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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2011.12.31
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カテゴリ: 社会・政治・時事

 宗教的なことや政治的なことに関する主張が、かなり前面に押し出されており、
 「内田先生って、こんな考えもお持ちだったんだなぁ」と、改めて認識した。
 そういう意味でも、価値ある一冊。

 さて、本著において私が考えさせれたのは、
 進む国際化の中、「言葉と文字」をどのように扱っていけばよいかということと、
 ビジネスによって創造され、翻弄される「全能感」の脆さについて。 
 さらに、現代は「弱さが武器になる時代」であるということについてである。

まず、「国際化と言語」についてだが、


  韓国は公用文を原則としてハングルだけを用いて表記する法律が制定され、
  1968年には漢字教育が廃止され、1970年には教科書から漢字が消えました。
  現在の若い韓国人はもう自分の名前以外の漢字はほとんど読むことも書くこともできない。
  それは要するに2世代前の人たちが書いた文章が読めないということです。(中略)
  韓国では、漢字の放棄は英語の採用によって代補されています。
  だから、高等教育を英語で受けることが社会的向上の条件になっている。
  大学の教師は英語で論文を書き、英語で学会発表する。
  そういう点では、日本の学者よりも韓国の学者の方がずっと英語がうまい。
  それを「国際化が進んでいる」と言うこともできるでしょう。
  けれどもそれは自国に蓄積された知的伝統へのアクセス権の放棄とのトレードオフなのです。
  それが有利な取引だったのかどうか、まだ判断するには早過ぎると僕は思います。(p.96)


しかし、だからといって、日本は韓国のように漢字を捨て去ることができるのか?
全てが、表音文字であるところの「ひらがな」や「カタカナ」で書き表された書籍や新聞等を、
私はどうしても想像することができない。

そこで、いっそのこと英語を公用語にしてしまおうという発想も出てくるわけで、
一部企業では、それを実行しているところもある。

また、そのことによって表出する感情や、生み出される文化にも多大な影響を及ぼすだろう。

さて、ビジネスチャンスとしての「全能感」については、
消費社会の中で培われる消費者マインドと共に、次のような学校における指導で醸成される。

  現在の教育現場では「君たちは無限の可能性がある」という激励は許容されても、
  「身の程を知れ」「分をわきまえろ」というアナウンスに対しては
  つよい抵抗を覚悟しなければなりません。
  そんなことをうっかり口にした教師には生徒や保護者たちから
  猛然たるバッシングを受ける覚悟が必要です。(p.21)

しかし、最後の最後、実際に進路選択をせざるを得ない状況に追い込まれると、
「君たちは無限の可能性がある」などと、綺麗事だけを並べたてるわけにはいかない。
だからこそ、そんな切羽詰まった場面でいきなり梯子を外すような真似をするよりも、
学校は、日頃から次のような指導をしておく必要がある。

  子どもたちの過度に肥大した自尊感情を下方修正し、
  適切な自己評価を受け容れさせることは、
  実際には子どもたちの潜在的な才能の開花を支援するのと同じくらいに
  重要な教育的課題なのです。(p.21)

ところが現在では、実際問題として進学後だけでなく、就職後にも、
「あなたには無限の可能性がある」という言葉が、ずっと囁きかけられるのである。
そう、「本当のあなたは、こんなもんじゃないはずでしょう?」
そして、「本当のあなたを見つけるサポートを、私たちならいつでも出来ますよ」と。

  就職情報産業を悪く言うつもりはありませんが(もう十分言ってますけど)、
  このビジネスが「どのような仕事に就いても、
  『これがほんとうに私の天職なのだろうか』という不安から
  決して自由になれない人々」を量産することによって利益を上げるビジネスであることは
  自覚しておいた方がいいと思います。(p.110)

そして、この言葉は就職だけには留まらず、結婚においても執拗にアナウンスされ続ける。
いつまで経っても、どこまで行っても、満足できない。
それは「万能感」に満ち溢れる人間が、避けて通ることの出来ない不幸の呪縛。
だったら、次のような思考を持ち合わせた方が、ずっと幸福になれそうな気がする。

