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カフカの主人公は朝目覚めると昆虫になっていたけれど、目覚めたら、お多福おばさんになっていた。!?ことの始まりは前日16日水曜の朝だった(少なくとも私の認識上では)。洗顔後、額の左側に深い皴ができているのに気がついた。あれっ、こんな皺あったっけ?暫く自分の顔見てなかったから気づかなったのかナ?と初めは思った。というのも、この週末は友達4家族と田舎のホリデーハウスを借りて3泊4日で旅行に行っていたのだが、そのホリデーハウスというのが寝室は6部屋もあったのに、バスルームは2つしかなかったのだ(泣く)。しかもトイレ、シャワー、洗面所が一部屋にまとまっているうえに、それを14人でシェア。とにかく速攻使用が求められたので、自分の顔を悠長に眺めている時間なんてなかったのだった。 ちなみに、一緒に行った友達とは上の子のマザーズグループからのお付き合いである。思い返せば、彼女たちと出会ったころは子どもにミルクを飲ませながら昨夜は6時間もぶっ通しで眠ってくれたの~!?とかママ友話で盛り上がっていたのだった。しかし当時は新生児だった子どもたちも、今や14歳。いやあ、月日の流れるのは早い。自分も年を取るハズだよねぇ…としみじみ件の皺を眺めてしまったのだけれども、よく見れば、皺の下が丘のように盛り上がっている。眠っている間に虫にでも刺されたかナ?けれどそれ以上気にも留めず、忙しさに忘れてしまった。その夜、「ママ、瞼がちょっと変だよ」と息子に言われた。鏡を見れば確かに瞼が少し腫れている。額も、ちょっとした丘のようだったのが広がって腫れ、ぶつぶつと発疹のようなものも浮き出ていた。左の首の辺りにもうっすらと発疹ができていて、痒い。昔、医者をしていたことのあるダディンに見せたところ「それ、Sunburnじゃない?(sun-tanではなく炎症を起こした方の日焼けね)旅行中、ビーチや砂丘に行ったとき焼けたんじゃないの?特に砂丘は日差し、強いから」そうか、サンバーンか。確かに。シビアなバスルーム事情から旅行中はずっとすっぴんで出歩いていたからな。しかも仲間内でもっともアクティブなデビちゃん(仮名)が、勤め先の私立高校1週間キャンプから戻ってきたばかりとあってそのハイテンションさを引きずっていたため、休むことなくハイキングや、砂丘でのサンドサーフィン、海辺でのピクニック、バーベキューにパブパーティとかを企画してくれたためかなり慌ただしかった。私も朝ちゃちゃっと日焼け止めクリームを塗っただけで一日中太陽光線を浴びまくっていたのである。で、行先は砂漠やビーチだったし…。今思えば恐ろし過ぎるゾ…慌ててその夜は、日焼けにもいいというアロエベラのジェルをたっぷりと塗ってから眠ったのだった。そうして翌朝―目覚め、ベッドから起きだしたとき異変に気がついた。顔中が何かに引っ張られるように重かった。視界が妙に狭くなっている。バスルームに駆け込んで鏡を覗き込むや我が目を疑ってしまった。鏡の中から、見知らぬお多福顔のおばさんが怯えたような目で、こちらを見つめているではないかっ!?パンパンッに膨れ上がった顏は、ぶつぶつと発疹に覆われて、真っ赤だ。瞼が赤く腫れ上がっているせいで目の大半は皮膚に埋まってしまっている。昔見た「エレファントマン」という映画が思い出された。パッと見、女版エレファントマンか、ヘリウムで2倍に膨らませたお多福か、いずれにしろどこかモンスター顔のおばさんが、哀しそうな、縋るような、でもどこかひょうきんな目をして、こちらを見つめているのだ。ひえぇぇぇぇぇ~~~恐いよぉぉぉぉ~~~だけどこの人ってば、自分…なのね。。。信じられなかった。一晩眠っただけで、自分の顔がこんなにも変わり果ててしまっただなんて!?けれど朝方5時前に叫んでしまってはハタ迷惑なので、とりあえず毎朝の瞑想と行をいつもより念入りに行って、心を鎮める。このショッキングな状況を周囲に訴えられる機会を待った。息子を起こすとき、こんな変わり果てた母親の顔を起き抜けに見てしまったのでは9歳の子どもにはトラウマかもしれないと、予告を入れることにする。