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先日オルガニストさんのピアノを、遠くからちょこっと小耳にはさむ機会がありました。まるでそれはアップライトピアノの音ではなく、壮大なオルガンでした。全ての声部がはっきりと立体的に聴こえ、ピアノの音かと思うほどそれぞれの音が伸びていました。「楽器」というものは、演奏者のイメージを伝える「道具」であるのだなあ、とつくづく感じました。それと同時に、岡本佳津子先生の「ルスカヤ」を思い出しました。岡本先生は、私の通っているカルチャーのバレエ教室の本部、井上バレエ団の代表で、日本を代表するバレリーナのひとりです。その時たまたま岡本先生とお話しする機会ができて、「発表会は何を踊るの?」と聞かれ、「ルスカヤです。」と答えたら、「ルスカヤね。」とおっしゃり、ほんの4小節くらいを口ずさみながら、何気なく「ルスカヤ」の動きをされたのですが、その瞬間、時間も空間もすべてが変化して、ロシアの、天井の高い、きらびやかな宮殿と、着飾った人々、そういったたくさんのものがいきなり私の中にイメージされて出来上がりました。実物の先生はジャージに近い格好なのに…。アーティストの創り出す世界というものは、つくづく凄いものだなあと思いました。見えないものまで見せてしまう力、聞こえるはずのないものまで聴かせてしまう力、まるで魔法のようです。楽器やテクニック、それは創り出すものの「道具」でしかないのですね。「人間」というのは、どこまでも創り出すことのできる、すごい存在だなあと思います。
2009年12月26日
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先日、私の所属するアレクサンダー・テクニークの学校、BodyChanceの卒業式&忘年会が行われました。私は主賓である、卒業する生徒のうちのひとりでした。もうひとりははるみさん。ふたりとも音楽大学出身である、アレクサンダー教師の誕生です。私はおそらく5年くらい学校に在籍していたのですが、とても妙な気分です。アレクサンダー・テクニークに出会って以来、これを無視して生きることはできないと勉強を始め、ひたすら興味の赴くまま過ごしてきた5年でした。あまり「アレクサンダー教師になる」というはっきりとした目標はなく、心配していたのは学費の面だけ。時間とお金を作るためにアルバイトをしたり、いろいろと自分でできることはしてきましたが、いつの間にか不可能だと思っていたことが可能になっていました。アレクサンダー・テクニークを教える勉強が始まったり、環境や学ぶ内容は変化し続けていますが、私は常に学んでいる「過程」にいます。だから「卒業」って、期待していなかった「おまけ」のような気分です。卒業したからって「過程」から離れるつもりはないし…。なんか、妙な気分です。お祝いしてくださったたくさんの皆さま、ありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いします。
2009年12月16日
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アレクサンダー・テクニークのレッスンは、私にとっての「教えること」、「学ぶこと」の根本的な概念を覆しました。ティーチング(教えること)の勉強を始めて、その意味を以前より深く考えるようになりました。もちろんはっきりとした答えが出るわけではありませんが、自分にとっての「教えること」の意味を常に考えるようになりました。そして今、「教わること」について考えるようになりました。私にとって「教わること」「学ぶこと」は、すべて受動的だった気がします。もちろん自分なりに真剣に学ぼうとしたり、考えていたつもりだったのですが、最終的な判断を自分以外の外のものに求めていたような気がします。自分が何を求めていて、何を必要としているのか、というよりも、自分に何が求められていて、自分に何が足りないのか、ということばかり考えていました。自分が手にしてゆく知識に対して、責任を持っていなかったと思うのです。知識や情報は、何気なく判断もしないで受け取っていますが、それは意外と自分の可能性を狭めているかもしれません。今日読んだ「ピタゴラス伝」からの抜粋「難しきこと最たるものは何か?」 答は「おのれ自身を知ること」「易きこと最たるものは何か?」 答は「習慣へのしたがい」私にとってのアレクサンダー・テクニークを学ぶ事は、まさに「難しきこと最たるもの」であります。
2009年12月02日
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