原作に対する悔 しさ、とが重なってマイ“まぼろしの一本”だった のですが、91年10月(きちんと調べず記憶だよ りなので、92年の可能性あり)に東京の吉祥寺の 草月ホール(こんな名前だった)でやっとお目に かかりました。 あれぐらい必死で今も映画を見たいもの、と思うぐ らい真剣に見ました。ビデオになってなかったし、 衛星放送も含めTVでもやってなかったし・・。 切なく、哀しく、美しく。の3拍子の映画。 「きみに読む物語」(ラスト15分が長すぎて残念でした) などのように、無理に泣かせよう、とかして引っ張 るところが全くなくて、というか、 ほとんどぶった切り状態の映画なんだけど、それが いらない説明なく、映像だけで“ちゃんと見ろよ” と言われてるみたいで。本当に、良かった。 それ以来。風の便りで昨年、再映になったとは 聞いてましたが、DVDになってるとは、で。2001 年にジョン・バリーの書いたCDサウンドトラック 版は手に入れてたので、これで原作、DVD、サントラ、 と3種の神器が揃いました。 前置きが長いよな。ともかく、原作を初めて今、 読んでます。読み終えると、もう一度DVDで映画 も見るつもりです。原作と映画の間、っていうのも 分るでしょう。ジョニー・アガターの清純さ、美しさ にもう一度、お目にかかれるのも楽しみで。 本を読み終え、映画を見直してからもう一度、 「WALKABOUT 美しき冒険旅行」については 記します。だから「1」ということで。 (下)角川文庫版の表紙
2005年03月01日
現在、夜の10時。 今日は本当にドタバタになってしまった。元々、掛け持ちの取材になっていたのが問題。サッカーのJリーグ、鈴木昌チェアマンを囲む懇談会があって、その後、大阪帝拳ジムへ会長交代の会見に行くと、辰吉丈一郎選手の事実上の引退発表に立ち会う結果に。 辰吉の引退って、狼少年みたいなところがあるんだけど、今回は本当になりそうな気がする。二人の息子を連れてジムに現れて自分の練習とともに、息子らの練習を見守っているのを見ると…。父親で指導者の目だよね。ただ、何もせずに口で教えるんじゃなくてきちんと自分も動いてる。息子二人が父親を尊敬するのも分る気はしました。どんなに過去が素晴らしくても、今どう生きてるか、が勝負。過去が素晴らしい人でさえこれなんだから。それにしても、今日の朝早くの日記で誕生日と辰吉の絡みを書いたばかりだったので、ただびっくり! 辛いねえ。会社勤めは。フリーの文筆業に憧れはまだあるけど、収入や才能を考えたら自信ないなあ。明日は姫路でオリックスとロッテのオープン戦の取材。3日ほどプロ野球モードの後、びわ湖マラソンの取材だ。今日のデリマの来日は、毎日新聞の方にコメントを送ってもらって処理。身体は二つないからねえ。 映画。「オペラ座の怪人」誰かと行こうと思って2枚置いてるんだけど、上映終了までに行けるか?誰か一緒に見に行かない? (下)呼吸を楽にするマスク姿で練習中の 辰吉丈一郎選手(3月1日撮影=大阪帝拳ジム)
2005年03月01日
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