「ママ、こんな顔になっちゃったんだけど…ビックリしないでね(ふつー驚くだろ、そりゃ)。でも今日医者に行くから大丈夫だよ(全然大丈夫じゃないけど)」と。私を見るや、息子は一瞬ギョッと固まってしまった。それから「ダディ、ダディ」と父親を呼びに行く。「ダディのバカ~~~、ママは日焼けなんかじゃないじゃないか!ダディが日焼けだなんて言うから、ママも医者に行かなかったせいで、ママの顏がおかしくなちゃったよ~~~~~」夫も、発疹が浮き赤く膨れ上がった顏を見て、確かにこれは日焼けなんて生易しいものではないと思ったらしい。アレルギー反応か、感染症の可能性もあるから直ちに病院に行った方がいいだろう、と勧めてくる。近所のクリニックに行こうと思っていたのだけれど、前回、膿瘍を発症してしまったときのことが思い出された。あのときは、開業医たちの対応があまりにのろく結局大病院の急患に駆け込み、緊急手術ってハメになってしまったのだった。こぉんなに顔が膨れ上がっているのに、GP(ホームドクター)行って、専門医への紹介状なんてものを呑気に書いてもらっている場合ではないだろう。その日、午前中は娘の三者面談が入っていたのだけれども、やむなく(つーか、先生たちもこの顔で面談されたらシンドイかも…)断念。夫一人に任せることにした。まず息子を小学校に送ってから私が病院に、その後娘と夫で中学校に向って、などとこれからのことを話し合っていたら、息子が「今日は学校には行かない」と言い出した。こんな忙しいときにまたワガママを、と一瞬カッとしてしまった。息子は押し問答の後、真剣な面持ちで聞いてきたのだった。「じゃあ、誰が病院でママについているの?」、と。え、私のこと心配してくれてるの?「ムゥもこれでなかなか頼りになるからな」とかダディンに言われ、頷くように俯く息子の様子に、涙が零れそうになった。とはいえ、目の周りは湖を取り囲む山脈のように腫れ上がっているせいで、涙はどこに流れることもできず、ただ目の際に溜まってしまったから、実際に零れるという現象は起きなかったのだけれど。早速、夫は息子の学校に欠席の連絡を入れた。母親に付き添って病院に行くから欠席する、と馬鹿正直に話す夫を横目に、そんな欠席理由じゃ…と訝ったけど、学校側の方はすんなり納得しているらしい。なんとなくお国柄を感じてしまった。大病院の急患待合室はやはり今日も混んでいた。今度は娘の方が面談はキャンセルしてここで一緒に待つと言い出した。母親が一晩でこんな顔になってしまったのに面談なんかしている場合じゃないだろうと涙ぐんでいる。娘の気持ちはありがたかったけど、先生方との三者面談を今更ドタキャンしてもらいたくなかったので説得して送り出し、息子と二人待合室で待った。それにしても、子供たちをこれほど動揺させてしまう私の顏って…そう思ったら、人目が気になってきて、顏をあげられなくなってしまった。なにやら変な呻き声がすると思ったら、二十歳くらいの男の子が脇腹を抑え、泣いていた。ブロンドの長髪でストリートファッションに身を包み、付き添った男の子は黒づくめ。街角にいれば、俺らってクールっしょってタイプの兄ちゃんが脇腹を押さえ、身も蓋もなく呻き、泣いているのだった。よほど痛いに違いない。そう思ったら、その兄ちゃんがほんのいたいけない子どもに見えてきた。思わず駆け寄って、「Can I help you?」と声をかけたくなってくる。その脇腹に手を翳し、霊気でもしてあげたくなって堪らなくなってしまった。けれど見ず知らずの、それも顔が真っ赤にパンパンに腫れ上がったおばさんから手など翳されてしまったら怖いだろうと思い直す。そうこうする間も彼の呻き声は高くなり、息子まで「どうしてここは病院なのに誰も来てくれないの?苦しんでいる人たちを助けてくれないの!?」と動揺しだした。「ママ、声かけてこようかな?せめて霊気でもしてあげようかな?と思うんだけど、どう思う?」と、息子に聞いてみたところ、言葉に詰まった後おずおずと答えた。「やっぱり、ママは、止めといた方が良い・・・と思う」だよね。やっぱ逆にビビルよね…。