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今年も無事納めることができた。プライベートでは長男のところに孫が生まれた私も正真正銘の爺になった。また両親を私のところに呼び寄せた。父親は現在ショートステイで特老待ちの状態。母親はサ高住に入居させた。父親の介護を母親に任せていたので母親は肉体的精神的に相当窶れていた。早く気づいてやれなかったのがとても悔やまれる。今母親は元気を取り戻しサ高住のケァマネジャーに聞いたらリーダー的な存在になっていると。プライベートでは下の息子の入学、娘から彼氏を紹介され、孫の誕生と大変だったけど親の介護のことでは自分自身成長できたと思う。仕事は現在二足の草鞋状態、本業の方は今のところ増収増益で来季は設備投資を考えている。それともうひとつの方はきだまだ赤字だ当初は出資しただけで名ばかり役員だったが5年前に正式に事業に参加して欲しいと言われ、決算は6月末だが今のところ黒ずんでいる。ようやく明かりが見えてきた。現CEOの父親が残した負債をそれこそ息子が窮地を救うべく退職し後を継いだ、不眠不休で働く姿に私は大きく心を揺さぶられた、今は報酬を払えないけど手伝って下さいと言われ、私は引き受けることにした。徹底して業務改革を行った。あらゆるコストの見直しをしようやく黒の兆しが見えてきた。女房・子ども達からは無給なんて馬鹿じゃないのと散々言われてきたが後悔はない、まだ赤字体質を黒字化しただけだからこれからがスタートだと思っている。一番うれしいのは必要とされているという実感だ。還暦となりかつての同期は皆定年となり嘱託という地位で頑張っている。私には定年がない病に伏したり死んだ時が定年だと宣言している。健康管理も仕事のうちと前職の上司の言葉が今でも残る。ぶれないでやっていればいつかは報われると信じている。いろいろな意味で今年ほど大変な年はなかった。後何年生きられるかわからないが、必要とされる人間でいたい。
2017.12.28
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937年12月13日に南京入城の前後に日本軍が30万人を虐殺したとなっているが私はねつ造だと確信する。結論から言って戦闘によっての殺害はあったと思うが、無差別殺人のような残虐極まりない殺害はなかった。そもそも米国が中国国民党側につき、日本への経済制裁へと大きく舵を切ったのは蒋介石夫人である宋美齢の力が大きい、容姿端麗で流暢な英語を操る宋美齢のプロパガンダによって日本軍は極悪非道の軍隊になってしまった。 そして太平洋戦争に突入していく、ドイツ製の武器を有していた国民党軍は局地戦では負けていてもなかなかしぶとかった。更に米英を味方につけることにより日本に勝ち目はなかった。宋美齢は日本の雑誌から写真を巧みに加工し、南京で虐殺が行われたと当時の米国政権に訴えた。それを信じたルーズベルトは多額な軍事援助を中国国民党に行った。 1941年に太平洋戦争に突入しルーズベルトは1945年4月に死し、副大統領だったトルーマンが大統領となり、5月にドイツ8月に日本が無条件降伏となった。 南京事件における極東軍事裁判が開かれたが勝者が敗者を裁くということで日本側の証言はことごとく採用されず、勝者側の証言が採用された。ここから私の意見ではあるが昭和天皇を戦争犯罪人としないためにまったくのでたらめ証言であっても当時の政府は国体維持を選択したのではないかなと推察する。 その後中国では国民党と共産党の戦いによって内戦状態となる。ソ連から多額の援助を受けた共産党軍によって1949年国民党は台湾に逃れる。ここで私は疑問があるあれだけ蒋介石の国民党を支持し援助していた米国が何故積極的に国民党を支援しなかったのか、毛沢東率いる共産党軍は日本兵を抱き込み弱点だった航空部隊で日本兵を活用することによって国民党軍と互角に戦えるようになった。また台湾に逃れた蒋介石は日本兵を出国させ国民党軍に迎え入れている。 