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記憶の中にある子どもの頃に食べた「冷や汁」を再現してみたい。冷や汁に定番だったのは手打ちうどん、これは欠かせない主役です。小麦粉はあぶくま山系の地粉を直販所で手に入れてきました。冷や汁のレシピは、この時代はwebで閲覧可能です。YouTube動画で見ることもできるでしょう。web検索の前に記憶の糸を手繰ってみましょうか。まずはゴマを炒って擂り鉢ですりおろす。そこに味噌を加えて、大葉、茗荷などを刻んで加える。キュウリは薄切りだった、木綿豆腐を入っていただろうか。【 記憶の中にある子どもの頃に食べた「冷や汁」を再現してみたい。】冷や汁は、暑い夏を乗り越えるための家庭の知恵と、風土に根ざした食文化の一端だった。冷蔵庫のない時代、家の裏手にあった井戸から冷たい水を汲み、冷や汁をつくった。キンと冷えたその汁をすすれば、火照った体がすっと鎮まったものだ。わが家では、冷や汁には手打ちうどんが欠かせなかった。うどんが主役といってもいい存在感で、群馬県東毛地域らしい食べ方だった。この地域は古くから小麦の栽培が盛んで、自家用に打つうどんは日常の味だった。地粉は赤城山の裾野に広がる台地の恵み。渡良瀬川や利根川水系の豊かな水と土が、小麦栽培を支えてきた。作り方は、祖母の手元の記憶をたどる。まずゴマを乾煎りし、擂り鉢で香りが立つまですりおろす。そこへ味噌を加えて練り、大葉や茗荷を刻んで加える。胡瓜は薄く切り、豆腐は水切りせず、手でくずしながら加えていた。あの舌触りが何ともやさしかった。最後に井戸水を注ぎ、全体をさっと混ぜると、見た目にも涼やかな一椀ができあがる。冷たい器に盛ったうどんの上から、たっぷりとかけて食べる。汁が麺にからみ、香味野菜の風味とごま味噌のコクが口いっぱいに広がる。ひと口ごとに、家族の顔が浮かぶ。父の黙々とした食べぶり、母の「今日は茗荷が効いてるね」というひとこと。ちゃぶ台を囲んだ食卓には、冷たさと温かさが同居していた。「冷や汁」は単なる夏のメニューではなく、風土と暮らし、そして家族の記憶が溶け込んだ特別な一皿。今、あの時と同じように手打ちうどんを打ち、地粉の風味を味わいながら、もう一度あの冷や汁を再現してみたい。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/31
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人は行動が変わる時には、今までと違う何らかの事情が生じた時である。そこには、原因があるのです。故に結果として行動が変化したわけです。その要因が行動変化を促したりすると考えられるわけです。行動変化要因 ▶︎ 今までと違う事情 ▶︎ 視点の変化 ▶︎ 行動変化を起こす何が問題なのか。どこに問題があるのか。その解決策を具体的に示せるか。【問題解決の本質とは、行動変化を生み出す“事情”に気づくこと】人が行動を変えるとき、そこには必ず「今までと違う事情」が生じている。これが変化の引き金であり、その背景には「なぜその事情が起こったのか」という明確な原因が存在する。したがって、行動の変化を捉えるには、単に結果(変化)を見るだけでなく、その前段階の事情や要因に光を当てることが重要だ。問題解決の出発点は、「何が問題か」を正確に把握することにある。漠然と「うまくいかない」「変えたい」と感じても、それがどこで、なぜ、どのように発生しているのかを明確にできなければ、的外れな対策を講じてしまいかねない。問題とは“現状と理想のギャップ”であり、そのギャップの正体を定義することが、第一の鍵である。次に、「どこに問題があるか」を見極める。これは視点の変化を伴う作業であり、表面的な出来事にとらわれず、構造的・本質的な原因を探る必要がある。「見えている問題」は、しばしば氷山の一角にすぎない。真の要因を掘り当てるには、自分の固定観念を疑い、別の立場や視座から問い直す姿勢が求められる。そして解決策を考える際には、「その変化を促す要因」を設計することが重要だ。人は、納得し、必要性を感じたときに初めて行動を変える。そのためには、本人が状況を自覚し、変化に価値を見出せるような「仕掛け」や「気づき」を用意する必要がある。まとめると、問題解決の本質とは、「行動変化を促す要因=新しい事情」を発見し、それを生み出すための視点を提供し、納得感ある解決策へと導くことである。変化を引き出す鍵は、常に“気づき”と“具体性”にある。 ◆◆◆◆◆検索 ▶︎「SoftBankのスマホでテザリングを使ってiPadをインターネットに接続する方法」新しく購入したiPad Airをネット環境につなぐ作業中です。この検索方法でつなげたかったのですが、、、とりあえず繋げることを第1目標にするならばと、従来のwifiに繋げてみよう試みた。Wifiに「QRコード接続」があるのでiPad Air のカメラでQRコードを撮って繋ぐこと成功。次は、「今まで使っていたiPad機能と新しいiPad Air をリンクしてデータを共有」です。さて、どうしましょうか。
2025/07/30
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◆ 糖尿病由来の「足の裏の痺れ」対処法 ◆【 質問 】足の裏がしびれるのは糖尿病による神経障害と聞いたのですが、 この治し方対応の仕方はどのようなものがあるか教えてください。 ーーーーーーー【 アンサー 】足の裏のしびれは、糖尿病性神経障害(糖尿病性ニューロパチー)の症状の一つである可能性が考えられます。これは高血糖状態が長期間続くことで、末梢神経に障害が起きる合併症です。糖尿病性神経障害の治療と対応の仕方は、大きく分けて「根本治療」と「対症療法」の2つがあります。1. 根本治療(血糖コントロール)最も重要で基本的な治療法です。糖尿病性神経障害の進行を抑え、症状の改善を図るためには、血糖値を良好な状態に保つことが不可欠です。食事療法と運動療法:** 医師や管理栄養士の指導のもと、バランスの取れた食事や適度な運動を継続します。薬物療法:** 経口血糖降下薬やインスリン注射などで血糖値をコントロールします。急激な血糖値の低下はかえって痛みを生じることがあるため、徐々に血糖を下げていくことが大切です。体重・血圧・脂質の管理:** これらを適切に管理することも、神経障害の予防・進行抑制に繋がります。禁煙・節酒:** 喫煙や過度な飲酒は神経障害を悪化させる要因となるため、避けることが推奨されます。2. 対症療法(症状を和らげる治療)しびれや痛みを緩和するための治療法です。薬物療法:**神経障害性疼痛治療薬:** プレガバリン、ミロガバリン、デュロキセチンといった、神経性の痛みに特化した薬が使われます。 アルドース還元酵素阻害薬:** 神経の代謝異常を改善する薬(エパルレスタットなど)もあります。その他:** 漢方薬(牛車腎気丸、八味地黄丸など)やビタミンB12製剤が補助的に用いられることもあります。非薬物的治療:** * **温熱療法やマッサージ:** 血行を良くすることで症状が緩和される場合があります。 * **理学療法:** 専門家による運動やマッサージ、リハビリテーションを行うことも有効です。 * **経皮的電気神経刺激療法(TENS):** 電気刺激で痛みを緩和する治療法です。 * **神経ブロック療法:** 痛みの伝達をブロックする治療法です。3. 日常生活での対策と注意点症状が悪化するのを防ぎ、合併症を防ぐためのセルフケアが非常に重要です。フットケア:**毎日足を観察する:感覚が鈍くなっているため、小さな傷や水ぶくれ、たこなどに気づきにくいことがあります。毎日足の裏や指の間などをチェックし、異常がないか確認しましょう。 清潔に保つ:** 毎日丁寧に足を洗い、洗った後は水分をしっかり拭き取ります。乾燥しやすい場合は保湿剤を塗りましょう。 靴選び:** 足に合ったサイズで、通気性が良く、足を保護する靴を選びましょう。ハイヒールやサイズの合わない靴は避け、靴擦れを防ぐことが大切です。やけどに注意:** 神経障害で熱さを感じにくくなっているため、こたつや湯たんぽによる低温に注意が必要です。入浴時のお湯の温度にも気をつけましょう。無理のない範囲での運動:** 糖尿病性神経障害があると足の筋肉が萎縮することもあります。足のストレッチやマッサージなど、足に負担をかけない範囲で運動を続けることが大切です。#まとめ足の裏のしびれが糖尿病によるものと診断された場合、**まずは医師の指示に従い、血糖コントロールを徹底することが最も重要です。** その上で、症状に応じて適切な薬物療法や日常生活での対策を組み合わせることで、症状の緩和と進行抑制を目指します。症状に気づいた場合は、自己判断せず、速やかに内科や糖尿病内科、神経内科などの専門医に相談することをおすすめします。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆🔲 漢方、飲み薬 威徳 -漢方の恵み-
2025/07/29
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現代日本の農業は、長年にわたり軽視されてきたといっても過言ではない。政府の政策は農業の安定成長や持続可能性に十分な支援を与えず、結果として農家の高齢化や後継者不足が深刻な問題となっている。政治家、医師、大企業幹部、国家公務員といった職業は、制度的支援や経済的安定により後継者に困らない。一方で、農家は厳しい労働環境に加え、収入の不安定さ、地域インフラの未整備など多くの不利を抱えており、若者が将来を託す場として選びにくい現実がある。食べることは生命の根幹であり、その根底を支えるのが農業だ。すなわち、農業の衰退は国の根幹の弱体化に直結する。さらに、国防という観点から見ても、食料自給率の低下は国家の安全保障上のリスクとなる。輸入に依存する現在の食料システムは、地政学的リスクや異常気象、国際価格の変動に極めて脆弱だ。自国で一定の食料を安定的に生産・供給できる体制の確立は、国家の独立性維持の要である。では何から変えるべきか。第一に、農業を単なる産業の一つと見るのではなく、国の基盤と位置付け、国家戦略として明確に支援する必要がある。農業に従事する人々に対する所得補償制度や、農地の保全・集約化への支援、スマート農業技術の導入促進など、現代的で持続可能な農業モデルを全国で確立していくことが求められる。第二に、地方の生活インフラを整備し、農村で暮らす魅力を高めるべきだ。交通、医療、教育、金融といった基本インフラの充実は、農業を支えるだけでなく、若者が地域に根を下ろす大きな動機となる。これらへの財源は、国が責任を持って確保するべきであり、日本にはその力がある。通貨発行権を有する国として、必要な財政出動を行い、「地方創生」を単なるスローガンで終わらせてはならない。農業は単なる経済活動ではない。人の命を守り、国を守る柱だ。この原点に立ち返り、農業を国家の最優先課題として再構築していくべき時であり、食料自給率100%にシフトするのが国の責務であろう。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/28
