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小さな八百屋の「通用口」と書いたドアが開いて、黒いスーツ姿の女性が二人出てきた。「晩酌をして、お風呂に入って・・・」、「なかなか出てこないんで、息子さんがのぞいたんですってね」、二人の会話の断片から、店の主人が亡くなったらしい。初老の男が出てきて話に加わる。「復員してから死に物狂いで働いてさ。汗と涙の結晶がこれだけさ。店を閉めて、一杯やって風呂につかって。こんなものかね、人の一生なんて」「まあ、ぜいたく言ったらきりがないけど、時々イヤになるわねえ」「でも、ぜいたくいえばきりがない。同じようなものさ、誰だって。三度のご飯が食べられりゃ、それでいいんじゃないの。出世とか肩書なんて、肩に止まった枯れ葉みたいなもんだ。次の風がひと吹きすりゃ、どこかに飛んでいってしまう・・・」(チョット例話が古いが、本質は同じです)人の幸せの条件はそれぞれであり、「これさえあったら自分は幸せだ」という条件は人それぞれに、またその時々の置かれた状況によって違います。例えば、病床にある人は健康を、生活に不安のある人は財産を、健康も財産もある人は地位や権力を、また子宝や配偶者に恵まれるなどと十人十色だと思います。幸せとは、辞書を見ると「心が満ち足りていること」とあります。心が満ち足りるには豊かさが必要だが、豊かさには、収入や資産、地位など目に見える豊かさと、精神や人と人との関係、時間など目に見えない豊かさがあります。戦後の私たちは、目に見える豊かさを求めて一生懸命に働いてきたが、目に見える外的な豊かさには上には上があり、絶えず「もっと、もっと」と求めてきりがなく、永遠に心が満ち足りることがありません。その挙げ句がバブルです。だから、本当に心を満ち足りた状態にするには、精神的、内面的なものの豊かさ、つまり、心豊かに、ゆったりとした時間を過ごすことが大切だと思います。心が安らかでなければ、どれだけ健康であっても、どれだけ財産があっても幸せではありません。逆に、健康が衰えて、いつも床に伏していなければならないとしても、心が安らかで、心さえ豊かであれば幸せな気分でいられるはずです。心の安らぎがあれば、どんな状態であろうとも幸せというものを自分で見つけていくことができると思います。結局は、イキイキと生きられることこそが幸せの実体であり、それには生き甲斐や働き甲斐(仕事だけとは限らない)、そして究極的には自分の存在価値が感じられることではないでしょうか?
2014.01.31
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死んでしまえば、財産が有ろうが無かろうがゼロになってしまいます。それなのに、残していく財産に未練が残ってバタバタするのでしょうか。人間とは浅ましいもので、何かを得れば得たで、それにこだわり、それを失うことが恐くなりジタバタします。何も無ければ、ジタバタする元もありません。老子は「身(健康)と貨(財貨)といずれが優る。得ると亡う(うしなう)といずれが苦しき。甚だ愛すれば必ず大いに費やし、多く蔵すれば必ず厚く亡う。足を知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず、以て長久なるべし」と言ったが、昔も今も、名誉にも財貨にもこだわらないことが、心安らかに生き、死んでいく秘訣かも知れません。老年期の幸せ感との関連性調査では、「健康状態・生活水準・既婚同居者の有無・友人との会食頻度(年数回以上)」は男女共に関連性が高く、「集団参加・1泊以上の旅行頻度(年数回以上)」は女性だけに関連性が高いということです。つまり、健康で、ある程度の生活のゆとりがあり、人との繋がりが濃い人ほど幸せ感が高いということだが、幸せ感は自分の心が感じるもので人により様々です。あなたにとって、本当に大切なモノとは何かを考えてみて下さい。
2014.01.30
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あなたがいま欲しいもの、大切なものを、 1.形のあるもの(財産や装飾品、地位など目に見えるもの)2.大切な活動(仕事や趣味、ボランティアなど)3.あなたにとって大切な人4.形のないもの(家族などとの絆や音楽など精神的な目には見えないもの)の項目毎に3つずつ挙げて下さい。次に、あなたがガンに罹ったとします。第一ステージ(入院が必要になった時)、第二ステージ(手術が必要になった時)、第三ステージ(余命6ヶ月と宣告された時)のステージ毎に、ジャンルに関係なく三つずつ諦めて手放さなければならないとしたら何から手放しますか?最後に残ったものが、あなたにとって最も大切な宝物です。下り坂人生は引き算人世、死を意識せずにうかうかと生きていた時には大切に思えていたものが、小さく見えてきませんか?ある看護婦さんが、「死に際がすんなりしているのは貧乏な人です。生きていてもしょうがないからでしょうか? フーテンの寅さんのような人は、あっさりと死んでしまいます。死に際がバタバタして見苦しいのは、決まって財産を持っている人です。財産があるとか名誉があるとかに関係なく、不思議なことに般若心経をやっている人は、すんなりと死んでいきますね」と言います。
2014.01.29
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古い格言に、「一家の中に悪人が一人おれば、その家は円満である」とあるが、ここで言う悪人とは、ことの善し悪しをこえて、「私が悪いのです」と言える優しい心の持ち主のことです。人間というものは、誰でも、「自分のすることは正しい」「相手のすることは悪い」という自己中心的な考えに凝り固まっていて、何かあると他人のせいにしがちです。そんな中で、一家の中でいつも「私が悪いのです」と言える人がいたら、その家は円満であるという意味です。例えば、お嫁さんが「私は未熟者で、何も知らない不束者ですが、一生懸命に勉強しますから、どうか教えてください」と心からお姑さんに頭を下げれば、「うちの嫁はよくできた嫁だ。何と可愛い嫁だろう」と大切にするはずです。お姑さんのほうも、「私は昔人間で何も知らないから、いろんな新しいことを教えてね。あなたに教えてもらって、私も若返りたいの」とお嫁さんの手を握ってごらんなさい。お嫁さんは、「私、何て幸せなんでしょう。もし離婚することがあっても、このお姑さんを連れて出てしまうわ」と思うかもしれません。このようにお互いが譲り合って相手を立てることを考えれば、家庭も社会も楽しく過ごすことができるようになります。昔、ある家のお嫁さんが、どうしても姑さんの意に沿うことができないでいました。昔のことなので、実家へ帰ることもできず、もう死ぬより他に道がないと決心し、どうせ死ぬのなら、檀那寺の和尚さんに話を聞いてもらってから死のうと、お寺に出掛けて一部始終を話しました。すると、和尚さんは「そらもっともや、そら死ぬしか他に道はない。早う家に帰って死になはれ」と言うので、「そんならそうします」とお嫁さんが山門の出口まで来たところで、和尚さんが「今日死ぬのも、明日死ぬのも同じや。今日一日、鬼婆の言うこと、お前聞かへんか」と声を掛けた。「そら明日死ぬのややったら、今日一日くらいは辛抱します」と、言って彼女は帰りました。その日一日、死んだと思って姑の言う通りに素直に従い、日が暮れて天井を眺めて寝ていると、どうしても明日死のうという気にもなれない。「それならもう一日やってみよう」と、朝早く起きて働き出しました。翌三日目もそうやって過ごした。何日かそんな日が過ぎて、やがてお姑さんの気持ちも和やかになってきて、「やれ嫁よ」「お茶でも飲めや」「ダンゴ食え」と嫁をかわいがり出し、とうとう仲直りして仲睦まじい姑と嫁になったということです。
