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敵からは「煮え湯は飲まされる」ことは絶対にない煮え湯を飲まされる「敵に煮え湯を飲まされないように注意しろ!」・・・のような使い方をして違和感がないあなたはこの慣用句の本来の使い田を理解していません。「煮え湯を飲まされる」とは「敵からひどい目に遭わされる」という意味ではなく、「信頼していたものから裏切られる」という意味です。したがって敵は「信頼している」はずがないので間違った使い方という事になります。うがった見方をする「彼はこの事故の原因究明結果に対しては、うがった見方をしている」・・・このような使い方に対して違和感がないあなたはこの慣用句の本来の使い方を理解していません。「うがった見方をする」とは、「疑ってかかるような見方をする」という意味ではなく、「物事の本質を捉えた見方をする」という意味です。本来は、「うがつ(穿つ)=穴を掘る」から派生して、「物事を深く掘り下げた=本質を捉えた見方」になった言葉なのですね。この誤用は結構多いように感じます。「うがった」という発音が「疑った」に似ていることから来ているのかもしれません。雨模様「今日は一日中雨が降ったりやんだりの雨模様だったね~」・・・このような使い方に対して違和感がないあなたはこの慣用句の本来の使い方を理解していません。「雨模様」は「小雨が降ったりやんだりしている様子」だと誤解している人が非常に多い気がします。「あめもよう」あるいは「あまもよう」の二通りの読み方がありますが、いずれも、「雨が降りそうな様子」を表す言葉であって、実際に降ったりやんだりした様子を指す言葉ではありません。しかし、実際には、この本来の意味で使用している人が少なくなりつつあります。平成22年度に文化庁が行った調査によれば、「雨が降りそうな様子」という意味だと答えた方は43.3パーセントだったのに対して、「小雨が降ったりやんだりしている様子」と答えた方は、47.5パーセントになっています。この誤用の傾向ですが、面白いことに若い方に誤用が多いという傾向はなく、むしろ若い世代ほど正しい理解をしており、逆に40代の中年層での誤用が多いのです。「雨模様」の元々の形は、「あまもよい」が元になっています。「あめもよい」の「もよい」とは「催す」の意です。「眠気を催す」と言った場合,まだ眠ってはいない状態を示しますから,「雨もよい」も「雨を催す=これから降りそうな」という意味だということになります。「もよい」が「模様」に変化して「雨模様」と言われるようになったことで,「催す」の意味が見えにくくなり,雨が降っていない状況を想像するのが難しくなってしまったのでしょう。
2014年08月31日
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伊豆半島を一周しました。もちろん、リード125で。ロングツーリングにあこがれる私は、前々から行こうと思っていた、伊豆半島一周を実行しました。実施に当たり、日帰り可能か?渋滞等はどうか?有料道路の通行は必要か?有料道路通行は原付二種で可能な道路か?などについてネットで様々情報を入手しておきました。伊豆半島一周はドライブで昔良く行ったので(大学生の頃)、道は大体わかっていましたが、そのころとでは30年くらいの時間の差があり、道路状況も変わっているかと思います。それに、車とバイク、それも125ccの原付二種ではかってがかなり違います。そこで、あらかじめ収集できる情報は可能な限り集めておきました。車で行く方は結構おり、その様子をネットにアップしている方は多いのですが、バイク、特に原付1種とか2種で行かれていてネットにその様子をアップしている方は、意外と少ないというのが、事前調査の時の印象です。最近バイクに再び乗り始め、この2か月ほど前に125ccのリード125を入手してツーリングを始めたばかりなので、そもそも、伊豆半島一周約400kmのツーリングをできるだけの体力があるのか?がまず第一の、そして基本的な疑問点でした。でも、これっばかりはやってみなければわからない!ということでやってみようと思いました。この間、箱根へのツーリング、ヤビツ峠へのツーリング、そして道志みち~山中湖へのツーリングと徐々に距離数を伸ばすいわば、練習ツーリングを重ね、いよいよの伊豆半島一周です。練習時は、大体平均時速30kmで計算すれば良いとの結果が出ていましたので、400kmの伊豆半島一周ツーリングでは約12時間程度の時間がかかるとの予想をしました。うちのリード125は平均燃費は大体50km/Lですので使用予想燃料は8L、ということになります。燃料タンクの容量が6Lですから最低でも1回は給油しないとなりませんが、余裕を見て2回ないし3回の給油を想定しておかなければなりません。以上の想定で、家を出る時間を朝のというか夜の2時ころと決めました。そこで。目覚ましを1時半にセットして早めに就寝・・・・のはずでしたが久しぶりの遠足前の興奮みたいな感じでなかなか寝付けず、ほとんど寝ないまま1時半に・・・。ということで起きてきて、準備をするも、少し手間取って、結局出発は2時30分に。天気は悪くない、でも厚くなりそうな予感。出発して順調に飛ばす。1時間かからず江の島通過。順調順調。湘南海岸沿いの134号線は非常に走りやすい。スイスイスイノスイスイスイ。西湘バイパスには乗れない125ccなので、湘南大橋を過ぎて平塚あたりから国道1号へ。こちらもすいている。走りやすい。小田原を過ぎて箱根に入る前に左折そして右折して135号線に。さらに旧道を一部通過して有料道路をパス。このあたりを走行していたのが確か5時前だった。さすがに夏の真っ盛り。まだあたりは真っ暗なのに交通量の多いこと多いこと。でも旧道にそれると交通量は激減。