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世の中で成功するには、どうすればいいのだろうか、そんな成功哲学が有るならばぜひ知りたいものだと思った。またアメリカの作家・講演家であるデール・カーネギーの著書、『人を動かす』『道は開ける』などの本を読み、人前で話す話し方も必要ではないかと「話し方教室」にも2度通った。スキルアップするにはどうしたものかと暗中模索していたわけです。そこにポールJマイヤーの成功哲学のテープが30万円程で手に入ると知り、30万円で手に入るなら安いでないかと思ったわけです。只、その成功哲学を販売しているセールスマンが成功しているようには見えなかったのが少し気になった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本格派カレー、これを使えばヤミツキになるかもとのフレーズを見た。プロ仕様、ディナーカレー・フレーク、さっそく試してみましょうか。https://www.sbfoods.co.jp/
2025/07/27
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「 実は血栓を次々と溶かす飲み物、5選。」とwebに有ったが血栓の文字が瞬間、血糖値に見えてしまうのだ。持病があると関心を持っている方に引き寄せられてしまう訳です。再度、よくみたら血栓のことだった。その内容はまず1つ目はレモン水。朝イチで飲めば、クエン酸が血液のサビを防いでくれて、血の巡りがグッとよくなる。 一応美肌効果まで。次に、生姜湯。すりおろした生姜をお湯に溶かして飲むだけでポカポカ。冷え性にも◎。血栓予防には最高の一杯。フラボノイドが血流を改善してくれるので、カフェインゼロの妊婦さんも安心。 そして意外と知られていないのが、コーヒー。 適量なら心筋梗塞のリスクも下げてくれてすごくない? 最後は緑茶。 カテキンが血液サラサラに。 1日3杯でOK、あなたの血管、守られます。 とあります。そこで血栓改善の飲み物があるなら、血糖値を改善する飲み物も何かあるではないかとChat GPTに教えて❗️と訊ねてみたわけです。 ーーーーーーーーーー血糖値を改善・安定させる飲み物は、いくつか科学的根拠のあるものがあります。ポイントは血糖値の急上昇を防ぐ(食後高血糖対策)とインスリン感受性を改善することです。以下、代表的な飲み物を紹介します。✅ 血糖値改善に役立つ飲み物 5選1. 緑茶(特に玉露や煎茶)理由:カテキン(特にエピガロカテキンガレート)は血糖値上昇を緩やかにする。研究データ:食後血糖値を下げる作用が報告。飲み方:1日2〜3杯、無糖で。2. ブラックコーヒー(無糖)理由:クロロゲン酸が糖代謝を改善し、2型糖尿病リスクを下げる。注意点:砂糖・ミルクNG。飲みすぎは胃に負担、カフェイン耐性に注意。適量:1日2〜3杯。3. シナモン入りハーブティー理由:シナモンにはインスリン感受性を高め、血糖値を安定させる効果。飲み方:1日1〜2杯、ハーブティーやお湯にシナモンを少量。4. お酢ドリンク(酢水や黒酢)理由:酢酸が食後の血糖値上昇を抑える。飲み方:水や炭酸水に小さじ1〜2杯。※食前に飲むと効果的。注意:空腹時は胃に刺激、歯のエナメル保護のためストロー推奨。5. レモン水(無糖)理由:クエン酸が糖の代謝を促進、血糖値スパイクを和らげる。飲み方:食後や朝イチにレモンを絞って水に。✅ 逆効果の飲み物に注意!砂糖入りジュース →急激な血糖上昇甘いスポーツドリンク甘酒(糖質多い)ミルクたっぷりカフェラテ(加糖)💡 さらに効果を上げるコツ食後に緑茶 or ブラックコーヒー食前にお酢ドリンク日中こまめにレモン水やシナモンティー🔲 血糖値をスマホカメラで測れる無料アプリ血糖値を記録・管理できる無料のアプリはいくつかあります。例えば、mySugr(マイシュガー)、Welbyマイカルテ、スマートe-SMBGなどが挙げられます。これらのアプリは、血糖値の記録だけでなく、食事や運動、薬の服用履歴なども記録でき、糖尿病管理に役立ちます。血糖値測定アプリ(無料)の例:mySugr(マイシュガー):糖尿病管理に特化したアプリで、血糖値や食事、運動などの記録を簡単に行えます。ベーシック版は無料で、プロ版は有料ですが、アキュチェック社の血糖値測定器と連携すると無料で利用できます。Welbyマイカルテ:糖尿病、高血圧、脂質異常症などの自己管理をサポートするアプリで、血糖値や血圧、体重などの測定値を記録できます。様々なメーカーの機器と連携し、データを自動的に記録することも可能です。スマートe-SMBG:血糖値管理、食事記録、歩数計、バイタル管理など、糖尿病患者にとって有用な機能を搭載したアプリです。シンクヘルス:血糖値、血圧、体重、食事、運動、服薬など、様々なデータを一括管理できるアプリです。これらのアプリは、App StoreやGoogle Playストアで無料ダウンロードできます。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆磐梯熱海町、とんかつの老舗「うえの」にてカツカレー、直径30cm近い大皿なのにビックリする。しばらくすると、良かったら茶碗蒸しをどうぞと、メニューに茶碗蒸し付いていると書いてないのに、こりゃ〜食べきるのに大変かもと覚悟する、少食になった私にはちょっとキツい量でした。YouTube動画が面白い。🔲 本物の寿司職人にスーパーの刺身を握らせた結果、(49分)https://youtu.be/ZJbIk7w_wqE?si=EJGjdQFvJoBcW9s8家庭でできる寿司パーティー、参考になります。
2025/07/26
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たわいのない会話に出てくる話題にその人の興味&関心分野を知ることができる。話題の中に車のフェラーリのことを口に出す人がありました。共通の知り合いがそのフェラーリに乗っているので話に振ったのでしょうが、フェラーリに興味があったのか、あるいはフェラーリを持つ人の嗜好に興味があったのか、そこまで話しを詰めなかったので定かではありませんでしたが、、、私はさほど車に興味は無いですし、あまり物欲にもこだわらないし、どちらかと言えば身軽な方が楽チンかもと考える方かも。会話の中で、自分にあまり関心のない話題が出てくることはよくあることです。共通の知人が乗っているということでフェラーリの話が出たとします。車に興味のある人なら、そこから話を広げて盛り上がるのでしょうが、自分自身はさほど車に興味がないとなると、「へえ、そうなんですね」で会話が止まってしまうこともあります。そういう時、コミュニケーションの達人たちは、話の本筋ではなく、その周辺にある“人”や“感情”に興味を向けるようです。つまり、「その人はどうしてフェラーリを選んだのか」とか、「あの人がフェラーリに乗っているのって意外ですよね」など、話題の“対象”ではなく、“背景”や“価値観”に関心を向けることで、自分の興味と相手の話題の間に橋をかけるのです。たとえば、「私は車にはあまり詳しくないんですが、フェラーリを選ぶ人って、やっぱり美意識とか、こだわりが強いんですかね?」といったふうに返せば、相手も別の視点から話を続けやすくなります。もちろん、常に無理に話を広げる必要はありません。ただ、自分の関心とは異なる分野の話題を通じて、相手の価値観や好み、人柄に触れることができるというのは、コミュニケーションの醍醐味の一つです。「それは私にはわからないけれど、あなたがそれを面白いと感じる理由には興味がある」――そんな姿勢が、自然な会話の流れを生む鍵になるのかもしれません。身軽で物欲にこだわらない自分のスタンスを大切にしながらも、相手の語る世界に少し耳を傾けてみる。そこには、思いがけない発見が潜んでいることもあるのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆我らが青春時代、情報と云えばTV、ラジオ、新聞、雑誌であ理、その情報は限定されて限られたものでありました。今この時代はネット社会となりweb検索すれば即、探すことができる訳です。あの頃のあの人、今何をしているのだろうか。またあの頃はどんな活動背景があったのかなどを知ることができる、ちょっとしたタイムカプセルの旅みたいなものができるわけです。たまたま図書館で借りたフォーク歌年鑑‘72の中に「夢は夜ひらく」があった。作詞と歌が三上寛氏なのである。※ 三上寛オフシャルblognoteとは、クリエイターが文章、画像、音声、動画などのコンテンツを投稿・公開できるメディアプラットフォームです。ブログのように記事を投稿したり、SNSのように他のユーザーと交流したり、コンテンツを販売したりすることもできます。シニアのための夏山登山 shoutarou.w
2025/07/25
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「何もしないという事、考えられますか⁉️」一般的には定年退職後に空いた時間に何をやってもいい時間がたくさん渡されるわけです。現役時代にいっぱい働いたのだから、もういいやのんびりと過ごそうと思ってのんびり過ごしていても1ヶ月もすれば、何もやることがない生活に慣れる事は難しいものです。いわゆる退屈な日々の連続となるわけです。寺で座禅をやった時に、何も考えないで唯、座るだけと聞かされて、、、??? するとあれやこれや煩悩が次々と浮かんでくるので、浮かんできたことを座禅終了後にメモっていたことがあった。これでは坐禅でスッキリするなんて事はないわけです。別の座禅会では目を軽く半眼に閉じて、呼吸に集中するようにしたらいいと言われました。座禅は呼吸一つごとに集中することによって雑念にとらわれることなくなり、深い呼吸の繰り返しによって身体がスッキリと調う瞬間が訪れるわけです。何もしないでは居られないのだ。何かをしていないと時間を持て余すというものです。人間は本来、目的や役割を持つことで存在意義を感じる生き物です。だからこそ、退職後の時間をどう過ごすかは、その人の幸福度を大きく左右します。では、どうせやるなら自分にとって価値あることを選びたいものです。誰かのために役立つ活動も良いでしょうし、長年やりたかったことに挑戦するのも素晴らしい選択です。例えば、地域のボランティアや子どもたちへの学習支援、趣味を極める時間などは、心に充実感を与えてくれます。重要なのは「これをやりたい」という内なる声に耳を傾けることです。そのためには、退職後のライフプランを早めに描くことが大切です。「時間があるから何かをやる」ではなく、「やりたいから時間を使う」発想へとシフトするのです。計画があると、毎日が新鮮な学びや挑戦の連続に変わります。逆に、何も考えずに日々を過ごすと、退屈がストレスになり、心身の健康にも影響します。私たちの時間は有限です。「何もしない」時間も悪くはありません。しかし、そこに意味を見いだせなければ、空虚さが募るばかりです。座禅で呼吸に集中し、自分の心と向き合うように、人生の後半も「どんな時間を生きたいか」に意識を向けることが、豊かな生き方のカギではないでしょうか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆第二の人生をデザインするための3つの視点~「何もしない」では満たされない時代に~定年退職後に訪れる膨大な時間。現役時代に「自由な時間があったら何をしたいか」と夢見たものの、実際には「何をやってもいい時間」が逆にプレッシャーとなり、持て余すケースが少なくありません。では、充実した第二の人生を送るために、どんな視点を持てばよいのでしょうか。1. 「役割」を持つ – 誰かのために時間を使う人間は役割によって生きがいを感じる生き物です。退職と同時に職場での役割を失うと、「自分は何者なのか」と迷いが生じます。このギャップを埋めるためには、地域活動やNPO、子どもたちへの学習支援、あるいは趣味のクラブなどで「小さな役割」を見つけることが効果的です。「ありがとう」と言われる機会が、次の一歩を踏み出す原動力になります。2. 「学び直し」への投資 – 頭と心をアップデートする第二の人生は、学び直しの絶好のタイミングです。デジタルスキルや語学、資格取得など、現役時代には手が回らなかった分野に挑戦することで、脳の活性化と自己成長が同時に得られます。最近ではオンライン講座や地域のカルチャースクールも充実しており、コストも手頃。学び直しは単なる知識の習得にとどまらず、「まだまだ成長できる」という自信を与えてくれます。3. 「健康」を資本と考える – 毎日を設計する習慣自由な時間を持て余すと、生活が不規則になりがちです。しかし、健康は第二の人生の基盤。朝の散歩や筋トレ、座禅や瞑想といった心身を整える習慣を取り入れることで、一日のリズムが生まれます。また、健康であれば、旅行や趣味など「やりたいこと」を先送りせずに実現できます。逆に健康を損なえば、自由な時間は一気に「制限」へと変わります。まとめ「何もしない」という時間は、実は誰にとっても長く続きません。大切なのは、「どう過ごしたいか」を意識し、主体的に時間をデザインすることです。役割を見つけ、学びを続け、健康を守る。この3つの視点を軸に、自分らしい第二の人生を描いてみてはいかがでしょうか。こんな木苺がわが家にも欲しいものです。ウォーキングの途中に目についたものです。
