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久々です。 29日の午前11時。 今日は昼からは、阪神の優勝関係取材に 借り出されます。 小説と一緒で、ブログも書けないと 思えば書けないもんですね。 頂いてるコメントの返事さえも書けていない。 なんとか、今日中に、とは思ってますが。 書けなかった日をどう過ごしたか? 東京へ行きました。 正確には、横浜と両方で仕事があって。 ボクシングの世界戦の取材。 帰ってすぐ、世界王者の徳山君の祝勝会 (2ヶ月も経ってるけど、記者仲間の身内 だと、落ち着いてからになるんだよなあ)。 昨日は、以前ここにも書いた舞子の移情閣に行って、 ぼんやり一日過ごしました。天気のおかげで 人も少なくてぼんやり出来て。 25日のボクシングの世界戦2試合。 特に、みんなが凡戦としたミニマム級の 新井田君とフィリピンの選手の試合が 奥行きの点で引っかかりました。 僕の採点は96-94で、挑戦者ケボンの判定勝ち。 2ポイントの差以上に、前半一方的に 感じられて。“ああ、日本の選手ってこうやって つまらないアウトボクシングにいつも負けてきたよな” とか、心の中でつぶやきながらで。 前進しても、しても空回り。 逃げてるとしか思えない奴がポイントを 集めて。 サパタ、セラノ、etc…。 中島、友利、上原、って王者だった連中が こういう、巾着をかすめとるような詰まらない ボクシングで王座を失ってるだけに “ああ、またか”だったわけで。 しかも、10回途中で急に試合が止まって。 手を挙げて、歓喜の声を発したのはやはり 挑戦者陣営で。まあ、判定が下るまでだった けど。 あれで、新井田の勝ちなら、過去に王座を 失った日本選手は「?」なんだよなあ。 でも、あんなつまんないボクシングで勝たれる のも困ってしまう訳で。 どっちにせよ、僕は新井田の勝ちとは見なかった わけで。パナマの審判が97-93で挑戦者の 勝ちにしてたけど、ほとんど同じ見方だと 思った。 どうしても、日本選手の負けるのを想定して しまう。どこで身につけたか、負け犬根性、って 感じで。大半の日本の記者が新井田の勝ちと 見てたのに。一方的に負けてて、追い上げ 全然届かず、と見た僕とでは…。 スポーツの見方さえ、仕事で20年以上もやって るのに、揺らいでいる。ましてや、経験から 考えると、もっと浅い他のことなら。 遠藤周作さんの「白い人・黄色い人」の時代の 意識から、僕などあまり変わってないのかも。 いや、危ない発言かもしれんけど、新井田の 挑戦者は同じアジア系の選手だったのに…。 (下)舞子にちゃんとあった、移情閣。 手塚治虫さんの話のようなもので、どこかで、 自分の生きれたもう一つの道、とかいうのを 考えていたのか?いや、そんなことはないな。 道は一つ。一本。高速道路でなかったこと だけは確かだけど、別にその道にいるのが不快 って訳でもないんだから、OKじゃないか。
2005年09月29日
24日の午前1時です。 彼岸の中日も終わり。でも、彼岸中で。 いや、それとは関係ないんだけど、 何でか仕事中(オリックス-日本ハム戦の取材)も、 ずっと社会人になってからの友人、知人で亡 くなった方のことばかり考えてしまって。 何でこんなことを考えたのか、っていうと 23日付けの読売新聞の編集手帳を読んだのと 関係は密接にあると思います。 電話好きだった元東大総長と、電話嫌いだった 詩人の室生犀星を対極に配置してエピソードを 語った後、あの世に一つだけ持っていけるものが あるとしたら、何を選びますか?と首都圏在住の 男性4百人(55-58歳)に尋ねた結果として、 「携帯電話」が6位に入ったという話が結びつけて あって。 いや、考えたのは携帯電話を持っていく、とか行かない とかいう話じゃなくて、単純に今、話が出来たらと考える 10指に足る友人のうち少なくとも2人は鬼籍に入ってるんだ、と 考えてしまって。 毎年、昔の痩せていた頃の写真を知り合ってから10年以上 年賀状にして送り続けて送り続けてくれた女性。 2003年の7月に亡くなられてるから、すでに 2年以上経ってる。 いや、友人と言ったら彼女は怒ってくるかも。 でも、会えば必ず挨拶を交わしてたし、一緒に 飲んだ記憶こそ、ほとんどないけど、ご飯食べた 記憶は幾つもあって。 僕が見る限り、結構敵も多かった彼女に、今、もし 会えたとしたら、言わなくていい愚痴を話してしまう んだろうな、と思って。その逆って、僕はやるのかな、 と思うと、やはり自分本位って気もする。 新聞の、それも普通の一般紙の、訃報に写真掲載で 載ってたけど、あの写真。仕方ないんだろうけど、 年賀状に使用してた「50キロしかなかったあの頃 シリーズ」のものを載せてもらえば良かったのに。 いや、どんな遺言を残したのかも知らない僕が言って はいけない。 僕と彼女の、共通の男の友人は「こんなことになる前に、 ちゃんと家族は作ってたほうがいいよ」と《忠告》された、 と言ってた。彼女が亡くなる数ヶ月前に、彼がお見舞いに 行った時のこと。 彼女の死因は子宮ガンだった。 思い出したもう一人の友人も。 昨年の年賀状、家族3人が仲良く遊園地で 撮った写真を背景にしてあって。「お元気 ですか?」と僕に、問い掛けが書いてあって。 その年の暮れ、奥さんから7月に永眠したとの 喪中はがきが届いた時には、なんかの間違い ちゃうん、と思った。 亡くなったことも知らんで何が友人や、と言われそう やけど、遠距離ならこれは起こると思う。 親友でもない限り。 仕事場で、ほんまにお世話になったし、 何かにつけご飯、お酒飲みに行ってた人 やった。 彼の死因も風の便り(消息筋の確かな)で、 どこかのガンだった。 2人とも、40歳に達するか、どうかだった はずで。 あまり、人付き合いのうまくない僕としては、数少ない 正直に気持ちを話せる2人の仕事仲間をすでに失って いて。 かと言って、携帯電話まで使ってあの世の彼らに 電話したいとは思わん。いや、話したいとは思うけど、 それは《偶然》会ったとかいうケースでないと嫌で。 偶然会って、単に挨拶するだけでも、誰かと自分が つながってると感じれる、感じれたに違いない人。 何時間も話をしても、つながってる、なんて感じれる 人、そうは現れんし、歳を取るに従ってますます、そういう 関係になれる人が減っているのを自覚出来る日々。 かといって、自分が鬼籍に入ってあるかないかも知らない あの世で彼らと話す、なんて勇気もない。 いや、生きてれば、生きている限り、チャンスは あるはず。なんのチャンスかは知らんけど。 亡くなった友人らには悪いけど、やはり話するのは 遠慮するわ。今はまだ、そちらの世界に関係する時 ではないと思うから。 たぶん、これだけくたびれ果てた体やけど、 彼らが冒された病にはまだ侵食されてない はずだし。 (下)映画「過ぎ去りし日の…」(1970年、 クロード・ソーテ監督)の原作だった「人生の できごと」(ポール・ギマール著、角川文庫昭和47年 11月発刊)。交通事故に遭って救急車で病院に運ばれ てから亡くなるまでの数時間の死にゆく者の頭の中をよ ぎる出来事、思考を描いた小説。死を受け入れざるを得 ない者の心理を想像力で描ききった中篇で、15歳の時、 初めて読んだ僕は、やはりそれなりに何かを感じました。 いや、単純に《死にたくない》だったような気も しますが。
2005年09月23日
21日の午前11時です。 仕事に行く前の時間。きのうの ブログに書いた通りの、海の見える リビングで佇んでるところです。 コメントの返信はやはり、夕方、 仕事の休憩時間(要は食事時間)にやりますね。 さっきまで、窓も開け放って、風を入れてたのですが、 とても爽やかな、という風ではなかった。 熱風に近いもので。 まだ、完全に夏は過ぎ去っていない、と いうのを確認しました。 クマゼミ、アブラゼミの声はさすがに聞かなくなったし、 ツクツクホウシの声も、まばら、っていう 状態なんですが。 まあ、去り行く夏に関係する話、ということで。 「去年の夏」と「夏の葬列」。 黒澤明監督の「天国と地獄」の原作者として知られる マクベインは、ミステリー作家としてその筋のファンの 方なら誰でも一冊は読んでいる(らしい)人で。僕は、 全然、ミステリーのファンじゃないので、実はマクベイン 名義のものは一冊も読んでない。 じゃあ、エバン・ハンター名義で、ならと言われると、 これも実は、この「去年の夏」しか読んでない。 「暴力教室」「逢う時はいつも他人」「明日なき十代」 と、僕の大好きな作品も含まれている映画の原作者と しても有名な方なのに。 で、背景はここまでで。 「去年の夏」は1969年にフランク・ペリーの手で 映画化されてますが、なぜか日本ではDVDはおろか、 ビデオでも発売されていない(はず)。テレビの放映も、 僕の知る限りでは、なされてないはずで(あったかも)。 簡単に言うと、幻の作品です。 映画が幻になるのと、反対にこの原作の方は当時、 売れたのは間違いなく。だって、僕の持ってるのは 昭和48年10月30日発行の11版(!)なんだから。 僕と同じく、原作で読んで《これは見たい》と思いながら、 見れずに終わってる人は多いと思いますよ。売れた年代 考えたら40歳前後の人で。 ストーリーを話すのはこれから読む可能性のある人に 悪いので、モチーフだけを。小説のラストの一文だけは、 僕は気に入ってないのですが、それを別の形に書き直した 訳者の井上一夫さんの一文だけを、あとがきから引用。 「『去年の夏』は16歳の少年が冬枯れの青年期を迎える前の 『最後の夏』でもあった」 これで十分ですね。 3人の15、6歳の男女がグリーンスウォードとかいう島 で過ごしたひと夏の出来事。かもめともう一人の少女が 象徴的に描かれてますが、まあ、さしたる意味も無くやられる 側から見れば酷に思わざるを得ないことを、描写だけして あとは…、というのがこの小説の奥行きになっていて。 「去年の夏」のことだ、とは出だしの1行に簡単に書いてあるだけ、 っていうのもポイントで。これで十分。帰って来ない時、を 考えるのは読者の仕事で。 映画化作品でもおそらく、F・ペリー監督の当時の仕事ぶり (「泳ぐひと」を 作った前後、余談ですが「泳ぐひと」は3月にこのブログでも扱い ましたが、僕がこれまで見てきた映画の中で5本選ぶとすれば、 絶対はずさない作品です)から考えて妙な解釈ははさまず、 残酷なことは残酷なままで描いてたのではないか、と。 だから、見たいな、と。 で、なんで山川方夫さんの「夏の蔡列」と並べたか、というと、 夏の、本当に、がっと照りつける太陽の下で、ぶったぎられた ように青春時代の1シーンが佇んで、生きていく上での喉の 奥に突き刺さった魚の小骨のようになる、っていうところに 類似性を僕は見てしまうからで。 どちらの作品も、夏、がタイトルには必然で。 1965年に交通事故で亡くなっている山川さんをリアルタイム で僕が知る由もなく。ただ、ハンターじゃないけど、 それこそミステリー作品を載せていたと推測出来る「ヒッチコック ・マガジン」に連載されていた作品の一つ、って いうあたりにかろうじてハンターと共通点あり、って程度かな。 