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こんにちは。 本日は、「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」からのネタです。 こちらの本に中に、現在話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台になった歴史スポットが多数紹介されていることに気づきました。 しかも、そのほとんどが、未だブログの記事には掲載されておりませぬ。 …ということで、今回は、「鎌倉殿の13人」に関連する部分を抜き出して、ご紹介させていただこうか、と。 題して、大河ドラマ便乗企画、「北条氏の故郷、『鎌倉殿の13人』の舞台になった伊豆韮山を歩く 静岡県伊豆の国市」。最初の部分は、過去の記事と重複していますが…。 2019年1月、伊豆の国市を訪問した時は、北条氏関連の歴史スポットは脇役扱いだったような。 しかし、今や日本でもっとも注目を集める歴史スポットのひとつになりましたね。 「相模・伊豆国編」の伊豆の国市を紹介した記事では、ほかに「北条早雲の関東経略の拠点となった韮山城、伊豆代官を務めた江川太郎左衛門邸、世界遺産・韮山反射炉」などがテーマでした。 すべての記事は、こちらをご覧ください。 是非、本書もご覧いただければ幸いです。 源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島 今回は、鎌倉、戦国、そして近世の世界遺産などの歴史アイテムが満載の場所を歩きます。そこは、静岡県伊豆の国市。 歴史好きにとっては、伊豆の国市よりも、韮山と言ったほうがピンとくるかもしれませぬ。北条早雲が伊豆の国を平定し、関東へ進出する拠点となった韮山城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。 駅の柱には、「韮山反射炉」のマーキングがあります。世界遺産なので、観光客は皆、車やバスを利用して、そちらへ行っているのかもしれないと思うのでした。 しかし、歴史好きにとっては、韮山駅周辺にも、興味深い歴史スポットはたくさんあるのですけどね。 駅前には、独特な形をしたモニュメントがありました。この形状は、韮山反射炉を表しているのでしょうね。 さらに歩くと、洋風にも和風にも見える面白い建物があります。 ここは、伊豆の国市韮山文化センター。大ホールや映像ホール、研修室やアトリエ、韮山図書館などを備える複合施設らしい。 別名、韮山時代劇場とも呼ばれているそうですね。桟敷席もある約500人収容も大ホールがあるそうだから、ここで時代劇なども上演されるのでしょうか。 ここは、源頼朝と北条政子が出会った場所でもあるので、ロミオとジュリエットみたいな歴史劇が見られたら面白いなと思いました。個人的には、北条早雲主演、司馬遼太郎原作の「箱根の坂」がいいですが…。 そんなことを考えながら、駅前から東に伸びる道路を歩いていきます。それにしても、誰も歩いている人がいないですな。 少し心細くなって、横を見ると、巨大な富士山が出迎えてくれました。千人の人たちから歓迎された気分になりますね。すっかり元気を取り戻して歩いていくと、右手に小公園が現れました。その公園には、二人の若い男女の銅像があります。 これは、言うまでもなく、源頼朝と北条政子の像ですな。すると、ここが蛭ヶ小島ですか。 蛭ヶ小島は、平治の乱に敗れ、配流となった源頼朝が14歳から20年ほど過ごした場所。小島とありますが、いわゆる海の中にある島ではなく、狩野川の中洲や湿田のなかの高台だったと言われているらしい。 当時、狩野川は洪水のたびに氾濫し、いくつかの中洲があったとのこと。蛭ヶ島はそういった中洲の一つで、蛭が多く生息する湿地帯だったそうです。 ただ、頼朝の流刑地を特定する当時の歴史書の記述はなく、後世の発掘調査でも場所の特定はできていないのですか。 いずれにしても、頼朝は、快適な場所には住んでいなかったようで。こんな過酷な環境で、若い頼朝は、読経や写経などを行い、静かな日々を過ごしていたのですね。 それでも、監視役の北条氏の娘政子と、どう出会って恋に落ちたのか。やっぱり、韮山時代劇場で、韮山バージョンのロミオとジュリエットを見たいと思ったのでした。 < 途中5,861文字略 (北条早雲の関東経略の拠点となった韮山城、伊豆代官を務めた江川太郎左衛門邸、世界遺産・韮山反射炉などの記事) > 北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵 反射炉物産館でお土産を買い、再び次の目的地を目指して歩き出します。 函南反射炉線という道路に出て、田んぼを見ながらテクテク歩き、伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅近くの踏切を渡りました。そして、近くの下田街道を三島方面に向かって歩きます。 結構距離を歩いていますが、実は、「江川担庵散策の路」と「頼朝・政子ロマンの路」という、独立した2つのウォーキングコースをコラボで回っているのでした。 距離は、それぞれ9キロと4.5キロですか。トータルの距離は13.5キロくらいで、個人的には、いつものウォーキングと変わりませぬ。 ただ、韮山城跡をくまなく歩いたから、本当はかなりオーバーしているかも。 