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昨日の講座はいつも程度の参加者がきてくれて、当事者と支援者と半々くらいでした。昨日のメインイベントは私と、元女性相談相談員の方の対談です。その方は数年前に行政の女性相談の現場をリタイアされて、やっといろいろ語れることができそう、とのことで今回、現場の話しをされる事をご了解くださいました。その方は私のことを以前から名前は知っていたけれど、加害者支援をしているとか、被害者と加害者を両方支援しているとか、世間ではあり得ない支援をしているとのことで、言われるようにどんな危険な?(笑)人物か、と勝手に妄想していた、との事。けれど、実際にあって話してみると、女性相談業界で言われる私味沢の人物像が現実とはまったく異なっていた事とか、その方がそれまで女性相談の現場で感じてた矛盾が私との語りですっと腑に落ちた事とかも語ってくださいました。その矛盾というのは、相談に来られた方の将来的な安定や幸せよりも、当面、一件の相談を終わらせる事が優先されていて、何のための相談か疑問を感じていた事とか、時間をかけて相談者の話しを聴いてると、上司がクレームをつけてくるとか・・・臨機応変に相談内容を決めていきたいけれど、マニュアルに沿ってでしか話しを進められない事とか、真剣に相談者のことを考えれば考えるほど、負担やストレスが増えてしまうという現実。そんな職場環境の中では、真剣に相談者の事を考える人より、保身や上司との関係作りに長けている人の方がストレスが少なく、結果、真剣に考える人は潰れて残れず、利用者の将来をあまり考えず、事務的にこなす人が残ってキャリアを積む事になる、という皮肉な現実を語ってくださいました。私が女性相談利用体験のある女性クライアントのお話を聴く事で見えてきた事と、その方の語りがぴたりと符合したので、私もすっきりとしたし、これまで私の話しだけ聴いてた私周辺の方達も、行政の相談に関する私の日頃の語りがウソでも誇張でもないということは実感してもらえたようでした。有能で真摯な相談員が潰れる事無く、利用者にとっても行政にとっても、いい仕事を続けられるよう願うばかりです。私に対してだけではなく、男性支援全般に対する無理解、誤解がまだまだ行政の相談現場にはあるようですが、これは何も女性の支援者だけの問題ではなく、女性支援に関わった男性学周辺の男たちの問題もリンクしています。男性学研究者たちもまた、当事者のための支援よりも自身の保身や権力獲得のために、フェミニストにもの申すより、男性当事者の口を塞いだ方がいいと、意識・無意識に働いたという現実があります。その構造の中で、当事者の利益を最優先する私が男性相談・女性相談業界から排除されていくという結果になったんだろうと思います。それを証明する個別のエピソードはいろいろありますし、それも昨日はあれこれ語らせて頂きました。このブログにはかけない事ばかりで申し訳ないけれど・・・(笑)そんなこんなで、対談は、男性相談と女性相談の相互理解と連携の必要性に至りました。男性支援と女性支援を同時補完的に行ってる私の援助実践は我が国ではたぶん私だけだろうし、男性支援でも女性支援でも、私から学べる事はたくさんあると思うけれど・・私を排除するなんてもったいない話し。たぶん国内ではとんと理解もされない私の援助実践だけれど、世界ではこの複合的支援について理解するだろうし、これからは世界にこの実践の有効性について語っていきたいし、私も世界から新しい行政の援助のあり方について学んできたいと思います。そうそう、そんなこんなの対談の後は、カウンセリングのロールプレイをいくつかと、参加者全員が相互にクライアント、カウンセラー役のロールプレイを行うというセッションと・・。最後のグループワーク実践ではテルさんがいつものごとくファシリテーターを引き受けてくださいました。リラクゼーションはつーくんにお願いして・・・。テルさんはいろいろワークを重ねてくださって、それに参加者がその人なりの反応を返されて・・ほんとワークは生もの、なんでもありの自由な語り合いの中で、ダイナミックに場が変化し、参加者も気づきや学びを獲得していく・・そんな面白さを実感できましたとさ。Pink Stars多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/31
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私は二十年ほど前に、男性運動を始めた仲間たちと男のための電話相談を立ち上げました。男として悩みを分かち合おうとの主旨で男による男のための電話相談を日本ではじめて開設しました。「男」悩みのホットラインとして現在も開設されていますが、私は四年ほど前に忙しい事もあって、そこをリタイアしました。当事者性が希薄になり、当初の主旨から実際の援助実践が外れてきていると言う事もあるし、私にとってもさほどメリットは無くなっていると言う事もあります。私は、女性の支援もしてるし、シェルターやワーク、緊急対応など、複合的な支援を行っているので、ホットラインの枠の中での限られた支援では物足りないということもあります。一期一会で気持ちを聴くことを主目的とした相談と、最後まで継続的に支援をし具体的な支援も含めて支援していく私のスタイルではまったく援助の質が異なります。私の援助実戦を他のメンバーが理解できないあるいは理解しようとしないという不全感もあります。他のメンバーもそれなりに考え、能力もある人たちだけれど、それでも私のやってる事は理解しづらいのでしょう。それだけ私の援助実践が、突拍子もないこと、先駆的すぎるということでもあるのでしょう。枠の中で、身分の安全、生活の保障を前提に活動する人には、私の活動は危うくて近寄りがたい事なのかもしれません。そんな私からすれば、世間の枠の中での援助と言うものはその限界も見えてくるし、身の安全、立場の維持を守るために、真実に蓋をすると言う事もあり得ます。クライアント、利用者の利益や安全は二の次になるのもよくある話し。このあたり当事者になってはじめてわかる事だけれど、当事者の声は、真実でも世に伝わりません。媒体がないからです。と言う訳で、明日は、世の相談・・行政の相談の真実というか裏話も含めて、語りたいと思います。女性相談の話しも聴けると思います。興味のある方、ぜひご参加くださいね。九時半から、ひと・まち交流館京都で、夜八時ころまで、一日とおしの講座です。参加費五千円、詳しくはホームページで。
2014/08/30
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昨日、訳あって事務所の収納庫を片付けてたら、フォトアルバムをまとめてた段ボール箱がでてきました。ちょっと好奇心で覗いてみました。私の中学生の頃から三十いくつくらいまでの青い青い姿がありました。今とは随分違う私がそこにいます。過去の私がいて今の私があるのもよくわかるけれど・・・・それと、その中には保育園の卒園記念アルバムもありました。それにしても、55年ほども昔の私、たしかに記憶の中にもあるけれど、この歳になって当時の私の姿を見るのも不思議な気分です。私の隣に座ってるのがたぶん担任の保母さん(保育士)子供心にも、この方、美しい人と感じてたけれど、今の私がみてもやはり私好みのお顔のように見えます。なぜ、この方が美しいと感じたのか、私にも理由はわかりませんが、私は産まれた時から?還暦の今に至るまで、顔の好みははっきりしてて、ぶれる事はありません。誰かが私に呪いをかけたとしか思えないくらいに・・欧米系の顔立ちに惹かれるのです。こんな呪いは若干不便だけれど・・(日本人の顔かたち見てるといつも、産まれた所を間違えたって思うから・)生活には特に困る訳ではありません。こんな私はカウンセリングで呪いを解く(解呪=げじゅ)作業を日々行う訳だけれど、クライアントにしてみれば、たとえ呪いでもそれが無くなれば、からっぽの自分と向き合う訳で、これも怖いもの。赤ちゃんはこの世界に生れ出るにあたって、産道という狭い空間を通過しなくてはなりません。胎盤からの血流も絶え無呼吸のまま死の淵を通過して生れ出た後、あるがままの自分を受けとめ、授乳させてくれて、すべての欲求を満たしてもらえるという安心感の中で、新しい人生のスタートを始める事ができます。けれど、生育の中で、あるがままの自己を受けとめ、すべての欲求を満たしてもらえる事って、今はとても希有な事なのかもしれません。元気でなければ、正常でなければ・標準以上でなければ、男らしく女らしくなければ・・・親の願いが呪いとなって子どもの心の成長を、人生における自己実現を阻みます。こんな呪いにかけられて、自分に対する嫌悪感や、不安、自信の無さ、ガンバリズム、感情の抑圧、などの困難にある人は、カウンセリングで呪いが解けたとしても、自分がどうしたいのか、どんな人生にしたいのか、内発的な欲求が出て来ない限りは、他人の評価に依存したくなって、結局は辛い人生、不満足な人生、は変わらないと言う事になりかねません。フランクルが「人生が自分に何を求めているのか」問うたように、自己を客観化し意味付けるには、判断する主体としての確固たる自我の強さも求められます。この自我の強さ・・・・フランクルは絶滅収容所の中で獲得したのかもしれないけれど、今の日本という社会の中でそれを獲得するのはとても難しい。生と死の境目を覗いた人はそのあたり理解できても、万一向こうに行きっぱなしになっても困るし、私もカウンセリングや支援の中でその怖い淵を一緒に覗いて、無事こちらに連れ帰るガイドのような事もしなくちゃならないのかもしれません。こんな私、たぶん、誰よりも自由で自発的に生きてきたけれど、この六十年の人生が私に求めているのはさらなる天命の継続とそのための成長と言う所でしょうか。そうそう、昨夜は封切りのナイトシネマ、リュックベッソン監督、スカーレット・ヨハンソン主演の「ルーシー」を見てきました。直立猿人(A・アファレンシス)の「ルーシー」が人類進化の起点と描かれてるように、ヨハンソンのルーシーも未来の人類進化の起点になるのかも、なんて事をリュックベッソンが妄想したのかな・・・そして私や私と似たような周辺や外部を生きる人たちも、これから、新しい人類社会の進化の起点になるのかも・・・生物進化も社会進化も、周辺や外部から始まるのだから・・・ああ、私の妄想も止まらない(笑)多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/29
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かなり涼しくなった昨夜は男の非暴力ワークでした。先週お休みだったファシリのテルさんが早めにきてくれてて玄関前で待っててくれてました。七時半のスタート時には五〜六人だった参加者も開始以降も少しずつ集まりだして、結局用意した椅子が全部埋まりました。リラクゼーションはつーくんにお願いして、ワークはテルさんがファシリテーターとして進めてくださいました。テルさんのワークは「思いでのマーニー」のいくつかシーンを用いたものでした。「お願い、私の事を許すと言って」「お願い、私の事を忘れないで」映画のクライマックスで語られるお願いの言葉・・・・権力構造の上か下かで人間関係を作ろうとする男の行動様式は、生育の中で学習される文化そのもの。負けちゃダメ、負けたら惨めになる、常に勝たなければ、何かで秀でて、どこか優れている人に・・・常に他者に優位である事にしか安心感を得られない心のプログラムを刷り込まれた男たちは、なかなかお願いする事も難しく、命令したり、押し付けたり・・・あげくにお願いを断られたら怒ってしまうのも、結局お願いのふりした命令でしか無く・・・こんなことを、自分たちが語り合う事で気づき、理解し、心に刻んでいくのがワークの目的。ファシリテーターは指導者でも教育者でもありません。ともに体験や思いを分かち合い、場がここちよくあるために働きかけるのがその仕事。昨夜はテルさんも上手にファシリしてくださいました。昨夜の参加者も、エラソなもの言い、人の心を傷つけるもの言いをする事無く、人にしてほしい事はお願いしてみて、それで無理なら諦めて、手放すか他の手だてを考えるか・・・そうやって、争いにもならず、人にも嫌われず、いろんな可能性の開ける豊かな人生にしてくれたらいいな・・そんなことを感じた昨夜のワークでした。そうそう、そんなこんなで、ここちよい気分で眠りについたけれど・・・・今朝は背中のヒリヒリで目が覚めて、さわってみるとちょー痛いー、なんだこれは、鏡でみてみると、一センチほど何やら切り傷というより皮膚を削り取られたような傷跡が・・出血はなく、生々しく・・なんだこれはー。睡眠中に爪で引っ掻くには難しい場所だし・・・まあ、私の周辺では、合理的な判断では理解できない事がしばしばあるけれど、たまにこうした不思議な傷跡もできちゃいます。なんでしょね。そうそう、それと、不思議ついでに言うと、澱粉ダイエットを続けて今は二ヶ月半、六キロほどの減量になってるけれど、減量のペースはかなり落ちてて、なかなか減量がすすみません。けれど、体質は変化してるみたいで、頭髪の白髪がずいぶん減ってきたような気もします。こんな事は予想してなかったので、変化を確認する手だてもとってなくて、客観的な事実として伝えられないのが残念・・・それにしても、この世界、自分の理解を超えたものがあって、私はその世界をそのまま受入れてるので、何があっても動じないし、不安にもならずにすみます。もちろんその世界は人の心もおなじ、何が出てきても動じる事もないし、否定する必要もない、あるがままを受入れて、求める事はお願いの言葉に託して、相手に委ねて・・・こういう認識にたてば、人生も世界も平和になるんだけどなー。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/29
