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「発音が訛っていたとしても、音符通りに正しく歌っていれば良い。」という事は日本語訛りで西洋語の西洋音楽を歌う場合、現実にはあり得ません。 イタリア語訛りのドイツ語や、スペイン語訛りの英語、など西洋語同士の訛りであれば音符が変わってしまう心配はほとんどありません。でも、日本語訛りで西洋語の歌を歌うと楽譜の音符が変化してしまいます。極端に言えば「日本語訛り」では作曲家の持つ意図や原曲のニュアンスや音楽を変化させて歌ってしまう、とも言える、と思います。その原因は日常使われる文字に起因する、伝統的に日本語が持つ独特の音楽(リズム)に有ります。例えば、「ジングルベール、ジングルベール」と歌えば以上で音符は最低で12個必要です。「ー」(拗音)も入れれば14個になります。(試しに数えてみて下さい。)でも"Jingle Bells, Jingle Bells"と歌えば必要な音符は最低6つですみます。(但し、正しく発音できればの話。)英語が正しく発音できない場合は無理に「ジングルベール、ジングルベール」と歌うよりも、「神宮べー、神宮ベー」と歌った方がずっと英語で歌われるノリに近いと思います。また、ベートーヴェンの第九の合唱の出だしの場合ですと、Freude!とちゃんと発音できれば、音符は2つ。でもきっちり「フロイデ!」とやってしまえば、音符は4つになっているはずです。この場合も関西弁の「ほぃで!」の方がリズムは合いますが、、何だか雰囲気としてずっこけてしまいます。でも、まだこのあたりだと「カタカナ歌い」でもさほど大きな影響は無い(?)とも言えるのですが、、。さて、バッハのマニフィカートの終曲の冒頭部分だと、どうでしょう?”Sicut erat in principio"この部分の歌詞に最低必要な音符は8つですが、バッハは12個の音符で書いています。でも「シクットエラットインプリンチピオ」と歌ってしまえば19個の音符(促音は除く)が必要になります。しかもこの箇所は速いテンポで16分音符で歌わないといけません。本来12個の音符の所を19個の音符に分割すれば32分音符の部分が必ず出て来てしまいます。しっかりとした認識の上に相応の日本語訛りを取る訓練をしなければ歌える場所ではありません。オーケストラともずれてしまいますし、テンポも遅れてしまいます。そして、これは実際に経験すれば良くわかりますが、"Jingle Bells"や第九に比べると、日本語訛りがバッハの音楽の「ノリ」に及ぼす影響はとても大きなものがあります。これらのことは、文字に起因している言語の音楽(リズム)性が原因ですから、歌に限らずその例を挙げる事は出来ます。ハンバーガー屋さんの名前にもある「マクドナルド」これは音符6つが必要です。でも、英語でMcDonaldと言えれば3つの音符で済みます。以下(促音、拗音は除いて数えた場合)「トランペット」は5つ、Trumpetは2つ。「ヘップバーン」は4つ、「ヘボン」でも3つ、Hepburnは2つ。「バイオリン」は5つ、Violinは2つ。「カップ」は2つ、cupは1つ。「アルプス」は4つ、Alpsは1つ。「デスク」は3つdeskは1つ。などなどいくらでも出て来ます。もう、お分かりのように今まで書いてきた「音符」とは「音節」の事です。ひらがな、カタカナで表音する日本語、とアルファベットで表音するヨーロッパ語の持つ音楽の違いがここにはあります。会話だと訛りが通用しても、歌だと致命的、という事は良くあります。日本語は古来から音節文字の文化。西洋語は古来から音素文字の文化です。そして、その文化が今、この「現在」でもあり「現実」、そして「日常」なわけです。好きな音楽を身近に感じ、気負いもなく付き合えたら素晴らしい事には間違い有りません。でも聴くことと、作り出すことには違いがあります。建築の中に住むことと建てること、更には料理の作ることと味わい食べることも、そして、音楽を産み出すことと聴くこと、その点では全く同じです。特に古来の伝統の流れの上に日本語を使い、そのうえで西洋の伝統の上にある西洋の歌を歌おうとする。違いを乗り越える経験や、それが無ければ技術的な訓練が必要なのです。もっと他にもまだまだ日本語と西洋語の持つ音楽の違いはあります。でも、とりあえずはこんなところで。
