2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全12件 (12件中 1-12件目)
1

"Se piangi se ridi"(あんさんが笑うならばあんさんが泣くならば)(笑)『君に涙と微笑を』は1965年のサン・レモ音楽祭の優勝曲ミーナも唄っていますが、わたしはボビーソロの歌の方が好きです何とも言えないソフトなムードのある歌い方には当時の女性ファンは参ってしまったことでしょうね 先日までこの曲、ユーチューブでずっとアクセス不可能な状態でしたがどういうわけか、急に出来るようになりました(またいつ出来なくなるかも…)なるほどエルビスプレスリーに憧れたというだけあって聞いてみればプレスリーに声も歌い方も似ているような気がします
2007年02月28日
コメント(10)

いつもブログでお世話になっている新鮮美感さんから教えていただいたスカイプという無料電話…これは大変便利なものでしていまあるパソコンにダウンロードしてヘッドフォンをつけるだけ福島と東京という遠距離にもかかわらず、何時間話しても「0円!」なんです そのようなわけで、今回新鮮美感さんオンリーワン理念のご協力を頂いて東京のおとなり、東西線は行徳駅すぐ近くにこのたび開院される「松岡整骨院」さまへ集客用の看板を納めさせていただくことになりました 内装工事の遅れからぎりぎりまで院内の撮影が出来ずとりあえずは間に合わせの内容の看板納品となってしまいましたがごらんの様な内容でございます この松岡院長先生、とても前向きで情熱的な方でして集客の打ち合わせになりますと、数時間にも及ぶこともしばしばでした
2007年02月26日
コメント(16)

