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先日、10数年前に勤務していた病院の産婦人科部長が定年を迎えられたということで記念祝賀会がありました。非常にお世話になった先生でしたから、昔のお礼とねぎらいの言葉をかけるべく少し遠方でしたが出席しました。なにせもう65才ですからね。いっしょに働いていた頃は50才ちょっとで、脂ののっておられた時期だったと思いますが、さすがに少しお疲れのご様子にもみえます。「先生、以前はお世話になりました。もう65才になられたんですね。しばらくゆっくり休みをお取りになって下さい。」「いやー、先生。まだ許してくれんのや。これからも週3回の外来と、週1回の当直はせんとあかんのや。新たに医師が来てくれるわけとちゃうし。今の常勤の先生が倒れてしもたらあかんからなー。」「えー?!週1回の当直?」ほんまに我が耳を疑います。この病院は、その地域の基幹病院で、出産はもちろんですが、救急患者もたくさん送られてきます。私も常勤当時月7~8回ほど当直していましたが、ほんまに殺されるかと思うほど忙しかった。そんな病院で65才の老体がまだ毎週当直をせざるを得ない現実・・・・桝添さんが、聞き取りと称してあちこちで話を聞いて、「産婦人科医不足は深刻だ。何とか早急に対策を立てる必要がある」とか言ってるけど、今頃になってそんなことを言ってるようじゃ何も期待できないんですよ。1人のしっかりした産婦人科医を育てるのには、医学部卒業後10年近くかかる。今からどんな対策を立てようが、その効果は10年も経たないと出てこない。「なんとかしなきゃ」ですぐにどうこうなるようなものでは無い。
2008.01.28
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具体的な認定法が示されないまま、フィブリノゲン製剤納入先のリストが厚労省から発表された。薬害によるC型肝炎患者一律救済は誰も反対するものでは無いが、そのような法律を通した以上、C型肝炎が薬害によるものかどうかをどのようにして認定するのか、リストに列挙された納入先医療機関にも提示されることが必須である。フィブリノゲン製剤が使用されていたのは20年も前のことであり、カルテが残っている例はむしろ例外的と言えるからだ。(法的なカルテの保存義務は5年間である)今の状態のままで、リストのみ公表し患者に医療機関に対する問い合わせを促すような方法では、カルテがない以上医療機関も何と答えてよいやらわからないのである。20年も経てば病院の医師、看護師等もほぼ全員入れ替わっているところも多く、記憶に頼るということもできない。医療機関のリストを挙げるのであれば、カルテの保存状況等を確認した上で患者と医療機関との間を橋渡しすべきでは無いか。名前だけ挙げて、あとは知らんでは無責任すぎる。厚労省が無責任なのは今に始まったことではないが。産科でいえば、本人がもっている母子手帳のみが頼りだが、そこには分娩時の出血量ぐらいしか記載はなく、フィブリノゲンの使用や輸血の有無については元々記載されるようなものでは無い。C型肝炎患者全体から見ると、母子感染(母親から受け継いだ感染)、輸血によるもの、なども多数あり、薬害が原因となっているものは全体の一部である。薬害以外が原因であれば国としては救済しないということになるのだろうが、薬害か否かの認定がほぼ不可能な状況の患者の方が多いものと思われる。現にうちの病院にもすでに何件も問い合わせがあったり、実際に病院に来られる方もいるが、カルテが無い状態では何とも答えようが無いのである。もちろん私も当時勤務はしていない。「母子手帳を見るとかなり出血されたようですから、フィブリノゲンを使った可能性はあるかもしれませんね。」という程度しか言いようが無い。あいまいな言い方にならざるを得ないのだが、こちらが何か隠しているように勘ぐる患者もいる。使用年月日、使用製剤、使用量などを記載する用紙(これはおそらく大阪の肝炎訴訟の弁護団体からFAXで入手したものらしい)を持ってこられて、「これに記入してくれ」などと言われても、実際のところ記入しようが無い。しかし「一律救済」とアナウンスした時点でこのようなことは充分に予想された事態なのである。どうやって認定していくのか?までを考えた上で立法化すべきだったのでは無いか。状況証拠だけで良いのなら、それなりにこちらも対応できるだろう。また、誰も好きこのんで病気になっているわけではないのに、同じ病気で補償される人間とそうでない人間が出ることに問題は無いかといった議論もあるだろう。宙に浮いた年金問題と同じで、あとのことまで考えずに約束をしてもらっては現場が困るのである。
2008.01.21
