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事業所移転のため十日ほど休みます。
2007/11/30
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道具に限らず、障害があるといわれているコが作業を習熟する為には時間が必要です。障害の軽いコは時間を掛けるだけでは理由を構えて「出来ない」と学習そのものを放棄します。障害の重いコは出来ても出来なくてもそれを続けさせてもらえる(放置ではありません、かならず職員の誰かが少し後ろから見ています)環境に順応し学習を楽しみ始めます、つまり自分が納得するまでやらして貰えるということです、ですから根拠も無く褒める必要はありません。障害の軽いコは一緒に手伝ってもらい、褒められることを求めます。社会では出来て当たり前、其の評価の代償が賃金です。出来の善し悪し、出来高の多寡に関係なく褒められる職場は有りません。学校や作業所で中途半端なエリート意識を持つ障害の軽い子の方が社会に出たときに挫折感にさいなまれるのはそのせいもあるのではないでしょうか。ここでは障害の重いコはほとんど挫折しません。療育手帳が超Aのコが出来るようになったと本人に伝えるときの喜びは此処だけのものでしょう。岩戸君が重量が5キロもある電動ラチェットを操作しながら仕事を積み上げていく様を彼の母親に見て欲しいです。障害の重いコほどへこたれません、だって経験したことが無い世界で思う様に動き回れるのですから、おしゃべりやうろつく暇などありません。そうやって作業の基礎、基本を身につけていくのは絶対に重いコの方が多いでしょう。
2007/11/29
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ラチェットが使えないコがいます。K商会の仕事なんですがボルトからナットをはずすのにレンチは使えるのにラチェットが使えないコがいます。重度のコは半日で使えるようになったのですが、軽度のコは3日めでまだ使えません。ラチェットをレンチのようにくるくる回しています、時間が掛かっても善いからとラチェットを使わせますが使えません。レンチは2つの動作なのですが、ラチェットは4つの動作だからでしょうが、重度のコは感覚(身体)で道具の使い方を習得し、軽度のコは理屈(知恵)で使おうとしているようです。知恵は経験の上に積み重ねないと実際には役に立ちません。いきなり箸が使えるコが居ないように、ラチェットという便利な道具を使うためには、様々な道具を使う習慣と経験が無ければ習得するのにとても時間が掛かります。考えることと行動することがシンクロするようにしなければ。
2007/11/27
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夜の九時過ぎに、スーパーの食品売り場で寝起きの「フェイダナウェイ」とすれ違いました。厚手のタイツに事務服、食品をいっぱい載せたカートを押してました。後ろから牛乳パックをもった小学生1,2年ぐらいのこが「ワッ」と驚かすと「キャーありがとう」と嬉しそうに驚いて牛乳パックをカートに載せてこぼれるような笑顔。子供にカートを押してもらって、生鮮食料品売場へ。レジで並ぶ彼女と私達の間に、小学校3,4年のよそのコが卵パックを持って並んでいました、彼女がそのコに「それだけ」「うん」レジのおネエさんに「このコ先に打って」それから私に振り向いて「ごめんなさい」かっこいいなって魔女に言ったら「あんたも少し大人になったのね」周り中みんな幸せな気分になりました。
2007/11/26
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会社のあるべき姿は、終身雇用だと思います。会社に対して忠誠を求めるなら相応の報酬が必要です、会社の指示に従えるだけの技術を会社は従業員に対して教育し会社の資産とすべきです、戦前(古い表現?)から今も生き残る会社は意図の在る無しに関わらず結果として子飼の社員が支えています。障害者はルールに対して忠実です、雇用側が被雇用者に対して忠実であれば相互の関係は業務上の関係では良好です。社会の無知が彼らの可能性を閉ざしていることは概ね其のとおりですが、一部の保護者や福祉関係者の先入観と無理解が可能性を閉ざしていることもあるのではと思います。彼らを気遣い、そしてなによりも彼らに近すぎるからでしょうか。
2007/11/21
