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31日の午後12時。 神戸の須磨は雨。雷が鳴り響き、まとまった 量の雨が降り注いでます。2時間前までは、曇り空 ながらさすがに日曜日。海水浴の人がそれなりに姿 を見せてるのが見えてましたが、気の毒や。 たぶん、隣接する須磨の水族園にでも逃げ込んだに 違いなく。デートに家族サービスの人ら、まあ、頭 使ってうまく一日過ごしてください、って昼間から 思うわ、ほんま。 今日は、すでにブログで紹介はしている本の感想?と 昨日のブログで書いた三崎亜紀さんの短編新作に関して のことで。 1、「情熱と感動の仕事術」(永末春美著) まずは30歳直前で、大きなチャンスをものにした筆者 というものありきで。神戸のホテルトーアロードの支配人 に就任した永末さんをどうとるか、で読み方は大きく変わり そうな気がします。 と、いうのも、やはり前半のサクセスストーリーから、 中盤以後、経営者側としての永末さんの創意工夫が書かれる ことになっているためで。雇用側の考え方を知ろうと考える 方、現実に経営に悩んでいる方とかが読まれれば、男女に 関係なく参考になる部分が多いのでは。 「誰にでも、何事にも可能性は同じだけあると私は思って います。その可能性を生かすも殺すも自分次第です。気がつく も、気がつかないも自分次第です」(第1章から抜粋) 「組織のトップにいると、日常的な現場の実務について細か く把握することも確かに難しいですが、日常的な業務の流れに こそリスクが紛れ込んでいることもあります」(同第2章) 「人は大切です。人が前向きな職場でなければ企業は発展 しないと思います。ただ、企業は利益を上げるのが目的で社 会に貢献しているわけです。そこには情けでなく、成果を上 げられる仕組みや行動方針を示すことが重要だと私は考えま す。」(同第3章) 「自分の夢や目標を語れる相手を大切にしたいです」(同 第4章) 「自分ぐらいは自分のことを信じて夢を持たなければ一日一 日を楽しく、大切に過ごすことはできないと今の私は思います」 (同第5章) 引用だらけになったのは、理由があって。 基本的に、僕は会社に雇われている立場の人間です。だから、 この本を、こういう風に上の人(上司とは限らない。それより も上の、総務部や人事部、あるいはもっと上の経営側の方)が 考えてくれれば、という形で読んでしまう。で、こういう永末 さんの声のようなことををほんの少しでも考えて、経営にあた ってみるほど人を信じれる柔軟性のある人が本当にいてくれて るのか? 経営側が懐疑的で、社員を信用せず、にもかかわらず…、 やめましょう。 経営者側の人間の心が健全(人をほんの少しでも信じれる 気持ちがあるということです)であることが、企業、会社 が健全になる基本。そんな当たり前のことに改めて気付かせて くれる一冊でした。 2、「戦争体験館」(三崎亜紀、小説宝石8月号) 「となり町戦争」で、身近な横で戦争が起こってる不気味さ を描いた三崎さん。僕は、空気を読ませる手法が不満でしたが よく考えたら、この手法って、戦争での手が飛んだり、首が千 切れたり、って世界があるんだ、と理解してる人、あるいは不 肖のような、あるいは先の大戦経験者らを含め「戦争で負傷し たり死んだりするのは痛い」と実地で知ってる人ら暗黙で了承 している人々が世の中の多数を占める、って前提ではじめて 成立したのかな、と。 そとの悲惨さが想像出来れば出来るほど、足音、気配の怖さ って分るってやつですね。そう理解しても、やはり不満だけ ど。 で、「戦争体験館」。 戦争を仮想体験(負傷した際の痛みまで)出来るパビリオン からの実況レポートっていう形態。風刺ですね。すべて、会話で 5ページを押し通してます。地の文はない。だから、手法的に 実験したのは分ります。でも、実際、痛みまで感じることが出来る 模倣戦争があったとしたら、経験にため、とか考えて僕なども 行きかねない。小説の出来栄えとは違うところで、発想の点で、 「ありそうだな」と思わせるところが成功かな、と。 それでも。 なんで、何か足りない、というか、やはり頭で書いてると 僕は思ってしまうのだろう?同じ、現地へ行かず頭で書いた 小説として楠見朋彦君の「零歳の詩人」(1999年の すばる新人賞=芥川賞候補)っていうのを僕らは持ってますが、 あれを読んだ時、頭で書いてると僕は思わなかった。 (石原慎太郎さんは、頭で書いた、という解釈だったと思います。 芥川賞の選評で) 三崎さんのは、どうしても優等生の書いた作文、っていう 意地の悪い感想を持ってしまって。作ってる感じが僕には テイストとして合ってないのかもしれません。 (下)土曜日に送られてきた「月刊タウンはりま」の最新号 (2005年8月号)=8月1日発売、播州地方の書店にあり。 加古川の紀伊国屋とかなら、私の本と同時に買って帰れます。 先に僕が取材をしてもらっていたのですが、丁寧な手紙付きで。 「あの本(「めっちゃピンぼけ」)を読んでから、ロバート・ キャパや宮嶋さんの著書を読むなど読書の幅が広がりました」 と取材にあたってくれた西田さんは記しておられて。 こういうことがあると、「めっちゃピンぼけ」を出版した 価値、ってあったのかな、と思います。出版された経緯とか 形態の問題じゃなく。ありがとうございます、西田さん。 ちなみに、21ページに2段組の左上半分、僕の写真入り で「地元・高砂、姫路、神戸、淡路を舞台に モデルは戦場 カメラマン宮嶋茂樹」って形で「めっちゃピンぼけ」の紹介。 約30行ぐらいで大きなスペースです。その上、48ページ のBOOK新作リリース情報のところ下段の播州本紹介の 欄にも表紙写真入りで登場。ダメ押しに、75ページの読者 プレゼント欄にも「めっちゃピンぼけ」プレゼントの案内 で僕の顔入り写真が出てます。谷川俊規のファンの方は、買う しかない(定価310円)って感じですが、そんなもんいな いか。
2005年07月31日
午前11時20分、はよ更新せんと。 また寝てしまいました。 昨夜は。午前零時までの記憶しかなく。 福原愛ちゃんの取材と、甲子園での阪神-ヤクルト戦 の取材。一日が長かった。 担当のない仕事、ってこうなるんだよね。 まあ、スノーボードの成田さん関係 に行かなかっただけまし、と。 突然、これまで一度も行ってない人間が 取材に来たら、いややわなあ、ややこしい 話やし。 畳の上で意識を失ってたんですが、起きて 部屋の一部だけを掃除(というかモノを移動) してたら、また発掘しました。 1988年2月から1990年4月にかけて、前の会社に 勤めていた頃、地方版に一週間に一度、書いて いたコラムのコピー。 おそらく版権とかの問題自体消滅してる はずで、再録は全然構わないと思う。 原稿は署名だし。 (問題があったら誰か教えてください。許可 を取るか、削除かはその時考えます) で、小説「めっちゃピンぼけ」にリンクしてる と思われるコラム記事、再録します。戦争に 関する記述をしてました。 コラムタイトル「アトらんだむ」 “世界の激変。連日、TVではパナマやルーマニア の内戦の模様が中継されています。しかし、この現実感 のなさ。もちろん、現場にいないのだから当然のことな のですが、ブカレストの街のビルが暗ヤミをバックに 燃え上がってるのを見ながら“きれいだな”と思って しまったりするのはわれながらあきれざるを得ません。 「現代で、もしほんちゃんの戦争が起こったら子供 たちは目を輝かしてしまうかもしれない。『わあ、まる で“スター・ウォーズ”みたいだ』現実と虚構の完全な 転倒である。現実が虚構そっくりに見えてしまうのであ る」と評論集“都市の感受性”に記したのは川本三郎氏。 僕の頭の構造などまさに氏の言う子供のそれとピッタリ 一致するものでしょう。 しかし今、戦争と戦争映画があまりにも差異なく見えて しまうのは恐らく僕一人だけではない。SF作家のP・K・ ディックの「最後から二番目の真実」の世界のように各種 メディアによってフィクションを現実と信じ込まされる状 況がいつ現れるとも限らない気がします。子供の感覚とば かりに笑ってられない地点に知らないうちに運ばれていか ないとも限らない。そう考えるとゾッとするのも確かです。” (谷川俊規)=1989年12月27日付け、デイリースポーツ 広島版に掲載= まさに、不肖・宮嶋茂樹が、初めての戦場取材となるブカ レストでのたうちまわっている頃、のうのうと広島の街でス ポーツ担当記者として過ごしながら、TV画面を見てのこの 能書き。若い、というか、恥ずかしいよなあ、確かに。28歳 の頃の文章ですね。 この当時は日本にいると現実的でなかった戦争が、イラクの ことをはじめ、身近になった今、この文章、いや僕だけでなく 中に引用していた川本三郎さんの文も含め、通用しなくなって る気が明確にします。今の子(日本の)は、きれいだ、ではな いことを知ってますよ。おそらく。 現実と虚構は再び逆転して、現実は現実になってると僕は 思います。ただ、それで生死の価値、重みが分るようになってる かはおそらく別問題。 この間から何度か書いた「となり町戦争」(三崎亜紀)を手 法的に古い、と僕がいうのはそのためなのですけどね。戦争はどこ かで当に起こってる、って子供でも知ってるでしょう、大半に方は。 もう、雰囲気だけで、足音だけで、って世界じゃない。テレビを見 れば、新聞を読めば、毎日、いつ日本人にも絡むか分らない状況で 戦いが展開されてますからね。 で、僕の書いたこのコラムの最後に引用してるP・K・ディック の世界。これは、今でも実現の可能性あるよねえ。それこそ、映画 「宇宙戦争」じゃないけど、どう撮影したのかも分らないほど本物 に近い動画が可能になってきたこの世界。虚構の世界を作り出して コントロールしようという頭の偉い人、すでに現れている可能性す らあって。メディアがそれを真実だ、と報じると信じさせられる っていう。 あ、なんか場違いなフィールド違いのことを書き始めてた。 28歳の時、書いたコラムがどれだけ恥ずかしいものか分る だけに、この辺でやめとかな。下手な解釈は必ず、恥ずかしい ものに変貌する、よく理解してますからね。 偶然、発掘したコラムのコピーで、 戦場カメラマンが苦闘していた時、暖かい部屋で能書き たれてた記者がいた。その二人は高校の同級生。これで 充分ですよね。「めっちゃピンぼけ」はフィクションで すが、微妙に現実の、生身の人間の生き方にもリンクして るってことです。 (下)不肖のエッセイ「なんで儂は戦地へ行くんやろ?」 が掲載されている「小説宝石」の今出ている号(2005年8月 号)。「こんな作文ではなく、次回は私の写真を見て、私の 戦争観をくみとっていただきたい」で、不肖は締めてます。 同じ号。まだ読んでないのですが、三崎亜紀さんの戦争を 描いた短編小説も載ってるので、読んでみます。僕が書いて きたことが三崎さんの文に対する誤解だったり、勘違い だったら嫌なので、しばらくは読み続けます。間違いに気付けば 素直に謝りますね。メディアでなく、こんなミニコミュニティ というべきブログで、だけど。
2005年07月30日
29日の午前10時。 いや、昨夜も家に着くと倒れてしまいました。 全く、記憶がない。 午前零時半ぐらいに玄関を入った のは覚えてるんですが。 気がつくと朝の6時半。 パンツ一枚になってるところが不思議で。 もちろん、寝てた場所は床の上。 あかんわ。 この日記、書き終えたら書き込みしてくださって る方の返事、書けるだけ書きます。でも、 時間が。いや、福原愛ちゃんを今日は見に行くので。 別にファンじゃないから、仕事で。 これが電車で片道2時間の世界なので、 余裕がねえんだよなあ。 あ、ついでに言っておくと、昨日は 長居でフィオレンティーナの、というか 中田英寿選手の取材、のはずだった んだけど。 試合は見ましたよ。現場で。 でも、中田選手は会見拒否、というか、 報道陣を受け付けなかったので。 何しに言ったことやら。 原稿はそれでも出てるから、怖い世界や。 で、今日のタイトル。 数日前の日記で、不肖から極秘、と題した メールが来てたことは書きましたが、昨日出た 週間文春を見るともう、世間に言っていい部分も 出てきたようなので。 サマワでの取材が終了して、移動なり の次の作業に不肖は7月20日よりも前に入って ました。ただ、今回に限ったことではない ようですが、外務省管轄の部分でやられた、 お役所仕事(海外でもそうだ、というのが オレでも悲しい。オレらの税金で行ってるんやろ? なんぼ言うことを聞かん不肖やいうても、やはり 民間人やで)、許せなかったようで。 “あのあほどもにはしばらくしんぱいさせちたら ええんや”(原文まま) というのが、極秘のメールのラストでした。 あほが誰を指してるのかは、あえて書きません。 ただ正直、僕は読んだ瞬間大笑いしたし、本当は みんなに紹介したくて仕方なかったけど、仁義っ てあるからね。 不肖自らの手で、サマワでの今回のミッション終了を 報告するまで記せなかったということです。 不肖がサマワおよび、イラクから無事脱出できたのか、 それともまだ潜伏してるのか、外務省をはじめとする 関係者の人らはよく調べてくださいね。 (なんぼなんでも10日も経ってるから、調べは ついてるやろけど) で、メールといえば。 3月半ばに不肖と並べてここに書いたことの あるフォトジャーナリストの下村靖樹君から 27日にメールをもらっていて。 「本日27日、小学館より発売のSAPIO紙上にて この間取材に行った南スーダンの記事が掲載されます」 とのことでした。 昨日。JR須磨駅のKIOSKで手に入れましたよ。 うらやまし。どこでも手軽に手に入る雑誌に名前入り の原稿が載るなんて。って、不肖はいつものことやし、 考えたら「めっちゃピンぼけ」だって、SPA!の本の 紹介のところに出てたんやから同じか? 世間の人。 日本の普通の人はスーダンなんかに興味ないからねえ。 下村君は本当に、中央アフリカ一帯の取材に関しては 日本でトップのジャーナリストだと思うけど、発表出来る ところが限られてるから。 都合3ページのルポだったのですが、内戦の痕。 最初のページにある破壊され置き去りにされた 戦車と地雷原のカラー写真をはじめ、今年1月 に内戦終結してるとはいえ、怪しいスーダン国内 事情はよく判ります。民族間の憎悪ってやつが 消えてないから、ほんとうに怪しいよねえ。 ルワンダの場合、インテリジェンスが発達して ることもありだろうけど、民族間(ツチ、フツ)の 憎悪、少なくとも表面上は口にする人、僕の滞在中 (2004年2月から3月の10日間ほど)見かけることは なかったから。スーダンはそれがまだある、ってい うのが下村君のレポートで分るから、ダメだろうね。 近い内、やばいことになりそうな気配充分で。 下村君のレポートでも気の毒で。 何が、って、イラクだったら、ある程度報道がなされて るから、一から紛争の内容を書く必要なんてまずないけど、 スーダンはねえ。 日本人が直接絡んでないから、新聞をはじめ詳しい 報道なんてまず目にしない。だから、最初から 記さないと分らない。 律儀な下村君はそれをやってるんだけど、 そういうきちっと書いた部分って、実は 一般読者には読みにくい。 完全なパラドックスで。 僕が完全に内容をここで書くと、雑誌を読む方 が減ってしまうので、このあたりで。読む価値、 というか、知っておく価値はあります。 自分らの関心のあるところだけが世界じゃない、 っていうのを頭の片隅にでも置いておくためにも。 (下)下村靖樹君のスーダンのルポが掲載されて いる「SAPIO」8月10日号。改めて見ると、この 雑誌の執筆人って玉石混交で、多彩だよねえ。目次みても 小林よしのり、杉山隆男、落合信彦、大前研一、って 感じで並んでいて。好感下村君、頑張って欲しいけど、 アフリカって、一般の人には遠くて遠い大陸なんだよ なあ、実際。
