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昨年の1月27日夜明けと共に永遠の旅に出られたイラストレーターであり長年「山利喜」を愛し続けていた「栗山邦正」さんの4枚セットの記念絵はがきがこのたび出来上がりました 創業80周年のときのぶたのストラップまたもう少し先になりますがもつ煮込みのストラップ同様いつまでもお店に訪れた人の心に残るものになると思います 栗山 邦正 (くりやま くにまさ)1937年、東京亀戸生まれ。第30回毎日商業デザイン奨励賞、第12回観光ポスターコンクール佳作など受賞。京都ビエンナーレやイタリア・ミラノ、アメリカ・カンザス、アルゼンチン・ブエノスアイレスなど国内外の企画展に参加。78年以降、生まれ育った江東の風物を主題に、毎冬、個展を開催。挿絵の仕事に『東京酒場漂流記』『下町小僧』『ぼくらは下町探検隊』(以上ちくま文庫)、児童図書に『ぼくらは下町たんけん隊』(童心社)、『あんちゃん キライ!』(くもん出版)、絵本の仕事に『えんとつ』『おんがくは いかが』(講談社)、『はこ』(徳間書店)などがある
2007年04月29日
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▼ミル 生後2歳半(出身地:東京だと思う) ▼フータ 生後12歳(出身地:自宅前) 年が離れているせいか2年以上たってはいるが、いまだに仲良くはならない人間でいうと女子高生と隠居じいさんくらいの関係だからだろうか(笑) フータ(茶色)がうちにやってきたのは、ある日突然のことだった 野良ネコに、ただ可愛い可愛いだけで餌は与えるけれどそれによりただ子孫が増えてゆくだけという無責任な不幸の連鎖…餌を与えるだけの人間にはそのようなことに気をとめる様子などは全くないようだった一見、人がよさそうには見える「似非動物好き」そして、やがて近所じゅうに子孫が増え野良ネコだらけに…時には車にひかれた無残な姿、時には悪ガキたちからの虐待 ある日近所のメスネコが3匹の子ネコを産んだどういうわけか2匹は育てるのだけど、1匹だけには乳もあげずに首をくわえて5メートルほど道を挟んだ我が家の前に連れてきたおそらく親ネコも動物の本能なのだろうか育たないであろう一匹のネコだけには乳をまったくあげずに残りの2匹だけを育てるという苦渋の選択をしたのかもしれないようだった あるいは人間がえさを与えて育ててくれるかと考えたのであろうかいやっ、動物の親ネコにはそんな他力本願などという本能はないはず自分の命にかえてでも子を守るという動物に共通の本能があるはずだ 近所の人たち誰もが可愛そうに思い、親ネコのところへ連れ戻すとまた親ネコがまた育てない子ネコだけ我が家の前に連れてくるという繰り返し…数日のあいだだっただろうか「ニャ~ニャ~」というか細い声が昼夜問わず、通りに鳴り響いていたそして、その極端に小さくそして体力の弱った子ネコのなきごえは日に日に弱っていった ある日聞いたことは、近所の悪ガキどもがサッカーボールがわりにその弱った子ネコを蹴って遊んでいるとのことさすがに大のネコ嫌いのわたしも、それを聞いて大激怒した死期が近くなってきたのだろうか、動かなくなって蟻がたかり始めてきたということ 私にも苦渋の決断であった、それは小さい頃からネコが大嫌いだったからだ 大昔、家で飼っていた小鳥、ハツカネズミ、モルモット、ハト、ニワトリ…ことごとく近所で飼われていたたくさんのネコたちの餌食になってきたそれに加え父が丹精を尽くして育ててきた盆栽の数々もメチャメチャに当時、それでなくともボロ家だったわが家の屋根瓦もことごとく蹴散らされそれが原因の雨漏りに…家族総出で日曜には屋根の修理に追われたそんな迷惑なんて、近所の飼い主にはまったく知る由もなかったであろう そんなわけで、私もイヌは飼うがネコを飼おうなんて気はさらさらなかったかみさんも子供たちも、大のネコ嫌いの私がネコを飼っても良いなどという許可を出すことなどまったく想像もしなかったということだった それは餌は与えようとはするけれど、体力が弱りその餌さえも受け付けない死期の差し迫ったネコを、近所の誰もが助けようとしないことに対して自分の家族が見過ごしてほしくなかったからだった 獣医師が言うには、もう一日遅かったら手遅れとのことだった…確か130グラムそして、しばらくして体力が回復してきた段階で去勢の手術も施してもらったそれは、また不幸な無責任の連鎖をつくらないためにも必要だと考えたからそして密集した住宅地ということからして家から一歩も出してはいない(脱走ほ別 笑) 幸いにも大きな病気もせずに12年の歳月が過ぎていったただ親からも拒否されたトラウマからだろうか、いまだに人にはなつかない無理やり抱っこをしようものなら、大声をあげ手に噛み付いてくるしかしこちらも飼い主の特権、抱っこするためにいろんな遊び技を開発した『四の字固め』『大車輪』『耳ひっくり返し』『強制牙むき』『シェー』『大文字焼き』(爆) 少々『M』にさせてしまっただろうか、最近は一日に一回は自分の方からその日課を要求しにくるような仕草も…(笑)
2007年04月25日
