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23日は勉強会に参加。結構飲んだ。 24日は今年は誕生日を一人で迎えるというS君に付き合って、映画を見に行く。フランス映画「Disco」(ファビエン・オンテニエンテ監督)である。 (あらすじ) フランス北部の港町、ル・アーヴル。主人公ディディエ・「トラヴォルタ」(フランク・デュボスク)は生活破綻者で、定職もなく、別れたイギリス人の妻?には一人息子ブライアンにも会わせてもらえず、同居する母にがみがみ言われ、さえないジャージ姿で母のお使いの買い物に行くだけが日課の毎日である。 そんなとき、地元のクラブ経営者ジャクソン(ジェラール・ドパルデュー)がディスコダンスの大会を企画する。かつて(70年代から80年代初頭)ディスコのスターだったディディエにも、参加するよう促す。賞品はオーストラリアへのペアチケット。ディディエは少しは父親らしいところを見せようと、息子のためにオーストラリア旅行券獲得を目指して大会出場を決意する。 ディディエはかつて3人でダンスチーム「ビー・キング」(直訳すると「蜂の王」か?)を組んでいた港湾労働者のウォルターと、セールスマンのヌヌイユを説得する。今は「普通の大人」になっている二人は、20年のブランクを経て、ディディエのペースに乗せられチームを再結成する。 新しい振付を習うため、ディディエはバレエ教室に出向くが、そこで美しいインストラクターのフランス(エマニュエル・ベアール)と出会い、一目ぼれする。紆余曲折をへながらダンス大会の予選を勝ち進む中、ディディエは息子にいいところが見せられるのか。そして恋の行方は・・・・・。(感想) あらすじを見ても分かるようにベタなストーリーで、結構あらすじが読めてしまのだが、そういうのを抜きにしても面白い(愉快な)映画だった。70年代後半~80年代前半の時代をリアルタイムで知る人は勿論(観客の多くはそういう年代の人だった)、若い人にも楽しめると思う。まあヨーロッパではずっと「80年代ブーム」が続いてるしね(日本の昭和30年代ブームとはまた性格が違うんだろうけど)。 さえない中年男がダンスで奮起して、美しいインストラクターとの恋・・なんてのは「Shall we dance?」とよく似ているが、主人公ディディエはもう滅茶苦茶な人である。全然空気が読めないというか、自分の世界に生きていて、こうと決めたら自分の思うままに突き進んでいく。傍から見ている分には面白いが、実際こういうのが周りにいたら迷惑だろうなあとは思うのだが。 ラストだけは意外に空気を読んだりしていて、この辺はアメリカ映画とは違うところかなと思う。 ところで、ディディエの年齢は40歳くらいということになっているが、この物語が現在の話だとすると年齢のつじつまが合わなくなる。演じている俳優の役柄の年齢も実年齢より10歳くらい若く設定されているが、この物語は今から10年くらい前の話でないと年齢的なつじつまが合わない。30代の僕は「サタデーナイト・フィーヴァー」なんてうろ覚えなだけだし、当時ディスコでブイブイ言わせていたのなら今は50歳くらいじゃないとおかしいんじゃないだろうか。 まあ僕は歴史専攻だからつまらない詮索をしたが、見る人が元気をもらえること請け合いの映画だと思う。・・・・・・・ 映画から帰ると、全身の関節が痛い。どうも熱があるようだ。僕は元気ではなく風邪をもらってしまったようだ。早めに対処したので熱は一晩で引いた。
2008年11月24日
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夕方S君と映画を見に行く。ドイツ映画「Mein Fuehrer」(邦題:「わが教え子ヒトラー」)である。ドイツ語圏の映画で、タブーとされてきた「(動く)人間ヒトラー」が初めて登場し話題となったのは2004年の「Der Untergang」(「ヒトラー最期の12日間」)だったが、これはさらに一歩踏み込んで、ヒトラーを扱ったコメディとして話題となった。漫画ではヒトラーを茶化した作品はだいぶ前からあり店頭にも並んでいるが(どれもこれもドイツ的ギャグというか、なんか内容が汚らしいんだよね)、映画では初めてだろう。 監督は「Alles auf Zucker!」などのコメディ作品があるダニー・レヴィだが、彼自身はユダヤ系ドイツ人である。主演は「Das Leben der anderen」(「善き人のためのソナタ」)で主演したウルリッヒ・ミューエだが、彼は惜しくも昨年7月にガンのため急逝したためこの映画が遺作となった。(あらすじ) 第二次世界大戦末期の1944年12月。首都ベルリンをはじめドイツの町の多くが空襲で廃墟と化し、ナチス・ドイツの敗勢は覆うべくもなかった。宣伝相ゲッベルス博士(ジルヴェスター・グロート)はドイツ国民を鼓舞すべく、久々に計画されている総統ヒトラー(ヘルゲ・シュナイダー)の年頭演説に賭けていた。しかし敗北と裏切りの連続で人間不信に陥ったヒトラーには往年の迫力も気力も感じられない。 ゲッベルスは一計を案じ、かつてヒトラーに演説法を指導した有名な俳優のグリューンバウム教授(ウルリッヒ・ミューエ)に再び演説指導させることにする。グリューンバウムはユダヤ人で、ザクセンハウゼン強制収容所に入れられていた。最初は断ったグリューンバウムだが、家族を呼び寄せることを条件に承諾する。 指導などいらない、ユダヤ人に用などないと最初は言っていたヒトラーだが、グリューンバウムの指導を受けるうち、彼にだけはその内面を見せるようになる。一方、迫害を受けるユダヤ人同胞のため、隙を見てヒトラーを殺そうとしたグリューンバウムだが、独裁者の孤独な内面に接するうち、二人の間には奇妙な友情のようなものが生まれていた。ヒトラーも演説にやる気を起こす。 1945年1月1日、演説の時間が迫るが、ゲッベルスのこの計画にはさらに裏があった。そしてハプニングから、演説は思いもかけぬ方向へ・・・。(感想) うーん。期待しすぎたのか、正直あまり面白くなかった。「(ドイツにとって長年のタブーだった)ヒトラーを笑い飛ばす」という意図は分るのだが、あまりに単純に戯画化しすぎてしまっているように思う。コメディなんだから時代考証とかは言いっこなしなのだが、ヒトラーがチャップリン演じる「独裁者」そのままであるというか、あまりヒトラーに見えないというか。むしろもっと真に迫ったヒトラー像を出したり、冷酷・残酷な面を示したりしてブラックさがあれば「面白い」のだが。十分「滑稽」ではあったが。ドイツ人にコメディは無理なのか、あるいは題材がヒトラーではこれが限度なのか。出てくるヒトラー・ネタは大体想像の通りだった。実際のヒトラーはこの当時にはパーキンソン病が進行していたという証言もあるが、ラジオ演説を除きほとんど人前に出なくなっていた。現実は陰惨である。 むしろヒトラーの周りの人々(ナチ党員)の描写や、ドイツ人の特性ともいうべき書類主義、官僚主義の描写が面白かった。ヒトラーに最も心酔し後追い自殺までしたゲッベルスが実はヒトラーを利用することしか考えてなかったり、戦後のニュルンベルク裁判で罪を認め、長年「良いナチ」の一人とされていたシュペアー軍需相が一番ヒトラーに忠実だったりと、おそらく意図的なキャラクターの作り替えが随所に見られる。ナチスとかあの時代のことを知っていればそれなりに楽しめるし、知らなくても単なるコメディとして楽しむこともできるかもしれない。 大真面目・大仰で歴史の教科書でも読まされているような「Der Untergang」と併せて見ると、面白さは際立つかもしれない(キャストは親衛隊長官ヒムラー役のウルリッヒ・ネーテンだけが共通している)。それともこのコメディは、戦後ドイツで繰り返されてきた(左右を問わず)生真面目な「ナチスを振り返る」風潮そのものを、連中は道化だよと風刺する意図があるのだろうか。 まあそういう意味で画期的な作品ではあるのだが、もっとも驚いたのはベルリンの中心部にある旧博物館(現在はギリシャ・ローマ時代の遺物を展示)の前で、沿道に鉤十字の旗を振る群衆で満ち溢れるヒトラーの行進を撮影したことだろうか。よく当局が許可したね。それともCGなのだろうか。 麻生現首相が民主党をナチスみたいだと評したり、亀井静香が小泉元首相(引退するそうですが)をヒトラーにたとえたり、民主党の国対委員長が現代日本の風潮をナチスの勃興期になぞらえたりしている。この人たちがどれだけナチスのことをよくご存知なのかは知らないが(まあ皆さんナチスが実際に存在した時代に生まれてはいらっしゃるんでしょうが)、ドイツ人の前でそういうたとえは使わないほうがいいですよ。 悪という点では人後に落ちないとはいえ、60年前に滅んだ他国の政権が、我が国の選良(ぷぷ)によってこうも引き合いに出されるとは、ナチス、そしてヒトラーは伝説と化して永遠に生き続けるのだろうか。単純に殺した人の数(戦争除く)で比較するなら毛沢東やスターリンのほうが多いんだけどね。
2008年09月30日
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映画「モンゴル」を見る。「世界の半分を支配した」モンゴルの覇王チンギス・カンの半生を描いた歴史映画。 監督はロシア人(セルゲイ・ボドロフ)、主演は日本人(浅野忠信)、出演俳優の多くはモンゴル人や中国人、制作はドイツ、撮影地はカザフスタンや中国(タイトルと違ってモンゴル=外蒙古はないのか?)という多国籍映画である。 監督のセルゲイ・ボドロフってどんな人かと思ったら、「コーカサスの虜」の監督ぢゃないか。あれはいい映画だった。 「チンギス・カン」(本名テムジン)というと、何か畏怖というか妙に惹かれるものがあるのは、その故地であるモンゴルは言うに及ばず、「成吉思汗は源義経也」という珍書が生まれた日本でも、かつてモンゴルに蹂躙され「青い目のモンゴル人」といわれるロシア人にも、これまた「Dschinghis khan」という名(迷)曲を生んだドイツでも、特別なものらしい。そういやボンにモンゴル帝国に関する展覧会を見に行ったが、チンギスの息子オゴデイが建設したモンゴル帝国の都カラコルムを発掘調査したのもドイツ隊だった。 チンギス・カンには世界でもっともたくさん子孫を残した男とか、血塗られた殺戮者といった妙なイメージがつきまとってはいるが。 さて映画のほうであるが・・・・。最初はわくわくしながら見てたんですよ、ええ。佳作「天空の草原のナンサ」を思わせる(ストーリーはまったく正反対だが)、モンゴル(実際はカザフスタン?)の雄大な風景とか、リアルなモンゴル人の姿とか。なんか去年角川映画で大作のチンギス・カンものの映画があったそうですが、そっちは全然見てないのでなんとも言えないのだが、断然こっちのほうがいいのだろうとは同じ角川の歴史的歴史大駄作「天と地と」を見た僕には想像がついた。 物語はテムジンの生涯を伝える数少ない記録である「元朝秘史」の物語に概ね沿っている。詳しくは井上靖の「蒼き狼」でも読んでもらえば宜しいでしょう。(ちなみに「蒼き」というのは誤訳で、「灰色の狼」が正しいみたいですね。トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクもモンゴル・トルコ民族らしく、「灰色の狼」とあだ名されていた) ところが、である。なんか中のほうで「なんか長えな」と思えてきた。テムジンの妻ボルテが大活躍してテムジンを救出するくだりなどは「うっそー」とか思えたこともあって、完全に集中力が切れてしまった。いまどき長い映画は普通なので珍しくもないのだが。その後スペクタクルな決戦場面があるのだが、こちらも「ウッソー」というような顛末で勝負がつく。この辺は「元朝秘史」ではなくオリジナルな話であろうか。 浅野忠信は顔だけ取ると目つきとかが結構モンゴル人っぽくて実にいいですな。ただスタイルが良すぎというか、僕のイメージするチンギス・カンはもっと丸顔でずんぐりむっくりとして頑丈そうな人、そうだな、自身もチンギス・カンを尊敬しているという朝青龍なんかのイメージだろうか。手足がぶっとくて短めのほうが僕のイメージにはあう。 モンゴル語は分からないが、実に自然にモンゴル語で演技していて(割合口数の少ない役だから出来たともいえるが)、見事だったと思う。あと中井貴一にちょっと似ているジャムカ(テムジンの盟友でありのちにライバルとなる)役の中国人?の俳優も、ケレン味たっぷりの演技でよかったと思う。なんか歴史映画というより香港マフィアとか松竹?のヤクザ映画を見ている気分にはなったけど。 なんというか、最後はかなり端折った感じだな。「戦いの日は来た・・・・そしてテムジンは勝った」みたいな。好敵手ジャムカのその後の運命が描かれていないのがいかにも惜しい。あと史実ではチンギス・カンの人生にもっとも影響を与えたのは一時期実質的に主君として仕えたトオリル・カン(オン・カン)なのだが、こちらは全く出てこない。 血がバシャバシャ飛び散る場面もあるが、最近のアメリカ映画よりは「これは作り物だから」と安心して見られた。あとエンディングのロック?音楽がなんとなくロシア・旧共産圏チックで味があった。 総じて言えば、「エリザベス・ゴールデンエイジ」のときと同じで、「歴史もの好き、風景好き、あるいは浅野忠信好きな人にはお勧め」といえるかもしれない。・・・・・・・・ 「蒼き狼」にも描かれているけど、モンゴル人の人生ってのも大変そうだな。女や馬を奪い合ったり、腕力(相撲、弓術、チャンバラ)がモノを言ったり、危ないと分かっていても習慣だからと危地に身を晒したり。つくづく僕はこの時代のモンゴルに生まれなくて良かったと思うことしきりである。なんというか女とか羊とか馬とか財物とかをめぐって実に殺伐としている。 最近の研究ではこうした「中世モンゴル人の好きなモノ」に、貴重な戦略物資だった鉄が加わっていたことが分かってきていて、チンギス・カンの本名「テムジン」が鍛冶屋を意味するテムルチ(トルコ語だとデミルヂDemirci)の転訛というのはなんとなく象徴的ではある。詳しくはこの本が手軽でお勧めです↓ ベルリン行きの列車の中でモンゴルからの留学生とひとしきり話したことがあるのが僕の少ないモンゴル体験の一つだが、その人はまた10代でドイツに来ていてドイツ語もまだしどろもどろだった。しかしこっちが日本人と知るとしきりと大相撲の話をしてきたものだった。 モンゴルの故郷では母親が馬だか羊だかを40頭くらい飼っているとのことだったが、仕送りは少ないので(為替レートの問題もあるだろうけど)かなり生活は苦しそうだった。「ベルリンではどこに泊まるんだ?」と聞いてくるので、まさか付いて来る気じゃないだろなと気が気ではなかったので「お金がないから安ホテルに泊まるよ」と言うと、駅ならタダで泊まれるところがある、と教えてくれた。逞しさでは向こうが上だった。 ドイツ語が覚束ないのでなかなか言いたいことが分からなかったのだが、「モンゴルの女はドイツに来るとお金持ちのドイツ人の彼氏ばかり作るのでシャイセ(糞)だ」とか言っていた。恋人がどこの国の人でもいいじゃないかとは思ったが、「蒼き狼」なんかでは財産扱いされている女性のほうが、実はたくましいのだろうとか思った。今日見た「モンゴル」でもその辺は出てくる。 モンゴルにはいろいろ憧れはあるのだが、食べ物だけはどうも駄目そうだな。 あとこの映画で結構印象に残ったのは、未来の嫁を選ぶ幼いテムジン(レッドソックスの松坂大輔みたいな顔)に、父イェスゲイが諭して言う台詞で、「いい妻は塩湖のように平らな顔をしている。いい妻は細い目をしている。目が大きいと悪霊が入ってきて狂ったようになるからだ(ヒステリーのこと??)。いい妻は頑丈な足をしている」というものだった。「所違えば」と言うが、さてどうだろうか。
2008年04月14日
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最近すっかりご無沙汰のブログだったので、久々の映画ネタ。 といっても最近映画を全然見てなかったのだが、どういう偶然か、一番最近見たのはエリザベス1世の話(「Elizabeth: The Golden Age」)、その前はエリザベス2世の話(「Queen」)だった。イギリス女王続きですな(今のイギリス王室はエリザベス2世で終わりそうな気がするのだが、英国女王ブームの背景には何かあるのかね。ぼそぼそ)。 しかも「クィーン」でエリザベス現女王を演じたヘレン・ミレンは最近アメリカだかイギリスだかのテレビ・ドラマでやはりエリザベス1世を演じていたとのことで、「クィーン」を見た者としてはそれも見てみたい。そういや「クィーン」のレビューまだ書いてないな。 「エリザベス・ゴールデン・エイジ」(いつも思うんだけどさ、どうして邦題を「エリザベス・黄金時代」とか「栄光の時代」って日本語のタイトルにしちゃいけないんだろうね?別に「エリザベス」を無理に「お花さん」と訳せと言っている訳じゃないんだが)は、1998年の映画「エリザベス」のいわば続編。前作はインド(パキスタン?)系のシェハール・カプール監督による重厚な史劇映画で、僕はいたく感激したものだったが、もうあれから10年経つの???? そこで「ゴールデン・エイジ」のほうだが、こちらは時代は下って1585年から1588年にかけて、エリザベスの従姉妹でスコットランド女王メアリの処刑とスペイン艦隊によるイギリス襲来を背景に、寵臣ウォルター・ローリーとの絡みを織り交ぜつつ、「処女王」として尊敬された(あるいは憎まれた)人間エリザベスを描いている。 自らが好むと好まざるとに関わらず背負わされた女王という責務と人間としての葛藤を描くというテーマは前作と同じ。シェイクスピア劇で言えば「ヘンリー5世」の系譜に連なるというべきか。まあシェイクスピア劇に比べると登場人物はずいぶん現代的で感情的ではありますが。 先に感想を書いちゃうと、うーむ、前作ほどではないかなあと思う。前作は即位後間もなくで女王として経験もなく不安であり、全編に緊張感がみなぎっていたが、今回はスペインという強敵が襲ってくるとはいえいま一つ「ヤバそう」という緊張感がなかったように思う。いやね、映像は圧巻だし、主演のケイト・ブランシェットの演技はいつもながら大したものだと思うので文句ないのだが、何か物足りない感じがする。ストーリーのせいばかりでないと思うんだが、何なんだろ。 思い切って主演をもっとオバさんの女優にして、恋愛の要素を削ったほうが新味があったかな。「クィーン」と同じように、女王の責務に悩むというテーマに絞ってみるとか。ヘレン・ミレンなんてそれこそ適役だったと思うんだが。前作と比べると30歳近く歳を取っているはずのエリザベス、「皺が増えたわ」と嘆くシーンがあるが、全然年取ってないじゃん(とりもなおさずブランシェットもあまり老けてないということだが)。嫉妬と抑制で苦しむ姿はエネルギーあり過ぎ。 映画の最後に「エリザベス 1533‐1603」という表示が出るのだが(ほう、エリザベスは織田信長より一歳年上か)、これを見るとエリザベスが冒険家の男(ウォルター・ローリー)に胸ときめかすのは彼女が52歳頃の話ということになる。いまどき50歳の女性の恋愛はごくありふれたことで違和感もなかろうが、当時だと・・・。まあ僕はエリザベスの生年までは覚えていなかったので、映画を見ている間中「このときエリザベスは何歳だったかいな?」と反芻していた。 「恋に落ちたシェイクスピア」でジュディ・デンチが演じていた当時のエリザベスと時期的に離れていないはずだが、この作品の凛々しいエリザベスとあまりに外見上のイメージがかけ離れていて、まあ面白いといえばそうなんだが。史実は「恋に落ちた・・」の方が近かったんだろうなあ。 以下だらだらと感想。 あまりイギリス史に詳しくないのでグーグル先生に教えを請うてみたところ、映画でスペイン王フェリペ2世の傍に常にいた娘イサベル(英語ではエリザベス)は、実際は1588年当時は22歳と成人していたこと、ローリーがエリザベスの侍女ベスと結婚して投獄されたのは海戦の後などと分かる。まあ史実を少しドラマチックな風にいじるのは映画なんだから悪いことではないでしょう。「実録!」とか「~の真実」といったタイトルの映画じゃまずいだろうけど。 あとですね、スコットランド女王メアリだけど、なんかすごくイメージ悪く描かれてないか?うちの母が好きなキャサリン・ヘップバーン版のメアリのイメージがあるので(そういやブランシェットは映画「アビエイター」でヘップバーンを演じている)、サマンサ・モートンのメアリはちょっと違うなあ・・・。サマンサ・モートンはいい女優だと思うんだけど、姫様よりは町娘の役が合うかな。魅力的な敵役こそ映画を盛り上げると思うのだが。 イングランド軍が防衛に集中出来る軍勢が「3000」って、少ないなあ。それって織田信長が桶狭間の合戦で率いたとされる「寡勢」と同規模じゃん?攻めるスペイン軍は3万というが、日本で言えばおよそ100万石程度(武田信玄とか毛利元就とか)の動員能力である。まあ日本の戦国大名の軍勢なんて、かなりの部分が雑兵で荷物運びや弾除けみたいなものらしいのに対し、ヨーロッパの場合は傭兵とか組織化された職業軍人が多いみたいなので単純に比べられないが、この時代の日本が「辺境の小さな島国」などではなかったことは容易に想像できる。 最近日記を書いてなかったせいか、うまくオチが書けないのでこの辺で。 総評:歴史好きじゃない人にはあまりお勧めできないかもしれません。
2008年02月18日
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またも映画レビュー。 だいぶ前に見ていたが、書く時機を逸してのびのびにしていたクリント・イーストウッド監督の硫黄島の戦い二部作、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」をまとめて。 一つの戦いを日米双方の視点から描くというこの二作、本来は別個の全く独立した映画ではあるが(場面の使いまわしが多少ある)、監督も背景も同じだし一緒に書くことにする。「父親たちの星条旗」(あらすじ) 終戦から50年、葬儀屋を経営する老人ジョン・ブラッドリーが死んだ。彼は硫黄島の戦いに参加し、有名な報道写真「擂鉢山の星条旗」の掲揚に加わった一人だったが、生涯息子に決してそのことを語ろうとしなかった。息子は父親の過去の真相を調べ始める・・・ ・・・1945年2月、太平洋の孤島、硫黄島。若き「ドク」・ジョン・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)は上陸作戦に参加していた。事前の楽観に反して、米軍の猛烈な砲爆撃にも関わらず地下に潜む日本軍は頑強に抵抗し仲間は次々に死んでいく。 上陸から4日目、ほぼ制圧した擂鉢山の頂上に、ドクたちは星条旗の掲揚を命じられる。その写真は新聞に掲載され、アメリカ国民の戦意を高揚させた。戦時国債の売り上げに頭を悩ます政府は、星条旗の掲揚に加わった兵士の6人のうち、ドクら生き残った3人を本国に呼び戻して英雄に祭り上げ、全国を回らせて戦時国債の販売促進に利用する。 突然の変化に戸惑うドク、このチャンスを生かそうとする野心的なレニー(ジェシー・ブラッドフォード)、英雄扱いに反発し戦場ストレス後遺症に悩むヘイズ(アダム・ビーチ)。毎日のお祭り騒ぎの中、彼らの脳裏には過酷な硫黄島の戦場の現実が蘇る・・・(感想など) 戦争映画と思ったのだが、戦場場面はフラッシュバックのように挿入される回想シーンのみで(かなりの迫力だが)、あくまで話のメインは生き残った三人の帰還後の心理、特にインディアン出身のヘイズ一等兵が中心となっている。政治的思惑やお祭り騒ぎで彼らを「英雄」と祭り上げる人々と、現実には苛烈な戦場を右往左往しただけだった「普通の人」である三人の落差が描かれる。 テーマやプロットとしては、「手紙」よりもむしろこっちのほうがイーストウッド作品の嫡流といえるのではないだろうか。なぜかアカデミー賞ではほとんど話題に上らなかったが、割合地味(金はかかっているが)とはいえ、この作品単独で十分見るに値する出来ではないかと思う。登場人物が多く、また話が前後するので人物の同定でやや混乱する難はあるのだが。 硫黄島の戦いはアメリカ映画の重要なテーマの一つらしく、実際の戦闘から僅か4年後の1949年にはジョン・ウェイン主演で「硫黄島の砂」という作品が作られている。さらに1961年にアイラ・ヘイズを主人公にした「硫黄島の英雄」(トニー・カーティス主演)が制作されている。 2001年の同時多発テロの際、消防士によってその現場に不屈の闘志の象徴してぼろぼろの星条旗が掲げられたが、そのモチーフとなったのはやはり擂鉢山の星条旗らしく、いかにアメリカ人にとって心に刷り込まれている出来事か分かる。卒業式の度に国旗がどうこうと騒ぎになる日本とはえらい違いですな。 ともあれ、我ながら陳腐な感想だが、同時多発テロ・イラク戦争という時代に対するイーストウッド監督なりのメッセージをこの映画に見ない訳にはいかない。 ちなみに星条旗の掲揚に関わったのは以下の6人。マイク・ストランク軍曹(25歳)3月1日、味方軍艦の砲撃で死亡ハーロン・ブロック伍長(20歳)3月1日、迫撃砲弾により戦死フランクリン・スースリー一等兵(19歳)3月21日、狙撃され戦死アイラ・ヘイズ一等兵(22歳) 1955年に行き倒れ死レニー・ギャグノン一等兵(20歳) 事業に失敗、1979年死去ジョン・ブラッドリー伍長(22歳) 葬儀屋経営で成功、1994年死去「硫黄島からの手紙」(あらすじ) 1944年、硫黄島の海岸で塹壕を掘っている日本兵・西郷(二宮和也)。戦前はパン屋だった彼は身重の妻(裕木奈江)を日本に残し、絶望的な戦いに臨もうとしている。厭戦的な言葉を口にして上官に暴行されていた西郷を、新たに司令官として着任した栗林中将(渡辺謙)が助ける。 アメリカ駐在経験があり合理的思考の持ち主の栗林は、部下にバンザイ突撃や自決を禁じ、五輪馬術金メダリストの西中佐(伊原剛志)らと共に、米軍の本土接近を一日でも遅らせるため捨て身の持久戦で迎え撃つ準備をする。 1945年2月、圧倒的な物量の米軍が上陸し、擂鉢山にあった西郷の部隊も猛攻を受け全滅に瀕する。上官や戦友が次々と死ぬ中、栗林の方針に従った西郷は元憲兵の清水(加瀬亮)と共に友軍に合流しようと地下壕を飛び出すが、更に過酷な戦場の現実が待ち受けていた・・・(感想など) アメリカ映画では長らく、アジアとは「闇の奥」であり、風景はあってもそこの人間は奇声を発する不気味なものだった。「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」「プラトーン」といった一連のヴェトナム戦争ものがそうであるし、太平洋戦争ものでも日本兵がいきなりカンフーをしたり(「ファイナル・カウントダウン」)、異様で凶暴な敵(「パールハーバー」)だった。 最近の作品では、ガダルカナルの戦いを描いたテレンス・マリック監督の「シン・レッド・ライン」でやや毛色の違った日本兵が登場するが、逃げ回るばかりでなんだかやたら弱いうえ、何を言っているのか分からない「他者」として登場させている(字幕をあえて付けていない)。 ところがこの作品では、アメリカ人監督が、アメリカが敵として扱われ日本人ばかりが登場する映画を作ってしまった(当初は日本人監督の起用を考えていたそうだが)。脚本や考証に甘い点は多々あるとはいえ(特に憲兵の場面は「なんじゃこりゃ?」)、その志や壮というよりない。出来映えで比較にならないが、「ラスト・サムライ」の延長上にあるというべきか。 しかも日本の戦争映画につきものの作り物くささ(安っぽさ)、お涙頂戴のめめしさがほとんどなく、淡々と過酷な戦場を描いている。独断が多く同僚や参謀には評判が良くなかった(有能な軍人にはよくあることだが)という栗林中将と、率直に言って泥臭く辛気臭い日本軍の中でなんだか浮いて見える西中佐については、カッコよく描きすぎの気もするが、いささかもこの作品の価値を落とすものではない。 一見「星条旗」とは対照的な英雄物語にも見えるが、彼らもまた家族を思い手紙を送るただの人だったという至極当然なメッセージである。ましてや日本人もアメリカ人も、侵略者も正義もなく(この戦争は日本の「侵略」で始まったが、この戦いは逆に祖国防衛である)、同じように家族があり国を背負い、恐怖も憎しみも感じる普通の人間である。彼らの置かれた状況は異常すぎたが。 硫黄島はそれ自体は南北8km、東西4kmの小島に過ぎない。 こんな小島が(特にアメリカ人にとって)歴史に残る激戦の舞台になった理由は、その位置に尽きる。日本の首都東京から1100km、アメリカ軍が戦略爆撃機B29の基地としたマリアナ諸島からもおよそ1000kmとちょうど中間点になる。B29が東京を空襲する場合この島の上空を飛ぶのだが、そこにいる日本軍は敵機襲来を本国に通報でき、有利に迎撃することも出来る。一方アメリカ側にすれば、この島を奪えばB29の緊急着陸滑走路が確保でき、航続距離の短い戦闘機もこの島の滑走路から飛び立てば東京上空までB29の護衛が出来る。 事前の攻略計画でアメリカ側は攻略期間に5日、損害は死傷1万5千程度を想定していた。制海権も制空権も失っている日本軍は援軍を期待できず孤立無援で、こうした場合補給の続かない守備側にとっては一方的殺戮になりかねない。現にこうした島嶼戦を見ると、ギルバート諸島では戦闘4日で日本軍の死者5300に対し米軍死者1000、エニウェトク環礁では戦闘6日で日米の死者それぞれ2667、262。サイパン島では戦闘2週間で日米の死者は2万9千(うち自決8000)対3426である。日本軍が敢闘したといわれるぺリリュー島でも戦闘2ヶ月で日本軍の死者10695に対し米軍は死者2336、負傷8450である。米軍の想定は決して楽観ではなかった。 以下年表でまとめておく。1944年5月 栗林忠道中将、硫黄島に司令部を移し赴任7月 米軍機が島を初空襲(7月9日 米軍、サイパン島を攻略)8月 島に住む民間人800人を全て疎開10月 日本軍、全島の地下要塞化を進める10月9日 米軍がディタッチメント作戦(硫黄島攻略)発令(11月 マリアナ諸島を基地とする米軍機による日本空襲が始まる)12月 西竹一中佐率いる戦車連隊が到着12月8日以降 米軍機が連日空襲1945年2月13日 日本軍偵察機が北上する米船団を発見 16日 米海軍(900隻)の艦砲射撃が始まる 当初の準備射撃予定10日間を3日間に短縮 日本軍(兵力2万1千)の死傷は60名にとどまる 19日 米海兵隊(兵力6万1千)が上陸開始 米軍は初日に戦死548、戦傷1755人を出す 20日 米軍擂鉢山へ前進。千鳥飛行場を制圧、日本軍を南北に分断 21日 日本軍機が硫黄島沖の米艦隊に突入、護衛空母を撃沈 23日 米軍が擂鉢山に星条旗を掲揚 26日 米軍、元山飛行場を奪取、この頃までに日本軍兵力は半減3月4日 東京空襲で損傷したB29が初めて硫黄島に着陸。 日本軍兵力は4000に減少 5日 米軍、前進を停止し休養。部隊の交替を行う 6日 米戦闘機隊が硫黄島に進出 7日 日本軍が島の北部と東部に分断される(10日 東京大空襲) 15日 米軍が全島確保を発表、掃討戦に移行。 日本軍残存兵力は900 17日 栗林中将が大本営に訣別の電報。史上最年少で大将に昇進 19日 西中佐戦死か(42歳) 21日 大本営が硫黄島守備隊の玉砕を発表 26日 日本軍が最後の突撃を行い全滅。 栗林大将はこの時戦死か(53歳)1949年 1月6日 終戦を知らず潜伏していた日本兵2名が米軍に投降 米軍の損害 戦死4197、戦傷死1401、戦傷19189、行方不明494 日本軍の損害 死者20129 捕虜1023
2007年04月04日
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再び先日見た映画のレビュー。 今回はオランダ映画「ブラック・ブック」。ハリウッドで活躍するパウル・フェアフーフェン(ポール・ヴァーホーヴェン)監督(「ロボコップ」「氷の微笑」「トータル・リコール」)が20年ぶりに故国オランダに戻って、オランダ史上最高額の制作費を投じた、第二次世界大戦を舞台にしたサスペンス・ドラマである。オランダ・ドイツ・イギリス合作映画。(あらすじ) 1956年、スエズ動乱直前のイスラエル。観光旅行中のオランダ人女性ロニーは、キブツ(イスラエル入植者の生活共同体)で音楽を教える旧友エリス(カリス・ファン・ハウテン)に再会する。ロニーに再会することで、エリスは第二次世界大戦中の忌まわしい記憶を思い出す・・・ ・・・1944年、ドイツ軍占領下のオランダ。エリスの本名はラヘル・シュタインといい、ユダヤ人だった。歌手だった彼女はナチスのユダヤ人迫害から逃れるため潜伏していた。 隠れ家を失った彼女は、対独レジスタンスに属するというファン・ハインという男に、連合軍によって解放されたオランダ南部への脱出を持ちかけられる。ファン・ハインは、脱出後の生活のため全財産を身に着けて指定の場所に来いとラヘルに指示する。 ラヘルは父の財産を預かっている公証人スマールに会い、宝石などを受け取る。スマールは「脱出するまで誰も信用してはならない」と警告する。しかしファン・ハインは約束どおり、ラヘルとその家族たちを含むユダヤ人たちを川の渡し場まで案内した。川を下ればドイツ軍のいないオランダ南部である。 ところがそこへにわかにフランケン中尉(ヴァルデマー・コブス)の指揮するドイツ軍が現れ、ユダヤ人たちに銃撃を浴びせた。ラヘルは咄嗟に水に飛び込んで逃げ延びるが、目の前で家族たちを惨殺された。ユダヤ人たちが身に着けていた宝石や金銀を奪うフランケンの顔を、ラヘルはしっかりと目に焼き付けた・・・。 対独レジスタンスに属する若者ティムに救われたラヘルは、ティムの父ヘルベン(デレク・デ・リント)の率いる対独レジスタンスに加わる。そのため彼女はブルネットの髪の毛を金髪に染め、名前もエリスという偽名に変える。 彼女の最初の任務は、レジスタンスのメンバーである元医師ハンス(トム・ホフマン)と婚約者同士に化け、カップルに甘いドイツ軍の検問を掻い潜ることだった。汽車の中で荷物検査を受けそうになったエリスは機転を利かせて切り抜けるが、そこでナチス親衛隊のミュンツェ大尉(セバスティアン・コッホ)と親しくなる。ミュンツェ大尉はオランダ占領ドイツ軍の防諜担当士官で、レジスタンスの取締りに当たっていた。 ティムたちが行っていた武器輸送作戦が失敗し、ドイツ軍に捕らわれてしまう。囚われているティムたちの様子を探るため、ハンスの反対も押し切って、エリスはミュンツェ大尉に接近して情報を探り出す任務に従事することになる。それは色仕掛けのものであり、エリスは陰 毛も金髪に染めるのだった。 ドイツ軍司令部にミュンツェを訪問したエリスは、その美貌と歌声でミュンツェを誘惑することに成功する。エリスが髪を染めて接近してきたことを見抜き、一度はユダヤ人かと疑ったミュンツェだが、高ぶる感情を抑えることは出来なかった。エリスはフランケン中尉の愛人になっているロニーと共にドイツ軍司令部で働くことになり、盗聴器を仕掛けることに成功するが、一方でミュンツェに惹かれていく。 レジスタンスはファン・ハインがユダヤ人を騙してフランケン中尉に待ち伏せさせ、金品を山分けしていたことを突き止め、ファン・ハインを殺害する。怒ったフランケン中尉は捕らえているティムなど40人のオランダ人レジスタンスを処刑しようとするが、ミュンツェは総統命令に背いてもその処刑を止めようとする。実はドイツの敗戦を見越したミュンツェはスマールを仲介役にレジスタンスと取引し、レジスタンスが攻撃をやめればドイツ軍は捕虜を殺害しないと約束していたのである。 エリスがレジスタンスに属すると見抜いたミュンツェは、彼女からフランケンとファン・ハインの悪事を聞かされ、上官の将軍に横領罪で告発する。ところがフランケンはなぜか事前に対策を講じており、逆にミュンツェが上層部に無断でレジスタンスと裏交渉していることを告発した。ミュンツェは憲兵に逮捕されレジスタンスらと共に処刑されることになった。 ヘルベンやハンスらレジスタンスはスマールの反対を押し切って、仲間を救うためドイツ軍司令部を襲うことを計画するが、エリスはミュンツェも救出するよう懇願する。ヒトラーの誕生日(4月20日)パーティーにあわせた奪還作戦は成功するかに見えたが、待ち伏せたドイツ軍の前に大失敗、ハンスら数人が脱出したのみで、ティムらはあえなく殺されてしまう。裏切り者が居て事前に襲撃計画がドイツ側に漏れていたのだ。 直後にフランケンはエリスを捕らえ、レジスタンス側の盗聴器の前であたかも彼女が対独協力者であるかのような言動をした。レジスタンスはエリスを裏切り者と思い込んだ。 ミュンツェとエリスは処刑寸前にミュンツェの副官に救出され、潜伏する。すぐに戦争は終わりオランダのドイツ軍はカナダ軍に降伏(1945年5月5日)、フランケンはユダヤ人から奪った財宝を持ってドイツに逃げ戻ろうとする。 一方オランダが解放の歓喜に包まれる中、エリスとミュンツェは真の裏切り者と疑うスマールを訪問するが、スマールはレジスタンスやユダヤ人たちの動向を記録した日記帳「ブラック・ブック」を示し、裏切り者は他に居る、と主張する。ところがそのスマールが目の前で何者かに殺害されてしまい・・・・(感想など) 非常に見ごたえのある映画。大当たり。 裏切りの連続というプロットは「トータル・リコール」を、そして「良いナチスと悪いナチス」というモチーフは「シンドラーのリスト」「戦場のピアニスト」などの作品を連想させるが、それらハリウッド映画に比べはるかに深みと厚みのある作品に仕上がっている。上のストーリー紹介を読むとややこしくて面倒くさい話のように思われるかもしれないが、長尺の映画にも関わらずハラハラドキドキで飽きさせること無いあたりは、フェアフーフェン監督作品らしいというべきか。 フェアフーフェン監督がこの映画をアメリカではなく母国オランダで撮ったのは、ロケ上の都合と言うだけではなく、この映画がオランダにとって非常に重いテーマを含んでおり、お手軽な作品を好むハリウッドではとても企画が通らなかったからではないかと思う。裏切りというライトモチーフで描かれるそのテーマとは、ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害と差別意識、ドイツ占領下にあったオランダ人の対独協力、終戦後の対独協力者に対する苛烈な報復、レジスタンス内での裏切り、部下を売って生き延びようとする軍人などである。 こうした歴史的テーマを含みながらも、エリス(ラヘル)という一人の強い女性にフォーカスを絞り込んだサスペンス娯楽作品としても優れたものとなっている。最後のシーンで、「約束の地」イスラエルに移住して安住を得たはずのエリスが、またしても戦乱(中東戦争)に巻き込まれることが暗示されているのは見事と言うよりない。 ドイツとオランダというのは微妙な関係にある。この映画の中でオランダ人が普通にドイツ語を話せるように(英語も堪能だが)、オランダ語は言語学的にはドイツ語の低地方言と定義されるほどに、その関係は近い。歴史的にも同じ国に属した期間がかなりある。 しかしながら20世紀の両国は決して良い関係ばかりではなかった。第一次世界大戦で中立を守り、20年代にパシフィズムが強かったオランダは軍備を怠たり、1940年5月に中立を無視して侵攻してきたドイツ軍の前に全く無力だった。たった5日で降伏したオランダはその後5年間ドイツの占領下におかれ、ロッテルダム空襲、ドイツ軍とオランダ軍との戦闘、ナチスによるユダヤ人狩り(その犠牲者の代表が「アンネの日記」のアンネ・フランク)、ドイツ軍と連合軍の戦闘(「遠すぎた橋」のマーケット・ガーデン作戦)、そして1944年冬の大飢饉(女優のオードリー・ヘップバーンもその飢饉を体験した一人である)などで25万人が犠牲になった。 当然オランダ人の対独感情は極度に悪化し、現在のベアトリクス女王がドイツの外交官クラウス・フォン・アムスベルクと結婚しようとしたときは猛烈な反発があり爆弾騒ぎまで起きた(なお2004年に亡くなった女王の父もドイツ貴族出身だが、反ナチスだった)。しかし庶民感情で反発はあるかもしれないが、現在両国は共にEUに属し国境も開放されている。夏になるとドイツ各地でオランダのキャンピングカーを見かけるし、ドイツを訪問する観光客で国籍別で最も多いのはオランダ人であるという。元々似た文化を持ち近い関係にあるのだから、むしろ20世紀が異常事態だったということだろう。 オランダ映画というと数年前に「Die Zwillinge(De Tweeling)」という作品があった。ドイツとオランダの間で引き裂かれていく双子の姉妹を描いたものだが、オランダでは20世紀の不幸な歴史を「直視する」機運が強まっているのだろうか。それもドイツとの「和解」が進んでいるからなんだろうか?こちらはあいにく見逃したが、是非見ておきたい。 翻って我が日本のことである。最近南京大虐殺映画だの、従軍慰安婦非難決議だのといった話題が喧しい(「どう非難しようがさせとけばいいじゃん」と思うと同時に、「うぜえんだよ」というのが正直な気持ちでもある)。日本が曖昧な態度に終始して誤解を招いてきたことや、過去にひどいことをしたというのは否定のしようがないと思う。 それではこうした歴史問題を克服していくのに、日本が「徹底的な謝罪」を恒久的に行い、また例えば中国や韓国といった国が日本・日本人を悪役にした映画を作り続けて、その罪を忘れないように太鼓を鳴らし続けることが有効なんだろうか?まあ遺憾の意を表すのはよいとしても。 僕には中・韓といった国が、20世紀の歴史を背景にこの「ブラック・ブック」のような多面的で厚みのある歴史あるいは人間観の映画(娯楽作品でも可)を作るようになることのほうが、東シナ海・玄界灘を越えた相互理解と和解に繋がると思えるのだが、こういうことは「甘え」だし、「加害者」の側は口が裂けても言っちゃならないんでしょうな。
