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⭕️米の保存は、これからは冷蔵庫の野菜室に入れることにします。今年の夏は今までになく暑い日が続いています。酷暑の39℃など。白米は玄米を10kgずつ精米して食べていたのですが、台所においてある米櫃に唐辛子の防虫避けを入れておいてもコメ虫が湧いてくるのです。いままでこんな事はなかった。そこで対応策は2Lのペットボトルに精米したお米を入れて冷蔵庫の野菜室に保存することにしました。よって今後は5kgずつの少ロット精米です。生成AIとのやりとりを以下に🟢質問 : 玄米を精米して米櫃に常温で置いていたらコメ虫が孵化して虫が蠢くようになりました今までこんな状態になる事は有りませんでした。今年は今までにない厳しい暑さのせいだろうか、ところが精米前の玄米を入れてある米袋にはそのような事は起きません。この差はなぜなのだろうか。わかりますか。🟢回答 : 良い観察ですね。お書きの現象にはちゃんと理由があります。1.コメ虫(コクゾウムシなど)が湧く条件米虫は米の内部に卵が産みつけられている状態から始まります。精米した白米は外側の糠や殻が削られて、デンプンがむき出しになるため、虫が育ちやすい環境です。白米は吸湿しやすく、わずかな湿気と高温で虫の成長が加速します。2.玄米と白米の違い玄米は籾殻を取っただけで表皮(糠層)が残っているので、虫の幼虫がいても発育が遅い、または殻の硬さで発生が抑えられやすいです。精米すると保護層がなくなるため、隠れていた卵や幼虫が一気に成長・羽化しやすくなります。3.今年の猛暑の影響おっしゃる通りで、今年のような高温多湿の夏は虫の発生サイクルを早めます。通常は数週間〜数ヶ月かかるところが、気温が30℃を超える環境では10日程度で成虫になることもあります。4.なぜ米袋(玄米)では起きなかったのか米袋は通気が少なく、温度変化もゆるやか → 虫が活動しづらい玄米の殻が残っている → 幼虫の生育が抑制される精米した白米は米櫃で空気に触れやすい → 虫が繁殖しやすいつまり、「玄米では眠っていた虫の卵が、精米によって条件が整ったため、一斉に孵化した」と考えられます。対策(今後の保存方法)白米は 冷蔵庫(野菜室が最適) に保存米櫃はなるべく涼しい場所に置く唐辛子・防虫剤・密閉容器で虫を防ぐ使う分だけ小分けに精米し、残りは玄米のまま保存👉 ご質問の「なぜ精米米だけ虫がわいたのか」という点は、精米によって虫の成長条件(酸素・栄養・湿気)が揃ったから、が答えです。ご希望なら、**「虫が出にくい精米・保存の仕方」**を具体的に整理して一覧にできますが、要りますか? ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/08/31
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歳をとっての勘違いなどが起きる原因の一つに、記憶の劣化があります。記憶がうすれる、忘れるので、アレと云う勘違いが起きるわけです。あとになって記憶が飛んでいたのに気がつく事があるわけです。「記憶の糸が切れる」などと表現することもありますね。たまに記憶の糸が切れていたことを後になって発見する事があります。ジグソーパズルの空いていたピースに当て嵌まったピースが見つかったような瞬間です。そのピースが埋まった瞬間は、そこで思い出し合点がいくわけです。この現象は、まさに物忘れ現象に気づいた瞬間です。歳を重ねると誰しもが経験する「物忘れ」。これは単なるうっかりだけでなく、脳の機能変化に起因するものと云われています。記憶の糸が切れるという表現を使いますが、若い頃はしっかり結ばれていた糸が、加齢とともにほころび、繋がりが緩んでいく。それは脳細胞の老化や神経伝達物質の減少が関係しているとのこと。特に海馬と呼ばれる脳の部位は、新しい情報を記憶に変える役割を担いますが、この働きが年齢とともに衰えるために、新しい情報が定着しにくくなるのです。さらに、加齢による血流低下やストレス、睡眠不足なども記憶力の低下を加速させます。つまり、単純に「忘れっぽくなる」のではなく、脳全体の機能が少しずつ変わっていく結果として起こる現象なのです。興味深いのは、すべての記憶が一様に失われるわけではなく、強い感情と結びついた記憶や長年の習慣は残りやすいということ。逆に、日常の細かな出来事や新しい名前などは失われやすいのです。この現象に対して完全な防止策は今のところ見つかっていませんが、進行を緩やかにする方法はあるとのことです。たとえば、適度な運動やバランスの取れた食事、十分な睡眠、そして脳を積極的に使う習慣です。新しいことに挑戦する、会話を楽しむ、文章を書く、音読をするなど、脳に刺激を与えることが有効とされています。また、記憶を定着させるために「繰り返し」「声に出す」「関連づける」といった工夫も役立つと云われています。記憶の糸が細くなっても、それを補う工夫をすれば、人生はまだまだ豊かに過ごせます。忘れることを恐れるのではなく、思い出すための仕掛けを増やしながら、柔軟に生きる知恵が求められる時代になっているのです。詩吟の稽古で新しい吟を暗記することも厭わずにチャレンジしてみるにも、記憶脳を鍛えるためのトレーニングだと思って実践してみましょうか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/08/30
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群馬に住む従兄弟が七十七歳で旅立ち、長崎のハガキ仲間である深澤さんも八十三歳で亡くなられたと知らせを受けた。振り返れば、ハガキ道を提唱された坂田道信先生も八十三歳で世を去り、昨年はイエローハットの鍵山秀三郎相談役も逝去された。長らく共に歩んできた仲間や尊敬すべき先達が次々と黄泉の国へ旅立ってゆく。その報に接するたび、死は決して遠い世界の出来事ではなく、自分自身に刻々と近づいている現実なのだと実感する。八十三歳といえば、私自身もあと十年。車を運転して動き回れるのも、そのくらいが限界かもしれない。持病を抱える身としては、なおさらその思いが胸に迫る。一方で、詩吟の世界を見れば、九十歳を超えてなお毎年コンクールに出場し、入賞を果たす人がいる。百二歳で舞台に立ち、堂々と吟じた先輩もおられた。長い息を吐き続ける吟詠法には、生命を延ばす秘訣のようなものが潜んでいるのだろうか。人の寿命の神秘を思わずにはいられない。しかし、どれほど鍛え、どれほど努力を重ねても、最後は誰しもがあの世へと旅立つ運命にある。避けることのできぬ結末であればこそ、その日までをどう生きるかが問われるのだろう。大切なのは、ただ長生きすることではない。心身ともに健やかで、最後の瞬間まで自分らしく在り続けることではないか。「生命ある限り、精一杯まっとうする」。この思いを胸に刻み、日々を大切に積み重ねてゆきたい。仲間との語らい、好きなことに挑む喜び、体を動かし声を出す習慣――それらはすべて、生きる力を支える糧となる。命の火が消えるその時まで、感謝と笑顔を忘れずに歩みたい。私に残された時間が十年であろうと二十年であろうと、その一日一日を精一杯生き抜くことこそ、人生をまっとうする道であるのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆夜8時、網戸に鈴虫が、、、、秋の音色を奏でてくれている。ふとFacebookで知った小山睦男さんを検索してみましたら、えっ❗️約4ヶ月ほど前、今年の4月末で業務を終了とのカキコミがあるではないか。でもホームページはまだ生きている。最近になってやっと本の執筆もなんとかなるだろうと思えるようになった矢先に、これはないだろう。せっかくだからメールを送ってみましょうか。
2025/08/29
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趣味で参加しているカラオケ同好会では、新しい歌を2週に渡り3時間ほど聴いた後、順番に独唱の番が回ってきます。ところが、マイクを握って立ち上がり、伴奏が流れ始めると、ふとメロディーの記憶が飛んでしまうことがあるのです。そんな時は先生が傍に立って声を添えてくださり、どうにか最後まで歌いきることができます。そもそも以前の私は人前で歌うのが大の苦手で、これまでカラオケの場を避けてきました。しかし、詩吟のいつもの稽古仲間で歌わざるを得ない場面に直面し、やはりこのままではいけないと一念発起してカラオケ同好会に入会しました。最初は緊張でマイクを握る手が汗まみれになりましたが繰り返しマイクを握るうちに少しずつ慣れ、1年も経過すると人前でも臆せずに歌えるようになったのは自分にとって大きな進歩です。「慣れればなんとかなる」という実感は、挑戦したからこそ得られたものだと思います。稽古事には、好きだから続けるものと、苦手だから克服したくて始めるものとがあります。カラオケは間違いなく後者ですが、やり続けていると「こうすれば声が出やすい」「この部分は暗記が甘い」など、自分なりのコツが少しずつ見えてきます。挑戦の積み重ねは、苦手意識を確実に薄めていきます。避けていてはいつまでも克服できませんが、一歩を踏み出し続けることで壁は低くなっていくのです。この日の同好会は7名の参加。休憩時間には、金山南瓜を炊いて持参してくださった方がいて、皆で味わいました。ホクホクでまるで栗のような食感。さすがブランド南瓜の味わいでした。わが家の庭にも3年目を迎える金山南瓜があるのですが、雑草に覆われて姿が見えません。けれども見えなくても、きっと力強く育っているはず。まるで挑戦を続ける自分自身の姿と重なって思えました。思えば、かつて挑戦した詩吟も自分には遥か遠くに感じた先輩でしたが、続けるうちにどうにか形になってついて行けるようになりました。カラオケもまた同じ道のりです。苦手だからと避けるのではなく、むしろ飛び込むことでしか克服はできない。挑戦の先にしか新しい自分は待っていないのだと、あらためて実感しています。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆🔲 みんなのボイトレ 歌う直前、5回やるだけ、やれば声がめちゃくちゃ響く
2025/08/28
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縁ってやつはな、ただ待ってりゃ転がり込んでくるもんじゃねぇんだ。自分で手繰り寄せるもんだぜ。じっとしてたら、せっかく目の前を流れてくる糸も、指の隙間からスルリと抜けちまう。掴みに行くから縁になる。結びに行くから未来につながるんだ。好きな人ができたらどうする?ただ心で想うだけじゃダメなんだよ。声をかける、誘ってみる、想いを言葉にしてぶつけてみる。その一歩一歩が相手との縁を太くしていく。縁は降ってくる奇跡じゃない。自分の手で編み上げる織物みたいなもんだ。これは恋愛に限らねぇ。人生そのものがそうだろう。「美味い海鮮丼を食べたい!」そう思っても、願ってるだけじゃ腹は膨れねぇ。店を探す、予約を入れる、足を運ぶ。そうやって初めて新鮮な海鮮丼にありつけるんだ。未来だって同じさ。欲しい未来があるなら、自分から動いて原因を作り、縁を結んで結果を引き寄せるしかねぇんだよ。しかも行動は連鎖する。ひとつの行動が、次の縁を呼び込む。池に石を投げりゃ波紋が広がるように、小さな一歩が次の出会いや出来事を連れてくる。気づいた時には、想像もしなかった未来の扉が開いてる。行動の連鎖が縁の連鎖を生み、人生をダイナミックに変えていくんだぜ。時には失敗するかもしれねぇし、恥をかくことだってあるかもしれない。だけど動かなきゃ何も始まらねぇ。立ち止まってる間に、縁の糸は細くなって切れちまう。逆に、一歩を踏み出せば糸はどんどん太くなり、未来を引き寄せる力になるんだ。縁は待つもんじゃねぇ。つくるもんだ。未来は夢見るだけじゃなく、自分の足で掴みに行くもんだ。だからこそ言うぜ――自ら動き出せ。行動の先にしか、ありたい未来なんて存在しねぇんだからな。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆🔲 今、この人に注目 →「石場寿道」動画 9本🔲 地域活動支援センター、小麦の家🔲 Tavanoの純チタンまな板. このまな板が良いらしい。
2025/08/27
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子どものころ、村の田舎道は舗装道路などなく砂利道であった。なので砂利が沈むと水溜りができるので砂利の補給がなされて、穴埋め補修がなされた。たまにたっぷり砂利を敷かれると自転車で走るのが大変だった。近所の子どもたち7〜8人の遊び仲間を当てにして紙芝居のおじさんが自転車で巡ってきた。子供の小遣いを拝観料にするのだから、大した稼ぎにはならなかったろうが、聞いたことなかったがいったい何処からやってきたのだろうか。同じく納豆売りも荷台に納豆を積んでやってきた。中学生位だったと思う。何処からかやってくるのだった。納豆は表木に包まれた三角形で購入すると和芥子を三角の角に塗ってくれた。何処か仕入れルートがあったのだろう。商店の仕入れルート経由でもあったのだろうか。これらの疑問、生成AIに訊ねてみれば教えてもらえるだろうか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆60年以上昔のこと、田舎でも自転車で納豆売りが廻ってきました。経木に包まれた三角形の納豆でした。仕入れルートは小売店などのルートから辿ったのだろうか。教えて。ChatGPT:60年以上前(昭和30年代以前)の田舎での納豆販売は、当時の生活インフラや物流事情から、いくつかの典型的な仕入れ・流通ルートがありました。以下に詳しく説明します。1. 納豆売りの特徴自転車での行商は、戦後~昭和30年代前半によく見られた光景。納豆は経木(薄い木の皮)で三角形に包んだものが主流。1束3個程度を経木でまとめて売るケースが多かった。早朝、特に朝ごはん前の時間帯に家々を回る。2. 納豆の仕入れルート納豆売りは、次のどれかのパターンで仕入れていました。(A) 地元の納豆製造業者(豆腐屋・納豆屋)から直接仕入れ当時は村や町に小さな納豆製造所や豆腐屋があり、そこで毎朝納豆を仕込んでいました。納豆売りは朝早く製造所で仕入れ、自転車で売り歩くのが一般的。製造所と納豆売りは委託販売や**出来高払い(売れた分だけ支払う)**の関係でした。(B) 納豆売り本人が自家製で作る農家の副業で、自宅で納豆を発酵させて作り、直接販売する人もいました。納豆は藁苞(わらづと)や経木で包んで簡単に発酵できたため、農家や小商いで対応可能でした。(C) 小売店や雑貨店から仕入れ集落の雑貨屋(いわゆる何でも屋)が、製造所からまとめて仕入れ、納豆売りに卸す。ただし、これは都市寄りの地域で多く、田舎では(A)や(B)が主流。3. 