病院のスタッフか、健康な付添人か誰かが代わりに声をかけてくれないかと思ったけれど、やはりスタッフは忙し過ぎて、待合室で待つ人たちは、たぶん私同様どうしていいのかわからないのだろう。気の毒に、今や彼は固いベンチの上でのたうちまわり、息子も怒りを堪えるあまり小さな拳を握りしめガクガクと震えている。「どうしてなの、ママ?ぼくのときはいつもそんなに待たずに病室に入れてもらえるのに、どうしてあの人はあんなに苦しんでいるのに放っておかれるのっ?なんで誰も手当てしてあげないのっ!?」それでムゥが子どもであることと、喘息の発作は生命に関わる危険があるためプライオリティ扱いで、優先されていることを説明する。あの人の場合、苦しそうだけど、命に別状はないと判断されたのかもしれないね、と。いずれにしても、ここでムウが怒っても悲しんでも彼の助けには全くならないし、自分にも良くないから、とにかく今は天に助けを頼もうと言い聞かせた。私もせめても祈り、遠隔で霊気を送っていた。ようやっと名前を呼ばれ、診察室へ。看護師に聞かれ、症状を説明する。ここまでくればもう一安心って気がした。この人たちは前回、どんなに痛みを訴えても悠長に腸の検査などを勧めていた呑気な近所の専門医からは一線を画し、直ちに病名を当てた緊急医療スタッフのメンバーなのだ。きっと今回もずばりと病名を言い当て、適切かつ迅速な対応をしてくれるに違いない、と。それから待つこと数分。今度は専門医が現れた。診察ブースに連れられ、早口で矢継ぎ早に問診が始まった。ここでは、患者たちは耐えて待つのが仕事のようなものだけど、スタッフはめちゃめちゃ忙しいので、何もかもが猛スピードで行われてゆくのだ。私は、何かの原因で皮膚が炎症を起こしてしまい、真っ赤に腫れ上がってしまったのだろうと思っていたのだけれど、アレルギー反応だろうと診断された。今までどんなアレルギーがあったか?と問われ、仰天してしまった。自分にアレルギーがあっただなんて…、長いこと生きてきたけれど、今の今まで知らなかった。「でもママ、花粉症は? あれもアレルギーなんじゃないの?」と息子が、動揺する私を見兼ねたのか、横から口を挟んでくる。そうだ、思い返せば、去年初めて花粉症だと言われたのだった。それだって寝耳に水。それまでアレルギーの類とはとんと無縁だと思って生きてきたから驚いてしまったのに、それが…そのアレルギー反応の原因を探るべく、早口で質問は続く。最近、何か変わったものを食べたことは?新しく使い始めたクリームや化粧品とかは?何か珍しい野生の種とかに触れましたか?何も思い当たることはなかった。でももしかして、野生の種子とか虫刺され?この週末に田舎を旅行して国立公園に行ったことを告げたけど、月曜の昼には発っていたので、症状が出るには期間が長すぎるだろうと言われた。それに砂丘は初めてだったけど、そういう場所に行ったのは初めてではなかったし…。結局、原因と思しき要因は何も見つからなかった。とにかく後日、詳しいアレルギー検査を受けることにして、まずは応急手当てにアンチヒスタミン剤を服用するようにと言われた。「それを飲めば、とりあえず痒みや痛みの症状は和らぎます。顔の腫れはそのうち自然に引くでしょう。ただし呼吸が苦しくなってきた場合は非常に危険ですから直ちに言ってください」、と。「え…、腫れは自然に引くのを待つしかないんですか?顔の腫れに効く薬とか処方してもらえないんですか??」「ですから、腫れの方は自然に引くのを待つしかありません。とにかく、生命に関わる問題ではなさそうなので大丈夫です。ただしこれから症状が悪化しないよう1、2時間様子を見るためにこのまま病院に残ってください」大丈夫って…、こんなエレファントマンかお多福マン顔なのに、全然、大丈夫なんかじゃな~~~い!正直、私的には呼吸よりも、この恐ろしい顔の腫れを何とかしてもらいたかった。。。訴えても埒が明かなそうなので、診察ブースを出て、看護師さんが薬を持ってきてくれるのを待つ。それにしても、アレルギー反応だなんて、いったい何にアレルギーを起こしてしまったんだろうか?ぐるんぐるん回る頭で考えていた。そのとき受付スタッフの会話がす~っと耳に飛び込んできたのだった。