2007年03月31日
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しばらく日記がつけれらない状況だったので後日記。映画「パフューム」を見に行った。 日本ではクライマックスの750人全裸シーンCMや女性の全裸死体をあしらったポスターが物議をかもして話題ばかりが先行したが、原作はドイツの作家パトリック・ズュースキントが1985年に発表したベストセラー、監督もドイツ人のトム・ティクヴァ(「Lola rennt」「Heaven」)である。ただ出演者はダスティン・ホフマンやアラン・リックマンなど英語圏の実力派俳優、制作もスペインやフランスなど多国籍の映画となっている。[DVDソフト] パフューム ある人殺しの物語 スタンダード・エディション(あらすじ) 1766年4月13日、フランス南部の都市グラースの市庁舎前広場で、ある連続殺人犯が処刑されようとしていた。処刑は生きながら四肢を砕き最後に絞首刑にするという、最も重罪の犯罪者に行われるものだった。犯人の残酷な犯罪に激昂している群集は、早く犯人を吊るせ!と叫んでいる・・・・。 ・・・・1738年のフランス、パリ。下水や汚物処理のインフラが不備で人口が密集した当時のヨーロッパ都市は悪臭にまみれていた。人々は高価な香水でその苦痛を紛らわしていた。 そんなパリでももっとも悪臭漂う魚市場に、ある男が生まれ落ちる。ジャン・バティスト・グルヌイユと名付けられた彼は、不義の子ゆえ母に捨てられ、劣悪な環境で成長する。しかし彼には生まれつきある特異な能力が備わっていた。あらゆるものを遠くからでも嗅ぎ分けられる超人的な嗅覚である。 成長して皮革加工職人に売られた彼(ベン・ウィショー)は、劣悪な環境を生き延びる。ある日配達のため初めて街に出たジャン・バティストは、街に溢れる様々な香りに接する。彼がまず惹かれたのは香水商店の香りだった。しかし彼は、それにも勝る芳しい香りに吸い寄せられるように付いてゆく。それはプラムを売る少女の香り(体臭)だった。しかし香りに夢中になるあまり、彼は騒いだ少女を絞殺してしまう。少女の芳しい香りは、いかに彼が記憶しようともがいても、死と共に消え失せていった。 ある日使いで香水商バルディーニ(ダスティン・ホフマン)の家を訪れたジャン・バティストは、香水によって匂いを永遠に留めておくことが出来ることを知る。超人的な嗅覚を買われたジャン・バティストはバルディーニに雇われてその能力を発揮すると共に、香水作りの技術を学ぶ。その目的は、かつて自分が殺して消え失せた少女の香りを永遠に保存する技術を得るためだった。 しかしバルディーニの下でその技術が得られないと知ったジャン・バティストは、香水作りの本場・グラースへと向かう。その途中、あらゆる香りを嗅ぎ分けられる彼は自分の体臭を嗅げない、つまり自分には体臭が全く無いことに気付いた。香りこそ世界の全てという彼にとって、自分がこの世に存在する証しは存在しないのである。彼は自分の存在した証しを残すため、ある計画の実行を決意する。 ジャン・バティストがグラスで香水工場に住み込み奉公し始めてから、グラースの町で美しい少女が次々と殺害される連続殺人事件が起き、町はパニックになる。不思議なことに全裸の死体は全身に脂を塗られ、髪の毛が刈られて放置されていたが、致命傷となった鈍器で殴られた他はいかなる傷、例えば強姦の痕も見られなかった。捜査が難航する中、カトリック教会は犯人の破門を宣告するが、修道女まで殺されてしまう。 町一番の有力者リシ(アラン・リックマン)は自分の美しい一人娘ローラ(レイチェル・ハード・ウッド)が連続殺人犯の標的になっていることを直感する。全く痕跡を残さない犯人から娘を守るため、リシは娘を連れて町を出る。その直後、連続殺人の真犯人であるジャン・バティストは、ローラの香りを追い慌てて町を後にした・・・・。(感想など) いやあ、面白かった。やられたという感じ。 あらすじとか見ると単なる変質者による猟奇的連続殺人事件だし、全く愉快な物語ではないのだが、ぐいぐい引き込む説得力がこの物語にはある。そして映画の作りもテンポよく、そして時にぐええと言いたくなるような場面も交えつつ、本来荒唐無稽であるはずの物語をリアルに物語る(好調といわれている最近の日本映画に最も欠けている、つまり僕が見たいと全く思わないのは、このリアリズムの欠如じゃないだろうか)。 主人公ジャン・バティストを演じるベン・ウィショーがとにかく不気味、つまり見事に成功している。もう他の映画に出られないんじゃないかと思うくらいだ。最初この役にはディカプリオやオーランド・ブルーム、あるいはジョニー・デップのようなイケ面俳優が想定されてたそうなんだが、変質者なうえ台詞がほとんどないこの役を彼らがやっていたら、彼ら自身の代表作にはなったろうが、映画は破綻していたんじゃないかと思う。 またマーティン・スコセッシ、ティム・バートン、リドリー・スコット、スタンリー・キューブリックといった監督がこの物語の映画化を考えたが、いずれも原作者ズュースキントに断られたという。こうしたハリウッドの大物監督が映画化していたら物語の雰囲気は変わっただろうが、いい方に作用していたろうと思えない。ジャン・ジャック・アノーやジャン・ピエール・ジュネといったフランス人監督も制作をオファーしていたと言うから、この原作の映画化がいかに関心が高かったか分かる。 それにしても、これほど高い評価を与えて居るんだが、クライマックス場面はちょっとあれ?という感じがした。まさか人間に神のような力を与える○○がこの世にあるとも思えないし(ネタばれしたくないのでもどかしいが)、「俺鼻悪いんだよね」「花粉症で鼻づまり」とかいう人はあの場に一人も居なかったのだろうか。僕は絶対そういうオチでアラン・リックマン演じるリシが主人公を××してしまうと思ったんだが。 クライマックスの例の場面、群衆の中に唐突に黒人が混じっていたり、「男×男」「女×女」といった組み合わせが妙に多かったり、司教がアレに及んだりと、ヨーロッパの古い価値観を破壊するほどの威力がある、という描写のためとはいえ、あまりにも「ポリティカル・コレクト」というかあちこちに配慮し過ぎな描き方じゃないですかね。まあ性別を越えるほどの愛の境地ってことかもしれませんが。あとこの場面になにか死刑制度反対というメッセージを感じるのは、死刑制度を維持する日本に属する僕の僻目か(EU諸国は死刑制度を廃止している)。 まあそれは措いても、ラストのラストは本当に意外だった(ある意味うまく纏めたなと思う)。「骨まで愛して」「食べちゃいたいほど好き」って言葉があるが、それなんですかね。ジャン・バティストが処刑台に引き出されるまでは大体予想通りのストーリーだったのだが、その後は全く予想外の連続だった(最近の日本映画見てないけど、話が「分かりやす過ぎる」というのも僕があまり興味をもてない理由である)。 ヨーロッパ人は元々体臭がきつい上に、日本人ほど清潔に気を配らないので(特に前近代はひどかった)、匂いがその文化の重要な要素になったのは理解できる。19世紀に都市に下水が整備されるまで、二階の窓から通りに向かっておまるの中身を投げ捨てるのが普通だったのだから、映画の中の描写は決して誇張ではないと思う。 ところで、あいにく僕はヨーロッパ女性の芳しい香りなどほとんど嗅いだことも無く、「ヨーロッパ人の体臭」という言葉で思い出すのは、夏のバスの中の猛烈な香りや、発掘現場のキャンプで同室だった男の息も詰まりそうな足の匂いなんだが(泣)。僕が香りをテーマに小説を書けるとすればそれくらいか。どっとはらい。
2007年03月26日
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そろそろアカデミー賞の季節だが、今年はどの映画が受賞するやら。 映画は割合たくさん見てきたつもりだが(ジャンルに偏りはあるかもしれないが)、好きな作品を挙げろといわれたら、挙げられる数にもよるが、「イングリッシュ・ペイシェント」が入ると思う。この作品は1997年のアカデミー賞9部門(作品賞、監督賞=アンソニー・ミンゲラ、助演女優賞=ジュリエット・ビノシュ、撮影賞、衣装賞、美術賞、編集賞、音楽賞、音響賞)を受賞している。 まあアカデミー賞云々というより内容で気に入っているんだが、不倫はけしからんとか、この映画にはコロニアリズム臭がするとか、主演女優があまり魅力的でないとか野暮な話は無しということで・・・。 ただいつも感じるのだが、邦題の横文字タイトルは気に入らない。なんで「英国人の患者」じゃなくて「イングリッシュ・ペイシェント」なんだ?(あらすじ) 1944年、第二次世界大戦後期のイタリア、トスカナ地方。カナダ人従軍看護婦ハナ(ジュリエット・ビノシュ)は、数年前に北アフリカでドイツ軍に撃墜され全身に大火傷を負った謎の男(レイフ・ファインズ)に出会う。カナダ軍の移動野戦病院に収容されているこの男は怪我で記憶を失っており、身元不明のまま「英国人の患者」と呼ばれていた。 恋人や友人を戦争で失い傷心のハナは部隊を離れ、荒廃した修道院で瀕死の男を看取ろうと決意する。そこにはイギリス軍地雷処理班のインド人キップ少尉や怪しげな男カラヴァッジオ(ウィレム・デフォー)も現れ、奇妙な同居生活が始まる。カラヴァッジオは男の過去を知っていて、彼に恨みを持っているふうである。 ハナの看病を受けるうち、男の記憶は徐々に蘇ってくる。自分がハンガリー人で、戦争が起きる前にはイギリス人たちと北アフリカのサハラ砂漠を探検調査していたこと、そして共に探検に従事したイギリス人の美しい人妻キャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)と、激しい不倫の恋に落ちていたことを・・・・ 原作(読んでないんですが)はスリランカ系カナダ人のマイケル・オンダーチェの「英国人の患者」で、1992年のブッカー賞を受賞している。 この原作の主人公アルマシーには実在のモデルがいたということをつい最近知ったので、その人について書こうと思う。多少映画のネタバレになるので、映画を見てから読んでもらったほうがいいかもしれません。 その人物はアルマーシ・ラースロー・エデという人物で(ハンガリーでは苗字が前に来る。また原語での発音はアルマシーではなくアルマーシに近い)、1895年にオーストリア・ハンガリー帝国のボロスチャーンケ城(現在のオーストリア領内、ベルンシュタイン城)に生まれた。城に生まれたということから分かるように、彼はハンガリー系の貴族の家柄である。ただしアルマーシ家がベルンシュタイン城(現在は古城ホテルになっている)を購入したのは彼が生まれる3年前のことで、貴族といっても爵位はなかった。 彼は少年時代にイギリスの航空学校に留学し、当時としては非常に珍しい(ライト兄弟が人類最初の動力飛行に成功したのは、彼が7歳のときである)、パイロットのライセンスを得た。そのため第一次世界大戦にはオーストリア空軍(イギリスとは敵方だが)のパイロットとして従軍している。 オーストリア・ハンガリーは大戦に敗れ、王家ハプスブルク家は追放され、オーストリアとハンガリーも分離して領土の多くを失った。ハンガリーで共産主義者と王制主義者の内紛が続く中、アルマーシはハプスブルク家最後の王カール1世のハンガリー王復位運動に二度加わったが、いずれも失敗した。このときアルマーシはカールにより私的に叙爵されたらしく、彼は伯爵を自称するようになった。 アルマーシはオーストリアの自動車会社のハンガリー支店長になり、同時に多くのカーレースに出場して優勝した。またこの頃からエジプトに興味を持ったらしく、狩猟仲間と共にエジプトに狩猟旅行に出かけるようになった。1929年には自動車会社の宣伝も兼ねたエジプトでの砂漠レースに参加しており、これが彼のサハラ砂漠探検の最初となる。なお当時のエジプトはイギリスの保護下にあった。 最初は趣味や自動車販売の宣伝を兼ねたエジプト探検だったが、本格的な調査旅行を行うようになる。 1932年、探検資金出資者でもあるイギリス人ロバート・クレイトン卿、パイロットのペンダレル大佐、リチャード・バーマンと共に、伝説のオアシス都市ゼルズラ(13世紀の書物に言及され、サハラ砂漠東部にあったという)を目指し、エジプト・リビア国境砂漠地帯の探検に向かう。当時24歳のロバート・クレイトンが、小説の中でジェフリー・クリフトンとして登場し(映画ではコリン・ファースが演じている)、彼の妻キャサリンと主人公が不倫する設定になっている。なおこの探検はエジプトの王子にも支援されていて、自動車のT型フォードと飛行機を使った画期的なものだった。 彼らはエジプト・リビア・スーダン三国の国境が接するウウェイナト山で、先史時代の洞窟壁画を調査した。映画で「泳ぐ人の洞窟」として登場するこの洞窟自体は、以前から砂漠の遊牧民ベドウィンに知られており、既にエジプト王子により1921年に「ナショナル・ジオグラフィック」誌上で紹介されていた。先史時代のサハラ砂漠は緑に覆われており、キリンやカバ、船の壁画があることから、人が泳げるような川が流れていたと想像されている。またアルマーシは、彼らが発見したワディ・タルフこそが伝説のゼルズラであると主張した(異論もある)。アルマーシは案内のベドウィンたちにアブ・ラムラ(砂漠の親父)と呼ばれていた。 ところがこの探検は悲劇に終わった。出資者であるクレイトン卿が、調査中に砂漠蚊による急病が原因で死亡してしまったためである。なおクレイトン卿の未亡人ドロシー(24歳)は翌年夫の遺志を継いで砂漠探検に参加したが、同年イギリスに帰国した直後、原因不明の墜落事故で死亡しており、オンダーチェはこの事実に基づいてストーリー(アルマシーとキャサリンが砂漠探検中に不倫の恋に落ちるが、二人の関係に気付いた夫のジェフリーが二人を殺そうと飛行機で突入する)を設定しているようだ。 アルマーシはまた、スーダンでマジャラブと呼ばれる部族を発見している。彼らはイスラム教徒であり言語的にも風貌的にも全くアラブ人と変わらないのだが、祖先がハンガリー(マジャル)人であるという言い伝えを持っていて周囲からも特別扱いされており、おそらく16世紀にオスマン帝国がエジプトを征服した際に従軍したハンガリー人部隊が土着したのだろうと推測される。 アルマーシは1934年にハンガリーでこの探検の見聞録を出版、1939年にはドイツ語訳が出版されている。砂漠の中での洞窟壁画発見というセンセーショナルなこの本は、ウウェイナト山周辺の記録としても貴重な文献となっている。なおこの本の中ではなぜかクレイトン卿の名前が出てこない。発見の名誉を独り占めにしたかったのか、それとも他に理由があったのか。 その後アルマーシはドイツ人民族学者レオ・フロベニウスらとサハラ探検を続けると共に、エジプトで飛行機操縦の教官として働いていた。ところが1939年に第二次世界大戦が勃発、彼は故国ハンガリーに帰国した。ハンガリーはイギリスの敵であるナチス・ドイツと同盟したため、イギリス支配下にあるエジプトに居られなくなったのである。 エジプトを含む北アフリカは、イギリスとドイツ(本来はイタリアの助太刀に過ぎないのだが)の戦場になった。エジプトの地理に通暁するアルマーシを、ドイツが放っておくはずがない。ドイツ軍防諜部は彼をスカウトし、アルマーシはハンガリー空軍予備役将校の身分でドイツ空軍に属し、ドイツ・アフリカ軍団に加わった(彼はナチスの信奉者ではなかったが、映画の設定よりも能動的にドイツに協力したようだ)。ワディ・ハルファにあったクラブ・ゼルズラの仲間たちはイギリス軍の将校となったので、アルマーシは旧友たちと敵同士になった訳である。 彼の活動は明らかにされていないが、ドイツ軍がハンス・エップラー他一名をサハラ砂漠経由でエジプトにスパイとして送り込んだ「サラーム作戦」に、彼が関与したことは明白だとされる。ドイツ・アフリカ軍団の司令官エルヴィン・ロンメル将軍がアルマーシに鉄十字賞を授与したことからも、彼の活動が想像できる。 1943年にドイツ軍は北アフリカから一掃され、アルマーシはハンガリーに戻った。バルカン半島諸国に駐在していたらしい。戦争末期、ハンガリーがドイツに対し抵抗を始めると、アルマーシはイギリス軍情報部に情報を提供していたようである。1945年にドイツは降伏、祖国ハンガリーはソ連軍に占領された。 戦後アルマーシはドイツ軍の協力者としてソ連軍に逮捕され投獄された。まもなく釈放されたが、故国ハンガリーではソ連の後押しで共産主義政権が樹立された。アルマーシは馴染みのエジプトに渡って自動車会社のポルシェ社駐在員として働いたが、以前のように砂漠探検をする資金も気力も残っていなかった。 アルマーシはオーストリア滞在中の1951年に赤痢に罹り、ザルツブルクの病院で死去した。享年56歳。1995年、ハンガリーの民族主義者がザルツブルクにある彼の墓の墓碑を新調したが、そこには「パイロット、サハラ探検家、ゼルズラの発見者ここに眠る」と記されている。 気になるのは、彼が小説や映画のようにクレイトン夫人と不倫の恋をしたのかということだが、おそらくそういうことはなかったろうと思われる。彼は生涯結婚しておらず、同性愛者だったという話もある。彼が映画版の主演レイフ・ファインズのようないい男だったかどうかは、こちらのページで見てみて下さい。画像が小さくて分かりにくいかもしれませんが。あるいは(写真ではないが)こっち。 ちなみに映画の話に戻ると、この映画でアカデミー賞助演女優賞を獲得したジュリエット・ビノシュは、1999年に生まれた娘(父親はフランスの俳優ブノワ・マジメル)に、この映画での役柄にちなんでハナと名付けたそうだ。
2007年01月28日
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アイルランドには行ったこともないのだが、昔から僕の好きな国の一つである。 多分音楽とか文化のほうからの好感だと思うのだが、ドイツで実際にアイルランド人に初めて会ったときは感慨があったものだ。彼らの英語は全然分からないけど。 一方でアイルランドは苦難の歴史ももっている。特に700年続いたイギリス支配への抵抗がそれで(北アイルランド=アルスターでは最終的な決着をまだ見ていない一方で、彼らの日常語は今や「支配者の言語」である英語になっている)、映画になったこともあるし、僕もここでアイルランド独立派の対英闘争について書いたことがある。 さて昨年のカンヌ映画祭で金椰子賞(最優秀作品賞)を受賞したのはケン・ローチ監督の「The Wind That Shakes the Barley」(邦題:「麦の穂をゆらす風」)だったが、それはアイルランドの独立戦争をテーマにしているというので、見に行った。 ケン・ローチ監督はイギリスでは当代最高の監督ということだが、僕は彼の映画を見たことがない(多分)。出演者も主演のキリアン・マーフィーを除くと、アイルランド以外では無名の俳優が起用されている。このキリアン・マーフィーってなんか見たことある顔だと思ったら、「真珠の耳飾の少女」でスカーレット・ヨハンソンの相手役をやっていて、僕が「間抜け面で嫌い」とこきおろした俳優ぢゃ無いか。あと「コールド・マウンテン」にも出ているそうだが、思い出せない。(あらすじ) 1920年、アイルランド南部。アイルランド独立を求める義勇軍(IRA)と、駐留するイギリス軍との間で激しい抗争が繰り広げられていた。主人公デミアン・オドノヴァンは医者の卵で、ロンドンの病院への勤務も決まり、輝かしい将来が約束されていた。 しかし彼がロンドンに向けて発とうとする前日、挨拶に訪れた馴染みの家で、ブラック・アンド・タンズ(イギリスの治安部隊。素行の悪さで有名)の捜索に出くわしてしまう。デミアンたちが「ハーリング(アイルランドの伝統球技)をして、集会を禁止する戒厳令に反した」という理由だった。イギリス兵はデミアンたちに服を脱がせ尋問するが、その家の少年ミハール(英語ではマイケル)は英語で自分の名を言うことを拒否したために、家族の目の前でイギリス兵に惨殺された。 憤激したデミアンの兄テディらはアイルランド義勇軍への加入を決めるが、暴力を嫌うデミアンは仲間を振り切ってロンドンに向かおうとする。しかし駅でイギリス兵の暴行を受けながらも無抵抗で乗車を拒否する鉄道員ダンらの姿を見て、一転義勇軍に加盟する。テディは地区の義勇軍の指揮官になる。 テディやデミアンら義勇軍は、イギリス軍の兵舎を襲って脅迫したり、バーで飲むイギリス士官を殺害するなどの都市ゲリラ戦を行う。しかしイギリス軍は保守的な地主らの密告でテディやダミアンを一網打尽にする。テディは拷問されながらも自白を拒んだため、翌日全員処刑ということになったが、イギリス軍にいたアイルランド人兵士の助けで間一髪脱走する。ダミアンらは地主や密告者に非情な報復を行うのだった。 義勇軍の攻撃は続き、移動中のイギリス兵を待ち伏せし全滅させる。一方イギリス軍も村を焼き討ちするなど報復し、抗争はますますエスカレートするかに見えた。しかし1921年12月、イギリスはついにアイルランド独立を要求するシン・フェイン党との交渉に応じ、停戦となった。 しかしアイルランド代表団がイギリスと締結した条約は、デミアンらの理想とはかけ離れたものだった。アイルランドはある程度の内政上の自治(「アイルランド自由国」)を得るもののイギリス連邦内に留まり、議会はイギリス国王に忠誠を誓う、しかもプロテスタント住民の多い北アイルランド6州はアイルランドから分離される、というものだった。批准を巡って賛成・反対双方のアイルランド人同士の対立が深まるが、再戦を辞さないイギリス側の圧力もあり、結局条約は批准された。イギリス軍は撤退した。 しかし首都ダブリンではアイルランドの完全独立を求める条約反対派(共和軍)が蜂起、アイルランド自由国軍はそれを武力で鎮圧する。この対立は地方にも及び、ついに流血の事態となった。今や正規軍である自由国軍の将校となったテディに対し、デミアンやダンは完全独立のため共和軍に投じ、以前イギリス軍に対して行っていたゲリラ攻撃を、今度は自由国軍に行うことになる。 こうしてかつての仲間同士は互いに血を流すことになり、デミアンとテディの兄弟の間にも悲劇が起きることは避けられなかった・・・・。(感想) 凄惨なアイルランド独立闘争(テロ行為などを中心とした非対称戦であったが、アングロ・アイルランド戦争と呼ばれる)と、それに続くアイルランド内戦の悲劇を正面から描いた作品。思ったより残虐シーンはなかったが、それでも心臓に悪そうな場面もあるにはある。 同じテーマを扱った映画「マイケル・コリンズ」(二ール・ジョーダン監督)はアイルランド義勇軍の英雄コリンズを中心に描いているが、普通の人々が中心のこの作品は、より「英雄度」は低い。ただそのためなのかどうなのか、登場人物はやや型にはまった感じがするし、ストーリー展開もアイルランドの近代史に詳しい人ならばいささか説明的で、通り一遍な印象を免れないのではないだろうか。正統的な描き方といえばそうだが、凡庸といえなくもない。そう古くも無い時代(今からおよそ90年前の話)の歴史映画を作るというのはなかなか難しいところもあるのだろう。ドイツの映画評とかを見ても、ケン・ローチにしては歯切れの悪い作品、あるいは金椰子賞受賞は意外という論調が多いようだ。 「マイケル・コリンズ」では支配者イギリスの暴虐やらアイルランドの民族主義とかが前面に出て分かりやすい話だったが、なぜ団結してイギリスに立ち向かっていたはずのアイルランド人が内戦に陥らねばならなかったのかはなかなか分かりにくかった。 一方このローチ作品でほうと思ったのは、アイルランド独立闘争は民族主義闘争であると同時に、一種の階級闘争・共和主義的な色合いを持っていたことが示されるところだった。武力闘争に勝つためなら悪徳商人とも手を結ぶテディら「現実派」に対し、社会主義的志向をもつ理想派のデミアンらが違和感をもつ様子、そして独立による新たな権力者の出現などが描かれているのはより深みがあるといえる。 イギリス軍の暴虐ぶりも描かれるが、ケン・ローチ監督はアイルランド人ではなくイギリス人である。「700年の支配」からの脱却を叫ぶアイルランド人の声に比べれば、イギリス側の事情は「俺たちはソンムで命を掛けて戦ったんだぞ」という台詞くらいしかない。「ソンム」とはフランスにあるこの映画の少し前に行われた第一次世界大戦の激戦地の一つで、ドイツ軍と対戦したイギリス軍は膨大な損害を蒙った。ドイツはアイルランド独立派に対して武器や資金を供与しようとしたこともあり、イギリス側にもそれなりの理屈はある。 監督は「この映画は反英を意図した映画ではない」とカンヌでのインタビューで述べているのだが、その意図を知ってか知らずか「イラク戦争に加わったイギリスへの批判であり、とても現代的なテーマ」という見当違いの映画評も見られる。ただ彼がイラクで続く暴力の連鎖を意識して作ったことは間違いないようだ。 「マイケル・コリンズ」では独立義勇軍を指揮した英雄的な一人の男の生き様が、この作品では義勇軍に参加した無名の人々の闘争と悲劇が描かれている。しかし実際のところ、アイルランド義勇軍に全てのアイルランド人男性が加わっていたわけではない(仕事としてイギリス軍・警察に属したアイルランド人のほうが多い)。この映画では「背景」となってしまっている、「何もしなかった人々」というのがたくさんいたはずだ。僕は臆病者だから、この時代のアイルランドに生きていれば、おそらく抗争騒ぎをよそに義勇軍に加わらずジャガイモしか作れない畑を掻いていたかもしれない。次はそういう人々の視点でアイルランド独立闘争を描いた映画が見てみたいと思う。 陰惨な映画だが、背景となるアイルランドの自然は美しい。 なおタイトルは19世紀に作られたアイルランドのバラードから採られており、冒頭のミハールの葬儀の場面(テディらが義勇軍への加盟を決める場面)で歌われている。以下は最初の二節。 I sat within the valley green, I sat me with my true love My sad heart strove the two between, the old love and the new love The old for her, the new that made me think on Ireland dearly While soft the wind blew down the glen and shook the golden barley 'Twas hard the woeful words to frame to break the ties that bound us But harder still to bear the shame of foreign chains around us And so I said, "The mountain glen I'll seek at morning early And join the bold united men," while soft winds shake the barley ・・・・
2007年01月22日
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この日は映画に行く。しかしむしろ暇つぶしのようなものだったうえ、夏休みと年末の間の今の時期はどうしても見たい映画がほとんどなくなる。というわけで今日のタイトルの映画(邦題「イルマーレ」)で妥協する。なんでもキアヌ・リーヴスとサンドラ・ブロックが「スピード」以来12年ぶりに共演した映画だそうだ(「スピード」からもうそんなに経つのか・・・)。へえ。 実はこの映画、同名の韓国映画のハリウッド版リメイクなんだそうだが、それは見終わった後で気がついた。監督はアルゼンチン人のアレハンドロ・アグレシュティで、なんともグローバリズムな映画。イルマーレ(2006年度製作版)(期間限定)(DVD) ◆20%OFF!(あらすじ) 医師ケイト(サンドラ・ブロック)は、住んでいた湖畔にあるガラス張りの別荘を出て、間違って届く手紙の転送を頼むため、次の住人に宛てて郵便受けにメッセージを残した。 就職先のシカゴの病院での多忙な日々に疲れていたある日、彼女の目の前で交通事故が起き、男性が死ぬ。彼を救えなかったケイトは医師としての無力感にうちひしがれる。 建築家のアレックス(キアヌ・リーヴス)は、著名な建築家である父親(クリストファー・プラマー)との確執から、望まない仕事について楽しまない日々を過ごしている。彼は父親の建てた湖畔のガラス張りの住居に引っ越す。ある日、郵便受けに手紙が入っている。「新しい住人さん、新居へようこそ。前の住人からひと言、ここでの生活を楽しんでね。郵便局に住所変更届を出したけど、きっと配達ミスがあるわ。その時は新しい住所に転送して下さる?お願いするわ。追伸 入り口の犬の足跡は前からありました。屋根裏の箱もです。」新しい住人さん??自分の少年時代に父が建てたこの家は長年空家で無人だった。手紙の主のケイトなどという人が住んでいたはずがない。「入り口の犬の足跡」も「屋根裏の箱」もない。 なんのことだ、と訝しんでいたある日、どこからともなく現れた犬が入り口にペンキで足跡を付けていき、手紙の内容で書かれた通りになったことにアレックスは驚く。ケイトに宛てて返信すると、郵便受けにケイトからの返事が入っている。彼女と手紙のやり取りをするうち、彼女は自分が生きている二年後の2006年に生きていると知る。つまりこの郵便受けと湖畔の家(及び犬)が、二年の時を隔てている二人を結び付けているのである。二人は時間を越えた手紙のやり取りをしていくうち、互いに強く惹かれていく。 二人は会ってみたいと思いそれを試みるが、当然ながら2004年当時のケイトはアレックスを知らない。アレックスはケイトを垣間見て接近するが、当時のケイトに恋人がいる(2006年時点では「いた」)ために遠慮してしまう。 アレックスの父が病死する。反目しながらも愛していた父の死に、心に穴が開いたようになったアレックスは、ケイトに会いたいと強く願う。アレックスを励ましたいケイトも強くそれを願う。ケイトは明日(アレックスにとっては二年後の明日)、シカゴにあるイタリア料理店「イルマーレ」で会おうと提案する。早速アレックスは「イルマーレ」に赴き、二年後の明日の予約をする。 ケイトは翌日、心踊らせて「イルマーレ」に赴く。確かにアレックスによる予約が入っている。ところが彼女がいくら待っても、アレックスはその場に現れなかった。「何かの間違いだ、そんなはずがない」と(2年前の)アレックスは謝るが、裏切られた思いのケイトは「もう手紙を書かないで」と言い渡すのだった。失意のアレックスは、ケイトとの思い出の手紙を箱に詰めて屋根裏に残し、湖畔の家を後にする。 元恋人とヨリを戻したケイトは、やがてアレックスがその日「イルマーレ」に現れなかった真相を知ることになるのだが・・・・(感想など) これは所謂「タイムスリップもの」に近いものなんだろうと思うが、手紙でしか互いのやり取りが出来ない辺りは御都合主義とはいえなかなかよく出来た設定だと思う。もし自分が同じ立場になったら、株価の動向とか勝ち馬をケイトから聞いて一財産築こう、などと性低劣な僕などは思うのだが(笑)。「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」に出て来る悪役の男も、タイムスリップを利用して賭けスポーツで一財産築いてましたね。 しかしこうしたタイムスリップものの宿命である時間関係の複雑さ、そして「未来人が過去に影響してしまうことの結果」という問題がつきまとう。ケイトとアレックスの間には二年の壁があるのだが、映像上は全く差がないので見ていてちょっと混乱する(同時代にいるように見える)。例えば「イングリッシュ・ペイシェント」のように、現在進行形の場面は青を基調にした映像、回想場面は黄色を基調とした映像といった具合に、色使いなどを分けてくれれば観客にも分かりやすかったかもしれない。ただ「時間を越えた恋」がこの映画の眼目だから、こうしたおせっかいをすると却ってムード台無しかもしれない。 なんだかさほど重要とも思えない父親との確執といったちょっと御都合主義な設定、湖畔の洒落た家(これを見て新石器時代のボーデン湖畔にあった杭上住居を連想した僕は病気でしょうか)、イタリア料理店、犬、ドストエフスキーなどの小道具は、オリジナルの韓国映画の影響なんだろうか。 最後の場面でケイトは「歴史を変えてしまう」のだが、それ以前の物語が荒唐無稽な設定であるにしろある程度の論理性をもって構成されていたものが、最後の場面でなんだか時間の流れがエイヤっとねじ曲げられたような感じがした。見終わった直後に僕は感動するどころか、鉛筆を取り出して年表を作って物語の時間関係を検証しようとさえ思ったくらいである。なんだか釈然としない。 ドイツの映画レビューのサイトを見ても「最後の10分が、それ以前の1時間以上にわたる複雑なタイムスリップ物語の調和や破綻の無い物語を、陳腐な結末によってぶちこわしにしてしまった。脚本家がオリジナル作品のもつ陳腐な結末を再考すること無く無条件に受け入れてしまったことは残念という他ない」と書かれている。実にその通りだと思う。リメイクに関する契約とかで筋は変えられないんだろうけど。ちなみにオリジナルの韓国版と両方見た人は「これはオリジナルとはだいぶ違う」と言っていたそうだが。 最後に一つ。もう40歳過ぎのサンドラ・ブロックが、インターンを終えたばかりの医学生を演じるのってかなり無理がないか??「スピード」から12年、二人は様々な経験を積んで映画界のトップスターである。それがこの若作り演技というのは、成長がないというか少し寂しい。年齢相応の大人の演技で、オリジナルと違ったファンタジーばかりでない物語を見せてくれても良かったんじゃないかと思うのだが。
2006年10月28日
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この日の夕方は先週に続き「屋外映画館」に行く。今日の上映映画はスタンリー・キューブリック監督の1964年作品「博士の異常な愛情」である。今日の日記のタイトルはそのドイツ語版でのタイトル。 1964年というと前年暗殺されたケネディ大統領に代わってジョンソン大統領が登場、トンキン湾事件が発生(実は捏造だったが)してアメリカがヴェトナム戦争の泥沼にはまり込んだ年である。この映画は実際にこの3年前に起きたキューバ危機に強く影響されている事は間違いない。 この町の映画館の館主はキューブリックの熱烈なファンで、夏の「屋外映画館」シリーズでも毎年キューブリックの作品が上映される。僕は「スパルタカス」「バリー・リンドン」など歴史物はみたことあるが、キューブリク作品をよく知っているわけでは無く、この映画も初めて見た。(あらすじ) 米ソが膨大な核兵器を抱えて睨み合う東西冷戦のさなか。ソ連が人類を滅亡させる最終兵器を開発したという噂が流れていた。 そんなある日、米軍基地の司令官リッパー将軍は「R作戦の実行に移れ」と下命する。命令の電話を受けたマンドレーク大佐(ピーター・セラーズ)は演習では無いと知って仰天し将軍の執務室に赴くが、半ば狂っている将軍はマンドレークを部屋に軟禁して命令が実行されるのを待つ。 アメリカ戦略空軍はソ連との核戦争に備え、24時間体制で核兵器を搭載したB-52爆撃機を飛ばしていた。各機は50メガトンの威力をもつ核兵器を積んでいたが、これは第二次世界大戦で使用された全火薬の16倍の威力になる。通常飛行でのんびりしているところに「R作戦」命令を受けた機長の一人、コング大佐は「マジかよ」と仰天する。R作戦とはソ連に対する先制核攻撃だったからである。しかし命令は命令、各機ソ連の目標に向って飛んでいく。 この異常事態は愛人と情事の最中だったタージドソン将軍(ジョージ・C・スコット)にも入る。一方、基地ではマンドレークがリッパー将軍を説得していたが、将軍は「戦争は政治家にゆだねてはならん。彼らにはそんな時間も素養もない。ここで手をこまねいて共産勢力、共産思想の侵入を見過ごすわけにはいかんのだ」と頑として作戦の実行を進める。 タージドソン将軍も出席して、大統領(ピーター・セラーズ二役)を中心とした安全保障会議が開かれていた。「核攻撃の権限は自分にしかないはずだ」と憤り説明を求める大統領に対し、タージドソンは、これは確かにリッパー将軍の越権行為だが、発進した飛行機は作戦遂行上の様々な制約(通信禁止など)からもはや引き返させる事は出来ない、と説明する。さらにむしろ嬉々として「これでソ連のミサイル基地を叩くべきです、そうすれば向こうは1億2千万が死に、こっちは2千万が死んで戦争はこっちの勝ちに終わる」と説明する。 呆れた大統領はソ連の指導者にホットラインで電話して、外交辞令を尽くして言い訳する。「実は爆弾のことなんだけど、こっちの将軍が頭がおかしくなってね・・・。爆撃機の呼び戻しに努力しているけど、ダメだったらそっちで撃墜して欲しいんだ」 ソ連の迎撃ミサイルでアメリカ爆撃機は撃墜されるか呼び戻されるかするが、コング大佐の機は損傷したものの生き延び、通信機の故障で攻撃中止命令も届かずにさらに目標に向って飛び続ける。一方、大統領は勝手に攻撃命令を出したリッパー将軍の基地に部隊を向わせるが、交戦となる。攻撃側の「共産主義者」に部下が全員降伏したと知ったリッパー将軍は自殺して、マンドレークだけが残される。マンドレークは大統領に事態の危急を知らせようとするが、執務室の電話は破壊されており、公衆電話で大統領に電話を試みるが小銭が足りない。 コング大佐の機が飛び続けている間、ソ連大使が大統領に対し、ソ連は攻撃されれば自動的に核兵器で反撃し人類を滅亡させる兵器を完成させている、と告げる。「同じものをアメリカも作ったとニューヨーク・タイムズも報じていたが?」と大使はいうが、大統領は知らない。実はドイツ人の兵器開発担当者であるストレンジ博士(ピーター・セラーズ三役)が勝手に開発していたものだった。アメリカが攻撃されればコンピュータが自動的に反撃し、地球を10ケ月で死の灰で覆ってしまうものである。核の半減期は93年。 博士は熱弁を続ける。「地下1000メートルに選ばれた人間が100年過ごせば地上に出られます。男性1に対して女性10を交配し、人類の伝統と未来を守るのです」。夢中になって車椅子から立ち上がった博士は右手を斜め上方に突き出し「ああ、歩けます、総統!ハイル・ヒトラー・・・」と叫んでいた。 コング大佐の機は目標に達したが、爆弾倉の扉が開かない。大佐自ら修理に向かい、扉が開いて爆弾に跨がったままの大佐は目標に向って落ちていく。こうして世界中にキノコ雲が次々と立ち上った。「♪We'll meet again, don't know where, don't know when. But I know we'll meet again, some sunny day Keep smiling through, just like you always do. Till the blue skies drive the dark clouds far away. So will you please say hello to the folks that I know. Tell them I won't be long. They'll be happy to know, that as you saw me go I was singing this song ...」 ものすごいブラックユーモアの作品で、現実に冷戦の真最中でこの作品のほんの数年前に核戦争の危機が現実にあったことを考えれば、そのブラックぶりが分かると言うものだろう。現代の映画でここまでブラックな、そして批評精神に溢れたものはあるだろうか。笑うに笑えない作品だが、無責任な将軍やマッド・サイエンティスト、なんとも頼りない大統領、自分のやっていることの恐ろしさに思いの至らない爆撃機の機長、いかにも当時のアメリカ人がソ連人に対してもっていたイメージの型通りのソ連大使など、登場人物がものすごく笑わせてくれる。一人で三役を演じたピーター・セラーズの演技が鬼気迫る。 ストレンジ(ドイツ語だとゼルトザム)博士はSF映画によく出てくるマッド・サイエンティストの一人だが、そのモデルはやはりフリッツ・ラング監督のドイツ映画に出てくるマブセ博士だと教えてもらった。またピーター・セラーズはチャップリンに影響を受けており、当然その代表作「独裁者」で描かれるヒトラーが頭の中にあったという。ナチスの科学者が戦後に戦勝国である米ソ両国でその研究活動を続けたことは、ロケット開発の父ヴェルナー・フォン・ブラウン博士を挙げれば十分だし、ナチスといわずドイツ(あるいはユダヤ)系といえば「原爆の父」オッペンハイマーやアインシュタインがすぐに思い浮かぶ。やはりナチスは20世紀最大の悪であり、同時に恐ろしい「魅力」をもっているということか。この映画を見ていたドイツ人たちは屈託なく笑っていたが。 先日ニクソン大統領がヴェトナム戦争中に核攻撃を計画していたとかいう文書が公開されたが、それを持ち出すまでも無く日本は60年前に実際に核攻撃を受けている。今でも核兵器開発を誇らしげに宣言する国が近くにあり、その国を今更挙げるまでも無く、既に核弾頭を運べるミサイルが多く日本に向けられている。 今では冷戦構造が崩壊し人類が滅亡するような核戦争の危機は当面は去ったとは思うのだが、「歴史の終焉」どころか新しいかたちの凄惨な戦争(単純な死者数比較では20世紀よりは大きく減っているが)は続いている。映画のテーマは過去のものとなったが、むしろ宗教的信念ともいえるものを持っているリッパー将軍やストレンジ博士を笑って見ていられるのだろうか。
