全15件 (15件中 1-15件目)
1
天声人語に、テロ事件のとき、飛行機やビルにいた人たちの電話やメールを紹介してあった。「愛していることを伝えたかっただけだ。また会えるといいが、もしだめだったら、どうか人生を楽しんでくれ。最善の人生を歩んでくれ。」「娘を頼む。きみが人生でどんな決断をしようと、とにかく幸福でいてほしい。ぼくはきみの決断を何であれ尊重する。」「脱出できそうにない。きみは本当にいい友だちだった。」泣きごとも恨みごともない、なんて簡潔な言葉だろう。朝から涙があふれた。テレ朝で黒柳徹子さんが、アフガニスタンやパキスタンの難民キャンプと子どもたちの様子を報告した番組を見る。目を背けたくなる惨状に祖母と二人でだまって見入る。満州から引き上げてきた祖母は、「引き上げたとき、お母さん(私の母)ぐらいしか子どもはいなかったよ。」とぽつり。私の母も、栄養失調で下痢がとまらなかったという。死んでしまうから、中国人に預けるようにみんなから言われたという。母は、来年還暦を迎える。私を含めて5人の子どもを育てた。アフガニスタンの子どもたちに、私の母の姿を重ねてみているうちに、また涙がこみあげてきた。
2001年09月30日
コメント(0)
きょう、恵比寿へイタリアの作曲家だけのコンサートに行った。ベルディは、もちろん素敵だが、モンテベルディの曲もなかなかよかった。新しい曲を知るとうれしくなる。新しい花の名前を覚えたように。 帰りに、新宿の昔アルバイトをしていたバーに寄った。新しいスタッフがカウンターに入っていた。何の気なしにマティーニを注文したが、その後、彼の様子を見て、はらはら。余計なことと知りつつ、「ご馳走するから、いっぱい作らせて」と中に入った。久しぶりにバースプーンをまわす手つきが危なくてあまり良い手本ではなかったが、マティーニの味を彼に分かってもらいたかった。かつて、私もそうやって、お客さんからいろんなことを教えてもらってきたことを思いだす。 カウンターで、常連の方と話しこむ。彼は公務員だが、机に聖書をいつものせているという。宣教を志してこの店を作ったN神父が50番目に洗礼を授けたという彼の目は、酔ってはいたが、とても澄んでいた。マティーニの作り方より、キリスト教をもっと学び広めるべきではないのか。後輩に良い顔していた私は、恥ずかしくなった。
2001年09月29日
コメント(0)
私は、キリストをこう捉えています。 神が、キリストを人間の中に放り出し、その人間の愚行ゆえに十字架にかけられたとき、キリストは、「神よ。自分が何をしているのか分かっていないのです。許してください。」といわれたといいます。それは、キリストにとっても苦しくつらい一言でした。なぜなら、その時、「神よ、私を見捨てたのか。」とまで言っているからです。彼は、そのとき、まさに人間だったからです。 私は、奇跡を示したから神を信じているのではないのです。自分の命を投げ出してまで、人を愛したキリストに憧れる(だからファンなのです)からなのです。 そのキリストが、愚かな人間のために犠牲になった人を悲しまないわけがありません。だからといって、本人や残された人を神が救うかといったら、それは、その人がキリストと同じように、許すことなくして救われることはないでしょう。報復することで救われることはないはずです。命はもどらないからです。 キリストが、『目には目を・・』というそれまでの、報復が当然の世の中に、「味方を愛して何がすばらしいか、そんなことは当たり前だ。敵を愛せ」といわれたのは、平穏な世の中にするためではなく、人間がこれから苦しみの中から本当に愛することの深さを知るまで、救われることがないという宣言をしたのだと思います。 空想ではありません。マザーテレサのように、神に憧れ、敵すら愛する行為を示した人が現実にいるのです。この愛するということが、どれだけの人に希望を与えているか計り知れません。 愛する人の死や別れに出会い、人は苦しみます。逃れることはできません。悲しみにうちひしがれて生きていくか、命すらかけて愛して喜びに満たされるかは、人の選択に任されていると思います。 妻を亡くした人が、悲しみから立ち直れずにいたとき、「あなたが先に逝ったら、残された奥さんが悲しんだでしょう。」と言われて、自分が生き残って良かったのだと思えるようになったという話を聞いたことがあります。 それは、心のもちようである、といわれればそれまでですが。人には、愛することで自分も人をも救う力が与えられているとは思いませんか。
2001年09月27日
コメント(0)
