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先日、10ヶ月に入ったばかりの妊婦さんが、「ちょっと出血がある」と言って時間外に来院。痛みが無く平然と自分で歩いてきたんですが、どうも出血が多いので超音波検査を行ってみると明らかに常位胎盤早期剥離!大あわてで手術場のナースを呼び出して緊急帝王切開。すでに子宮内にはかなりの凝血塊がありましたが、幸い児は元気で母体もDICにならず事なきを得ました。この病気には痛い目にあっている産婦人科のドクターは多いと思います。私も、患者が来た時点ですでに子宮内で胎児が死亡していたり、命は助けられたものの重い後遺症が残ったり、あるいは最悪なのは児はすでに死亡、母体がすでにDICを起こしており子宮摘出を余儀なくされるという悲惨な例を体験しています。この病気は、発症してからいかに短時間で児を娩出させるかに母児の予後がかかってきます。発症してから時間が経てば経つほど、母児の状態は悪くなります。今回は患者さんが出血に気がついて、病院に来るまでが約20分。病院に来てから診断をつけて手術場で赤ちゃんが出てくるまでが約30分。従って発症後1時間も経たないうちに帝王切開で児を娩出できたことが良い結果を生んだわけです。「産科医療を立て直すためには施設の集約化が必要」と言われていますし、おそらくそうせざるを得ないでしょう。集約化とは必然的に施設数の減少を伴います。結果として患者さんは遠い道のりを移動しないと施設にたどり着かないことになります。それでも多くのハイリスク妊娠は、あらかじめ入院するなどして対処することができるでしょう。問題は胎盤早期剥離をどうするかなのです。発症してから2時間も3時間もかかって病院にたどり着くようでは、まず胎児は絶望的です。母体死亡となる例も出てくるでしょう。特にリスクのない妊婦さんに突然起こりますから、「あなたは危ないから前もって入院」というわけにもいきません。胎盤早期剥離は妊婦200人に1人程度の割合で起こります。手遅れになったときの悲惨さを考えるとかなり多い病気といえます。分娩施設の集約化により、間違いなく救えなくなる命があると思います。運悪く胎盤早期剥離を発症した時に母子を助ける道は一番近いところで早く帝王切開をすることです。日本では従来多くの開業産婦人科医が患者のすぐ近くにいて、たくさんの胎盤早期剥離を助けてきたわけですが、今ではすっかり開業の先生も少なくなってしまいました。また胎盤早期剥離は児に後遺症が残ることも多く裁判となりやすいため、最近は開業の先生は胎盤早期剥離とわかったら自分のところで手術をしません。大きな病院に母体搬送するのが普通になってきているのです。搬送には多少の時間がかかりますし、大きな施設がどこもギリギリの状態でやっていては受け入れ先がみつからないということもあるでしょう。マスコミは開業医での出産は危険だというような書き方を平気でしてきましたが、そんな書き方がいたずらに裁判を増やし、開業産婦人科を潰してきたという経緯を皆知っておくべきでしょう。
2008.02.28
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新聞によると、診療報酬改正の一環としてハイリスク妊婦の救急搬送を受け入れた場合に5万円が病院に支払われるようになるらしい。「妊婦のたらい回し」を減らすためだという。(そもそもたらい回しという言葉が正しくない。いかにも病院がいやがって次々と患者を回しているような印象を与える。今目の前の患者に手一杯で、責任を持って引き受けるだけの余裕がある病院が無いのである。)保険制度をいじくることで出来ることはこれぐらいしか無いのかもしれないが、しかし「5万円やるからハイリスクを引き受けろ」と言われているような気がしないでもない。はっきり言ってお金の問題じゃないんですよね。受け入れ可能かどうかは病院の状況に応じて医師が判断するけど、何もお金のことで受け入れ可能かどうかを判断しているわけでは全く無い。例えば自分の経験で言えば、出産が2~3件現在進行形で入っており、なおかつ緊急手術が一つ入っていれば、当直のドクターもナースも全く新たに突然のハイリスクの妊婦を受け入れる余地は無くなる。あるいは新生児集中治療室の呼吸器が全て使用中の状態。緊急帝王切開が必要で出てくるベビーが未熟児で呼吸器管理が必要となることがわかっていれば、これも受け入れることは不可能である。もちろん呼吸器があるだけでは不十分で、それを管理できる医師とナースが必要なのは言うまでもない。どんな場合であれ、お金ですぐ解決する問題は何も無いのである。「失われた10年」という言葉が流行ったけど、産科医療に関してはもっと失われたような気がする。万全の対策を取れたとしても取り返すには20年も30年もかかる。人が育たないと話にならないのだ。人が育った上でなら、5万円というお金も病院の緊急体勢の維持に多少は役立つだろうが。