December 27, 2003
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【「リズム」という言葉】 「リズム」という言葉があります。「あの人とはリズムが合うんですよ。」とか「今日は何だかリズムがおかしくてねぇ。」とか「そこでそういう話をされると、リズムが狂うでしょ。」などなど、かなり日常的にも認知されている外来語の一つだと思います。もうほとんど「コップ」「バス」「カメラ」などと同じくらい、とまでは行かなくても、「日本語」として「リズム」を違和感なく使っている人は多いと思います。 コーラス(これも外来語ですね。)を指導していても、この語の浸透の恩恵を受けているなぁ、と感じる場面は多々あります。特に音楽経験の少ない人が多く、しかも中高年になってから歌い始めた、という様な人が多い場合に特にそう思います。私がリズムという言葉を発しても、「音楽の専門用語だ。」という気負いもなく、違和感も殆ど無く皆が理解してくれます。そのことは、皆さんの歌でわたしもしっかり確認できます。拍節感、音符の長短の連続や組み合わせ、なんて言うより「リズム」の方が教えやすい、分かりやすい、という事はご理解いただけると思います。【音階と"Scale"】 日本語の音楽用語はとにかくほとんどが漢字です。音階、音程、律動、調性など、ほんの少しだけ例を挙げても明らかに、「漢字」で「文語」的で音楽の「専門用語」であることが分かります。でも、英語に例をとってみても、音楽用語の全てに古来からのラテン語やギリシャ語や専門用語が使われているわけではありません。 例えば"Scale"という英語があります。プラモデルやミニカーの好きな子供にとっては、模型と本物がどれだけ"Scale"が違うのか、ワクワクする大事なことです。大工さんであれ、お父さんの日曜大工であれ、大工仕事にも"Scale"は欠かせません。肉屋さんや、パン屋さんなど食品を売ったり作ったり、これも"Scale"は大事なことです。畑や牧草地や土地の広さを測るのにも"Scale"は必要です。郵便物にいくらの切手が必要か?これも"Scale"です。まだまだ、あります。そう、そして音楽を歌い奏でるとき、同じように音楽にもその"Scale"が必要なだけなのです。 そして、その"Scale"がいいかげんで適当なものであれば、どうなるでしょう?仕事が出来なかったり、つまらない陳腐な模型だったり、作った棚や屋根が落ちたり、土地や畑の収穫のことで訴訟になったり、せっかくの手紙を受け取った人がお金を払わされたり、がっかりしたり、いろんな不満や騒動にもつながり、心や人間関係や社会の規律にも影響を与えかねません。社会がスムーズに動いて行くその裏側には、きっちりと"Scale"を守る人間の誠意の連鎖があります。 音階もきっちりと"Scale"を取る訓練をしなければ、守らずに、また守れずに、楽しく気ままに歌っている人は楽しくても、隣の人は楽しくないかも知れませんし、聴いている人はもっとつまらないかも知れません。もしかするとどこかで怒っている人も居るかも知れません。(わたしの仕事の一つはこういう状況を回避させること、なのだと思います。)こういう事も日常英語を使っている中の"Scale"という言葉からの関連で簡単に理解できます。 さて、とにかく英語を母語とする人やそれに準じて扱える人なら、それぞれの"Scale"の体験をその言葉と共に音楽へ持ち込めばいいのです。仕事や遊びを脇に置いて「音階」の理解に集中する手間も、気負いも要らないわけです。魚の鱗や、髪をとく櫛の一本一本の状態であったり、ピアノやオルガンの鍵盤の並んでいる状態自体も"Scale"です。当然、定規の目盛りは"Scale"です。どんどんイメージを膨らませれば音楽の"Scale"への理解はより深くなります。"Scale"は「音階」の様に音楽の専門用語という訳では決してありません。ちなみに、虫のシラミ(階名ではありません!)も"Scale"だそうです。 そして、さらには尺や寸、センチやメートル、などのように、文化、社会、国、地域、時代、とにかく様々な違いによって世界中に存在している様々な"Scale"に目を向けた時、音楽の"Scale"も同じように様々に存在している、という事が素直に理解でると思うのです。