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今月は大ヒットのアニメシネマを二本。「アナと雪の女王」と「思いでのマーニー」と私はあまりアニメ映画は好まないのでディズニーものといってもわざわざ映画館まで出向く事はないし、ましてジブリ作品はテレビで充分と思ってました。でもなんでしょ、テレビCMで流れるレリゴー♫のフレーズが気になって・・・昔々ビートルズのレリッビーで青春してた私ですからねぇ。それにジブリ作品と言っても、原作は英国?だし、マーニーはどうも白人の女の子みたいで、私の前世の血が騒ぎます。そんなこんなで立て続けにアニメシネマをみたと言う訳。はからずもどっちの作品も女のダブルキャスト。しかも女の子の成長と自我の確立がテーマ、なんとシンクロ。それに男は脇役端役ばっかり。逞しく優しい王子様が美しい無力な姫を救う、性役割バリバリの物語りとはまったく違います。女が男の庇護を必要としなくなった、という時代背景があるのかもしれません。男の庇護=女の被支配であり、従属であるとしたら、そんなもんいらんわいというのが昨今の女たちの意識なのかもしれません。ほっといてくれということ。少なくとも、アナもアンナも成長に男の支えを必要としていない。であれば、女を支配する(=家族を守る)ことで一人前の男と評価されるこれまでの価値観で男が生きてたら、男たちは女とうまく行くはずもない。女のワガママというのは勝手だけれど、女のワガママを女の自立と認めないのは男のワガママと言えなくもない。これはかなり、男にとっては見過ごせない事のように思うのは私だけかしらん。もちろん私にはとっても好ましいことに思えるけれど、旧来の意識で生きてる男には、ますますもって、女とのここちよい関係作りが難しくなってきたって事だしねえ。で、女を支配しよう、あるいは女を守ろうとか幸せにしてやろう、なんて馬鹿げた考えはもうさっさと捨てて、女の自己決定、自己責任を明確にし男も自分らしく生きて、女や男の垣根をこえて個々の人と人の相互理解、相互扶助・・自由で対等な関係を作っていけたら、これは男性解放の究極ではないか、と私は考えるのです。メンズリブの視点では喜ぶべき女の変化・・なんですよー。なんちゃって・・でもねえ。こんな事言っても多くの男たちには通じないのよねえ・・はいー、多くの女たちもにたようなもんでしょう・・はあー。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/30
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このところ、頂き物でスウィーツがたくさんテーブルの上に・・・澱粉をカットし続けてるって言うのに・・・嗚呼。ていうことで昨日は小さいバターケーキやらソフトワッフルやら茶団子やらいくつかたべてしまいました。うまーい・・・と一時の幸せは感じるけれど、その一口でとどめておくのがこれまた辛い(笑)で、昨日は体重計に乗ってみるとなんと減量どころか、若干の増体が・・やばっ・・・先日疎水で見つけた初の秋の便り多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/30
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先日、問題抱えてしんどくなっておられる方から電話頂きました。別居してる家族の問題や人間関係が難しくなってる職場の問題、それらの問題と平行してしばしば起こる暴力問題・・・。その方のご両親もどう対応していいかわからず、長い間努力を続けてきているけれど、問題解決にいたらない事に苦悩されています。問題を暴力問題と収斂させたら、わかりやすく簡単ということでしょう。暴力が悪い、暴力をやめるよう努力すればいい、と周りの人たちは言いますし、それは正論ですから、本人も反論できません。けれど、本人は暴力を起こす怒りやその下にある不安について、受け入れ言語化することは簡単ではありません。本人自身自分の感情や心理について、理解しかねているのですから・・・今で言う、発達障害をいくつか重ねているようですが、生育当時は発達障害と言う概念もまだ普及してなくて、本人の不適応な行動やその心理について理解し、。適切に対応する専門家もいなかったようです。家族は精神科医の指導に従って対応する事に何の疑問もためらいもなかったようです。本人の発達障害について本人には何の責任もないのですが、あたかも本人の問題行動は本人だけの責任のような価値観が一般的でした。本人は周囲から受け入れられず、イジメ体験等もあって、摂食障害、不安障害、になります。精神科医の指導も必ずしも適切ではなかったようで、数年に渉る長期の入院の中で、本来自我確立に重要な時期に獲得すべき対人スキルや自己肯定感を獲得できず、精神医療の激しいコントロールの中で自我を崩壊させずにサバイバルすることだけを目的としていたのかもしれません。本来なら思春期以降、自我確立や社会適応のために多くの人と関わり様々な体験を重ねなければならない時期に、発達障害と言うハンディーを抱えながらサバイバルのために心を閉ざし、他者に信頼を置かないという空間的にも閉ざされた日々を過ごした本人です。その強い意志は精神医療の中でも壊れる事なく、やがて青年期になると退院後は本人なりに努力を重ね、そこそこのレールに乗る事はできたようです。けれど、閉ざした心は開かれる事なく、対人スキルもコミュニケーション能力も不十分なまま、ケアも不足したままだったようですが、恋愛し家族を持つに至った段階で、蓋してかくしてた問題が表面化してきました。それは暴力となって現れるのですが、本人の不安とかコミュニケーション能力の問題として、適切なサポートができる人に出合える事もなかったようです。暴力問題が深化して私の所に繋がってくる訳だけれど、本人もどうしてそうなるのかわからないし、周囲の人たちも誠意のなさとか善悪の判断力のなさと解釈し、善意で説得、指導などの対応をしていたようです。これも家族としては当然の態度ではありますが、問題解決にはかならずしも適切とは言えません。私は何回かお話を聴かせていただいて暴力問題の背後には、過去の体験、精神医療や学校教育のなかで様々な抑圧を受け、心の深い所で傷付きがあることが問題の本質と理解しました。その終わらない痛みが事あるごとにフラッシュバックしてくる事、本人もその時の感情の暴発をどうにも抑えられない事も見えてました。しかも、発達障害というハンディーも抱えています。本人はフラッシュバックした時には感情は過去の状況に戻ります。周囲の人たちにすれば、もう昔の事なのにいつまでもこだわっても仕方ない、と説得にかかります。過去の体験、過去の思いが出てきた本人も辛くなるし、混乱して怒りが暴力的な言動になってしまいます。暴力は悪い事だからやめて・・という周囲の言葉が無意味である事、善悪をいいつのるのではなく、本人が混乱しないで済む状況設定の構築が必要である事などを、周囲の人にも本人にも伝えます。さらに、フラッシュバックする過去の体験について、その体験の意味付けを変えていく作業も必要だし、それができれば、過去の痛みが終わり、不安からも解放されるのではないか、との仮説にたち、私は本人のカウンセリングも薦めます。仕事の状況とか、家族状況とか、決して楽観できる状況ではないけれど正論で追いつめる事なく、本人の心が育ち直しできるよう支援を続けていければと思うけれど・・・・DVにせよ、虐待にせよ、家族間暴力があった時に暴力だけにフォーカスして、それが問題でそれが無くなればいいと単純に考えてしまいがちだけれど、私はそのような理解はしていません。暴力の背後には様々な問題があって、その問題が暴力という症状を引き起こしてるだけと考えます。暴力だけを問題視すれば、脱暴力が難しいなら分離で解決と言う事になるけれど、問題の本質はなんも変わってないから、いずれ別の形で再発するだけの事。暴力を無くすには、その本質的な問題にフォーカスし、その問題にたいする適切な支援が求められます。暴力問題を深く理解する事ができれば、現在は表面化していない問題がやがて暴力や依存、犯罪などの問題になって表面化する事も見えてくるようになります。そんな私からみれば、親に抵抗しないいい子、元気な子、頑張る子の問題が見えてとても痛々しくもあります。いい子を演じている子どもたちがいずれ、壊れたり、パニックになったり、事件化することが見えてきて・・・ほんと痛ましい事の多い日々です。先日の友人を殺した女子生徒のこれまでのプロセスもきっといろいろ問題があり、その事に適切に支援できる大人が周りに誰もいなかった・・その悲劇が痛ましくてたまりません。神奈川で交際してた女性を刺殺したチャールストーマスさんもそこに至る心理プロセスがあったろうに、せっかく彼も京都にいたのに、誰も彼を私につなげなかった・・・私を排除する行政も専門家にも困ったものだけれど・・私の知名度のなさもなんとかしたいもの・・・事件の背後にある世間の問題・・・世間はそのことに気づいてないから・・いつまでもこんな事件は続くんだろうなあと思うと、ほんと胸痛みます。そんな事の多い今日この頃・・・さ、私に何ができるんでしょうねえ。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/29
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昨夜は久々のメンズクッキング・・・暑いし忙しいしで、メニューはちょー簡単レシピ。参加はDV当事者男性数名とたまたま居合わせたモラハラ被害女性一名と、それに私でアットホームなダイニングルームでのお喋りクッキング。メニューはちょー簡単冷やし中華、野菜天ぷら、豆腐照り焼きハンバーグ、冷や奴、お味噌汁、デザートはバナナチーズケーキ油の善し悪しとか、うまくあげるコツとか天ぷらの講釈を少し話して、あとは、私が主にデモスタイルで実演。調理中も料理がいかに簡単に作れるかとか生存のための安全保障としての料理技術の話しとか、よその料理教室ではきくことはできない話し満載です。如何に現代人が・・特に多くの男性がそのスキルや知識を奪われているかってことも。・・料理は女の仕事なんて考えてるうちは男の幸せは遠いのかもしれません。私は貧乏人で外食はほとんどしないし食材も安物ばかり・・高級食材とは無縁の料理人ですが、日々おいしいものを食べてるし、健康だし元気で幸せだし。この事実と私の料理生活と決して無縁ではありません。そんなこんなを多くの人にも伝えたくて・・・みなさんお腹一杯食べてくださったようですが、食後も延々とお話は続きます。離婚でもめた話し、こどもにあえない話し、家族ともめてる話し・・・当事者同士だからこそ語れる、深い話しが十時近くまで続いてやっとお開きに。で、今朝は午前中は仕事もなかったので、一週間ぶりの朝?トレ。日差しは強く気温は32度。紫外線防止のいつものスタイルでスタートしたけれど、けっこうハード。みどりのトンネル蝉時雨途中休み休みだけれど12キロ、タイムは前回よりも少しアツプ。筋肉疲労は前回よりもマシ。少しずつ力ついてきてるかな。あでやかな葵ですアブラゼミとツクツクホウシの抜け殻?綿菓子の木こと甘く薫りだしたカツラの巨木ご褒美のスイカ、うまーい多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/28
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昨日も暑かった・・・・京都でも38度を超えてたとか・・・とはいえ、事務所はビジテーションもあったのでクーラーを控えめに動かしてました。で、室内にいるとさほど暑さは感じないで済みましたが、いったん外に出るととんでもない暑さでした。ーふー。毎年クーラーを使わずに過ごしてる自然緑化住宅の自宅に帰っても、昼間の熱気は残ってて・・で、仕事帰りに見つけて買った値引きカットスイカ。1/8カットが150円。ほんの一口食べたけれど・・・うまーい。今年の初スイカ。それにたまらず食べた今夏初のかき氷・・さすがに小豆は使わず、ミルクとみぞれでシンプルに・・・しかも量も控えめに・・・ほんと、断食から始まって澱粉をほとんど抜いた強力ダイエットを続けてる現在、何を食べてもうまいのが現実。五キロの減量からなかなか減量のペースは進まないけれど、いっとき脚気様の痛みを感じた以外は、特に問題もなく、むしろ体調は良好。絶食減食のオーバーホール効果が出ているような気がしないでもない。それに、昨年以上の猛暑のようだけれど、余分な体脂肪が減ってる分暑さから来る辛さは多少マシなような気がしないでもない。猛暑にダイエットにランニングと一見無謀な事をやってるみたいだけれど、たぶん、体と相談できてやってるので、世間で心配するほど危険な様子もなさそう。ほんと人間の体って不思議ですぅー。さて、この強力ダイエット・・いつまで続くかなあ・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/26