2014.01.28
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1.相手の優れた点を見つけ出してほめるように心がける人間の行為や性格など、長所は短所、短所は長所、柔らか頭で視点を変えてみれば、「行動が遅い人」も、好意を持っていれば「慎重な人」に、嫌悪感を持っていれば「のろまな人」にみえます。一番身近な人からさりげない言葉や動作で、ちょっとしたことでも感謝されたりほめられたりすれば嬉しいものです。2.相手を自分の思い通りにしようとする態度を慎む「愛とは相手に変わることを要求せず、相手をありのままに受け入れることだ」とイタリアの劇作家ディエゴ・ファブリオも言っているが、相手の「ここが嫌だ」「ここがダメだ」と言って変えようとしがちだが、それは相手を支配することであって愛ではありません。夫婦の間だろうと親子の間だろうと、ましてや他人との間なら、一方的に自分の思い通りに動かそうとしないことです。3.お互いに私的な世界を認め合い尊重するどんなに愛し合っている夫婦であっても、それぞれに違った経験や友達、趣味を持つ人間だから、それぞれ違った世界を持っています。夫婦や愛という名のもとに、あまりにも一心同体を求め過ぎるとお互いに負担になります。お釈迦様が説いた教えの中にも、夫婦和合のノウハウがあります。妻は五事をもって恭敬す(つつしみ敬う)。一には先に起き(夫より先に起き)二には後に座し(夫の後ろに座り)三には和言し(言葉は柔和に)四には敬順なり(敬い従順に)五には先に夫を意うて旨を承く(夫の思っていることを先に察知して行動)夫の妻を敬するにまた五事あり。一には相侍するに礼をもってし(妻に対して礼儀をつくし)二には威厳を欠かさず(妻としての威厳を欠かせるような言動はせず)三には衣食時に随い(その時期にあった衣食をきちんとしてあげ)四には荘厳するに時をもってし(その時に相応しいように身を飾ってやり)五には家内を委託す(家の中のことは妻に任せる)今の人たちには承伏できないこともあるかも知れないが、案外人間の本質なんて昔と変わっていないものです。
2014.01.27
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伊藤さんの家庭円満の秘訣は、奥さんの話をよく聞くことだそうです。男の会話は目的会話で、簡潔に要領よくを旨としています。ところが、女性は井戸端会議や長電話でわかるように、取り留めのない話を延々とするのが好きなようです。だから、男女の会話はかみ合いにくいものです。仕事が忙しくて会話の機会も少なかった頃はいさかいも多かったが、休日や食事の時くらいは奥さんの話を聞いてやろうと思って実践し始めたら、家庭円満になったそうです。おしどり夫婦で評判の田中さんの秘訣は、ちょっとしたことでもほめることと言う。例えば、奥さんの手料理はどんなものでも、「うまい、今日の料理は作るのが大変だったろう」などと、労りの言葉を忘れない。奥さんは、「ほめられると、過去の嫌な思い出や辛かったことなどすべて忘れてしまう」と言います。太田さんは、何かの折毎にちょっとしたプレゼントを買ってきては渡す。奥さんは、「またこんなものを買ってきて」と言いつつも嬉しそうです。「夫婦だから、そんなことをいちいち口に出して言わなくても」と考えがちだが、一生付き合う夫婦だからこそ、お互いに相手を労り、当たり前と思えることでも「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉や態度で表現したいものです。
2014.01.26
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ある未亡人は、「自分が経験して嫌というほどわかったことは、どんなに望んでも二度といないということ。相手のことを心して見て、お互いに思っていることをきちんと言葉でやりとりし、夫婦の間でもぜひ褒めあって戴きたいのです。そうすることで、もっと一緒にいて楽しい夫婦になると思います」と言う。子供も巣立って夫婦だけになった伊藤さんは、ご主人の欠点ばかりが目につき、「真面目なだけが取り柄だが、その真面目さが鼻につくのよね。決まった時間に出掛けて、決まった時間に帰ってくるだけ」といつも愚痴っていました。友だちに「気持ちはわかるけれども、ご主人にもきっといいところが沢山あるはずだから、毎日一個ずつノートに書いてごらんなさい」と言われて、早速やってみたが何も思いつかない。本当は嫌なのだが、「毎日、会社に行ってくれてありがとう」と書いてみた。二日目も夜遅くまで考えた末、本当は黙って食べるのが不満なのだが「毎日、私の作る食事を黙って食べてくれてありがたい」と書いた。三日目、書くことに苦しんでいたときにフッと浮かんだのが、「夫がいてくれてありがたい」だった。それが出たとき、ご主人のすべてが美点に見えてきたと言うが、当たり前の有り難さに早く気づきたいものです。家事も何も出来ない男性の幸せ感は、奥さんがいないとダメな人が多い。相手の善いところを100点書き出して、誕生日に贈ってみてはどうですか?100点書き出そうと思うと並大抵のことでは出来ないが、愛とは関心です。相手に関心を持ち続ける気持ちが大切なのです。
2014.01.25
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リタイア後夫婦の関係を聞くと、「良くなった」は約15%、「悪くなった」が約10%という結果でした。夫婦関係を良くするコツを男性に聞くと、共通しているのは家事を分担することで、その他には何時も傍にいると鬱陶しがられるので昼間は今まで通り外に出るとか、1人で出かけることを多くするとか、いろいろと苦労しているようです。サラリーマンは、大半を会社で過ごして家にいなかったわけだから、家に急に引きこもられては奥さんは困ってしまいます。なるべく家を空ける努力をして奥さんに楽をさせてあげる、そういう心配りが大切と言うことです。つまり、適当な距離を置くのが夫婦円満のコツです。『ヤマアラシのジレンマ』という寓話があります。寒い冬の夜、ヤマアラシの夫婦が添い寝をするとき、くっつき過ぎるとお互いの体の針が刺さって痛いので離れる。離れると寒いので、またくっつく。これを繰り返して、寒くも痛くもない、ちょうど適度の距離を見つけます。それが、ヤマアラシの夫婦にとっては理想的な関係というわけです。夫婦関係でも同じで、適度な距離をおいて相手の気持ちになって考え、相手への思いやりの心を表現するほうが、かえって精神的な距離を縮めて温もりを得られるように思います。
2014.01.24
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松山市に隣接する旧重信町で60~84歳の男女3,100人を対象に配偶者の有無・喫煙習慣・糖尿病・高血圧の治療歴など17項目を調べ、5年後に対象者の生死を確認して、調査中に死亡した約200人と生存者約2,900人を比較した。配偶者の有無が死亡に与えた影響を74歳以下と75歳以上で分析したところ、75歳以上では女性は夫がいる方が死亡リスクが2.02倍に高まり、逆に男性は妻がいる方が0.46倍に下がっていた。74才以下でも同様の傾向が見られた。(夫婦一緒に住みたい女性の割合が低いのも肯ける)調査した愛媛県総合保険協会の藤本弘一郎医長は、「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は身の回りのことを助けてくれる人を失い死ぬ確立が高まる。夫は家事などを覚えて自立することが大切だ」と言う。男たるもの、妻から三行半を突きつけられないように早く自立することです。ところで、100歳以上の人に「夫婦円満の秘訣」を聞いたところ、1位「我慢」・2位「感謝」・3位「男を立てる」でした。若い間は、夫は妻に、妻は夫に100%を望むが、お互いに100%なんてあり得ず、段々と諦めではないが我慢してある程度の所で満足するのが長持ちの秘訣のようですね。