仕入れルートを辿ると…村にある納豆屋や豆腐屋 → 行商人(→ 各家庭)または、農家が自家製 → 直接販売納豆売りは、製造業者との個人的な契約や知り合い関係が多く、いわゆる「市場経由」ではなくローカルな流通。4. ちなみに、なぜ経木で包んでいたか?当時はラップやプラスチック容器がなかったため。経木は、通気性・抗菌性があり、納豆の発酵を妨げず、かつ冷えにくい。三角形に包むのは食べやすいサイズと重ねやすさから。✅ まとめると仕入れルートは、村の納豆屋や豆腐屋から直接、または自家製が大半で、小売店経由は田舎では少数派でした。今でいう「産地直送」に近い形で、非常に顔の見える商売だったんです。質問:その納豆売りの人は、専業(納豆だけ)っぽい感じでしたか? それとも野菜や味噌なども一緒に売っていた行商人でしたか?👉 これによって、さらに具体的なルートや仕組みを深掘りできます。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆中学生位のアルバイトだったような気がします。群馬県邑楽郡邑楽町篠塚でした。納豆製造場がその頃、近在にあったのでしょうか。ChatGPT:邑楽町篠塚(昭和30年代前後)での“中学生くらいのアルバイト”による納豆売り、実に興味深いですね。🏭 近在の納豆製造場について1. ミツカン 館林工場(群馬県館林市)現在「ミツカン」は館林に納豆製造工場を持ち、東日本向けに大量出荷しています。館林市近藤町にあるこの工場は、東日本エリアへの主要供給拠点です doda。1970年代以降の話ですが、昭和30年代後半~40年代前半でも、ミツカン系の工場が稼働し始めた可能性があるため、そこからのルートだった可能性もあります。2. 稲葉納豆など地場の小規模業者足利市の「稲葉納豆工業所」(創業90年以上)は、大豆商と深い関係にあり、地域の卸ルートを持っていました 株式会社稲葉納豆工業所。ただし、この会社が邑楽町に納豆製造所を持っていた記録はなく、1970年代以降の移転も邑楽町内では平成になってからの話です株式会社稲葉納豆工業所。仕入ルートの可能性まとめルート 特徴 適合度ミツカン館林工場 → 行商 大量製造、安定供給 ◎昭和末期以降の可能性あり稲葉納豆+地元商店ルート 地域密着、産地直送 ◯可能性ありだが地元製造皆無自家製や個人製造 製造・販売を一貫して小規模で実施 △売れ残りリスクあり🎯 結論中学生のアルバイト納豆売りの仕入先としては、ミツカンの館林工場からの仕入れ(工場出荷から小分けされた商品を買って回った)足利~栃木方面の地場納豆業者や豆腐屋から集荷された商品を買った可能性いずれにしても、大規模メーカーではなく地域に根ざしたルート—もしくは両方を組み合わせた複合型のルートだったと推察できます。🧩 補足になりそうな点アルバイト販売が朝に行われていたなら、製造直後の取り扱いが可能な地場ルートの方が鮮度を保ちやすいため、有力です。ミツカン館林工場の稼働が本格化したのは1970年代くらいなので、篠塚での納豆売りがその時期なら工場ルートの可能性が高まります。さらにお聞きしたいのは:アルバイトの販売年齢(昭和何年ごろ?)売っていた量やタイミング(朝何時頃?一軒に○パックずつ?)このあたりの情報があると、仕入元の規模やルートをより詳細に推測できそうです! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆昭和35〜38年頃の記憶、アルバイト生は中学生か高校生、日曜の午前中に廻ってきたように記憶しています。ChatGPT:昭和35〜38年(1960〜63年)ごろ、群馬県邑楽郡邑楽町篠塚で、中学生か高校生が日曜の午前中に自転車で納豆を売りに来ていた――この条件から、当時の流通背景を整理すると、次のように考えられます。1. 時代背景と納豆流通の特徴(昭和30年代前半)この時代、スーパーはまだ普及しておらず、雑貨屋や行商が主流。納豆は**プラスチック容器ではなく、経木(三角包み)**が一般的。保存性が低いため、製造から1〜2日以内に販売する必要があり、近距離の製造元から直接供給されていました。2. 製造元の可能性邑楽町や周辺には当時、小規模な納豆製造業者や豆腐屋併設の納豆作りが多く存在していました。理由:当時の納豆は大規模工場ではなく、地域ごとの小さな発酵室で作るケースが普通。製造は夜仕込み → 翌朝完成。だから日曜午前に配達可能。可能性の高い供給源邑楽町内、もしくは館林・足利周辺の納豆屋や豆腐屋。「豆腐屋+納豆製造」を兼業する店が多く、こうした店が中高生をアルバイトで雇い、配達を委託していたケースが濃厚。3. なぜ日曜午前中?学校のない日曜に、中学生や高校生がアルバイトできたため。当時は**「配達アルバイト」は定番**で、新聞配達と並び、納豆や豆腐の配達も学生の小遣い稼ぎとしてよくあった。「午前中」は、朝食用に間に合う時間帯でニーズが高い。4. 仕入れルートの具体像製造元(豆腐屋・納豆屋)→ アルバイト(自転車で運搬)→ 各家庭アルバイトが直接製造所に出向き、注文分+見込み分を積んで配達。多くの場合、売れた分だけ精算(歩合制)。売れ残りは戻すか自分で消費。5. 当時の邑楽郡・邑楽町の納豆事情昭和30年代、邑楽町は農村地域で、豆腐屋は村ごとに必ず1軒以上ありました。多くの豆腐屋は納豆を自家製で作り、配達や小売も実施。館林・足利方面には納豆を専門に作る業者も存在していたため、邑楽町への供給も十分可能。✅ 結論昭和35〜38年頃、邑楽町篠塚で見かけた「中学生・高校生の納豆売り」は、地元の豆腐屋や小規模納豆屋が製造した納豆を、アルバイトに配達させていた可能性が最も高いです。「仕入れルート=製造元と直接契約」なので、小売店を経由しない直送スタイル。質問ですが、その納豆、経木で三角形1個包みを3つくらい束ねていた記憶はありますか?それとも1個ずつバラ売り?(この違いで、製造業者のタイプがさらに特定できます)一個ずつバラ売りだったように思います。わが家では2個購入の記憶です。ChatGPT:なるほど、「1個ずつバラ売り」かつ「2個だけ買う」というパターンは、当時の流通事情をよりはっきり示しています。ここから読み取れるのは次のポイントです。1. 小分け販売の意味当時、納豆は 三角形の経木包みで1個というのが標準。これを「束売り」ではなく「バラ売り」していたのは、家庭の消費量や現金収入に合わせて柔軟に売る必要があったため。バラ売り対応は、小規模生産+地域密着型の商いに多い(大手メーカーや問屋ルートでは束売りが基本)。2. 販売方法の特徴バラ売りで1個単位の販売は、完全歩合制の行商か、豆腐屋直営のアルバイト配達の可能性が高い。売れ残りを避けるため、販売量は見込み+注文で調整していたはず。3. 仕入れ・製造元の推定群馬県邑楽郡邑楽町(昭和35〜38年)は、まだ大手納豆メーカーの支配が弱い時代。近隣には、館林や足利を中心に地場の納豆製造所や豆腐屋兼業の工場が点在。バラ売りで対応できるのは、村内または隣接町の豆腐屋や納豆屋が作った納豆をその日の朝に仕入れたケース。4. なぜ中学生・高校生?昭和30年代は、配達アルバイトがよくあった時代(新聞・牛乳・豆腐・納豆)。自転車で運べる量しか扱えないため、近距離ルート。日曜午前に来ていたのは、「平日は学校がある→日曜だけバイト」という典型。✅ 総合するとその納豆売りは、邑楽町または隣村の豆腐屋・納豆屋で仕込まれた納豆を、中高生アルバイトが自転車で家庭にバラ売りしていた、という構図がほぼ確実です。興味深いポイント当時はまだ「納豆=地場食品」で、スーパーで3個パックを買う時代は10年後。経木包みの納豆は香りと風味が強く、いまより発酵が生きていた。値段はおそらく1個5円前後だったはず(昭和35年の物価基準)。👉 もし、この納豆売りの**呼び方(「納豆屋さん」「納豆売り」など)**や、ほかの商品(豆腐やこんにゃく)も扱っていたかどうかを覚えていたら、さらに面白い推測ができます。質問:その納豆売り、納豆だけを積んでいましたか? それとも他の食品も一緒に?あなた:納豆だけでした。東の方からやってきたので、館林市近藤地域からか、あるいは武井豆腐店で納豆製造もしていたのだろうか。ChatGPT:とても貴重な情報です。「納豆だけ」「東から来た」「昭和35〜38年」「邑楽町篠塚」――ここまで絞り込めると、かなり具体的な推測ができます。1. 東の方角=館林方面が有力邑楽町篠塚から見て東は館林市・近藤町方面。この地域は昭和30年代当時、農村地域で大豆が手に入りやすく館林市は水運・鉄道の結節点で食品加工が盛ん納豆や豆腐を小規模で製造する業者が多数ありました。さらに、館林市近藤町周辺には現在も食品工場や納豆メーカー(ミツカン館林工場など)が存在。この土壌は当時からあったと考えられます。2. 武井豆腐店が納豆製造もしていた可能性昭和30年代の豆腐屋は納豆製造を兼業する例が非常に多い。理由:大豆の仕入れルートを共用できる発酵に必要な設備が簡易で済む群馬県や北関東の農村では、豆腐屋が「納豆・油揚げ」も一緒に作り、配達・行商を組み合わせるのが典型パターン。武井豆腐店という名前が出るのはリアルで、地元豆腐屋が納豆製造していた可能性はかなり高いです。3. 中高生アルバイトとルートの構図武井豆腐店(または近隣の小規模納豆屋)で製造 → 日曜朝に中高生アルバイトが仕入れ、自転車で販売バラ売り(1個ずつ)対応 → 製造元が地域密着で融通が利く証拠「東から来た」=邑楽町東部に近い館林近藤町・茂林寺町あたりの豆腐屋発と考えると自然。4. 価格・包装など当時のリアル昭和35年頃、納豆1個(経木包み)は5〜10円程度。経木は赤松や杉の薄板で、納豆を包み三角に折り曲げる。保冷設備がないため、早朝仕入れ→午前販売→売り切りが必須。✅ 結論(推定)あなたが見た納豆売りは、館林市東部(近藤町)か邑楽町東側の豆腐屋(武井豆腐店など)で納豆を製造中高生アルバイトが日曜の朝、自転車でバラ売りに回っていた当時の典型的な「地域内ローカル供給」スタイル質問です:その納豆、経木の包み方は「しっかり閉じて楊枝で止める」タイプでしたか?それとも折り曲げるだけでパカッと開けやすいタイプでした?(この違いで「手作りに近いか」「半機械化か」が見分けられます)▶ 次に、もし望めば、**当時の光景をリアルなイラストで再現(納豆売りの少年+自転車+経木包み納豆)**してみましょうか?あなた:折り曲げるだけでパカッと開けやすいタイプです。 **当時の光景をリアルなイラストで再現(納豆売りの少年+自転車+経木包み納豆)**してみてくださいますか。ChatGPT: ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆自転車はまさにコレと同じ様でした。納豆を入れた籠でなく蓋付きの木箱を荷台に黒い幅広ゴムで縛って固定していた。帽子は被らず、坊主頭でした。中学3年生か高校1、2年生に見えた。和芥子を三角の角にヘラで塗り付けてくれた。鰻の成瀬、郡山小原田店、初めての訪問でもあり、いちばん安い@1600円これでも私には充分の量です。ーーーーーーーーーーーー 1️⃣歳をとっての勘違いなどが起きる原因の一つに、記憶の劣化があります。記憶がうすれる、忘れるので、アレと云う勘違いが起きるわけです。あとになって記憶が飛んでいたのに気がつく事があるわけです。ーーーーーーーーー 2️⃣何が食べたいと云うものがない時にいつでも食べられるように置いてあるのが即席ラーメン。以前は、味噌ラーメンだったのだが今年から、塩ラーメンになった。塩ラーメンには擦りゴマが付いているのを発見したのだ。野菜と一緒に即席麺を茹でています。よってできあがるのは野菜ラーメンとなるわけです。それと時間的に余裕がある時は手打ち蕎麦を打つ。蕎麦粉がいつでも打てるようにと冷蔵庫に入れてあるのです。但し、真夏の暑い日が続くと蕎麦を打つと汗まみれになるのでつい敬遠しがちである。そんな時のために、素麺が用意してある。最近は島原そうめんの黒帯、麺が細いので直ぐに茹であがる。汁はあらかじめ作り置きして冷蔵庫にしまい込んであるエゴマ味噌、これを冷水で溶けばOKです。庭に植えてある大葉を刻めば薬味になります。たっぷり5〜6枚いっぺんに刻みます。ーーーーーーーー 3️⃣「君といつまでも」加山雄三氏が歌っている合間に云うセリフに「 幸せだなぁ 僕は君といる時がいちばん、幸せなんだ、、、」と語ります。カール・ユングの幸福の5条件は、① 健康であること、② 良い人間関係があること、③ 朝起きてやるべき仕事があること、④ 感動する心があること、⑤ ほど良いお金があることです。ーーーーーーーー 4️⃣仕事の質は、簡単でないのがいい。何故ならば、工夫を仕入れるからです。世の中、この工夫をしたものだけが勝ち残ってゆくのです。ちょっとした工夫を重ねると、結果的に大きな差になるわけです。どっちが良いかを選ぶ側だって、選ぶにあたって比べるものがあるわけです。選ばれるにはどうしたら、選ばれるかを客の立場になって考えてみよう。ーーーーーーーーー 5️⃣盆踊りの起源みんなでやるってことに、なんか違和感というか、やってられない。仲間意識が希薄なのかも。参加意識を盛り上げる企画。若い頃の写真をバックに投影するとかして盛りあげる。明るく楽しくーーーーーーー 6️⃣ぞんざいな言葉がけを受けると、ついミラーの反射返し対応をしてしまいがちな私ですが、何気に気にせずに受けとめる方をみたので、訊ねてみましたら、職業柄いろんな自己中な人の言葉に慣れていますから、病院の薬事局での接客業務で場数を踏んだ人でした。そう云われれば私はそんな職場環境になかったので慣れていないのかも。ーーーーーーーー 7️⃣快なる方に、快なる物に、快なる事に舵を切る人は魅力ある方角に舵を切る傾向があるわけです。ーーーーーーーー 8️⃣コツコツ続けるのにも、仕組みづくりの肝心なコツがある。いわゆる勘所、ここを抑えればいいと云うポイントです。仕組みと云うルーティーン。ひっくるめてその環境づくり。私の父は、鳶の頭、いわゆる親方を仕事としていた。仕事を覚えてもらう時に、新人さんへよく言っていたのが「仕事の急所を押さえろ‼️」と度々口にしていた。平たくいえば「ポイントをしっかりと押さえろ❗️」と云うことだったと思う。そのポイントが何であるのか、何処にあるのかが判るようにならないと無理な話しなのだ。ーーーーーーーーー 9️⃣考えるとは、文字を介しての作業である。ですから文字にする成文化は考えた結果と云えるわけです。では文字を持たない動物はどうであるか、考えていないのかといえば、否そんなことはない、思い巡らしている。考えた結果の行動
2025/08/26