芥川賞や直木賞に再三ノミネーションされながら、受賞なく 34歳で作家としては夭折された山川さんのことを僕が書くと 慶応関係者や文学関係者の方はカンカンになって、あるいは 呆れて、って感じになるでしょうからこれ以上は書きません。 「夏の葬列」に描かれている、戻れない時間、閉じ込められた 記憶、っていうのは、誰がどう言おうと、エバン・ハンターの 「去年の夏」の、主人公の少年のそれとダブります。もちろん、 社会背景の関係で、山川さんの作品の方が歴史的なものを感じ させてくれるけど、10代の子供、少年時代の、どうしょうも ない起こった出来事、やった事、というのは同じで。 心の中にかかえているもの。 普段、人はそんなものをぺらぺら話したりはしない。 いや、時にはいるけど。 話せること、っていうのは 実は、そう奥行きのない、抱えている 事実である可能性は低くない。 そして。 「去年の夏」や「夏の葬祭」に見る、少年らの 抱え込んだ事実。フィクションであるにもかかわらず、 それを外に、つまり読者に、描写で知らせること が出来るのが、唯一、作者=小説家なわけで。 こういう作品らにあたると、小説家になりたい、 というより、こういうことを表現出来るのが この人しかいない、と読む人に思ってもらえる のが究極の作品を発表する目的になるのかな、 と。 海は見えるけど、外から来る風を遮り、エアコンを 利かせた涼しい部屋となったリビングで、本当は、 外にある熱気を想像の中でしか状況で。 夏の終わりを待つ昼下がりのひととき。 (下)ちょっと、窓を開けると外からの風に、見事に 揺られる文庫本。「夏の葬列」の表紙が捲くれている のは、読み込んでいるためではありません。「去年の夏」 (角川文庫)は絶版だろうけど、「夏の葬列」(集英社文庫) はまだまだ手に入れられるはず。僕の持っているのが、 1997年6月14日発行の第7刷ですが、集英社の 青春必読の一冊として、ヤング・スタンダードとかいう シリーズの中の一冊となっているようなので、十分、 読むことは可能なはず。ショート・ショート、みたいな ものばかりなので、手ごろに読めますしお薦め。 それにしても、今となっては一般の人のほとんど知らない 山川方夫さんの本を、1991年に文庫本に入れ、しかも 版を重ねさせている集英社の担当の方、すごいと思ってます。
2005年09月22日
20日の午前7時です。 寝る前に更新しようと思ったのですが、出来ず。 まあ、いいか、って感じですね。 19日。 仕事場で見たものが久しぶりに面白かった。 本来、僕は企業内記者(フリーの人の過酷さ はない)でスポーツの担当ですから、仕事で 面白い、というと見たスポーツのことで。 神戸はスカイマークスタジアムで行われた プロ野球・オリックス-楽天の最終戦。 よく考えたら、因縁の一戦で。 昨年のプロ野球再編の時に、すったもんだ した二球団ですから。 で、19日の試合。 かかっていたもの。 オリックスはプレーオフ進出のためにトーナメント のような試合を続けてる日々。先発投手は好投してようが してよまいが、5回前後で降板し次の先発試合に 備える。打者はこの前4番を打ってた人が8番に入ったり する猫の目状態。 はっきりいって、《よう持ってるなあ。こんなチーム状況で》 って感じなんですね。 一方の楽天の先発は岩隈君だった。 余談だけど、試合後、ぶら下がり取材で 初めて岩隈君の横に付いたけど、あの脚の 長さといい、顔の割合、造形、見事だよ ねえ。それでスポーツも一流なんだから。 天は2物を彼に与えていて。まさに、美しさ と力強さということだから。 で、余談がさておき、岩隈君にかかっていたのは 3年連続での二ケタ勝利で。 昨年、入団を拒否してすったもんだした オリックスを相手に、オリックスが負ければ プレーオフ進出が絶望的になる、っていう 試合で登板と。 試合前からでも、これだけ伏線が張られていて。 神戸はスカイマークスタジアムには2万8千人を 超えるお客さんが来てたけど、世間での注目は 野球なら阪神-中日、ロッテ-ソフトバンク、 百歩譲って日本ハム-西武、巨人-ヤクルト、って 感じですよね、昨日は。 よう、スカイマークなんかにお客さん、集まるわ。 でも、ほんまによくお客さん入ってた。 実数発表、嘘やない、って思いましたよ。 結果。 3時間59分もかけて9回戦って、オリックスの 逆転サヨナラ勝ち。 でも、結果以上に、面白かった。 先にオリックスが3点あっさり入れて楽勝、と 思った試合。岩隈君、踏ん張って2回から8回まで 低めを丁寧について散発の2安打。 楽天打線も、オリックスの明日なき(別に今日試合が ない、という意味ではない)継投をのほころびをきちん とついて、1点ずつを奪っていって、 ついに9回表には、勝ち越し。 9回表の勝ち越し点。 ユウキって投手の暴投で、だったんだけど、 得点された後、オリックスの神部投手コーチ がマウンドに登った時。 というか、その前の時点で、だけど。 僕にはユウキって投手が泣いてるように 見えました。高校野球じゃない。トーナメント なら分かるのですが、百何十試合ってやる 試合の一つ。本来なら《次がある》と思えば 良いわけで。でも、ユウキ君にとってはそうじゃ なかった。 で、その裏の岩隈君。 結果として、今季彼が投げた1試合最多投球数と なる139球目を右越えに村松に逆転サヨナラ二 塁打されるのですが、こちらも執念、見せてたよね。 満塁にした大西に投げた最初の2球。スライダーが お辞儀してボールになるのを見たら、田尾監督で なくても限界、って思うわな。 だから2死満塁で、田尾監督が交代させるために マウンドに来たのも正解。 しかし。 彼は、90敗以上してるチームとはいえ、そのチーム のエース。それも、すったもんだした挙句、対戦して るチームに入団するのを蹴って東北のこのチームに 入ってる。 そして、あとアウト一つ取れば、苦しかったシーズン でもなんとか二ケタ勝利、っていう結果が出る。 「行きます」 と躊躇なく、田尾監督に言い放ったのも 当然でしょう。 よれてたのに、村松を2-1と追い込んで。 投手と打者の駆け引きで、このカウントは 投手の勝ちです。野球を少しでも知ってる 人なら分かる通り。 だからどう追い込むか、が駆け引きだった りするので。 いろんな思いが、松村の右越え逆転サヨナラ二塁打 が出るまでに交差していたはずで。 これが面白くないはずがない。 僕が今年、仕事で見たスポーツ取材の中では 一番面白かったし、心を動かされた試合でした。 もちろん、泣くようなことはないし、個人的に 知ってるのは、ようあんな戦力でやりくりするわ、 と感心させられてるオリックスの仰木監督ぐらい しかおらへん訳だし。 試合後の、いや、取材後の仕事は、 岩隈君の短い20行足らずの残念原稿 だけ。 だけど。 久しぶりにスポーツの面白さを見た思いがしましたね。 本来なら、僕のフィールドのボクシングの世界戦を どこかで見て《おもしろかった》とか言ってたい日だった んですが、吹っ飛んだ。 これがあるから、この仕事(新聞記者)も 捨てたもんじゃない。小説を書く、っていう 点から考えても、心が動くのを意識出来る ことは決して悪いことじゃない。 「もっと簡単に勝ててましたよ」 一緒に取材に当たった同僚の記者はオリックスに ついて言ってたけど、簡単に勝たなかったから、 いい試合だった。本当に。 その記憶を、一夜明けでしか記せない 自分の年齢以下の体力にはがっくりする しかないのだけど。 (下)お客さんも誰もいなくなった試合終了、約1時間 経た神戸のスカイマークスタジアム。僕にとって、一年に 一度のプロ野球で「見てよかった」と思える試合後 です。仕事で見ている限り、何も感じない、をモットーに 最近は取材してただけに、自分でも意外だった。そんなに 感情移入出来るほど、個人的に知った選手もいないのにね。
2005年09月20日
19日の正午。 風は涼しく、雨は降らずの曇り。 昨夜(僕は今朝早く、ですが)、中秋の名月、 ってやつが見えていたのが嘘のような天気。 夜、雨でオリックス-楽天戦が中止になって くれれば、ちょっと休めて楽なんですけどね。 ここまで書いてきたことの責任上、勝手に 書きます。「ホテル・ルワンダ」は、公開を求める会の 水木さんたちがしっかり活動を続けられてます。 現実に公開が出来るようになれば、とも 思ってます。 継続は力なり、で頑張ってください、と いうことぐらいしか今の僕の立場では 出来ないし、それ以上しようとすることは、 僭越だったのも今、分かってますし。 影ながらで応援はしてます。 あと、18日の神戸新聞。 17面の書評のページに、 宮嶋茂樹写真集「任務-自衛隊イラク派遣記録」 の書評が出てます。 書評としては珍しく、本の中の 写真から一枚(現地の子供たちに歯磨きを 教える女性隊員の写真ですが)抜かれて、 本の表紙の代わりに紹介されていて。 副タイトルの「不肖・宮嶋」静かな告発、って いうのがすべてを現しているような。 マスコミ、っていうカテゴリーに括られる もの、って事件とか報道価値がある時しか、 取材しない、出来ない、っていうのが 大半ですからね。 もし、取材を続けてる人がいるとしたら、 特ダネを追う功名心と売名を望む 記者、カメラマンだけだったりして。 いや、宮嶋が功名や売名に対する気持ち が全くない、と言ってるんではないのですよ。 そんなもん、ない記者、カメラマンなんか、 ほんまにおるんか。 そうじゃなくて、自衛隊は宮嶋氏のフィールドだ、 と僕は思ってるし、本人にもそういう話はしてる。 杉山隆男さんぐらいしか他にいないじゃないか、と いうことで。継続的に、この軍隊といまだに認められて ない武装集団を取材してる人って意味で。 その事件写真とは違う、地味な取材の 一端を今回は見せてくれた、という意味でも 貴重な写真集だと思ってます。 「派遣の是非を問う議論はともかく、今も硝煙 漂うしゃく熱の地で汗を流し続ける日本人がいる。 静謐な写真集は、もの忘れの早い私たちへの、 身を懸けた告発だ」 (書評からの抜粋、神戸新聞写真部・田中靖治さん) 許可無く抜粋ですが、最小限度の、出展を明らかに した商用でない抜粋は著作権法に触れない、ってのは、 昔、マスコミュニケーション論で大学時代に学んだこ ともあるので、この程度、許してくださいね。神戸新聞 の方。 いや、僕なんかがグチャグチャ言うまでもなく、 これでこの写真集の意味づけ、あってるような気が。 必ずしも、戦地や事件の写真だけが報道写真じゃない っていうのを短い文章で、この田中さん、書き切って くれてますもんね。 で、タイトル。 「めっちゃピンぼけ」は出版されてるので、 ここに来られてる方はみんな知ってられる と思いますが、それ以外でどんなものを書いてきたか? 2000年からですからね。 真剣に取り組んだのは。 仕事に絡んで付き合った野球選手らから発想した作品は 3作品。「桑港(シスコ)」(2001年)「ナイルでキャッチボール」 (2001年)「マンボウ」(2002年)。 「桑港(シスコ)」だけは、同人誌に発表して、 朝日新聞紙上で、芥川賞作家の高城修三さんに3行ほどで ほめられて。