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目の前の問題に一所懸命に取り組むNHK朝の連続テレビドラマのモデルになった吉行あぐりさんは、「もし私の人生に取り柄があるとすれば、そんなに頭が良くなくとも、世間知らずでも、これだけは自信を持って言えることが一つだけある。それは、私はいつも目の前の問題で真面目だったし、一生懸命だったということです。真面目に一生懸命にやっていれば、苦しいとか辛いとかはどこかに吹っ飛んでしまって、面白く楽しいことが次々と目の前に現れるものです。真面目で一生懸命でありさえすれば、必ずそれなりの人生に恵まれるものだということを、しみじみありがたく感じます」と言われました。そして、誰の言葉かは忘れたが、「身は老いても、心はいまだ老いず」という、この言葉の心意気で、来るときが来るまで張り切っていこうと思いますと、90歳になられても自分一人の美容院を開いて、イキイキと人生を楽しんでみえます。目の前のことだけに真面目に一所懸命に取り組むというのは、実は簡単そうでなかなか難しいものです。私たちは「今、ここ」にある現実を肯定的に受け入れずに、「失った過去を嘆き、未だ来ぬ未来を心配」して、現在にマイナスの意識を持ち込みがちです。
2009.10.30
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この一瞬にかける京都では春になると、都おどりなどの京おどりが華やかに行われます。その舞の稽古は厳しく、お師匠さんが直接に教えてくれるのはたった一度だけです。だから皆が必死になって覚えます。どうしてもわからないところは、床に頭を叩きつけてお詫びしてお願いをするが、それでもなかなか教えてもらえない。二度目をお師匠さんは黙って見ているだけ。三度目は音についていく。それでも覚えられないと、置屋のお母さんまで呼び出されて一緒に叱られる。しかも、稽古に一分でも遅れから一万円の罰金です。一期一会ではないが、思えば人生はすべて一度きりでやり直しはききません。常に本番で、またという機会はありません。その命の厳しさを、舞の稽古に託したのだろうか?松下幸之助さんも、記念撮影などを何枚も撮ろうとすると、「真剣さが足りない。一度で気合いを入れてやれ」と言われたそうです。私たちはとかく、「わからなかったらまた聞けばいい」とか、「失敗してもいいように何枚か撮っておこう」と考えたり、「一分くらい遅れても」と甘くなりがちで、つい真剣さが足りなくなります。舞妓や芸子さんの厳しさを学びたいものです。
2009.10.30
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ウサギとカメウサギとカメのおとぎ話で、あなたはウサギとカメとどちらが理想だと思いますか?ほとんどの方は、カメと思いながらもウサギ的な生き方をしていませんか?ウサギとカメとが同じ時間だけ走るとしたら、ウサギはずっと遠くまで行けるのは明らかです。ところがウサギの足は速いが、それは短い時間をとってみたときのことで、ずっと走り続けることはできません。カメは休まないでひたすら歩き続けることができ、ウサギよりもうんと長生きします。そうすると、一生に歩く距離は、カメの方が長いかもしれません。私たちは目先だけに忙しく走りで回りがちだが、それでは長い目で見たときに大きな成果を得ることはできません。そこで昔から「急がば廻れ」の諺が世界的にあります。ゆっくり行くことを怖れるな(中国) ゆっくり行く者が遠くまで行く(イタリア)急ぐならもっとゆっくりせよ(英) 急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)ゆっくり行く者は確実に行く(仏) 遅くても全然しないよりは良い(独)別にノロノロしろということではなく、良い結果を得るには「慌てず、じっくり、腰を落ち着けて」段取りをし、一つ一つ確実に片付けていけという教訓だと思います。
2009.10.29
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小さな事を続けるコツ「日本を美しくする会」の掃除運動が全国に広がっているが、一般にはなかなか続かないのが悩みです。「どうしたら継続できるのか、何十年も継続できる秘訣を教えてほしい」という質問に、「しいて言えば、そのコツはコツコツという二つだけ」と鍵山秀三郎さんは冗談を言いながら、それは工夫をすることだという。掃除なら「あ、掃除か、わかっている」と言って、ありきたりの道具でやる。誰でも単純なことは、「そんなことは分かっている」と言って、いつも同じことを同じやり方でやっていれば、誰だった飽きてしまってなかなか続かない。続けるコツは、絶えず道具を良くしていく。使いやすい道具を探す。不便さを感じたらその不便さを解消する道具を工夫することです。それから、道具の置き場所をきちっと整理する。落ちないところを、どうやったら落とすことができるだろうかと思って工夫する。そうやって絶えず工夫を繰り返していくことが、継続の秘訣でありエネルギーにもなる。人間の工夫には限りがありません。何事も工夫しながら楽しく続けたいものです。
2009.10.28
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未だに人間関係の難しさには悩まされているが、究極の人間関係は結婚相手との関係だと思います。朝日新聞に、「結婚をやり直すなら、譲れぬ条件は」というアンケートが載っていた。1位 性格 52.4% (複数回答です)2位 相性 41.7%3位 愛情 37.9%4位 考え方 26.2%5位 姻戚 18.4%6位 収入 13.6%7位 容姿 9.7%その他、それぞれの結構生活を通した納得や反省をこめた内容です。1位から4位まで内面的なものが上位を占めています。確かに、心安らかに明るく、楽しく日々を過ごしていくには内面的なモノが大きく左右します。だが、内面的なモノはなかなか分からない上に、結婚前にはアバタもエクボに見えるが、熱が醒めてみればアバタはアバタでしかなかったと気がついたときは、「遅かりし由良の介」で手遅れということですかね?離婚理由によく「性格の不一致」が挙げられるが、これは「セックス感の不一致」だとも言えるのでは?皆さんはどうですか?