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以前からhaseusagi062029141さんよりお奨めのあった上野は不忍池際下町風俗資料館の入館料の300円は非常に安かったです何となく深川の江戸資料館にも少し似た雰囲気もありますが私にとっては実体験のある昭和の雰囲気が感じられるこの場所は予想していた以上に、価値のある空間でした 大正から昭和のこの時代は、いまのように便利な世の中ではなく物を大切にする習慣、というよりか物がないから大切に使うしかなかったそれなりにいい時代だったのでしょうねぇ・・・ 私は昭和30年代・40年代の経済高度成長期に育った世代ですからだんだんとこのような古き良き生活様式は失われてゆきながらも年々生活が電化され、日に日に良くなってゆくのが肌で感じられた時代でもありました ▼うちにもこのような裸電球の街灯がありました。母が暗くなるとスイッチを入れるのが日課でしたうちは一応水洗のトイレでしたが、どこへ行ってもこのような汲み取り式いわゆる「ぼっとん便所」▲紙は良くてちり紙なんかがあれば良い方で、普通は新聞紙が切って積んでありました。物を落とすと大変なことに… ▼よく見ると、電球以外は江戸時代の生活にも似てるような気がいたします。電球はこんな商売屋さん以外は明るいものを使っている家は殆ど無かったのではないでしょうか。とにかく暗い電球が多かった記憶があります。▼昔はとにかくゴミが出なかった。このようなゴミ箱を隣り近所数軒で共用してました。包装・容器のゴミは殆ど皆無だったですから生ゴミが中心であったような記憶が。もちろん毎日ゴミを回収しにくるわけではないですよ▼明治23年浅草に高さ52mという当時としては東洋一の驚異的な高さを誇る八角形の赤煉瓦づくりの凌雲閣(通称・浅草十二階)。大正12年の関東大震災で8階からポッキリ折れてその後爆破解体される運命に。東京のどこからでも見ることができたそうです。いま風に言うと浅草のランドマークタワーということでしょうかね。昭和7年に森下仁丹が東京進出の際、東京で一番人出の多い浅草に建てた広告塔▲19年に解体。戦後29年に再建の時浅草に馴染みの凌雲閣十二階を模して建て浅草の名物に、その後昭和61年解体。ちなみに中学校時代は毎日のようにここの前を都電に乗って通ったもんです。路線番号は「30番」始発は墨田区の寺島(東向島)広小路を出ると上野・秋葉原を通って終点は千代田区神田須田町でした。定期券は中学生の学割で300円~400くらいだったような記憶が…。 ▼大正初期の浅草六区の興行街には劇場、映画館、寄席などが20軒近くも軒を並べていたそうです。▲昔の仲見世 今の方がお店がせり出していて通路が狭く感じられますね 今の仲見世▼ 昭和40年代前半くらいでしょうか、浅草が高度成長期から取り残されて一時さびれた時は、仲見世に行くとシャッターが閉まっている店が多くあった記憶が…その後観光で盛り返し、現在は平日・休日問わず賑やかな町に甦りました
2007年04月15日
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東急ハンズへ行くと置いてあるらしいですそれぞれ直径3センチあるかないか…でもいつもお腹がグーグー鳴ってしまったら困りますよねダイエット中の方は持ち歩かない方がよいかもです(笑) ちなみに山利喜さんのミニチュア料理ストラップはあと2ヶ月くらい先になりそうです
2007年04月14日
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というよりか、かみさんが餅嫌いなので残念ながら今回は食べられませんでした(汗) 三人文殊さん…弘福寺の花見堂の文字はごらんの通りですお寺さんによって花見堂(花見堂という名称も初めて知った次第ですが…)の顔がそれぞれ違うというのも驚きですね ▼弘福寺花見堂の拡大画像 よく見ると、長命寺と言うお寺は全国的に有名であるにもかかわらず非常に小さいお寺さんであるのには驚かされますもっとも長命寺は小さい上に、半分以上の敷地は「言問幼稚園」という私が大昔に通っていた母校なのですよ… ▼長命寺本堂江戸時代の本堂は安政二年の大地震で消失、明治になってからも復興は困難で麻布にあった武家屋敷を移転させて仮本堂としたが関東大震災で再び消失し、本尊阿弥陀如来、弁天堂安置の弁財天像、芭蕉堂の芭蕉像他を持出しかろうじて難を逃れ現在に至っている。宗派は天台宗に属し比叡山延暦寺を本山としている ▼ちゃんとお賽銭を入れてきましたよ ▼この水が、三代将軍家光の鷹狩の際の腹痛を治したのでしょうか… ◆ 長命寺...........墨田区向島5-4-4天台宗の寺で阿弥陀仏を祀る。江戸時代、ここは雪見の名所であった。長命寺は、別名風流寺ともいわれ訪れる文人墨客は数多く、筆塚・人物碑・歌碑・句碑・狂歌碑など六十余りもある。寺の名前は、三代将軍家光がこの地に鷹狩の際腹痛が起き、時の住職が寺の庭にある般若水で薬を差し上げると、俄かに痛みが止まったので、それ以来のものだという。七福神の弁財天の寺である。-----入り口に幼稚園ができていて、奥にけっこう風流な庭があるにもかかわらず、なんとなく落ち着かない雰囲気の寺となってしまっていて残念である。桜餅と共に名高い寺であるのに、昔の趣は全然感じられなかった。・・・・・・・・ぢんこωさんの東京江戸散歩より・・・・・・・・ しかし子供とはいえ、歴史ある碑とは知らずに石碑に登ったり隠れたりずいぶんと遊ばせていただきました(笑)でも超有名なさくら餅・言問団子なんぞは殆ど食べさせてもらった記憶はありません(汗)
