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この本からの気づき◎ミクロの物質は粒であると同時に波の性質をもつ◎波になっている電子を見ようとすると、電子の波は消えてしまう◎プランクのエネルギー量子仮説は、物理学の中に初めて「とびとび、不連続」という考え方を持ち込んだ画期的なものでした◎人類は19世紀の終わりと同時にニュートン以来の「常識」であった古典物理学に見切りをつけて、次なる新しい世紀を席巻する量子物理学の世界に踏み出した◎量子の誕生は、古典物理学が決して「完璧」ではないことを示す歴史的な事件だった◎従来の古典物理学と真の量子物理学を結ぶ「橋渡し」、それがボーアの前期量子論だった◎理論はある意味で「実験結果」をきちんと言い当てることができればそれで良い◎電子の波が広がっているときには、電子は「ある場所にいる」状態と「別の場所にいる」状態が重ね合わさっている◎ただしこれは「電子はA点とB点の両方に同時にいるということではありません◎また、これは「電子はA点とB点のどちらか一方にいるのだが、どちらにいるのかはわからない。確率的にしか言えない」のとも違います◎一個の電子が「A点にいる」状態と、同じ一個の電子が「B点にいる」状態が、同一の電子の中で重なり合って共存しているのです◎「重ね合わせ」のことを英語ではsuperpositionと言いますが、英語の方が意味をつかみやすいかもしれません◎電子の波が広がっているとき、電子は通常の位置(position)の概念を超えた「スーパーポジション」を占めているのです◎私たちが見る前の電子の波は様々な場所に広がっている◎私たちが電子を観測したとたんに電子の波は一点に収縮して、電子は粒としてどこか一か所で発見される◎電子の位置が確率的に決まるとは「電子の位置はどこか一か所に決まっているが、私たちはその場所を確率的にしか推定できない」という意味ではありません◎電子の位置は、まるでサイコロを振ってその目に応じて電子の発見場所が決まるように、確率的に(いわば偶然の要素で)決定されるのだと、ボーアたちは考えた◎そして、私たちが観測をやめると、電子の波は再び広がり始め、電子は「重ね合わせ」の状態に戻っていきます◎しかし、再度電子を見ると、電子の波は収縮し、電子は再びどこか一点で発見されるのです◎私たちが電子を見る時、電子は必ずどこか一点に観測されるという厳然たる事実がまずある◎一方で、原子中の電子のエネルギーなどを見事に説明できるシュレディンガー方程式によると、正体不明である電子の波(波動関数Ψ)が広がっているということも、方程式が正しいと考える限り動かせない「事実」です◎この二つの事実を結びつける方法が「波の収縮」なのです◎誰も見たことはないが広がっているはずの電子の波は、私たちが見たとたんに、なぜだかはわからないけれど収縮してしまうので、電子は必ず一点に観測されるのだという「解釈」をすれば、一応つじつまは合います◎電子の波などという誰も見たことがない「幽霊」のような存在については、これ以上議論しても無駄と言えます◎科学は実際の現象を扱うものですから、現象として現れない電子の波や、その波の収縮などは科学では議論できず、「そうなのだろう」と解釈すれば良いことになるのです◎「波の収縮」と「確率解釈」を二本の柱として、私たちに見られる前の電子と、見られたあとの電子のようすを理解しようとするこの解釈方法を、コペンハーゲン解釈と呼びます。これはボーアと彼の弟子たちのグループが唱えた考え方です◎自然現象を表す物理学は決定論(過去のある時点での条件がすべてわかれば、その未来はただ一つに決定できると考えること)でなければならないというのが、ニュートン以来の物理学の大前提だった◎電子は「A点で発見される」という未来と「B点で発見される」という未来を友に持っていて、実際にどちらになるかは未来にならないとわからない、いわば「行き当たりばったりで決まる(確率論)」ということになるが、自然現象が決定論として記述できると信じていたアインシュタインは、確率解釈を柱とするコペンハーゲン解釈、つまり正統的量子論を「神はサイコロ遊びを好まない」として批判した◎量子論は、物質や自然がただ一つの状態に決まらずに非常にあいまいであることを、そしてあいまいさこそが自然の本質であることを私たちに示したのです◎相いれないはずの二つの事物が、互いに補い合って一つの事物や世界を形成しているという考え方を相補性原理と言います◎ボーアは相補性を表すシンボルとして古代中国の「陰陽思想」を象徴する対極図を好んで用いました◎東洋思想の柱にある「一元論(物と心、自然と人間などを分けず、これらを不可分なものとみなす)」は、近代科学の根底にある「二元論(物と心、自然と人間などを分けて取り扱う)」と対立する概念です◎客観的事実の存在を否定した量子論は、自然と観測者を分けて考える二元論的な世界観を避け、観測対象である自然と観測する私たちとを一つのセットとして考える、一元論的な自然観を示しています◎電子、原子、分子の関連において、量子論は化学の分野を物理学の中に組み込んだ、または化学と物理学を統合したといえる◎真空は何も存在しない「無」の空間ではなくて、そこでは粒子と反粒子がセットになって生まれたり消えたりすることを絶えず繰り返している◎概念的または哲学的な意味での「無・ゼロ」は哲学的にあり得ないということも、量子論が明らかにした真実の一つ◎ミクロの粒子は様々な作用の中で突然生まれたり消えたりことが出来る◎物質を構成する基本粒子である素粒子が、決して不変のものではなくて、作られたり消えたり、別の粒子に形を変えたりするというのは、自然の本質的な不確定さ・あいまいさを説く量子論の、まさに真骨頂と言える◎これからの量子論を考える上で、その最大の懸案事項は量子論と相対性理論を融合すること今日の宣言ここでかたられることの深いところは理解できていないかもしれませんが、私は「世界」の意味を感じ取ることはできたので、これからはこの「世界観」をもって世の中や人に接していきます!
2007年11月14日
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