When will I see you again(日本語題名 天使のささやき)の関西弁直訳(笑)わたくしは心が綺麗なせいかどうも綺麗な曲を聞くのが好きなようなんですよ(爆) てなわけで、木更津時代の楽しみと言えば納品をするジュークボックスに自分の好きなレコードを入れておいて、仕事で訪問したときにかけることでした当時、よく酒場でかかっていた曲は五木ひろしの「千曲川」とか岩崎宏美の「ロマンス」荒井由美の「あの日にかえりたい」とか中島みゆきの「時代」とか…中でも大田裕美の「木綿のハンカチーフ」なんていう大ヒット曲がありましたがあるレンタル先の喫茶店のマスターがいわく「大江戸さん、ある東北地方から出稼ぎにきている年配のお客さんがいてね~涙を流しながら一日中レコードをかけてかけていたよ!」なんていう話を聞くと、少しは役にたっているのかなぁ…なんていう気持ちにも勝手になったりもしていました
2007年02月24日
コメント(18)
「急ぐとも 心静かに 真ん中へ 散らば吉野の花もきたなし」 「好きなあなたに貸したいけれど、貸せばあなたが来なくなる」 「急ぐとも 心静かに手を添えて 外にこぼすな松茸の露」 「急ぐとも ねらい定かに真ん中へ 飛び散る火花は 人の世話焼く」 「あさがおの 外にこぼすな 竿の露」 「急ぐとも 西や東に垂れかけな 皆見(南)る人が汚(北)なかりける」 「自身持て!武器の大小に臆せずあと一歩前へ!!」 ★心当たりのあるみなさん、気をつけましょうね・・・(笑)
2007年02月22日
コメント(22)
ときどき町で挨拶を交わす男性、以前の得意先の元店長Iさんあるとき「大江戸さ~ん、自転車を貸してくれない?」土曜で使う予定がなかったから貸してやった 後日・・・ 「大江戸さ~ん、ちょっと話しが三つ程あるのだけど・・・」何の話しですか?? ん~~~ちと嫌な予感大体がこのIさん、得する話などは一度も無かった 「一つ目はね、儲かることがある説明会に行きませんか~?」 この手の話で儲かったためしがない・・・ 「二つ目はね、ちょっと小金を用立ててくれませんか?」用立てて、返ってきたためしががない・・・ 「三つ目はですね~すぐにお金が入ってくるから保証人をお願いできませんか?」 おい、おい、おい・・・(--#)
2007年02月20日
コメント(22)
いや~看板中心のブログのはずなのに最近はどうも話題が違った方向へ(汗)でも広い意味では、これも看板とかかわりがあること看板は人間が見るもの感じるもの…決してどんな話題でも人間の日常生活を抜きにして看板も語れないと思う(↑ちと、言い訳っぽい・笑) 昨日フジTVのバラエティーというかニューズ番組であったか特集で男の小便の仕方が最近変わってきているらしい様式の便器が普及してきたせいか、座って小便をする男が3割を超えたとのことはたして是か非か…という問題 だいたい男の小便は立ってするもの、というのが常識だと思っていたら最近は、母親の教育のせいか座って用を足す男が増えてきたとのことこれは、トイレ掃除をする身になってみれば簡単にわかるらしいもしかすると座って用を足す男が半数を超えるのは時間の問題かも…男子用便器なら問題もないのだが、男女共用の便器となると女性は便座を下げて、男性は便座をあげて用を足すというのが当たり前 男の体と女の体は元々つくりが違うのだから、用の足し方も違って当然であるしかし問題は用足しをしたあとの汚れ方男は立ってするものだから、そこいら辺に小水が飛び散るわけだ 目には見えないが、便座どころかトイレ全体に数十センチ四方に飛び散っているらしいこれは、一度はだかで小便をしてみるとすぐにわかる(特に和式で…)よほど気をつけていない限り、自分の足やら体やらに跳ね返ってくるのがわかるそうなると衛生観念と、次に使用する人と掃除をする人を思いやるマナーの問題 自分の場合は、家族を含めて次に使用する人間が不快かどうかだけでなく基本的なマナーとして小水が飛び散らないように気をつけるべきだと思っているまた、もし飛び散ったのがわかったらすぐに掃除をするように努めている要は、共同使用するものは一番不快に感じる人に合わせて考えるべきであると思うもちろん「ドアノブも触りたくはない」などという病的な方は別として(そういう人いたら、ごめんなさいねm(_ _)m・汗) ところで自分の小便の仕方だが、最近は急いでいない限りなるべく座って用を足すようにしているそれの方が便器まわりを汚さずに、ゆっくりと楽に排尿できるからである(もしかしたら年齢的に、用を足す時間が長くかかるようになったともいえるかも・汗) ある時、アメリカ映画を見ていたらさすがにアメリカ人男性はやさしいもっとも洋式の便器の先進国なわけだからマナーもしっかりしていると思うのだけど自分が使用したあと、女性の家族のためにと呟きながらちゃんと便座を下ろしておくシーンこれ以来、なるべく私も気をつけるようにしているなぜかというと、うちは私以外ネコを除いてみんな女性(笑) ところで日本で洋式の便器が当たり前になってきたのはバブル期以降からであったような気がするそれまでは、和式の今では考えられないような窮屈で非常に体に悪い便器が一般的に多く見かけられたような記憶があるトイレは汚いところであるという常識みたいものがあったそしてマナーも悪く、公衆便所なんかは汚いものの代表格みたい時代が長かった今でも決してきれいとは言えないトイレも多くあるが昔に比べたら、どこのトイレも結構きれいで衛生的になってきたのと同時に利用する人のマナーもよくなってきたような気がする ここで最後に集客の話題… 「入口とトイレの汚いお店は絶対に繁盛しない」 そして裏を返せば 「きれいな入口、きれいな看板、きれいなトイレ」これ商売繁盛の最低限の鉄則!! 結局は、これが言いたかっただけなのかもしれない(爆)
2007年02月19日
コメント(10)

37年前の新春特大号の表紙石原裕次郎と弘田三枝子、若かったなぁ…
2007年02月18日
コメント(18)