2006年07月31日
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この日はDに誘われて映画に行く。今日の日記のタイトルにあるように「カリブの呪い2」、すなわち「パイレーツ・オブ・カリビアン2」である。 ・・・・つかなんで「パイレーツ」とカタカナで書かんといかんのじゃい、「カリブの海賊」と書きゃいいじゃないか、え?日本の配給会社さんよお。しかもご丁寧に副題は「/デッドマンズ・チェスト」ときたもんだ。「チェスト」と言われてピンと来る英語力をもつ日本人が一体何人いるってんだ、え?かくいうおいらも分かんねえや。薩摩弁の「チェスト!」なら知ってっけど。 ちなみにドイツじゃ既述のようにドイツ語のタイトルだし、こんな珍妙な副題はついていない。【中古】洋画DVD パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト ・・・・といきなりルードな言葉遣いでくさしてしまったのは、もともとこの映画を見に行くつもりは全然なかったからである。ドイツ人の友人Dが暇つぶしにこの映画に行こうと誘われて、「まあいいか」と付いて行ったののみだった。 というか彼は反グローバリゼーションの活動家(というほど大袈裟なものでも無いが)で、日頃「俺はハリウッド映画は見ねえ」と公言している癖に、「指輪物語」(これも日本じゃ「ロード・オブ・ザ・リング」とカタカナ表記なんだよね。しかも原題とすら違うし)やこの「カリブの海賊」は見に行きたがる。僕はこの手の妖怪というかファンタジーものは全然興味が持てないのでそもそも見に行く気が起きないんだが、この手の映画は彼のようなリベラルなヨーロッパ人の心の琴線に触れるものでもあるんだろうか。単に彼女が仕事で他所に行っているための暇つぶしをしたかったのかもしれないが、こっちだってまあ忙しいし(それならこんなブログ書くなと言うツッコミはなしね)、彼だって転勤が近くて忙しいはずなんだが。 ちなみにやはり彼に誘われて第一作のほうも見に行った。こちらは期待せずに行った割にとても楽しめた、と告白しておく。まあだから2にも行ったのだが。 ところが座った席が悪かった。僕のくさしぶりとは裏腹にドイツでも大人気のこの映画、ものすごい入りである。そのため上映一時間前になってのこのこ券を買いに行った僕らは、前から三列目の席しか取れなかった。つまりジョニー・デップやら出てくる妖怪の顔やらがどアップで迫ってくる。こう書くと聞こえはいいけど、ずっと斜め上方を見ていないといけないし、この映画に多いアクション・シーンを見ていると目が回ってしまった。 ・・・まあそれでも見に行く。話は前作の続きと言えば続き。ヒーローの一人ウィル(オーランド・ブルーム)とヒロインのエリザベス(キーラ・ナイトレー)は結婚を目前にしていたが、海賊スパロー船長(ジョニー・デップ)を助けた咎でウィルとエリザベスは逮捕される。スパロウを連れてくることを条件にウィルは釈放される。一方スパロウは前作で不死身の海賊バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)から自分の船ブラックパール号を取り戻したが、今度はその船を手に入れるために「深海の悪霊」デイヴィ・ジョーンズと交わした13年前の契約が満了となり、ジョーンズはスパロウの魂を奪うべく「さまよえるオランダ人」としてカリブ海をさまよっていた・・・、てな具合。 最初はいろいろ新しい話が出てきて、へえへえと聞いているだけである。前作の方がシンプルで良かったなあと既に感じる。しかしアクションやスケールの方はこっちのほうが格段にアップしている。笑わせてくれるシーンも多い。しかし上に書いた通りアクション・シーンをずっと見ていると目が回って気持ち悪くなってしまった。しかも長いんだなこの映画。買ったビールなんて映画が始まる前の広告(予告編)見ている間に飲んじまったし。 そしていよいよ悪役の「さまよえるオランダ人」とデイヴィ・ジョーンズの登場となるわけだが・・・・。いかん、これで見る気を無くしてしまった。頭部がイカの海賊なんて見せられると、もう萎えてしまった(こっちの人はイカ見ると「気持ち悪い」と思うんだろうが、僕は妙にスルメが食べたくなった)。あとはストーリー理解を完全に諦めてアクションだけを楽しんだ。まあキーラ・ナイトレーが目の保養にもなるし。 そしてラストだが、まるでスターウォーズの「帝国の逆襲」のような終わり方。これじゃ途中じゃないか。「3も見てね」といわんばかりの終わり方(見るもんか)。しかもそのストーリーも既に少し明らかにされていて(映画の中じゃ出てきません)、チョウ・ユンファ演じる中国人の海賊にエリザベスがさらわれたりするんだそうである。 僕はネット上で(より正確にいうとここからリンクしているLeadcoreさんの映画レビューで)、タイトルロールの後(つまり最後の最後)に「おまけ」シーンが出てくる、ということを知っていたので、エンドタイトルが始まっても席に座っていた。 実はこれはドイツの映画館では奇異な事で、大抵の観客はエンドロールが始まるとさっさと席を立って帰ってしまうのが普通なのである。日本の映画館みたいに行儀よく最後の最後まで見る人はまずいない。しかし僕らが席を立とうとしないので、周りのめざとい人は「こいつらが動こうとしないと言う事は、これはラストにおまけシーンがあるな」と気付いて残っている人も結構居た。 そして待ちに待った(これだけの映画だからスタッフがやたら多いんだこれが)ラスト・・・・がーん、これだけかい。しょーもな!待たせてしまった周りの人にむしろ申し訳ない気がしたよ全く。ドイツ式にさっさと帰った方が良かったかも。
2006年07月29日
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この町では毎年夏に「オープン・エア・キノ」と称する、映画の屋外上映会が山の上の城の横にある広場で開催される。入場料は映画館より少し安いくらいで、屋外だし夜だけに時々肌寒い事があるのだが、画面は大きいしなかなかのものである。映画は毎週週末に上映され、その時々の話題作や古典的名作が上映される事が多い。 というわけでこの日はDに誘われるまま映画「イージー・ライダー」を見に行く。僕が生まれる前の1969年アメリカ映画、デニス・ホッパー監督の伝説の作品である。(あらすじ) 1960年代のアメリカ南部。キャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)とビル(デニス・ホッパー)の二人は、麻薬取り引きで儲けた金を元手に、アメリカ南部をバイクで放浪する旅に出る。しかしグラス(マリファナ)を常用しヒッピー然とした彼らに対して、アメリカ南部の住民達は冷たく、時に敵意さえむき出しにする。ホテルでは宿泊を拒否され、レストランでは注文を取りに来ず他の客に嫌みを言われ、パレードに参加すると不法デモという言い掛かりをつけられて留置場にぶち込まれる。 それでも彼らは愛車のバイクにまたがって旅を続ける。不毛の地を農地にしようとする若者達の劇団コミュニティ(なんだかキブツみたいだ)に出くわしたり、アル中の元弁護士ハンセン(ジャック・ニコルソン)に出会って彼を旅に伴ったりする。しかし、「自由」を体現する彼らに、南部住民の目は冷たかった。「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、自由な奴を見るのは怖いんだ・・・」とハンセンはこぼす。その直後、野宿していた自然公園で寝ているところを彼らは地元民に襲撃され、ハンセンは撲殺される。ハンセンの勧めに従って二人はニューオーリンズの謝肉祭に参加し、グラスでトリップ状態になるる中、墓地で娼婦と狂いまくる。 結局二人は、路上たまたま通りかかった地元民に、まるで駆除でもされるかのように虫けらのように射殺され、道ばたに転がった彼らのバイクは炎上するのだった。 僕はこの映画を見るのは実は初めてだったが、実に面白かった。 もちろん僕には60年代アメリカのカウンターカルチャーや、ましてやグラス常習者に共感するような知識も体験もないので(全共闘世代でもない)、その辺は全く異文化なのだが、なんとなく言わんとすることは理解出来る。 そしてアメリカはこの頃と基本的にあまり変化していないんだな、という感じを受ける。もちろんこうした映画によってヒッピーやらグラスやらロックやらといったカウンターカルチャーはむしろ大衆化・商業化して大いに広まり、アメリカ文化に変化をもたらしてはいるだろう。しかし巨大な国の中での極端な異文化併存という状況は今も同じである。今はヒスパニックも加わってより深刻かもしれない。 そしてかなり行き当たりばったりで完成したというこの映画、当時としてはいろいろな新味があったという。まず今は一大ジャンルとなっているロード・ムーヴィーのはしりであるということ。そして今では当たり前になってるが、オリジナルのサウンドトラックをもたず、有名楽曲(「ザ・ウェイト」ザ・バンド、「イフ・シックス・ワズ・ナイン」ジミ・ヘンドリックス、「ワイルドでゆこう」ステッペン・ウルフ、「イッツ・オールライト・マ」ロジャー・マッギン)を借りてきてオムニバスとして流す事などである。 ハンガリー動乱でアメリカに亡命してきたカメラマンであるラースロー・コヴァーチが撮った、雄大な南部の自然の中でのバイクの疾走シーンも素晴らしい。ちょっと景色は違うし地元民の対応も違うが、トルコの大地をおんぼろワゴンで疾走する例年の自分の体験が蘇ってしまいましたよ。 映画を見終わった後、一緒に見ていたD(ドイツ人)が「アメリカの似非民主主義よ」と吐き捨てるように言った。確かにその通りだと思う。穏健なヨーロッパの民主主義に比べ、アメリカのそれはより刺々しく攻撃的で、時に独善的ですらある。 しかし彼らヨーロッパの若者がその荒々しいアメリカ民主主義の産物であるアメリカのカウンターカルチャーに共感し憧れる一方で、ヨーロッパが同じような映画を生み出していないとすれば、彼らの属するヨーロッパの文化とはいささか退屈なものであるということではないか?と思ったが、黙っていた。
2006年07月24日
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この日は夕方映画に行った。今日の日記のタイトル「Das Leben der Anderen(他人の生活)」(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督)である。旧東ドイツを舞台にした映画らしい。 この町の小さな映画館でもう17週も上映しているのだが、ドイツの映画賞で7部門受賞というからいい映画なのだろう。観客はあまり多くなく、ほとんどが僕より年齢が上の層だった。[DVDソフト] 善き人のためのソナタ (通常版)(あらすじ) 1984年11月、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の首都・東ベルリン。東ドイツはSED(社会主義統一党)とシュタージ(国家保安省)が国民を厳重な監視によって支配していた。 腕利きの捜査官ヴィーズラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、同期で党中央との関係もあるグルビッツ少佐(ウルリッヒ・トゥクル)にある「特殊作戦」に就くよう命じられる。それは著名な劇作家ゲオルク・ドライマン(セバスティアン・コッホ)とその恋人で女優のクリスタ・マリア・ジーラント(マルティナ・ゲデック)を監視し、その言動に反政府的なものがあれば告発せよというものだった。この任務の背後には権力闘争の渦中にある文化大臣がおり、成功すれば大臣の推挙によって二人とも出世を約束される。 ヴィーズラーは留守中のドライマンの家に夥しい盗聴器や監視カメラを仕掛け、監視を始める。それは交替で24時間体制であり、家の中での言動も逐一記録されていく。ドライマンには党によって創作活動を禁じられたイェルスカという劇作家の友人がいてその復権を望んでおり、反党・反国家的な気配は十分にあった。 しかし監視を続けるうちヴィーズラーは、芸術、自由、そして愛のあるドライマンとクリスタ・マリアの「他人の生活」に強く惹かれていく。人を常に疑い、その言動を取り締まる仕事に従事し、粗末な部屋に住み売春婦で性欲を満たすおのれのそれと比べた時、それはとてもまぶしいものだった。 絶望したイェルスカが自殺したとき、ドライマンは西側の雑誌記者と接触して、イェルスカを追悼し東ドイツの体制を告発する文章を匿名で発表しようとする。ヴィーズラーは思わず彼をかばい、監視記録に記さず上層部に報告もしなかった。こうしてドライマンの告発文が西ドイツの「シュピーゲル」誌に載り、大臣やグルビッツ少佐は慌てふためくが、著者が誰かを特定できない。 ところが思わぬところからドライマンに危機が及ぶ。クリスタ・マリアを情婦にしようとした文化大臣が、自分の意に従わぬ彼女を麻薬所持容疑で逮捕させたのだった。グルビッツ少佐に取り調べられた彼女の供述で、ドライマンが「シュピーゲル」誌の告発文の著者だと判明し、捜査官がヴィーズラーが監視中のドライマンの家に踏み込むが、証拠を発見できない。 翌日、ヴィーズラーがクリスタ・マリアを取り調べる。女優生命を絶たれると脅された彼女は、決定的証拠となるタイプライターの隠し場所を供述し、その見返りに釈放される。グルビッツらが再びドライマンの家に捜索に向かうが・・・・。・・・・・・・・ 派手さはないが、息をのむようなサスペンスだった。見終わった後は言葉も無い。前のほうで見ていたおばあさんも「言葉も無いわ」と言っていた。一応フィクションではあるが、事実に近い物語であるというのが俄かには信じがたい。 主人公ヴィーズラーはアメリカ映画のようなヒロイズムを発揮してヒロインを助けようとするような派手な行動に出ることは無く、あくまでシュタージによる監視支配国家システムの中で、息を詰めるようにして生きていくのがリアルであり、ヨーロッパ映画らしくもある。 彼はやがて郵便物の開封検閲係に左遷されるのだが、僅か4年後にベルリンの壁が崩壊して東ドイツそのものが消滅する。憎体の文化大臣はのうのうと生き延びて、絶大な権力を握っていた過去を懐かしむ。ドライマンはシュタージが残した彼の言動に関する膨大な記録を前に絶句し、やがてHGW-XX/2というコードネームのヴィーズラー大尉の存在を知る。これら三人の「その後」と絡みの描き方も絶妙で、静かな感動を呼ぶ。見事というよりない。 僕が見ただけでも「Sonnenalle」「グッバイ、レーニン!」「NVA」と、これまでドイツ映画には「東ドイツはそんなに悪くなかった」という調子のいわゆるオスタルギー(Ost=東とNostalgieを懸けた造語)ものが多かった。まあ以上に挙げたのは全部コメディだし少年の目から見たものだから、その内容をあげつらうのは無意味なことだが、監視国家・東ドイツの恐ろしさは描くにはあまりに辛かったのだろうか。 ここにきてようやく、東ドイツという虚妄国家を正面から取り上げる映画が登場したというべきか。 「ベルリンの壁」が崩壊した1989年時点で、エーリッヒ・ミールケが30年以上大臣を務めた東ドイツ国家保安省は9万1千人の職員を擁し(上に見るように軍隊式の階級制度が導入されていた)、そのうち1万3千人が17万人に上る非公式協力者(IMs)を統括して、国民の言動を逐一監視していた。国家に対する反抗罪(国外逃亡やその企図及び扶助)は2年から8年の懲役で、教化所に送られて労働に従事させられたりした。西側に逃れようとして、国境で東ドイツの警備隊に射殺された者も多かったのは、周知の事実だろう。 「非公式協力者」はこの映画に出てくるクリスタ・マリアのように、何らかの弱みを握られてシュタージへの協力を強いられた者が多い。彼らは隣人・同級生・職場の同僚、果ては自らの家族に至るまで、自分の周りの「政府に反抗的な人物」(北朝鮮でいう「敵対階層」)への監視を続けていた。 僕の先生の姉婿はかつて東ドイツから西に亡命した人だが、東西ドイツ統一後に自分についてのシュタージの資料を閲覧すると、それは12歳の時に始まって(つまり同級生や教師が密告していたわけだ)、3100ページにも及ぶ膨大なものだったという。民間機関に管理を委託されたシュタージの資料は自己に関するもののみが閲覧を許されているが、密告情報源となっていたのが親しいはずの友人や親類であったことを知って、苦悩し自殺する者もいるという。 劇作家や女優など芸術家は完全に党の統制下にあり(つまり職業選択の自由も制限されていた)、その許可が無ければ創作活動も出来なかった(当然作品は党の思想に沿ったもののみとなる)。働かない者は犯罪者として収容所で労働に就かされたので、東ドイツに失業者は存在しないことになっていた。まあ確かにこれなら今話題の「ニート」は発生のしようもないが、どちらがましな社会だろうか。 20世紀のドイツというとナチスの非人道的な罪(ホロコーストなど)がすぐに挙げられるが、その後の東ドイツも、制度的大量虐殺をしなかったとはいえ、おそるべき非人道的国家だったというべきだろう。ナチスにせよ東ドイツにせよ、あまりに不合理な目的のために、あまりに合理的に事務を遂行したところがそら恐ろしい。 ドイツ人は極めて「模範的」にそれを行ってしまったわけだが、こうした体制は民族性とかに関わらずどこにでもあり得る(歴史からの影響は大きいだろうけど)。ソ連や東ドイツの体制(いわんや中国・北朝鮮をや)を冗談にしても称揚あるいは懐旧する人を、僕はやはり信用しかねる(それこそ「歴史認識問題」である)。もちろん人権を謳うアメリカ(や日本やドイツ)だって、やり方がより巧妙なだけで決してバラ色な訳ではないにしてもである。 「共産主義や社会主義の理念は間違っておらず、方法が間違っていただけだ」という弁護も出来るが、よしんばそうだとして深刻な反省は本当に行われているのだろうか。日本にはそれを名乗る政党が健在だし、今でもこっちの大学には「マルクス主義の復権!」とか書かれたビラが学食にまかれていたりするが。
2006年07月17日
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午後、映画を見に行く。僕は割合流行のものとかに背を向ける方なのだが、これはなんだか早めに行ってしまった。ダン・ブラウンのベストセラー小説を映画化したロン・ハワード監督の映画「ダ・ヴィンチ・コード」である。一応歴史もの、あるいは歴史にからむ映画は見に行くようにしているので行った次第。 一部のキリスト教(カトリック)各国で上映反対の騒ぎが起きたり、中国やインドで上映許可や禁止が話題になったりと、どうも映画そのものよりも周辺の話題のほうが先行してしまった感があり(まあ原作の内容もあって製作側が事前の情報を閉ざしていたこともあるが)、またカンヌ映画祭のプレミア上映では失笑があがったとの報道もあり、どういう映画なのか興味はあった。(あらすじ) 閉館後のパリ・ルーヴル美術館。館長のソニエールが何者かに追われ、射殺された。異常な事にソニエールは瀕死の重傷の中、ダイイング・メッセージを残し、さらに全裸でダ・ヴィンチの「ウィトルウィウスの人体図」の格好で横たわり、自らの血で胸に五芒星を描いて死んでいたのである。 折しも講演でパリに来ていたハーヴァード大学教授の宗教学者ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)は、フランス国家警察のファーシュ警部(ジャン・レノ)に殺害現場に呼び出される。ラングドンは犯行当日、ソニエールから面会を求められていたのだが、すっぽかされていたのである。しかしファーシュはこの無気味な死に様にラングドンを容疑者と疑う。そこに警察の暗号解読官というソフィー(オドレイ・トトゥ)が現れる。 彼女は秘かにラングドンに「自分はソニエールの孫娘だ」と名乗り、容疑者扱いされるラングドンに逃げるように言い、ファーシュの追跡をまく。ダイイング・メッセージの暗号に「ダ・ヴィンチ」の名を見い出した二人は、ソニエールが館内のダ・ヴィンチの絵に隠した鍵を発見する。その鍵はソニエールがソフィーに残したものであり、ダ・ヴィンチの作品に隠されたメッセージは、キリスト教やヴァチカン教皇庁を揺るがす重大な「秘密」に繋がるものだった。 二人はラングドンの旧知の歴史家リー(イアン・マッケラン)の協力を得て暗号やシオン修道会をめぐる謎(ダ・ヴィンチもニュートンもその構成員ということになっている)を解きつつ、フランスそしてイギリスへと、教皇庁の保守派が抹殺を図るキリスト教の重大な秘密である「聖杯」に一歩一歩近付いていく。しかしファーシュ警部やソニエールを殺害した謎の修道士(ポール・ベタニー)も二人を、そして「秘密」を執拗に追跡していた・・・・ うーん、試写会で失笑されたというが、なかなかに面白かったじゃないですか。 ただあまりアカデミック(あるいは衒学的)な意味ででは無くて、娯楽・サスペンス作品としてである。もちろん監督のロン・ハワード自身が「これは娯楽作品であって私は神学論争をするつもりはない」と言っているように、その面ではよく出来ているんじゃないかと思う。ちなみに僕はダ・ヴィンチが絵に隠したという「メッセージ」の話は聞いたことはあっても、原作は全く読んでいない。 映画を大雑把に例えると、聖杯(キリストが「最後の晩餐」で使い、直後に磔にあった彼の血を受けたという杯)の探索という点でも、歴史の謎解き(というか宝探し)という点でも、そして何より荒唐無稽(だが魅力的)という点でも、「派手なアクションが少なめのインディ・ジョーンズ/最後の聖戦」といったところか。ラングドンはインディに比べ腕力では無く頭を使っているのだが、謎解きのほうは「成吉思汗は源義経也」とか「人麻呂の暗号」の類いのレベル(「犬が寝るからケンネル」)に見えてしまったんだが・・・。大仰な話の展開の割に、あれ?という映画の余韻。 「世界を変える重大な秘密」と言われたって、何らかの信仰心はあってもキリスト者でも無い僕にとっては、「キリストはマグダラのマリアと通じ子供が居た」(ネタバレですがもうあっちこっちに書かれているのでいいでしょう)という「秘密」なんて言われても、「ああそうでしたか」くらいにしか思わない。キリストが生きた古代には宗教が性に対しておおらかだったというのは、古代の西アジアが専門の僕にはあまり新味は無い。 つうか2000年前の人間に子供が居ようがいまいがその教えを冒涜するものでもないと思うし(いや、古代ギリシャじゃ神様も人間の女性との間に子供を作っちゃうし)、そもそも子供の有無などどうやって証明するんじゃ?と思ってしまう(一応歴史学の端くれを専門にする僕としては乱暴な物言いですが)。それを言うならうちの縁戚なんて第105代後奈良天皇の子孫と自称しているし(笑。「備前軍記」にも名前が出てきます。ただし天皇の落胤としてでは無いけど)、言ったもん勝ちじゃないかとも思える。ちなみに預言者で人間であるムハンマドには娘のファーティマが、解脱したがやはりれっきとした人間である釈迦にはラフーラという息子がいる(出家前に出来た)。ムハンマドの一族(子孫ではない)を名乗るハーシム家は今ヨルダン王家として健在だが、釈迦の息子は出家してしまい子孫は残っていないそうだ。孔子なんて100何代目の子孫と言うのがいるそうで、すげえなあ。 まあキリスト教がファナティックに異端の教えを弾圧したと言うのは歴史上の事実だと思うのだが、これは映画の(しかも現代の)話だし、心配や怒りは分かるがそんなに目くじら立てるもんでもないと思うのだが。僕から見ると見るからに虚構ばかりなんだが、教皇庁が心配するようなこれを本当にありうる話と信じる人がいるんだろうか。少なくとも僕の知り合いのドイツ人にはこの映画にめをむいて怒るような人はいないだろう。そもそも考古学やってるような人ばかりだし、この手の映画を見に行かなさそうな人たちばかりだが、まぎれも無いキリスト教国(つか先日アウシュヴィッツを訪問したローマ教皇はドイツ人だった)のドイツでもそうだろう。 昨年あたりからヨーロッパ社会におけるキリスト教とイスラム教の「文明の対立」が懸念されているが、やはりこれは近親憎悪のようなもんだと僕などは思う。ポール・ベタニー扮する修道士が自らを鞭打つ修業をする場面があるが(ペストが流行した14世紀のヨーロッパにも大流行したという)、あれはイスラム教シーア派の祭礼「アーシュラー」を連想させる。まあシーア派は12イマーム崇拝など、人間たる預言者ムハンマドの血筋に一種の神性を見る点など、キリスト教の一派の考えに似て無くもないところもある。そもそもイスラムはユダヤ教やキリスト教の土台に出来たもので、少なくともある時期までは(西ヨーロッパの)キリスト教より開明的・合理的であったのは間違い無い。 路傍に神様が転がっているような日本に生まれ育ち住む者にとっては、この映画に出て来るファナティックな宗教者や、最近のイスラム過激派の心情は理解が難しい。いや、どっちが優れているとか言いませんが。ところでこの映画、イスラム諸国でも上映されるんでしょうか。 映画を見ていてちょっと「おや?」と思ったのは、冒頭の場面、閉館後のルーヴルをうろうろしていても警報装置も作動しない所か。博物館によってはネズミが走っただけで警備会社に通報がいく装置をつけているんだが、ルーヴル程の大博物館になるともっとおおらかなんだろうか。 ついで「キリストの血筋」に関するラングドン教授のセリフ。「メロヴィング家がキリストの血筋を引いている」ってのはそういう伝説でもあるんですかね。僕はあまり詳しく無いが、5世紀のべルギーあたりに起源をもつメロヴィング家(フランク王家)とパレスチナの人間(済みません、神の子でした)であるキリストを結び付けるのは、なかなか難しい。まあローマ時代にはユダヤ人が既にドイツ辺りまで居たそうだから、可能性はゼロではないし(この言葉が曲者だが)、同様に「フランス人はトロイ落城(紀元前13世紀!)のときにギリシャ辺りから逃げてきた者の子孫だ」という伝説が中世フランスにはあったというから、そういう話もあるのだろう。まあキリストの墓が青森県にあると思えばなんでもアリでしょう、やっぱり。笑。 あと、最後の場面。ルーヴル美術館に行った人は見た事があると思うけど、あそこの地下には12世紀くらいの城跡が眠っていて、一部は客にも公開されている。世界を揺るがすような秘密を隠し通せるもんだろうか。 というわけで、なんだかんだ言って楽しみました。
2006年05月29日
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この日は夕方S君と映画を見に行く。日記のタイトルにある「シリアナ」(スティーヴン・ギャガン監督)である。中身が中東での政治的陰謀とかいうものだと聞いていたので、是非見たいと思っていた。 原作は元CIA工作員ロバート・ベアの著作で、フィクションの形はとっているが実にリアルな内容になっている。(あらすじ) ペルシア湾岸のある小国(カタール、クウェートかアラブ首長国連邦あたりがモデルか)。国王の専制が続くこの国では、英明な王子ナシール(アレクサンダー・シティグ)が、アメリカ企業コネックス社に自国の石油資源が牛耳られる事を嫌い、より良い条件を提示する中国との契約に踏み切った。そのとばっちりで石油精製所のパキスタン人出稼ぎ労働者ワシーム(マズハール・ムニール)は一方的に解雇されて失業した上、滞在許可までも打ち切られようとしていた。彼は前途に失望してしまう。 中東が専門の腕利きCIA工作員ボブ(ジョージ・クルーニー)は長年アメリカの中東での裏工作を担当していたが、息子の大学進学を期に引退を決意、イランの首都テヘランで武器密輸商を暗殺したのを最後に現場から去ろうと決めていた。しかし武器取り引きを装ったその暗殺作戦に際し、青い目をしたアラブ人にスティンガー・ミサイル一発を奪われてしまう。 ジュネーヴで働く経済アナリスト・ブライアン(マット・デイモン)は、ナシール王子が主催したパーティーでの息子の事故死をきっかけに、ナシール王子と接近する。改革を目指すナシール王子の相談役となったブライアンは、アメリカ企業に牛耳られた石油資源を自国のコントロール下に置く事や、民主化改革を助言する。 一方アメリカでは、有望なカザフスタンの石油採掘権を得たキリーン社と石油最大手のコネックス社の合併話が持ち上がっていた。弁護士べネット(ジェフリー・ライト)は自己のキャリア・アップのチャンスであるこの合併成立に取り組むが、キリーン社は石油利権獲得にからむカザフスタンでの贈賄を司法省に嗅ぎ付けられていた。 独自の改革路線を歩もうとするナシール王子に対し、コネックス社の顧問弁護士でべネットの上司であるホワイティング(クリストファー・プラマー)は、王子の父であるハマド王に圧力をかけ、親米的なぼんくらの第二王子に地位を譲らせようと画策する。 そんなとき、ワシントンに戻っていたボブに次の指令が下る。中東某国の王位継承者がテロ組織に資金を流している、ゆえにそれを抹殺せよという指令だった。その人物とはベイルート訪問中のナシール王子だというのだ。ボブはベイルートに乗り込み、反イスラエル武装組織ヒズボラ(「神の党」)と接触し、ナシール王子暗殺の機会を窺うが・・・・ ・・・粗末な出稼ぎ労働者のキャンプで失意に沈んでいたワシームは、イスラム教に心の支えを求め、神学校に通うようになる。そこで友人に青い目をしたアラブ人導師を紹介される。落ち着いた理知的な物腰でイスラムの教えを説くその人物に、ワシームは従うようになっていった。ある日その導師は、ワシームに隠し持っているスティンガー・ミサイルを見せ、これと君の信仰でアメリカを倒す事ができる、と説くのだった・・・ 一見ばらばらな物語が、石油利権や陰謀、テロといった線で一つに繋がっていく。その構成や見事と言うよりないが、映画としてはかなり複雑で難解な物語になってしまったことは否めない。登場人物各自の事情がばらばならに描かれていき、最後には一ケ所に集まってくるのだが、ぼんやり見ていると繋がりが分からなくなってしまう。 またウルドゥ語、アラビア語、ペルシア語の区別がつかないであろう大部分の日本人には国も言語もいっしょくたに見えてしまうだろうから(まあこの三言語はいずれもアラビア文字を使用しているのでそう見えても仕方ないが)、理解をより困難にすること請け合いである。主人公の一人である王子もアラブの民族衣装を着たり背広で出て来たりなうえ、周りの男も皆似たような髭面ときているので人物としての識別が難しいかもしれない。日本人から見ればアラブの同類であるパキスタン人が、なぜ産油国で人並み以下の扱いを受けているのかも最初は分かりづらいかもしれない。 しかしこうした混同こそが中東情勢の複雑さを象徴しているといえるだろうし、この映画で描かれるアメリカの中東での工作をたやすいものにしており(実際はそこにイスラエルも絡んでもっと複雑なのだろうが)、果ては「ムハンマド=テロリスト」といったヨーロッパでの風刺画騒動などの背景であるともいえる。 まあとにかくこの映画を見て分かるのは、アメリカの中東外交は正義(ましてや民主化への情熱)で動いているのではなく、石油利権がその原動力である、そしてそのためにはテロリストたちと同列とさえいえる汚い裏工作を行なってきた、というこの映画の主張だろうか。田中宇さんほどではないが、こうした裏工作などはあるのだろうと僕も思っているので、一応フィクションとはいえすんなりと見られる映画だった。 それにしても、アメリカにとっての世界覇権でのライバルは最早中国やインドであり、日本などは片鱗もこうした国際サスペンス映画には出てこなくなったのだと思い知らされた。これは日本にとって歓迎すべき事なんだろうが.....。時代の流れを感じる。 「シリアナ」というタイトルの意味は何だろうか?「シリア人」という意味で、単にこの映画に出てくる「青い目のアラブ人」のことを指すのか(アラブ人の中でもシリア人には碧眼が多い)、それとも何かの寓意だろうか。 ちょっと分かりにくいだろう事情にさらに補足しておくと、キリーン社がカザフスタンでの贈賄でアメリカの司法当局に追及される場面が出てくるのだが、これは実際にあった裁判をベースにしている。 カザフスタンでの汚職をカザフスタン当局が取り締まるのならともかくアメリカの司法省が出てくるのはいささか奇異な感もするが、アメリカの法律ではアメリカ人が国外で犯した汚職についても追及することが出来るのである(当然収賄側であるカザフスタンのナザルバエフ大統領も米国で裁かれる)。アメリカ人にとって自国の法とは自国を越えたより普遍的なものであると信じているのかもしれないし、こうした「俺様」ぶりは、国々がひしめくヨーロッパ人や島国の日本人には異質だろうし、辛うじて最近の中国にはやや理解出来るかもしれない。アメリカという国家の行動原理の重要な背景であると思える。
2006年03月05日
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今日は映画「ミュンヘン」を見に行く。 イスラエル政府がこの映画について不快感を表明したり、最近「ハズレ」が多いドリームワークスの映画だが、テーマがテーマだけに見ずには居られなかった。スピルバーグ監督の映画を見るのは久しぶりではないだろうか。 もうすぐトリノ冬季オリンピックが始まると言う事だが、この映画はドイツ・ミュンヘンでの第20回夏期五輪(1972年)で起こったイスラエル選手11人の殺害テロ事件とそれに対する報復作戦を描いている。 大部分は実話でゴルダ・メイアー(イスラエル首相)、ツヴィ・ザミル(イスラエル情報機関モサド長官)、イツハク・ホフィ(同じくのちのモサド長官)、エフード・バラク(のちのイスラエル首相)、アリ・ハッサン・サラメ(パレスチナの活動家)などが登場するし、オリンピック選手村襲撃などの話はほぼ実話の再現だが、エリック・バナ演じる主人公アヴナー・カウフマンなどは架空である。しかし血で血を洗う襲撃や諜報活動などは出てくるエピソードは概ね実話をベースにしてある。 見た感想はとにかく「陰惨」の一言。例えばデートで見に行く類いの映画などでは決してない(実はそういうカップルを見たのだが)。まるで救いがなく、そして結末もまるですっきりしない。何よりスピルバーグが何を訴えたいのかは分からない。彼自身、この問題に何を言っていいのか分からないところがあるのだろう。今までのスピルバーグ映画にあったストーリーの完結性やヒューマニズムといったメッセージ性はほとんどなく、彼の作品の中でも異例な部類になるのではないかと思う。 ユダヤ人でもある彼はとにかく悲惨な中東(パレスチナ)問題について何かせずには居られなかったのだろうと想像するが、三時間近い長尺ということもあって、見終わった後はぐったりと疲れてしまった。全然すっきりしない。何かを考えるきっかけにするにはいいだろうが、あまりに重すぎる。軽々しく「平和が一番」とか「話し合いと相互理解を・・・」と横から声をかけるのも憚られる程に厳しい現実が容赦なく描かれる(こうした「客の追い詰め方」だけはいかにもスピルバーグらしいとは思ったが)。 むしろ安易な結論やメッセージを込めなかった点は評価されるべきかもしれず、一部にあるこの作品への非難は正当なものではないという印象を持った。まあ娯楽としての映画としてのいい悪いは別問題で、あまり多くの人に薦めるような映画でもないと思うが。 それにしてもこういう映画を見ると、ヨーロッパというのは伏魔殿のようなところだと感じる。島国の日本はこうした諜報戦にまるで無縁に思えるが、実はそうでもないようだ。 ストーリーの多くは史実と重なるのでそちらの紹介。 西ドイツ(当時)のミュンヘンで第20回夏期五輪が行われていた1972年9月5日、深夜4時10分。「黒い九月」に属するパレスチナ・ゲリラの8人がオリンピック選手村の24Aゲート脇のフェンスをよじ登って村内に入った。選手村の警備は、ナチスの国威発揚の場と化した1936年のベルリン・オリンピックのイメージを払拭したい西ドイツ当局により、意図的に緩いものとなっており、自動小銃などで武装した彼らがイスラエル選手団11人を人質に取るのは極めて容易だった。人質となった内の二名はゲリラの侵入時に銃撃され重傷を負い、間もなく死亡した。 間もなく事態が明らかになったが、バイエルン州警察(ドイツでは警察権は各州にある)はこの手のテロ事件に全く不馴れであり、その動きがテレビ中継などで全世界に流され、また犯人グループにも知れると言う事を全く考慮していなかった。イスラエル政府は同国の対テロ特殊部隊の派遣を申し出たが、西ドイツ政府、なかんずくヴィリ・ブラント首相(社民党)とハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー内相(自民党)は、事件解決の主導権を失う事を危惧してこの申し出を断った。当時のバイエルン州内相ブルーノ・メルクの回想によれば、そのような申し出は聞いていないし、受け入れたとしてもイスラエル部隊の即日行動は不可能だったろう、という。 犯人側が恐れていたのもまさにこのイスラエルの介入だった。既に同年5月9日にはテル・アヴィヴ空港でのサベナ航空機襲撃がイスラエル特殊部隊により失敗していた。犯人側は事件を早期に決着すべく、午前9時を期限としてイスラエルの監獄にいるパレスチナ人232人、そしてアンドレアス・バアダーやウルリケ・マインホフといったドイツ人を含む国際左翼テロリストの釈放を要求した。イスラエル側は「テロリストとは交渉しない」とこの要求を即座に退けた。 西ドイツ側からはゲンシャー内相、メルク・バイエルン州内相、ミュンヘン警察長官、ドイツ・オリンピック協会会長、選手村の村長などが代わりの人質となることを申し出たが、犯人側に拒絶された。期限15分前に回答期限の3時間延で合意し、エジプトやアラブ連盟特使の説得もあって期限は更に5時間延長、つまり午後5時とされた。 犯人側はラジオやテレビの中継で西ドイツ治安部隊の動きを掴んでおり、カイロへの脱出を要求した。双方はヘリコプター2機による犯人のフュルステンフェルトブルック飛行場にあるボーイング727機への移動とカイロへの空路脱出で合意した。西ドイツ側は飛行場でゲリラ側を攻撃する作戦を立て狙撃手5人を配したが、犯人は実際には8人居る事を知らなかった。 飛行場に到着し犯人側は飛行機を調べたが、約束の操縦士がいないことで西ドイツ側の意図に気付いた。その時(午後11時頃)西ドイツ狙撃手が合図を誤認して射撃を開始してしまい、銃撃戦となった。ところがドイツの狙撃手は暗視スコープやヘルメット、通信装置も装備しておらず、飛行場の探照灯のみを頼りにそれぞれの判断で射撃した。最初の狙撃では一人を倒したのみで、犯人側は狙撃手の死角となるヘリコプターに隠れて銃撃戦となった。 西ドイツ側は慌てて装甲車24台を派遣したが交通渋滞や野次馬に阻まれて到着したのは銃撃戦開始後45分だった。その間に犯人側は連れて来た9人の人質全員を銃撃や手榴弾で殺害し、また彼らの内5人が銃撃戦で射殺された。西ドイツ警察側も同士討ちで一人の死者を出した。この「人質全員殺害」という大失敗を教訓に、のちに西ドイツは国境警備隊の特殊部隊GSG9を創設するに至る。 ミュンヘン五輪は事件発生当初そのまま続行されたが、選手や観客の抗議によってこの日は一切の競技が中止された。次の日は終日競技が行われず、翌々日黙祷ののち競技が再開された。イスラエル政府の合意無しの競技再開に批判もあったが、抗議のため五輪を去った選手は少数にとどまった。 犯人グループのうち死んだ5人の遺体はリビアに引き渡され、同国で英雄として葬られた。生き残って逮捕された3人は西ドイツの刑務所に収容されたが、10月29日にルフトハンザ機ハイジャック事件が発生、犯人グループの要求に応じて西ドイツ政府はこの三人を釈放してしまう(リビアに逃亡)。テロリストが西ドイツを狙った事件を続けて起こすことを恐れたためという。 西ドイツ政府に犯人を罰する気がないのを見て取ったイスラエル首相ゴルダ・メイアーは、同国の諜報機関モサドに犯人や首謀者、PLO幹部への報復作戦の実行を指示、「カエサレア」部隊が組織された。この作戦はのちに「神の怒り」と呼ばれる事になる。その活動は以下の通り。1972年10月16日 イタリアでワエル・ズアイティルを射殺12月8日 パリでムハンマド・ハムシリを電話器に仕掛けた爆弾で爆殺 同時期 キプロス、アテネ、パリでPLO活動家を暗殺1973年4月10日 「若者の春」作戦。エフード・バラク(のちのイスラエル首相)率いるサヤレト(特殊部隊)がレバノンに上陸し、ベイルートでPLO幹部4人を射殺、PFLP本部とPLOの爆弾工場を爆破。イタリア人女性一名が巻き添えで死亡6月28日 モハンマド・ボウディア、パリで自動車爆弾により爆殺される7月21日 「リレハンメル事件」。モサド要員が「黒い九月」メンバーであるアリ・ハッサン・サラメと誤認してモロッコ人ウェイターを射殺し、ノルウェー当局に逮捕される(有罪判決を受けるが1975年に釈放)1979年1月22日 サラメがベイルートにて自動車爆弾で爆殺される1992年6月8日 五輪テロの立案者アティフ・ブセイスがパリで射殺される 現在もミュンヘンでのテロ実行犯のうち二人がアフリカに潜伏しているといわれている。そのうちモハンメド・ダウード・ウデー(アブ・ダウード)容疑者は、マフムード・アッバス(現PLO議長)がこのオリンピック襲撃事件に対する資金供与を行った、と主張している。(追記) その後知ったが、この映画は下のコメント欄でalex99さんに教えていただいた小説「VENGERANCE」を原作にしている。この本はカナダのジャーナリスト、ジョージ・ジョナスが元エル・アル航空の保安要員ジュヴァル・アヴィヴに取材した内容に基づいており、「モサド報復作戦の真実」と銘打たれている。また映画の主人公アヴナ-もこのアヴィヴ氏をモデルとしている。 しかしアヴィヴ氏の証言には疑問点も多く(標的のリサーチ、武器の調達法など)、彼が実際にこの作戦にどこまで関わっていたかは疑問視されている。大筋では史実通りといっても、この映画はあくまでドキュメンタリーでは無く物語として見るべきのようだ。