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バカ止きわどい表現ですが、多くの職工の現場でバカ止めと呼ばれる治具があります。簡単にいうと線を引くときの定規のようなものです。此処には沢山有ります、精度の高い製品ほどバカ止めがたくさんあります、バカでもこれを使えば精度の高い製品ができるというわけですが。実際の作業現場では熟練工ほどこれを使い、生半可な職工ほどこれを使いません。使わなくてもデキルと思い上がると「面倒だから」「そんなものに頼らなくても」とそれが名人芸だとを勘違いしはじめます。バカ止めほ使って製作するものは使うのが基本です、雇用主が其れを望むのは当然ですがそれを使わない職工を叱ることは比較的少ないでしょう(理由はさまざま)。障害者に作業をさせるとき、当然バカ止めを使用させます。そうして精度の高い仕事をさせるのですが、手順として覚えると毎回そのようにします(ほぼ獲実に)すると毎回精度の高い製品ができることになり、不良品が市場にでません。障害が重いコほどこの傾向がつよく軽いコほど手間を省きます(より健常者に近いということでしょうか)。さて雇用主にとって、おしっこを時々ちびるけど制度の高い仕事をする職工と、おしゃれで世渡り上手だけれど、雇用主のいないとき時々手順を省く職工と二択ならどちらを雇用するでしょうか。
2007/11/20
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今週、大手建築金物のK商会の購買発注関係の人が見えて施設の見学に来ました。中国に発注した品物が規格が違うので手直しの以来先を探していてウチの元請の噂を聞きつけて来たようです。作業工程、納品方法の説明をひとしきりした後、現行のライン以外の受注が可能か同化の判断の後に発注するかどうかを連絡を下さるとのことで帰られました。夕方電話があり当初5万個の発注予定を他社への発注もこちらでして欲しいということになり20万個の発注になりました。・・・・・これが健常者値段に手直し手当がついてとてもおいしい仕事になりました。今日試験稼動して月曜からはじまりです。元請 <此処が作業所だとばれなかったね> なんのことです<障害者が仕事するっていうたら、まともな仕事が取れないし、もしもらえてもねぎられるからな> まあね<だから最近そっちに回す仕事は障害者とも作業所とも先方に言ってないのや> へー<仕事だけ見せてたら仕事になるしそれでよかったんやけど、さすがに大手は現場を見せろって言われてどきどきしてたけど、ばれなかったな~> 休憩時間にならなくてよかったですね<うん、休憩時間はただの障害者やもんな>最近、福祉関係者以外の見学がふえていて仕事もとりあるかなくても増えてきているのはそのせいだったようです。此処に見学にきた得意先は障害者が働いていることを知らないし、説明してからはじめて固まります。福祉関係者はスタッフと利用者の区別がつかなくなっています。重度は初めから問題ありませんし、軽度の障害者についても訓練が行き届くとさらに見分けがつかなくなります。就労中に障害の有無は関係ありません。
2007/11/17
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障害者が仕事ができるのかという問題です。前段としてうちのコ達は働いていますが、外来の見学者はとても軽度で能力が高いとかってに納得して帰られます。養育手帳はAあるいはB1であるといってもS市の判定は甘いからと、私の説明に取り合ってくれません。彼らの障害が重いか軽いかの判定は別として手帳の状況はAあるいはB1です。作業所になる前(町工場時代)、重度と言われるコの方が扱いやすく仕事も良くできたことは間違い有りません。さて雇用側が従業員に何を求めるのでしょう。人柄の良い人でしょうか、仕事のできる人でしょうか。両方を兼ね備えた人が最高ですが労働者の総てがそうでしょうか、雇用側の本音として、ほとんどの従業員に対して何らかの不満を持っていると思います。完璧な人はいないのだからとある程度のことには目をつぶっている雇用主が多いのではないでしょうか。雇用主が従業員に対して求めるものに優先順位をつけるとすれば多分、完全なトレース、つまり雇用側の支持どおりの製品を作ることができる職工でしょう。一生懸命では有りません、雇用側にとっては成果でしか判断したくない筈ですが其れを口にできる雇用主はあまり居ません。このことは雇用主さんしか理解していただけないと思います、つまり一つの象です。私は重度障害者(知的)が労働力としては健常者より適合しやすいと思っています。
2007/11/16