2014.01.23
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終の棲家を何処にするか、老後を誰と過ごすかは大きな問題だが、夫婦の間ですれ違いが多いので、よく話し合う必要があります。男性には自分の故郷や田舎に住みたいという人も多いが、女性は地域との繋がりも強いので、いまさら知らない土地には行きたくないという人も多いようです。私の知り合いにも、山が好きで別荘地に家を建てて引っ越したが、間もなく奥さんは息子さんもいて友達も多い最後の赴任地に一人で帰ってしまいました。また、男性達は定年後もずっと夫婦共に暮らすものと決め込んでいる節があるが、女性の方は年代を経るごとにそう思わない人が増えてきます。老後くらい旦那の世話から解放されて、自由に気楽に暮らしたいと思うのでしょうか?どうして妻が夫を避けるのかと言えば、ご飯もつくらない、洗濯も掃除もしないなど、暮らしや地域に目を向けないできたツケが回ってくるのです。高齢社会は、男性がいかに生活の自立できるかどうかが大きな鍵になると思います。つまり一人の人間として、どう自立するかを考えないと、老後の豊かな暮らし方は手に入りません。早いうちからご夫婦で老後のことをよく話し合い、普段から家事などを手伝って労っておくことが大切かと思います。米長邦雄永世棋聖は、70歳で恋ができることが目標だそうです。それには、まず妻に愛想をつかされるような男にはならないことです。妻にも愛想をつかされるような男では、70歳で恋ができるはずがありません。だが現実は、女性の1割がサッサと離婚し、6割近くが離婚したいと望んだり、離婚の可能性を考えたことがあると答えています。ある奥さんは、「お金は自由に使えるし、パトロンと思えばいいのよ」と達観しています。それに対して男性は、「妻に逆らわなければ外見上は平和」といじらしい。ゴーンさんは、子供ができても愛情溢れる夫婦でいられるコツを「妻は夫のもの、夫は妻のものと思いはじめると恋人ではいられなくなる。努力を続けないといけない。お互いの違いを理解し、相手に求める前に、自分自身がどうすれば夫婦関係が良好な関係になるかを考え、相手の喜ぶように配慮する必要がある。相手への関心が大切」という。そう、愛とは関心なのです。もう一つ大切なことは、夢を持つことです。夢を追いかけて努力をしている男なら、女性も一緒にいて楽しいはず(逆も同じ)です。さらに、その夢を二人で分かち合うことができれば、人生でそれ以上の幸せはないと思います。
2014.01.22
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終の棲家をどうするかは、自分らしく生きることと密接な関係があります。国際長寿センター「自分の介護が必要になったときに望む介護」調査(2005年)では、自宅(配偶者や親族だけ)28.6%;自宅(各種在宅サービスを活用しながら)31.7%;子供の家(各種在宅サービスを活用しながら)1.9%;特養などの福祉施設に入所4.2%;病院などの医療機関21.6%;介護機能のある民間有料老人ホームなど3.9%などとなっています。アメリカやドイツでは、在宅ホスピスが主流だが、沢山の在宅ホスピスセンターが揃い、ケアチームが患者の自宅に出向き、ボランティアも一緒に協力し、宗教的なグループなどによる組織的なサポート体制が整備されています。介護保険制度が整いつつあるといえども、日本では在宅介護はまだまだ難しいのが現状だと思います。また、少子化などもあり、老老看護の厳しさが問題となっています。実際問題として、24時間、365日の介護というのには、想像を絶する困難が横たわっています。私の友人の奥さんなど、自分自身もガンに冒されながら、90代の母を看病しながら住職をしている夫が倒れるのではないかと心配していました。欧米のような取り組みが待たれるところです。終の棲家をどうするか、どのような生活をするかで、必要経費が変わってきます。自分の老後のライフスタイルを明確にして経費を計算してみて下さい。日常生活費が退職後の主な必要経費となるが、総務庁統計局の「平成22年家計調査年表」によると、世帯主が60歳以上の平均的な日常生活の生活費は約26万円で、食料費・交際費・教養娯楽費・通信交通費などの消費支出が約23万円、税金や保険料などの非消費支出が約3万円となっています。冠婚葬祭費や友人などとの交際費、旅行やレジャーの費用、趣味や娯楽のための費用、耐久消費財の買い換え費用や住居費(持ち家か賃貸か、ローンの有無)などの経費は個人差が大きくなります。例えば、冠婚葬祭費は親戚が多い人ほど出費も多くなるし、読書が趣味で図書館で本を借りてきて読む人と、海外旅行が趣味で年2回は海外旅行をするという人では、必要額は大きく違ってきます。だから、自分の生活スタイルを決めることが大切になります。生命保険文化センターの調査では、平均的な日常生活費に約12万円程度追加されると、よりゆとりあるセカンドライフを送ることができるという結果が出ています。退職金や預貯金、年金などから、生活の質も決まってきます。
2014.01.21
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鹿児島県の離島下甑島で幻の織物「ビーダナシ」(芙蓉の繊維で織った布で軽くて涼しい)を復活させた中村悦子さんの生き方を見ていると、老齢者社会を生きる一つのヒントがあります。鹿児島大学の民俗調査で「ビーダナシ」の名が出てきた。たまたま中村さんの家に、明治初期に島に巡回してくる僧に食事の世話をするために、母が織ったと聞かされていた一枚があった。江戸時代後期のものも含めて、村に三枚しか現存していなかった。そんなに値打ちのあるものなら自分で織ってみようと、中村さんが取り組んだのが還暦の年だった。試行錯誤の連続で、樹皮から繊維をとる作業は、初めは灰汁で煮てみたが悪臭が強くてダメ。たまたま近くの川に投げこんで石を乗せておいたところ、しばらくして水から揚げてみると絹の塊のようになっていて、「これだ」と思ったという。糸を紡いで織るまでに十年。ヨモギ、ホウセンカ、タデなどで草木染めの色を使い分けるのに13年の月日がかかった。93年に鹿児島県が、甑島芙蓉布として伝統工芸品に指定した。あなたも、「もう年だから」と言わずに、成果は二の次にして、いつまでも青春の気分で何かに挑戦してみませんか? 35年間勤務した石油会社を定年制退職した宮本さんにとって、退職後の心の空白は想像を超えていた。彼は、電話はかかってこない、手紙も来ない、ものをいう場面もない、その空白は寂しさを通り越して怖さを感じたという。こうした喪失感や孤独感は、多くの定年退職者にとって思い当たる感情です。宮本さんは、これからどうなるのかと考えていたときに、ふと「OB達は何をしているんだろう」と思い、かって一緒に働いていた先輩たちを訪ねて話を聞いてみようと思った。自分自身の今後の参考にしたいという動機で始めた職場OBへの訪問取材だったが、聞く話、聞く話どれも新鮮に思え、10名分ほどまとまったところで、後輩たちにも読んでもらった。「これは面白い」「参考になる」という声を受けて、さらに訪問を続けた。聞き書きは、いつしか調査ボランティアとなり、定年後の空疎な気分はどこかに吹き飛んだ。知人の勧めで記録を自費出版し、ある新聞に掲載されると、「読んでみたい」という問い合わせが殺到した。電話で悩みを打ち明けてくる人もいるそうです。いつしか、「人の間を取り持つこと」が生き甲斐にもなってきた。まず何かを始めたら続けること、できればそれを発信してみることです。