2009.10.27
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糸川秀夫先生は、45年かけて100%手作りのオリジナル・バイオリンを作られた経験から、新しいものをクリエイトするにはわりに時間がかかるので、「98プラス2」の方式を勧めてみえます。一口で言えば、1日の時間の98%は、今日、明日のために使う。あとの2%は、10年、20年先のために使うという方法です。1日のほんの2%(30分弱)であっても、チリも積もれば山となります。本業とは違う夢をもって、それに全力投球をするのではなく、人知れず静かにやり続けていれば、いつか花開くというわけです。一朝一夕にはできないような大きな夢を抱いて、それを本業に負担のかからない程度にやり続ければ、目の前の嫌なことに挫折したときの気分転換にもなるし、人生に目標を失うこともなく、イキイキとやっていけるのではないでしょうか?そんな大きなことでなくても、毎朝30分考える習慣を持つだけで、毎日の仕事の成果が違ってくると思います。そんな些細なことの積み重ねが、できる男、女を創ります。
2009.10.27
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ハンディキャップを楽しむ米沢慶応大学理学部教授は,「三人も子供を抱えながら、よく研究生活を続けられましたね」と周りの人からよく言われるそうです。「毎朝、京大へ行く時には、一番下の娘を背中にくくりつけ、その娘のための替えオムツと論文を入れたバックを抱えた左腕に真ん中の娘を抱き、右腕にはもう一人の手を引いて保育所まで届けた。夕方は買い物をして帰るので、荷物はさらに増えます。でも、いつも子供たちと大声で歌いながら保育所の行き帰りをし、子育てをとても楽しんでいました。子供を育てながら続ける研究を辛いと思ったことは一度もなく、子供を持つことによって視野が広がり、人間的にも成長できたし、それが研究にも反映しています。ただ研究者にとって最も重要なのは時間で、寸秒を惜しむというが、研究をしているときは本当には1分でも2分でも時間が惜しい。同僚の男性に比べたら、私の時間ははるかに限られています。でも、限られているからこそ、その時間に集中できるようになったのです」と語る。ハンディキャップの無い人はいません。何かを理由づけてハンディキャップとして逃げずに、そこに楽しみと意義を見いだすとき、素晴らしい成果が生まれると思います。◆蛍の里清滝の川石にはカワニナ(ホタルのエサ)がビッシリです
2009.10.25
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できない やらない星野富弘さんは中学の体育教師をしていたが、模範演技の最中に誤って首の骨を折り、首から下は手も足も麻痺してしまいました。「死にたい」と思ったことも幾たびかあったそうだが、生きる喜びを知ってからは、その喜びを詩や絵に表したいと頑張りました。最初は、口に筆をくわえて描いても、一本の線さえ満足に引けませんでした。苦労に苦労を重ねて、見る人の心を打つ素晴らしい絵を描かれるようになりました。美しい花の絵の横に、「私にとって苦しみにあったことはよいことでした」とあります。水野源三さんは十歳頃に熱病にかかり、脳性麻痺で寝たきりの身になりました。手も足も利かず、おまけに口さえ利かず、瞬きだけが彼の意志を伝える手段になりました。五十音表を指す母親の指先を見ながら、瞬きでつづったのが、四万にも及ぶ俳句、短歌、詩などの作品にはなりました。いくたびも ありがとうと声だして 言いたしと思い 今日も暮れゆく私たちは、何事も「できない」のではなく、「やらない」だけだと思います。
2009.10.25
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百点満点でなければダメなときもあるいつも努力しているのに、大事なときになると思いがけない不運に見舞われたり、大切なところで貧乏くじを引いたりしてしまいがちで、「自分は運が悪い」と嘆く人がいます。そんな人は、人生には時には「百点以外はダメなときがある」ことを知ることです。「努力を続けてきたという人の中には、常に八十点の努力を続ける人がある。確かに、その人の平均点は人並み以上どころか大変高い。ところが、百点以外はダメというときも八十点を取っていてはダメのである」と京都大学名誉教授の河合隼雄さんは言う。仕事の上でも同じで、誰かと交渉する場合など、ここぞというとき百点を取っておけば、それ以外は六十点でもいい。平均点は八十点と同じでも、その効果がまるで違ってきます。運動選手は、大切な大会に出場するときは、随分と前から調整していき、ここぞというときに全力を出せるようにします。そのようにしても、いざ本番というときに、持てる力をなかなか十分に出せるものではありません。人生や仕事でも、ここぞという時が必ずあります。その時には、十分に準備をして、覚悟を決めて臨むことです。「運が悪い」という人は、その辺を考えてみることです。
2009.10.23
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後一歩をどう超えることができるか龍村仁監督『ガイア・シンフォニー』の中で、佐藤初女さんの「この位までというところまでは誰でもできる。それを一歩越えられるかどうかだ」という言葉が頭に残ります。梅干しひとつ作るにしても、太陽と風を考えて干し方を変え、未だに満足しないと語る。和え物を作るにしても、スリコギでお客様のことを思いながら長い時間をかけて擦る。そこには、おのずと目に見えない味の差が生じると思います。もっと単純なことで言えば、例えば百メートルを走るのに、十秒を切れるか否かで金になるか否かが決まります。十秒を切れば主催者側が旅費や参加費持ちで招待してくれます。そのちょっとの差を、どう作り出すかがこれからの勝負だと思います。それには、「これくらいでいいや」とか「面倒臭い」とか言わないことです。トヨタ自動車の強さは、「乾いたタオルをさらに絞る」というほどの限りない改善努力にあります。(この頃では少し変ですが)もう一つは、「なんでもない何か」に気づく感覚だと思います。普段から「知る」ことで止まらないで、「これはこういう風に考えたらどうなるか」ともう一歩考える癖をつけることです。事実を知っただけで考えない人のイメージは、次第に先細りになってしまいます。
2009.10.22
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今日は時代祭の真最中、日本ミャンマー友好協会の知人の会で、ミャンマー実業家の話を聞きました。国土は日本の約1.8倍弱、人口は6500万人とも言われるが正式な統計はなく不明。主要な民族は7部族で、仏教徒が95%。中国、インド、タイ、バングラディシュ、ラオスと接している。南部は農水産物が主力で、北部にはルビー、金、レヤメタルなどの鉱産物が多い。・食料は豊富なので(米も2耗作)北朝鮮とは違う。・資金難、加工技術、加工機械がなく素材のまま輸出され、中国などは安く買いたたくために技術を教えない。日本に期待している。・正規の輸出以外に、国境を接する中国やタイに非公式に持ち出されるものが多い。ルビーなどの見本市でも、中国人が大部分で、後はタイなどの常連で談合も。密輸品を権威付けするために参加している。・港湾整備が遅れ、タイ側などに陸送されるので物流に問題があり、日本には3週間くらいかかる。タイとの国境までアジア・ハイウエーが開通し、今後は短縮される。ミャンマー側はデコボコ道だが、直ぐにでも整備は可能である。・治安は、仏教の戒律を守り安全。(タイ側からは危ないという情報が流されているが)・開国される前に、小さくても良いから椅子(場所)取りをするとよい。・事務職で月給3千円程度 事務所5万円(ビル)~15万円(一戸建て)程度。正式には報道されない実情が聴け、楽しい一時でした。なお、ルビーが有名だが、ミャンマーのルビーの年間産出量は約4万カラットと極めて少なく、タイ・カンボジア国境がその10倍程度、アフリカで約2万カラットと、世界中合わせても50万カラット程しかありません。年間産出量としては、ダイヤモンドの1500万カラット、サファイアの2000万カラット、エメラルドの300万カラットと比べると、これだけ有名で人気のある宝石としては桁違いの少なさです。しかも、最高級産地のミャンマーは常に紛争の危機にさらされ供給が不安定なため、最高級のルビーはどんどん値上がっています。ピジョンブラッド”鳩の血の色”と称される深紅の色合いは色の起因であるクロムの含有量が1%と高く、 暗い翳りの原因となる不純物である鉄分の含有率が低いためです。 また、比較的に柔らかな大理石の空隙の中で結晶が大きく成長出来たことも、 他産地とは異なる純粋で大きな結晶が採れる理由です。まさに、品質、希少性、価値など全てにおいて最高級品といえます。 しかし、ミャンマー政府が鉱山を国営化したため、産出が激減しており、加えて政局が不安定なため非常に入手しにくいのが現状で、 かなり高価なものになっています。◆水掛祭