2007年04月11日
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一昨日は、久々に生まれ故郷である向島の散歩へもう葉桜になりかけた隅田川公園をそぞろ歩き訪れたのが長命寺のお隣にある弘福寺という結構古いお寺 三人文殊さんの日記を拝読し、急に行きたくなり何十年ぶりになりますでしょうかささやかながら花まつりを祝ってまいりました ◆弘福寺...........墨田区向島5-3-2延宝二年(1674)に鉄牛和尚によって開かれた黄檗宗の寺で、本尊は恵心僧都作の釈迦如来像である。本堂の屋根に特徴があるのは、この寺が中国の黄檗寺にならって、大明式建築で建てられているからである。境内に祭ってある翁婆一対の石像は、「咳の爺婆」といって、風邪や百日咳のひとが参詣するとたちどころに良くなるといわれている。隅田川七福神めぐりの布袋尊が祭られている。-----照り返しの激しいアスファルトの道を、やっとの思いで辿りついた寺は、石畳の参道を本堂の屋根が見下ろすように高く聳えてみえた。清潔な雰囲気の漂う品の良い景色であった。 ・・・・・・・・ぢんこωさんの東京江戸散歩より・・・・・・・・ 甘茶をご馳走になりました。おまけに容器に入ったお土産までいただき帰ってからも家族でお祝いを…
2007年04月10日
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いつも公私ともにお世話になっている、東京は深川「大衆酒場 山利喜」 さん超人気定番メニューの「もつ煮込み」の料理ストラップの試作品がこのたび出来上がりました でかい料理サンプルではなくて、超ミニ料理ストラップなんです ホンモノはこれ↓ これは80周年のときの記念品↓ このもつ煮込みの味は、山利喜80有余年の歴史の中でも一時はフランス料理店の開業を目指されていた、三代目の現在のご主人が考案された超美味しい人気料理なんですよ… 地下鉄大江戸線、都営新宿線は森下駅すぐ近くお店の開店を首を長くして待つ五時近くには長蛇の列が 350ミリリットルのお酒しか飲めない看板男もこのもつ煮込みで飲むときにはザル状態(笑)
2007年04月07日
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私はいつも皆様のブログで勉強をさせていただくことが多くあるのですが特に昨日、夢前案内人6323さんの日記を見て考えさせられたことがあります 私も以前、何の我慢もせずに親から与えられるだけ与えられたであろう方のことを日記で書いたことがありますが… 我慢すること、我慢させることがいかに重要であるかを仕事を通して考えさせられることが毎日のようにありますそしていつも思うこと、感じること…いかにこういう考えを持った方が多いことか「一時でもよいから、とりあえずいい思いをしたい、かっこをつけたい!」「努力なく綺麗な洋服を着て、豪華なもの身につけて、美味しいもの食べて、いい車乗る」いや、それがすべて悪いことだとは言いませんが肝心なことは、努力と忍耐という対価を払って手にしたかどうかが問題だと思います 最近は子供に経済的には不自由をさせない家庭が多くなってきましたし仮に不自由であっても、とりあえずはどこでも簡単に借金が出来て見かけを取繕える社会の仕組みも出来ていますからなかなか最後の大きな不幸な瞬間を迎えるまでわからないのです そして最後の不幸の瞬間とは、極端かもしれませんが毎日マスコミで報道されていること裕福な医師の家庭で何不自由なく育った子供が犯した重大な犯罪が象徴しているように殆どの原因が自分の欲望を抑えられなかったから起っているような気がします 何でもイージーに解決してはいけないはずなのに今の社会の仕組みは、とりあえずはイージーに解決する方法がたくさんあり過ぎるそのイージーさが同時に、どのような悪魔を連れてくるかも知らずに そのようなことを看板男、夢前案内人6323さんの日記で考えさせられました
2007年04月05日
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◆飲んだあとに、ちょこっとだけ美味しい寿司を食いたいなぁ・・・なんて思った時に ◆飲まなくても、少しだけ本格寿司をつまみたいなぁ・・・なんて感じた時 ▲「ハーフちらし」900円・・・の予定 ▲「ハーフにぎり」800円・・・の予定 いえっ、別に財布を気にしない「おまかせ寿司」でもいいんですけどね~(x_x)ブルブル (笑) ここは深川は田門さん日本一の鮨職人のこのおやじさん・・・人間的にも素晴らしい方ですよ!
2007年04月02日
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