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ストレスが原因なのはよくわかっているが、どうも胃の調子が悪い。ここ2ヶ月で体重が5キロも減ったし・・・・・てなわけで平日の休みを利用して胃腸科で診察を受けました。医者も患者の立場になればまさに「まな板の鯉」状態。診られる立場になると不安なもんです。やはりたまには患者になって患者の気持ちになることも必要かと痛感します。受診したのはベッド数200程度の中規模病院。内科、外科、精神科、眼科等一通り揃っている。産婦人科もあるのだが、ご多分に漏れず2年前から出産の取り扱いをやめている。それにしても日本の病院は患者数が多い。胃腸科の待ち合いの混み具合をみていると、どうも午前中だけで1人の医師が40人近くは診ている。ちなみ米国では医師一人当たりが1日の外来で診る患者数は10人程度。考えてみれば自分も午前中で40人ぐらいは診てるんだけどね。こうやって患者側から見ると今さらながらに、日本の医者ってよく働いているなあと人ごとのように感心する。当然待ち時間もあったんだけど、私の場合不思議と苦にならない。たまに診察を受けに来たときぐらいのんびり構えていようという気持ちでいるせいか、普段めったに読まない週刊誌などに手を伸ばして過ごしている。大体病院に診察に来るときぐらい、次にどこそこで何をするとかいう用事を作っておいてはいけないと思う。本当にそんなに大事な用事がみんなあるのか?「この後用事があるのにいつまで待たせるんだ?」という苦情はどこの病院でもあるんだろうけど、自分も他人に対して待ち時間を作っている原因の1人だという自覚がこういう人には無い。3時間待ちの3分診療などと揶揄されながらも、安い料金で気軽に診てもらえる日本型がいいか、日本の何倍もの料金を取られる代わりに待ち時間もなくゆっくり診察を受けられて、充分な説明を受けられる米国型がいいかは最終的に医療の受け手が決めるべきものだ。医師側から見れば当然米国型の方がいい。米国の医師の方が日本の医師の半分以下の仕事量で、収入は日本の医師の2~3倍である。そのかわり米国の医師は常に訴えられて高額の損害賠償を請求されるというリスクを負っていたわけだが、最近は日本の医師も訴えられるリスクだけは米国なみになってしまった。結果としてハイリスクローリターンというのが今の日本の医師の現状だ。ここに医療崩壊の原因の一つがある。けど患者側から見れば、あまりみな気づいていないと思うけど、絶対に日本型の方がいい。日本在住のアメリカ人の誰に聞いてもそういう。医療問題に関してなにかにつけ「アメリカではこうだが日本はこうだ」とアメリカを持ち出して日本を批判する評論家ははっきり言ってアホである。かかっているコストに雲泥の差があることを無視している。いつでも手頃な負担で貧富の差無く診てもらえる日本の健康保険制度はやはり大事にしなければと思う。などと考えながら待っていたら診察順が回ってきた。短い時間ながら丁寧に診察してもらい、その日のうちに午後から胃カメラも受けることができた。胃カメラは数年前に受けたとき死ぬほど苦しかったのだけど、今回はかなり強力な鎮静剤(ドルミカム)を静注してもらい、ほぼ寝ている状態で終わった。感謝。結果は大量のピロリ菌を伴う急性糜爛性胃炎ということで、どうやら悪性のものは無かったらしい。しかし1週間の禁酒を言い渡されてしまった。ピロリ菌除去の抗生物質と、胃酸分泌を抑制する薬などを2ヶ月分処方してもらい、トータルで1万5千円支払った。診察、胃カメラ検査、病理検査、内服薬、全て込みで1万5千円の自己負担。3割負担だから病院側に入るお金は約5万円程度。かかっている人手と技術を考えれば安いものだ。
2008.01.11
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アイオワ州で行われた党員集会で、民主党ではオバマ氏がヒラリー・クリントンを抜いて勝利した。続くニューハンプシャー州でもオバマ氏がヒラリー・クリントンを破る勢いだという。なんか以前このブログで書いたことが現実になるかもしれない予感。↓http://plaza.rakuten.co.jp/bbcozy/diary/200702180000/オバマ氏は開戦前から一貫してイラク戦争に反対していたわけだが、この人が大統領になった時、アメリカに媚を売ってイラク攻撃を支持した連中は何て言うつもりだろう?イラク戦争反対のデモに対して「あんなことは利敵行為だ」とテレビで罵っていた公明党の冬柴とか、「間違っていようが、ただアメリカ様について行けばいい」と言った岡崎久彦等々・・・・目先の利益のためだけに媚びへつらい、耳に痛い忠告など一切しないようなヤツは友達ではない。ただの太鼓持ちだ。もしオバマ氏が大統領になったらこいつらはどのツラ下げて「日米同盟をさらに強化し・・」などというのだろうか?「へっへっへ、旦那、うちら日本もイラク戦争には実は反対だったんですよ。ブッシュの手前しょうがなく支持表明しましたけどね。さすが旦那は最初からわかってなすったんですねー。これからもよろしゅうにお願いしまっせ、げへへ。」・・・こんな国がまともに相手にされるだろうか。