ここで私の疑問が生じる同胞を30万人殺戮した日本兵の残党を共産党・国民党双方は抱き込んだのか虐殺された人の知り合いや親族が双方にいたらとても日本兵を受け入れる素地はないと思うし軍隊としての規律が失われると思う。敵ではあったが双方とも日本軍に対するリスペクトがあったと私は思う。そして1952年に日本国と中華民国との間の平和条約か締結され蒋介石政権は連合軍の一員として対日賠償を放棄している。それでは南京での大虐殺があったと主張していたのはなんだったのかと私は思う。現代では台湾は親日国になっている。 中華人民共和国とは1972年に日中共同声明がなされ1978年に平和条約が締結された。周恩来も賠償金を放棄したが私はこれは日本に留学経験もあり日本人を知り尽くした周恩来の外交手腕だと思う。その後日本国は3兆円にも渡る経済援助を行い且つそれは日本からの善意となっており韓国とはまったく違う、蒋介石も日本人を知り尽くしていたから賠償放棄したと思われる。 国共内戦で武勲をあげたが路線対立で冷や飯を食わされていた鄧小平の登場で改革開放政策によって中国は事実上資本主義経済となる。 天安門事件1989年がおきその直後に江沢民が総書記になる。日本軍が支援した汪兆銘政権下の1942年に南京中央大学に入学し日本語を専攻する。そして実父は日本軍の協力者であった。江沢民も日本人を良く知る人物と言える。裸一貫の党員から総書記まで上り詰めたのだから相当な努力家だったと思う。天安門事件で揺らいでいた中国国内を親日から反日にしなければ中国共産党の一党独裁は崩壊すると思い反日へと大きく路線を転換した。総書記・国家主席・党中央軍事委員会主席を兼任して権力を一元化し、苛烈な反日・愛国教育を推し進めていく。 恐らく日本との歴史戦に備えて政権ぐるみで反日の材料を探したと思う。そこで朝日新聞が掲載した本多勝一の中国の旅を知ることになって。30万人の証拠は日本人の調査によってはじき出されたとの論調になっていく。そして江沢民政権と日本政府との戦いになっていく。朝日新聞を中心したサヨクと自民党を中心とした保守との対立となっていく。いつの間にか南京事件が国内問題へとなっていく。まさに江沢民政権の作戦勝ちとなった。1942年に南京中央大学に入学した江沢民が南京の真実を知っているに違いない。本多勝一の中国の旅論争を恐らく高みの見物をしていたのであろう。反日こそが一党独裁政治の根本となった。また数年間で2000億以上の円借款ゲットに成功する。中国から見ればやはり日本はやましいことがあるから援助しているのだろう、江沢民は金を引っ張ってくる優秀な指導者ということになる。反日が金の成る木になったわけだ。これは日本人として残念であるが中国との外交戦に負けたと私は思う。 江沢民が任期を終え胡錦涛になるも対日政策は変わらずお人好しの日本であり続ける小泉さんの靖国参拝が唯一の対中国に対する抵抗だったのだろう。日本では政権交代がおき、民主党政権に大いに中国は期待したが、まったくの腰砕けで、しまいには石原東京都知事に恫喝され、中国から見て核心的利益の尖閣諸島を国有化してしまった。政権交代となって安倍内閣となり日本国内ではいわゆるサヨクが壊滅的に敗退し安倍1強となる。恐らく日本政府を揺さぶるため2014年12月13日に南京大虐殺記念日として制定したのだろう。そして華人が多く住むカナダでも記念日として制定しようとの動きになっている。 習近平政権になり、チベット・ウイグルの反政府活動が収まったと言えるのはチベット・ウィグルへの経済政策が成功しているからだと思う。がしかし今中国は深刻な大気汚染となっている。また公害問題が顕著となり、最近では石炭禁止ということにもなっている。また習近平が提唱している一帯一路政策に対しオバマは無反応であったがトランプは支持を表明している。安倍さんは参加すると表明した。GDP1位と3位の国が参加・協力するとなれば間違いなく中国の国益となる。この21世紀のシルクロードはチベット・ウィグル地区の更なる発展と収入格差が縮まることにもなる。 中国は火力をやめ原発の建設を推し進めているがどうしても日本の技術が欲しいのと公害の元である大気汚染除去や水質浄化の技術は日本は世界でも最高峰である。