さすがに、少し疲れたと思った頃、ようやく願成就院(がんじょうじゅいん)というお寺に到着しました。 このお寺は、仏師運慶が制作した阿弥陀如来坐像が安置されているらしい。運慶の仏像は、残っている数が少ないことで有名ですね。 …と思ったら、なんと、所蔵する5体の仏像が国宝に指定されているのですか。 所蔵している仏像はすごいですが、このお寺は、歴史好きにとっても興味をかきたてられるのですよ。『吾妻鏡』には、源頼朝の奥州平泉の藤原氏討伐の成功を祈り、鎌倉幕府初代執権・北条時政が建立した寺院だと記載されているそうです。 その後、二代執権義時や三代執権泰時によって、浄土様式の壮大な寺院となっていったとか。 訪れた時は、由緒ある名刹だとは感じましたが、歴史的に、ここまですごいお寺だとは思いませんでした。 本堂や境内が、少し小ぶりな印象があったから、と言いますか…。 しかし、境内の近くに、国指定史跡願成就院跡の石碑や解説板があるのを発見。それを読むと、発掘調査の結果、大御堂や南新御堂、南塔、池畔などの跡が明らかになったという記載がありました。 このお寺の最盛期は、多くの堂宇や塔がそびえ立ち、巨大な池とその中の小島を橋でつなぐ、浄土様式の壮大な寺院として威容を誇っていたのでしょうね。 ただ、北条早雲と堀越公方との戦いで、願成就院はほぼ全焼。その後、僅かに再建された建物も、豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び焼けてしまったらしい。 運慶作の国宝の本尊を始めとする仏像は、僧侶らによって運び出され、焼失を免れたのは不幸中の幸いでした。しかし、そのほかの多くの寺宝が失われてしまったのですね。 境内にある北条時政のお墓の写真はゲットすることができましたが、他の歴史スポットを回るために、境内の見学を少し端折ってしまったような。 後で調べると、足利茶々丸のお墓や茶々丸首洗いの池などの見どころもあったのですね。 歴史ウォーカーとして、もう少し下調べをしてから訪れるべきだったと反省するのでした。 「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所 再び下田街道を歩き、光照寺の角を左折。小道をしばらく歩くと、右手に広い原っぱが見えてきました。 ここは、伝堀越御所跡。 歴史が好きな人なら、堀越公方や古河公方という言葉を聞いたことがあるかもしれません。 北条早雲を描いた司馬遼太郎の「箱根の坂」や滝沢馬琴の「里見八犬伝」にもたびたび登場します。 室町時代、足利幕府が関東を直接支配するために置いたのが鎌倉公方です。 室町時代の後期になると、関東は勢力争いが激化しました。鎌倉公方として京から下向した足利政知が関東に入れず、ここ堀越に館を構えたらしい。それで、堀越公方と呼ばれたのですな。 これに対して、もとから関東にいた足利成氏が、古河で公方を称したのが古河公方ですか。この辺りの経緯は複雑で、正直、よくわかりませぬ。戦国時代はかなり詳しいという自負がありますが、関東の争乱は何度話を聞いてもごっちゃになってしまうのですよ。 それでも、実際に現地を訪れると、歴史書の中だけの存在の堀越公方がリアルに感じられました。 …といっても、現地は、一面の原っぱに解説板が立っているだけですが…。 解説板には、発掘調査により池や導水路の跡が検出されたものの、建物跡などは不明とあります。「伝堀越御所」とあるから、場所の特定はされていないのですな。 ただ、井戸の跡や鉄釘、貨幣、白磁や青磁の陶磁器類なども発見されているそうです。ちなみに、京都にあるような御殿が建っていたらしい。 堀越公方の足利政知は、1491年に病死。前にも触れたように、その子茶々丸が堀越公方と名乗りますが、北条早雲に攻め込まれて滅ぼされてしまう。 そのあと、北条早雲は韮山城に移り、関東制覇に乗り出すのですね。後北条氏の関東進出のスタートになった場所だと思うと、静かな原っぱから地鳴りがしてくるように感じるのでした。 意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 伝堀越御所からすぐ近くの住宅街の中に古い井戸があります。解説板を読むと、「北条政子産湯の井戸」という表示が…。 すると、平安時代の井戸ですか。そう思って覗き込むと、途中で埋められていました。石組みはかなり古いような。 ただ、あとで調べてみると、江戸時代の井戸であるという意見もありました。井戸の歴史については詳しくないので何とも言えませんが、これも「伝北条政子産湯の井戸」という認識でいいのでしょうね。 これを聞いたら、うちはモノホンだと「伝堀越御所」が怒るかもしれませんが…。 それはともかく、次はいよいよ本日の最終目的地・北条氏邸。後北条氏と紛らわしいですが、こちらは鎌倉時代の執権の北条氏ですね。 北条政子の実家がすぐ近くにあるから、産湯の井戸の伝説ができたのでしょうか。 場所は、標高約100メートルの守山のふもと。そして立派な河川敷を持つ狩野川がすぐ近くを流れています。 こんな風光明媚な場所に、のちに歴史の教科書にかなりのページを割いて紹介される北条氏のルーツがあったのですか。 北条氏は、桓武平氏の子孫で、伊豆・北条郷に下向して北条氏を名乗ったと言われています。ここに実家のあった政子が、源頼朝の妻となり、北条氏発展のキッカケとなったのですね。 