2006年02月06日
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今日は雨が降る中映画に行った。実に久しぶりである。行ったのは今日の日記のタイトルにある「男たちの大和」(佐藤純弥監督)である。日本映画史上最高の25億円の巨費を投じて作られた映画という。同じく巨費を投じて建造されながら、その威力をほとんど発揮することも出来なかった戦艦大和みたいな映画でなければ良いが、とあまり期待せずに見に行った(何せ角川春樹の「天と地と」には随分とがっかりさせられた前歴があるし)。 ちなみに僕は洋画派か邦画派かと聞かれれば圧倒的に洋画派だった。ただドイツに行ってからは当地で上映される日本映画はやはり気になって見に行くようになったので、たけしの映画や宮崎映画、伊丹十三の「たんぽぽ」(もちろんイベントに合わせてのリバイバル上映ね)、最近では「トニー滝谷」などをドイツで見た。しかしあまり進んで日本映画を見に行こうという気は今もない。そういう少ない経験でいうのも何だが、最近の日本映画というとなんとなくわざとらしい演出(「ありえねー」場面やストーリー)とか、ちゃちなセットというイメージ(先入観)がある。 さて館内はいつもに比べてお年寄りや年配の人が多めに見えたが、若い人(男女)も結構いる。僕より先に同じ映画館に見に行った人は、最前列で水兵の帽子を被った爺さんたちがずらっと並んで座って見ているのを目撃したそうだ。こうした実体験のあるお年寄りがこの映画を見てどう思うかを是非聞いてみたい。 以下は独白。映画に関係ないので飛ばし読みして下さい。 さて「大和」というともちろん日本の旧国名(現在の奈良県)にして日本全体の雅名だが、僕らの年代だと「軍艦の名前」というのが先に思い浮かぶのではないだろうか。例えばアニメの宇宙戦艦ヤマト、漫画「沈黙の艦隊」の攻撃型原潜やまと、そしてもちろんこの映画で描かれる第二次世界大戦当時の日本海軍の戦艦である。僕も手先が不器用ながら「世界最大・最強の戦艦」だったという大和のプラモデルをいくつも作りましたよ、ええ。軍艦のプラモデルは何種類も作ったが、やはり大和は特別な思い入れがあった。 叔母や母なんかはこういう軍艦のプラモデルを欲しがることに、どちらかというと批判的だったように記憶する。何と言っても「人殺しの道具」(兵器)だし。ただ僕が欲しがるのを見て「男の子はこういうのを欲しがるんじゃね」と言っていた。プラモを作る小学生の僕には、これは船という乗り物で何人(3000人)もの乗組員が中でうごめいていて、沈没の時には2500もの人が艦と運命を共にした、というのは知識としてはあっても実感として沸かなかったのが正直なところだろう。巨大機械としての大和が好きでも、それを建造し動かした人々には思いは至らなかった。 去年の夏、発掘現場で一緒だったドイツ人学生と話をしているとき、子供の頃にやはり軍艦のプラモデルを作ったという経験の話題になった(彼らが作ったのはもちろんビスマルクとかプリンツ・オイゲンなどといったドイツの軍艦だが。戦艦大和のことも名前はあやふやだが知っていた)。ああどこの国でも男の子の趣味は同じだな、と思うと同時に、ドイツでもそういうミリタリーなものに対する忌避感は厳然として存在する。 映画に戻る。まずあらすじの紹介。原作は辺見じゅんの同名書だそうだが、そっちは読んでない。(あらすじ) 2005年4月6日、大和撃沈から60周年を翌日に控えている、現代の日本。鹿児島県枕崎の漁港に、港から15時間はかかる沖合いの大和の沈没地点に連れていって欲しい、という女性(鈴木京香)が現われる。漁師達は断るが、かつて大和に少年兵として乗組んでいた漁師・神尾(仲代達矢)が彼女の希望に応じる。昨年亡くなったという彼女の養父・内田はかつて神尾と共に大和で戦った先輩下士官だった・・・ ・・・太平洋戦争中の1943年、15歳の神尾は海軍に志願して大和に乗り組む。彼は内田(中村獅童)の指揮する左舷中央の対空機銃座に配属される。内田の戦友には少年兵から兄貴株として慕われた森脇(反町隆史)も居た。神尾にとって初の実戦となった1944年10月のレイテ沖海戦で大和はアメリカ軍航空機の猛攻を受け、内田は左目を失う重傷を負う。 翌年戦局はますます悪化、アメリカ軍は沖縄に上陸する。大和など可動残存艦艇をかき集めて第二艦隊が編成され、伊藤中将(渡哲也)が司令長官となる。艦隊には沖縄に向かって「水上特攻」すべしという命が下され、乗組員はつかの間の上陸休暇ののち、大和に乗って死出の旅に出航する。その中には戦友や大和と運命を共にするべく病院を抜け出した内田の姿もあった。 しかし艦隊の行動はアメリカ海軍の潜水艦によって既に筒抜けであり、出航二日目の1945年4月7日、枕崎沖を過ぎたところでアメリカ軍艦載機350機の襲来を受けた・・・ さて感想だが、事前に期待しなかった分、思ったより良く出来ている、というものだった。日本の戦争映画の通例でちゃちじゃないかと危惧した大和の映像もCG技術のおかげか、3億円かけたという実物大のセットのおかげか、違和感なくよく出来ていたと言っていいだろう。それでも欧米の戦争映画に比べてなんとなく作り物という感は拭えなかったのだが。 ストーリーは群像劇な上、現代と回想シーンを行ったり来たりする割に、すっきり纏まっていて、個々の登場人物の性格付けとかが平板とは言えよく練られていたと思う。原作がある以上仕方ないし、また原作の狙いはむしろそこにあったのだろうが、現代とのつながりが強調され、また兵士一人一人の事情が群像風に描かれていて、「男たちの」というよりは「男と女の」大和というタイトルのほうが適当じゃないかと思うくらいだった。それくらい現代のシーンと登場人物個々の事情説明の場面が多く、大和自体の登場場面より多いように思う。 戦死していった兵士達が、国家や大義というものより以前にそれぞれの家族や愛する人を想いながら戦った、というのは分かるのだが、ちょっと涙を狙い過ぎではないかという感じがする。僕はタイトルを聞いて大和という軍艦、もしくは軍艦に乗り込み動かす将兵という人間組織が主人公の映画だと早とちりしていたのだが、個人体験から描くスタイルになっている。兵士達の家族事情はある程度実話に基づいているのだろうが、何かお話という感じが拭えない。 僕は戦争映画をちょくちょく見るのだが、銃後の家族が登場する場面が割合的に多いのは日本の戦争映画の特徴ではないかと思う。欧米の戦争映画は戦場描写に終止していて、そういう説明的な場面は少ないのではなかろうか。日本の場合、こうして家族を登場させて「愛する者のためにやむを得ず戦う」ということで戦争することを観客に対して弁解(美化とまではいえない)しているような説明くささを感じてしまう。戦争美化もしくは反戦がこの映画のテーマでは無いようなのでこういうことを言っても仕方ないが、お国違えば戦争観も違うというべきか。 大和は当時の日本の科学技術の粋を集め、その数々のノウハウがのちの日本の戦後経済復興に大きな役割を演じたというのはよく指摘されている。しかし兵器としては既に時代遅れの代物になりつつあった。 はしなくも日本海軍自身が真珠湾攻撃やマレー沖海戦で、海戦は大艦巨砲の時代から航空機の時代に代わった事を示してしまった。大和がいかに46cm砲などの重武装を積んでいようが、すばしこく飛び回る敵の飛行機に弾は当たらない。またアメリカがレーダーやVT信管といった科学技術の軍事応用に積極的だったのに対して、日本は総合的には固陋になっていた。 大和一隻の燃料は駆逐艦30隻分に相当するそうだが、その艦船を動かす燃料は日本が占領した東南アジアからタンカーや輸送船で運ばれる。ところがアメリカ海軍の潜水艦や航空機がその輸送船を攻撃する。そうした船団の護衛にはまるで向いていない大和一隻の燃料で、高速で航行し輸送船団の護衛に最適な駆逐艦が30隻動かせるのである。戦争前にそういういわば下世話なことはまるで考えず、日本の参謀たちは華々しい艦隊決戦を夢見て大和を建造した。いきおい大和はシンガポールや南洋の港で動かず停泊する事が多く、「大和ホテル」と揶揄されることが続いた。 いざ出撃しても、今日の映画で見る通り戦闘は飛び交う飛行機とばかりになった。虻の大群に襲われた馬が必死に尻尾で振り払い血を流しているのに似ている。最後には水上特攻という燃料は片道のみ、護衛の航空機なし、沖縄の海岸に乗り上げて周りの敵に巨弾を浴びせよ、というおよそ正気とは思えない作戦(作戦ともいえないが)に駆り出され、出航から二日で捕捉され、激闘空しく爆弾8発、魚雷11発を受けて撃沈されてしまった。この作戦も司令長官ではなく冷徹たるべき中堅参謀から出されたというのだから末期症状も極まれりと思う。 ドイツもヒトラーが死んでほぼ全土が占領されるまで絶望的な地上戦を続けたが、いったん始めた戦争はやめるにやめられないものなのだろう。「戦争は始めるよりも終える方が難しい」という格言がローマにもあった。 大和に少尉として乗り組んで生還した吉田満は「戦艦大和ノ最期」という手記を残している。その中で、戦死覚悟での沖縄への出撃を前に、若い将校たちが自分の死の意義について議論する。兵学校出の将校が「国のため、君(天皇)のために死ぬ、それでいいじゃないか」というのに対して、学徒兵はより普遍的な価値を見出したいと反問して議論の末喧嘩になる。そこに割って入った臼淵という大尉(映画では長嶋一茂が演じている)が言う。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩と言う事を軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今日覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る、まさに本望じゃないか」 なんか出来過ぎのセリフという感がしないでもないが、僕にはこうしたことは言えそうもない。そしてドイツ人も絶対言わない(うちの先生が9.11テロのニュースを聞いて「ドイツ人はこんなことしないだろうな」と言っていた)。自分がその「敗れて目覚める」ために降伏するか、本当に最後は勝てると信じつつ玉砕するか、ただ軍規や命令がそうなっているから戦い続ける、のいずれかだろうか。
2006年01月16日
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最近見た映画の感想などをまとめて。・「バットマン・ビギンズ」 クリストファー・ノーラン監督、主演はクリスチャン・ベイル。既に四作を数える「バットマン」シリーズの8年ぶりの5作目。今までと違いバットマン誕生秘話のような物語。(あらすじ) 大富豪の息子ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベイル)は少年時代に井戸の中で見たコウモリの大群と、目の前で両親を強盗に殺害されたことからトラウマを抱えこむ。復仇心と犯罪を憎む心から、彼は自ら犯罪者に陥ちてしまう。そんな彼はヘンリー・デュカード(リーアム・ニーソン)という男と出会い、彼の勧めでヒマラヤ山中にある「影の同盟」なる秘密結社に赴き、武術を修行し心の闇を開く。 その結社を脱出したブルースはゴッサム・シティに戻り、執事のアルフレッド(マイケル・ヶイン)や技術屋のフォックス(モーガン・フリーマン)の助けを借りて、正義の味方バットマンとして登場する。そんな彼の前に、ゴッサム・シティを犯罪の巷に戻そうと企むデュカードが現れ、悪との決戦が迫る・・・。【新品】 DVD洋画 バットマンビギンズ キャストはかなり豪華。ゲイリー・オールドマンが地味な警部役で出ていたり、トム・クルーズとの交際で話題になったヶイティ・ホームズがブルースの幼馴染みレイチェル役で出ている。あとルトガー・ハウアーが出ているようだがどの役だったか思い出せない。 特に「影の同盟」の首領として渡辺謙が出演したこと日本では話題を呼んだ。しかしゲームでいえばボスキャラのこの人、意外にあっけなくブルースに倒されちゃったりして、がっかりである。本当のボスキャラは僕も好きなリーアム・ニーソンだが、「スター・ウォーズ」でのオビワン・ヶノビの師匠役(名前忘れた)を思い出させる。この人ほんといろいろな役をやっている。歴史上の実在人物で言えばオスカル・シンドラーとかマイケル・コリンズとか。 あまりこういうコミックものは好きでは無いので、可も無く不可もなし。なんか陰惨で暗い作品ではある。最初の頃のバットマンは妙に脳天気だったんだが。・「奥さまは魔女」 かつて日本でも放映されたTVシリーズ「奥様は魔女」のリメイク。といっても映画中ではまだ結婚していないので奥様というのはあたらないか。また劇中劇でその「奥様は魔女」を再現すると言う形式をとっている。監督はラブコメ作品(メグ・ライアン主演が多い)を多く作っているノーラ・エフロン、主演はニコール・キッドマン。 (あらすじ) 落ち目の人気コメディ俳優ジャック(ウィル・フェレル)は、人気挽回のためにかつての人気テレビドラマ「奥様は魔女」のリメイクを企画する。しかしダーリン役の自分が目立たなくてはならないので、相手のサマンサ役には「お飾り」の新人女優を据えたいと考えていた。そんな彼はイザベル(ニコール・キッドマン)を街で見かけ、サマンサ役に抜擢する。 しかし実はイザベルは、魔法を使わずまた本当の恋がしたいと人間界にやってきた本当の魔女だった。番組の撮影が進む中、イザベルとジャックは本当に恋に落ちてゆくが・・・。 元となっている「奥様は魔女」にレスペクトしつつ、全く別の物語に仕立ててある。ただしサマンサよろしくイザベルの父親(マイケル・ヶイン)は度々現れて引っ掻き回すし、また劇中劇でサマンサの母親を演じる大女優としてシャーリー・マクレーンが出演している。 僕はニコール・キッドマンは割と好きなので、まあ楽しく見れたのだが、相手役のコメディ俳優がどうにも好感がもてなかった。もともと僕はアダム・サンドラーとかジム・キャリーとか、こうしたコメディ俳優が好きになれないんですな。ともかく、キッドマンのファンなら必見かもしれないが、そうでない人ははっきり言って退屈しそうな気がする。まあノーラ・エフロンの映画という時点でそう割り切って見ると思うけど。 それにしてもキッドマンって「奥様」と言う感じじゃ無いよなあ。またこの映画のような生娘の役もちょっと無理かもしれない。どっちかというと「誘う女」とか「ムーラン・ルージュ」(見て無いけど)とか「ドッグヴィル」のような影のある役のほうが合っている。彼女のチャレンジ精神、向上心はすごいと思うけど。・「シンデレラマン」 「ビューティフル・マインド」でオスカーを獲得したロン・ハワード監督とラッセル・クロウの組み合わせによる、再び実在の人物(ボクサー)を描いた感動作。(あらすじ) ボクサーのジム・ブラドック(ラッセル・クロウ)は将来を嘱望されたボクサーだった。しかし1929年、右手の故障から勝利に恵まれなくなり、ついにはボクサー資格を剥奪される。折しも大恐慌の時代、愛する妻メイ(レニー・ゼルウィッガー)と三人の子供を養うため、彼は日雇い労働で日銭を稼ぎ、ついにはかつての知り合い達に金を恵んでくれるようたのむようにまで困窮する。 かつてのマネージャーであるジョー(ポール・ジアマッティ)はそんな彼を見て、とても勝ち目の無さそうな新進ボクサーとの一晩限りのジムの復帰試合を企画する。金のためにジムはこの企画に乗りリングに戻るが、思いもよらず勝ってしまう。 右手の故障を克服してその後もジムは勝ち続け、マスコミは彼を「シンデレラマン」と囃した。ついに彼はヘビー級王者のマックス・ベアーに挑むことになるが、マックスはリング上で二人の挑戦者を撲殺してしまった程の強者だった・・・。シンデレラマン(DVD) ◆20%OFF! 「ビューティフル・マインド」と同じく、主人公が苦難から立ち上がって行くと言う「感動のお話」。ヘビー級ボクサー同士の殴り合いの描写はかなりの迫力とはいえ、ロン・ハワードとラッセル・クロウという組み合わせの時点で「水戸黄門」的な安心して見られるドラマだと言うことに気付くべきだった。はらはらして損しちまったよ。 というわけで、「お暇があればどうぞ」程度の評価。芸達者なレニー・ゼルウィッガーもなんだかおまけのような感じ。そもそも彼女にジェニファー・コネリーと同じような良妻役は似合わない。悪い意味としてでは無く。
2005年10月22日
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この日は午後フランクフルトに行く。立ち寄った本屋でまたしこたま本を買ってしまった。 夕方Dと映画を見に行く。本当は「Die Reise der Pinguine(ペンギンの旅)」か「ウォレスとグロミット」を見に行きたかったのだが、その映画は彼女と見たい、とDが言うので代案として「パラダイス・ナウ」と「ホテル・ルワンダ」を挙げた。しかし前者はパレスチナ人の自爆テロ、後者は1994年のルワンダでの大虐殺をテーマにした映画なので、そういう暴力的なテーマの映画が嫌いなDはどっちも嫌がった(ていうかそういう彼の性向を考慮して最初の二つを挙げたのだが)。 結局彼の推す「ブロークン・フラワーズ」を見に行く。ジム・ジャームッシュ監督作品。この監督の名前はよく聞くが、映画を見たのは初めてではないだろうか。 主人公は中年男ドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)。コンピュータ関連の仕事で金には困っておらず、また彼よりずっと若い恋人シェリー(ジュリー・デルピー)もいる。しかし何不自由ない彼は覇気を失ったのか、家で日がなビデオを見ているような生活である。 ある日、彼に嫌気がさしたシェリーが「あなたは何をしたいのか分からない」という捨て台詞を残して家を出て行く。ちょうどその時、匿名の手紙が届く。ピンク色の封筒に入ったピンク色の便箋には、タイプライターで「20年前にあなたとの間に出来た息子が19歳になります。内気ですがいい子です。彼はあなたを探す旅に出ています」と書いてあった。当時プレイボーイとして鳴らしていたドンには想定できる相手がたくさんいて、誰がこの手紙を出したのか見当もつかず、またそんな詮索をする興味もなかった。 この手紙を隣人でおせっかい好き、しかも探偵趣味のあるウィンストン(ジェフリー・ライト)が見ると、ウィンストンはドンに思い当たる女性をリストアップさせ、インターネットでその住所を突き止め、ツアーを組む。ドンに花束を持たせてそれぞれの女性を訪問させ、誰が手紙を出したのか突き止めてこいというのである。「これは君の問題だ。これは君の人生を見つめ直す旅だ」とウィンストンはドンを慫慂する。乗り気のしないドンだったが、言われるままにウィンストンによって綿密に準備された旅に出る。 ドンには思い当たる相手が5人いたが、そのうち一人は5年前に交通事故で亡くなっていた。花束を片手に、ドンは全米各地に住む残る四人の当時の恋人たち(シャロン・ストーン、フランシス・コンロイ、ジェシカ・ラング、ティルダ・スウィントン)を順次訪問する。20年前に別れた男との再会、しかもそれぞれの人生を築き上げてきたと彼女達は、どう反応するのか。そして手紙の差し出し主は?・・・ あまり期待はしなかったが、まあ面白い映画だった。 主人公が、社会的には成功しているとはいえ、対人関係の不器用などこか欠陥のある人物(ヨーロッパ映画、特に北欧系映画の主人公のダメ加減に比べれば遥かに洗練されており、惨めさも比較にならないが)、そしてロードムービーという点で、ヨーロッパ映画に通じるものがある。こういう役をやらせれば(というかこういう役ばかりだが)ビル・マーレイは適役なのだろう。 相手役の女優陣もそれぞれの個性が際立っていて面白い。というかこうも様々なタイプの女性(どれも一癖もある個性的な人)と付き合うことが出来るものなのだろうか?それこそがプレイボーイのプレイボーイたる所以なのだろうが・・・。僕にはとても真似出来ない。いやまあそんないろいろな人と付き合ったことはないですが(苦笑)。現在の恋人役のジュリー・デルピーは出て行くシーンだけで、出番が意外に少なかった。評判の高いジャームッシュの映画なら、出たいと思う女優も多かったのかも知れない。
2005年10月19日
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Bin wieder in Marburg. Diese Woche war das Wetter ziemlich gut und warm. Jetzt werde ich mit meinen Freunden ins Kino gehen. Der Film heisst "NVA"- Nationale Volksarmee der DDR. Aber kein Kriegsfilm -naja, NVA hat gl?cklicherweise keinen Krieg gef?hrt- sondern Kom?die. Schon wieder DDR-Kom?die....... ("Sonnenallee", "Good-bye Lenin"). War DDR so komisch oder wunderbar?(Zitat) Eine Kom?die in der unattraktivsten Armee aller Zeiten - der NVA.Inhalt: Wenn der Feind gewusst h?tte, wie es bei der NVA aussah - die NVA h?tte es schon fr?her nicht mehr gegeben. Auch Henrik Heidler muss seinen Wehrdienst ableisten und will nur eins: Die n?chsten eineinhalb Jahre Zeit unbeschadet ?berstehen. Bald lernt er Kr?ger kennen, der nicht willens ist, sich unterzuordnen und keiner Auseinandersetzung aus dem Weg geht. Beide entdecken schnell, dass keine ihrer ?berlebensstrategien aufgeht. Die Geschehnisse sind turbulent und Henrik, der sch?chterne Romantiker, ?ffnet in seinen Briefen sein Herz, verliert seine Freundin, gewinnt einen Freund, findet die Liebe und entdeckt schlie?lich einen Ausweg...(Zitat Ende) Ein lustiger Film! Ich kann es empfehlen. Nach dem Film in die Kneipe gegangen und bis 2 Uhr getrunken. Heute bin ich Kater................. (Zitat)Berlin (AP) SPD-Chef Franz M?ntefering geht als Vizekanzler und Arbeitsminister ins Kabinett von Angela Merkel. Noch vor Beginn der Koalitionsverhandlungen besetzten die Sozialdemokraten am Donnerstag ihre acht Ministerposten. M?ntefering erkl?rte, nach der Entscheidung von Bundeskanzler Gerhard Schr?der, nicht der Regierung einer gro?en Koalition anzugeh?ren, "schien es mir vern?nftig, die Verantwortung zu ?bernehmen". Das Pr?sidium und die Bundestagsfraktion der SPD billigten das Personaltableau. Dem neuen Kabinett sollen als Au?enminister der bisherige Kanzleramtschef Frank Walter Steinmeier und als Finanzminister der fr?here nordrhein-westf?lische Ministerpr?sident Peer Steinbr?ck angeh?ren. Weitere Neuzug?nge im Kabinett sind der Leipziger Oberb?rgermeister Wolfgang Tiefensee f?r Verkehr und der ehemalige nieders?chsische Ministerpr?sident Sigmar Gabriel als Umweltminister. Von den bisher zw?lf sozialdemokratischen Kabinettsmitgliedern bleiben neben Steinmeier nur drei weitere in der Regierung: Ulla Schmidt (Gesundheit), Brigitte Zypries (Justiz) und Heidemarie Wieczorek-Zeul (Entwicklungshilfe).(Zitat Ende) Wer ist Steinmeier??? Auch eine italienische Zeitung(Corriere della Sera) hat sein Photo als Photo von Per Steinbr?ck verwechselt. Hahaha.
2005年10月13日
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今日はあいにくの天気の中、午後映画を見に行った。先日ヴェネツィア映画祭で特別賞を受賞した宮崎駿のアニメ映画最新作「ハウルの動く城」である。宮崎アニメに興味はあったのだが、映画館に行くことまではしたことが無かった。宮崎アニメに詳しいUさん(卒論で宮崎アニメについて書いたそうだ)の誘いを受けて見に行った次第である。【中古】DVDアニメ ハウルの動く城 上映時間が午後三時ということからして、ドイツではあくまで子供向け映画の扱いで、観客の多くは子供連れだった。日本ではむしろ大人のほうが宮崎映画に熱狂しているように見うけられるのだが、ドイツではそうでもないらしい。宮崎アニメはむしろイタリアやフランスでの方が評価されているようだ。 僕は宮崎アニメのファンというほどでもない。テレビ放映でいくつかの作品を見て感心した程度で、積極的に見たわけでもない。「もののけ姫」だけはあまりの評判に食指を動かして映画館まで赴いたが(舞台が中世ということもあったし)、長蛇の列を見て見る気が失せた。数少ない宮崎アニメ経験からすれば、僕が一番好きなのは「紅の豚」で、次いで「風の谷のナウシカ」だろうか。あとは「天空の城ラピュタ」と「魔女の宅急便」をテレビで見たくらい。大ヒットになった「隣りのトトロ」や「もののけ姫」、アカデミー賞を受賞した最近の「千と千尋の神隠し」すら見ていない。 この映画については事前に賛否両論聞いていた。批判する人は「なんだか全体に薄味」と表現していたが、確かに展開が唐突で登場人物の性格などが説明されないうちにどんどん話が進んで行くのでそういう意見も理解できる。これはオリジナルストーリーではなく英国?の絵本を原作にしているから仕方ないのかもしれない。あと木村拓哉や倍賞千恵子の吹き替えをくさす人も居たが、これはドイツでは吹きかえられてしまうのでなんともいえない。最後のほうの挿入歌はちゃんと流れたけど、あれは谷川俊太郎の作詞だったんですね。 もちろん褒め言葉も聞いていた。一緒に見に行ったUさんなんかは感動したそうで、もう一度見たいということだった。なんでも過去の2作よりも宮崎アニメの本流に戻っているのだという。ただ過去の宮崎アニメとかなり違うのは、家族の絆とか個人(青少年)の自立とか人間と自然のせめぎあいとかではなくて、男女間の愛が比較的ストレートに描かれていることだろうか。これはちょっと意外だった。あともしかして老化とかそういうのもテーマなんだろうか(話がよく分からなかったので何とも言えないが)。 僕としては「事前に思ったより面白かった」というのが感想だろうか。ただ話はよく分からないところがあった。 宮崎駿が反戦主義者にして兵器オタクというのはよく知られているそうだが、この映画でも「動く城」を始めとして奇怪な兵器や爆撃シーン、兵隊がたくさん出てきた。最初に出てくる兵士の行進のシーンや街に貼られた愛国的なポスター(看板とかは英語なのに、これはなぜかドイツ語)なんかは、ナチスを連想させるのかドイツ人の観客は眉をひそめていたが、それだけよく描けているということでもあるのだろう。 それにしても宮崎アニメの描くヨーロッパ(物語中ではもちろんヨーロッパとは明示されないのだが)は素晴らしく描き込まれている。例えばディズニーのような欧米アニメに日本の風景をこういうふうに描けるだろうか(「ムーラン」とか見ればまあ明らかですが)。いや描く必要性すら感じないのだろう。(あらすじ) ソフィーは生真面目な帽子職人。町は戦争に沸きかえっている。ソフィーは兵士にちょっかいを出されたところを謎の美少年ハウルに助けられ、一緒に空中を浮遊する。ソフィーはこの出来事に心を奪われる。しかしその晩、ハウルを付け狙う「荒地の魔女」の呪いによってソフィーは90歳の老婆に姿を変えられてしまう。 自分の姿に居たたまれなくなったソフィーは町を出て荒野を目指し、ハウルの住む「動く城」にでくわす。家政婦としてソフィーは「動く城」に住みつき、ハウルやその弟子マルクルと共同生活を始める。ハウルは気ままに生きる魔法使いだが、かつてのハウルの師匠で王宮の実権を握る魔女サリマンは、ハウルを支配下に置こうと画策し、ハウルは追われる身になる・・・・。・・・・・・・・・ 映画のあとは飲みに行った。 僕らが暢気に映画を見ている間に日本の総選挙の開票は進み、自民党の圧勝(15年ぶりの単独過半数)、民主党の惨敗という結果に終わった。民主党の岡田党首は即日辞意を表明。それにしても自民党は勝ちすぎたかもしれない。民主党への失望感が極端な形で出たのだろうか。トルコのつんぽ桟敷に居て解散総選挙へのいきさつをよく知らないのでなんとも言えないが、民主党は戦うべき時機を誤ったのだろうか。思いきって解散に打って出た小泉首相の作戦勝ちというべきか。まあ何だかんだいってもこれが「民意」ですね。 来週はドイツで総選挙である。今日の映画の前にも、「緑の党」と「左翼・PDS」両党のスポット広告が出ていた。前者はフィッシャー外相自らが出演して彼の個人的人気を前面に押し出した広告。後者はボクシングの場面(「ミリオンダラー・ベイビー」のイメージか)でトレーナーが「左だ!、左(で打て)!!」と連呼する内容。後者はウケ狙いのつもりだろうが今一つセンスが無い。どうせなら「赤いオスカル」ことラフォンテーヌを前面に出せば良かったのに。
2005年09月11日
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今日は曇りがちだが暑い日だった。夜は急に冷えたけど。 トルコに向け出発するまであと9時間を切っている。今日の昼間は車への機材などの積み込みをやったが、まだ僕個人の荷造りが終わっていない。とりあえず仮眠して(ちゅうか日記書いてる場合じゃないよな)、早朝に起きて荷造りするつもり。今年はトルコ滞在がせいぜい一ヶ月くらいしかないので、荷物はそれほど気を使わなくてもいいのだが。・・・・・・・・ 夕方はこの切羽詰ったときに映画に行く(誘われたので)。今日の日記のタイトル「黄色い犬の洞窟」である。モンゴル人のビャムバスレン・ダヴァア監督の作品で、物語の舞台もモンゴルだが、スタッフのほとんどはドイツ人だからドイツ・モンゴル合作というべきか。 ストーリーは書くほどの事も無い。モンゴルで遊牧生活をする一家の女の子ナンサルがある日洞窟で子犬を拾い、ゾホル(「ぶち」)と名づける。しかし父親はその犬を捨てて来いと言い付ける。普通洞窟で暮らしているのは狼で、この犬は狼に育てられたかもしれず、この犬の跡をつけて狼の集団が羊を襲いに来るかもしれないからである。家族はユルト(ゲルもしくはパオともいい、モンゴル人の住居となるテントのこと)をたたんで夏営地を離れて移動するが、ゾホルは縄に繋げたまま置いて行かれることになるのだが・・・。それだけの話である タイトルは映画中で老婆がナンサルに聞かせる昔話のことで、ストーリーには直接関係無い(ラマ教の輪廻観とかをそれとなく示唆させているようだが)。 天空の草原のナンサ デラックス版 / ナンサル・バットチュルーン しかしこの映画はとても良かった。とにかくその自然と遊牧民の暮らしぶりが興味深い。見ようによってはモンゴルの普通の家族の生活を描いたドキュメントである(ちなみに出演は一般の遊牧民の一家)。モンゴルの地形はトルコ中部にちょっと似ているが、トルコよりもはるかに草が多い一方で木が全然生えていない。そうした雄大な光景を舞台として、いたいけない少女と犬の交流が情緒豊かに描かれる。主人公の少女はじめ出演陣は演技ともつかないのだろうが、ごく自然に振舞っている。 遊牧民の暮らしも生き生きと描かれて興味深かった。現金収入が少ないので生活は決して楽ではないし、狼の襲撃や羊・ヤギ・牛の世話は大変そうだ。映画の中で食べているのはチーズなど乳製品ばかりだった。住んでいる家は短時間で解体や組み立てが出来る、木組みにフェルトを被せたテントである。主人公の女の子は5歳くらいだろうけど、もう馬に乗っている。さすがだ。 モンゴルとトルコとの比較をしたが、トルコ人の祖先は中央アジアに起源があるという。もちろん現代の「トルコ共和国」人とどれだけ連続性があるかというと疑問だが、ある種の習俗などは共通しているようだ。例えばこの映画にも出てきたが、出かける人の無事の帰還を願って背後から水をかける風習(もちろん儀礼的であってザバンと掛けるわけではない)などはトルコと全く同じで僕も経験している。語彙の一部などはトルコ語とモンゴル語は共通している(もちろんトルコ民族主義を背景にアラビア語やペルシア語からの脱却を目指した20世紀の「トルコ語浄化運動」によるものが多いのだろうが)。 この映画のパンフレットにモンゴルの紹介があるので訳してみよう。「モンゴルは人口のまばらなステップ、高山、砂漠の国です。首都はウラン・バートル(人口84万人)。モンゴル経済の大部分が農業で、人口の約36%が貧困レベルの生活をしており、また人口の3分の1が遊牧生活をしています。その信仰は多くがラマ教(チベット仏教)です。 1921年までモンゴルは中国軍に占領されていました。革命により彼らは追い払われ、1924年に人民共和国を宣言しソ連の衛星国となりました。東欧変革の影響で1990年に民主化運動が起きました。その民主主義は現在他のいかなる中央アジア諸国よりも安定しています。ドイツとは深い友好関係にあり、それは旧東ドイツとモンゴル人民共和国の頃に始まっています」 なるほどモンゴルに関する大規模な展覧会がボンで開かれたり、今日の映画に随分客が多かったわけだ。まあそういうのを抜きにしても、ほのぼのとしたいい映画だったと思う。 上の紹介文に付言しておくと、中国がモンゴルを支配下に置いたのは清王朝(1644-1912年)の時代からだが、清はいうまでもなく満州族の王朝である。現在の中国政府はチベットやウイグルを支配下に置いているが、1つ間違えばモンゴルも今は中華人民共和国の一部にされているだろう。現にモンゴル族はモンゴル共和国よりも中国の内蒙古自治区でのほうが多い。 モンゴルが独立を保てたのはひとえにソ連の衛星国になったからであり、ソ連の支援で中国の覇権を得た共産党政府は遠慮してモンゴルには手が出せなかっただけである(一方でモンゴル人民共和国はよくソ連に併合されなかったものだと思うが。現にトゥーヴァ地方はモンゴルから分離されて独立後ロシアに編入されている)。中国のチベットやウイグル支配の根拠は前近代王朝の朝貢関係に基いた程度のものであり(それを言ったら台湾や朝鮮半島もそうだが)、「不可分の領土」などというのは実はちゃんちゃらおかしい。この一事をもってしても、共産党政府が清朝やそれこそモンゴル人王朝である元のような膨張主義的な征服王朝の系譜上に連なることが分かる。・・・・・・・・・・・ せっかくのほのぼの映画の紹介が脱線してえらく生臭い話になったが、その関連でモンゴルより1000kmほど西方でやや気になるニュースがあったので、貼りつけておく。(引用開始) 米軍撤退を正式要求 ウズベキスタン【モスクワ30日共同】30日付のワシントン・ポスト紙によると、中央アジアのウズベキスタンは米国に対して、180日以内の駐留軍撤退を正式に要求した。背景には、5月にウズベキスタン東部で起きた反政府暴動の武力鎮圧を米国が強く批判していることへの反発や、基地使用に伴う資金援助の拡大を狙う駆け引きがあるとみられる。 米軍はアフガニスタンでの「対テロ戦争」の後方支援基地としてウズベキスタン南部のハナバード基地を使用している。(中略) キルギスを含む米軍の中央アジア駐留についてはロシア、中国が警戒感を強めており、今月初めにカザフスタンで開いた、中ロと中央アジア4カ国による上海協力機構首脳会議は、撤退期限の明示を求めた。(共同通信) - 7月30日21時34分更新(引用終了) ユーラシアを舞台とした、モンゴル帝国の再来ともいえる中露と英米海洋帝国との角逐は続きそうだ。このニュースの一方で、今日グルジアから駐留ロシア軍が撤退を開始したというニュースもあり、一進一退といったところだろうか。・・・・・・・・・・・ 映画のあとは皆で旧市街に新しく出来た(本日開店)イタリア料理店に行った。いちおう僕の壮行会だったのかな。 ドイツへの帰還、ネットへの復帰は9月初旬になります。それまで皆様ごきげんよう。お身体に気をつけて良い夏をお過ごしください。 Macht's gut!