同じ時にほめられてた女性の作品が 同年(2001年)の上半期、雑誌「文學界」の同人誌の 発表作品の最優秀作に選ばれていて《びっくりするほど 差があるわけじゃねえや》と思ったのも確かで。 全部書こうか、と思ったけど、なんの価値がある のか分からんから、止めます。 どちらにせよ、2000年から2004年の3月まで、 長編中心に13作は書いていて。 いろいろ、あって2004年3月にルワンダ虐殺と日常を素材 にした短編「マチェーテ(山刀)」を書き上げてから、 筆は止まってます。 一年半。 そろそろ、ほんまに書かんと、生命としての時間を 考えても、そうは残された時間がない。 それと、過去書いた作品は、何らかの形で発表 出来るようならしますが、基本的にネットで公開 する気持ちがないので、まさにお蔵入り。 モノによっては、いい編集者に見てもらえば 生き返るものもあると思うので。 そういう期待は、してもいいでしょう? 損得じゃなく、10作品以上は読んでもらえるものは 揃えたままです、っていう。 小説を書くから、小説家志望、もしくは小説家な訳で。 新しい作品がベストなのは自分でも分かって ますが、古い作品でもしかるべき人が見てくれるので あれば、何度でも書き直していい作品に仕上げて 発表したい。 考えてるのは、シンプルにそれだけです。 それこそ、不肖・宮嶋氏がよくいう「誰もが知ってるけど 誰が撮ったか分からない写真」ならぬ、「誰もが知ってるけど、 誰が書いたか知らない小説」が究極の目標ですよね。 名前なんか売れるより(売れてないけど)、あれいい小説 だったね、といわれるほうがどれほど嬉しいか。 こうやって書くことで、小説を書かないと笑われる状況に 自分をもっていく。 そのためなら、ブログもあって構わないかな、と。 (付)「めっちゃピンぼけ」ですが、文芸社が再度、売るのに 力は入れてくれたみたいで、大阪の梅田・紀伊国屋などで平積み 復活してます。まだ読まれてない方で、それなら、という方、 一度、覗いてみてください。ほんまにあんのかな? (下)はじめて、小説を投稿した同人誌。いや、正確には それまでにも印刷された小説はあるのですが、小説だけ、って いうのははじめてだったですね。一冊、あまってるのがあるから また、方法を考えて、いるかどうかも分からない僕のコアのファン の方にまたプレゼントしますね。 載ってるのは「桑港(シスコ)」で、 メジャーリーグを目指すベテラン投手の代理人として米国に戻った 元野球選手の話です。100枚弱の中篇で。
2005年09月19日
16日の午前11時です。 まだ、朝、やらなければいけないことが 出来てませんが、とりあえず更新をすませてから。 時間の関係上、書き込みしてくださって る方への返信は帰宅してからになってしまい ます。夜ですよね。すみません。 で、タイトル。 「梶原一騎伝 夕やけを見ていた男」ですよね。 まあ、僕の読書スタイルとして、こういう大物を 素材にして、デーン、と構えるノンフィクションって いうのは信用しない、っていうのがあって、普段なら まず、手には取らないんです。 現実に、この本も、解説の裏側を見たら、 1995年1月に新潮社から単行本になってるし、 2001年3月には同じ新潮社から、増補文庫版に なってる。 そういう時に、手にしてないから、何をいまさら、と 言われるかもしれませんが、だって仕方ないじゃない、って 感じで。なぜか、文春文庫にこの夏に入ったので、 初版本を間違えて(ほんまに魔が差して)、買って しまった。本屋に並んでるっていうのは、時に こういう購買者を作るから本にとって大切な訳で。 いや、正直。 面白かった。 いや、飛ばし読みに近くしたところもあるので、 梶原一騎さんのコアなファンの方からは、脅されかね ないので、あほな事は書けん。 と、僕が書くのはあながち、世間のこの人(梶原さん) に対する見方ではないのかな、と。 「あしたのジョー」や「巨人の星」のような、ある意味、 ひたむきな主人公を描いていながら、私生活はめちゃくちゃで、 こわもてで、そういう筋の人がいつも誰かを脅してて、 そばにいる女は女優であろうが、なんであろうが、自分の ものにしてすき放題。で、勝手に病気になって、50歳で 早死に…。 どや、このまとめ。 こんな感じやろ、世間の梶原一騎さんのイメージって。 で、本を読み終わって…。 その通り、と思いましたよ。悪いけど。 誰がどう、この人をいい人、優しい人、と弁護しようが、 包括して、取材して書かれれば書かれるほど、 イメージどおりの人だったんじゃないか、と 僕は思いました。 いや。 正直、この手のノンフィクションの書き方として、 出来うる限りのすべてを取材して良し悪しの判断を つけずに放り出すのと、短いエピソードで彼を 語れる自信があれば、そこだけ広げる方法があると 思うのですが、前者を筆者の斎藤さんは取って、 絶対に悪意では書いてない(むしろ逆でしょう)にも、 かかわらず、見事に読む前に抱いてたイメージの 焼き直し、確認になってしまって。 ニュージャナリズムの手法でなく、挿話の手法で書いたから、 とかいう理由でない気がします。 16歳で少年漫画誌(少年画報)にボクシング小説(!)を 応募し入選して、始まった梶原氏の文筆の世界。 結局、終わってみれば生涯夢見ていた可能性のあった 小説家にはなれず、で。 原作者として「あしたのジョー」っていう、後世も含め、 もう出ないかもしれないような大傑作(大げさじゃなく 僕もそう思ってます)を残しながら、少年の頃、夢見た 可能性への道=小説、に立ち帰ろうとした時点で、病魔 に襲われ亡くなったのが梶原氏で。 著者の斎藤さんも、あとがき(何度も出版しなおされてる ので、あとがきも2つ、永江氏の解説も入れて3つ、本編 とは別の添え書きがある)の平成6年(1994年)バージョン で「いつの日か彼のように、読む者をつき動かす作品を 書いてみたい夢は、まだ捨てずにいる」と書いてられますが、 30代半ばでこの書を書いた斎藤さんが46、7歳となった 今、そういうものを書けたと思われてるのか、どうかも 全然、作品とは別に僕には知りたいところともなりましたが。 予想を裏切られず、読み終えたにもかかわらず、 面白かった。本当に。 結局、《劇画のような=映画のような》生き方って いうのが実在した、って改めて示してくれることで 僕らのような、凡々としたサラリーマンには目もくらむ お話、を読ませてもらう形になって。 上昇志向の強い人とか、いつかきっと、って 思う人。はっきり、言って大抵の人、口には 出さんけど、そうでしょう?幾多の成功の おかげで、口に出し、行動に移せたのが梶原 さんで、でも、少年時代の夢はついに叶わなかった という点で、大半の人にも共感出来るところ があるわけで。 まあ、なんでもええわ。 人の本の良し悪しなんていうてる場合やない。 サラリーマンの世界のちまちましたことを考えてると、 つい、大きなことを忘れそうになるけど、 僕もあくまで小説やないか。 志が萎えて、人を自分と同じレベルに 下げんと気がすまん連中と一緒に埋没 してる場合やない。 書かんと。 やらんと。 小説はまだ書けるはず。 ということは、偉大な梶原一騎さんにさえ、 出来なかったことに挑めるチャンスが僕には 残されてるんだから。 まだ、時間はある。 (下)なんで、文春文庫に入ったのか、その経緯が知りたい とも思った「梶原一騎伝 夕やけを見ていた男」。「あした のジョー」の、僕がいつぞやの日記で触れた、乾物屋の紀ちゃん とジョーのエピソードがちばてつやさんの案、というのも 分かったけど、なぜか《そうだろうな》とも思ってしまって。 私生活の乱れ、ってやはり創作に影響、及ぶと僕は思って ます。だからといって、自分が聖人君主か、というとむしろ、 女性に対してをはじめ、見事にだらしないからなあ。 きちんとした生活の中からしか、本当にいい作品は出てこない、 とは思ってるんですけどね。それが難しい。
2005年09月16日
15日の午前10時です。 一度書いたブログが消えるのはおそらく 10回目ぐらいで。 ええ加減にしとかないかんけど、どうしても 画像とかのことを考えると 直接書いては、消えるんだよなあ。 まさに「自己責任」ってやつで。 とりあえず、気を使わずにもう書きます。 全く白紙の人と、非常にコアなファン(いるとして) しかもう来ない、という前提でやりますので。 「映画化」。 「めっちゃピンぼけ」、の映像化に向けて 確かに今、動いて下さってる方がおられるので、 感謝としか言いようもなく。 「こんなん映像に出来へん」と言われるにしても、 どこかしこで、検討してもらえたという 事実があるのは大きいことだと 思ってます。 で、「映画化」で僕が忘れられないエピソードを。 「スパイダーマン」。なんで今頃、と言わんといて。 明日は、めっちゃ面白がって今読んでいる 「梶原一騎伝 夕やけを見ていた男」(斎藤 貴男=文春文庫) か、 今日見てくる予定のスターウォーズの話にするので。 で、「スパイダーマン」。 アメリカンコミックだったこの作品が、日本に舞台を 変えて、池上遼一さんの手による漫画となったのは1970 年から。翌年の1971年9月号まで「別冊少年マガジン」に 載っていたそうなのですが、「ぼくらマガジン」と 「少年マガジン」のコアな読者だった僕は、そこまで手が 回ってなくて存在を知りませんでした。リアルタイムでは。 1997年。 11月に、ロサンゼルスはビバリーヒルズ近郊のショッ ピングモール内のマクドナルド。入ろうとした僕の目に 止まったのが、ジェームズ・キャメロン監督の新作のポ スターでした。タイトルは「タイタニック」。クリスマス 映画としての公開を謳われてました。 日本のボクシング界から脱出を図ろうとしていた当時、 有名だった重量級ボクサーの今後を取材するのに会った 米国在住女性カメラマン(この方にも不義理したまま) と、話が終わって、10号線でロスのダウンタウンに戻ろう と考えていた時。 「?」って、感じになりましたね。 だって、僕の頭の中では、キャメロンは「スパイダーマン」を 撮ってることになってたから。 1995年。 阪神大震災やら、大きな手術やら、取材担当をしていたプロ 野球オリックスの優勝やら、辰吉君のラスベガスでの復帰やら、 なんやらかんやで、ジェットコースターみたいだった年の 10月終わり。 三宮の今はなき、駸々堂で日本版「スパイダーマン」が復刊 されてるのを発見して。 1970年から1971年のリアルタイムでは、ほんまに横をすり抜ける ようにスルーしてたコミックですが、1976年にサンコミックスに 入った時に出会う形になって。 1976年の夏。 淡路のほんまに小さな本屋さんにも「スパイダーマン」はあって。 当時、出ていた6巻(全7巻)までを買いあさりましたよ。TVで、 モントリオール五輪のコマネチが映ってるそばで、左手から話さずに。 当時の僕にとっては、ジャストフィットした 漫画でした。シリーズ後半の平井和正さん原作に なってから拍車はかかるのですが、その前でも たとえば「疑惑の中のユウ」なんてやつは、主人公の スパイダーマン=小森ユウが、ついにスパイダーマンに ならない、とか、あって。 