2009.10.22
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集中力が総てを決める「成功するにはどうするか。これは極めて簡単なんです。自分の仕事の創意工夫をすること。今日よりは明日、明日よりは明後日というように、365日続けることです。それを1年、2年積み重ねているうちに、大きな成果が生まれる。また、前人未到の世界に飛び込むには、自分との戦いで、どのくらい集中力があるかで決まります。文献も何もない暗闇を航海するには、どんな騒音の中でも、針が一本落ちても気がつくぐらいの集中力と観察力がなければダメなんです。そういう意味では、学歴は関係ないような気がします」と京セラの稲盛和夫さんは語る。マラソンの瀬古利彦さんのコーチだった中村清さんは、「才能は有限、努力は無限」と喝破したが、能力がいくらあっても、集中力がないと仕事もうまくいきません。成果は【対策×実行度×熱意】で決まるが、トコトン対策を考える知力も、それをトコトンやりきる実行度も、総て本人に情熱があるか否かで決まります。強烈な情念から生まれる集中力なくして、何事もうまくいきません。そういう人は、昨日よりも今日、今日よりも明日と、小さな事の中に何らかの気づきがあり、一歩一確実に前進を続けるはずです。同じ1時間を使うのでも、そのことに集中できるか否かで、成果に大きな差が生じることは、誰しも経験することです。では、どうしたら集中することができるのでしょうか?1.好き、楽しむこと。読書にしても、自分の好きな作家の本や面白い小説なら一時間に何ページも読んでしまうが、難しくて興味のわかない本だと数ページも進みません。2.焦点を絞るエネルギーの法則は、「集×動」で、集めれば強くなります。状況をよく理解して、取り組む課題や対象を絞る必要があります。行動の枠組みが明確になると集中できるが、あれもこれもとキョロキョロしていては集中できません。3.方針、戦略、目標を定める。思考の枠組みをしぼり、判断、推理、分析、記録などの心の資源を結集、集中させる。4.雑用があると気が散って集中できないので、まず雑用を片づける。その他、集中時間帯を設け重点課題に取り組むとか、集中しやすい場所、集中を容易にする動作を見つけるのもいいでしょう。
2009.10.22
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秋晴れに誘われて久しぶりに清滝川まで散歩に出かけました。秋には少し早いが、緑と瀬音はいいですね。商店街のセミナーをボランティアでやる予定があり、資料整備に疲れた目には優しい環境でした。澄み切った川を眺めながら独り酒をくむ。また、楽しからずや。川面に小さな魚が見えるのでパンくずを投げ入れていたら、100匹近い魚が集まってくる。童心に返る気持ですね。帰ったら、アメリカで研究生活をしている五女(学生時代から面倒を見ている五女相当の若者)からメールが届いていた。上司との折り合いが悪く、新しい研究場所を探しているようです。◆化野 未だ少し秋には早いですね
2009.10.21
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時間泥棒の撃退一日は誰にも24時間しかありません。この誰にも平等な時間をどう使うかで、その人の一生が決まるような気がします。1.毎朝、その日の仕事の優先順位を考えて計画を立てる。何事にも、二八の原則(二割が八割を制す)が働き、仕事の優先順位や仕事に充てる時間配分を、毎日、毎週、毎月考える習慣が有るか否かで随分と仕事の成果が変わります。2.今日できることを明日に延ばさない不得意なこと、面倒なこと、嫌なことなどは、つい先に延ばしがちです。そうすると、そのことが頭にこびりついて、他の仕事の効率を阻害することにもなります。3.他人に迎合しない他人が自分の時間は盗もうとしたとき、断固として立ち向かう勇気を持つことです。4.部下や子供、他人に仕事を任せる。自分でなくてもできることは、他人に任せることです。任せることで、相手もやる気になるし成長します。それで空いた時間を、もっと大切なことに使うことです。ある実業家が心臓発作を起こして、医者から6カ月の自宅療養を命じられ、その後1日3時間に限って仕事をすることを許された。気がついてみると、彼はその3時間の間に、以前には8,9時間を費やしていたのと事実上同じだけの成果を上げていることに気がついたと言います。どうしてそんなことができたのでしょうか?コツは、重要でない事柄の一部を削り、重要なことをもっと沢山やるようにするというだけのことだったと述べています。仕事の成果は、その仕事の二割八割を決めるといわれます。「時間がない、時間がない」と、夜遅くまで残業をしている人が多いが、本当に必要な仕事なのでしょうか? 一度、付加価値生産性を見直してみることも必要です。
2009.10.21
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僅かな時間の使い方で人生に差がつく「半時間ぐらいでは何もできないと黙っているよりは、世の中の最もつまらないことでもする方が勝っている」とゲーテは言ったが、毎日30分でもいいから何かに挑戦したら人生は一変するはずです。私たちは、とかく「時間がない」といって何かに挑戦することを諦めがちです。でも、昔から「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」というように、ふだん忙しくしている人の方が時間の使い方がうまく、忙しい合間を縫って義理を果たしたり、忙中に閑を見つけて多彩な趣味の世界などにも挑戦しています。いろんなことに挑戦してよく頭が混乱しないものだと感心することもあるが、一つのことを長時間続けているよりも、一定の時間内の全体の効率が良くなります。活動の切り替えそのものが単調さを破る機会にもなり、気分転換にもなって効率が上がるものです。「時間がない」などと何かと行動を起こさなくてもいい理由を見つけて挑戦しようとしない人と、ちょっとでお時間があれば何かに挑戦しようとする人とでは、長い人生において大いに差がついてきます。あなたも、ほんのわずかな時間を生かしてみませんか。「時間というものは、長い時間を取ろうと思うと、なかなか取れないものである。それこそ、仕事がある、多忙である、邪魔が入る。だから『閑を得たら』と思うのは何にもならない。けれども、どんなに忙しい人にでも、寸陰というものは必ずある。そのちょっとした時間をつかむのだ。これに熟練すれば、案外時間というものはあるものなのだ。昔から一芸一能に精進した人々は、みな体験をしておることだ」と安岡正篤は言っています。「忙しくて本も読めない」と嘆いている人でも、朝や昼の合間に5分や10分の時間を取れない人はいません。その時間を1年間積み重ねれば30~60時間が生まれます。糸川英夫先生は、そんな時間を何十年と積み重ねて、全く新しい概念のバイオリンを作られました。要は、何かに志をもって、その実現に燃えているか否かだけの問題です。ある若いサラリーマンは、昼食を15分で済ませた後の45分と、土・日曜日を司法試験の勉強に充てて、2年間で見事難関を突破しました。そのお祝いの席で、「長い人生でたったの二年間、多少変人を装って猛勉強しただけです。仲間との付き合いで義理を欠いた点はどうかお許しください。これからはまともに付き合います」と挨拶した。
2009.10.20
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足先のしびれるような痛みで糖尿病ではと先月病院へ行き、今日は血液と尿検査の結果を聞いてきたが、オールAで何ら問題なしとのことでした。先生は「どこか一ヶ所くらい気になるところがあるほうが良いでしょう」と笑ってみえました。一病息災と言うことでしょうか?まあ、肩凝りと腰痛は物書きの職業病のようなものだから、その影響かもしれないが原因がわからないのも釈然としませんね。しばらくご無沙汰している整体師にかかるのが良いようですね。サイコセラピストの近藤裕さんは、「大半の病気は、自分の心や体を大事にしない生き方によって起き、病というものはいろいろなメッセージを持っているわけだから、そのメッセージを理解せずに、症状だけを取り除いても本当の癒しではない」と言う。熱や痛みや息苦しさは、「今までの生き方を変えないと大変なことになりますよ」という身体のメッセージで、当人に心や生活の軌道修正を迫るメッセージに他ならない。この道理がわかってくると、もう病気に対する不安や恐れはなくなってくる。病気に感謝し、病と共存する歓びを味わうこともできるとか。まあ、私も酒のせいかと(年362日毎日3合以上は飲んできたので)ここ3ヶ月ばかり酒量を控えたら、便の調子は良くなるは、鼻血は出なくなる(以前は、朝、鼻に水を通すと鼻血の混じった鼻くそが出た)はで、健康そのものです。私は飲むほどに醒めてくるたちなので、少量で少し良い気持になるのもいいですね。でも、贅沢な悩みは承知だが、長生きするのはかなわはないな。