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先日に書いたブログの続報です。またPママさんのブログからです、問題自体は障害者への理解とは本質的に違うとは思いますが障害者がこの種のトラブルに脆弱であることは否めません。それにしても耳鳴りがするほどムカツキマス
2007/11/15
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写真で見ても、考えても象は解からない。どうして障害者を抱えていない人の話を真に受けるのでしょう。障害の種類は障害者の数だけあり、苦悩の種類と数は人の数だけあります、象と暮らす人が象の一部しか見ていない人の話を聴けるのでしょう。たしかランナーの予告編のワンカットで、「だからダメなんだ」と喚くコーチに「育ててもいないあんたに何がわかるのよ」って母親が怒鳴り返すシーン。障害者が見ている物に興味をもつことは必要なことですが、理解は出来ないことを受けいれることが出来なければ彼らとは暮らせません。経験や実績の無い教訓、偶然を必然と勘違いした自慢話。これまで書けなかったことを書いて、それが尽きたらこのブログを閉じようかと思っています。「此処へ来たら何とかなる。 来たときは二人で、それからは一人で歩いていける場所」と約束できる場所に。私は自分達が手伝った24人分の象しかみて居ません。
2007/11/14
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困ったことに彼のうちには悪いやつは居ません、全員がいい人です。でも初めて、姑に楯突いて彼を此処につれてきたのは母親でした。三人兄弟の長男として生まれたのですが妹たちとは待遇が違いました、初孫で跡取り(死語?)の誕生に有頂天となった彼の祖母は両親から孫を取り上げ責任をもって丹精こめてかれを育て上げました。彼は面談の中でこのまま社会人になることに虚無感を覚えること吐露しました。自分の進路はこれでよいのかとの考えにとらわれ、また進路(大学について)は祖母が独断できめ其れに対して何も言わない両親に絶望して・・・・自分のために総てをかける祖母、祖母に対する遠慮で無関心を装う両親、兄は甘えているとしか理解しない長女、お姉ちゃんが嫌いだから兄ちゃんが大好きな次女。不幸な家庭でしょうか?垣根に登って落ちなければ高いところでは気をつけることを知りません。職員によく「象を見たか」とききます、起源は南北戦争にまでさこのぼることができる米軍の古い言い回しで、実戦を経験したことのある無しで総てが違うという意味です。ここでは「象を見せろ」と職員に指導します、つまり失敗するまで放置させます。殆ど口頭では注意しません、できるまで何度も何日もただじっとみています。バイト君にはそれをさせています、F氏の機能訓練のサブをさせています。ただじっとみています、やさしさは無責任の一表現です、其れが彼に理解できれば、下宿の押入れの奥にある卒論を教授に届けるでしょう。障害児を抱えること、わが子を育てられないこと、どちらが不幸でしょう。「あのコのしたい事は親の手伝いよ、卒業したら百姓すれば」 By魔女
2007/11/13
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先週から、奇妙なバイト君が来ています。国立M大学の工学部で今年卒業予定だったのですが、卒業に失敗して来年2月までの期限でバイトに来ました。三人兄弟(本人、妹、妹)の長男で成績優秀で23歳の今まで、親に小言を言われたことのないコだったそうです。其れがこの春(卒業に失敗した)音信不通になり父親が部屋にうずくまる彼をみつけS県K市の実家に連れ帰りました。そして母親がツテをたよりに此処に預けました。とここまで書くと優秀なコが初めての挫折に打ちひしがれ・・・・・と思うでしょうが「ちがう」のです。彼は好きで挫折しました。まず学校の成績はベスト10以内、卒論は去年の暮れには完成しており、教授推薦でケミカル系の一流企業への就職も内定していました。彼は卒業することを拒否したのです。 この項つづく
2007/11/12
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「あのコたちが切れるのは、嘘を吐かれたから」「話が違えば誰だって切れる」「怖いのはお互い」「お前の為に言ってるとか、心配させたくないっていう嘘が一番むかつく」「理解しても慣れても、怖いことは永遠に怖い、それを平気っていうのは嘘」「他人に善人と思われたいの?」「健常者って其の時に嘘ついてるのよ」 By 魔女本当は怖いからもっともらしい理由つけて逃げてないか自分を甘やかさないよう、初心に戻って皆に嫌われるように来週から始めます。ウチのコたちは地上で一番誠実なのだから。