テーマはおぼろげながらで、普通の高校生を主人公に 添えてたので、青春の彷徨い、とかいうやつだったん だと思う。「おれの行く先はどこだ?」なんてタイトルの 話に、それは現れていて。 いやあ、暗い話ばかりだったよ。 じめじめ、うじうじ、で。どこがヒーローやねん、 ッて感じで。いや、主人公自体、そういうセリフを 吐き続けてましたね。何度もスパイダーマンをやめた、 ってやるし。 その10年ぐらい後に、地元(淡路)の津名高の野球部監督 になる僕の親戚(当時14歳)も、勝手に僕の漫画手にとって 読んでましたが「これすごい毒があるね」と中学生ながら、僕に 言ってきたのを思い出します。考えたら、「別冊少年マガジン」 の購買層は小学生からでしょうから、すごい漫画だったわけで。 (高校生が同級生の女子生徒に暴行する、とかいうシーン何度も 出てきてたし) なんの話だったっけ? あ、「スパイダーマン」を1995年に復刊されてるのを 見つけたっていうやつね。で、その帯を見てまたびっくり とともに嬉しくなって。 「ジェームズ・キャメロン監督のSFX大作、映画化決定」 とあったので。「ターミネーター」と「エイリアン2」で、 僕の中では神格化されてた監督ですからねえ。「トウルー・ライズ」 の?はあったけど、期待しましたよ。胸躍ったもんね。 日本版と違って、アメリカンコミックは湿ってなんかなくて、 爽快だ、って想像はついたけど、キャメロンがやるんだったら ドラマ部でしっかりすると思いましたよ。ほんまに、喜んで。 で、1997年に帰ります。 キャメロンの新作は、なぜか「タイタニック」。 だまされたような気になりましたが、《これが映画にする っていうことだ》と妙に納得もしました。 企画があっても、実現なんかなかなかしない、っていう。 「スパイダーマン」が映画になるのは2002年になってからで、 監督はキャメロンではなく、サム・ライミでした。青春ドラマ としてみても楽しめる出来になっていたのは知ってのとおりで。 評判良く、で2も作られましたもんね。 日本版「スパイダーマン」が映画化されることは、まずない でしょうが、それにしても。ヒーローが、ヒーローらしく振舞う ことがまずなかった漫画として、僕の頭の中から離れることはなく。 映画「スパイダーマン」のおかげで、またこのコミック、 2002年に復刻されてたはずで。地味で、ほとんど知られてなかった 漫画ですが、後年の大物、池上遼一さんの劇画タッチの漫画と 当時としては斬新としかいいようのないストーリーで、僕を魅了 してくれたのがコミック版「スパイダーマン」で。 (下)1995年に復刊された際の日本版「スパイダーマン」(朝日ソノラ マ)の第1巻。帯にあるキャメロンの映画化がいまだに実現していないの は上に書いたとおり。でも、キャメロンの名前が出ただけで、復刊させた 朝日ソノラマって会社もすごい。これが、ビジネスチャンスを逃さない、 の見本だとは思います。
2005年09月15日
14日の午後12時を少し回ったあたりです。 今日も、ナイターの取材でスカイマーク スタジアム。 きのうの約束に関することは書きますが、 書き込みゼロ、っていう事実に、世間の 目を感じたので、もう一度、書きます。 誤解でもなんでも結構。 書くのは事実だけだから。 「めっちゃピンぼけ」の出版には、僕が 時間的に余裕がなかったのと、コネを持たなかった こともあって、一人の方に「この出版社で大丈夫か」 を聞いただけです。 不安さはあったけど、「ここから出してよかった」と いうその方の言葉を信じました。というか、信じたかった 、というべきで。 著者の経費として、総額で2百5十万円ぐらいは かかってます。名目だけの印税とかで戻ってきた のは10万円程度。 このほか、謹呈本を送付したり、各メディアとの 直接交渉をはじめとすると、どうでしょう? やはり戻ってきたお金なんか全部使ってますよ。 丸々、2百5十万円の赤字です。 それこそ、山田真哉さんの「さおだけ屋ななぜ潰れないか?」 の世界で、最初から目論見の甘さがあって。 経費を全部回収しようとすれば、3万部売れてやっと ぐらいです。そんなもん、今1000部の本に可能か、どうか、 ぐらいはアホでも分かる。 営業に関して、出版社がどれぐらい力を もてるか、は著者には分かりません。 少なくとも、僕みたいな無知なものには。 だから。 素人の僕でも分かるビジネスチャンスを見逃す (これも「さおだけ屋」に明記されてる)のが、 利益の損失、と考える会社かそうでないか、 なんか知りますかいな。 どうでもいいのですが、言いたいのは 「めっちゃピンぼけ」がどれだけ売れたって 僕に儲けなんか絶対にありません。 ただ、この出版社の「リアル鬼ごっこ」 で山田悠介君が、作品をクソみそに言われながら、 作家になれたのが、やはり、同じ出版形態ながら 売れたから(文庫本のあとがき、で「ダ・ヴィンチ」 の編集長がこの経緯は詳しく書いてられます) で、あって。 だから、本が売れれば、次の作品を発表する 機会が膨らむかも。 僕が考えたのはそれだけです。 ここまで、何ヶ月もやったのも、そのためだけで。 で、今後は、このブログで、他の方の 僕が気に入った本、映画とかの紹介は続けますが、 相互のリンクとか以外での宣伝の類はやめます。 映画「ホテルルワンダ」の件でも、どうも迷惑をかけた のは間違いないようなので。協力は何でもやりますが、 まあ単純に悪かったな、と。ただ、運動が始まる前から 僕も成り行きに注目して、公開できないことを憂えて いたことだけは知っといてもらわんと、納得は出来ん。 オスカーのノミネーション発表直後に、書いてるし、 「ホテル・ミルコリン」の写真も自分で撮ったのを 貼り付けてるやないか、と。後だしジャンケンみたいに 思われるのは、どうかな、と。 他にも、いろいろ企画で、僕が参加を表明したもので 明らかに相手が迷惑、という信号を出されたものに関しては 明記しませんが、やめます。 このブログだけは、どうかなあ。 まあ、2000部。最終的には、自分で 出版社から買い取ればいいので、止める しかない、とはっきりした時点で、そうやります。 来たくない人は、本当に来ないでいいんですよ。 僕も、相手が歓迎でないことにはもうかまないし。 少なくとも表向きは。 偶然、というか、不肖・宮嶋をモデルにしたことで、 宮嶋君には迷惑かけたし、その関係者の方(ほとんど 自称なのが笑えたけど)には不快な思いもさせてきたようで。 ただ、モデルにさせてくれ、とお願いした手前、 出版しないのも悪い、と思ったのと、賞でも取らない限り 市場に出す価値のある小説なんて、僕の書いたもので これしかないやろな、と思ったのも事実で。 まあ、初期投資の半分ぐらい(百万円ぐらい)は帰って くるかな、と皮算用を立てた甘ちゃんの僕もいて。 元々、人の前に出るのは好きじゃないし、目立たない ように生きたいから署名のあるスポーツ新聞から、名前の 出ない某通信社に移った部分もあるので。宮嶋にならえ、で 本名で出版したのが、いまとなってはどうかな?と。 名前を売る=本名を売る、っていう風に考えられてる 方も多いだろうから。 本を知ってもらい、認知してもらうにはこれしかなかった けど、世間はそれほど温かくはない。 味方一人に、敵十人、って感じで増殖してるのも 分かってるので。 ほんまに、どないせい、言うねん。 売名行為やと思ってる人ら、あなたが二百五十万円の 借財(借金なんか本に関して、一円もしとらん が)を抱えて、かつ人に涙で迎えられる闘病物語とかいう のとほぼ正反対に取られかねない本しか武器がない時、ど うするんやろ。 オレはいやや。 そのまま、泣き寝入りみたいに借財抱えるの。 どこが間違えてるのか、教えてほしい。 実名は変えられん。 なにかに参加するとき、いつも匿名でやれ、って いわれても。名刺だって、会社の名と本名やけど、 それも隠せ、ってか。 なんちゅう、世の中やろ? たとえば「面白南極料理人」書いたおっさん。 オレは、あまり人の本の批判なんかせんけど、 やはり、売れてる本の名前=「不肖・宮嶋 南極観測隊 二同行ス」を実名で出して、宮嶋はじつは 「ぼやくこと、ぼやくこと」のカメラマン、って書くことで あんたも売名やろ、それ。 宮嶋の書いた南極のことがどれだけ嘘なんかオレは知らんし、あんた の書いたものの中にどれぐらい嘘が紛れこんどんのかも しらん。 オレも、買って読んでるんやから、まんまとあんたの罠に はまってるけど、商売ってこういうずるさがほんまは いるんやと思う。 あんたは新潮社から、和田誠さんのカバーまでつけてもらって 文庫本出して、それこそなんぼ儲けてる? 宮嶋の本(勝谷さんの書いた本、と言う説もあるが、どやろ? ちなみに、不肖庵で偶然、この(南極・・)ゲラ、無造作に放って あるのみたことあるけど、宮嶋の字=彼はワープロやないから、や と僕は思ったよ。見たらいかん、と思って一枚目が偶然、目に入っ ただけやけど)。 一緒にせんといてほしいわ。 出版貧乏になって、ほんまに海外へ行く 余力もないオレと。 ちょっとでも売ろうって考えるのが どこが間違えてるのか、誰か示せや。 私の存在が目障りな人は、もう来んといて。 愚痴やないで。 いらん労力、使いたないだけ。 しんどなったんでやめる。 (下)和田誠さんのカバーが昔日のキネマ旬報誌を 思わせる「面白南極料理人」(西村淳、新潮文庫)。 内容は非常に丁寧に南極での生活が描写されてるもの ですが。なんで、宮嶋だけああ、悪く書いたんだろうか? いや、推測の域はでませんが、やはり本を売るため、と 思ってしまいます。違うんやったら、違う、って 言うてもうても結構やが、僕の考えは変わらん。だって それが本に対する感想でもあるし。まあ、宮嶋君が どう思ったか、オレも聞いた事ないし、「好きなように 書いたらええやん」といいそうな気もするが。 じゃあ、僕も売名行為、これからやります。って、 どこでや。ブログじゃあ、商売にならん。というか、 商売のためになんかやってないで。
2005年09月14日