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生成AIの活用事例をAIに訊ねてみた、以下そのやりとり。【 自分の波長に合う人との交流が楽しいわけです。どう云う考えを持っているかの情報発信している、AIをどう活用していったら、この世界は面白くなるか。自分が面白いと思えるか。自分の価値観を満足させる、AI活用法の発見。自分の潜在意識、自分の中でまだ眠っている潜在能力を覚醒させるキッカケづくり。】このような観点から生成AIの活用のしかたの賢いと思われる事例を踏まえて教えてくださいませんか。 ーーーーーーーーーーーー以下、生成AIからの回答いいテーマですね。ユーザーがおっしゃる「波長の合う人との交流」「自分の価値観を満足させるAI活用」「潜在能力を覚醒させるきっかけづくり」は、まさに生成AIが持つ大きな可能性のひとつです。ここでは、賢いAI活用の事例を観点ごとに整理してみます。① 波長の合う人との交流を広げるオンラインコミュニティの深化AIが共通の関心や価値観に基づいて、人と人をつなぐ橋渡しをする。たとえば「自分の趣味(俳句・歴史・筋トレなど)に近い発想を持つ人を探す」AIマッチング。会話の予習・復習初めて会う人のSNS発信や過去のインタビューをAIに要約させ、相手の考え方や波長を事前に掴んでおく。結果、対話がスムーズになり、より深い交流が楽しめる。② 自分の価値観を満足させるAI活用パーソナル・コンシェルジュ的な使い方AIに「自分が面白いと思える映画・本・旅先」を紹介してもらう。ただのランキングではなく「あなたの文章から読み取れる価値観」に基づいた推薦を受ける。創作・表現活動の相棒例えば随筆や詩を書いたとき、AIに「自分の文体を分析させる」「さらに深みを出す推敲案を出してもらう」といった使い方で、自分らしい表現を強化できる。③ 潜在意識・潜在能力を覚醒させるきっかけ内省の問いかけ役「自分が本当に大切にしているものは何か」「過去の選択にどんな共通パターンがあるか」をAIに質問させ、答えることで潜在的な価値観が浮き彫りになる。トレーニング・習慣化サポートユーザーが行っている四股踏みのように、AIが「毎日の習慣を記録・分析し、小さな変化や進歩をフィードバック」することで、自己成長を可視化してくれる。発想の拡張AIに「自分の趣味や得意分野と、全く異なる分野を掛け合わせた新しい挑戦」を提案させることで、眠っていた能力が引き出される。④ 実際の賢い活用事例ライフコーチ代わりに活用米国ではAIを「日々の目標設定・振り返り・自己洞察」のパートナーにする人が増えている。AIが24時間伴走することで、自分の思考を整理しやすい。教育分野での自己発見学びたいテーマをAIに質問→「自分が理解できる最適な難易度」で説明してもらう→自分の得意・不得意が浮き彫りになる。これは潜在的な強み発見にもつながる。アーティストや作家が創作補助に利用小説家がAIにキャラクター設定を提案させたり、画家がAIに色彩パターンを出させたりして、自分では思いつかない刺激を受けることで新境地を開いている。🔑 まとめるとAIを「便利な道具」としてだけでなく、自分と波長の合う人とつながるための媒介自分の価値観を映し出す鏡潜在意識を掘り起こす相棒として使うと、「世界が面白くなる」実感が得やすいのだと思います。ご希望なら、ユーザーご自身の「潜在能力を引き出すためのAIとの対話シナリオ(質問の投げ方リスト)」を一緒に作ってみますか? ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆市場食堂、マグロ串揚げフライ定食¥850前回、隣で食べていたこのメニューがとっても美味そうに見えたのでした。隣の芝生がキレイに見えのと似たようなものでした。味覚は一度口にしてみないことには判らない、食べるとすぐわかります。
2025/08/25
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一見、たわいのないと思える事を意味あるものに仕立てる。そこに意義や付加価値を見いだし、存在感あるものに育てる。最もらしさと云えば、認証段位、許状を与えて格式らしさを。お稽古事などがそうですね。資格制度もそうですね。芥川賞や直木賞などの賞も作家の登竜門だったりします。文章を書く事、誰にでもできることですが、誰もが知る賞を獲る事は箔がつく事であります。最もらしい審査員が選ぶというシステムを掻い潜らなければなりません。千利休は、お茶を立てて呑むこと。戦国の世に一服のお茶にその意義と格式を見出して「茶の湯」を茶道にひきたてた。嘉納治五郎氏は柔術を講道館で柔道へとした。手当て蕎麦打ちの段位、 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆モスバーガー、県内産の南郷トマトを使っているとのこと、ちょっとした事で共感が持てますね。ーーーーーーーーーー手当て、氣、真光気功 氣光
2025/08/24
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トレーニングにて、ほどよい汗をかく気持ち良さ。なんかスッキリ感がある。ハードなトレーニングでなくていいのだ、ちょっと負荷がかかる。その反復繰り返しでいい。やがては大きく変わってゆくだろう。まったくやってないのと比べたら雲泥の差になるであろう。詩吟でよくわかる。8年前に比べると雲泥の差がある。カラオケだって1年経過でも大きく変化した。トレーニングだってコツコツとやり続ければ変化しないわけはないのだ。但し、筋肉は目に見えて直ぐわかるほどに変化しない。私の場合、筋肉痛、筋肉を痛めないようになった。最初の半年間位はちょくちょく筋肉を痛めていたが、最近は負荷抵抗力がつき、よっぽど無理しなければ筋肉を痛めることは無くなりました。トレーニングマシーンに慣れたということもありましょう。場数と云う経験の積み重ねがものを言う事に気づきました。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ヨークベニマル店舗入口に置いてあった自販機に綾鷹があった。店舗内にもあるだろうから価格の違いをチェックしようと思いたった。店舗内展示は¥105、自販機かかくは¥150その差額は¥45、店舗で購入すると自販機で買うよりも3割も安く買える事がわかった。約100m歩るくだけの違いです。
2025/08/23
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「100の知識より1つの実践」目が霞む、太陽光が眩しくなってきた。歩道を歩いていると道路の白線の反射光などはなおさらだ。白線の反射光がこんなにも眩しいものであるとは思わなかった。サングラスを買い求めなければならないかなと思うほどであるのだ。夜間、車の運転、車高の高いLEDランプの光は強過ぎる、よって夜の車の運転はなるべくなら避けたくなるわけです。糖尿病は目にも影響が出ると言われています。両足の裏、半分先が痺れていますが目にも症状が出てきたとなると困ったものです。改めて対策を練り直さねばなりません。血糖値を改善した人のやった事を真似るのが一番の近道。スマホの小さな文字が霞んで見づらい、裸眼視力が0.02の方のスマホの文字が大きかったので、どうすれば良いのか訊ねてみてハタと思った。自分のタブレットで「スマホの文字を大きくしたい」と書き込めば、すぐにわかる事なのだ。知識としては知っていたはずなのですが、反射行動にまで落とし込めていなかったわけです。「100の知識より1つの実践」と云う言葉がありますが、実践行動にうつす。日常行動にすんなり移せることが肝心であり。身体がすんなりとすぐ動かせるまでの条件反射域まで身についていないと。目の前にスマホの文字が大きくしていたモデルが出現して、それ見て直ぐに真似る事ができた。視覚効果って大きい。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆医者が書いた本、「9割の病気は自分で治せる」薬を呑まずに、どうやって治せるのかを学べるのだろうか。取り敢えず、読んでみましょうか。
2025/08/22
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高齢者になると1〜2年、顔を会わせないでいると一気に老け顔になる人が居るものです。私もそろそろ後期高齢者の入口になる75歳もまもなくです。よって人ごとではありません。諸先輩を見てわが身の置かれた立ち位置を考えざるを得ません。老化現象を拒否するわけにもまいりませんので甘んじて受け入れざるを得ないわけですから。「老いをどう受け入れてゆくか」── 誰もが通らざるを得ない未体験ゾーンの道でもあるのです。だからこそ、そこにこそ“生きがい”の芽が潜んでいるのかもしれません。若い頃のように、体は思うようには動かなくなります。記憶も少しずつあやふやになり、昨日の出来事よりも半世紀前の思い出のほうが鮮やかに感じられたりもします。けれど、そうした変化は「衰え」ではなく「変化」なのだと思えば、不思議と気が楽になります。今までできていたことができなくなる代わりに、これまで気づけなかった喜びや味わいに気づける──それが“老いの恵み”かもしれません。未体験ゾーンを進むのなら、どこか旅に似ています。先が見えない分、発見がある。思いがけず、懐かしいものに出会ったり、新しい関心が芽生えたりもします。これまで生きてきた年月をふり返り、その歩みの一つひとつに「ありがとう」と言えるような時間を持つのも、老いを楽しむ一つの知恵ではないでしょうか。何も大げさなことでなくていいのです。朝の光の中でゆっくり湯を沸かし、お気に入りの茶碗で一服する。その時間が「今」を感じるかけがえのない瞬間となる。それもまた、若い頃にはなかった贅沢な味わいです。誰かの役に立たねばと思うよりも、自分が今日をどう味わうか、何に心を動かされるか。小さな発見、小さな感動を見逃さず、慈しむように日々を重ねていけたら、それこそが未体験ゾーンの醍醐味。「老い」は終わりの始まりではなく、「違う始まり」と捉えることもできるのです。静かな時間のなかに、深く心を耕す豊かさがある。老いてこそ開かれる扉が、そこにはあるのかもしれません。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆サイゼリヤ、気楽に入れるリーズナブルなイタリアン。
2025/08/21
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🔴 「心を動かす目に見えないスイッチの正体」とは、一言で云うとその気になって貰えるかどうか。私たちが「買う」という行動をとるとき、必ずしも合理的な判断だけで決めているわけではない。むしろ多くの場合、心の奥底にある感情や無意識の欲求が先に反応し、その後に理屈が追いついている。つまり「売る」という行為の本質は、相手を説得することではなく、「買いたくなる心理」を自然に引き出すことにある。そこに働いているのが「心を動かす見えないスイッチ」だ。その正体のひとつは「共感」である。人は自分を理解してくれる相手に心を開きやすい。営業や広告においても、相手の悩みや望みを言葉にして代弁してあげるだけで、「自分のことを分かってくれている」という感覚が生まれ、信頼が築かれる。この共感がスイッチとなり、商品やサービスへの関心を強めていく。もうひとつは「社会的証明」だ。多くの人が選んでいるものは安全で間違いがないと感じるのが人間の習性である。行列のできる店、口コミの評価、著名人の推薦。これらはすべて人の心理に働きかける見えない力であり、「みんなが良いと言っているなら自分も」という気持ちを呼び起こす。さらに「希少性」も強力なスイッチだ。「残りわずか」「期間限定」という言葉が人を急かすのは、失うことへの恐れが購買欲を刺激するからだ。人は得をするよりも損を避けたいという傾向が強いため、「今逃すと二度と手に入らない」という状況は、強い決断を促す。そして最後に「自己実現欲求」も見逃せない。単なる物やサービスではなく、「それを手に入れることで自分がどう変わるか」を想像できる時、人は最も深く心を動かされる。例えば、健康食品を買うのは栄養成分そのものではなく、「元気に暮らせる自分」「若々しく見られる自分」を求めているからである。この未来像を鮮明に描かせることができれば、購買は自然に生まれる。結局のところ、「見えないスイッチ」とは、人間の中に普遍的に備わった心理の仕組みそのもの。共感、安心感、希少性、自己実現――これらを刺激することで、人は「買わされる」のではなく「買いたくなる」。売ることとは、このスイッチをそっと押す技術であり、相手の心を尊重したうえで背中を押す行為にほかならない。心理学を知ることは、商品を売るためだけでなく、人間理解を深め、よりよい関係性を築く道でもあるのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆外気温34℃、昼は素麺を茹でました。水洗いして氷水で締めた素麺をよく冷えたミョウガを2ヶを刻んで麺つゆに入れれば完成です。 暑い日だからこそ、美味しく食べる工夫すれば暑さも趣向になると云うもの。
2025/08/20
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しゃべり方の上手い下手によって伝わり方が全く違ってくる。朗読とまではいいませんが、詩吟でも基本に読みがあります。そんなわけで、滑舌が著しく悪い講義や講話を聞かされると、残念ながら興味が失せるわけです。時間にして2〜3分の吟でも、どう吟じるかはどう伝えるかなのです。その2〜3分の吟を半年かけて表現力に磨きをかけるわけです。先日、大学教授の講義を聞きながら、伝え方、伝わり方を真剣に学んだか、意識してやっているか、甚だ疑問に感じながら聴いた。日ごろ接している詩吟の先生のレベルが高いのでその反動であろうか。伝えるという行為は、単なる言葉のやり取りにとどまりません。そこには、話し手の意図、感情、さらには人間性までもがにじみ出ます。だからこそ、同じ内容を語っても、人によって「響く」「響かない」の差が生まれるのです。たとえば、歴史の一場面を語るにしても、教科書を棒読みするのと、自らがその時代に生きていたかのように語るのとでは、聞き手の心の動きは雲泥の差です。伝え方を磨くには、まず「相手に届くこと」を最優先に考える必要があります。そのためには、滑舌や発声といった技術面の向上はもちろん、間の取り方や声の抑揚、さらには視線や身振りまで意識する必要があります。朗読や詩吟の世界では、短い一節に命を吹き込むために、呼吸や間を徹底的に稽古します。それは、ただ美しく吟じるためではなく、聞き手の胸に響かせるためです。この「響かせる」という意識こそ、日常の会話や講義にも欠かせない要素ではないでしょうか。しかし現実には、多くの講義やプレゼンテーションが「伝える」ではなく「話す」だけに終わっていることがあります。これは、話し手が「自分の言いたいこと」を優先し、相手の理解や感情を置き去りにしているからです。本来、伝えるとは、相手に合わせて言葉を選び、例えを交え、テンポを調整する作業です。聞き手が眠気を催すのは、決して内容が難しいからではなく、伝え方に工夫がないからです。また、伝わり方は、話し手の熱量にも比例します。心を動かされた体験を語る人の言葉には、自然と力があります。それは、声の大きさや派手なジェスチャーではなく、心の奥底から湧き出る真実味です。この「熱」をどう表現するかは、練習や経験を重ねてこそ身につきます。詩吟で半年かけて一篇を磨き上げるのも、この熱と技を一致させるためなのです。結局のところ、伝え方を磨くとは、人間力を磨くことにほかなりません。誠実さ、熱意、そして相手への思いやり。その三つが揃ったとき、言葉は生きた力を持ち、聞き手の心を動かします。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆実践的な伝え方のポイント1️⃣ 声の明瞭さと滑舌どれほど素晴らしい内容でも、聞き取れなければ意味がありません。母音をしっかり発音する練習、口を大きく開ける意識を持ちましょう。特にオンライン講義やマイクを通す場合、より明確な発音が求められます。2️⃣ 間の取り方間は沈黙ではなく、言葉を生かすための「呼吸」です。重要な言葉の前に一拍置くと、聞き手は「何が来るのだろう」と集中します。詩吟の間の妙は、日常会話や講演にも活かせます。3️⃣ 抑揚とリズム単調な話は退屈を招きます。声の高さや強弱をつけることで、話に立体感が生まれます。例えば、「大切なのは――」と少し低く落とし、次に強調する言葉を力強く言う。このリズムが聞き手の注意を引きます。4️⃣ 視線と表情伝えるのは言葉だけではありません。視線は「あなたに話しています」というサインです。笑顔や真剣な表情を使い分けると、言葉の意味がより深く伝わります。5️⃣ 具体例とイメージ抽象的な言葉だけでは、聞き手の記憶に残りません。「伝え方が大切」ではなく、「同じ内容でも語り方で結果が変わる。たとえば…」と身近な例を添えましょう。6️⃣ 声に「熱」を込める熱意は必ず声に表れます。単なる情報伝達でなく、「なぜこれを伝えたいのか」を自分の中で明確にし、その想いを声に乗せることです。 ーーーーーーーーー🔲 ザ・レスポンス 現代広告の心理技術101🔲 ゴーヤチャンプルは飽きてきたので、これ発見【ゴーヤはこうして食べてみて!】「巻くだけで白米3杯ペロリ」「夏中ずっと作りたい」家族みんなに大好評のゴーヤの簡単おかずレシピhttps://l.smartnews.com/m-61RGvlYI/WyYenZ