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昨日は多忙な一日でした。朝は女のグループワーク、小学生の女の子やいわゆるDV男性も参加してくださって賑やかなワークとなりました。お題は「心を描く」でした。私が語る風景をそれぞれがイメージして絵にするというもの。それぞれの心の中が描かれます。家が大きかったり、少女が丁寧に描かれていたり・・・そこにはその人の体験や無意識の思いが投影されています。そして、その絵をみんなが見て、感想を返します。自分でも意識しない自分の心の世界を他者が感じて、言葉を返してくれる・・そんな作業をみんなで行う事で、他者や自己に対する深い理解と共感を感じます。面白いと私も感じたし、みんなも感じてくれただろう事は、小学生の女の子も大人の女と同じように、感じ言語化する事ができると言う事。むしろ、より素直に心が語られることに対する驚きと感動と。ワークの後のお喋りタイムでも、話しは盛り上がります。いわゆる被害女性が語る、夫の行動が、なんとみんな同じ事をしていたり・・ええっうちも同じだよ・・・夫個人の行動と考えていた事が、コントローラーとして共通する行動パターンであると言う事に気づきます。とすれば、自分も個人として悩むのではなく、ともに問題を共有し解決策も分かち合えると言う事に思い至ります。一人で耐えなくていい、一人で悩まなくていいのだと。そんなこんなで、心の世界を分かち合い、家族の問題を語り合った何時間もの時間もあっと言う間に過ぎてしまいました。その後は、カウンセリングタイム。DV問題で典型的なパターンで動いている妻に対して、闘う事無く、争う事無く、調停と言う場で、妻や子どもたちへの思いを伝え、これからの家族の平和で豊かな関係をどう再構築していくか、そのプランを伝える方法について、一緒に考えました。夕方からは、また新しい来談者との面談がありました。生育から現在に至るまで、とてもとても重い負担を強いられ、ここまで生き延びてきたと言うだけでもとてもすごい事で、これまでの苦悩の人生の意味を読み替え、これからの新しい豊かな人生に書き変えていくことのお手伝いをできたらうれしい、と私は自分の思いを伝えました。世間のカウンセラーや援助者と言う人たちは、枠の中でしか付き合わないし、感情移入も良くない事とし、転移逆転移も起こらぬ方がいいとの事で、距離を置いた関わりしかしない人がほとんどです。けれど、それでは生育の中でどうにも与えられなかった存在に対する受容・共感の欠落部分の深い穴は埋める事はできません。薬物や関係や、行為などの様々な依存対象にしがみつく事でしか生きていけません。ですから、私は魂の産婆になるべく、その方の存在に対する受容の表現として、極力枠を設けない、無条件の受容を前提に関わる事を提案します。またその事の前提として、私がどんな存在か、私の生育はもちろん、現在の暮らしの事とか、他人の無責任な言葉に巻き込まれて妄想をたぎらせた元スタッフにセクハラで訴えられた事、も含めて自分を語ります。そのクライアントの前で丸裸になります。その事で私を受入れ、私との物語りの構築をしてくれたらうれしいけれど・・・昨夜は私も語りすぎるくらい語りましたが、もし次回も来談してくださるなら、次回からは、その方の語りに心傾けさせて頂きたいと思います。その方のこれまでのすべての体験に対して、尊厳と愛着を感じながら・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/28
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男は力、男は金、という時代はもう終わりだと私は思うけれど、世間の常識はまだまだ男は金、男は力。男自身も金や力を得るために汲々としてるし、親も世間も男の子に負けるな頑張れと尻を叩きます。とにかく、勉強してレールから外れる事無くひた走る事だけを強いられます。友達と遊ぶ時間も自然とふれあう場所も与えられる事無く、生きる力も喜びも知らずに、ただレールから外れる事の恐怖心、他者に劣る不安だけを刷り込まれます。こんな生育環境の中で育てられた男は、与えられた役割を生きる事しかできません。役割をこなせなくなったときどうやって生きていったらいいのかわからなくなるし、他者に弱者としての自分を見せる事もできません。ほんとの自分と言うものもわからず、ブラックホールに落ち込んだように出口もない恐怖に苛まれる事になります。私が過去苦しんだ不安は実存不安だったけれど、この不安もまた出口が見えず、長い間アルコールに逃げる事でかろうじてサバイバルしていました。私の不安とは少し違うけれど、先述の不安の渦中におられる方が、私にくださったメールは・・・他人に認めてられて褒められたいという気持ちが常にあり、認められるために、自分が他人よりも優位に立とうとし、優越が崩れないよう常に他人を劣位に置くように防衛を発動して他者をコントロールし、自分が優越出来ない相手ならその強者の顔色をうかがって気に入られようとし、上手く行かなくなれば自分を劣位に置く言葉を発すれば誰か助けてくれるかもしれないと思い、それでもうまく行かなくなればすべてを無責任に放り出して無かったことにしようとし、今自分が他人に向けてきた矛先が自分に向いてきてるということだと思います。これからは、今の自分をそのまま受け入れ、他人に認められなくても自分だけで生きていけることを実感し、優越する必要もないし卑下する必要もないと思うこと。自分は孤立してないし誰かと共に在ることで安心を獲得して楽になることだと思います。でも私には「何のために?」がないのです。評価者の顔色が良くなる(または悪くなる)のが私の生きる道だったわけですが、その指標がなくなってしまって、どうしていいのやらわかりません。そもそも自己決定をしたことが無いです。その結果取らされる責任が現状ですか。自分が何をしたいか、わかりません。フランクルによるとそれは自分が望むのではなく、すでに人生から与えられているというのですが、私には見えません。知りたいと思いますが、まだ私には時間があるのでしょうか。自分で見つけるしかない今日は心療内科の受診日です。気持ちの暴走は、もう薬で抑えないとヤバイか……ドクターと相談してみます。との事。彼は、今、これまでの自分から新しい自分に自分自身で産まれいずる苦悩を引き受けておられます。苦しい事、不安な事と思います。けれど、その苦しみ、不安を直接私が取り去る事はできないけれど、その苦悩や不安に寄り添い、新しい自分として彼がこの世界に産まれいずる時の産婆さんでありたいと思う私です。そうそう、男は金ではない、力でもないと私は言うけれど、親も世間もそして多くの女たちも、いやいや男は金、男は力、と言うでしょう。女性差別を言うフェミニストもあっけなく結婚するのはワンランク上の男。金も力もない男は選ばない。けれど、騙されてはいけません。それは男のその人の存在が求められているのではなく、男の持ってる金と力を求められているだけ、金とか力が無くなったとき、あっけなく無意味な存在にされてしまいかねません。この不安定な現代社会、金も力もどうなるかわかりません。と言う訳で、これからの世界で男の生きる道は・・・・「男は体だっ」なんですぅ。ちなみに私は結婚当初から連れ合いを養わない宣言をして、ダブルポケット。それぞれが働いてそれぞれが経費分をだし、あまりはそれぞれが自由に管理する事にしてました。連れ合いがどれだけ稼いだか、どれだけ貯めたか、何に使ったか、一切知りません。私も連れ合いに知らせてません。それでも信頼は壊れません。むしろそれだからこそ信頼が保てたような気もします。もちろん、家事労働もそれぞれ等分負担です。私は炊事を連れ合いは洗濯を引き受け、子育ては等分に行ってきました。金を稼ぐ事で家族責任を果たすのではなく、実労働で家族責任を果たしてきたように思います。暮らしを自ら手作りしていく事、料理や育児を通じて家族の人間関係を構築していった私の人生だけれど、そのプロセスは私の生活能力や共感力を高めてくれました。それが現在、ボランティアベースでカウンセリングしていく事を可能にしています。また、自宅購入に際して連れ合いがかなりの部分を負担してくれたり、事務所購入の際にも、銀行のかわりに私にかなりの部分を貸してくれたり(もちろん返済はしてます)と、連れ合いの金の力も育ってて、有り難い話しです。ほんとこれからの時代・・・・・男は体だっ・・・・なんちゃって・・・(笑) 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/25
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昨夜は男の料理教室、ささやかにだけれど、深くおいしく・・・・男の料理を頂きにくるゲストの女性もなくて、男の宴♫作って食べて喋って・・・もちろん後片付けもできる男たち。昨夜のメニューは焼き鯖寿司・鶏の鍋照焼き、塩キャベツ、ナスの田舎煮、味噌汁、わらび餅昨夜の語りは・・・・・けっこう私もお喋りしました。女の怖さとしたたかさと。そんな女と闘わず争わず、うまく付き合う方法は・・・参加された男性はみなさん真面目なDV男・・・ついついコントローラーの血が騒いでも、コントロールはやめて、むしろ愛嬌と愛想で世渡りする方が楽で平和と。夫婦間のトラブルは、時代に遅れる男の意識の問題もかなりの原因としてあります。男は金だ力だと言う時代ではありません。もちろん金があれば便利だけれど、大切なものを見失う可能性も高くなるし、あったらあったで別のリスクを抱えてしまう時代。金はほどほど、コントロールパワーもない方が楽・・・むしろ、男にとって、コミュニケーション能力とかサバイバルスキルとかの方がこれからは値打ちが出てくるんじゃないかな、なんて私は考えてます。こんな私は「男は体だっ」とも言う訳。そしてそれが単に言葉だけではなく、実証することで説得力もでてきます。とゆー訳で、最近のダイエットやら、今日もランニングやらの私です。今日も小雨が降ったり晴れたりのおかしな天気、気温は30度で湿度も高く、けっこうハード・・・なんだけど、体調は前回よりはまし。体は随分絞れたけれど、後少しのポニョがしつこくて・・・・まだまだダイエットは続きそう・・・還暦中に絞って美ボディーにして、アップしてやるぞー・・・モミジアオイこれは何の花?さつま芋の花?多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/25
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私はメンズカウンセリング協会の理事の一人てして、協会を立ち上げた主旨にたいしても責任を持ちたいと思い、活動を続けてきました。その主旨の中には、援助者が当事者視点で援助する事のスキルアップやエンパワーメントがあります。利用者やクライアントの思いや状況もよくわかるけれど、限られた枠の中ではできる事もしれてるし、下手に助言したり動いたりすると、責任問題になったり、職場で浮いたりもするので、とりあえず当たり障りのない対応でお茶を濁すか、早めに別の所を紹介して手放す、と言う事になりがち。一旦手放したら、何が起こっても、紹介先の責任で、こちらは問われる心配もない、という事が利用者の問題解決以上に優先される事になっているのが現在の援助の現場でしょう。そんな中で、一人で背負い込んで、心を壊した相談員もいたし、職場をリタイアされた方もいます。逆にクライアント、利用者の問題解決よりも、自分の職域拡大や地位向上の方に意識が向いてて、困り果ててるクライアントの存在には目をつぶると言う事をする援助者も少なくないでしょう。後者のような専門家は責任を問われる事もないし、長年専門家として活動を続けている有能な方とのお墨付きで仕事が入ってくる、という現実があります。基本的に、日本の支援を巡る構造・・・縦割りとか、身内意識、官民格差、権力志向、変な平等指向、専門家意識、権威崇拝、などの問題がある事は事実でしょう。個々の支援者の資質もあるでしょうけれど、それ以上に構造の問題がお大きいように思う私。で、組織の中では組織の利益が優先され、当事者のための働き掛けは否定される事もあるだろうし、当事者視点でのスキルアップも難しい。下手すれば、当事者視点で語るだけで、職場にいづらくなったりする事もあり得ます。そんな中でも支援者には、より良い支援(当事者にとって)を行ってほしいと切に願うし、クライアント、利用者の事を考える有能な支援者には潰れてほしくありません。と言う訳で、職場職域を離れた、利害の絡まない関係の中で、純粋に当事者のための学びや事例検討が必要と感じた私。十年ほど前のアメリカでは、タスクフォースという、様々な立場の支援者がひとつのケースを巡ってカンフアレンスするシステムがあると、教わりました。来年にはニュージランドでもその辺りの事も学んできたいと思います。で、実際にそんな支援者が集まって、学びを重ねる場も私なりに提供していますが、それがメンズカウンセリング協会の主旨と言えるのかもしれません。具体的には、来週31日日曜に京都ひとまち交流館で「メンズカウンセリング講座第三講」として、相談や支援の現場の話しをできたらと思っています。行政や専門家の行う男性相談の限界や裏話等、男性相談や女性相談など、現場の相談員としての体験を持つ方達が、本音を語り合う事で、学びあいができるものと思います。また、講座のようなオープンな場ではなく、特定の支援者が自らの援助実践を持ち寄り、スキルアップやら、エンパワーメントするための集まりとしては、メンカン協会主催の認証研修会もあります。カンフアレンス(事例検討会)としての意味付けと対話や支援が一定の基準になってると認められる者に対する、協会の認証です。カンフアレンスに参加するには、講座に参加し、会費を払って会員となり、援助実践を語らなければなりません。けれど、特に多額の費用がいる訳ではないし、専門の資格が必要な訳でもありません。熱意があり、自己受容、自己一致、ができ、クライアントと真摯に向き合えてるかというのが問われる所。むしろこちらの方が難しいのかもしれませんね。そうそう、昨日コーキング材を買ってきました。今日は時間があったので、一挙に補修してみました。とすぐに樹脂が固まる前にまた雨が降り出したけれど・・大丈夫かなー・・・大丈夫、一人じゃないから・・・なんのこっちゃーコーキング剤とりあえず、やってみました。なおるかな?多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/24