13日の午後1時です。 ニュース。 そういえば、12日付けの神戸新聞。 僕のゴルフの原稿、掲載してくれてましたね。 わが社は、記者の署名を配信しない (だったら会社がすべて責任取れよな、ほんま) 会社なので、分かりにくいのですが、 女子プロゴルフで優勝した不動裕理さんの 原稿はそのまま出てました。 いやあ、新聞に載る文章って、ほんまに 誰が書いてもほとんど同じになるよね。違うのは スポーツなら、その競技に対する理解度の 差で、専門用語、専門の技術が詳しく語られてる かどか、ぐらいで。ただ、そういう文章の 場合、今度はその技術を駆使した人の 人間性、とか言ったものはまず抜け落ちている。 ゲイ・タリーズが言ってる通りで、短い 行数では書けない。だから、フラストレーションが 溜まるんですよ、まじめに取材されてる方は。 ゴルフ取材に関しては、ゴルフ記者からは、ええ加減にせい、 と思われてる自信はあります。 ただ、取材の仕方は記者の裁量に委ねられてる訳で。 僕は僕のやり方でやります。 《教えてください》なんて、まず言わないし。 さて。 本屋大賞に「めっちゃピンぼけ」を、と先日、書いたの ですが、僕自身、この「本屋大賞」ってなんなのか、分かって ない。 昨日(12日)、神戸の紀伊国屋さんへ行って、 話題書のコーナーを見てみると、タイミング良く、 この本屋大賞で選ばれた10作と「本の雑誌」が出して いる、「本屋大賞」に関する増刊本が並んでいて。 買ってきました。 552円プラス税、ってお金を出して。 正直に感じた感想を言います。 村上春樹さんの本こそ、10作の中に 入ってないけど、《ケッ、人気投票、認識本投票 やんけ!》ってほんまに思った。 無名の出版社の作品ってないし、 たとえば太宰治賞をもらったような人の作品でも 筑摩書房あたりだと見向きもされてないような。 それでも、「本の雑誌」っていうのには、僕も 愛着なり、期待なり、があって。 椎名誠さんが出られた、目黒なにがし、さんが やられてた、ってところですもんね。 マイナーでも、いい本の発掘をされてたイメージ、 強いんですよ。 81年。大学時代に、「ブレードランナー」が映画化される 前の、フィリップ・K・ディックを知ったのは、この「本の 雑誌」で、だったし、ほとんど広告がない、っていうところ に独自性も感じていたし。 でも、ノミネーション作品が…。 一瞬、希望の光が萎えかけました。 でも、そんなんじゃあ、いかん、いかん。 何度も、この編集部には本を送ろうとして 今もまだ送ってないのですが、送った方が いいのだろうか? 本がある、存在する、「めっちゃピンぼけ」は今年の 本や、と教えてあげないといけないのかなあ。 「夜のピクニック」が直木賞候補にもならなかった けど、この賞で売れる、みたいなほのめかしも載って るのですが、あれは吉川英治文学新人賞ももらってるし、 第一、恩田陸、って方、僕でも名前知ってたで。 無名でもなんでもないやん。 2着やったものに、いや1等の価値あるから、って言い直した みたいなもんで。雑誌としての売り上げは知らんけど、もっと ほんとうに、文学賞にはまらん作品を見つけてほしいな、と。 いや、1000部ぐらいしか世に出てなくて、ほとんど 読まれずに終わることが今のままなら確定してる 「めっちゃピンぼけ」(文芸社)、なんとか 認知してもらえないかな、と。 今後は、ことあるごとに 認知してもらいたい、と書きます。 内容評価はそれからでも遅くないでしょう。 山田悠介さんの「リアル鬼ごっこ」 を小説としてほめる声を、僕はあまり、と いうか、ただの一人からも(出版当事者も 含め)聞いたことはありません。 でも、あの作品は売れたから、認識された。 出来、不出来なんか超えてます。 無関心は一番怖い。 知られないのが一番悪い。 ルワンダの虐殺の話じゃあ、ないんですが。 マスメで、これ以上取り上げられる可能性が 薄いのなら、のうやってネットでやるしかない。 みなさんの力を借りるしかない。 評価なんか二の次です。 知ってほしい。 この本がある、っていうことを。 本屋大賞っていうけど、本屋さんが 知らない本は本屋大賞もくそもないはずで。 「本の雑誌社」に、僕の代わりに本を送ってくれたり、 感想を送ってくれる方、感謝します。申し出てくださったら お礼として、「めっちゃピンぼけ」のサイン本ほか、 本を差し上げます。こそっと書いておかないと、これまで お金を出して買ってくださった方に悪いので。 先着3名さままで、「本の雑誌社」に行動を起こしてくださる、 という条件で、サイン本贈呈!。 いや、ほんとに、推薦できる内容だった、と 思わなかったら、構わないんだけどね、感想送ってくれなくても。 なんとか、出来ないかなあ、ほんま。 あ、サイン本進呈は本当にやりますけど、 過去、こうやって書いて、募集したことで、 このブログ、なんどかあったと思いますが、 正式にエントリーしてくださった方ゼロ、って いうもの凄いブログでもあるので。 期待せずに、待ってます。 どうしたら、世間の人、この本があるの 知ってくれるんやろ。 図書館の方もお願いします。 引き続いてで。 最寄の図書館に「めっちゃピンぼけ、入れてください」 って頼んでみてください。 8月終わりからで、兵庫県の伊丹市と、大阪府の堺市の 図書館に入れてもらえたのは確認出来てますが、 こうやって書いても、反響って この程度だからなあ。 でも、やります。 コアなここの読者の方の存在と、なにかええこと そのうちあるやろ、という信条のもとに。 あしたは、不肖・宮嶋のこととか、「ホテルルワンダ」の こととかに戻った日記書きますね。 (下)「本屋大賞2005年」-本の雑誌増刊号(2005年4月5日発行) なんとか、本があることだけでも知ってほしい、という私。こう いう立場の本を救うことを「本の雑誌」は数々やってこられてるはず。 作者が送ると、ただの宣伝行為にされてしまう、っていうのはもう この数ヶ月で嫌というほど分かっているので、読者の方の、それこそ 「これはいい本だから」って、気持ちで訴えてくれるのを待つしか 僕には方法がないんですよ、困ったことに。すんません。
2005年09月13日
12日の午前11時。 また、やってしまいました。 保存しながら書け、と言われてるのに そのまま書いてGONE。アホやなあ。 ま、それはそれとして。 思い出す限り書き直します。 選挙も、ゴルフも終わって、さて。 約束していた「ジェノサイドの丘」の再読からで。 本の感想なんて、文芸評論家に任せるし、普通の人 の感想としては、下巻の最後に訳者の柳下毅一郎さん が寄せられていたあとがきの最初の15行に要約される と思う。 無関心についての記述としてはこれで実は十分。 で、「ジェノサイドの丘」と映画「ホテルルワンダ」 おそらく、本を読み、映画を見た人は無関心でいられない、 居心地の悪さを感じるに違いないのだ。答えは、日本人 と思ってる人にも、他人事でない、というのが漠然と 分かるからで。 映画は僕はまだ見てないけど、「ジェノサイドの丘」に、 十分このホテル臨時支配人ポール・ルセサハギナさんのやっ たことは描かれているし、聖職者の行動との比較で良心とは 別の、悪魔に心を売るって何かも分かるようには、ゴーレイ ヴィッチ氏は事実を再構築して書いて下さっているので。 選挙が終わった翌日なので、余計思うけど、結局ジェノサイド って、政治なんだということが良く分かります。この本を 読むと。 殺人とレイプを政府が奨励し、政策とした世界。 ルワンダの1994年4月6日の夜から同年の7月17日の 現大統領カガメの率いたRPF(ルワンダ愛国戦線) による新政府樹立宣言までの約百日間。 本当に、そういう世界が存在し、一日に約一万人が 四国を少し大きくしたぐらいの土地で殺され続けた という事実は知っていていいと思う。それも、山刀 =マチェーテ、マス=棍棒、っていう原始的な武器 でほとんどが叩き殺されてるっていうのは。 2004年2月25日の真昼。 南アフリカのヨハネスブルグを発った航空機でルワン ダのキガリに一人、降り立った時。頭の中は、前もって 得ていた恐怖の知識で溢れていた状態。 いくら外務省に4人の日本人が在住(その時、2人は 日本に帰国中でしたが)していると教えられ、毎年 ルワンダに足を踏み入れているジャーナリストの下村 靖樹君に「日本よりある意味安全」と教えてもらって いても。 それにしても。 不肖は、写真集「イツデモ ドコデモ ダレトデモ」で、 ルワンダの虐殺後の写真を掲載してたあたりに、恐怖は 3日で慣れる、と書いてたけど、恐怖を恐怖と考える想像 力さえ働かなくなる時がある、っていうのもあの時、 学んだなあ。 10年を経て、まだ虐殺の行われた当時のまま、バケツなど 日常雑貨や落書きのある子供のノート、身分証明書、アメックス のカード、なんていう生活と密着した遺品が散乱したままの 風通しのいい、だだっ広い教会。 風が心地よかった。 同時に、居心地はどこか妙で。 片付けられてない人骨が散乱してたこととは 無関係ではないけど、それほど強いつながり もなく。あの居心地の悪さは、なんだったのか? そこで泣き叫んだ人の声、起こったこと、 そのあとの肉が腐る臭い、そういったもの を全く僕が経験してない、ということとは 濃厚な関係があって。 現場にいても、モノが起こっているリアルタイム の時でない限り、僕の想像力なんて貧困で。友だち がリアルタイムの時に、その土地にいた、とかでも どうだか。 冷たい? そうかも。わかんない。 ただ、起こってしまったことは、僕とは直接、関係 なく。10年を過ぎてその土地に来て、じっと様子を うかがっても、それは散発的に訪れていたヨーロッパ 系と見られる虐殺記念館観光のための白人となんら 変わりなく。 「わたしはルワンダに6回旅をして都合9ヶ月滞在したが、 その間に見た新たな死体は交通事故で死んだ若い男だけ だった」(「ジェノサイドの丘」より抜粋) 1995年5月に初めてルワンダを訪れたゴーレイヴィッチ でさえ、こうなんだから。ルワンダは、というか、 非戦闘地域となっている首都キガリなどは、東京よりも 安全だ。夜、街頭の光さえない(停電で)中を歩いても、 何も起こりはしない。そこら中に、体の色が保護色となって いるルワンダ人が潜んでいるにもかかわらず。 しかし。 1994年4月から7月は違ったし、 それ以前も1950年代の終わりから 現在の政府が樹立されるまでは 違っていたのは、知識として 僕は知ってる。 キガリの街のスーパーで、マチェーテがプリングルスのまさに 真横、無造作に数百個もむき出しのまま並べられて、売られて いるのを見る時、想像力は嫌でも働いてしまう。しかし、 次の瞬間には、紙一重と認識しながら、今は違う 世界なんだ、と思い直す。 「ジェノサイドの丘」の何度目かの読み直し を終えてルワンダの風景が久しぶりに頭の中を よぎり、いくつかのシーンが消え、文章のに定着 させていない自分の怠慢を相変わらずと思い、で。 これ以上、湿っぽい文章を続けても 仕方ないので止めます。 で、お願いですが。 「めっちゃピンぼけ」に、何か読書賞を、 ということで「AORINGO」さんが 教えてくださった「ダ・ヴィンチ」の いい本のアンケート。 http://www.mf-davinci.com/Davinchi/enquete1/2005.html 「めっちゃピンぼけ」の名を記入して投票して くだされば、嬉しいです。もちろん、いい作品と 思ってくださってる方だけで結構なのは当たり前 ですが。 近いうちに、トップページにも掲載しますね。 (下)「ジェノサイドの丘」(P・ゴーレイヴィッチ著、 WAVE出版)。不肖や僕と同年代のジャーナリストが書いた 本当に優れた本、っていうことで敬意を表するし、いい仕事 を残せたんだな、となんか良かったな、とか言いたくなった りもして。まあ、僕はフィクションしか長いものは書く気が ないので、うらやましいとかも思わん。純粋に、この本に ルワンダでの取材の上でも助けてもらっているし。僕みたいな 短期取材の場合、それまでの情報量が取材の奥行きに、確実に 反映してしまいますからね。
2005年09月12日