「カルマよ」と女性が呟き、「バッド・カルマね」と、もう一人が頷いた。ふっと旅行中、帰る間際に怒りを爆発させてしまったことを思い出した。月曜日、メルボルンはLabour’s Dayで休日だったのだが、ダディンは日本のカレンダーで仕事をしているので早めに帰ることになっていた。それでも午前中は国立公園に戻ってビーチピクニックにでもして、と朝食をとりながら皆で話し合っていた。けれどダディンがそのうち焦ってきたので、私たちは近くのビーチにちょっと寄ってからメルボルンに帰ることにして結局、先にホリデーハウスを出たのだった。それが、ダディンときたら子どもたちと一緒に巨大な砂の城を作り始めるや、動かなくなってしまったのだった。ちょこっとどころか、かれこれ1時間。行こうと言っているのに、もうすぐ完成するからといつになってもグズグズしている。寒いし、ビュンビュン海風は容赦ないし。こんなことならみんなと一緒にビーチピクニック行って、記念写真も撮ってくれば良かった(まだ全員写真は撮れてなかった)。などと、じりじり待っていた私は遂に夫に切れてしまったのだった。後から考えてみれば、そんな怒りまくるほどのことでもなかったのだけど、自分でもびっくりするほどの激しい怒りが湧いてきた。どこから来たのだろう?と訝ってしまったほどの獰猛な怒り。ビッキー(仮名)たちが私たちを追ってビーチまでやって来なかったら、私は浜辺で拳を振り上げ怒鳴りまくっていたかもしれない。さすがに彼らの前で怒りまくることは抑えたものの、初めに来たハリ君(仮名)などは怒る私を目の当たりにしてしまったようで、母親の陰に隠れるようにして私のことは見ないようにしていたのだった。。。あのとき、怒りの対象はダディンだったのに、私は子どもたちや、全く関係のないハリ君を傷つけてしまったのだろう。。。「カルマよ」「バッド・カルマね」受付の女性スタッフの会話に、そのときのことを思い出していた。唐突に思った。もしかして、あのときの怒りが原因で?いぃや、まさか。調べれば、もっとフィジカルな何かがあるハズだ。だけど思い返してみれば、私はひどく怒った後に体調を崩してしまうことが多い。もしかして、自分は怒りにアレルギー反応がある、とか???怒りは有害である。仏教の根本的心理学。実際、自分が怒ったとき、それを分析すればするほど有害だとは思う。有害だと認識している。だけど怒りの衝動はあまりに強い。私たちは怒っているとき、その怒りの感情に振り回され、理性や英知の声に耳を傾けようとしない、無視してしまう。それも怒りの本性だ。薬を飲み、待合室に戻されるとき、ダメ元で看護師さんに、あの泣きながら呻いていた男性のことを頼んでみた。間もなく彼が呼ばれたときにはホッとした。けど、脇腹を抑え、呻きながら足を引きずる青年を見るや看護師さんは呆れたように言ったのだった。「あなた、また戻ってきたの~」出戻り?いったい彼は前回、何をしでかして戻ってきたのだろうか???いずれにしても、見てもらえてよかった。息子も安心したらしく「良かったね~」と俄かに寛ぎ始めていた。その息子なのだけど、自分は学校を休んでまで母親に付き添っているという責任感からか、いつもはだら~っとしているのに、今日はびっくりするくらい神妙だった。診察室に行くときには荷物を全部持ってくれたし(中に入っているのはほとんど息子の漫画本とお菓子だったけど)、問診では、私の英語のアクセントをフォローしようと、私の言うことをいちいち言い直して医者に再度伝えてくれたし(苦笑)。そのあまりの真剣さがかわいくて、思わず吹き出しそうになってしまった。て、そんな場合じゃないだろ。この続きは『目覚めたら、顔ハレ…(後編)』でお読みください。写真は、ホリデー最終日に少しのつもりで立ち寄った「怒涛のビーチ」で(苦笑)、ダディンと子どもたちが作り始めた砂の城デス。城はこれからますます増設されてゆくのでした。
2016.03.23