2005年07月29日
27日の午前1時15分。 さっき、大阪ドームでの取材を終えて 帰って来ました。ホークスの斉藤投手 の長い原稿書いて。 球場に着くまで、今日斉藤投手が投げることも、 彼が無傷の9連勝だったことも知らずに。まあ、 なんとか原稿は作ったけど、こんなんでええんか、 の疑問は消えず。 で、今日のタイトルは「土の中の子供」。 久々に、小説読んで震えが止まらなかった。 リンクしましたよ。暴力の体験が。 恐怖が。自分の体験と。いや、僕の体験なんか 生易しいけど。 中村さんが描いたシチュエーションは、 かなり極端なモノとなっていて。 でも、これぐらいの設定にしないと、 この話はもっていけない、というか 耐えられないだろうな、と。 おそらく、今後数ヶ月、売れるし、話題に なると思うので、ネタばれになる書き方は しません。読んでもらっても、大丈夫なような 紹介をします。読む予定の人も、安心して読んで ください。 直木賞や三島賞の候補になっていた「となり町戦争」 (三崎亜紀著)に、僕が感じていた不満が、 「土の中の子供」では、見事に解消されていて。 「となり町戦争」に感じた一番の不満は、手法が 古めかしく感じられたことで。“もうええで”と、 思ったのも確か。よく書けてるんですけど、優等生 の作文、と思ってしまった。なぜって? 暴力を空気で読ませる、って手法。普遍的な 手なんだけど、“おまえ、殴られてないやろ、ほとんど” と、書き手のことを類推してしまった。 いや、「土の中の子供」の中村君も、殴られてなんか いないかもしれない。でも、そう思わせない圧倒的 な描写力を僕は感じました。もし、全く違う人 なら、見事に僕は騙されたわけで。 空気を読ませる時代は終わった-と僕は思ってます。 言い方が悪い。言い直します。今、イラクの戦争や テロをはじめとして、むき出しの暴力が普通の、日常の 風景と地続きで存在するのを僕らは知ってます。 そういう中で、空気を読まされても、僕などは絶対 納得しません。空気だけを書いてある小説を読むと、 イライラさえしてしまう。 もう、ええで、と。 とりあえず、空気だけを読ませる小説は時代に合ってないん じゃないか、というのが僕の考えです。 「めっちゃピンぼけ」も、そういう考えの中で書かれてます。 芥川賞や直木賞の受賞者、作品と比べるのはあまりに不遜 なのですが(「土の中の子供」と同じリングになんか上がり たくないですね。いいもんは別世界に、って感じで)。 ただ、空気を読ませるのはダメじゃないか、と直感で 思った記憶はあります。 「となり町戦争」の帯で、井上ひさし氏が「この素晴らしさを 伝えるのは百万言費やしても不可能」と書いておられますが、 果たして?「父と暮らせば」のような、空気を読ませる戦争 文学を書いてこられた氏だから、こういう評価になるので しょうが、どう言われても、今の、この世の中で、空気、なんて 読んでる場合じゃない、と僕は思うのですが。 (ここからは中東の文学、カナファーニーの「太陽の男たち」 のネタバレあり、だけど、読む人もそう居ないだろから、書いて しまいます) パレスチナのガッサン・カナファーニーの「太陽の男たち」 の厳しさ。あれを空気を読ませる書き方でなんか書いたら、どう しょうもない。イラクからクウェートへの密入国っていう、今な ら不肖がやりそうなシチュエーションんですが。空の給水タンク にひそみ、国境を越えて脱出を試みるパレスチナ難民3人。彼らは、 結局、国境を越えるのに予想以上の時間が掛かった結果、熱死 してしまう。彼らは救いの声を挙げようと思えば挙げられた状況で 黙って熱死してしまう。難民の立場から何があっても脱出する、と いう強い意志。厳しさ。自らの命をはってでも、の自由への希求。 これを空気では…。 カナファーニーは36歳で、小包爆弾で暗殺されてますが、そういう 厳しい状況で文章を書いてる人が、生ぬるい空気なんか書きますかい な。 で、「土の中の子供」に戻って。 どうしてここまで、という状況を作り出し、 読み手に信じ込ませる作者の力量、って 本当にすごい。 カナファーニーと比較するのは中村さんにも 失礼かもしれないのですが、核心をきちんと 書くという姿勢は同じ気がして。 同時に、「土の中の子供」は、自意識に貫かれた 小説ではあるけど、決して観念小説ではない。 うまい、と思うのは、会話。 主人公と主要登場人物となる女性との会話。 効いてるし、生きてる。 と思います。 この会話が生き生きと、自然に、普通、どこに でもいる男と女のものとなっていることが、 見事に現実の世界と小説世界をつないでる ように僕には思えて。 「となり町戦争」の登場人物・僕と香西さんの関係と 比べたら一目瞭然、というか。嘘っぽいものと、本当に 思えるものの差と言ってもいい。頭で書いたものと、土の 匂いのするものの差と言ってもいいかも。 これ以上、書くとストーリーにも 触れたり、ネタばれ、になる可能性も あるので、ここまでで止します。 要は「土の中の子供」、僕の心の奥、 普段は何も感じないところまで入り込んで 揺り動かしてくれた、ということ です。「となり町戦争」との比較の中でしか、 ストーリーの根幹に触れない紹介が出来ん 僕も情けないけど。 (「となり町戦争」も本当によく書けてるんです。 だから、比較の対象にするんですが。好み=テイスト の問題でしょうね) (下)荒い読み方で、表紙の曲がった「土の中の子供」 掲載の新潮4月号。 タイトルを眺めるだけで、自分自身、体が熱くなるのが判ります。 昔、惚れた女の苗字とか名前を見ただけで、熱くなって たのと同じ。甘い、という意見が出てもおかしくないけど、 中途半端じゃない経験をしたものにだけ許されることって あると僕は思いました。 深夜の電車の中で読み終えて、JR須磨の駅から歩く 道。足元が震えてたもんなあ。いいもんに出合った時、 まだ心が動く自分がいて、ちょっと安心って感じかも。
2005年07月26日
26日の午前零時になったところです。 高校野球の地方予選、決勝戦以外取材 しないわが社にとっては、実はこの時期 は仕事の端境期。 他社のスポーツ記者の方たちが、真っ黒に なって走り回っているのにお休み続きで。 いや、そりゃあ、オレだって世界水泳だの、 世界陸上だの、世界柔道だの、行かせてやる、 と会社がおっしゃるのなら、ちょっとは気構え も変わるんですけどね。 小崎まりさん、のことであしたにでも この話題は書くつもりですが、いずれにせよ、 行く方のための準備、補助の取材にしか 使ってもらえんからねえ。 あきません。 本の失敗(といってもういいと思う。内容に関して じゃないですよ。劇的に売れる可能性もゼロとは言 わんが)で、自費で海外に取材に行く金銭的余裕も 今はないから。 悔しいなあ。 楽天のこのブログを読んでくださってる方、 特にリンクをしてくださってる方(僕がしてる 方じゃないです。オレも、人のことは言えんが 相互リンクになってないのって、気持ち悪い よね。嫌われてるのかな、ってやはり考える ことは考えるよ)などのかなりの助けがあって、 このざまなので。 情けないし、悪いなあ、と。 あ、50人の制限一杯まで僕自身、 今、リンクしてしまってるので、新しい方を リンクするには古い方にすみません、しかなくて。 相互リンクになってない方は、悪いのですが、 段階を踏んで削除させてもらいますね。 こちらからお願いして、なんだ、って感じですが。 ともかく、刷ってもらう数が少なすぎました。 あれでは、宣伝して自分で売るのも難しい。 「リアル鬼ごっこ」のような、僥倖がない限り、 無理だわなあ。オレがあと20年若くて、「めっちゃ ピンぼけ」を書いてたら、扱われ方も少しは変わって ただろうに。言っても仕方ない。 ほんまに、悔しい、それだけやなあ。 また、前置きが長くなった。 しかも愚痴。 やめとこ。で、今日は25日に行った 伊丹での故橋田信介さんの写真展の話題で。 いろいろ、考えさせられる写真展でした。 伊丹市のラスタホールに着いたのが午後4時 少し前で。橋田さん自身の約30点の写真に、 奥さん(幸子さん)ら関係者の撮った橋田さんに 関する写真10点ほど、と全部でも40点ほどの 小さな展覧会でした。 正直に言いますね。 まず、無料っていうのに引っかかって。 市の事業だから、なんでしょうね。 でも「?」と思いましたよ。無料で ものを見る、っていうのが習慣になってない からでしょうが。 で、写真見始めてからも、引っかかりの連続で。 最初の3枚で「?」が。 イラクで銃撃され、亡くなった橋田さんの 遺品と最後に撮られたと思われる写真が3枚。 時間の止まった腕時計。弾が貫通した痕が生々しく 残る帽子。 じっと見ていて、「?」を抑えられなくなった 僕は受付けに一人だけいた係りの女性(若かった)に 「この写真を撮ったのは誰ですか?」と 聞きに行ってしまいました。 当たり前なのですが、橋田さんが、自分の遺品を撮影 出来ることなどあり得ない。橋田さんの生前、最後に 会ったジャーナリスト(この言い方、不肖は嫌うけど) 、宮嶋茂樹だったわけで。おそらく、宮嶋=不肖の撮った 写真だったはずだと。 係りの女性、見事に困ってましたね。 6日間の写真展で、そういうことを聞いた人は いなかったようで。主催の平和都市推進協議会へ 問い合わせて下さって。で、その結果は。 「橋田幸子さんの事務所から説明を受けずに借りてきた だけで、判らないということでした。写真の説明、キャプション も“見られる方がおのおの感じ取ってくだされば”という ことで、橋田さん(幸子さん)の意思で付けてない、と いうことでした」 受付の女性が私に告げたのはこうでした。 いきなり、橋田さんが撮ったのではない3枚の写真 が並べられている理由。僕らが自由に推測して いい、ということで。 そして、並べられていた写真で、橋田さんが撮った と思われる最後の写真。 予定表でした。バンコクの自分達の事務所で、 橋田さんが小川さんと決めたに違いない予定。 そのボードを撮っていて。 橋田さんのボード上の予定をここに記します。 5月24日 バンコク(夜11時出発)ーアンマン 25日 アンマンーバクダッド(昼便) 26日 ファルージャ 27日 〃 1万円=3570バーツ 28日 サマワ 29日 サマワ 30日 バクダッドーアンマン(夜到着) 31日 アンマンーバンコクー東京(6月1日到着) 受付の女性の目を盗んで(別に盗撮じゃないからええ はずなのに)私がメモしたもので、バーツの換算は、小数点 とかがあったかもしれん。ただ、このお金は別に重要事項 ではないから。 このボードで重要なのは、ファルージャからサマワを はさんで、バクダッドへの移動。予定していた期日と、 実際に現地での移動が一致してたか、どうかで。 メモした後、もう一度最初の宮嶋氏の写真に違いない 最初の3枚の写真に戻って。隣に貼ってあった、橋田さん らの銃撃を報じる読売新聞の一面原稿を見てみて。 予想通りでした。 ずれてた。5月27日午後(日本時間28日午前中)と、 銃撃が確認された時間を読売は報じてました。 さっきのボードのメモを見て下さい。 予定通りなら、橋田さんはファルージャにいた日な訳です。 今、不肖の「サマワのいちばん暑い日」を取り出して、 確かめてみる。318ページ。5月27日、午前11時頃の ことであった、と不肖は橋田さんとのサマワでの再会の 日時を記してます。橋田さんと小川さんのサマワ滞在 がわずか数時間であったことも判るように不肖は記して くれていて。 要は、橋田さんは当初の予定より一日早くサマワに着き、 二日いる予定だったのに、数時間で引き上げている。そして 、バクダッドに着く前に凶弾に倒れた、ということに なります。だから、どうした、という話ですが、もし 予定通りに過ごしていたら、違う結果だったかも、と いうのも。 不肖の本の344ページ。2004年3月に勝谷誠彦さんが イラクで強盗に遭った時、橋田さんは予定通りにアンマン を出発。勝谷さんは遅れて強盗に遭ったとあって。その上で 「やはり最初に安全な計画を立てたら、それに従うべきだ」 という橋田さんの話を不肖は載せていて。 遅刻じゃなくて、逆にスケジュールを早めてるのですが、 モハマド君の目のことがあったとはいえ、橋田さんは自分の 言葉に自分ではまってしまったんじゃないか、と僕は思った 訳です。 今、僕が書いたことはすでにいろんな方が書いてるのかも 知れません。でも、僕はここに書かずにはおられなかったの で。みんなが書きまくってることなら済みません。僕は知ら なかったので。 (下)著作権の問題もあって、絶対写真展の写真って撮れない んですね。で、外から中の写真が判らないように撮った一枚。 いや、並べてあったベトナムの13枚、アフガンとイラクの12枚、 ほとんどすべてが人物中心で。戦中の写真のはずなのに、人の 表情が穏やかなものばかりだった。男も女も、子供も、兵士も。 橋田さんがいかに人の、普段の生き生きした表情を撮れる人だった かが判って。ピザの斜塔が倒れるのを奥さん(幸子さん)が支えて いるかのように思わせるスナップもあって。夫婦がいかに仲良かっ たかが判るような気持ちにさせられたのは事実でしたね。 それと、付け加えで。同所(伊丹市ラスタホール)で、 7月31日(日)に、映画「戦場のフォトグラファー」の 上映会があります。10時半と14時からの2度。 小説「めっちゃピンぼけ」の中で、僕が思い切り使った 正統派の報道写真家・ナクトウェイ氏のドキュメンタリー、 大きなスクリーンで見れるチャンスということで紹介 しときます。
2005年07月25日