またあまりにも反日が過ぎると韓国みたいにベトナム戦争時の蛮行を世界中に広められてしまう。いわゆるブーメラン現象となってしまう。日中は本来ウィンウィンの関係で遣唐使や遣隋使があり太古より友情を深めていた。揉めていたのはわずかな期間でしかない。漢字だって使用しているし、中華料理は普通に食べられているし、なんせ今の日本人の礼節を重んじるパーソナリティは「孔子の教え」でもある。 南京大虐殺について慰安婦問題と同じく朝日新聞が間違いを認めることと本多勝一氏が中国人の言うがまま書いたので検証していませんでした、写真はねつ造だったと外国記者クラブで言えばよい。これだけでも中国政府のプロパガンダにブレーキがかかると思う。 南京市で民間人を巻き込んだ戦闘があったのは間違いがないと思うが30万人は途方もない数字なのはたしかだ。また私は中国の一党独裁政治は終焉を迎えると思っている。習近平はゴルバチョフになれるかである。安倍さんの対中戦略は間違っていない。まずはグラジミールと同じくキンペイと下の名前で呼ぶようになればおのずと日中関係は発展していくと思う。 南京事件に戻るが日本に帰化した石平氏は南京大虐殺があったというのは聞いたことがないとの証言があり、また私の母方の叔父は中国で従軍しており食料や生活物資の調達のため賢明に中国語(北京語)を覚えたそうだ。とても中国人(中国では日本軍協力者を漢好という)の協力がなければ15年も蒋介石軍と戦えるわけがない、また本多氏は中国人の言うがまま書いたというが通訳のレベルを疑ってしまう。蒋介石夫人の宋美齢は上海訛りが激しく口述ではなく文章で書いて欲しいという依頼だったそうだ、なんせ北京語と広東語では通訳を介さないと会話が成立しなかったわけだ。ここから私の推測だが本多氏の中国ルポは恐らく南京事件から30年経過していると思われる、ここまで中国人が詳細に証言しているのは1966年からはじまった文化大革命の紅衛兵による粛清の様子や終戦後に勃発した共産党軍と国民党軍の内戦の様を証言したのではないかと思われる。恐らく証言者は共産党軍あるいは国民党軍の蛮行を証言したのに通訳は本多氏に日本軍がやったと伝えたのではないかと思う。 叔父から聞いた話ではあるが当時蒋介石軍は中国市民からすこぶる評判が悪かった、暴行・略奪は日常茶飯事であり、共産党軍は奥地の山賊のような立ち位置だったそうだ。孫文の死後苛烈な内戦となっていく。私が思うに日本政府が内政干渉したからだと思う。満州国だけで満足しておけばいいものを3国干渉という外交的敗北を喫し満州国の利権を独占しようとしたからである。蒋介石の方が外交戦術ははるかに勝っていた。根性論ではなく沈着冷静に分析できるリーダーがいなかったのが日本の敗北の原因だった思う。 私が思うこれからの中国との付き合い方は、中国の内政について干渉しない、イエス・ノーをはっきりと言う。中国人観光客に靖国神社をアッピールする。外国人には遊就館の入館料を半額にしてもいいのではと思う。中国政府の環境対策に官民共同で支援する。中国の原発政策を支援する。こういったことを地道に愚直に続けていけば関係改善となっていくと思う。
2017.12.22
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韓国の文大統領がトランプ訪韓のさいに元慰安婦と対面させた、政権が脆弱ということを世界に示したものだろう。私の今まで集めた情報とかつて旧日本軍に従軍していた人から聞いた話を元に推察しまとめることにした。戦地慰安所が開設された1930年代朝鮮半島は日本の領土であり、江戸時代から続く売春宿と呼ばれる慰安所は朝鮮半島のみならず本土にも多数あった。また借金のかたに妻や娘を差し出すまたは女性を値踏みしていた。基幹産業が農業だったので干ばつや洪水などで不作になったら生きていくために身売りをしたというケースは朝鮮半島を含む日本国内でも多く見られた。特に朝鮮半島では1910年の日韓併合により平均寿命と死産の割合が劇的に改善され人口増となった。まだインフラ整備や雇用の場が少なかった朝鮮半島から本土へ職と豊かな生活を求めて本土にくるようになった。