2008.01.07
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同窓会で印象深かったことがもう一つ。どのテーブルに座るのかはくじ引きで、たまたまI君の隣の席になりました。名前は覚えてたのですが、中学当時あまりよくしゃべった間柄では無かったし、どちらかと言えば彼は寡黙な感じでしたから、最初はどことなくぎこちない感じでした。しかし適当に酒がまわってきて話していると、意外にもI君は私のことを強烈に覚えていることがわかりました。私は高校に入ってからバンドを始めて、2年や3年の時には自分の高校はもちろん、授業をさぼっては他の高校の文化祭にもお邪魔して演奏していました。I君は私とちがう高校でしたが、我々がたまたまI君の高校に演奏しに行ったときに聴きに来てくれたらしく、それでかなり強い衝撃を受けたそうです。当時は我々もご多分に漏れず、ディープパープル、クリームなどをバカでかい音でやっていましたが、I君はそれまでその手の音楽を聴いたことが無くて、我々の演奏が気に入ったというより、あまりに違う世界を覗いてカルチャーショックを受けたのでしょう。感激のあまり、彼はそれからロックに入り浸ってしまい今に至っているとのことでした。今でもわれわれがボロボロの体育館のステージで演奏していた姿が目に焼き付いていると、熱く語ってくれました。想像もしなかったI君の言葉に驚きました。30年以上も経って、その感動を語ってくれたことが感動でした。
2008.01.05
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昨日、中学校の同窓会に出席しました。4年に1回、オリンピック開催年の正月に行うことになっています。幹事のみなさん、ご苦労様でした。C君のブログにも書かれています。この年になってあだ名で呼び合えるのは楽しいもんです。しかし50歳近くになると、同窓会の冒頭で訃報を聞くことが避けられなくなりますね。この4年の間に2人が亡くなっており、1人は病死、1人は事故死ということでした。次4年後に会う時は悲しい知らせは聞きたくないものです。(ヘタすれば自分がそうなるかもしれませんが。)いろいろグチを言いながらも、病気せず仕事している自分は幸運だとつくづく思います。一方中3当時の担任の先生が数人出席されていて、今も元気そうなのに驚きます。もう80歳近くだからねー。どの先生も私の顔をよく覚えていてくれて、「ほんまにお前はなー・・・・」と、しみじみと思い出されるようです。今から考えるとずいぶん迷惑をかけたものですが、先生方は辛抱強かったわ。本当にいよいよっていう時はどつかれたりもしたけど、いつも根気よく関わってくれたという気がします。やれ教育改革だなんだと言われていますが、基本的に人間同士の関わりが浅くなってきているところが問題なのかなと思ったりします。
2008.01.04
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新年明けましておめでとうございます。あっという間の2007年でしたが、幸い最後のしめくくりはライブで終わることができました。12月30日から31日の夜まで24時間勤務しているうちに、外はすっかり雪景色。車に降り積もった雪を必死でどけてライブ会場へ。「こんな雪の日に誰も来んやろなー」と思いきや、けっこうな数のお客さんが来てくれました。みなさん、ありがとうございました。ジャズのスタンダードナンバーを歌うバンドと、にぎやかしい我々ブルースバンドという2本立てで、結局我々がカウントダウンさせられることに・・・しかし例年のことながら、演奏しながらカウントダウンするのは大変というか、不可能に近いね。デジタル時計がよっぽど大きなディスプレイに表示されるとかしないと無理ですわ。一応お店の人と打ち合わせはしておいたものの、みごとに失敗して、カウントダウンに入る前に2008年になってしまいました。まあ、ご愛嬌ということで。やっぱり終わった後の打ち上げが面白いです。つーか年とってくるとそっちの方が楽しみでやってるところもあるかな。幸い緊急呼び出しも無く、明け方3時頃までみんなでわいわいと飲んで新年を迎えました。楽しく過ごせた時間に感謝しつつ。
2008.01.01
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