23日の午後12時すぎ。 電車の中です。 移動中。仕事のためなのですが、 これも認めてくれんのかのお、会社。 取材の資料を読んでない限り、 仕事時間に含まない、と。 アホちゃうか。 元々、出張の移動は仕事に認めんとか 理不尽は多いけど。 新幹線の中でビール飲んでもOKで、 その足で取材したら“なってない” って、マイナス評定やろ。 どっか、おかしいって。 この話はここで終わり。組合に任せるべき 話やから。 で、ほんまにブログを更新する時間、 移動中しかないのでやります。 昨日、何冊かの本を一括購入しました。 その中で、引っかかったものが二冊。 「新潮8月号」と「情熱と感動の仕事術」(永末春美著)の がそれで。 「新潮」の方は、沢木耕太郎さんが長編小説を発表 されてたのでびっくりして。“やっぱり小説なんや” と思ってしまった。いや、沢木さんはもういまや、誰でも 知ってるノンフィクションの第一人者で。 ただ、「路上の視野」なんかにも記されている通りで、 高校時代に小説を書いてられたのは間違いなく。 ノンフィクションのでも、私ノンフィクションと おっしゃってた「一瞬の夏」やニュージャーナリズム の三人称小説手法で書かれた「テロルの決算」など、 明確に小説を意識されてたものも多かったし。 「一瞬の夏」は、実際、新田次郎文学賞の受賞作ですしね。 で、「百の谷、雪の嶺」と題された4百枚を越える 小説。どんなもんかな、と。正直、2000年に 10年かけて書かれたという「血の味」っていう小説 を読んだ時は“いける”と思いました。いや、これで いい小説、っていうならオレも十分いける、っていう 意味で。いや、昨年、川嶋君に1ラウンドでTKO負け していた徳山君じゃないけど、不調の時って、回りに 希望を与えてくれますよね。 もし、読む機会があれば、僕の「めっちゃピンぼけ」と 比較してもらって結構で。「血の味」なら、完勝と言って いいんじゃないかなあ。僕の本の。 だけど、これが本当の実力じゃないの、僕は良く知ってます。 なにしろ、文章のいろんな面で手本とさせてもらった方で すから。直接でないにせよ、弟子みたいなものだったのは 確かで。 それだけに、期待と不安、って感じですね。 新しい沢木さんの小説。自分が手の届くレベル の作品なのか、全く遠くにある高い山なのか、 その確認をしてみたい、っていう。 「血の味」は、たぶん、ジムのパートナーに わざとダウンを食ったようなものと考えるべきで。 芥川賞作品の中村文則さんの作品、読み終えたら かかります。沢木さん、あなたが知ろうと知ろまいと、 無名の作家があなたの作品を一つの指標としている。 その事実は変えようもないのです。 (下)沢木さんの小説の載ってる「新潮」と一緒に買った 神戸の「トアロードホテル」支配人、永末春美さんの書いた 「情熱と感動の仕事術」(カナリア書房)って本。 発売日がこの日、7月22日でした。 いや、この楽天ブログで知り合いになった方で。 前から、あのお洒落 なホテルは気になってたんです。その支配人の方と お知り合いになれるとは、って感じで。まだ、3分の1 ほどしか読めてませんが、我が社に“言うたって、ほんま” と思うようなことがたくさん、書かれてて。 まあ、オレも不平、不満ばかり言わずに、自分なりに 創意工夫はしよう、と思わせてくれる本、って感じは しますね。
2005年07月23日
22日の午前10時半。 書き終えたら仕事に出ます。 今日は、ちょっと軽い取材を終えた後、 会社での内勤が待ってます。 退屈なことが多いが、誰かがやらないと いけないのが内勤で。 さっきからBGMにかけてるのが 佐野元春さんのLP「SOMEDAY」。 未整理の棚、今月末までにはなんとか片付けよう と思って触っていて出てきた一枚で。 LPだからねえ。1982年の5月、発売と同時に 買ったもの。すぐにテープに落として、 擦り切れるまで何度もテープを聞くように してたので(擦り切れる度に録音し直し) レコード、ほとんど痛んでないんですよね。 音楽。 特に、国内のミュージシャンの話、あまり書いて 来なかったけど、今日は書きます。 1994年の終わりに突発性難聴で右耳がアウトに なるまでは、本当に音楽がなければ一日たりとも 生きていけない人だったのは確かなので。 最初に自分でお金を出して、チケット買ってコンサート に行ったのが佐野元春さんのもの。最後にチケット買ってコ ンサート行ったのも佐野元春さん、ってわけで、BGMに合わせて 佐野さんにまつわる話を。 「ガラスのジェネレーション」。 にっかつロマンポルノの、どの作品だかに映画音楽 として使われたこの曲。今は、電通で活躍されている 大学の同期だった河野賢二君(ネット検索したら出てくる 名前なので実名でいきます)が、僕らの仲間うちでは 真っ先に発見して。いや、「アンジェリーナ」は僕も、 よく聞いてたんですが、同じ時期のデビューとしては「 EPO」さんなんかの方をよく聞いていて。 河野君は覚えてるかどうか知らんけど、「“車が来るまで 闇にくるまってるだけ”やろ、言葉のつなぎ方、最高やん」 とアンジェリーナの歌詞の一部を褒めちぎってたのを覚えて いて。後年、彼(河野君)がコピーの世界でそれなりの成功 (と思う。直接は聞いてないけど、かなり大きな賞、もらって たみたいだから)を収めるのも今となっては納得なのですが。 で、「ガラスのジェネレーション」は、やはり「“つまらない 大人にはなりたくない”やで」と、ポルノ映画を見てきた直後に 、映画の話でなく、使われていた音楽=歌詞の話を河野君が延々 としてたのやはり覚えていて。 つまり、佐野元春さんを知ったのは自力ではない。 1981年11月4日。母校・関西学院大学の中央芝生で 佐野さんが行ったコンサートも河野君がいなかったら行か なかっただろうし。 まあ、そんなこんなでファンとなった僕は、 1982年4月18日に三宮のどこかのプレイガイド で佐野さんのコンサートのチケットを買いました。 値段は覚えてない。おそらく2千2、3百円だった んじゃないかな?関学で聞いたコンサートは、無料 だったですから、初めてお金を出して買った音楽 チケット。 で、翌日の神戸国際会館で行われたコンサートに一人 で出かけて。まだ“SOMEDAY”も、アルバムが 出てなくて、“シュガータイム”が新曲として歌われて いた時。嬉しかったなあ。ライブハウスは何回か、すでに 行ってたけど、まともな、というか、大きなホールでの コンサートなんて、自分が行くって思ってなかったから。 “ガラスのジェネレーション”、はまってましたね。 ただ、誰かと一緒に行く、っていう発想もなかった。 彼女もいなかったし、河野君らに『佐野元春のコンサート いくねん』って言うの、何か後追いしてるみたいで。 いや、まだブレイクしてなかったからですよ。知る人ぞ、 知るっていう存在で(でないと、コンサート前日にチケット なんて手に入らない)。まねしてるみたいに思われるの、 嫌だっていう、10代から20代の頭ぐらいの人なら 判るだろう自意識過剰で。 それ以後。 佐野さんがブレイクして時代の寵児になってる時も、 そうでない時も、近所でコンサートがあると判ると 行くようになって(切符取るのが大変な時期も確かに あった)。神戸で、大阪で、広島で、東京で、住んだ 街で必ず一度は行ってる人になりました。 で、今年の1月15日。 広島から転勤で神戸に引っ越す前日。 なんの因果か、と思ったけど、佐野元春さんの コンサートが広島であった訳で。 行きましたよ。 約23年前と同じく一人で。 子供連れがめっちゃ増えてるのには 笑ったけど。だって、ロックンローラー のコンサートなのに。総立ちになったら どうすんだ、と思ったけど、佐野さん、その あたりわきまえてられたね。 「僕のコンサートには3世代の人が来るんだ」 とか言って、笑わせてくれて。 未整理の部屋の中のどこかに、最初に買った コンサートのチケットと最後に買ったコンサート のチケット。半券が埋もれているはず。 隣合わせかもしれず、ケンケンパーしても 届かないほど部屋の中の左と右かもしれず。 整理出来ない人生、辿ってきてる オレだけど、結果的に節目で佐野元春さんの 歌って、あったような気がして。 「SOMEDAY」に収録されてる「二人のバースディ」 や「麗しのドンナ・アンナ」なんて何年ぶりに 聞くのか思い出せない曲が左耳から入って くるたびに、さっきから走馬灯の ように巡るいろんな思いもあって。 妙に感傷的になりかかるのを、 須磨の、暑い日差しが遮ってくれる のがありがたい夏の一日。 (下)LP「SOMEDAY」のジャケット。左端に 書いてある自作48頁手作りポケット・ブックっての が初回特典だったような記憶が。実家(明石)の自分の 机の引き出しの奥にまだあるはず。 それにしても、サインとかのことも含め、自分の小説 を読んでくれた人、買ってくれた人を絶対大事にしよう という気持ちを生んでくれたのも実は佐野さんのおかげ。 僕は覚えてます。81年の関西学院大でのコンサート、 しっこくアンコールを求める僕ら学生に対して「もうええ 加減にしてよな」と打ち切ったのを。いや、アンコールは 2度やってたのかもしれない。ただ、ほんまにこのニュア ンスの言葉をマイク越しで言ったのにびっくりして。 後年、ブレイクする前後からの佐野さんのファンに対する 厚い対応を知ってるだけに、“あれはなんだったんだろう” と。 人間って、いいことはあまり覚えてもらえないのに、ふとやった 変なこと、めんどくさがったことを忘れてもらえない。肝に 命じてるんですが、それでも結構やってしまう。難しいです。 人を大切にするのは。
2005年07月22日
21日の午前11時。 今日も休み。要は連休です。 いや、昨日はよく寝た。 というか、倒れてしまって。 いつものことか。夕方、須磨の海岸に 出たところまでは有意義に過ごせてる と思ってたんですが、午後8時から記憶がない。 朝、6時半に起床した時にはまさにパンツ一丁で。 無意識だけど、全部脱いでたね。 クーラーなしで、暑かったに違いなく。 よく寝ました。 で、朝、メールを開くと。 返って来てました。 不肖からのメール。 でも、今回はタイトルからして ここに出すのは拙いかな?と。 タイトルは「極秘」でした。 ゴクヒ、ごくひ、をみなさんに晒しては報道者の ゴルゴ13、こと不肖も仕事が 出来んようになるやろし、もっと言えば 私自身がライフルであの世(ゴルゴやな いからそれはないか)やろし。 ただ、それでも一箇所だけ紹介は出来ます。 「いたって健康」 これで、充分といえば充分。 少なくとも、イラクの人、アラブ人に拘束されたり、 日本の外務省の役人にいじめ倒されてるということ はない、あ、不肖やったらいじめ倒されてても “健康”って書いてくるやろなあ、だから、人質に なってないということだけは確かやわな。 まあ、FAXでなくメール連絡になってる間は 間違いなく海外に不肖はおる、ということで。 でも、「極秘」で紹介出来へん不肖のメール 読んでると、イギリスのあの人を思いだして しまった。私は昔、大ファンだったので。 作家のアラン・シリトー。 イギリスのノッティンガムの労働者階級の家に 生まれ、体制社会への反抗、反逆を終始書き続け た人。1928年生まれで、1960年代の頭に英国フリー シネマの流れの中で、「土曜の夜と日曜の朝」や 「長距離走者の孤独」が映画化され、自身も脚本 やプロデュースに携わったりしながら一時代を築いた 作家。 あれだよね。 終始、体制への反逆、っていうところ がポイントで。シリトーも徴兵でマレー に行ったり(ここで、結核療養中に読み漁った 本が彼を作家にした、と『私はいかにして作家に なったか』に書いてたな)で、なにもかもに 反抗してたわけじゃない。 道理の通らない権威主義や体制社会への異議を 唱え続けただけで。 不肖の外務省(出張所、海外を含む)とのやりとり、 なんか、シリトーの作品の主人公らのそれとほとんど 変わらん。後年のシリトーの作品は、コミューンを 作ったりで、ちょっと問題も出てくるんだけど、少なくとも 40代前半あたりまでに書いてた作品には同じ匂い を感じるねえ。時代も国も、状況も、創作の種類も、 みんな違うのに。 昭和53年から54、5年にかけて、なぜか、集英社 がシリトーをやたら文庫化した時があって。文庫だけ じゃなく、黄色い表紙の世界文学全集とかいうのにも 次々訳して出版して。 大学時代の僕ははまりましたよ。 日本の、そのタイプの作家だった丸山健二さんと 二人。今はその二人もかなり高齢になって。 とても「怒れる若者たち」っていった イメージじゃなくなってるからね。 いや、二人とも怒り続けてるみたいですけどね。 代わりに、今の僕にとっては不肖・宮嶋の 存在は大きいな。ほんまに、与せんからなあ、 体制に。おそろしいほど、現役で。 まあ、何の話か判らんようになると いかんので、このへんで。不肖からの メール、たった一文しか紹介出来んで 悪いけど、僕のこの文章で極秘、の 中に、どんなことが書かれていたか、 推測してもらえればありがたいです。 (下)不肖からのメールで思い出して本棚から取り出した 文庫版のアラン・シリトーの本の山。25年も経った本 ばかりなので、おそらくほとんど絶版でしょう。新潮文庫の 「土曜の夜と日曜の朝」以外。それにしても、シリトーの 作品の主人公、って女子供を捨てて逃げ出す、って設定が 多かったなあ。 『怠け者で負け犬で騙されやすい伝説の人ウィリアム・ポス ターズの幻影から逃れようと、フランクは仕事も妻子もすてて 放浪の旅にでた』 (「ウィリアム・ポスターズの死」=集英社文庫=、の裏表紙 にある作品紹介文の一部抜粋) これもカッコいい、と20代前半の私は思っていたけど、 今は少しだけひっかかりが。やはり、妻子は反体制と関係ない よなあ。捨てて逃げたらあかんやろ、普通。シリトーさん、 私生活でも妻子にだいぶ苦労されたのかもしれん。子供の ことはよう知らんけど、女から逃げたくなる心理は確かに 判らんことはない、というか…、よう判るわな、間違いなく。
2005年07月21日
20日の午後12時半ぐらいです。 今日は、久しぶりのお休み。 いや、ほんまは、ボクシング関係の 世界王者長谷川君の共同取材がセッティング されてるんですが、休みを優先させます。 すんません。 5年前なら行くけどなあ。 今は、もう少し冷静に考えます。 もう、神戸新聞には今日掲載されてるって 言うし。僕の原稿じゃないけど(あたり前 やわなあ、取材してないのに)。 昨日は、甲子園で日本最速の161キロが出る 瞬間を見たし、原稿も書いたよ。 昼間の徳山君の取材から回って。 穴埋めで、起用されて甲子園球場へ行ったら、あれや。 いや、嬉しかったですけどね。 とりあえず、歴史の証人にはなれたから。 85年のバックスクリーン3連発の時も、 甲子園の記者席にいたんですよ、居眠りしてたけど。 「めっちゃピンぼけ」、きのう、世界王者に 返り咲いた徳山君にもやっと手渡ししました。 内容の問題と試合前、ということで渡すの控えて たんですが、昨日は大丈夫かな、と。 「読ませてもらいます」と言ってたけど、 まあ、ビクビクもんやね。 しばらくは、彼も機嫌がいいと思うので、そういう 時に当たってくれることを祈るだけ。 寛容であって欲しいもので。 で、本題。 評判ですよね。 「めっちゃピンぼけ」の。 メールとかで、五月雨式に頂いていた感想は ほとんどフリーページに掲載はしてます。 ここで記すのは、まずは16日の合評会のこと。 出席者は僕を含めて4人だけでした。 以前からの顔見知り、というか全く仲間内 になったので、紹介も憚られましたが、 このブログで公募はしてたので、内容だけは 報告します。 で、ここからは思い切りネタバレ、ありですので、 これから本を読まれる方は警戒しながら読んでください。 読後にしてもらってもいいと思います。 出席者A(女性) 「話がうまく処理されている。奥さん、涼子さんの絡み がしっくり来ない。何で自殺したのか?ほんまのことは 判らんけど、それもありかな、と。焼身自殺って始末の 仕方も綺麗。この二人、死んでも良かったのかな、と。 これまでの谷川さんの小説は色がなかったけど、今回は 少し色がついたかな(作者注、この方を含めこの日の出席 者は全員、ほぼ僕が書いてきた習作を出来た順に読まれて ます)という感じ」 出席者B(男性) 「小説の中にリアリティのないものはない。物語が12歳の 女の子と焼身自殺、という謎として立ち上がっているのだか ら、もっと魅力的なミスリードが欲しい」 出席者C(男性) 「二人が心中する本当の理由。私は仁美に対する田辺の復讐 という風に読んだ。本人に対するリベンジじゃなくて、陽子 を使ってより激しい復讐をやったと思った。自然描写や6枚の 写真の使い方はうまくて、題名“めっちゃピンぼけ”の意味が 読者にとっては判る様に書けている」 かいつまんで書くとこういう感じかな。 3人と僕しかいなかったので、雑談みたいに、この小説のこと を語り合う時間が長かったので。