2005年07月30日
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今日は暑い一日だった。そのせいか夜は激しい雷雨になった。 昼間は町で雑用を済ます。今年の現場で使う作業服を購入。僕は現場ではポケットのたくさんついた(釣り師が使うような)ベストを着ているが、今日買ったので4代目になる。初代はピンク色のシャツと一緒に洗濯されて色が移ってしまったのでシリアで捨ててきた。二代目は胸のところが焼け焦げて穴があいたので焼却処分にした。三代目は機械油でまだらになってしまったので去年捨てた。・・・・・・・・ 見に行こうと思っていた映画「トニー滝谷」が今日で終わってしまうというので(まだ上映開始から2週間なのだが)、急遽見に行くことにした。 この映画の原作は村上春樹の同名短編小説で(「レキシントンの幽霊」所収)、僕は読んだ事が無い。村上作品はそこそこ読んでいるのでその大体の傾向は知っているつもりだが、彼の作品を映画にするのはなかなか難しいのではないかと思っていたので(彼自身は確か早稲田の映画学科出身なのだが)、市川準監督(この人もよく知らないけど)がどういう風に映画化するのかは興味があった。 ドイツでは村上春樹は当代もっとも知名度の高い日本の作家なので(ドイツの一部評論家は「ノーベル文学賞に一番近い人物」と評している)、また音楽がこれまた日本人として世界的に知名度の高い坂本龍一だったので、客はそこそこ入っていた。当然ながら学生ばかりだった。トニー滝谷レキシントンの幽霊(あらすじ)(ネタバレ注意) トニー滝谷(イッセー尾形)の「トニー」は本名である。彼の父親(尾形二役)はサックス奏者で、親しい米軍将校に名付けてもらったのだという。母は彼の誕生後すぐに亡くなり、演奏旅行で転々とする父親の都合で、彼は孤独な少年時代を送る。「孤独」は彼にとって通常であり、当たり前のことだった。彼は美大に進み、イラストレーターになる。その絵は専ら無機質な機械を対象にしている。 そんな彼は仕事で知り合った英子(宮沢りえ)と恋に落ちる。15歳も年下、しかも彼氏のいる英子だったが、二人は結婚する。トニーは生まれて初めて孤独でない生活を知る。 しかし英子には自分でもどうしようもない性癖があった。気に入った服を買わずにはいられない購買依存症である。彼女の高価な衣装はクローゼットを埋め尽くし、やがて一室を埋め尽くす。稼ぎのいいトニーには金銭的に問題は無かったが、その尋常無さを見かねてある日、「少し服を買うのを抑えたらどうか」と英子に言う。英子は素直に従うが、やはり耐えかねてブティックに行ってしまう。 結局英子は死ぬ。トニーに残されたのは彼女が残した膨大な衣服。彼女が着ているときは生き生きとした生の象徴だったその衣服は、今ではただのモノでしかない。トニーは英子に体格がうりふたつのひさこ(宮沢二役)を秘書として雇って亡き妻の衣服を着てもらい衣服に生を与えようとするが、衣服を前に泣き崩れるひさこの姿を見て思い止まり、衣服を古着屋に全て処分してもらう。こうして亡き妻のことは忘れた。 やがて父も亡くなる。彼はトニーにサックスと古いレコードを残した。トニーはそれも処分する。彼には父や英子を偲ぶものは何も残っていない。彼は生まれて初めて自分が孤独になったと感じる。彼の手はひさこの電話番号を廻している・・・。 村上作品というと主人公の独白というスタイルが多いが、この映画もナレーション(西島秀俊)が多用されている。そしてナレーションと台詞がかぶったりする。そして、とにかく静かな映画だ。音は坂本龍一の静かなBGMと登場人物の台詞がほとんど(BGMがあったり監督名が出ている時点でNGとはいえ、なんとなくラルス・フォン・トリアーらの「ドグマ95」を思わせる)。そして説明調で展開が急な割に、ゆっくりとしたテンポで語られている不思議な映画。何より主要な登場人物はイッセー尾形と宮沢りえのみで、二人芝居もしくは一人芝居を思わせる。この映画のキャスティングは一人芝居で知られるイッセー尾形以外には考えられなかっただろう。どちらかというと映像で語ろうとする方向である(岩井俊二と同じ?)。 見ていたドイツ人たちは見終わった後「なるほど」というような感想をもったようだが、この映画はあまり大向こうには受けないだろうな。村上作品の雰囲気はよく出せているように思うけど、彼の主題である個人の「喪失感」「孤独感」を前面に出したせいかあまりに「分かり易い」映画になっている(「アンダーグラウンド」以降、彼の関心は個人の総体である社会に向いているようだが)。要するに無駄を極力殺ぎ落とした映画ということだろう。僕自身は少々「なんだこれ」と感じる面もあったのだが。 それにしても宮沢りえ細いね。棒切れみたいだ。激痩せ騒動(えらい昔だが)の頃とあまり変わってないんじゃないかとさえ思えた。デビューの頃はころころして可愛かったのにねえ(そりゃ今だって綺麗とは思うけどさ)。女優としては格段に成長しているんだろうけど、ドイツでごっつい姉ちゃんを見慣れているせいか、僕には女性というより中性な感じがしたくらいだった。 英子の買い物依存症というのは分からない。僕は衣服にあまり頓着無しないほうだし。この映画を一緒に見に行ったUさん(女性)は「あれは分からんでもない」と言っていたが。僕が買い物しまくるのは本ばかり(しかも専門書)で、僕が死んだら図書館とはいかないまでも大変な量の本が残るんだろうな。しかも洋書の専門書が多いので始末に困るかも知れない。万一のことがあれば、日本語の本はここの図書館に、洋書は日本での母校の図書館に寄贈しようかと思ったこともある。
2005年07月27日
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今日も昨日と似たような天気で、晴れ間はあったが全体に曇っていた。気温は21℃くらいで夏本番とはいかない。先日はあんなに寝苦しかったのだが、今は涼しい。 気分転換にいろいろいじくってページを模様替えしてみたが、我ながらどうもあまり宜しくないので元に戻そうか思案中。・・・・・・・・・ どうにもテンションが上がらないので、夕方突然思い立って映画に行く事にした。「スターウォーズ」とかも考えたが、やはり明るくコメディがいいだろうと思い、それは避けた。 見に行ったのは今日の日記の表題のドイツ映画(なんて訳せばいいのだろうか)。今年の春くらいに公開された映画だが、最近復活している。僕の研究室仲間のドイツ人はほとんどが見ていて、中には「最近のドイツ映画の中では一番いい」とまで褒めちぎる人もいる。ただそれを言っているのが僕をよく「なんじゃこりゃ」と思わせる映画に誘うDなのだから、そのまま鵜呑みには出来ないが。映画としてはコメディで、確かに会場は平日のこの時間、何より再上映の映画にしては入っているほうだった。客層は中年くらいが多い。 監督はダニー・レヴィという人で、名前からしてユダヤ人だが、映画の登場人物たちも主人公を始めとしてドイツに住むユダヤ人である。 ジェッキー・ツッカー(ヘンリー・ヒュプヒェン)は旧東ドイツ時代はスポーツレポーターとして活躍していたが、東ドイツの崩壊とともに没落、今は賭けビリヤードを生業としている。当然のように彼は借金だらけ、妻(ハンネローレ・エルスナー)や子供たちとの仲も最悪である。妻に離婚を突きつけられ、債務不履行で投獄されようとしている彼の最後の望みは、ベルリンで開かれるビリヤード大会の賞金だった。 そんなさなか、フランクフルトに住むジェッキーの兄弟サムエル(ウド・ザーメル)から「母が死んだ」という電報が届く。東ベルリンに残ったジェッキーは、ベルリンの壁の建設で生き別れた旧東ドイツ時代以来、母親やこの兄弟とほとんど没交渉で過ごしてきた。母親は遺言で、生まれ故郷であるベルリンに葬られるべきこと、7日間の服喪期間を兄弟一家で過ごし、ジェッキーとサムエルが和解すれば自分の遺産を二人に分与するが、そうでなければ遺産はベルリンのユダヤ人協会に寄付されるべきことを定めていた。 遺産という言葉に目の色を変えるジェッキーの妻だが、ジェッキー自身にはサムエルとの仲直りなど考えられなかった。サムエルは戒律を厳しく守る正統派ユダヤ教徒で、無宗教の共産主義社会に慣れ親しみかつ現在は自堕落な生活を送るジェッキーと打ち解けるなどとても無理な話に思え、同じ一攫千金ならビリヤード大会の賞金のほうが現実味があるように思えた。 遺産目当ての妻に尻を叩かれるように俄かユダヤ教徒になったジェッキーとその一家は、テーゲル空港で全身黒づくめの衣装をまとったサムエル一家を出迎え、服喪の7日間を共に過ごす事になる。あまりに生活・信条の異なる兄弟の和解は、遺産の行方は、そしてビリヤード大会の賞金は・・・・。ジェッキーはめでたく一攫千金して、家族の絆を取り戻すことが出来るのか? 物語としては家族コメディで、最近のドイツ映画で高い評価を得た「グッバイ!、レーニン」のおじさん版という感じがする。隠された家族の秘密が徐々に明らかになっていくところなど、話の流れもかなり似ている。何より旧東ドイツの崩壊を背景にしているところも共通している。それにユダヤ人が絡めば、もう掟破りというかドイツ人に受けないはずが無い(まあユダヤ人監督だから作れた映画なんだろうけど)。 確かにとても面白い映画ではあったが、ユダヤ人かつ旧東ドイツ市民という登場人物の背景など、どちらかというと「お膳立て」のほうで随分得をしているのではないかという印象をもった。まあユダヤ・ジョークというのは有名ではあるが。Dが褒めるのも分かる話で、彼は映画の思想性とか訴えかけよりも、登場人物同士のやりとりを一番評価する。 「グッバイ・・・」と違うのは主人公がかなりいい加減ないわば社会不適格者だったり、現代のベルリンを舞台にしている所である。現代ベルリンという舞台のせいか、やたら同性愛ネタがよく出てくる。また自身がホモとして知られるベルリンのクラウス・ヴォヴェライト市長が本人役で友情出演している。登場人物の多くはベルリン方言を話しているのか、聞き取りづらい言葉も多かった。 ちなみにこの映画、もともとはテレビドラマとして企画され2台のカメラで23日間の間に撮影されたのだそうだ。そういう作品がドイツ映画賞6部門獲得の快挙を成し遂げている。
2005年07月26日
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今日も雨が降る涼しい一日だった。大学は今週から夏休みに入っているが、夏は終わってしまったのだろうか。 トルコから調査許可の書類が届き、次の次の日曜日にトルコに向け出発することになった。今年は例年通り陸路でトルコに向かうが(セルビア経由)、滞在は1ヶ月程度と短めの予定(帰りは飛行機)。・・・・・・・ 夕方ベルリンの連邦議会と首相府の間の芝生に超小型機が墜落し炎上、ロンドンでの騒ぎの直後だけに一時は自爆テロかと現場は騒然としたというが、どうやら事故のようだ。操縦していた人物は死亡。あのあたりはもちろん飛行禁止らしい。・・・・・・・ 最近ばたばたして随分映画に行っていないので(といっても一月くらいか?)、今日は映画に行こうと研究室仲間のドイツ人Dを誘った。日本映画の「トニー滝谷」かファーティフ・アキンのイスタンブルに関する映画にしようかと考えていた。ところが彼は今まさに映画を見に行くところだというので、付いて行く事にした。なんでもグローバリゼーションについてのドキュメンタリー映画だそうで、彼はAttac(反グローバリゼーション団体)の仲間と一緒に見に行くところだという。 映画のタイトルは日本語で「ダーウィンの悪夢」という意味(原題は英語)。オーストリアのドキュメンタリー映画監督フベルト・ザウパーの作品。[DVDソフト] ダーウィンの悪夢 デラックス版 映画の舞台はアフリカ、タンザニア西部のヴィクトリア湖畔の町ムワンザ。 湖畔の原野にあるその飛行場には、巨大なイリューシン76輸送機がひっきりなしに着陸している。操縦士の多くはロシア人やウクライナ人で(おそらく空軍のパイロット崩れだろう)、町の鄙びたホテルで食事をし、現地人の娼婦(一晩10ドル)を買う。彼らはここで箱に詰められた冷凍の魚の切り身を満載して、ヨーロッパに戻る。ロシアの輸送機は運賃が安い上積載量が多く人気なのだ。粗悪な滑走路の飛行場は無線機が故障してランプで合図しており、飛行機の過積載もあって時々湖の中や滑走路脇に墜落する。 この輸送機が買い付けにきた魚はヴィクトリア湖で採れるナイルスズキで、50cmもの大きさになる。地元の漁師たちは小さな船でこの巨大なスズキを取り、地元の工場に売る。この工場はインド人の経営で、解体して三枚に下ろし、骨を取った身(白身)の部分だけを箱詰めして冷凍して出荷している。主な輸出先はEU諸国や日本だといい、「この工場は地元の雇用を創出している」と工場長のインド人は胸を張る。一日に500トンもの魚の切り身を生産しているというが、最近他業者との競争で価格が落ちて状況は厳しいと嘆く。 しかしこのスズキの身の部分を地元の人間が食べることはまず無い。値段が高すぎるからだ。工場から捨てられた頭や骨の部分が集められ、天日干し(その間蛆が沸いたりガスが発生したりする)したのちに油で揚げられ、地元民はそれを買って食べる。この映画の撮影時タンザニアでは旱魃による飢饉が起きていた。親を失ったストリート・チルドレンは一握りの米を巡って殴りあう。ストリート・チルドレンたちの数少ない楽しみは、魚のパックに使われたビニールの切れ端を溶かして出来る「麻薬」を吸うことである。 アフリカ全体の問題であるエイズはここでも例外ではない。漁師たちは女を買ってエイズに感染し、400人あまりの漁師のうち月に10人ほどが亡くなるという。漁師たちは職を求めて近くの村から集まってきた者が多いのだが、その寡婦が生計のために娼婦になるため町に出てまたエイズに感染する、という悪循環が起きている(遺児はストリート・チルドレンになる)。地元教会の牧師は「コンドームはキリストの教えに反する」というので使用を勧めない。漁師には湖に住むワニに襲われ命を落とす者も多いが、魚をとらねば彼らは生きていけない。しかしその魚を彼ら自身が食べることはほとんど無い。 彼らが獲っているナイルスズキは本来ヴィクトリア湖にはいなかった。日本のライギョやブラックバスと同じく外来種であり、繁殖力が強く成長が早いため養殖魚として有用であるというので50年ほど前に導入されたものだという。ところがその生命力で他の魚をどんどん食い尽くしてしまい、ヴィクトリア湖に居た400種類もの魚がほぼ絶滅しつつあるといい、生態系を完全に破壊してしまった。最近は同じナイルスズキ同士で大きいものが小さいものを共食いする事態にまでなっていて、いずれはこのナイルスズキ自身が絶滅するときも来るかもしれない。しかしこのナイルスズキこそが地元漁師の生活の種であり、インド人工場長やロシア人パイロットの儲けの種であり、ヨーロッパや日本の消費者に安価な食材(しかし地元民には食べられないほど高価である)を供給しているのだ。 EUから視察団が来る。彼らは清潔な工場を見学して満足し、補助金の拠出を表明するが、漁師の惨めな生活や窓の外のストリート・チルドレンには目が届かない。ケニアでヴィクトリア湖に関する環境会議が開かれ、ナイルスズキによる生態系破壊に警鐘が鳴らされるが、タンザニアの大臣は「悪い面ばかりを報告している、現在のヴィクトリア湖にはいい面もあるのだ」と反発する。 ムワンザの町には政府の漁業研究所がある。そこのガードマンは毒矢で武装し、侵入してくる泥棒を射殺する。彼の前に雇われていたガードマンは侵入した賊に滅多切りにされたという。彼の給料は一晩1ドルだが、仕事があるだけ有難いという。彼は元軍人だが、戦争の無い今は失業状態であることが多い。「内戦でも起きてくれれば、俺は軍隊に戻って稼げるのだが」といい、戦争の勃発を期待する。「俺は戦争を恐れない。戦争になったらこんな毒矢ではなく自動小銃や迫撃砲で戦うさ」と屈託無く語る。その内戦や戦争で使われる武器はヨーロッパ製で、魚の切り身を受け取りにヨーロッパから飛んでくるロシアの輸送機によって密輸されてくるのだ・・・・。 まさに息を呑むようなドキュメンタリーだった。「ダーウィンの悪夢」というタイトルは、他の魚を食い尽くし生態系を破壊するナイルスズキと、搾取し搾取される人間の両方を指しているのだろう。「この映画はシエラレオネを舞台にしてもよく、その場合主題は魚ではなくダイヤモンドになる。ホンジュラスならバナナ、アンゴラ、ナイジェリア、イラクなら石油だ」という監督の言葉が彼の問題意識を示している。そういえばコーヒー豆でそういうのがありましたね(奴隷労働によらないコーヒー豆の栽培云々)。 しかし、と思う。一体僕には何が出来るのだろうか。せめて自分が口にする食べ物の来歴を想像することくらいだろうか(少なくとも僕の小さい頃は、お米では「お百姓さんの苦労を思え云々」というのがまだ言われていたと思う)。しかし安い商品があったらどうしてもそっちに手が出てしまうし、そういう商品をボイコットしたところで飢えるのはインド人の工場長や漁師たちということにならないか。 先日のG8サミットや「ライフエイト」コンサートのように、アフリカ諸国に善意の人道援助をしたり債務を帳消しにすることも出来るが、その繰り返しがもう何十年も続いて底無しの桶のようで、まるで改善の兆しが無いのはなぜか。「戦争反対」というが、その戦争を渇望する声もこの地球上にある現実をどう捉え、何をすべきか。いろいろ考えさせられる映画だった。僕にはまだ答えられない。 日本で上映される機会があるかどうか分からないが、ブッシュ政権のネガティヴキャンペーンに堕した「ファーレンハイト911」なんかよりは、はるかに優れたドキュメンタリーだと思う。
2005年07月22日
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今日は気温が30℃までは上がらず、やや過ごしやすい日となった。それでも蒸し暑いなあ。ドイツってこんなに暑かったっけ? 夕方研究室仲間のドイツ人Dに誘われて映画を見に行く。この人に誘われる映画はかなりの確率でハズレなことが多いのだが、果たして今回はどうだろうか。 見に行った映画は今日の日記のタイトルの通り。原題は「The Hitchhiker's Guide to the Galaxy」といい、イギリスの作家ダグラス・アダムスの原作に基いたSF小説の映画化である。日本では「銀河ヒッチハイク・ガイド」という何だか変哲も無いタイトルで秋に公開予定だそうだ。Dはこの原作を読んでいて、面白かったといっていた。SFとは言いながらイギリスらしいひねくれたユーモアに溢れたコメディらしい。 <ストーリー> アーサー(マーティン・フリーマン)は普通のイギリス人。ある朝起きると不運の連続、しかも道路建設のため自分の家まで壊されてしまう。そこへ友人フォード(モス・デフ)がやってくる。実はフォードは宇宙人で、航路建設のためヴォーゴスという宇宙人によってまさに「撤去」される寸前の地球からアーサーを救うために駆けつけたのだった。かくして地球は消滅し、アーサーは宇宙船に救われる。宇宙で生き抜く為の「銀河ヒッチハイク・ガイド」を渡され、アーサーの宇宙旅行が始まる・・・・ ・・・とまあストーリーを紹介してもあまり面白くない。変な登場人物や台詞の掛け合いの面白さ、ナンセンスさなどがこの物語の中心で、これは見ないと分かるまい。ぱっと見た感じは「スターウォーズ」や「スタートレック」のパロディのように見える。主人公がずっとガウンを着たままなのはまるで「ジェダイの騎士」の格好のように見えるし、官僚主義的で無感情な悪役の宇宙人の名前「ヴォーゴス」は、スタートレックに登場する最強の敵「ボーグ」そのままだ。これらがどこまで原作に基いているのか知らないが・・・・(2001年に急逝した原作者ダグラス・アダムスは脚本にも加わっている)。 主人公などはあまり有名な俳優ではないが、脇役でジョン・マルコヴィッチやアラン・リックマンなどの名優が出演している。アラン・リックマンは四六時中愚痴を言いつづけるアンドロイド(「スターウォーズ」のC3POとR2D2のあいのこ)・マーヴィンの声で出演しているのだが、ドイツでは吹きかえられてしまうので厳密にはドイツ語版には出演していない。 まあ面白いといや面白かったが、なんだかなあ。ヒロイン役の女優(ズーイー・デシャネル)が僕の気に入ったくらいが、この映画を見て良かったと感じたことだろうか。評価で言うなら「お暇ならどうぞ」くらいか。会場は結構な入りだったし大笑いする人も多かったけど、果たしてイギリス流のギャグが面白いと感じられるかどうか・・・。・・・・・・・・ ドイツのシュレーダー首相がアメリカを訪問し、ブッシュ大統領と会談した。 議題はドイツの国連安保理常任理事国入りとイランの核開発についてが主だった。シュレーダー首相はドイツの常任理事国入りの意義を説いたが、アメリカ側は明確な支持を避けた(アメリカが明確に支持しているのは日本のみ)。先日大統領選挙が行われて「超」保守派のマフムド・アフマディネジャド・テヘラン市長が当選したイランの核開発問題に関しては、アメリカは継続する英仏独のEU三大国とイランとの交渉を見守り三国を支持する姿勢を続けている。 新大統領はイランの核開発の正当性及びアメリカとの国交回復は重要でないと強調したが、間に立つEUも慎重な舵取りを強いられることになりそうだ。ところで思うのだが、どうして対イランの交渉メンバーに日本は入っていないのだろう。油田開発やアメリカ・イラン双方との親密度では英仏独に劣らないと思うのだが、やはり日本独自の交渉能力の無さ(双方の主張の言いなりで、伝言役にはなれても仲介者にはなれない)、イニシアチヴの無さが明らかだからだろうか。
2005年06月27日
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今日は曇りの一日だった。 夕方K君と映画に行く。今日の日記の表題「キングダム・オブ・ヘヴン」(天国の王国)である。第三回十字軍(1189~92年)の原因となった、アイユーブ朝のサラディン(イスラム教徒)によるエルサレム攻略(1187年10月)が背景の歴史映画。先に見に行ったドイツ人からはあまりいい評判を聞いておらず、また実際に客の入りはあまり良くないのだが、やはり歴史物は見ておかねばなるまいということで見に行った。期待しなかった分思ったより良かったと思う。 さすがはリドリー・スコット監督の作品だけあって、映像の迫力はさすがである。ただストーリーは展開が早くてしかもイスラム教への配慮が見え過ぎるところが却って興醒めの点だったことは否めない。まあ現代という時代が時代だけに仕方ないですね。オーランド・ブルームが出演(彼の初主演映画だそうだ)、戦争を背景とした大作、という2点でまるで「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」か「トロイ」をもう一度見させられているような気分だった。なんでこういうのが重なるんでしょうね。リドリー・スコット作品で言えば凄惨な戦争物である「ブラックホーク・ダウン」と史実に基いたフクションのヒーロー物という点で「グラディエーター」のあいのこみたいな感じだった。主人公が鍛冶屋出身という点はやはりオーランド・ブルーム出演の「カリブの海賊」みたいだ。 うーん。歴史物が好き、リドリー・スコットのファン、スペクタクルが好き、オーランド・ブルームのファン、のいずれかに該当する(ちなみに僕はこのうち二つ)というので無ければ、あまりお勧めしない。僕はリーアム・ニーソン、デヴィッド・シューリス、ジェレミー・アイアンズ、エドワード・ノートンなどの脇役陣が気になったのでどちらにしろ見に行きたかったのだが。ただノートンは全く素顔を出さず(公式ページのキャストにも名前が無い)、ニーソンは先に死んじゃうし、アイアンズはこの展開の早い物語では演技力を発揮するまでも無かったな(もともと騎士ってタイプじゃないよなあ、彼は)。 リドリー・スコットらしいと思ったのは、凄惨な戦争を正面から描きつつ、映画を見ながら「なんでこいつらこんな必死に戦争しているんだろう、馬鹿馬鹿しい」と巧まずして考えさせる演出になっているところだろか。「ブラックホーク・ダウン」を見たときも同じ感情を持った(あれを「アメリカの国威発揚映画だ」という人もいるが、あれを見て戦争に行きたいという人はあまり居ないと思う。ていうかリドリー・スコットってイギリス人だし)。この映画はオーランド・ブルーム演じる主人公の成長物語や恋愛とかがついてきて焦点がぼけてしまったように思う(まあそういうのを入れないと企画が通らないというのは分かるのだが)。キングダム・オブ・ヘブン(DVD) ◆20%OFF! この映画の舞台は12世紀の末、今NHKでやっている大河ドラマの主人公・源義経とほぼ同時代なのだが(オーランド・ブルーム演じる主人公は1159年生まれの義経とほぼ同じ年恰好だろう)、中東・ヨーロッパに比べれば日本は使われている兵器が子供の石合戦レベルですな。映画上の誇張もあるんだろうがイスラム軍側の投石器や火薬?なんてほとんど大砲と変わらんぞ。まあ源平合戦(1180~85年)というのは歩兵の射戦(当然弓ね)や城砦戦の比重が増したという点では過渡的な戦争だったらしいのだが(川合康「源平合戦の虚像を剥ぐ」講談社選書メチエ)。日本の戦争って古代以来結局カタパルトのような機械力に頼るところが少なかったし(所詮日本人同士の馴れ合い戦ばかりだったし)、それが昭和陸軍で最悪の形で出たという指摘もある。 映画に出てくるエルサレムはちょっと大きすぎる気がする。中世エルサレムの大きさは大体1.2kmx900m、ヨーロッパ中世都市ケルン(人口4万)のおよそ5倍の大きさだが、それから住宅の密集度や宗教施設の面積を考慮して人口を割り出せば人口12~15万といったところだろうか(当時のヨーロッパ人にすれば大都会だし、理念上の「世界の中心」でもあった)。映画に出てくる軍隊の規模も大きすぎる気がする。 十字軍の時代というのはヨーロッパ中が熱狂して当時先進文明地帯だった中近東に殺到した時代だが、ヨーロッパ諸国同士で戦争しながらも「ヨーロッパ」という1つのまとまりとして共闘意識があった時代でもある。いわばヨーロッパの誕生した時代といえるかもしれないが(古代ギリシャが「ヨーロッパの曙」なんていうのは理念上の話)、集団がまとまるには外敵を持つのが一番手っ取り早い。なんかこうの書いているとどうしてもEUのこととかを連想してしまうんだが、理論的に説明できないので今日は措く。 十字軍については去年の日記に書いたので、今回は省略。西欧言語での「砂糖」(Sugar、Zucker)、米(Rice、Reis)などの言葉がいずれもアラビア語(砂糖=スッカル、米=ルッズ)に由来することだけを指摘しておこう。映画中でオーランド・ブルームが原住民(アラブ人)を指導して開墾とかするシーンがあるが、どう考えても逆でしょう、あれは。農業指導を受けたのはヨーロッパ人のほうだ。あれは砂漠を緑に変えた現代イスラエルのイメージの投影だろうかと勘ぐってしまう。 十字軍の好敵手となったクルド軍人サラディン(1138~93年)の名前は正しくは「サラー・アッ・ディーン・ユースフ・イブン・アイユーブ」(「信仰の光たるアイユーブの息子ユースフ」)だが、ユースフはドイツ語の名前ヨゼフと同じ。西欧文明は中近東にその根っこがある。あとシリア大統領の執務室にはサラディンの像が飾られている。キリスト教に勝利を収めたサラディンはアラブ世界の英雄である。(あらすじ) 1184年、フランス。鍛冶屋のヴァリアン(オーランド・ブルーム)は妻子を無くし悲嘆に暮れていた。そこに父親を名乗るイべリン伯ゴットフリー(リーアム・ニーソン)が現れる。ゴットフリーは十字軍に参加して聖地エルサレムにあった。エルサレムへの途上、ゴットフリーはヴァリアンをかばったときの傷がもとで死去し、ヴァリアンがイべリン伯を継承する。 当時エルサレムはキリスト教徒である十字軍国家・エルサレム王国の支配下にあったが、イスラム教徒側の有能な軍事指導者サラディン(ハサン・マスード)はダマスカスを拠点に反撃、微妙な睨み合いが続いていた。そんな中、ヴァリアンはエルサレム王ボードワン4世(エドワード・ノートン)の妹シビラ(エヴァ・グリーン)と出会い恋に落ちる。彼女の夫ギー・ド・リュジニャンは好戦派・狂信的でイスラム教徒との妥協を認めなかったのに対し、ボードワン4世や故ゴットフリー、エルサレム市長のティベリアス(ジェレミー・アイアンズ)はイスラム教徒との共存を目指し、聖地エルサレムに「天国の王国」を築こうと願っていた。 難病に冒されたボードワンが亡くなると、シビラが女王となり、その夫ギーが共同統治者となる。ギーは早速強硬策に転じ、イスラム教徒を虐殺する。怒ったサラディンは圧倒的な大軍で攻勢に出て、ギーの軍を破る(注・1187年7月のハッティンの戦い)。残されたヴァリアンは、エルサレム市民の生命をかけて、エルサレムに立て篭もって兵力・軍事技術で圧倒的なサラディンの大軍に立ち向かおうとするが・・・。
2005年06月02日
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今日もいい天気で気温が上がった。しかし昨日の深酒が祟って今日一日調子がすぐれず家に居た。というのは今日はまたもキリスト教関係の祭日(聖体拝領)で休日だったのである。 夕方ドイツ人の研究室仲間たちと映画に行く。今日の日記のタイトル、「Zimt und Koriander」である(邦題「タッチ・オブ・スパイス」)。タソス・ブルメティス監督作品のギリシャ映画である。エンドロールのスタッフ一覧にはトルコ人やロシア?人の名前が多く出ていたので合作か。 ドイツ語でZimtは肉桂(シナモン)、Korianderはそのままコリアンダーで、どちらも西洋料理、特にギリシャ及びトルコ料理によく使われる香辛料である。日本でのこの映画のキャッチコピーを見ると「人生は料理と同じ。深みを出すのは一つまみのスパイス」とあるが、あるギリシャ人の半生を描いた映画である。【送料無料選択可!】タッチ・オブ・スパイス DTSスペシャル・エディション [初回限定生産] / 洋画 現代?のギリシャ、アテネ。主人公ファニス(ジョージ・コラフェイス)は天文学の教授である。彼の元にトルコに居る祖父のヴァシリス(タソス・バンディス)が訪問するという報せが入る。祖父の歓迎準備をするファニスだが、祖父は過去に何度もギリシャ訪問を企画しながら実現していなかった。そして今度も・・・。 ・・・1959年、トルコ最大の都市イスタンブル。といってもそこには近代以前からギリシャ系住民が多く住み、彼らにとってこの町は「コンスタンチノープル」である。主人公ファニスもその一人で、祖父ヴァシリスは香辛料問屋を営んでいる。店の2階の倉庫がファニスの遊び場で、そこで祖父から天文や料理、そして人生について教わる。幼馴染のトルコ人少女サイメが彼の初恋の相手だった。 2年後、ギリシャ系とトルコ系住民の対立が激化したキプロス紛争のあおりで、イスタンブルに居たギリシャ系住民のうちトルコ国籍を持たない者がギリシャに追放されることになる。ファニスの父は着の身着のままで国外追放されることになり、トルコ国籍を持つファニスの母と祖父は滞在が許されたが、一家は祖父のみを残してトルコ当局の監視下でギリシャのアテネに移住することになる。大好きな祖父とサイメに後ろ髪引かれる思いで、ファニスはイスタンブルを後にする。 移住先の「祖国」ギリシャはしかし、軍事政権下にありトルコと同じ民族主義の国だった。トルコからやってきてトルコ訛りのギリシャ語を話すファニスの一家は微妙な差別を受ける。ファニスも祖父やサイメのことが忘れられず学校にもなじめない。サイメからの便りは、彼女がアンカラに移ったことで途絶えた。祖父の教えで料理に特別な才能を示したファニスはやがて料理人、そして天文学者への道を歩んでいく・・・ ・・・そして現代、冒頭のシーン。祖父が空港に行く途中で倒れたという報せを受けたファニスはイスタンブルに飛ぶ。そこで出会ったのは大人になったサイメ(バシャック・コクルカヤ)だった。・・・ 僕はトルコには馴染みがあるし、ギリシャにも何回か行っている。だから特別の感慨があってこの映画を見たが、そういうのを抜きにしてもとてもいい映画だったと思う。人生は楽しいことばかりではなく苦しいことのほうが多いのかもしれないが、それこそ幸(旨味)・不幸(苦味)は人生のスパイスのようなもの。とても元気付けられる映画だと思う。下手にハッピーな話にしていないのがとても良い。 物語は大部分が監督自身の体験に基いているという。監督自身がイスタンブル出身で7歳のときにギリシャに追放された経験を持ち、またファニスの祖父を演じた俳優もイスタンブル出身だそうだ。 大人になったサイメを演じているのはトルコの女優だが、ホームページを見ると1974年生まれとある。うそー!そんなに若いの?あまりに「大人」なのでとてもそうとは見えなかった。 何より印象的だったのは、1999年のトルコ大地震・アテネ地震をきっかけにした両国の関係改善を如実に反映した内容の映画だったことだ(先日見た「ケバブ・コネクション」にもそういう場面があったが)。そもそもトルコ・ギリシャ合作でトルコの俳優も出演しているし、一方的にトルコの罪を鳴らすような内容になっていない(ギリシャ側の民族主義教育も批判的に描かれている)。 もともとトルコ人とギリシャ人というのはとても近い。少なくとも人種的には区別は難しいのではないだろうか。料理などの食文化もとても似ている(ただしイスラムの宗教的禁忌でトルコ人は豚肉を食べないが、ギリシャ人は食べる)。ドネル・ケバブをギリシャではギュロスといい、スヴラキとはトルコのシシ・ケバブに他ならない(豚肉と羊肉という違いはある)。ブドウの葉にご飯を詰めたヤプラック・ドルマスとドルマテス(トルマダキア)、ブドウから作る蒸留酒のラクとウゾ、トルコ・コーヒーとグリーク・コーヒーは同じものを別の名で言っているに過ぎない。ナスと挽肉を使う料理であるムサカなどは名前も同じみたいだが。 この映画では幼い主人公にトルコ人の友達が居るが、トルコ語で会話したのだろう。家庭ではギリシャ語、学校・商売など社会生活ではトルコ語を使っていただろう。イスタンブルにはかつて多くのギリシャ人が居たが、有名どころではアメリカに渡って映画監督として成功したエリア・カザン(1909~2003年、「エデンの東」など)が挙げられるだろうか。 現在のトルコ共和国はギリシャ正教を奉ずるビザンツ(東ローマ)帝国の版図内だった。古代以来ギリシャ人も多く居り、この帝国は公用語をローマ帝国のラテン語からギリシャ語に代えた。ギリシャ正教の総本山はコンスタンチノープルにあった。 11世紀末から中央アジアに起源をもつトルコ人が、あるときは支配者、ある時は傭兵などいわば出稼ぎ労働者として小アジアに移住を始める。トルコ人はオスマン帝国を建て、1453年にはコンスタンチノープルを攻略してイスタンブルと改名し、ビザンツ帝国を滅ぼした。しかしギリシャ人が消えたわけではなく、むしろ宗教的に寛容といわれたオスマン帝国の支配下で商業、特に海運に活躍した(現代トルコ語で「港」を「リマン」というがこれはもともとギリシャ語だそうだ)。イスタンブルにあるギリシャ正教の総本山はオスマン帝国の庇護を受けて存続した。 それが変化するのは19世紀に入ってからである。1821年にオスマン帝国領内のギリシャで叛乱が起きる。これはフランス革命(1789年)やヨーロッパの民族主義に触発されたもので、特にこの独立戦争に参加したイギリスの詩人バイロンなど、「フィルヘレネ(親ギリシャ主義)」と呼ばれた、古代ギリシャ文明をヨーロッパ文明の源と信じる思想がこれを援助した。1822年に独立を宣言、イギリス、フランス、そしてロシアが介入してオスマン帝国軍を破り、ギリシャは1829年に独立を勝ち取った。 その後ギリシャはギリシャ系住民の住む地域全ての奪取、すなわちビザンツ帝国領土の「回復」(エノシス)を目指してオスマン帝国と和戦を繰り返した。1881年にはテッサリア、1908年にはクレタ島、1912年にはバルカン戦争でマケドニア南部を得た。ギリシャはその国家意識を古代ギリシャに求めたが、古代ギリシャ語と現代ギリシャ語には違いがあるようだし、古代ギリシャと現代ギリシャをそのまま同一視することは出来ないだろう。今でもギリシャの学校では古代ギリシャ古典が詰め込み教育で丸暗記させられるそうだが、この辺は「古代ギリシャの末裔」意識育成のための教育なのだろう。 対するオスマン帝国内では近代的国民国家の建設が叫ばれたが、多くの民族が混交する帝国にあっては無理な話だった。1885年の人口統計では首都イスタンブルの人口47万のうち、アルメニア正教徒が8万、ギリシャ正教徒が9万、ユダヤ教徒が2万を占めていた。一方ギリシャ内にもトルコ系住民が多く取り残された。 第1次世界大戦は1918年に終了し、ギリシャは勝者(連合国)、オスマン帝国は敗者に属していた。戦勝国が定めたセーヴル条約でオスマン帝国の領土は分割され、ギリシャはトラキア(ヨーロッパ部分)とスミュルナ(エーゲ海沿岸のアジア側)を得た。しかしこの危機に立ち上がったのがムスタファ・ケマル率いるトルコ国民会議で、オスマン帝国が締結したセーヴル条約を認めず、ギリシャなどの進駐軍と戦った。ケマルの巧みな指導や外交もあってトルコが勝利、ギリシャ軍を追ってスミュルナ(イズミル)に入城した。 1923年、トルコ大国民会議は連合国とローザンヌ条約を改めて締結し、トルコ領土を保全した。この際ギリシャとの住民交換が行われ、およそ135万人のギリシャ系住民、43万のトルコ系住民がそれぞれトルコ、ギリシャを追放された。追放された中には「ギリシャ人」として扱われたトルコ語しか話せないキリスト教徒、「トルコ人」として扱われたギリシャ語しか話せないイスラム教徒も居た。この場合それぞれの民族の定義は宗教に拠っていたことになる。 そもそも「トルコ人」というのもかなり曖昧で、オスマン帝国の支配者として君臨していたものの11世紀以来この地(小アジア)に移住してきた「トルコ人」は小アジア全人口の何割にも満たなかったであろう。帰属意識としてあったのはせいぜい「~教徒」という宗教的な帰属と言語の違いくらいだろうか。500年の長きにわたるオスマン帝国の支配でトルコ語が広まり、「トルコ人」という意識が芽生え、1923年のトルコ共和国成立によって国民国家形成のためトルコ人意識が鼓舞され教育された(事情はギリシャでも同じだったろう)。1935年の統計では、トルコ国民を言語帰属で見るとトルコ語1389万人、クルド語148万人、アラビア語15万人、ギリシャ語10万人、アルメニア語5万人となっている。 トルコの初代大統領ケマル・アタチュルクは1930年にギリシャと友好条約を結んでいる。 しかし第2次世界大戦後の1960年、イギリス支配から独立したキプロスで、ギリシャ系住民とトルコ系住民の衝突が起き、1963年には内戦同様になった。今日見た映画で扱われていたのはこの時期で、再び両国からトルコ系・ギリシャ系住民がそれぞれ追放された。トルコ国内のギリシャ系住民は1955年に8万人、1965年には4万8千人と減る一方だった。 1967年、ギリシャで軍部のクーデタが発生、王制は廃止される。パパドプロス軍事政権はキプロスでの「エノシス」運動を援助してトルコとの緊張度を強めた。1974年にエノシス派のキプロス軍部がクーデターを起こすとトルコは侵攻に踏み切り、キプロス北部を占領しトルコ系住民を収容した。この敗北でギリシャ軍事政権は崩壊する。トルコ・ギリシャ関係の冬の時代の到来でもあった。両国はともにNATO(北大西洋条約機構)に加盟していたが、ギリシャはNATOを脱退した(1980年に復帰)。トルコ・ギリシャ間にはキプロス問題のほか、エーゲ海の島の領有権や領海をめぐる対立もあった。 この対立に雪解けの兆しを見せたのが上述の1999年8月のトルコ北西部大地震で、いち早く救援に駆けつけたギリシャの救助隊にトルコ世論は歓喜し、直後にアテネで地震が起きるとトルコが救援隊を派遣、友好ムードが一気に高まった。
2005年05月26日
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今日は久しぶりにほぼ快晴といっていい天気だったが、気温は15℃くらいだった。ドイツ人にはそれでもじゅうぶんらしく、日向ぼっこをするつわものが居た。 今日学食で今年の4月に来たばかりのイラク人留学生に初めて会った。といっても考古学専攻ではなくオリエント史専攻で、ここには語学のためだけに来ているのだが。ドイツ語を学び始めたばかりで会話は詰まりがちだが意志疎通は出来る。向こうは英語がまずまず出来るが、こっちはドイツ語に慣れていて英語がなかなか出てこない。 彼はドイツ語習得に焦っているらしく、僕に向かって「あとどれ位したらドイツ語話せるようになるだろうか」と聞いてくる。さあ、2ヶ月くらいかな?と答えると、そんなの無理だというので、「いやだって君ドイツ語話そうとしてるし、こうして意志疎通できてるじゃん」と言っておいた。僕にもこういう時期はあったが、ドイツ語の初歩だけは日本でやってから来たのでさほど焦りとかは無かった。確かに周りが何を言っているか全く理解できないうちは、ストレスもたまるし不安だろう。 彼はイラク人といってもクルド人で、イラク北部のエルビルの出身である(もっとも実家は近くの村だといっていたが)。顔つきもなんとなくアラブ人と違う。エルビル(アルベラ)というと紀元前2000年頃には存在しており、シリアのアレッポなどと並んで世界最古の伝統を誇る都市である(なおイラクの首都バグダードは762年の建設)。ドイツ政府はイラク人留学生の受け入れに熱心らしく、彼の語学学校のクラスには5人のイラク人が同時に入ったという。同じクラスにはアメリカ人が一人居るそうだが。 彼が来たので昼間だがビールを飲んだ。彼はイスラム教徒だから酒を飲むのだろうか?、と会う前に思っていたのだが、今日出会ったときには買ったばかりのビール瓶片手に来たくらいなので杞憂だった(ただしイラクでは隠れてしか飲まないらしい)。ドイツ人は「随分早くドイツに順応したなあ」と笑っていた。・・・・・・・・・・ 夕方映画を見に行く。「ウィスキー」というウルグアイの映画である(フアン・パブロ・レベラ及びパブロ・シュトル共同監督)。 映画のチラシの説明には「アキ・カウリスマキ(フィンランドの映画監督)の作品を連想させる、乾いたユーモアの作品」とある。確かにその通りで、登場人物は中年のなんだか冴えないクセのある人ばかりで、またウルグアイがそういう国なのか知らないが、町全体が冴えない感じがする(自然環境はいい所みたいだけど)。なんとなくトルコ(の内陸部)やセルビアを連想してしまった。そして、大袈裟な受け狙いの演出もストーリーも無ければ、馬鹿笑いするようなシーンも無い。片頬をひきつらせて「ひひ」と言いたくなる感じの笑いである。登場人物本人たちは大真面目だが。 ちなみにタイトルの「ウィスキー」というのは、ウルグアイでは写真を撮る時に、撮られる人がこう言うらしい。日本の「チーズ」と同じですね。ウィスキー 一応ストーリーのようなものを紹介しておくと、主人公はモンテヴィデオで小さな靴下工場を経営するヤコボ(アンドレーシュ・パゾス)。母親を亡くしたばかりの孤独な初老の独身男で、家(ろくに片付いていない)と工場を行き来するだけの毎日。そしてかなり偏屈である。工場には女性3人が勤めているが、最年長のマルタ(ミレラ・パスクアル)は生真面目さだけが取り柄で冗談の1つも言わない中年女性で、ヤコボに信頼されている。 ブラジルのポルト・アレグレでやはり靴下工場を経営しているヤコボの兄(弟?)・ヘルマン(ホルへ・ボラーニ)は、母の死を聞いて法事のため久々にモンテヴィデオに来ることになる(ちなみにこの兄弟はケラーという苗字で、ドイツ系ユダヤ人)。見栄?を張りたいヤコボは、マルタに自分の妻のふりをしてくれないかと頼む。まじめなマルタは承諾し周到に準備する。そしてブラジルからヘルマンがやってくる。家族をほったらかしで外国へ行った兄とヤコボは打ち解けず、三人のぎこちない会話が続く。帰国が迫りじれるヘルマンはヤコボ「夫妻」に海辺の保養地ピリポリスへの小旅行を提案し、引っ込み思案だったマルタが快諾し、乗り気でないヤコボとの三人の旅となるが・・・。 「この映画良さそうだよ」と言われて見に行ったのだが、同時に「僕向けではない」とも言われていた。しかしなかなかどうして、結構楽しめた。どちらかというとヨーロッパのインテリとかが喜びそうな斜に構えた感じの映画だが、素直に楽しめた。確かに何度も見たくなるような「感動作」でもないし、日本で高い金を払って映画館でみるような映画でもないのかもしれないが、こういう映画も見たいと思う。最後の場面が「え?」という感じだったのだが、ある意味期待通りであり、予想を裏切られた気もする。 主人公はドイツ系の姓を持つユダヤ人で、靴下の納入先もドイツ系のユダヤ人という設定だったが、南米には結構ドイツからの移民が多いのだろうか。そういえばかつて(1989年まで)のパラグアイの独裁者ストロエスネル(シュトレースナー)もドイツ系の苗字である。僕は南米のことはからきし知らないが。 そういえばテロップにNHKの名前が大きめに出ていた(ただNHKが日本の放送局の略号だと知っている人はどのくらいいるだろうか?)。技術協力か資金協力したのだろうか。こういうのも受信料から出てるんですかね。こういう使い方ならまあ許せると思うけど(ただ日本国民に還元されるかというとちょっと「?」だが)。 映画館でチラシをもらったのだが、もうすぐ「トニー・タキタニ」という日本映画が来るらしい。イチカワ・ジュンという監督の作品で、村上春樹の作品が原作だというが、そんな小説あったっけ。主演はイッセー尾形と宮沢りえらしい。村上作品であるし、イッセー尾形だし、これは見てみたい。 あと「シリアの花嫁」(イスラエル占領下のゴラン高原の話らしい)、「タッチ・オブ・スパイス」(イスタンブルにいたギリシャ人の話)、「キングダム・オブ・へヴン」(十字軍を扱った歴史大作)など見たい映画が続きそうだ。「キングダム・オブ・ヘヴン」を見たドイツ人は「わざとらしさが目につく作品」とあまり評価してなかったけど。 あ、そういや今日から「スター・ウォーズ」が公開ですね。こっちはもういいや。暗い話みたいだし、エピソード2で飽きてしまった。