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今日は二ヶ月ぶりの父子の面会交流支援の日。二ヶ月ぶりとは言うものの、すぐに親子の関係が復活し、日常の会話になりました。子どもにとってみれば、両親はともに仲良く自分を見守ってほしいと願うのは当然でしょうけれど、必ずしもその子どもの願いが叶う家族ばかりではありません。現実に家族であることが難しいこともあり得ますし、家庭を維持するために家族がさらに傷付くと言う事もあり得ます。離婚と言う選択で親子が引き離されるというのは、当事者夫婦の問題と言うより法律や制度の問題であり、司法や行政の問題と言えなくもありません。けれど、その法律や制度の問題について知らされてない世間の人たちにすれば、問題を抱えながらも親子とか家族と言う枠を維持するか、縛りを断ち切って家族を解体させるかの二者択一と考えてしまうのかもしれません。何れにしても子どもにはつらい選択です。家族間の争いをあおるのではなく、問題を見据えて修復的な支援ができれば、子どもの傷付きはより少ないものになるでしょうに。親子とか家族と言うのは、血とか籍とかは本質ではなくて、育ちあい癒しあう個々の関係ができることがその本質だろうと私は考えます。そう言う意味でも、二ヶ月に一度と言うのは決して充分な時間ではないけれど、その限られた時間の中で最大限親と子の信頼関係を深めていってほしいと願わずにいられません。今日もそんな親子の大切な時間を見守らせて頂いた事に深く感謝です。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/26
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最近は胸痛むニュースがやたら多い。テロや内戦、事故や事件などなど。もちろん、昔から悲劇の歴史は続いてるのだろうけれど、報道媒体が発達したと言う事なんでしょうけれど・・・それにしてもねえ。今朝の朝刊でも、シングルマザーの生活苦について特集が組まれてました。育児と仕事の両立の困難とか、養育費の不払いとか。その困難からくる怒りは子どもに向いて虐待になったり、離婚した元夫に向いて親子面会の不履行になったり・・・。離婚が必ずしも不幸の原因とは考えないし、悪い事とも思わないけれど、離婚の結果の不幸と世間では認識されるんでしょうねえ。これまた胸痛みます。ほんとは、性別分業を是とした昔ながらの家族意識や法律や制度が現実の経済システムの変化についていけてないってことなんだけれど、それを改めるには利権構造をあらためる必要もあって、利権に絡む人はそこに触れてほしくないんでしょう。誰か悪者を叩いて世間のガス抜きをした方が簡単。これは昔からの政策のイロハです。たまたま、ネットで覗いてたサイトで、アンパンマンのやなせたかしがアンパンマンを描いた思いを載せていて、悪者をやっつける正義の味方ではなく、弱者を助けるヒーローを描いた、との事。武器や権力で武装して、悪人を懲らしめる正義の味方は闘いで傷付く弱者には目もくれません。法律や知識という力で家庭を戦場にして悪者を懲らしめることが、被害者支援とか子ども支援という名の正義なのかもしれません。正義を行うために悪者が必要になってくるというのも因果な話し。DVでも虐待でも、世間の価値観に背く行為をした者を悪人とし、悪人を処罰することで問題解決したと正義感を満足する世間・・・。けれど、その正義の闘いで、家庭は回復不能の焦土と化し家族は回復不能な傷を負ってしまいます。その結果のシングルマザーの困難だったり、愛着を断たれるこどもの存在だったりするのでしょう。悪者叩きが正義なのではなくて、いろんな問題の原因を冷静に見極め、弱者に寄り添い手当てする、そんな支援こそほんとの正義なんだろうけれど・・・現実にそれを目指しても、なかなか世間には理解されないし、下手すれば潰されてしまうのが落ちなのかも知れません。まともに考える人がいないはずはないと思うけれど・・。実際、私も問題抱えて辞めたスタッフの恨みを買って(笑)いきなり寝耳に水のセクハラの民事訴訟を起こされてしまいました。私にはいっさい何の連絡も意見もなく、辞めて半年後に記者会見しての提訴でした。その後の陳述では私の事業を潰すために提訴したとの事がわかったけれど。セクハラなんて不要な私にとって???だし、まさか一審で敗訴するとは考えてなかったけれど、残念ながら京都地裁では部分敗訴の不当判決。上訴しても、上級審で覆せるだけのあらたな証拠が出せるとは当時は考えられなかったし、闘って泥沼にするのも私の本意ではなくて、とりあえず、上訴せずに、援助実践で私なりの正義を証明していく事に専念しようと判断しました。もちろん、法律としての敗訴部分の責任はちゃんととりましたが、それが私のセクハラを認めることではありません。私の実践や理念はいずれ私を救うだろうし、どんな理由で提訴したとしても、義のない判決で多少の賠償金をえた者もやはり、その人生でその責任を負わざるを得ないのだろうと考えます。人を支援すると言うとき、悪者を作って叩くと言う事ではなく、誰も傷付かない仕組みをつくる事とか、傷付いた弱者に寄り添い必要な手当てをしていく事を、目的としたいもの・・・そんな私でありたいと思うけれど・・・こんな支援のあり方ってなかなか理解されないのが残念というかもったいないというか・・・。まっそんな私、セクハラカウンセラーにされて、叩かれても干されても、めげずに支援を続けていることには、おバカならではの私の仕事と自負しています。そんな私が私自身にも援助を求めてくる当事者にも言い続けている事は・・あるがままの自分を大切にね・・ということ。自分を大切にできない人が家族や恋人を大切にできるはずはないからね・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/26
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昨夜は男の非暴力ワークでした。ファシリはテルさんテーマは「行動を変える」で、ワークは怒りのロールプレイ・・・ケンカを吹っかけられた時のシチュエーションでロールプレイしてみましょう、とのワークでしたが、テルさんは初トライのワーク。かなり緊張気味で吹っかけ役を演じてくださいました。そもそもすでにケンカとか暴力的対応とは久しいテルさんがケンカをふっかけると言う状況で、彼も演技が難しかったのかも・・・ご本人はすべってもたーと、恥ずかしがっておられましたが・・・(笑)いきなりのロールプレイで、みなさん戸惑いをみせつつ大根役者ぶりを発揮してくださいました。そのおかげで、怒りのロールプレイが、笑いのロールプレイになってしまって、怒りを笑いに転化すると言う高度な非暴力テクニックの雰囲気を感じる事ができたようです。と言う訳で、昨夜のワークもDV男たちの笑い声が溢れましたとさ。そもそも、DVも虐待も、脆弱な自我を他者の攻撃から守ろうとする防衛反応と考えると、ワークの内容が脆弱な自我を批判し自己肯定感を失わせるものであっては逆効果になりかねません。暴力やパワーコントロールによって自我を防衛するのではなく、その他の方法で防衛する事を身につけないと非暴力の選択は難しいもの。というわけで、優劣も勝敗もなく笑いとか共感の言葉とか、ともにある事の喜びを感じる事のできる男のワーク・・・あっという間に二時間が過ぎましたとさっ♫多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/25
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昨日の女ワークでは「マイルール」なるワークを行ってみました。それぞれが、自分が自分に約束してる「マイルール」と家族で共有する「ファミリールール」とさらに社会の中で定義付けられている「ソーシャルルール」と三項目について、それぞれ自分なりにどんなものがあると考えているか書いてみましょう、というもの。自分をとりまく環境の中で、自分が自分の暮らしや人間関係をスムーズに維持していくために、人はだれしもそれなりのルールを作っています。朝は一番に起きるとか、ランチは会社の食堂で食べるとか・・・・家族生活を営むうちに家族間でも暗黙裏にあるいは話し合いでルールが作られて、家族生活を円滑にできるようにしていきます。帰りが遅くなる時は連絡するとか、無断外泊しないとか、夜食はそれぞれ勝手に作って食べるとか・・・・さらに社会的な契約としての法律や制度、社会規範なども日々の暮らしに関わってくる事で無視する訳にはいきません。子どもは学校に行かせる事とか、地域行事に参加する事とか、・・・etc女たちが語る中で見えてきたのが、マイルールと言っても、自発的に作ったと言うより、夫の意見や世間の常識がマイルールになっているということと、マイルールと言っても厳密に自分を縛っているものではなくて、状況や気分で変わっていくものとの理解があることです。また、男たちは家庭生活の比重が小さいからか、男たちのマイルールはソーシャルルールに近くそのマイルールを一方的に妻や子どもたちに押し付けやすいこと、そしてその事に自覚を持ちにくいということも見えてきました。男のルールは合理的で一貫的女のルールは曖昧で柔軟・・・。「なんで黒なんだ、昨日白にするって言ったじゃないか」「だって黒の方が安かったしあなたも黒が好きって言ってたじゃない」「いったん口にしたらそれはちゃんとまもらなあかんやろ」「安くてあなたの好きなものを気をきかして選んだのに・・・」どちらが、間違いでもないし、ただしいと言う訳でもありません。価値観やルールの捉え方が違っていると言う事に過ぎません。けれど、対話が噛み合ないので、お互い、否定されたバカにされたと認識して、ヒートアップしていきます。あげくにDVになるのかもしれません。ワークに結論とか目標とかもありませんが、自分の暮らしを楽にしていくためにあらためて自分を縛っているマイルールについて検証してみるのもいいかもしれませんし、家族の暮らしをスムーズにするためにあらためてファミリールールについて家族で話し合って、より相応しいルールに契約変更するのもいいかもしれません。さらに、一人一人が家族や社会から与えられた役割としての自分から、あるがままの私、心の欲するままの私を理解し受け入れ、さらに、そんな自分がどういう人生を選んでいくのか、自己決定していく事ができれば、未来は大きく変わっていくのかもしれません。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/24
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愛する家族に暴力を振るうのはなぜか・・・DV男だからだ・・・・DV男とは家族に暴力を振るう男だ これは同じ事・・同義反復でしかないけれど、現在の世論を形成するDV理解はその程度のもので、DVに対する理解も浅く、防止もできなければ、脱暴力支援もできていません。前回の日記で書いたように、加害者プログラムの方法論は加害者の認知を修正することで、暴力が不合理で不適切な行動である事を教えると言うもの。けれど、知識領域での修正ではあまり有効性も上がってないと言うのが現実らしい、ということも書きました。また、暴力を発動させる情動である怒りの背後にある様々な感情についても理解し、その感情を言語化する事で怒りの暴走、暴力の発動を抑えようと言うアプローチも常識的な方法です。私もグループワークでしばしば用いる手法です。けれど、長い間抑圧された感情を理解し受け入れるというのは簡単ではありません。人の心は必ずしも合理的なものではないし、体験や身体状況等、様々な記憶と結びついています。また無意識の奥底に抑圧されている感情もあるかもしれません。それらは個々人すべて異なりますし、その人にとってのふつーの感覚は世間では異常な感覚かもしれません。その人特有の感じ方、心のありようが情動となり、行動となります。そんな自分の心のありようが他人とどう違うのか、それをどうやれば伝えられるのか、それは他人から学べるものではありません。かといって自分一人で抑圧された感情を理解することはとても難しいものでしょう。そこで私が働きかける方法は、常識や正論、善悪や優劣等世間の価値観に縛られない空間での対話です。どんなに非常識で異常であっても、その人の体験や思いを語りあい、批判攻撃する事なく、体験や思いに共感し気持ちを分かち合う体験をすることで、自己に対する無条件の受容や自己肯定感が育まれます。さらに他者に対する共感や思いやりの感情が生まれ、それがやがて自身の存在をより豊かで安定したものになる事にも思い至ります。さらに、それぞれの体験した葛藤や困難の背後には家族の問題や社会の問題がある事にも思い至ります。例えば・・・たしかに親に暴力を受けたけれど、その親も自分と同じように、社会的困難を抱え、問題を家族を支配することで逃避していた弱者である事が理解できます。誰がいいとか悪いではなく、様々な社会病理の一症状として、自分の暴力の問題があることが理解されます。真に非暴力を生きると言う事は、パワーコントロールを是とする権力構造社会のなかで、そのパワーコントロールシステムを極力是としない生き方を選択するということであり、決して簡単なことではありません。特に離婚を巡って理不尽な体験をしたものにとってはそれは簡単ではありません。被害者が一方的に逃避、離婚することはさほど難しい事ではないかもしれませんが、問題を抱えたまま逃避を続けなくてはならない被害者は真に安心安全な暮らしが得られないかもしれないし、離婚を押し付けられたいわゆる加害者も、公正公平な行政対応も司法判断も得られず、被害者やその支援者だけではなく、社会全体にたいする不信感や憎悪をつのらせるのは当然の感情でしょう。このネガティブな感情を終わらせ、社会の中に不信や憎悪を連鎖させる事なく、思いやりやいたわりの感情をもって人と接することができる人になってこそ、脱暴力プログラムが奏功したと言えるのだろうと思います。単に暴力を振るわなくなった、とか離婚に応じたとかで、DV問題が終わったと考えることはできないと言うのが私の判断です。けれど、加害者に対して受容的共感的なプログラムでは加害者は自らの暴力行為も容認してしまうのではないか、という危惧が起こるのもまた当然の事でしょう。ここで支援者がはっきりさせなくてはならないのが、感情に対する受容と行為に対する許容をはっきりと弁別し、非暴力へのベクトルを提示する発言を忘れない事です。絶対に暴力行為を是とする発言を見逃してはなりません。「・・・なるほどそのときのあなたは暴力を振るわざるを得なかったんですね、そのお気持ちはよくわかります。けれどその結果、こんな事になってしまった。・・・で今のあなたならそんなときどうするでしょう。暴力を振るわずに解決するあなたらしい方法はありますか。他の方も一緒に考えてみてくださいね・・・」カウンセリングやグループワークでこういう会話を何度も繰り返し、それまでの人生で自分を支えていた、社会的評価、権力、優位性、などを手放し、パワーに依存しないで、他者と自由で対等な関係を構築するする事のできる自分に大きく成長することも可能な事と思います。もちろんそれなりの支援者がいれば・・・。けれど、それを可能にする支援者って、どこにもおらんのよねえ・・・こまったもんです。私もいろんな人を育てたいけれど・・・他所のうちの玄関脇に咲く萩多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/23