10日、午後11時30分です。 仕事が終わって、滋賀から3時間かけて 帰ってから約1時間。 ふう、って感じ。 あしたは最終日で、藍ちゃんが勝つのか、 さくらちゃんが踏ん張るのか、って書いてて 恥ずかしい。仕事だからやります、としか 言えん。明日も朝一番で、投票すませてから 行こう、と。 で、今日もルワンダの話題でいこうか、と思った のですが、ちょっと一日だけ「めっちゃピンぼけ」 のことを書かせてもらおうかな、と。いや、 ゴーレイヴィッチの「ジェノサイドの丘」を、滋賀までの 行き帰りに読み直し(3度目ぐらい)してるのですが、 これが長いんだ、上下巻で計4百50ページぐらいあって しかもブログ書くために、と思うと精読になってるので ちょっと待ってね、って感じで。 明日、書きます。何度も約束破ってるけど、今回は 絶対。「ホテルルワンダ」の上映へ努力されてる方 たちに協力するためにも、もう少し待ってね。 さて、「めっちゃピンぼけ」。 いや、この一週間。嬉しいことと悲しいことが 交叉しました。だから、書いておきます。 嬉しいことから。 読者の方からいただいたメールで。 本来はフリーページに紹介すべきなのですが、 どうしてもブログ本体で紹介したくて。 他の方のものが、どう、とかいうんじゃなくて 書いていきたい、書き続けたい、って いう風に本当に思わせてくれたものだった ので。 転載の許可を頂いてないので、名前とかは 伏せさせていただきます。 『昨日(9月4日)宮嶋氏の講演会で谷川様の斜め前に 座っていたのが私です。実は、当日きっといらっし ゃると思い、小説の感想をお話ししたく思っており ました。私は自分の気持ちを表現する上手な文章が 書けないので直接お伝えできればと思い、サインも いただけたらと「めっちゃピンぼけ」をしっかり持 参しつつ。しかし、お声をかける勇気とタイミング が上手く重なりませんでした。直接でなくてもお伝 えしたい気持ちが大きくなるばかりなので、勇気を 出してメールいたします。 不肖がモデルならとりあえず読もう。と購入しまし が谷川様の言葉の粒と出会えた事は、読書の素晴らし さを再認識させてくれました。“読書ってやっぱりお もしろいなぁ続きが楽み”と思いながら読みました。 一生に出会える限りある本の中に「めっちゃピンぼけ」 があってよかったです。本当に心からお伝えしたいのは この気持ち。 これ以上書くと小学生の読書感想文になりますから 止めます。どうかご無理なさらず執筆活動続けて下さい。 また谷川様の本と出会えるいつかを楽しみにしております。 心をこめて 』 勝手に転載させていただいて、本当に悪いのですが、 これ以上、小説を書く人間に勇気を与えてくれるメール はないと思います。そして、これを送ってくださった 方の姿を、たぶんあの人だ、と思い浮かべられるのも 現実感があって。 やはり、小説を書く、読む、両方なのですが醍醐味って いうのは、それを手にとって下さった方の心の琴線に触れ させることが出来るかどうかにあって。 こういうメールを頂ける、ということははっきり、心の中に 結び目を作って下さった方が存在した、ということを意味 しますから。一人でも、こういう方がおられるだけで、 「めっちゃピンぼけ」を書いただけでなく、金銭的なこと も含め少々、無理して本にした価値があった、と 思います。 本当に、ありがとう。 気持ちとして、自分の気持ちを動かされた小説の 作者が目の前にいて、サインをもらいたいのに、 言い出せない、って。分かります、と簡単に 言えないよね。昔、なんかの場面で僕も経験した ことがあるように思うのですが、何だったんだろう? 書き続けます。 次に出版できたり、どこかに載ったりするのが いつになるかは分かりませんけど。 で、悲しかったことは。 文芸社からの連絡で、在庫が3百冊も増えて 6百冊少しになった、ということで。 結局、千冊ぐらいしか売れてない、と いうことです。いや、山田真哉さんの 「さおだけ屋はなぜ潰れないか?」が 百万部突破、ってニュースで出てた日で。 同じ神戸出身でも、全然違う、って 思ったのも確かで。 さて、それで考えたこと。 「めっちゃピンぼけ」を、いい本だと思った方 だけで結構なのですが、あの本屋大賞、ってやつに 選んでもらうことは不可能かな、って。 本屋さんに読んでもらうことを何とか薦めて もらえないかなあ、って。読んでもらわない ことには本屋大賞もくそもないですから。 ダメ元で。 映像化の話も、可能性がある限り、ってことで 今、興味を持ってくださるところを探ってる段階 ですし、うまくいけば、もう一度、市場に「めっちゃ ピンぼけ」を並ばせることも可能だと思ってます。 「本の雑誌」とかにも、読者の方で本当に いい作品だと思われた方、どんどん投稿、投書 してくださいね。本があることを知ってもらう しかないので。著者が送ると単なる押し売り、押し付け になるケースが8割以上、っていうのはこの 5ヶ月でいやというほど経験しましたし。 ここを読まれたみなさん、本当によろしく お願いいたします。 (下)2005年度の本屋大賞1位の「夜のピクニック」 (新潮社=恩田陸著)、「めっちゃピンぼけ」も 出た当初(5月半ば)は、この本の隣近所で見られたり しました。格が違う、って言われたらそれまでだけど それでも、僕の本で心動かされた方もおられると 分かっている以上は抵抗します。 このページを見られる実質、一日3百人ぐらいの方の 温かい声援がすべてです。アクセス数はもっと多いの ですが、選挙じゃないけど有効総数ってそんなもんで。 そのコアな方たちが僕の支えでもあるのですが。
2005年09月10日
9日の朝です。 いつものことながら、アップはネット環境が 整ってるところに入ってからになりますが。 東京顛末記3、でも良かったんですが、 やはり先に読んで下さる方に伝えたいこと があるので。 2月のブログ立ち上げから、何回か 取り上げていた映画「ホテルルワンダ」を 日本で上映させようという動きがあるようです。 僕も、微力ながら参加したい、と思って WEB署名はしたのですが、どうかなあ、と。 どれだけ力になるのか判らないけど、 ここでも紹介。 http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/index.html 例によって、リンクの貼り方を忘れてるので、 アドレスにコピーして見ていただくしかないのですが、 でも、これ、本当に僕が待ち望んでいた動き なんですよ。 不肖・宮嶋は4日の東京での講演会の中で、コンゴの ゴマ難民キャンプ(今はありません。僕が現地できちんと 昨年春に確認してます)の自分の撮った写真の説明で 「こいつらも加害者だったやつらで、だからかわいそう だ、なんて思いません。難民はかわいそうって考え自体 が・・・(ステレオタイプの考え方を戒めたそうだった)」 と言ってたけど、僕もただ、かわいそう、って見かたが一元的で 正しくないのには同意します。 ルワンダのケースは、不肖が簡単に言ったことより、はるかに 人間の弱さや意志、存在意義とかにまで触れる部分があるのは 僕も、「めっちゃピンぼけ」を書いている時から思ってました し、現地で旅行者として入って取材する、っていうことをやって なおさら確認しました。 その一端を、「ホテルルワンダ」は描いてくれているはず です。ルワンダ虐殺を描いたもう一本の映画、「ワンハンドレッド デイズ」。こちらは、日本で映画祭などで何度か上映もされた ようですが、この制作者の家に行き、奥さんと数時間(この 奥さんも親族をほとんど殺された旧ツチ族の方)話しただけでも、 奥にある空気(分かってたら」、それを小説にしろよ、って 僕の内なる声です)は感じられたもので。 その「ワンハンドッドデイズ」とは、映画的に比べもの にならないほど上質に仕上がっていると「ホテルルワンダ」に ついては聞いてます。 ルワンダ訪問の際に、行き違いがあって宿泊までさせてもらい ながら音信不通となっている吉田真美さん(ルワンダ在住= ワンラブプロジェクト主催)のところも、撮影に協力されており、 逃げるツチ族とかの映像の中に、撮影当時ルワンダにいた日本人 女性の方もエキストラとして出演されたりしてるはずです。 (マスメの方法に対する考え方はいろいろあるので、音信不通が 悪いとも思ってません。誤解が解けょうが、解けよまいが、僕が ルワンダで取材した事実も消えないし) で、「ホテルルワンダ」。 アカデミー賞でも注目されたこういう骨太な作品を、 アフリカだから、悲惨だから、って配給を渋る映画会社も ねえ。商売として考えたら、リスクを背負いたくない のは分かるけど、どうでしょうかねえ。 で、今日は、この日本公開を求める会、の 紹介だけをしておきます。勝手に。なんの 許可もとってないので、不都合を指摘されれば、 ブログからまた、抹消するだけですが。 (下)ルワンダの首都、キガリ近郊にある共同墓地に 建てられた十字架の群れ。この下に犠牲者の死体が埋められて ますが、これなど幸運な方です。ルワンダの至るところに ある虐殺のあった教会。内部をわざと放置してるところも 多く、骨なども転がったままのとことが2004年3月時点では 多くありました。臭いがなくなってるので、それが人の死んだ あとのものである、という想像力が僕も働かなくなったり してて。違和感なく、その場にいれて、取材が出来る自分 というのがいたのを今も鮮明に覚えています。
2005年09月09日
8日の午前中です。 アップするのは、ネットの関係上で昼から になると思いますが。 で、日の経つのは早いもので、すでに 東京から帰って3日目。 不肖との話も、今日ぐらいまでかな、と。 年令に関する話を。 最近、僕は以前からの緑内障に加え、 老眼の気配が濃厚になってきて、ちょっと 明るいところから暗いところへ移ったり すると、目の焦点が合わずに困ることが 多いのですが、この年令から来る衰え、って 仕方ないところがあるよねえ。 不肖からも、意外か、どうか、真顔で 「もう戻らへんと思うわ」とこの間、 言われたことがあって。 4月の尼崎の脱線事故の時に、クレーン車に 足を引かれる形になってリタイアしたのは 多くの不肖ファンの知るところなのですが、 その治療がケッタイな方向に向かったのは あまり知られていないはずで。 「痛いよ。直らへん。あかん思うわ」 あっけらかん、とウォッカのグラス片手に 不肖は言い放ってましたが、直ってないそうです。 正確にいうと。 直ってる、直っていない、以前に、怪我は存在 しません。ひかれたところを何度も、レントゲン 撮ってもらったりしたそうですが、何の異常もなし、 と出るそうで。不肖の結論は年令から来る体の 衰えの一つ、ということでした。 「靭帯の損傷やないか?あれやったら、レントゲンとか にもデエへんし」 と私は答えましたが、真相は藪の中。 大体、靭帯を伸ばしても10日間もあれば 大抵直るわなあ。 もう、4ヶ月以上経ってるということは、 単なる靭帯を痛めたのとも違う可能性 が高い。 不肖の出した年令から来る衰え説も あながち、ありえん話でもないかな、と。 44歳やからなあ。二人とも。 