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昨夜は女と男のグループワーク。新しい参加者も何人か参加されてのワークは「感情を伝える」の予定が、急遽イントロ系のワーク「自分を理解し伝える」に変更。自分を動物や植物に例えて自己紹介してください、というもの。私は自分を「白黒パンだ」という一見パンダに似た架空の動物として自己紹介。その実態は「白パン」と「黒パン」とが量子的に同時に存在してて、相手との関係で白パンになったり黒パンになったりします。白パンは優しくて母性的、主食はスウィーツ飼うのは放し飼い。黒パンは暴力的で危険、肉食、飼育困難。みなさんも、それぞれ、いろんな動物に例えて自己紹介をしてくださいました。参加者に共通する要素があって妙に親近感を感じたり、女と男の反応の仕方になんとなく違いがあるのが見てとれたり。動物などになぞらえて自分を語るのはとても便利。性格とか性質などの主観的なイメージを表現する時は比喩を用いるとスムーズ。似顔絵でデフォルメすることで、却ってその人らしく見えると言うのと同じ事。そんなワークで触発された参加者もシェアしてみると、いろいろ会話が弾みます。私にも白パン黒パンの割合は?とかの質問があったり・・・で、その質問に答えるに、割合は状況によっても違うけれど、時代による変化も大きい事を説明しました。白パンはもともと私の中にいた訳ではなくて、私自身が子育てして行く中で、母性を獲得していったり、女性ばかりの職場で何年か仕事して行く中で、女の文化を身につける事ができた事とかの理由で少しずつ白パンの割合が増えていって、現在では、白パンの方が日常的だけれど、もちろん黒パンも健在で、状況によっては攻撃的?な黒パンが現れたりもするって事を答えました。(暴力はつかわないけれどね)その私の育児体験だけれど、結婚いらい避妊を続けてたけれど、人の親になってもいいかなと思えた時に避妊をやめました。どんな子どもでも受け入れられるだろうという自分に対する信頼感ができたのです。で、実際に妊娠するかといえば、ちっともその傾向もないので?ということで、基礎体温をつけてもらって、グラフをチェックして排卵を予測するのが私の仕事。実際に妊娠に繋がった排卵は六月一日の排卵です。三週間以上の高温期が続いて着床を確認しました。その後も様子を見ながら、連れ合いに解説し、出産近くになると、一緒に分娩できるように助産院を探し、前期破水から始まった出産も私が車を手配し、ずっと付き添ってました。分娩も立ち会い、なぜかそのときの産婆さんは後産の胎盤を一口大に切り取って、私と連れ合いの口に放り込んでくれました。あの産婆さん誰に対してもそんな事してる訳でもないようだし、その理由はわからずじまい。この胎盤を食べた事で私のオキシトシンレベルが変わった・・なんてことはないだろうけれど(笑)まったく無関係ではないのかもしれません。あっ生の胎盤って決しておいしいものではなかったけれど・・・体験としては貴重でした。で、子どもが産まれて後も、その健康管理とかもほとんど私の独断でやってきました。連れ合いは医者に相談に行く事もなく、私の助言を納得してくれてました。今から思えばけっこうハイリスクな育児だったけれど、それはそれでいい結果になりました。六ヶ月からは連れ合いも仕事に復帰し、保育園に連れて行くのは連れ合い、スーパーの梯子の後バイクで子どもを迎えに行くのは私の仕事でした。その頃には連れ合いの母乳もほとんどでなくなってたし、人工栄養も入れてなかったので、かなり早すぎる段階で離乳食に切り替えました。と言っても、メーカーの離乳食ではなく、私が適当につくったものを与えたり、医者の嫌がる方法だけれど、食べ物を口で咀嚼して子どもに与えると言う方法。その頃には、私の胸もなんだか心持ち膨らんできて、乳輪を絞るとモントゴメリ腺からはじんわりと白い分泌物が・・・おおっ父乳がっ・・・ここで疑問です、なぜ、母乳というのか、乳を出すのは母だけです。牛乳に対して言うのであれば、人乳というべきだし。牛乳か、人乳か、人工乳かっという分類なら納得なんだけれど、なぜ「母乳」か・・・私が乳のようなものを出したとき、これは母乳ではないし、父乳と言う言葉を私の乳首と頭で造語した私です。残念ながら、子どもに含ませるほどの乳量ではないので、育児には役に立ってませんが。(笑)まあそんなこんなの私ですから、下垂体のオキシトシンレベルも他の男たちよりはるかに高レベルだろうと思います。以前は電車で子どもが騒いでたり、赤ちゃんが泣いてたら、うっとおしい気分になってたのに、育児体験以降は、同じ状況でも騒ぐこどもが可愛く思えたり、泣く赤ちゃんによしよししたくなる私がいます。明らかに私の心も意識も母性化しています。この母性化がその後の私の活動に大きく影響したようで、男性運動の中でも権威とか権力志向の仲間たちとは違って困難にある当事者に寄り添うという逆のベクトルを指向しました。さらに電話相談やワークに飽き足らず、いろんな人を具体的にケアする施設を立ち上げるに至ったと言う訳。そんなこんなを考えると、私のセラピーは私の人生があればこそのセラピーだということもわかります。とはいえ、私の職人技にしていてはいけません。スキルや知識としてまたセラピストの自己成長によって、私に似たような共感的受容的なセラピーができるようになってほしいと思う今日この頃。昨夜の白パン黒パンの話しで、私が味ママになっていったそのプロセスを再確認できましたとさ♫多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/23
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今日は某大学の夏期セミナーにて三コマの講義をしてきました。与えられたテーマは「性暴力と臨床心理」で、性とは何か、暴力とはなにか、家族とは、夫婦とは・・・様々な常識や思い込みに対して、統計データや事例から、それらがいかに曖昧で、恣意的なものであるかを解説しました。またフェミニストの言説、現在のDV法や虐待法の矛盾や限界、私の実践する複合的支援の有効性などについても語りました。若い人たちがこれから社会に出て、職場に入ったり、家族を作ったりする時にいろいろ困難や疑問に突き当たる事もあるだろうけれど、そんな時に私の語った事を思い出して、乗り切ってほしいし、幸せになってほしい、まちがっても加害者になってほしくないし被害者にもなってほしくないと。最後の締めくくりでは、法律や司法判断には正義はないし、行政や警察も含め、権力にすべてを委ねる事はとても危うい事、自分で考え自分で判断し、自分の人生は自分で守るしかないということ。またこれからよりよい法律や制度、権力システムを作って行くには、一人一人が人まかせにせず、権力にもの申して行くしかないのだとも語ってきました。駅前にそびえるキャンパスビル最後にコメントカードに記入する学生山科の駅近くの小川にはもう秋の気配が・・事務所近くで夕焼け空多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/21
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コントロールされ続けたら人は自分で判断したり決定したりする事ができなくなります。子どもの頃から親のコントロールを受け続けるとか、DVモラハラ夫のコントロールを受け続けるなどした人は、自分の判断に確信も持てず、また怒られるのではないか、また暴力を受けるのではないか、という恐怖心から、相手の喜ぶ行動を率先して選ぶ事になります。そのことで、当面の自分の安全や安心が確保されるのだから、当然の事でしょう。その親や家族の顔色を見るという行動パターンは自分の意識・無意識に染み付いてしまって、それ以外の行動パターンでは動けなくなってしまいます。で、人の顔色を見て行動していくのですが、人によって言う事も違えば価値観も異なります。となると、Aさんに対してはaですよねえ、と言い、Bさんに対してはbですよねえ、と言う事を迷う事無く発言します。それぞれその場では問題は起こらないでしょう。ところがa≠bの場合、Aさんは「君は私にはaだと言いBさんにはbだと言ってるそうじゃないか、どっちなんだ」と言う事になりかねません。その時に「だってBさんが◯◯だからbというしかなかったの」と責任をBさんに転嫁します。ここでAさんがしっかりしてたら、「Bさんの問題ではなくa≠bなのに、あなたはそれぞれに対して都合よくaとbを言った、はっきりあなたの考えを語ってほしい」と言えるだろうけれど、巻き込まれる人なら、「そーかーBはそんな事を言うのか、ひどいねー、よしっ私の方からBに言っといてやるわ」となると、これは問題のはき違え、こじれていくのが目に見えてます。今日も、そんな女性に振り回されてる男性からのお電話が何回か。とりあえず、巻き込まれて振り回され、あげくに傷付いて感情的になるのは最悪なのでそうならないように、冷静に俯瞰して見るように助言もし、私も予測可能ないろんなパターンを提示しました。もちろん彼女に悪意はないし、むしろ善意だったり好意だったりするけれど・・・・・・・・こんな事も考えると必ずしも従順で何でも言う事をきく女性がいいなんていうのは時代錯誤というのもわかりますし、夫が妻を善意であれコントロールするのもまた無理な時代。それぞれの価値観を尊重しつつ対等な立場での対話をすることで夫婦の事は決めていく、その前提に、自分の意見は自分の責任において発言するというのも重要、他人の発言として他人に転嫁しないと言うのが大切。ほんと、時代は変わる・・・女も男も・世間の当たり前、世間の常識ではなく自分で考え自分で決める・・自己決定自己責任の時代・・・それがいちばん、家族もうまく行くし、幸せにいたる近道のような気がします。とはいえ、日本の学校教育はトップダウンに適応する事がいいことで、自己主張する事は良くない事と教えられるから、自分の頭で考えられる人ってあんまりいないのかもねー。だからバカな発言でも大学のセンセの発言はみなさん正しいと信じこんじゃったりするから、ほんと日本はもうぐちゃぐちゃ。システムが崩壊するのもそう遠くないのかもー・・・なんちゃって、どのみち私の発言は世間では理解されないしー(笑)今夜の定食は元DV夫婦が一緒に晩ご飯でした。あんときあんな事言うてヒートしたなぁ、こんなとき騒いだなあ、などなど、過去のお互いのDV体験を笑い話で語り合ってました。ここまで来るのに三年、それぞれシェルターも利用したし、ワークも続けてるし、カウンセリングも重ね・・・とってもよく頑張ってくださいました。有り難い話しです。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/20
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タイで代理母親に多くの子どもを出産させた男の事が連日報道されています。子どもの人身売買に絡むとすれば痛ましい事件と理解する事もできるけれど、どうもそうではないらしい・・・多数のベビーシッターに多額の養育費を払って育児させているとかでもあり、人数が一人二人であればおそらくニュースにもならなかった事件でしょう。なんせ人数が半端ではない数なので、人々の疑問不信を駆り立ててるようです。彼のそしてその背後にいる彼の母親と言う人の意図が私には理解しかねるけれど、代理出産ということは、本人の遺伝子にこだわっていると言う事であり、父と子の遺伝的つながりが意味あるものと考えている事の証し。けれど、この感覚はこの親子だけでなくて、世間一般に共有される感覚でしょう。女性は出産育児と言う行為で自身の親と子のつながりを実感できるけれど、男性は自分の子どもという確信は基本的に相手を信頼することでしかありません。けれど、最近は遺伝子検査によって、自分の遺伝子を受け継いだ子どもと確認はとれますから、そこに親子関係を見いだしたいとの願いがあるのでしょう。けれどねぇ、私の判断では・・これも含めて親子幻想としか思えないのです。こんな親子幻想・家族幻想も近代の家族意識と無縁ではないように思うのだけれど・・・。血液検査も戸籍制度もなかった昔は親子関係と言うのはもっと曖昧で、フレキシブルだったように思います。生みの親、名付け親、育ての親、乳母、里親、養母、養父、などの親に加えて、隣近所のおじちゃんおばちゃんが、子どもたちを見守り、育てていたんだろうと思います。地域の子どもとして地域で命の再生産をしていたと言う訳。ここには遺伝子妄想も家族幻想もありません。こうした地域の再生産力を国家的生産力に振り向けるためには、命の再生産を母親ひとりに負わせて、それ以外の労働力はすべて工業生産に振り向けたのが近代化。それを実現するためには、曖昧な親子関係や家族意識をあらため、労働・貯蓄と資本形成を可能にする近代家族にする必要があります。この政策の行き着いた頂点が高度経済成長期の家族形態でしょうか。ここから時代は暗転します。収奪された地域の再生産力、失われた文化、高齢少子化の結果不足する労働力。過疎化や自然環境の悪化などなど、近代化のツケが返ってくる時代になりました。この近代家族という妄想に対して、個人主義の欧米では、多様な家族形態を可能にする法律や制度の改変を重ねてきました。その結果、出生率も向上しつつあります。未婚のカップルによる出産が半数近くになるし、同性婚やシングルペアレント、養子制度の拡充など多様な家族形態を認めつつあります。そもそも、男性も労働はほどほどに、家事育児に参加するのは当たり前・・・家事育児によって親子関係を作り上げていく事が可能になるという認識です。この生活の中で育まれる親子関係を無視して、遺伝子に頼っての親子関係にすがろうとするのが遺伝子妄想。人類学や生物学をかじった私には、家族や遺伝というのはとても複雑で、直系の遺伝子だけで親子と概念するのは荒っぽすぎることのように感じられます。むしろ人の進化戦略はDNAより大脳の進化に依拠していますし、ハードとしての大脳を作るのがDNAで大脳に生存スキルをインストールするのが生育のさいの養育者としての大人の存在でしょうか。多様な生存スキルを学習するためにリスクを抱えての大脳の発達でそのリスクを回避するための多様で複雑な家族システムの構築、これが人類の進化戦略だったと私は考えます。ここまで考えたら、遺伝子妄想がいかに馬鹿げた考えかってことがわかるけれど・・・こんな私の考えもなかなか世間の常識の前では通用しないよねえ・・・時間さえあれば・・・じっくり説明できるんだけれど・・・・みなさん興味ないよねえ。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/19