とりあえず、行けるところまで行こう、と心に決め、ひたすら夜中の真っ暗な旧道を進む。途中で一台のバイクに抜かれる。400cc位か。さすがに加速が良い。自分も少しペースを上げようかと思ったけれど、長いツーリングの道のりを考えてスピードは抑え気味にすることとした。旧道からまた135号線に合流。このあたりからまた車の流れが速くかつ多くなる。やがて周りが明るくなってくる。道の駅伊東マリンタウンでトイレ休憩。ここで、日の出となる。美しい。走行キロ数は、オドメーターによれば1,122km出発時のいオドメーターは、1,015kmだったから102Km。このツーリングでとった写真はこの3枚のみ。あとは、走るので精一杯。正直、休みなしのツーリングはつかれた。でも、この朝日は素晴らしかった。写真にもあるように、道の駅は結構人がいたが、皆この朝日に見とれていた。ここで、トイレを済ませ、写真を撮った。この時はまだ写真を撮る余裕があった(笑)。滞在時間約15分。更に南下し、赤沢、稲取、下田へ。下田着、AM5:30頃。途中、雨がぱらぱら降ってきたので上着だけカッパに着替えるが、雨もやみ、蒸し暑くなってくる。下田を過ぎて余りの暑さにかっぱを脱ぐのだけれども、脱ぐとまたパラパラと雨が降ってきた。その都度またかっぱ着る。下田からすぐに北上すると、伊豆半島一周にならないので、石廊崎方面をめざし西へ西へと道路を選択。土肥、戸田方面に進む。左手は伊豆西海岸だが、断崖絶壁。左手は山の中のような道をひたすら進む。断崖絶壁と思いきやいつの間にか海が近くに迫ってきたりと、意外と変化にとんだ地形。帰りは国道1号線で帰ろうと思っていたけれども、伊豆半島から国道1号線で出るルートは主な道路が有料道路となっている。もちろん、一般道路を通ることもできるのでしょうが、道路標識も含めて様々な案内が有料道路中心にできているんですよね。まぁ、有料道路だからって言って原付2種が通れないわけではないのでいいのですが、中には通れない有料道路もあるので一応気にしてました。とりあえず、国道1号線に出るのは有料道路を通るほうが楽だし、わかりやすいので今回は通ることに。料金は驚きの30円。料金事務をしているおじさんに、バイクを見られて、「これって原付だよね?」と言われ「はい、原付2種です」と答えたら、「じゃぁ、30円」とのこと。ここを通ると、国道1号線はすぐに出られる。1号線にないると、今度は登りが続く。でも、快適快適。ずっと、法定速度程度で巡航。車の流れをリードしつつ巡航。箱根を抜けるルートは車ではしょっちゅう来ているので良くわかっている道。一応、芦ノ湖周辺に寄り、その後帰途につく。出発 2:30(AM) 帰着 12:30(PM) 10時間。実走行約9時間30分くらい。燃費約50km/L。自宅周辺に帰ってきたときはとにかく眠気がすごかった。さすがに10時間近くのバイク連続走行はちょっと体力的に厳しい。でも、原付2種バイク、うちのリード125はこれくらいのツーリングではまったく問題にならない。長い時間腰かけていることによるお尻の痛みも、先日のすわり心地解消イジリによって皆無だった。それにしてもすがすがしい疲れだった。
2014年08月29日
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情けをかけるとその人の為にならない? 情けは人のためならず この慣用句の誤用は若い方に多いようです。 言葉をそのまま読むと「人に情けを掛けて助けてやることは結局はその人のためにならない」と取れますので、そういう意味で使用する方が実に多いですね。 実際は、「人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになる」という意味ですから、この慣用句を理解するには、「人の為ならず」のあとを自分で補って理解しておく必要があるのです。「情けは人の為ならず 巡り巡って己が(自分の)為」というぐらい補っておけば間違えずに済むでしょうね。 敷居が高い 雰囲気の良いお店などを見つけたとき「あのお店は敷居が高すぎて入るのを躊躇してしまう」という使い方をされている方は、この「敷居が高い」を間違って覚えておられると思います。 「敷居が高い」には「高級過ぎたり,上品過ぎたりして,入りにくい」という意味はありません。 意味は、「相手に不義理などをしてしまい,行きにくい」というものです。 たとえば、恩師に何の近況も知らせないまま数年が経ったときや、お世話になった方に御礼もできないまま御無沙汰をしてしまったとき、物を借りて返せないまま時間が経過したときなど、相手の顔を見て声を聴きたくても連絡をするのに躊躇してしまうことがありますね。そういうときに使うのが、この「敷居が高い」という表現になります。 では、「敷居が高い」の誤用である「自分には合わないとか難しい」という意味で表現したいときには、どんな言葉を使うべきでしょうか。「自分には合わない、難しい」を表現したいときは「ハードルが高い」「レベルが高い」「分不相応」を用いるのが正しい用法だと思います。 号泣する 最近、号泣議員というのが出てきて話題になったことがありますが、この号泣とはどういう状態でしょうか? (1)「激しく泣く」という意味 (2)「大声を上げて泣く」という意味 ウェブサイトなどには,「声を押し殺して号泣した」「周囲に気付かれないように号泣した」といった表現が見受けられますが,これらの使い方は,本来の「号泣する」の意味とは違っています。 本来の意味は(2)です。 ウェブで見かけた表現では、「母が横で声も出さずに号泣していました」「明らかに涙を出さず,声を出さず号泣されておられたと……」「号泣ですよ!最後なんて声出さないようにするので精一杯でした」「声を押し殺して号泣してしまいました」「 帰り道で思いっきり声を押し殺して号泣した」などなど・・・・。 「声を上げずに大声をだした」などと同様の矛盾した表現がいっぱいあるということですね。 このように「号泣」の意味するところの範囲が拡大して用いられるようになったのは,週刊誌やテレビ番組などが,誰かの激しく泣く様子を,声の有無にかかわらず,「号泣」と表現し始め,それが,次第に,一般にも広がっていったのではないかと思われます。 激しく泣いたり,大泣きしたりすることを表すのに,ふさわしい熟語がほかにないことなども関係しているのかもしれません。 テレビなどのマスコミの力は強力ですが、それが故に正しい表現をする義務がマスコミにはあると思います。