この怪我の話とともに、ルワンダの話と 本の話が主だったのですが、ここでは 本の話を優先させて。 「めっちゃピンぼけ」の映像化の話を、 まあ気長に考えるわ、とか僕が言って た時に、「横山秀夫さんって、知ってるか?」 と不肖が言い出して。 正直にいうと、名前しか知らんかった。 「おもろかったで、“クライマーズ・ハイ”って やつ。まあ、組織論やねんけど、地方新聞の あり方とかもあってなあ」 ここから、不肖、一挙にこの小説の魅力と筋立て を語ってくれたのですが、聞いてるとほんまに 面白そうやった。 「いやな、NHKが映像権取ったんや。御巣鷹山の 事件がバックやろ。JALとか、そのまま社名出して やるとかいうてるけど、NHKやで。大丈夫かいな」 と語る不肖の声、表情。気に入った小説に対する思いが そのまま出てて。 「家にあるから持って帰りや」 と言われたのですが、不肖庵。 案の定で、本の姿なく。 「本屋で見つけて」 といわれて、2階のベットに入って 1時間後。 目の前の棚に「クライマーズ・ハイ」見つけた けど、自分で買わんと、不肖も読み直そうと した時、ないやろ、思って見つけたことは 言わんかった。 神戸に帰ってすぐ、本屋で帯にNHKでドラマ化 の帯がついた「クライマーズ・ハイ」を紀伊国屋 で見つけましたが、そこでは買わずにネットで アマゾンで注文しました。 古い本なのに、売れてるよね。 来るのは来週になってた。 まあ、今月中には読みたいもんで。 不肖の解説よりも面白いか、どうか、 そこも僕にとっての楽しみになってる のは事実です。 ☆カウントダウン、しばらくやめてるのは 返本がまだ増えるとの見込みを文芸社さんから 聞いたからで。それでも2000部、売り切り ますよ、何があっても。みなさんも、いいと思った 方はどんな形でもネットや友人に紹介してください、 「めっちゃピンぼけ」を。 (下)ブログの流れからいうと「クライマーズ・ハイ」を 紹介するべきなんでしょうが、まだ手元にないので。代わりに 私の「めっちゃピンぼけ」を。映像化に関して、どうなるか は分かりませんが、昨日の朝、少しはっきりした灯りが差し込む 事件がありました。本を6冊、梱包して宅急便で今朝、 どこかに送った、とだけ伝えておきます。果報は寝てても 来ない。ただ、動くところが間違えてないか、どうか。 前例を持ってないだけに、自分でも判りません。
2005年09月08日
6日の午後12時半です。 もう、書いた日記が消えるのは びっくりしなくなりましたが、昨夜も 一つ。 メモに保存、とか、WARDで書いて保存 とか教えていただくのですが、どうしても 掲載する写真との兼ね合いで、《保存出来ねえ じゃん》とか、勝手に思って。 アドバイスを生かせてなくてすみません。 で、消えた日記は、宮嶋茂樹氏との 講演会後の話も踏まえた顛末記にして たのですが、これは明日にでも気分が 戻れば書き直します。 で、改めて書くのは。 5日の午前中。地下鉄新宿御苑前近くの 「文芸社」にお邪魔してきました。 「めっちゃピンぼけ」の将来を案じて、 乗り込んでいった、というのは大げさ なんですが、当たらずとも遠からずだった りもします。 営業担当の方とのお話もしたのですが、 ここに記すのはそのあとでの、編集本部の 広報担当の方との話し合いで。 「めっちゃピンぼけ」の映画化の話の進行 具合について45分ぐらいのお話で。 結論を先に書いてしまいますと、文芸社さんは 本気でやってられる、ということで。 映像化する気になるプロデューサーを探して 「本を預からしてください」と言ってもらえ るまで、機会あるごとにあたる、との ことでした。 信用できるんか、そんなん? ここを読む人も思うでしょう。 疑い深い僕もそう思っても仕方 ない。 でも、直感ですが、信用出来ると 思いました。 で、なんでここに書くか、というと、やはり 口コミや紹介で、映像化出来る作品を探している プロダクション、プロデューサーに本の存在を 知ってもらうことが一番、と改めて確認した ので。 早いうちに、このブログのトップページも 変えていきます。映像化されることを目標に 考えて。いや、2000部売り上げたら、とりあえず 閉鎖というのも約束ですから守りますが。 2000部売れたら、そして映像化が実現する 感じになったら、HPを本格的にやればいいわけで、 ブログもその中に引き込めばOKでしょう。 それなら、閉鎖ってのは嘘にはならないでしょうし、 読者に対するサービスはより拡大されます からね。 僕にとって希望となったこと。 「私たちもびっくりしたんですが、プロデューサー の方が手にとって読まれて《ぜひドラマにさせてくれ》 ということで」 と、文芸社の広報担当の方が僕に話されたのは 「ずっと逢いたかった。」(服部泰平著、文芸社) に関することで。10月の終わりに、テレビドラマと なって放映が決まっている(TV局、忘れました。 すんません)ということなんですが、「こんなに 早く映像化が実現したのも、プロデユーサーの 方がほれ込んだからで」ということでした。 いや、なんで「ずっと逢いたかった。」の話で 希望が持てるか、というと、神戸の海文堂の出して られる「海会(カイエ)」という、小冊子の VOL24(2005年7月1日発行)に文芸社さんが 広告を出されて。その時、上下段で僕の本と 並んで宣伝紹介されてたいたのがこの本でした。 作者の格は、僕などと比べるだけで本人は怒り狂う に違いなく。文芸社さんのU-30大賞も受賞されて ますし、正規の、本当の意味での印税を頂いてられる 作家さんですから。 だから、その意味では比べたらダメなのですが。 「ずっと逢いたかった。」の刊行が、2005年4月。 それも、一度出版したものを、何年か経って、 企画し直し、書き直しで出されたものだと 知ると。 刊行はたった一ヶ月の違い。 出版部数は、そりゃあ、作家先生(嫉妬は思い切り あります。実際、差別化はあるから)の作品なので、 僕の本のおそらく4、5倍は刷ってられる。 でも、発行部数に対する売れ行き率はおそらく 「めっちゃピンぼけ」と変らない。 つまり、そんなに注目された本じゃなかった、 ということです。 それでも、一人の有力な映像関係の方が 「これ、やろう」といえば、映像になる。 ちなみに、「ずっと逢いたかった。」は 戦争中の純愛物語をなんとか、現代の家族 の絆の問題につないだ小説です。 映像化では松本幸四郎さんが主演を演じられてる ということで。 文芸社さんの話ですと、映像化の検討作品として 年間に検討される作品は出版作品の10作前後とのこと。 すべてが小説ではないので、その中に 「めっちゃピンぼけ」がいる、ということは チャンスだし、ぜひとも映像化された 作品を作者の僕も見てみたい。 しばらく、ぼんやりしてて、 映像化の話も自分で動くことは 一切してませんでしたが、これから はやります。 だって。 見たいもの、映画に、ドラマになった 「めっちゃピンぼけ」 みなさんも、どんどん自分のブログや その他のところで広めていって下さい。 みなさんの力添えが、だれか一人、 「ぜひ映像化したい」というプロデューサー に伝われば、実現してしまいます。 あ、不肖・宮嶋も「映画化の話、どうなった?」 と興味津々でした。彼は、自分の素の話が映像化 の話が出るたびに消えているので、 「なかなかうまくいかんけどな」と付け加えて くれてはいましたが。 僕も努力せんとなあ。 はよ、トップページ書き換えよ。 (下)神戸の元町商店街の中、海文堂に置かれていた 海会(カイエ)のVOL24から。これを見ると、 「めっちゃピンぼけ」も、と思ってしまうんですよねえ。 近くて遠くにあるもの、ってまさにこのことかなあ。 でも、あきらないどころか、頑張っていこうと思って ます。読んでるみんなも、ぜひ、ぜひ、一緒に盛り上げて いって下さいね。
2005年09月06日
ちょっと、細切れの更新になります。 4日の午後4時半。 今度は、東京は新宿御苑前の「TULLY’S Caffee」 での更新。 東京厚生年金会館の中の一室で行われた 不肖・宮嶋の講演会、聴き終わったあとです。 50名だけのこじんまりした講演でしたが、 僕にとっては聞いておいて損はなかった。 いや、サマワの話、一色になると思ってたので。 サマワの話、ってとって付けた部分でしかなくて、 昔の話、写真が主流になってました。 詳しい内容は、僕などが語るまでもなく サイト「おきらくまだむ」さん、あたりで フリークのどなたかがやられると思うので、 そちらに任せて。 昨夜、話し込んだのと、今日の普通の方に 向けた講演とを聞いた結果として、彼が 根っからのカメラマン、というか、本当に 写真を愛してるんだ、ということを僕は 確認した気がします。 もちろん、ジャーナリストでもあるのですが、 それはカメラ、写真というものの副産物の ようについてくるもんだ、と。 いい写真。 どのタイミングで事件や災害を抑えれば撮れるのか? 使命感に燃えるジャーナリストから見れば、邪道とも 取られかねない。ところが、生活を基盤として考えれば 当然のことになります。 カメラマンもカスミ、食って生きてるんじゃないんだ から。何でもいいか、というと、昔の写真週刊誌の 時代と宮嶋氏も変化してる気はしました。 本人は無意識かもしれない。 「ワシがこれから行っても、遅いわなあ。ある程度の 写真は撮れるやろけど、カメラマン、ゴマンと行ってる んやで。あの国や」 昨夜、「アメリカへ行ってるんやないか、と思てたよ」 と僕が、アメリカのニューオリンズなどの台風災害について 冗談めかして聞いたときの答え。冗談で、返って来なかった ですね。しかも、これから行って、カメラマンが面白いかも、 って思えるのはTVで「銃声が聞こえる」って言っていた、 略奪の部分。ある意味、イラクのサマワへ行くより、覚悟 して行かないかん。「結構、しんどいわりになあ」と不肖が いうのも分かる気がしました。 神戸の、あるいは、新潟の、災害ではない。 相当、衝撃のある写真を用意しないと、日本の 人はついて来ない。しかも、世界を相手に考えると、 言葉や行動でも自由に行き来できる自国民(アメリカ人) が現場にわんさか。 無駄な、あるいは勝ち目の少ない現場に行くよりは、 他の有効な仕事を優先させる。 間違えてない気がしました。 異論はある?あるかなあ。 おれでも、そうすると思ったもんな。 二十代じゃない。 おれらは四十代半ば。完全に無駄に終るって ある程度判ってることに手を出して「経験だから」と いうには、残りの時間が少なすぎる。 と、同時に災害を伝えたい、という 使命感よりも、カメラマンとして、いい写真を 撮りたい、が優先される心理。 ジャーナリスト、と呼ばれるのを彼が嫌う理由も 分かる気がします。 ただ、本人が好む、好まざるにかかわらず、やはり ジャーナリストとしか言い様はないのですが。 まさに、オリバー・ストーンの「サルバドル」で、 ジェームズ・ウッズが演じた主人公と同じなのです。 何のために撮るか、が下手な理想論になってない だけ。 自分が生活するために、あるいは、興味が湧いたから。 