「Life」を求めて
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四月矢数集計******************************************一月 矢数集計 【164射 105中 6.4割】二月 矢数集計 【236射 155中 6.6割】三月 矢数集計 【4射 1中 2.5割】四月 矢数集計 【221射 128中 5.8割】******************************************四月より近所の禅寺に参禅を始める。毎週日曜の朝5時前に妻子が寝てる間に家を出て寺に行き、境内を掃除。6時より坐禅。線香が一本燃え尽きるまで。約40分。木の様にじっとするのだが、次第に動かない中に動く範囲が明確となる。呼吸、横隔膜など体の内側の筋肉の稼動が気になってしまう。身体の稼動範囲が狭まると同時に拡大される内側の思惟性。ただそこに自然と在るという事の難しさがある。やはり植物の様には上手く統一はできない。コツではないけども、無理に理性を否定したり、そこから逃げるのではないと思う。理性の背景を感得するのが大切なのだろうな。小我を捨て大我を自覚する、とかよく言わるがそうゆうことなのだろう。しかし、理性やら、感性やらで、恣意的に自由にできることがらって意外に少ない。自分の身体がそうなのだから、自分の子の成長や他人に対してもお節介になりそうだな。自然法爾。GWは山形の実家の寺のにてささやかな得度式をした。義父の弟子として一応僧籍を得た。本格的な修行は来年三月から。昨年末に病に倒れた義父は目が不自由となってしまった。50代半ばで文字が読めず、車の運転もできなくなった義父の助けになりたいという思いと、僧侶として修行の道も自分には合っていると思ったのと。義父を助けたいというのはけして欺瞞ではないが、しかし利害の一致という表現も上手くない。やはり自然法爾だろうか。
2010.05.08
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