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今日は頂き物のバターケーキがとてもうまそうだったので、一口だけって思って一口たべたらとてもうまくて・・三口分ほど・・小さいモノだけどまるまる一個食べてしまった(涙)それに、夜のカウンセリングのクライアントさんが・・・いつもはスタバのコーヒーを持参してくれるのだけど、今日はイチゴのシェイクをどんと。もちろん空きっ腹ですから・・うまかったですぅー。それに今日はけっこう暑かったのにかまけてミルクティーを何杯も飲んだので、カロリーとしてはけっこういったんじゃないかな。とはいえ、サラダ寿司とか天ぷらとか、定食で作ったけれど、こちらは味見程度以外には食べておりませんです・・いや野菜天は少し味見以上に食べたかな(笑)と言ってもしれてるけれどね。それにしても何を食ってもおいしいって感じるこのごろ・・有り難い話しです。お腹回りが完全に絞りきれるのは後何日かかるんでしょう・・早く澱粉を食べたーい。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/22
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一般刑法犯では社会階層と発生率はリンクしてるだろうけれど、DVを含む家族間暴力についてはあまり社会階層に関係しているようには感じません。どの階層でも暴力は発生しています。ですから、暴力とは無縁だろうと思いやすいような階層の人たちの存在が目立ちます。医者、大学教授、僧侶、公務員、などなど、先生と言われる立場の人たちの存在です。もちろん、フツーの庶民的な労働者も多いし、元ヤクザやさんのような方もおられます。どの階層の人たちも等しく存在します。社会階層によって発生率が異ならないということは、社会全体に共通する文化的な要素か、あるいは生物学的な要素か、という事が伺えます。生物学的なものとすれば、決定論になるので議論が無意味になりやすいけれど、生物学的な要素があったにしても、それを行動とどう結びつけるかと言う所では、文化的な意味もあるので議論の余地もあるでしょう。ということで、生物学的な要因には深く立ち入らないとして・・・文化的な要因について考察してみる意味はあるでしょう。しばしば加害者プログラムでは、加害者には誤った価値観、例えばジェンダーバイアスとか優越意識とかがあってコントロール欲求がおこり、その欲求を解消するために暴力やモラハラなどの行動になる、と定義づけられているようです。したがってこの誤った価値観を正すことで、暴力は抑止できると考えられています。アンガーマネジメントもこの価値観に基づいてのプログラムでしょうか。その具体的な方法論として認知行動療法のスキルも使われているようで、自分の行動の動機・行為・結果 について客観的に自己洞察し、行動修正を図ろうと言うもの。実際私もこの方法論はけっこうグループワークでは用います。けれど、某プログラムではその有効性は数パーセントと主催者自らが公言しているようですし、米国の研究に於いても有効性はあまり高くないとの結果が喧伝されているようです。合理的な思考や判断が合理的な結果を導くとする行動主義心理学が間違っているとは言いませんが、人間の存在や行動は、フロイトやユングの言うように、必ずしも合理的なものではなく、無意識領域での情動が行動の動機になっていると考える事もできます。そう言う意味で無意識の世界は不合理なものですし、合理的な判断とは相容れない事も多々あります。となると、認知行動療法的なアプローチでは限界があって当然・・・・というのが私の判断です。無意識領域でのその人の世界はもちろんDNAやホルモンレベル(時には霊的な世界の影響)などの原因もあるでしょうけれど、それらはここではとりあえず触れないとして、出生後の体験がその人の情動のありように大きく影響しているでしょう。さらに生育・成長に於ける体験も無意識・意識両面に於いて、その人の情動や判断の基本を形作るプログラムとして取り込まれ蓄積していきます。すなわち、生まれ育った家庭や地域などの様々な文化的要素がその人の情動に組み込まれていると言えます。暴力が許されないという文化で育った者と、暴力が日常で暴力によって生き延びている文化で育った者と、どちらが正しい存在か、という命題について、私たちは答えを出せるのでしょうか。厳しい言い方をするなら・・・殺人者を殺人によって排除することで社会から殺人者を無くす事ができるのでしょうか・・・殺人者の存在が、暴力は許せないという社会のありようから必然的に産まれてくるとしたら・・・答えはどこに・・・と・・・今日のお話はここまでにしてと・・・そろそろ私も晩ご飯を作らなくっちゃいけないし・・・どこかの玄関先のポーチュラカ多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/22
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今日は近畿も梅雨明けとか・・そんな中一週間ぶりに、ランニング。最近は断食は半断食程度にして澱粉はとらず、カロリーは飲料や乳製品からの糖質や資質にまかせ、蛋白を少量と言う状況で半断食を続行中。減量はこの四十日で五キロほど。最近は肉類を入れてるせいか、先日の脚気様の痛みはなくなりました。けれど、やはり澱粉たべたーい。今朝ははちみつヨーグルトで補給してランニングスタート。朝と言っても九時近くなのですでに三十度ほどの気温でした。無理せず途中で水分補給したり、少し休んで体温下げたり・・・で、しばらくぶりに12キロにトライ。キロ八分のペースは変わらず・・・ご近所のわんことツーショット今はなつかし百日草早咲きのコスモスノウゼンカズラ満開のムクゲとりあえず、途中で倒れる事もなく無事帰還。ああっいつまで続くのこの断食・・はやく澱粉をたべたーい。腹一杯たべたーい。
2014/07/21
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自宅の庭に今朝花開いたオニユリ昨夜のグルメナイトもいろんな当事者の方達が参加してくださいました。家族間対立や暴力の問題を抱えておられたけれど、今はその問題を克服された方や途上の方など、いろんな方が自らの人生を語ります。もちろんおバカな話しに乗せて。昨夜のデザートは炊飯バナナケーキとわらび餅暴力や対立の渦中にある時はその対立や暴力から逃れる事が精一杯だし、逃れた後も不安や恐怖は心に染み付いてますから、本当に安心が得られる訳ではありません。事あるごとにフラッシュバックし心は引き戻され、怒りや憎しみで自分を支える時期もあったかもしれません。けれど、いろんな当事者・・特に異性の当事者との語りは自分の視点とは違う視点で自分の状況を理解するいい機会にもなり得ます。さらに利害のない他所の子どもとの関わりでもいろいろ気づきは得られます。昨夜の語りでも、実際の暴力に関する話題あまりありません。暴力の問題はすでに終わった事と理解されているからでしょう。テーマは暴力からはなれ、パワーコントロールに関するお話がメインになっていたようです。世の中の人間関係の多くはコントロールするされる関係で成り立っていて、DVや虐待は問題視されるけれど、その本質であるパワーコントロールについてはあまり問題視されません。そのおかしさについて、参加者は身を持って理解しているのか、ほんとにここちよい人間関係を作るには、コントロールしないされない、自由で対等な関係を作る事が大切と理解しています。当事者同士の自由な語り合いの中でこそ、それを学べるのでしょう。世間では、どこに行っても、たとえセラピーの場であっても、聴く人聴いてもらう人、助ける人助けられる人、の権力構造があり、それぞれ無意識のうちにコントロールするされる関係になってしまいます。それではコントロールしないされない関係は学べません。けれど、当事者同士の語り合いでは、同じ立場で語ることが可能だから、援助者がアンダースタンドの位地で関われば安心で安全、かつコントロールとは無縁のここちよい場を作る事が可能になります。すべて自分の言動は自分の意志で行うことであり、他人や世間の価値観に従っているのではないという事が当たり前の場では、当然自分の言動についても自分で責任を取ると言う事が当たり前になります。自分と他者の境界をはっきり分けると言う事。相手の世界に勝手に入り込まないし、相手を自分の意志で動かそうとしない。けれど、パワーコントロールの関係に依存している多くの人には、これは簡単ではありません。夫のDVから逃れても、支援者のコントロールに依存するとか、新しい男に依存するとか起こりやすくなり、結局問題解決には至りません。自分の人生は自分で作り上げるしかないのですから。けれど、生育の中であるい結婚生活の中でコントロールを受け続け、自分の心を感じる事も表現する事も許されない時間を長い間過ごせば、他者に依存することで問題回避する事しかできなくなりますし、自分の意思や感情について自分で感じる事も考える事もできなくなると言う事になります。先日こられた離婚したての女性も、自分のゆれる気持ちを明確化し言語化できるようになるまでには、まだ後数年はかかるのではないかと感じました。その間の元夫に対するフォローも必要で、ほんとに自由で対等な関係の元夫婦になるまで私もお二人を暖かく見守り続けていたいと思います。先日仕込んだ柴漬けもおいしくできました
2014/07/19
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現在の被害者支援では「DVは治らない、プログラムは無意味、別れるしかない、離婚しないとどんどんエスカレートして危険になる・・」などなど、分離家族解体のみが解決法との指導がなされるようです。けれど、この指導の根拠はありません。また支援の有効性についての追跡調査もありません。DV法自体の問題はすでにいろいろ書きましたが、中途半端な法律や制度が適切な支援の存在を阻害しています。結果、被害者も救われてないし、加害者も野放し、脱暴力支援も育たず、冤罪加害者にされたり、一方的な分離家族解体になったり・・・結局だれも幸せにならない被害者支援になってるのではないかと危惧する私です。被害者も救われていないという事だけれど、一方的な離婚の結果相手方や相手方親族の支援が受けられず、離婚後の子どもを抱えての生活が困窮していく事、逃避のために遠隔地に転居し、仕事、人間関係を失ってしまい孤立しやすくなる事、元夫の追跡や追求を逃れるという心理的負担、子どもの養育の負担が母親一人にかかる事、母親が子どもに対して暴力的になり、問題が連鎖していく事、などなど、離婚後の困難についてちゃんと説明する人もいないでしょうし、その困難に寄り添い支援する援助者もいないでしょう。今の支援者にとって、問題はDV男のDVだけと考え、そのDV男から離れたら、DV問題は終わる、と単純に考えているでしょうから。しかも善意ですから。DVは問題の表面であって、社会的な問題が背景にあるし、夫婦間の関係の問題、認知の問題、生育の問題・・などなど様々な要因がDVの背後に存在します。それらの問題に蓋したまま分離離婚しても、それぞれが再婚してDV家庭が二つになる可能性や、それぞれが離婚後の生活の困難を抱えざるを得ない事、など問題が変遷するだけでなんも解決しないということは少なくないものと思います。そのあたりの矛盾に被害者が思い至って、離婚を悔やんだり病理化したりしないよう、また支援者に問題を振り向けないようにするために、加害者に対する不安や憎しみをあおり続ける必要も出てくるのかもしれません。怒りでアイディンティティーを支えると言う事が必ずしも悪い事ではないし、自立のプロセスには怒りの表面化も時には必要と私も考えます。が、恐怖や怒り男性嫌悪から解放されて、他者に対する信頼や思いやり、自身に対する自己肯定感、生活の安定や健やかな親子関係の構築、などにいたらなければ、豊かな人生を楽しむ事はできません。結婚生活で傷付いた人であればなおさら離婚後の生活を信頼感・安心感に満ちた豊かなものにしてほしいもの。そのためには、自身の生育や認知の問題、被害体験などについても自身と向き合う事も必要です。あなたは悪くない、全部相手が悪い、だけでは被害者が自分の問題に向き合う事にはなりません。被害者がもっともっと自分と向き合い、自分の問題も解決できるようなそんな被害者のための支援が求められますが、日本の被害者支援には無理だろうなあ・・・論理も実践もお粗末だからなあ・・・・加害者支援までやってくれとは言わないけれど、せめて被害者の問題に被害者が向き合えるような、そして離婚後も生活の困難、心理的負担にならないような、篤い継続的な支援を行ってほしいものだけど・・・無理だよねえ。当事者のための支援をしてるというより支援のための支援を行ってるとしか思えないんだものねえ。えっ私の所?、私の所では被害加害関わらず、DV問題をきっかけに自己成長する事を支援してるから・・いわゆる加害者と被害者が場を楽しみ語り合う事も可能となります。今の被害者支援しか知らない人には信じられない事かもしれないけれど・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/18