約1時間半。ただ、Aの女性 が途中で語ってくれた心中時の状態の推測はおもしろく、それを 元にもう一バージョン書いておいて、来るべき増刷(売れれば あるし、売れないと夢で終わるっていうことですが)に備えよう とは思ってます。 このもう一バージョン、って発想が起こることこそ、合評の 有り難味で。ヒントがあった、ということですから。この3人 の方々は、「めっちゃピンぼけ」の最初に書かれた支離滅裂 バージョンも読まれてましたから、「頑張ったね」と3人とも に言ってもらえたのは嬉しくて。最低限、つじつまと後味の悪さ は消せていた、ということでしょうから。 あと、18日に楽天ブログをやられている二人の方が、奇しくも 同じ日にブログ上で、「めっちゃピンぼけ」を分析して紹介して 下さっているので、それも参考に読んでいただければ嬉しいです。 トラックバックをお願いするつもりで、ここで読めるように なればいいのですが。あ、NYのゆーみんさんが書いてくださって るのと、ヒロキン1023さんが書いてくださってるのもお願いする つもりです。気がついて、迷惑にならなければよろしくお願いし ます。 いや、ありがたいことで。 一つ言えるのは、やはり良くも悪くも、読んだ方が 何かを考えてくれる小説にはなっていたのではないか、 ということで。 作者としては、それだけで充分なもので。 いい評価もいいけど、それよりも、自分の小説を 素通りせずに読んで考えてくれる方がいる、って 言うほうがどれだけ価値があるか、と真剣に思って ます。 (下)本の書評、論評というと難しい、という概念を 打ち破った一冊。丸山健二さんの小説に対する見方など ほぼ僕と同じでした。映画の評論、というか紹介で、 「スクリーン」誌上での双葉十三郎さんの「僕の採点表」 を長年読み、わりと信頼して基準として映画の見方を培っ てきた僕としては、本の採点もすんなりだったのですが。 福田さん、袋叩きにあってましたよね。「本を点数化する なんて」って、でもどっちがいいか、と2冊の本の良し悪し を判断する時でも、無意識に得点化して比較してると僕は 思いますけどね。 僕の「めっちゃピンぼけ」は、どのぐらいになるんだろうか? ちなみに、39点以下が人に読ませる水準に達していない作品だ そうで。船戸与一さん、丸山健二さん、日野啓三さん、鈴木光司 さんなんかの多くの作品がこのカテゴリーでしたね。
2005年07月20日
19日の午前2時少し前。 家に帰ってから、約1時間が経ちました。 2000年8月の世界初挑戦の時から、徳山君の 世界戦はすべて現場で見て11戦目。その中でも 一番スリリングな試合でした。 初挑戦の時は、1回にペースを握り、4回にダウン を奪うわ、で快勝すぎて。危ないシーンもなかった し。 18日の試合は違いました。 なんといっても、前回、1回で倒された相手との 戦いですから。僕らは知っているのです。徳山君は 川嶋君のベストパンチに耐えられない、ということを。 どんなにポイントをリードしても、手に汗握って しまったのはそのためで。 まあ、そんな新聞で記者が書くようなこと、ここに 書いてもしょうがないわな。オレも、徳山君の原稿 書いて来たけど、余計同じもんは書かへん、って気に なってて。 1月に広島から戻ってきて、彼とは電話で2度ほど 話しただけ。練習場でも、僕が遅刻して行ったり、 他の記者の質問で充分と思ったり、で全く取材らしい 取材も、友人(?)としての言葉もかけなかった。 徳山君が初挑戦した頃は、僕は関西のボクシング記者の 元締めみたいな役割を任されていて。テレビも付かない 世界戦、というのを組んだ金沢ジムも素晴らしい英断だった けど、いろいろ調整するのに僕も一役買うところもあって。 「なんとなく、勝てそうな気がする。勘ですけどね」 世界初挑戦を控えた2000年7月末。ジムの近所の茶店で 徳山君と二人で話していた時の、彼のつぶやき、願望。 まだ、ボクシング関係者以外、誰も知らない頃、そして 不利の予想の中。あの時点では、僕も完全に気持ちをリンク 出来ました。僕も、何者でもなかったから。 5年を経て。 18日の勝利で、元々、眩しい存在になってた人が もっと違うステージに行ってしまった、という感じ が。臆して話せない、と言うんでなく、自分が恥ず かしい、という感覚。 広島にいた3年半で、何者にもなれなかった自分をど うしても、自分が許せない、っていう感覚が僕にはあ って。誤解ないように言うと、何者かになる必然性なん てない。ただ、それで満足出来なかった自分がいて、満 足出来ないんなら何とか努力なりしとけ、と思ってしま うわけで。 王座を転落していたとは言え、徳山君は8度も世界(世界!) の頂点を守り通した人になっていたわけですから。 きのう。 試合後の、控え室で、他の記者に混じって久しぶりに 質問はしてみました。きちんと答える彼の姿には昔と 変わるところなんてそうないように思える。しかし、 聞くこちらの気持ちは、そして、なんとなく義理も果た してない気がして。 義理ってなんなんだろうか? どうせ、馬鹿ほどメール攻撃にあってるに違いないので、 “おめでとう”のメールも打たない形で、今日の一夜明け 会見には行きます。 気持ちの上で、普通に彼と話せる日は戻ってくるのだろうか? 彼の問題ではなく、僕の問題。 どうしてここまでスポーツ選手と係わることを 避けてしまうようになったのか? 単にスポーツをやってるだけで知り合い、友人って やつには変わりがないはずなのに。 会社とのごたごたは、彼らとの付き合いに影響を 及ぼすほうがおかしいことでもあるし。 本当に、勝って良かった。 同時に、自分のこの度量の狭さ、 これって、小説を書くための鍛錬=人の観察、 っていうのを自ら放棄してるってことじゃあ? つまり、「ボクシングをなめてた」と川嶋選手に TKO負けした試合を徳山君は振り返っていたけど、 「小説をなめてる」っていうことになるんじゃあ? どんな理由であれ、人を避けて良いものが書ける 力量なんか、僕にありはしない。 もう一度、人との係わりからやり直し、しないと まともなモノなんて書けるわけがない。 相手に怪訝な顔をされようと、過去につながり のあった人との関係を出来る限り再構築したい。 単純に、そう思った夜。 それが18日、大阪市中央体育館での夜でした。 (下)2001年6月1日。私の大阪から広島への転勤の 仲間うちでの送別会に参加してくれた徳山君が、当時自分が表紙に なっていた「AERA」誌上に、僕のために書いてくれたサイン。 ついでにいうなら、あのあと6月6日に広島へ引越しして 部屋で荷を解いている時、つまり広島着第一号で「そっちは どうですか?」の電話をくれたのが徳山君でした。 5月に韓国での2度目の防衛戦に成功した直後。 徳山さあ、オレの渡したホイヤー、まだ持ってるんかな? 会社に対する愚痴ばっかり言ってるうちに、恥ずかしい ぐらい私は人間が磨耗してしまって。まだ、間に合うか? やれるだけはやろうと、決心はしたよ、さっき。
2005年07月18日
18日の午前2時20分です。 帰ってから2時間あまり。 ちょっと、グズグズし過ぎてしまった。 きのう(17日)は、取材がハシゴの日でした。 ボクシングの世界戦の調印式、軽量の取材と Jリーグ、神戸対柏戦。 大阪と神戸。 行ったり来たりで。 まあ、一番問題があったのは、ボクシングの 取材を終えて、神戸のサッカーの取材に行こうと した時ですな。 JR大阪から午後4時半ぐらいに普通に乗って 新長田で降りたわけです。いや、地下鉄に乗る ために。ボクシングの原稿は電車の中で書き上げて。 で、新長田駅から東京に送稿して、海岸線に 向かいました。ウイングスタジアムに行くために。 賢明な読者の方は、この物語のオチをもう 見破っていると思います。良くやるんですよ。 この手のミスを。 よう、大怪我せずにここまで来てるな、と思うだけで。 変だったよな。 人がいないんだもん。 サッカーの試合があるのに、神戸地下鉄の海岸線。 御崎公園まで乗ろうと思ってホームに立って 5人ぐらいしか乗り込まないのを確かめて。 始発で良かったよ。 あまりの人の少なさに、まさか、と思ったのが 正解でした。 ウイングスタジアム、と信じてましたが、 嫌な予感がしてカバンの中のスポニチを 取り出して見たわけです。 良かったよ。 確かめてみて。 はよ、電車降りな、となった訳で。 まだ5時40分ぐらいでよかった。 人生、取り返しのつく時間やった。 もう、ほんまに。 なんでホームスタジアムが二つのあるんや。 神戸にあるチーム。 野球もサッカーもそうやねんから。 いや、もう時効やろから、言えば 広島でも何回か、このミスはやった。 広島スタジアムと広島ビッグアーチの二つ が本拠地やったから。サンフレッチェは。 で、今日はヴィッセル神戸や。 柏レイソルとの試合は、ユニバー記念競技場 で、だったんですね。午後7時から。 よう新聞見たわ。 でないと、ウイングスタジアムに着いてから 気付くところやった。 時計、何度も見たよ。 で、試合開始には楽勝で間に合うって いう時間だったので、ほんまに ほっとしました。 6時20分には何食わぬ顔で 神戸ユニバー記念競技場の記者席に 私はいましたから。 まあ、めでたし、めでたし、の話で。 いや、ヴィッセル神戸はめでたくなかったやろ。 ほんまに、いんちきPKで先制点は奪われるわ、レッド カードは食らうわ。ボロ負け。GMがマッチアドバイザー に声を荒げて抗議するオマケも試合後はつけてくれて。 おかげで、仕事終了、夜の11時15分やった。 神戸地下鉄の総合運動公園駅、三宮方面行きの最終に やっとの思いで乗り込む一日になってもた。 なんの話や? 要は、確認、これ一番ということで。 思い込みは、あきまへん。 でもな、ボクシングの川嶋-徳山戦のモードに なってる人間に、サッカーまで目配りしろ、と 言われても。え?何? 野球も目配りできてないかん、てか? 高校野球?プロ野球? 私は聖徳太子みたいな偉人やあらへん。 ただの谷川俊規や。 いや、偉そうにいうつもりはなかったんやけど、 一度に二つ以上のこと考えるのは 今の私にとっては、八百屋で魚買うのと 変わらん、っていうのは確かで。 やっぱり、自慢にはならんな。 (下)せっかく来たんで、ヴィッセル神戸のGMが PKになったプレーの件で猛烈な抗議をされてる間に ロビーのウインドウを撮ってみた。 他の取材記者はみんな、神戸の行く末に頭を悩ま し、必死に取材なさってる時間帯。いや、もう一度 書きますが、僕も取材中だったんですよ、まじめに。 だから、ほら、蛍光灯の光、うまく消せない隠し撮り になってるでしょう? 誰や、ただ撮り方が下手なだけや言うてんのは。 まあ、否定はせん。これは85年のユニバーシアード 神戸大会で着られたユニフォーム。森尾麻衣、深尾真美、 サボー、のもの。と思う。この大会の最終日、走り高跳 びの世界記録を出したロシアのパクリンを書いた僕の スポーツ紙の原稿。いまだに、自分の素のスポーツを書いた 原稿の中では一番良かったんでは、と思ってます。記者 一年目の時のもの。あれから20年ほど経ったけど、原稿 は進歩しとらんというのは自覚があります。 自慢するなよ。
2005年07月17日
16日の午後6時。 仕事を早めに切り上げての書き込み。 誤解ないように言っておくけど、昼休み なんてとってないから。 正味7時間、ぶっとうしで働いた後だから。 こういうことを書くたびに、本当に 楽しみに読んでくださってる方に悪くって。 タイトルの通りで、サマワの不肖から またメールは返ってきたのですが、今回 は前回のと表裏みたいに、完全に私信。 それでも、ここは過去の彼の書物、あるいは 発言で大丈夫、って思えるところだけ 抜粋します。「 (前略) わしは自民党は山拓、民主党は岡田と しきゃダルの取材当事者や。 山拓のあとの民主党のあほみたいに学歴査証はして変やろな? 古賀やったけ? (中略) わし選挙がらみで立会い演説頼まれて、しんでもいややと 義理があったんで、そのままロシアにきゅうNA出張でほんまに にげた前科もある。 ただわしも44、おたなやからあほなことはいわんが、なんやろ? (後略) 宮嶋 」 (前略)(中略)(後略)以外は原文ママ 不肖らしかった。 いや、私信で、彼との共通の知り合いから頼まれていた 案件を二つ伝えたんですが、それに対する答えで。 政治家の方の絡みっていうのは 読んでくださる方は判ると思います。 ただ、不肖の姿勢がうかがえて。 これは彼のこれまでの姿勢どおり、で 私信でこっそり違うことをいうような 人やない、というのを証明できるかな、 と思って、この部分を公開しました。 誰かに与することなんか、有り得ない。 協力することはあっても、それはイデオロギー なんかではなく、もっと素の同じ故郷、 同じ学校出身、同じメディアで働いてる、など といったほんまに、普通の人間付き合いの中で 生じる好意に基づいてのみ。 不肖のこの姿勢。 僕も、目指してるのはこれなんですが、 つい甘い言葉に乗ってしまいそうになる ことも多くて。 自民も、民主もなく、悪いことをして 取材の対象になったら容赦はしない。 これ「ゴルゴ13」が仕事を依頼された 時の行動と同じですよね。 カメラとライフル銃との差だけで (その差は実は大きいですが)。 で、サマワ便りは終わり。 大きな変化がサマワにないのだけは、何も 書いてきてないので判ります。 ついでに書くと、普段、日本にいる時、 不肖との連絡はお互い読みづらい字での 自筆FAXなのですが、今回、サマワとの 交信では、やはり同じ「インターリンク」の 狭いキーピッチ。慌てて不肖が打つと、こう いう形のメールでくるので、日本語として 解読しなおさないかんところもあるわけで。 でも、さすがや。 よう分らんところ、そのままでも意味は ちゃんと通じるからなあ。 いつまでサマワにおらないかんのやろ? 無事に、ほんまに、無事に、って思って しまう。青天の霹靂ってことわざがなければ、 そう不安にもならないんだろうけど。 (下)不肖からのメールがなければ、こちらを書くつもり でした。18日のボクシング世界戦の予備検診のシーン。 ともにはっきり顔を出した写真(前が徳山、後ろが川嶋) を出すのには理由があって。 僕の本と同じで、このカードもそこそこ売れてるよう なんですが、まだ券が余ってるそうです。三戦目で KO勝負必至の好カード。僕がいうのもなんですが、 仕事でなくても見に行ったと思います。金出して。 チケットの問い合わせは金沢ジム(06-6752-8621) まで。値段は三千円から5万円まで、です。試合会場は大阪市 の大阪市中央体育館=地下鉄中央線「朝潮橋」駅下車徒歩3分
2005年07月16日