2014年08月26日
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先日、中国の記事を配信しているホームページに以下のような二つの記事をみつけました。読んでいたらちょっと感動というか感慨を深く持ちましましたので、みなさんと共有したいと思い、ここに記載します。(一部省略して転載)【記事その1】日本で働く中国人が反省、私が「割り込み乗車」をやめた理由―中国メディア8日、東方財富網は、「あなたの日本人の印象を徹底的に変える」と題する記事のなかで、列に並ばない中国人が考えを改めることとなった日本の電車内での体験談を紹介した。2014年2月8日、東方財富網は、「あなたの日本人の印象を徹底的に変える」と題する記事のなかで、列に並ばない中国人が考えを改めることとなった日本の電車内での体験談を紹介した。以下はその概要。日本で仕事をしていると、1日中どこかが疲れている。その上、通勤の道のりも長い。地下鉄では何とかして座りたいと考え、私は中国人特有の賢さを発揮する。電車がホームにゆっくり入ってきたとき、目を凝らして車両をくまなく見渡す。空いている席を見つければ、降りる人がいようが乗る人が並んでいようが構うことなく、頭を低くして突っ込んでいく。車両に空いている席がありさえすれば、私は必ず座れた。 しかし、時間が経つと私は「無敵」であるが故の悲哀を感じた。私を遮る人や、私と競争する人に1度も出くわしたことがなかったからだ。私が突っ込んでいくと、降りようとする人は避け、乗ろうとして並んでいた人もとがめなかった……。正確にいえば、悲哀ではなく不安になったのだ。 あるとき、私は乗ろうとした車両に1つしか席が空いていないのを発見した。しかし、ホームは長蛇の列だ。ドアが開き、いつものように突入しようとしたところ、なんと、もう1人並ばないやつが現れた。その上、列の先頭に並んでいた乗客は動きもしない。ついに“ライバル”が現れたのだ!私は「遅れをとってなるものか」とばかりにすかさず突っ込んでいき、彼の動きが鈍いのに乗じて席を奪い取ることに成功した。 席についてふと顔を上げると、私ははっとした。その“ライバル”はなんと、足元のおぼつかない老人だったのだ。おそらく私の祖父くらいの年であろう老人は、震える手で吊り革をつかんでいた。車内のほかの乗客全員の視線を感じた。私はゆっくりと立ち上がると老人のもとへ行き、支えながら席に座らせた。老人は私に何度も礼を言ったが、私は逃げるように別の車両に移動した。それから私は、きちんと列に並んで乗車するようになった。【記事その2】日本旅行で“素養”身に付けた中国人、帰国後「頭がおかしい」と思われる―中国ネットユーザー7日、日本を旅行したある中国人が、帰国後、周りから奇異な目で見られた体験を、自身のブログにつづった。2014年2月7日、日本を旅行したある中国人女性が、帰国後、周りから奇異な目で見られた体験を、自身のブログにつづった。以下はその概要。メイドカフェのメッカと言われる秋葉原を訪れると、路上にたくさんのメイド姿の女の子がいた。それぞれのメイド服はみなデザインが違い、色鮮やかで目移りしてしまう。来る前に、自由に写真を撮っていいと聞いていたのだが、撮ろうとするとみな避けたり、顔を押さえたりした……残念。夜の居酒屋は、ほとんどが仕事を終えたサラリーマンだった。私はこれを見て、以前聞いた話を思い出した。日本の男性は仕事が終わってもまっすぐ家に帰らない。もし仕事が終わって、まっすぐ家に帰ろうものなら、奥さんに「社交性がない」とバカにされる。だから、彼らは居酒屋で同僚と酒を飲み、千鳥足で帰宅する。これでこそ、奥さんは「できる男だ」と思うのだという。中国人の間で、「結婚するなら日本人女性」と言われる理由の1つはこれかもしれない。中国で生活していると、信号はあって無いようなものだ。誰も気にしたりはせず、車が来ていなければ道を渡るし、来ていてもその間を縫うように渡る。しかし、ここでは違う。たとえ車が来ておらず、渡ろうとする道がどんなに狭くても、赤信号であれば渡る人はいない。これぞ素養というものだ。私ももちろんこれに倣った。6日後、中国に戻った私は、交通量の少ない場所で日本にいたときと同じように信号待ちをしていた。すると、1人のおじいさんが私の目の前で、赤信号を無視して道を渡り始めた。おじいさんはしばらく進んで振り返ると、いぶかしげな顔で私を見た。おそらく、「頭がおかしい」と思ったのだろう。この2つの記事を読んで、やはり環境ってすごく2国の国民性に影響を与えているんだなぁとしみじみ思うとともに、中国人も日本人も同じ人間だよ(あたりまえか)って強く思いました。
2014年08月17日
