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投稿マニアでも、懸賞大好きでもないのだけど(もちろん嫌いじゃないけど・・・)、「ネット通販川柳募集」に応募してみた。ひとり一通、の制限なので、以下どれを応募したのかはヒミツってことで・・・。結局はいつでも買える限定品※解説「限定」って読むと「一期一会」と思い込んでしまって、つい「プチッと」してしまうことがあり、大抵は翌日激しく落ち込むことになる。 よく見てもワケあり品のワケ見えず結局はフツウの品のわけあり品ワケあると言わねば売れないB級品※解説この安さは何だ!とびっくりすることがある。でも、結局は普通に買っても安かったり、むしろ普通のお店では買えない品質だったりする。特に、食品関係は怖い。買った人の感想自体がヤラセだったりするし・・・実店舗しっかりくらべてネットでゲットヨドバシはネット店舗のショールーム量販店気がつきゃネッ通のショールーム※解説最近、頼まれて安いコンデジを買った。たまたま、だろうけどヨドバシのポイントをマイナスしても、アマゾンで買った方が安かった。ヨドバシの店員さんにお話しを聞いたのだが、当然ヨドバシはアマゾンに値段を合わせることはできず・・・「目の前のものを買うよりも、取り寄せる方が安い」とという、何ともややこしい時代だね。
2009.11.30
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ひとりひとり顔が大きく違っていた時代があった。個性などと呼ばれ、時代によって醜悪の価値付けもありー相当に変動的で根拠のないものだけどー美容整形と呼ばれ、人為的に美しさを手に入れる方法や、運動、栄養の取り方などを独特のノウハウで売る「美容」という商売も存在していた。「ものすごく曖昧な価値基準ですよね!! そんな曖昧な価値に左右されていたんですか?」まぁ、今でもDNAの好き嫌いがあるから、ある程度の曖昧さは人間には心地よい、と理解してもいいんじゃないのかな?「そうですね、ひとめぼれしちゃうほどのDNAって存在しますもんね」そう、今はDNAレベルがしっかり評価され、そして管理されているから、昔のように顔がIDになることもない。まぁ、DNAレベルだと我々のレベルでないと全体を閲覧できないから「DNAで恋をする」とは言いにくいが・・・ね。「でも、部分的には公開していますから、要するに昔洋服で隠していなかったところは見られるから、恋するには充分かも知れないですね」まぁ、恋はそのぐらいにして・・・個人の認識を考えてみよう。昔は、最終的には「顔」が個人の特定に大きく影響していたことは事実。DNAで特定するのはずいぶん後期になってから、だ。「生体IDも使っていなかったんですか?」ここがポイントなんだけど、生体IDの技術は意外に早く開発されていて、セキュリティー用途やペットの認識には使われていた。でも、人間につかうとなると「人権」や管理の問題が大きく、取り入れられるまで、開発から20年以上かかっている。「生体IDシステムが世界中で連動するまで、それからさらに時間がかかって?ですか?」いやいや、これはすぐ、だ。なにしろ、「国」の単位が見直されたときに同時に導入されたから、ね。「しかし、ずいぶん面倒な時代があったんですね。「国」があり、パスポートがあり、顔も必要で・・・生体IDですぐに確認できるし、DNA確認も瞬時・・・まぁ、常に居場所がわかってしまうのが欠点といえば欠点だけど・・・事故や遭難で生体GPSのために助かった人は山ほどいるし、仕方ないかな?」まぁ、良いことも悪いことも・・・だね。まず優先するのは、それぞれの生命、と考えれば今のシステムがベスト、だろうけど、ね。
2009.11.29
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マイケルジャクソンが亡くなったニュースが世界をグルングルンと巡っていても僕はあまり興味がなかった。僕の中では「キャプテンEO」ぐらいかな?程度しかなかった、から。友人の強い勧めで「THIS IS IT」の映画をを観た。相当びっくりした。まさか、マイケルジャクソンの映画を観ることになるとは思わなかったし、それに感激することも、涙することも予想していなかったから。それこそ「乗せられた」のかも知れないけど、マイケルジャクソンが何をしてきたのか、どんな気持ちだったのか・・・いろんななことが「わかった」気がした。根拠も何もないけど、孤独で寂しかったのだろうな・・・と。それに・・・「お金の魔力って怖い」と、実体験を伴って語りたいなぁ~とも思ったりして。彼は普通の人間ではなかったかも知れないけど、普通になりたかったに違いない、よね。もしかして、自分も「アッチの世界」に逝ったときには、彼と会話を交わせるのだろうか?いや、きっと話ぐらいできるような気がする。そう思うとちょっと楽しみができた!