2025/08/19
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一度きりの人生は「面白いことをする人の勝ち」そう胸の張れる生き方を応援してあげたいと医師で作家である鎌田實さんは言っておられます。人生を味わい尽くせ❗️と、、、一般的に、歳を重ねると病気も出てきたりして、もうこれ位でいいかと諦めが首をもたげてきます。健康不安が人を消極的にさせるわけです。よって老後対策は一般的に健康対策、健康一番と云ったところになってはいないでしょうか。「面白いことをやる人の勝ち」鎌田實さんが言うように、一度きりの人生は「面白いことをする人の勝ち」だ。そう胸を張って言える生き方を、私たちはしているだろうか。歳を重ねると、誰もが口にする。「もう、これくらいでいいか」と。病気が顔を出し、体の衰えを実感するたびに、心は少しずつ守りに入る。やりたいことを頭の隅に押し込み、「無理をしない」ことを正義にしてしまう。その結果、日々は安全だが、退屈だ。だが、人生は退屈するためにあるわけじゃない。「面白いことをやる」――この一言が、あなたの老後を決定づける。では、面白いことに挑める人とは、どんな人なのか。彼らは、まず好奇心が強い。「知らない世界」に出会うことを恐れず、むしろ楽しむ。新しい趣味? やってみよう。行ったことのない場所? 足を運んでみよう。その小さなワクワクを大切にしている。そして、柔軟だ。「失敗したら恥ずかしい」なんて思わない。むしろ、笑い話のネタになるじゃないか、と軽やかに考える。この柔軟さこそが、年齢を重ねても行動できる秘訣だ。さらに、体を大事にしている。健康はチャレンジのエンジンだ。歩けるうちに、元気なうちに――そう考えて、体を労わりながら動く。そして彼らは、人とのつながりを大切にする。面白いことは、たいてい人と一緒にいるときに生まれる。オープンマインドで笑い合える仲間を持つこと、それが人生のスパイスだ。最後に、彼らは「今」を生きている。「老後のために…」「そのうち…」なんて言葉はない。「やりたいなら、今やる」。その覚悟が、人生を面白くする。面白いことに挑む人は、特別な才能を持っているわけじゃない。ただ、「やってみたい」という気持ちに素直なだけだ。そしてその素直さが、人生を最後まで輝かせるのだ。さあ、あなたの「面白いこと」は、なんだ?――やるなら、今だ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆人生を「面白く生きる」人たちは、「何か面白いことが起きないかな」と待つよりも、自分で面白さの種をまき、育てるタイプです。だから、同じ出来事でも“退屈”ではなく“物語の一部”として楽しめるわけですね。共通する点は、必ずしも同じ環境や才能を持っているわけではありませんが、考え方や行動のパターンにはかなり似た特徴があります。整理すると、こんな共通点が見られます。1. 好奇心が旺盛新しいことを知る・試すことを楽しむ。失敗を恐れるより「とりあえずやってみよう」という姿勢。興味の幅が広く、世の中の出来事を「ネタ」に変えてしまう。好奇心が旺盛な人は、日常の中に無数の発見を見つけます。それは特別な才能ではなく、「知りたい」という心のセンサーを常にオンにしているだけです。目の前の物事や出来事を「あたりまえ」と思わず、「なぜ?」「どうして?」と問いかける姿勢が、世界を広げる扉を開きます。好奇心は、大きな冒険だけでなく、小さな選択にも現れます。通い慣れた道の脇道を歩いてみる、スーパーで見かけた未知の食材を買ってみる、知らない言葉をすぐに調べる──こうした行動は一見些細ですが、毎日の景色に彩りを加えます。やってみた結果が期待外れでも、それは「経験」という形で自分の引き出しに収まります。また、好奇心は人との関係を深める力にもなります。相手の話に耳を傾け、「もっと聞かせて」と興味を示すことで、相手は自分の世界を安心して開いてくれます。そこから生まれる会話や縁は、好奇心を持たなければ出会えなかったものです。好奇心が旺盛な人は、未知を恐れるよりも面白がります。「知らない」という状態は不安を伴うこともありますが、それ以上に「これから知れる」期待感を大切にします。その姿勢は、学びや挑戦を自然と増やし、人生の幅を広げ続けます。この力を育てるには、「正解を急がない」ことが大切です。すぐに答えを求めるのではなく、調べたり試したりする過程そのものを楽しむのです。そうすると、好奇心は一時的な興味で終わらず、長く続くエネルギー源になります。好奇心は年齢とともに衰えるものではありません。むしろ、自分で世界を狭めない限り、いくつになっても育てられます。日々の中で少しでも「気になる」を見つけたら、それを追いかける。そんな小さな積み重ねが、人生を面白くし続ける原動力になるのです。2. 柔軟な発想とユーモア固定観念にとらわれず、物事を違う角度から見る。困難や失敗も笑い話に変えてしまう。「面白いことが起きる条件」を自分で作り出す。柔軟な発想とユーモアは、人生を軽やかにし、困難すらも面白さへと変える力です。固定観念にとらわれず、物事を多角的に見る視点があれば、同じ出来事でも意味や価値を新しくつくり出せます。たとえば、予定していた計画が崩れたとき、「もうダメだ」と嘆く代わりに「じゃあ別の楽しみ方を探そう」と切り替える人は、環境に左右されにくくなります。柔軟な発想とは、予想外の事態を遊びの延長のように受け止める態度でもあります。ここにユーモアが加わると、さらに人生は面白くなります。ユーモアは単なる冗談や笑い話ではなく、状況に対する心の余裕の表れです。失敗やトラブルを笑い話にできる人は、自分を守る鎧を軽くし、周囲の緊張を和らげます。その場の空気が変わると、人間関係や仕事の流れまでもが良い方向へ動くことがあります。柔軟な発想とユーモアを磨くには、日常で小さな“視点の変換”を意識すると効果的です。「もしこれを逆から見たら?」「動物だったらどうする?」といった遊び心のある問いを投げかけることで、頭の中の思考パターンがほぐれます。こうした発想の柔らかさは、習慣によって確実に鍛えられます。また、ユーモアは「自分も笑われる側に回れる」心の柔らかさから生まれます。自分の失敗を隠すより、「こんなことやっちゃいました」と共有するほうが、人との距離は一気に縮まります。これは自己否定ではなく、状況を軽く扱える力であり、人生を楽しむための重要な武器です。世の中は思い通りにならないことの連続ですが、柔軟な発想とユーモアがあれば、それらは“予定外のギフト”に変わります。それは、変化の多い時代をしなやかに渡っていくための、そして毎日を面白く生きるための、かけがえのないスキルなのです。3. 人との関わりを楽しむ初対面の人とも壁を作らず会話を楽しむ。人を観察し、面白いエピソードや視点を引き出す。人間関係を“義務”ではなく“遊び”や“冒険”のように捉える。人生の豊かさは、人との関わり方によって大きく変わります。面白く生きる人は、人付き合いを義務や消耗としてではなく、「発見の場」「物語の種」として楽しみます。人は一人ひとり異なる経験や価値観を持ち、その中には自分では思いつかない視点やエピソードが眠っています。それに触れることは、旅先で知らない景色に出会うのと同じくらい刺激的です。この姿勢を持つ人は、初対面でも警戒心より好奇心が先に立ちます。「この人はどんな物語を持っているのだろう」と思いながら接すれば、会話は情報交換ではなく、互いの世界を行き来する小さな冒険になります。相手の話に耳を傾けるときも、ただ聞くのではなく、その背景や感情に興味を持つことで、思わぬ面白さが引き出されます。もちろん、すべての人間関係が楽しいわけではありません。合わない相手や疲れる会話もあります。しかし、面白く生きる人はそこで「損得」や「好き嫌い」だけで判断しません。むしろ、「このやりとりから何を学べるか」「どんな見方をすれば面白くなるか」と視点を変え、関係性を自分なりに編集します。その柔らかさが、人間関係を広く、そして長く保つ秘訣です。さらに、人との関わりを楽しむ人は、自分から小さな働きかけをします。笑顔で挨拶する、ちょっとした感謝を言葉にする、軽い冗談で空気を和らげる──こうした小さな行動が相手の心を開きます。そして、その積み重ねが新しい縁や偶然のチャンスを呼び込むのです。人間関係は、避けようと思えばある程度避けられます。しかし、そこに喜びや好奇心を見いだす人は、日々の出会いを通じて人生の幅を何倍にも広げています。人との関わりを楽しみにできるということは、世界を自分ひとりの枠で閉じず、他者を通じて常に新しい景色を見に行くことにほかなりません。それは、人生を面白くする最も身近で、最も豊かな方法なのです。4. 挑戦を日常化している新しい環境に身を置くことを面倒がらない。旅行・趣味・学び直しなど、行動のバリエーションが多い。「何歳になっても変われる」と信じている。挑戦というと、大きな目標や劇的な出来事を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、人生を面白く生きる人は、挑戦を特別な行事にしません。むしろ、日常の中に小さな挑戦を組み込み、自然に続けています。挑戦を日常化するとは、特別な覚悟や準備を必要とせず、「ちょっとやってみる」を生活の一部にすることです。大きな挑戦は年に数回しかできませんが、小さな挑戦なら毎日できます。たとえば、普段通らない道を歩いてみる、初めての料理を作ってみる、苦手な人に自分から声をかけてみる──こうした行動は一見ささやかでも、自分の枠を少しずつ広げる効果があります。やってみなければ結果はわからず、その「わからなさ」こそが日々を面白くします。挑戦を日常化できる人は、失敗への見方が柔らかいのも特徴です。うまくいかなくても、それを「経験値」や「次のネタ」として受け止めます。これにより、挑戦への心理的ハードルが低くなり、行動の回数が増えます。挑戦を重ねるたびに「自分は変われる」という自己効力感が高まり、さらに次の挑戦を呼び込む好循環が生まれるのです。また、挑戦を日常に溶け込ませる人は、自分なりのルールや仕掛けを作ります。毎週1回は初めての店に行く、月に1冊は未知のジャンルの本を読むなど、挑戦をスケジュール化するのです。これは、意志の力に頼らず習慣化するための知恵でもあります。人生は、何もしなければ昨日と同じ景色が続くだけです。ですが、小さな挑戦を積み重ねれば、景色は少しずつ変わり、自分の物語にも新しい章が加わります。挑戦は未来の自分への投資であり、同時に今日を面白くする最高のスパイスなのです。5. 意味づけのセンスがある何気ない出来事にも、自分なりの物語や価値を見いだす。苦労や不運も「後で面白いネタになる」と捉える。過去を悔やむより、未来への話のタネとして使う。人生を面白く生きる人には、出来事に意味を与える独特のセンスがあります。同じ出来事でも、それをどう受け止めるかで、感じ方や行動は大きく変わります。たとえば、雨の日を「予定が台無し」と嘆くか、「静かに読書できるチャンス」と喜ぶかで、その日の満足度はまったく違うものになるでしょう。意味づけのセンスとは、出来事に自分なりの物語や価値を与え、前向きなエネルギーに変える力です。この力を持つ人は、必ずしも恵まれた環境にいるわけではありません。むしろ、困難や失敗すらも「あとで面白いネタになる」「この経験があったからこそ成長できた」と捉え、次につなげます。それは現実を無理にポジティブに飾ることではなく、出来事の中に自分なりの意味を見出す知恵です。意味づけの仕方を選べる人は、外部環境に振り回されにくく、日々を軽やかに過ごせます。また、このセンスは単なる「気持ちの切り替え」以上のものです。意味を与える行為は、経験を記憶の中で整理し、自分の人生の物語として位置づける作業でもあります。たとえば、偶然の出会いを「運命的な転機」として語れば、その出来事は特別な価値を持ち、記憶にも深く刻まれます。逆に、何の意味も与えなければ、それはただ通り過ぎた日常の一コマでしかありません。意味づけのセンスを磨く方法は、日常の中に無限にあります。日記やSNSで出来事を物語風に記録する、会話でユーモアを交えて語る、過去の経験を振り返って「この出来事がなかったら今の自分はなかった」と考えてみる──こうした習慣が、意味づけの感度を高めます。結局のところ、私たちは出来事そのものを完全には選べません。しかし、その出来事をどう解釈し、どんな意味を持たせるかは、自分の自由です。意味づけのセンスがある人は、その自由を存分に活用し、自分の人生をただの時系列ではなく、豊かな物語として紡ぎ出しているのです。6. “ご機嫌”を自分で作れる天気や他人の機嫌に左右されすぎない。小さな楽しみ(コーヒー、散歩、音楽など)を日常に散りばめる。気持ちが沈んだ時の立て直し方を知っている。私たちの気分は、天気や他人の態度、予期せぬ出来事に影響を受けやすいものです。朝から雨が降っているだけで憂うつになったり、誰かの一言で一日中気分が沈んだりすることもあります。しかし、人生を「面白く生きる」人たちは、この気分の浮き沈みに完全に振り回されることがありません。なぜなら、彼らは「ご機嫌を自分でつくる」術を持っているからです。ご機嫌は、外から与えられるものだけではありません。むしろ、自分の心のスイッチを知り、それを押せる人こそが、日常を軽やかに楽しめるのです。たとえば、美味しいコーヒーを淹れて香りをゆっくり味わう、好きな音楽を一曲だけ聴く、近所を10分散歩する──そんな小さな行動で気分は変わります。重要なのは、機嫌を直すきっかけを「外部の条件」ではなく「自分の選択」に委ねることです。また、自分をご機嫌にするためには「自分の取扱説明書」を知ることが欠かせません。どんな時に元気が出るのか、何をすると気分が軽くなるのかを日頃から観察し、ストックしておくのです。人によっては、軽い運動や掃除で達成感を得ることかもしれませんし、誰かとの雑談で笑うことかもしれません。こうした“ご機嫌リスト”を持っている人は、落ち込んだ時の回復が早く、周囲の人にも好影響を与えます。もちろん、人生には避けられない不安や悲しみもあります。しかし、「どうせなら気分よく過ごしたほうが得だ」と割り切れる人は、出来事の意味づけも柔らかくなります。大事なのは「ご機嫌でいること」を自己中心的な楽しみではなく、日々を面白くするための土台として捉えることです。ご機嫌は、単なる感情の状態ではなく、自分の人生を自分でデザインする力の一部なのです。こういう人たちはいずれも、自ら率先して面白いことを見いだす事が習い性になってしまっている。面白い事の芽を見つけ育てるタイプであり、些細な事も楽しみに転換してしまう術を心得ているから楽しみ創造者となっている。