2008.02.15
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無過失補償制度が徐々に具体化されつつある。脳性麻痺で生まれた児に対して補償を行う制度である。いろいろと批判もあるようだが、何もしないよりは100倍もいい。だがしかし・・・この制度は、不幸にして脳性麻痺になった児と家族にスムースに経済的支援を行うという目的と同時に、産科医不足の大きな原因となっている裁判を減らしたいという目的もある。しかし、この制度で裁判が減るとしたら、じゃあ今までの裁判はなんだったんだという気がする。「無過失補償制度」という言葉が意味するところは、分娩の取り扱いにおいて医療機関に過失が無かったにも関わらず児が脳性麻痺になった例に対して経済的補償を行うということだ。この制度で裁判が減ることが期待されるということは、今まで医療側に過失が無い例で多くの裁判がなされてきたということを暗に指している。実際にこの仕事をしていると、突発的な変化に肝を冷やすことは少なくない。その時はその時は必死に対応していても、あとで振り返ると不十分だったかもしれないということは当然起こりうる。事が終わった後で指摘することは容易い。裁判が後出しジャンケンといわれる所以である。どこまでが不可抗力で、どこからが過失なのか?・・・その線引きは分娩を実際に取り扱っている人間からするとかなりむずかしい。しかし裁判においては、何の悪意も無く、必死で良い結果を出そうとしている人間に対して理不尽な線引きがなされてきたというのが我々の実感だ。若い医師が産科をやりたがらないのは、そのことをよく知っているからである。無過失補償制度の適応において、過失の有無の判定が従来の裁判と同じ程度に医療側に理不尽な線引きで行われるのなら、制度が適応される例そのものが少なくなり、経済的な補償は結局裁判に頼ることになる。裁判を減らすという目的は全く実現不可能である。しかし制度適応の際に無過失例の割合が増える方向で線引きが変わるというかまもとなものになるとしたら、裁判を経験した産科医の心境は複雑だろう。まあ、そんなことになったら「医師のミスを隠す制度だ」とまたまたマスコミによる非難の大合唱となるだろうけど。
2008.02.10
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オバマかクリントンかで盛り上がっていて、日本にはあまり伝えられていないが、共和党の候補者選びは混戦していて、その理由の一つに人工妊娠中絶に対する各候補者の姿勢のちがいにあるという。昔からアメリカでは大統領選の度に中絶の是非が論争になる。宗教的な考え方のちがいから来るのだろうが、しかし・・・・日本では戦後1回でも選挙の際に中絶の是非などが争点となったことがあっただろうか?この仕事をしていながら今さらの疑問なのだが、むしろ歳をとるにつれ中絶が全く何の議論もなく容認されていることに一種の空恐ろしさを感じる。今日も妊娠初期の出血を心配して患者が来た。カルテを見てみると既婚で昨年も妊娠しているようだが、途中から来院していない。「去年も妊娠されてるみたいだけど?」「その時は都合が悪くて、別の病院で中絶しました。」「で、今回は?」「生むつもりです。けど出血があったから心配で。」こんな会話は特にめずらしくない。しかし、できた命を「都合が悪い」から中絶したり、生みたいとなったら流産しないか心配したり。これほど勝手な話も無いだろう。クローン人間の禁止、代理母の是非、脳死移植の問題、安楽死の是非、遺伝子組み換え操作等々、生命倫理について議論するためには、「生命には人間の意志のままにコントロールされるべきでは無い領域がある」という前提を皆が暗黙のうちに認識している必要がある。そうでなければ議論自体が意味を成さない。中絶に関して議論すらすることなく全く容認している社会で、果たして生命倫理を云々することなど意味を成すだろうか?我ながらアホみたいに硬いことを考えていると思う。しかし、せめて議論の対象にぐらいにならないものだろうか。
2008.02.02
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