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2007.01.06
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カテゴリ: I write
(二)不幸中の幸い
人身事故を起こした電車を降り、線路を歩いて
次の駅まで歩く途中、男は、先頭車両の左の先に白い布を
見つけた。
「何だろう」
と思った刹那、〈人身事故〉という車内アナウンスを
思い出し、白い布の下に遺体があるという想像が、
男の脳裏をかすめた。
慌てて目を背けようとしたとき、一陣の風が吹き抜けた。

男は、目を背けようとしていたにもかかわらず、遺体を
凝視してしまった。男性だった。中年男性だったが、
衣服は身に着けていないようだった。それでも、パンツは
履いているようだった。コートの要る季節に、パンツのみで
街を歩いていたとは考え難かった。以前、レールと車輪に
挟まったものはすべてはぎ取られるというようなことを
聞いたことがあった。衣服は車輪がはぎ取ったのだろう。
それはやり過ごせたが、どうしても見過ごせないものが
あった。遺体の顔が血みどろだったことだ。
瞬時に目を背けたが、残像が鮮明に残った。青白い遺体に
真っ赤な鮮血……、男にとって、余りにも衝撃的な

男はようやく一つ先の駅に到着した。しかし、乗り換え駅は
さらに一つ先である。駅員に聞いても、運転再開のメドは
立たないということだった。時計を見た。通常より30分近く
遅れている。いますぐにでも、会社に電話を入れなければ、
と携帯電話を手に取った。しかし、何度発信しても、

男の周辺からの発信が集中しているのだろう。

男は携帯での連絡を諦めて、公衆電話を探した。予想以上に
電話待ちの列ができていた。しかし、連絡の手段はこれしか
ないと、列に並んだ。結局、男に順番が回ってきたのは、
20分後だった。しかも、電話に出た上司の課長は、
「きょうは、部長に対する四半期の目標の社内プレゼン
だろう。事故による延着とは伝えておくが、心証には
責任は持てんぞ」
と言う。確かに、部長に、社内プレゼンに怖じ気づいたと
思われる可能性もなくはなく、延着の理由を知ったとしても、
平社員に対して一度持ってしまった心証を翻すのは大変だ
ということも理解できる。ところが、男にはラッキーだった。
男はすっかり、社内プレゼンのことを忘れていた。朝から
どうも気分が悪いと感じていたのは意識外にあったが、
社内プレゼンのせいかもしれないと思った。部長に提示できる
ほどの資料も企画書もできていない。もしかしたら、
この事故がいい口実になるかもしれないと思った。
男はとっさに思いついた。事故による急ブレーキで、体に
何らかの影響があったと言えば、会社に行かなくて済む
かもしれない。
「何とか出社しようと、次の駅まで歩いてきましたが、
急ブレーキのときにどうにかなったのか、どうも
気分が思わしくありません。後で後遺症のようなものが
出るといけませんので、このまま病院に行きます」
男は、我ながらうまい言い訳ができたと思った。
「そうか、それはいけない。保障問題にもかかわるから、
検査してもらいなさい」
男は「助かった」と思った。むち打ちなどというのは
外からわかるものではないし、といって、保障しなくても
いいというものでもない。とりあえず申告して、病院に
連れて行ってもらおうと思った。そうすれば、半日以上が
フイになり、社内プレゼンも先送りされ、もしかしたら、
保障金が出るかもしれない。どこも悪くはないが、金が
出るなら病院通いしてもいいし、幾ばくかの金で示談に
持ち込んでもいい。この機会に、体の隅々まで検査して
もらい、健康への道を歩み始めるのもいいと思えた。朝から
気分が悪かったが、これは不幸中の幸いだと思えた。
一石何鳥もあるように思えたのだ。
早速駅員に申告した。
「急ブレーキの影響か、どうも気分が悪い。首か背中に
異常があるのではないかと思う」
「そうですか、それはいけません。救急車を呼びますので、
しばらくお待ちください」

救急車を待つ間、男はほっとしていた。朝からずっと
悪かった気分も少し癒えた。会社に行かなくてもいい
という事実と、病院で休むことができ、朝の睡眠不足がわずか
でも解消できるのではないか、という期待があったからだ。
部長や課長の顔も脳裏をよぎったが、それよりも、
朝から悪かった気分がすっかり解消されていることが
うれしく、血まみれの主には申し訳なく思いながらも、
事故に遭遇したことがこの上なくラッキーだと思えた。

間もなく起こるアンラッキーなことどもを想像する
すべもなく、ただ、安堵の表情を浮かべる男だった。
                       〈つづく〉






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Last updated  2007.01.07 10:07:47
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