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耳掃除って皆さんしていますか?あたりまえでしょう、ちゃんとしていますよ~と返事が聞こえそうです。でも、本当に耳掃除って必要なのでしょうか?先日ネットを徘徊していると、「これを読めば、あなたはもう耳掃除をしたいとは思わないはずだ」という記事を見つけましたので紹介します。質問 耳掃除には綿棒を使わない方がよい、というのは本当?答え そう最初に言ったのがお母さんであれ、お婆さんであれ、それは正しい。とはいえ、何もせずにしばらく放っておいた耳でも掃除する必要はない、ということを理解するには、そもそもなぜ耳垢があるのか、を知る必要がある。あのベタベタした気持ち悪いカス(人によってはさらさらしていますが・・・・)は、医学用語では耳垢と書いて「じこう」と呼ぶのだが、実際は耳の保護のためにある。(→→→なんと知りませんでした)「耳垢の本当の目的は外耳道を清潔に保つことなのです」と、アメリカ耳鼻咽喉科頭頸部外科学会(AAO-HNSF) 聴力委員会会長でシアトルの スウェーデン神経科学研究所の所長でもあるダグラス・バッコウス医学博士は言う。耳垢は埃と汚れから鼓膜を守るだけでなく、抗菌性もあり表面を潤すという特典までもたらしている。さらに、耳には自浄作用がある。身体の不思議の一つだ! 耳垢が乾いたら、ご飯を食べたり、友だちとおしゃべりしたりして顎を動かす度にその古い耳垢が顎の動きによって外耳道から外に出ていくのである(耳垢がエスカレーターに乗っているようなものだ、とバッコウス博士は言う)。問題になるのは、私たちが生まれた時から備わっている身体のシステムよりも良いと考えて、耳垢たっぷりの耳を綿棒で突き回す時である。綿棒が十分小さいのは確かだが、実際は綿棒は耳垢を耳の中に深く押し込んでいるのである(エスカレーターから押し出した後だ)。そして博士曰く、押し込まれた耳垢は耳の自浄作用を備えていない部分にこびり付いてしまう。そこにこびり付いた耳垢は外耳に溜まった真菌や細菌、ウイルスも一緒に運んでくるので、痛みや感染症に繋がる可能性がある、と博士は言う。耳垢を深く内部に押し込んで外耳道を詰まらせる場合もあり、結果として聴力を失うこともある。耳垢をさらに深く押し込んだ場合には、鼓膜が破れることもある。AAO-HNSF によれば、毎年約1千2百万人のアメリカ人が「耳垢が溜まりすぎている」と思い込んで、自分は耳垢の問題を抱えているのだ、と医者に訴える。そういった検診を受けると、医療専門家(その辺のサロンにいるイヤーキャンドル[耳にロウソクをさして耳垢を取るリラクゼーション]の専門家ではなく)が年におよそ8百万の耳垢を除去する処置をしたという結果になる。医療専門家にやってもらうにしても、耳が詰まっているなと感じた場合や、恐らくロウそのものが蓄積したせいで聴力が変化したのではと気が付いた場合にのみ耳かきをすれば、本当にそれで十分なのである。AAO-HNSF は綿棒を耳に差し込む問題を重要視するあまり、耳垢除去に関する公式の意見書を医者と患者の両方に向けて発表したほどである。さらには、綿棒の最も有名なブランドですら、そのウェブサイトで自社製品を使用する際のアドバイスとして「外耳道に入れることなく外耳周辺に使ってください」と表示している。以上をお読みになりどんな感想でしょうか?そうそう、嫌そうな顔をしているね。何を考えているか分かるよ。耳掃除しないなんて無理、と言うんだよね。それは自分で「痒いから掻く」悪循環を作ってしまっているからにすぎない、とバッコウス博士はさらに言っています。耳の皮膚をこすればこするほどヒスタミンが放出され、それによって皮膚が刺激され、炎症を起こす。蚊に刺された所を掻けば掻くほどそこが痒くなるのと同じことだ。さらに、耳垢には皮膚の表面を潤す働きがあるので、それを取り除くと耳がより乾燥したりして、乾きを軽減しようと勘違いしてあなたは繰り返し耳に綿棒を突っ込んでしまう。どうしても耳を放っておけない人のために、バッコウス博士は自宅でできるちょっとした洗浄方法をお勧めしている。白酢を1、消毒用アルコールを1、水道水を1の割合で体温と同じ位の温度に混ぜたものを両耳にそれぞれ2、3滴ずつ垂らせばよい。(温度が高すぎたり低すぎると目まいを感じるかもしれない、とは博士は注意する)だが肝心なことは?「耳に何かを入れていいことなんてありませんよ」と博士は言う。
2014年08月16日
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会議は煮詰まると結論がでるもの?煮詰まる「この会議での議論もすでに5時間に及び、議論が煮詰まってしまい、発言する者も少なくなってしまった」「今日は一日中仕事だったのだけれど、煮詰まってしまったので外を散歩して気分転換して来るね~」・・・このような使い方に対して違和感がないあなたはこの慣用句の本来の使い方を理解していません。「煮詰まる」を「(議論が行き詰まってしまって)結論が出せない状態になること」、あるいは、「行き詰まった、壁にぶつかったというネガティブな意味」で使用することが多いのではないでしょうか?でも本来の意味は、「議論や意見が十分に出尽くして)結論の出る状態になること」です。たとえば「3時間に及ぶ会議の結果、計画は煮詰まった」と書いた場合、これは十分な議論の結果、ほぼ結論が出た(出る)状態にあることをいいます。長時間議論したけれども進展が見られない状態に陥ったというわけではありません。悩ましいのは「煮詰まる」というこの言葉。ある調査によると半分近くの人が「行き詰まった」という誤用の意味で解釈しており、実際に広辞苑など最近の辞書では「行き詰まる」という意味で使われているというケース紹介もされているということです。つまり、正しい意味で使っても誤って使っても、本来の意味で相手に通じない可能性があるということですね。無難な言い換え表現として「会議の結果、皆の納得する結論に至った」というような言葉を覚えておくといいかもしれません。さわり「物語のさわり部分だけでも教えてよ~」・・・このような使い方に対して違和感がないあなたはこの慣用句の本来の使い方を理解していません。誤用の代表例は「さわり」を「話などの最初の部分のこと」という意味で理解して使う例です。