2014.01.20
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人のために何かをするボランティアは仏教でいう布施行にも通じ、自らの生き甲斐のためにも良いものです。肩肘張らず、無理をせず、自分のできる範囲で、気楽にやればいいのです。そうでないと長続きしません。何も特別のことをしなくても、普段の何気ない対応の中でもボランティアはできます。「目の不自由な人がそばにいれば、自分が読んでいる新聞を声を出して読んでやるだけでもいい。それも、自分が読みたい時間で十分です。年取った人のために、窓を拭いてやったり洗濯してあげることだって立派な愛の表現です。あなたに出会った人が、誰でも前よりももっと気持ち良く明るくなって帰るようになさい。親切があなたの表情に、眼差しに、微笑みに、温かく声をかける言葉に現れるように」と、マザー・テレサも言いました。「人間、生まれてきたからには、人のためにちょっと何かをすること」という意味の詩があったが、沢山しようと思うと大変です。エミリー・ディキンソンは「一人の悩みを癒しえば 一人の憂いを去りえなば 疲れし鳥の一羽をば 助けてその巣に返しえば 我が生活は無駄ならず」と詠んだが、ちょっとしたことなら誰にでもできます。ニッコリと微笑みかけるだけだっていいのです。欧米の中高年者は、残り少ない人生を世の中を少しでも良くすることに使って死のうと考え、毎日ボランティアで忙しくて趣味を楽しむ暇もないという人が多いようです。リタイアした方々も、自分の半生をかけて磨いた腕を生かして、もっとボランティア活動に取り組んでみませんか。ただ長生きするだけでなく、社会のために役立ってこそ人間として生まれてきた価値があります。医学的調査によると、筋力は30歳を過ぎると衰え始めるが、知力は50代でピークに達し、80代でも高いレベルを保つそうです。その気になれば、自分が今までに学んだスキルを生かせることが沢山あるはずです。好きなこともなく、自分を孤独で不幸の塊のように思いこんでいた財産家の未亡人が、心理療法の医者を訪ねました。彼女にもたった一つアフリカスミレを育てる趣味があったので、医者は「アフリカスミレをできるだけ沢山育てて、日曜日に教会に持っていき、誕生日がきた人に一鉢ずつ贈りなさい」とアドバイスしました。それを実行すると、思いがけない喜びの葉書やお礼の手紙が来るようになり、今までは誰も近づいてこなかったのに、自分の周りに段々と笑顔の人が近づいてくるようになり、とても幸せな気分になったといいます。
2014.01.19
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海外で技術を活かしている人も多く、山下さんは「高度成長時代に学んだ技術が日本では不要になったが、アジアの高度成長に役立ち、忙しく働けることがなによりも嬉しい」と、タイの鋳物工場で不良品撲滅に取り組んでいます。退職後楽しく生きている人には、事前に準備に余念がなかった人が多い。鬼頭さんは退職10年前からハーモニカのプロを目指して研鑽を積み、定年後は公開市民講座の講師を務める一方で、ハーモニカの新しいジャンルを切り開く演奏法にも仲間と一緒に取り組み、「とにかく忙しい」とイキイキとしています。技術者だった佐野さんは、知人にパソコンを教えているが、習いたいと言ってくる人々の多くは同年代の人で、彼らを挫折させることなく教えるのに智慧を絞るのが楽しいそうです。私も、キャリアアカデミーをやっています。ある女医さんは、同年代の仲間を募って、寝たきり老人の話し相手をしたり、惚け老人の相手をしたりする傾聴ボランティアをしています。会員は、自分が同じ状態になったときに他の会員から同じ介護を受ける特典があるそうです。仕事もボランティアも面倒というなら、誰に責任を追及されるわけでもないのだから、のんびりと時間潰しを楽しめばいいのです。
2014.01.18
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こんな逸話があります。世界的なチェロ奏者バブロ・カザルス(『鳥の歌』の演奏でも有名)が90歳のときに、彼にインタビューしたサタデー・トリビューンの編集長ノーマン・カズンズさんが次のように書いています。部屋で待っていると、腰が曲がり、首を突き出すようにして足を引きずり、奥さんの腕にすがってピアノの前にようやく座った。呼吸もゼイゼイと荒く、ピアノの鍵盤の上にやっと指をのせて弾き始めても、最初はリュウマチのために指も動かない。ところが、しばらくそうしているうちに指はスッと伸び、背中はピンと緊張を帯びて、素晴らしい音を出すようになってきた。次にブラームスのコンチェルトを弾き始めると、目も眩むような素晴らしい速さで指が鍵盤を叩き、まさに体全体が音楽に溶け込んでいる。そして、演奏を終えたカザルスさんは、スクッと立ち上がって、今度は足など少しも引きずらないでスイスイと食堂に入っていき、食事をしながらインタビューを受けた。カズンズさんは、「元気の源は、やはり目の前にある仕事だ。生き甲斐を持ってる人は強い」とインタビューの感想を記しています。文字通り、仕事が彼に命を吹き込み、蘇らせたわけです。会社を辞めて1年位は、狭い庭に花や野菜をつくったり、ゴルフ三昧の日々を送ったり、若いころにやった登山をしたり、国内外の旅行をしたりして楽しむのもいいものです。でも、たまの休みに息抜きのためにするのなら楽しいものだが、毎日が日曜日で、寂寥の日々を埋めるためだけのものとなっては輝きを失ってしまいます。とくに、多少の蓄えもあって時間を持て余すような人は、心の緊張がなくなって一気に歳をとりがちです。だから、「お金の心配よりも仕事の心配が大切だ」と邱永漢さんは言いました。食事の分量だって減るし、贅沢にもそんなに興味もなくなるので、収入なんかそんなに沢山なくてもよく、職が見つかるかどうかは、見栄にこだわるかどうかだけの問題です。昔の同僚たちに聞かれたり、同窓会に行ったときに格好悪いなどというこだわりさえ克服できれば、ビルや駐車場の管理人、ガードマン、病院の事務員、いくらでも就職口はあるはずです。いつまでも虚栄心など引きずらずに、そういうこだわりを捨てて、与えられた職場で力一杯生きられる人は、気持ちも前向きで明るいから人も寄ってきて新しい友達もでき、生きて行くのが楽しくなってくるはずです。
2014.01.17
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歳を重ねるとともに肉体が衰えてきて、体のあちこちに支障が出てくるのは致し方がないが、自分自身の内面を磨き高めることに年齢は関係ありません。作家の住井すゑさんが『橋のない川』を書き始めたのは56歳のときで、第四部で一応完了したが、6年後には第五部、その3年後には第六部が出て再び『完』となった。ところがさらに19年後の90歳の時に第七部が出版された。95歳で亡くなられたとき、枕元の机には『橋のない川・第八部』と書かれた原稿用紙が残されていた。このように、人間というものは、心の持ち方次第でいつまでも挑戦していける動物です。前向きに積極的に生きることが大切で、脳卒中の後遺症があっても、「まあ健康だ」と思って暮らしている人と、「俺は麻痺も残り、もうダメだ」と思って暮らしている人とでは、寿命まで違ってきます。くよくよせず、「まだ○○ができる」と前向きに生きることです。子育てが終わった、会社を定年になった、もう終わりだ・・・と老化を受け身でとらえるのではなく、死ぬまで「こうありたい」という目標を掲げて、未知のものに挑戦し続けたいものです。そうすれば、永遠の青春の心のままであの世に逝けるはずです。
