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内科の定期診察は8週間に一回の月曜日の夜間外来。 どういうわけか、ここ一か月ばかり月曜日に限って夜間外来の19時過ぎにやっと仕事が終わる始末。 降圧剤は、以前お薬を紛失した時に再度処方してもらったので、朝一錠の薬は飲めているが、チラージンはなく仕方がないので飲まないまま過ごしている。甲状腺ホルモンが低下すると、記憶力は低下し倦怠感が増し、代謝も低下するので体重も増えコレステロールも高くなる。 そういうことはわかっているのだけれど、患者さんのお宅から病院に電話をかけてお薬だけでも出してほしいなんてことは言えない。原則処方箋の発行は診察が不可欠だから、どうしようもない。血圧が上がらなければいいか、って看過していたが最近のだるさは半端ではない。目が覚めてもお気おうという気持ちがない。トイレに立っても、すぐ横になりたがる。 うつ状態では、食欲不振や頭痛、肩こりなども併発するが、今回はだるさとやる気のなさ。半端ではない億劫感。倦怠感と眠気が強いので眠剤は不要になったが、日が経つごとにだるさが増す。 味噌梅用に青梅を買ってきたのに、梅の下処理をしたのは購入から二日目。やっと味噌に梅をつけ始末をした。 今日もきっと時間内に終わらないケースを担当になりそう。 4週間以上もチラージンを服用しない人体実験はやめにしなくては。
2017年06月26日
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よくTOPが変わっても何も変わらない、なんていう言葉ささやかれるが、そんなことはない。 TOPが何を考え、どう評価し、メンバーに語るかは非常に重要。TOPの指摘がなければ、あまり良いと思えないこともどんどん職場に浸透していく。良貨は悪化に駆逐される、そういうことが蔓延していく。 看護職も専門職と思いたいたいが、患者さんを前にして、健康状態を確認して今何をすべきかを判断できないなら、その姿勢は専門職でないと言っていい。 高齢者の皮膚は菲薄し、物理的圧力で強くその皮膚を刺激するとまるで少し売れた桃の皮がするっと剥けるがごとく皮膚がはがれてしまう。いかにも薄い皮膚は日常に保湿剤を塗布するなんて、高齢者の看護をする者には当たり前なのに、乾燥していても赤みがないから外用剤を塗布しない。 終末期には、呼吸状態が大事な判断の目安になるので、呼吸数と補助呼吸筋の動きがどうか、体の緊張が少なく楽に胸やおなかを楽に動かせているかなど見てほしいと頼んでも、呼吸状態の記載がない。そのくせ、急になくなるなんて思わなかったなんて寝ぼけたことを言う。そりゃそうだろう、必要な体の状態をしっかり観察してこなかったんだから。 一人が気を付けないでいいと感じたことを上司から注意を受けないと、それが瞬く間に職場に広がっていく。 かといって、患者さんやそのご家族から注意を受けると、自分が何をしたかを顧みもせずに相手を批判する。 この看護師もあと数か月で退職していく。 人はかくも弱いものなのですね。 患者さんのケアに対して、痛みなど本人が望まない感覚を伴うケアは絶対急けるように努力しますけれど。 自分は変人、頑固者なので、他者に言われたとしてもその正当性を認められなければ、たとえ上司であっても行動を変えはしないのだけれど、、、も。
2017年06月21日
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先週末から携帯当番で、今週は五日連続勤務。昨日19時過ぎにやっと仕事が終わって、くたくたに疲れて今日の昼過ぎまで眠りまくった。でも、涙が止まらない。なぜ、こんなにも悲しくなるのか。尊敬するKさんのなくなるまでの一連のことが思い出されて、悔しくて、悔しくて。情けなくて、情けなくって。涙が止まらない。六日の朝、出勤すると担当のケアマネージャーさんから深夜未明にKさんが亡くなられたことを知らされた。Kさんは自営業を営み、その業界では腕があると知られた方。脳こうそくのために右片麻痺になり会社をたたんだ。障害が残る子供と妻。二人を支えるために必死でリハビリを続けて、毎日5㎞も10㎞も一人で歩行訓練を続けた。でも、胃がんになり術後に嚥下障害のために、腸瘻で栄養を摂っていた。口からも食べなければ体が弱ると、栄養士さんと相談して少量でもとおせんべい一枚を数時間かけてでも食べていた。この方のご子息が、繰り返す誤嚥性は会陰のために気管切開をされて退院した時から訪問看護で伺うようになって、父親であるKさんともいろいろお話をするようになった。仕事柄、塵埃を吸入したこともあって、間質性肺炎を合併。