2009.10.19
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人生は一生が精進である「継続は力なり」とよく言われます。例えば、あなたが仕事を通じて毎日一人のお客さんを徹底的に満足させるだけでも、一年間には300人近いファンを作れるはずです。それが10年なら3千人です。学生なら、一日10語の英単語を覚えるだけでも、一年では3500語も覚えることができます。「自分には才能がない」と言って、何事も諦めていませんか?そんな人は、才能がないのではなく、続ける根気がないだけです。才能がないと思えば、人よりもコツコツと続けることです。どんなに小さなことでもいいから見つけて、長く続けていくと必ず何かが光り始めるはずです。それが満足となり、自信にもつながります。99歳の長寿を全うされた野上弥生子さんは、死のその日まで一字一句を刻んで原稿用紙を埋めておられました。90歳を過ぎた宇野千代さんも、毎日、必ず机に向かって原稿を執筆されていました。終わりのない戦い、それが仕事です。仕事には頂点というものはなく、「この次こそは」と前へ前へと進んでいく姿勢が大切です、そんな人には、老いが忍び込む暇もありません。
2009.10.18
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目標は小刻みに禅宗のお坊さんが、「毎日やることを、きちんとやることが真実の道」と仰ったが、いくら素晴らしいことを考えていても、何も実践しなければどうにもなりません。失敗することも成功することがあるだろうが、何か行動しなかった何も起きません。でも、やればいいと分かっていても、なかなか実行できないのが人間です。人間なんて怠け者で、いつも「楽したい」と考えています。やりようによってはいくらでも楽はできるだろうが、それだけでは何か虚しい気もします。毎日やることをきちんと決めて、それを一つひとつやっていくしかありません。確実に実践するには、目標を小刻みにするとよい。マラソンのとき、初めから見えないゴールを目指すのは大変だが、あの電柱まで、次はあのポストまでというふうに、目標を小刻みに決めて一つひとつ達成してゆけば、知らぬ間にゴールに到達できます。「人間の能力は、ちょっと本気を出すと二倍の仕事ができる。もうちょっと本気を出すと三倍の仕事ができる」と言った人がいるが、何事もどこまで本気を出して一歩一歩、歩き続けることができるかです。
2009.10.18
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興福寺での阿修羅像など八部衆・十大弟子像の公開が大人気だそうですね。ところで、釈迦は「私の姿を拝んでどうしようというのか」と偶像を否定した(他力でなく自己努力を説いた)うえに、偉大な釈迦の姿はもはや人の手で表現できないと思われていたので仏像は造られず、人々は釈迦の象徴として法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現)や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹などを礼拝していました。だが、500年も仏像を造らずにいた人々が仏像を彫り始めます。いったい、その当時何が起こったのか?原因はイランやアフガン一帯を支配していた戦闘騎馬民族クシャーン帝国の大侵略でした。クシャーンのカニシュカ王(征服後に釈迦の教えに触れて保護者に)は残酷無慈悲でインド北部に虐殺と破壊の嵐が吹き荒れた。人々は山中に逃げ込み、クシャーンの軍隊が通過するのを息を殺して待ち続ける。この時、精神的に極限まで追い詰められ、心の拠り所としたものが仏教であり、目に見えてすがれるものとして、藁をも掴む思いで刻み始めたのが釈迦像でした。初期の仏像がギリシャ彫刻のように彫りが深いのは、紀元前330年頃にアレキサンダー大王の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ美術を持ち込んだためです。ところで、八部衆・十大弟子とは誰でしょうか?八部衆は「天竜八部衆」とも呼ばれ、釈迦如来の配下として仏教とその信者を守ると言われていて、阿修羅、夜叉、天、龍、乾闥婆、緊那羅、迦楼羅、摩ご羅伽を言います。この八部衆は、もともとインドの異教の邪神が仏教に取り込まれたこともあって、頭部が鳥の姿をしていたり、顔か3面、手が六本あったりと非人間的な姿で現されています。天(デーヴァ)=梵天や帝釈天、四天王がこれにあたります。 龍王(ナーガ)=龍はインドの古い言葉でナーガと言い本来は蛇になります。釈迦如来が誕生した時に龍が香湯をそそいだなどの話があります。 夜叉(ヤクシャ)=夜叉は羅刹とも呼ばれた人間を食べる残忍な鬼でしたが、釈迦の説法を聞くことで人々を守ってくれるようになります。 乾闥婆(けつだつば)=音楽を奏でるといわれる神で、帝釈天に仕えています。 阿修羅(あしゅら)=帝釈天と戦う悪神とされていたが、阿修羅界に生まれために永遠に戦いを繰り返す運命の阿修も、釈迦の説法を聞くことで仏教を信仰する者を守護するようになります。 迦楼羅(かるら)=体が金色の口から火を噴き、毒蛇を食べると言われる鳥の形をした神で、迷いなどを食べてくれるありがたい鳥とされています。 緊那羅(きんなら)=緊那羅の体は半分が人で半分が獣で、頭に角が生えています。 摩ご羅迦(まごらか)=緊那羅と同じように音楽を奏でながら諸神に仕え供養するといわれています。 十大弟子は「翻訳名義集」では定まっておらず諸説を集合すると下記の10名に満願子・羅云・難越・倶(ち)羅など十数人になるとされる。また大乗佛教では自己の覚りのみを目指す為に声聞扱いを受けており菩薩よりランクは低い。要するに阿羅漢果は大乗仏教では得られても仏果は得られないとされる。舎利弗=智慧第一(般若心経での話相手) 目連=神通力第一(盂蘭盆会の起源) 迦葉=頭陀第一(釈迦死後の代表者 ) 須菩提=解空第一(経典によく登場) 富楼那=説法第一(西方に伝導) 迦旃延=論議第一 阿那律=天眼第一(釈迦のいとこ) 優波=持律第一 羅ご羅=密行第一(釈迦の息子) 阿難=多聞第一(釈迦のいとこ)物見高く仏像を見るのも結構ですが、これを機会にお釈迦様の説かれた真理を勉強したいものです。来月から、1年掛けてお釈迦様の智慧を連載したいと思います。◆八部衆
2009.10.17
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諦めないことの勝利ゴルファーの小林浩美さんは米国ツアーに挑戦したが、最初の年は成績が振るわず予選落ちが続いた。周りに相談する知人もなく、ホームシックに罹ってすっかり弱気になった。思いあぐねて、N航空アトランタ支店の日本人社員に打ち明けた。「ダメな奴は、何とか口実を考えて帰ろうとする。たった三ヶ月で調子が悪いとか、ホームシックに罹ったとか。君は何のためにアメリカに来たのか。本気でやる気があるのか。このまま帰国したら、きっと一生涯挫折感がつきまとうだろう」と厳しく忠告された。このアドバイスで、「人生には必ず浮き沈みがある。失敗とかスランプとか言って落ち込む必要はない。要は、失敗をいかに成功の糧にするかだ。前進だけを考えよう」と心に決めたアメリカにとどまった。そして、ついに93年7月、95戦目で初優勝を飾った。その目からは、諦めなかったことの勝利をかみしめつつ、寂しかったこと、辛かったことなどを思い出して、止めなく涙があふれ落ちた。成功者と失敗者が居るのではなく、成功するまで諦めなかった人が成功するだけです。
2009.10.17