2014.01.16
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若いうちは好奇心に富むが、老いとともに好奇心や胸の高まりが薄れてきます。だが、現実には、20代でも好奇心もなく心が硬直している人が大勢いる一方、70代の人でもみずみずしい心の持ち主が大勢います。60代、70代になると、死ぬ前にこれだけはしておきたいという目標が生まれる人も多いようです。そういう気持ちがあると、心に若い頃の好奇心や柔軟性が戻ってきます。ところが、若くて体力も知力もある人でも、人生の目標が見つからないと心がすっかり硬直化してしまいます。心を何時までもみずみずしくしておくコツは、好奇心を持つことに尽きます。そのために趣味が必要であり、人生のテーマを持つことが必要なのです。不思議なことに、一つのことに打ち込むと、芋づる式に「なぜ」という疑問が湧いてきます。そして、好奇心から調べるうちに、それが脳への刺激となります。そうやって好奇心が枯れない人の心はいつまでも若く、話題も豊富で、人が寄ってきます。多くの人と出会えば、新鮮な好奇心がさらに湧いてきて、これが心の若さを保ち、人を惹きつけるという善の循環をもたらします。逆に何にも興味を持たない人は、実年齢がいかに若くても老化が早く進みます。
2014.01.15
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人は、自分の意志でこの世に生を受けたわけではありません。同様に、自らの意思で阻止できない死も訪れます。そんな折角与えられた「与生」を、精一杯燃焼させなければ勿体ない限りです。でも、人生50年を過ぎれば、自分の意志で生きられる道程の半分は過ぎ、戻り道にと差し掛かっています。定年後は死を待つだけの余生という考えもあるが、それでは寂しい限りです。自分で自分に誇れる「与生」を、最後まで全うして生きたいものです。ところで、老人ホームで生活する人たちは、単調な生活の中で無気力になりがちです。そんな中でも、率先して庭の手入れなどをして身体を使い、手を泥にまみれさせているような人の目はイキイキとしていて、背筋も伸びシャンとしています。自分で、何かやるべきことを見つける大切さが分かります。定年までは、会社が仕事というやり甲斐を与えてくれました。だが、これからは、自分自身で社会や家庭の中にささやかでもいいから役割を見つけたり、趣味を持つことをなどを通して、生きる張り合いを見つけることが大切です。自分の「与生」が本当に実のあるものだったかどうかは、これからの生き方で決まります。あなたには、後半生の楽しいドラマの台本はありますか?
2014.01.14
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シーア・コルボーンさんは、50歳まではロッキー山脈の麓の町で酪農をしながら、バードウオッチングを楽しんでいたごく普通の人です。あるとき、残る人生で何をするかを考えた。羊の世話を続けるか、薬剤師の経験を生かして薬局を開くか、勉強し直すかなどと考えたが、「ボランティアとして係わってきた水の問題を勉強したい」という意思が勝って、51歳で大学院に入り、7年後に動物学の博士号をとった。五大湖の水質を調べるうちに、世界での野生生物の異常多発が気になった。好きな映画も諦めて、早朝から夜まで、どこへ出かけても論文に目を通し、数千編を読んだ。その結果、環境中の化学物質がホルモンと似た働きをして内分泌を乱し、生殖や成長に異常をもたらすという結論に達した。ホルモンに似た物質の厄介なところは、ごく微量で体内のシステムを大きく動かすことです。96年に米国で『失われし未来』を出版し、12カ国で翻訳された。70歳になっても、研究会や講演に飛び回って見えます。人生の第三期を見事に生かして活躍している彼女は、これからの長寿社会における一つの見本です。その気になれば、何歳になっても新しい世界は開けてきます。
2014.01.13
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高齢化社会になって、第二の人生という言葉をよく聞くようになりました。退職や転職だけでなく、入学、卒業、就職、結婚、出産、両親が亡くなった時など、人生の節目はいたるところにあります。それぞれの節目をうまく乗り切っていくためには、普段から「いかに生き、いかに死すべきか」を真剣に問いつめておくことが大切です。定年後の第二人の人生にしても、定年間際になってから考え始めるのでは最早手遅れで、仕事の絶頂期に真剣に考えておくべきです。何事をやるにも、1万時間の準備が必要です。また、イキイキと活動しているときの思考は積極的だが、将来に対する不安に心を支配されているときの思考は消極的になります。若い間なら選択の幅も広く夢にあふれた可能性もあるが、歳を取るほど最早選択の余地も少なくなり、成り行き任さざるをえないことが多いものです。明るい次の人生は、成り行き任せでは開けません。若々しい躍動期にこそ前向きに自分創りに取り組み、大きな夢に挑戦すべきだと思います。定年後の人生にしても、50代から基本設計を描いて準備しておけば、充実した楽しい老後を送ることが可能になるはずです。
2014.01.12
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残された時間をすくなくとも悔いのないように生きることは、人生の後半を生きる者にとっては最大の課題です。私は死ぬまでは力一杯生きたく、ダラダラと惰性のままに生き長らえることだけは願い下げたいと思っています。でも、いつかは頭や肉体の衰えるときは必ずやってきます。だから生きたいだけ生きたら、あっさりとこの世に幕を引きたいと思っています。それには、自分がやりたいと仕事を持っていなければならないが、歳をとってから自分の満足のいくような仕事はそうあるはずもなく、自分で創り出さなければなりません。その前提として、まず幕引きの時を決めなければなりません。両親ともに80歳代まで生きたが、私は70歳ぐらいでいいと常々思っています。そこで、50代の後半に、60歳からは「あと5年の命」と決めて、5年計画で生きようと決めました。5年間など、ダラダラと生きていればあっという間に過ぎてしまいます。だが、力一杯生きようと思うと、途中でへこたれないように心身ともに細心の注意が必要です。逆に、5年しか持たせる必要がないと思えば、エネルギーを最大限に燃焼させることもできます。そこで、次代を担う若い人たちの生き甲斐と夢の実現の手助けに捧げることに思い定め精進しています。
2014.01.11