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DV被害者は意思も心も、加害者の暴力と言うコントロールを受けて自分で自由に考え判断する事ができなくなることもよくある話し。私の支援したある方は、パートナーに首を絞められて、気絶する事もしばしばあったとの事だけれど、本人は慣れてて自分さえ我慢してたらやがてパートナーは興奮もおさまって、いつか暴力をやめてくれるだろうと考えてたとの事。最後にはカミソリで腕を二十針くらい縫うほどの怪我をさせられたけれど・・・怖くてなかなか別れようとも言えなくて、一時は調停を立てたけれど、裁判所にも怖くて行けなかったとの事。それから何年か後に私と繋がって、私の支援のもとにパートナーとの離婚も達成する事ができました。人は恐怖心にとらわれると、当たり前の判断もできなくなるし、頭ではわかってても行動できなくなります。加害者はしばしば社会規範に忠実で真面目で几帳面、面倒見もいい人が多く、被害者がパワーコントロールされている状況もうちの家族は大変なんですよと冷静に説明しうるので、コントロールされてる被害者が感情的に被害を訴えても、わがままだの考え過ぎだの、そんなもんだのと被害者の問題と理解されてしまいやすくなります。ここに、被害者の孤立がおこり、被害者は抵抗する事自体を諦めて、加害者に心身ともに支配され、少しずつ人格的に病理化したり崩壊していったり、他の家族に連鎖したりと、病理が社会にネガティブに還元される事になります。このプロセスでは被害者は自分の意志で考える事を放棄し、自分の存在を自分で捨ててしまう事で人格の崩壊を防ごうとしますが、その際は何が起こっても自分の意思ではないので結果に対して責任を取らなくてはならないと言う考えにはなりません。全部相手が悪い、全部誰かが悪い。何が起こっても私の責任ではない。だって私はそこにはいなかったのだもの・・。何かににてませんか・・そう、加害者のいい分です。全部お前が悪いんだ、オレを起こらせたお前が悪い。加害者も被害者も相手が悪い自分は悪くない、という構造になっていますが・・・実は同じ構造にあるからなのです。自己決定していないのです。実は加害者も自分の自由意志で考えているのではなく、社会規範を動機として考えていますから、自分で判断している訳ではありません。自分は社会規範に従ってるからうまく行ってる。なのにお前はそんなオレの言う事もきかず、問題が起こってる、だから問題が起こる責任はすべてお前にあって、これ以上オレを困らせるな。DVにならない夫婦は、自分の判断も自分の行動も、自分の自由意志に基づくのであって、夫婦の関係も個々の関係であって、二人で相談して関係を作っていけばいいと考えられる夫婦。けれど、多くの夫婦はそんな自由意思に基づいて関係構築されている訳ではありません。多くの夫は社会に支配され、社会的に脱落する事を恐怖しています。自己の自由意志をを抑圧し生きのびるのですが、その心理的なストレスから自己を取り戻すのが、自分の自由な意思で他者をコントロールしうる家庭と言うものでしょうか。家族はたまったものではありませんが、それは今の社会の構造的な病理に由来するものだから、誰かが悪いと言っても仕方ありません。そんなDV社会DV家族から問題を表面化し問題解決をはかるには、個々人がコントロールを拒否し、自分の意志で考え自分で決定し、その決定に対しては自分で責任をとるという行動様式を獲得する事です。私は人の支配を受けない、自分で決める、いいも悪いも結果は自分で引き受ける、この自己決定自己責任と言う行動様式を動機化し、家族関係を再構築する事で暴力やコントロールとは無縁なハッピーな家族を作る事ができます。けれどそれを難しくするのが、不安や恐怖の感情、あるいは依存心、愛着や執着でしょうか。頭ではわかっても感情は意思ではどうにもできないものです。そこで必要なのが他者の見守りと支援でしょうか。不安の状況から解放し安全・安心を実感してもらう事で、少しずつ、自分の抑圧された感情や意思が表面化して行く事になります。昨日の離婚後のカップルカウンセリングでも、元夫には理解不能な元妻の言動が、生育の中で自由意志を放棄する事で生き延びてきた、無意識に刷り込まれた行動様式に由来する事を理解して頂きました。夫婦間葛藤の問題の原因の本質は妻の言動や夫の攻撃性にあるのではなく、自由意志を阻害する社会構造にあるということで、問題解決には、それぞれの自分の生育の中で身に付けた抑圧の構造から自己解放することと、それぞれが人生の物語りを書き換え夫婦関係を再構築していくことが必要と私は考えます。被害者が依存的で自己決定自己責任から逃れていてはほんとうのDVからの解放はないのかもしれません。離婚しようとすまいと。被害者支援の方にはこのあたり理解してほしいものです。加害者の脱暴力支援に関わる人は、加害者が社会規範を同一化している事に気づき、自分の意志で考える自己尊重の価値観を獲得できるように支援する事、そのためには社会規範を権威、権力で当事者に押し付けると言う事は行うべきではありません。このあたりの事は・・またいつか・・そうそう、冒頭に書いたカミソリの被害者・・柔道で鍛えた立派な体の男性でした。男性でも被害者になれば女性と同じ被害者心理になります。当然の事です。加害被害は性別で特定できませんよね。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/17
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以前、私のグループワークに数年通われてたいわゆる被害女性の方がおられました。DV被害ということで、あちこち相談にも行かれてたようです。けれど、相談員や講師の説明にしっくりとは行かないものを感じられて、私の所にもつながって来られました。たしかに夫に受けた暴力はトラウマのように心に残っているし、夫が簡単に変わる訳ではないということは頭ではわかっている、けれど夫が危険でとんでもない人物で、すぐにも逃げないと命が危ない、というような相談員や専門家の話しには、納得もできず、すぐに離婚しても生活して行く力も勇気もないとのことで、離婚を勧められる事に、違和感を感じておられました。夫自身も自分の暴力が良くない事と理解し反省もしてたし、それ以来暴力を振るう事はありませんでした。こんな状況に対する本人の主張に対して真摯に耳を傾ける専門家も少なく、その方たちから逃避、離婚以外の具体的な方法論に関する助言もなかったとの事。そんな中で私のワークでの学びは、その方にとっても納得のいくものだったようで二年間ほど続けて参加されました。私はDV問題はいわゆる加害者だけの問題ではなく、相互の関係の問題だと説明しています。善人悪人の問題でもありませんし、たんなる暴力の問題でもありません。身体的な暴力も含め、弱者をパワーでコントロールする事がDVの本質であること、暴力をやめても、いろんなコントロールパワーで相手をコントロールしているうちはDVがなくなったとは言えないと言う事です。夫さんにすれば暴力を振るわなくなった自分はDVは解決したと考えているのでしょう。妻さんは、暴力がなくなっだけではなく、パワーコントロールしないで、自由で対等な関係にならないと、ほんとのDV解決ではないと理解しています。で、対等な関係・・自分の気持ちを自由に語り合い信頼を深めていくことで、過去のトラウマからも解放されるし、豊かで穏やかな二人の将来に希望を託す事もできると考えた妻は、夫にその事を伝えるのですが、夫はそこまでする必要はない、今のままで何の問題もないと言うばかりで自分を変えようとする事もなく、妻が言うほど不機嫌になり、暴力は振るわないものの、様々なコントロールパワーで妻をコントロールして来ようとしたとの事。これではいつまでたっても夫の機嫌に一喜一憂して暮らす事になると考えた妻は、別れて暮らすための方法について考えたようです。住まい、仕事、お金、ネットワーク・・などなど・・・自立して生きていくために必要なものでまだ本人が持ち得ていないもの・・を獲得するよう、本人なりに努力されたようです。結局安全で安心した夫との交渉に入るにはいったん夫のコントロール圏を脱出しないと難しいと言う事もわかりました。夫の攻撃的なあるいは巧みな物言いに、本人の不安が出てきて、冷静な対応ができなくなってしまうからです。そこで一旦はシェルター利用の必要が出てきました。かといって、本人のような状況で入れるシェルターはありません。シェルターに入っても諸手続きがあって夫の探求を交わしながらも本人がいろんなところと交渉したり、書類作成したりも必要です。こもりっきりで事が進む訳ではありません。また弁護士に依頼することで事を大きくするのも本意ではありません。ということで、その方は私のところのシェルターを利用されました。ひと月ほどの利用の後、少し寒くなった頃にその方はシェルターを出られましたが、とりあえず、別居や離婚のための準備を整え、何より、夫のコントロールを拒否する勇気やそのための支援のネットワークを作る事もできたようです。コントロールを拒否する勇気、自己主張する力がなければ、いずれまた誰かのコントロールを受けDVを被害を繰り返してしまうか、自立できないままの人生を続けるしか無くなり、ひいては子どもに問題を連鎖させてしまいかねません。ほんとのDV問題の解決は、不安や孤独を乗り越え、様々な他者との自由な人間関係を作る対人関係スキルや自己肯定感を作る事でしか、達成できないのかもしれません。離婚したら即問題解決等と言うものではありません。この方とはまた別の方ですが、先日、夫のパワハラがきつくて不安発作が起こりそうとの事で、とりあえず、心を安定させるために私の所に来られた方もおられました。この方は幼い子どももいるし、当面の経済をまかなう資金もないし、家を出ても生活を保証してくれる人もいません。攻撃的な物言いをする夫に対する恐怖にコントロールされていて、それから逃れる力も今はありません。かといって今のままの状況が続けば共依存の関係が深まり、いつか関係が病理化していく事も考えられます。もちろん悪いばかりの夫ではありませんからそれなりの愛着や依存心もあります。本人の意思や能力を無視してシェルター利用を勧める事は私の支援ではあり得ません。当面不安発作や恐怖に苛まれる心を見守り、育てる事でパワーコントロールを拒否する勇気を持ってほしいと願いつつ、見送りましたとさ。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/16
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私の仕事場、家族再生センターは山科駅から徒歩五分の好立地。三階一戸建ての民家を使っています。一階はキッチンとダイニングルーム。このお部屋はお泊りの方の食事の場でもあるし、ミーティングや研修会の会場、居酒屋イベントの会場だったり・・・ある日のグルメナイトこの部屋にやってくる人は性別年齢、加害被害さまざまな人たち。多少なりとも問題を抱えた人たちやその家族がほとんど。いろんな人がいろんな体験や思いを語りあったり、食事やお菓子を楽しんだり・・・普通の家庭の生活空間にちかいものです。母親が台所で料理してる音や匂い、家族みんなで食事してた風景・・・この空間でそれらの記憶がよみがえり意識は過去に帰ります。求めて得られなかった家族体験をこの空間で追体験したり、忘れてた自己像を再確認したり・・・人生を再構築するには、カウンセリングルームや優しい音に溢れたヒーリングスペースではなく、こうした生活空間や受容的な疑似家族としての人間関係の存在する空間がより相応しいと実感する私です。もちろん、その空間には、コントローラーが存在しないこと、多様な価値観が尊重される事、一人一人があるがままで存在できる事、という条件設定は必要なんでしょうけれど・・・。生活空間そのものだから・・・今日は・・頂いた野菜は柴漬けにそうそう、今日は一週間ぶりのトレーニング。スピードはほんの少しアップしてました。距離は前回と同じく十キロ。それにしても空腹でランニングはけっこう大変・・・クマゼミも鳴き出した天に吠える(笑)若きひまわり咲き始めたサルスベリ事務所のプランターにきたヤマトシジミ蝶
2014/07/15