2009.11.28
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まず前進、次に前進、やっぱり前へ!・・・なんか太平洋戦争さなかの日本軍を描いた映画の一節のような雰囲気。製品を発売したら、半年~1年後には改良版や進化版、グレードアップ版を発売するのが企業として普通な努力だと思っていた。でも、他の国を見ると、必ずしもそうではなく、ずいぶん前の製品をロクな改良もなく発売されて、不自然なく使われている。「たしかにそうなれば便利かも知れないけど、そこまで必要ないし・・・」という考え?改良や改善で、いつも前やウエを向き考えることは、ある種のテンションを持ち続けること、走り続けることだから決して安楽な日常ではない、と思う。だから、これを当然のようにできる企業や人は世界的なレベルで凄い。でも・・・ね、たまには、今の製品や自分を振り返って、意外にイイセンいってないかな?ちょっと冷静に見てみると「そこまで必要か?」って自分でも思わない?たまには立ち止まって・・・も良いよね。
2009.11.27
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顔がすすけているおじさんっている。目も濁って、肌は何故か灰色がかっている。体の具合が悪いのかな?と思って見回すと、同類は少なくない。タバコの吸いすぎ?酒の飲み過ぎ?「運動不足」で片づけられるような雰囲気ではない、と思うけど、数は多い。もう一つ共通なのは、表情の硬さ。顔面の筋肉が衰えているのかも知れない。それとも・・・単に笑顔を忘れているだけ??心がすすけたら、やっぱり顔もすすける、よね。気を付けなきゃ!!
2009.11.26
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昔、新幹線という乗り物があった。長~い鉄の棒を2本使った「レール」というものを、地面に張り巡らせて、その上を200Km程度で走らせる乗り物なんだ。「大変な手間をかけていたんですね?」そうだね。うん、大変な工事だったようだ。「レール」自体の大きさ・重さもあるけど、設置する土地の確保や、施設後のメンテナンスにも膨大な管理費、人件費がかかったらしい。「その上運行上の安全確保とか?」そう考えてみると、ずいぶん効率の悪い乗り物、と言わざるを得ないね。「反重力素子がなかった時代ですね」そうなんだ、やっぱり反重力素子の発明は世界を変えたと言ってもいいね。「そんな昔なのに、200Kmで移動する必要はあったんですか?」この辺は不思議なんだ。当時でも、ある程度のバーチャルコミュニケーションが存在していた記録もあるから、頻繁に移動する必要はなかった、という学説もあるのだけど・・・今のところは、時期により集団や個人人によるコミュニケーションスキルのデコボコではないか、という議論に落ち着いているんだ。「まぁ、今もそうですが、いろんなスキルの人がいますから、ね。」今の世の中だったら、殆どのことがバーチャルで用が足りるから、外出する必要を感じられない。それに、外出は紫外線や危険な大気から身を守らなければならない、という大きなリスクもあるし。「昔は平和な大気、だったんですね」そうだね、それだけは圧倒的に羨ましい、ね。
2009.11.25
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大衆食堂があった日。あの路地に、割烹着をを着たおばちゃんと、白衣を着たおじちゃんがやっている定食屋さんがあった。もう何年も前に、テナントビルに姿を変えて言うけど、確実にあった。あの時代は、人間が人間の食べるものを作ってくれた。でも、今は、工場生産品しか庶民には口に入らない。「えっ?私が作ったものがまずい、ってことですか?」いやいや、味は一流。どんな素材も飛躍的なレベルアップする最新の加工技術、それに画期的な調味料の発明。相当いい加減な料理でも、おいしい。「久々にまずいものでも食べてみたいな」と呟いてみた。