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「禅とは何でしょう。禅と生活とはどういう関係にあるのでしょう」と能の金春流家元に聞かれて、青山俊董尼は次のように答えられました。禅とか禅の生きざまといっても特別のものではありません。人生を能舞台と考えてみてください。一歩舞台に上がり、舞い舞って舞台を降りる、その最後の一歩まで本番でしょう。そのうちどの部分だけ丁寧に舞えばよいというものではなく、どの一手もどの一足も、どの一声もみな疎かにはできませんでしょう。今ここの一歩を目的とし、今ここの一瞬から目をそらさず、今ここの一瞬に命をかける。そういう一瞬の生きざまの連続が生涯となる。そういう生きざまを禅の生きざまというのです・・・。ある短歌の先生は、還暦を迎え、世間では退職というときになって、ようやく一句の言葉の深さにも気づかせていただくようになり、これからが人生の喜びの本番ですと語ります。人生に定年はありません。死の一瞬まで本番です。定年退職したからといって、昔の栄華を懐かしみ、今の虚しさを紛らわしながら生きるのではなく、生きるための手段から解放された今こそ、生きる目的をもう一度見直して人生の総仕上げに取り組んで下さい。
2014.01.10
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生まれてから就職するまでの「誰かの世話になる期間」、就職してから定年まで(子供が独立するまで)の「世の中の役に立つ期間」、その後は自分らしい人生を思いっきり楽しむ人生のゴールデンタイムという見方もあります。ゴールデンタイムまでは、親としての役割とともに、夫は夫の役割を、妻は妻の役割を演じなければならないが、リタイアはそんな役割からも解放される定年でもあると思います。リタイア後は個として自分なりの生き方をしていこうと思うと、自分にとっての幸せとは何かを真剣に考える必要があります。幸せは、身体の健康、心の健康、お金の健康の3つの要素をバランス良く満たさないことには長続きしません。つまり、知足の精神を養っていまある状態に満足すること、歳と上手く付き合って健やかに日々を過ごすこと、そして何か人のためにすることで生き甲斐に溢れた晩年を過ごせることが大切です。特に大切なのが心の健康で、自分の存在を認めてくれる人や理解してくれる人の存在と、生き甲斐が欠かせません。生き甲斐は、お役立ち意識から生まれます。歳を取るに連れて肉体が衰えるのは致し方ないが、幾つになっても心は若々しく、夢と希望を胸に抱いて、魂をあかあかと燃やし続けることです。あなたには、今を燃焼させられる何かがありますか。『呻吟語』に「老ゆるは嘆くに足らず、嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり」とあるように、老いることは誰も避けることができないが、お迎えが来るのをただジッと待つだけの人生は私には絶えられません。年金制度でギリギリのところではあるが経済的には保障され、医療保険や介護保険で病気や体の面でもギリギリの線は保証されています。では、今のサラリーマンが高齢者になったときに何が足りないのか。それは、「友達、人間の触れ合い、心の豊かさである」と堀田力さんは言います。「今日の最大の不幸はハンセン病でも結核でもなく、皆から自分がいてもいなくてもいい見捨てられた存在だと感じることである」とマザー・テレサも言いました。今の日本では経済的にはある程度不自由なく生きていけるが、無縁化社会といわれるように、心の飢えを持っている人も沢山います。誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ、それはひと切れのパンに飢えているよりもひどい貧しさではないでしょうか。そして、お金がどれだけあろうとも、これほど寂しく生き甲斐を失わせるものはありません。
2014.01.09
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核家族化が進んで親と子が同居する家庭も減り、地域社会の絆も薄れてきています。残るは夫婦関係だけだが、どんなに絆の深い夫婦でも必ずどちらかが先に逝きます。配偶者に死なれて周りには誰もいなくなり、訪ねてくれる人もいなくなると、孤独に弱い日本人は耐えられなくなり、急に老けたり呆けたりする人が多いようです。(特に男性)時には、孤独死も報じられるこの頃です。老後の孤独が嫌なら、早いうちから地域に知り合いをつくることです。(特に男性は会社関係だけで、地域との繋がりが薄い人が多い)92歳になるお婆ちゃんは、自宅に風呂があるにもかかわらず、毎日電車に一駅乗って銭湯に出掛けます。そのために定期券まで持っています。暑さ寒さも何のその、少々の風雨でも休まず、夕食後のほぼ決まった時間に出かけます。実は、その同じ時間帯に常連のお婆さんたちがやってきます。「あら、誰それさんは遅いわね。何かあったのかしら」、こんな会話から情報交換が始まり、本音を聞いてもらったり聞いてあげたり、まさに裸の付き合いです。銭湯のメンバー・タイムの積み重ねが、彼女たちの元気で長生きの秘訣らしい。汗も垢も疲れも洗い流し、お互いに愚痴を言い合い聞き合って心の垢も流してしてしまう場として、銭湯を見直してみるのも面白いかと思います。
2014.01.08
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定年後は、今までとはガラリといろんなことが変わります。その一番端的な現れが、会社の名刺が無くなった途端に、自分を紹介するものが無くなることです。そうならないためには、自分なりのキャッチコピーを考えておく必要があります。私は、コンサルタントとして身につけたスキルを学生達に伝えるキャリアアカデミーを開講し、嵯峨野の夢前案内人と名乗っています。会社へ出かけていっても疎まれることさえあり、今まで通り多くの人が接触してくるとすれば、その人はよほどの大人物か人徳のあった人です。だから、定年後しばらくすると、さまざまな定年病が起きてきます。明日することがなくなると、心の底に不安感が溜まって段々と熟睡できなくなる人もいます。訪れる人や電話、手紙も少なくなり、次第に小遣いも先細ってくるとますます身動きが取れなくなって定年病が重くなり、家に籠もりがちになります。歳をとっても、やるべきことがある人は時間を持て余すことはありません。定年病に罹らないためには、早くから趣味やボランティアを始めるとか、家庭でも普段から何でも自分でやる癖をつけておくことです。料理は意外と頭を使うので惚け防止にもなるし、すっかり若返った人もいます。
2014.01.07
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私たちは、この世に修行に来ているのだから、苦があるのは生きている証拠です。その修行が終わった者からあの世に帰れるというが、苦から逃れる唯一の方法は死を賜ることです。そう考えると、法然の言葉(極楽は日に日に近くなりにけり あわれうれしき老いの暮れかな)も納得がいきます。でも、もう人生の第2期までで十分に苦も味わったのだから、せめて第3期の人生くらいは、ゆったりと面白、可笑しく生きたいものです。それには、過去を悔いたり、将来の「老病死」を思って不安を抱くのではなく、それらは避けられないもの、その時はその時と達観して生きていくことです。誰にでも等しく訪れる死という現実。これに向き合い、受け入れることで、よき生に繋げることが、第3期の生き方としては大切だと思います。だが、生きる時間は限られているという事実は明白なのに、それをあまり意識することもなく、いや永遠に生きるかのように思って、ダラダラと過ごしがちです。死と向き合うということは、限りある時間と命の尊さ、大切さに気づくこととも言えます。「いま死んでも悔いはないか」と死を身近に考えることによって、今の生き方が充実した人生であるかどうか、生き甲斐を持った生き方をしているかどうかを省みる機会としていきたいものです。命とは時間であり、時間の使い方そのものが命の使い方と同じだと思います。