本来は、「さわり」は「話などの要点のこと」を指します。「広辞苑 第6版」(平成20年 岩波書店) によれば、 さわり【触り】 (1)さわること。手でふれること。また,触れた感じ。 (2) ア (他の節にさわっている意)義太夫節の中に他の音曲の旋律を取り入れた箇所。曲中で目立つ箇所になる。 イ 転じて,邦楽の各曲中の最大の聞かせ所。「くどき」の部分を指すことが多い。 ウ さらに転じて,一般的に話や物語などの要点,または,最も興味を引く部分。「-だけ聞かせる」となっています。このように,「さわり」は,元々,義太夫節の「聞かせどころ」「聞きどころ」に当たる言葉でした。それが,一般的な音楽や物語,話や文章などにも使われるようになったのです。ですから,「話のさわりだけ聞いた。」「曲のさわりを演奏してください。」などと言う場合の「さわり」は,その話の最も重要な点や感動的で印象深いところ,曲の最大の聞かせどころなどを指すことになるのです。すべからく 「学生はすべからく学業を第一とすべきだ。」と、書かれていた場合、あなたはどういう意味にとれますか?(1)学生は全員学業を第一にすべきだ(2)学生は当然学業を第一にすべきだすべからく、という音が「すべて」に似ていることから、(1)の意味とトル方が多いように感じます。本来は(2)の意味で、「当然,是非とも」という意味が本来のものです。「大辞林 第3版」(平成18年・三省堂)によれば、以下のような記載がされています。すべからく【須く】(副) 〔漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の約。下に「べし」が来ることが多い〕ぜひともしなければならないという意を表す。当然。「学生は―勉強すべし」〔古くは「すべからくは」の形でも用いられた。近年「参加ランナーはすべからく完走した」などと,「すべて」の意味で用いる場合があるが,誤り〕しかし、平成22年度に行われた文化庁の調査によれば、「すべて」という意味で理解している方が38.5パーセントで、「当然」という本来の意味で理解している人が41.2パーセントと拮抗していることがわかりました。皆が誤用してそれが当たり前になってくると、今度は誤用が誤用ではなくなり本来の意味に転じるのが生きた言語ですから、この「すべからく」についてはどちらも正解と言っていいかもしれません。
2014年08月15日
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バウリンガルとかニャウリンガルという商品があったと思いますが、車・バイク好きにとっても興味がそそられそうなアプリを見つけちゃいました。 それは、「エンジンの気持ちも考えて。ヤマハのRevTranslator」というアプリです。 世界初。 もちろんそうでしょう。こんなの考えるの日本人だけですって、きっと。 それも、バイクなどで有名なヤマハが、アプリを公開しています。 エンジンの気持ち???を教えてくれるっていうのは斬新です。 使い方はアプリを起動して、エンジン音を聞かせるだけ。 ヤマハというと、なんとなくバイクエンジン専用のアプリかなと考えてしまいますが、特にそういうわけでもなさそうです。 車好きの人は車のエンジン音とコミュニケーションをとるのに使ってもいいと思います。農業に従事している人は、農機具のエンジン音を聞かせてみたらまた面白いかもしれません。そのときに「走りに行こう」と出たら笑ってしまいそうです…。 エンジン音のどういうところを基準に気持ちを翻訳しているんでしょうね。 元気がないエンジンなどはなにか特有の音域の音が出ていたりするのでしょうか。 RevTranslatorはエンターテイメントアプリなので故障を見分けるといった機能はありませんが、将来そういうガジェットが出てきても不思議じゃないです。 ちなみに、RevTranslatorはiOS/Androidアプリで、それぞれストアから無料でダウンロードできますよ。 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.yamaha_motor.revtranslator&hl=ja
2014年08月14日
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うちのリード125は標準ではハロゲンタイプのヘッドライトがついています。この明りに少し不安があったため、HIDかLEDに変更しようと、すったもんだ検討を重ね、結果としてLEDに変更したことは依然、この場でお伝えしました。今回は、このリード125のヘッドライトのLED化からしばらく時間がたちましたので、今まで使ってみた感想を記載したいと思います。まずは標準との違いから良かった点をあげます。(1)夜間、明るい!これは間違いなくLEDのほうが明るいです。ルーメンだとかカンデラだとか明るさについては様々尺度がありますが、感覚的に数倍明るいって気がします。夜の道路で防犯灯、街灯や街路灯がない道路って都会では少ないのですが、それでも街路灯の間隔が比較的長いところも存在しています。そういう道路を走ってみるとLEDのありがたみが良くわかります。(2)昼間も、明るい!夜間明るいというのはすなわち、昼間も明るいということです。当たり前ですが。でも、昼間明るいって本当は重要なことなんだと思っています。バイクは小さく、相手から視認されにくいのです。だから昼間も常時ライトオンとなっていますが、この時に白いLEDの光の強さが非常に役立ちます。とにかく目立ちます!目立つということは相手から視認されやすい、すなわち事故になりにくいという図式となります。特にこの白い色の光がいいです。ハロゲンの黄色っぽい光に比べ、昼間の明るさに紛れにくいです。