2025/07/24
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プライオリティーは、年齢によって変化してくる。プライオリティーは、置かれた状況により変化する。プライオリティーは、その人の価値観が現れる。プライオリティーは、人生の選択における羅針盤である。若い頃のプライオリティーは、多くの場合「挑戦」や「可能性の拡大」に向けられます。学びたい、経験したい、試してみたい──そんな欲求が、日々の行動の原動力となります。多少の無理やリスクを冒しても、「未来に投資する」という意識が強いのです。この時期は、体力や時間という資源が比較的豊富であり、失敗を取り戻せる余裕もあります。しかし、年齢を重ねるにつれて、プライオリティーは次第に「安定」や「持続性」へと移行します。家庭を持つ、子育てをする、あるいはキャリアの中で責任を負う立場になると、「自分一人の選択」では済まされない状況が増えていきます。ここで重視されるのは、リスクの最小化や、確実に成果を上げることです。「やりたいこと」から「やるべきこと」へ、比重が変わるタイミングでもあります。さらに、人生の後半に差し掛かると、プライオリティーは「心の充足」や「健康」「人間関係」など、より本質的な価値に向かうことが多くなります。過去を振り返り、「本当に大切にしたいものは何か」という問いが、日々の意思決定に影響を与えるのです。時間の有限性を強く意識することで、「今しかできないこと」に重きを置くようになるのも、この時期の特徴です。また、プライオリティーは固定されたものではありません。人生における出来事──出会い、別れ、病気、転職、災害──その一つひとつが、価値観を揺さぶり、優先順位を塗り替えていきます。だからこそ、定期的に「自分にとって何が一番大切なのか」を見直すことが大切です。プライオリティーの再設定を怠ると、時代や環境に取り残され、心の不一致を抱えたまま生きることになりかねません。結局のところ、プライオリティーは「生き方そのもの」を映す鏡です。何を優先し、何を後回しにするのか。その積み重ねが、人生の形を決めていきます。だからこそ、他人の価値観に流されず、自分にとっての「最優先事項」を自覚することが、充実した人生を送るための鍵となるのです。――あなたにとって、今のプライオリティーは何でしょうか?それを言葉にしてみることから、次の一歩が見えてくるのかもしれません。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆連日の猛暑が続き、そこで標高500mの猪苗代湖なら涼しかろうと湖南の舟津公園に向かった。だが今日は猪苗代湖畔も暑かった。久しぶりに福良の大阪屋で味噌ラーメン。帰り道は磐梯熱海駅前の霊泉♨️元湯、ここではいつものメンバーと遭遇して2時間ほどぬる湯に浸かっての談論風発でした。#舟津公園( 2025/07/21 )大阪屋の斜向かいの蔵に、ここの出身である作家、真船豊の書いた「鼬」のPR。筆で鼬の漢字を描くとイタチの尻尾みたいだ。まだ読んだ事ないので近日、ぜひ読んでみたいものです。
2025/07/23
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「どっちがワクワクするか‼️」と云う選択方法。選択方法には、先約優先と云うルールが有りますが、時たまこれを反故してしまうのが「どっちの選択の方がワクワクするか‼️」と基準。心踊る方を選びたくなるではないですか。価値観をどう観るかと云う観点です。心がワクワクするという判断基準です。バロメーターをワクワク感を基準とする指標です。カーラジオからNHKの素人のど自慢大会の実況放送が流れているのを聴きながら思ったのが、歌の上手いよりもなぜか感動してしまうと云うのがある、審査員も同じなのだろう、鐘が連打するのであります。91歳の男性が歌った「憧れのハワイ航路」こんなのを聴いていると詩吟よりもカラオケの方が良いかもと思ってしまうのだ。詩吟は稽古を積まないことには聴かせられる吟にならない。気軽にサッとなかなかやれない。カラオケの気軽さには敵わない、カラオケにはもれなくBGMがある。「どっちがワクワクするか‼️」という選択方法は、実はとてもシンプルでありながら、人生を豊かにする強力な指標です。従来の「先約優先」や「損得勘定」を基準とする選択は、理性的で安定感がありますが、そこには心の高鳴りや情熱が欠けがちです。逆に、ワクワク感をバロメーターにすると、選択肢に対して自分の感情がどう反応するかが明確になります。ワクワクする選択は、未来に対してポジティブな期待感を生み、行動のエネルギーを高めます。たとえそれが小さな選択でも、「やってみたい」「楽しそう」という感覚は、挑戦する勇気を与えてくれるのです。もちろん、現実的な制約や責任も無視できません。しかし、迷ったときこそ心に問いかけるべきは「どちらが自分を生き生きさせるか」。結局、人生は有限です。合理性だけでなく、感情を選択に取り入れることで、日常がもっと彩り豊かになります。先約や常識に縛られず、「ワクワク」を羅針盤にした選択を、時には思い切ってしてみる――それが、自分軸を育てる最良の方法です。ワクワクに 羅針盤任せ 迷い消え ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆函館の女、怪傑ハリマオの歌、大空と大地の中で、北国の春、お〜い舟方さんよ、以上の5曲を歌いました。12時半〜14時半迄、ランチ込みで¥1300。今回は3ヶ月ぶりのカラオケビッグエコー郡山安積店、カラオケ教室で先生に習った曲を1曲も選曲に選ばなかった。場数を踏むことにより場慣れがありますね。課題としては、新曲を年に1曲くらいはマスターしてゆきたいものです。詩吟もそうですが、舞台上で皆んなの前で朗々とやるには、何回も何回も歌い込まないと、場数もこなさないと余裕で歌うなんてことはできないわけです。カラオケも上手く歌うには、それなりの練習も積まないことには納得のゆく歌い方はできません。
2025/07/22
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世の中の価値観も変化し、自分の価値観も年齢に伴い変化している。身体の細胞も3ヶ月〜半年で総変わりすると云われている、そこにいる自分は細胞を引き継がれた自分という存在であり、自分の魂がその根幹に宿る。考え方、価値観も変化の波に抵抗する訳にはいかないのだ。声であったり、言葉使いであったりがその人らしさを引きずっているから、その人と認識できる。変わる自分と変わらない自分。そこに不易流行と合い通ずるところがある。私たちの存在は、常に変化とともにあります。世の中の価値観が時代の流れに沿って変わるように、自分自身の価値観も年齢や経験を重ねることで変化します。若い頃に大切だと思っていたものが、今ではそれほど重きを置かなくなることもあります。逆に、当時は見えなかったものが今になって大きな意味を持つこともあります。興味深いのは、私たちの身体そのものが変化を体現しているという事実です。細胞は3ヶ月から半年でほぼ入れ替わるといわれ、かつての自分はすでに物質的には存在していない。それでも「自分」という感覚は続いています。なぜでしょうか。それは、細胞の変化を超えて、魂や意識といった根幹がそこに宿り続けるからかもしれません。しかし、その魂すら静止しているわけではなく、考え方や価値観は絶えず動き続けています。時代の変化の波に逆らえないように、私たちの内面も変化せざるを得ません。それでも、人はその変化の中に「自分らしさ」を見出します。それは声の響きや言葉遣いといった微細な特徴に現れ、他者はそこにあなたを認識します。変わる自分と変わらない自分。その交錯を表すのに「不易流行」という言葉があります。変わらない本質(不易)を抱えながらも、流れゆく時代に応じて姿を変える(流行)。自分軸とは、この二つが糾える縄のように絡まり合って、時間という一本の道をたどるものなのでしょう。変化を恐れず、しかし核を見失わない。それが、私たちが生きる上での知恵なのです。変わるのも 生きてる証と 風がいう ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/21
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文章を書くことに憧れたのは、郷土の作家、田山花袋にあった、「田舎教師」や「蒲団」などが代表作の明治の文学界で自然派と言われた文豪である。上毛カルタの「ほ」〈 誇る文豪 田山花袋 〉、隣の千代田村赤岩の利根川堤防の側に旅館「新田屋」川幅の拡張工事で現在は利根川から離れた場所で鰻の名店として営業している。当時、利根川沿いのその宿に投宿して文筆活動をしたと知り、自転車に乗り外観を見に行った記憶があります。小学生時代に上毛カルタでしっかり無意識下に埋め込まれていたのであろう。高校時代クラブ活動でランニング途中に尾曳神社境内に短歌の石碑が建っていた「田もすかれ畑とすかれてよしきりも 住まずなりたる沼ぞ悲しき」こんなことが心の隅にひっかかっていたのでしょうね、月日が経過して半世紀、やっと芽を出してきたと云うことかもしれません。普通で有れば読書の範疇であるのでしょうが、文字を書きこんでアウトプットすと云う表現に挑戦する気になったわけです。伏線としては職業としてのコピーライト、パンフレットやチラシなど、TV、ラジオ、新聞などのCMコピーライトで永年、生計の糧にしてきた自負もないわけではありません。よって文字表現に対してのアレルギーは気がつけば、いつのまにか払拭されていたわけです。仕事としてお金に換えていた実績を積んでいた。作品として販売していたこともあったわけです。よって文芸を商品化するにも抵抗は殆どないのです。改めて考えれば、いわばセミプロとしてやっていたと云っても過言ではないかも。何十万と云う対価をいただいていたわけだからプロと言っていいわけです。こう振り返ってみると、路線をちょっと変えた位のものかもしれません。次に求めたいのは、純粋な自己表現の領域での挑戦である。コピーライターとして培ったのは、限られた言葉で人の心を動かす技術であり、それは確かに大きな武器だった。しかし、そこに潜んでいたのはクライアントの意図や時代の要請という制約である。言葉は自在に操れど、真に自分の魂を刻む言葉ではなかったのではないか── そんな疑念が、歳月とともにゆっくりと形を成してきたのだ。今、私が感じるのは「言葉を自分のものにしたい」ということだ。市場価値のためではなく、自己存在の証として。書くことでしか辿り着けない場所があるようにも思う。長い時間、商業文の世界で泳いできたからこそ、自己表現の延長に随筆や文学的な響きへの渇きが増しているのかもしれません。この歳になって始めることに、ためらいはなく、むしろ遅れてやってきた自由に胸が高鳴る。もしかすれば、それは読まれることを前提にしない孤独な営みかもしれない。それでもいい。自分の言葉が、誰かの心に小さな波紋を広げるとしたら、それは人生の最後に訪れた最高の贈り物になるはずだ。私はいま、その入り口に立っている。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆昼は手打ちそばにしようかと思ったが、時間に追われて島原そうめんにした、冷えた細いそうめんは、茹でるだけ。汁は作り置きのエゴマ味噌を冷水に溶いて庭の大葉を刻めばできあがり、冷水は地下800mからの湧き水を使用。あぁー美味かった。2日続けてのそうめんです。#そうめん #エゴマ味噌🔲 さて、今日は第27回参議院議員選挙の投票日であり即日開票されるわけです。この国の選挙というのは単なるショーにしか過ぎないと言ったら、やれ自民が過半数割るか、今度は参政党が躍進しそうだと報道しますね。国政選挙は、しっかりと国民主権でやってますよ~国民皆様の意見を聞いてやってますよ~というポーズ。プロレス中継とほぼ変わらないのですと云ったら、信じられますか。