ところで、自分の命を愛おしく思わない人はいないはずだが、「あなたは今という時間を大切に生きていますか」と問われればどう答えますか?「今」という時間を疎かにするということは、自分の命を疎かにすることと同じです。人生を、つまらないものにしたのも、意味あるものにしたのも、すべて自分の時間の使い方の結果であり自己責任ともいえます。「私から年齢を奪わないで下さい。これは、私が年月をかけてつくった私の財産なのだから」と言った人がいるが、年齢は隠すものではなく、それ相応の重みのあるものとすべきだと思い知らされました。真に「私の財産」と呼ぶことのできる時間とは、自分の魂を豊かにし、人の役に立つものであるべきです。世の中には年齢を気にする人が多いが、今までどんな生き方をしてきたとしても、「年齢とは私の生きた証であり誇るべき財産である」と誇れるものでありたいと思います。幾つになっても、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないもので、自分の生きた命には意味があり、いつも楽しかったと言える歳の重ね方をし、財産としての年齢を死ぬまで重ねていきたいと願っています。
2014.01.06
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嵐山にいると(何処の観光地でも)、独りでカメラを担いだお年寄りをよく見かけるが、あまり楽しそうな顔をした人はいません。私には、まるで迷子人生のように思えてきます。海外旅行などでもそうだが、趣味が時間潰しになったら楽しみも半減です。やはり、楽しい人生には人とのつながりは欠かせません。人生は旅であり、それもミステリー列車の旅のようなものです。そして、この世は所詮、寅さんのように気楽な独り旅が基本ではあるが、その先々で人と触れ合い楽しむ柔軟な気持ちが大切だと思います。そこに、喜びや楽しみが生まれるような気がします。私自身は、そんな人生の旅を楽しんできました。この世の人間界のことには、これが正解という答えはないが、究極の独り旅であるあの世の旅に出かける前に、悔いが残らないように、この世を楽しみ尽くすための私なりのヒントを書き綴ってみたいと思います。これは、自分の命を取り戻すための季節、第三期を楽しむために自分用にメモしてきたものを整理し直したもので、『快老力』(イーストプレス社)の絵本版ともいえるものです。皆様の人生に、何らかのヒントになれば幸いです。 嵯峨野にて 太田典生◆絵本版ですが絵の部分は容量の関係で割愛します
2014.01.05
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人間誰しも、生まれたくて生まれてきた人もいなければ、いくら生きていたいと思っても時がくれば命が尽きる儚い存在です。だからこそ、山本有三『路傍の石』の一節に「たった一人しかない自分を たった一度しかない人生を 本当に生かされなかったら 人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか」とあるように、たった一回しかない自分の短い人生を、悔いなく明るく楽しくイキイキと生ききらなければ、人間として生まれてきた甲斐がないと思います。それも、チェーホフ『三人姉妹』に「私は、よくこんなことを考えます。もし、生活をもう一度始めから、しかもちゃんと意識してやり直せたらね。すでに費やしてしまった生活はいわば下書きで、もう一つほかに清書があるとしたらとね」とあるように、私たちの人生はやり直しのきかない本番だけの旅です。そんな大切な人生の旅において、「いかに生き、いかに死すべきか」に心を傾けることもなくうかうかと老い、「自分の人生は何だったのだろう。生き甲斐を見つけることもできずに人生を終わるのか」と嘆く人は多いものです。だが、人生とは「自分は何者で、どうすれば幸せになれるのか、充足感をもてるのか」を追い求める終わりなき自己発見の旅であり、今からでも遅くありません。「人生って、死ぬまでの時間をどう過ごすかってことなのね。そのために何かに夢中になる。何もしないでじっと死ぬのを待っているのって、ちょっと耐えられないよね。でも、何かをしていれば、その間に命が燃え尽きる。問題は何で燃え尽きるか。自分に適したものは何か。それが人の使命でしょ。その与えられた目的に夢中になっていれば、死ぬなんて恐くない」と歌舞伎役者の坂東玉三郎さんも語ってみえたが、理想的な人生とは、死ぬまでの一瞬一瞬を夢中になって燃焼させられるものを持ち、毎日ワクワクしながら生きていくことだと思います。それが、自分の人生を生ききるということだと思います。結局、一生夢中になれて自分の命を燃焼し尽くして悔いのないものとは何か、つまり「自分の人生には生きる価値がある」と自ら思える最大のものとは何かを突き止め、後は、蓮如が「幸せとは、実際に財産や名誉を獲得することではなく、実現を夢見ることにある」言ったように、自己実現を夢みて楽しく歩き続ければいいのではないでしょうか?私は、60歳からは「後5年の命」と思い定めて、5年毎にしたいことを決めて更新しているが、100%自遊時間だから大概のことはできます。
2014.01.04
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ウルマンの『青春』の詩ではないが、身体は老いても、夢や理想、信念、自信、希望があれば、何歳になろうとも心は青春のまま保つことができます。精神科医V・E・フランクルがアウシュビッツでの体験を綴った『夜と霧』の中で、自分自身の未来を信じることができなくなった人間は内的に崩壊し、身体的にも心理的にも滅亡していったと語り、次のような例を挙げています。ある脚本家は、戦争が5月30日に終わる夢を見た。その夢を語ったとき、彼は希望に満ちており、夢の声が言ったことは正しいと確信していた。ところが開放の可能性のないことが明瞭になった5月29日に彼は突然高熱を出して発病し31日に死んでしまった。また、今までと何の状況変化もないのに、1944年のクリスマスと45年の新年との間に、収容所で未だかってなかった大量の死亡者が出た。原因は、囚人の多数はクリスマスには家に帰れるだろうという希望を抱いていたが、それが踏みにじられた結果であるという。私たちは、どんな酷い状況の中でも夢と希望がある限り幸せな気分で生き続けられるが、落胆と失望を味わった途端に朽ち果ててしまう弱い存在です。いつまでも、夢の実現に向けて近づきつつある希望を忘れたくないものです。幾つになっても毎日が楽しくって、面白くって、充実したものでありたいものだが、「上方芸能」発行人の木津川計さんは次の6点を指摘します。第1に健康であること、第2に経済的ゆとり、3番目に時間的ゆとり。確かにこれは大切なことだが、良い状態だけを求める心は、それが得られなくなったとき(また得られない人)不幸に感じます。私は健康でなくても、お金がそんなに無くても、生き甲斐に溢れた生活を送ることは可能だし、そうであることが大切だと思います。4番目が社会的な繋がり、5番目は家族の支え。人間にとって孤独ほど辛いことはないと言えるが、それにはただ人に求めるのではなく、人に対する思いやりの心を持って、自ら働きかけることが大切です。6番目が張りのある日常。私はこれが一番で、これさえあればいいと思っています。杉山平一(90才)詩集「青をめざして」の中の「マッチ」で「アンデルセンのように 夢を見ることのできるマッチを わたしは まだ何本か持っている」と歌うが、幸せって夢に向かって歩く過程に感じるもの、あなたには何本のマッチが残っていますか?