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このところ、痛ましい事件報道が多いような気がする。逆に言えば痛ましくない事件はあまり報道されないということか。殺人事件が多かったのは60年代後半の頃だったような気もするけれど、いまの三倍くらいの件数だったような気もするし、この十年くらいでも千二百代から八百代へと暫減しています。今でも毎日二人が殺されているし、その半数弱は男性被害者だけれど、男性被害者の場合はなかなかニュースにはなりません。罪なき女性が残酷な被害を受けているという・・たしかにそれは事実ではあるけれど・・・そんな報道が繰り返されるから世間は加害者に対する憎悪や怒りを蓄積していくのかもしれません。けれど、現実に残虐な事件は減少しつつあるし、世界でも類をみない安全な国、日本なのにその安全な国に暮らす安心感を感じてないのはもったいない話。それに加害者に対する憎しみで国民が適切な判断ができなくなるのも危険な事。というのは個別の加害者も問題だけれど、それより国家の犯す犯罪がどれだけ甚大な被害をもたらすか、こちらに対する恐怖を忘れたらとんでもない事になりそうで、私はそちらの方がはるかに心配。こちらから目をそらすために国は個別の問題へ国民の意識を向けさせている、と私は見ています。個別の加害者に対してなら私も対応しようがあるけれど、国家の犯す犯罪(犯罪と誰が認定するかも問題)行為に対して、私は対処する力はありません。DV法に関して、内閣府に提言しても完全に無視される無力な私ですからねぇ。69年前にかなり痛いめをした国民だけれど、その痛みもほとんど記憶からなくなり、国の犯す罪について無自覚になり、国はまたぞろ暴走をし始めています。個別の不幸ではなく全員の悲劇になるまで、気がつかないのはあまりに不幸・・・このあたり個別の痛ましい事件の裏にあるものにもちゃんと目を見据えてほしいもの。加害者を死刑にしろーなんて言ってても、なんも変わらないし、被害者の発生も変わりません。なぜ、悲劇が起こるのか、冷静に考え、そんな加害者の産まれる社会の闇に光を照らしてほしいと願わずにはいられません。そうそう、昨日は久々にいつものランニングコースを越えて山道の散策をしてみました。昨年の豪雨いらいご無沙汰の山道です。荒れる山一年前の豪雨で削られたまま復旧されてない山道それでもちゃんと花をつけるキツネノカミソリミヤマカラスアゲハ?それでも例年のごとく鳴き交わすヒグラシ丁度一年前、京都でも激しい豪雨があり、事務所近くの小川も氾濫したり小さい橋が崩れ落ちたりしてたけれど、近くの山に入る山道は改修される事も無く、一年前の水害の傷跡をさらしていました。一旦、深く傷付いたら、簡単には回復しないということは、自然も人間(社会)も同じなのかもしれません。何年も何十年も回復には時間と努力が必要なのかもしれません。今日は幼児連れのママが来談されました。一人で子育てしながら働きながら、家族問題を乗り越えていく、その不安やら困難が痛いほど伝わってきます。カウンセリングらしい事はできなかったけれど、幼児の存在も合わせて、孤立する必要はないから・・・何があっても大丈夫とお伝えしておきました。他にも、子どもに会えない親とか、業務上の不安な用件を抱えておられる方の来談を受けました。後一件、不安障害を抱えていてカウンセリングも医療も役に立たないと言われて問い合わせて来られた方、仮予約はされてたけれど、本日は結局来談されませんでした。私のカウンセリングは違うんだけれど・・・それはとりあえず一度来談されない事には伝えられません。こちらにこなくてもなんとか楽になってくれたらいいけれど・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/17
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昨日は少しお勉強してたり・・・・来週の講義の資料作りです。犯罪白書などのデータから材料をピックアップして推論していきます。テレビでは連日痛ましい事件が報道されてて、事件がとても増えているように思えて、不安がかき立てられます。けれど、犯罪発生率などをみると、この十数年、殺人・強◯姦・強制猥褻・などの事件は減少しています。増加しているのは暴行・傷害事件です。しかも夫婦間の事件がダントツに増えています。夫婦間殺人や虐待死は一定あるいは斬減してるにも関わらず暴行傷害・虐待の認知件数は急増しています。これはどう理解すればいいのでしょう。法律の制定やリボンキャンペーンの効果という推論が立ちます。事件発生の社会的要因は何ら変わってないし、凶悪事件の実数や発生率は減少し、検挙率は向上しているにもかかわらず、事件報道の増加、防止キャンペーンの徹底などは、通報の機会や被害届、保護命令の申立を容易くします。通報・申立の増加がそのまま、認知件数の増加になりますから暴行・傷害が急増すると言う事になります。けれど、配偶者間殺人や虐待死は増加しない、あるいは斬減していると言う事は、よく理解すれば、通報が増えて暴行・傷害の段階で事件がおさまる割合が増えたと理解できなくもありませんが、暴行傷害が急増しているにも関わらず、殺人は急減していないから、通報の増加による事件防止効果がさほどあるとは思えません。ということはキャンペーンが行われる背景やその結果は現実の事件予防とはあまり関係ないと言う事でしょう。キャンペーンのために予算が組まれ利権が発生し、利権構造を維持するためにキャンペーンを行うという構造です。もちろん、キャンペーンは正論だし、動機も目的も善意でしょうから、それを否定する事はできません。けれど、その目的が暴力の防止であるとするなら、目的は達成されていないということに対する反省が必要でしょう。その反省の行き着く所は、加害者の脱暴力支援が必要と言う事です。虐待であれDVであれ、加害者に対する適切な初期対応や脱暴力支援がなければ事件は減る事もないし予防する事もできません。私がずっと以前から加害者対応の必要性を言い続けている所以です。加害者は変わらないとして加害者対応をせず、立件して分離することにばかり力を入れることの不自然さは私にはとても受入れられないのですが、世間では正論の主張にもの申す人はいません。事実に基づかない曖昧な立件・申立をふやし分離する事で金が動くとすると・・・・利権構造が潤い、被害者は出続けると言う事であり、加害者がいなくなると困るという現実ができます。この現実を隠蔽し追認する言葉が、加害者は変わらない、プログラムは無意味、という言葉でしょう。この言葉に真っ向から切り込んで加害者の脱暴力支援をやり続けそれなりの成果も出し、しかも被害者の支援も行って修復的支援を実践している私は、利権構造に依拠している人たちにすれば目障りだろうし、危険人物なんでしょうねえ。叩かれ、排除されるのも当然かもしれませんねえ。読者の皆さん・・・世間でキャンペーンされる正論の言葉のうらに、ドロドロした闇の世界があると言う事、その闇に光を照らす事こそほんとの正義だと言うことに目を向けてくださいねー。そうそう、強◯姦と言う言葉が不適切な表現としてブロックがかかるので◯を入れました。ほんとバカなんだよねえ。言葉狩りをして防げる訳ではないのに、文脈で判断しないといけないのにね。ほんと日本は構造的に腐ってるわ・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/17
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昨夜は恒例のグルメナイト。はじめて子どもが一人もいないグルナイでした。おとなの男女十人ほどの集まりとなりました。いつもは保育スタッフになる男性も保育の仕事から解放されてのお喋りとなりました。いつもながらの居酒屋メニュー話しはいつものごとくおバカな話し満載だけれど、初参加の方に、シェルター利用数ヶ月という元加害男性や利用ひと月の男性が、男性のシェルター利用の効能について、解説してたり、子づくり妄想に囚われた方のお話で盛り上がったり・・・。もちろん子どもがいてもいなくても、エロイ話しでも何でもするグルナイだけれど、昨夜は子どもの騒ぐ声がなくて、大人の会話が進んだような気がしないでもない。とはいえ、いつもみてる子どもたちにあえないのは少し寂しい私でした。それにしても、DVに至る家族の歴史やら、脱暴力してそれぞれが回復し、人間的成長を達成するとともに関係も変えて別の鞘に納まって幸せを獲得していく、その物語りはこのグルナイならではのお話でしょう。世間では、DVはなおらないから離婚するしかないし、離婚したら関係は破綻して、傷付きを癒せないままの未来を生きるしかありません。そんな世間のDV対応とはまったく異なる支援が現実に可能であることを私は確信してるし、いくつも実証しているけれど、この援助論、ぶっ飛びすぎて世間では受入れられないようです。そうそう、昨日は来春のニュージランド行きのエアチケットを予約しました。往復14万円。これが安いのか高いのかよくわからないけれど、私にもなんとか払える額なんでひと安心。ニュージでは、私の支援について、ミニ講演の場も用意してくれるとの事で、彼の地の支援者たちに、よりよい支援のあり方について解説してくるつもり。日本とは比べものにならない、実質的なDV支援がなされているニュージランドだけれど、おそらく、グルナイのような家族機能を持たせたDV支援は当地にもないでしょう(笑)これまで日本からもDV関係の研修に来たけれど、その方たち、その研修を生かしてるようには思えなくて疑問符を持たれてるとの事で、その事も合わせて、日本の支援の矛盾についても、説明してこようと思います。事務所裏庭の睡蓮鉢にも花が浮きました。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/15
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なんと、昨日朝から突然歯肉炎が強烈に痛みだして、昼頃には下顎リンパも腫れだしたし、あごも痛んで口もあけられなくなりました。話す事は話せますので、カウンセリングには不都合はなかったけれど、口をあけての食事はできません。減食中なので、とくに問題はありませんが、昼過ぎからは頭痛もしだすし・・・なんだ、これわーどうにも耐えられなければ歯医者にかかればいいかと思ってたけれど、もうお盆休みだったりしてー・・どうしよう・・・まあ、死ぬ事はないってわかってても、この痛みーなんとかしてくれよーって言う気持ちでした。で、夜にはその気持ちを抱えながらの男ワークでした。ワークでは、口がいてーよーと愚痴らせて頂きました(笑)。ワークは新しい参加者も含めて、九人の参加者です。ファシリは私、行動を変えるというテーマで「さあ困ったどうしよう」というワークを行いました。対人関係で困った時どうするか・・・・DV男たちは自分の感情を理解する事も言語化する事もできず、DV問題が起こった訳ですが、なぜそうなったか、どうすれば暴力に頼らず、問題を解決、あるいは回避できるか・・・そのあたりに気づきをもたらすワークでした。ワークをおこなってなるほどと、納得できたのは、新しい参加者は回避するあるいは解決するスキルをまったく持ってないという事と、先輩参加者はそれなりに、状況を客観視できてたり、怒りを暴力に転嫁しないスキルを身につけてたり、そもそも怒りがでてこないキャパの大きさをもってたり・・・新しい方にはとてもいいモデルを見せてもらえたのではないかと思います。ただ、先輩モデルをみても新人さんは自分がそんなになれるかってことについては不安であるみたいな事を話されてたけれど、先輩方もすぐには人は変われないから、何度もワークに通ってトレーニングする事で身に付くんだよねーと、励ましておられました。なるほどなるほど。また、ある先輩は、「俺たち上から指導されてもすなおに受入れられへんけれど、ここでは同じ立場の人が語り合うから気づきや学びがあって、ストンと腑に落ちるなあ」とも話されてました。それに、怒りの誘発されるような状況も、みんなで笑いながら語り合う事がとても大切なような気がした私。怒りと暴力で防衛するパターンから、ウィットと笑いでかわしたり、収めたりする対人スキルは、脱暴力スキルとしては高度なスキルです。これは、そういう雰囲気で実感することでしか身に付かないと思います。ファシリテーターのパワーコントロールを受けて、緊張、萎縮するようなワークでは絶対に身に付かないスキルでしょう。私のワークではDV男たちも毎回大笑いしてるけれど、こういった笑いの場っていうのもほんと貴重なもののような気がします。で、ワークが終わってから、少しずつ歯肉炎の痛みがおさまって来ました。自宅に帰った十時半頃はだいぶん楽になってて、すこし食べる事もできました。ヨーグルトをたくさん食べました。ご飯も一口食べてみましたよー。澱粉はうまいっす。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/14
