2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全22件 (22件中 1-22件目)
1
シエナからホテルへ戻る夕暮れ時に、フィレンツェ旧市街が見渡せる丘にバスが止まりました。「ミケランジェロの丘」です。なかなかよい写真がたくさん撮れました。一応景色だけの写真も撮ったのでのせます。ミケランジェロのダビデ像が見下ろしているのは、フィレンツェ旧市街ではありませんか!イタリア旅行雑誌の顔とも言える花の大聖堂です。>橋に家がくっついたようなヴェッキオ橋です。夕霞の中に浮かび上がる中世の街並み。この地に立てた幸福感が今も写真を見ると湧き出てきます。無理無理にでも行ってよかった~~(^^)。
2010年01月22日
コメント(2)
狭い路地を歩いて、大聖堂の前を通り、さらに進むと広い場所に出ます。ここは市の中心にある「世界で最も美しい広場」と言われているカンポ広場です。 中世期の建物に囲まれた、市庁舎に向かって傾斜した、レンガで舗装の広場です。 この広場では、毎年夏に、荒馬競馬で有名な伝統的お祭り=パリオが開催されます。まるで中世の絵巻物を見ているようだといわれます。 広場に面して、市役所となっているプブリコ宮殿、ガイアの噴水、高い鐘楼=マンジャの塔などがあります。大聖堂です。イタリアの大聖堂ってどこも正面はよく似ていますね。馬の首ですよね。ここに手綱をかけたのでしょうか。おやここには競馬の絵があります。そうです、これがパリオです。広場に出ました。これがマンじゃの塔です。残念ながら上る時間なし。市役所の全景です。湾曲しています。その反対側です。こちらも湾曲していて、すこし高くなっています。バ-ルと呼ばれるお店が並んでいます。相変わらずここでもジェラ-トをいただきました。見た印象では、世界一の美しさはちょっと言い過ぎの気もしますね。これもイタリア的話半分でしょうか。
2010年01月21日
コメント(4)
トスカナ州の三つの丘の上に広がる古都シエナは、中世の面影をそのまま残した、イタリアの中でも、叙情あふれる最も美しい都市の一つといわれます。周囲を城壁に囲まれた南北約2km、東西約1.5kmほどの小さな街で、密集した赤茶色レンガ造りの家と、迷路のような曲がりくねった狭い道は、要塞堅固な城郭都市そのもの。シエナの誕生の歴史は、ネット情報によれば、ローマ建国の立役者、牝狼に育てられた王子「ロムルスとレムス」の権力争いに遡るのだそうです。壮烈な争いの結果、「ロムルス」は「レムス」を殺して、自分の名前を取ったローマを築く。一方レムスの子供「アスキオとセニオ」兄弟は、トスカーナ地方まで逃げ延び、ここに国を築いた。これがシエナの始まりだというのです。どこの国でも地方でも家柄でも同様ですが、「ル-ツは権威に結び付けたい」的願望の表われですね。さて、この街はローマ時代より金融業や商業で発展し、12世紀の頃にはフィレンツェと張合う程の都市国家として繁栄したのだそうですが、結局敗北し、古びた町並みが取り残されました。今眺める風景は、時間がとまった中世の町並みにふっと迷い込んだような錯覚を覚えます。この町全体を彩る独特の黄褐色+赤褐色の色調からなおさら感じる雰囲気ですね。この色こそ油彩になじんだ方ならご存知のシエナ色。なんともいえないこの落ち着いた色彩の地層、同じ統一した色彩でありながら、少しずつ違う点描のような色彩の深い奥行き。その色彩の違いの中に隠れていそうな物語をさがして、画家がパレットに出した絵の具を混合しながら、まるで色に温度や歌やささやきまであるかのように、ああでもない、こうでもないと苦心惨憺する様子が目に浮かぶような、そんな色に塗られた町並みです。定年過ぎたらこういう町で、デジタルカメラのワンショットではなく、じっくりと絵筆を持って油絵を描いて見たい。至福の時なのではないでしょうか。さて、道は町の中心の広場へ向かいます。
2010年01月20日
コメント(4)
最初の写真の一番手前にある洗礼堂の内部です。天井が高く、二重構造になっているためでしょうか。とても反響する空間です。ここの方がすばらしい声でデモしてくれました。往時、神父さまの声は、この反響効果によって、神の声に聞こえたことでしょう。床に描かれた美しい絵。見る人の心を優しくしてくれます。父なる神に対して、どうしてもこの優しさが必要ですね。さて、これから食事をして、午後はシエナへ行きます。
2010年01月19日