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昨日は沢山の方々にお読みいただきましたので、能「野宮」についてこんな解説を見かけ掲載します。源氏物語の中でも、特に光源氏の一生を左右する存在なのが藤壺中宮と六条御息所。藤壺中宮に憧れていた光源氏は、彼女の代わりとして六条御息所に言い寄るが、実際手に入れてみたらやはりいろいろな点で違いがあったため、「がっかり」「幻滅」を感じ、横を向いてしまった。 ここから「すれ違いの不幸」が始まる。六条御息所の悩苦は生霊(もののけ)として光源氏の正妻葵の上に向かってしまう。当時の一夫多妻制において、「ねたみ・うらみ」という感情は表立たせてはならない排斥点であるが、六条御息所のインテリな性格・感情が心の中の戦いとなり、それが諸国一転の僧による回向から成仏という能のテーマに合っている。源氏物語の中では、六条御息所の娘が斎宮となって伊勢へ行く事になり、一緒に行くことで六条御息所の気持ちは一旦都=光源氏から離れるが、能「野宮」の中ほどに「多氣(たけ)の都路(=伊勢)に赴きし心こそ憾(うら)みなりけり」という部分がある。この「憾(うら)み」は大きななげきの元、つまり後悔ということであり、この作品の重要なポイント・キーワードである。現代では「見る(月をながめる等)」という意味で使われている「ながむ」は古語では「小さいため息をつく」という意味。「なげく」が中ぐらいで「うらみ」というのは深く重く大きくため息をつくこと。この言葉を使うことで六条御息所の心は決して光源氏を思い切ったというわけではないということを表している。
2009.10.16
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粘りと動機の純粋さが努力を開花させる世の中には、一生懸命に努力して成功する人と、努力はしているのはなかなか実を結ばない人がいます。それについて、稲盛和夫さんは次のように語っています。人間は目に見える部分の努力だけでは、人としての奥行きを作ることはできない。目に見えない部分でひたすら徳を積むことが、人間の器を大きくし泰然自若とした人格を作る。そして、努力が実を結ぶかどうかの分かれ目では、次の二つの要素が左右する。一つは、粘り強いということ。なかなか突破できない壁に突き当たった時でも、粘りに粘って目標を達成しようとする人は最後には成功する。ところが、少し試みただけで、「これは自分の手には負えないや」と諦めてしまう人は結局成功できない。この粘りを生むのが、もう一つの要素である動機の純粋さである。お金を設けたいとか、格好いいことがやりたいといった不純な動機を持っている人は、状況が不利になるとすぐに諦めてしまう。ところが、「これは本当に世のため人のために必要なのだ」と信じられる人は、苦難を乗り越える戦いを続けることができ成功する。
2009.10.16
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嵯峨野の野宮神社は、樹皮がついたままの黒木鳥居と小柴垣に囲まれた、静かなたたずまいは平安の昔を偲ばせます。この鳥居の形式は、全国的にも珍しいモノだそうです。元々、野宮は天皇の代理として、伊勢に向かう齋宮が身を清める潔斎の場所でした。天皇の即位ごとに場所は変わり、現在の野宮神社の辺りが使われたのは、平安時代の初め、嵯峨天皇皇女の仁子内親王の時だそうです。野宮は、源氏物語にも出てきます。18日は、嵐山野々宮神社で齋宮行列があります。「斎宮(斎王)」とは、天皇が新たに即位 するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)と して伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王もしくは女王)のことです。この歴史は飛鳥時代の天武天皇の頃にはすでに確立されており、南北朝時代の後醍醐天皇の頃まで およそ660年間、64人の姫君が遣わされていたと言い伝えられています。齋宮行列は斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う旅です。これが「斎王群行」と呼ばれるもので、斎王以下監送使、官人・女官などあわせて数百人にも及びました。勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着するまでには、5泊6日もかかったそうです。華やかな装束に身をまとった百人の人々が嵐山で往時の夢を再現します。京都の祭の常として、行列に参加するにはお金がいるのですよ。ちなみに女官と官人が3万円、騎馬官人は20万円です。
2009.10.15
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地平線を目指して走り続ける大平原に二人の男がいた。二人は、地平線を目指して走り出した。走っても、走っても、地平線には届かない。あいかわらず、遙か彼方に見えたままである。やがて一人の男は、「もうダメだ。どうせ地平線には届きっこない」と走るのを止めた。しかし、もう一人の男は、目指す地平線がいまだに遙か彼方に見えたままでも、諦めずに走り続けた。取り残された男は、走り続ける男を見守り続けた。男はグングン遠ざかり、何時しか地平線の彼方に消えた。彼には、走り続けた男は地平線を越えたかのように見えた。だが、走り続ける男の前には、あいかわらず地平線は見えたままである。まだ、追いつけないでいる。走るのを諦めて取り残された者たちは、『あの男は、地平線を越えた。地平線の向こうに行ってしまった。成功したんだ』と讃えるだろう。成功した人と失敗した人との差とは、結局、こんなものでなかろうか?例え一つ成し遂げたとしても、目の前にはさらなる地平線が広がるのも同じである。◆岩陰に岩のように見せて隠れる魚
2009.10.14
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人生はほんのちょっとの我慢比べ白兵戦の危険を持つ軍人が、「塹壕の中に籠もって敵と味方が対峙しているとき、『突撃』の号令がかかる。一番最初に飛び出した奴は10中8,9は敵の銃弾の集中砲火を受けて死ぬ事実を知っているから、誰も真っ先に飛び出したがらない。だが、誰かが飛び出さないわけにはいかない。時間にすればほんの1,2秒にすぎないのだが、仲間たちの間に無言の戦いが起きる。いや、仲間同士というよりは自分の心の中での葛藤である。極度の緊張の中で、『行かなければならない』『いや、一歩でも遅れたい』と自問自答し、とうとう我慢できずにフイッと飛び出す奴がいて、それで彼は死ぬ。なんて言うのかな、精神的にどこか弱いところがある奴がやっぱり絶えられなくなって飛び出すんだ」と語る。野球だって、守備の名人は他の人よりもほんの0.何秒か球から目が離れないとか、ほんの何センチかグローブの先が伸びるだけであろう。打撃の名人にしても、球を追う視線が0.何秒か長いだけであろう。そのほんの少しの差が、名人と凡人との差を作り出す。何事も同じで、何かに優れている人とは、普通の人と比べてほんのわずかな持続の精神力、我慢強さに勝っているだけだと思う。◆サルノコシカケ
2009.10.14
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先日、キャンプファイヤーを囲んでいたとき、雲間からまさに船が出るように月が出てきました。その時、下弦の月か上弦の月かで意見が分かれたが皆さんもご存じですか。月は、出るときと沈むときでは姿が逆になります。月の出のときに、下が丸くて船のように見えるのが下弦の月だそうです。従って、中点に来るときは縦に半分に割ったように見え、沈むときには上が丸くなります。いや、知りませんでした。何時も使っている言葉も、このように深く考えず、いかにも分かったように使っていることを反省させられました。
2009.10.13
