全2件 (2件中 1-2件目)
1

『Tamago―39歳の不妊治療』をアマゾンから電子出版しました!https://www.amazon.co.jp/dp/B01M7Z9BWB無料サンプルをダウンロードして覗いてみてください。ちなみにKindle Unlimited会員の方は読み放題デス。 これでこの小説は予期せずも2009年に出版した『Tamago』、去年の英語版『Someday Baby: IVF at 40』、そして今回のリニューアル版『Tamago―39歳の不妊治療』と3つのタイトルをもつ本になってしまった!わけで。。。 振り返れば、私がこの小説を書こうと思ったのは、娘がまだよちよち歩きのころだった。あのときはまさかこの作品とこれほど長~いお付き合いになろうとは思いもよらなかったナ。 今回はこの『Tamago』の旅(タマ旅?)に触れてみようと思う。 娘の出産前にも長編小説を1作書いていた。『インスタント・ニルヴァーナ』という新興カルト宗教のマインドコントロールを扱ったサスペンス小説だった。400字詰めで1200枚を超えていたので、一つ賞に応募してからは、なかなか他に送れる賞も見つからず、未刊のまま。その敗因を胸に、次はもっと自分の生活に合ったテーマで、長さもその半分で書こう、と決めていた。 ちょうど二人目を妊娠しようと不妊治療を再開したところだったので、それをテーマに書いてみてはどうだろう、と思った。娘は不妊治療で授かったのだけど、そのとき不思議な体験をしていたので、何か素通りできないものを感じてもいたから。作品のバックグラウンドになる治療に関する情報も完璧なものが取れるだろうし、リアルな作品が書けるかもしれない、と『たまご時計』をタイトルに書き始めたのだった。 とはいえ育児の真っ最中で、2歳になったばかりの娘はちょうど手がかかりまくるころ。不妊治療もあるし、家事も家業もあるしで、なかなか執筆の時間が取れない。早朝や夜中に起き出してみたり、ナニーさんを頼んでみたりと、いろいろ試してみたものの、筆は進まず…。 そんなとき、失敗続きだった体外受精がやっと実を結び、妊娠!喜んだのも束の間、結局子宮外妊娠であることが判ったのだった。 せっかく授かった子を今度は摘出しなければならない…。病院のベッドで一人泣きながら手術を待っていた。けれど泣いていても心は酷くなるばかりなので、瞑想することにした。慈悲の女神、チベット密教のターラ尊を観想し瞑想し続けていた。 途中、手術医が現れ、説明を終えた彼が病室から出てゆくのを見送ったとき思った。この体験を書き留めておかなくては、と。 病院の売店に走って、ペンとメモ帳を買ってきた。それから自分の身に起こっていることを書き留めていったのだった。 翌日、空っぽの子宮で退院してからはまた、何事もなかったかのように、娘と夫と愛犬3匹との生活に追われる日常に戻った。けれどもう再び、あのメモ帳を開くことはなかった。小説の執筆を再開することもなかったのだった。 メモ帳を開いたのは、それから2、3か月経ったころだったと思う。夫がエンジェルカードを贈ってくれた。彼はその手のものを好むようなタイプではなかったから、私のことを心配してくれたのだろう。 封を破って箱を開け、1枚を引いてみた。赤ちゃんを抱いた天使のイラストが描かれたカードだった。メッセージが添えられていた。「Your children on Earth and in Heaven are happy and well cared for by God and the angels.この世とあの世と、あなたの子どもたちは幸せで、神と天使に慈しまれていますよ」、と。 一瞬にして閉じていた心と身体が震えてしまった。私は声を上げて泣き出していた。手術以来、泣いたのは初めてだった。泣いて泣いて、大泣きして、思った。 あの小説を書きあげなければ、と。書かなくては、あの体験を無駄にしてしまうような気がした。無駄にしてしまったら、生まれてこれなかった子に申し訳ない、と。 それからは失くしてしまった子どものことを考える代わりに小説の執筆に打ち込んだ。早朝4時起きを日課にして、毎朝書きつづけた。そうしてそれは娘が5歳、息子が1歳を過ぎたころに完成し、完成した作品は、当初のプロットから全く違ったものになっていたのだった。 小説は完成したとはいっても本になる目処はなかった。依頼原稿でもなく勝手に書いた作品なので、これから出版社を探さなくてはならない。 