「ブッシュ大統領に手紙を」という日記を読ませていただき、私もそうだ、できそうなことからと思って、思いきってホワイトハウスにメールを打ってみた。オートで返事が返送されるらしく。副大統領やローラさんに送ったものもほぼ同じ文面が返ってきた。内容は、いいかげんに読んでいるので、こんな感じである。「お手紙ありがとう、書いてくれたことは、さんこうにするよ。でも、たくさんメールが来るから、返事をいちいち書けなくてごめん。もし、9月11日のテロのことなら、ホームページに書いてあるから、見てね。なお、手紙も受け付けてるよ。云々」
2001年09月26日
コメント(0)
仕事のことでまわりを見るゆとりがなかった数ヶ月前に比べて、自由に考えごとができるようになった今、一人の友人のことを思うとき、胸がふさがれる思いがする。 心を病んで、眠れなかったり、仕事がしたいのにできなかったり、自分なりに思い描く家庭生活がおくれないでいる友人。テロ事件で親族を失った人も、板ばさみになっているイスラムの人も、悲しみや苦しみのどん底にあるかもしれないが、比較ができるものではない。いずれも、どんな言葉をかけても、励ますこともできない状態なのである。 癒し、という言葉が流行っているが、私はこの流行をあまり快く思っていない。癒されることを求めているうちは、本当に癒されることがないと思うからだ。平和の祈り(フランシスコの祈り) 渡辺義行編より神よ、わたしを、あなたの平和を実らせるために用いて下さい。 私が、憎しみある所に、愛をもたらすことが出来るように、 また、争いのある所に、和解を、 分裂のある所に、一致を、疑いのある所に、真実を、絶望のある所に、希望を、 悲しみのある所に、喜びを、 暗闇のある所に、光をもたらすことが出来るように、助け、導いて下さい。 神よ、私に、慰められることよりも、慰めることを、 理解されることよりも、理解することを、愛されることよりも、愛することを望ませて下さい。 私たちは、自分を与えることによって、与えられ、 進んで赦すことによって、赦され、人のために死ぬことによって、永遠に生きることが出来るからです。 フランシスコの祈りは、すばらしいが、しかし、今は語る言葉もないのである。
2001年09月24日
コメント(0)
練習会場にしている講堂で、黒人霊歌をうたった。ここは、プロテスト系の教会でもある。講演会のゲストと言う形だが、いつも使わせていただいているお礼の意味もある。講演の内容がとてもよかった。黒人霊歌が奴隷解放とキリストに対するメッセージがこめられていること。そして、「アメリカの生み出した唯一の音楽」であることも改めて知る。話は、キング牧師のことに及ぶ。アメリカの公民権運動の指導者であることは知っていた。しかし、彼がベトナム戦争当初に真っ向から反対していたこと。そのため、暗殺されたこと。さらに、暗殺される前、「苦しみの中にあっても自殺してはいけない。」と皆にも、自分にも呼びかけていたという。数千万人という世界でも例をみない数の奴隷たちが、文字も言葉もまして音楽などなにも教わることもなく、1000曲にも及ぶ黒人霊歌を作り出したことの誇りと揺るぎない信仰と神の前ですべて平等でたいする希望がここにある。私たちも、希望がわいてくる歌を、またそういう歌い手になりたいものだ。
2001年09月23日
コメント(0)
ウイルスのせいで、サーバーがダウンになったそうだ。「そうだ」というのは、使えなくなったという通知が届いたからだが、しばらくは職場でいたずらできなくなった。怪しいメールや感染したHPから、うつるらしい。みなさんも気をつけて。
2001年09月20日
コメント(0)
イスラムの方とメールをやり取りしました。その方の言葉に、『ジハードに出るムスリムはQul-An(コーラン)を置き去りになど考えられません。最後までAllahと共にいたいですし、最後 に自分を守ってくれる唯一のものだと知っているからです。』これは、今回の事件で、日本のマスコミも取り上げています。私も思います。あの飛行機の中で、なぜ、テロリストのパスポートやその行動がわかったのでしょう。それは、最初から犯人に仕立て上げようと常に監視しているアメリカの強い意図を感じます。続いて、『飛行機が激突する映像の直後にliveとしてイード(断食明けの正月)か何か喜びの映像が放送されたそうです。』テレビによる、イスラム教徒への意図的な操作を感じれます。 その方も、いやがらせのメールやホームでつきとばされたり、など、この日本でつらい思いをなさっているそうです。 異文化に対する理解力の乏しさは、アメリカも日本も代わりありません。
2001年09月17日
コメント(0)