コメント(2)
ガリレオ・ガリレイといえば、世界に名高い学者です。「それでも地球は動く。」名言ですね。そのガリレオの生まれがピサだそうです。そしてこのピサ大聖堂の中にあるランプが彼に関係あるのだそうです。もうおわかりですね、そう、振り子の等時性です。彼はなんと、このピサ大学在学中にピサ大聖堂の天井から下がっているこのシャンデリア(ランプ)の揺れを見て、「振り子の等時性」を発見したのだそうです。最初火をともすために大きく揺れていたのが、次第にゆれ幅が小さくなってきても、周期はかわらないのを自分の手の脈拍数で知ったのだそうです。このシャンデリアこそ、そのランプだそうです。その後彼は25才でピサ大学の専任講師の職を得、研鑽に励みます。そして、かの有名な落体の法則=「重いものも軽いものも落下時間は同じ」をついに見出します。ピサの斜塔から「落下の実験」を行ったといわれていますが、これはどうやら作り話。彼は自然を観測したり自然に働きかけて自然の合理性を解き明かしていったといわれますが、観測結果と法則の間には、普通は大きなギャップがあります。これを思考実験で乗り越えたというのが特筆すべき業績ではないかと思います。よく言われることですが、落体の法則をピサの斜塔で実験したとすれば、実際には軽い方が空気抵抗で遅く落ちるので、正確に実験すればするほど、そのままでは落体の法則に到達できないはずなのです。それが彼にできたのは、有名な話ですが重いものと軽い物を紐で結んで落としたらどうなるか?この問題=思考実験を彼が頭の中で論理的に考察した結果といえます。(重いものが早く落ちるならば、紐でつないだ軽いものがブレ-キとなり、重いものと軽いものとの中間の時間で落ちるはず。でも両者の重さの合計は重いもの単体よりも重いのだから中間の時間ではなくて一番早いはず???あれれ?というような矛盾ですね。実に巧みな論証です。)なお補足しますと、彼は落体の挙動を斜面を転がる球体の所要時間からさらに検討しましたが、もしこれが球体でなくて円筒と球体とか、中空円筒と中実円筒を比較したとしたなら、これまたおかしな迷路に嵌まったかもしれません。(その理由はここでは説明しませんが。)さらに振り子の補足としては、振り子の等時性は実は厳密には成り立たず、ふれ幅が小さい場合のみに近似的に成立します。でも、ある程度以上振れるときに紐にさわるガイドを両側につけることによって大きく振れてもよりよく等時性が成り立つように出来ます。これを見出したのはホイヘンスですが、現代なら特許になるようなこのアイデア、あまり一般には知られていません。
2010年01月18日
コメント(6)
さて、とうとうきましたピサの斜塔。イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する超有名観光スポットです。この広場は通称「奇跡の広場」とも呼ばれています。手前が洗礼堂、次が大聖堂、その奥に斜塔が見えます。皆白い石灰岩石材で出来ています。斜塔は地上55mの高さで重量は14,453トン。約300段の階段で上に上がるようです。聞いただけで疲れが出てきます。なんと傾斜という問題がおきていなければ100mくらいの高さにする予定だったとか。底面積=基礎に対して重さ、高さがありすぎですよね。確かに基礎から傾いています。・・・・・ピサの歴史は相当古くて、紀元前13世紀ごろから始まったという説もあるほど。日本の古都奈良も京都もかないません。その後ロ-マ時代を経て成長し、アマルフィ共和国、ジェノヴァ共和国、ヴェネツィア共和国とともにイタリアの4大海洋国家のひとつになりました。そしてピサの大聖堂が1170年代に工事がはじめられ、約百年ごとに計3回にわたって建設されたそうです。この工事の初期にはすでに不等沈下による傾斜が始まったそうで、実際実物を見ると、中央付近でわざと塔の向きが変えられています。それでも傾斜はとまらず、ウィキによれば、20世紀になってからは、地下水くみ出しという問題もあってさらに傾斜は進行したようです。ついに1990年1月7日、公開を休止し、対策工事が開始されました。いろいろな工法が検討された挙句、最終的には北側の地盤を掘削した結果、当分当会の危険性がなくなったとのことで、2001年6月16日再公開されました。ここで必ずするのが、ピサの斜塔を手で支えるポ-ズで写真を撮ること。もちろん私たちも何枚も撮りました。そしてもうひとつがお土産店で買った斜塔形状のマグカップ。使い勝手はいまひとつです・・・。