15日午前11時半。 とりあえず、今日の仕事になる ボクシングの展望(試合は18日) は送稿終了。 最近、練習を見に行っても声を交わしてない けど徳山君には頑張って欲しい。やはり、彼の 世界戦全試合(韓国でのも含め10試合)現場 で見続けてる数少ない記者としては、5年ぶり の挑戦試合に思うところも多くて。 5年前。 38から9歳になった頃で、なんとかまだ未来に 希望をつないでいた頃。心の底では、目前のシドニー 五輪をにらみつつ、次のアテネへは意地でも行って やる、と会社というか当時は所属していた部署の 上司らを見返し、存在を示す、ってことばかり 考えていたような。 まだ、ギラギラしてたし、やっただけのものが 返ってくる、と信じる気持ちも失ってなかった。 企業って、それも硬直化しかかった企業がそんな ものじゃない、って知るのにもう4年掛かりました からね。 だから、5年前。世界初挑戦の頃の、徳山君の 期待と不安な気持ちにはリンク出来ましたよ、 心底。5年経って、地位も名誉も手に入れた 彼と比較するのも失礼だし、第一、正直、眩しすぎます わね。認知度がほんまに、雨の一滴と太平洋全部、 ぐらいの違いがあって。 努力だけじゃあ、どうにもならないのが 厳格な昇進テスト、あるいは海外特派員テスト、 そんな贅沢なもんじゃなくても…。 やめとこ、考えれば考えるほど、惨めな 気持ちになるから。 「めっちゃピンぼけ」を多くの人に読んでもらうことと、 次の小説のことだけを考えるようにしないと。 で、先に読んでもらった上で、 ブックバトンなるものがcinema bookさんから回って 来て。今日はそれの回答を書いておきます。 1、持っている本の数 単行本約7百冊、文庫本約8百冊、全集約百冊 (どれもコミック、漫画も含みます、最初書いた ものより訂正しました。見た目より、数えると はるかに、本、多かった…) 雑誌はよう数えん。キネマ旬報が一ヶ月2冊で、約 30年間ほぼ全冊。同じくボクシングマガジンが 30年間ほぼ全冊。と、これだけで千冊を越える ので。スペースがなくなるのは当り前か。 文芸誌も馬鹿にならず。今目の前にも芥川賞を 受けて読もうかな、と思って「新潮2005年4月号」 を出してたところ。中村文則さんの「土の中の子供」 掲載号です。 2、 読みかけの本 「ティティの生活絵本」(若草さな絵)ソフトバンクパブリッシング 「群像2005年6月号」に掲載の「さよならアメリカ」(樋口直哉) 「ゴルゴ13」SPコミックスコンパクト63巻(さいとう・たか お)リイド社 3、最後に買った本 ネットでは楽天ブックスで 「ティティの生活本」(前出) 「ヴァニシング・ポイント」(奥山貴宏)マガジンハウス 本屋では 「シネマと書店とスタジアム」(沢木耕太郎)新潮文庫 4、思い入れのある本 数え切れないので、書きません。 ただ、そういう本の中で、友だちや彼女に 貸して2度と戻ってこなくなった本だけを 覚えている範囲で書きます。 「路上の視野」(沢木耕太郎)文藝春秋 「ゆらゆらと浮かんで消えていく王国に」(田村優之)TBSブルタニ カ=開高健賞の受賞作だった 「夏の流れ・正午なり」(丸山健二)講談社文庫 雑誌では「月刊シナリオ」の映画「脱出」(ジョン・ブアマン監督) のシナリオが載ってる1972年の何月号だか。おい、河野君、 そろそろ返してくれんか?25年前だよなあ、 貸したの。覚えてるオレも恐い。 あたり前だけど一番思い入れのある本は 「めっちゃピンぼけ」(谷川俊規)文芸社 しょうがないわな、これは。 5、次にバトンを渡す人5人 リトルモアさん、NYのゆーみんさん、ダウナーさん、 ぼっつぇ流星号さん、harumi1968さん の5人に お願いしようかな、と。 あ、人選はほんまに思いつき です。最近書き込んでくださった女性の方に しました。本当は、あの人と、あの人、みたいに 頭の中でリンクしているほぼ全ての人にまで膨らん でいたのですが、ぶしつけなネズミ講みたいな企画 ですからねえ。乗らなくてもいい、というのを書き 忘れたので、追加して書きました。 仕事を持ってたり、忙しい方ばかりだとは 思うので、軽くでいいです、と僕にバトンを 渡した方が記してられた通りということで。 (下)本当に、絵がかわいくて生活密着が嬉しい 「ティティの生活絵本」(若泉さな絵さん)1200円プラス税。 この著者、そして本とも楽天のこのブログで 出会いました。絵に強く惹かれたのですが、 僕が例外でなかったのは、この本、僕と同じ ような形で見られた編集者が「本にしませんか」と 声をかけられて実現したもののようで。 僕の本のように、著者が出版費用を持つ、といった システムでのものでない、というところに ネットで作品を公表してる方の希望になるのでは。 でも、本当になごむよ、絵が優しくて。 いつから、こういうものが好きな人に なったのか?不思議や。世界の拷問、と かいった本が執筆のためとはいえ、本棚 にずらっと並んどるのに。
2005年07月15日
12日午後10時30分。 いや、明日が急きょ仕事になって。 しかも、朝の8時に関西空港にいなければ いけない。 これがあるから、この稼業(記者のことです)、 “やってらんないな”と思う。 だって、興味もない人が来日しようが、離日 しようが、知ったことじゃない。 自分が海外へ行く時でも、朝10時までの 出発便だと緊張するのに。 いや、朝が弱いわけじゃないんです。 準備が下手で時間が掛かるので、少しでも 時間の余裕が欲しくて。 あしたなんか、朝6時には絶対家、出てないと いけないんだから、なんか失敗しそうで 嫌なんですよ。 で、今日。 なんとか、部屋が綺麗にならないかと、 今日は4時間ぐらいかけて物を少し放り出しました。 それでも、本来の仕事部屋、ケンケンパ、が出来ない んだよなあ。ケンケン、いやケンも無理かもしれん。 情けない。 ほんまに。今月中には必ず、あの部屋から 海が見えるように、片付けてやる、とさっき 誓いも新たにしました。 その最中に、本棚で発見した一冊を。 丸山健二さんのエッセイ「メッセージ告白的青春論」 (角川書店、昭和55年6月初版、僕の持ってるのは 昭和58年7月20日発行の4版目)。 十代の後半から二十代の終わりまで、ある意味、 丸山健二さんは私の生き方の師でした。 群れずに、自分で考えろ、と大学時代、特に 後半の3年間(私は5年通っていたので)は 自分に言い聞かせて物事にあたってましたが、 これも丸山さんの影響が大で。 小説も「ときめきに死す」や「夏の流れ」は何度も 教科書のように読み直させていただいたしばらく前 までの最年少芥川賞受賞作家(22歳)だった方。 でも、僕が出会った、というか知ったのは大学に入って からですから、だいぶ遅かった。それもラジオでの本の 朗読のコーナーで、一週間、この「メッセージ」 が流されたのを聞いてでした。たぶん、昭和55年 の夏です。 今、久しぶりに手にして開いてみても、今の自分の行動 規範になってる部分が多くて。 たとえば、冒頭。 “他人の生きざまに対してああだこうだと文句をつけるには、 自分自身のことを正直に打ち明けて、しかも自分の体験や行 動の範囲を超えるような言葉を、たとえ小説家といえども口 にしてはならない。” その通り、と言わざるを得ない。 これを丸山さんが書いたのがおそらく35、6歳の頃。 最初に読んだ時、僕は19歳(金=定価980円がなく て、図書館で借りた記憶が。だから、持っている本は実 に綺麗です。丸山さんのエッセイ、結構線だらけにして るのに、これは保存版として買ってたみたい)、今44 歳になって読んでも“同じやんけ”と思ってしまいます。 あ、と思ってたら210ページに赤線が引いてありま した。引用します。 “自分の実力を上回る言葉を振り回し、自分の行動の範囲 を越えた言葉をひっきりなしに使うようになったら、もう そいつはおしまいだという証拠にほかならない” このあとに、線は引いてませんがこういう言葉が続きます。 “見物する側の人間になってはならない、とおれは思う。 「それならおまえ自分でやってみろ」と言われたら返す言葉 がないような立場に立つべきではないと思う。しまいには当 人がみじめったらしい気分になるだけなのだから” どう考えても正論、その通りだわな。 なんとか、自分が費用を持つ形とはいえ、小説を出版した のだから、見物する側の人間とは今は言われずに済むのかな、 と思います。ただし、“作家”とは言えない。認められたい のは確かですが。アクセス数が増える要因を作っていただいた 勝谷誠彦さんは作家、として紹介して下さってますが、違うの は当の本人が一番分ってて。 「メッセージ」の別のページに、丸山さんは自身の芥川賞作品 =処女作、の売れ行きについて振り返った文を記しています。 “本は売れなかった。世間ではおれの《夏の流れ》を夢も希望も 爽やかさもない文学として拒絶した。初版の八千部が、半分の 四千部しか売れなかった” ここですね。確かに、芥川賞作品、それも最年少受賞っていう ハクまで付いて当時はこれだけしか刷ってなかった。しかも この売れ行き。ただ、やはり部数が5千以上はいると思うのです。 出版社に刷ってもらう部数が。本当に、その人が作家ならば。 新人だから、とか無名だから、とかは関係ない。 それぐらい、出版社がリスクを背負って、はじめて作家の 発掘って出来るんじゃないのか、と思ってます。 で、振り返って僕の本。 刷ったのが2千部。2百部が謹呈用で、僕と出版社で 分けてますから、実質1800部。 この部数で、プロなんておこがましくも言えない。 だって、印税単純に計算しても、一ヶ月だって 生きていくのが苦しいぐらいの額でしかない んですよ。しかも、出版費用の大半を僕が 負担してんだから、何をかいわんや、で。 加えて。 その1800部が売れ切れてない。 いや、売れ切れるどころか、まだ半分 ぐらいは市場にあるのでは、と僕は推測 してます。 ほんまに。 ここに来てくれた方で、少しでも興味を持たれた 方、一度手に取って読んでみてください。 そこからしか、僕も始まらないので。 いや、売れてない訳じゃあ絶対にない。 宮嶋の活躍や、勝谷さんらの無償の協力も あって、毎日確実に全国のどこかで売れてます。 それは分ってるんです。 ただ、出来れば5千部と言わないまでも、もう千部。 つまり約三千部、市場に流通させたい、というのが 僕の希望で。ささやかなものなんですけどね。 あと千部。 出版社に刷ってもらう価値の本当にない小説だった のか、どうか。確かに、好評価ばかりでないのは 確かでしょうが、ここのフリーページやその他の 媒体での紹介のされ方を見ても、どうしても三千部 市場に出るのがおかしい小説といは思えないのです。 もし、協力してもらえるならば、 読まれて、良かったと思われた方は、本当に お友だちに紹介してみて下さいませんか? お金がなくて読みたいけど、買えない、と 言う方は「めっちゃピンぼけ」を最寄の図書館 に入るよう、願い出てくださいませんか? 情けないお願いだけど、大切なことかな、と。 埋もれさせたくない、というのが正直なところで。 それと、三千部あれば「作家です」という看板を 掲げよう、と出版前から思っていたのも事実で。 そこまでいかなければ、やはり作家としては 《バッタモン》、本業=記者、という形しか ないだろうな、と思っていたわけで。 僕にとっては、このページを覗いてくださってる 人たち以外、大きな力になってもらえそうなバック なんか持ってません。それが主義でしたし。 出版から2ヶ月で、もう本がなくなった書店が 多くなった中でのお願いです。丸山氏の「夏の流れ」 は芥川賞作品ですから、8千部で当り前なのですが、 今回、直木賞候補に挙がっている「となり町戦争」 などと、隣り合わせで並んでいた本屋さんもあること を考えると(手前みそですみませんが、作品の質、 大きく劣っているとはどうしても思えません。両方読ん でて、“勝負にならないじゃん”と僕の作品について思われた 方がいるようでしたら、どこで差を付けられたのか、 教えていただければ光栄です)。 丸山さんの本から、おそらく丸山さんが一番嫌う、 他者へのお願いになってしまった。でも、本を 手にしてくださるのは、他者だ、っていうことも 意識からはずしたらダメと僕は思ってます。だから、 今は、丸山さんがバイブル、ってことは絶対にない。 二十代の、全くモノを知らなかった頃とは違います。 (下)「メッセージ 告白的青春論」の表紙。三十代 の行動派作家として鳴らしてられた頃の丸山さんの作品 らしい表紙です。簡潔で、言いたいことをズバッと書く 無駄のない文体だった丸山さん。今は、文章に関しては 全く正反対の方になられて。行動派、というのも違う方 向になられてるようです。 正直に告白しますと、約10年前に出された「千日の瑠璃」 を読んだのを最後に、とりあえず買ってはいますが、丸山さ んの作品読むのは止めてます。 文章を書く上で、今の僕には逆効果のように思ったので。
2005年07月12日
11日午後11時半。 親族が病気になったりしてちょっと バタバタした休みでした。 掲示板や日記に書き込んでくださってる 方への返事もこの日記が書け次第やりますね。 今日も、予告と違う日記になります。 やはり、ここ数日(きょうはさすがに 1000を切って普段の倍ぐらいのアクセス に落ち着いてますが)、増えたファン(誰のや?) の期待に応えんと。 届いてほかほかのメールを引用するわ。 不肖からの。 サマワから日本時間11日午後10時20分に 着いたばかりのもんや。 今日のは、全文紹介しても良さそうや から、そうします。「ここ数日全く平和、 イギリスのニュウスはこちらではア、っそう。だけ 英軍撤退の手のじもでたない。まあこうゆうことは サマワより、東京やロンドンできまることやから。部隊は そろそろうごいtrもらわんことに 地域感情もあるから。 わしはもうちょいねばるで。 サマワでこわいのはサドル派ぐらい。 アルザルカウイなんかが潜入できる土壌はなし。 敵さえ作らなければさほどの脅威はなし。 外出さえひあければ、 写真展には今伊丹の部隊が中心やからなんとかいっぱい 隊員のうつっとる写真で会場展示したら近所やから 仰山きてくれるやんが。 宮嶋 」 以上です。初の原文ママ。 いや、2度目やった。最初の3行のやつ もそうや。 最後のパラグラフだけは、ちょっと際どいの ですが、次の「いつでもどこでもだれとでも」の 写真展に関係してると思って下さい。 まだ、開催地が正式に発表になってないので、 僕も判っていても書けない、ってことの一つで。 ただ、伊丹が近所と不肖が書いてることで 不肖ファンの人は推測してください。 おそらく、当たらずとも遠からずのはず。 ダウナーさんをはじめ、不肖の生に近い 声を聞くことを望んでる方の期待に今日は 応えられると思う。 ほぼ、全くプライベートなことが記されてなくて 良かった。だって、省くの細心の注意がいるから。 不肖、ちゃんと自分でキー打ってきてるからね。 添付ファイルで、写真、っていうのと違うよ。 で、これ読むと、ロンドンのテロも 現地サマワにいると全く影響がないって 判るわけで。 英軍の撤退の可能性を報じて危機を煽って るマスメディアはやはり注意しないと。 この前の宮嶋のメールの通りで、裏が取れない なら無理に載せるな、ってことで。ニュースソース を明らかにすることで、ニュースソースに 責任をなすりつける報道も控えたほうが いいのでは、と僕は思いますよ。 マスコミ関係者としてでなく、単純に 傍観者として。 もうちょいねばるで、と宣言してるから 不肖、あと一週間はサマワにいるんじゃない かな?無事でいられる確信を得ていると 僕は見ますが。 (下)今日は、この話をかくつもりだった。今年 初めて私が見た生きたアブラゼミ。自分宅のマンション から降りる坂の上で10日の2時頃に拾った。オスだった けど、羽化してそう経ってないみたいで、鳴き声は させてたけど、暴れ方も弱くて。簡単に捕まえれた。 雨に濡れてたのかも。でも、綺麗な体にこれからメスを 探して鳴き続ける数日がしのばれるようで。 僕が、アブラゼミの話題を書いてしまうのは、「めっちゃ ピンぼけ」を読まれた方ならまず判るはず。“そんなに アブラゼミ好きなん”と、若干の軽蔑のまなざし、と ともに。でも、こうやって写真で見ると、かわいい と思うんだけど。どう?