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3月23日の日記『目覚めたら、顔ハレ・・・(前編)』の続きです。そちらからお読みください。(^^)その後30分くらいしてから、急患のベッドに案内された。そこからまた今度は病室のベッドへ。今度は若い中国系の医師が診察にやってくる。彼は、さっきあなたを診察したオージーの医師は自分のボスだと自己紹介をした後に同様の問診を始めた。でも彼の方は時間があるらしく、口調もゆっくりで、テンポもスロー。で、訛りもあった。実際、ネイティヴでない者同士の会話はとかく支障も多いのだけれど、そのぶん息子が張り切って会話に入ってきた。韓国人だという若い看護婦さんも立ち合ってくれたのだけど、息子が何か言うたびにいちいち「He’s so cute!」とウケてくれるので、ムゥもますます張り切ってしまって、通訳にも力が入っていた。さっきの問診より4倍か5倍は長く話し続けたにもかかわらず、進展は無し。原因不明で、とにかくこのまま様子見となった。そうこうする間にも私の顔はますます腫れ上がってきて、痛いわ、痒いわ。様子を見に戻ってきた、さっきの若いお医者さんに伝えると、今度はアンチヒスタミン剤に加えてステロイドの錠剤を持ってきてくれた。けれど三者面談を終えたダディンと娘が病院に戻ってきたときには、顔の腫れはますます酷くなり、視界ももはや上半分が見えなくなっていた。腰を屈め様子を聞いてくるダディンの顔も良く見えなかった。入れ替わりでスタッフが様子を見に来てくれたけど、改善は全く見られなかった。お腹を空かせた子どもたちがダディンと一緒におやつを買いに行ったとき、シニア・ドクターだというオージーの女医さんが現れた。彼女は、私の症状に生命の危険性が見られないことを強調すると、アンチヒスタミン剤の処方箋とアレルギー検査を手配するための紹介状を手渡し、これをもって週明けにGPのところに行くようにと告げた。そこにはアンチヒスタミン剤2錠の4日分が処方されていたのだけれど、既に今日の分は全て飲んだにもかかわらず未だに少しも改善が見られないので、この量で大丈夫なのか?と不安が過る。症状が少しも改善されていないことを訴えたけれど、腫れの方は週末には引くハズだからと取り合ってもらえなかった。午後に入って病院はますます混んできたし、アレルギー反応なんかでいつまでもぐだぐだとベッドを占領されては困るのだろう。しかも家族4人…このブースの人口密度、えらく高くなってしまったしナ。その夜は、シニア・ドクターから言われたように、横になっている間に水分が移動してますます顔が腫れ上がってしまわないように(でもこれ以上腫れることなんてできるんだろーか?)、枕に特大クッションを3重に重ねて、頭を高くして眠ったのだった。翌朝、けれど顔はますます腫れていた。つーか、厳密には腫れがまんべんなく広がって、より広大にパンパンになったって感じね。昨日起きたときには額や瞼のあたり、頬や顎、首などが部分的に腫れ上がっていた。それでところどころに深い皺が刻まれていたせいで、パンパンに膨れ上がっている割にはどこかエレファントマンって感じだったけど、今朝はまんべんに、あますところなく腫れあがり、お多福マンぶりを徹底させていた。ぐすん…。息子を起こしに行ったら、いつもなら起き抜けは超不機嫌な彼がにっこり笑ってくれた。「大丈夫だよ、ママ。いつかは治るからね。それに、ママは、どんな顔だって、ママだから」そうして自分からてきぱきと学校へ行く準備を始めたのだった。ありがとう、ムゥ。そうだよね、どんな顔だって、私は私だよね。でも、この顔は、嫌だ…かなり。そうして土曜日の朝―治るどころか、顔の腫れはますます酷くなっていた。額と上瞼の腫れだけは幾分引いてきたのだけれど、下瞼はもっと酷くなり、視界の下方はよく見えなかった、目薬を入れても腫れで拭えないし、顔全体が突っ張りまくって痛い。腫れのせいか耳鳴りまでしていたし、歯を磨くのも食べるのもしんどかった。こんな状態で来週、日本に帰ることができるのだろうか?とふと思う。実は来週金曜から3週間ほど日本に帰ることになっていた。母のことも心配だったし、来年から娘のVCE(大学受験なのだけど彼女の場合3年間なのでやたら長期)も始まるので、ジェットスターのセールが出たとき思い切って帰ることにしたのだった。