2010年01月17日
コメント(0)
フィレンツェ郊外のホテルでいただきました。このまるで血のような色のジュ-スはその名もブラッドオレンジジュ-ス(^^;;;。地中海地方で栽培している品種だそうで、とってもおいしかったです。ビタミンCもポリフェノ-ルも普通のオレンジより豊富だそうです。最初は苦手なトマトジュ-スかと思いました。
2010年01月16日
コメント(0)
バスはヴェネチアを離れ、西へ西へと進みます。山間に部落が散在しています。細く伸びる木がゴッホで有名な糸杉です。めざすはトスカ-ナ地方。ここにはいろんな個性あふれる都市が点在しています。明日はまず斜塔で有名なピサへ、さらにシエナ色で有名なシエナへ。さらに翌日フィレンツェへ~~(^^)。ボロ-ニャはよらずにバスはトンネルへ~そういえばスパゲッテイ・ボロネ-ゼって日本で言えばミ-トソ-スですよね。イタリアでは毎日、毎食、いろんなパスタを食べました。どれがどれだかこんがらがりました。正直言って日本のイタ飯屋さんで食べるパスタの方がおいしい気がします。(^^;;;。
2010年01月15日
コメント(0)
さらば麗しのヴェネチア~♪そうボ-トの上から叫んでいました。サンタルチアを口ずさんでいました。10月初旬の風がここちよかったです。そこで、お聞きください、ご覧ください。ユ-チュ-ブ:麗しのヴェニス です。私の写真よりずっと麗しいヴェネチアがあります^^。イタリアはヴェネチアだけではありません。旅はまだまだ続きます。
2010年01月14日
コメント(0)
ヴェネチアを二分するS字の大運河=カナル・グランデをまたぐ大きな橋です。どことなく上海の水郷で見た橋に似ています。イタリアでは「白い巨象」とも言われます。運河を橋の上から見れば、水とともに生きた16世紀の古人の遠い歴史の光が向こうから見えてきます。息遣いが裏町から聞こえてきます。リアルト橋は歴史の架け橋ですね。さまざまな国からやってきた観光客がわいわいがやがや、皆思い思いに写真を撮って笑顔を輝かせていました。もちろん私達も、外人さんにたくさん写真を撮ってもらいました。お互い撮りあいできて楽しかったです。
2010年01月13日
コメント(0)
そのまんまです。これもなかなかの美味♪ついでにおはぐろスパ=イカ墨スパゲッテイ。おまけが、カプチ-ノです。どれも本場の味ですね~(^^)♪
2010年01月12日
コメント(0)
今から約4000年以上も前の出来事だそうです。ネットから引用です。-----------------------「言い伝えによると、フェニキアの海岸沿いに硝石の商人が着岸し、乗っていた者たちが食事を用意するために砂浜へちらばった、ところが大なべを持ち上げておくための石がなかったので、彼らは船から取ってきた硝石の塊を支えとして使った。するとこの硝石に火が着き、砂浜の砂と混ざって、輝く未知の液体が流れだした。これがガラスのはじまりにちがいないとプリニオ・イル・ヴェッキオはA.D.1世紀後半に彼が著した「自然の歴史」の中でガラスの発明をフェニキア人のものと考えながら語っています。 -----------------------硝石=ソ-ダ、海岸の砂粒=シリカ、石灰というまさにソ-ダガラスの原料ですね。時代は過ぎて、 ローマ帝国時代に吹きガラスが発明されてガラス芸術は花開きました。さらにヴェネチアの国ではガラス職人たちをひとつの島(ムラ-ノ島)に集め、技法の拡散を防ぎ、技量、技術の高度化を促進しました。これがヴェネチングラスとなりました。ちょうどルネッサンスの時代ですね。3万色もの色彩の豊かさで有名ですが、中でもベネチアン・レッドといわれる真紅には金・セレン・銅などが使われ、その配合こそ秘中の秘だったそうです。 なおコバルトを添加すると青になるのですが、これがコバルトブル-のいわれです。有名な「ラグ-ナ・ムラ-ノ・グラス」でマエストロが実演しています。かなりのピンボケですが、この赤い石こそ、ヴェネチアン・レッドの原石(ガラス)です。ヴェネチアングラスを購入しました。手前のどれかです。ちょっと高かったけれど、記念品ですね。本当に美しい真紅です。ただ蛍光灯下では黒っぽく見えます。チェコのボヘミアングラスもすばらしかったですが、このヴェネチアングラスもまた傑作ですね。でも両者は全然違います。
2010年01月11日
コメント(0)
