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っても、地元の道場での30人程度の月例射会。引っ越してきて今日始めて参加したんだが、初参加・初優勝^^一手+四矢×2立の合計10射。10射8中で優勝ってのも微妙な感じなのだけれども。。。しかし、優勝したおかげで、最後に納射をやることに。。。聞いてなかったしーT_T学生時代の微かな記憶を頼りに何とか乗り越えた~。まあ、ここの道場ではまだまだ新参者なので、顔は少しは憶えてもらったようで良かった。先月の全関OB戦からあまり練習はできてなかったけど、あの時の集中力がまだ残ってたらしい。最後の四射は皆中で決められよかったっす。今日の射会出て思ったけれど、スポーツや武道一般に言えることだと思うけれど、ここ一番勝負どころの集中力ってのは、ただの精神力とか、根性ってものとは異なるものだと思った。もっとフィジカルなものであると思う。身体感覚に確実にリンクしているものであると思う。精神的なメリハリであることは確かなんだけれども、でもそのスイッチは、身体の感覚と結びついている。例えば、的を見るということ。弓を構えて的を見る時、ただ物質的な対象として的を見るのではなくて、意志的な対象として見る。普通に考えれば、的はただの28m先に置かれた物質であることにはかわりないのだけれど、でも、射手がその前に立ち、その的に決意を注いだり、覚悟を決めたりするってことは、ただ単に物質を見るということとは違う。私がある意思を持って的前に立つこと、その立ち方はただ立つということとは明らかに意味が異なってくる。弓の構えも、ただ型を作るということとは明らかに意味が異なってくる。世界を意思的に構成するってことだ。意志的に的を見ることは、身体の感触もその的へ向かう意志へと合わせていく作業である。そこには技術というものも関与してくる。技術=型というのは動作の反復可能性のことであると思うのだけれど、集中力の下に働く動作反復ってのは、ロボットのそれとは意味が違ってくるのではないかなとも思う。動作の反復はもちろんするんだけれど、それは意志が反復するんじゃないかと思う。(意志というものが時間の形式を持っているものだと考えると、時間の反復とも言えるかも。。。)とにかく、集中力と混ざり合った身体感覚というのはなんとも心地良い。その感触を得た時というのは、世界の確実さを感触する時であると思う。世界の不確かさは、身体感覚の不確かさにも由来するんだと思う。確かな身体感覚は確かな世界を実感させる。弓道は反復動作が全てだ。でも何千回、何万回と同じ動作なのだけれど、その都度反復する意志が、新たな現在(世界)を自覚させる。弓をまっすぐ推す感触、弦を引き絞る感触、天に伸びるように床の上に立つ、身体の中心(胎)を確認するその一つ一つの感触が、世界を確実にしていく。世界の意味を構成していく。そのために弓を引くんだと思う。
2007.06.30
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今の僕の生活の3分の1以上を占める、仕事の世界は、商人の世界だ。ソロバンを弾いて、値切り交渉をする商人のイメージ。ドラクエで言うところのトルネコ。業界はFA(ファクトリーオートメーション)だが、商社である以上僕らの世界はそんな商人のイメージなのだろう。時代の進歩には敏感になる。情報へのアンテナの張り方も変わってくる。自然、新聞の読み方、ニュースの見方が自ずと変わってくる。日経工業新聞だとか、テレビ東京のニュースだとかをよく見るようになったし。物を見るということが、主体が対象を受動的に受け取るだけではなくて、対象の意味を主体の側が構成・付与することでもある、と最近つくづく思う。お客と接する上で、ネタを得るため、情報獲得の為の視界が自分の中に確実に構成されつつある。要は、自然とそうゆうアンテナのチャンネルが設定されてしまうのである。お客との関係は、その根底にあるのは経済的な意味での利害関係の一致であるのだが、それを超えて仲良くなった気になってしまうお客さんもいる。でも、需要と供給、組織と組織、商人とお客というような間柄は、どこまで仲良くなっても付いてまわる根本的な間柄である。自分に頼ってくるお客に対し、この人の役に立ちたいって場面もあれば、競合商社に相見積もりを取られ、その件名を取った取られたというシビアな場面もある。このような間柄を背景にして人と出会うことは、なんだかリアリティがない。そこで戦略的に、好意的に、心理学的に、コミュニケーション学的に、人に対峙することは、まるっきりゲームをしているような感覚である。多分「どうすればこの客から利益を得られるか」という意志が根底に付いて回るから。営業マンのことを「プレイヤー」と呼ぶこともある。ビジネスの世界の人間関係に、どこか薄っぺらい感じするのはその為かもしれない。できる営業マン(商人)はその人間関係を把握し、コントロールできる人のことだ。仕事の上では、自分ができる営業にならなきゃいけないのはこの組織から要求される命題の一つだ。でも、自分の理想像とは一致はしない。会社の要求するイメージに自分の立ち回りのイメージを合わせる必要は、必ずしもない。そのイメージだけで生きていく人生はあまりにも貧相だ。人間の意識は種々の意志のラインが複合的に、総合的に絡み合って、一つの現実世界を構成するのだと思う。自分の意志のラインってなんだろうか?例えば、仕事をしていて、どうすれば数字を伸ばせるかという意志は、確かに強く働いている。でも弓の腕前が上手くなりたい。この視界から開けている世界の真相を知りたい。利害という観念を超えて人の役に立っていきたい。この人と一緒にいて、多くの幸福感を味わいたい。確かな自分を見つけたい。という意志の方が今の自分には強く働いている。意志という複合的なラインが、この唯一つの意識の野に、様々走り飛び交う。この現実を問題にして、この現実を生きていきたい。
2007.06.23
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