あのLEDの白い光は如何にも人工物的で自然光にはない光です。それが、非常に目立つ原因にもなっていると思います。(3)消費電力の少なさリード125の純正ハロゲンバルブは35Wの消費電力です。一方私の使っているLEDヘッドライトは25W.10Wもの差があります。まだ、買ってそんなにたっていませんので、バッテリーは元気そのものですが、やはりバイクのバッテリーは小さいですし、発動能力もそれなりです。従って、バッテリーの負荷等を考えるとやはり安心して電力を使えるこの10Wの差が非常に安心感を与えてくれます。(4)長寿命LEDバルブは適正に使う限り非常に長寿命です。私の使っているバルブは公式上30,000時間だったか50,000時間だったか忘れてしまいましたが、それぐらいの長寿命をうたっています。仮に30,000時間だとして、1日8時間バイクに乗り、その間ずっと点灯させたとしても10年間使用し続けても切れることはない計算です。多分、エンジンとかその他の部分での故障がないかぎりこのバルブを交換する必要はないはずです。続いて、これはちょっとという点をいくつかあげます。(1)配光が純正と異なる。LEDは指向性が強いランプです。したがって、あえて、さまざまに広がる(拡散する)光を作る工夫がしてあります。ご自宅でLEDの電球とかを使っている方がいればお気づきと思いますが、あえて光が四方八方に分散させる工夫があるのです。たぶんこの指向性の強さが原因だと思いますが、LEDヘッドライトはハロゲンヘッドライトと比べて配光特性が違います。ハロゲンバルブの光を前提に作られているヘッドライトの反射板(リフレクタ)にこのLEDランプを組み込むと微妙に前方への光の出方が異なるため、行ってほしいところに光がいかず、行かなくて良いところに光が行くことがあります。よく、LEDヘッドライトに替えた方の感想に「カットラインがでない」という表現がありますが、これがその特性の違いによる配光の差が出ている部分だと思われます。私のリード125でも微妙に配光に違いがでます。したがって、LEDバルブに交換した直後は下向きのライトでもどの程度まで光軸を調整すべきか、試行錯誤をしました。いまでは、決まっていますが、この試行錯誤が面倒だと思います。(2)冷却用ファンの音よく、ハロゲンやHIDは熱対策が必要だけれどもLEDはダイオードが発光しているのだから熱は出ない・・・というような表現をみかけます。これは、ウソです。結構熱が出ます。また、熱が出るが故に、熱対策が必要です。熱対策をしないと、光の量が減ります。発光ダイオードが壊れます。私の使っているLEDはこの熱対策の為にフィンが切られていて、その上、冷却用のファンがついています。走行中は全然気になりませんが、停車するとそれなりに音がするのがわかります。うるさいって言うほどではないのですが、やはり、エンジン音以外にブーンという音がします。LEDライトの種類というか、製品によっては、この冷却用のファンの音が半端ないものがあるようです。(3)値段LEDヘッドライトは良いですが、やはり純正ハロゲンバルブに比べるとやはり高いです。私が購入したバルブは1灯ですが、10,000円を切りましたがそれでも純正ハロゲンの数倍~10倍近い値段となります。もう少し値段がこなれるまであと何年かかるかなぁ、と考えつつ、それまでの安全を買うというつもりでこのLEDバルブを購入しました。総合的判断いまのところ、LED化は成功だと思います。費用的にはちょっと負担感がありますが、安全確保、夜間走行のしやすさ、そしてバッテリーへの負担減、長寿命による安心感など様々な点において「替えてよかった」と思います。
2014年08月11日
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ダイエットを続けていても、何かのきっかけでやめてしまうというのはよくある話。しかし、そんなことをしているからダイエットができないというのもまた現実。そしてまた振り出しに戻り、リバウンドし、後悔して再開するものの長続きせず……という負のスパイラルへ。というわけで「ダイエットを続けるための5つのコツ」というものを見つけたので紹介しておきます。もしかすると成功するようになるかも。1.自分にちゃんと時間を与える日々の生活習慣といったものはいわゆるルーチンワークであり、その中に運動する時間を組み込め、というもの。とにかく絶対に毎日30分間、何があっても絶対に運動するための時間を確保して続けていけ、と。というのも日々の同じ生活の中にそもそも運動する時間が組み込まれていないのがダイエット失敗のもとであり、「絶対に自分のためだけに費やす時間」というものを確保していないから失敗する、という理屈らしい。2.太ったときに着ているその服を始末しろ現時点で太っている場合は来ている服自体がそういう自分の体型を隠すような服ばかりであるはずなので、現実から目を背けずにそういう太っている用の服を着るのはやめろ、と。そのためにもダイエットから撤退できないように自分の体型を隠すような服はタンスにしまってテープでも貼って出せないようにしておけ、ということ。3.魅力的なご褒美を自分に用意するダイエットして体重を落とすことに成功した際に自分に与えるごほうびについて、つまらないちょっとしたごほうびといったものではなく、もっとレベルが上のもの、例えば大型テレビを買うであるとか、新しいダイニングセットを揃えるであるとか、とにかく実際にやる気が出るだけの魅力的な見返りを用意しておくこと、だそうです。4.一人では続かないから、みんなでやる友人や隣人、仕事仲間、同じように体重を落とす必要がある家族などを巻き込み、なおかつ相互にダイエットの状態を見張り続けるような協定を結べ、ということ。オンラインの自分のプロフィールに自分の正直な体重を掲載しておくというのも有効な方法だそうです。5.鏡の前に立て何もかも失敗したときには全裸で等身大の鏡の前に立ち、正面から横、さらには全身をぐるりと鏡で見るべきだそうです。少なくとも1週間に1回か2回はこのようにしてあらゆる角度で自分の裸の状態をチェックすることで、モチベーションが保てるらしい。