昨日、楽天仲間のドラマーおいなりさんの日記を見て急に思い出したことがあります日記のなかで『オリンピックのゴールドメダリストや世界的なアーティストだって、生まれ育った環境が少しでも違えばそうはならなかったかもしれない』というくだり… いまから16年以上前の話ですある得意先との商談後の世間話から始まった、驚くような話でした そのスジでは知らない方がいないのではないかというほどのお方Mさん元、任侠の世界の大親分だったらしいのです私と知り合ったときは、その世界からはとっくに足を洗い堅気の世界に入ってあるお店の出店について開業用品の打ち合わせをしている時の事でした お元気そうには見えましたが、残念なことに車椅子の生活をされていましたMさんの傍らには常に若い女性の方が二人ほど日常生活のサポートをされていました商談が終わったあと、Mさんから急に切り出してきた言葉から始まった話は延々と3時間くらいの、まるで映画でも見ているような波乱万丈と申しますか普通、一般人では経験しないようなことばかりの話しでしたその中から、先ほどのドラマーおいなりさんの日記に関連しての興味あるお話しを一つご紹介させていただきたいと思います 実はMさん、例に漏れず任侠の世界での抗争があったそうなのですがMさんの信条として、喧嘩に飛び道具は絶対に使わないということがあったそうなんですその結果、相手の弾を一方的に腰に受けたそうなのですが当たり所が悪く、何とか命は取りとめたものの下半身不随の車椅子生活にその時運ばれたT大学病院教授の医師との会話が概ね、このような内容であったと記憶しています 担当医師:Mくん、君は何でこのようなくだらない抗争のある世界に入ってしまったんだ Mさん:何でったって先生、私だって好きでこんな世界に入ってしまったわけではないん ですよ。どうしようもなく、気がついてみたら入っていたんですよ。 でも先生、何でそんなことを聞くんですか? 担当医師:今回、君のからだを調べてゆく過程でわかったんだけど、君は道さえ間違え なければオリンピックのどの種目に出ても金メダルを取れるくらいの体の持ち主 だったんだよ。それなのによりによって何でこんな世界に入ってこんな事に… Mくんひとつお願いがあるのだけど、もし不幸にも今後、君が命を失うようなこと があったら、私に体をひらかせてくれないだろうか…君の肺活量は稀に見る世界 でも何人もいないような体の持ち主なんだよ。何かあったらわたしが全面的に 責任をもって優先的に君の体を見てやるからいつでも来なさい・・・ この話を聞いた時、世の中には残念ながら不幸なことにこのような大きな人生のミスマッチもあるのかなあ、という印象を持ちましたその後それ以上、詳しいことを聞く機会がありませんでしたが実はこのMさん在日朝鮮人であって、日本人社会の中の差別などでいろいろと苦労の多い人生を歩まれたそうなんです 普通、日本の社会では将来性のある身体能力の持ち主であったら確実とまではいえませんが義務教育の過程でまわりがその能力を見逃さなかったのではないかと思います 現在においては、在日社会の教育の環境も違ってきているとは思いますがMさんが育った頃の環境は、戦後の喰うや食わずの異常な時期一人の少年の身体能力のあるなしどころの話しではなかったのかなあと推測するのでありますが昨日ドラマーおいなりさんの日記を見てからというもの人間の才能とか能力とかとかいうものが、生かされるか生かされないかという違いはどこにあるのかなあ、と考えることがしばしばよくあります 人間はそれぞれ役割をもって、それなりの秀でた才能とか能力をもって生まれてきているとよく言われますだれ一人として何の才能もなく、何の役割もなく生まれてきた人間など一人としていないともよく聞きます ただ、その才能とか役割とかに目覚めた方は幸せな人と言えるでしょうしかしながら、ほとんどの人がそれに気づかずに一生を終えるとしたら何と寂しいことでしょう・・・そして、そういうミスマッチさえなかったらもっと幸せな人生をつかめるチャンスがある方がたくさんいるのではないかと思うのです 早いものです、あの出会いからもう既に16年以上たってしまいました。2~3度お会いしているうちに、Mさんとは少々親しくなり、それから息子さんの結婚式の招待を受けましたが直後にお母様を亡くされ挙式が急遽取りやめになってしまいました。それからしばらくお会いする機会がなかったのですが、噂によると残念ながら数年前に他界されたとのことでした。あの眼光の鋭さと、まるで子供のような無邪気な表情で私に昔話をされるMさんの姿が今でも忘れることができません『大江戸くん、誰にもこのような話をするわけではないのだが、どうも君と会っていると、いろいろと話がしたくなるいんだよ…あの東映が是非映画化をしたいという話しもあったんだよ』これがMさんとの最後の会話でした
2007年02月15日
コメント(28)
先日、娘との会話… 私「来週はいよいよ東京マラソンだね~浅草はますます国際的になるなぁ・・・」「でも、観光地の食べ物って意外と美味しいものが少ないんだよな~」(観光地の方がいたら、ごめんなさいm(_ _)m 何故かと言うと、観光地は努力しなくても客が来るから… )「集客をする努力をする必要が少ないからかなぁ・・・」 娘「そう言えばお父さん7年前に浅草に新潟出身の友達を浅草に連れて行った時の事ある、みやげ物屋に入ったら、こんなこと言われたのよ~」 以前、日記にも書いたことがあったお店だということなのですが娘が友達とみやげ物屋で着物を見ながら会話していた時のことです日本人とわかるや否や・・・ 「買わないんだったら、出て行って!!」 それ以来、その友達は浅草が大嫌いになったそうなんですそう言えばこの店の表示は全部英語だったような気が・・・ でもこれだけは言っておきたい!! 「浅草は銭勘定だけの町になって欲しくない!!」「そんな安っぽい町になって欲しくない!!」でし・・・
2007年02月12日
コメント(26)