2025/07/20
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「夢は必ず実現する」以前ならばこのような文言は書き込まなかった。と云うよりも書き込めなかった訳です躊躇したわけですが、その躊躇に霞がかかり無くなったような感覚。心境も変化をきたしたのでしょう。なんとなれば、そう思った方が楽しいし、夢もある。又、自分でも夢実現化への道筋を理解し始めて実体験も出始めたわけです。例えば人前で歌うカラオケなんてことは大の苦手で避けていたのが今年の正月の詩吟の新年会で130人の前でカラオケを歌ってしかも評判が良かったのです。10年前ならとても考えられなかったことです。シコ踏み連続100回もそうです。そのコツがあることがわかったのです。コツがわかれば、あとはコツコツとやり続けるだけ。コツコツとやり続けるからコツと云うわけです。正確にはコツコツですね。コツコツとやり続けてゆくと、内在する力が表に顕在し出てくるわけです。場慣れする事でその場が特別な場で無くなるわけです。場慣れすることで自信も生まれてくるわけです。人前で講演するなんてこと場慣れすればなんとかなるどころか、進んでやりたくなったりするわけです。原稿を書くなどと云う作業もそんなに気にならなくなるわけです。コツコツやり続けて場慣れすれば大抵のことは何とかなるのでは無いかと思えるようになったわけです。これを年の功と云うのでしょうか。そう云う中で「夢は必ず実現する」と思えた方が楽しいでしょう。楽しいことを実現できたら、それは楽しいに決まっているのではないでしょうか。そう思える自分になれたことがいいね。「内在する力が表に顕在し出てくる」ということを認識してコツコツ続ける事によってそうなる。場数を踏む事によって場慣れする。そうする事によって自信がつき、上手くいく好循環に入ってゆく。「すべての夢が必ず実現する」とまでいかなくとも、自分のかつての夢であったことが「夢は必ず実現する」と思えることは素晴らしいことじゃないですか。意識の変革はちょっとした差から始まる。ちょっとした差に気づき、そこから変革してゆく。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/19
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図書館巡りはなかなか乙なものです。一口に図書館と言っても、図書館によって顔や性格が異なるようなものです。図書館によっての個性があるわけです。外観も違えば蔵書も違い展示されている本の背表紙を眺めて歩くのも楽しい、思わぬ発見もあるのだから面白い。そこで僻な半日ほど過ごす、これってなかなか優雅な時間だと思いませんか、冷暖房が効いて広い机のスペースを存分に使えるのです。場所によっては併設に文学館があったりするのです。白河市の大信図書館がそうです。隣に芥川賞の中山義秀記念文学館があるのです。合併する前は大信村でした。喫茶店コーナーもありそこでは個展などが開催されているのです。図書館巡りというのは、単に本を読むための行為ではなく、土地の文化や歴史、そして空気感を肌で感じるちょっとした旅でもあると思うのです。白河市の大信図書館のように、地域に根ざした文学館が隣接していると、まるでその土地の文脈の中に自分が入り込んでいくような気分になります。中山義秀記念文学館では、昭和初期の文壇の雰囲気や、彼の作品が生まれた背景に触れることができ、その余韻を持ちながら図書館に戻ると、不思議と本の読み方も変わってくるものです。喫茶コーナーで開かれる個展も、その土地のアートや住民の思いを感じられる場。美術館のように構えていないぶん、親しみやすく、ふらりと立ち寄って作者と話が弾むこともあります。そんな偶然の出会いも、図書館巡りの醍醐味と言えるでしょう。静寂の中でページをめくる時間と、人とのささやかな交流が同居する、そんな豊かなひととき。そして何より、帰りに寄る温泉がまた格別なのです。本の世界を旅したあとの湯船は、まるで物語の終章のよう。地元の人たちの談笑を聞きながら、心身ともにほぐれていく感覚は、一日を締めくくるご褒美のようでもあります。大きな旅ではないけれど、こうした小さな巡りが、人生に深みと味わいを添えてくれる気がします。気の向くままに図書館を巡る——それは知と癒しを求める、静かな冒険なのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/18
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「 ああ、あれをやりそびれてきた」と思い出した時に、今ならまだやれるかもと思ったらチャレンジしてみたらいい。齢を重ねた年の功で上手くいく可能性が高まっているかもしれないことだってあるかも。『やるなら今』やらない理由を並べるより小さな一歩で未来が変わることだってあるのだ。『夢に年齢制限はない』老いも若きも誰にだって夢というものには期限はない、やりたいと思ったら一歩踏み出しスタートをきってみよう。今から始めるのだ。できることから始めるのだ。「ああ、やりそびれてしまった」――そんな思いがよぎることは誰にでもあります。でも、その時にふと「今ならまだできるかもしれない」と思えたら、それは心の奥からのサインかもしれません。やりたい気持ちがあるなら、年齢を理由に諦めてしまうのはもったいないことです。年を重ねると、若い頃のような勢いは確かに薄れていきます。でも、その代わりに手に入れたものがあります。経験という知恵、人とのつながり、そして物事を見極める力。それらは、夢を叶えるための大きな味方になってくれるはずです。もしかしたら、昔なら失敗していたことも、今ならスムーズに進められるかもしれません。「もう遅い」――そう思って足を止めてしまうのは簡単です。でも、実際には遅いなんてことはありません。世界には、人生の後半から新しい一歩を踏み出した人たちがたくさんいます。カーネル・サンダースは65歳でフライドチキンの店を立ち上げ、そこから世界的なブランドを築きました。そんな例は、夢に期限なんてないことを教えてくれます。大切なのは、まず小さな一歩を踏み出すことです。「やりたい」という気持ちを、ほんの少しだけ行動に変えてみる。今日始めたことが、未来の自分を大きく変えるかもしれません。昨日までの後悔を、今日からの希望に変えることができるのです。人生のどんな時期であっても、夢を追うことに遅すぎるということはありません。むしろ、今日という日が、あなたにとって一番若い日。だからこそ、今、やりたいことを始めてみませんか?夢は、年齢を超えて、いつでもあなたを待っているのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日は、残念なランチでした。揚げたての天ぷら、美味いと思って足を運んだわけですが、最初に蓮根を口に運ぶ、アレ⁉️次に隠元を、コレモ⁉️自分の体調が悪いのだろうか。腹を空かしてからのランチなのに美味しくない。使っている材料が良くないのかも、美味い野菜を使えば美味いはずなのに。と云う事で店名は載せません。自分で天ぷらを揚げた方がいいかもね。野菜天だけでなく米もよろしくない、天汁かけてあってもよろしくない米が判ってしまうのだ。そういえば働いて方々にも覇気が感じられなかった、挨拶もないから雰囲気が暗い。挨拶には背景にあるものまでが滲み出ると云うものなのか。と云う事で、この店しばらく、この事が忘却するまで足が向かなくなるだろう。
2025/07/17
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1955年には、田村泰次郎と云う作家が「餃子時代」という短編小説を書いている。その本を読んでみたいと思いweb検索したら短編小説なので、田村泰次郎全集4の中に収まっているようです。¥6600円と希少書籍の類となっていたので手を伸ばしづらい。餃子は満州から疎開した人々が現地で食べた餃子の味を懐かしんで作って食べたのが始まりだとのこと。昭和50年代に仕事の取引先だった方が満州から疎開した方で、自宅に招かれて奥さん手作りの餃子を御馳走になった事があります。皮も手作りで厚みがあり、口あたり、喉越しが私にはイマイチであった記憶があります。ラー油入りの酢醤油で食べる刺激が美味しいと感じたのだろうと推測した。日本食にはそんな食べ方はない訳だから斬新な刺激であったのだろう。日本で戦後各地で餃子が食べられるようになったのは日本人の満州からの引き揚げ者が満州時代に食べた餃子を懐かしんでつくり食べたのが始まりと云う。現地で中国人との交流で作り方を教えてもらったのでしょうね。それから内モンゴルに旅した時に食べた餃子も素朴な味であった。また、友人の友人がモンゴル出身でJICAの教師をしており餃子パーティーを開催したことがありました。とっても美味しい餃子だったのでその作り方を訊いたら、バターを具の中に練り込むことにより味に深みと香りがある印象ある餃子だった。工夫できる人は工夫するのは万国共通ですね。私が美味しいと思ったのは宇都宮の餃子専門店、正嗣(まさし)の餃子ですが、10年前位だったかみんみんと 正嗣(まさし)、ハシゴ餃子で並んで待っている間にずっと胡麻油の香りにあたったことで、突然、焼餃子を口にできなくなった。それ以来、餃子の主流は水餃子へと転向した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/16