2005年05月19日
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どうもこのところ日記を書く意欲が減退している。まあ今までが異様だったからこれくらいがちょうどいいのだろう。やはり間があくとちょっと気になるので一日一行でも書いたほうがいいのかもしれないが。 今日は久しぶりにすっきり晴れたが(気温はさほどあがらず)、この週末は天気が崩れるらしい。 今日ドイツ連邦議会はEU憲法を賛成多数で批准した(地方代表からなる連邦参議院では今月27日)。批准には議席の3分の2の401票が必要だったが、594人中569人の圧倒的多数で賛成した。シュレーダー首相や野党首脳らはこぞって「ヨーロッパにおける民主主義の歴史的な一歩」と評価した。 反対は最大野党CDU及び旧東独共産党系のPDSからの23人で(他に保留が二人)、議会での議決ではなく国民投票にかけるべきこと、EU憲法がドイツ連邦基本法(憲法)を補うものではなくむしろ侵す可能性があること、EU憲法案で宗教の役割が規定されていないことなどを反対理由にあげた。また反グローバリゼーション団体のAttacも、このEU憲法がネオリベラリズムとEUの軍事組織化を招くものとして反対、国民投票の実施を要求している。 昨日はオーストリアおよびスロヴァキア議会が批准しており、これで批准国は9ヶ国になった。EU加盟国(25ヶ国)中1ヶ国でも批准できないと発効しないのだが、当面の山場は5月29日のフランスでの国民投票とみられている。最後(来年初め)に国民投票を控えるイギリスやチェコが批准するまで、EU統合推進派には各国の動向にはらはらの日が続く。肝心のEU憲法の中身は知っている人も少ないんじゃないかと思うが。 EUといえば、今日ストラスブールのヨーロッパ人権法廷は、1999年にトルコが元PKK(クルド労働者党)党首のアブドゥラ・オジャラン被告に対して行われた裁判(国家反逆罪容疑)が「ヨーロッパ基準」に抵触する、公正なものでなかった、という判断を下した。この時オジャラン被告は死刑判決を受けているが、これは被告が死の恐怖の中で生きねばならない「非人間的な扱い」であると断じている。なお2001年の憲法改正でオジャラン被告は終身禁固刑に変更されイムラル島監獄に収監されている。 トルコ政府はこの勧告を受け入れ、法改正による裁判のやり直しも検討している。「トルコは法治国家であり必要な法的措置を取る」と与党AKPのデンギル・フラット幹事長が述べているが、EU加盟もいろいろと大変ですな。 オジャラン被告は1983年にPKKを創設、クルド人の独立社会主義国家のトルコからの分離独立を目指してトルコ南東部やイラク北部、シリアを拠点に武力闘争を展開、双方に二万人近い死者を出した。1998年に潜伏先のシリアを追放され(トルコの軍事的圧力による)、数ヶ月に渡る逃亡の末、ケニアのギリシャ大使館を出たところをトルコ治安警察に逮捕された(この追跡劇にはイスラエルが協力したという)。PKKは一時闘争を停止していたが、昨年あたりから分派の活動が活発化しているらしい。 今日は夕方映画を見に行った。今日の日記のタイトル「ヴェニスの商人」である。イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアが1595年頃に書いた戯曲の映画化で、マイケル・ラッドフォード監督作品。他に見たい映画が三つほどあるのだが、シェイクスピア作品をあまり見たことが無いので(「ヘンリー5世」くらい)、迷った末これにした。客はあまり多くなかった。 いつもなら自分であらすじを紹介するところだが、よく知られた文学作品でもあるしウィキペディアに実に手際良くまとめられているので、引用させてもらう。(引用開始) タイトルの『ベニスの商人』とは有名なユダヤ人の金貸しシャイロックを指すのではなく商人アントーニオの事である。 物語はイタリアのベニス(ヴェネツィア)。バサーニオは富豪の娘の女相続人ポーシャと結婚するために先立つものが欲しい。そこで、友人のアントーニオから金を借りようとするが、アントーニオの財産は航海中の商船にあり、金を貸すことができない。アントーニオは悪名高いユダヤ人の金貸しシャイロックに金を借りに行く。アントーニオは、金を借りるために、指定された日付までにシャイロックに借りた金を返すことが出来なければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与えなければいけないという条件に合意する。アントーニオは簡単に金を返す事が出来るつもりだったが、彼の商船は難破し金を返す事が出来なくなる。シャイロックは、日頃から快く思っていなかったアントーニオに復讐できる機会を得た事を喜ぶ。 その間に、バサーニオは、ポーシャと結婚するためにベルモントに向かう。ポーシャの父親は金、銀、鉛の3個の小箱から正しい箱を選んだ者と結婚するよう遺言を残していた。バッサーニオはポーシャの巧妙なヒントによって正しい箱を選択する。バサーニオはポーシャから貰った結婚指輪を絶対はずさないと誓う。しかし、幸せなバサーニオの元にアントーニオがシャイロックに借金返済が出来なくなったという報せが届く。バサーニオはポーシャから金を受け取りベニスへと戻る。一方、ポーシャとネリッサも密かにベルモンテを離れる。 シャイロックはバサーニオから厳として金を受け取らず、契約通りアントーニオの肉を要求する。若い法学者に扮したポーシャがこの件を担当する事になる。ポーシャはシャイロックに慈悲の心を見せるように促す。しかし、シャイロックは譲らないため、ポーシャは肉を切り取っても良いという判決を下す。シャイロックは喜んで肉を切り取ろうとするがポーシャは続ける。「肉は切り取っても良いが、契約書にない血や髪の毛など他の物は何一つ切り取ってはいけない」。仕方なく肉を切り取る事を諦めたシャイロックは、それならばと金を要求するが一度金を受け取る事を拒否していた事から認められず、しかも、アントーニオの命を奪おうとした罪により財産の半分は自分の娘ジェシカに与えることとなり、また、キリスト教に改宗させられる事になる。 バサーニオはポーシャの変装に気付かずにお礼をしたいと申し出る。バサーニオを困らせようと結婚指輪を要求するポーシャにバサーニオは初めは拒んだが結局指輪を渡してしまう。 ベルモンテに戻ったバサーニオは指輪を失った事をポーシャに責められる。謝罪し許しを請うバサーニオにポーシャはあの指輪を見せる。驚くバサーニオにポーシャは全てを告白する。(引用終了) 配役はシャイロックがアル・パチーノ、アントニオがジェレミー・アイアンズ、バサーニオにジョセフ・ファインズ、ポーシャがリン・コリンズだった。 ジョセフ・ファインズは1997年の映画「恋に落ちたシェイクスピア」でこの劇の作者であるシェイクスピア自身を演じている(ヒロインが男装するという話も共通している)。この人は色男の役が多いけど、どうにも僕にはサル顔というか間抜け面に見えるんですが。ジェレミー・アイアンズは元々そうだが、なんだかホモ臭かった。渋くて好きな俳優ではあるんですけどね。アル・パチーノは嫌味でありながら哀れなシャイロックを好演したと思う。 ヒロインのリン・コリンズという女優はよく知らないが、豪華な衣装を着たカールした金髪のお嬢様然としているときは「なんか意地悪そうだな」と好きになれなかったが、濃い色の短髪で男装しているときのほうが(髭をつけているとはいえ)魅力的に見えた。多分現代的美人なんだろう。こういう「男装もの」でいつも思うのだが、声とか体つきで女性とばれないもんなのかね(もしくは「暴れん坊将軍」で、どう見ても同一人物なのに誰も新さんを上様と気付かない様子にも似ている)。とはいえドイツでは時々男か女か分からない人を見かけるが。特に長髪とかにされるといよいよ分からない。東洋人のほうが女性的な男性が多いというが、案外区別はつけやすいんじゃないだろうか。 この作品は反ユダヤ主義的色彩があるといわれている。確かに劇中ユダヤ人に対する露骨な差別が出てくる。その辺りには随分気を使ったのか、最初の字幕で当時のユダヤ人の置かれた状況などを説明するテロップが出たり、シャイロックをむしろ哀れな人物と描くなど(原作のほうはよく知らないが)、それなりの配慮は見られた。また「大岡裁き」というか頓知の利いた判決ではあるが、やっぱりかなり無理があるなあと感じた。共和国だったヴェネツィアに舞台を設定したのもその辺と関係するのだろうか。 豪華な衣装とか当時の生活とかもよく再現されていたと思う。シェイクスピアの原作そのままの脚本ではないのだろうが、独特の言い回しなどはよく理解できなかった(注・ドイツ語の吹き替え)。最近の恋愛関係は口(言葉)に出すより手が先に出るみたいだが、やっぱり言葉は大切ですよねえ。 あらすじの中に出てくる「ベルモンテ」というのは架空の都市。映画ではマグリブ(モロッコ)やアラゴン(スペイン)の王子がポーシャに求婚に来てふられていたが、原作は中世だということみたいだし違うのだろうか。ヴェネツィアには何年か前に行ったが、ゴンドラにも乗らず博物館ばかり見ていたような気がする。ガラス工房で有名なムラーノ島やサンマルコ広場にはさすがに行ったけど。さすがに良かったけどあまりに観光地然としすぎていて、僕にはボローニャのほうが好感が持てた。
2005年05月12日
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今日はキリスト昇天祭で休日。昼間の天気は快晴だったが気温が上がらず案外肌寒かった。 イギリスでは総選挙、あれほどイラク戦争参戦で批判を浴びたブレア首相が三期目続投を決めるようだ。気に入らないが他に人が・・・というのはどこも同じらしい。 今日は夕方映画を見に行った。日記のタイトル「ケバブ・コネクション」である。監督はアンノ・サウルという知らない人だが、脚本の一人は昨年ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したファーティフ・アキン(在独トルコ人女性を描いた「Gegen die Wand」を監督)だった。アキン氏は在独トルコ人だが、この映画はやはり在独トルコ人社会を舞台にしたコメディ映画だった。タイトルもまあふざけているし、映画の紹介にも「カンフー、ケバブ、愛をめぐるはちゃめちゃコメディ」とあって訳が分からない。最初はトルコ人を茶化すような映画かと思ってしまった。念の為に書いておくと、「ケバブ」というのはトルコ料理の1つドネル・ケバブのことである。ドイツではファーストフードとして定着して久しい(本場トルコのそれとも微妙に違っている)。ドイツでは「ドナー」とか「ケバブ」と略して呼ばれている。 まあタイトルからして在独トルコ人が絡む映画だろうとは思っていたが、全然期待していなかった。この映画を見に行ったのはいつもながら研究室仲間のD(ドイツ人)が行こうと言い出したのだが、いいだしっぺの彼は用事があるとかで来なかった。ただ意外にも小さい映画館にはかなり人が入っていた。観客に在独トルコ人は多分居らず、「ドイツ人」ばかりだった。 ストーリーは紹介するほどのものでもなくくて、「ドイツ最初のカンフー映画」を撮ることを夢見ている在独トルコ人のイブラヒム(イボ)と、そのドイツ人の恋人で女優志望のパトリツィアが主人公。パトリツィアは妊娠するが、イボの父親メフメットは「ドイツ人の女と寝るのは構わないが、ドイツ人みたいな不信心者(異教徒)と子供は絶対作るな(=結婚するな)」と言い聞かせていた人物。このしがらみにイボの映画作りのキャリアやパトリツィアのオーディションも絡み・・・、という話。 ドイツ(ヨーロッパ)映画らしく、ストーリーよりも台詞の掛け合いのほうに主眼がある映画だった。確かに笑えた。ドイツ人がトルコ人に対して持っているであろう偏見や(その逆もあるが)、トルコとギリシャの確執と和解も絡み、そこそこ笑えた。ドイツにおけるトルコ人社会とかそれに対するドイツ人の感情についての予備知識とかが無いと、何が面白いのか分からないとは思うが。 トルコ人の話すドイツ語は独特なので結構聞き取りにくい(この映画の中ではトルコ人は家庭でもドイツ語を話していたが、実際はトルコ語で話している人のほうが圧倒的に多いはずだ)。アメリカで黒人の話す英語(僕にはやたらと「マン」を連発したりするイメージがあるが)が独特でそれがむしろカッコイイと思われているのと同じような感覚かもしれない。 「ガストアルバイター」と呼ばれる安い労働力として、トルコ人が高度経済成長期のドイツに大量移住を始めてほぼ50年が経つ。ドイツで生まれた2世や3世も多いが、これからトルコ人がドイツでどのような地歩を占めていくのかは興味がある。ドイツ国籍を取得した者の中には地方議会や国会議員になる者も出てきている(最初のトルコ系国会議員の登場は案外遅く、1998年だったと思う)。アメリカの黒人と違い祖国であるトルコとの縁が完全に切れているわけではないので、また違ったかたちになりそうだが。
2005年05月05日
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今日は雨が小雨がじとじと降りしきるあいにくの天気だった。 午後研究室に行くと、研究室仲間のD(ドイツ人)が「今から映画に行かないか」という。まだ昼間だぜ、というとその映画は昼間しかやっていないのだという。彼が行きたいと行った映画はかなり(僕としては)「ハズレ」の場合が多いのだが、今回はトーマス・マンの「魔の山(Der Zauberberg)」の映画化だというので大ハズレはしないだろうと思い、行くことにした。といっても僕は「魔の山」は読んだことが無い。マンの小説は短編をいくつか読んで大体の傾向は知っていたのだが。 その場に居たK君とDの彼女であるCも見に来た。上にも書いたが、この顔ぶれで何度か映画に行ったが、Dの好みに引きずられるせいか「何だこれ」という映画に当たることが多い。一番最近では「Silentium」というオーストリア映画、「Hero」(邦題・ラヴァーズ)という中国映画、「Agata und der Sturm」というイタリア映画などがそうだった。ちなみにこの「魔の山」は1982年西ドイツ映画、ハンス・ガイセンデルファー監督作品である。 物語は主人公の23歳の青年ハンス・カストルップ(クリストフ・アイヒホルン)がアルプス山中のサナトリウム(結核療養所)に軍人の従兄弟を見舞うところから始まる。ところがハンス自身が結核と診断され入院することになってしまう。全員が結核患者であるという以外はヨーロッパ上流社会の社交界の縮図のようなそのサナトリウムには、一癖も二癖もあるような人々が居て、暇にあかせて哲学談義をしていた。ハンスもその奇妙な世界に巻き込まれていく。フランス女性への恋慕(というか欲情)、従兄弟の死などのエピソードがあるが、最後に戦争が勃発してサナトリウムが閉鎖され、入院中の人々が戸惑うところで物語は終わる。 ・・・とこうして書くとまあまともに見えるが、かなりしんどい映画だった。隣りの席で見ていたK君は途中で寝息を立てていたので肘でつついて起こした。Cも「居眠りはしなかったが何度も意識が遠のいた」と見終わった後で言っていた。なんというか話が唐突に展開してなんだか訳が分からないのである。小説ならその辺は丁寧に説明されるのだろうが。だからこの映画は原作を読んでいない人は見るべきではない。また原作を読んだ人ももしかしたらこのような映像化されたものは見ないほうがいいのかもしれない。主人公ハンスが吹雪の中、山小屋に向かうシーンがあって、原作では吹雪の様子や恍惚状態になるハンスの描写が素晴らしいらしいのだが、この映画では突然ハンスが雪山の中を歩くシーンになるので気でも狂ったのかと思うし訳が分からない。 「気でも狂ったのか」といえば、出てくる人物は周りも気にせず大声で議論したり叫んだりしたりしておかしいんじゃないのかという人ばかりである。原作ではこれが高尚な哲学論議とかになっていて、「魔の山」は「教養小説」というジャンルの棹尾を飾る作品とされているらしいのだが(筒井康隆の「文学部唯野教授」は物語中で主人公が文学論の授業をしたりするから、傾向としては似ているかもしれないが)、映画ではそこまで描きこめないので変人が次から次に出てくるようにしか見えない。映画の後でDが僕に向かって「ヨーロッパ人というのは皆頭がおかしいと思ったか?」と冗談混じりに聞いてきた。実ところこの映画に出てくる人物はドイツでは実際にその辺に居そうなところがまたすごいのだが。(タビウサギさんのご教示により訂正:「教養小説」というのはBildungsromanの訳で、内容が教養的というのではなく、主人公の成長を描くジャンルのことらしい。したがって「唯野教授」は「教養小説」ではない) そんな僕にもよく分かったのはハンスがフランス人女性に恋慕というか欲情するところだけだった(その口説き方もまたマンの小説によく出てくるタイプの変人みたいだったのだが)。というか結核で療養しているはずのハンスがえらく元気そうだったのがやはりまずかったのかもしれない。おいらにはこういう映画は難しいや。 40年近く政権の座にあったエヤデマ大統領の死後、大統領位の継承をめぐる政情不安が続く西アフリカのトーゴで、首都ロメにあるゲーテ・インスティテュート(半官のドイツ文化センター及びドイツ語教育機関)が武装した暴徒に焼き討ちされるという事件が起こった。所蔵されていた8000冊の書籍やコンピューターが焼失したという。 トーゴでは先日行われた大統領選挙で政府与党が不正を行った疑惑があり、与野党支持者同士の衝突に発展して100人以上の死者が出る騒ぎになっているが、選挙操作疑惑はドイツを含む各国の非難を浴びている。先日トーゴ政府はドイツに対して「野党に味方している」と非難声明を出していた。また「選挙不正はあったと思う」と発言したトーゴのフランソワ・エッソ・ボコ内相がドイツ大使館に逃げ込んだこともあり、トーゴでは対独感情が悪化していたという。 さらに首都ロメでは「ドイツ大使はナチスの過去がある。ドイツでは毎日我々アフリカ人がネオナチのリンチで殺されている」という扇動のビラも撒かれているという。このビラではギュンター・グローマン大使が1943年にナチス親衛隊に入ったと主張しているが、そうすると大使はとうに停年を迎えているはずであり得ない話である。なにかというとすぐにナチスと結び付けられてしまうドイツも大変ですな。また政府の意を汲んだ暴徒云々というのは最近どこかで見たような気もする。 ちなみにトーゴは1884年から1919年までドイツの植民地となっていた。第1次世界大戦後フランスの委任統治となり、1960年に独立している。1967年の軍事クーデタから政権の座にあったエヤデマ大統領が死んだ2月以来、政情不安と治安の悪化により3000人以上が隣国ベニンに逃げたという。またトーゴにはドイツ人300人がおり、ドイツのフィッシャー外相はトーゴの旧宗主国フランスなどと対応を協議している。
2005年04月29日
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まだ寒いが雪ではなく雨が降るあたり気温は上がったのだろう。・・・・・・・・・・・・・ ウクライナのユーシェンコ大統領がドイツを訪問中。ウクライナがEU加盟を目指す上で、ドイツはもっとも頼りにすべき国となっている。ドイツ側もウクライナのEU加盟に前向きの姿勢が目立つ(一方デモ隊への警官による暴行が報じられたトルコのEU加盟反対論がまた強まっている)。ただフィッシャー外相の「ヴィザ濫発疑惑」もあってウクライナというと「ドイツで働く違法売春婦の供給源」というイメージが出来ているが。そういえばここ数年街中でロシア語のような響きの言語を聞くことが多くなったが、あれは留学生の多いブルガリア語、そしてウクライナ語もあるのだろう。 ロシア軍がチェチェンのアスラン・マスハドフ元大統領殺害を発表。独立派の中では穏健派だったそうで、チェチェン情勢の悪化が懸念されるそうだ。「アスラン」ってトルコ人みたいな名前だな。ベイルートでは反シリア・親シリア両派のデモ、コソヴォの首相は辞任、中国は武力行使を含む台湾に対する反国家分裂法を審議、イラク米軍誤射事件ではイタリア側との主張が食い違い、朝日新聞の飛行機が竹島に接近、と世に紛争の種は尽きない。・・・・・・・・・・・・・ 今日は夕方映画を見に行った。今日の日記のタイトル「ゾフィー・ショル/最後の日々」(マルク・ローテムント監督)を見に行く。先ごろのベルリン映画祭で最優秀主演女優賞(ユリア・イェンチュ)と監督賞を受賞しているドイツ映画。第2次世界大戦中の1943年にナチス独裁政権に対する反対運動をして逮捕・処刑された女子学生ゾフィア・マグダレーナ・ショル(1921~43年)の逮捕から処刑までの最後の数日間を、新たに出てきた調書などの新資料も用いて描いた映画である。 ミュンヘン大学の学生だったショル兄弟はナチスの暴力支配・人権蹂躙と無謀な戦争遂行(第2次世界大戦)に反対する「白バラ」という地下組織に参加、ナチス政権への抵抗を呼びかけるビラを撒くなどの非暴力抵抗を行ったが逮捕され処刑された。「ナチス時代のドイツが持った数少ない良心」という事で戦後ドイツでは賞揚され、ショル兄妹の名は学校や広場、通りの名前に採用されている。僕の住んでいるのも「ショル兄妹通り」である。既に映画やテレビドラマ化されているが、昨年の「Der Untergang」(ヒトラー最後の日々を描いた映画)同様、戦後60年の今年や新資料の発見にあわせて製作されたのだろう。 「Der Untergang」と同じく、ストーリーはほぼ史実に基いているので割合淡々としている。しかしゾフィーに対するゲシュタポ(秘密国家警察)の取り調べの場面での、取調べ官とゾフィーのやり取りは、訴え掛けるものが多い。法や国家、共同体をたてにゾフィーを責めるゲシュタポ取調べ官と、その法を作りヨーロッパを悲惨な戦争にかりたてた国家ではなく、良心あるいは神といったより普遍的なものを信じるゾフィー。 気になったのは、ドイツの映画俳優陣は層が薄いのか「Der Untergang」と出演陣がかなり重なっていることである。主演のユリア・イェンチュも同時期に公開された三つの映画(この他「Die fette Jahren sind vorbei(邦題・僕らの革命)」「Schneeland」)に主演している。他に人が居ないのか。 ストーリーの代わりに史実を。 2歳違いの兄ハンス・フリッツと妹ゾフィーのショル兄妹は南ドイツ、ウルム近郊の出身で、父親ロベルトはリベラル派で知られる市長だった。二人は敬虔なキリスト教(プロテスタント)・人文主義の家庭に育った。ハンスはナチスの政権獲得(1933年)の頃は普通の少年と同じくヒトラー・ユーゲントに参加していたが、独裁で言論の自由もないナチス政権には違和感は早くから感じていたようだ。ミュンヘン大学でハンスは医学を、ゾフィーは当初保母としての教育を、のちに兄と同じ大学で生物学と哲学を専攻する。 「白バラ」設立の詳しい経緯はよく分かっていない。ただハンスは聖職者などからナチス政権による精神病患者(「無価値生命」)の抹殺などは知らされていたらしく、ナチスへの反対の意を強くする。またナチスによるポーランドでのユダヤ人絶滅政策やポーランド人への組織的迫害も目にしており、ビラにも書いてドイツ国民にその事実を知らせようとしていた。ゾフィーは兄の影響で「白バラ」に加わったようだ。「白バラ」はナチスの暴力支配や人道への罪を糾弾し、ナチス政権打倒、戦争の早期終結とそのためのサボタージュを、ビラ配布や知識人宛ての匿名郵便書簡で呼びかけていた。書簡を受け取ったミュンヘン大学のクルト・フーバー教授も「白バラ」に加わっている。 当初優勢だったドイツ軍だが、1943年初めにソ連のスターリングラードで大敗する。この戦いにはゾフィーの婚約者フリッツ・ハルトナーゲルも参加していた。その直後の1943年2月18日、ハンスとゾフィーのショル姉妹は、ミュンヘン大学構内でナチス独裁政府への抵抗を呼びかける、フーバー教授の起草したビラを撒く。しかし管理人に見つかってしまい、既に「白バラ」がミュンヘンを拠点としていると察知していたゲシュタポに引き渡される。ゲシュタポ刑事のロベルト・モーアの厳しい取調べに対し彼女は最初は否認していたが、やがて「罪状」を認め、ナチスの暴虐性を主張する。「白バラ」の他のメンバーの名を自白すれば刑を軽くしよう、というモーアの言葉も彼女は敢然と拒否する。 2月22日、ショル兄妹及び同時に逮捕されたクリストフ・プロープストに対する裁判が行われた。裁判長はベルリンから乗り込んで来たローラント・フライスラー博士で、彼は1942年にヒトラーから「人民法廷」の最高判事に任命されていた。「人民法廷」とは政治犯に対する見せしめの即決裁判のことで、1945年までに5000人が死刑判決を受け執行されたが、これは実に起訴されたうちの9割にあたる。判決は審理前からほとんど決まっていたのである。目撃者によれば「猿芝居のような」裁判で、「悪魔の裁判官」とあだ名された裁判長であるフライスラーが有無を言わさず罪状を叫び、弁護も実質的に存在しない、裁判とは名ばかりのものだった。 ショル兄妹とプローブストは国家反逆罪による死刑判決を受け、即日(!)刑務所内でギロチンによる死刑が執行された。ハンス24歳、ゾフィーは22歳だった。ハンスの最後の言葉は「自由万歳」だったと言われる。間もなくフーバー教授やヴィリ・グラフ、アレクサンダー・シュモレルといった他の「白バラ」メンバーも逮捕され、処刑もしくは強制収容所に送られた。 同じ年、ノルウェー経由でイギリスの手に渡った「白バラ」のビラはイギリス空軍によってドイツ上空に撒かれ、またBBCがその内容を放送している。市民や軍人から構成される複数のグループによる、ナチス体制への反対運動・停戦への試みやヒトラー暗殺計画はたびたび計画、または実行されたが(1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件)、いずれも失敗して厳しい追及・報復を受け、ナチス体制は1945年の敗戦でようやく瓦解した。 なお「人民法廷」最高判事フライスラーは1945年2月に連合軍のベルリン空襲の際に死亡している。またゾフィーの婚約者フリッツはスターリングラードから無事帰還し、ゾフィーの妹エリザベートと結婚した(2001年に死去)。ゾフィーとフリッツの往復書簡は彼女の死後60年の2003年に刊行されている。
2005年03月08日
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今日は少し暖かくなったが、それでも0℃くらいだったようだ。天気はまあいい。 夕方、本屋でラフィーク・シャーミーの日記「Mit fremden Augen」を買う(8ユーロ)。シャーミーはシリア・ダマスカス出身で(1946年生まれ)、1971年からドイツに留学して化学の博士号を取得しているが、小説家に転じている。彼はシリアでは少数派のキリスト教徒(アラム人)で、その関係もあるのか、シリアに戻らずドイツで生活を続けている。寓話的な語り口で愛や憎しみ、妬みといった人間の心の本質的な問題に迫るその作品はドイツで高い評価を受け(作品はドイツ語で発表している)、22ヶ国語に訳されている(日本語もあるようだ。日本では童話として売られているようだが)。といっても僕は彼の作品は「Milad」しか読んだことが無い。 「Mit fremden Augen」とは「他者の目で」という意味だが、シリア人でありながらドイツに住みドイツ的な思考を身につけた彼が、2001年10月から2002年5月の間に、2001年の9・11テロ後の中東、特にパレスチナ問題などについて記した日記である。いわゆる中東問題の専門家とは違った切り口の考察があるようだ。 自分も何年にも渡ってブログを書いているから(比較するのもおこがましいとはいえ)、日記文学とか日記から見た歴史(及び日記を残す人の歴史意識)というのには非常に興味がある。ラフィーク・シャーミーの日記は「同時代日記」で僕も同じ時にブログを書いていたが(ライコス日記)、どういう内容か興味がある。早速読んでみよう。 ちなみにこの人マンハイムの在住で、来週この町に新作長編「Die dunkle Seite der Liebe」の朗読会に来るのだが、聴きに行こうか迷っている。 その後研究室の仲間に誘われて映画を見に行く。今日から公開された「Silentium!」という映画で、ヴォルフガング・ムルンベルガー監督、オーストリア映画である。ヨーゼフ・ハースという人の同名小説の映画化らしい。僕を誘ったドイツ人は「とてもWitzig(面白い、冗談の多い)な映画だ」と言っていたのでコメディかと思った。ちなみに「Silentium!」とはラテン語で「静粛!」、俗っぽく言うと「黙れ!」という意味。 ところが始まってみるとかなりサスペンスな内容でびっくりした。しかもエログロが結構あって何だかジメリと陰気な感じである。オーストリアのザルツブルクで、冴えない私立探偵ブレンナー(ヨアヒム・クロール)が、教会とザルツブルク音楽祭会場(Festspielhalle)という権威社会を舞台とした犯罪を追うというのが大筋だが・・・(ザルツブルクには去年トルコからの帰りに立ち寄った)。何だかラルス・フォン・トリアーの「ドッグヴィル」を見たときのような救いの無さというか後味の悪さというか、これがヨーロッパ映画の趣味なのだろうか。フランス映画なら小洒落た感じにまとめるのだろうが、ドイツ系映画はその点・・・。 シリアスな内容の割に会場では爆笑が時々起きていたから、会話は面白いのだろう。「だろう」というのが情けないが、実は登場人物の話すドイツ語のオーストリア訛りが激しくて3分の1くらいしか聞き取れなかったのである。噂には聞いていたがこうも凄いのか。現場で一緒のドイツ人にバイエルン(オーストリアに隣接)の田舎出身の人がいて、冗談好きでよく話し掛けてくる割に何を言っているのか全然分からなくていつも対応に苦労するのだが、それは他の地方出身のドイツ人も同じ事らしい。分からないまま愛想笑いをしていたら「なんで笑うんだ」と言われたドイツ人もいる。今日の場合、観客は本当にあのオーストリア訛りが理解できたんだろうか。ルクセンブルクのドイツ語も聞いたことがあるが、ほとんどオランダ語のようだった。ここヘッセンも田舎じみた方言があるが、まあ理解できる。 さてこの映画、終わったときには拍手している人もいたが、ドイツで映画の後に拍手する人はじめて見たので驚きだし、僕ら日本人から見れば「火曜サスペンス劇場」みたいな映画にそんなに感動できるというのが分からない(まあ逆の意味で「心に残る」映画だったが)。うーん。終わりだって全然解決しているように見えないし(派手なカタルシスのあるアメリカ映画や水戸黄門的な世界とも違う、と一緒に見た日本人のK君が言っていた)。ブラック・ユーモアの対象がカトリック教会やクラシック音楽界という権威(ちょっとだけナチス・ネタも出てくる)に向いているのが良いのかな? おととし見たドイツ映画「Herr Lehmann」並に、ドイツ人(のインテリ)が好む映画が理解できない経験だった。 その後寮に戻るが、そこで知り合いの日本人のIさんやUさんがバンドの練習をしているので見せてもらう。ドイツの歌謡曲とか宇多田ヒカルとかを練習しているらしい。バンドの練習なんて見るのは実は初めてである。高校のとき興味はあったんだが、ガラでは無いし自分が不器用なのは音楽の授業でよく知っていたのでやらなかった(耳はいいつもりだが)。 今にして、自分も何か1つくらい楽器が出来ていたらと思う。音楽は国境を超えるというのは本当だ。いつか子供が出来たらギターか笛くらい練習させてみるか。
2005年03月03日
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今日は夕方小雪が舞う中、映画を見に行った。今日の日記のタイトルの映画で、邦題は「ロング・エンゲージメント」である。 何年か前にヒットしたフランス映画「アメリ」のジャン・ピエール・ジュネ監督と主演のオードリー・トトゥの組み合わせで、出演陣も「アメリ」と結構重なっている。途中どっかで見たことがある「フランス顔」していない女優が出ていると思ったら、ジョディ・フォスターだった。実は結構ファンなのに気付かなかったよ。彼女が志願して出演し、流暢なフランス語を披露したというのをあとで思い出した。 「アメリ」はいかにも軽妙ながら毒もあり、また独特な色使いや映像も素晴らしい実に愉快な作品だったのだが、監督や主演女優の組み合わせを見て「アメリ」のような軽妙な恋愛映画を期待して見に行ったら(タイトルもそうした誤解を招きかねない)、かなり衝撃を受けるだろう。何せ最初の場面がいきなり凄惨な戦場なのだから。【ロング・エンゲージメント 特別版】(中古DVD) 1917年1月、フランス北東部のソンム。そこは第1次世界大戦の最大の激戦地の一つで、ドイツ軍とフランス軍が塹壕を掘って互いに対峙していた。そうした中、フランス軍の5人の兵士が自傷罪で軍法会議にかけられ、死刑判決を受ける。負傷による後送を目的として自ら手を傷つけることは「国家に対する裏切り」だった。5人は処刑される代わりに、銃弾や砲弾の激しく飛び交うドイツ軍とフランス軍の中間地帯に立たされた。5人の中に、20歳のマネク(ギャスパー・ウリエル)がいた・・・ ・・・1920年、戦争は2年前に終わっている。マネクの幼馴染で婚約者マティルド(オードリー・トトゥ)は、マネクが戦死したと知らされていたが、直感的にそれが信じられない。彼女はパリに出て私立探偵を雇い、証人を探し出し、また軍の公文書などを調べてマネクの身に何が起こったのかを調べていく。戦死したと知らされた5人を調べるうち、戦死公報と異なる思わぬ事実が明らかになっていくが・・・ あざといまでのこだわりのある色使い、場面挿入の多用こそ「アメリ」と同じだが、内容はかなりシリアスかつサスペンス風である。かなり凄惨な場面も出てくる。僕は「アメリ」のほうが出来も良かったし好きなのだが、こういう映画も見て損は無いのではないかと思う。 でもやっぱりトトゥは「アメリ」のイメージからしばらく抜け出せないだろうなあ。トトゥは「アメリ」と違い真剣な顔をしている場面が多かったのだが、彼女は真剣な顔をしていると美人というよりカエルというかちょっと奇妙な顔に見える(まあ可愛いのは可愛いんだけど)。あと登場人物(男性)の多くがひげ面なので(当時のフランスでは当たり前だったんだろうけど)、区別がつけにくくちょっと混乱する。 この映画の背景となっている第1次世界大戦については、別宮暖朗氏の「第一次大戦」がネット上の日本語サイトとしてはもっとも詳しいし、参考になることが多い。内容が戦略や戦術に傾いているので軍事アレルギーのある人には受け付け難いかもしれないが、戦争を防ぐには「戦争反対」「平和」と念仏を唱えるよりも、戦争がなぜ起こったのか、どう行われたのかをよく知ることのほうが現実的ではないかと思う。 第1次世界大戦は日本にとっては比較的縁の薄い戦争だったが、それが第二次世界大戦の日本の大失敗を招き、また所詮第2次世界大戦は第1次世界大戦の「延長戦」に過ぎないことを思えば、その世界史的重要性はもっと注意されてもいいと思う。民間人の死者が激増し、また規模や凄惨さで上回り、より「最近」である第二次世界大戦のほうに目が行くのは仕方ないのかもしれないが。 第1次世界大戦で人口4千万のフランスは841万人の兵士を動員し、うち137万人が戦死、426万人が負傷している。戦場に赴いた者の半数以上が戦死もしくは負傷するという大変な損耗率である。これは機関銃や塹壕・要塞戦、さらには毒ガス、戦車、飛行機といった新兵器の登場で戦争が飛躍的に凄惨なものになり、またその現実に思考が追いつかず、無謀な突撃作戦が繰り返されたことによる。 先の見えない戦いに厭戦気分が横行し、この映画の場面(1917年1月)のややのちにはフランス軍内で実際に大規模なストライキが起きている。同年のロシア革命も直接的には第1次世界大戦の国民への負担が原因となった。一方「負けた」はずのドイツはその国土はほとんど無傷のままであり、「20年の休戦」(ヴェルサイユ条約締結を聞いた、連合軍最高司令官フェルナン・フォッシュ元帥の第一声)を経て、ヒトラーの下、戦争回避をひたすら願った英仏に挑むことになる。平和とは悪意の前にはいかに脆いことか。 ソンムの戦いについて別宮氏が述べていることを引用しておく。「この戦いは20世紀人類の最大の愚行であったかもしれない。ベルダンの戦いと合わせ、英独仏の社会に横たわる根底的なものがこれで崩壊した。これ以降戦争は現在に至るまで残酷な結果を招来しかねないという合意が成立した。これが進歩だとしても、犠牲は大きすぎた。第1次大戦はヨーロッパの帝国主義者の争いだとするアメリカと旧ソ連の宣伝はいまだに幅を利かせている。 それが事実だとしても、戦争の最悪の側面をみせたのは、この戦いでありアメリカ人も共産主義者もここにいたわけではない。植民地からの兵もほとんどいない。西ヨーロッパの若者は、帝国主義者に扇動されたわけでなく、またイギリス人の場合は志願して、この戦いに参加した。ソンム古戦場は現在各国の戦没者墓地で埋められている。そして墓地は盲目的な国家主義(ナショナリズム)に無言の警告を与えているようにみえる。そしてその警告は英独仏の若者に限定されて発せられたものではないだろう」
2005年02月21日
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今日はカーニヴァルのうちでもっとも盛り上がる「バラの月曜日」だった。といってもドイツではカーニヴァルは本来カトリックの強い地域、すなわちかつてのローマ帝国の領内だったケルンやマインツといったライン河西岸の伝統行事で、東岸にあるここなどは本来無縁だった(そうでなくともドイツ最初のプロテスタント系大学のある町だし、宗教改革者ルターとの縁もある)。 ところが数年前からこの町でもカーニヴァルにバカ騒ぎをするようになった。午後に町の大通りを通行止めにして仮装行列をしていたようだ。「ようだ」というのは、僕は全く見なかったからである。もともとバカ騒ぎが好きでないし、ダサダサのドイツ歌謡曲をえんえん聞かされるのはかなわない(そりゃ僕だって浅葱裏ですけど)。研究室が大通りに近いので騒ぎは聞こえたが、研究室内は学生の姿がやや少なめな他は全くいつも通りだった。 移民法改正により、ドイツ国籍をもつ多くのトルコ系ドイツ人のドイツ国籍が剥奪される可能性があるという。というのは新移民法は以前と違い二重国籍をを認めておらず、トルコ国籍を保持したままだとドイツ国籍を剥奪されるのだという。対象は10万人以上で、ドイツ国内のトルコ系社会に不安や抗議が広がっている。 アメリカのブッシュ大統領が2月末にドイツを訪問するのだが、その際どういうわけだか知らないがマインツにあるローマ・ゲルマン中央博物館を訪問するらしい。一体何のためだろう。アメリカ「帝国」を率いる身として、偉大な古代帝国ローマに学ぶつもりなのだろうか。そこの博物館で働く知り合いによれば、警備関係者が連日やってきて職場が戒厳令みたいになっているという。 夜は映画「アビエイター」(マーティン・スコセッシ監督)を見に行く。アカデミー賞11部門にノミネートされ、「ギャング・オブ・ニューヨーク」で外したスコセッシ&ディカプリオのコンビの捲土重来の作品である。 大富豪にして映画プロデューサー、飛行機オタクだったハワード・ヒューズ(1905~1976年)の半生が描かれる。映画はヒューズが映画「地獄の天使」を製作し始めた1927年から、史上最大の巨大飛行艇を飛ばした1947年までの20年が描かれ、比較的上手くまとめてあると思う。先日見た「レイ」も伝記映画でアカデミー賞のライバル作品だが、僕としては「レイ」よりは面白かったと思う。「レイ」は最後のほうがだれてしまった感じがするし。ただしこれはかなり好き嫌いに影響されると思う。音楽や黒人文化好きなら「レイ」、飛行機や昔のハリウッド好きなら「アヴィエイター」のほうが面白いと思うだろう。アヴィエイターとは「飛行士」とい意味。ヒューズの作った映画はあまり面白そうに見えなかったけど。 ディカプリオはまあ熱演だったが(裸のシーンが出てくるが、初めてかな?)、主演男優賞はどうかな?と思う。ただ「レイ」のジェイミー・フォックスもレイ・チャールズが憑り移ったような演技とはいえ、モノマネ大賞じゃないんだからあまりあげたいと思わないし。うーん。ヒューズにしろレイにしろあまり普通の人じゃないし(あと「ビューティフル・マインド」でジョン・ナッシュを演じたラッセル・クロウにしても)、それなりの演技力が要求されるんだが、「普通の人」を演じた人にむしろあげたい気がする。 余談だが、ディカプリオがドイツ人とイタリア人の間の子供だというのは知っていたが、彼のミドルネームは「ヴィルヘルム」だそうだ。似合わねー。 この映画の見所の1つはかつてのハリウッド・スターが実名で出てきて、それを当代の人気俳優が演じることだろう。キャサリン・ヘップバーンをケイト・ブランシェット、エヴァ・ガードナーをケイト・ベッキンセイル、うちの母や叔母が子供の頃ファンだったというエロール・フリンをジュード・ロウが演じている(彼の出番は少ないが)。 先に見た人が言っていたのだが、ヘップバーン役のブランシェットとヒューズ役のディカプリオは恋人同士の役なのだが、確かにむしろ親子に見えてしまう(まあディカプリオももう30過ぎてるんだが。ブランシェットは彼より5歳年上)。史上最悪の駄作「パールハーバー」に出ていたベッキンセイルは綺麗なのに地味なイメージがあるが、この作品では化粧のおかげもあってかなりゴージャスに見えた。 あとヒューズの敵役のパンナム社長を演じている人、どこかで見たことがあると思ったらアレック・ボールドウィンなのか!「レッド・オクトーバーを追え」でCIAのジャック・ライアンを演じていた頃に比べて随分太りましたね。 この映画は2時間以上でかなり長めである。上に書いたが飛行機好きの人にはお勧めかもしれない。第2次世界大戦前後のアメリカが舞台だが、日本はとんでもない国と戦争したもんだと思う。 物語としては盛り上がりに欠けるのだが、伝記だし仕方ないだろう。僕はそれほど退屈しなかったが。
2005年02月07日
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今日は実に寒い日だった。 そんな寒い中、夕方映画を見に行く。この8日間で4回目の映画だ。さすがにこんなハイペースはあまり例が無い。まあ映画料金が日本の半分かそれ以下だから出来るのだが。今チャップリンの「独裁者」と「アメリ」も再上映しているのでそっちも見たいし(これらはドイツでは珍しく字幕版)、ナチスもののドイツ映画「NAPOLA」も見たいし、ハワード・ヒューズの伝記である「アヴィエイター」も見たいし、しばらくハイペースが続きそうだ。 今日見に行ったのは連続で中国映画の「2046」(ウォン・カーウァイ監督)だった。日本ではキムタクが出ているというのでそこそこ話題になっていたようだが、こっちではもちろん誰もキムタクなんて知らないので、監督のウォン・カーウァイの名前に惹かれて来るのである。観客はいかにも外国映画が好きそうな学生風の若者ばかりで、まずまずの入りだったと思う。少なくとも同じ中国映画とはいえおととい見た活劇「ラヴァーズ」の観客層とは毛色が違う。 主演の一人コン・リーはドイツでは比較的人気の高いアジアの女優だと思う(僕はあまり好みではない)。他にフェイ・ウォンとかチャン・ツィイーといった僕でも知っている中国?の女優が出ている。主人公の俳優はトニー・レオンというらしい。 この映画を見ていて思ったのだが、フェイ・ウォンって松本伊代に似ているように思う。あとチャン・ツィイーは水野真紀と篠原涼子を足して二で割った感じ(もっと似ている人がもっと若い人にきっと居るはずだが、僕には最近の日本の芸能界は分からんのです。これでも日本の研究室では「芸能部長」と言われていたのだが)。コン・リーはちょっと思いつかない。あと寅さんシリーズの「タコ社長」みたいな人が出てたのは笑った。日本人と中国人って(韓国人よりも)顔つきがよく似てるものだ。僕も二度ならずここで中国人に中国人と間違われたことがある。 見に行く前に「こういう映画は多分あんたには面白くないよ」と警告されていたので、全然期待せずに行ったのだが(あとキムタクの出番に興味があったのは否定できない)、案に相違して楽しめた。少なくとも「ラヴァーズ」よりはずっと良かった。 1960年代後半の香港を舞台とした現実世界と、主人公(トニー・レオン)が書くSF?小説「2046」の中とが交錯してちょっと判りにくいかもしれないが(だからストーリーの紹介は難しい)、問題無かった。「2046」というのは主人公が住む隣りの部屋の番号でもある。ストーリーは「主人公の女性遍歴」というと、ちょっと違うかな。 香港はとにかく「ゴージャス」ですね。僕は一生縁が無いかもしれないけど。あと随分センスがいいと思ったら(別に中国映画がセンスが悪いといいたい訳ではない)、制作段階でイギリス・フランス・ドイツのテレビ局が関わっているらしい(ドイツはZDF)。道理でヨーロッパ映画に通じるものを感じたし(少なくともアメリカ映画のノリではない)、こっちの人にもあまり違和感なく見れるわけだ。出てくるのはキムタク以外全部中国の俳優でまぎれもなく中国なのだが、どことなく無国籍な感じがするのは香港という舞台のおかげもあるかもしれない(僕は香港に行った事が無いので分からないが)。 キムタクの役は象徴的な意味もあって案外重要なのが意外だった(チョイ役くらいに思ったよ)。聞くところでは日本語の台詞らしいのだが、ドイツでは全部ドイツ語に吹きかえられている(日本語が出てくるのはキムタクの恋人役のフェイ・ウォンが日本語を練習するシーンのみ)。しかしキムタクでなければ、というよりあの役が日本人で無ければならない理由はちょっと思いつかない。香港なんだからイギリス人(ユアン・マクレガーとか)にしても良かったんじゃない?まあ白人が画面に入りこんだらこの映画の印象も変わってくるだろうし、日本重視ということなのかもしれないが。