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継続は力なり大リーグで活躍中のイチロー選手は、小学校三年生の時にお父さんに野球をやりたいと言った。すると、やってもいいが中途半端で止めるのなら最初からするなと忠告された。彼は絶対に止めないからと言って野球を始め、学校から帰ってくると暗くなるまで毎日3時間位ずっとお父さんとキャッチボールをした。夕食後は、近くのバッティングセンターに行って5セットの打撃練習をした。1年の内360日は、この生活を何年も続けた。バッティングセンターでは、ボールをよく見てストライクだけを打つようにお父さんは指示した。もったいないようだが、ボールを一生懸命に見るようになり、それが動体視力を鍛えることになった。普通の選手は次はたぶん内角ストレートのストライクだろうなどと勘に頼ってバットを振るが、彼はこのときに鍛えられた動体視力のおかげで確実に球筋を見極めて打つことができる。それが、彼を世界に通用するプレイヤーにと育てた。彼を天才とか生まれつきなどと言うが、どんなに才能があつたとしても、このような努力なしには今の彼は存在しなかったはずである。天才とは、あることに向けられた持続的エネルギーであると思う。つまり、続けることができたとき初めて天才が誕生する。野口英世が、麻痺狂病原体を発見したときの話である。彼は麻痺狂の脳について、200枚を1組にして50組、合計1万枚の顕微鏡標本を作った。それを、2人の助手と片っ端から検査していった。しかし、最後の一組になっても、目指す病原体は見つからなかった。彼は、2人の助手が昼間に検査したが無駄に終わったという最後の1組の標本を家に持ち帰り、夜を徹して顕微鏡で検査をした。明け方になって、ついに9995枚目の標本に探す病原体を見いだした。その瞬間、彼はカッポレを踊り出し、妻は気が触れたのではないかと思ったという。普通の人なら5,6千枚も標本を見て探すものがなければ、「ここまでやってもダメだったのだから」などと適当な理由をつけて諦めがちである。だが、野口英世は文字通り最後の一枚もゆるがせにしないで検査した結果、大きな業績を上げることができたのである。大きなことでなくてもいいから、何かに一念を持ち、それを実現すべくただひたすら実行し続けてみよう。その持続が、あなたの人生に確かな花を咲かせてくれるはずである。◆伊根の船屋
2009.10.12
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昨日・一昨日と福知山~出石~城崎~天橋立~伊根と廻ってきたが、何処へ行っても村の鎮守の秋祭りでした。大津祭や高山祭もありましたね。秋満開です。皆さんの地方はどうでしたか?1.村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓2.年も豊年満作で 村は総出の大祭 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 夜まで賑わう宮の森3.治まる御代に神様の めぐみ仰ぐや村祭 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 聞いても心が勇み立つhttp://classic-midi.com/midi_player/uta/uta_muramatsuri.htm
2009.10.12
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やり続けることが大切人間は誰でも、いくらでも欠点はあるし、コンプレックスも悩みもある。自分には才能や感受性がないからと諦めるのではなく、心をきちんと持って肥料をやって育てていけばどんどん成長していくものである。生まれつきの才能はもちろんあるだろうけれども、そういうものは放っておけばなくなる。才能ある人でも、心をかけて自分を一生懸命に磨き続けるからこそ、良い仕事を残すのである。さして才能がないから自分はダメだと放り出すよりも、自分を大事にして心を持ち続けることが大切である、と辻邦生さんは言います。積み重ねられないときも、積み重ねなさい。挫けるときも、積み重ねなさい。死にたいと思うときも、積み重ねなさい。どんなことに出会っても、積み重ねることでしか活路は開かれない。積み重ねなければならないときに、積み重ねられないのは、人に感謝することのできない、自分の高ぶりにあるのです。両手のない大石順教尼は、訪ねてくる体の不自由な人たちに向かって、「どんなにわずかであっても、一日、一日、積み重ねなくてはならない」と厳しく諭されました。どんなことを成し遂げるにしても、一つ一つの積み重ねなくしては不可能です。ともすれば、その努力を怠って、自分には運がないとか、自分には能力がない、金がない、暇がない、権限がないなどと、逃げがちになるのが私たち凡人です。毎日一つでも、毎日10分でも、これと思ったことを積み重ねれば道は自ずと開けます。◆明智光秀の福知山城 石垣に墓石や石仏などを転用している
2009.10.12
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本気を出して歩き続けよう今人生が絶望なら、孤独なら、逆境なら、試練なら、困難なら、挑戦なら、今からが本当の人生の旅立ちのときです。今から人生、はい上がってゆくときです。人生一度です。人に何を言われても、まわりがどんな目で見ても、いま自分のやりたいことを、自分の目指すことを、自分がなりたいことを目指して、つらぬいてゆくしかありません。「本気を出せば何でもやれる」です。あなた、夢へ挑戦です。人生、頑張ってください。 (あなたへ 須永博士)夜があけない朝はありません。夜が来れば必ず朝がきます。過去を嘆かず、未来を心配せず、今日を精一杯生きていけばいいのです。そうしたら、いつかは夢が実現します。◆これからキャンプに出かけますので明日は休載します
2009.10.10
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雨だれ石をも穿つその昔、奈良のある寺に修行に来ていた若者は、生来愚鈍であったために、いくら努力を重ねても僧になるための学識を身につけることができませんでした。そこで、ついにある日、志を捨てて寺を出る決心をしました。その日は雨が降っていたが、奈良を去る前に有名な大仏だけは見て帰ろうと思い、東大寺へと足を向けました。ところが雨が益々激しくなってきたので、本堂のひさしの下でしばらく雨宿りをしていました。若者が見るともなく見ていると、目の前の敷石に雨だれがポツリ、ポツリと落ちてきます。そして、敷石には大きなくぼみができていました。その瞬間、若者は「こんな小さく柔らかい雨の滴でも、一滴一滴と落ちているうちに、長い間には堅い石をも穿つことができるのだ。私も、如何に遅い歩みとはいえ、終始一貫修行に励むなら、どうして目的を達せられないということがあろうか」と悟り、再び修行の道に励んで、ついに後世に名を残す高僧になりました。簡単に咲く花はすぐ枯れるともいうが、一つの道を倦むことなく歩き続けることです。こんな話もあります。糸川英夫さんは、還暦を過ぎてからクラシックバレエを始められた。その時、どうやって足を高く上げることに成功したかという話は蘊蓄に富んでいます。まず、タンスの下の段の引き出しを出し、そこまで足を上げた。次の日は、引き出しに新聞紙を一枚乗せ、そこまで上げる。次の日はもう一枚重ねて高くする。毎日二時間、かくして一年後には、頭の上まで上がるようになった。忍者が麻の種を蒔いて、毎日飛ぶのにも似ています。毎日少しずつ、休むことなく挑戦し続ければ、どんな高みにも至ることができるという見本です。「できない」のではなく、「できるまで」挑戦しないのだという声が聞こえてくるようです。◆NASA提供の天の川の写真(子供の頃の空を思い出します)
2009.10.09
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継続すれば必ず光り出す酒井大岳さんは、「箸よく盤水を回す」と言われた。タライ一杯に張った水を箸でかき回すと、最初のうちは箸しか回らないが、根気よく続けていると段々と周りの水が少しずつ渦となって回り始める。さらに根気よく回し続けていると、そのタライ一杯に張った水全部が回り出す。つまり、どんなに小さな力があっても、継続すれば必ず大きなものを生み出したり、あるいは全体を動かすことができるという教えだと思います。これを地でいったのが、ローヤルの鍵山秀三郎さんの便所掃除です。創業当時に社員の心を慰めるために始めたが、3年、5年やっても何の効果もない。逆に、「うちの社長は、掃除、掃除と、掃除ばかりしているから会社が伸びない」と言われる始末だった。10年経った頃にやっと1人、2人と手伝ってくれる社員が現れ、20年経って会社の半数近くがやるまでになり、40年経って会社を上場するまでに成長した。これに共鳴したい恵那の東海神栄電子工業では、徹底して全員で掃除を始めたら、不良率が10分の1になり、生産量は上がったのに従来からあった残業もなくなったという。
2009.10.08
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一歩を踏み出す「欲しいものはすべて山と同じようなもので、私たちを待っており、逃げて行きはしない。だが、それゆえに、よじ登らなければならない」とアランは言っています。山とは、自分自身の夢であり目標です。目標を定めたら、後は山頂に向かって進めばよいだけです。神は、何の夢や目標もない人には、何一つ与えません。たえず夢や目標を持ち続けて、それを目指して努力し続けることが大切なのです。ところが多くの人は、「私は長年欲しいものがあったが、結局は手に入らなかった」と言う。そんな人は、心のどこかで諦めて、ただひたすらによじ登ることをしなかったのではないか、と己に問い詰めてみるとよい。私は学生時代から山登りをしてきたが、「きつそうな山だな」「アプローチが長いな」「道が悪そうだなあ」と思っていては頂上には立てません。登る山を決めたら、まず一歩を踏み出せばよいのです。それを繰り返せば、気の遠くなるような遅々たる歩みであろうと、必ず頂上に立ってます。総てのことが同じです。