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自分の理想とするところを、思ったように実現してゆく。これって実現力、創造力、実現対応力などの総合力に長けているから。試しに生成AIに四コマ漫画を描かせてみたところ、思ったようにできない。生成AIのレベルが低いので期待に答えられないのか、私の指示の出し方が未熟なためなのか、いずれにしても期待にそうものができなかった事実。まずは己の指示の出し方をスキルアップ⤴️であろう。レベル&スキルをアップさせないことには、理想の地点に至らないのだ。レベルアップ⤴️、スキルアップ⤴️経験という場数を踏む、コツコツとスキルを積み上げてゆくたとえば職人が一人前になるまでには、何年もの修業が要るように、理想を形にするためには、地道な日々の積み重ねが必要不可欠です。どれだけ頭の中で完璧な構想を思い描いても、それを実現する「手」や「技」がなければ、ただの夢で終わってしまう。つまり、理想を実現するとは、単なる願望の発露ではなく、「思考」「技術」「忍耐」が交差する実践の場に他なりません。それはスポーツでも芸術でも経営でも同じです。そして忘れてはならないのは、「失敗」の価値。一度でうまくいかないことに直面したとき、「やっぱり無理だ」と諦めるのか、それとも「どこを変えれば届くだろうか」と問い続けるのか。この小さな思考の分かれ道が、理想への道を拓く鍵なのです。だからこそ、今日できることを一つずつ丁寧にこなしていくこと。目の前の仕事に誠実に向き合いながら、時に立ち止まり、見直し、挑み直す。理想は遠くにあるように見えて、じつは日々の足元に通じています。「理想を描く力」と「それを現実にする力」。その両輪を回すのは、日々をどう過ごすかという“生き方の選択”そのものなのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆同じ花の撮影でも、雨上がりの写真には風情がある。瑞々しいのだ。視点を変えれば変わるわけです。撮影視点を意識するだけで見えてくるところが変わります。花の名は、ヒメヒオウギズイセン。花認識サービス https://flowers.stair.center
2025/07/15
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1割アップを望むか。着実路線、一般的な着想でしょうね。倍増の10割アップを望むか。破天荒型、常軌を逸した非常識発想。それをやり遂げると云う意志を持ち続けて日夜、行動実践することを忘れず。「打つ手は無限」と云う言葉を知っても、実際にその着想を10項目以上、書き出してみて具体的に検討して実現可能化への筋道を具体的にしてゆく計画をアレコレと練ってみる。発想の違いから、行動に差が生じる。その結果、未来に訪れる結果も大きく変わってゆく。「状況変化を創造する力」とは、現状をただ受け入れるのではなく、自らの意思と行動によって未来を望ましい方向へと動かしていく力のことである。これは単なる適応力ではなく、能動的な“変革力”であり、まさに創業者や起業マインドを持つ人に強く見られる特性である。多くの人は、与えられた環境や枠組みの中で「どうやってやりくりするか」を考える。しかし、状況変化を創造できる人は、「そもそもこの枠組み自体を変えられないか?」と考える。閉塞した環境、不透明な将来、制限の多い制度や習慣――そうしたものを打破する発想が出発点になる。たとえば、ある不便や不満を感じたとき、普通の人は「仕方ない」と受け流すが、創造的な起業家は「この不満はニーズに変えられる」「ここに新しい価値を埋め込める」と気づくのだ。また、状況変化を創るためには、行動を通じて周囲の人々の認識を変える力も必要だ。アイデアだけでは社会は変わらない。それをカタチにし、サービスや商品として世に出し、多くの人がそれを「当たり前」と感じるようになったとき、初めて変化が定着する。つまり、状況変化の創造とは、未来の常識を先取りして実現していく営みでもある。この力の根源には、「こうなったらいいな」という願望や理想と、それを実現するための強い意思、そして現実的な戦略がある。ただ夢を見るだけでも、ただ戦略を立てるだけでも不十分。夢と現実を橋渡しする実行力と、失敗を繰り返しても諦めない粘り強さが、この力を支えている。だからこそ、状況変化を創造する人は、時に「非常識」とも呼ばれ、最初は理解されないことも多い。しかし、その非常識こそが未来の常識になっていく。変化を待つのではなく、自らが変化の起点となる――それが、創業者や革新者に共通する、本質的な力なのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆午後2〜4時、詩吟の稽古が終わったら、晴れ上がった。台風一過で晴れ間になったと思いコンビニのミニストップでコジハン。 。しかしこの後また崩れて曇天に覆われて雨になった。
2025/07/14
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政権の舵を切る船頭は、、、気がついてみれば政府与党は、アメリカから中国に親中政策へと舵を切っていた。いつから変わったのかを調べてみた。岸田首相在任中の2022年〜2024年にかけて「対中非難」色が弱まり、経済界の親中要請に応える姿勢が顕著。特に外相に起用した林芳正氏(親中派として知られる)が対中融和路線を進めた。2023年11月には日中首脳会談(岸田×習近平)で「関係改善」を演出。「対中警戒」から「対中現実主義(≒経済重視・対話優先)」へと舵を切ったのは、岸田政権で外相に林芳正氏を起用し、中国との対話重視へ傾き始めた2022年ごろからが分水嶺です。特に次の3つが象徴的です:2023年、林外相の訪中で「対中関係改善」アピール。経団連など財界からの対中経済協力要請に岸田政権が応じ始めた。G7広島サミット(2023年)で対中批判をぼかすような表現にとどめた。2022〜2024年の「親中」志向的政策の変化期には、顧問官として林芳正氏を起用した岸田政権に対し、経団連トップとして存在感を持っていたのは 十倉雅和氏でした。十倉会長は対中対話や経済関係強化への踏み込みを背景に、岸田政権へ影響を与えていたと見ることができます。日中国交化の扉を開いたのは田中角栄首相だったが、あの時はアメリカはロッキード事件を暴露という形で田中角栄を逮捕して政界から引退させた。岸田政権はそのへんはやんわりとすすめて、石破政権にバトンタッチしている。でも一度襲撃され生命を狙われたか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆珍しい花なのでパチリ、後で調べればと云うことでした。花認識サービス https://flowers.stair.center でチェックしたところ「クサキョウチクトウ」と。意識が認識すると、まもなく草でなく木の「キョウチクトウ」と遭遇できました。
2025/07/13
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私、現在73歳。残りのアグレッシブに活動できるのはあと10年位か。大学を出て就職して4年になる若者と会話したら彼らの認識は人生100年時代。残りの人生70年以上と云う。残りの人生10年と70年の差は大きい。翻って彼と同じくらいの年齢の時に残りの人生なんて考えたことなかったかも。今考えてみると当時であれば概ね50年と云うところであったろう。確かにこの先、70年生きるとなると、、、どんな社会になっているのだろうか。AIにでも訊ねてみようか。70年後の未来社会の展望70年後――すなわち2095年。技術革新と社会の変化は今よりもさらに加速し、私たちが想像しうる限界を超えた世界が広がっていることでしょう。まず、交通手段は大きく進化していると考えられます。空飛ぶ車やドローンタクシーは実用化され、都市の空を静かに飛び交っています。地上交通は自動運転が完全に普及し、交通事故はほとんどゼロに近づくでしょう。また、長距離移動はハイパーループのような超高速鉄道や宇宙空間を経由する「軌道エレベーター」によって、地球上の移動が数時間以内で可能になっているかもしれません。AIとロボットは日常生活に深く浸透し、多くの仕事や家事を担っています。人は単純労働から解放され、創造的・人間的な価値を問われる職業に集中する傾向が強まるでしょう。医療も大きく進化し、遺伝子編集やナノテクノロジーにより、現在では治療困難な病も克服され、平均寿命は100歳を超えているかもしれません。では、日本という国はどうなっているでしょうか。少子高齢化の波を乗り越え、外国人との共生や地域の再生によって、新たな多様性と柔軟性を持つ国家に変わっている可能性があります。あるいは国という枠組みそのものが曖昧になり、グローバルな共同体の中で役割を果たす「地域」として存在しているかもしれません。環境問題への取り組みも重要な課題です。地球温暖化が進行した場合、気候変動による生活環境の変化は避けられず、それに適応したライフスタイルや都市設計が求められています。再生可能エネルギーやカーボンニュートラルの実現が不可欠となり、「持続可能性」は社会の根幹をなす価値観として定着するでしょう。人類は70年後も、不安と希望を胸に未来を模索しているに違いありません。技術が進んでも、問われるのは「人としてどう生きるか」。それは時代が変わっても、変わらぬ問いかけなのです。技術や社会制度がいくら変わっても、「人としての在り方」や「何を善しとするか」は時代ごとに姿を変えてきました。たとえば、かつては忠義や名誉が最も大切とされた時代もあれば、今のように個人の自由や自己実現が重視される時代もあります。それでも、「人と人とがどう関わるか」「何に価値を感じるか」「自分はなぜ生きているのか」といった問いは、古代ギリシャの哲人たちから現代の私たちに至るまで、繰り返し問い続けられてきました。つまり、問いそのものは普遍であり続けるけれど、その答えや価値観は社会のかたちとともに変化していく――そういう意味での「普遍性」と捉えることができるかもしれません。未来がいくら科学的に進んでも、誰かを思いやる気持ち、自分の人生を振り返って「よかった」と思える心のありよう――そうしたものは、どの時代でも人を人たらしめる根幹として残るのではないでしょうか。つまり、「哲学が普遍」というより、「問い続けること自体が人間らしさの証」という言い方のほうがしっくりくるかもしれません。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日は長袖下着に長袖シャツで丁度いい外気温です。ひさしぶりの中華、萬寿園で回鍋肉&餃子定食¥1200メニューを見ていて思い出したのは、ここの回鍋肉を推奨されていたことを思い出したのです。この店のランチタイムはいつもほぼ満席なのです。※ 【心理操作とグローバリズム】
2025/07/12