2009.11.24
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7775という都々逸という文化がある。艶っぽい作品が多いから、学校ではあまり習わない。そういえば・・・「柔肌の熱き血潮に・・・」という俳句の授業があったなぁ~(と、ちょっと遠い目)まずは試してみる良い子はネンネと寝かしつけ忘れ形見と呟いた覚えていたのじゃないけれどカラダが勝手に想い出す恋しい人にチャラけてみせて自分の気持ち重くする軽いふりして重たいことを都々逸にして言ってみる深い世界だなぁ~~(汗)
2009.11.23
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「前向きに」って毎日暮らしていても、やっぱりあるところでは「フッ~」とため息が出てしまうことがある。もっとドツボのときは、「新しい思い出が作れなくなる」瞬間。どこに行っても、新しい刺激を受けても、「ああ、そうなんですか・・・」程度で終わってしまう時。一般な男は、たまには過去の記憶を思い出す癖があるんじゃないのかな?「あの時ここで・・・」「昔はこうだったのに・・・」たまに反芻すると、未来を見やすくなる。でも、やっぱり「たまに」であるから良いのであって「思い出すのは過去の思い出ばかり」の「過去スパイラル」に陥ったら、これはとっとと抜け出さないと大けがをする、ね。「あの時は・・・」は未来を見るためにある、ちょっとしたスパイス、と思う。
2009.11.22
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無責任って悪いことだけではない。棟方志功のように(もしかしたら誤解かも知れないけど)、人間が責任を持てる仕事よりも、責任が持てないほどの仕事の方が大きく豊か。状況によっては、無責任である必然性がある。何かを創るって、そーゆーことなんじゃないか、と思う。(思うだけ、だけど)そもそも、自分を100%理解できている人がいたら是非会いたい。だって、そんなことあり得ないもん、ね。
2009.11.21
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探偵小説の名探偵が、ちょっとした観察から物事の本質に迫る・・・これは水戸黄門の印籠的キマリだけど、大好き。好きなものは真似したくなる。これは、人間として当然のこと。早速、町中で観察開始。(だって探偵の依頼なんて来ないし・・・)あのスーツ男子、襟の後ろがめくれている。ってことは、一人暮らしで後ろから見てくれる人がいない・・・かな?向こうの化粧女子は、妙に全体が赤い。着ているものもお化粧も、みんな赤い系。ってことは・・・部屋はブルーが基調なのかな?ブルーが強い部屋だから、無意識に赤が強くなる・・・とか??氷山の一角、ほんの一部分だけど、そこだけでも真実が見えているってことだと思う。たとえば、気持ち。丁寧な、尊敬する気持ちがなければ、どんなに丁寧な言葉を使っても、相手には丁寧さは伝わらない、と同じなんだろうな。人間って、そんなにたくさん本音を見えるようにしていない、ものね。だって、そうしていたら生物的に危険だし・・・ね。
2009.11.20
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学校では予告してテストするのが普通。(まぁ、抜き打ち、もあるけど)でも社会では、突然テストされるのが普通。たとえば・・・こんな風景をテレビで見た。売れない零細食品メーカーの製品をテレビ番組で取り上げた。社長(?)自らが素朴に、でも一生懸命アピール。本当かどうかわからないけど、出演者たちは「おいしい!」と絶賛し、番組を盛り上げる。人気番組だから、当然商品はバカ売れ。しばらくして、同じ社長(?)が同じ番組で「その後」風に登場。スーツも上等になり、高価な腕時計を着用して・・・見事に成金ファッション。どうも、コレは「公開試験」だったようだ。「商品に対する、消費者に対する一生懸命さ、けなげさがたくさんお金が入ってきても維持できるかどうか」の試験だったみたい。結果は、見た人が判断する。どんな結果になるんだろう・・・ね。