2009.10.07
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琉球大白井こころ准教授と大阪大磯博康教授が岩手、秋田、長野、沖縄など8県に住む40~69歳の男女8万8175人を調べた結果、「楽天的な男性ほど脳卒中や狭心症、心筋梗塞(こうそく)などを起こすリスクや死亡率が低い」という結果が明らかになった。ストレスやいらいらが健康に影響を与えるといった報告はあるが、こうした前向きな意識との関係についての研究は少ないという。 「自身の生活を楽しんでいるか」というアンケートを実施し、意識の高さを「高・中・低」の3グループに分け、約12年間にわたり循環器病との関係について調べた。期間中に循環器病を発症したのは3523人で、うち脳卒中が2786人、狭心症と心筋梗塞が686人だった。男性で楽しんでいる意識が「低い」グループは、「高い」グループに比べ、脳卒中の発症リスクが1.28倍、狭心症や心筋梗塞の発症は1.22倍と高くなった。死亡者1860人でも、脳卒中で1.75倍、狭心症や心筋梗塞が1.91倍だった。女性は関連がみられなかった。楽しんでいる意識が高いグループでは、週1回以上の運動習慣がある人が多く、喫煙者も少なく、健康的な生活をしている傾向が強かった。 アメリカでの50~79歳の米国女性約十万人を対象にした調査でも同じような結果だ。約8年の追跡調査の結果、楽天的な点数が上位25%のグループでは、下位25%の悲観家と比べて、心筋梗塞などの心臓病の発生率が9%低く、癌なども含めた総死亡率では14%低かった。逆に、「他者に対して冷笑的で敵対的」な態度の点数が上位25%のグループは、下位25%と比べて心臓病の頻度には関係ないが、癌死亡率は23%高く、総死亡率は16%高かったまた、楽天家の方が悲観家より学歴や収入が高く、喫煙者や肥満者が少ないなど、他の要因にも差があったが、そのような違いをできるだけ除いて分析した結果です。お釈迦様も「心が沈みそうなとき、心が沈んではいけない。明るく清らかに心を持って、暗い淀みにするな」と、何事も明るく受け取る大切さを説いてみえます。持ち越し苦労や取り越し苦労をすることなく、「いま、ここ」を楽天的に楽しむことです。そうすれば、空海も目指したように「美しく笑いつつ死ぬ」ことができるはずです。
2009.10.06
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ひたむきさが運を呼び込む運とかツキというものは確かにある。いくら努力してもツキに見放されたら、どうしょうもない。だが、日頃から努力していれば、私の経験では不思議に運は巡ってくるものです。ツキが落ちたと思ったら、じっと我慢して待つのが一番です。また、努力しているという確信があれば、待つことができる。やはりお天道様は努力する者に必ず味方してくれるものです。努力していればそう信じられるし、ツキを待ちながら努力することもできる。これが、ツキを呼び戻す最善の方法です。失敗したときも同じです。どんな仕事に携わろうと、一度や二度は必ず手ひどい失敗をする。だが努力している人なら、自分の努力が足りなかったと割り切り、一層努力に励むことができる。あるいは死ぬほどの悔しさを味わって、二度とこんな悔しさはご免だと発奮し、さらに努力することができる。始末が悪いのは、なすべき努力もせずに失敗した人です。いつまでも負け惜しみをグタグタ言うだけで、ショックからなかなか立ち直れない、と名誉棋聖の藤沢秀行さんは語る。
2009.10.06
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「いま」という一瞬を大切に滋賀県の永源寺を建立した寂室元光和尚は、東シナ海の波濤を必死の思いで渡り、中国の大覚禅寺に深い雪をかきわけてようやく登ることができ、「日本から来ました。中本明峰和尚に師事したいので取り付いてください」と声を張り上げて門をたたいた。和尚が筆を持って現れ、黙ったまま元光の腕をまくり、「明日来也」(明日来なさい)と書いた。元光は必死だったから、井戸を教えてもらって腕の文字を洗い流した。再び玄関に立って、洗い流した腕をまくって、「今日来了」(今日来ています。明日はありません)と叫んだ。その瞬間、和尚は元光を弟子にしたといいます。人生には、過去も未来もなく、「いま」という一瞬しかありません。「明日がある、いずれそのうちに、近いうちに」と思う人には、いつになっても明日はやってきません。あるのは「いま」という時だけであり、その時を失っては再び手にすることはできません。「いま」という寸陰を大切に人だけが志を実現することができます。東晋の詩人陶淵明は「時に及んで当に勉励すべし、歳月は人を待たず」と言っているが、人生の喜びも悲しみも、時期を逸せず寸暇を惜しんで勉励するなかにあると思います。明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは親鸞上人が得度しようとしたとき、夜も遅かったために、周りの人が「明日になさいませ」と言ったときに詠んだ歌です。「桜は明日も咲いているから、今日は止めて明日見に行こう」と思っていると、夜半に春の嵐が吹いて散ってしまうかもしれません。自分も明日は当てにせず、今できることは今しておきたい、という意味です。どんな人間にも怠け癖があり、ついつい生き方に甘くなりがちです。今やろうと思えはすぐにできることでも、何とか理由をつけて明日に伸ばそうとしがちです。それでは、何事も成就しません。「いまというとき いまはなし まの字来たれば、いの字過ぎゆく」という古歌があります。「いま」の「ま」を発音をしたときには、「い」の字はもう過ぎてしまって帰ってこない。それほど時は貴重なものであり、総ての機会はアッというまに通り過ぎて行きます。◆昨日の十六夜 嵯峨天皇陵中腹より市街を眺めながら
2009.10.05
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昨夜は、嵯峨野は綺麗な満月でした。虫の音と鼓と笛の音(大覚寺の月見の夕べで演奏されている;本日もあり)に囲まれて、奥嵯峨の田んぼで独り月見。また、茅葺き屋根にかかる月も良いもの。なんとも優雅な(自分で言うのも何だが)月見でした。昼間、知人の紹介で大学3回生が講演・セミナーの依頼に来たが、初めてなのに自己紹介をしない。こちらが質問すると始めて答える。人間関係は挨拶から始まる。まず最初にしっかりと挨拶ができることは大切だ。次ぎに、「何故、何を聞きたいの」「どんな人が対象なの」「どれくらい深く学びたいの」と聞いてもまともな返答ができない。いろいろと話す中で仕事の話となり、「何のために働くの」と聞くと「喰うためのお金を得るため」「自分を成長させるため」「生き甲斐ならNPO」などという答が返ってきた。「喰うためのお金を得るため」という答が多かったが、「喰って生きてどうするの」という答えはない。つまり、「何のために生きるのか」なんて考えたこともないのであろう。「喰うため」という裏には、「喰うためのお金があれば働きたくない」という本音が見えてきて、若者にフリーターが多い原因も見えてくる。「生き甲斐ならNPO」という人に、「では、君にとって生き甲斐ってなに」と聞いても答がない。その裏には、会社のように縛られるのは嫌、緩いぬるま湯がいいという本音が見えてくる。そんな姿勢の中で、本当の生き甲斐なんて生まれるはずがない。スポーツ選手を見れば分かるように、きつい下積みの練習を嫌った人は何時までも控えの選手で終わる。それは仕事でも同じで、最初からやり甲斐のある仕事など任せられるはずが無く、最初の下積みの仕事を嫌う人は大成しない。この頃の若者は、会社務めをしても、「やり甲斐がない」と言って直ぐに会社を辞めてしまう。だが、それでは何処へ行っても同じである。「自分を成長させるため」という人に、「何のために成長したいの、成長して何をしたいの」と聞いても答がない。要するに、本質を深き考えることがなく、人任せな現代の若者が見えてくる。だからこそ、私のような人間の存在価値があるのだろうが寂しいですね。でも、これは何も若者だけではないようにも思う。あなたは、次の質問に明快に答えられますか?1.何のために生きるのですか(何のためにご飯を食べるのか)?2.何のために働くのですか?3.あなたにとって生き甲斐とは具体的にどんなことですか?4.あなたにとって働き甲斐とはどんなことですか?結局それは、「あなたにとって幸せとはなんですか?」という答にもなるでしょう。