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私は親子であれ、夫婦であれ、家族間の暴力や対立で悩む方の相談を受ける事は日常的なことです。カップルで来られたり、電話でお聴きしたり。男女加害被害を問わず、カウンセリングの対象とさせて頂いています。いろんな立場の方のお話を聴かせていただきますし、いわゆるDV被害者と言われる方のお話を聴かせていただく事も少なくありません。そんな方が自分を責めておられたら、当然「あなたは悪くはない」と言って自分を責めることはやめるよう促しますが、かといって男が悪い、と言ういい方にはなりません。いわゆる加害者に対しても「あなたが悪い」と言ういい方をする事はありません。世間では、善悪を正しく判断し、正しい事をするのがいい事で、悪い事をしてはいけない、悪い事をした人は罰せられるし、処罰が恐ければ悪い事はしてはならない、という価値観を動機としている人は少なくないでしょう。そんな方にすれば、DVであれ虐待であれ、暴力の加害者は処罰され分離されて当然という思考回路になります。世間の価値観からすれば当たり前ですが、それで暴力が無くなる訳でもないし、被害者が救われる訳でもありません。いわゆる世間の人たちの自己満足というか、正義感の確認と暴力性の正当化といえなくもありません。このあたり、アイヒマンテストの結果にリンクする事でしょうか。先日も暴力を繰り返す息子が言う事を聴かず学校とももめているが、どうすれば言う事をきかせられるのかと、真剣に悩んでいる親御さんのお話を聞かせて頂きました。この親御さんはとてもいい人で、真剣に息子の事を心配している事もよくわかります。最終的には「私の育て方が悪かったのでしょうか」と言う事になったら、当然「あなたの育て方が悪い訳ではないし、あなたが悪い訳でもない」と言う私の答えになります。これはDV加害者も同じ「あなたは悪くない、やった事は悪いけれど・・・」悪い事をするのは悪い事と知らないから、あるいは悪人だから悪い事をするのだ、だから悪い事と教えなくてはいけない、この文脈で理論構成する加害者対応の専門家も少なくない、というよりむしろそういう専門家の方が圧倒的多数でしょうか。そう言う専門家は更正とか教育とか治療とか指導とか、自らの権威や権力、知識や資格というコントロールパワーを用いて脱暴力化しようとします。けれど、それらのプログラムでは脱暴力化する有効性は低いとも言われています。当然です。問題をはじめから読み違えているのですから。加害者に対して必要なのは、暴力を含め様々なパワーで相手をコントロールする行動様式を手放す事、そのための具体的なスキルや知識。さらに他者からの批判、攻撃に対して傷付かない、また防衛したりする必要のない強い自我の育成でしょうか。そのためには脱暴力の支援者自らが、コントロールパワーを用いない対人スキルを提示しうるモデルとして存在する事が大切です。私の判断では多くの専門家はこの点で欠格となります。専門家自身が矛盾した存在ですから、当事者は混乱するかより狡猾になるかしかないように思います。被害者にたいしても「あなたは悪くない」だけであれば、被害者がなぜ被害者になったのか、そのプロセスも原因もわからないまま、問題の本質に蓋したまま、とりあえず、分離するだけですから、問題は再燃したりより拡大する可能性もあります。先日お話を聴かせていただいた方にも、あなたは夫婦関係に於いて夫のコントロールを受け入れるという対人関係上のスキルで問題を回避してきたけれど、受け入れきれず回避しきれなくなった時にヒートし、相手が暴力でコントロールしてきたようなプロセスのように思えるけれど・・・と私の見方を伝えました。多くの被害者に対して、私は、相手からのコントロールを拒否する事、自分の人生は自分で決める、暴力であってもなくても一切のコントロールは受け入れない、という自身の意思を持つ事、それを伝える事、その事ではじめて相手との関係が変わるし、暴力ではコントロールできないあなたである事に相手も気づくし、もちろん、あなたの意思を尊重するために私も全力で支援しますから、安心してほしい・・と伝えます。この本人の自己決定がない所では「加害者の暴力によるコントロールから逃れた可哀想で無力な被害者を支援者が保護する」だけで、被害者はこんどは「支援者の優しいコントロールによって、自己決定を阻害され、可哀想で無力な被害者であり続ける」必要がでてきます。そして、自己決定せず相手のコントロールに従って問題の発生を回避すると言う行動が繰り返される事で、再び暴力の被害者としてのプロセスを歩む事になります。世間はどうであれ、対人支援に関わる専門家と言われる人たちは、人間関係を善悪でみるという価値観に縛られていては、まともな支援はできないのではないか、というのが私の見方です。善悪の基準なんて、人それぞれ育った家庭や文化によって違うのですから・・・こんな事を考えるのは私自身がパワーコントロールに満ちた世間の価値観にはなじめない存在として、常にアウトサイダーを生きてきたからに他なりません。パニック発作に怯え、アルコール依存から抜けられず、結婚しても家族を扶養せず、やがてまともに仕事もしなくなった私が、いまこうして幸せにあるのは・・・・天の思し召しと言えなくもないし・・・具体的には、両親の人生による所も大きくて・・・そのあたりはまたいつか・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/14
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断食での食事制限をゆるめて野菜類、タンパク質を少し増やしてみようと思うけれど、野菜ジュースだけではなくて、野菜ジュースにホットソースを加えると、これはとてもおいしくなる事を発見。くせになりそう・・・(笑)ということで、このひと月断ってたお昼ご飯を食べる事にして、今日のお昼ご飯はホットソース入り野菜ジュースにきゅうりトマトのサラダでした。午後すぎからのカウンセリングが一件キャンセルになって、すこし時間が空いたので、こうしてパソコンを叩いてます。午前のカウンセリングも昼一のカウンセリングも渦中の当事者やその家族のお話で、私が聞かせて頂いたのは、それまで信じてた家族像と現実の家族が不一致になってしまった事から来る不安や怒り、悲しみでしょうか。そんな家族の不一致を一致させるのに、家族をコントロールするという事をふつー行いますが、コントロール不能になった時に不一致が拡大表面化して、いろんなエピソードができる事になります。そして、事件事故、病気などになる前にケアする事で事件事故病理化を防ぐ事も可能かもしれません。もちろん完全にきるはずもないですけれどね。少なくとも例えばDV加害者が脱暴力化するのは数%だとの言説もあるけれど、そんなレベルではないと確信する私。数十%は程度の差こそあれ、脱暴力化しているのを実感しているし、被害者も回復してコントロールを受けない強さを獲得された方も少なくありません。そんな当事者の変化を促すのに、家族像の解体再構築の作業は大切だと考える私です。役割意識で繋がった家族から、それぞれ一人一人の個性を尊重し、真に自由で対等な関係を構築できたら・・・いろんな家族の問題が氷解していきそうに思うんですけれどね・・・でもそれって、かなり大変な作業で刺激的でもあります。私のように刺激が好きな人ばかりではないので・・・どの程度の刺激になるか、慎重に取り組まなければ・・と自戒しています。それにしても、ホットな辛さって・・・たまらんいいっすねー♫多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/13
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サプリを買うほどでもないと思ってる私だけれど、左脚のふくらはぎの痛みが取れないのもあって、今日はドリンクを一本。オロナミンCでビタミン補給まあ、それに気休めだけど、ドリンクをミルクティーやらコーヒーラテだけではなくて、野菜ジュースも加えました。必須アミノ酸やら必須ビタミンをある程度は摂らないと・・・・病的な痩身になるかもしれないので・・少し蛋白とかも増やしてみるかなあ。それにしても、澱粉たべたーい。ところで、金曜夜の女と男のワーク・・・生育の中での怒りの感情の表出について、いろいろ体験が語られました。多くの子どもたち、怒りを行動化して問題視されるか、怒りを自分に向けて問題行動に走るか・・・その子ども時代に学習した行動パターンを大人になっても繰り返すことになります。で、DVになったり依存になったり・・・。表面的な問題の奥に潜む生育の問題について理解し、その解決策について考えるには・・・他者との語り合いが不可欠・・・そんな事を感じさせてもらったワークでした。その問題解決のひとつの方法が・・言語化・・・ということにはみなさん思い至ってくださったようでした。怒りを抑圧するのではなく、怒りの奥底にある感情を理解し、言語化すること・・・これができれば人間関係も人生も変わりますよねえ。けれど多くの子どもたち・・感情も行動も抑圧され、大人によるコントロールを受け入れる事だけがよしとされる・・・これでは、幸せになれないよねえ。私には当たり前のこの事について、多くの大人はまったく無自覚・・・・・ほんと困ったものです。さてさて、今日は一日、ちょーハードな予定・・・五件のカウンセリングが予定されてますぅー・・・・。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/12
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澱粉をほとんど摂らない断食に近いダイエットを続けてひと月。四キロほど順調に減量したけれど、これまでは空腹だけが問題だったのに、昨夜ついに、病的な症状が・・・・大阪のグループワークの帰り、電車の中で急に下肢にだるい痛みが発生して、それは帰宅後も鈍痛のように常時感じています。昔々、いつの頃か忘れたけれど、若い頃に筋肉のだるい痛みをたまに感じる事はあったし、それをこの数十年感じる事はありませんでした。ですから、おおっ、懐かしい痛み・・と感慨深い思いになったりしてて(笑)この症状が脚気(かっけ)と言う病気の初期症状なのか、断定はできないけれど、可能性としてはあるかもしれません。脚気、昔はそれがビタミンB1の不足で起こる病気なんて事は理解されてませんでしたから、けっこうの方がその病で亡くなられていたようですが(江戸時代〜明治以降まで)、今は、VB1を摂れば済む事で、それで病死することはありません。私はしばしば玄米を食べてる人だし、ベジタリアンではないので、そこそこ肉類も食べてるし、脚気になる必然性はありませんが、このひと月、もちろん玄米は食べてないし、肉類はほんのわずか、てづくりヨーグルトは二日に一度ほど、あとは塩分補給にお漬け物食べたり、たまに野菜サラダを食べたりしてましたが、量的にはほとんど微々たるもの、所要量からははるかに少量です。カロリーとしては、ミルクティーやコーヒー、ジュースなどからそこそこ摂ってたと思いますが、日2〜300Kカロリーほどでしょうか。となると、まあ、体内のVBもいずれ底をついて、欠乏症にはなってもおかしくないよねえ、というのが今の私の判断。かといって、この断食、まだ終わらせるには早いしなあ。VBをドリンクやサプリで一気に摂るか、肉類を増やして食事から摂るか・・・悩ましい所・・どうしよー多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/12
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私たちは一般的に日本語を使って生活しているけれど、同じことばだから通じて当たり前、との認識をもってます。けれど、実際には言葉に込めた意味は本人の体験や学習によってビミョーに異なります。相手が外国人で外国語を話していたら、わかりあえないのは当然で、わかりあえない事自体が問題であることを受け入れています。けれど相手が同じ日本人で日本語を使っているのに、こちらの期待と異なる反応をした場合、なんで?と疑問が生じます。バカにしてる?誤解された?騙されてる?無視されてる?舐められた?様々なネガティブな妄想が生じやすく、その妄想に基づいた物語りが始まります。その文脈に沿って言葉を投げかけ、投げかけられた方もなんでそんな言葉なの、と、同じくネガティブな妄想に走ってしまいます。夫婦やカップルのすれ違いや対立の背景には多かれ少なかれこうしたコミュニケーションギャップの問題があります。けれどコミュニケーションの問題だとは認識できてないから、相手の人格の問題とか悪意の問題と理解されることになります。昨日もそんな不安にとらわれてしまった方からの相談をうけました。状況をお聞きするに、私には離婚後の二人の対話がズレている事は丸見えなんだけれど本人どうしはなかなかズレに気づきません。おたがい真面目で、真剣に考えてしまわれる方のようですが、だからしんどくなっているのだけれど、なかなか言葉のズレという視点には気づきにくいもの。しばらく、言葉の表面的な意味と、その言葉が発せられる無意識領域での心の動きとを解説して行くと、その方も相手の言動の意味が理解できて、訳のわからない状況から、複雑だけど、理解可能な状況であることに認識がかわり、気持ちが楽になって来られた様子。とはいえ、離婚に至るプロセスにも、離婚後の関係調整にも、中立的で修復的な心理ケアを基本とした支援が入るのって、意味あるよねえ、とあらためて実感。世間では、そのすべてのプロセスにパワーコントロール、闘争、善悪、の価値観で動く支援者がいて、関係がこじれ、争いが深まり、家族が傷付いていくことがほとんどですからねえ。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/11