2009.11.19
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「高価なものが良いものとは限らない。」と、みんな同じことを言う。みんなが言うのだから、きっとこれは正しく常識とされているのだろう。「ブランドなんて、高いだけ! マークだけにあんなお金払えないわ。」これもよく聞く。だから、確実に常識なんだろう、と思う。詳しくないから分からないけど、ブランドは高価な理由をそれぞれ持っている(ハズ)「○○という製作段階を持っている」「他では考えられないような高価な素材を使っている」と品質を重視し、それが外観から分かるように、ロゴのデザインやお店のレイアウト、制服、態度なども上質のイメージを保つように・・・。これ、つまり「記号」「○○ブランド」を見たらすべて高級という人為的な刷り込みの結果。だから、喜んでブランドのマークがついたものを身につけたりする。多くの場合、いくつかのブランドはイニシャルを含んでいるから、自分と違うイニシャルを身につけている人も多いってことだね。何事もカタチや典型があり、自分をある種の典型に分類できれば、典型はグループとなり「安心なトモダチ」ができる。だから、自分を典型に押し込むのは快感。だけど、「個性」は大切にしないとDNAレベルの問題があるから、典型だけじゃ納得できない、というややこしい状態になる。と、ひたすら面倒な展開・・・・そういえば、昔の「文豪」や「文化人」は、大枚叩いて銀座のクラブをハシゴする「義務」があったらしい。何軒にも顔出して・・・あまり楽しそうには聞こえない、ね。まぁ、義務だから・・・仕方ないんでしょうね。
2009.11.18
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前にも書いたけど、レジでお金を払うときにコインを投げる人がいる。人によっては、紙幣も「投げ渡す」ユニクロをウロウロしていると、ワゴンサービスの商品を手に取っては投げ戻す人は珍しくない。「モノを投げてはいけません!」「じゃ、野球のボールはどうするの!」と、親に悪態をついたことを思い出した。「投げる」ってぞんざいに扱うこと。(そういえば「ぞんざい」って言葉を最近聞かないなぁ~)ぞんざいに扱われているから、ぞんざいに扱うのかな?それとも逆?ニワトリとタマゴみたいだ。モノやお金って、丁寧に、褒めながら、称えながら使うと、きっと良いことがある、と思うんだ。
2009.11.17
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意図するかどうかに関わらず、通せんぼしていることはある。彼女と歩いていて、二人の世界が盛り上がってくれば、当然周囲の雰囲気は分からなくなる。グループで飲みに行けば、楽しい会話で周りは見えなくなる。周囲は迷惑かも知れないけど、本人たちは別の世界にいるから分からない。「通せんぼ」実は人間って複数の世界を掛け持ちできるってこと、なんだな。
2009.11.16
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気に入って使っているコンデジがあり、もう2年近く使っているのだが、そろそろ「浮気の虫」がムズムズ。ネットで、情報を集め、家電量販店という販売とショールームを兼ねるお店に向かった。目当ての機種をしばらく触っていたのだけど、何となく「ずっと愛せない」気がして手を離した。でも、気になって他のお店でも手に取ってみたのだけど、やっぱり「数回で飽きそう」という気になった。何でそうなのか?よくわからないけど、大きさ、質感、機能、インターフェイス・・・・何かがグッとこない。高画質、処理エンジンも最新、ズームも明るいし、それに安いし・・・・文句のない条件なんだけど、買う気分にはなれない。ものの好き嫌いって、理屈じゃないんだなぁ~とつくづく思い知らされた。やっぱり、僕の中に他の僕がいるような・・・(キャッ)