2009.10.04
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夢見て行い 信じて祈る歌手を夢見て、15才で福岡から上京した川嶋あいさん(当時18才)は、事務所の都合で突然、居場所を無くした。たどり着いたのが路上だった。JR四ツ屋駅前、ラジカセ一つで、時にはヤジも浴びながら歌い続けた。女子高校生の「暗闇の中でこそきっと本当の希望はある」という弾き語りに、足を止める人が増えていった。学生たちが、手作りのCDを売ってもくれた。やがて「路上の天使」と言われるようになり、テレビの人気番組「あいのり」の主題歌の話しが舞い込んだ。グループ「I WiSH」のボーカルとして歌い始めた「明日への扉」が90万枚の大ヒットとなり、少女漫画の主人公にもなった。夢や希望、それは誰もが持つが、「なんとしてでも」と行動に移す人は少ない。夢や希望を描き、それに向かって「いま、自分」ができる一歩を踏み出すことが大切です。一歩を踏み出せば、それだけ次の一歩が拓けてきます。自分以外の何かの障害を理由にして愚痴を言うのではなく、まず「夢見て」行い、そして夢がかなうと信じて歩み続け、後は信じることです。それしか夢は成就しません。
2009.10.04
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行動が生きる道を拓く人生とは、今日という日の積み重ねですから、「今日、いま」しなかったら、物事は永久に出来ないのかもしれません。「したいけど、できない」と言ってしないのは、結局「したくない」というのと同じことではないかしら。しかもできない理由を、私たちはいろいろに作り上げ、こね上げて、自分を正当化して現状に甘んじてしまう。でも、そういう考えからは生きる喜びも生まれませんし、創造的な人生も拓けません。思い悩んでいるよりも、やってしまうこと、実行してしまうことです。その結果が、たとえ失敗であっても、経験から得るものは計り知れなく大きいものですから、人が信じてなした行為のプロセスからは、きっと何かが生まれるはずですから、と石垣綾子さんは語る。人生は思い立ったが吉日。思いたったらすぐに一歩を踏み出せば、無限の未知の世界が拓けてきて、あなたの隠れた才能が花開く可能性を秘めています。何事もやり始めたからといって、すんなりと上手になることはありません。だが、出会いを大切にして、一所懸命、精一杯、一歩ずつ踏みしめていく努力をしていると、何かがもたらされるはずです。それが、生きるということではないでしょうか?
2009.10.03
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明日も天気が悪いようで、月見ができるかどうか?そこで団子の話題を一つ。食べ物というのは地域色があり、その地、その地で違いがあるが、月見団子もそうですね。昨日TVで月見団子の東西の違いについて放映していたが、守貞漫稿(もりさだまんこう)という江戸時代の後期に書かれた本に、団子は、「江戸は正円(まんまる)、京都・大阪は小芋の形に尖らし、豆粉に砂糖を加えて衣とする」とあります。団子の数についても言及が有り、京阪では平年は12個、閏年は13個供えたとあります。つまり、月数だけ供えたと言うことですね。また、仲秋の名月には15個、栗名月には13個という所もあるようです。これは、前者が十五夜を愛で、後者は十三夜を愛でることからきているのでしょうね。TVでは、老舗の和菓子屋が関西の形は月に雲を表していると言っていたが、私は芋名月というように昔は里芋がお供えだった名残ではないかと思っています?関東の真ん丸の団子は、中秋の名月が一種の収穫祭という行事の性格が薄らぎ、名月を愛でる行事の性格が強くなった結果、供え物の団子も収穫物をかたどった小芋の形から、満月をかたどった真ん丸な形へと変化した物では無いかとも思います?それに、この方が大量に作るには効率的ですしね。私の生まれた三重県(四日市)では、仲秋の名月には子供たちがイモ泥棒をして遊んだものです。沖縄では子供たちが獅子舞をする風習もあるようですね。
2009.10.02
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とにかく声に出してみるこの世に存在するあらゆるものは、人間の心に描かれたものが形となって現れてくる。人間の行動も同様で、心に思ったことが行動となって現れる。仕事も健康もあらゆることにおける力の根源は、自分自身の心である。実在意識は思考や想像の源であり、潜在意識は力の源だ、と天風哲学では説きます。潜在意識を強化するには、絶えず声に出して自己暗示をかけることです。気力が萎えるようなときは、空元気でもいいから、「自分は元気だ」と言っていると、段々と現実も自然とそうなってきます。そんな元気印の人の周りには、自然と元気な人が集まってきます。そこで交わされる会話も、自然と活気に満ちて瑞々しい。こんな雰囲気の中で生まれてくるアイデアは、絶対にアクティブでフレッシュなものになるはずです。とにかく声に出して、「うまくいく」「成功する」「あの人が好きだ」「おれは元気だ」と繰り返して声に出していると、その効果は何倍にも高められます。逆に、悪い言葉や消極的な言葉を使っていると、現実もそうなってしまいます。
2009.10.02
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沖縄戦で生き残った少女の話を観たが、人間の本性が良く出ていましたね。今、メモを整理している「お釈迦様の教え」とダブらせて見ている自分がいました。冒頭の沖縄のゆったりとした家族の生き方。それは、私が若い頃に(復帰前は求人で年に3ヶ月は滞在)みた北部の生活を彷彿させました。だが、一転して中盤の戦争場面では、自分達さえ良ければ、自分達が生き残りたいという人間の姿が描かれていました。例えば、少女が洞窟前に佇むと石を投げて追い出す大人たち。洞窟から少女たちを追い出して、自分達だけが隠れる兵隊。また、自分達の居場所が分かると、少女を追いかけ刀で斬り殺そうとする兵隊。それを非人間的と人は言うが、非人間的ではなく、それが人間そのものなのです。だが、目の見えない老婆と両手のない老父の優しさに救われ、思わず涙ぐみました。助け合わないと生きていけないことを知っている弱者こそ、人の痛みが分かるのでしょう。そして白旗。その生地が褌(クラッシックパンツ)というのは皮肉?ですね。写真を撮られる場面で、父親の言葉を思い出して作り笑いをする少女。このサイトもご覧下さい http://journal.mycom.co.jp/news/2009/09/19/013/index.htmlこの数年、沖縄を訪れようとしてなかなか実現していないが、私の採用した人や当時お世話になった先生方にも是非再会したいものと思います。
2009.10.01
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セッカチの効用山川静夫さんが初めて黒柳徹子さんと紅白の司会をすることになり、ある雑誌社の依頼で対談したときの模様を次のように語ってみえます。黒柳さんは名うてのお喋り上手で、山川さん以上に喋っていた。精一杯対応してヘトヘトに疲れ、さて料理でも戴こうとテーブルの上を見て驚いた。山川さんが突き出しの次の刺し身に箸を付けようとしているのに、黒柳さんはもうデザートのメロンを食べている。「これで紅組の勝ちね」と黒柳さんはニンマリと笑って、最後のコーヒーに移る。黒柳さんは、「私は確かにせっかちです。ご飯もゆっくり食べていると美味しくありません。それに、その日のうちにやるべきことは必ずやり終えます。やり残すと、翌日が辛いばかりでなく、安眠ができません。その日のノルマは、その日のうちに全部やってしまうのです。少しぐらい辛くても。それが健康の秘訣で、せっかちの効用です」と言われます。その日のことはその日にやり遂げる。これは何事にも大切なことです。営業マンの分析をしても、優秀な営業マンほどその日の仕事は帰社後その日のうちに片付けています。翌日に仕事や心配事を持ち越さないことは、健康のためだけでなくできる人の条件です。そう言えば、ゴーンさんも自分はせっかちだから日産を短期間で立ち直らせることができたと言っていました。◆地震のあったサモア
2009.10.01
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