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昨夜の男ワーク、テーマは「台風が来た」ファシリは私・・これまでの人生の中で、大揺れに揺れた出来事を思い出し、そのエピソードに名前を付け、その出来事が起こった原因、出来事がどんな事だったか、その結果どうなったか、その出来事から何を学んだか・・・この一連のふりかえりを行い、みんなで伝えあいます。当時は訳もわからず巻き込まれたり、パニックになってたり、事態も飲み込めなかったり、大変な出来事だったけれど、今はそれも乗り越えられてたり、とりあえず解決できたり、となっています。長い間、蓋をしてたエピソードかもしれないけれど、あえて思い出しふりかえり、出来事を俯瞰して理解し、他者に語り、他者の感想を聴く事で、大変だった出来事も、大きな学びを与えてくれる出来事になったり、自身の人生を彩る懐かしい出来事に意味付けを変える事もできます。このワークは「どつぼの日」のワークの進化版と言えるかもしれません。ネガティブで隠蔽したい体験も語ることで、ポジティブで面白い体験に意味付けを変えることができるけれど、さらにそれを客観視し出来事の構造を含めて自分の人生の中で意味付けていこうと言うもの。どんな出来事であれ、それを意味付けるのは私自身であり、私の人生を豊かに意味付ける出来事にする事が可能です。私自身が語ったのが、昔々、婚外で付き合ってた人とのエピソードだったり、三年前のとんでもセクハラ訴訟だったり。こうした意味付けの変換を行うには、俯瞰する事、語ること、他者の視点で眺める事、など他者との関わりが不可欠・・私自身、いろんな人に語り、受け入れられ、支えられてきたから、乗り越えて来られた事と理解しています。一人じゃない事、みんなとともにある事、どんな事も乗り越えていける・・・そんな気持ちになれるかな・・メンズスタイルのグループワーク。今夜は大阪で、女と男のグループワークだけれど・・・最近は参加が少なくて、もったいない話し・・・自分を理解し、豊かにしたいと思う方、お気軽にいらしてくださいね。午後七時からドーンセンターですよー。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/11
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私の所には、電話で、あるいは来談で生きてられないくらいの辛い思いをされてる方がときどき繋がって来られます。にっちもさっちもいかず生きていれば出口も見えず、不安や絶望に苛まれる方にすれば、唯一の出口は生きる事をやめる事。生きていく事の恐怖と、死ぬ事の恐怖と、普通の人は死に対する恐怖が大きいから死にたくないという思いいで生きて行く事も可能です。けれど、生きる事の恐怖が死に対する恐怖よりはるかに過大になると、死に希望を託するしか無くなります。そんな方にセラピストが「死んではいけない」と言ってもクライアントにすれば、だれも自分のつらさを理解してくれないという認識がより強化され、生きる事の恐怖が増すだけ。けれど、発言したセラピストは「死んではいけない」と言った事で自身の社会的な安全は確保できます。けれど、「死ぬしかないって気持ちになるよねえ、出口ないもんなあ、そこまで死にたいんだったら死ぬなって言えないけれど、死ぬ前に電話してねー」と私が言う時には、自殺幇助の言葉と理解されて、私は危険なカウンセラーと社会から糾弾される事になりかねません。すでに理不尽にもセクハラカウンセラーとのとんでもないラベリングをされちまいましたが(笑)実際、これまでに、部屋に目張りして練炭に火をつけて電話してきた人、百錠ほど精神薬を飲んで電話をかけて来られた人、これからビルの屋上に行くと言って来られた人もいます。幸い、それらの方たち、ギリギリの所で命を失わずに済みましたが、電話でつながれなくて無くなられた方も何人かおられます。ギリギリの所でつながれるかつながれないか、そこが分かれ目になるような気がします。その分かれ目を左右する言葉が「死んではいけない」と「死にたくなるよねえ」の言葉かもしれません。ですから私は「死んではいけない」と言う事はありません。死ぬなと言えば死に、死にたいよねえと言えば死なない、この言葉のパラドックス・・まさに量子的な人の心の動きです。合理的な判断では理解できない人の心はパラドックスに満ちていて、パラドックスを自在に操るセラピーであれば、本人の合理的な判断とはかけ離れた心の動きに苦しむ当事者のセラピーができるのかもしれません。量子的な(クウォンタム)セラピーの本質的な所はこういう事なんでしょうねえ。そんな量子的なセラピーを行うにはセラピストがあらゆる価値観から自由でなければならないし、様々な常識や世間の評価に依存してたら、自由にはなれませんよねえ。こんなことを妄想する最近の私です。こんな私だからセクハラカウンセラーのラベルも私のセラピーに応用させてもらえる。昨夜ももめてる元夫婦の対話に介入した私だけれど、怒りの言葉の意味を逆説的な読み替えで説明した時に、怒りの裏にある不安が共有されて、怒りの言葉の応酬の回路から外れる事もできました。言葉の意味すらパラドックスに満ちてます・・・不思議な人の心・・です。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/10
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今日は女ワークの日でしたが、ワーク開始直前に男性がやってきました。私は予約を入れてないので、来訪の意味もわからず、来談室でお話を聴かせてもらう事にしました。ホームページのワークチラシを印刷して持って来られてましたが、ご本人は地域包括支援で社会福祉士として仕事をしている者だとの事、加害者対応しているこちらの活動に興味があってやってきたとの事でしたが、どこの包括支援とも言わず、部署も名前も名乗られません。さらに、こちらの活動についてほとんど理解できてなさそうだし、アポもなく、突然女ワークにやってきて目的を訊いてみると、ワークを見学させてほしいとの事。私は「見学という立場での参加はお断りしますが、当事者としての参加であればいいですよ」と答えましたが、なんとその方、「私は当事者ではありませんから、けっこうです、帰らせていただきます」とのこと(笑)ほんと、なんだろねー、こんな人がいるんだよねえ・・・せっかくきたのだから、なぜ見学がダメで当事者ならいいのかとか、ワークの基本構造とか私の援助論とか、しっかり聞いて学んで帰ればいいのに・・・社会福祉士たるもの、訳のわからんおっさんに教えを請うなんてできないって思ったのかなあ。こんなんが行政の福祉の末端で動いてるとしたら、まあ日本の福祉のレベルもしれてるよねえ。高齢者虐待も無くならないはずだわ。(笑)多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/09
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今年も自宅の睡蓮鉢にツチガエルが何匹か帰ってきて、ケロケロ鳴いています。昨年はオスメス二匹のカエルがやってきて、睡蓮鉢で繁殖してたくさんのオタマジャクシが泳いでました。今年のカエルは昨年の個体なのか、子どもが育って帰ってきたのかわからないけれど・・・今年は三匹ほどいるようです。私としては、地味な姿のツチガエルではなくてみどりのアマガエルがきてほしいんだけれど・・・(笑)まあ、ツチガエルも鳴き声は特に悪くはないので、いい事にしましょう。昨年育ったオタマジャクシ近くに池も川もない山林近くの住宅地、睡蓮鉢を置いて五〜六年だけれど、こんな所にカエルがやってくるなんてほんと不思議です。とはいえ、昨年のカエルがまた今年もやってきてケロケロ鳴いてるのも、なんかほんのりうれしくもあるかな。完全自然緑化住宅こんな家だから、虫やカエルが寄ってくるんでしょうかねえ。基本農薬も殺虫剤もケミカルなものは一切使わないし・・・
2014/07/09
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今日で断食はじめて丁度ひと月・・・断食と言っても軟弱な私の事、すぐに完全断食はやめて、ジュースやミルクティーなどの糖質の入った飲料は摂取してたし、ミネラル不足にならないよう塩分や筋肉を落とさないための多少の蛋白は摂取してました。が、そのぶん、筋トレやランニングはしばしば行ってました。要するに半断食って所かな。なぜだかこんな所にハマナスが咲いてましたとはいえ、澱粉はほとんど摂ってないし、一日あたりのカロリーも4〜500あたりだろうと思います。で、その結果はほぼ4キロの減量となりました。だいぶん体型としては整ってきたけれど、あとすこし、腹回りにポニョっとした所が残ってて、美的ではありません。こいつを成敗しなくては、断食終了にはできません。はぁー・・でんぷん食いたいー。カツラの葉と実 落ち葉になって薫るのももう少しで、今日もいつもの疎水コースを十キロのランニングでした。たぶん筋肉中のグリコーゲンがないからでしょう、ちっとも力がでません。けれどそのぶん心肺の機能は余裕があるので、体全体は苦しいと言うかんじはありません。とはいえ、前回のタイムより、若干アップしてて、身体が慣れてきてるのかもしれません。八重咲きのムクゲ身体の慣れと言う事で言えば、断食始めた頃は持病の腰痛がひどくて、立つのも座るのもいててて、と言う感じてしたが、最近はその腰痛もだいぶんおさまってきました。不思議なものです。こころなしか若干白髪も減ったような気がしなくもないし・・・。フリージアたぶんこの断食期間中に消化器系も循環系も体全体の組織もオーバーホールができたのかもしれませんね。これは私の勝手な妄想だけど。ほんと人間の体も心も不思議です。科学で理解できてる部分ってほんとわずかなんでしょうねえ。カリブラコアイエローそうそう、先日ニュージランドの知人とネットでお喋りしてて、その方カウンセラーとして加害者支援の組織でボランティア活動をしてる方だけれど、その方のお話によれば、そこではいわゆる加害者もいわゆる被害者もどちらも支援しているとの事で、両方の支援が必要と考えるのは当たり前の話し、とのこと。私もグループワークでも、グルメナイトなどのイベントでも基本男性も女性も同席する事を普通の事としてますが、世間ではなかなか理解されない現実です。危険だとか、被害者がフラッシュバックして傷付くとか・・・etc・・・けれど私のセラピーを受けた人は、単純に女性被害者男性加害者とは言えない事とかフラッシュバックするのは過去のトラウマが終わってない事であって、目の前の状況の問題ではないと言う事に理解が及びます。やがて、状況に対する別の認知もうまれ、自己概念も変わり、新しい人間関係も構築可能となります。その結果、いわゆる被害女性と加害男性が笑いながらおバカな話しを楽しむと言う希有な空間が出来上がったりします。被害女性だけが集まって、男に対する恐怖や怒りを共有してても、傷付き体験もトラウマも再生産されるだけで、認知も情動も変わらず、同じような不安と不信の人生を歩み続けるとしたら・・・それって、あまり意味ないですよねえ・・・そう思いません?多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/08
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先日の銀座ワークだけではないけれど、私の行うグループワークはメンズカウンセリングの理論に基づいて行われます。そこでは権力構造(パワーコントロール)を排除するとか、当事者性に基づくとか、ジェンダーセンシティブとか、他のグループセラピーとは異なる要素を基本にしています。そのことは、ファシリテーターである私が場の構成に用いてるだけで、その事を参加者に説明する事はあまりありません。(参加者には場の安全を確保するための約束事をいくつかお願いしています。)被害・加害の当事者が脱暴力化したり、自己成長したり、傷付きを癒したりする事を可能にする場であるためには、そこがサンクチュアリー(聖域)である必要があります。あるがままの自分で安心して存在できる場所であるということ。世間の価値観に基づく批判や攻撃から守られる安全な場である事が重要です。そんな場であってこそ、はじめて、それまで蓋をして生き延びてきた自身の人生のプロセスに光を当て、その体験や思いに自ら寄り添い、自身の存在を丸ごと肯定する事が可能になります。知識や権威で防衛しなくても、パワーコントロールしなくてもましてや暴力で守らなくても、自分の尊厳は誰も侵せない、その事に思い至ります。この作業を可能にするのは思いや体験を分かち合い、支えあう仲間としての参加者の存在です。そしてファシリテーターである私もまた一参加者として場を共有します。私は指導したり教育したり治療したりのパワーコントローラーではありません。場の安全を維持するために私が用いるのはコントロールパワーではなく、私の願いや思いを伝え、分かち合おうとする・・・共感の力・・分かち合う力・・・強いて言えばラプパワーでしょうか。ファシリテーターが知識や権威、権力を用いて加害者に対して脱暴力を強制すれば、脱暴力化する人も多少はいる事でしょうけれど、知識や権威、権力を用いて人をコントロールする、いわゆる狡猾な加害者にになるだけのような気がします。その人が人と信頼関係をつくり、優劣、勝敗にこだわらない人生にしない限りは、表面的な脱暴力だけではほとんど無意味だと私は考えます。けれど、世間の加害者に対するプログラムはほとんど、こういったパワーコントロールが前提の権力構造によって成り立つプログラムがほとんどだと思います。いわゆる更正プログラムだったり、教育プログラム、治療プログラム、加害者プログラム・・・などなど・・・私とは随分異なります。そんな私の行うグループワークにはじめて参加された方が後日メールで感想を伝えてくださいました。「ワークで驚いたのは、味沢さんも他の参加者の方々も、自然体で居て良いんだよって空気がすごい有って、怖いぐらい居心地の良い雰囲気でびっくりしてしまいました。」とのこと。長い期間自分のあるがままで生きて来れなかった当事者にしてみれば、私の行ワークの場の雰囲気は、そう言う事なんだろうと、あらためて実感です。伝えてくださった方に感謝です。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/08