2009.11.15
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人間って、やっぱりより高級であるための努力をしなければいけない、と思う。生まれてから死ぬまでに、ほんの少しでも高級な人間に成長する。これが「生き抜くこと」の次の目標なんじゃないかな?より優秀なDNAを残すために、子孫を残す相手をシビアに選ぶのも大切なんだろうけど、その後(前かも知れないけど)自分がより高級な人間にならないと・・・では「高級」とは・・・それはみんな自分でわかっているハズ、だよね。
2009.11.14
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何かを続けていくには、その中に楽しみを見つけなければ・・・仕方なく、我慢しながら、根性で・・・のレベルで続けてもきっと同じレベルでは続けられない。そんな状態で続けてしまったら、徐々に品質が落ちているのでチェックしないと・・・コレ、仕事にも人間関係にも、夫婦関係にも言えるのではないかな?苦痛な継続では、ロクな結果にならない。良い継続のためには、楽しみを見つける、作ること。発見だっていい。「いつも」の連続に楽しみを見出す、埋め込む・・・こんなことが有効な継続につながる。実は、これは既にいろんなシステムに組み込まれている。誕生日、クリスマス、報奨金・・・昔から人間の本質はあまり変わっていないのかも知れないね。
2009.11.13
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人間って見たり聞いたりの「五感」で情報を取り入れる。取り入れた情報を脳で処理して、様々な反応や「事件」が起こる。錯覚。取り入れる部分なのか、取り入れた後の処理なのか、どちらが狂うのか(或いは両方が?)わからないけど、正しくない情報が伝えられること。と、なんだか不良品のように聞こえるけど、実はコレは計算し尽くされた仕様だったりする。だって、人間のカラダだもん、そんなにチャチにできているとは思えない。要するに、錯覚する必然、だよね。 ・錯覚した方が面白いケース ・正しく感じない方が面白いケース ・錯覚の方が正しいケース要するに錯覚した方が幸せになれる、と思う。自分のカラダとは生まれてからずっと付き合っているけど、まだまだよく分かっていないんだなぁ~、とつくづく思ったりする、ね。
2009.11.12
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思いっきりの私見だけど、おしゃれや治療用ではく、「ハゲ隠し」的なカツラのおじさんたちって、ちょっとお気の毒。「好きでハゲになったわけじゃない」妙な隠し立てをしなければ、周囲はそんなに違和感を感じないのに、わざわざ隠し立てをして「ことを荒立てている」気がする。ハゲを恥じるような、隠すような行動やヘアスタイルをする方が遙かに違和感がある、ってこと。で、違和感のトップがカツラ。前述のように「楽しむ」「サポートする」ではなくて「隠す」のが目的であるから、周囲はとても気を使ってしまう。(そもそも敏感な女性から「隠す」なんてことはできないし・・・ね)高級な「システム」になると、切ったばかり、ちょっと伸びた、そろそろ切らなきゃ、の3段階ぐらいのカツラを揃えているのだそうだ。それを気づかれないように計算して付け変える・・・そこまで気を配って生活をしていても、すべて見透かされている・・・なんだかちょっと同情しちゃう。前述のように、多くの人は好きでハゲになるわけじゃない。だから、一生ハゲないことが幸せではなくて、「別に良いじゃない、ハゲだって(笑)」と言い放てることがポイントなんじゃないのかな?カツラでプライドなんて保てない。ハゲだって自分のカラダだ、って自信がプライドなんじゃないかな?きっとそんな姿勢の方が高感度アップに違いないし、ね。