2005年01月24日
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夕方、ドイツ人のD、C及び日本人のK君と映画を見に行った。「House of flying daggers」(原題「十面埋伏」、邦題「ラヴァーズ」)、中国映画である。 中国映画を見たのは2年ぶりだが、その時もやはりチャン・イーモウ監督の「Hero(英雄)」だったし、見に行こうと言い出したのはDだった。Dはハリウッド映画や暴力的な映画は行かないというポリシーを持っているが、どういうわけだかチャン・イーモウの映画には行きたがる(チャン・イーモウはドイツでも比較的知られた監督で、若者にはファンもいる)。その彼女のCもまた暴力的な映画は一切受けつけないのだが、今日の映画がどんなものか知らずにDに連れて来られたようだ。 さて映画のほうだが、一応舞台は唐代末期(9世紀後半)の中国、反政府武闘組織と治安組織との攻防を背景に、三人の男女(チャン・ツィイー、金城武、アンディ・ラウ)の愛憎をめぐる話らしい。ところがストーリーはチャン・イーモウ作品らしくどんでん返しが多いし、しかもかなり荒唐無稽なところがあるので紹介のしようが無い。一緒に見たK君は「痴話喧嘩に唐とか反政府組織とか大袈裟な背景を付けただけ」とバッサリだったが、それも一理ある。 先に褒めておくと、映像の色彩感覚は素晴らしいし(おそらくヨーロッパと思われる森や、竹林など)、マーシャル・アーツもまあお口あんぐりのすごい出来だった(スローモーションの多用は定番とはいえ、ちょっと食傷気味かな)。「マトリクス」を最初に見たときの興奮に似たものはあった。あと僕はあまり中国の女優とかに知識も関心もないのだが、チャン・ツィイーはどちらかといえば好みだな。 ところが映画の中身のほうはかなり???である。事前に思ったより露骨な流血シーンが多くてCは辟易しているだろうなあ、と思いながら見ていた。最後の大流血のシーンなんかタランティーノの「キル・ビル」を思い出してしまった。 あとドイツ人と中国人(日本人も?)とではこの映画への感受性がかなり違うらしい。「おいそこ泣くところだろ」「おいそこ感動するところだぞ」というところでドイツ人の観客は笑うのである。ラブシーン見て笑うとはどういうことだ。感じ悪い。館内のドイツ人の反応を見ているほうがこちらとしては面白かった。 最前列に座っているガラの悪いドイツ人たちがさかんに「ガイル!」(すげえ!)、「クール!」(かっちょいー!)と連発していたが(うるさいんだよ)、連中にはこの映画は悲劇ではなくコミックのようなものらしい。まああまりに荒唐無稽で笑うしかないシーンも多かったが。最後のほうの主人公三人の死闘のシーンでは、倒れては甦りなかなか死なないヒロインには観客たちは悲しむというより笑っていた。 映画が終わって一緒に見たドイツ人二人に感想を聞いた。Dは「大袈裟過ぎて可笑しい。でもダメ」、Cは「前に中国映画を見てもう二度と見ないと思ったけど、今回もそう思った」とのことだった。僕は単純にアクション映画として楽しめたが、暴力的なのやわざとらしいのが嫌いなこの二人にチャン・イーモウの映画が合うわけもなく、選択を誤ったというべきだろう。 その後飲んで帰ったが、駅前のバス停でトルコ人同士と思われる喧嘩の現場に出くわす。 誰かが通報したのかパトカーが2台駆けつけたが、降りてきた警官がベージュのズボンに革ジャン、防弾チョッキの屈強そうな男二人組で、しかも髪を短く刈っていてまるでネオナチに見えてしまった。ああいうのにはお世話になりたくない。
2005年01月22日
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阪神大震災からもう10年か。長いようで経ってみると早いものだ。 研究室仲間のドイツ人を公開中の映画「アレクサンダー」に誘ったのだが「長いしああいうハリウッドものは見たくないよ」と断られてしまった。前に言ってたのと違うぢゃ無いか。ということで一人で行こうと思っていたらK君も行くと言い出したので、二人で見に行った。 この映画はとにかく長いし、予告編を見る限り主演のコリン・ファレルはミスキャストのように思えたし、またあまりいい評判を聞いていなかったので全然期待していなかったのだが、まあ思ったよりは良かったと思う。 特に考証面は去年の映画「トロイ」に比べれば格段に優れている。まあアケメネス朝ペルシア時代ともなると資料が増えるから復元もしやすいのだろう。スペクタクルなガウガメラの戦いやインド象との戦いもまあすごいと思った。最近の傾向らしく描写が非常に血なまぐさく、そういうのが嫌いな方には全くお勧めできない。 あと戦場が現在のイラクやアフガニスタンで、しかも合戦の前にアレクサンドロスが「自由の為に!」などと演説するシーンがあるのだが、否応無く今のアメリカを連想してしまう。「ヨーロッパ」が「アジア」を征服するという話なので「オリエンタリズム」満点な場面もあるし。 アレクサンドロス役のコリン・ファレル、その母オリュンピアス役のアンジェリーナ・ジョリーは熱演だとは思うのだが、僕はもっと品のいい人を据えて欲しかった。それとこの二人及び父親のフィリッポス2世(ヴァル・キルマー)以外は性格付けが説明的に過ぎて決定的に弱く、あまり感情移入できない。アレクサンドロスもただの戦争気違いに見えるよ(実際そうだったのかもしれないが)。 2時間半のドラマにアレクサンドロスの短い(33年)ながら怒涛の生涯を詰め込むのは難しいのは分かるのだが、おホモだちとして描かれるへファイスティオンや妃のロクサネとの絡みは必要だったのだろうか?と思う。ゴルディオンでの逸話(Gordian Knot)やイッソスの戦いが省略されたり、乳兄弟のクレイトスの扱いが小さいのが意外だった。アンソニー・ホプキンスがアレクサンドロスの学友・護衛隊長でのちにエジプト王となってアレクサンドロスの伝記を残したプトレマイオス(=女王クレオパトラの祖先)の老年時代役で出演しており、キャストはまずまず豪華である。 関連年表を載せておく(年号は全て紀元前)。・356年 アレクサンドロス、マケドニア(現ギリシャ北部)王フィリッポス2世と王妃オリュンピアスの長子として誕生・343年 哲学者アリストテレス、アレクサンドロスの家庭教師に招かれる(~340年)・337年 フィリッポス、コリント同盟を組織し全ギリシャを支配下に置く。対ペルシア遠征を開始・336年 フィリッポス暗殺される。アレクサンドロス(3世)即位・335年 反旗を翻したテーベを破壊し市民を虐殺・奴隷化する・334年5月 歩兵4万、騎兵6千を以ってダーダネルス海峡を渡りペルシアに侵攻、グラニコス川(トルコ)の戦いでペルシア軍を破る。ハリカルナッソスを攻略・333年11月 親征してきたペルシア王ダレイオス3世の大軍をイッソス(トルコ)で破る。シリア・フェニキア・エジプトを攻略・331年 エジプトのシワ・オアシスのゼウス=アムモン神殿で神官に「神の子」と呼びかけられる・同年10月1日 ガウガメラ(イラク)の戦いでダレイオスの大軍を撃破。ダレイオスは逃亡。バビロン(イラク)に入城しアジア王を名乗る・330年 ダレイオス、バクトリア総督ベッソスの裏切りにあい殺害される。アケメネス朝滅亡。アレクサンドロスは復仇を宣言しベッソスを追討、イランに入る・329年 イラン東部を攻略しベッソスを処刑。中央アジアに侵攻しヤクサルテス川(=シル・ダリヤ。カザフスタン)を越える・328年 ソグディアナ平定に苦戦。ソグド諸侯の娘ロクサネと結婚し東方化政策を開始、ペルシア式の拝跪礼を導入・327年 東方化政策にマケドニア人が反発、陰謀が発覚し将軍パルメニオンらを処刑。「世界の果て」を目指しインド遠征を開始。酒宴で口論となった乳兄弟クレイトスを殺害・326年 ヒュダスぺス川(パキスタン)の戦いでインド王ポロスの戦象隊を破る。インダス河に到達。兵士が前進を拒み、ヒュファスシス川(=サトレジ川。パキスタン)で反転する・324年 スーサ(イラン)に帰還。マケドニア人とペルシア人の集団結婚式挙行、彼自身はダレイオス3世の娘スタテイラと結婚。オピス(イラク)でマケドニア兵の騒擾。ペルシア系総督を大量粛清・323年6月13日 バビロンにて急死、享年33歳。精神障害のあった異母弟フィリッポス3世が即位する。プトレマイオス、エジプト総督になる。ロクサネ、スタテイラを殺害・321年 帝国の実権をめぐり親族・将軍たちの内紛が勃発、分裂状態に・317年 王太后オリュンピアス、フィリッポス3世を殺害・316年 マケドニア総督カッサンドロス(フィリッポス2世の娘婿)、オリュンピアスを処刑・310年 カッサンドロス、ロクサネと王子アレクサンドロス4世(13歳。アレクサンドロスの死後に誕生)を処刑、アレクサンドロスの血筋が絶える・304年 プトレマイオス、エジプト王に即位・283年 プトレマイオス没する(73歳) ヴァル・キルマー演じる父親フィリッポス2世(戦闘で片目を失ったという)は粗暴な人物に描かれているが、弱冠20歳でマケドニア王となり戦争に明け暮れたアレクサンドロスの業績の半ばは、フィリッポスに帰すべきではないかと思う。一代で辺境の弱小国だったマケドニアで経済的(貨幣発行、鉱山開発・都市建設・干拓・開拓)・社会的(人材登用・軍制改革)な大改革を断行し、全ギリシャの覇権を握ったフィリッポスの手腕は尋常ではない。既に古代からアレクサンドロスとは不仲説が取り沙汰されているが、仲は良かったのではないかと思う。 それを示すのは、ギリシャ北部のヴェルギナで発見されたフィリッポスの墓である。地下式の墓室には豪華な金の矢筒や青銅の武器・容器、銀製の水差し、そしてフィリッポス自身やアレクサンドロスを表現したと見られる小さい象牙の頭部像が副葬されていた(出土品はテッサロニキ博物館に展示されている)。フィリッポス自身の骨も見つかっている。死後の世界に関心が薄かったのか古代ギリシャの墓は全般に質素だが、フィリッポスのそれは最も華麗といっていい。ちなみにアレクサンドロスの墓所はエジプトにあるというが、未だ見つかっていない。 アレクサンドロスが率いてペルシアの大軍を破った軍隊もフィリッポスが育成したもので、マケドニア軍の中核はぺゼタイロイと言われた歩兵とヘタイロイと言われた騎兵である。アレクサンドロスの作戦指導が優秀だとしても、父の育成した軍隊なしではあの短期間での成功はあり得なかっただろう。 ぺゼタイロイはギリシャ都市国家の市民軍によるファランクス(重装歩兵による密集陣形)にヒントを得たもので、長さ5m以上(ファランクスでは通常2m程度)の長槍と小型の楯で武装し、密集陣形で槍衾を作って敵に向かう。前4列の兵士は槍を倒して前に向けて敵をアウトレンジで攻撃し、後ろの列では槍を立てて、前の兵士が倒されたときに入れ替わるように備えている。この戦法を実行するには集団訓練が必要で、一種の職業軍人制度ともいえる。はるか後年、16世紀後半の日本では織田信長の槍足軽がやはり長槍を使用しまた兵農分離・兵士の職業化が進むが、それに似ている。馬上での弓射を主とするペルシア兵は全般に軽装かつ統制が取りにくく、重装備のギリシア・マケドニア兵の密集陣形に歯が立たなかった(今日の映画ではその辺はよく描けていた)。 ヘタイロイは貴族層からなるエリート騎兵部隊で、戦場の局面に応じて臨機応変に投入され敵への最大の打撃力となった。ただし当時の乗馬術では鞍もあぶみも無かったので(そのため少年時代から騎馬に慣れた貴族層に限られた)、走行しながら槍で突くのは不可能であり(衝撃で落馬する)、馬を止めて突いたか下馬して戦った。山がちのギリシャでは騎兵は重視されなかったが、より北方の平原地帯であるマケドニアでは、北方の騎馬民族トラキア人から騎馬術を習ったことは疑い無い。 ギリシャ文化がアジアに影響を与えたという「ヘレニズム」はアレクサンドロスの東征が契機だったという。しかしそれは一面でしかない。確かに中央アジアにまでギリシャ文化が及びまたギリシャ人の東方への大量移住を促進したが、ギリシャ文化の東方への影響はアレクサンドロスに始まったことではない。ペルシアの首都ペルセポリスやパサルガダエは紀元前6世紀に建設されているが、そこにはギリシャ美術や建築の手法が見られるという。また遅くとも紀元前4世紀初めには、シリアやアナトリア(小アジア)の少なくとも沿岸部では、ギリシャ風の美術品が登場しかなり浸透していたことが窺える。 その背景として考えられるのは、多くのギリシャ人がアジアに渡っていることがあるだろう。土地が痩せ狭隘なギリシャでは経済発展で増える人口を養いきれず、傭兵や労働者として、経済力のあるペルシアやエジプトに大量に雇われていた。近代のスイス傭兵と通じるものがあるが、ギリシャ人は最強の傭兵という定評があり、エジプト王やペルシアの王子キュロスはペルシアの大王に対して叛乱を起こす際ギリシャ傭兵に頼っている。何よりもアレクサンドロスと戦ったダレイオス3世の軍隊の中には、万単位のギリシア傭兵が居た。 ギリシャ人は自分たちの文化に誇りを持っていた。そういうと聞こえはいいが、要するに不寛容ということであり妥協性に欠けるとも言える。ギリシャ人がアジア人を「バルバロイ」と蔑称で呼んだ裏返しに、通商の盛んだったコスモポリタンの中近東人から見ればギリシャ人は辺境の田舎者で、世間知らずの田舎者が自分たちの流儀を押し通したのがヘレニズムと言えなくも無い。まあギリシャ文化の偉大さは認めざるを得ないし、現に中東の人々はそれを受け入れたのだが。 一方ギリシャ文化の中のオリエント(中近東)伝来要素は最近飛躍的に研究が進んできており、無視しがたいものがある。 アレクサンドロスの成功はもちろん軍事力の凌駕や彼の天才も預かって大きいだろう。しかし征服されたペルシア・中東の側から見れば、200年の統一を保っていた帝国は紀元前4世紀半ばから総督達の叛乱で分裂の危機に瀕しており、マケドニアはそこに上手くつけこんだとも言える。マケドニアが征服しなくとも、アケメネス朝ペルシアが何らかの形でいくつかの地方政権に分裂した公算は大きい。 むしろ「辺境からの簒奪者」アレクサンドロスをもって、古代中近東の統一王朝であるペルシア帝国の最後の大王と見るほうが正しいかもしれない(現にイランではアレクサンドロスは「イスケンデル」と呼ばれ正式なペルシア王の一人とされている。また彼がダレイオスの娘と結婚したのは、アケメネス朝継承の正当性を強調する必要からだろう)。アレクサンドロスの死後彼の帝国は四分五裂しているが、これは将軍たちの私利私欲ばかりが原因ではなく、中東文明の分裂傾向は征服者たるマケドニア人にも止めることは出来なかったのだろう。 アレクサンドロスの記憶はローマ帝国に引き継がれたが、5世紀の西ローマ帝国の滅亡と共にむしろ中東や東ローマ帝国(その大部分は中東に属する)で生き続けた。ヨーロッパ人がルネサンスの時代にギリシャ人を自分たちの理念上の先祖と決め、またアジアを含む全世界を植民地化したとき、中東の大王イスケンデルは、ギリシャ=ヨーロッパ文明の宣布者・オリエンタリズムの体現者アレクサンドロスとしての役割を担わされたといえる。
2005年01月17日
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今日は非常にいい天気だったが(放射冷却のせいかとても寒い日だった)、特に外出しなかった。 夕方お誘いを受けて映画を見に行く。今日の日記のタイトル「Ray」である。昨年6月に73歳で亡くなったレイ・チャールズ(本名レイ・チャールズ・ロビンソン)の半生を描いた伝記映画である。 レイ・チャールズの曲はいくつか知っているし、嫌いではない(僕はビリー・ジョエルとのデュエットから入ったクチだが)。ただ彼のCDを買うほどのファンでもない。 この映画はレイ・チャールズ(以下面倒なのでレイと省略)の生前から企画されていた。監督はレイと長い交流があった人のようだし、レイを演じたジェイミー・フォックスはレイじきじきの指名だたという。映画の完成を見ることなくレイは逝ってしまったのだが。これはいわばレイのチェックを受けている映画なのだが、彼を美化するところは微塵も無い。過去の愛人問題やヘロインに溺れた前歴も驚くほど率直に描かれている。 しかしながら、正直言って中盤(レイがミュージシャンして成功してから)以降はかなりダレてしまった印象は拭えない。一代で成功を収めた会社社長がよく自費出版で自分の自叙伝とかを出版したりするが、その手の本を読まされている気分がした。こんな苦難(彼の場合は苦難というよりむしろ自業自得のところがあるのだが)を乗り越えたんです、と声高に叫ぶ臭みがある。 あと不満があるとすれば、レイの音楽のルーツがさらっとしか描かれておらず、彼は最初から天才という特別な存在として登場していることである。少年時代に弟を失ったり緑内障で視力を失ったエピソードは描かれているのに、肝心の音楽との出会い(ゴスペルやナット・キング・コールやチャールズ・ブラウンなど)が省略されているのはむしろ不自然な感じがした。 ただ、レイ・チャールズやソウル、R&B(リズム・アンド・ブルース)のファンは必見の映画だと思う(僕はレイよりはナット・キング・コールのほうが好みなのだが)。演じるジェイミー・フックスもレイが憑り移ったかのような演技だった。レイの仕草とか見てるとなんとなく井上陽水を連想したんですがね。陽水もレイに影響を受けた人なのだろうか。この映画にはレイの手ほどきを受けたクインシー・ジョーンズ(「愛のコリーダ」とかが有名ですかね。もちろん本人出演ではない)も出てきます。 レイの代表作は「我が心のジョージア(Georgia on my mind)」だが(彼自身ジョージアの出身。盲学校はフロリダだったのでフロリダ暮らしのほうが長かったのだろうが)、彼は1961年に人種差別から黒人と白人の座席を分離した彼のコンサートを拒否したためジョージア州ににらまれ、州立ち入り禁止の措置を受けた。ジョージア州は1979年にレイに公式に謝罪し、「我が心のジョージア」はジョージア州の州歌に制定された。イラクなどをめぐっていろいろ批判されるアメリカだが、もし将来があるとすれば、こうした懐の深さこそそれではないかと思う。 ナット・キング・コールやチャールズ・ブラウンの物真似に過ぎなかったレイにオリジナリティを持たせたのは、トルコ系のプロデューサーであるアフメット・エルテギュンであるというのは初めて知った。トルコ系はアメリカではあまり目立つほうではないが、アメリカ芸能界とかでの活躍もあったのは、今のトルコ人を見ているとむしろ意外だった。turkuvazさんの日記で、ボブ・ディランが実はトルコ系移民の子孫であると初めて知ったのだが(Kirgizという苗字で、トルコ東部出身。ただしボブ・ディランの本名はロバート・ジマーマン、ドイツ語だとツィンマーマンで、ロシアでのポグロムから逃れてきたドイツ系ユダヤ人であり、彼自身シャヴタイ・ベン・アブラハムというユダヤ名もあるそうだ。先祖の中にトルコ系が居るといった程度か)、少なくとも20世紀初めのトルコ人はそういう柔軟さを持ち合わせていたのだなあ、と思う。(追記:海外の各界、特に文化・芸能で目立たないところで活躍するトルコ人は多いようだ。ドイツでは映画界での活躍が著しい。ヴァリエーションが豊富とは言い難い現代トルコ歌謡曲の印象をそのまま書いてしまった)
2005年01月16日
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ドイツは寒さますます厳しい。日本は暖冬だそうだが、今年のドイツは厳冬になっているようだ。 このところ外出していて、日記を1週間さぼってしまった。この間に見た映画をまとめて紹介。 「コラテラル」(ストーリー) ロサンゼルスで12年間、タクシー運転手をするマックス(ジェイミー・フォックス)。「その日」は夕方に疲れ気味の検察官の女性を乗せ、ちょっとした心の交流があったものの、いつも通りの一日が終わるはずだった。彼女の次に乗ってきたのは、ヴィンセントと名乗る銀髪に不精髭のスーツ姿の紳士(トム・クルーズ)。不動産関係で数ヶ所を回るというこの好人物は、マックスに600ドルの報酬で一晩の貸し切り賃走を申し出る。 ところが最初の訪問先で、マックスのタクシーにビルから死体が落ちて来る。ヴィンセントは実は腕利きの殺し屋で、一晩のうちに5人を殺す契約を結んでいた。逃げようとして銃で脅かされたマックスはヴィンセントの「仕事」に協力させられる羽目になるが、このスタイリッシュな殺し屋と行動を共にするうちに、奇妙な心の交流が始まる。しかしヴィンセントのこの晩最後の標的は・・・。(感想) まあ面白かったといっていい。話に無駄が無く、また大都市ロサンゼルスでの孤独感も描き出している。 トム・クルーズが悪役に挑戦というので話題だったようだが、悪役にしてもやっぱりカッコイイ悪役で(クールで独特のスタイルをもつ殺し屋)、やはり「トム・クルーズは何をしてもトム・クルーズだ」という枠は越えられなかった。その点は退屈だった。 「コラテラル」(巻き添え)という横文字タイトルも不満。なぜ「巻き添え」とか「あるタクシー運転手の不幸な一夜」という日本語タイトルに出来ないのか。「ターミナル」(ストーリー) 東欧の小国クラコウジアからニューヨークのJFK国際空港に降り立ったヴィクトル・ナボルスキー(トム・ハンクス)。しかし彼が飛行機に乗っている間、祖国では軍部のクーデタが起きて内戦状態になり、アメリカは新政権を承認しなかった。ヴィクトルのパスポートは無効になり、帰りのフライトもキャンセルされ、英語もろくに出来ない彼は、食べ物も服も何でも揃う空港ターミナルで、入国許可を待つことになる。 空港の安全管理主任(代理)は、ヴィクトルの存在を自分のキャリア上の汚点と思い、ヴィクトルをあの手この手で空港から追い出そうと企む。しかしヴィクトルは合法的なアメリカ入国とニューヨーク行きにこだわり、それはある「約束」が理由だった。空港職員たちとの友情、美しいスチュワーデス(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)との出会いなどを経験しつつ、ヴィクトルの空港暮らしは9ヶ月に達するが・・・。(感想) 「プライベート・ライアン」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」に続き、スピルバーグ監督とトム・ハンクスが組んだ三作目。この取り合わせらしく、笑いも盛りだくさんながら人情味に溢れる作品となった。実際には「ウッソー」というような場面もあるが、それはご愛嬌だろう。さまざまな人、そしてその人生が行き交う空港ターミナルの様子も、見事に描かれている。自分がよく利用するということもあるが、僕は駅とか空港といった場所が好きなので、この映画は面白かった。 この「空港暮らし」のモデルになったのはパリの空港に10年以上住むというイラン人男性だろう。イスラム革命の起きたイランから逃れた彼はフランスに亡命申請したが認められず、空港ターミナルに長いこと暮らしている(今どうしているのか知らないけど)。「クラコウジア」という国名は、クラコウはポーランドの都市名だが、ロシアの隣国で言葉も近いという設定から、ウクライナかベラルーシあたりがモデルだろうか。現にウクライナでは政情不安が起きているが。 キャサリン・ゼタ・ジョーンズは「濃い顔の女優」くらいにしか思っていなかったが、この映画ではとてもチャーミングに見える。不倫を続ける39歳のスッチーという設定だが、実際は彼女はもう少し若い。「ボーン・スプレマシー」(ストーリー) 元アメリカCIAの腕利き工作員、ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は記憶を無くし、その忌まわしい過去に苛まれていた。逃走中に知り合った恋人マリー(フランカ・ポテンテ)と共にインドのボンベイに潜伏し、記憶をたぐりよせようともがく。 一方ロシアの政商を中心として、FSB(ロシア連邦保安局、KGBの後身)やCIA内部を巻きこんだかつての陰謀が、またもやドイツのベルリンを舞台として再燃していた。口封じのため、かつてその陰謀に関わったボーンにも魔手が及ぶ。ボーンは単身ベルリン、モスクワに乗りこんで、身につけたスパイ技術を駆使して敵の中枢に迫る。(感想) ドイツが舞台になっているので見た。しかしドイツ警察(警察権は各州にあるのでこの映画の場合はベルリン州警察)や連邦刑事局(BKA)、連邦情報庁(BND)、連邦憲法擁護庁(BfV)は存在しないかのように、この映画の中ではCIAがドイツ国内で傍若無人の振る舞いをしている。いくら冷戦以来ドイツとアメリカが緊密な協力関係にあるったって、おいおいそれは無いでしょう。第一こんな大掛かりな騒ぎをした割に、陰謀自体(かつてのロシア政治家の暗殺とその証拠隠滅)はたいしたこと無かったりする。まあモスクワでのカー・チェイスはなかなか凄かったですが。 イラク戦争直前の大量破壊兵器の騒ぎを見ても、CIAは図体ばかりでかくて果たして有能なのかどうか疑問に思えるし(まあイラク戦争はイラクにおける大量破壊兵器の有無など関係無く行われただろうし、CIAと関わりの無いところだろうけど)、いまどきボーンのような超人的な腕利き工作員を養成しなくても、オタク的な人のほうが機密情報収集が出来るのではないかと思えるのだが。 第一悪ガキのような風貌のマット・デイモンがこういう役をやってもあまり説得力が無いんだよなあ。前作「ボーン・アイデンティティ」にも出ていたドイツの女優フランカ・ポテンテは、この作品ではあまり出番が無い。 邦題の「ボーン・スプレマシー」は「ボーン・優越」とでも訳せるのだろうか。何だかよく分からないタイトルである。ドイツでのタイトルは「ボーン・陰謀」となっている。
2004年12月15日
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今日は一日ざあざあと雨が降り続けた。 夜雨の中映画を見に行った。今日の日記のタイトル「九日め」である。以前アカデミー賞を受賞した(どの映画でだろう?)フォルカー・シュレーンドルフ監督によるドイツ・ルクセンブルク合作映画である(明日は監督本人がここの映画館に来館し、教会関係者との会合をもつそうだ)。 映画の性格か観客は少ないし、中年以上の人が多かった。年配の方って映画のシーンに舌打ちしたりかなり声を出して反応するんだよね。どこが面白いのか分からないところで馬鹿笑いする人も居る(今日は無かったけど)。 手短にストーリーを紹介しておく。第2次世界大戦中の1942年、ドイツのダッハウ強制収容所(ミュンヘン近郊)。ここには反ナチス的なヨーロッパ中の多くの聖職者が収容され、虐待され劣悪な環境下で強制労働に従事させられていた。その中にルクセンブルク人神父アンリ・クレーマー(ウルリヒ・マテス)が居た。 ある日クレーマーは突然釈放され、故郷のルクセンブルクに戻る。小国ルクセンブルクは1940年5月にドイツ軍に占領され、「大ドイツ帝国」に併合されていた。故郷に戻ったその日、クレーマーはゲシュタポ(ナチスの秘密国家警察)に呼び出される。 ゲシュタポのゲプハルト(アウグスト・ディール)は、クレーマーは釈放されたのではなくある目的で9日間だけ仮釈放されたのだ、と説明する。ナチスは占領下のルクセンブルク国民の支持を得るため、ルクセンブルク司教(念の為に書いておくが、カトリック教会)にナチスの政策を支持する声明を出させようと画策しており、クレーマーはゲシュタポの手紙を持って大司教を訪れるよう慫慂される。ところが司教はナチスへの協力を拒み、クレーマーに会おうともしない。 業を煮やしたゲプハルトは、ナチスに協力しない司教を非難する声明を書きルクセンブルクの神父たちをナチスに協力させれば、ダッハウに収容されている神父たちを釈放しよう、とクレーマーに持ちかける。「ナチス・ドイツは宗教を否定する共産主義者(ソ連)と戦っているのだ」「裏切り者のユダが居たからこそキリストは十字架に架けられ、キリストが十字架に架けられたからこそキリストは原罪を負うことが出来、キリスト教は世界宗教になったのだ」とゲプハルトは言葉巧みにクレーマーに説き、またもし拒否すれば即日ダッハウに送り返す、と脅した。 仮釈放期限の9日目が迫る中、仲間の命と司教への反逆(カトリックでは重罪)の狭間に立たされたクレーマー神父が下した決断は・・・。 なおこの物語は大部分は実際にダッハウ収容所に入れられていた神父(名前は違うが)の日記に基いている。 ナチスと教会の関係を描いた映画といえば、ロルフ・ホーホフートの戯曲を原作とする「神の代理人」というのがあった。この戯曲はナチスのユダヤ人迫害に見てみぬ振りをし、あまつさえ戦争に苦しむドイツ人(カトリックが多い)への同情を表明した教皇ピウス12世(在位1939~58年)の「責任」を問うた作品だった。今日の映画は反対にナチスに抵抗した聖職者の話だった。 カトリック教会の総本山であるローマ市内にあるヴァチカンは現在「世界で一番小さい国」として知られるが、実は1929年にラテラン条約を結んで独立国として認めたのは、他ならぬファシズムのムッソリーニ政権だった。カトリック教会はムッソリーニ政権に40億リラを支払う代わりに独立(日本史ふうに言えば「守護不入」)を認めさせた。ドイツのナチス政権も、1933年7月に同様の教皇和約をローマ・カトリック教会と締結し、カトリック側は中央党(ヒトラー首相の前任者フォン・パーペンを出した政党)を解散してこれに応じた。しかし国民権利の制限や拡張政策を推し進めるナチスに対してカトリック教会は徐々に批判的になり、微妙な緊張関係が続いた。1937年にはピウス11世が憂慮の念を表明する回勅を発している。 ナチスは同じ全体主義でも共産主義と違い宗教を否定しなかったが、将来的にどういう構想をもっていたかはよく知らない。今日の映画でも触れられていたが、ナチス高官のラインハルト・ハイドリッヒ(ボヘミア総督になり1942年にチェコ人抵抗組織に暗殺される)などは、将来的には教会は解散するべきだと唱えていた。一方でソ連への対抗上、教会を弾圧するソ連共産党の行為をナチスが宣伝していたのも事実である。ソ連の指導者スターリンは、カトリック教会の重要性を説くイギリスのチャーチル首相に対して「教皇は何個師団を持っているのかね?」と冷笑したというエピソードが残っている。 教皇を頂点として階層的に組織化されたカトリック教会と異なり、プロテスタント側は横の結合はあっても国家を超えた縦の結合は無い。ナチスは「帝国教会」を創設してプロテスタントを国家支配下に収めたが、マルティン・ニーメラーなどの反ナチス的牧師は1934年5月に「告白教会」を設立してナチスの宗教政策に反抗している。 昨日の日記でイスラム教のことを書いたが、キリスト教もヨーロッパでは政治的に隠然たる影響力をもっている。ただイスラムが宗教は政治を超越するものとして存在するのに対し、キリスト教では16世紀以降の宗教改革以降は(特にプロテスタントにおいては)国家のほうが宗教に優越している。 いわゆる「民主主義社会」では政教分離は自明の原則なのだが、最近のアメリカや公明党なんかを見ていると、なかなかどうしてとも思えてくる。一方でイスラム世界の混迷を見ていると、社会的にはともかく、宗教が政治に口出しするのはいかがなものかと思える。まだ読んでいないが、昨日紹介した山内昌之著「イスラムのペレストロイカ」(中公叢書)は民主主義とイスラム教は両立し得るか?という問題意識を持っている。 ちなみにイスラム教徒(女性)の公的な場でのスカーフ禁止法案でもめているフランスでは、1905年に法的に政教分離が明記された。次期大統領を狙うニコラス・サルコジ財務相(「日本文化は中国に比べると退屈だ」と香港でリップサービスをした人)は最近、フランス人口の1割近くを占めるイスラム教徒を念頭に、この法令をやや緩和するべきではないかと発言しているが、早速カトリック教会のパリ枢機卿から「イスラム教をフランスの国教にする気か」と批判されている。そういやサルコジ氏、2007年の大統領選を視野に財務相を辞任するそうですね。
2004年11月18日
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訃報が二つ。 今日の未明、パリの病院に入院していたPLOのアラファト議長の死亡が発表された。享年75歳。フランスに移送された時点で政治的にはほぼ死んだも同然だったのだが。テロリストの親玉、解放闘争の指導者と評価は分かれるだろうが、カリスマ的な人物であったのは間違いない(なぜかうちの母親もファンだった。あの大きい目玉がいいのだそうだ)。一方で1993年のイスラエルとの和平合意のとき、クリントン大統領(当時)ににこやかに笑うアラファト議長との握手を促され、しぶしぶ応じたイスラエルのイツハク・ラビン首相(1995年に狂信ユダヤ教徒により暗殺される)の表情が印象的だった。 後継者はアッバス元首相だとのこと。アラファトの排除を主張していたイスラエル(アラファト殺害を何度も試みて失敗している)のシャロン政権やハマスにとっては奇貨のようだ。パレスチナ情勢の流動化を心配する声もあるが、むしろ一つのチャンスではないだろうか。今までの「法則」だと必ず和平ムードをぶち壊しにするテロが起きるんだが・・・。 「レイプ・オブ・ナンキン」の著者で中国系米国人のアイリス・チャン(36歳)が車内で死んでいるのが発見された。鬱病だったそうで、自殺と見られている。 日本軍の「南京大虐殺」を扱った「レイプ・オブ・ナンキン」はロンドンの戦争博物館に行ったときにお土産売り場で売られているのを手にとって見たが(この博物館では太平洋戦争中の日本軍の残虐行為も展示している)、正直言ってやはり気持ちのいいものではなかった。しかも中で使われている写真とかがねつ造のものが多いなどと後で聞き、嫌な気持ちになったものだ。 僕は南京で日本軍による虐殺が全く無かったとは思っていない。しかし30万人死亡説というのは現実的ではないし、その数字が一人歩きして政治宣伝に利用されている現状は良くないと感じている。 昨日起きた国籍不明潜水艦による日本領海侵犯事件は、やはり中国の原潜で間違い無いらしい。中国側は「聞いていない」「調査する」と言っているようだが、海軍の独走にしてもしらじらしい感じがする。こういうことがむしろ日本の軍縮に歯止めをかけると分かってやっているんだろうか。「何かの間違い」「事故」という意見も日本国内にはあるようだが、お人好しも甚だしい。 アラファトやアイリス・チャンの死にはまことしやかな「陰謀」説もささやかれているようだが、このタイミングの良すぎる潜水艦事件も「反戦平和」団体(個人の場合はどう感じようが自由だが)にかかると「無かったこと」(まあ誰も死んでないし)もしくは「予算獲得のための防衛庁の陰謀」ということになるのだろうか。 夕方映画を見に行く。今日の日記のタイトルにある「戦争の霧」というドキュメンタリー映画で(エロール・モリス監督)、今年のアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受賞したそうだ。ケネディ・ジョンソン両政権でアメリカの国防長官を務めたロバート・ストレンジ・マクナマラ(1916年生まれ)のインタビューのような回顧録である。副題は「マクナマラの11の教訓」である。 ベトナム戦争をよく知る世代には有名な名前なのだろうが、僕はそうではない。「ウィキペディア」にはマクナマラに関する詳しい記述があるが、ここにも要約して書き出しておく。 マクナマラは1916年サンフランシスコ生まれ。2歳の時の第1次世界大戦の戦勝パレードを覚えているという。カリフォルニア大学バークレー校で政治学・経済学を修め、さらにハーヴァード大学で経済学修士(MBA)を取得し(余談だが、ブッシュ現大統領はアメリカ史上初のMBA学位をもつ大統領だそうだ。世界中から「アホ」呼ばわりされる彼でも取れる程度の学位なのか、彼は「アホ」じゃないのか・・・?)、1940年には母校で教鞭を取る。翌年、日本の真珠湾攻撃を受けてアメリカは第2次世界大戦に参戦する。 マクナマラは数値解析を将校たちに講義していたが、1943年には陸軍航空隊に入隊、ドイツや日本に対する戦略爆撃の解析・立案に携わる。特に日本全土の都市を火の海にしたカーチス・ル・メイ将軍の下では(ル・メイはのちのキューバ危機でも攻撃を主張した強硬・好戦派だった。また航空自衛隊の育成に尽力したというので日本政府から叙勲されている)、爆撃機の損害を減らすためにB29による高高度からの焼夷弾による無差別爆撃を立案した。 戦後除隊し自動車メーカーのフォード社に入社、経営を立て直した。今は当たり前になっているシートベルトを導入したのも彼だそうだ。1960年にはフォード家以外では初のフォード社社長に就任する。ところが社長就任後5週間で、成立したばかりの民主党のジョン・F・ケネディ政権に国防長官として招聘される。 マクナマラは核戦略とその抑止効果を重視、またフォード社のやり手社長出身らしく効率化を推し進めコンピューターを導入、「人間コンピュータ」「歩くIBM」などという陰口を叩かれた。ケネディ政権下の最大の出来事といえば1962年のキューバ危機であるが、すんでの所で核戦争の危機を回避した。 当時共産化を防ぐためにアメリカは南ベトナムに軍需顧問団を派遣していたが、マクナマラの進言にも関わらず、南ベトナムでの軍事クーデタもあってケネディはベトナムに深入りする姿勢を見せた。1963年にケネディが暗殺されると副大統領のリンドン・ジョンソンが昇格、マクナマラは留任した。 ジョンソンは1964年のトンキン湾事件を契機に北爆と米軍の大量派兵に踏み切り、泥沼のベトナム戦争に突入する。ベトナムへの深入りを警告したマクナマラの意見はジョンソンに握りつぶされ、盛り上がる反戦運動の中マクナマラは「殺人鬼」「ファシスト」などとマスコミに攻撃された。1968年、北爆の停止と戦争の「ベトナム化」(米軍の撤退とそれに代わる南ベトナム軍の育成)を進言したマクナマラとジョンソンの対立は決定的となり、マクナマラは国防長官を辞任した。 辞任後マクナマラは世界銀行総裁に転出、開発と貧困との戦いに尽力した。1973年に米軍が完全撤退し、1975年に北が南を制圧して終結したベトナム戦争については、一切口をつぐんでジョンソン批判もしなかった。88歳の現在も存命で、この映画に出演を承諾したのは、あきらかに現ブッシュ政権のアメリカ一国主義やイラク戦争への警告の意図があったのだろう。アメリカ大統領一人の決断・命令で、死ななくてもいい数万人が死地に追いやられるのである。 日本人としてやりきれなかったのはやはり第2次世界大戦の頃の回想だろうか。ル・メイやマクナマラは一晩で10万人の東京市民を殺害するような無差別爆撃が非人道的で戦争犯罪にあたると知りながら、殺人ではなく「敵である日本の力を弱めるために」、能率や効果を重視してそれに踏み切った。ベトナムでも枯葉剤を撒き、第二次世界大戦でドイツに投下された数倍の爆弾をベトナムに投下した。彼が重視した「データ(事実)」は数字の羅列であり、その裏にある一人一人の人生ではなかった。(これに比べれば、「誤爆」が多いうえ住民感情を逆撫でするような粗放な手法で決して褒められたものでは無いが、少なくとも今イラクに駐留するアメリカ軍は市民に対する無差別殺戮はしていないだろう。ついでに書いておくと、「戦争になったらまず子供が犠牲になる」という意見をよく目にするが、それは20世紀前半の世界大戦の頃の話であるし、また内戦下のほうが市民の犠牲が甚だしい。今アメリカ軍がイラクから撤退したら、その「子供が犠牲になる」内戦が起きる恐れが大きすぎる。またアフガニスタンの例を挙げて「ターリバン政権の頃のほうが、爆弾が降って来る今よりもましだ」という意見も目にしたが、映画も音楽も禁止され公開処刑が日常的な恐怖政治下での戦争の無い状態と、戦争やテロの危険があるにして自由にものが言える状態と、どちらがいいだろう?「究極の選択」である) マクナマラは映画の中でベトナム戦争への自分の責任については明言を避けているし、ジョンソンを批判することもしなかった。「盛り上がるベトナム反戦運動はあなたの考えを変えましたか?」という質問については「否。ああいうのは戦争中にはよくあることだ」と答えている(この辺が「冷酷な人間コンピューター」と言われた所以かもしれないが)。 マクナマラの教訓は全部は覚えていないが、キューバ危機の際の「己の敵の立場に立って考えよ」、トンキン湾事件を指した「見たもの、信じたものはいつも正しいとは限らない」(カエサルも「ガリア戦記」の中で「人間は自分の信じたいものを信じるものだ」と述べている)、そして「人間の本性は容易に変わらない」という戦争する人間の性質に対するやや悲観的な教訓が印象的だった。
2004年11月11日