2005年07月11日
10日午前6時15分。 一時間半かけて書いたブログが消失 してしまった。一生懸命書いただけに だいぶショック。なぞった内容で、 もう一度、書きますがどうだろうか? ちょっと、更新も含め遅れました。 ここ数日のアクセス数とかで思うところがあって。 よく昔、学生時代とかに考えた ホンモノとニセモノ、をまた考えてしまって。 7月7日825 7月8日6726 7月9日1545 なんなのかな、と。 勝谷誠彦さんのサイトで紹介されて アクセス数が飛躍的にアップしたのは 判ってます。勝谷さんにはほんとに感謝する だけで。全くの赤の他人に過ぎない僕にとっては 有難かったという。ただ、その成果、というか、 ちょっと、があって。正直。 元々、3百アクセスがあれば、すごいな、って ページだったので、この3日間だけが異常だった のですが、それにしても。あっと言う間に膨れ上がって あっという間におしまい、と。 おしまい、っていうのは、 この間の書き込みや拙著「めっちゃピンぼけ」の 売り上げを考えてのことなのですが。 3日間で、書き込んでくださったのは、 旧知の方、一度は書き込みをして下さって いた方ばかりで、新しい方はゼロ。 掲示板に売り込みで、リンクをいきなり張ら れてた方が一人いましたが、申し訳ないけど 削除させていただいて…。 要は、ゼロです。 アマゾンも2冊、売れずにあるままで売り上げ ランキングがどんどん落ちてるだけで。 あ、辛口のレビューが一つ増えてるってのも。 誤解ないように言いますが、辛口で全然結構なんです。 どんなもんやろ、と他の方が興味を もって下さったらレビューなんてどう書かれても 歓迎するだけで、 これだけの数の方が来て下さって、ほとんど 関心を持たれずに終わってしまうページって。 やはり、問題があるとしか思えず。 現実に、6000の翌日が4分の一に減り、 今日はいまのところで、1000を切るに 違いないペース。 魅力が足りなかった、ということでしょう。 いや、僕のページだけの問題じゃない でしょうけどね。誰かがブログで 「誰もがブログをやる時、目標にするのは アクセスアップ」って記してられたけど、どうかなあ? 確かに、商売をするんならその方がいいかも しれんけど。 ある程度の数の方が平均して来て下さるよ うになれば、意見の交換やコメントをしても らえるか、どうかの方が僕にとっては重要だった ですけどね。もちろん、本を宣伝したい、って のはあるから、新しい方にも来て貰わないと 苦しいのは事実なのですが。 ホンモノとニセモノねえ。 サマワの不肖に笑われそうだけど。 読書コミックのランキング上位を みても、僕のところも含めて、?、って ページ多いと思うんですよ。 アクセス数なんて、どうでもええやん、 と思わざるをえないような。 まあ、ホンモノなら一度、上がったアクセス数 は落ちないのかもしれません。価値=人気、って 考えれば、ですが。 ニセモノ=バッタモン 偏見とも絡みますが。 「結局、自費出版やろ。そんなん、書評では扱わへん のんや。内容なんか関係あらへん。よほど、事情があっ て評判になってれば別やで」 マスコミ大手の方で、良ければ書評を、と頼んでいた方と の先日の電話での応対。 そういうことなんですよね。中日新聞にしても、もし、 出版費用の大半を著者が持っていたと知ってたら、紹介 してくれたのかどうか?いや、この大手マスコミの方は 正直に話してくれただけ誠実で。 まあ、ええか。 ただ、希望を書くと。 本を贈るにしても、贈り先に間違いがあったかも、と。 少しでも出版費用を回収しようと して、知名度を単純に上げることばかり考えた けど、内容をどう見てくれるか、も考えるべきだった んじゃないか、と。 たとえば。 芥川賞作家の高城修三さんなどに、本を無理やりに でも贈るべきだったのでは、と今は思ってます。 送り先も判らんけど。かって、朝日新聞紙上の同人誌評 で、たった一度だけ同人誌に書いた「桑港(シスコ)」 を数行とはいえ、褒めてくださった作家。 会ったことも、話したこともない、とはいえ、 こういう方を僕は大切にするべきではなかったか、と。 自費出版だから、という偏見。 小川国夫さんの「アポロンの島」が、自費出版=私家版 から出たものだ、っていうのに僕は希望を持ちます。 芥川賞も直木賞も無縁の方だけど、海外を舞台に した小説を話題にする時、簡潔な文体と省略、空気を 読む巧みさを含め小川さんをはずす方はそうはいないはず。 島尾敏雄さんが、小川さんに私家版を注文しなければ 小川国夫さんという作家に僕が出会うことはなかった に違いなく。たった一人の作家に発見された作家。 朝日新聞に「アポロンの島」の書評を島尾さんが書いた時、 すでに出版から8年を経ていたというところに、 自分とは無縁、と判ってながらも蜘蛛の糸にも似た 希望を持ってしまうのも事実なのです。 書き直しなので、ちょっと省いてるし、なんか舌足らず で変だけど、この辺りでおしまい、ということで。 アクセス数だけ増加しても、ホンモノとは無縁、 ということは改めて納得で。 きのう、予告していた海文堂の件は、また後日 必ず書きます。 (下)「アポロンの島」(新潮文庫版、昭和53年1月30日発行の 初版)表紙。それにしてもうまいし、この空気。たとえば、 ぱっと開いたページ、「貝の声」と題された話から書き出すと。 「-僕は、一つ失くしたら、たくさん拾えって事を知ってます、 、と浩はいった。そして、空虚なことをいった、と思った。 -知らんね…、でもいい事を聞いた。有難う、とジャンガスト がいった。」 6歳の娘を海の事故で失くしたボクサーと日本人旅行者の会話。 無駄が本当になくて。僕が生まれるよりもずっと前に書かれてる 小説なのに。島尾さんがほんとに、ただ一人、見出さなかった としたら…。小川国夫さんは、アマチュア作家として埋もれてた 可能性が高い。そういう出会い。 あるかも、と信じるしか。 可能性の扉を閉じたら…。 ともかく、書き続けるしか道は ないでしょうね。
2005年07月10日
9日の午前2時20分。 いや、寝たいのは山々なんですが、 きのう(8日)は書いとかないかん ことが一杯ありすぎて。 どこから書こ。 せやなあ、「めっちゃピンぼけ」買って 下さい。読んでください。で。 神戸は元町の海文堂へ行ったら10冊 丸々平積みで。“お、いかん”となんか、 見てはいけないものを見た気分になった。 いや、ここの本屋さんでは売れてるんです。 たまたま、本の補充があって10冊あった だけのことや(と思いたい)。 で、ここに行った理由はあとに書くわ。 まずは、やはり“勝手にサマワ便り”やろ。 いや、私もさっき、掲示板の乾物屋さんの 書き込みで知ったんですが、不肖の 文春でのかつてのデスク、勝谷さんが ご自分のサイトでこのページを紹介して くださってるってことで。 謎が解けました。 だって、正直に言います。 ビビってました。昨日まで2百アクセスあれば ようやった、ってページだったのに、 開いたら6000アクセスって、一日に。 “やられた”と思いましたよ。 ウイルスか、ハッカーか、荒しか。 どうしょう、と佇んでた時に、 乾物屋さんの書き込みが表れて…。 原因が分れば、一安心で。 で、調子に乗ってサービスもしょうかな、と。 不肖からメール、また帰ってきたので。 今回は、日本のマスメディアには耳の痛い 話が多くて、かつ私の所属してる会社のこと を考えたら(ここ覗いてる偉いさんのことや)、 無茶は出来ん。元々、私信やし。 ただ、ロンドンに向かってないことは 分るので、紹介出来るところは紹介します。 宮嶋さあ、オレが会社員やなかったら絶対、 全文紹介したと思う。それぐらい、実は 価値のあるメールやった。日本のマスメディア の危険地域での取材と報道姿勢の問題点が はっきり分るからね。 残りは、文春で書くなり、本にするなりで 発表して。オレに言われんでもするやろけど。 私信からの抜粋、っていう問題点 がオレのブログにはあるし。 「こっちの日本メデイアのローカルはひどいぞお。 (略) とゆうよりここのやつらは 上から下まですべてくず。尼崎以下。裏なんかとりも せず、よう大新聞が紙面化しよるわ。ワシの日記の ほうがよっぽど正確で信憑性あるで。 (略) ロイターのストリンガーは暇なときタクシーころがしとるし、 さつの本部長はケータイこうてくれと打診されるし、 最大の敵は熱さ、つぎがアラブ人や。 宮嶋」 以上です。受け取ったのは日本時間の8日午後8時半ぐらい。 (ちょうど、オリックス-日本ハム戦の取材の最中でした。 なぜか、僕が新庄選手の長い原稿を書いた試合で。) (略)のところに、好きな日本の活字メディア、通信社 などを入れて想像して読んでください。おそらく正解は、次号 の週刊文春に出ると思うので。 でも、怒りの割には余裕もって不肖が書いてきてる のもうかがえて。平かなの比率が減ってるし、 日本語になってない部分も目に見えて改善されてて。 PCは僕と同じ、ビクターのインターリンクを使って るはずなので、この狭いキーのピッチを使いこなすのも もう少しっていうのが分ります。 で、サマワが非常事態やったら、こんなメール送って 来てる場合やあらへん。 全然、とは思わんけど、切羽詰まった状況や ないのは間違いないと思います。 僕は、慎重さにおいて不肖の鍛えた感覚というのを 信じる人ですから。44歳まで戦場カメラマンとして、 ほとんど現場で怪我せず生きてきた理由って、絶対ある はずで。 ほんまに、6000アクセスのおかげでサービスさせて もらいました。ちなみに、不肖にはまだ返事出してません。 サミット終ったし、ロンドンではもう動きもないでしょうから。 ただ、マスメディアのありかたは、不肖の言うとおりと 思うところが多いので。せやな、というのだけは書いて 明日(9日やから今日やなあ)にでも、メール出しておきます。 アクセスされてる方には悪いのですが、今日のは ほんまにサービスで。 おそらく、もうメールの返事も帰ってこないと 思うので、期待はせんといて下さい。 ただ、サマワで不肖は元気にしてる、と判れば いいことなので。 (下)サービスついでに、私の顔写真も公開。 不肖からの返事がなかったら、当然、こっちの話題 を書くつもりやった。これは、間違いなくオレのフィールド やから。会社は認めんけど。シンガポールにオレが行ってない のでも判る通りで。ただ、フィールドや、とオレが言う 証拠写真を一枚、ここに貼っておきます。昨年9月11日 (奇しくもこの日や!)、台湾で撮ったノタリ国際野球連盟 会長(私の肩を抱いてる方)ら、国際野球連盟(IBAF) の偉いさんらと撮った記念写真や。 この日、五輪予選要項の大幅変更が決まったわけで。これ をスクープした私が、会社にマイナス評価を受けてえらい目 にあったのは、いつかのブログにも書いた通りで。今回の五 輪野球の措置を考えたら、当時、日本の記者でただ一人、密 着マークやったオレがなんでマイナス評価やねん?勝手なこ とすんな、ってなんで、その後の海外自主取材まで規制(も ちろん、文書でではないが)されてしまってんや? 「こういう経験は君の財産になる」って、山本英一郎国際 野球連盟副会長さん(当時)には現地で言われたけど、やは り社内で認めてくれる人がいないとねえ。原稿は出稿されて るんやから余計訳がわからん世界。 やめとこ、オレは会社員なんやった。すんません、上の方 (決して今の運動=スポーツのセクションの方たちのことで はない)。もう書きません、許してください(って、本気 で言えたら、今回でもシンガポールへ行けてるだろうし、昨年 もアテネへ行けてるって、会社のお金で。何も実現しとらん)。 海文堂におった理由、書くの忘れとった。 じゃあ、これを明日のブログで。
2005年07月08日
8日、午前1時半です。 あしたは、朝からバタバタするのが 判ってるので、先に更新と。 小説「めっちゃピンぼけ」ですが、フリーページ の更新、さぼってるのが気になって。 兵庫県は明石ケーブルテレビジョンの今月号の プログラムに紹介と読者プレゼントが 出ているそうです。現物を僕はまだ、見てなくて。 それ以外にも、予告になりますが、 6月30日に同じく兵庫県、姫路の 「TOWN HARIMA 月刊タウンはりま」 にお邪魔して、取材して頂いてるので、 8月1日に出る8月号には何らかの形 で紹介なりが出ることになってます。 小説の舞台を考えたら、地元のメディアに もう少しお願いを早くしておくべきだったと 今は思ってます。神戸新聞だけだったから、 お願いしたの。まあ、お願いしても門前払い が多い世界で考えたら、よくみなさん協力して 下さっていて。 今日(きのうか)も、間が悪いことばかりで。 サマワの不肖にメールを送ったら、その直後に ロンドンで同時多発テロ発生だもんなあ。少し 状況が判った午後10時すぎにもう一通、送り 直したけど、もうほんまに、という感じやった。 間が悪い、というか、文化部にお願いしてた原稿 は日時で大きなミスがあるまま配信されてるし。 私のミスじゃないよ、珍しく。ここで反論するしか ないわなあ、自分の責任にされんためには。 理不尽な扱いを受けないためには、声を自分で挙げる しかない、って今は判ってます。それが、一番 自分の身を守る方法になりそうだし。 で、身辺の細々したこととか処理してたら、 夜になってて。あ、休み、みたいなもんでした。 でも、使い方が下手で、全然休みじゃないのは いつも通り。信じてもらえようと、もらえまいと 仕事の整理せないかんもんもやってたんよ、家で。 休みの日でないと出来へんがな。 もったいないから、なんか最低映画でも見ようと、 DVDラックから何本か引っ張り出して。 出した候補作は 「スペースカウボーイ」 「トゥルー・クライム」 「ミスティック・リバー」(以上3本ともC・イーストウッド監督) 「ある愛の詩」(アーサー・ヒラー監督) 「怪談」(小林正樹監督) 「奇跡の人」(アーサー・ペン監督) 「ハリー・ポッターと賢者の石」 「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(以上2本はC・コロンバス監督) の8本。 ともかく、あまり頭を使わず楽しめる映画が 見たかったわけで。これまでに見てる、見てないも 気にせずに、適当にラックから放り出して。 「ある愛の詩」だけは自分でも抵抗あったけど、 これパッケージも開けてなくて。買って数年は経って るのに。何やってんだろ、の世界で。 結局、バックグラウンド映画のようにして 見たのは「スペースカウボーイ」。3回目 ぐらいなんだけど、ちょうど良かったよ。 適当に見ながら、十分、勇気付けられる映画 だもんなあ。同じ、イーストウッド監督では アカデミー賞もらった「ミリオンダラー・ ベイビー」は少しあと味の悪さがあったけど、 この映画はそれもないからねえ。 「死」さえ、こういう死に様なら文句ねえだろ、 みたいなところのある映画で。 確かに、元気は出るわな。 大切なことで。人生リタイアする ぐらいの年齢で、宇宙へ、という 発想自体そうなんだけど、やはり 心意気、反骨心。 ええわ、何回見ても。 もう、底抜けに単純なのも好きやねえ、 ここまで徹底してると。 で、あした(今日)からどうするかって? 映画一本見たぐらいで生き方変えます、なんて 歳は20年ぐらい前に終わってるがな。 それでも、愚痴を減らそう、ぐらいは 思うわな。そんな間があったら自分の 鍛錬を怠らんようにせな、と考えて。 まあ、しっかりやろ、っと。 (下)どれを見るか、迷った8本のパッケージ。 「ある愛の詩」なんか、封も切ってない。なんで 買ったんやろ?“愛とは決して後悔しないこと” ってセリフなあ。似合う男にはついになれずに 終わりそうやなあ。大体、こういう映画見るの、 恥ずかしい、って思うもんなあ。まあ、彼女と デート、とかならOKやけど、一人で家で見る 映画やない。それ、判ってて“どれ見よか”の 中に入れてまうオレって…。アホやなあ。