ただ、こちらも、伝堀越御所と同じように、何の建物も残っておりませぬ。ただ、あちらが、ただの平地だったのに対して、意味深な溝や石の存在を確認することができました。 これは、北条氏邸の遺構の一部ですかね。 北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡 この場所は、鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の妻や娘たちが鎌倉から韮山に戻り、北条氏の冥福を祈るために寺院を建てたらしい。 その寺院は、円成寺と言うのですか。尼寺として続いたものの、堀越御所が造営されたときに境内が接収されたそうです。その後廃寺になったのですね。 北条氏邸と同じ土地に寺院が建てられ、それが長く続いていたのなら、今残っている痕跡はほとんど寺院のものではないか。 ただ、1992年から1993年にかけて行われた発掘調査では、平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物や建物跡が発見されたそうです。 すると、こちらは「伝」北条氏邸ではなく、「確定」北条氏邸なのですね。 円成寺の遺構ももちろん確認され、いくつかの建物の跡と、それぞれを区切る区画溝、池の跡などが検出されているらしい。 城好きとしては、溝は北条氏邸の空堀の跡ではないかと期待したのですが、やっぱり円成寺の遺構みたい。 それにしても、標高100メートルの守山の麓に作られた屋敷というのが気になります。 平時は麓で暮らし、戦の時は守山に籠って戦おうとしたのではないか。平地の居館と詰めの城がセットになった城を想像してしまいました。 おそらく、誰も指摘している人はいないから違うと思いますが…。 すべて城を中心に仮説を立ててしまう悪いクセを治さねばならぬと考える今日この頃。 それにしても、北条氏のルーツの場所と北条早雲の居城・韮山城はあまりにも近い。 前にも述べましたが、北条早雲は、後になって呼ばれた名前で、当時は、伊勢盛時とか伊勢宗瑞と称していました。北条氏を名乗るのは、二代氏綱からですが、やはりこれだけルーツの場所が近いと、執権北条氏の存在が気になったのでしょうね。 北条氏邸跡(円成寺跡)は、現在、整備、活用に向けた計画が進められているそうです。 朝倉氏の一乗谷みたいに、当時の姿が復元できたら韮山反射炉に匹敵する観光スポットになることを期待するのでした。ご興味のある方は、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。 「おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編」(参考)目次より第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島3.3千6百の兵力で、4万4千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸 第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡 7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡
2022年01月15日
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こんにちは。 今回も、アーバンライフメトロさんのHPに提供させていただいた記事のご紹介です。 タイトルは、『 現在は公園に! お台場に浮かぶイカつい「第3台場」の正体 』 東京オリンピックの舞台のひとつになった港区のお台場がテーマです。 お台場は、都内では珍しく、リゾート気分が味わえるスポットとして人気を集めていますが、立派な城跡もあるのですよ。 品川台場は、なんと、日本城郭協会が選定した「続日本100名城」のひとつなのだとか。 ペリー艦隊が浦賀に来航した幕末の1853(嘉永6)年。危機感を出だした江戸幕府は、同年8月、江戸を防衛するために、品川台場の建設に着工します。 翌年12月までに、計7基の台場が完成。海の中に連なる人工島を1年ちょっとで作ってしまったのですか。幕府はそれだけ黒船来航に脅威を感じたのでしょうね。 現在見学できるのは第3台場だけですが、100名城にセレクションされただけあって、見ごたえは十分。歴史に興味がない人も、レインボーブリッジとコラボの絶景は、きっと満足いただけるでしょう。 本文では、山手線の駅から無料でお台場へ行ける方法もご紹介します。 それは、レインボーブリッジを歩いて渡るというもの。 若干、体力を使いますが、ゆりかもめやりんかい線で行くよりも、さらに東京の大パノラマの絶景を体感することができます。 記事の中では、現在無人島になっている、短編ホラーの舞台になった第6号台場もご紹介しました。 第3台場では、土塁や砲台、陣屋、火薬庫の跡などを詳細にリポート。 ほかにも、昭和初期のアウトドアの痕跡や不思議な池など、新たな魅力も発掘しました。 ご興味のある方は、是非、記事をご覧いただければ幸いです。 それは、こちら。 よろしくお願いいたします。
2022年01月08日
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