時にはそれがヒューマニズムに傾斜することもあって、 「サマワのいちばん暑い日」(祥伝社)が、これまでの 彼の一番の著作物になってると思われる理由は、 橋田さんという人物に関するかかわりで、ほぼ前に書くこと がなかった不肖自身がテレとか無茶苦茶な文章の後ろに持つ ヒューマニズムが垣間見えてしまっためで。 まあ、だから本人も「いちばん暑い日」とわざわざ、テレを 承知で書くよ、と宣言してるわけで。 よく彼が言ってる「誰が撮ったか分からないけど誰もが知って る写真」、彼は絶対に公言しないので、僕が書くのは僭越だし、 本当は黙っておくべきなのかもしれません。 ただ、宮嶋茂樹という人間をしってもらうのに、 一番の逸話で、それが写真に係わったことでもある のでここに記します。ただし、本人は真偽さえ認め ないかもしれませんが。 橋田さんの遺品に関する写真。 伊丹の写真展では「誰が撮ったか」の明記もなく、 橋田幸子さんの著書「覚悟」で、撮影・宮嶋茂樹、と 紹介されている3枚の帽子をはじめとする遺品の 写真(ほんとうはもっとあるんもかもしれません)。 宮嶋茂樹は著作権さえも放棄してます。完全に、橋田さんの 遺族の写真としてもらってる。どういう過程で、逆に、 橋田さんの奥さんの本に撮影者の名前が出たのか分かりませんが、 あの3枚の写真は「誰が撮ったか分からない写真」 っていうのがベストになってるわけで。 絶対に、自分のことをジャーナリストと言わず、 あつくなった時には、商売や名を売ることさえ放棄 する、それが宮嶋茂樹です。 「死ぬ気になったら何でも出来ると思います」 講演で、自殺に関する話をした時の、彼のコメントです。 「めっちゃピンぼけ」の主人公と宮嶋茂樹が決定的に 違うのは、生に対する肯定感で。同じように、ニヒリズムの 中にいるように見えながら、違う。 どっちが、どうとも作者の私は言わんが、 ただ「知ってたら自殺しなかったと思います」とコダック社の 最高級フィルムを作成した後、自殺したコダック氏に触れた 不肖のコメントが、生を考える時、正当かな、と。 最高級のはずが、今はデジカメの時代。 フィルム以上のものを編み出す必然性さえ生まれてるんだから。 若干、取り止めもなくなったけど、 今日はこのへんで。 コメントのレス、また書く時間がなくなった。 ともかく、今日、夜遅くでもホテルで書きますね。 (下)昨夜、久しぶりに泊まらせていただいた不肖庵。 詳しく住所を書くわけにはいかんので、表札ぐらいなら 不肖も許してくれるかな、と。これで、彼の著作物など で頭にきてる人々が押しかける、ってことにもならない でしょう。いや、きちんと表札を出して、フルネームって いうところに、彼の潔さが表れてる気がしたので紹介した までです。
2005年09月04日
4日の午後零時すぎ。 渋谷の駅近くのスタバです。 不肖・宮嶋茂樹氏宅から出て、 昼過ぎの彼の講演までの間、渋谷界隈で 自分の用事を済ませたところで。 いや、元気そうでしたよ。 夜9時の待ち合わせにしてたけど、まあ いつもの通りで10時半過ぎからになりましたが。 何をみなさんに伝えればいいのか、分からんけど、 一番は…。 そうですね。 年内に、もう一冊、彼の写真集が出る、と いうことかな。 ゲラ(写真集のゲラなんてはじめて見た!) を見る限りでは、今回の「任務」から、 前回の「イツデモ ドコデモ ダレトデモ」に 戻ってる感じで。 多分、値段とかもリーゾナブルになるのでは。 彼が、人、っていうのをどう撮るか、って いうのが良くわかる内容になってると 思いましたよ。 サマワの話も聞いてきたけど、これは 今日、あとでの講演で話すはずなので、 それを待って、もう一度、今日の夜か、 あしたに更新します。 まあ、きのうの僕なりのメインというか、 あたりは、服装やった。僕は、非常に エエ加減な服装で、リキテンシュテインの 少女の顔の大きく入ったポップアートTシャツ (昨年、ユニクロで買ったもの)を 着ていってたのですが、会う直前に 「週刊文春」の最新号を買って、米軍の フィリピン演習に取材参加した不肖の着てきた 服を見て(もってる方は注意して見てみてくださいね。) 、笑ったよね。 不肖も、リキテンシュテインのTシャツでした。 「いや、自分で買うたんちゃう。もろたんやけどな」 と昨日、説明してたけど、それにしても…。 絶対、同じシリーズや。 袖に、タグも付いてたしね。 これ、偶然。 偶然ついでに。 これは、前から分かってることやけど。 今朝、今日の講演のための準備で、後輩の 子にパソコンの調整を不肖、してもらって たけど、やはり今、僕がこの文章を打ってる パソコン=ビクターのインターリンクやった。 それも、黒に変る前の古いバージョン。 ビクターから助成金もらってもええんちゃうかなあ。 イラクの、バクダット、サマワをはじめとした とんでもないところに持っていっても 大丈夫だったモバイルパソコン、って 売りになると思うけどね。 内容がある、といったけど、この程度ですね。 短時間の更新で書けるのは。 写真とかは、また夜にでもアップします。 それと、遅れてるコメントも、今夜、一人で ゆっくりと都内のホテル、って予定なので、 その時にやりますね。 それでは。
2005年09月04日
3日の午後8時半。 東京は、JR渋谷駅のホームです。 お詫びの連続で。 日記の更新、新幹線の中でやろうと 思ったのですが、眠ってしまった。 これから約束の場所へ向かいますが、 おそらくもう今日、更新するのは 不可能なので。 明日。なんとか、どこかでやってみます。 いろんな方、たとえば永末さんであるとか、 ビッグマザーのママさんとか、きちんと メールを出さなければいけない方にも、 出来てなくてすみません。 とりあず、連日のお詫び更新です。 それでは。 PS・週刊文春、不肖が厚木基地に米軍機 で帰ってきた理由出てたね。どうして、あんなの 参加できたんやろ?聞けたら聞いてみるわ。
2005年09月03日
書きあがっていたブログ、アップする瞬間に また消えました。 やらなければいけないこともあるので、 気力が残っていれば、また後で書きます。 レスが遅れているのも、改めてお詫びします。 やる気の問題で。 とりあえず、のちほど。 (下)この話題も書いてました。次の不肖の写真展の 打ち合わせ。あとで、気力があれば書き直ししますね。
2005年09月02日
1日。午前9時45分です。 書き終え次第、会社(大阪)に出向き、 一仕事終えてから神戸の夜(スカイマーク) に備えます。 「9月になれば」―このフレーズを初めて知った のはいつのことだったか。秋の始まりとして意識 した、というよりバカンスの終わりという認識で。 映画と関係ある、というよりそこから認識した フレーズなのは確かです。ロバート・マリガン監督の 「9月になれば」(1961年、米国)がその 基で。映画も、15歳の頃、間違いなくSUNテレビ のお茶の間劇場みたいなところで、超カット、吹き替え版 っていうのを見ているはずなのですが、見事に ストーリーは忘れてしまっている。 ロック・ハドソンが出てたのは覚えていて、コメディー だったのも記憶にあるのですが。 マリガン監督はアカデミー賞をグレゴリー・ペックに もたらした「アラバマ物語」(62年)と「おもいでの夏」 (71年)で、日本の映画ファンにも認知されてる方ですが、 「9月になれば」となると、?、でしょう。 で、そんな薀蓄話をしたいのではなく、《COME SEP TEMBER》って、いうのは、それこそ竹内まりやさんの 曲「セプテンバー」みたいなもので、浮かれた気分のおしまい、 って感覚があって。 学生時代は間違いなく、9月は嫌だった。 きちんとした授業は始まるし、大学時代には 前期テスト(関学大は今は休み前にテストになった らしいけど)が待ってた。 社会人となって、今の仕事には盆も正月もない、 っていう形で。この「9月になれば」のけじめの 感覚っていうのが、なくなりました。けじめ、なんて つける時さえない感じがあって。いや、忙しいと いう意味ではなく、年中、スポーツがない時はなく、 なんかの話題はあり、っていうことで、自費で海外取材 を行った時をメインに十指に満たない数しか、一週間を 超える休みなんて取った記憶がなく。 「9月になれば」は、おそいバカンスを毎年9月に取ること にしていた別荘を持つような裕福な青年実業家を主人公と した映画だったと思う。確か。そこから先は忘れてるけど。 同じ頃の、フランス映画「ひと夏の情事」(59=フランス、 イタリア合作)も、15歳の頃、同じくSUNテレビの深夜で 見てるけど、けじめという意味ではこちらの方が僕にとって大 きかった。 ストーリーを明確に覚えている、という点で「9月になれば」 とは大きく違うし、身につまされる予感、がすでにあった 記憶があるのです。 人生に失敗しかかってる画家が、若い女の子と出会うひと夏の お話で。「ジョニーの肖像」のような、メルヘンでもなく、ただ 中年男の心の美しくない部分だけが強調される話になっていて。 若い女の子の気持ちを理解する包容力も実はなく、だらだらと生 きていかざるを得ない中年男。けじめなんかどこにもない。けじ めがあったのは、若い女の子の方で。 僕にとって「9月になれば」のフレーズは、マリガン監督の遅れ たバカンスを取る青年実業家の浮かれたコメディではなく、夏が 終わったのに、終わってない、というか夏がいつから始まってる のかも分からない「ひと夏の情事」のいろんな意味でだらしない 画家を描いた恋愛劇(?)を差してしまって。 で、今日。 「9月になれば」じゃなくて、「9月になった」日なのですが。 昨日までのいつ雨が降り出すか、という天候が嘘のような 晴れ間が天を覆う神戸は須磨地区。今年もまた、だらだらと けじめなく9月を送っていくのか、それとも…。いや、本心は それとも、なんてないのは分かってるのです。でも、それでも。 「9月になれば」―期待や希望、っていう小説じゃあそのまま 使っただけで、二流のレッテルが貼られるフレーズが頭の中に 浮かんできているのもまた事実ではあります。 ☆「めっちゃピンぼけ」(文芸社)、2000部完売までの 《VANISHING POINT》 残り 324冊(8月31日現在) (下)「9月になれば」の、ロバート・マリガン監督の 作品紹介と監督論が載っていた今となっては珍しい本。 (「世界の映画作家」24巻、キネマ旬報社1974年7月 刊行) 元キネマ旬報編集長の白井佳夫氏が書いていた。でも、 アメリカン・ニューシネマの俊英たち、って題名で 表紙に取られてる監督はマイク・二コルズ、ノーマン・ ジュイスン、ジョージ・ロイ・ヒルの三人。マリガンは 、ロバート・オルトマン、フランク・ペリー、シドニー・ ポラックらとともに第二陣のカテゴリーでした。 どうでもいいけど。監督ランキングなんて。ちょっと、ネット で見てみたら「9月になれば」は、ユニバーサルベストコレクション とかいう形で、今年の11月にDVDが発売されるみたい だった。モリナロとかいう変てこな名前の監督の 「ひと夏の情事」の方は、そんな気配さえないですね。
2005年09月01日
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