2007/11/10
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このブログによく来てくれるPママさんのブログを見てから思考が停止しています。ウチのコたちの最初を思い出しました、殆どのコがファーストコンタクトは示威行為から始まります。親を初めとする保護者が帰り施設に彼らだけが通うようなって遅くとも一週間いないに始まります、示威行為とは此処だけの表現かもしれませんが、やくざ顔負けの態度や泣き落とし、はては笑顔ですらその手段です。それが実行を伴わないことが解っていても「怖いです」。其の行動をどのように回りに実行するかを保護者の殆どが見ていないでしょう。障害者とどう接するかは経験してみないと解りません。南部にある大きな入所施設では年に2回ぐらい救急を呼ぶそうです、乗せられるのは新人職員だそうです、利用者が無抵抗(抵抗しないと利用者に読まれた)の職員をリンチしてことのようです。なんか混乱していつも以上に文脈がぐちゃぐちゃです、誰にとっても不幸な事件です、責任者の処罰以上に次に繋がるよう、同じ時間を生きるものがお互いをもっと理解し合える機会をもっと欲しいと思います。壁と溝の両方でお互いが死ぬほど怯えているのはウンザリです。
2007/11/09
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支援員がつれてきたコは此処で働くことを拒みました、かれが就労先に求める条件に此処は該当しなかったからです。彼の就労条件は賃金の多寡ではなく、障害者が自分以外の居ない職場でした。阪神大震災の時に小学校低学年で神戸の長田で食堂を営む祖母と暮らしていました。両親に関する情報の詳細は不明ですが、震災で祖母と死別し施設を転々としながら暮らしていましたが、自分に不憫と同情して世間は構うものと頭から決め込んで思うように生きてきたようです。此処にきたのは何度目かの就労に失敗した後、新しく彼を担当する支援員がちゃんと働けるように訓練して欲しいとつれてきたのですが、ダメでした。半年後、彼をつれて同じ支援員がきました。彼に新しい家族が出来るのでもう一度何とかして欲しいと。もう一度同じ仕事をさせました。前回は半日でしたが今回は一日でした、そのときの理由が「障害者と一緒にはたきたくない」でした、他の障害者と一緒にされるのが嫌なのかと思いましたが、そうではなく、「周りの同情を一身に集めたいだけよ」って魔女がいいました、今思うとそうだったのかもしれません。彼が新しい家族(妊娠した手帳を持つ娘とボーダーの彼女の母親)とは一緒にくらせなかったことを聞いたのは最近です。
2007/11/07
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新人のF氏、一年前のK氏を思い出します。K氏は孤独で、壁と溝を周りに張り巡らせていました、受け入れてもらえないなら周りに対して興味を持たなくしてきたのでしょう、最近は帰り際さようならの代わりにニヤッと笑います。孤独ではあるでしょうが落ち着きがでて、穏やかなジジイになって来ました。F氏もそう成れるとよいのですが、K氏は子供の時代から「他人に迷惑を掛けないように」と親にいわれ育ってきたようですが、F氏はその機会がなかったようです。親が何かを子に残せば自立でき、残せなければ・・・
2007/11/06
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テント生活者にも障害者は居ます、府の委託を受けた支援センターの支援員が来て相談を受けたとき無条件で受け入れました。彼は50才、兄弟の保証人になった為にサラ金から逃回る人生だったようです。今日から彼の生活保護と負の人生をリセットして新しい人生の再構築です。
2007/11/05
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一日かかって、工場とかいろいろ探して兵庫県南部をうろついていました。その途中で、50年ぶりに(というより始めて)異父兄に会いました。養子に出たので苗字は違いますが、神戸在住です。いろいろ話すうちに、 ふとこの兄を身ごもったとき母は人生で一番幸せだったのではないかと、何か確信をもってそう思いました。穏やかで奥の深いひとです。
2007/11/02
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