まずは手っ取り早く賞に送ってみようと思ったものの、原稿の枚数とジャンルとタイミング的に適当な賞が見つからなかった。結局、締め切りもジャンルも枚数制限もなく、常時募集中の、受賞すれば単行本化されるという某大手出版社の文庫大賞に送ってみた。 ところがなぜかその後、その出版社の応募した覚えもない賞から選考の詳細に関するお知らせが届いた。編集者が勝手にそっちの賞に回したのか、単なる手違いか?いずれにしてもこれも何かのご縁、案外うまくいってしまうかもと、ぼんやりと半年ほど待ってみた。というのも、当時は(今もかな?)1度応募したら他賞に応募することは禁止されていたので。 が、敢え無く落選。そこで今度はどこか「持ち込み原稿可」の出版社はないものかとネットで探してみた。中堅の出版社を見つけ、原稿を送ったところ、編集さんから連絡を頂きお会いすることに。どこかの賞に送れば最終選考には残るだろうと好意的だったものの、結局そこから出してもらうことは叶わなかった。 それでもお陰で、満更でもないのかも…と考えることができるようになったのだった。その後もう一社、持ち込み原稿に門戸を開いている出版社を見つけて、送ってみた。 それから3~4か月後―ひょんなことからオージーの友達に誘われ、霊視Psychic Readingをしてもらうことに。驚いたことに、その霊能者はすぐに私の執筆について話し始めたのだった。聞いてもいないのに、今取り組んでいる小説に触れ、赤ちゃんが見えると作品のテーマについて言い当てて、その原稿には多くの可能性があるから、自分で過小評価して諦めてしまうべきじゃない。原稿を受け入れる出版社が一社あって、書き手としてのあなたのパートナーさえ見つかれば成功するから、と。 書き手である自分のパートナー? ちょっと意味不明?、でもWow!半信半疑ながら喜んでしまった。きっと原稿を送ったあの出版社からOKの連絡が入るのだろう、と単純に思っていた。 ところが、その2日後、なんと原稿が送り返されてきたのだった!文体が嫌で読み進む気になれないからお返しします、と。 ガーン…それにしても、なんてタイミングなんだ… 手紙に記された男性編集者の名前を前に、そりゃそうだよね、不妊症に悩む女性の話なんてきっと男の人には興味ないよね。文体だって、タイプのわけがないよね。。。などとは全然っ思えなかった。作品どころか、書き手としての自分を全否定されたような気さえしてしまって…。 そうして、あっさり、原稿放置。次作に取り組むことにしたのだった。他に送れそうな出版社も見当たらなかったし、2008年当時、日本ではまだ電子出版もそう普及していなかったし。長すぎて全文アップできなかったので、続きは後編12月6日の日記をお読みください。
2016.12.07
コメント(0)
12月7日の日記「タマ旅―『Tamago―39歳の不妊治療』まで(前編)」の続きです。一気にアップできなかったので、そちらからお読みください。それから間もなくして当時会員になっていた全作家協会の先輩作家さんから某大手自費出版社から出版してはどうかとメールを頂いた。 自費出版は、全く考えていなかった。出版しても本屋や流通には回らない、という話は聞いていたし、興味もない友人知人に送ったところでハタ迷惑なだけだろうし。基本的に、ダメだったら、前回同様またそのままにして次の作品にとりかかろう、と思っていたから。 けれどそこは某大手出版社の子会社なので流通にも長けていて、親会社から再出版と販売をしてもらえる可能性さえあるという。ここでふっとあの霊能者さんの言葉が脳裏を過り… どうしよう?思い切って、本にしてみようか?今まで数人が読んでくれたけど、殆ど男性ばかりだった。だけどあの小説は女性に向けて書いたのだ。妊娠や不妊症がどこかで気になる女性たちに。今まで自費出版なんて考えてもいなかったけど、流通してもらえるなら、それで本が読者に届くかもしれないのなら、試してみる価値はあるんじゃなかろうか? だけど「試してみる」にはコスト、あまりに高っ!これでは日本でKの新車が余裕で買えてしまうではないかっ!でもこのままあっさり諦めてしまっていいものだろうか?あの霊能者だって…でもコストが… ちょうどママ友たちとMind Body Spirit Festivalというイベントに行く機会があったので、そこでまた霊視をしてもらうことにした。と、言葉は違えど内容は同じ。