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早朝に夜バスは丸の内に到着・・・八重洲の地下街におりて、トイレ洗面を済ませて・・・ さすが日曜早朝、八重洲地下には人影もなく・・ミニゼミではナラティブセラピーで言う所の「問題がシステムを作る」というテーマについて少しお喋り・・DVと言う問題を巡って被害者支援のシステムができ、システムのために問題が必要となると言うおかしな事になってしまいます。DVが重なる法改正?にも関わらず一向に減らないのは、こうした支援の力学があるからでしょう。そこでの支援者は善意なのでしょうけれど・・。自分たちの抱える問題には気づかない、気づこうともしないのでしょう。自分たちは善意で正義だから・・(笑)なぜか赤ちゃんも男性も参加の女ワークミニゼミの後には女ワークです。赤ちゃんも男性も参加してのワークでしたが、テーマは「私の心を守るディフェンスツール」です。心理学では防衛機制という言葉で表される無意識下のメカニズムが仮説として言われますが、それを意識化して、自分を護るツールとして身につけようというワークでした。他人の評価や、善悪を気にせず、自分の心が辛くなったり壊れたりしないように、そのツールをうまく使おう、という提案をみなさん納得してくださった事と思います。ツールを使いこなすにはそれなりのトレーニングも必要かもしれませんけれどね。なぜか女性も参加する男ワークお昼を挟んでの男ワークでは、新しい参加者も何人かおられたので、「どつぼの日」と「輝いた日」の二つのワークを行いました。渦中でしんどさを抱えておられる参加者が本音を出すには、こうした単純なワークが効果的。語り合う事で、自身の置かれた状況を俯瞰できるようになったり、孤立感から解放されたり・・。男ワークのあとは、カウンセリングが三件。いずれもDVの渦中の当事者ですが、対立を激化させるのではなく、修復的な解決を目指してのカウンセリングをさせて頂きました。うち二件は相手方被害者の妻も支援しています。どちらも傷付かず将来的にも家族全員が幸せを感じられるような結果にしたいもの。誰かを悪者にして排除するだけでは、本質的な解決にはなりませんからね。今日は七夕・・・願い事を書いた短冊をぶら下げるには・・笹の葉では無理かなあ・・・短冊には「世界平和」しか書く事はないかなあ。私の願いはたいていかなってて、今は充分幸せだし・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/07
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日本では離婚訴訟の前に、調停を行わなければならない調停前置主義になっています。訴訟は法的根拠に基づいて双方が自らの正当性を求めて主張しあう、法的闘争だと言ってもいいでしょう。けれど、離婚について争う前に双方がよく話し合う必要があるのではないか、争い事ではなく双方の妥協やら相互理解で離婚について結論をだしましょう、それで無理なら訴訟もやむを得ないけれど・・・というのが前置主義の理念でしょう。その話し合いも直接本人同士ではもめるので、調停員が間に入って、通訳していくと言う関係で話しを進めます。この理念はそれなりに大切な事と私は理解しています。が、実際に調停に臨んだ人の話しではなかなかそう簡単ではありません。まず調停員の問題があります。一般に調停員は裁判所が任意に選んで依頼し受諾した方が調停員として調停にはいります。一般的にある程度の社会的な評価があって、且つ、昼間にいつでも調停に入れる暇な人・・・要するに他に仕事のない人です。この段階で、だいたい問題が出てくる訳ですが、社会的評価ということで、リタイアした校長先生とか弁護士とか、宗教関係のエライさんだったり地域婦人会の有力者だったり・・・ようするに、エライ人たち・・・社会の底辺で生活したとか、大きな挫折体験があるとか、闇の人間関係を知ってるとかとは縁のない人たちです。要するに世間知らずで説教したがる権威指向の人たち。生活苦や家族の無理解、依存や精神病理に対する理解も共感もない人たちです。こんな人たちにクソのような家族の問題って、理解できませんよねえ。もちろん調停員がすべてダメと言う訳ではなくて、立派な方もおられる事とは思うけれど、構造的にはね・・・。さらに、代理人、いわゆる弁護士が調停に介入してくる場合が少なくありません。弁護士は離婚請求と言う仕事で請け負いますし、基本全権委任なので、代理人の判断で調停に関わります。調停に本人が不出頭であれば本人の知らないまま、話しが進みます。それは弁護士の仕事ですから、当然と言えば当然。離婚請求に対して離婚を成立させ慰謝料を取るのが仕事です。そこから弁護士の利益が確保されるのだからこれまた当然の話し。離婚して幸せになるか不幸になるか、それには弁護士は関知しません。弁護士としてしては着手金と成功報酬が手に入るなら、早く離婚を成立させた方が効率的。なんども調停で意見交換するのは非効率、調停を打ち切って、早く訴訟に入り、圧倒的な力で離婚と慰謝料、ついでに婚姻費用、養育費もたんまり取れたら、それが有能な弁護士と言う事になります。むしられる方も黙ってむしられたくないから弁護士を雇います。で、弁護士同士同じ穴のむじなですから・・・ついでに言えば裁判官も同業者です、相互の利益確保のために訴訟なり判決を出しますから、弁護士裁判官みんな丸くおさまる結果でちやんちゃん・・・これが司法の現実、と私は理解しています。話が長くなりました。で、私は調停にしても離婚にしても相手が悪いと言う闘いの姿勢ではなく、お互いの家庭に関しての体験や気持ちを出し合い、問題がどこにあったか確認する事、なぜ家庭がうまく行かなくなったのか、善悪ではなく関係を検証するよう助言します。法的な闘争は私の立場ではできませんし、意味がありません。私が行うのは心理的なサポートと言ってもウソではありません。具体的には、調停員の能力に関わらず、相手に気持ちを伝えるためにお手紙を書いたらどうかと助言する事も少なくありません。手紙を書くうちに本人自身も自分の行為や気持ちについてあらためてフォーカスする事で自己理解ができます。そこには謝罪や反省や感謝の気持ちも込められるのが普通です。DVであろうとなかろうと。先日二回目の調停に臨んだ男性も、ほんと気持ちのこもったいいお便りを書いてくださってましたが・・・相手方は強硬な弁護士がついてるようで、ことは簡単ではないかもしれませんが、少なくとも、彼は離婚に応じてもいいということなので、ひどい争いにはならずに済みそう。後は離婚後に焦点をあてて話しを進めましょうか、ということに。これまでみんなが辛い思いになってたから、これからは離婚になってもならなくても、みんなが幸せになれるといいね、と願わずにはいられません。そんな方たちの気持ちのサポートするのも私の仕事。さて今日は、これから銀座でワーク・・・関東方面のみなさん、お待ちしてまーす。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/06
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明日は月一の銀座ワーク。ミニゼミは九時から。前回のナラティブの復習の予定。現在の被害者支援がなぜ評判が悪いか、それを理論的に説明する予定。今日もある被害女性から問い合わせのお電話があって、こちらの援助方針について尋ねられました。その方はDVの被害は受けているけれど、当面離婚は考えてないとの事だけれど、女性相談に行っても心療内科で訊いても、DVは治らないから、早く離婚の方向で考えた方がいいと言われて困ってるとの事で、当方も同じように離婚を勧めるのかとの質問です。離婚するしないは本人の意思であって、できれば、離婚しないで解決できればそれが望ましいしそのための加害者支援もあれこれやってるし、離婚せざるを得ないにしても、傷付きの少ない修復的離婚になるよう、それぞれに対して支援していく、との説明をさせて頂きました。そんな私の説明で納得してくださったようでした。この方の様に考える女性は少なくないと思いますが、そんな方の意思は否定され、DVは治らない、離婚するしかない、と言うのが多くの被害者支援の現場で語られる事のようです。なぜ、そうなるのか・・・被害者支援に関わる人たちも悪意がある訳ではなく、むしろ善意やら正義感やらで活動されているのだろうと思います。なのになぜ、被害者の意思を否定する言葉を平気で語るのか・・・そのあたり、理由がわかると面白い・・と思いませんか?そんなミニゼミのあとは女ワークが10時から。さらに男ワークは13時から。15時すぎからはカウンセリングタイムですが、いくつかキャンセルが入って、時間があいてます。個別の相談を希望される方はご連絡ください。事務所の電話は使えませんので、ホームページのメールアドレスでご連絡ください。今夜の夜バスはどんなかなーぐあんばっていきまーす。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/05
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今日は一件のビジテーションサポートを行いました。家庭的な雰囲気の中で親子が面会することで、日常的な親子の人間関係を楽しむ事も可能です。今日はお菓子作りと、お昼ご飯を親子とスタッフで楽しみました。私がビジテーションサポートを始めたのはセンター設立からだから今から11年前の事。当時DV支援の啓発に尽力されてた加藤洋子さんのお世話でマサチューセッツのDV支援組織をあれこれ見学したけれど、その見学先のひとつにYWCAのビジテーションセンターがありました。そこで、一時間ほどのレクチャーを受け施設見学もさせて頂きました。当時すでにアメリカではDV法が厳しく運用されていたけれど、子どもの権利(こどもの権利条約に基づく両親との面会の権利保障)を保証するために、安心安全な面会を可能にする施設での面会を裁判所が命令していました。日本でもDV法ができてしばらくの頃で、単独親権制度の日本では離婚後の親子引き離しが多発する事は予想される所。少しでも引き離される親子ができないように、支援が必要だと判断してのビジテーションサポートのスタートでした。方法論としてはマサチューセッツYWCAのスタイルを踏襲してますが、せっかくですから、大規模な当地のものより、より良い面会にすべく、家庭的な雰囲気での面会ができるようにしました。せっかく少人数での面会ですから、スタッフが保育サポートしたり遊びのメンバーとして関わったりすることで、なれない親子の葛藤が起こらず、楽しく且つ有意義な面会にする事が可能です。ほんの数時間の面会ですが、定期的に親子が関わる事で、それなりに親子関係を紡ぐ事は可能です。そのためには安心で安全はもちろん、楽しくここちよい対話ができるような環境設定が大切です。とはいえ、高葛藤な離婚夫婦の間に入って、面会支援するのはけっこうスタッフにとってもストレスフルです。支援者無しではこのストレスをこどもが直接引き受けてしまうので、面会が長続きしなくなったりする可能性も高くなるし、子どもも間に挟まれて、それぞれの親に対する不信感をつのらせてしまいかねません。離婚も増え、ハーグ条約も施行され、国内法でも民法が少し変えられて、司法判断もこれまでより面会をさせるように働きかけます。けれどDVがらみで不信感の強くなった離婚夫婦にとって、安心安全な親子面会実施は簡単ではありません。当然面会交流支援施設や支援スタッフの需要が出てくる訳ですが、そんな施設やスタッフも完全な供給不足・・・。けれど、支援組織や支援者にとって、法的根拠も行政権もない所で、安心安全な面会支援をおこなうのは簡単ではないし、支援する側のストレスを考えたら、なかなか支援組織はできないだろうなあ、と悲観的に思わざるをえないのが現実です。私もこれまで十一年面会交流支援を続けてきたけれど・・・・はやくいろんな人が後に続いてほしいし、やがては追いつき追い越してほしいもの。どうなる事やら・・・多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/05