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岡本茂樹の『反省させると犯罪者になります』という著書があるようですが、これ以前に、ずっと昔少年院に勤めてた方のお話をお聴きした事があります。その方はなにやら当たり前の事「しつかりしなさい・はやくしなさい、まけちゃだめ、・・・」のような(実際の言葉は忘れたけれど)ごく当たり前の五つのことだけをこどもに言い続けたら、その子どもは犯罪者になるよ・・みたいなことを話されてました。その言葉を聞いていたく納得した私です。反省させたら犯罪者になると言う事と、正しい事を言い続けたら犯罪者になるという事と、たぶん同じ事を言ってるんだろうと思うけれど、DV虐待の加害者に対して、反省させるということは無意味、と言う私の主張とも同じ文脈で語れる事だろうと思います。反省の言葉は自ら自発的に発する事で意味を持つ訳で、他者の強制力で語らせても意味はないでしょう。反省のフリをするだけです。人間と言うものは、神経反射とか刺激に対する反応で行動を決めるのではなく、思考し予測し行動します。そのための情報と言うデータを脳で処理し蓄積する訳だけど、そのデータが、他人の与えるデータなのか、自らの体験に基づくデータなのか、で随分行動は変わります。鬼畜米英と信じ込まされて自決した人たちと、ギブミーチョコレート、とおねだりする子どもの違いのようなものでしょうか。自分の体験を自分の意志で判断し、自分がより幸せになれる選択をできる人と、自分の体験を自分で意味付ける事ができず、他者の判断に委ねることで自分の行動にして行く人と、随分未来は異なるように思うけれど・・・・たしかに、他者の与える情報も大切で、それを取り入れる事も大切だけれど、そのデータの善し悪しを判断するのは、自分の主観です。この自分と言うものに対する信頼(自己信頼)がなければ、他者の言動に振り回され、どれが真実か、どれが自分にとっての最善か、その判断すらできなくなり、常に他者のコントロールに依存するしかなくなります。この状況が、「コントロールを受けやすい人」と言う状況です。コントロールを受け続けても生きる事は難しい事ではないかもしれません。けれど、男の場合、生育の中で劣位におかれる事に対する恐怖を学ぶからコントロールを受けると言う事と自分の存在が不一致になるから、コントロールされる立場からする立場になろうとします。様々なパワーでコントロールしますが、暴力もそのひとつ。そんなDV加害者に対して、反省しなさい、というのは、劣位に甘んじなさいということであり、優位でいなさいという男の過去のデータと劣位でいなさいと言う新たな学習データと不一致が起こります。ここで認知の修正と言う作業が必要ですが、どのデータが自分にとって最善かを判断する自我(自己信頼)が育ってなければ、その時々のデータとうちなる情動の不一致の連続となり、自我が崩壊する可能性すらあります。加害者が自暴自棄になって事件化したり、心病んで存在を終わらせたりすることは、本人にとっても、被害者にとっても決して望む所ではないでしようし。そんなこんなで、私は脱暴力プログラムの基本は、パワーコントロールによらない人間関係のありようやここちよさを理解し、あるがままの自己に対する絶対的な自己信頼を育てることとしています。あるがままの自分を大切にすると言う事はあるがままの他者を大切にする事に繋がります。自己否定する人は他者も否定します。その結果の暴力ですから。そして、私のプログラムはその目的を達成するために、私自身がパワーコントロールを用いないで、当事者の人生を尊重し、そこから共に学ぶと言う事。お前は加害者だ、反省しろ、という正義、正論を盾にしたコントロールはみっともなくてできるはずもありません。そんな事をしたら、加害者を追いつめて、病理化させたり、より巧妙な加害者を育てる事になりかねませんしね。でも、私のような考えでプログラムを運営してる人って・・・・いないだろーなー・・・暴力的な社会にセンセ方皆さん適応してるもんなあ(笑)多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/13
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今日の女ワークもこじんまりと、たっぷりと語り合ういい時間になりました。ワークは「家族動物園」原家族を思い出し、家族を動物でなぞらえて、その性格を説明すると言うもの。それぞれの家族について語り合うと、それぞれの違いや、自分の家族がどんなものだったか客観視できるようになります。自分が当たり前だと疑問にも思ってなかった事が、実は当たり前ではなくて、自分の思い込みに過ぎなかったと言う事、その思い込みも子どもの頃からの暮らしの中で刷り込まれていたこと・・・その事を私は、親の呪いと表現しましたが・・・・親にかけられた呪いは本人からまた子どもに連鎖して伝えられていく・・・家族の呪い・・あな恐ろしや・・・この呪いを解いて、本人も楽に自由になり、子どもにも連鎖させないためには、呪いを解く作業が必要です。母らしく、妻らしく、世間に笑われないように、無駄遣いもせず、ふしだらもせず・・・・etc 一見それらは正論だから誰も疑わない。もちろん呪いをかけられた本人も疑うはずも無く、母らしくできない私、妻らしくないと言われた私、そんな私はダメだから、頑張って頑張って、子どもにも頑張れと・・・そうやって家族の呪いは連鎖していく・・・。とりあえず、ワークで自分にかけられた呪いに気づく事はできたけれど・・・これからじっくりと呪いを解いけるといいねとお開きになりましたとさ。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/12
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今朝はいつもの安売りスーパーで特大の冬瓜を見つけました。もうでかくて、五キロくらいはゆうにありそう。どうしよー、と迷ったけれど、つい買うてもたー、一個580円・・このサイズでこの値段はちょー破格値なんだけど、こんなでかいのどうやって食べるんだー、グルナイでみなさん食べてくれるにしても、全部は無理だよなあ・・・ああ・・どーしよーそれに冬瓜だけではなくて、鶏肝の二キロ入りも380円で売り出してたので、ここぞとばかりにこれまた衝動買い・・・まあ、こちらはそんなに量がある訳ではないし、長期保存もできるので、心配してません。とりあえず、下ゆでして臭みを抜いて生姜煮にしました。私は、とくに病的な依存はないし、すこぶる健康に暮らしてますが、日々の食生活のためのお買い物は大好き。見切り品コーナーで安物をゲットできたら、1日ハッピーです。ちょっとショッピング依存になりかかってますが、依存対象が見切り品ほか安物なので実害はありません。むしろ、低コストで生活を楽しめるので、依存と言うより、日々欠かせぬ生活技術というべきですねー。この技術、多くの男たちは学ぶ体験もないだろうし、学ぼうともしないでしょうねえ。男は稼げたら充分で、金があるほど幸せになれるみたいに思い込んでるみたいだしー。むしろこれから、経済や政治がどうなるかわからない時代、金に頼らず生きていく力ってなによりの保証だと思うけれど、みなさんそんな危機感はなさそだし。どうなることやらー。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/12
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昨夜は急なカウンセリングが一件、心にブレーキがかかって、何をするにも前に進めないと悩んでおられる方、せめて食事はとらないと体力もますます落ちるだろうと、晩飯代わりのお土産を持参してくださいました。なんと三原ご当地グルメのクリームパン。三原というと私の故郷因島の近く・・・なんやら懐かしい思いで、私もひとつ頂きました。カウンセリングの後帰宅して・・・・賞味期限の過ぎた半生麺のうどんが三人前、責任上私もミニうどんにして頂きました。嗚呼・・澱粉はうまいっす。このところ、澱粉はずっと控えてるので・・・・もちろん食事の総量が少ないので何を食ってもうまいけれど、澱粉は特にうまいっす。ご飯でも麺類でも、パスタでも粉もんでも・・・・澱粉はうまいー。そうそう、昨日はなぜかとってもしんどかった朝トレだけれど、体も重くって走ってる途中に些細な路面の凸凹に脚をとられてすってんころりん。膝頭に打ち傷擦り傷が少し・・・一夜明けても、筋肉痛がけっこうあって、かなりのダメージだったみたい。どうしてそこまでダメージを受けたのか、理由は不明・・ああ、それにしてもおばかな私・・・体重五キロ減から減量のペースが落ちてなかなか減量が進みませんー(泣)多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/12
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今のDV法は申告罪で、被害者が保護命令を申し立てた所ではじめてDV法が適応されます。地裁で申立する前に警察や女性センターなどに被害の相談が必要です。欧米では、刑事対応なので通報があれば警察が現場に入り、そのまま加害者と推定される人(性別に関わり無く)を逮捕拘留し、裁判所の判断で即決、保護命令が出されます。ここが日本と大きく違う所です。日本の場合、申告に証拠もいらないし警察等の所見も不要、申告が事実に基づくものか虚偽なのか判断する仕組みがありません。逆に申告は本人がしなくてはならないので、警察や女性センターなどに女性が相談申告する事で加害者の報復を招く可能性があり、その恐怖から相談や地裁への申立ができないという、被害者も少なくないでしょう。ほんとに保護しなくてはならない被害者が保護されないという現実があります。先日もある女性からお電話頂きましたが、その方、不安障害を抱えておられて、まだまだ自立的な生活はできません。夫の暴力やパワーコントロールに対してノーとなかなか強く言えず、自分の無力を責めてしまって、夫も自分の問題を妻に転嫁したまま、問題が深化していってました。その方、たまにどうにもならなくなった時に私の所に来られますが、夫には内緒での来談です。ほんとはちゃんと夫と話し合う必要があるし、暴力やパワーコントロールに対して毅然とノーという力も必要です。それで夫が暴力を振るえば外部の力を導入することも当然の事。そのための支援者も必要。けれど、まだそこまで、自分に対する自信もないし、夫の暴力暴言の恐怖に支配されていて、自己決定する事もできません。こんな方に対して、現在のDV法は何の役にも立ちません。私はその方の心の問題を終わらせ、やがて自己決定できる力を付与したいと思います。その自己決定に支援を差しのべ、夫との対話あるいは対峙を経て夫が自分の問題である事に気づいてくれればと思っています。夫自身パワーコントロール以外の夫婦間の問題解決方法を知りませんから、問題が表面化する事で彼も自分の問題と向き合い、パワーコントロール以外の方法を学ぶ事が可能となります。欧米では、拘留された加害者に対して、司法は更正プログラムを命令するし、被害者の保護に入ります。ニュージでは同居したままの保護命令の発動という手段もあるとの事、生活を変える事無く、夫の暴力に対して公的な抑止力が家庭に及ぶと言う事です。こういう状況であれば、先述の女性でも安心して保護を受けられるし、夫も自分の問題と向き合う機会を得られます。日本の保護命令では、一方的な分離、断絶が被害者支援の方法論になっていますが、これでは、ほんとに保護を必要とする人が保護されないと言う事以外に、保護分離された被害者は、その後の夫の状況を知る事はできません。一方的に分離、逃避、離婚申立をしてますから、相手方の不信や怒りを誘発するのは容易に想像できること、そこに支援者の「DV男は変わらない、DV男は狡猾で、危険、何をするかわからない、とにかく逃げなさい」との言葉が重なり、恐怖心がつのります。不信感や恐怖心が対話を不可能にし、それは相手方の不信感や怒りをさらに増幅すると言う悪循環に陥ります。修復的な再同居はもちろん、修復的な離婚もできず、リスクを抱えたままの生活は子どもに負担を強いる事になり、暴力が連鎖すると言う事になります。これが日本のDV支援の現実でしょうか。先日来談された男性・・・いつものパターンですが、ご本人はきわめて冷静に自己分析し、ほとんど私の助言を必要としないほど、上手に対応されていました。私が常々語るのは、相手が逃げた事を責めず、逃げた理由、気持ちを理解し、必要な謝罪もすべきだし、問題点に対する反省とか、対策についてもちゃんと伝える事、当面要求はせず、相手の不安や不信感、恐怖心を終わらせる事に徹底してください、離婚するかしないかは大きな問題ではなく、信頼関係ができるかできないか、ここが一番大きな問題ですから・・・と。相手が被害者支援の文脈で動き出したら、分離断絶という可能性もあり得ますし、そうなったら、修復的な離婚すら難しくなります。そうなると相手も子どもも、将来の負担が大きくのしかかってくる事は目に見えています。話しがそれましたが、被害者と言っても様々、ほんとに保護を必要とする被害者が保護されるような法律に改正してほしいし、加害者に対する脱暴力支援も組み込むべきでしょう。とはいえ、私には法律を動かす力もないし、当面、ほんとに有効性のある支援をちまちまと実践していくしかないっすね。そうそう、今朝は久々の朝トレ・・・今日はきつかった。気温・湿度も高かったと言うのもあるだろうし、エネルギー不足もあるでしょう。12キロなのに、前回疎水コースを走った時より、15分ほどタイムオーバー・・なんと。咲き始めた芙蓉しんどいので、甘く薫るカツラの木陰で一休み事務所前で勝手に咲いた百合多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/11