日常の言葉はそれこそスケールを変えれば、どんどんイメージが繋がって行きます。はたして日本語の「音階」という言葉でそこまでの広がりを持てるでしょうか?【音階と"tonleiter"】 日本語の「音階」はドイツ語の"tonleiter"がおそらく語源だと思います。ドイツ語の場合、英語の"Scale"に比べれば多少音楽に限定された言葉になってしまいます。しかし、この"tonleiter"も日本語の「音階」のように漢字で、しかも文語で更に専門用語という気負いを感じされる言葉ではありません。日常的な口語としてのニュアンスを持っています。分解して訳せば"ton"「音の」"leiter"「階段」または「梯子」です。子供にも素人にもその言葉を聞いたり使ったりする毎に、「音の階段」をイメージする事になります。 "leiter"は"leiten"という動詞にも見たとおり関連があります。導く、連れて行く、運んでいく、案内する、通す(エネルギーを)、などが普段使われる"leiten"の意味です。これも、日常の生活の中の様子が素人や子供を問わず音楽への理解を助けてくれます。例えば、ある程度普通に言葉が出来る年齢の、ドイツ人の普通の子供に初めて"tonleiter"と言っても、何かの連想がそこに出来るわけです。日本語の「音階」をいちいち事ある毎に「音の階段」と言い換えても、7音節もある日本語の「音の階段」は物事の「名前」というより説明文でしかありません。小さな子供にはなおさらそう感じると思います。(わたしもそうだった様に記憶しています。)ドイツ人にとっては3音節でさっと言えてしまい、しかも良く知っているいつもの言葉"tonleiter"が何度も繰り返される方が、教える方にも、また教わる方にとっても便利です。【「音程」は?】どうも「音階」以外にも沢山のそういった例が、日本語の音楽用語にはあるようです。時間も余力もありませんので、これ以上ここには書きませんが、「音程」という日本語はどうでしょう?ある音楽事典を見ると"pitch"も「音程」、"intonation"も「音程」となっていました。では"pitch"と"intonation"は音楽の世界でも、日常の世界でも、英語を使い生活している人の中で、全く同じ物事を現しているのでしょうか?そんなことがある訳はありません。機会があれば、また書きますが、一度、興味のある方は是非調べてみて下さい。辞書を牽いただけでも、おもしろい発見が沢山あると思います。英語を母語とする人達に聞けばもっとおもしろい世界が広がるかも分かりません。是非、チャンスがあればやってみて下さい。
December 18, 2003
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日本語での音楽用語でいつも思うことを少しだけ、且つ簡単に書いてみます。例えば「強起」「弱起」という、日本語があります。また、「属音」「属和音」、「主音」「主和音」の「属」「主」という日本語もあります。他にも色々ありますが、この二つに絞っての意見を書いてみます。 「強起」と「弱起」「アウフタクト」といったり「弱起」といったりする曲の開始の方法があります。これは何拍子であれ小節の最期の拍から曲が開始する場合に、「アウフタクト」または「弱起」といいます。でも「アウフタクト」はドイツ語で"auftakt"、つまり「上拍」という日本語になる性質のものです。英語では"upbeat"にあたります。さて、日本語の「弱起」は「弱拍」から「起こる」と読み取れます。つまり、「上拍」とは即ち「弱拍」だ、と解釈していることになります。 しかし、盛期バロックよりも時代が古く、しかもラテン系の言葉が付いた音楽には、上拍が強く、下拍が弱いなんて事が良くあります。また、グレゴリオ聖歌などで使われる「アルシス(上昇)」と「テシス(下降)」は、「アルシス」で昇っていても「緊張」ですし、「テシス」で下降していても「休息」です。また、イクトゥスと言葉のアクセントとの関係を見ていっても「強拍」が「下拍」に限定されることなど決してありえません。また、ルネサンスを経てその後の時代、小節線が生まれて今日の楽譜と同じ表記の方法がとられるようになった時代には、「アルシス」は単に「上拍」で「テシス」は「下拍」という意味に限定されてきます。 