まだ、どういう行動を示すか決められない。クリスチャンとして、人間として。祈ることが、まったくのはかない行動とは思わないが、しかし、イスラムの人たちの悲しみ。アメリカの立場。また、思えば、日本は、サウジアラビアの原油にいかに依存しているか。 などなど、考え始めると、何も言えない。しかし、最後のひとつ。自分が寄って立つ立場がある。そこからは、何か語り、行動できるはず。 いかなることが有れ、人が人をあやめることは、いやだ、とういこと。どんなこともジハードとしてみとめることはできないということ。そこからしか一歩は踏み出せない。
2001年09月14日
コメント(0)
NYの事件は、他人事ではない。亡くなった方々に心から哀悼の意を表したい。また家族の方にも。敵討ち、報復の仕合いでは、平和は決して来ないということを、なぜ理解できないのか。悲しくてやりきれない。 しかし、きょうの報道の一部始終を見ていて、アメリカの側に立った報道だけで判断しないほうが良いとも考えた。湾岸戦争のとき、CNNの報道だけをみて、アメリカの論理で考えてしまったときの教訓として。 これからの日本が考えなければならないのは、アメリカと手を組んでいて世界の平和に貢献できるのかということ。日本にだって、同じテロが起こりかねなかったことを、ニュースは伝えていた。果たして私達は、その事実を知らされていたか?日本のアメリカ基地は、いつテロや核攻撃をうけてもおかしくないことを、私達は肝に銘じたほうがいい。アメリカは、良き友ではあるが、同時に敵もたくさんいる危険な友達なのだ。
2001年09月12日
コメント(0)

カレンダーより 真冬だというのに、高地のマドリッドでも、あまり寒くはない。アルカラは、マドリッド郊外で車で2、30分ほど北東に進んだところにある。弟のピソ(アパート?)は以前、大学の先生が使っていたという調度品や絵画(ダリ)が残されていて、とても品がよい。しかし、スチームのおかげで暑い。6歳と2歳の子どもたちがよく風邪をひくというのもうなづける。 ピソの窓から 弟の嫁さんは、料理が上手だ。しかし、手に入りにくい日本の素材もあり、そのひとつが、ビーフシチューの素。ブラウンソースが、日本にある素を使わないとうまくできないそうだ。上の子は、ビーフシチューを楽しみにした。手料理をご馳走になり、スペインのハモン(生ハム)をつまみにビールを飲む。おふくろからも嫁さんの実家からも、日本の物がたくさん送られてきているが、疑問なのは歯ブラシ。なぜか両方から送られてきたらしい。この件に関して、おふくろは、スペインの歯ブラシはサイズが合わないだろう、といっていた(ほんとかな?確かめていないが) 最初は、顔をお母さんの足にうづめていた下の子も、お姉ちゃんが盛んに私と遊んでいる様子をみて、「うっ、うっ」と何か言いたそうに指を引っ張って遊ぼうと誘ってくるようになる。「スィ・オ・ノ?(いいの、いやなの?)」食事を口に運ぶと、「ノー」。弟に似て、なかなか頑固ものである。 上の子は、パソコンでスペイン語の勉強。世界の国旗を国に合わせて正しく選ぶと、キャラクターが、「ビエーン」(鼻炎?)スペイン語のまったく分からぬ私は、この子たちが日本に帰ってきたとき、話ができるだろうかと不安になる。 11時ごろ、弟に街を案内してもらう。12時過ぎてから人がもっと出てくるというとおりを歩きながら、雪国にある古い雁木のようなアーケードの下を歩く。スペインの居酒屋バールに寄って見たい気がしたが、明日早くホテルへ戻るのでがまん。 日本に戻ってきてから母が言うには、アルカラは、世界遺産になっているという。しかし、古い町並みが残るセルバンテスの故郷は、重要文化財なら分かるが、世界遺産というには、ちょっと物足りなさが残る町だった。弟や姪が通う学校等も古い町並みの一部であった。古い建物の上の出窓?のそばには、コウノトリの巣がたくさんあり、赤ちゃんをつれて来るという逸話が納得できる。さて、世界で2番目に多く翻訳されていて、しかもみんな知っているのになぜかあまり読まれていない、「ドン・キホーテ」の作者、セルバンテスはどこにいるのか?いた、いた。白い衣につつまれたブロンズ像。 朝は、早起きして一路マドリットのホテルへ。教習所で練習したというランドアバウト(スペインでは、他の言い方だったが)もスイスイと抜けて昨日は散々迷ったマドリッドにスムーズに着いた。もうしばらく会えないと思うと、なんとなく別れはさびしいもの。「じゃ。」の一言で弟は、コーヒーいっぱいも飲まずにまた帰っていった。
2001年09月11日
コメント(0)