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思ったよりも雨は弱くて、今朝からまた雨漏りが始まったけれど、ほとんど実害はありませんでした。よかったー。天気がよくなって時間ができたら雨漏りしないよう修理しようかな。FBで、修理の仕方を教えてくれた方もいて、感謝です。今日はお昼からのカウンセリングが一件だけで、午前中も暇だったもんですから。長い間冷庫で眠ってたハバネロを使って、自家製デスソースを作りました。ハバネロ二十個ほどで写真のひと瓶分のデスソースができました。結局、私の所には雨漏りとビジテーションの順延以外実害も無く、台風は過ぎていきました。お昼からのカウンセリングは、DVで保護命令が出された方の相談です。ご本人も冷静に自分の問題に向き合っておられるようで、これから家族みんなが幸せになれるよう、お手伝いができたらと思いました。さてさて、これから、晩ご飯作りにかかるかな。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/10
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今朝自宅の電話に知らない人からのコールが入りました。男性支援をしている所かとの問い合わせ。いちおう、この電話は私の個人の電話で、私は男性相談をしている者だけど、どこでこの番号を知ったのかと尋ねたらどこかで聞いたとのお答え。妻が、出て行った、捜索願は受理されなかった。昔警察に逮捕された事もある人なので、今、警察に捕まっているかもしれないなどなど本人の認識している状況を話し続けるので、こちらに来て面談はできないのか、というと関東だから、無理とおっしゃるし、私は月一度東京に行ってるとか、いろいろ、話しをお聴きして支援できる事もあると思うけれど、こちらは有料の相談なので、費用が必要というと、あっそう、とあっさり電話を切られてしまいました。この間、十分くらいだけれど、電話での声が小さくて聴き取りにくく、発言を確認しつつ傾聴を続けましたが、こちらが伝えたい事を受入れる態勢に無く、その方もほとんど、電話した目的も達成できず、無意味になった事と思います。電話するあるいは面談する場合、その意味は、◯自分の気持ちや状況を理解してもらう事とか、◯相手から有用な情報を得る事とか、◯お互いの情報を組み合わせて、新しい文脈を作り上げる事とか、◯相手から共感を得て、自分の存在に対する安心感を得る事とか、◯相手の発言から自分の言動や認知を確認、修正する事とか・・・なんだろうと思うけれど、これは電話相談やカウンセリングだけの事ではなく日常の対話においても同じ事は言える事と思います。これがうまくできる人は対人スキルが高く、トラブルも起こりにくく、良好な対人関係が維持できる人と言えるでしょう。けれど、それがうまくできない人・・・◯自分の気持ちや状況を語らない、◯相手の気持ちや状況を理解しようとしない◯自分の考えや価値観を押し付ける◯相手の共感を得ようとせず、相手に共感しようともせず、自分の不安を意識化できない◯相手の発言から自分の言動や認知を確認、修正する事もせず、相手をコントロールして自分の優位性を確保して安心しようとするこういった人は、自分の判断基準や行動規範は、これまでの人生で学んだ常識や、正義、役割意識、などの外部基準です。過去のデータやアプリが役に立たなくなったら新しいものをダウンロードしてバージョンアップするか、いっその事フォーマットしてシステム全体をインストールするというのは、パソコンでいえば当たり前の事だけれど、人間も思考のシステムと考えたら、同じ事は言えるでしょう。けれど、その作業ができない人が上述のような人なんでしょうか。自分の体験と記憶に頼るのは誰しも同じだけれど、それにしがみつく人と、手放せる人といると思います。手放せる人は、自分の存在そのものに対する自己信頼がある人で、過去のデータを消去して新しいデータを入れる事にためらいはありません。が、自分の存在に信頼感が得られず、他人の評価に依存する人は、過去のデータを消去すると自分が無くなってしまうという不安を感じるのか、過去のデータを手放せないから新しいデータも導入できません。何十年とシステムも価値観も変わらない世界なら、それもいいかもしれませんが、価値観も生活スタイルも変化の激しいこの時代、新しい価値観や行動様式を獲得しないと、周囲との摩擦は増えこそすれ、減る事はありません。DVとか虐待、モラハラなどで、相手をコントロールしようとする人、依存や病理から抜けられない人、そんな人たちはこういったにたような傾向があるように思いますが、如何でしょう。そう言う意味でも、子どもに対する無条件の受容、存在そのものに対する共感や受容がいかに大切かと思うけれど・・・デートDV教育とか以前に、大人が子どもをコントロールしないということの意味について、なかなか大人たちは理解できてないしねえ・・・どうしましょ。今朝電話頂いた方、じっくり自分とも向き合い、自分の抱える問題について理解できたら、随分今後の人生も変わると思うけれど、そのきっかけを与えてくれる人と出あえたらいいのに、と願わずにはいられません。本当に悩んで困っておられるのに、その解決に至る道筋が見つからないと言うのは、ほんと辛い事ですしねー。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/10
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自宅裏庭のクレストが強風に翻弄されてます。昨夜から今の所豪雨にはなってないので、たぶん事務所の雨漏りは大丈夫だろうと思うけれど。これから、事務所に出かけます。すでに雨脚は強まってきてるので・・早めに行っとこう。
2014/08/10
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自宅裏庭のクレストが強風に翻弄されてます。昨夜から今の所豪雨にはなってないので、たぶん事務所の雨漏りは大丈夫だろうと思うけれど。これから、事務所に出かけます。すでに雨脚は強まってきてるので・・早めに行っとこう。
2014/08/10
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明日の台風が近畿に来る時間とビジテーションの時間が重なりました。どうにも危険そうなので、順延と言う事で話しがまとまりました。今は小雨だけれどレーダーではこれからきつくなりそうだし・・・事務所の雨漏り・・気になるなあ・・・まあ、考えずに眠ってしまおう。
2014/08/09
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明日の台風が近畿に来る時間とビジテーションの時間が重なりました。どうにも危険そうなので、順延と言う事で話しがまとまりました。今は小雨だけれどレーダーではこれからきつくなりそうだし・・・事務所の雨漏り・・気になるなあ・・・まあ、考えずに眠ってしまおう。
2014/08/09
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昨夜は女と男のグループワークだったけれど、参加は男性ばかり五名。ワークテーマはそれぞれの「課題をシェア」しあうというものでした。私は長期的な課題では脱暴力の著書出版ということや短期的な所では海外でのDV研修旅行の事を語りました。離婚された方や別居中の方、非婚の方など、夫婦間のありようが世間のふつーとは異なる当事者の方達ばかりですから、課題もそれぞれ深い課題ばかりが語られたように思います。家族とか人生とか仕事とか、人が存在することの根源的な課題にそれぞれが向きあっておられるのがよく伝わってきました。その中でもよく語られたのが、性のありようについてでしょうか。性依存と言う言葉も出たけれど、性依存とスケベ(性的欲求、性的衝動が強い)とどう違うのか・・性依存という言葉そのものはDSMなんかにに基準があったりするんだろうけれど、DSM自体も時代で変遷していくし、単に便宜的にラベリングしてるだけで、その判断の根拠が厳密にある訳ではありません。となると、専門家も含めて、人の心や行為を判断するのは結局主観的な作業で、要は本人が納得できたらそれでいいのではないかということ。自分はこういう事がしたい、こういう事がしたくないということをはっきり自覚できて、それを言語化し他者との良好でここちよい関係作りができたらそれでいいのではないか・・・。そのための他者とのコミュニケーションツールとしてセックスもありうるし、また自分の心と体の対話と言う意味もあるかもしれません。これは食欲と似ています。何をどう食べるかということは文化であり学習でもあるし、絶対的な正しい食事のあり方と言うのはありません。また、それが不適切だと、体を壊したりストレスを抱えたりもします。セックスも、だれと何をするかというのは文化であり学習ですから、絶対的な正しいあり方と言うのはありません。それが不適切だと、人間関係を壊したりストレスを抱えたりもします。そのあたり、適度なあんばいというのは、各自がそれぞれの関係や環境のなかで自己決定していくしかないでしょう。セックスに何を求めているのか、快感なのか、安心なのか、承認なのか、逃避なのか、解放なのか、言語化される概念も多様で、心の中では確率論的にそれらが情動と言う形になって現れるのでしょう。その事を本人が自覚して、他者とあるいは自己と関係を取り結んでいく事・・・簡単に性依存は病気だから治さなければ、という問題でもなさそうです。そう言う意味でも自分を知ることとか他者理解とかがとても重要だし、その事を可能にする場って大切だなあ・・と、感じさせられた、昨夜のグループワークでした。帰りの電車の京阪特急多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/09
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さきほど事務所一階で仕事しようと思ってたら、テレビとかその後ろの壁があやしく濡れてるではありませんか・・・みると出窓の上からしずくがぽたぽた。しずくが出窓下におちて。あちこち水しぶきを飛ばしてました。はあー今までこんなことはなかったけれど・・・嗚呼・・・事務所も築15年くらいの建物なんで、そろそろこういう事もあり得ることだけれど・・・それにしてもショックー(笑)そーいえば、昔、今の自宅の前の自宅に住んでたとき、ある夜寝てたらいきなり顔面に水滴が落ちてきたときはショックだったなあ。あの時はしばらく雨の度に飛び起きて、布団はぐってバケツを置いてた・・・時にはこんな事もあって、ちょっとした人生のアクセントですよねえ。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/09