サン・マルコ寺院は、サン・マルコ広場に面して建っている、福音取材記者マルコにささげられた、ヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。---「建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立がある。」----という説明がウィキでありましたが、内部を見た印象はそういうのあったかな?内部は写真撮影禁止だったので?です。それでも多彩な石灰岩の組み合わせ装飾が格別に美しい建築物という印象。ベニスの商人の誇りだったのでしょう。柱は見事なトラバ-チン。縞状石灰岩の模様が秀逸。さすがはイタリアです。石好き心が動かされますね(^^)。正面の上部に描かれている壁画もすばらしいです。新約聖書のマルコによる福音書。昔、読んだことがあるのですが、すでに忘却のかなたに(~~;;;。そういえば、マルコ・ポ-ロもここヴェネチアから東方に旅立った取材記者ですね。歴史がそこここで息づいています♪
2010年01月10日
コメント(6)
サン・マルコ寺院は、サン・マルコ広場に面して建っている、福音取材記者マルコにささげられた、ヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。---「建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立がある。」----という説明がウィキでありましたが、内部を見た印象はそういうのあったかな?でした。多彩な石灰岩の組み合わせ装飾が美しい建築物という印象です。ベニスの商人の誇りでしょう。内部は写真撮影厳禁。柱は見事なトラバ-チン。縞状石灰岩の模様が美しい。さすがはイタリアです。正面の上部に描かれている壁画もすばらしい。新約聖書のマルコによる福音書。昔、読んだことがあるのですが、すでに忘却のかなたです(~~;;;。そういえば、マルコ・ポ-ロもここヴェネチアから東方に旅立った取材記者ですね。♪
2010年01月09日
コメント(0)
ヴェネチアが水没する、その前兆現象といわれる高潮(アクア・アルタ)です。ヴェネチアで一番低いサンマルコ広場のマンホ-ルからこのように海水が噴出しています。世界一美しい広場といわれるサン・マルコ広場がこれでは台無しですよね。 臨時の踏み台が設置されるのを以前テレビで見たことがありましたが、まさにそれを眼の前で設置していました。この日はそれほど広範囲に広がらずにすんだようです。年々回数が増えてきているようで、地球温暖化の影響はヴェネチアにとって決して遠い未来ではないようです。
2010年01月08日
コメント(2)
建物の間を進みます。狭い路地という感じですが、水面に映る風景がゆらゆら、やはり美しいです。こぎ手はなかなかのイケメンですね。ツ-ショット写真を撮るときには直立不動の姿勢をしてくれました。なんせイタリアはイケメンが多いです。日本人の女性がイタリア人にころっとなるのが現地に来てみてなるほどと思いました。さてゴンド-ラはこれでおしまい。兄弟舟ではありませんが、「夢のゆりかご♪」でした。九州・柳川の舟とは「月とすっぽん」です。観光立国をめざすという民主党ですが、このヴェネチアはひとつのス-パ-モデルですね。こんな街が日本にあったら、世界中から観光客が押し寄せますよ。
2010年01月07日
コメント(6)
ゴンドラの形です。2名が基本ですが、5人まで乗れます。2名の前に3名乗ります。私達は2名の指定席、その前に3名、女性2人組がいっしょに乗りました。聞くと皆若い女医さんのグル-プでした。おかげで写真を取り合うことができ、それはその後旅行中ずっと続き、写真を頼みやすくてラッキ-でした。いよいよ乗り込みます。ツア-の中に料金が含まれていますが、単独で乗りますと、結構高い料金です。どこを見ても絵になる風景です。ヴェネツイ-アのゴンド-ラですね。(続く)
2010年01月06日
コメント(0)
しばらく中断していたイタリア美遊の続きを再会します。夢にまで見たヴェネチアに足を踏み入れました。マルコポ-ロに会いにきました。この町全体が世界遺産です。青い空は中世の空です。ドッカ-レ宮殿はベネチア共和国総督の宮殿で、総督私邸、評議会、裁判所、牢獄などが内部に置かれていました。現在は博物館です。運河を隔てた対岸の牢獄と宮殿を結ぶ白の大理石の橋は、別名「ため息橋」。左が宮殿、右が牢獄です。残念ながら今回は工事中で橋がわずか見えただけでした。これも実際に見た証拠でしょう。かの色男カサノヴァも、ここの牢獄に幽閉されたことがあるとか。どうやって脱獄できたのでしょうか。テレビのCMで見るような甘い仮面達がこちらを見ています。そろそろゴンドラが待っています。