2014年08月10日
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1.ヤマ意味:メニュー商品が品切れになった事。使い方:「豆腐ヤマったから誰か買ってきて!」この用語の由来は、「ヤマほど売れて売り切れた」からだとか、山の頂上には何もないからではないかなどと諸説あります。1つの商品が1日に予想以上に注文されると起こる現象で、あまりに多いと発注担当者が叱られます。2.借り物意味:近隣店舗に足りない食材や商品を借りる事使い方:「チリソース切らしてるから○○店に借り物してきて!」この用語の由来は「借りてこなければいけない物を借りてくる」で、その文章を短縮しただけです。朝、お店を開けた時に足りない食材や商品に気付き、使われる事が多いです。3.リセット意味:お客様の帰ったテーブルを元通りに片付ける事。使い方:「3番卓、次のお客様来る前にリセットしておいて!」この用語の由来は、言葉そのまま「元に戻す、ゼロの状態にする」を英語にしただけです。1日にリセットした数が覚え切れないほど忙しいと働きがいがあります。4.ラウンド意味:手が空いた時にお客様のテーブルを回りサービスをする事使い方:「手が空いてるなら全卓ラウンドしてきて!」この用語の由来は、「回ってサービスする事」を意味するラウンドサービスという言葉を短縮したものです。ラウンドをしないとお客様のテーブルが空いたグラスやお皿でいっぱいになって窮屈になってしまいます。5.ワンモア意味:お客様のテーブルを回りお代わりの品の注文を取ってくる事使い方:「2番卓のお客様、グラス空いてるからワンモアしてきて!」この用語の由来は、「もう一回注文お願いします!」を英訳したワンモアプリーズの短縮系です。ワンモア成功率の高い人は接客のレベルも高いです。6.チップ意味:お客様に出したグラスや皿が欠けていた事使い方:「チップを出さないように、商品提供者はよくチェックしてから運んでください」この用語の由来は、「欠ける」を英訳したものです。「お客様からチップをもらった」のチップとは意味が違うので気をつけてください。7.ライン意味:その日のシフトに入っている人数を表す時に使う言葉使い方:「今日、○○ちゃん来られないからライン1本減るけど頑張ろう!」この用語の由来は、「線」を英訳したものです。居酒屋業界では従業員の人数を1本2本というふうに数えます。8.兄貴・弟意味:食材の消費期限が早い方が兄貴で遅い方が弟使い方:「ちゃんと兄貴から使ってね」この用語の由来は、消費期限が早い方が先に生まれたから兄貴、消費期限が遅い方は後から生まれたから弟という考え方です。ちゃんと兄貴から使わないと、消費期限の切れた兄貴が廃棄される事になってしまい、可哀想です。9.コケる意味:バイトが当日に事故や病気で来られなくなる事使い方:「○○コケたから今日は大変だー」この用語の由来は、当日欠勤を「転んでコケたから」と可愛く表現したものだと思われます。当日欠勤はお店に大変迷惑がかかりますので、コケないように気をつけましょう。10.ショッカー意味:覆面調査員の事使い方:「○月×日、ショッカーが入店してたらしい…」この用語の由来は、覆面調査の事をミステリーショッパーと言うのですが、そのショッパーが何故かショッカーになってしまった事から来ています。
2014年08月08日
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中国と韓国が日本の過去悪を題材にし、日本に精神的な攻撃を仕掛けてくる。慰安婦など米国の歴史に全く関係のないことなのに、その銅像を米本土に建立する行為など日本人にとって理解しがたいことだ。しかし、ここではこれらの行為は、いったい何のためかについては議論しないでおこうと思う。でも、この過去悪、(一応その存否もまた議論しないでおく)この中では、「あったこととする」が、この過去悪をなぜ戦後70年にもなる今もはやし立てるのか、普通の感覚の日本人には理解に苦しんでいることについて、ちょっと自分なりの感想をここで述べてみようと思う。今の中国・韓国人の大半は、この戦中の日本の過去悪に直接被害を受けたことなどないはずだ。そして、日本人の大半も、この過去悪に手を染めたこともないはずだ。大体、人口のほとんどが既に戦後生まれであって、第二次大戦そのものを実体験として知らないのだから。中国人、韓国人ともにどういう教育を受けているのかはさておいて、論理的に理知的にちょっと冷静に考えてもらえれば日本人を恨む必然性などないと感じてもらえると思うのだが。もちろん、直接的な恨みの対象はすでに亡くなっても、その間接的な恨みがある、と言う方もいるだろう。でも、その間接的な恨みが、日本人を襲ったり、日本人を罵ったり、日本のお店を襲撃したり、日本車を破壊したりする正当な理由になるはずもない。いやいや、恨みは消えない、千年たっても消えないと某政治家は言ったとか言わないとかという事だが、中国人、韓国人の方々は、今までの千年の歴史の中で日本人以外からの攻撃を受けたことも多々あったはず。なぜ日本人だけこの千年の歴史での恨みを晴らそうとするのか?そもそも、自分たちも多くの国々や民族に対して千年の歴史の中では多くの攻撃、損害を与えたではないか?そんなことを冷静に考えれば今の状態が異常なことだと考え付かないのだろうかと、ここ数年とても強く感じている。様々な教育、国家による宣伝、あるいは日々のテレビ番組などでの実質的な洗脳などの影響が大ということなのだろうか。