桜の日本などほんと何年振りなので、私も子どもたちもとても楽しみにしていたのだった。だけど、この顔じゃあ…こんなに膨れ上がってしまった顔で飛行機など乗った日には、もしかして、気圧の関係で顔が破裂してしまうんじゃあ…?うっぎゃぁ~~~「ママ、顔はど~う?」と、起きだしてきた娘に、「ママ、こんなんで日本に帰れるのかな?」と不安を零すと、娘の顔色がさっと変わった。「顔が腫れ上がったくらいで帰れないのっ!?」と動揺している。娘は今回ジブリ美術館に行ったり、ジブリ関係のDVDを買おうと私以上に日本行きを待ち兼ねていたのだった。「そんなの、初めからこういう顔だったって言えばいいじゃないの!」「だけど、パスポートがあるんだよ。写真見ればすぐわかっちゃうじゃないの」と、私。「それより、飛行機会社の方から拒否されるかもしれないな。症状が悪化して呼吸困難にでもなった場合、機内では対処できないから」と、いつのまにか起きだしたダディンも話に加わっている。「医者に大丈夫だって診断書でも書いてもらえれば別だろうけど、その顔じゃ…後で訴えられても困るし、誰も書いてくれないんじゃないかな?」確かに、自分ではその可能性は限りなく低いと思うものの、アレルギー反応から呼吸困難を起こすことはあり得ないとは言い切れまい。そんなことになったら、飛行機会社はもちろん他の乗客の皆さんにもご迷惑をおかけしてしまうだろうし…。それにしても、ダディンの「その顔じゃ」って辺り、ムカつくゾ。おっと、いけない…、怒りは有害。「ママ、顔ど~お?」とそのうち息子も起きだしてきた。「大丈夫だよ、ママ。ぼくはママのそういう顔にももう慣れたからね。もうずっとその顔でもいいんだよ」私はちっとも良くないゾ!と言いたいのを堪え、「ありがとう」と笑ってみせた。それにしても当時、鏡で確認したことはなかったけれど、あの顔で醸し出された微笑って、どんな微笑みだったのかナ?息子には、日本行きが危うくなっているという話は恐ろしすぎて言えなかった。彼は彼で、日本でポケモンやかっぱ寿司やドラえもんの春休みロードショー『のび太の新日本誕生』なんかに囲まれ、誕生日を迎えられることを何よりも楽しみにしているのだから。どうしよう…。来週の今頃はそろそろ成田空港に着くハズなのに…。明日まで待とうかと思ったけれど、待てばよくなるとも思えず、病院の急患へ戻ることにした。土曜の午前中の急患は目茶込みだろうと覚悟していたのに、どうしたことか、空いていた。待合室には一組の姿しかなく、そのまますんなりと病室の方に案内されてしまった!?これまでも息子のアトピーや喘息の発作で何度も来ていたけれど、こんなことは初めてだった。手が空きまくっているせいか、スタッフも皆親切で、事細かに対応してくれた。インド系の、でもアクセントはほとんどないから子どものころに移住したのだろうと思しき、シニア・ドクターが診察に当たってくれた。診断は前回と同様の内容だった。確かに症状に改善は見られないものの、呼吸に問題がないので、生命に対する危険性はないだろうこと。症状の方は、時間はかかるかもしれないけれど、そのうち自然に引いていくと思われること。それって…、このまま待つしかないってことですか?もっと強い薬とか処方してくれないってことなのっ?今度こそはと期待していたぶん、全身の力が抜けていくようだった。「来週、日本に帰ることになっているので、彼女は帰れなくなってしまうんじゃないかって心配してるのですが…」と、子どもたちが土曜のジャパニーズスクールに行っているので、今回は私に付き添ったダディンが横から口を挟んでくれた。「大丈夫よ」と、女医さんは言ってくれた。「Japan’s still there. 日本は、なくならないから」と。絶句してしまった。木曜日に診てもらったときは、「この週末には腫れも引くだろう」と言われていたので、てっきり彼女も、「それまでには大丈夫よ」と言ってくれるだろうと思っていたのだった。「そのうち自然に」治るということは、どれくらいかかるということなのだろう?いったいいつになったら、この恐ろしい顔の腫れは引いてくれるのだろうか?「いったい私の顔は、治るんですか?」思わず尋ねた声が震えてしまった。