日本人も今でいう技術移転や教育のために朝鮮半島へ赴任することになる。1932年に満州国建国のさいに爆発的な人口増の受け皿として本土はもとより朝鮮半島からも多くの移民が満州国にわたった。当時は女性にとって不利な姦通罪とか、男の成功者のステータスとして妾を持つことはいわば当たり前の時代だった。また女性には参政権もなく、議会も含めて男性で占められていた。日中戦争が泥沼化したころ、日本軍の兵士による中国人女性へのわいせつ行為や暴行が問題になっていく、また蒋介石政権と対立し汪兆銘政権側についた日本軍ではあるがこのままでは全ての中国人を敵にまわすことになるから兵士の性欲を満たすため軍の管理下で慰安所を開設することになった。戦地なので本土や朝鮮半島よりも慰安婦の報酬を高くしないとなかなか慰安婦が集まらなかったが、他の赤線地帯と違い裏社会の介入がなく、親方日の丸なので慰安所を経営する者には人気の物件であり、いわゆる日本軍のニーズを満たした経営者は戦局の拡大とともに慰安所を増やしていった。日米開戦となってからは赤紙によって多数の日本人兵士が派遣され、当時の朝鮮人男性への赤紙はなく炭鉱労働者や土木建設業者の数が少なくなったので多くの朝鮮人男性が対馬海峡を渡った。朝鮮半島からの志願兵は倍々ゲームで増えていったちなみに1910年当時の朝鮮半島の人口は1313万人で最初の戦地慰安所ができた1932年では2004万人、1942年では2553万人なので、10年間で500万人人口が増えたのだから、強制連行なんかしなくても募集さえすればすぐ集まったと思われる。今回トランプ大統領と面会した元慰安婦の年齢は88歳1945年の終戦時16歳である。13歳か14歳で慰安所で働き始めたと思うが、ねつ造された経歴だと思う。人口が増えている朝鮮半島において強制連行なんかしなくても戦地慰安婦は集まったと思うから、わざわざ今の中学生を拉致して連れてくる方が高リスクだし管理している日本軍だって少女を慰安婦として働かせている経営者に対して許認可権をかさに改善を迫るとも思われる。当時の日本陸軍は絶大なる力を持っており、海軍との対立と陸軍内での激しい出世争いがあったから汚点を残すなになっていたはず。また当時の慰安婦は借金を返し終えたら帰郷も許されていたし、今と違って熟女というカテゴリーはなかったから対外三十路になれば慰安婦としての価値がなくなり、その後従軍看護婦に転身した人やそのまま慰安所の管理職となって経理や財務管理を担当したり、後進への教育係になった人もいた。勿論慰安婦の過去を消してカフェや百貨店等で働いていたことにして、水商売を始めたりお見合いし結婚した人もいるわけだから決して性奴隷なんかではない、日本人慰安婦が名乗り出ないのは高額な報酬をもらっていわゆる過去を消したからである。そしてほとんど生きていないと思う。私が思う慰安婦の最小年齢は92歳で終戦時24歳が一番多いと思うので、日本人・朝鮮人を問わず96歳以上になっていると思う。日本軍が管理している基地内には慰安所は一軒ではなく複数あり、いわゆる競争原理が働いていたので慰安所の料金や慰安婦の報酬について軍が管理し過剰な競争原理を防いでいたようである。また性病の防止について慰安婦本人は勿論、軍では兵士が感染すれば戦力の喪失、また経営者にとっては信用を失う結果となるので慰安婦の健康管理に日本軍が責任を持つのは当たり前のことである。今でいうアイドルのような慰安婦が入所した場合日本軍の兵士は並んだそうであり、実家が裕福な兵士は借金を肩代わりするから結婚してくれとプロポーズされた慰安婦もいたようである。また生きて帰れないと悟った兵士は全ての金銭を慰安婦に渡し戦地に出撃した者もいた。そして慰安所の料金は現代の価値でいうと3万円で。当時の兵士は衣食住はかからないので仕送りをしていない限り月に3回~4回は通よえたそうで、妻や許嫁がいる兵士は操を立てて利用しなかった兵士もいたそうである、日本兵が皆慰安所に通いつめたようではない。