2005年07月07日
7日午前3時10分前。 メンテナンスにやられる可能性も あるけど、書きます。 日本時間6日の午後4時過ぎに サマワの不肖から立て続けに2通メールが 帰ってきた。いや、帰ってきた、と書く限り オレから出したメールの返事やけど。 紹介したらいかん、という部分を 今回は書いてくれてるので、逆に 他の部分は紹介してもいい、と 私は解釈して。まあ、でも、この前の 3行より、分量はたっぷりなので、 要約しか載せれんけど。 今週号の「週間文春」に載ってる状態 から変化はしてないみたいや。迫撃砲 4発の、防衛庁発表のニュース(5日)も 「こっちの部隊はなんもなかったみたいに 冷静やで。 (中略) 第一民間人のわしが2週間おっていまの ところ事故にあってないんやで。もうそんなに 部隊もびらず、外にでてきてもらいたいやが、 東京のせいふがもばびっとんやろ。民間人のわし をそとにほりっぱなしで一歩も基地にいれんとずっ と10日かんもこもりっぱなしはないやろ。 とゆうてもわるいのはへたれ外務省のサマワ事務所 なんやけど」(中略以外、ほぼ原文) と、いうことやそうや。 宮嶋、ごめんな。 うまく要約しようと思ったけど、 やっぱり生のこの文、平仮名といい、 エエ味出てて。 カットもちょっとしてんねんけど、ほぼ 原文ままでいくわ。 ちなみに、これは2通目のメールの一部で、 一通目(2通目のほぼ5分前)に来たもの には初っ端に 「げんきにやっとるど。」 と記されてたから、ほんまに大丈夫みたい。 不肖の2通のメールみたら、郵政民営化の 今回の国会が絡んでるような気、するなあ。 サマワが危険かも、と思わせておいて、 自衛隊が一歩も基地の外へ出ないようにする。 そうすれば、事故(銃撃戦など)は起こらない。 国会に影響が及ばずにすむ、という按配。 それにしても。 外務省のおっさん、あんたなあ、とオレも思う。 10日間、民間人が外はまずくないか? イラクやで。 そら、行った宮嶋が悪いんやけど、日本人が 外におる、っていうのを感知してて、放りっ放し はあかんの違うか。 不肖には悪いけど、正論はつかまえて基地の中へ 入れて、説教して国外追放やろ(出来るわけないわなあ)。 あ、もちろん、自衛隊の飛行機か何かでね。 まあ、安心しました。 この分やと、危ないのは サマワから退去する時の、移動 の時だけ、ってことになりそう な感じなので。 まあ、その移動が大変なんやけど、 行ったもんは帰れるんじゃないかな? で、不肖がメールを打ってた時間帯。 私がいたのはJR某駅で、母校 の後輩諸君を多く見かけてた。いやあ、 ほんまにモスグリーンかな?山本寛斎さん デザインって聞いたけど、夏によく あってるお洒落な服やった、男の子も、 女の子も。 え?女の子? おれらの時代、中学部に女の子 なんかおらんかったぞ。 改めて、時代は変わるやなあ。 「めっちゃピンぼけ」の世界、 今は昔の典型のような気がしてきた。 なんでもええけど、不肖はまだ サマワ、ということで。 (下)後輩等の姿の撮ったんやけど、この ページに載せて問題が起こったらいやなんで、 代わりにわが母校、白陵の女子中学生の 持っていたバッグを。校章が変わってなかった んはチェック出来たで。この子らが、なんかの 都合で私の本に気付いてくれたら、2、3百冊 ぐらいあっと言う間に売れるやろに。英語の 単語も大事やけど、ちょっと心に余裕を持って 本を読みましょう。誰や、分ったから夏目漱石 読む、言うてんの。
2005年07月06日
6日の午前11時10分。 毎日、きちんと書き込んだ 時間は書いておきます。 今日の仕事は、夜のサッカーJリーグの 取材で、まだ出社してませんから。 ややこしいことになりたくないから。 書き出す時に、嫌でも構えなければ いけないのは、あなたがたのせいやで。 JR西日本を笑えんやろ。 読んでくださる、普通の、私のブログ を楽しみにして下さってるかも しれん数少ない読者の方にも 本当に悪くって。 誰でも覗ける、っていうのは仕方 ないことやし、だから無料ブログ なんだしね。あきらめてるけでど、 それでもこそこそ匿名の壁に隠れて アホなことやって、文句言うときだけは、 下の人間を使う、というその根性 が気に食わん。エエ歳して。 自分の子供に恥ずかしいやろ、 あ、子供育てる甲斐性なんかない 人らやろから。 いつもながらで、愚痴はここまで。 「めっちゃピンぼけ」、誰かアマゾンで 迷子になってる2冊、拾って買って読んで あげてください。ほんまに、珍しい から。アマゾンに在庫が、それも2冊も あるなんて。あ、上に書いた甲斐性なし の人ら、この本読んで、よう考えなはれ。 真剣に生きるってことを、少しは。 あ、また言うてもた。 話題変えよ、っと。 で、タイトルの話に。 昨夜、夜中12時過ぎてJR須磨駅の 最寄のローソン(向かい合って2店舗 ローソンがある。どういう経緯でこうなった んやろ。経営者違うみたいやし)に 入った訳です。 いつものように、帰ってすぐ食べる夜食を 手に入れるために。で、雑誌を置いてある 棚が目に入って。 びっくりしたよ。 なんでここにおまえがいるねん!、 って、昔、別のシチュエーションで 良く口にしたり、心で叫んだりした 言葉が出そうになって。 映画雑誌の、それも“クロウト”だ けが読むとされる(されてないか)、 「キネマ旬報」の7月下旬号があったん ですね。コンビニに。初めて見たよ。絶 対、不肖のサマワの原稿が載ってるに違 いない「週刊文春」を買おうと思って、 覗いたのが運のツキみたいなもんで。 連れて帰りました。 「週刊文春」と一緒に。 思えば長いキネ旬との付き合い。 30年だよねえ、ちょうど。 リアルタイムで買い始めてから。 4半世紀を越える付き合いの中で、 はじめてコンビニエンスストアで 手に入れさせて頂きました。 まあ、これも「スター・ウォーズ」 の人気のおかげやろなあ。こないだ 見た「宇宙戦争」のパンフで、トム・ クルーズが「僕も(エピソード3を) 見たいから」って言ってるのを読んだ 時は笑ったけど、そんなもんかも。 私も、前作の「エピソード2」以外、すべて リアルタイムで見てて。やはり、乗せられてる 一人でしょうね。2作目の「帝国の逆襲」って、 いう普段は詰まんない活劇ばかり撮ってる アービン・カッシュナー監督が作ったとは 思えない映画をシリーズの中のベストワンと して位置づけてますが。 で、最初の「スター・ウォーズ」。 公開された1978年夏。不肖らと一緒に、高校の 修学旅行に北海道へ行ってた年や。 旅行から帰った翌日に、許可映画じゃなかった 「アニー・ホール」を神戸の朝日会館で見て、 お洒落な映画やなあ、と思ったんはもう時効や からええやろ。 今更、停学や、樫の棒で叩く、とか言わん といてね。 つまり、1978年って、ほんまに許可映画、 不許可映画関係なく私は映画を見まくっ てました。劇場でも、テレビでも。「めっ ちゃピンぼけ」に少し登場するマザースキー 監督の「結婚しない女」もこの年だし、 「未知との遭遇」もそう。女性映画が流行 した年で、私のこの年のベストワンは「ミス ターグっドバーを探して」やった。沢木耕太 郎さんのベストセラー紀行記「深夜特急」に 題名使われてる「ミッドナイトエクスプレス」 もこの年で、9月に私は試写会で見てます(当 然、許可映画になってない。許可もくそも、ま だ公開されてないんやから)。 こんな中で見た「スターウォーズ」の1作目。 期待度が高すぎて、まさかほんまに活劇で終わり とは思ってなくて。へえ?って、感じで映画館を 出たの覚えてます。今はなき、阪急会館で。 ませたガキやった私は、当時は小難しい映画の 方が好きやったんは事実で。この年の2位には ロベール・ブレッソン監督の「白夜」なんか挙げ てるもんなあ。あ、「白夜」は小難しくはないけど。 でもねえ。 小難しいついでに、キネマ旬報って 雑誌自体が当時、そういうイメージ やった。僕だけのことじゃないと思う。 「スクリーン」や「ロードショー」 と違って。その雑誌が、コンビニで売ってる、 買える時代が来たか。 オレが歳取るのも仕方ない、って 感じかな。 (下)コンビニで手に入れたキネマ旬報の表紙。 どこで買っても定価820円は同じだと思うけど、 なんか不思議な感じが。この黒バックの表紙、いい んだけど写真撮るとどうしても反射してなんか別の ものが写るんですが。どうでもええことでした。 写真撮られるためにある表紙やなかった。 さて、ロードショーでオレ、見に行くのかなあ? 「宇宙戦争」のこともあるし、あくまで慎重に、 にしよ。
2005年07月06日
5日午前9時40分。 今日も昨日に続いて、大阪ドームでの オリックス―西武戦の取材。 帰宅がどうしても午前1時近くに なるのがネック。 仕事の終了時間は基本的に11時に してますよ、勤務時間チェック担当の 上司の方(何度も書くけど、大阪の方 でも、現在運動部に居られる方でもない のは私には分かってますので)。 神戸は今、久しぶりの晴れ間が覗いてます。 須磨だけかもしれんが。ベランダの柵の影 が心地よい。まだ、気温もそれほど上がって ないからだよなあ。 で、昨日。 自分の本「めっちゃピンぼけ」のことでは、 オンライン書店が完全復活。 遅いよ、と思うけど仕方ない。 AMAZONなんか悲惨だもんなあ。 一か月以上来ない、と分かってる本 申し込んでくれてた人がいたのが奇跡で。 今、ほんまに今。 AMAZONに在庫、あります。 一冊。早いもん勝ち、ってやつで。 買ってください。 読んでください。 お願いします、って感じかな。 著者が考えている以上に、いい小説 みたいです。そんなの珍しいと思うで。 あ、もちろん、直接の販売(私から)もしてます。 この場合はサイン入りでお送りします。 で、今日の本題。 今、雨が上がってるので、ちょっとボケ、ボケ になってしまうのですが、昨日、神戸は三宮へ 行った時のこと。 いや、それより前から、この一週間ぐらいずっと 気になっていて。 何が?って、あのリボン。 赤のねじれたリボンマーク。 神戸在住の方は、この一週間の間、一度は 見られたでしょう? 昨年、南アフリカで分単位で見ていた印。 ルワンダでも、壁に隠れたように何枚も 貼られてたのを見た記憶が蘇ってきて。 日本じゃ、馴染みがなかったのに、三宮の 目抜き通りに6月終わりに、突然現れたのが 気になっていて。 「アジア・太平洋地域エイズ国際会議」って のが、1日から今日(5日)まで、神戸市内の 各所で開かれてた、というのが真相で。 マスコミにいながら、関心もありながら、もっと 言えば南アフリカでは少し取材もしながら、 今回は全くノータッチ。おそらく、神戸総局 に連絡を取れば、一つか、二つのイベントに 行く許可ぐらいはもらえただろうに。 でも、これもお忍びみたいな形になったやろけど。 今の、神戸総局のデスクの一人は、珍しく、僕の ような、直情径行型の記者に理解のある方 だからで(挨拶に行きます、と行ってまだ行って ない。約1ヶ月経ってもてる。あかんがな)。 いや、尼崎の事故のときと同じで。 現場に行けない、ってやつですよね。 遊びで来るな、野次馬来るな、で。 1月の世界防災会議の時もそうやったけど。 なんやねん、このセクション主義。 あほらし。 確かに、スポーツの取材はきちんとせな、いかん のやろけど。世界的なことに関心がある、っていう のはことある事にアピールしとんのにな。 まあ、会社の転勤歓迎会(大阪で)さえしてもらえん、 唯一の記者としては当然の処遇を受けてるだけ ってことやろなあ。 愚痴はおしまい。 で、このリボン。 私の関心は、いつまで神戸市内に 取り付けられたままであるか、で。 まさか、終わったからといって、 あしたには、どこにもない、みたいな ことはせんやろなあ。 イベントやってる時だけ重要、っていう 万博と違うんやから。 正直に白状すると、私も93年に一度、エイズ 検査は受けた。東京は渋谷の保健所で。 結果が分かるのに一週間かかった時代や。 シロやったけど「もう、変なことせんように」 とか、係りの人(男の先生だったよ)に言われ て“こんな人らまで偏見の塊や。しかも無意識 で”と思ったの、鮮明に覚えていて。 意識。 変わってんのやろか? やはり、無意識、意識的、両方含めて 偏見、ってはびこってるようにオレは 思ってるけど、どうや? 赤いリボンの存在を早く街から消したい、と 思ってる神戸市の職員の方、一人もおらん、と 言い切れるか?イベントが終わった後始末、早く せないかんもんもあるやろけど、これは逆や。 治療薬で、エイズが、不治の病(には変わりないけど) から少なくとも延命措置が可能に近くなってる 病だ、っての知ってる日本人ってどの程度、いる のだろうか?もちろん、恐ろしい病気にはかわりない し、HIVポジティブ、と判定されただけで人生の設計 を変えなければいけない可能性は高いのだけど。 あ、また柄にもないことを言ってしまい、やって しまい、してしもた。南アフリカのボクシング元世 界王者のピンクの葬儀屋の話でおしまいにしとかな いかん話題やった。僕のような門外漢にとっては。 (下)JR三宮と神戸そごうをつなぐ、陸橋の上に佇んで、 ぼんやりと街を眺めてみた。幟が目に付いて仕方なく。 赤いリボン。でも、これがエイズの関係のリボン、って ことを知らない市民の方もきっと多いと思う。テレビの スポット広告、とか日ごろからやってないと突然出現し ても、ってやつで。オレの本「めっちゃピンぼけ」が、 宣伝も予告もなく、突然本屋に並んで関東で総スカンを 食ったのと同じや。前宣伝とか、ある、ってことを浸透 させるって大事なことです、本当に。