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私はいろんな価値観に縛られないで来談者のお話を聴かせていただいてます。暴力は許せない、家族は思いやりがあるべきです、不倫はいけません、人間努力が必要だ・・・等等、様々な価値観がありますが、それらの価値観に縛られた発言はしないようにしています。もちろん、来談者の語りが非常識だとか、犯罪を肯定してるとか、モラルに反するとか・・・いろいろあります。先日のお電話でも、人を殺して自分も死ぬ覚悟だ・・・との意思表明を聴かせて抱いたり。そんなとき、それは犯罪だからやってはいけませんと言ったら、私の社会的な安全は保てるけれど、来談者の感情は行き場を失い、その決意を証明するために実行するしか無くなります。ですから、犯罪だからやってはいけないという言い方をする事はありません。ただ、現実にどう言う問題が起こっているのか、その事で、誰と誰が困ってると思うのか、本人はそれに対して何をしたいのか、できるのか、などをしっかり聴き込んでいくだけでなく、本人の知らない知識については解説したりもします。そうやって語り合う事で、来談者は判断の選択肢が増え、自分の思いや考えが明確化され、やがて自分と向き合い、自己決定していくことになります。たとえば不倫にしてもそれは不道徳だからやめるべきでしょう、と私から言う事はありません。そのことでどういう問題が起こってるのか、本人はどうしたいのか、冷静に考え関係者と意見交換し、無理や矛盾のない関係にして行く事も可能です。その最善の判断は、しっかり対話しお互いを尊重するという、人間関係の基本に戻る事でしょうか。ラベリングして糾弾する、排除する、抑圧する、ということでは、本質的な解決にはならないだろうし、新たな問題を抱える事になりかねません。実際、私の支援を受けながら、夫婦で話し合い、夫婦関係を変えて、友達夫婦としてとてもいい関係になった人もいるし、夫婦関係をいさぎよく終わらせて新しいパートナーと新しい関係を作った人もいるし。何れにしても憎しみや痛みに囚われて、自分の人生を辛いものにしてほしくはありません。そのために、私はラベリングしない、ジャッジしない、私の価値観や世間の価値観を押し付けない、ということを心がけています。とはいうものの、なかなか不倫と言う言葉に囚われると、自由な思考にもならないし、自己決定も難しい・・・・のが普通の人の現実ですよねえ・・・えっ私?・・・私の性は国家のモノでも家のモノでも、家族のモノでもなく、私個人のモノと理解してますから、誰かの承認や許可がいるとも考えてないし、もちろん、誰かが傷付いたり不愉快になったりする事はさけたいし・・・だから基本、私は私の性については、語らないのであります。こんな私だから、いつぞや変に妄想する人もいたりして、セクハラカウンセラーにされちまったけれど、セクハラなんてする必要もないしねえ(笑)/多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/08
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昨夜は久々に夜トレでした。この時期、紫外線対策の格好で走るより、夜間の軽装で走る方がずいぶん楽。とはいうものの、カロリー制限してるからか、決してらくらくランニングと言う訳ではありません。コースは山科の駅前を通って外環状線沿いに12キロ。途中、飲食店の前も通りますが、気になるのが、ぽつぽつ存在する学習塾。十時過ぎても子どもたちが残っている様子。こんな時間、本来なら家族と過ごしてるか、寝てるかの時間だろうに・・・・他人と競う事、少しでも優越する事で評価を得るし、努力を怠って成績が悪いと惨めな思いをする、あるがままの自分でいいという実感は感じられるはずもなく、常に緊張と不安を強いられる子どもたちの日常。その競争に落ちこぼれた者の傷付きや劣等感も問題だし、それなりにポジションを維持する者の転落する事に対する不安も問題、と私は考えるのだけれど・・・それは将来のとても大きな困難の原因になってしまうのだから・・・もちろん、私の主張は理想論、現実は厳しいのだ、という意見が多いのも理解しています。でも、その将来の問題は目先の競争に明け暮れる、親とその子には想像もつかないもので、やがて過酷な現実となって直面させられます。そして、問題に直面した方の現実はとても厳しいものです。事件や事故にあったり、心や体を病んだり、地位とか名誉とかもうどうでもいい事、と考えるほどに厳しい状況に、本人はもちろん家族もさらされていきます。こんな方たちの過去は、たいていしっかり頑張って厳しい現実に向き合うべく家族共々努力して来られた人たちも少なくありません。なんでこうなったのか本人にも家族にもわからない・・・多くの当事者の語りを聴かせて頂く私にはよくわかる事だけれど・・・・先日も、暴力で逮捕拘留中の方の家族の方が来談されましたが、その当事者が子どもの頃にはだれもこの子が数十年後に逮捕拘留されるなんて考えてないだろうし・・・・・私の思うに世界は多様で複雑、勉強していい成績さえ取れば、人生の選択肢が広がって、将来が保証されるなんて・・・私には現実を知らない甘い考えのようにしか思えないけれど、世間の方達からは私の方が理想論のように思われてしまう・・・。人生何が起こるかわからないし、世界はどう変わるかもわからない・・・どんな事がおこっても、自分を支える自己肯定感、コミュニケーションスキルや対人スキル、多様で柔軟な思考・・・これら人生の基礎と言えるものがない所で、どんな知識や学歴・資格を取った所で、豊かな人生を保証することはできない・・・そんな風に考える私です。経済が拡大成長してた数十年前とはまったく違う、過酷な世界になっているのだもの。さらにこれからその崩壊への変化は加速して行くでしょうし・・・。幸い、私は子どもの頃からアホで、勉強もできず、遊んでばかりだったけれど、自分に対してかなりの自己肯定感は持ててたと思います。ですから、今アホなりに幸せになれているんだろうと思います。・・・もちろんアホと言っても言語と概念に関する能力だけは誰にも劣らず発達していたみたい。だから、常識とは違う視点で世界を見続けてきたし、生きる事もできた。そんな私、今は還暦だけれど、心身ともに調子良く、細胞活性化のためにもナイスバディー復活のためにも強力ダイエット中。さらなる飛躍を目指す日々。そして多くの子どもたちにも伝えたい、生きる事の意味や尊厳・・・大丈夫あなたのままで素敵だから・・・と。世間や親からかけられた、あんたはダメな子、の呪いを解いてあげたくもあるし・・・今朝も咲いてた自宅睡蓮鉢の睡蓮多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/07
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昨日は、女まみれの一日でした。午前中は長年夫のDV・モラハラで苦しんでおられた女性のお話を聴かせていただいたし、午後からは、引き離しがらみで辛い思いをされている女性のお話を電話で聴かせて頂き、夕方近くには、カウンセリングではないけれど、長年付き合いのあるカップルの女性の相談電話を1時間ほど聴かせて頂いて・・帰宅したら、夫婦間葛藤で不安が嵩じた育児ママの不安を伝えるメールに対応し、深夜には夫と長い間家庭内別居で辛くなっておられる方の電話を聴かせて頂いて・・・・ほんと男と関わる事がなくて、女の支援ばっかりしてた一日でした。加害男性の受け皿がなくて、私の所に男性が支援を求めてくるって言うのは当たり前だけれど、夫や家族との葛藤で苦しんでおられる女性の少なからずの方が私の所に支援を求めて来られる現実。行政や他の援助機関では解決しえない女の問題があると言う事なんでしょうか。女だから女の事がわかると言う事でもないし、男には女の支援はできない訳でもなく・・・・性別を越えた、人間理解とか当事者性とかが私にあるから、加害者支援をしている私に女性が支援を求めて来られるのでしょう。昨夜のメールでも不安に苛まれる育児ママが、「しばらく私のママでいてください」と私味ママに心のハグを求めて来られました。ほんと、多くの女性が私の男性性ではなく、母性を感じさせる支援を求めて来られるのでしょう。実は、昨日も面談の中で、夫との葛藤で疲れ果てて、毎日が喜びも楽しみもなく、生きている意味もわからず、不安や緊張に苛まれているとお話しされた方、カウンセリング後は丁度お昼時だったので、ささっと有り合わせで定食を用意して、ささやかだけどひと時の生きる事の喜びを感じて頂きました。ほんと、行政の女性支援が必ずしも女性支援になっていない、ということについてあらためて感じさせられた一日でした。それに一昨日の話しだけれど、やはり電話でお話を聴いてほしいとの女性の相談がありました。以前にも何度か相談に乗ったけれど、問題は終わる事なく一昨日もお電話頂きました。来談の薦めとか電話相談としての相談料の負担のお願いもしてましたが、それも叶わずお電話を頂きました。お話はとても難しい内容で電話で簡単に答えられるようなお話ではないし、リスクを引き受けての支援に入る必要もありそう。それなりの手間も時間も必要です。けれど、私は利用者の利用料だけで運営してますから、無償で支援を継続する事は不可能です。行政で予算がついて支援している所は、誰に対しても支援できるはずだし、女性支援がしっかり女性の支援をしてくれてれば、こんな女性が辛い思いをしなくて済むのに・・・ほんと、胸痛む話しだけれど、私はその方の電話での支援ができない事をお伝えしました。私を危険人物と排除しておきながら、自分たちのできない部分を私がフォローしている事についてはまったく目をつぶってる行政の女性支援・男性支援・・ほんと、理不尽な話しです。もちろん私はそんな支援の中で援助料だけではなくて、私が元気を頂いたり、学びや育ちも頂いたりして、決して損してないどころか、とても大切なものを頂いていて、有り難い話しですが。行政の支援者、相談員、カウンセラー、研究者など、多くの専門家について、もっともっと支援の質を高め、有効な支援にしてほしいと願わずにはいられません。私の所に来てくだされば、いくらでもそのスキルや理論もお伝えできるのに・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/06
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昨日は終日仕事らしい事もなくて、修行のお掃除も朝帰りのバタバタでパスさせてもらって、銀座ワークのふりかえりとか、これからのプランニング等に目をとおしてたら・・・ああっ、今月の課題は、月末のメンズカウンセリング講座の準備とか、中旬の某大学での講義の準備とかもしなくちゃならないんだーとやるべき現実に直面しました。特に大学の講義はジェンダーと法と言うテーマでの、三コマの連続講義・・・。法律とジェンダーの関わりやら、その結果の当事者の問題等、現場で支援する臨床家としての語りを要求されています。法律が人々の生活にどのように影響しているかと言う事を語るには、法律の知識も必要だけれど、私はそちらの専門家ではありません。とはいえ、無責任な思いつきを語る訳にもいきません。と言う訳で、法律そのものと言うより、その結果の暮らしから見えてくるものから法律の問題を語るのが私の方法。具体的には、犯罪統計や行政のアンケート結果、新聞記事などを俯瞰し、推論します。あれこれみていると、人々の認識が現実とかなりズレている事、マスコミが報道しない事実、法律や制度の裏事情も見えてきます。それらを学生に伝えると言う訳・・・・なんだけれど・・・その学生自体が、学ぶ意欲もさほどないのか・・・問題意識もないのか・・・君らの問題だよーって思うのだけれど・・・ほんと人は当事者にならないとなかなか真剣に考えないんですよねえ・・・(笑)と言う訳で、私はいろいろデータを引っ張りだしてのお勉強でした。殺人やレイプはこの十年で斬減しておおよそ半分になってますが、夫婦間の暴行、子どもに対する暴行は十倍くらいに増えています。虐待死は特に増加している様子はなさそうです。この事から見えてくるのは、虐待防止法やDV防止法ができて、立件されやすくなったと言うことと、にもかかわらず、防止対策がとられていないということ。私が常々言ってるように、立件に対する公正・中立、と言う仕組みがない事とか、加害者に対するアプローチがない、あるいは無効であると言う事。これらが統計からも読み取れます。けれどねぇ、学者も行政や司法に対して問題提起する勇気はなさそだし、立法府に対しても働きかける根性はなさそう。皆さん我が身可愛さが余ってるのかもね。マスコミもそんな所にはつっこまず、発表ものでお茶を濁して、政府の都合よい、視聴者の下世話な感情におもねるつまらない番組作りに励んでいます。嗚呼・・どーしましょ。私は行政からも専門家からも完全に干されてるから、なかなか事実を伝えるのは難しいけれど、にもかかわらず、私を排除しない学校がいくつかある事には感謝ですし、その思いには答えたい私です。さて、今日もお勉強しよーと♫多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/05