2014.01.03
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出光興産創業者の出光佐三さんは、「人生は老後にある。60歳になって過去を振り返ったとき、過去60年は一瞬のうちに過ぎ去ったことに気づくだろう。そのあいだ、贅沢したとか苦しんだとかはたいしたことではない。ところが、老年の1時間、1日というものは実に大事だ。この大事な1日を、ああいいことをしたと思って暮らすかどうかが、人生の幸・不幸の決まるところである」と言ったが、私の経験から言っても、人生の第三期をどう生きるかによって、その人の人生に対する満足感が決まるように思います。明るい次の人生は、成り行き任せでは開けません。自律した人にはたまらない時間となるが、自律できない人にとっては残酷な空白時間になりかねません。退職後を楽しく生きているには、自ら積極的に関わっていくことです。それも、定年になってから考え始めるのではなく、事前準備を怠らず、少しずつでよいから40代、50代から趣味やボランティアを始めることです。なぜなら、趣味やボランティアなどの世界でも、必ず長くやっているボス的な存在がいて、「定年になってから始めました」みたいな人は片隅に追いやられ、雑用ばかり押しつけられがちです。それでは面白くなくて、長続きもしません。50~60代男女に「自分のことを何歳ととらえているか」と聞いたところ、男女とも実年齢よりも6~15歳若かった。定年間もない60~64才の男性では、3人に1人強が11~15才若いと答えています。自分はまだまだ若いと考えている反面、人生の残り時間をどう有意義に使うかと熱心に考えるのもこの世代の特徴で、「定年後の理想のライフスタイル」は次の通りです。・仕事とボランティアと趣味 42・5% ・ボランティアと趣味 21・8%・趣味のみ 15・5% ・仕事と趣味 13・4%・ボランティアのみ 1・6% ・仕事とボランティア 1・4%定年後のお金の使い方も、「子供に残すより自分の人生を楽しむために使おう」という人が多く、旅行(海外旅行 男51・6% 女65・4% 国内旅行 男61・8% 女67・5%)や趣味(男67・5% 女57・1%)が上位を占めます。旅も添乗員がガイドするものよりも、一緒に行きたい人ややりたいことに応じて内容を選ぶ「一人十色」の旅になっています。今や定年後の自由時間は8万時間を超えるが、図の楽しみの現実からも分かるように、理想のようにはなかなかいかないのが現実かもしれません。
2014.01.02
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私たちは、とかく自分がいつまでも生きているような錯覚をおこしがちです。平均寿命が80歳を超えたと言われれば、自分も80歳位までは大丈夫だろうと思います。少なくとも、明日も明後日も生きていると考えています。そして、大抵の場合はそうなります。だから、大抵の人は、「いつ死ぬかもわからない」という事実を、「明日も生きている」という惰性に置き換えて、昨日のままに生きています。だが、私たちの命は、今日よりも明日、明日よりも明後日と確実に減っていきます。問題は、そのことをいかに自覚していくかです。今の仕事に打ち込めないというのも、そんな自らの命の尊さに気づいていないからです。ガンは死の準備をできる時間があるからよいと言った人がいるが、誰にも生に限りあることを忘れて、私たちは命が永遠にあるかのように生きています。だが、充実した人生は、成り行き任せ、人任せでは決して開けません。就職、結婚、出産、異動、法事など人生の節目、節目で、「いかに生き、いかに死すべきか」を真剣に問いつめて生きていくことが大切だと思います。極端に言えば、絶えず後3年とか5年の命と思って真剣に生きれば、今とはまた違った生き方が見えてくるはずです。あなたは、いま死んでも悔いはありませんか?だが、私たちは、坂村真民さんの詩「時」ではないが、二度と無いこの人生を、いかに生き、いかに死ぬかも考えずに、うかうかと過ごしています。季節でもその時々の良さがあるように、人間にもその時々の良さがあります。その時分の花を楽しむ姿勢こそが、イキイキと人生を送るコツであろうと思います。それは、60歳を過ぎても変わりません。だが、残された短い時間を悔いのないように生きるには、終点を5年ぐらい先に置いて、「終点から逆算して後幾つ駅が残っているのか」、「それらの駅を通り過ぎる間に何をすべきか」または「何をやりたいのか」を真剣に考えて人生計画を立て、そのうえで日々の小さな目標に置き換えて、毎日を楽しまれてはいかがでしょうか。「あの時はよかった」じゃなくって、何時までも「今が一番楽しい」と言って生きていたいものです。野際陽子さんは、上手に年を重ねていらっしゃる人で、「今が一番楽しいわ」と弾むような雰囲気があって、ちょっとした時間にも「ヒップアップに効くのよ」なんて体操されていたりしているようです。そんな野際さんを、財前直美さん「歳のせいにして自分を甘えさせないところが格好良い」と語ってみえました。◆明けましておめでとうございます いつ死んでも悔いの無いように、今日という1日を「明るく・楽しく」生きていって下さい。
2014.01.01
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