2025/08/18
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美味いカツ丼を食べながら思ったことですが、味付けせずに肉だけ焼いて旨いか⁉️これって適度な醤油風味の味付け調理があってこそではないかと。絶妙な甘辛醤油味が添えられてこそのカツ丼ではないかと思ったわけです。その証拠に別の店でカツ丼を食べてみたのですが、こちらのカツ丼の方が数段美味い。何が違うかと言えば味付けです。調理方法です。食べ比べてみれば一目瞭然ですね。世の中、比べてみれば、その差がわかると云うものです。味の好みは人それぞれで有りましょうが、人それぞれの味好みの結果があるわけです。かつて大航海時代に列強ヨーロッパの海沿いの国々は、胡椒を金と交換するほどの価値交換したほどだったと云う、肉の味付けに胡椒が貴重品だった時代です。 ーーーーーーー美味い料理には、素材の持ち味を生かしながらも、調味料という名の“影の立役者”が存在する。カツ丼の甘辛醤油のように、味の輪郭を際立たせ、香りを加え、記憶に残る一口を生み出すのは、やはりそのひとさじの工夫だ。素材そのものも大切だが、無味の肉や野菜に塩ひとつ加えるだけで、まるで別物の世界が開ける。この変化こそ、調味料の魔力である。歴史を振り返れば、胡椒やシナモン、クローブといった香辛料は、かつて海を越えて命がけで運ばれた。それは単に風味のためだけではない。冷蔵庫のない時代、肉や魚の保存性を高め、臭みを消し、食中毒を防ぐ役割も担っていた。だからこそ、胡椒は金と等価で取引されるほど価値があったのだ。現代の私たちはスーパーで簡単に手に入るが、その背景には壮大な歴史がある。和の世界でも、味噌や醤油、みりん、酢といった調味料は、日本人の食文化の骨格を形作ってきた。特に醤油は、素材に深みとコクを与え、香ばしい香りが食欲を誘う。ほんの数滴で料理の印象を変える力は、まるで料理人の筆先が描く最後のひと筆のようだ。砂糖やみりんを合わせれば甘辛の調和が生まれ、酢を足せばさっぱりと引き締まる。また、調味料は単なる味付け以上に、「記憶の触媒」でもある。子どもの頃に食べた煮物の味、旅行先で出会った郷土料理の香り──それらは舌の上だけでなく、心に残る。人はその記憶をたどって「また食べたい」と思う。そしてその再現のために、同じ調味料や配合を探し求めるのである。素材を活かす調味は、時に控えめに、時に大胆に。足しすぎれば本来の旨味を覆い隠し、少なすぎれば物足りなさを残す。絶妙な加減を見極めるのは、経験と感性の賜物だ。カツ丼における甘辛醤油のように、調味料は主役を輝かせる名脇役であり、料理の完成度を決定づける最後の一手なのである。そこで重要になるのが「黄金比」だ。たとえば甘辛煮なら「醤油1:みりん1:砂糖0.5」、酢豚の甘酢あんなら「酢1:砂糖1:醤油1」、照り焼きなら「醤油2:みりん2:酒2:砂糖1」が基本形。この比率を押さえておけば、家庭でも安定した味が出せる。そして黄金比は、口にする人の好みに合わせて少しずつ調整していくのがコツだ。さらに家庭で再現する際には、「火加減」と「仕上げのタイミング」が味を左右する。煮物は沸騰させすぎず、弱火でじっくり含ませる。炒め物は強火で一気に仕上げ、香りを飛ばさない。盛り付け直前に香味油や粉山椒をひとふりすれば、香りが立ち、食欲を一層かき立てる。調味料は、ただの“味のつけ足し”ではない。黄金比と加減の妙を知れば、日常の食卓が驚くほど豊かに変わる。そしてその一皿は、誰かの心に残る味となり、長く記憶に生き続けるのである。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆この一連の話から、ふと思い出すのは、母がつくってくれた粒餡入りの饅頭だ。ふくらし粉は、試験管のような細いガラス瓶に入って、近所の雑貨屋の棚に横たわっていた。あの瓶の先をコンコンと叩くと、白い粉が少しずつ出てくる──その様子まで、今も目に浮かぶ。饅頭は、家の竈門に掛けられた蒸篭で蒸し上げられた自家製。薄皮の上品なものではなく、ふかふかと厚みのある衣に、やや甘めの餡子がぎっしり詰まっていた。作ってくれたのは、記憶ではせいぜい四、五回だったろうか。それでも、半世紀以上経った今も、湯気の匂いや手触りまで鮮やかに蘇る。母がどこで饅頭の作り方を覚えたのか、当時も今も謎のままだ。そんな記憶に突き動かされ、あるとき私は車を走らせた。webで調べると、いわき市田人や栃木県佐野市に「重曹饅頭」があると知り、居ても立ってもいられず買い求めに向かったのだ。蒸したてを手に取り、期待に胸を膨らませてかぶりつく。しかし、確かに美味しいのだが、どこかが違う。生地の厚み、餡の甘さ、蒸し上がりの香り──似ているのに、あの頃の味ではない。材料も作り方もそう大きく違わないはずなのに、どうしても届かないものがある。それは、母の手の温もりや、家の竈門から立ち上る湯気、冬の冷たい空気と甘い香りが入り混じった台所の空気感なのだろう。食べ物の記憶は、味だけでなく、そのときの情景や感情ごと心に刻まれる。だからこそ、半世紀を経てもあの饅頭は私の中で色褪せない。たとえ同じ配合で作っても、あの日の空気までは再現できないのだ。それでも、ふと思い出したとき、またあの味を探しに車を走らせる──それもまた、私なりの母への想いの形なのかもしれない。
2025/08/17
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高校を卒業して、浦和市内の新聞販売店の2階に下宿した。今、地図検索すると群馬の実家から浦和までの距離は62kmほどであることがすぐわかります。当時は、埼玉県の県庁所在地の浦和市は群馬からだいぶ距離が有ると思い続けていたのだった。居ながらにしてスマホで知りたい情報がすぐに凡そ辿り着ける便利な時代になりました。かつて内モンゴルに誘われて旅に出たことがあった。中国の奥地です。ウランバートル出身のツァーコンダクター引率で約10名ほどだったでしょうか。彼にとってはどうってことはない旅路ですが初めての長旅の私は驚きの連続でした。それ以来、国内移動はさほど気にならなくなりました。あのモンゴルへの旅で意識変革が起きたのでしょうね。それ以来、国内の移動はさほど気にならなくなりました。思い込みとは、自分では気づかないうちに心の中に築いてしまった「見えない壁」のようなものです。浦和までが遠いと思っていたのも、実際に地図を見ればそう遠くはないとすぐに理解できるのに、当時の自分には「県境を越える=大ごと」という感覚が染みついていたのでしょう。それは決して自分だけに限ったことではなく、人は誰しもそうした「枠組み」の中で生きています。ところが、一度でもその枠が壊れるような体験をすると、世界の見え方は一変します。内モンゴルへの旅がまさにそうでした。乾いた草原、延々と続く道、天と地しかないような大地。そのスケールの大きさに触れたとき、これまで自分が抱えていた「遠い」「大変だ」「無理だ」といった感覚が、いかに小さなものだったかを痛感しました。言葉も文化も違う場所で、現地の人々と笑い合い、移動し、食事をともにしたことで、見知らぬ世界を怖がる気持ちが消えていったのです。それは単なる「距離」や「旅の不安」の話ではありませんでした。本質的には、「自分で自分を縛っていたもの」から解放された、という感覚に近いのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、それは人生の舵を自分の手に戻すような、そんな確かな感覚でした。以後、知らない場所でも堂々と歩けるようになり、「どこへでも行ける」「なんとかなるだろう」と思えるようになりました。思い込みから自由になるというのは、実は新たな可能性の扉を開くことなのです。誰もが心の中に、知らず知らずのうちに制限を設けています。「この歳では無理だ」「自分には向いていない」「そんなことはできっこない」と。けれど、その制限を一つ外しただけで、人生が大きく動き出すこともあります。内モンゴルで感じたあの風、果てしない空は、いまも心の中に残っていて、何か新しい挑戦に臨むたびに背中を押してくれるのです。人生は、思い込みに気づくことから動き出すのかもしれません。そして、気づきさえすれば、その枠を破る力は誰の中にも宿っています。あなたの中にも、もちろん私の中にも。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆鴨肉がスーパーで半額になっていたので鴨肉で、味噌ラーメンをつくることにした。麺は冷蔵庫にあったのを確認したから大丈夫。野菜はモヤシがイイね。3年味噌と醤油をブレンド。鴨肉はフライパンで両面焼いて焼き立てを最後にトッピングした次第。昨今は、美味い味噌をあわせ味噌などでやればそこそこ美味い味噌ラーメンが意外や簡単にできるのだ。🔷 AIを学ぶサイトに参加
2025/08/16
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どんな職業には、これだけは外せないポイントというものがある。肝腎要、これが一丁目一番地と云う芯であり、大黒柱。政治家であれば、選挙に勝つ。負ければ只の人。関取ならば、勝ち星。負ければ番付が下がる。棋士ならば、相手に勝つ。勝てなくなったら引退。大工であったら、道具を大事に扱う、手入れをする。道具を見れば腕がわかると言われた。「 これだけは、外せないポイント」とは、優先順位第一位の項目です。【 これだけは外せないポイント】というものは、あらゆる職業や分野において存在する。その職業の「肝」とも言えるもので、これをおろそかにしてしまえば、どれだけその他のことに長けていても信用は得られないし、成果も上がらない。料理人であれば「衛生」が第一である。どんなに味がよくても、調理場が不潔であれば客は遠のく。プロの料理人は包丁の切れ味と同様に、爪の先やまな板の手入れまで気を配る。「美味い」よりも「安全」を先に置くのが、職の基本である。教師ならば、「子どもを信じる心」が外せない。知識を詰め込むことよりも、相手の可能性を信じて根気よく向き合う姿勢こそが教育の芯となる。教える内容が同じでも、その根にある愛情や信念が違えば、子どもの心には届かない。商人であれば、「信用」が最重要だ。安く売る、高く売る以前に、「この人からなら買ってもいい」と思ってもらえるかどうか。口先の巧さよりも、約束を守り、誠実に応対することが一丁目一番地となる。信用なくして商売は成り立たない。芸人ならば、「人を楽しませる心意気」。笑いの技術や演出よりも、「目の前の客をどう喜ばせるか」という執念が必要だ。自己満足の芸ではなく、相手の反応を見極めながら場を作る力量。場数や経験が必要になるのもこの部分である。職業にかかわらず、「これだけは」という芯を持っている人は、迷わない。何かに迷った時、判断に困った時、立ち返る「原点」がそこにある。それがあるから、逆境にも強くなる。枝葉にとらわれず、本質を見失わないための「柱」が、それぞれの職の中に一本、確かに立っているのである。https://utage-system.com/p/ugXFNPw68MgK?openExternalBrowser=1 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆萬壽園(郡山市安積町日出山一本松211)回鍋肉(ホイコーロー)定食 ¥950回鍋肉の美味い味付けは甜麺醤(テンメンジャン)であろう。名古屋の八丁味噌に似ている、八丁味噌が甜麺醤に似ているということか。いずれにしても此処はいつ来てもほぼ満席だ。中華定食がよりどりみどりなのです。 #ランチ #町中華
2025/08/15