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人それぞれと云いますが、それは「価値観」と「解釈」が違うことから選択する行動が違ってくるわけです。何に価値を見い出すかの優先順位。そもそも判断基準の物差しによって解釈が変わってきます。何を持って素晴らしいと云う評価ですら、人それぞれ。味の好みだって人それぞれではないですか。何に触れて育ってきたか。それによって染まる色が変わるわけです。いわゆる朱に交われば赤くなるの類いです。自分の持つ判断の物差しによって、価値観って違ってくるではないですか。どう解釈するかの根底にあるものを理解できれば納得するところがあると思われます。まさに、その「物差し」の違いこそが、人間関係における誤解やすれ違いを生む源泉でもあります。例えば、ある人にとって「効率」が最も重要な価値である場合、感情を優先する相手の態度を理解しにくいことがあるでしょう。逆に、共感や思いやりを大切にする人にとっては、冷静な判断や論理的な行動が「冷たい」と感じられてしまうかもしれません。こうしたすれ違いは、単なる誤解というよりも、価値観という深層のフィルターを通じた「解釈の違い」なのです。では、私たちは他人との違いをどのように受け入れていけばよいのでしょうか。その一歩は、自分の持つ価値観を客観視することから始まると思われる。自分が「当たり前」と思っている考え方や行動原理が、実は他者にとっては「特別」であり「異質」なものである可能性に気づくこと。それが対話の扉を開く鍵になります。たとえば、文化が異なる人との出会いは、価値観の違いを学ぶ良い機会です。ある国では個人の自由を最優先することが美徳とされ、別の国では家族や共同体との調和が重視される。どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではありません。それぞれが育まれてきた背景や歴史、経験によって「何が大切か」が異なっているだけなのです。また、人生の中で価値観が変わることもあります。かつては「成功」や「名誉」に重きを置いていた人が、大切な人を失う経験を通して「心の平穏」や「日常のありがたさ」を何よりも大切にするようになる。つまり、価値観とは固定されたものではなく、揺らぎながら変化し、成熟していくものなのです。だからこそ、他人の言動に違和感を覚えたとき、それをすぐに否定したり断定したりせずに、「この人はどんな物差しを持っているのだろう?」と想像してみることが大切です。そうすることで、表面的な違いの奥にある共通の「人としての思い」に触れることができるかもしれません。理解とは、同じになることではなく、違いを前提に歩み寄ること。その第一歩が、自分自身の価値観を見つめ直すことにあるのだと思いますが、いかがでしょうか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆さつま芋に芽が出てきました。芽が出るとはメデタイ、、、と云うことで、せっかくだから、この芽をプランターで育てて収穫まで持っていけるだろうか。上手くいけば芋づる式となるわけですが。せっかくだから、やってみればわかるか❗️と云うことでチャレンジです。 #さつま芋栽培 #プランター栽培 #8割は料理できる #2割は苗の栄養源に
2025/07/11
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文字と云う便利なツールに気がついた先人現在、私たちが使っている日本語の文字の起源は、遣隋使、遣唐使が中国から仏教の経典、いわゆる漢字を輸入して使い始めた事で、それまで文字を持たなかった日本人に日本語に漢字を当てはめていったわけです。言葉としてあった日本語に漢字を当てはめていったわけです。次に漢字をくずして平仮名が生まれました。漢字改良型の平仮名の誕生です。また漢字の一部を切り取ってカタカナも生まれました。よってそこから「漢字と平仮名」&「漢字とカタカナ」の組み合わせによる今日使われている日本語となってきたわけです。一方において日本列島における一方の先住民族アイヌはずっと文字を持たずに口伝に固執したままであった。今日の日本人の先祖達は漢字を取り入れて文字の便利さ必要性をを感じたのでしょう。それはあらゆる必要なものは貪欲に受け入れてゆくと云う柔軟な発想が、今日の差となったとも言えるのではないでしょうか。文字文化の便利さ、そしてその必要性に気づいた先人たちの行動は、単に漢字を輸入して使うだけにとどまりませんでした。彼らはやがて、自分たちの話し言葉に合うように工夫をこらし、和語に適した表記方法を模索しました。これがやがて、万葉仮名を経て平仮名・カタカナの成立へとつながります。こうした「日本語に合わせて文字を改良する」という姿勢こそ、文字を単なる外来の道具ではなく、自分たちの文化の中に取り入れて活用するという、柔軟で創造的な姿勢の表れであったと言えるでしょう。そしてこの柔軟さは、単なる文字の運用にとどまらず、記録・表現・教育など社会のあらゆる場面で影響を及ぼしてきました。たとえば、古代の和歌や物語、仏教の教え、さらには政治・法律の記録など、文字によって蓄積され、後世に伝えられる知識や思想は飛躍的に増えていきます。これにより、日本人は「口伝」だけに頼ることなく、複雑な制度や文化を発展させることができたのです。こうした先人の姿勢は、今日の私たちにも通じるものがあります。現代においても、外国語や新しい技術・概念を柔軟に受け入れ、そこに日本独自のアレンジを加える姿勢は、まさに「文字を受け入れた時代」と地続きの文化的態度と言えるでしょう。つまり、文字を通じて自らの思考や表現を豊かにしていこうとしたその発想こそが、現代社会の知的基盤を築く原動力になったのです。このように見ていくと、「文字に気づき、それを取り入れ、そして自分たちの文化に融合させた」先人の行動が、いかに今日の日本社会の礎となっているかがわかります。文字とは単なる記号ではなく、人と人、過去と未来をつなぐ知恵の結晶であり、その価値をいち早く理解し活用したことが、日本文化を今日に至るまで発展させてきた大きな要因なのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆郡山市内、阿武隈川の東側に東北地方1、2を争う大きな古墳があります。前方後方墳で全長約83m(推定)の大安場古墳、その築造は4世紀後半ころと推定されている。埋葬されたのは阿尺国造ではないだろうかとの推測ですが特定されていません。最初の遣隋使は、600年(推古天皇8年)に派遣された使節団です。この時の使節は、『日本書紀』には記載されていませんが、『隋書』倭国伝に記録が残っています。この使節は、隋の文帝に日本の様子を尋ねられた際に明確な返答ができなかったとされ、文帝に野蛮な国という印象を与えてしまったとされています。その後、607年(推古天皇15年)に小野妹子が派遣されたのが、一般的に最初の遣隋使として知られています。最初に派遣した目的は、隋の政治制度や文化を学ぶため。結果として、隋の先進的な文化や制度を学ぶことができ、後の聖徳太子の改革(十七条憲法、冠位十二階など)に役立ったとされている.よって、大安場古墳が築造されたとされる4世紀後半は、日本には文字がなかったので墓碑など無いので特定するものが出土しなかったのであろう。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆【 2025/07/10 】魚河岸処 仙 郡山店 (【旧店名】どん辰):場所は郡山駅中shopです。日替り丼¥1280、店内の券売機で食事券をチョイスします。(13:23)初めての券売機は操作に判らないところがあり店員さんに声をかけて教えて貰いながら関所通過です。お茶を自分で汲んで、程なく番号を呼ばれてお盆にのった日替り丼を自分の席まで運びます。小皿に醤油が差してあり、丼に盛られた刺身を箸で小皿の醤油に浸していただきます。新鮮な刺身がてんこ盛りでした。お腹がすいてからのランチでもあったのでより美味しかった。
2025/07/10
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登山と一口で言ってもいろいろな登山があります。ソロで登る登山と、パーティを組んでみんなと一緒に登る登山。ソロで登るのは侘しいと思えば、山開きの日に登れば多くの人が登るので単独で登る感覚が薄れます。パーティを組んで登る場合のペース配分は皆に合わせて登ることになります。歩く速度も含めてペース配分は皆に合わせるので引きづられて歩く感覚もあります。単独行ならばいい景色が有れば自由に休憩しながら眺められますが集団行動では望むべくもありません。その代わりにランチタイムは和気藹々でみんなと楽しい時間となります。ソロとパーティ、それぞれに一長一短があります。最近は熊対策としても単独で出くわしたら怖いので皆でパーティを組んで登った方が安心できる気がします。又、全身運動として登山は運動量が多くて身体がリセットされる感覚があります。糖尿病の運動療法の一環としても取り入れていきたいと思っています。今、懸念が有るのは、皆んなと登る前に2ヶ月に5回ほど自主登山して事前準備していたものの、集団登山に参加後にバテバテになるので昔ほどの体力が無くなったのかと、、、そうした体力の衰えを感じることも、登山を通して自分の現在地を知る大切な機会かもしれません。確かに若い頃のように無理がきかなくなったと感じる場面は増えましたが、それは決してネガティブなことではなく、今の自分に合った登山のスタイルを見つけるヒントにもなります。無理をして付いていくことよりも、自分のペースを大切にし、周囲と協調しながらも適度に自己管理をする。そうした登山スタイルこそ、長く楽しむための鍵になるのではないかとも思うところです。それに、バテたと感じるのも最初のうちだけで、続けることで徐々に身体も慣れてくるものです。登山は全身を使う有酸素運動であり、下半身の筋力強化はもちろん、心肺機能の向上にもつながります。加えて、自然の中で過ごす時間は精神面にも良い効果を与えてくれます。人工的な空間では得られない、山の空気や風、木々のざわめき、鳥のさえずり…。そうしたものに包まれて歩くと、心の疲れまで洗い流されるような気がします。糖尿病の療養としての運動も、継続こそが何より大切。登山ならば“運動しなきゃ”という義務感よりも“山へ行きたい”という楽しみに変換できる点が素晴らしいところです。何より、同じ趣味を持つ仲間と登ることで、共に励まし合い、情報交換もでき、良い意味での“つながり”が生まれます。それが継続の力にもなっていくのでしょう。今後は、体力の限界を試すような登山ではなく、体調に応じた無理のないプランを組み、自分にとっての“心地よい負荷”を探っていきたいと思うところです。頂上に立つことのみが目的ではなく、登る過程そのものが喜びとなる登山。歳を重ねたからこそ味わえる、その深い楽しみに魅せられながら、これからも山とつながっていきたいものです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆そうめんを茹でる。揖保乃糸赤帯、2輪(50g×2)、細いのですぐ茹であがるのがいいね。
2025/07/09
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現代日本の農業は、長年にわたり軽視されてきたといっても過言ではない。政府の政策は農業の安定成長や持続可能性に十分な支援を与えず、結果として農家の高齢化や後継者不足が深刻な問題となっている。政治家、医師、大企業幹部、国家公務員といった職業は、制度的支援や経済的安定により後継者に困らない。一方で、農家は厳しい労働環境に加え、収入の不安定さ、地域インフラの未整備など多くの不利を抱えており、若者が将来を託す場として選びにくい現実がある。食べることは生命の根幹であり、その根底を支えるのが農業だ。すなわち、農業の衰退は国の根幹の弱体化に直結する。さらに、国防という観点から見ても、食料自給率の低下は国家の安全保障上のリスクとなる。輸入に依存する現在の食料システムは、地政学的リスクや異常気象、国際価格の変動に極めて脆弱だ。自国で一定の食料を安定的に生産・供給できる体制の確立は、国家の独立性維持の要である。では何から変えるべきか。第一に、農業を単なる産業の一つと見るのではなく、国の基盤と位置付け、国家戦略として明確に支援する必要がある。農業に従事する人々に対する所得補償制度や、農地の保全・集約化への支援、スマート農業技術の導入促進など、現代的で持続可能な農業モデルを全国で確立していくことが求められる。第二に、地方の生活インフラを整備し、農村で暮らす魅力を高めるべきだ。交通、医療、教育、金融といった基本インフラの充実は、農業を支えるだけでなく、若者が地域に根を下ろす大きな動機となる。これらへの財源は、国が責任を持って確保するべきであり、日本にはその力がある。通貨発行権を有する国として、必要な財政出動を行い、「地方創生」を単なるスローガンで終わらせてはならない。農業は単なる経済活動ではない。人の命を守り、国を守る柱だ。この原点に立ち返り、農業を国家の最優先課題として再構築していくべき時であり、食料自給率100%にシフトするのが国の責務であろう。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆エゴマうどんを、作りおきのエゴマ味噌を冷水で溶いて胡瓜の薄切りを加えて冷や汁にして食べる。そうだ鯖の水煮缶詰を購入しておこう。次回は宮崎県風の冷や汁をつくろう。夏は相方が味噌汁を作らないので冷や汁つくって味噌汁の代用としよう。夏バテ防止食です。
