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2012.08.30
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カテゴリ: 昭和期・後半男性

『コインロッカー・ベイビーズ・上下』村上龍(講談社文庫)

 「コインロッカー・ベイビー」、いわゆる駅構内などのコインロッカーに、生まれたての嬰児、あるいはその死体を遺棄するという事件は、1970年代前半に同時多発的に起こり、一気に社会問題化したということですが(この作品の主人公「ハシ」と「キク」が、コインロッカーで発見されたのも1972年という設定です)、その後、この手の事件はどうなったんでしょうか。

 あの頃に比べて、嬰児遺棄が少なくなる環境に現代がなっているとも思えませんし、コインロッカーに捨てにくくなった、何か特殊な装置がついたのでしょうか。或いは逆に、現在ではニュースにもならないくらい、しょっちゅうそれは行われているのでしょうか。

 先日たまたまNHKで、捨てられた子供達の乳児院のドキュメントをしていました。嬰児遺棄は、確かに現在でもあります。
 「赤ちゃんポスト」というのが、マスコミで話題になったのは確か5、6年前だったと思いますが、さっきちょっとだけネットで調べてみたら、現在でもそれはあるということでした。赤ん坊は捨てられ続けています。

 また、嬰児遺棄に近いところに「ネグレクト=育児放棄」というのもありますね。
 これもついでにちょっとだけ調べてみたのですが、いろんなケースがあるようです。例えば、学校に行かせないとか、病気になっても病院に診せないとか、食事を与えない、寒くても服を着せない、風呂に入れない等、ちょっと想像しただけで、胸が締め付けられるようで、うんざりしてしまう事例が挙がっていました。

 嬰児遺棄の話題に戻りますが、先日私は、作曲家ビバルディの頃のイタリアの孤児院を舞台にした小説を読んでいました。
 それはピエタ慈善院のことで、この孤児院の制度は1300年代からあったそうです。(ビバルディは17~18世紀の人ですが。)
 既にそんな時代から、広く子供(嬰児)の遺棄は、まぁ、考えれば当たり前かも知れませんが、あったんですね。(そう言えば日本でも確かもっと昔、聖徳太子がそんな施設を作ったりしていなかったでしょうかね。)

 だから嬰児遺棄自体は、珍しくないといえば、珍しくないのかも知れません。
 例えその舞台が、いかにも都会的なコインロッカーであったとしても。
 本作品中にも、主人公達と争う登場人物が、コインロッカーに捨てられたくらいで威張るな、とどなるセリフが出てきます。

 しかし、この『コインロッカー・ベイビーズ』というタイトルは、とっても秀逸ですよね。また、私の読んだのは、上下巻になった講談社文庫版ですが、この表紙絵も素晴らしいです。確かこの表紙絵は、最初の単行本のものと同じだったと思いますが、都会的でセンスがあって、そしてとてもエネルギッシュです。

 というふうに、「コインロッカー・ベイビー」を特殊なものじゃないと考えてしまうと、この話のエネルギーの源泉はなくなってしまい、ストーリーのリアリティを担保しているものが急に失われてしまいます。
 実はこの小説が後半失速気味になるのは、明らかにそのせいであります。(ただし、後半失速は、この作家の長編作品に広く見られる、まぁ、持ち味といえば持ち味に近いものではありますが。)

 というふうに、作品として瑕疵は認められつつも、しかしこの作品の持つ、圧倒的なパワーとイメージは、ほとんど現代小説に他に比較するものを持たず、驚かざるを得ません。
 例えばこんな表現。

キクは鳥の鳴き声のような細く高い音に気付いて水溜まりから顔を上げた。右目のすぐ横を殴られたらしくて視界は白く濁っている。路地に集まった人々が歪んで見える。聞こえてくる鳥の鳴き声がゆっくりと旋律に変わった。始めてハシが歌っているのに気が付いた。赤土の地面に跪いたまま、ハシは歌っている。不思議な声だ。とても小さなスピーカーから響いて来るような声質、部屋の片隅に転がった電話の受話器から漏れている音に似ている。ハシの歌声は流れずに立ち込める。旋律を発する極薄の膜が耳を包み込んだようだ。弱々しく感じられる音は肌に張り付き毛穴から体に侵入して記憶の回路を揺さぶった。振り切ろうとしてもだめだった。歪んだ視界が色を失い匂いや温度が切り離されて、ハシの歌の旋律が作る幻覚が現れた。自分がどこにいて何をしているのかわからなくなってくる。回りの空気が重く体に絡み付き、ヌルヌルした海底へ引き摺り込まれるようだ。キクは真黒な馬が夕暮れの公園を疾駆する情景に捕えられた。映像が浮かぶのではなく、その情景が描かれた絵の中へ強引に引っ張り込まれたのだ。黒い馬はオレンジ色の逆光を浴びて恐ろしい速さで木立ちの間を駆け抜け、いつの間にかいななきが爆音に変わり、滑らかに輝く産毛が金属となり、銀色の窓ガラスの谷間を走る大型のオートバイに姿を変えた。猛烈な速さで移動するオートバイを追って、その情景を映す視点が同じ速さで動く。空中に張ったワイヤーロープに吊るしたカメラを時速二百キロで滑らせ、撮影したフィルムを観ているようだ。不安になる。恐ろしいスピードで移動しているのが何なのか、わからなくなった。自分なのか、カメラなのかオートバイかそれとも周囲のビルディングや街路樹や窓灯りなのか。キクはこの不安できれいな幻覚から逃れようと思った。

 少し引用が長くなってしまいましたが、実は本作は文庫本上下500ページほどのすべてが、こんなイメージの洪水と言葉のオーバードライブで成り立っているといって間違いではありません。
 これだけ書き込まれると、そこに書かれたプロットに少々破綻があろうが、この恐ろしいパワーに、やはり筆者の特殊な才能を感じずにはいられません。

 かつて三島由紀夫は、小説の美は細部に宿ると言いましたが、本小説の描写も、いえ、本小説のこんな描写こそが、細部に宿る美の一つの典型なのかも知れません。


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Last updated  2012.08.30 07:55:32コメント(0) | コメントを書く
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シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

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