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あなたの目の前の現実は「あなたが何に焦点を合わせるかによって、あなたの現実は変わる」別の言い方をすれば「あなたは何を意識するか、何に関心を寄せているかによって見えてくるものが変わる」意識、関心の度合いがレンズの焦点合わせのようなものなのだ。ですから映像化する、よりリアルにわかるようにして置くと良いことになる。完成予想図がいい例です。設計図を描いてそこに完成予想図を添えれば大概にその通りになるではないですか。そのあとは具体的に動き始める。また、シュミレーション(予行演習)してみることも。シュミレーションしてみるとどこが不足しているか自覚する。予定表をタイムスケジュール化したものを紙に書き出してみる。完遂するのに必要なものを書きだしてチェックし確認しておく。準備万端整えるわけです。何にフォーカスし続けるかで、結果は大きく変わります。【 現実化を可能にする秘訣 】現実化を可能にする秘訣は、まず「意識のフォーカス」を明確にし、それを持続させることです。意識がどこに向いているか、それがすべての始まりです。あなたが何を見て、何を感じ、何に価値を見出しているのか――それがやがて「現実」となって目の前に現れてきます。ですから、最初にするべきことは、自分が本当に望むものを明確にすることです。それがぼんやりしていては、現実もまたぼんやりとしたままになります。たとえば、「こうなりたい」「これを実現したい」と思ったとき、その思いを単なる願望で終わらせず、設計図に落とし込む必要があります。紙に書いて視覚化する。可能なら図やイメージ、言葉にして、目に見える形で残しておく。これが「完成予想図」にあたります。そして、毎日それを見ることで、自分の意識が自然とそこにフォーカスされ続けるようになるのです。さらに大切なのは、その完成予想図に「感情」を伴わせることです。ただ思い描くだけでなく、それが実現したときの喜び、達成感、感謝といった感情を、できる限りリアルに先取りして味わうこと。感情が伴うイメージは、脳にとって強烈に焼きつきます。まるで実際に体験したかのように、身体がその未来に向かって動き出すようになるのです。そして、最後に必要なのは「具体的行動」です。どんなに思い描いても、どんなに強く願っても、動かなければ何も始まりません。小さな一歩でもいい。電話を一本かける、情報を一つ調べる、誰かに話してみる。そんな些細な行動の積み重ねが、現実の歯車を回し始めるのです。その極意とは 意識を明確にし、イメージを描き、感情を込め、行動する。この4つが揃ったとき、「思い」が「現実」となって、あなたの前に現れる確率がグッと高くなるわけです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆🔲 iPad Air に切り替えてから19日目、どうにか安定的に操作できるようになりました。8割がた位でしょうか。日常使いには慣れてきたということですね。使っているうちに慣れてくるというやつです。課題も残っています。あとはAIに訊きながらでも攻略してゆきましょうか。使っている途中に、さてどうしようと、立ち往生する局面が無くなったということですね。まだスマホから電波を飛ばして操作するデザリングを試していない。慣れるまで以前のようにwifiを頼りに使っているわけです。ChatGPTの登場で、操作上で解らなくなれば、訊ねれば何とかなるだろうと頼りになる。また先行きのビジョン実現の補佐役としても期待できるわけです。今までのいろんなweb機能の出現があったが群を抜いてお役立ちが期待できるといえるだろう。🔲 昼はじゅうねんうどん(乾麺)を茹でて宮崎の冷や汁風に鯖の缶詰め&ミョウガを刻んで付け汁です。夜はご飯に冷や汁かけて食べることにしましょうか。ミョウガを庭でもう一度捜してみよう。夜は豆腐ときゅうりと胡麻も加えるのだ。
2025/08/14
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蚊に喰われる瞬間とは、、、針を刺してから脚を固定するのかと思われるくらい触れたかと思う位で離れたのに、痒みは出てくるし、しばらくすると膨らんでくる。 刺すと同時に血液サラサラにして吸いこみやすくすると聞いたことある、いちはやく着地前に針を刺してるのか、着地と同時に刺してる。 どうなのだろうかと生成AIに訊ねてみた。蚊の刺す瞬間は、想像よりもずっと「高速&同時進行」です。実際の動きはこんな感じです👇1. 着地とほぼ同時に刺す。蚊は足先に極めて敏感なセンサーを持っており、皮膚に着地する瞬間にはもう「刺す準備モード」に入っています。着地したとき、脚で皮膚の弾力や温度をチェックしながら、ほぼ同時に口器(針)を皮膚に差し込み始めます。どうりで、すぐに手で追払っても、まもなく痒みと皮膚の盛り上がり&赤くなる。その訳がAIに訊ねてよくわかった。生き血を吸って卵を産むためにメスの蚊だけが刺すと知った。生命を産み出だすための工夫は凄いものがある。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆丸亀製麺。 初物に挑戦です。「揚げ豆腐の煮浸し」ちょっとしたものでも初めての物って、少しスリリング👍挑戦してみないとどんな味かわからないわけです。これは当たり🎯たまにはアクセントとしていいね❗️
2025/08/13
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現在、登山・詩吟・カラオケ・川柳と趣味の会に4つほど参加。きっかけはいずれも些細なことから始まりました。最初の詩吟などでは、初めてまもない頃は、あれ声が出ない、声を出すことは息を吐くわけです。吸うことを忘れて、吐く息がなくなって声が出ないことに気づかない状況でした。笑い話レベルでしたが続けてゆくうちに場馴れしてゆき、声をだす筋肉を鍛えたりして、気がついたら同時期に習い始めたメンバーでコンクールで最初に入賞するようになりました。次はどうしたらいいだろうかの研究課題を見つけ克服する楽しみになってゆくわけです。カラオケは苦手中の苦手であったのですが、詩吟で声を出すのだから、どうにかなるかも知れないと思いスタート。1年も続けてゆくとマイクを握る手にも汗をかかなくなり場馴れしてくるのです。趣味の稽古事から学ぶことは、単なる技術の上達にとどまらず、自分自身の内面と向き合う貴重な時間でもあります。詩吟やカラオケ、川柳といった異なるジャンルに取り組むなかで共通しているのは、「続けることで見えてくるものがある」ということです。最初はうまくいかない、恥ずかしさもある、でもその壁を越えた先にあるものは、自信と楽しさ、そして新しい自分との出会いです。詩吟では、声を出すためには呼吸の整え方、体の使い方に意識を向ける必要がありました。これは単に声を出すという行為を超えて、身体全体を調律するような感覚です。無意識にしていた「呼吸」を意識することで、自分の身体の癖や弱点にも気づき、それを整える訓練にもなります。こうしたことは日常生活にも活きてきます。人前で話すときの落ち着き方、緊張したときの呼吸の整え方など、知らず知らずのうちに身についていきます。またカラオケを通して得たものは、自己表現の大切さです。最初は人前で歌うことに戸惑いがありましたが、続けることで「自分の声」に少しずつ自信が持てるようになりました。上手に歌うことだけが目的ではなく、自分の気持ちを音に乗せて伝えるという行為にこそ意味があるのだと気づかされたのです。緊張で震えていた手も、いつしか安定し、声の震えも喜びの感情に変わっていきました。そして川柳では、日々の何気ない出来事に目を向ける力が養われます。日常に潜む可笑しみや、人生の機微を17音に凝縮する作業は、まさに心の整理であり、言葉による気づきの積み重ねです。自分の感情や思いを「ことば」に変換する力は、他人との関わりにも変化をもたらしました。言葉を大事にすることで、コミュニケーションがより丁寧になり、人とのつながりが深くなったと感じます。こうして見ていくと、稽古事とは「技術を磨く場」であると同時に「自分を整える場」でもあります。新しいことに挑戦し、失敗を重ねながらも前に進むことで、知らぬ間に人生の景色が変わっていく。趣味とは、楽しみでありながら、人生の深みを加えてくれる学びの宝庫なのかもしれません。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆郡山市本町にある「枡はん」濃口ラーメン 850円言わずと知れた今や郡山ブラックを代表する老舗ラーメン店の一つ。10年前は、年季の入ったおばちゃんがつくっていたが、代替りして若いお嬢さん方がつくっている。スープから立ち昇る香りも良くなって美味しい一杯になっているんじゃないか ❣️かつて郡山商工会議所近くに「ますや分店」という店があった。今でこそ「郡山ブラック」という呼び名が定着したが、その頃はそんな言葉もなく、ただ「支那そば」と呼ばれていた。メニューは至ってシンプル。「ラーメン1つ」「ラーメン大盛り」「ラーメン硬め」――たった三種類だけ。それでも、いや、それだからこそ、この店は郡山のラーメン好きの心をつかんで離さなかった。暖簾をくぐると、煮干しと醤油の香りがふわりと鼻をくすぐる。スープは濃いめの醤油色、表面には油が薄く浮き、熱を閉じ込めていた。麺はストレートの中細麺、しっかりとしたコシがあり、啜ればスープが一気に口いっぱいに広がる。具材はチャーシュー、メンマ、ナルト、ネギといった昔ながらの顔ぶれ。派手さはないが、どれもがしっかりとした存在感を持っていた。昼時には、店の前に行列ができる。会社員、学生、買い物帰りの人、皆が同じ「支那そば」をすすっている光景は、まるで郡山の日常風景の一部だった。大きな寸胴から立ち上る湯気と、カウンター越しの威勢のいい声。忙しなく動く店員たちの手際の良さに、客は安心して注文を待った。この店には、ちょっとした“お約束”もあった。毎年、夏休みが1ヶ月ほど取られる。そして、夏休み明け――久々の営業を心待ちに暖簾をくぐると、壁に貼られた価格表が少しだけ上がっていることが多い。常連たちは「また上がったな」と笑いながらも、丼を前にすればそんなことは忘れてしまう。それほどまでに、ここの一杯は恋しく、待つ価値があった。時代は移り変わり、味も店も様変わりしていく中で、「ますや分店」の記憶は、あの頃の郡山の風景と一体になって心に残っている。特別なメニューや派手な宣伝はなく、ただ一つの味を、毎日黙々と作り続ける。その姿勢と香り立つ醤油スープの湯気は、今でも郡山のラーメン文化の礎として語り継がれている。
2025/08/12
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年齢を重ねると、対人コミュニケーションにおいて、相手の対応に敏感になることがある。たとえば、電話口でオイル交換を頼んだ際に「本日は混み合っております」とだけ返されると、(そんな事聞いてないよ)「では結構です」と電話を切ってしまう――そんな自分に気づく。「明日なら大丈夫ですが、いかがでしょうか?」と可能性思考の対応を期待しているのでしょうね。しかし最近は、そうした“気の利いた返答”がないことが多く、つい苛立ちを覚えてしまうわけです。これは一見すると、地域のサービスレベルが落ちたかのようにも見えるが、実は自分の「期待値」が上がっていることが原因かもしれない。完璧な応対を求めるあまり、ほんの少しのすれ違いに過敏になってしまう。だが、そのたびに心を閉ざしてしまうのは、結果として自分が情けなくなる。コミュニケーション力とは、単に“うまく話す”ことではなく、“うまく受け取る”ことでもある。自分の気持ちを正確に伝える力と同じくらい、相手の言葉の裏にある事情や背景を想像し、余裕をもって受け止める力も必要なのだ。たとえば「今日は無理です」と言われたとき、「では、空いている日時はいつですか?」と尋ねることで対話は続く。これは期待を下げることではなく、期待を具体的に共有することであり、前向きな対応と言えないだろうか。また、電話応対は相手の表情や雰囲気が見えない分、やりとりに“間”や“柔らかさ”が失われがちなのだ。だからこそ、こちらが一呼吸置いて、落ち着いた口調で話すことが、スムーズな対話につながる。大切なのは「うまくやろう」と気負いすぎずに「伝え合おう」と心を寄せる姿勢かもしれません。完璧を求めるよりも、「まあ、こんなものか」と受け流す力を持つことこそが、人生の後半におけるコミュニケーション力の要なのかもしれないと思うようにしたいものです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆益元 郡山市桑野4-8-10居酒屋ですが昼のランチタイムも人気で今日も満席🈵天麩羅定食 ¥1250天ぷらは岩塩と天汁の両方付き、しかも大根おろし、生姜おろし。ちょっとした気遣いがうれしいですね。
2025/08/11
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私の住む郡山市、大きな病院の建物が次から次へと建ちました。病院が増えれば増えるほど病気が減らなければならないと思いますが、アニハカランヤ、増えるのはおかしいことです。病気を発見するが治していないから増える一方と云うことでしょう。自分で病気になって病院に行くとわかりますが、診断しても、これからどのように治していくかの説明を明確に話してくれるようなことはありません。薬をたっぷりと処方されるのです。薬を飲み続けよと云うことです。クスリを飲んでもいっこうに病気が治りません。病人が減るはずなのに、全くその気配がないのはどうしたことか考えればわかることです。薬を飲み続ければいいと云う対応なのです。故に、膨張する一方の医療費が実態なのです。日本人の生活は苦しくなるばかりです。 ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆⭕️ デザインとアートの違いわが家の庭がジャングル化してゆく。菊芋を植えてからの繁殖ペースが旺盛なのだ。刈り取ってしまえば、きれいサッパリするわけですが、菊芋は私にとって今や必需品野菜なので刈り取ってしまうと云うわけにもいかないジレンマがあります。草が鬱蒼としていると日陰が蚊の棲家ともなっているので庭に出るとすぐに蚊に刺される。これも歓迎できないことです。
2025/08/10
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AIが登場することによって取って代わられる仕事、事務系ホワイトカラーの仕事などが挙げられています。一方で人間対応だからこその仕事と云う分野もあるわけです。「気功手当」と云う分野は人の手による波動体温によって気の流れ、血液の流れ、リンパの流れを整えて治癒に至るわけです。掌の温もりが人を癒すわけです。AIとの融合はあるかもしれませんがAIだけでは到底できない分野であろう。 テクノロジー進歩著しいAI社会においては、人間だからこその分野しか生き残れないかも。でもそこにもAIとの共存は不可避かもと考えます。テクノロジーの進歩が目覚ましい現代、AIの活用範囲はますます広がり、医療、教育、経済、創作活動など多岐に渡っています。けれども、どこまで進化してもAIにできないことが確かに存在します。それが「人と人とのあいだに生まれる、非言語的で感覚的な交感」です。気功の「手当」はまさにその最たる例でしょう。施術者の掌から伝わる温もり、呼吸の共鳴、場の気配――それらは言語や数値ではとらえきれない、身体と心の奥深くに作用する力です。一方で、気功の技術を科学的に解析し、より効果的な実践へ導く補助手段としてのAIの可能性は否定できません。例えば、脈拍や皮膚温度、脳波、筋肉の緊張度といった生体データをリアルタイムで測定し、それを気功師にフィードバックすることで、より個別性の高い施術が可能になるかもしれません。また、AIは気功師の経験則をデータ化・体系化し、次世代の学習や訓練にも貢献できるでしょう。しかし、AIがどれほど補助的な役割を担おうとも、「気の流れを感じ取り、共鳴させて整える」といった“共感”の技術そのものは人間にしか担えない領域といえます。これは単なる治療ではなく、人の心と体のバランスを整える「癒しの芸術」であり、AIの計算では到達し得ない「間(ま)」や「気配」の世界なのです。つまり、AIがいかに進化しようとも、気功の本質は人間の“在り方”そのものに宿ります。だからこそ、これからのAI社会においては、「人間にしかできない仕事」を意識し、その価値を高めていくことがますます重要になるでしょう。AIとの共存を視野に入れつつも、人間性を磨き続けること。それが、これからの時代を生き抜く鍵になるのかもしれません。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆春こま食堂deみそラーメン¥900(郡山市小原田)表ののれんの上に出ている看板に「みそラーメン」とあるのだ。これはこの店の一番の売りなのだろう❗️味噌味は日本人のソウルフード。安心の味なのだ。ここの味噌ラーメンは素朴で実に美味しい。春こま食堂の入口に置いてあった鉢植え、葉っぱから想像するにタンポポの亜種或いは突然変異か、いずれにしても珍しい花だと思ってパチリ❗️