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私の所にはしばしば、緊急電話が入りますが、今日も何件かの電話がありました。久々に連絡して来られた方は、医療ミスで回復不能なくらいの身体的ダメージを食らってしまったけれど、証拠もないので泣き寝入りするしかないと言う方ですが・・・再度の手術をしたけれど、リハビリしてもなかなか予後も思わしくなくて、辛い事ばかり・・とのことで、ひどい時はいっその事死んでしまいたいと思ってしまうとか・・・私には具体的にその心身の不調に対して何かできる事はないけれど、痛みや困難に耐えても生きて活動する意味とか喜びを得るための心や考えの整理とか気づきとかにつないでもらえたらと思いつつ、電話で対応させて頂きました。私の非力が恨めしいですけれど・・・。他にも、海外でいろんな出来事に巻き込まれてしんどくなってて、なんとか気持ちを立て直したいとかけて来られた方や・・・家族の思いに沿うように努力したけれど、心がどうにもこわばってしまって、何も手につかなくなって、子どもに辛くあたってしまいそう、とギリギリの所でかけて来られた方・・・。などなどの方が電話して来られました。いずれの方も二十分ほどお気持ちを聴かせて頂く事で、不安や怒りが収まって穏やかに話されて電話を切ってくださいました。世の中では、事件や事故様々なでき事に関する報道で満ちあふれています。しかも女性の被害の事件は大々的に報道されますが、一万人近い自殺者に関して報道される事はありませんし、殺人事件にしても実際に統計的にはこの十年で六割くらいに斬減してて男女ほぼ同数の被害数で、それぞれ200人くらいの数です。自傷行為とかパニック発作とか、自殺未遂事件や傷害事件などは報道される事もありませんし、世間は当事者の気持ちや置かれた状況に対する理解も分析もありません。対応する援助者も縦割りで、しかも能力的には不十分な方が関わっておられたり・・・これでは、初期対応が不十分で当事者はいつまでたっても解決の糸口にはたどり着けないまま、たらい回しされて、本人が壊れたり、ほんとに事件や事故になったり、家族が壊れていくんだろうなあ・・というのが私が実感する所。ずっと以前、DVがらみで関わらせて頂いてた方が、何度か不安が発作的に襲ってきた時に電話で対応した事がありましたが、遠隔地なのもあって、たまたま電話での対応もできない事が続いて最後に自ら亡くなられてしまいました。電話での対応ができなかった事が悔やまれます。こんな状況でなくなられた方がこの十年ほどで数名おられます。そう言う意味でも、緊急対応できる電話なり施設なりの必要性はあるのですが・・・行政相談も心理カウンセラーもは緊急対応できる所は少なく、電話相談も、性通話(エロ電話)の対応に時間や回線を費やしてたり、受け皿もワーカーのスキルもなく緊急対応はほとんど無理。ほんと発作的に感情が暴走してる当事者に対して初期対応できる援助者がたくさん増えてほしいと思うけれど、・・・私に予算つけてくれたら・・・育てられるのにね・・もったいない話し・・なんちゃって。あれこれしてたら、夕方になったんで、今日は市販のすり身にミンチをやらあれこれを足して、私の好きなさつま揚げを作りました。山ほど作ったので、いくらでも食べられる♫訳ではなくて・・断食中と言いながらつい一枚を食ってしまいましたとさ。ああっうまかった。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/04
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このところ立て続けにシネマでした。ケビン・コスナーのラストミッションとジョニー・デップのトランセンデンスと。私はすでにシルバーなのでお昼でも1100円で楽しめます。還暦になっての特典は今の所シネマの割引だけ(笑)ラストミッションは原案がリュック・ベッソンだけあって、ストーリー展開がアップテンポでド派手な撃ち合いでバタバタ人が死ぬけれど、単なる物語りとして楽しめる軽さです。もちろん父と娘の信頼の回復と言うメインテーマがストーリーを厚くしています。トランセンデンスは人の意識をコンピューターにインストールしたらどうなるかっていう近未来にでもありそうな物語り。コンピューターに移り込んだ主人公と彼を単なるデータとしては認識できない妻と・・・・コンピューターの暴走の恐怖がうまく表現されてて、けっこう楽しめました。どちらの映画も、家族とは何か、愛とは何かを考えさせるいい映画でした。その映画で表現されるものはさておいて、私がその映画で感じたのは、結局、家族とか愛とかいうのは、絶対的なものはなくて、相互の認知や関係の中で出来上がるものにすぎないと言う事かな。家族を巡る悩みや苦悩をお聴きするのが私の仕事だけれど、ただ傾聴するだけではなくて、悩みや苦悩も単に状況から来るのではなくて、その人の認知や価値観と状況の不一致からくるのであって、状況は変えられなくても、認知を変える事で、悩みや苦悩も軽減したりなくなったりもするってこともお伝えするようにしています。映画からそんな事に思い至る事ができるなら、シネマセラピーと言うのもあっていいよねえ、と妄想する私。けれどそれじゃあカウンセラーとしてやる事はなにもないから・・・やっぱやめとくかなぁ(笑)
2014/07/03
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数年前に八幡洋の「危ない精神分析」を読みました。八幡がその著書の中で語るのは、かつてアメリカで性虐待を受けたと父親を訴える事件が頻発し、沢山の悲劇が起こったけれど、その元凶がジュディス・ハーマンの「記憶回復療法」と言うセラピーで、セラピーを受けた女性が父親に性虐待を受けたと洗脳されて思い込まされ、現実には存在しない性虐待の被害者として、父親を訴えたと言うもの。いろんな事例を検証する事で、記憶回復療法が、被害の記憶をねつ造する危険なセラピーだと証明されて、現在はジュディス・ハーマンのセラピーは危険有害と認知されているとの事。けれど日本では、ジュディス・ハーマンはまだ被害者支援の現場ではバイブルのように扱われているのか、五年ほど前、私のクライアントの裁判でも参考資料として訴訟の場に使われていました。性虐待は表に出にくいし、許されざる犯罪である事は事実ですが、かといって冤罪が起こっていいと言うものではありません。従って、欧米諸国では物言えぬ幼児であっても、ちゃんとその体験や思いを聴き取るプロフェッショナルがいたり、チャイルドコート(子ども裁判所)があって子どもの意見表明権が法的に根拠あるものとされていたり、虐待する親に対する加害者プログラムが用意されていたり・・と、様々な制度を設けています。けれど、日本では虐待の対応にあたる児相には、児童精神科医はいても、その方は必ずしも子ども全員に対応する訳ではないし、能力的に疑問な人も少なくないようです。実際私の関わったケースでも(これはテレビ報道されたケース)児童精神科医がありもしないPTSDの診断を出しました。こんなお粗末な人が先生として働いてるのが児相です。児相のスタッフがみんなひどいとは言わないけれど、心理も保育もしらない人が配置転換で児相に送られてくるんだから、まともな仕事ができなくても当たり前。子どもの虐待にまともに対応できるはずはありません。何年も前にも、父親が母親の妄想で子どもに対して性虐待したと訴えられて、離婚に至り親子の関係を絶たれてしまったケースがありました。支援させて頂いた私の非力もあって、とても胸痛む事例でした。その妄想をあおった専門家?が児相のスタッフです。日本では性虐待に関する支援者の能力がお粗末だし、まともな設備や施設もない、法律も未整備です。虐待であれ性虐待であれ、問題は終わらないし、事件も経る事はありません。先日も、性虐待を疑われた方が困り果てて、私の所に来られました。娘に対する性虐待や妻との性関係が争点になっていますが、実は母親のカルト依存が問題の本質のようです。が、裁判ではそのことは争点にはなっていません。DVだったり虐待だったりが、離婚請求の原因になっています。が、証拠がなくても性が絡むと司法は黒と判断する傾向があるのは事実です。私もそれでやられましたが・・・(笑)その方とは、結局法的にはどうにもしようがなくて、法的闘争ではなく、別の働き掛けで無駄な家族の傷付きは防いでいきたいよね、という話しになりました。みんなが幸せになるにはどうすればいいのか・・・・これから時間をかけて支援を続けていきたいと思う私でした。性被害とはなんなのか、性被害者に対して援助者はどうあるべきなのか・・・冷静に慎重にそして暖かく優しく対応してほしいものですが、世間では被害者がさらに傷付くような対応をしているのではないかと、危惧する私です。当事者性を理解しえない日本の援助者の限界を感じての危惧です。間違っても、被害者に成り代わって、加害者を糾弾し家族を解体させる事が被害者のためになると考えては欲しくないものですが・・・。今日のお昼は野菜お好み焼き。もちろん私は食べません。スタッフランチです。そうそう、今日は久々にランニング。途中で倒れないよう、朝は蜂蜜ヨーグルトと、少々の澱粉でカロリー補給して出かけました。とはいえ、筋肉にはグリコーゲンがないからか、ちっとも力がでません。前回同様、ちょーノロノロペース。十キロを一時間半。まあ、途中で倒れず最後まで走れただけでもよしとしましょう。百日草かな青いサルビア?多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/02
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さきほど、あるクライアントから、問い合わせの電話がありました。知り合いの子どもが人をいじめたらしい、どのように対応すればいいのか・・との事。私はずっと昔、息子が小学生のとき、学校でいじめられて帰ってきた息子に対して、よく辛抱できたねえ、君は立派だと思うよ、でもいじめた相手は、いろいろストレス抱えて人をいじめないと自分を支えられない、そんな惨めな状況になってたと思う、そこは理解してくださいね・・・と伝えました。電話をかけてきた教頭は、息子が優しすぎるからいじめられた、みたいに言うから、息子の優しさにはなんの問題もない、息子の事はほっといてくれ、そんな息子をいじめないとやれない、いじめた子どもに説教するのではなく、ちゃんと気持ちを聴いてやってくれ、とお願いしておきました。いじめられた方が惨めで可哀想、という理解の仕方がありますが、これは強者の論理に巻き込まれているということにすぎません。被害者が可哀想とか惨めとかいいつのる事で、被害者はさらに傷付いていきます。自分たちはいじめられる立場には立ちたくない、惨めだから、可哀想だから。でもイジメはよくない・・うちの子はいじめに合わせたくない、可哀想になるから・・・この意見・・どこかおかしいですよねえ。まんいち、自分の子どもがいじめられたら、親も子も惨めになって、いじめた子どもを憎み反撃を試みる・・これも虚しい話し。万一自分の子どもが人をいじめたら、いじめられた子が抵抗しないからだ、だらしないからだ、変わってるからだ・・etc 理由を被害者に転嫁して暴力を正当化します。ほんとはいじめた子どもの心の脆弱性・不安や葛藤が問題なのに、その事にはだれもフォーカスしません。いじめた子どもに説教して形ばかりの謝罪をさせておしまい。これでは原因に対する理解も本質的な対応も不可能・・・イジメは終わる事はありません。最近では橋下君がいじめっ子ばかりを集めて教育したらいいんだ、とのとんちんかんな事を言いだしてますが・・・そんなこんなで、私がさきほどの電話で答えたのは「いじめる側の心の闇に寄り添い、人をコントロールしなくても人に優越しなくても、君はステキだよというメッセージを届けてあげたらどうかな」・・・って。その方、すぐに意味を理解してくださって、いいアドバイスを頂きましたありがとう、と納得してくださいました。というのは、その方自身、DVで家族が壊れかかった方。その方自身もDVに至る人生プロセスには壮絶な傷付きや大きな不安があって、DV事件後は生きるのもつらいという状況を乗り越えて来られた方・・・今は落ち着いて来られていますが、そんな人生プロセスの闇を理解する事も寄り添う事もなく、DVは犯罪です、やめなさい、と言っても、何の意味もありません。加害者がパワーコントロールを手放すには、裸の私、あるがままの私でいいんだという自己信頼が不可欠・・・れりごー♫なのです。DVだろうと虐待だろうとイジメだろうと・・加害・被害というのはそう言うもの、簡単に善悪で決められないし、加害者被害者とラベリングする事もできません。であれば、脱暴力支援がどのようなものになるべきか・・わかりますよねえ。余談だけど・・・今日のテレビでは時の内閣が、戦争できる国づくりのための一歩を踏み出したとの事らしいですが・・・あんなジジイたちは問題が何もわかってない、おぼっちゃまくんでしかありません。あんなヤツに国を任せてるととんでもない事になるのに・・・リアリティーがないんですよねえ。国民のみなさんが政権与党になぜだか安易に気を許して未来を預けてきたもんなあ。ああっこわ国民をコントロールしたくてたまらないあべちんの心の弱さに気づいてほしいなあ・・もちろんあべちんだけではないけれど、二世三世で絶大な権力の中で脆弱な魂しか育たなかった、そんなお粗末な人たちを政治家にしてはあきませんー。多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村
2014/07/01
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