2010年01月05日
コメント(0)
ニュ-スより引用です。-----------------------------立場変われば…政治とカネ、どこ吹く風 民主「予算優先」 (1/2ページ)2010.1.18 18:56 お言葉を述べる天皇陛下=18日午後1時4分、国会・参院本会議場(酒巻俊介撮影) 冒頭から風雲急を告げそうな通常国会で、政府・民主党は「国民の命を守る政治を行う」(鳩山由紀夫首相)として、平成22年度予算案などの早期成立を訴えている。しかし、小沢一郎幹事長ら民主党首脳の野党時代の発言を振り返ると、予算審議よりも自民党政権の「政治とカネ」の問題追及を優先するという現在の路線とはまったく逆の立場をとっていた。それだけに、過去の発言との整合性が問われている。 「言うまでもなく、民主主義は政治家に対する国民の信頼があってこそ成り立つ」 現在、「政治とカネ」をめぐる問題の渦中にある小沢幹事長は、3年前の通常国会で、こう訴えていた。 平成19年1月29日の衆院本会議で党代表として代表質問に立った小沢氏は、安倍内閣の佐田玄一郎行政改革担当相が政治資金の不正経理問題で辞任したことや、松岡利勝農水相の事務所費問題を挙げ、「安倍晋三首相は任命権者として説明を果たしていない」と追及した。 小沢氏は問題の解明がなければ「国会でまともな論戦を始めることができない」とも指摘し、予算審議を“人質”に徹底抗戦の構えを見せた。-------------------------引用終わり。リッパなご主張です。ならばいまこそ小沢氏ご自身が、説明責任の見本を見せる時です。国民の大半はいまだ説明不十分との認識です。国民が納得しなければだめでしょう。
2010年01月04日
コメント(2)
ハイチではたいへんな状態になっています。いまこそ、日本の救助隊、医療チ-ム、自衛隊が彼らを救う行動に立ち上がってほしいです。Twitter並みの短文ですね。----実はTwitterと同じことを書いたのですが、なぜか下書き状態のままになっていました。もう古新聞になってしまいましたが、それにしても阪神大震災の時期におきたのに、日本政府の対応、あまりに遅くてしょぼいです。国際貢献の最高の舞台なのに。
2010年01月03日
コメント(2)
政府・民主党は11日、永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案を政府提出法案(閣法)として18日召集の通常国会に提出し、成立を目指す方針を決めた。この法案には自民党を中心に反対・慎重論が根強く、地方議会を巻き込んで国論を二分する事態となる可能性もある。-----ニュ-スからの引用です。以前もこの話が出てましたが、今回小沢幹事長指示では本当にやりそうです。でもいくら彼らからの応援がほしいからといって、それと選挙権とは別問題でしょう。憲法違反が明白です。民主党幹部の見識を疑います。もっと国民のために先にするべきことがあるでしょう。またこれで支持率がさがりますね。
2010年01月02日
コメント(2)
すでに遅すぎますが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて、先ほど病気腎臓移植のニュ-スを聞いて・・・転移がんの場合、ほかの微小転移がある可能性があり、それがさらに他の臓器へ転移するリスクも考えると、日本の移植学会のいう原則禁止もわかるような気がします。でも患者さんはもう待てないのも事実です。転移のリスクがあっても移植してほしいのです。患者さんが望むなら移植できる道が開かれているこれが大事ではないでしょうか。この手術が日本では排除され、アメリカでは表彰されたというのも意味深です。まさに自己責任の思想の違いのように感じます。ちなみに私はドナ-カ-ドをいつも持っています。死んで焼かれるくらいなら他で部分的にせよ生かしていただく方がはるかにうれしいです。そして病気腎移植と透析しか道がなくなったら、私は可能なら前者を選びたいです。
2010年01月01日
コメント(4)
全22件 (22件中 1-22件目)
1