2009.11.11
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合法的なトリップをすることがある。もちろん最近多い「違法スレスレのクスリ」ではなく・・・。・ヘッドフォンでお気に入りの音楽に浸る・気分の良い場所で散歩・ちょっとしたキッカケを逃さずに、すかさず妄想の世界でイメージを広げる。こんな独自の方法を持っていると楽しい。注意すべくは、ステレオタイプな気分転換は、しばしば逆効果、ってこと。よくあるのは、「仕事の後の赤提灯的飲み会」ストレス発散・気分転換のはずが、結局仕事の延長で、別な分野で嫌な思いをしたり・・・自分のトリップは自分で決めた方がいい。方法はひとつだけではないから、いくつもの方法を開発しておくのが正解。簡単で安全で安くて高価絶大なトリップ。有効に大切に使えば、毎日幸せに暮らせる、ね。
2009.11.10
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いつかの自分が憧れていた風景を、まさに今自分がしている、ってことに気付く時。例えば、街歩きをしていて、ちょと一息入れようと喫茶店に立ち寄り、おいしい珈琲を口に運ぶ。仕事がうまく仕上がって、一人だけでバーのカウンターでウィスキー。やってみれば大したことではない。難しいことでも莫大なお金がかかるのでもない。でも、大切なのは、かつての僕が憧れていたことを自分でやれていること。満足感に浸るのではなく、確認をすること。ほんのちょっとだけ振り返って・・・少しだけ自分を褒める。馬鹿馬鹿しい? いや、必要なことだ、と思うんだ。
2009.11.09
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「KY」が世に出たときは、少々驚いた。「空気読めない」に固有名詞をつけるほど必要とされいるのが意外だったから。で、KY「空気読めない」から「使えない」がフツウの解釈だけど、「空気読みすぎて不気味・意味ない」人もいる。「空気だけ読めたってねぇ~仕事できないしねぇ~」の類。「過ぎたるは及ばざるが如し」そのまま。KYは固有名称でもなく、単なる状態。つまり、KY状態になれる、そしてなっても平気なチカラを「KY力」って言えるんじゃないのかな?無意識では簡単にできるKYだけど、意識してKY状態にするのは、なかなか難しい。(フツウの人間ならば・・・)無視するための自信、確証、集中・・・そして周囲のフォロー。いろいろな能力を身につけると、それだけ楽しく生きられる、と思うんだ。
2009.11.08
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「あいつの方が俺よりも高給取りだ」「もっと偉くなりたい」「六本木で毎日遊べる身分になりたい」「高級外車に乗りたい」もしかして、こんなことを「不幸」「幸せじゃない状態」と決めつけている人たちもいるのだろうか?もしもそうならば、ちょっと悲しいというか、考え方が違うような気がする。嫌かもしれないけど、「自分は幸せなのだ」と仮定してみることから始めたらどうだろう。いわゆる、「幸せののカタ」に押し込んでみることを圧倒的にお勧めする。そうすると、意外に違和感がないことが実感できる。それに、人間って本気で思い込むと、その王面のいろいろなものが自然に集まってくる。実は人間って基本的には幸せであるようにできている。正確に言うと、人間ってどんな環境でも幸せを感じられる能力がある。だから・・・思い込む。別の言い方をすれば「信じる」だね。実は自分は「結構な」幸せ状態なのだ、こう考えるだけでちょっと嬉しくなる、って僕だけか??でも欺されたと思ってやってみるのがいい、悪くないよ!