今もそうだが若い兵士の場合いわゆる手コキだけでいっちゃう者もいて一晩に何人も相手させられたとの証言があるが、一晩で5人も相手にしていたら身体が持たず働く動機は親や親族の借金返済だから身体を壊しちゃもともこうもないので慰安婦も経営側も無理がないようにシフトを組んだはず。手コキでいったからもう一人お客をとるかなというのはあったと思います。恐らく現在80代の慰安婦は朝鮮戦争時の慰安婦と思われ、戦地慰安婦というのはほとんど亡くなったと思われる。まさに反日プロパカンダでの作り上げた慰安婦でありねつ造事例だ。そもそも朝鮮人強制連行説が初めて登場したのは1964年の朴慶植によって徴用や募集・斡旋が強制連行になってしまった。アジアで初開催の東京オリンピックが行われ翌年1965年には日韓基本条約が締結され当時の北朝鮮と朝鮮総連は相当のあせりがあったと思うので、全て自由意志ではないが1944年からの国民徴用令もあり、また騙されて働いたとこがいわゆるタコ部屋で当時は労働基準法もなく、戦地にいった日本人男性労働者を補うために多くの朝鮮人男性が日本企業に行ったことを私は否定はしないし、また労働環境が劣悪なこともたしかだと思うが人口が増えており、しかも赤紙が来ない朝鮮半島ではむしろ職を求めて日本に来たというケースだろう、1940年に今の高校サッカー選手権で神戸三中を4-0で下したソウルの普成中が優勝した。現在92歳の賀川浩氏がこの試合を観戦したレポートを見たがいわゆる在日朝鮮人の人達が大応援をしており、優勝した時は歓喜にスタンドが沸いたと書かれていた。強制連行で日本に来た人たちではなく普通に日本に来て郷土を応援していたのであろう。またハンドルネームがチンダラコッチさんという方は今は北朝鮮の新義州の旧制中学を卒業されその方の書き込みでは日本人も朝鮮人も分け隔てなく学校で学び北朝鮮での同窓会が開催され参加された。創氏改名は家族まかせで半数の朝鮮人は変えなかったと書かれていた。またクリスチャンのために神社への参拝は本人の意思だったそうだ。またハンドルネームは失念したが平壌で生まれた人で親が商売をしていたそうで家には朝鮮人の娘さん達が働いていて、ある一人の娘さんが父親の借金のために慰安婦にならざる得ない環境になりその方の母親が何度も娘さんの父親に思い留まるよう説得したが聞いてもらえず、最後の勤務の日みんなで泣いて送り出したという記述があった。そして配給の時は朝鮮人日本人分け隔てなく並んだというのである。このお三方は思想的にはリベラルであった。恐らく賀川浩さん以外は尊命されていないと思うが、強制連行が頻繁に行われていたとは到底思えない。日韓基本条約の成立に危機感を覚えた当時の総連によって流布され、当時のサヨク勢力が助長していったのだろうと思う。その後強制連行が独り歩きし吉田清治によって慰安婦の強制連行となりまた朝日新聞の誤報によって泥沼の問題へと発展していく。また北朝鮮では日本人強制連行説が戦後30年経って北朝鮮でも流布され拉致事件へと繋がっていくわけだ、日本人が戦前朝鮮人を拉致したという論理展開になりその報復だと当時の金正日は日本人拉致を正当化したのだろう。うそも100回言えば本当になるとの諺があるが、100回うそを言えば100回否定すればいいのだ。10年で500万人の人口が増えたというのは10年で北海道が出現したことになる。水が下に向かって流れるように人は生活のため上に流れていく。だから強制連行なんてしなくても必然的に人が集まったのだろうと思う。日本だってちょっと前までは援助交際という名で売春が今も行われているし、また自由恋愛なんて言葉もあった。売春は合法非合法にかかわらず世界的規模で存在する。元慰安婦とトランプ大統領を会わせる文大統領の国際センスを疑わらざるおえない。結論から言って朝鮮半島とかかわるとろくなことがない。これを歴史の教訓とすべきだろう。35年間で1200万人も人口増やしてごめんなさいだろう、35年間で東京都が朝鮮半島に出現したわけだからそれじゃ食料も足りなくなるし電気も働くとこさえなくなるよね。そうだ日本に行って頑張ろうじゃないのかな。
2017.12.02
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