2025/07/08
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ウォーキングマシンで、150カロリーを消費するのに20分、1.5kmのウォーキング。筋肉は脚力の衰えが老化の始まりと言われるとか。脚力を鍛えるのは実際に山登りをするのが一番だと思いますが、その山登りの脚力を養うのにトレーニングしているような状況です。初めの頃は負荷をかける加減がわからず、しょっちゅう筋肉痛を起こしてました。1年を経過してからは無理をしない負荷を覚えたのと基礎筋力がついたのか、痛めることもなくなりました。トレーニングにも場数を踏んで身につく事があるわけです。週に2〜3回通い続けて13ヶ月になりますが、続けていくうちに見えてくることも多くあります。特に大切だと感じているのは、「無理をしない」「継続する」「変化を恐れない」の3つです。トレーニングはつい頑張りすぎてしまいがちですが、疲労や痛みが出るほどやってしまうと逆効果になることもあります。筋肉は回復の過程で強くなるため、適度な休息を挟むことが必要不可欠と考えています。私も初期は筋肉痛が続き、トレーニングの翌日に動くのも億劫な時期がありましたが、「今日は軽めにしておこう」と思えるようになってから、コンディションの維持がぐっと楽になりました。コツとして感じているのは、毎回「少しだけ前回を超える意識」を持つことです。例えばウォーキングマシンであれば、傾斜を1段階上げてみたり、スピードを0.1km/hだけ上げてみたりと、無理なく続けられる範囲で挑戦する。それが積み重なって、気がつけば以前より明らかに体が動くようになっていたり、階段を上るのが楽になっていたりするんですね。派手な成果はすぐには出ませんが、確実に積み上がっていく実感があります。また、山登りの脚力を目標としているので、トレーニング内容もできるだけ山の動きに近づけることを意識しています。例えば、レッグプレスやスクワット、カーフレイズなどの下半身トレーニングは特に重点的に行っています。フォームを意識するだけで、同じ動作でも負荷の入り方が全然違うので、修正してきました。ここでも「場数を踏むことでしか得られない感覚」があります。3年継続すれば基礎筋肉はしっかりつくだろうと自分では考えています。1年を超えた今はようやくその土台作りの途中段階というところ。継続のためには、完璧を求めすぎないことも大切です。「今日はちょっと体が重いな」と感じる日は、あえて軽いメニューにとどめておく。その代わり、次にコンディションが良い時に少し頑張る。そういう「自分との対話」をしながら、体を育てていくのが70代のトレーニングの醍醐味だと思います。これからも無理なく、でも確実に、山登りをもっと楽しめる身体を目指して続けていきたいと思っています。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/07
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癌と云う漢字は、病だれに品の山と書く。旧漢字では品の文字が3つあり口が計9コもあった。明らかに食べ過ぎな病気である事が一目でわかる。糖尿病もしかり、食べ過ぎが原因にあるだろう。「朝は味噌汁1杯だけ、昼は玄米食、夜はかけそば1杯だけ」これはヨガ道場の合宿の食事だそうだ。この生活を3ヶ月もやると血液の質がガラッと変わって糖尿病の数値が良くなってしまう人が続出だそうだ。だがこれいいね、では私もやってみようかと、すぐ明日から着手できる人が、いったいどれだけいるだろうか。「そうかそれはいいかも」と思えても実践に移せるかとなると、、、これがなかなか難しいのだ。「100の知識より1つの実践」と云う言葉が有ります。知識として知っても実践しなかったら、知らないのと同じようなもの。「現代人は素食にすれば、病気が遠ざかる」とわかっても、実践しなかったら意味がない。かように実践すると云うことに意味が有るし、変えるには具体的に実践することによってかわってゆくのである。【現代人は素食にすれば、病気が遠ざかる】──これは一つの真理かもしれません。現代社会においては、食の豊かさが病の入口となっていることを見落としてはならないのです。スーパーやコンビニにあふれる加工食品、添加物たっぷりの弁当、24時間食べられる環境――これらは一見「便利」で「自由」に見えて、じつは私たちの身体を静かに蝕んでいます。医療技術が発達した現代でも、生活習慣病は増え続け、薬を飲み続ける人は減る気配がありません。では何が必要なのか? それは“減らす”という勇気です。「足す」ことで健康になろうとするのが現代人の常ですが、本来の健康は「引き算」から始まります。シンプルに、丁寧に、心と体の声に耳を澄ます食生活こそが、病気を遠ざける一番の近道です。素食は決して“粗末な食事”ではありません。“命に寄り添った食”です。旬の野菜、発酵食品、玄米や雑穀、そして温かい汁物。これだけで私たちの身体は本来のリズムを取り戻し、血液がきれいになり、内臓が休まり、免疫が整ってきます。ヨガ道場のような極端な素食を3ヶ月続けることが難しくても、まずは一口減らしてみる、一日一食だけ整えてみる、それで十分なのです。実践とは、小さな一歩から始まります。知識として持っていることに満足するのではなく、まずは「今夜の夕食から」変えてみる。それが「未来の健康」と「病気の回避」への第一歩となるのです。健康とは“食の選択”であり、“行動の積み重ね”なのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆🔲 本「糖尿列島」―「10人に1人の病」の黙示録本を読んで病気が治れば、それにこしたことはないわけです。この本は糖尿病になり、克服した方が書いた本だそうです。参考に読んでみたいと思います。この花が巷に目立ち始めると本格的な夏が始まった感がある。ハワイのレイに使われる花・ハイビスカスによく似ている、どこか常夏のイメージが広がる花なのだ。だがすぐに名前を思い出せなくなっているのが情けないねぇ‼︎閃いたキーワード「愛染かつら」で画像検索すると「ノウゼンカズラ(凌霄花)」がヒットした。
2025/07/06
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老化現象は加齢とともに忍び寄ってくる。よって年老いると加齢とともに、骨粗しょう症、関節痛、筋肉痛、神経痛など体中アチコチに痛みが出てくる。2人に1人が癌に罹り、その他、糖尿病、高血圧症などの病い、そして、最後に認知症と寝たきりが待っている。となると長生きするのも楽なことでは無い。苦痛が待っていると言っていいようなものである。いわば、長寿長命地獄社会とでも命名しましょうか。「大往生したければ医療とかかわるな」の中村仁一医師ですが、極端に云うと「医者に殺される」と云うのは医師であったりするわけです。医療の内実、内情をよく知っているから言えるのでしょう。だからどうすればいいか、ともかく、健康管理をして、男女とも健康で平均寿命ぐらいまでは働くことかもしれません。確かに、長寿社会は一見すると素晴らしい未来のように思えます。しかし、必ずしもそれが「幸福な老後」や「生きがいに満ちた余生」を約束するとは限りません。むしろ現実には、老後の時間が長くなるほど、肉体的・精神的・経済的な負担もまた増えていくのが現状です。まず経済面では、年金制度の持続性が問われ、現役世代の負担が年々増しています。長生きすればするほど必要となる生活資金、医療費、介護費用。年金だけでは到底足りず、働き続けなければならない高齢者が急増しています。かといって再就職先が容易に見つかるわけではなく、低賃金や不安定な雇用に甘んじるしかない人も少なくありません。また、介護問題も深刻です。高齢者が増えれば当然、介護を必要とする人も増えます。家族による在宅介護が難しいケースも多く、介護施設の不足や人手不足が大きな社会問題となっています。介護を担う側も高齢化しており、「老老介護」や「認認介護(認知症の人が認知症の人を介護する)」といった状況も珍しくなくなっています。さらに、孤独や喪失感といった精神的な課題も無視できません。配偶者や友人を次々と亡くし、独居状態となる高齢者は多く、社会とのつながりを失った結果、心身の健康を損なっていくケースも増えています。特に地方や過疎地では、高齢者が支え合うしかない「限界集落」も増加しています。つまり、長寿社会は単に寿命が延びたという事実だけでなく、その「延びた年月をどう生きるか」という質の問題が問われる社会です。長生きすること自体がゴールではなく、いかにして自立し、尊厳を保ちながら生きていけるかが鍵になります。そのためには、個人の健康意識の向上に加えて、社会全体での福祉・医療・雇用環境の再整備が不可欠です。長寿が「地獄」ではなく「希望」になるような仕組みづくりが、これからの日本社会に求められているのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/05
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「手打ちうどんde冷や汁」半世紀以上も前の子どもの頃に食べた冷や汁を思い出しながら再現を試みました。私の故郷である群馬県の東の端にある東毛地区は二毛作で小麦栽培が盛んだった。梅雨に入る前、麦秋の景色が見られたのです。麦秋といえば情緒が有りますが、小麦の収穫の折に肩に担ぎ上げるときに、私の記憶は小麦の穂先の細いのが首の間から入ると痒かった思い出の方が強い。30℃を越した蒸し暑い日は決まって手打ちうどんの冷や汁が定番だった。私も手打ちうどんを打つようになったのは小学校5年生の時に覚えてだから既に身体に手打ちうどんの打ち方は染み込んでいるかも。60才を超えてから手打ちそばを打ち始めたので、手順の粗い手打ちうどんは楽勝です。今回は小麦粉はあぶくま山系の地粉を先日、直売所で手に入れたのでそれを使いました。できあがった手打ち生うどんは600gです。胡麻を炒って擂り鉢でスリスリ、味噌に大葉を刻んで加えてから冷水を注げば付け汁の完成です。感想としては8割がた復元成功です。当時と小麦粉の粉が違うのでうどんののどごしの味が違うのは致し方ないかも。 #手打ちうどん #冷や汁 #普段そばを打っているので手打ちうどんは楽ですね手打ちうどんをつくるのに、私は蕎麦打ち同好会に入会したために本格的な道具一式を先輩に安価にて譲ってもらいました。よって本格的に日本そばを打つ道具がフルセット持っているのです。水分量を測るカップも1ccまでもの目盛りがあり、水もこだわりの美味しい水を汲んできている。塩も吟味した美味しい塩だ。なのに子どもの頃に家族と一緒に食べたあの時の冷や汁・手打ちうどんの味には敵わないのだ。郷愁の懐かしい味なのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/07/04