2025/08/09
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2年ぶり位だろうか、顔を見たのは、70代も後半になるとずいぶんと老化現象が進むものです。いわゆる見た目ですね。12年前に初対面の頃はまだ若々しさがあった。あれから12年経過して70代後半、無理からぬことかも。私もあと12年経過したら85才。詩吟コンクールで昨日会った92才は若々しかった。歩く姿勢と歩くスピードが若々しい。姿勢を保つ筋力というものがある。老化速度は人によって違います。意識して日頃から鍛錬している人との差は歴然です。継続して鍛えていけるかの差でしょうね。歳をとる事は避けられません。だがそこに歳の取り方というものが存在するかと思われる。今後は意識して元気な老人にインタビューを心掛けてみよう。若々しくみえる人は、背筋がまっすぐと伸びている。歩くスピードがはやい。言語明瞭でもって、目の輝きがあるなどの共通点がある。そうした若々しさは、決して偶然の産物ではないと思う。日々の積み重ね、習慣の力、そして何よりも「まだまだこれから」という前向きな心持ちが、身体全体に表れてくるのだろう。歳を重ねるごとに、諦めの感情が顔を出すことがある。だが、そのたびに「いや、まだできる」と自分に言い聞かせ、小さな挑戦を続ける人が、老いを老いとして感じさせない存在となるのかもしれない。このごろ、「姿勢を保つことは、意志を保つことだ」と感じることが増えた。背すじを伸ばすと、気持ちも引き締まる。歩幅を広く、リズムよく歩くと、不思議と前向きな気持ちが湧いてくる。身体の使い方一つで、気分も思考も変わるということなのだろう。元気な高齢者を観察していると、彼らは話題も豊かで、時代に取り残されまいとする姿勢がある。新聞、スマホ、テレビ、書籍、あらゆる情報に触れ、自分の世界を狭めないようにしている。つまり、「自分はまだ発展途上だ」という気概があるのだ。年齢を重ねても、学びを止めない人は、やはりどこか光っている。今後、自分もそのような生き方を志したい。ただ歳を取るのではなく、「どう歳を取るか」を問い続けていきたい。老いは衰えではなく、完成に向かう過程でもあると信じたい。明るく、凛として老いていく――それが私の理想だ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「人生とは何ぞや⁉️」or「生きるとは❗️」そんな素朴な疑問を高校1、2年の頃に随筆にしたことがあった。所属していたワンダーフォーゲル部の活動誌への投稿を見た部活顧問の先生からそう言うことも考えているの‼︎と声をかけられた事があります。この本は、そんな素朴な課題のヒントが書かれた書物かも。「人生は1冊の漫画だ」水木しげるが描いた“死”の比喩が鋭すぎて、ぐうの音も出ない(久坂部 羊)『死が怖い人へ』(久坂部羊、SBクリエイティブ)
2025/08/08
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あと7年余りで80才になります。現在80才の先輩方を見ていると同じ80才でも個人差が有るのがわかります。人それぞれの病歴、食生活、生活習慣の違いがあるわけですから当然と言えば当然です。現在やっている事が、3年後、7年後に影響を及ぼすと云うことになります。トレーニングジム通い。適度な筋肉運動が後半人生の身体づくりと考えています。加えて考えるのは、できることなら世の中のために意義ある何かをやることです。気功手当の普及などもその候補です。自然治癒療法の普及です。人は誰しも老いていくものですが、その歩み方は自ら選べると信じています。年齢に抗うのではなく、年齢と共に生きる。だからこそ、いま何をするか、どんな心構えで過ごすかが、未来の自分を形づくることになるのだと思います。80歳を「衰えの始まり」として迎えるのではなく、「新たな成熟期の入口」として迎えたい。そのためには、身体の健康だけでなく、心の健やかさも欠かせません。 ジムでのトレーニングはその土台。筋力の維持は、転倒や寝たきりを防ぐばかりでなく、気力の維持にもつながります。週に数回でも筋肉に刺激を与えることは、自己肯定感を高め、自分を整える時間にもなっています。そのうえで、社会とのつながりも持ち続けたい。気功や自然治癒の考え方を分かち合い、実践する場をつくることは、まさにその一歩。薬や機械に頼り切らず、自分自身の内なる力を信じる。手を当てる、その優しい行為が、相手との信頼を築き、自分自身の癒しにもなるのです。気功を通して、自分がまだ社会に貢献できることを知る――これは老いの中に見つける生きがいでもあります。「誰かの役に立てる喜び」が生きる力になります。今後の人生をどう彩るかは、年齢ではなく、意志の持ち方次第。80歳を迎えるそのとき、今よりも健やかに、そして静かな情熱を抱いて立っていたい。その準備を、いまここから始めています。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆🔲 おてつたび https://otetsutabi.com/半世紀前に若者が北海道旅行しながら、昆布干しや酪農の手伝いアルバイトを旅先でして稼ぎながら旅の足しにした。そんな時代が有りましたが今は、それをwebで募っている。観光地の温泉旅館の仕事もある。この「おてつたび」のシステムを知ったのはFacebook投稿からだった。逆に「旅をしながら旅先で稼ぐ」などとchatGPTに聞いてみるのもありかも。🔲 #「 みんなのつぶやき 福島民報 」をgoogle検索 してみたら、AIが答えるんですねAI による概要福島民報社の「#みんなのつぶやき」は、福島県民の日常や出来事、意見を気軽に投稿できるコーナーです。福島民報のウェブサイトやSNSで掲載され、県民の声を広く伝える役割を担っています。福島民報社は、明治25年(1892年)に創刊された福島県を代表する地方新聞社です。本社は福島市にあり、県内全域を対象に報道活動を行っています。東日本大震災以降は、復興に向けた情報発信にも力を入れています。「#みんなのつぶやき」は、県民が日々の出来事や感じたことを自由に投稿できる、開かれた情報発信の場です。投稿された内容は、福島民報のウェブサイトやSNSで紹介され、県民の声を広く共有する役割を果たしています。例えば、郡山版では、武内相談員が「#みんなのつぶやき」に掲載されたことが、fureasu-koriyama.comに掲載された事例もあります。「#みんなのつぶやき」への投稿は、福島民報のウェブサイトやSNSから可能です。県民の声を広く集め、共有することで、地域をより身近に感じ、より良い地域づくりに繋げることを目指しています。ランチは喜龍のあランチ(塩ラーメン&炒飯)¥930
2025/08/07
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子どものころ、新堀川で魚取りをして遊んだものです。シジミもいたし、タニシもいた。アメリカザリガニ釣りもよくしたものです。バケツ一杯釣り上げて、帰ってすぐ鍋に水を入れてザリガニと一緒にガス台の火を付けると、そのうち暴れだして鍋の蓋が飛ばされるので手で押さえなければなりませんでした。真っ赤に茹であがったザリガニの尻尾の皮を剥いて小皿の醤油につけて食べる、シンプルな食べ方でしたがあれは美味しかった。ハヤ、鮒、ドジョウ、ナマズ、雷魚、うなぎなどが獲れたものです。新堀川のナマズも鞍掛山側からの水が流れてくる地下水の土管(直径約10cm)の中に潜んでいたのを捕まえて、鍋で醤油に砂糖少々加えて炊きあげておやつ代わりにしていた。ドジョウは田圃の間の水路の水溜まりに集まっていた。バケツに井戸水を入れ1週間も置くと泥を吐かせてからこれも煮ると冬は煮凝りもできて美味しかった。子どもの頃は新堀川はタンパク源であった。4年生か5年生の時だから昭和37年か昭和38年、大型台風が襲来して利根川の堤防が一部、決壊したのだろか、普段は4m余りの川幅が3〜400mまで広がり、十軒や八丁への道が閉ざされた。水が引いた後に田圃を見て回ると、どこもかしこも泥が厚く積もり、稲はなぎ倒されていたが、不思議なことに家々のある場所までは水が上がってこなかった。普段と変わらず何事もなかったのようだった。あの時、父が「どの家も、家を立てる場所は水の上がってこない場所であることをちゃんと知って家を建てたんだ」とぽつりと言ったのを今でも覚えている。高低差もわずかな土地に見えて、ほんの数十メートルの違いが運命を分ける。先祖たちの土地を見る目というのは、地図にも測量にも出てこない、先祖からの言い伝えから知っていたのだろう。ふと見渡せば、田圃の真ん中で大きな鯉がゆったりと泳いでいるのが見えた。金色に近い背中が陽にきらきら光って、あれを捕まえられたらと胸が騒いだが、長靴では到底入れない深さだった。あの鯉はどうなったのか、誰かが獲ったのか、それとも多々良沼まで流れていったのか。水のあとに残った一瞬の夢のような風景が、今でもまぶたに残っている。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆那須岳登山口の3日目の午後7時に、指で押すと痛みが残るふくらはぎを気功手当です。気功手当する間、両足の裏を合わせて、気の循環を促してみました。片方のふくらはぎの気功手当てをしてるときに両足裏を合わせて足裏気功も同時に、循環気功でやっていたので残りは10分ほどで。あと明日もう一回軽めにやれば、或いは今夜寝れば、復調するような気がしますね。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆iPadをiPad Airに変えて10日目になります。iPadに変わりは無いだろうと思っていたが、windowsのバージョンが変わったような感覚。使い慣れるまで時間がかかりそうだ。スマホ操作が苦手だからiPadを使用していたのに、トホホ。慣れるしかないか。よく解釈すればスマホ操作にも慣れるということになれば一石二鳥❗️かもと思うようにしましょうか。最初は、今まで使っていたiPadでLINEアプリが使えなくなった。ipadが「9.7インチ第5世代 32GB wi-fiモデル 中古で 29800円税別(2020/10/01購入する)まもなく5年にもなるし、ストレージも31.5GBにもなり残が0.5GBでは心許ない。同じく、「中古 ipad 10.2インチ 第8世代 128GB」or 「中古 ipad 10.2インチ 第7 世代 128GB ¥36,080 」 128GBが魅力❣️世代を少し上げてストレージの大巾アップを狙っていたのですが、店員が性能が良いからこっちの iPad Airを勧めるわけです。性能の違いを納得いくまで説明してもらってなかったなぁ。購入したのは 「 ipad air 10.9インチ 第4世代 wi-fi 64GB ¥37800 → ¥20922 」 今日までのサービス値引きが ー¥16878(45%引) とかうまいこと言うのだ。電話確認でたまたまau電気も−¥10,000も。SoftBankデザリング契約を勧められたというわけです。今後デザリングの使い勝手が悪かったら、3ヶ月or半年後に、又切り替えればいいか。新しい時代に対応するには、トライがないと進化していかないわけです。自らがトライしていく機会を❗️と云うことで今回はトライ機会の創出と云うことですね。
2025/08/06
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「なぜ山に登るのか⁈」と云う命題に「そこに山があるから❗️」と答えた「なぜ山に登るのか?」という問いに対して「そこに山があるから(Because it's there)」と答えたのは、イギリスの登山家 ジョージ・マロリー(George Mallory) です。この言葉は1923年、アメリカの記者に「なぜエベレストに登るのか?」と尋ねられた際の返答とされています。シンプルながらも深い哲学を感じさせるこの一言は、登山のみならず挑戦全般に対する象徴的なフレーズとして、広く引用されるようになりました。マロリーは1924年、エベレスト登頂を目指す途中で消息を絶ち、1999年に遺体が発見されるまで長年謎に包まれていました。山登りの登りがずっと続くかと思うと決して楽しいものだとは思えない、その時は、何も考えずに唯ただ登るだけです。天気の良い爽やかな尾根道を歩くのは最高ですが、下り道など一歩一歩が気が抜けない。登山の山歩きは概して修行みたいなものかも、冷静に考えたら、そんなに素晴らしい事とは言えないかも。遠景が望める稜線の尾根歩き、これ山歩きの醍醐味でしょう。又、山の上での食事、これが実に美味しいのです。山登りの魅力は、単に頂を目指す行為だけにとどまりません。その過程で得られる自然との一体感や、普段の生活では味わえない静けさが大きな魅力です。木々のざわめきや鳥のさえずりを耳にしながら歩を進めると、都会の喧騒で疲れた心が次第に解きほぐされていくのを感じます。また、山でしか出会えない景色や空気も特別です。雲海に浮かぶ朝日、季節ごとに変化する草花、遠くに連なる山々を見渡す稜線の美しさは、まさに大自然が創り出す芸術です。その光景に出会った瞬間、登りの苦しさや足の疲れは不思議と消え、達成感とともに心が満たされます。さらに、山頂や尾根でいただく食事やコーヒーは格別の一言。普段何気なく口にしているおにぎりやインスタントスープでさえ、五感で味わうと贅沢なごちそうに変わります。そして、仲間と共有するこの時間は、日常では得難い特別な絆を深めてくれます。結局のところ、山登りは「登ること」そのものではなく、「そこでしか得られない体験」に価値があると言えるでしょう。自然の中で自分と向き合い、心身をリセットできる。それがまた山に登りたいと思う楽しみではないでしょうか。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆【 那須岳(茶臼岳)登山 】2025/08/04今日は朝7時に郡山駅前集合にて大型バスに乗り込み、日本百名山に数えられる那須岳(茶臼岳1,915m)登山です。登りは太陽が雲に遮られ、頂上近くなったらガスも晴れ渡り、ときおり涼しい風が吹く、下界は35℃の酷暑でしたが頂上付近は25℃。夏山登山としてはめったにない、実に快適な登山日和と相成りました。今回、10名班の先頭を歩きましたが、1名右手首を一昨日痛めた方を2番手に歩いてもらいましたが、途中、足が上がらなくなり3〜4度、転んだり尻もちでヒヤヒヤしましたが仲間のフォローもあり無事下山できました。登山靴のソールも経年劣化で剥がれかけて、結束バンドで応急処置。救護班が荷物用の結束バンドを持参していたのです。昔の登山靴は丈夫ですが、最近の登山靴はデザインは良いのですが丈夫にはできていないようですね。下山後には、お菓子の城併設の「源泉♨️那須山」に寄り温泉タイム、サウナ、水風呂もあり疲れた身体をリフレッシュです。利用者休憩所で懇談懇親タイム。帰路のバスではお隣り相席の方とAI活用の話題等で盛りあがりました。郡山駅西口(7:00)→ 那須ロープウェイ山麓駅(9:10)→ ロープウェイ山頂駅→ 茶臼岳山頂(10:45〜11:00)→ 峰の茶屋(12〜12:30昼食)→下山、峠の茶屋(13:30)→ 源泉那須山(14〜16温泉♨️懇親)→ 那須IC(16:00)→ 郡山中央IC(17:00)→ 郡山駅西口(17:30)総距離:約3.1km、登り1km、下り2.1km所要時間 : 登り約1時間、下り約2時間標高差:上り+230m・下り−465mアットホームながらも火山地形、森林、絶景と体験バリエーション豊か山で食べる食事は美味い。仲間が持ち寄る手づくりの一夜漬けが次から次に廻ってくる。準備万端で臨んでいることがわかります。 昨夜は登山の疲れでぐっすり眠れました。朝目覚めてみて、ふくらはぎに少し痛みと疲れが残る感じですね。登山ができる体力を養うためにトレーニングを始めて15ヶ月、もうちょっとフットケアトレーニングを重点的にやらないと復活までには至らないのかも。ふくらはぎを手で押さえると痛い感覚がある。と云うことで今日は休養日とします。🔳来月の例会登山は日光白根山()です。この山に登るのを楽しみに登山部に入会したわけなのですが、下見登山した人の感想が結構きつかったとのこと、よってロープウェイ終着駅周辺の散策コースも設けたとのことだが、さてどうしよう。8月20日申込〆切りだそうだ。ランチは、乾麺じゅうねんうどんを100g茹でる。