予後不良との診断であったが、プレドニンを服用して、その後も2年ほど順調に過ごされていたが、今年の冬に風邪をひいてからというものの頻呼吸がひどくって、こっそり呼吸状態を見ると一分間に32回という頻呼吸。酸素飽和度も低く、お節介だけれども定期診察前に受診するように勧めた。約1ッか月ほどの入院で退院。父上のKさんにも訪問看護と訪問リハビリでお伺いすることになった。残念ながら、心不全を合併する状態となっていて、平らなベッドに横になれなくなっていた。むくみもどんどん強くなり、愛息のいる一階に降りれなくなり、家族で話し合って工場の後を居室にリホームすることに。約2か月でリホームがおわり、愛息も自宅に戻ってきた。お部屋さえ違え、息子さんの様子が手に取るようにわかる。ご本人はもうベッドから離れられなくなっていたが、幸せそうな様子だった。歩けないので奥様が入浴介助は無理とのことで何とか説得して訪問入浴を利用することになったのに、約束の当日に訪問入浴の事業所の都合で一週間遅れに。看護師のケアはリハビリは良いけれど清拭や尿器介助は妻にしかさせない。足や手を見ると赤が白く浮いている。マッサージを兼ねて足や手を寝たまま洗わせていただけませんか、とお願いしてやっと足浴と手浴をさせていただいた。そして訪問入浴の日、細かな経緯は分からないが腸瘻のカテーテルが抜けてしまったという。訪問入浴は看護師1名と介護士2名で行われる。訪問入浴中にカテーテルが抜けたのに、「入浴前に抜けかかっていた」とその看護師の弁。抜けかかっていたと観察したら、腸瘻から栄養剤を注入できるかを確認したり、事故抜去にならないように固定を頑丈にして、カテーテルを引っ張らないように介護士にも伝えて安全に入浴させることは可能なのに。何もせずルーチンの入浴介助をしたことで事故抜去。しかも、自分たちの注意不足で抜けたのに、救急車を呼べとも言わずにそのまま帰ろうとしたと。愛息は気管切開をしているために頻回の吸引が必要でもあり、妻が救急車に同乗出来ない。ケアマネや訪問入浴の事業所に連絡しても同乗は無理だと。だったら、私どもの訪問看護ステーションに連絡してくださればいいものをそんな事故になったからという連絡は一切なかった、主治医にも相談していない。経口摂取の量はごくわずかなので、腸瘻から栄養やお薬を注入できなければ生命の危険もありうる。病院に救急車で行ったのは、土曜日。奥様の姉が介護士さんなので、息子さんの様子を見られるから土曜日まで受診を伸ばしてしまったのだ。そして、三日後に帰らぬ人になってしまった。腸瘻が使えなくなったのが死期を速めたかどうかは分からない。でも、もしあの時救急車で病院に行っていたら何とかなったかもしれない、と奥様は考えてしまう。私たちだって、どうして訪問看護ステーションに連絡をしてくれなかった、なぜ主治医に連絡をして家族が救急車に同乗しなくても診察を出来るという確約をとれなかったのかって考えてしまう。だって一人暮らしの方がご自分で救急車を呼んだときには誰も同乗はしないし、同乗することは救急車を呼ぶこととは必須条件ではない。家族がなくなったときは悲しくて仕方がないのは当然。でも、残された家族に後悔や恨みを残すようなケアはしてはいけない。最善のことを心を込めてケアすれば、「よくしてもらってよかった」という気持ちがあるだけで家族の気持ちは多少は慰められる。命の終わりは誰にでもあるけれど、でも関係する職種として誠実に精いっぱいのケアをしたい。Kさんがなくなる前一週間のことを思い出すと悲しくて悲しくて、悔しくて悔しくて、涙が止まらない。確かに、仕事をするうえでマニュアルは必要だけど、マニュアル通りにするだけではプロのケアではない。マニュアルはごくごく基本的なことしか書かれていない。一人一人の状態に合わせて安全で安楽なケアをどうするか、それを考えて実践できないならばプロではない。介護も看護も人材不足だし、新たに起業した事業所は教育も不十分かもしれない。担当者が不安ならば、主治医や訪問看護師などに相談すればいいわけだし、利用者さんに必要なことであれば同席するくらいのことはできる。自分たちの事業所だけで何とかなりそうもないなら、助けを求めることくらい躊躇しないで行ってほしい。もっとひどいのは、その事業所が夕方5時ころに起こったことなのに、ずっと放置して上司が電話一本で謝罪しただけということ。どうすれば最善のことができるか、ご本人の健康状態を悪化させないで済むのか、そういうことに気が付きもしなかったのだ。夕方救急車で行くことが無理なら、19時でも20時でもまだまだ時間はあるのに。他人様のことを批判して済むことではない。自分たちも同じようなことをうっかり気が付かないで行ってしまうことがあるのかもしれない。自戒するしかない。
2017年06月10日
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