切羽詰まったあまり、下瞼の腫れで流れもしない涙が逆流してしまったかもしれない。私の動揺に焦ったのか、「大丈夫よ。心配しないで」と女医さんは肩に手を置き言ってくれたのだった。「薬を増やしましょう。他の医師たちにもそれでいいか確認を取ってくるから」、と。結局、ステロイド剤の処方に加えて、アンチヒスタミン剤も2倍に増えた。アレルギー反応の検査の方もプライオリティがかかり、GPを通すことなく病院の方で直接手配してくれることになったのだった。戦利品(新たな処方箋)を手に駐車場で車に乗り込んだとき、隣の車で何かがキラリと輝いた。車のバックミラーに、かなり大きなトンボのガラス細工がかかっていた。トンボはきらきらと踊るように陽光を反射させていた。昔私はシャーマンから、あなたのガーディアン・アニマルはトンボだと言われたことがある。だから日々の生活のなかでトンボを見かけたら、それは天からのメッセージだと思いなさい、と。あのときは、「守護動物」とかいってトンボは動物じゃないだろ、あり得ないだろ、そんなの、とか鼻を鳴らしたものだったけど、以来トンボは事あるごとに登場してくるようになったのだった。あたかも天からのメッセージを伝えるかのように絶妙なタイミングでシンクロニシティ的に現れるのだ。陽光を受け、きらきらと輝き揺れている、そのトンボのオブジェを見ているうちに心が安らかになってきた。隣で車のエンジンをかけたダディンに感謝の気持ちが湧き上がってくる。あのときは夫に怒りまくってしまったけれど、この人は今はこうして私を助けてくれている。私たちは誰かに対して怒っているとき、その限られた時間や状況だけを固定して、怒りまくってしまう。その人が過去にしてくれた親切など他のことは一切忘れ、なかったことにして。怒りの感情はあまりに狭量で全体から離れ歪んでしまうというけれど、ほんとにそうだと改めて思った。じわじわと感謝の気持ちが湧き上がってきた。さっきの女医さんに、ダディンに、家族に。大丈夫だ、とふっと思った。必ず治る、日本にも帰れる、と。自分に対する肯定的な思いも湧いてきた。今回、こんな顔になって改めて思った。それまでは、また太っちゃった~とか、皴が、たるみが・・・などと自分を否定的に見ていたものだったけど、その、自分の見慣れた顔を今どれほど懐かしく愛しく感じているか、を。病んでみて、初めて気づく。そうして今度こそ自分の面倒もきちんと見ようと心に誓った。毎日やることは山積みで、いつも慌しく飛び回り、自分の心や体の面倒を見ることは後回しにしてしまうけれど、自分が病気になってしまっては、やろうと思っていたこともできない。子どもたちや犬たちや、誰かの面倒だってみれない。まず自分をケアすることは基本なのだ、と。11月に緊急入院になってしまったときも思ったことだけど、いやぁ、喉元過ぎれば・・・になっていたような気がします。以来、強力な薬のおかげで、症状は徐々にではあるけれど緩和されつつある。顔の腫れもじわじわと上の方から引いてきて、翌日には瞼の肉に埋もれていた目が戻ってきた。月曜には顔半分がふつうに戻り、火曜の今日は、パンパンまるまるお多福マンからパンパンお多福おばさんくらいに戻りつつある。たぶん明日には、太ったお多福おばさん辺りにはなれるだろう。アレルギー検査は、結局日本から戻ってからされることになった。自分が何にアレルギーがあるのかはわからないけれど、もう2度と怒りを爆発させたりはしない、と今更ながらに思っている。霊的観点からいって、自分に怒りに対するアレルギー反応があろうと、なかろうと。思い返せば、自分は子どものころから短気だった。英語で「腹を立てる」は「get angry」と表現されるけど、I don’t get angryもう2度と怒りはゲットするまい、と。いやぁ、日々行デスな。日本の桜、見えるといいな。写真は、週末旅行で行った国立公園で出くわした野生のモンバットです。夜行性だと思っていたけれど、保護区という環境からかアフタヌーンティーを楽しんでいました。
2016.03.17
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