むむむ…結局、腹をくくって、清水の舞台から飛び降りる気でやってみることにしたのでした。 そうして―敢え無く墜落。全身打撲。 正直この時期、かなり混乱してしまった。霊視だけでなく、自分でも夢やビジョンを見たり、シンクロニシティを経験したりしていたので、自分の直感自体がまったく信じられなくなって。 お金のこともさることながら、育児のことを一番後悔した。やっと授かった子どもたちなのに。毎朝4時に、時には夜中から起き出して、「ママ、ママ」とベッドから自分を呼ぶ子どもたちに我慢を強いて、書き続けた結果がこれなのか?そう思ったら、もう書けなくなった。執筆なんかで時間を無駄にするくらいなら、できるだけ子どもたちと一緒にいてあげよう、と。 そんな折、ママ友のご縁で地元の図書館から本のBook Launch出版記念会をしてはどうかというお話を頂いた。半年は過ぎていたから今更、出版記念でもないのだけれど、ありがたいので、文芸モーニングティーを開くことにした。土曜の午前中、図書館にママ友たちが集まってくれた。子どもたちを預け、中にはケーキまで焼いてきてくれた方まで!ありがたかった。 だけど、そこに集まってくれた方々は本の読者からは遠い人たちだった。あの本は不妊症に苦しみながら赤ちゃんを望んでやまない女性の話なのに、彼女たちは子育て中の母親たちなのだ。自分の時間は1分だって惜しいだろうに。わざわざ…。 さすがに思わずにはいられなかった。自分はいったい何をやっているのだろうか、と そのうえ、大恥を承知で告白してしまうと、ダメ押しの惨事も…。本の出版記念会の話が来たとき、それにしても霊視とずいぶん結果が違うじゃないか、とふっと思った。もしかして、聞き間違え? 英語だし?思わず録音してもらったCDを聞き直せば、Self-doubt自己疑惑が大きな障害となっているから「自分は必ず成功する」と書いた紙を書斎に貼っておくようにと言われている。 もしかして、これを実行しなかったことが敗因の原因とか?あのときは、なんだか情けない提案なのでスルーしてしまったけれど、もしやこれを実行しなかったことが敗因の原因??いや、まさか、そんな。でも…いずれにしても、失うものなど何もない。ダメ元でやってみても…。 それでもさすがにでかでかと書いて壁に貼っておくのは恥ずかし過ぎて憚られたので、小さな紙に「マックあつこは成功する」と書いて、栞がわりに『Tamago』の本に挟んだ。そうして当日、もはやそんなことはすっかり忘れて、「成功」栞を挟んだままサンプル本として会場に展示してしまったのだった! うっきゃぁぁぁぁぁ~~~~恥ずかしいよ~~~~~~~~バカ過ぎるだろ、自分! あまりに情けない、自らの記憶から抹殺してしまう以外に(できれば他者の記憶の方をデリートしたかったけど)対処しようもあり得ない、とほほほ…事態なので、即忘れることにした。そうしてこのとき決意したのだった。絶対にもう終わりにするゾ、と。 けれどその数か月後、全作家協会から連絡を頂いた。前年度の会員の出版物に贈る全作家出版賞を今年は『Tamago』に贈ってくれる、と。そう言ってもらえると、ありがたくも嬉しくて、絶対終了宣言もどこへやら、授賞式に出られるかとか聞かれ、ちょうど祖母の1周忌と重なっていたので日本に一時帰国することにしたのだった。 祖母が亡くなったのは、『Tamago』を出版してから4か月後のことだった。その日の午後、なぜか私は突然瞑想したくなり、瞑想を始めて間もなく祖母が亡くなったことを悟ったのだった。祖母が既に亡くなっていた両親や姉妹たちに囲まれて現れたから。母からも知らせを受け、急遽、日本へ帰ることにしたのだけれど、あのときは不思議なことがいろいろとあった。 祖母の1周忌の墓前で、『Tamago』が全作家出版賞を頂いたことを報告し、去年のお葬式のことを思い出していた。祖母との最後のお別れで、妹が棺に祖母へのメッセージを書いた私たちの漫画単行本を入れた。続いて私も『Tamago』を入れたところ、司会の方から「こちらは入れない方が宜しいかと思われます」と取り出されてしまったのだった。まさか涙ながらに入れた品を突き返されてしまうとは思ってもいなかったので憮然としてしまったのだけれど、その瞬間、祖母の存在をはっきりと感じたのだった。この本をあの世に送ってしまうのは未だ早いよ、と祖母に言われたような気がした。 祖母の一周忌を終え、メルボルンへの帰りの飛行機の中で私は自問していた。