  「あなただって、それほど卓越したところのない、普通の人間なんだから、
   あれこれわがまま言わずに、このあたりで我慢しなさい」と、
  その人の「標準性」「凡庸性」を強調する。
  そうやって若者たちを「普通の市民」の枠の中に押し込んでいく。
  「あなたは普通の人である」、それゆえ「普通の人と結婚すればよい」、
  そうすれば「普通の幸福が得られるであろう」という
  あまり夢のないワーディングで結婚に追い込むわけです。
  そして、決断をいやがる若者に大人たちが最後に叩き込むのは
  「結婚なんか、誰としたって、まあ、同じようなものだよ」という叡智の言葉です。(中略)
  結婚というのは普通の人たちが、別に「赤い糸」で結ばれていなくても、
  卓越した人間的資質がなくても、生涯変わらぬ激しい愛情なんかなくても、
  そこそこ幸福に過ごせるようなシステムとして設計されている。
  そのようなものとして設計されていなくいては困る。(p.115)

ここで「普通が一番!」なんて言ったら、今の時代はやっぱりダメなんでしょうか?
さて、最後は「弱さが武器になる時代」について。

  相手に先手を打たせ、それに「最適解」で応じる形でしか、国家戦略が構想できない。
  それが日本の病だと思います。(p.72)

まぁ、外交において、常に主導権は相手国にあるというスタンスなのは間違いない。
これは、日本の病と言うよりは、古来からの定型か。
もちろん、このやり方では最初から相手にアドバンテージがあるわけだから、
勝てるはずの交渉も、結局勝つことが出来ないし、この「弱さ」は決して武器にはなるまい。

  わが国の政治家にもっとも欠けているのは、
  この「自説の反対者と生産的な対話をなす」能力でしょう。
  そして、それこそが日本の政治的危機の核心をなしていると僕は思います。(p.84)

「議論」というのは、本来AとBとのやりとりの中でその接点を見出し、
新たなるCという道筋を切り開く行為であるはずなのだが、
日本の場合、AもBも持論に固執し、議論が全くかみ合わないことが多い。
そして世間も、主張されている内容より、どれほど巧みに言葉を操るかで優劣を判断している。

  経験的に言って、自説の正しさを確信している人間は説明を好まない。
  「周知のように」とか「言うまでもないことだが」というようなフレーズを
  頻用する人間はこの類である。(中略)
  「気を鼻で括ったような説明」が私たちを不快にさせるのは、
  そこに述べられていることが間違っているからではない(必ずしも間違ってはいない)。
  そうではなくて、そこに聴き手の知性や判断力に対する信頼と敬意の痕跡を
  見て取ることができないからである。(p.274)

とにかく、自己主張だけを繰り返し、相手の主張を聞く耳は持たない。
そして、最後は数の力で決着を付けて終わりという、現代人の好む二元論の世界。
しかし、そのような方法を選択し続けてきたために、社会は確実に歪んでしまっている。
それは、色々な事象に表出しており、ここでは「弱さ」が武器になることすらある。

  そういうことが可能になったのは、公的な「強いシステム」と、
  それに収奪され抑圧され管理されている「弱い個人」という二元的な対立図式においては、
  つねに「弱い個人」の側に正義があるというチープでシンプルな物語を国民が選好したからです。
  とりわけマスメディアがこの物語に偏愛を示しました。(中略)
  草食系男子という「生き方」はこの
  「弱いふりをすることで自己利益を増大させる世渡り術」からの
  一種のスピンオフではないかと僕は思います。(p.126)

「弱さが武器になる時代」と「仮想敵を設定し、徹底的に叩く姿勢への支持」。
そして、そのストーリーを過剰演出するマスコミ。
今こそ、国民一人一人の真のメディアリテラシーが試されるときである。
ビジネス目的に創造される空気に、決して乗せられてはならない。





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Last updated  2011.12.31 13:46:41 コメントを書く
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