2025/08/05
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なぜ私は納得できないのか ― 腑に落ちる理解の条件「それ、理屈ではわかるんだけど……どうも腑に落ちないんだよね」そう言ったことが、あなたにもあるのではないだろうか。あるいは誰かの話に「うーん、それって本当かなぁ?」と疑問がわいたり、うなずいたふりをしながら、実のところ自分の中では納得しきれていない。こうした“納得できない”という状態は、決して稀なことではない。けれど、その「納得できなさ」を丁寧に見つめてみたことがある人は案外少ない。人が本当に何かを理解したと感じるのは、「腑に落ちた」ときである。「腑に落ちる」とは、日本語独特の表現で、単に「理解した」と言うのとは少し違う。どこか身体的で、感覚的な言葉だ。情報や説明が、頭を通して、胸や腹のあたりに“ストン”と落ちる感覚。それは、「理屈として理解した」と「心から納得した」のあいだに横たわる見えない距離を、越えたときに訪れる。では、なぜその距離をうまく越えられず、「腑に落ちない」ままにとどまってしまうのか。背景を知らなければ、表面しかつかめない第一の要因は、背景知識や文脈の不足である。どんなに正確な情報でも、それがどんな背景や前提の上にあるかを知らなければ、その意味や重みは掴めない。たとえば、ニュースで「金利が0.25%引き上げられました」と報じられても、経済や金融の基本知識がなければ、それが何を意味するのかピンとこない。逆に、利上げがなぜ行われるのか、どう影響するのか、その全体像が理解できていれば、数字の変化がリアルに感じられる。理解が深くなり、「腑に落ちた」と感じる瞬間が訪れる。これは学問に限らず、対人関係や日常生活にも通じる。誰かの言動に違和感を覚えたとき、その人の育ってきた環境や、置かれている状況を知ることで、初めてその行動の意味がわかることがある。背景を知ることで、表面的な理解から一歩踏み込むことができるのだ。経験と結びつかなければ、ただの情報で終わる第二の要因は、情報が自分の経験と接続されていないことだ。人は、実際に自分が体験したことと重なる知識に対して、強く反応する。「ああ、これはあのときと同じだ」と、自分の人生の中の出来事と新しい知識が結びついたとき、理解は一気に深まる。まるで点が線になり、線が面になって、全体像が立ち上がるような感覚がある。逆に、経験と結びつかない知識は、ただの浮遊する情報にすぎない。試験のために覚えた年号や英単語が、すぐに忘れ去られるのもそのためだ。体験がともなっていない知識は、腑に落ちない。腑に落ちないから、心に残らない。感情が整っていなければ、人は納得できない第三の要因は、感情の整合性だ。どんなに論理的に正しい話でも、感情がそれを受け入れていないと、人は納得しない。たとえば、ある人が自分の欠点を指摘してくれたとしよう。理屈では「たしかにそうだ」と理解できたとしても、恥ずかしさ、怒り、落ち込みといった感情が強ければ、それはまだ「腑に落ちていない」状態である。感情が理解に追いつくには、時間がかかることがある。自分を守る心の防衛機制が、納得を妨げることもある。だからこそ、人はときに「時間をおいて理解する」ことがある。あのときは納得できなかったけれど、年月を経て「ああ、あの人が言っていたことはこういうことだったのか」と腑に落ちる。これは時間が感情を整え、記憶と理解を再構成してくれる証左でもある。「腑に落ちない」は、深い理解への入口こうして見ると、「腑に落ちる」ためには、「知識」「経験」「感情」が三位一体となる必要がある。どれか一つでも欠けていれば、人は完全には納得できない。裏を返せば、「腑に落ちない」状態とは、どこかに“理解の未成熟”があるというサインでもあるのだ。だからこそ、「なぜ私は納得できないのか」と自分に問い返してみることには意味がある。どこかに知識の不足があるのか、まだ体験として落とし込めていないのか、あるいは感情がそれを拒んでいるのか。そうした自己観察こそが、深い理解への第一歩になる。そしてそれは、単に「物事を理解する」だけでなく、「自分自身を理解する」営みにもつながっていく。何が自分をひっかけるのか、何が心を閉ざさせるのか。納得の背後には、いつも“自分”がいるのだ。腑に落ちるとは、知識を超えて、自分自身に触れる行為である。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2025/08/04
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人から説明を受けても、理屈はわかったはずなのに、どこか引っかかる。自分の中で「はい、そうですね」と言いながらも、胸の奥ではもやもやが残っている――そんな経験は誰しもが持っている。これは、頭では理解できても、心では納得していない状態である。つまり「腑に落ちていない」のだ。腑に落ちるとは、単に知識が増えることではない。情報として受け取ったものが、自分の経験や価値観、感情と深く結びついたときに初めて、人は本当に「わかった」と感じる。それは知識が内側から自分の一部になったような感覚だ。では、なぜ腑に落ちないのか。その理由は大きく三つに整理できる。一つ目は、背景や前提が理解できていないこと。人は、文脈を知らなければ断片的な情報を受け取っても全体像をつかめない。二つ目は、自分自身の体験と結びつかないこと。抽象的な概念は、具体的な実感をともなわなければ自分の中に根を張らない。そして三つ目は、感情が理解に追いついていないこと。理屈が正しくても、自分の感情が拒否していれば納得はできないのだ。腑に落ちる理解とは、「知識・経験・感情」が揃ったときに生まれる。もし自分が納得できないと感じたら、「何が欠けているのか」を丁寧に問い直してみることだ。それは、自分を知るための貴重なプロセスであり、深い学びへの入り口でもある。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆朝活、6時から。そのあとデニーズでモーニング。
2025/08/03
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腑に落ちる。いわゆる自分が納得すると云うことです。情報として見聞きして知っただけのレベルは上っ面に触れた程度と云える。よく目を開いて咀嚼して納得したことを腑に落ちると云う。自分の考えとしても受け入れられるものとなる。腑に落ちない。腑に落ちる。この差は大きい。腑に落ちない状況とは、納得がゆかないからであり、ことごとく納得できれば腑に落ちた状況になったと云える。「腑に落ちる」「腑に落ちない」という差は、単に情報の有無や知識量の問題ではありません。そこには、理解のプロセスと感情の一致、さらに自分自身の価値観との調和が深く関係しています。頭で理解したつもりでも、心や感覚が納得できなければ、それはまだ腑に落ちていない状態です。では、なぜこの差が生まれるのでしょうか。第一に、「背景知識と文脈の不足」が挙げられます。新しい情報に触れたとき、その情報を支える前提や背景を知らないと、表面的な理解にとどまりがちです。たとえば、数学の公式を覚えても、なぜその公式が成り立つのかを知らなければ、応用はできません。腑に落ちるためには、根拠や理由に触れ、全体像の中で位置づけることが必要です。第二に、「自分の経験との接点」が関係します。情報が過去の体験や自分の考えと結びついたとき、理解は一気に深まります。「なるほど、これはあのときの出来事と同じ原理だ」と腑に落ちるのです。逆に、経験と結びつかない情報は、頭の中に浮遊し、やがて忘れ去られます。第三に、「感情の整合性」が鍵となります。人は合理的なだけの存在ではありません。どんなに理屈が正しくても、感情が反発していれば納得はできません。例えば、厳しいフィードバックを受けたとき、理屈では理解できても、心が受け入れるまで時間がかかることがあります。感情の処理と理解は、腑に落ちるために不可欠な要素です。結局、腑に落ちるとは、「知識・経験・感情」が三位一体でつながったときに起こる現象です。逆に腑に落ちないときは、このどれかが欠けている場合が多いのです。ですから、「なぜ納得できないのか」を自問してみるとよいでしょう。背景を知らないのか、経験とつながっていないのか、感情が追いついていないのか。こうして自分の理解の状態を意識すること自体が、深い学びへの第一歩になるのです。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆朝食です。納豆ご飯ならぬ、納豆もち。1枚の餅を半分に薄切にしてオーブンで焼く。薄いので早く焼けますよ。野菜が足らぬ、そうだ、キュウリ味噌❗️冷蔵庫に冷えたキュウリがある。美味い味噌もある。キュウリは半分サイズに、先日1本食べたら多かったので学んだわけです。かような画像をblogに載せて何をやっているのか、自己満足か、載せる時間、より美味しくすること考えたり、じっくり味わうとかの方がとも考え無くはないが、、、まして載せても再度、自分で見るかどうかもわからない。なんかの足しになるか⁉︎ 只、載せるだけでもいいか。味噌だけよりもマヨネーズ味噌の提案もありましたが、これも好み、美味いこだわりの手づくり3年味噌なら、飽きるまで味噌だけでも充分なのですね。ちなみに納豆は、昨年度、全国納豆鑑評会で日本一に輝いた地元のみのり納豆「ほのか」です。この納豆も実に美味い❣️郡山市の納豆製造メーカーで日本一の栄冠に輝いた優れものがあるのを自慢できるわけです。◆ 糖尿病由来の「足の裏の痺れ」対処法今日のランチは「じゅうねんうどん(乾麺)」100gを茹でる。汁も工夫すると美味しく食べることができるわけです。町内会の夏祭りです。コロナ以降、祭り櫓は組まれず祭太鼓の音が聞こえないのは寂しいですが夏祭り会場の公園内に子どもたちが沢山集まって福寿会の老人達も孫たちを楽しませようと張り切っている姿をみると地域コミュニティを実感です。子どもも大人も老人も楽しめるように工夫しているのがわかります。中には5年、10年ぶりに顔を会わす人もありました。焼鳥2本100円、焼きそば200円、焼とうもろこし100円、併せて700円程を購入してきました。約400世帯の町内会です。#町内会夏祭り ボンボン釣り用のボンボンをつくるおじさん、にわかテキ屋稼業みたいなもの、手際よくボンボンをつくっている。呼び込みのおばちゃんも元気がいいね。焼きそばを焼く大人達も頭にタオルを巻いて鉄板の上に山盛りの生そばを焼いていた。焼き鳥は串に刺さった冷凍ものを炭火で焼いていた。町内会の役員と班長さん方がチームワークを組んで張り切ってやっていた。氷アイス、生ビールと毎年恒例の商品が並ぶ。ところで売上の消費税などは申告するのだろうか。
2025/08/02
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病み上がり直後の登山はバテバテでした、体調万全でないとダメですね。若くないことを実感です。過日、風邪が抜けきらない中、まぁこの位なら大丈夫だろうと登山に参加。以前にも登った事がある新潟県の角田山です。ところがどっこい今回は、登り始めて中頃から、雨が降り始めてカッパを着ても湿気で大変だろうと云う判断で、ずぶ濡れで山頂に到着。雨の中での食事タイム、OBの方々が山小屋でランチ。上がり込めば9名位何とかなりそうだ、濡れた身体をまず汗水を拭こう。雨の中、外ではとても考えられなかった。気がついてみたら班の9名のうち2人しか、中に入らなかったようだ。食べ終わって外に出たら雨が上がっていた。みんなの居るであろう観音広場に合流しましょうと、進んで行くのをついて行くと尾根道を下り始めたので、この先に広場はどう見ても無さそうだから引き返そうと戻って、頂上で皆が来るのを待った。班全員が揃ったところで記念撮影をしましょうと撮影してもらった。自分でもバテバテであった事がわかったので、果たしてどれ位、酷い状況に写って居るのか気になったので班長に写真をlineで送付してもらった。ひるがえって自分の姿を見た目で判断することもたまにはしてみないと思ったわけです。想定以上に疲れが見てとれる写真の立ち姿であった。帰り道、雨で滑り易くなっているので滑らないように転ばないように、細心の注意を払って一歩一歩下らなければと、その為には急がず、多少遅れても自分のペースで歩こうと、敢えてゆっくりと歩を進めることとした。おかげで1、2回滑りはしたが転んだり、尻餅は着かなかった。随分と多くの方が転んだり、尻餅を着いていたが、幸いなことにケガする人も無く下山できた。ただ懸念していた先頭と最後尾が離れてしまう歩き方だったので、我が班の後ろの人達は違うルートで下山してしまった。分岐点で誤って違う方に、元来た道から外れてしまったのだ。幸い下山した終着点が遠くない場所だったので、大きなロスにはならなかった。それでも雨により登山道の状況変化等で予定より1時間以上も費やした。天候が変わると山の顔は様変わりするのだ。
2025/08/01
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