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昨日は1日ちょーハードワークでした。九時からのミニゼミでは、ナラティブアプローチとメンズセラピーの援助者の立ち位置の違いについてお話しさせて頂きました。その後のワークでは、エゴグラム、短所と長所の意味する所、などのワークを行いました。ミニゼミと女ワークでは十四人ほどの男女に二人のベビーも参加。子どもに会えないパパが同じくらいの年齢のベイビーをだっこしている姿は微笑ましくもあり、胸痛くもあり、けれど、私の所のワークならではの光景でしょうか。お昼からの男ワークでも男女合わせてのグループワークを行いました。こちらは「行動を変える」がワークのテーマ。善悪や正誤、などの判断基準は捨てて、快不快を判断基準にすると、対人関係がスムーズになるとの私の持論も述べさせて頂きました。ワークの中で語られるのは、自分の自信の無さとか、自己防衛のために沈黙するか爆発する事とか、図らずも、被害女性も加害男性も同じ事を語っている事に気づいて、新たな気づきを得てくださったようです。加害者も被害者も同じような心理からにたような行動をとるけれど、結果は被害者であり加害者になるという現実のおかしさ。その被害女性の語ることには、「離婚したくないし今はできないとの考えを主張しても、あなたは洗脳されている、ハネムーン期にあるだけ、いずれ大変な事になるのに、どうしてそれがわからないのと支援者に言われて、自分の考えはおかしいのか、自分は何を言っても誰にもわかってもらえないのか、と自信をなくしていた」との事。精神科医にも似たような事を言われ、その根拠を尋ねても、そんな事を言うのはあなたくらいだ、根拠は本を読めばいくらでもわかる、と、軽くいなされたようで、何を言っても、世間では通じないのだ、と、諦めたとの事。自信がなくなって、鬱っぽくなってしんどくなってた所で私に繋がって来られた訳ですが、私は善悪でも正誤でも語らないので、その方の体験や思いに寄り添いつつ、その方の自己実現のお手伝いをして行くだけ。その結果、その方はいわゆる加害者と言われるパートナーとの関係も少しずつ変える事ができ、昨日も一緒にワークに参加してくださいました。同じように、カップルで参加頂いた方も何組かおられました。先述の加害男性は、ワークに参加されるようになったあと、連絡の絶えたパートナーとは離婚し、離婚後は随分、自己受容、自己一致も進み、随分楽に生活できるようになったとの事。彼自身の加害にいたる無意識的な問題とか行動に於ける問題とかも理解してくださったようで、対人スキルもアップされたような事を話されていました。今はそのパートナーもその方に対する不信感と無意味な不安に囚われて暮らしているだろう事に、その方も複雑な思いでおられるようでした。わたしのワークやカウンセリングでは、知識領域のアプローチだけではなく、無意識領域でのアプローチも重視しています。生育に於ける傷付きや、満たされぬ欠乏欲求に対する手当ても不可欠です。このあたりのアプローチがあれば、被害加害に関わらず、自己肯定感が増し、他者のコントロールに依存しないとか他者にコントロールされない、あるいは他者をコントロールしないで済む、そんな自我の強さを獲得する事ができます。結果、「なぜか良くわからないけれど、家族関係が良くなった」とか、「イライラしなくなった」とか、「人が怖くなくなったとか」とか言う発言がでてきます。もちろん暴力やパワーコントロール持てばなすこともできます。知識領域での学習で暴力をやめよう、事をコントロールするのはやめよう、アサーティブに語ろう、と理解しても、自分は加害行為をしてしまうかもしれない悪い自分との、自己否定的な自己概念でいるうちは、自己信頼も自己一致もできず、対人葛藤がまし、結局人格崩壊になるかそれを回避するための別の依存に走るだけになりかねない、と言うのが私の判断です。そんなワークの後も、カウンセリングが計五件も続き、ほんとギリギリまでハードワークしてた銀座の1日でした。おつかれさーん。朝がえりの自宅で迎えてくれたお歯黒トンボ多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/04
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夜バスが丸の内に着いたのは七時前、まだ気温はさほど高くなくて爽やかな朝。ビルの谷間の木陰ではクマゼミが賑やかに鳴いてます。蝉時雨、人も車も丸の内さてさて、今日はこれから銀座ワークです。ミニゼミでは何のお話しようかな・・・これまでナラティブについてお話ししてきたので、ナラティブの先にあるメンズの理屈も話したい所。メンズセラピーでは個人の病理症状は社会の差別抑圧構造が原因していると考えるので、個人の病理症状だけにフォーカスしていても、病理は再生産されるので、マクロには無意味となります。個々の症状を改善するだけでなくて、マクロな社会の病因に対しての根本治療をしなくては、いつまでも人々の苦悩は終わりません。そのために社会の様々な病理に対して働きかけ、その病理構造をなくしく必要があります。ナラティブだと、家族やちいさい社会の抑圧構造に対して、個人の病理と関連づけオールタナティブな物語りに組み込んでいくようですが。社会全般に対して、同じような働き掛けを行う人はいないようです。フェミニズムの場合女性差別が女の苦悩の根源と理解しているので女性差別をなくすと言う事と、セラピーが密接不可分なものとの理解があるようです。それが間違いとは思いませんが、フェミニズムで言う社会病理は男性支配ですから、男と女の闘いがセラピーの大前提になります。メンズセラピーでは、差別抑圧構造は必ずしも性別で成り立つているものとは理解していません。男性も差別される側に立ちうる存在で女性も差別する側になりうるものとの理解があります。ですから、女であれ男であれ、差別抑圧構造からの解放が病理症状からの治癒をもたらす、との考えも成り立つし、女と男がともに癒しあい、育ちあうという関係も成り立ちます。差別抑圧構造は権力構造を伴うけれど、この権力構造を排した所でのセラピーを行うのはナラティブも同じだけれど、世の中がおかしいよね、と言う時に、その世の中で立派なセンセとして評価され稼いでいる人と、世の中から疎外され病理化してる当事者とのそもそもの社会に於ける権力構造のたちいちの違いをセラピーの中でどう、矛盾なく関わるか・・・これはとても難しい。だからナラティブでもそこは触らない(笑)私は立派なセンセではないし、様々な社会の抑圧構造から来る経済的な利益もあまり手にしてないし、クライアントに寄り添うのに矛盾なく寄り添える。こういうのって、裸の強みっていうのかな。私が一切の防衛を解いて、相手に裸の自分を委ねる事で、クライアントも防衛をといて無力な自分を受け入れる事も可能となる。そこではじめて、人生の産まれ直しやら育ち直しという、魂のセラピーが可能となるのかな。ああっ私の妄想です(笑さてさて、今日はどんな1日になるのかな。どんな人と出会いどんな物語りに触れるのかな・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/03
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家族と言うのはもともと危険な関係で、殺人事件の半数は家族や親族間で起こっているし、DVや虐待は防止法の施行以降も減る気配はありません。けれど、講座やワークであなたに取って家族とは?と質問すると、信頼とか愛ある関係、安らぎ、という答えが却ってきます。で、私はそれに加えて続けます。ではその信頼や安らぎが今のあなたの家庭に充分ありますか、と質問するとたちまち、あまりないとか、まったくない、という矛盾した現実認識を答える人も少なくありません。個人の中に理想と現実の不一致が起こっていると言う事。ならば家族間の不一致や葛藤が起こっているのも当たり前で、現実の家族は信頼とか安らぎとかではなく、不信や不安の中でかろうじて関係を維持しているのでしょう。その維持する動機は家族役割意識でしょうか。父親らしく母親らしく、子供らしく・・・etc 役割をこなしている間は世間の評価基準にかない批判を免れるけれど、いったん役割をこなせなくなったら、たちまちその家族は葛藤を抱える事になる。働かない父親、育児しない母親、学校に行かない子ども・・・これらの当たり前をこなす事と家族の幸せは本来関係ない事なんだけれど、世間ではこの当たり前が家族をうまく機能させることと考えていて、当たり前からはずれた家族はおかしな家族、不幸になっても仕方ない家族、とラベリングするようです。ですから、家族同士でも役割をこなせなくなった家族をコントロールして役割に乗せようとしたり、あげくに排除しようとしたり。低血圧で朝起きられない妻を怒鳴ったりなぐったりしてコントロールする夫の暴力、鬱っぽくなってますます動けなくなる妻、病理化する前に、そんな夫を切り捨てての逃避でしか、自分を保てない妻。学校に行かないこどもに暴力を振るったり、引きずり倒して学校に行かせようとしたりする父親、あるいは母親。いずれにしても、家族役割をこなせなくなった家族をパワーコントロールして役割に引き戻そうとする役割意識が問題の本質です。けれど、学校に行かない事、食事を作れない事、暴力、などの表面的な行動が問題の本質ととらえてしまうのが世間の常識であり当たり前、という価値観です。この当たり前、常識がいつ頃できたのか、たぶん学者の研究はあるのでしょうけれど、それが社会の矛盾を解決するほどの概念にはなり得てなくて、政治や経済を動かしている連中の利権擁護の力には及ぶべくもないのが現実。役割ではなくて、個々人の自由意志と相互の契約によって家族を作れば役割意識からの葛藤で苦しむ事もないし、それぞれの個性を尊重したほんとの信頼とか愛情に裏打ちされた、家族になりうると私は考えます。私自身は結婚当初から、パートナーを経済的に支える事を一切しないという契約だったし、その分パートナーに家事労働を求める事もしませんでした。子どもにも通学・学習を強制した事はありません。役割意識と家族の経済活動が合致する時代ならいざ知らず、昨今の変化の厳しい時代には個々人に多様な能力が要求されるし、家族間の相互扶助も世間の役割意識ではなく、相互の自由で対等な関係に於ける対話と契約に基づいて行われるべきでしょう。けれど、その自由な生き方を個々人に保証する個人主義的な思考方法は日本人には希薄なようです。性役割意識、家族幻想に縛られた多くの人は、役割意識にしがみついて自己をアイディンティファイしてるから、役割から外れる事に大きな恐怖、不安を感じてるし、家族がその価値観から外れるとたちまち家族間葛藤になり、暴力、病理、犯罪、と変遷してしまいます。その罪のない犠牲者がこどもと言う事でしょうか。その成れの果ての大人の問題なのですが、今の子どもたちは以前の子どもたちより、より厳しく管理され、コントロールされているから、魂が育ちようもないし、強固な自我、安定した自己肯定感も育つはずがない。学歴以前に、自分の存在に対して、大丈夫という自己信頼がない所にどんな立派な学歴を乗せようと、基礎のない高層ビルのようなもの。少しのストレスで倒壊してしまいます。学歴さえあれば人生の選択肢が増やせる、とマジで考えてる大人は多いと思うけれど、自己肯定感、自己信頼のない所に人生の選択肢はありません。与えられたレールに乗って走るか、レールから落ちこぼれて自我崩壊する選択しかないのですから。学歴社会の成れの果て・・・だれも幸せになれない貧しくて危険な未来・・多くの親には見えてないんだろうなあ。ある日その現実を見せつけられる日がきて、当事者になり世間を呪い、自分を責める・・・。(セウォウル沈没だったり、高雄爆発のような事故事件になってその現実が突如目の前に現れる・・。)こんな世間の渦に巻き込まれず、自分は自分の頭で考え、自分で判断し自己決定していく。そしてそんな人たちどうしで支えあい育ちあう、そんな家族が作れたら、どんな未来でも幸せに行きていけそうに思うけれど・・・世間を騒がせてる佐世保事件、特別な家庭の特別な子どもの起こした事件、と他人事で世間ははしゃいでるけれど、あの家庭の価値観は世間と同じだろうし、世間が他人事と言えるものでもないでしょう。どこにでもあり得る事、誰にでも起こりうる事のように思えてなりません。夜遅くまで塾通いさせて胸痛まない大人たちですし、大人のレールから外れる事の不安や恐怖を心にしみ込ませた子どもたちですから。と話しは変わって・・・今夜は夜バス・・明日は銀座でワーク。今困難を抱えた当事者の方、人生や生き方を見直してみたい方、人を幸せにしない世間の価値観から解放されて、自分の人生を自由に生きる、転換点としての集まりです。今がチャンス・・・未来は明るい。当事者の方だれでもお気軽にご参加くださいね。お待ちしてますぅ。詳しくはホームページで・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/02
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42番目の部屋とりだけれど、どんどん埋まっていく中で、ひとつの会議室だけは朝昼夜の使用申し込みがなくてラッキーにも私の番まで空いたままでした。ゲットした会場は50人くらいのかなり大きな部屋でした。抽選会の後、ついでに旅券事務所に出かけて先日申請してたパスポートを受け取りにいきました。最近のパスポートはICメモリーが組み込まれてて、読み取り装置で顔写真やら名前やら、パスポートに記載されてる情報がすべて読み出せるようになっていました。印紙代の一万六千円は痛かったけれど、十年分の利用料と考えるとまあ、そんなもんかと思います。このパスポートでどこに行こっかなー。十年あるから・・・どこかに行けるでしょう。お昼からはビジテーション。ひと月ぶりのパパと娘さんの面会です。パパがこの日のためにいろいろ準備して持参してくださった工作のおもちゃ作りをいっしょに楽しみました。半年前のビジテーション開始当初は緊張してたり、子どもの扱いがなれない感じだったけれど、少しずつ親子の距離感や、コミニュケーションスタイルをお互いが獲得してくださったようで、今は随分と自然でいい感じになってきています。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/01
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今日は11月のメンズカウンセリング講座の会場確保のために、ひとまち交流館京都の抽選会に・・・。到着準で抽選番号札を無作為に取るけれど、その抽選番号がなんと42番。60団体中なので、かなり後ろの方になります。番号順に会場をおさえていくけれど、42番となると・・・もう希望の部屋は残ってないだろなー・・嗚呼、日程変更するか会場変更するか・・とはいえ、今月の31日のメンズカウンセリング講座第三講は前回同様、終日の講座として行いますので、新しいカウンセリングや援助について学びたい人、当事者どうしの語りあいをしたい人、お気軽にご参加くださいね。テーマは「メンズカウンセリング実践」です。ロールプレイや事例学習を中心に、権力構造を持ち込まない、当事者性に基づいたカウンセリングや援助について学びを深めたいと思います。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/08/01
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