つまりは、例えが良くないかもしれないが、洗脳状態なのか?などと考えることもあるが、今の中国や韓国では一方的な情報だけではなく、断片的にでも様々な情報は入手できるではないか?そんな環境下では「洗脳を受けたので、日本を恨んでいる」というような理屈は成り立たないと思う。このように考えると、今の中国人や韓国人が日本を攻撃的に見るのは一種の社会的風潮、あるいは集団ヒステリーと言えるような状況にあるのかもしれないとも思えてくる。仮にこの状況であるとすれば、今の両国の状況が説明しやすくなる。集団ヒステリーは若い人や女性に起こりやすいからだ。中国における、先般の日本車・日本人・日本の店への攻撃などすべて若い世代の仕業であった。そして、韓国ではどうか?韓国では先般の中国のような攻撃は起きていないが、韓国は非常に日本の村社会に似た雰囲気があると私は思う。村社会の特徴として、異を唱える者・倣わない者に対しては本人や肉親、更にその者に関わった者まで異端者扱いし、差別を行なうことがある。まさに、現在の韓国はこの症状を呈していると感じる。発言に「親日的」と取れるものが少しでも混じっていれば、非国民として排斥され、親日的な発言ではなくても親日とのレッテルを張られてしまえばもはや弁解しても誰も認めない。認めれば、自分もその親日のレッテルを貼られてしまうだけだからだ。本音では別なことを考えていても表立っては発言できない。これは、戦時中の日本の様だ。日本は勝つに決まっているとの前提で負け戦も転戦したことに、大敗しても小規模な損害に書き換えられ、そして誰もその本当のことについて公で発言することができなかった。発言すれば「非国民」として排斥、攻撃されるからだ。今の韓国では首相候補者が次々とこのレッテルを張られておろされていく。社会的に抹殺されていく、こんな状況、事実と以上の私の考えが何となくシンクロして、やっぱりそうだろうというような感想を持ってしまう。物理的な事実は1つしか存在しない。数学で1+1が2となる事は誰もが同じ理解をし誰も異論をとなえる余地はない。しかし、歴史や考え方、物事の捉え方は百人百様で、見る視点、時点、教養、経験など様々な要因により、得られる結論が異なるのは、言論自由の世界では当たりまえのことだ。国民すべてが同じ思いを持ち、同じ方向に走り、同じ恨みを持つなどあり得ない。いや、過去にあった、それは戦中の日本だし、ドイツだった。ファシズムによる扇動が他の方向や他の結論を封じ込めただけだが、結果が今の中国や韓国に似ているように感じるのは私だけか?はやく、この集団ヒステリーからこの2国が解放され、住みやすい世界が戻ってくることを強く望んでいる。
2014年08月06日
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五十歩百歩について今日のネタは「五十歩百歩」です。意味は、五十歩百歩とは、わずかな違いだけで、本質的には変わらないことのたとえだそうです。この故事成語は私は確か小学生の頃に覚えた気がしたのですが、その時は50歩と100歩じゃ2倍も違うのに、なぜ、「大して変わらないこと」を指すのか?って疑問を持ていました。まぁ、その当時はとにかく覚えちゃうことが大切でしたから、疑問はそのままで、覚えてしまいましたが・・・。でも、最近何かで読んだ物のかなにちゃんとその語源が載っていて、なるほどなるほどと得心したのでここに、披露します。もう、ご存知かもしれませんが・・・・。中国の戦国時代に、梁の恵王が「自分は、凶作の地にいる民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているのに、なぜ各地から人民が集まらないのだろうかと孟子に尋ねたところ、孟子は「戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病者だと嘲笑したら、どう思うかというたとえ話をした。「逃げ出したことには変わりないのだから同じだ」と答えた恵王に、孟子は「その道理がわかっておられるなら、人民の数が他国より多くなることなど望まないことだ(人民が苦しむのを凶作のせいにしていては、他国の政治と大差はない)」と言ったという故事に基づく。同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさをいう。「五十歩を以て(もって)百歩を笑う」とも。昔の偉人は本当に頭がよかったのですね。ではでは。
2014年08月04日
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リード125はシート下に巨大なトランクスペースを持っています。これは非常に便利なのですが、エンジンの熱が結構こもるので食品などを積み込むときはちょっと気を遣います。もう少し、断熱をしてあればいいのですが、実際はほんのり暖かくとは言えないほどの熱を持つのが現状です。そこで、熱対策を何かできないかと考えていたのですが、とりあえず、100円ショップをうろついて考えていると、風呂とかに使う断熱シートが売っていましたのでこれを敷き詰めてみようと思いました。この断熱シートは車の熱遮断のため、フロントガラスとかに置くシートよりも薄手のモノです。いらない包装紙とかを使って型紙をとり、これに沿って切り取ってみました。一枚だと頼りない気がするので2枚同じモノを作って重ねて設置しました。効果のほどはどうかはまだ、わかりませんが、何となく効果がありそうです。とりあえずお試しなので、養生テープにて仮取り付け状態でちょっとカッコワルイですが、効果があればそのまま接着する予定です。
2014年08月02日
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