あまり詳しく書くと長くなりますが、とにかく、西洋音楽の中の歴史や今の実際を見ても、音楽の拍にストレスや重さといった強いエネルギーがかかるか、かからないか、という次元の「強」「弱」は、拍の「上」「下」とは別次元のものです。それが、日本の音楽用語では語ではアフタクトで始まる場合「弱起」と言い、下拍で始まる場合を「強起」と言うのです。 ここから抜け出さない限り、出来ない音楽が西洋音楽には山ほどあるのです。 また、"dominant"、これは日本語で属音といいます(ちなみにtonicは主音といいます)。"dominant"、これはラテン語の"domine"つまり「主」という言葉との関係は見ても明らかです。英語の"dominate"は支配する、や俯瞰する、といった意味があります。スペイン語ではラテン語と全く同じ綴りでやはり英語と同じような意味がありますし、主(あるじ)といった意味もあるようです。実際に演奏をしていても"dominant"を従属的と捉えなければいけない場面などほとんどありません。 しかも英語での"tonic"は活力や発散であり(「ヘアートニック」の「トニック」の様に)、和音の緊張と解決を産み出そうとするときなど、この様子をあえて日本語で説明するときに、私はdominantを「支配音」または「核音」と言い換えます。極端な場合「主音」と言ってしまう場合もあります。また、tonicを到達音(これはfinalisでもありますが)または解決音、と説明します。「属」「主」という言葉は口にしないよう心がけています。しかも、歌の歌詞がラテン語でDomine、Dominusなどと出てきていれば「主」という歌詞の意味に由来する言葉が「属」、などという混乱まで生じてしまいますから、、。 明治の先達の仕事が間違っていると言うつもりは毛頭ありません。偉大な、しかも大変な仕事をされた立派なパイオニア方達だと尊敬こそすれ、私如きが批判できるような人達でないことも重々承知しています。だからこそ、ただ先人の足跡をただ保守的に守るのでなく、意志をしっかりと受け継ぎ、先輩達の仕事の続きを少しでも引き継げるような自分になりたい、と思うのです。 西洋音楽をよりしっかりと「取り調べ」たい、という気持ちが、こういう事に繋がっていくのだ、と思っています。
December 11, 2003
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私は歌を歌っています。そして歌を教えて生活の糧とさせて頂いています。どんな歌か、といいますと、バロック音楽がその中心になればと思いながら活動を続けていますが、実際は様々な歌を歌います。ルネサンスの歌、アイルランドの伝承歌、日本民謡、イタリアやイギリスの初期のバロック、ドイツやイタリアの盛期バロック、古典派、そしてロマン派の歌曲。 もう、これでおわかりのように所謂クラシック畑の「声楽家」であるわけです。しかし、出来る限りあらゆる歌を歌っていきたいと考えて活動しています。良くいわれる「ジャンルにこだわらず」というやつなのですが、曲目のジャンルを様々に変えて、歌い方や声やモードはやっぱりクラシック一色じゃないの、、というのではなく、例えば旋律は同じで同じ曲を、フォークやトラッド風、バロック風、古典派風、ロマン派風、日本民謡風などに歌い変えてみる、なんて事です。でも、それだけで終わればただの宴会芸みたいなものでしかありません。 つまり、なにが正しい発声なのか、何が間違っているのか、なんてほとんど気にせずに、今目の前にある音楽や、自分の中で欲している音楽を素直に表現してみたい、、という事です。とにかくそんなことだけを毎日毎日、考えて、歌って、音楽と向き合って暮らしています。 その様な毎日の体験の中から、考えていること、これから解決していきたいこと、いくつかの自分の中にある「課題」を覚え書きのように書きとめていきたい、と思います。特に合唱団で一緒に音楽を作っている特にアマチュアの人達に読んで貰いたい、という気持ちで書いていきます。よろしくお願いいたします。
December 4, 2003
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