ジョニーエンジェルという曲は1958年から1966年までアメリカABCから放送されたThe Donna Reed Showという小児科医一家ストーンズ家を巡るドラマの劇中歌歌っているのは娘役のシェリーファブレィという女優さん▲1944年1月19日生まれの女優シェリーファブレィ 今でも素敵な女優さんですね 大昔、日本ではアメリカからのテレビドラマがいろいろと放映されていましたその中でもとくに強く印象に残る作品でした当時のアメリカのホームドラマの中では広い豪華な家そして広い庭、大型電気冷蔵庫、豪華な大型車…特に高校生の息子が親に中古の車を買ってもらい彼女をデートに誘うなんて光景は別世界の出来事だと思っていました 家庭には必ずといって良いくらい、きれいでやさしい母親がいるまだベトナム戦争も泥沼化していない古き良きアメリカを象徴していましたね
2007年02月10日
コメント(14)

先日、ヤフーオークションで検索しておりましたら大昔、木更津の町で売り歩いていた懐かしいジュークボックスの画像を見つけました日本ビクター社製「JB3200」、現金販売価格660000円 大体、ひと月に3~5台を売りますと歩合込みで給料が15万円~25万円くらい当時、大学の新卒の初任給が10万円くらい、あの牛丼の吉野家さんが初任給15万円で話題になっていたような記憶があります大変な仕事ではありましたが、結構楽しい仕事でもありました契約を決めたあとは、その時々の流行の歌のレコードを自分で好き勝手に選んで入れることが出来たのです シングルレコードのドーナッツ盤、表裏で2曲50枚のレコードが入りましたから全部で100曲が収納できましたま~100曲とは言っても、A面(表側)には良い曲が入っていましたがB面(裏側)にはどうでも良い曲が入っていましたから実質聴ける曲というのは50曲にも満たなかったわけですね あの伝説的な大ヒット曲「およげたいやきくん」にもずいぶんと儲けさせていただきましたB面にはあの下町評論家「なぎら健壱」の「いっぽんでもにんじん」という曲が…たしかこの曲の契約は、なぎら健壱さんは2~3万円だったそうですから一晩の酒代に、あっという間に消えてしまったそうですつくづく一枚いくらの歩合制にしておけば大儲けできたと悔やんでましたね(笑)何とも懐かしい平和な良い時代でした このジュークボックス、結構優れものでして本体脇にマイクを繋いで当時、流行りだした「カラオケ」なるもののレコードをいれますと唄が歌える機能があったものですから大きなセールスポイントになったわけですただその直後には本格的なカラオケブームが始まりましたからやがてこの機械式のジュークボックスは消えて行く運命にあったわけです
2007年02月08日
コメント(20)

地下鉄東西線は西葛西駅徒歩一分、串焼ダイニング『UMI』 さん先日は、仕事のあとに見本の串焼をいただいて帰りました忙しかったもので数時間たってからみんなでいただきました 私は冷えたアスパラ肉巻き、もち明太焼きをいただきましたお得意様だから言うわけではないけれど焼きたてといっても不思議でないくらいの良いお味でしたよ 地下一階のちょっと目立たないお店だけどこれで存在感が示せれば良いかと...なるほど女性客が多いということもわかる気がいたしました カクテルとよく似合う「串焼、鶏茶漬け、アイスクリームつき980円」が定番の人気メニューだそうです 西葛西という町は、下町らしくないきれいに区画整理をされ開発されたマンション・ビルの多い比較的新しい町、ガイジンさんも多くみかけます『UMI』さんはお洒落な西葛西にお似合いのお店のようです ●西葛西5-1-5-B1F 3869-4181 17時~ 日曜定休
2007年02月03日
コメント(28)
全12件 (12件中 1-12件目)
1