まったくの偶然で、旅行によくでかけるKさんと意見が合って、スペインにいくことになった。偶然とはいうが、弟が半年前にスペインに渡ったことがきっかけではあった。 旅行の日程は、Kさんにまかせていたが、できたら弟に会えればと思っていた。旅行日程を伝えておいた弟は、真夜中にマドリッドについた私を、空港に出迎えてくれた。明日の夕方、アパートにお邪魔することにした。 トレド全景 2日目は、トレドへ。旧市街地がすべて世界遺産。中世のまま残った町。とは言え、スペインのどこもかしこも自動車がたくさんあって、写真を撮る前に興ざめしてしまう。1月なので、これといった花もないが、この時期ならではのいいこともある。それは、クリスマスのデコレーションだ。ハワイでクリスマスの飾りをみたことがあったが、トナカイやサンタクロースが多い。それに対して、キリストの生誕を表すのがカトリックの基本だ。 カテドラルのクリスマスデコレーション 午後は、ドン・キホーテで有名な風車の村コンスエグラへ。ラマンチャといえば、乾燥した風景を思い浮かべるが、この日は、あいにくの横殴りの雨。荒涼とした刈り取られた麦畑の丘をいくつも越えると、それはあった。布が張られていない羽が折れていたり、なかったりと、ずいぶんみすぼらしい。100ペセタ払って中をみせてもらうが、何の解説もなく、ただ陽気なおじちゃんが、みやげ物を売っていた。昼食は、ソパデアホ(にんにくスープ)日本人の口にもあうものだった。 帰ってきて、スーパーで水や果物を買う。安い。日本の1/3から1/4ぐらいの感覚 夕方、ホテルに弟が迎えに来た。昨年の9月に長期の研修のために、アルカラ・デ・エナレスというところにいる。ほんの半月前に来たという小さなシトロエンを、おっかなびっくり運転する弟に、マドリッド市内にあるソフィア王妃の美術館につれていってもらった。ピカソのゲルニカを見るためである。姪に解説をしたものの、彼女は、「本当に上手なの。」という疑問を残していた。はだかの王様ではないが、もしかして、幼稚園の子どもが描いた絵でも、もし、ミロやピカソの署名があれば、われわれはありがたがるだろうか。 マドリットは、今ヨーロッパで一番危険な町といわれているらしい。弟が車を止めるとき、私が外にでて駐車できる場所を探そうといったら、「兄ちゃん、うろうろしないで。」と制止された。日本人のパスポートは、高額で取引されるというのだ。北アフリカからきた移民の多くが、スペインで稼いでさらに北上するらしい。ジブラルタル海峡が、10数キロしかないから仕方がないにしても、警察が襲われている人を見かけても、襲われた後から助けにくるという。弟は笑って言うが、恐ろしい話だ。
2001年09月10日
コメント(0)
歩いてみると、ほんの一ヶ月まえに見かけなかった草や色が変わった葉に出会うようになった。彼岸花も顔だした。白百合が今年も咲いたかと思ったほんの矢先なのに。 季節がどんどん動いている。カメラのレンズを換えたり、奮発して、コンタックスT3を買って久しぶりに写真をはじめようかと思い始めたとたん。何をとっていいんだか、分からなくなった。息を切らして走っていて突然、美しい花に出会ったその瞬間を、写真にあらわすことはできない。 出歩いてばかりいた夏には、写真を撮ることにためらいがなかったのに。
2001年09月08日
コメント(0)
地区大会の一般の部は、銀賞でした。関東大会に出ることはできませんが、きょうの演奏は、いつになく、(もちろん、手伝ってもらった4人の方の力があっての話)とても良いできだったと思います。それで銀賞なら仕方有りません。自分たちの持てる力を出しきったという満足感と、そして、これからも、歌っていくぞと決意をした、そんなコンクールでした。みこしじゃないけど、見てる(聞いている)だけじゃ楽しめません。実際にやってみなければ、本当の楽しさなんて分からない。関わった分だけ、苦しんだ分だけ楽しさが増すというものなのではないでしょうか。少しよっているので、表現がオーバーなのは許してください。では。
2001年09月02日
コメント(0)
仕事が終ってから、仲間とみこしをかつぐ。かんがえてみたら、こんなに近くで祭りをしていながら、今まで、参加したことがなかった。担いで見ると、意外と重かったり、軽かったり。今日がコンクールの前日でなければ、はまってしまったかも。7時から練習が入っていたので、掛け声もいまいち思いっきりだせない。さて、新メンバーを加えての合唱のほうは。「あれ、声かすれてない。~~」合唱団のみんなにばればれ。体がふたつあれば、両方思いっきり楽しめるのにな。
2001年09月01日
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1
![]()

![]()