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今日は夕方映画を見に行った(月曜は「映画の日」で割安になる)。ドイツでのタイトルは「若きチェの旅」、英語でのタイトルは「モーターサイクル・ダイアリーズ」である(ウォルター・サレス監督)。監督や主演の俳優は正直言ってよく知らないのだが、制作総指揮はロバート・レッドフォードだということだ。 チェ、というのは、南米の革命家エルネスト・チェ・ゲバラ(本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・セルナ、1928~1967年)のことである。先に書いておくが、「チェ」というのはあだ名で、アルゼンチン方言のスペイン語で呼びかけのときに使う言葉だそうだ。彼の盟友でキューバ人のフィデル・カストロ(キューバ革命の指導者、現大統領)には「チェ」を連発するゲバラのスペイン語が奇妙に聞こえて、このあだ名がついたのだろう。 まだ生まれてもいなかった僕などにはピンと来ないが、大学紛争が盛り上がった全共闘世代、団塊の世代(ドイツでは68年世代という)が若い頃には、ゲバラは世界的に絶大な人気があったという。ドイツなんかでは今でも一部の若者にも人気で、有名な階級章(少佐)の星の付いたベレー帽をかぶった髭面のゲバラの顔写真をあしらったTシャツなどを着ている人を時々見かける。まあ若者の場合はゲバラの革命思想に共感したというよりも、社会・制度への反抗心などによる一種のファッションなのだろうが。(ついでながら、ドイツ人は心情的にキューバを一種の理想郷のように思っているところがある。幻滅させられた社会主義への懐かしさということもあるだろうが、特に暖かい気候や陽気な国民性、軽快な音楽はどれもそういうものに欠けるドイツ人の憧れだ) ゲバラについてよく知らなかったので、「ウィキペディア」などで読んだ事を書いておく。 彼はキューバ人ではなくアルゼンチンのブエノスアイレスの生まれである。裕福な家庭に生まれた彼は幼時から喘息もちだったが、スポーツや旅行を愛好する活発な若者だった。1953年に医大を卒業するが、当時ペロン大統領の独裁下にあったアルゼンチンでは医者は軍医として徴用されることになっており、それを嫌ったゲバラは隣国ボリヴィア、次いで社会主義政権下にあったグアテマラに亡命、アメリカCIAの工作でその政権が転覆するとメキシコに移り、そこでキューバの革命家フィデル・カストロと出会い、キューバ革命に軍医、のち指揮官として参加することになる。 1956年にキューバに上陸し、キューバ政府(バティスタ軍事政権)に対する最初の攻撃は85人のうち12人しか残らない惨敗だったが、拠点を山岳部に移して農民層の支持を得ることに成功、1959年にバティスタ政権を倒すことに成功する。革命新政府では国立銀行総裁や工業相を歴任し、国連代表としてニューヨークで演説、アメリカではハリウッド・スターのエロール・フリンなどとも交友があったという。 功なり名を遂げたゲバラだが、キューバ革命に満足せず、他国での革命ゲリラ戦争を指導するため1965年にカストロと袂を分かってキューバを去り、コンゴ、ついでボリヴィアでのゲリラ戦に従事する。しかし1967年、ボリヴィアの山中でアメリカの指導を受けるボリヴィア政府軍に追い詰められ、喘息の持病で移動もままならなかった彼は捕らえられ、翌日銃殺された。享年39歳。30年後の1997年、ボリヴィア政府はゲバラの死の顛末を公表し遺骨を発掘、キューバに改めて埋葬された。盟友カストロは革命後40年以上経った今もキューバの独裁者の地位にある。 ようやく映画の話になる。この映画はこのゲバラが23歳の医学生だった1951年から52年にかけて、年上(29歳)の親友のアルベルト・グラナド(アルベルトを演じた俳優は実際にゲバラの親戚だそうだ)と二人で、ドイツ製のバイクにまたがって(二人乗り。ただしバイクは途中で壊れ捨ててしまう)、ブエノスアイレスからカラカスまでの南米各地8000km(アルゼンチン→チリ→ペルー→コロンビア→ヴェネズエラ)を旅行したときの旅行記に基いている。 この映画に出てくる主人公エルネスト(=ゲバラ)は、僕がゲバラに対してもっている「好戦的な革命家」「髭面で葉巻をふかす剛腹な戦士」というイメージとはまったく違う。喘息持ちでナイーヴ、そしてラテン男らしくちょっと好色なただの若者である。 この二人が、アンデス山脈やアマゾン河といった偉大な南米の自然、マチュ・ピチュ遺跡やクスコなどのインカ文明の遺産に接する。そして何よりも、裕福な地主のパーティー、迫害される共産主義者、資本家による搾取、貧しい暮らしのインディオ(アメリカ先住民)、隔離されているレプラ(らい病)患者など、南米社会の現実を見せ付けられる。 「革命家」ゲバラの原点ともなった旅行だが、この映画は政治色は意外なほど薄かった。何よりも広大な南米の景色が美しく、ロードムービーとして佳作である。ゲバラ自身「この旅行は偉大なものではなく、二人の若者のささやかな経験に過ぎない」と断っているが、この映画もハリウッドふうの「感動大作」というものでもないが(はっきり言ってそういうのは最近食傷気味だ)、見た後爽やかな気分にさせてくれる。 この春に見たヒトラーの若い頃を描いた「アドルフの画集」とは対照的に、むしろ革命家である既存のゲバラ像を打破する目的もあったのかもしれない。このナイーヴな青年が、のちに革命家として南米各地で暴れまわって南米支配を維持したいアメリカの手を焼かせ、キューバでは反革命分子600人を処刑した冷酷な政治家としての一面をもつになるとは、なかなか信じがたい。 僕は南米に行った事は無いが、南米の人と多く知り合いになった事はある。奇しくも?この映画のエルネストと同じ23歳のとき(大旅行をしたゲバラと比較するのもおこがましく恥ずかしいが)、ドイツの語学学校でだった。医者や声楽家といったエリートばかりなので南米の一面にすぎないのだろうが。ポルトガル語を話すブラジルを除けば、メキシコからアルゼンチンまで、みなスペイン語を話すので国を超えての付き合いだった。国籍でいうとメキシコ、コスタリカ、パラグアイ、コロンビア、チリ、アルゼンチンの人たちである(及びポルトガル語のブラジル)。授業中にスペイン語で答えを教えあっているのが面白かった。 僕はエルネストというメキシコ人の友達(眼科医)が居たので(名前の通り真面目な人だった)、南米の知り合いが増えた。コロンビア人が先住民インディオの名残を色濃く残すのに対し、アルゼンチン人はヨーロッパ顔の人が多かった。チリ人はくわっと見開いたような目が印象的だった。互いにスペイン語という共通語で話し(ただしかなり方言が違うらしく、メキシコ人はチリ人のスペイン語を笑っていた)、EUかアメリカのような巨大な地域的枠組みを思い起こさせ、その潜在的な巨大な可能性から、21世紀は南米の世紀になるかもな、などと思ったりしたものだった。そういえば映画の中のゲバラも、そして現実の彼も、国境で分断されていない大きな南米(スペイン語圏)の解放を目指していた。 ところが実際には、南米はさほど豊かとはいいがたい。ゲバラの旅行は50年前の話だが、今はどうなのだろうか。一時はアルゼンチンやブラジルは経済成長が伝えられたが、アルゼンチン経済は2001年の末に破綻しているし、貧富の差はどうしようもなく大きい。 アンドレ・ガンダー・フランクの「従属理論」やエマニュエル・ウォーラーステインの「世界システム」論といった、経済を手がかりとした文明論の研究対象となっているように、南米は長らくヨーロッパ、のちにアメリカが主導する世界経済に従属しており、原料供給地(砂糖・コーヒー・バナナ・鉱物といったモノカルチャー)としての役割は16世紀にスペインの植民地とされてからというもの本質的には変わっていないように思える(スペインの過酷な南米支配については言いたいこともあるが、ここでは措く)。「グローバリゼーション」というのは名前を変えた新植民地主義だ、とドイツの反グローバリゼーション活動家たち(attacなど)はいうが、一面で正しいと思う。 かといって僕ら日本人やドイツ人といった先進国の人間は、今の経済構造が壊れて生活レベルが下がってしまうのは嫌だというのが正直なところだろうし(鶴見良行「アジアはなぜ貧しいのか」なんかを読むと、アジアが貧しいのは日本の大資本のせいだなんて言うけど、一面で正しいにしてもその豊かさを享受している自分は何なんだと言いたくなる)、極端なアウタルキー(自給自足)論は非現実的だし(それを目指した北朝鮮の惨状から推して知るべし)、世界から貧困をなくすというのは正直言って不可能に近い。どうすればいいんでしょうかね。ゲバラみたいに(その目指すものは良いとしても)、革命をすれば良くなるとは全く思えないし。
2004年11月08日
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アメリカ大統領選挙は予想に反して現職のブッシュが早々に勝利を決めた。同時に行われた議会選挙も共和党の勝利といって良く、日本(の一部)やドイツ(の大部分)でのブッシュ評価とアメリカ国内では、かなり乖離があるのだろうか。 まあよその国の話だから、とやかく言う権利は無い(義務も無い)。大事なのは自分の属する日本にとって何が良いのか、そのためには民主主義的原則でブッシュを選んだアメリカとどのように付き合うべきか、ということくらいか。 ドイツのシュレーダー首相はブッシュ大統領に祝電を送り、「ドイツとアメリカのますますの緊密な協力関係を期待する」と述べている。まあ外交辞令だろうけど。 今日は誘われたので夜映画に行った。日記の表題「デリダ」である。先月73歳で亡くなったフランスのポスト構造主義(ただし、この名前が示すように、構造主義を批判するというだけで、ポスト構造主義に属する哲学者には一体性はなく、いわば百花斉放の状況らしい)の哲学者ジャック・デリダ(1930~2004年)のインタビューを中心にしたドキュメンタリー映画である。音楽は坂本龍一「教授」が担当している。 映画自体はデリダに対するインタビューに、彼の著作からの引用をナレーションで挿入するといったスタイルだろうか。デリダの伝記であると共に、入門にもなっている。かくいう僕は、デリダの著作を読んだことがない上哲学全般に全く疎いので、あまり理解できなかったのだが(フランス語・英語にドイツ語の字幕だから、ついていけないのである)。ちょっと無謀だったかな。 まあすごい面白いという映画じゃないですな。しかし狭い会場はほぼ満員、デリダのヨーロッパ知識人への強い影響力を思い知らされた。 デリダは「~主義」(例えば「神」とか「自由」とかいった概念を至高・絶対的のものとする考え方)などといった全てのイデオロギーはまやかしだと断じ(かつ自分も「~主義」から抜け出せない、としている)、それを「形而上学」と定義した。そしてイデオロギーによりかかる人間の矛盾を指摘する「脱構築」を主張したのだそうだ。そして彼は「言葉」というものにこだわり、また安易な決めつけを嫌がったらしい。 彼が自分の伝記映画の製作に応じたのは、過去の哲学者が伝記作者の記述によって規定されていることに対するこだわりからのようだ。例として、マルティン・ハイデガーがプラトンについて聞かれたときのことを例出している。ちなみにハイデガーは(僕は彼がどういうつもりで言ったのか知らないが)「彼は生まれ、考え、そして死んだ」と答えている。 奥さんとの馴れ初めについて聞かれると「私は事実しか言わない」と言って、1953年にスキー場で彼女(同級生の妹)と出会い1957年にアメリカで結婚した、としか答えない。「愛についてどう考えますか」と言われて困惑し、やがて「ある人を愛する」というが、「その人」を愛しているのか、属性(美しい、頭がいい、胸が大きい・・・)の総体としての「その人」を愛してるのか、つまり「誰か」を愛しているのかそれとも「何か」を愛しているのか・・・・と続く、という調子でインタビューは進む。 言葉の制約もあってかなり分からない。 彼はユダヤ人として生まれ(フランス植民地だったアルジェリアの生まれ)、10歳のときフランスがドイツに敗北し、彼は学校を追放され、路上で「汚いユダヤ人」とかつての級友に罵られる体験をする。この原体験が哲学者としての彼に大きな影響を与えたらしい。 彼は政治的発言でも知られており、南アフリカの黒人指導者ネルソン・マンデラ(前大統領)に対する支援や、911テロ後のアメリカの対テロ戦争や一国主義に対して警鐘を鳴らし、かつて論争したユルゲン・ハーバーマス(フランクフルト大学教授)と共にこれからのヨーロッパの役割について声明を出している。これらの活動が彼の哲学とどう関わっていたのかは僕には分からないが。 実はデリダが批判した構造主義(マルクス主義によく合致する)や、彼が属するというポスト構造主義は歴史学や考古学にも影響しているようだ。僕はそういう理論書をほとんど読んだことが無いのだが、アメリカで根強い「プロセス考古学」(ビンフォード、レンフリューなど)、イギリスを席巻している「情況(コンテクスト)考古学」(イアン・ホッダー)などの名称で、それは表わされている。遺物の解釈とかに関係するのだろうか。僕には分からない。 ホッダーが発掘するチャタル・ホユック(トルコ)を訪問したことがあるが、50cmごとのセクションベルト(土層観察用に掘り残す帯状の地区)や、数センチ単位で掘り下げる微細を極めた発掘、コンピュータ分析を多用した報告書、発掘日誌を報告書と共に公開して後世に発掘者の置かれた条件を知らしめることなどに、その思想が現れている。発掘の効率としてはものすごく悪い。 翻って僕の留学しているドイツでは、そういう考古理論はほとんど議論されないというか、無視されている。平たく言えば「考えている暇があったら手を動かせ」というのがドイツ式で、とにかく事実・データの積み重ねを重視する。ドイツ人に言わせれば「10年単位で流行り廃りがあるような考古学理論なんてやってもしょうがない」し、データを重視したところでそれを解釈する時点で「~主義」に影響されてしまえばデータの解釈が恣意的になってしまう。 イギリスやアメリカの考古学は、細かいところを目指しデータ重視を標榜する割には結論である解釈が大雑把で、ドイツは逆にデータ処理がものすごく細かくそれが目的化して結局何が言いたいのか判りにくいところがある。 映画の感想が、訳のわからん文章になってしまった。所詮僕には哲学するよりも、知識を積み重ねて経験的に判断するほうがあっているようだ。
2004年11月03日
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今日は町を歩いていて随分肌寒く感じた。もうすぐ新学期が始まるというので、新歓行事に参加する新入生の姿を多く見かけた。・・・・・・・・ 今日は夕方映画を見に行った。日記のタイトル「真珠の耳飾の少女」である。17世紀オランダの画家フェルメール(1632~1675年)の代表作「真珠の耳飾の少女」(1665年頃の作。デン・ハーグ市マウリッツホイス美術館蔵。日本では「青いターバンの少女」という呼称のほうが一般的か)の制作をめぐる秘話といったストーリーだろうか。 フェルメール役にコリン・ファース、絵のモデルとなる召使の少女役にスカーレット・ヨハンソンが扮している。コリン・ファースのほうは従来の路線(内気な静かな男。「イングリッシュ・ペイシェント」や「ラヴ・アクチュアリー」)を踏襲しているように見える。スカーレット・ヨハンソンは出世作の「ロスト・イン・トランスレーション」(ソフィア・コッポラ監督)よりも歳相応(20歳)、つまり幼く見える。撮影時期はこっちのほうが先なのだろうか。処女の瑞々しさを好演していたと思う。 ストーリーは上記以上に紹介の仕様が無いが、「光の画家」フェルメールの絵を明らかに意識した映像が美しかった。時代考証のほうも十分であると思う。「画家は貧乏」という先入観があるので、フェルメールがあんな裕福な暮らしをしているのは意外だったが、画家のギルド(同業者組合)もあったということだし、市民社会のオランダでは画家の社会的地位は高かったのだろうか。 僕の叔母は実家で小さな画廊を営んでいて、自分の描いた絵をそこで売っているのだが、フェルメールの模写もやっている。日本では特にフェルメールは人気らしい。とりわけ「真珠の耳飾の少女」は人気で、叔母も何度も模写しているようだ。 家族が皆美術学校出なのに対して、僕のほうは美術にはてんで疎く興味もあまりないのだが、フェルメールが生きた17世紀のオランダには興味がある。当時オランダは海上世界帝国ともいえる黄金時代を現出していた。というわけでそちらのほうを概観してみる。 オランダはスペイン・オーストリアに君臨するハプスブルク家の支配下にあったが、16世紀の宗教改革で新教(プロテスタント)が普及、旧教を信奉し新教を弾圧するハプスブルク家・スペインに反旗を翻した。オランダは貴族や市民の集団指導による共和制を敷き、1568年から実に80年にわたって断続的にスペインからの独立戦争を戦った(30年戦争後の1648年のウェストファリア講和会議で正式な独立が認められた)。 スペインとの独立戦争の途上、オランダは優れた造船技術を用いて艦隊を建造、イギリスとも協力してスペインの植民地を次々と奪っていった。オランダ植民地は南アフリカ、インド、インドネシア、台湾、南北アメリカ大陸などに及んだ。特にインドネシアからイギリスを排除(1623年のアンボイナ虐殺事件)、当時世界最大級の銀産出国だった日本からスペイン・ポルトガルの排除に成功し(1639年の鎖国)、東アジアとの交易を一手に独占した。インドネシアから収奪した胡椒や砂糖、中国や日本から輸入した磁器(染付)はオランダに莫大な富をもたらした。 またオランダ・ベルギー(フランドル地方)は16世紀から織物工業や金融取引の中心地として栄えていた。たかだか人口150万に過ぎない小国だったオランダが(イギリスの人口500万、フランス1500万、ちなみに日本は2000万程度)、ウォーラーステインの言う「広義の16世紀」の世界システムにおいて、ヨーロッパ経済の軸の役割を果たしていた。 ヨハネス・フェルメールは1632年にオランダのデルフトで生まれている。デルフトというと当時ヨーロッパでもっとも活発な陶器生産地であった。中国磁器を模倣したデルフトのファイアンス陶器はヨーロッパ中に販売されていた。「模倣」というのは、当時技術的制約から磁器は中国とその周辺国(朝鮮・日本・東南アジア)でしか生産されておらず、「白い黄金」として珍重されていたのである。デルフトはまた織物生産・販売も活発で、フェルメールの父親は絹織物職人のかたわら画業をしていたという。 フェルメールと同じ1632年生まれのオランダの著名人というと、神即自然を唱えた合理主義哲学者バールーフ・スピノザ(1677年没)、精子や赤血球を発見した生物学者アントニ・ファン・レーウェンフック(1723年没)が居る。ちなみに画家の先輩であるレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインはフェルメールより26歳の年長である(1669年没)。世界中から流れ込む富、そして自由な雰囲気の市民社会を背景に、オランダは学問・芸術の黄金時代を迎え多彩な人材を輩出していた。 特にレーウェンフックはフェルメールと同じデルフトの出身で、レンズ・マニアで独自に顕微鏡を製作していたレーウェンフックと、絵画製作の為にカメラ・オブスキュラ(針穴写真機。今日の映画にも出てきた)を使用したフェルメールには交流があったらしい。彼の作品「天文学者」「地理学者」(1669年頃の作。フランクフルト・シュテーデル美術館蔵)のモデルはレーウェンフックでると言われている。レーウェンフックは本業の布取引商人としてデルフト市の行政委員・会計官を務め、多額の借金を残して1675年に早世したフェルメールの遺産管財人(未亡人カタリナ・ボルネスの代理)も務めている。 いわゆる「大航海時代」に続く17世紀は、ヨーロッパ人の生活スタイルが激変した時代でもある。アメリカやアジアからもたらされた様々な文物が、比較的野蛮なレベルに留まっていたヨーロッパの生活文化を変えたのである。オランダの首都アムステルダム市では開発に伴う発掘がさかんに行われ、17世紀当時の人々の生活の実態が明らかになっている。以下1996年に江戸東京博物館で行われた特別展「掘り出された都市」のカタログを元に紹介してみる。 アムステルダム市は1600年の人口が6万5千人だったものが、1700年には20万に激増している。それに合わせ市街地も大拡張している。軟弱な地盤(泥炭層)のアムステルダム市では基礎工事が不可欠で、せいぜい2階建ての建物しかなかった、17世紀になるとノルウェーから輸入した10m以上の松材を安定したより深い砂層に打ちこむ工法が開発され、5~6階建てのレンガ作りの建物の建設が可能になった。 家の一軒一軒も大きくなり、従来家の真中にあった炉が壁に作りつけられる暖炉に変化する。また独立した台所も登場した。家の中の照明は、以前の植物油に代わって鯨油が主流になる(燃やすと臭い。また鯨の乱獲が世界中で始まった)。桟瓦(断面がS字型)が開発され大量生産されたのもこの時代のオランダが最初である。 使われていた食器はデルフト陶器を始め、スペインのマヨルカ陶器やイタリア、ポルトガル、ドイツの陶器も輸入されている。しかし何といっても珍重されたのは中国磁器であるが、これは高価で裕福な市民しか持つ事の出来ないステータス・シンボルである。 食卓で食事を摂る習慣は16世紀に始まっていたが、当時はまだフォークが無く、食卓中央で切り分けられた肉料理は手掴みで食べていた。スープなどは三脚の小さな土鍋に入れて調理し、そのまま食器として食卓に載せた。 食生活の変化としては、一番安い飲み物はビールだったが、ワインが徐々に一般庶民にも普及し始めていた。出土する獣骨の分析によれば、もっとも多く食べられたのは牛肉、次いで豚肉・羊肉と続く。17世紀の最大の変化は茶の登場で(当初は緑茶)、これは中国から輸入された習慣である。喫茶店が賑わい、中東からもたらされたコーヒーと共に、17世紀末には嗜好品として必需品となった。磁器のティー・セットは各家庭の必需品となる。 嗜好品といえば、アメリカ起源の煙草は1600年頃からヨーロッパや日本で爆発的に普及し、実際にクレイ・パイプが大量に出土している。今のものより細身で火皿が小さい。その他今日の映画でも出てきたが、ボーリングの起源となる9本のピンを倒して遊ぶ玉転がしが日常の娯楽だった。 当時の家屋にはトイレが作られることはほとんど無かった。人々は室内に置いたおまるで用を足していた。一応おまるの中身は道路脇の共同のごみ捨て穴に捨てる決まりだったが、数が限られてすぐに溢れるし、面倒くさいのでそのまま窓から路上に投げ捨てていた。その際は「ギャルデ・ロー」と三回叫んで警告を発する約束だった(ヨーロッパではどこでも同じ掛け声だった)。屎尿を頭からかけられる者は馬鹿者扱いされ、また男性が女性をエスコートする際は屎尿が降って来る可能性の高い家屋側を男が歩き、女性は道路側を歩かなければならなかった。ヨーロッパに下水が普及するのは19世紀後半である。 オランダの「海上世界帝国」はしかし、長続きしなかった。同じ海洋国家としてイギリスが台頭してきたためである。貿易を管理したいイギリスは1651年にオランダ船舶のイギリス入港を禁止、そのため第1次英蘭戦争(1652~54年)が起きる。その後英蘭戦争は三次に及ぶ(1665~67年、1672~74年)。国家を挙げて海軍増強に取り組むイギリスに対し、建艦技術に優れていたオランダでは指導的な市民層が大艦の建造を嫌ったため、名将デ・ロイテルの活躍(ロンドンを艦砲射撃)にも関わらず徐々にオランダの制海権は失われ国力が疲弊、インドや北米(ニューヨーク)のオランダ海外植民地は次々とイギリスに奪われていった。 フェルメールは1675年に43歳の若さで亡くなるが、それはオランダの国力低下とほぼ時を同じくしている。「世界の中心」はイギリスに移りつつあった。オランダはイギリスとの協調で貿易立国を続けていく他無かった。 19世紀初頭にはナポレオン率いるフランスによって小国オランダは併合され、インドネシアとスリナム(及び日本の長崎)を除きオランダ国旗が消えるという悲哀を味わう。第2次世界大戦ではドイツに本国を占領された上(1940年)、日本軍に占領されたインドネシアが戦後に独立、「海洋帝国」オランダは完全に過去のものとなった。 17世紀オランダの栄光は日本とは無縁ではない。オランダは江戸時代の日本にとってヨーロッパへの窓であり、また1650~80年に明末・清初の混乱でオランダの対中貿易が不振になった際、日本製磁器(有田・伊万里焼)が中国製品の代替品として台頭した。 そして、世界中を股に掛けた海洋帝国・貿易立国という17世紀のオランダの姿は、戦後の日本に重なるものを感じる。世界の富を集めたオランダの栄光はフェルメールやレンブラントを残したが、世界中の富が流れ込む現代日本は何を残せる(残せた)のだろうか。
2004年10月11日
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今日も一日特に何もせず過ごした。いつも現場から帰ってくると1週間くらい虚脱状態になる。それまで集団生活を強いられていたのが、急に自由に時間が使えるようになるのだから、切り替えがなかなか出来ないのである。 今年のトルコ滞在についてはもう少し書くことがあるが、今日は夜映画を見に行ったのでそれについて書こう。 「ナチスの過去を真摯に反省している」と(少なくとも東アジアでは)言われているドイツでは、ナチスの話題は出来れば避けて通りたいものである。それでもナチスの暴虐を題材・背景にした小説や映画は枚挙に暇が無い。僕がドイツに留学してからというもの、一体どれだけのナチスもの映画を見たか分からない(来年には反ナチス抵抗運動をして処刑されたミュンヘン大学の女子学生ゾフィー・ショルを主人公にした映画が公開される)。 ところが、その小説や映画の中で、ナチスの巨魁である総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)が正面切って描かれることは無かった。あまりにイメージが強烈なヒトラーを登場させると(たとえそのイメージが作られたものであるにしろ)、作品の平衡が崩れるばかりかナチス賛美に繋がりかねないから皆敬遠しているのである。そのためナチスものの小説や映画でヒトラー自身が登場するのはむしろソ連の国策映画やアメリカ映画など、ドイツ以外での作品が多かった。ヒトラーという20世紀最大の「絶対悪」は、非難するその声が大きければ大きいほどむしろヒトラーの奇怪な「魅力」が増してしまうというジレンマがある(この辺の機微については佐藤卓巳編「ヒトラーの呪縛」に詳しい)。 僕は今年の3月に見た「アドルフの画集」(ジョン・キューザック主演、イギリス・カナダ・ハンガリー合作)の感想文で、「ドイツでヒトラーが描かれる映画が登場するのはまだ先のことだろう」と予測した。ところがこの予測は見事に外れてしまった。今日見たドイツ映画「Der Untergang」にはヒトラーやその取り巻きが正面切って描かれているからである。これはドイツ映画史上(いや社会史上でも)、画期的なことといっていい。 「Der Untergang」というのは日本語で「没落・崩壊」という意味であるが、そのタイトルの通り、この映画ではソ連軍の重囲下にあるベルリンを舞台に、1945年4月22日から5月2日までの第三帝国の崩壊が、ヒトラーと周辺の人々を中心として克明に描かれる。2002年の死の直前に証言を残したヒトラーの元秘書トラウドル・ユンゲの新証言(彼女へのインタビューは映画になり、僕も見た)を始めとした各種記録が元になっている。 「ドイツでこの映画がヒットしている」と報じられたようだが、今日の映画館の入りは座席の3分の1くらいといったところだったろう。もう公開3週間以上経つので少なめなのはやむを得ず、またナチスもの映画としては例の無い、かなりの入りと言っていいだろう。 映画を見ての感想だが、「まるで歴史の教科書を見ているみたいだ」というのが正直なところである。ヒトラーやその取り巻き達を、妙に美化することもなくまた卑しめることもなく、各種史料を基に淡々と描いている。次々と死んでゆく兵士たち、戦火の巻き添えになる一般市民、逃亡を試みて憲兵に処刑される市民(下の年表参照のこと)、対空砲(Flak)の傍らで国に殉じて自決するお下げ髪の少女兵士など、市民レベルでのベルリン攻防戦の悲惨さも織り交ぜて描かれている(これも妙な「演出」無しに、淡々と描いている)。ヒトラーを中心とした極限状態での人間群像としても見ても良し、純粋に戦争映画としてみても良いかもしれない。 今までの「タブー」を破った割には「冒険」やドラマ性が少ないと思ったが、これは監督や俳優たちが意図して用心した結果だろうし、史実に忠実な歴史再現ドラマとしてこれ以上のものは望めないのではないかと思える。ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツは実際のヒトラーよりも頬が垂れ気味で声がエキセントリック過ぎるのは気になったが、あの髪型とちょび髭を付ければ結構ヒトラーに見えてしまうのだから、ヒトラーのイメージがいかに強烈か分かるというものだろう(ヒトラーはこの点では史上まれに見る「大成功」を収めたことになる)。 映画がそこそこヒットしている理由として「ドイツの保守化・右傾化」を挙げている頓珍漢な論評もあるようだが、むしろドイツ人がナチスというものを「他人事」のように「歴史」=「物語」(どちらもドイツ語ではGeschichte)として見れるようになって来たものと捉えるべきなのだろう。「怖いもの見たさ」ではないが、ヒトラーの存在をぼかしたごまかし・建前のナチスものよりも、ヒトラーを正面切って描いたほうが関心が高いのは当然の事とも言える。 1つ印象に残った台詞がある。一般市民を希望の無い防衛戦の巻き添えにするな、と訴える部下に向かって、ゲッベルス宣伝相は吐き捨てる。「この運命を招いたのは、彼ら国民自身なのだ。同情の余地は無い」どういう理由・事情があったにせよ、ナチスを選んだのはドイツ国民自身だったことは、民主主義社会に生きる者として忘れてはならないだろう。「全てナチスが悪かった、ドイツ国民は騙されていただけだ」と後から言い訳する事は簡単であるが・・・。 映画のストーリーは史実そのままなので、ここでは関連年表でそれに代えておく。1942年 トラウドル・ユンゲ(22歳)、ヒトラー総統の秘書として採用される1944年9月25日 16歳から60歳までの全ての男子を「国民突撃兵(フォルクスシュトゥルム)」として徴兵することを決定 1945年3月5日 食料配給の減量と1929年生まれ(=15歳)の国民の徴兵を決定3月19日 ヒトラー総統、ドイツ国内の全ての軍需・交通・生産施設の破壊を指令(「ネロ指令」)。この指令は部下に握りつぶされ実行されなかった4月12日 都市死守命令。部隊・市民の退却・疎開を禁止(背いたものは即決軍事裁判で死刑とされた)4月16日 ソ連軍、オーデル・ナイセ線を突破、ベルリンに迫る4月21日 ヒトラー、ベルリンに留まることを決意4月23日 親衛隊(SS)指揮官ハインリッヒ・ヒムラー、独断で連合軍と停戦交渉を試みるが、連合軍は無条件降伏を要求し拒否(28日、BBC放送でこの事実が暴露され、ヒムラーは失脚)。空軍元帥へルマン・ゲーリング、ヒトラーに総統権限の委譲を打診し逆鱗に触れる。ヒトラーはヒムラーとゲーリングを後継者の座から外す4月24日 ジューコフ元帥指揮下のソ連軍がベルリンを包囲、ベルリン攻防戦が本格化4月30日 ヒトラー、長年の愛人エファ・ブラウンと結婚。同日ヒトラー夫妻は自殺。大統領及び国防軍最高司令官にカール・デーニッツ海軍元帥、宰相にヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相が就任。ゲッベルス一家はヒトラーの後を追い自殺5月2日 ドイツ軍ベルリン守備隊がソ連軍に降伏しベルリン陥落。イタリア駐留ドイツ軍が降伏。デーニッツはシュヴェリン伯フォン・クロシク蔵相に組閣を指令5月4日 西部戦線のドイツ軍が降伏文書に調印5月5日 ナチス(NSDAP)解党、ヒムラー公職を追放される5月7日 ヨードル上級大将が無条件降伏文書に調印(対米英連合軍)5月8日 カイテル元帥が無条件降伏文書に調印(対ソ連軍)5月9日 ドイツの無条件降伏が発効、第2次世界大戦(ヨーロッパ戦線)が終結する5月23日 デーニッツ政権が退陣し閣僚全員が戦犯として逮捕される。ドイツは戦勝国(米英仏ソ)の分割軍政下に置かれる
2004年10月07日
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今日もいい天気である。 今寮が改装工事中なので昼間はやかましいことこの上ない。 さて今日は夕方S君と映画「華氏911」を見に行くつもりである(先週後半からドイツでも公開されている)。ところがそんな矢先、何の因果かこんなニュースが・・・(以下引用)「華氏911」…偏った映画、と首相が不快感 イラク戦争とブッシュ米大統領を痛烈に批判して話題となっている米映画「華氏911」について、小泉首相は2日夕、「政治的な立場が偏った映画は、あんまり見たいとは思わないね」と不快感を示した。 首相は映画好きで知られ、この週末も東京・築地の映画館に出かけてエルビス・プレスリーの映画を観賞したばかり。だが、今月中旬から日本でも一般上映される「華氏911」について、記者団が「見に行く予定は」とただすと、首相は言下に「計画はないですね」。 「監督のマイケル・ムーア氏は大統領に追随したとして、首相も批判しているが」との記者団の指摘にも、「ブッシュ批判、小泉批判、批判ばかりしてもいいことはないんじゃないの」と憤まんやるかたない様子だった。 「華氏911」は、今年5月のカンヌ映画祭で最高賞「パルムドール」に選ばれた。全米公開後は記録的ヒットを続ける一方、政治的色彩が濃い作品として、保守系の市民団体などが反発している。(読売新聞)(引用終了) 首相、批判も結構ですが、一度見てからになさったほうが良いのでは・・・? メンテナンスがあるそうなので、映画の感想など日記の更新は明日(3日)になります。どういう映画か楽しみだ。 さて映画の感想だが・・・。映画そのものとしての出来は、やはり「ボウリング・フォー・コロンバイン」のほうが良かったと思う。前作のほうが毒のある笑いがあったが、今回の映画はテーマがテーマだけに笑える所があまり多くない。予想していたよりもかなりシリアスな内容だった。全体の印象はニュース映像を切り貼りした、という感じである。イラクでの日本人人質事件の映像も少しだけ挿入されている。あと日本のテレビでは絶対にカットされそうな凄惨なイラクの映像が出てくるが、日本で上映するときはどうなるのだろうか。 ムーア得意?の突撃取材はあまり出番が無い。イラクに行った兵士やイラクで息子を失った「愛国者」の母親へのインタビュー、そしてアメリカ議会やサウジアラビア大使館、そしてホワイトハウスの前での「アポ無し取材(?)」が出てくる。 前半ではブッシュ政権のサウジアラビア、武器産業、石油企業との癒着ぶりが描かれる。9・11テロの実行犯の多くがサウジアラビアの人間だし、ビン・ラディンがサウジの富豪一族の一員というのも分かるのだが、なんだかサウジアラビアに対する敵意というか悪意が気になった。まああの国は確かにろくでもない国だとは思うのだが・・・。 後半ではイラクでのアメリカ軍の暴虐が描かれるが、日本のいわゆる反戦運動のように、例えば自衛隊の基地の前でデモをするような頓珍漢な反戦ではない(戦前の帝国陸軍と自衛隊を混同する人には当然の行動なのだろうが・・・。そういうデモは永田町でやれば良い)。ムーアの目はイラクに送られたアメリカ兵個々の事情に向けられ、批判の矛先はブッシュ政権とアメリカという階層的な社会制度に向けられる(彼の主張はますます「階級闘争」っぽくなってきた)。上院議員で息子を軍隊にやっている者は一人しかいないということで、ムーアは議会に登院する上院議員に直接軍への志願のパンフレットを手渡そうとする。 今のアメリカは言うまでも無く志願兵制だが、田舎で職も無い若者たちにとっては軍隊というのは重大な雇用機会の一つである(何か明治時代の日本みたいな・・・)。こういうアメリカの「田舎者」(敢えて言う)が英語すらろくに通じないイラクに送られ、市民に紛れてどこから攻撃してくるか分からないテロリストの脅威におののきながら日々を送る。アメリカ兵は屈託なくウォークマンで音楽を聴きながら、動くものには全て反応して射撃してしまう。テロに協力する疑いのあるイラク人の家に踏む込んでも、家の中に居るイラク人の女たちはアラビア語で泣き叫ぶばかりでアメリカ兵の英語は通じない(ついでながら、僕は両方とも多少だが分かる)。 思ったよりもひねりも皮肉も無く、ストレートな主張だった。確かにブッシュ政権批判にはなっているが、思ったほど「偏った」内容でも無かった様に思う。もちろんムーアを含むアメリカ人が依存している石油の安定供給とか、フセイン政権の悪行、そしてアメリカ軍以上にイラクの一般市民(や外国人。昨日はアメリカ軍に物資を納入しているトルコ企業のトルコ人運転手まで殺され、その様子がインターネットで配信された)を殺戮している「武装勢力」のテロ活動(「レジスタンス」という人も居るようですが、レジスタンスならそれこそ非暴力でするほうが効果があるだろうに)への批判などといった視点は出てこない。 僕はかなり単純な人間なので、「映像の力」に弱く(普段のニュースはラジオとインターネットのみ)、この映画をみるとやはりアメリカ軍のイラク駐留に一瞬疑問を持ってしまった(イラク戦争自体は今でもやらでもの戦争と思っているが)。映画を見終わった後は黙りこくってしまった。ムーアの映画だから、と言って軽妙なものを予想していくと期待外れに終わると思う。 それとカンヌ映画祭の金賞受賞の際にも日記にも疑義を書いたが、正直言って映画の出来としてはそれに値するかどうかは甚だ疑問である。テーマというか扱う内容や主張で選ばれたのだとしたら、カンヌは所詮その程度の、政治に左右される映画祭か、という言いたくなる。編集賞・監督特別賞くらいだったら納得だったのだが。 まあ小泉首相が仮にこの映画を見ても、それほど動じる(「感動した!」)ことはないだろうと思う。もう知ってることばかりだろうし。映画ファンなら見ても損は無いと思いますがね。
2004年08月02日
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ようやく電話線が復旧したので日記の通常営業?再開。 今週に入ってから晴天が続き、ようやく夏らしくなった。爽やかに暑いのでまずまず過ごしやすい。 町を歩くとかつて無いほどの割合でスカートをはいた女性を見かける。「ドイツの女の人はスカートをはかない」と勝手に思いこんでいたところがあったが、やはり夏にドイツに居ないから見かけることも少なかったのだろう。冬の零下の気温やぐずぐず雨が降るような天気ではスカートをはきたくないのもよく分かるし、逆にこう暑いとスカートをはくと涼しくて楽だろうな、と思う。 去年あたりから流行はジーンズ生地のミニスカートで、今年は特にひらひらしたのが流行っているそうだ。まあ別に短くなくたっていいですけど。 昨日は久々に水泳に行った。といっても屋外プールだとやや肌寒く感じるくらいなので、屋内プールで泳いだ。おかげで今日は腕のあたりが筋肉痛である。 今日は夕方映画を見に行った。日記タイトルにある「スーパー・サイズ・ミー」というドキュメンタリー調の映画で、今人気のマイケル・ムーアの風刺スタイルを踏襲している(そういえばムーアの新作「華氏911」は今週後半から公開されている。早速見に行ったトリッティン環境相は「それほど感動しなかった」とのこと)。原案・監督はモーガン・スパーロックという無名の人だが、この作品で今年のサンダンス映画祭最優秀監督賞を受賞している。 マイケル・ムーアは突撃インタビューや時に鼻につくほどのパフォーマンスが売りだが、この人は自分の身体を使って過酷な実験を行った(マクドナルド社とのインタビューは拒否されたらしい)。実験とは、一ヶ月間の食事を全てファーストフード最大手のマクドナルドで摂る、というものである。 実験前、彼は至って健康体だった。血圧や血糖値、臓器機能も正常。ところが一ヶ月間マクドナルドで三食摂り続けた結果、体重は11キロ増加、筋肉質だった彼の身体は脂肪だらけになり、肝臓機能が大幅に低下して医者に真剣に「実験をやめろ」とまで言われた。疲れやすくなり、睡眠中に不整脈や呼吸困難を覚え、頭痛がし、性的機能も大幅に低下したという。 マクドナルドで三食摂ると、通常一日に必要なカロリーの倍にあたるカロリーを摂取することになるという。脂質・糖分は言うに及ばない。アメリカのマクドナルドはとにかくサイズが巨大らしく(「スーパーサイズ」)、2リットル入りのコーラとかすさまじい量のフライドポテトが出てくる。 この映画ではマクドナルドを始めとする食品・外食産業業界の大企業の販売戦略・ロビー活動や、子供をターゲットとした宣伝、その結果である青少年層の太りすぎや運動不足、またこうしたジャンクフードの依存性、さらにはブッシュ政権のいい加減な教育政策をも描いている。 すさまじいサイズのマクドナルドのセットを始め、いろいろ驚いたことがあったが、この「世界でもっとも肥満の国」(アメリカのこと)では、学校でジャンクフードが給食として売られ、学校で体育の授業が義務付けられているのはイリノイ州のみ、さらに多くの人が「カロリー」という言葉の意味を知らないという。 つい最近アメリカで太り過ぎの女性が「太りすぎたのはマクドナルドのせい」とマクドナルド社を訴えたことがあった(この映画の問題意識もそこに端を発しているようだ)。判決はどうだったか忘れたが、そのニュースを聞いたとき「太り過ぎは自分の責任じゃないか、こんな裁判が成り立つとはなんという滅茶苦茶な国だ」と思ったものだった。しかしこの映画を見ているとこの国ではかなり真剣な問題であることが分かる。 今やアメリカ人にとって肥満は新しい「疫病」とまで言われている。禁煙運動が定着した今、次は肥満と外食産業が俎上に上げられるようだ。まあマクドナルドだけがアメリカ人の肥満の原因じゃないとは思うけど、その大きな部分は占めていることは間違いなさそうである。 僕は以前学食でほとんどの食事を摂っていたが、そこでは毎日のようにフライドポテトを食べることになる。さすがにまずいと思い最近はあまり学食で食べないようにしている。 ファーストフードのほうはというと、外出先でついつい利用する。やはり比較的安くて手軽というのが利用する大きな理由だろう。ただ日本やアメリカに比べ、ドイツではマクドナルドを始めファーストフードの店が全体に少ないので(トルコ人のドネルケバブの店を入れれば数はものすごく増えるが)、利用機会はむしろ日本に居る時のほうが多い。 ドイツではマクドナルドというと、利用者の多くはむしろ低所得者・労働者層や外国人である。店員も客も中東系の人が多い。アメリカでのマクドナルドの客層はどういったものかよく分からないが(このお映画でもはっきりとは描かれていない)、社会階層(所得の程度)によって利用率が大きく異なるというのは容易に想像できる。こういう視点は今日の映画では問題にされていなかった。 ドイツに住むイスラム教徒にとってみれば、宗教的な忌避の対象である豚肉や豚肉エキスが入っているかもしれないドイツのレストランよりも、こういうハンバーガーのほうが安心して食べられるだろう。一方ドイツのインテリ層にはアメリカ的なものに対する反感のようなものが存在するから、アメリカの象徴のようなマクドナルドを利用することを忌み嫌う傾向があるのかもしれない(余談だが、昨年のイラク戦争による対米感情悪化の影響か、ドイツ国内のマクドナルド利用客は前年に比べ減ったという)。日本やトルコでマクドナルドとかハンバーガーショップは「お洒落」というイメージあるのとはえらい違いで、その定着度は単純にマクドナルドの経営戦略・姿勢では説明出来なさそうだ。 ドイツにおいては、最大手のマクドナルドの店舗数は日本に比べてもかなり少ない。僕が住む人口7万のこの町にはマクドナルドが2軒ある(マクドナルドしかない)。旅行先ではともかく、ここのマクドナルドを利用したことは2回しかない。 この映画を見てドイツ人たちはアメリカ人のハンバーガーやコーラのすさまじい消費量に呆れていたが、日本人の僕から見れば、ドイツ人だって十分呆れるばかりの量の清涼飲料水やフライドポテトを消費していると思う。すさまじい肥満の人を見ることも少なくない。アメリカとは程度の違いだけという気もする。 一方日本では最近すごい勢いでハンバーガーショップとラーメン屋が増えているように見える。特にラーメンは美味しいけど塩分過多だから、あまり食べすぎると健康には良くないと思うのだが・・・(といいながら日本に居るときはラーメンをよく食べた)。 それはともかく、これだけマクドナルドの支店が増えても日本人がまだアメリカ人やドイツ人並の肥満にならずに済んでいるのは(以前に比べれば肥満の割合は大幅に増えているだろう。僕自身もそうだ)、先天的な遺伝もあるのかもしれないが、低カロリーの日本食の存在が大きいだろうし、ヨーロッパやアメリカに比べて外食産業が古くからの伝統をもち選択肢・多様性も多い(回転寿司、立ち食いそば、ラーメン、牛丼・・・)ことがあるのではなかろうか。 繰り返すが、「マクドナルドが多ければそこの人々が肥満になる」というのは理屈としておかしいが、外食産業において独占状態にないというのは重要なことだろう。今日の映画ではいまいち分かりにくかったが、肥満とマクドナルドとの関連は経済のグローバル化と独占的大企業の問題なのだろう。 外食産業全般において選択肢が限られ、かつまた低所得者層を対象としているドイツでのファーストフード産業は、良くない喩えだがむしろ鶏のブロイラーやフォアグラのためのガチョウの育成を連想させる。アメリカの大手外食産業も、販売方針は突き詰めればそういうことなのだろう。 将来自分に子供が出来たら(いつのことになるやら分からないが)、ラーメン屋やハンバーガーショップには分別のつく小学校高学年になるまでは連れて行かない・食べさせないつもりで居る(出来ればファミレスも避けたいところだ)。現在の僕自身はそういう店をよく利用しているのだが、もし小さい子供の頃から僕がそういうところに行きつけていたとしたら、今よりもずっと太っていたかもしれないと思いゾッとする。味覚の育成の上でもこういう店に子供の頃から行っていると良くないんじゃないだろうか。 あと気になったのは、こうした食事で肥満になり肝臓の機能が低下したりすると、生殖機能が著しく落ちるという傾向があるということだった。つまり生活が物質的に豊かになり身体がそれに合わせて変化すると、子孫が減る傾向にあるということだ。 アメリカという現在世界でもっとも豊かな暮らしを享受しているはずの唯一の超大国・覇権国は案外こうした原因で衰退していくのかもしれないし、ローマ帝国の滅亡も実はこうした要因もあったのではないかと思いたくなる(ローマ帝国最盛期から衰退期にかけての性道徳の乱れは既に指摘されているが、「出生率の低下」という視点はあったかな?)。 人口倍増の18世紀後半のイギリスに生きたマルサスはその著書「人口論」(「人口の原理」、1798年刊)の中で、人間の性欲は常に一定で、その結果無制限に人口が増えすぎるとやがて資源の奪い合いになりリヴァイアサン(万人の万人に対する戦い)状態になり貧困と悪徳が生まれる、それを防ぐには道徳の普及により性欲に歯止めをかけるしかない、と主張したが、「人間の性欲はいつでも一定」という彼の前提からして間違っているようだ。文明が必ず衰亡するように、自然の摂理はうまく出来ているのか。
2004年07月29日
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