これで終わりにしてしまって、ほんとうにいいのだろうか、と。 その数か月前に、シドニーで開催されたダライラマ法王の講義ツアーに参加した夜に見た、鮮やかな夢が思い出された。OLさんのような若い女性が『Tamago』を胸に抱えて通りを歩いてゆくのに気がついて、ハッとしているという夢だった。思い出しながら再認識せずにはおれなかった。あの本は未だ、自分が送りたいと願っている人たちには少しも届いていないのだ、と。 『Tamago』の英語版を考え始めたのはこのころからだった。 とりあえず、初めの3章を訳して、文学エージェントに送ってみることにした。インターネットでアメリカの文学エージェントを調べて、自分の作品に合いそうな会社を選び、規定に沿ってシノプシス(作品の概要)やサンプル章、著者歴なんかを添えて、数社に送ってみた。これでダメならそれで良しとしよう、と心に決めていた。 すると、作品を読んでみたいから全原稿を送ってほしいとニューヨークの文学エージェントから1社、連絡が届いたのだった!けれど送れる英語の原稿は未だ揃っていない。仕方ないので正直に、実は日本語で本にはなっているもののまだ英訳が全部終わっていないのだと伝えたところ、終わるまで待つから送ってほしい、とのことで! 嬉しかった。けれどやはり先は、長い。全訳は、キツイ。医学の専門用語も多かったし…数章訳して、既に疲労困憊。 そんなおりダライラマ法王から『菩薩戒』を授かるという機会に恵まれた。思いもよらぬ幸運に心を改めつつ、『Tamago』のことが思われた。 あの作品を菩提心を胸に、もう1度始めてみてはどうだろう? 今までもそうしてきたつもりだったけど、こと不慣れな営業ビジネス分野、出版・販促過程に入ってからは、程遠く―思えば、編集者から原稿を送り返されたときに傷ついてしまったのは、自分のエゴの心だった。あの「とほほほ…栞」を『Tamago』に挟んでしまったのも、小我の心で…。 もう一度、大我からあの作品に取り組んでみようか。訳だけでなく、出版や販促までも。 そもそも英訳だって、もっと読み手の立場に立てば、贅肉を削ぎ取って、臭みを抜けるハズだし。自分の原稿なのだから、原文に忠実である必要もないし書き換えてしまえばいい。訳すというよりも、むしろ英語で書き直すような気持ちで、やればいい。 そうだ、『Tamago』のときには触れなかったけど、今度は「後書き」に記そう。この小説を書く原動力となった3つの神秘体験についても触れよう。あれを書かなければ、作品も理解されないだろうから。 今度こそ、読み手の心に届くことを願って。 そうして出来上がったのが、去年出版した『Someday Baby: IVF at 40』だった。 英語だから『Tamago』より表現力もつたなくなってしまっただろうし、読んでくれた方の心に届いたのかもわからない。それでも、自分が本当に伝えたかったことは、むしろ表現できたような気がしたのだった。 そう思ったら今度はそれを反映させたリニューアル版『Tamago』を本にしたくなってしまった。 だけどまた大枚をはたいて自費出版をするような経済的ゆとりもないし。でも、電子出版なら?アマゾンのKindleとか??いやいや、ムリ、無理。e-bookを自分で出すなんて、私のPCスキルではとても無理だ。 だけど―日本語だし。表紙もあるし。もしかして、やれるんじゃ…? 出版元に問い合わせ、電子出版できるよう解約をお願いした。単行本の表紙を電子書籍に使ってよいかと尋ねたところ社のロゴを消せば問題ないという。 やってみよう、と思った。年が明けたら、原稿に手を入れて編集し直して電子書籍化しよう、と。 とはいえ、この1年が病と浄化の年になってしまったせいで、予定よりかなり遅れてしまったけど…。それでもなんとかキンドルから電子書籍を出版することが叶ったのでした。 こうして長かったタマ旅も終わりに近づき、自分的にはやれることはやったという気がしてホッとしています。あのときの子は育てられなかったけれど、なにかこの本を育てたことで自分も成長できた、癒されたような気もしています。 2016年もそろそろ終わりますね。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
2016.12.06
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1