2005年07月05日
3日の午後10時20分。 今日は、昨夜以上に厳しいメンテナンス が夜中に待っているはずなので 早めに更新、と。 昨日の続きじゃないけど、 リメイク映画について考えていたら 思い出して、一日中、その映画音楽 が頭から離れなくなったリメイク映画 があって。 ここに書いてしまえば、ちょっとは 頭から出て行ってくれるかな、と 思ったりして。 いや、いい音楽なんですけどね。 シンセイサイザーの無機質な感じが。 映画の題名は「恐怖の報酬」。 そう、あのニトログリセリンを運ぶトラックの 話や。映画ファンなら誰でも知ってる、ただし 原版の方を、やけど。 フランスのアンリー・ジョルジュ・クルーゾー が監督してイブ・モンタンが主演した「恐怖の 報酬」(1952年、仏)が原版。 (77年、ウイリアム・フリードキン監督の作品 には原題が 二つあって“The Wages of Fear”と “SORCERER”) これも「宇宙戦争」に近く、原版がサスペンス 作品として(?)映画史上に残るとされていて、 リメイク版はクズとされてます。 でも、今の僕は両方に同等の価値を見出してます。 どっちもすごい、と。 原版をすごい、っていうのは当たり前なので、 リメイク版なのですが。 僕はリメイク版の二つのバージョンを見ていて、 日本で公開されず、のちにビデオでのみ見ること が可能になった完全版の方が、原版と同じ価値を 持つ、と見ます。日本公開版はラストさえ違って るし、これは確かにクズと言われても仕方なかっ たかも。ソダーバーグの「ソラリス」ほど、ひどい ことにはなってなかったけど。 でも、30分ほど長いバージョンになっただけで、 全然違うカッコのいい映画になるって。編集って いうのがいかに大切かいうのが判る。小説でも、 推敲が大切なのと同じで。 原版のクルーゾーの映画は確かに凄かったけど、 フリードキンの完全版の方のラスト近くも、シブい。 日本公開版(TV放映バージョン)の、主演のロイ・シ ェイダーのぼーっとした顔を写して終わり、っていう のでは判らないよ、あの渋さは。何でラスト付近をカ ットした版なんて公開したのかねえ、日本で。 ラストに、ドイツのグループ、タンジェリング・ ドリームの無機質なシンサイザーの音楽がかぶって、 ロイ・シェイダーの運命を暗示する、っていうのが リメイク版の最大の見せ場って言ってもいいぐらい だったのに。完全版は本当に、盛り上がりますよ、 最後近く。 何が言いたいかって? いや、眠っている名作って至る所に ある、という話で。 しかも、リメイク版で、失敗作という 評価が定着してるもののなかでさえ、 ということで。 完全版がビデオで見れるようにならなかったら、 僕も“ひどいリメイク作品”と思い込んだ最初の 印象で終わりだったはず。あるきっかけで、もう 一度見ようという気にならなかったら、「恐怖の 報酬」のリメイク版の真価はいまだに判ってなか ったかも。 今、僕の中ではフリードキンの映画として名高い「エク ソシスト」よりも、出来が良い映画として「恐怖の 報酬」は位置づけが代わってるし、DVDが出れば真っ先 に買いに行くのも間違いなくて(DVDにはならないか)。 で、映画音楽。 この映画を見直すきっかけになったのが、 タンジェリング・ドリームのサントラ盤 LPを六本木のWAVEで、91年2月に発見して 購入したためで。映画の出来は、当時不完 全版しか見てなかった僕は“ケッ”と思って ましたが、ジャケットが渋くて。おぼろげに、 シンサイザーの心地よい響きも頭にあったけど、 やはりジャケットが購入の理由。 あの時の1400円の出費が、その後、 耳から離れない映画音楽と実は隠れた名作 の可能性を持った映画の発掘に結びついた わけで。 何の日記だって? ほんまは、リメイクなんかどうでもよく 私の小説、「めっちゃピンぼけ」。フリードキンの 「恐怖の報酬」みたいなもんやないか、と。 ほんまの良さが、世間に知れることなく 消え去ろうとしてるんじゃないか、と思って 手を代え品を代えアピールしてる訳ですね。 幻の名作として価値出るのも結構やけど、 やはり、リアルタイムで価値を認めて欲しいもの。 ほんまに価値あるか、どうか、作者には 判らんのが辛いところやけど。 (下)「恐怖の報酬」リメイク版のオリジナルサントラ LP盤のジャケット。このトラックに積まれてる荷がニトロ グリセリンなわけで、ガタガタの吊橋を渡ろうとする シーンがジャケットの表紙に。この写真はシブい。 私の本の不肖・宮嶋の阪神淡路大震災の際の写真と同じ や。エエもんはエエ。世間の人、もっと判ってくれな。 納得したあなた、すぐ私のところに本申し込んでください。 サイン入れてお送りしますから。
2005年07月03日
3日の午前4時です。 いや、1時間ほど前に1時間 かけてブログ書いたんですけどね。 メンテナンスにやられた。 考えてなかったオレも悪いけど、がっくりで。 でも、もう一度書いて寝ます。 悔しいから。 もう、昨日になりましたが見てきました。 「宇宙戦争」。 ストーリーとか、話してはいけない、とか。 なんでやねん。この程度の話で。 出来栄えが恥ずかしかった映画会社か、 スピルバーグさん自体の陰謀としか思えん。 そういう出来、って言い切ってええやろ? 期待してたんですよ。 予備知識ゼロで。 いや、それは嘘か。 バイロン・ハスキン監督の「宇宙戦争」(53年、米国) は見てるから。 1976年ぐらいに。たぶん、12月。 神戸はSUNテレビのお茶の間劇場みたいな 時間帯にやってたのを。 慌てて、高校の授業が終わったあと、 当時兵庫県の高砂にあった実家に 自転車で7キロぐらいあった道のりを 慌ててペダル踏んで。 だって、家庭にビデオなんかない時代。 見逃したら、終わり、の世界。 SF史上幻の日本未公開作、って当時も 言われてて。 期待度が高すぎたんだよね。 「え?」って感じだった。ラスト付近以外。 そうなのよ。 「宇宙戦争」の53年版は、ラストで “ああ、これでSF史上のベストなんぼに数えられてる のね”と、期待感ほど満足しなかった 当時、15歳の僕も納得したもの。 で。新しい「宇宙戦争」。 これ、逆やろ。 昔のと。 ラスト近くのおかげで、かろうじて辛抱 して見てきたすべてがパア、って映画じゃ ないのかなあ。 “ご都合主義”が顔をのぞかせると、 間違いなく映画の質は落ちると思うのですよ、 私は。大好きな「ブレードランナー」だって、 1982年の10月にロードショーで見た時から、 “え?”と思ったもの。ラストのハリソン・フォード のダイアローグに。そんな、都合のよさって、 って感じで。でも、好きな映画だけど。 「宇宙戦争」の場合、間違えても好きな映画に はならんやろなあ。 大体、神戸はハーバーランドはモザイクで見る特撮作品って ダメなんだよなあ。偶然だろうけど。「インディ ペンデンス・ディ」(ローランド・エメリッヒ監督) が唯一の例外ぐらいで。もう8年以上も前だけど。 その後を考えると。 ローランド・エメリッヒ監督は「ゴジラ」で、“もう 早よ終わってくれんか?”と映画館から逃げたくなった の覚えてるし(出したお金、もったいないから出ない けど)、ポール・バーヴォーベン監督の「インビジブル」 は“どう考えて見ろ、っていうねん”と思ったし。 「宇宙戦争」もめでたく、その中の一本に 入りましたね。思えば、スピルバーグさんとの 付き合い、いや、あくまで映画ファンとしてですが、 も長いけど、どうだろう? あ、でも一つ言っておかなければいけないのは、 バッタ屋で手に入れた1280円のチケット分の価値 はあったと思ってますよ。 “どうやって撮ったんやろ” と思うシーンは多かったから。 お金の掛かった豪華な作品、なのは納得 してて。チンケな映画を見た、って感触 じゃないのは確かなので。 ただ、それはストーリーとは直接、と いうか全然関係ない部分での感心で。 スピルバーグさんとは、ほんまに長い。 1975年12月。「ジョーズ」を姫路で、 学校の許可映画(拙書「めっちゃピンぼけ」 を読んでる方は判ると思います)として 見てからの付き合いで。ガッツ石松が アルバロ・ロハスを14回KOして世界王座 5度目の防衛に成功した翌日に、見に行った の覚えてるから、どれぐらい前かも 判りそう。約30年前だもんねえ。 その後、テレビで見た「激突!」とか、 「シンドラーのリスト」なんかは、お勧め映画 としてかなり高く私の頭の中ではランクされてるし、 「ジュラシック・パーク」は96年に36型大型テレビ (当時は珍しかった)を購入した際、ビデオで 何ヶ月も毎日流す「バックグランドムービー」に 使わせてもらったり。この続編の「ロストワールド」 は97年にアメリカで2度見て、現地でポスター買 って板ごと飛行機に乗せるの苦労したのも今、思い 出した。ざっと、今頭の中で見たの思い出したもの だけでも20本ぐらい、スピルバーグ監督作品って あるもんなあ。オレも間違いなくお得意さんやろ、 と思う。 なんでもいいけど、映画ファンを楽しませて くれる監督さんとして僕の中ではかなり高い 位置に居る人なのは間違いない。 でもねえ。 「A・I」の時は、それでも設定の付け足し、付け足し が失敗だなあ、と思ったけど、内容にそう不満があっ たわけじゃなく。不遜だけど“オレなら、この題材で 小説書くなら、前半で終わりにするな”と思っただけ で。 「宇宙戦争」はそうじゃないからねえ。 特撮以外は、いらない、と実は僕は思ったぐらいで。 ほんまに、この内容で、 映画のストーリーとか話さないでください、 っていう、たいそうなものなんやろか? 疑問や。 大画面で見たほうが絶対ええことだけは 保証するけど、ドラマを見たい人は、 あまり近づかんほうがいい映画だと思うよ、 残念ながら。 (下)「宇宙戦争」、封切り一週目の土曜日の昼間。 混雑を予想した私は2時間近く前に行って席だけ取って 昼食べに。ハーバーランドは旧オーガスタプラザの18階 にある「木曽路」。予想に反して空いてたよ、レストラン も映画館も。ここ、昔から穴場的で好きなんだけどね。 港が見下ろせて、その上、ほぼいつも空いてる(店的に は困るんだろうけど)。さすがに、窓際の席は空いてな かったけど、僕には奥の席で十分で。 望遠の満足に効かない、いつものポケットデジカメで一枚。 のんびり出来たし、いい一日でした。休みの過ごし 方としては。雨に煙る神戸の港も風情あっていいよ。
2005年07月02日
午後7時半。 仕事は終ってます。 某所のミスタードーナッツで更新を。 久しぶりの外での雨、を味わいたくて。 雨なんて大嫌いなくせに。 短い小説なら読めるかな、と 短編集を探してると、あたった のがこの本。 「あなたと、どこかへ」(文藝春秋、税別1048円) 今の時点で、8人の作品のうち、 吉田君と角田さんのだけ読んだ。 いや、数ある短編集の中で、手が伸びて しまった理由は、8人の中に、 一歩間違えば“あの人は今”にでも 出てきそうな片岡義男さんの名前が 入っていたからで。 吉田君、角田さん、石田衣良さん、 谷村志穂さん、川上弘美さん、って感じ のほんまに今をときめく人気作家の 競演の中に“なんで?”って思ってしまって。 で、この日記を書いてる時点では、 片岡さんの作品までいってません。 角田さんの「時速四十キロで未来へ向かう」 って、いうのが、本当に今の僕にとって 素晴らしい小説に思えて、一服して しまって。いや、ほんまに。 別に“ばばあだ。ばばあで、顔だちなんか ぜんぜん整ってない”とかいう、刺激的な 描写に惹かれた訳じゃなく。 気力をなくした瞬間から、ひょっとして ぼんやりと人との関係を結ぶ程度の元気 を取り戻すことを暗示するラストまで。 “ああ、こんな感じだよなあ。一挙に、 あしたから頑張りますなんて嘘だよ。 時速四十キロの安全運転でちょうど” って、心地よい読後感があって。 ここで書いておかないと、片岡さんの を読んでネガティブな考えになる可能性 もあるし、と。 で、角田さんの話はここまでで、片岡さん。 1976年当時。「気まぐれ飛行船」は、 僕の夜中の楽しみで。DJとして片岡さん、 やってて。「ロッキー」の公開前の評判、 なんてこの番組で映画評論家の金坂健二さん とやってたの、録音までして聞いてたなあ。 “ジミー・カーターの新しいアメリカの 象徴”とか言ってたよ。鮮明に覚えているの は録音のおかげだろうな。 約30年経って振り返るとねえ。 ジミー・カーターが大統領だったことを 知らない日本人もきっと多いはずで。 で、片岡さんはその後、僕が大学に入った のと前後して小説家、エッセイストと してブレイク。あの、短いシーンを切り取った ような文章。小説ととるか、エッセイと 取るかはきっと分かれたはず。 直木賞候補になった「スローなブギにしてくれ」 は古尾谷雅人主演で映画化。監督の藤田敏八さんも、 古尾谷さんもすでにこの世になく。映画の出来は、 角川映画だったにも係わらず、監督テイストで エクセレントな出来映えだったよ。キネ旬ベスト テンは次点だったけど、いまだに僕の81年の 邦画ベストワンで。 そんなことはどうでもよく。片岡義男さん。 今の人気作家の中にこの名を見るとは。いや、 僕も作家志望だったはしくれだけに、文芸誌 で片岡さんの作品時々読んでますよ、今も。 純文学のほうになってるのが、すごいな、と 思ってて。でも、悪いけど過去の人、って 感じはぬぐえない。 大学時代に買った角川文庫。30冊はこれも あって。吉行さんの本の数と変わらない。でも、 間違ってももう手に取ろうとは思わないし、思 えない。 さて、片岡義男さん。 しんがりの川上さんの一人前。 順に読んで7番目の作品として読むか、 スキップして今読むか? 迷いながら、たたずむ夜八時、 外は雨のミスタードーナッツ、 って感じかな。 (下)「あなたと、どこかへ」の表紙。8人の 作家のサインを並べたところがいい。なぜなら、 この作品集。初出はすべて、日産の車の宣伝サイト だったようで、無機質なネット発表。それが、 サインの字体を並べられるだけで、血が通った 人間の作品に思えるから不思議な感じはします。 月並みな感想だけど。
2005年07月01日
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