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起業マインドを持つ人の特徴を探ってみると共通するところがある。独立すると云う意志を強く持つ。無謀かなと思う位の突進力を持つ。子供の頃から小商いの才能を持つ。顧客獲得のコツ&スキルを習得し自信をもっている。自らの可能性に果敢にチャレンジする姿勢は、まさに創業者となる人々に共通する根幹的な資質であろう。創業者に見られるもうひとつの大きな特徴は、「課題発見力」と「問題解決力」である。日常の些細な違和感に敏感に反応し、「なぜこうなっているのか」「もっと良くする方法はないか」と常に問いを持ち続ける。そして、その課題に対し自分なりの解決策を模索し、具体的な行動へと落とし込んでいく。創業とは、既存の枠に収まらず、新たな価値を創り出す営みであるからこそ、「こうあるべきだ」という現状維持の感覚から脱却する思考が不可欠なのだ。また、創業者には「自己責任感」と「当事者意識」が強く備わっている。うまくいかないことを他人や環境のせいにせず、すべての結果を自分の選択と努力の帰結として受け止める覚悟がある。これはプレッシャーでもあるが、同時に自由と創造性を手に入れる力でもある。成功への道のりは決して平坦ではないが、その苦難を「試練」と捉え、「学びの機会」として糧にできるメンタリティがある。加えて、「人を巻き込む力」も創業者には欠かせない。孤独な挑戦者のように見えても、実際には多くの仲間や支援者と関係性を築き、共に進んでいく。自らのビジョンを情熱をもって語り、それが周囲の共感や協力を呼び起こす。資金調達、チーム作り、顧客開拓などすべてにおいて、この共感力とコミュニケーション力が問われるのである。このように、創業者には“自己超越”の意志がある。自分の限界を決めず、他者や社会との接点のなかで常に自らを拡張しようとする。独立・突進・商才・営業力に加え、問題解決力・当事者意識・共感力・自己超越――これらが複合的に作用してこそ、起業の種が芽吹き、やがて揺るぎない柱となっていくのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆独立して起業する人の特徴に既存の組織に収まりきらない、いわゆる組織に馴染まない、或いは先輩たちに我慢ならない性格など。いっそのこと自分でやった方がいいと思うタイプです。自分の好きなようにやりたいタイプは自分がトップになって好きなようにやったらいいのです。誰にも遠慮することなく自己責任で自由気ままにやれるわけです。独立独歩の独立心が有るならば、誰に遠慮することなく自分がトップに立ってやればいいだけの話です。但し、そこには全責任を負うと云うことがあります。一国一城の主人の責任が伴うわけです。その覚悟が有れば自由にやれるわけです。創業者としてスタートを切れる人には、もうひとつ共通する資質があります。それは、「誰かがやってくれるのを待つ」のではなく、「自分がやるしかない」と腹を括れる人です。行動の主体が常に自分にあり、状況を他人や社会のせいにせず、自らの選択と努力で切り開こうとする姿勢です。たとえ経験が乏しくとも、まずはやってみる、そしてやりながら学ぶという「実践力」に長けているのも特徴です。また、創業者には「熱量」が不可欠です。多少の困難や失敗では折れない情熱。言い換えれば「執念」ともいえるような、やり抜く力が必要です。周囲が無理だと言っても、自分だけは信じ続ける強い意志を持っている。計画や理屈だけではなく、「この道で勝負したい」「これを世に出したい」という思いが、自身を動かし、人を動かし、事業を育てていきます。さらに、創業者は「孤独」に強いことも大切です。最初は仲間も資金も顧客もほとんどいない中で、一人で舵を切り続けなければなりません。自分の判断で物事を決め、責任を負い、結果を受け止める。この連続に耐えうる胆力が求められます。その一方で、良き仲間に恵まれたときには、その価値を深く理解し、信頼を築くことのできる器量もまた必要です。創業者精神とは、言わば「無から有を生み出す力」です。ゼロから何かを始めるとは、誰かの承認を待たず、自らに許可を出すということ。だからこそ、創業者はいつだって先頭に立ち、風を受けながら進むのです。自分の信じる価値に人生を賭ける。その覚悟こそが、すべての出発点となるのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆喜龍でカツ丼。梅のカリカリ漬けを漬けたからと2ヶ。カリカリ漬けにするにはタマゴの殻を砕いて入れると初めて知った。あのカリカリするのはタマゴの殻のカルシウムの成せる技だったのか。🔲 平田村で過ごす休日 古民家と滝の流れでリフレッシュ 絶品ラーメンとインパクト大な餃子に舌鼓🔲 「部屋が汚い人」にありがちな“NG習慣“とは…清掃員が語る「片付けできない人の落とし穴」 https://l.smartnews.com/m-5K38yyMo/GaVhSu
2025/07/03
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残念ながら今までウソばっかりで国民を騙し続けてきたこの国の仕組み。仕組まれてきたと云うわけです。戦争中の大本営発表は、この国は今でも続いていたということです。国民を騙し続けてきたということです。yutubuやSNSの出現で、情報鎖国に風穴が空いて騙し続けることができなくなってきたわけです。戦後、マッカーサーによる日本統治とその後の敗戦国日本に対する統治方針が連綿と今日まで続いていた現実。2度と米国に立ち向かう事が無いようにこの国の統治方針はすすめられた。国の中枢を顔がよく似た半島出身者に日本名を与えてCIA日本支社とした。米軍物資の横流しで資金を還流し彼らは駅前の一等地にパチンコ利権でのし上がった。もう一方で日米合同会議の名の下に、国会審議を通さずに日本国に命令書を言い渡す仕組みになっていた。日米合同会議の日本代表メンバーは財務省の高級官僚。各省庁の官僚は民間企業大手に天下りして上級国民と称されているのが実態。戦後日本は、名目上は独立国家として再出発したが、実質的にはアメリカの強い影響下に置かれたままだった。表面上は民主主義を標榜しつつも、裏では日米合同委員会という不可視の会議体が政策決定に大きく関与していた。そこに国民の意思や議会の審議が介在する余地は少なく、財務官僚や外務省を中心とする一部エリートたちが対米追従路線を守り続けた。教育、報道、文化までもがこの構造の中で形づくられ、国民には「自由で豊かな国」の幻想が刷り込まれた。戦後の高度経済成長という“餌”をぶら下げられ、国民は目の前の安定に満足し、政治の本質には目を向けてこなかった。その隙に、情報統制と利権構造はより巧妙になり、官民の癒着、マスメディアの忖度、芸能界と裏社会の結びつきなどが“常識”のように社会に組み込まれていった。しかし今、ネットという個人発信の武器がこの歪んだ構造にひびを入れている。YouTubeやSNSの登場は、かつての情報鎖国を破り、今や真実を語る個人が支持を集める時代になってきた。目覚めた市民たちが、真相を共有し始めている。権威の仮面をかぶった政治家や官僚、テレビの“専門家”たちは、その信用を失いつつある。歴史の偽装、社会の操作、利益誘導……そのすべてを私たちはこれから問わなければならない。もう「知らなかった」では済まされない。真実を見抜く目を持ち、次の世代へと正しい構造を手渡すために、一人ひとりが考え、動き出すときが来ているのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「南天の花」、真っ赤な実がなるのですが花は白です。難転とも縁起を担ぎ、玄関脇などに植えられます。御多分に洩れずわが家も義理の父が植えてくれました。
2025/07/02
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意識に落とし込むことにより自分軸となる。かつて戦前教育界では教育勅語を意味もわからずに暗誦させられた。誦んじることによっていつでも口からスラスラ出てくる。掛け算の暗誦みたいなものである。一度体に染み込むと一生ものとなる。自分の意識と一体となると、自分の理念のようになってしまうわけです。自分軸となることによって強固な意志ともなるわけです。自分のポリシーともなってしまうことすらある。意識に落とし込むと、その自分軸の指令によって行動までもが影響下となるわけです。それは無意識のうちに判断や選択を支配する“内なる羅針盤”となって働きます。たとえば、礼を重んじるという価値観が深く刻まれていれば、どんな場面でも自然と頭を下げ、言葉を整え、振る舞いを正すようになります。意識的に努力しているのではなく、それが自分の「当たり前」となって動いてしまうのです。この「当たり前」の水準が人それぞれの人生を形づくっていきます。習慣が人格を作るとよく言われますが、そもそもその習慣を生み出す源泉こそが「意識に染み込んだ自分軸」なのです。それは、他人に強制されたものではなく、自ら納得し、繰り返し確認し、体得していったもの。いわば、自分という存在の芯になる部分です。一度自分軸として根づくと、たとえ外の状況が変化しても、自分の判断や行動にブレがなくなってきます。まわりの意見に惑わされにくくなり、自分が何を大切にして生きているのか、どの方向を向いているのかが明確になるからです。行動が一貫性を持ち始めると、人からの信頼も生まれます。「あの人は何があっても変わらない」と思われるのは、この自分軸がはっきりしている人の特徴です。また、意識に落とし込まれた自分軸は、行動だけでなく感情の安定にも寄与します。たとえば、「困難は成長の糧だ」と深く信じていれば、何か壁にぶつかったときに動揺するどころか、前向きな捉え方ができるようになるでしょう。感情の起伏に振り回されず、どっしりと構えていられるようになるのです。つまり、自分軸とは単なる信念の集まりではありません。それは行動の指針であり、感情の安定剤であり、人生のナビゲーション・システムでもあるのです。そしてそれは、書物を一読したくらいで身につくものではなく、反復と実践、さらには時間をかけた内省によって、ようやく意識にまで落とし込まれていくものです。だからこそ、自分にとって大切な言葉、理念、価値観を繰り返し読み、語り、書き、実践することが求められます。まるで種をまき、水をやり、陽を浴びせて育てるように、丁寧に、自分軸は築かれていくものなのです。それがやがて、生き方の美しさとなり、言葉に力を宿し、行動に信頼をもたらします。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆例えば、「趣味の蕎麦打ち」に関して、意識に落とし込むと、、、、最初は、蕎麦を食べる事がいわゆる食べ歩きであった。それが高じてそば打ち名人のそば会を定期的に開催して、、、それも名人が亡くなり、そうか自分で蕎麦を打つしかないかと思い至ったわけです。食べ歩き側から、蕎麦打ちに立ち位置が変わると、当然の事ながら見えるもの、気づくものが変わりました。美味しい蕎麦を食べたかったら、美味しい蕎麦粉を手に入れること。材料が良くなかったらいくら腕を上げても美味しくさせる事は難しい。そこから腕、蕎麦打ちの技量は、それ以降のことになると知ったわけです。何でもやってみない事にはわからない事があります。1日は丸亀製麺、釜揚げうどんが半額デーなのです。11時半、近所の丸亀製麺ですが駐車場がほぼ満杯です。何もかも値上げ値上げで庶民は半額デーに足が向く事になります。混み合う店内で食べると美味しいと錯覚しそうになると云うものです。久しぶりの大盛りでした。
2025/07/01
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