2009.11.07
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ラーメンやカレーが好きな人の多くは、よく噛まないで食べる習慣を持っている、と勝手に思いこんでいる。つまり、彼らは「早食い族」ではないか、と推測しているワケだ。というのも、僕がまさに早食い族であるからきっと「仲間」はたくさんいるはず・・・とか。。。ムギュムギュ適度に噛んで、ゴックンで胃に落ちる感覚がなかなか嬉しい。「まさに食べてるぞ!」の真骨頂。でも、体に悪い、胃に良くない、といわれることが多く、自分のためには習慣を変えるひつようがあるようだ。あまりにも言われて悔しいので、それこそ口の中で消化完了!ぐらいのレベルに噛んで食べてみた。まず、噛むってことは、なかなか体力を使うことがわかり、次に今まで気づかない味に気づき・・・悪くない、という結論。それに、気のせいかもしれないけど、満腹まで必要な量が減る気がする。噛んでいるうちに満腹中枢が満たされる、という根拠らしいけど、食べ物も楽しめて、食費が安くなるのであれば、それこそ万々歳。と、最初は面白がるのだけど・・・・あとは継続だよなぁ~
2009.11.06
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限界を認めると、そこが限界になる。つまり限界を認めると、限界がやってくる。ってことは、幸せだと認めると、幸せがやってくる。それも、一回きりではなく何回も。相手が素敵だな、と認めると、その人も友達としてやってくる。だから人付き合いの基本は、認めること、よいことを発見すること、なんだね。逆は・・・考えない方がいい、だって逆がやってきちゃったら・・・・。
2009.11.05
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だれからも、何からも助けを借りないで生きることはできない。できる・できていると思っている人は、もしかしたら本当なのかも知れないけど、大抵は気づかないだけ、じゃないのかな?自分を好きになってくれる人は必ずいるし、自分に影響してくれるもの(本、音楽、美術、等々)はある。自分で気づかなくても、自分はいろいろな人やモノに影響をもらって育ててもらっている、よね。「一匹狼」カッコ良く聞こえるのは、できないことだから、なのかも知れないね。僕らはいつも誰かに助けられている。こう信じると毎日ちょっと嬉しくて楽しくなるよ。
2009.11.04
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ツギハギだらけの歩道を多くの人が通っている。掘り返してはアスファルトで固め・・・の繰り返し。必要な工事なのだろうけど、歩道はツギハギでボコボコ。都内の住宅地とビジネス街との中間ぐらいの場所なのに、雨の日にはアスファルトの水たまりがたくさんできる。でも車道はキレイなんだ。キレイに整備されている。住民の為にガスや水道の工事をした結果。だけど、残念ながら本末転倒、かな?住民のためだったのに、結果として住民が納得できない結果。確か数年前には、一部煉瓦を敷いてキレイになったのだけど、いまは傷跡がたくさんで気の毒な歩道。「仕方ないよ」って簡単に言われたらたまらない。工事する人はいいよ、工事が終わったら立ち去るから。でも、住民は長く付き合わなきゃならない。住民のためだったら、もう少し街を愛した工事を考えてもいいんじゃないのかな?愛される街には愛される歩道が似合う。よね。
2009.11.03
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チカラよりもウデの時代。生き残れるのは巨大なチカラではなく、正しく良いウデ。だって、他を圧倒するようなチカラは、本当はその人存在しないもモノ。立場、地位、権力、お金など、その人の回りのビラビラがチカラなだけ。つまりチカラは単なるビラビラ。チカラは自分を高めることで得られる。そして得られた力を自分よりもむしろ他の人のために使うことでたくさんのチカラを得られる。たくさんのチカラを得た人は・・・不思議に気づかれない。静かで豊かなチカラ・・・これが正しいんじゃないのかな?って思う。弱い犬ほどキャンキャン吠える、ってね。
2009.11.02
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衝動買いは、ある種のスリルがあって楽しい。癖になるほどの財力はないけど、もしかしたら癖になる人もいるだろうと思われるドキドキ感、出会った感、は味わえる。衝動買いでは・・・「やっと探していた理想の人に出会えた!」って思う瞬間を味わえる。勿論、ハズレの方が多いのだけど、そんな気分を一瞬でも味あわせていくれることがある。(要するに「妄想」なんだけど、ね)そうして衝動で買ったもので、ピタリとはまるものもあるし、残念なものも少なくない。僕の場合、圧倒的に衝動買いは100均が多いのだけど、半数近くは残念な結果。でも、買うときには成功した少数派の記憶だけが残っていて、結局残念さを重ねる。まぁ、人間常に勉強、ってことなのか、それとも反省がない、ってことなのか・・・。まぁ、「向上心に満ちている行動」としたいのだけどね>自分。
2009.11.01
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