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こんにちは。 また、間が空いてしまいましたが、拙著「おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編」の内容の一部をご紹介されていただきます。 それは、こちら。 本日は、第8章の「様変わりした大宮駅前とノスタルジックな魅力満載の鉄道博物館を歩く」から。 今回ご紹介するのは、埼玉県さいたま市大宮区。昔、合併前の大宮市に少しだけ住んだことがあり、個人的にノスタルジックの感じる場所です。 約10年前に、鉄道博物館ができたと聞いて、一度訪れてみたいと思っていました。 1.様変わりした大宮駅西口 ウォーキングのスタートは大宮駅西口。私が大宮に住んでいたのは今から30年以上前ですが、駅前に立つと、変わりようのすごさに驚きました。 昔は、良い意味で、地方都市ののどかさが残っていたのですが…。当時は、ソニックシティなどなく、西口の高いビルと言えば、武蔵野銀行本店だけでしたね。 それが今や、周りのビルから見下ろされておりまする。初めて訪れた街を歩くように、キョロキョロ見回しながら時の変化を体感しました。 2.かつての城館で、幕末の有名人のお墓がある普門院 鉄道博物館へ行くには、ニューシャトルの鉄道博物館(大成)駅が一番近いのですが、今回はちょっと寄り道をして行こうかと…。 私が寄り道したいと言えば、そこに城跡があるから。それは、大宮区大成町にある普門院というお寺です。当地の豪族金子一族の居館跡ですが、ほとんど痕跡は残っていないので、城跡が目当てだと少しがっかりするかもしれませぬ。ただ、さいたま市の文化財指定を受けている場所らしい。 国道17号をひたすら北上し、大成町2丁目の信号を左折すると立派なお寺が。 確かに、遺構はまったくありませんが、ほぼ正方形の境内がそっくり当時の館の敷地だったのですね。 行った日は、美しい桜が迎えてくれました。 このお寺には、なんと幕末の有名人の一人、小栗上野介のお墓があるらしい。小栗上野介といえば、司馬遼太郎が「明治の父」と言った人物。現在は、彼が隠したと言われる埋蔵金伝説が有名みたいですが…。 お墓は、このほかにも、彼の領地にあった東善寺や雑司ヶ谷霊園にもあるそうですよ。 3.鉄道ファンでなくても楽しめる鉄道博物館 遺構は残っていなくても、城跡に行ったというだけで満足し、次の目的地へ向かって歩きます。再び、国道に戻り北上を続け、今度は大成町3丁目の信号を右折。しばらく行くと鉄道博物館駅がありました。 博物館の入り口へは、東北上越新幹線の高架の下を歩いて行くのですな。鉄道博物館は、かつて東京の万世橋前にあった交通博物館をこちらに移転し、「鉄道博物館」として開館した施設。 開館したのは、2007年10月14日の鉄道の日ですか。ちなみに、ここはかつて車両解体場があったらしい。そういえば、何となく当時の景色が記憶に残っています。 鉄道博物館の入り口付近のプロムナードでは、D51形式蒸気機関車や修学旅行列車の先頭部が展示されていました。ほかにも、台車やさまざまな車両の輪軸などもあって、鉄道ファンなら、ここだけでも見学に時間がかかりそう。 私は、いわゆる鉄っちゃんではないですが、ワクワクする展示物が満載でしたね。 博物館の入り口は、実際に駅の改札を通るようなICカードによる入館システムになっているのですな。 4.パークゾーンでは、ミニ列車やミニ運転列車に乗車できる 鉄道博物館は広大なので、どこから見ようか迷ってしまいます。城攻めと同じように外側から行こうと、まず向かったのは、屋外にあるパークゾーン。 パークゾーンには、てっぱくラインと呼ばれるミニ列車が走っていました。 本館の「はくぶつかんちゅうおう駅」とノースウイングの「はくぶつかんきた駅」までのおよそ230メートルの線路を往復しているのですか。 「はやて」をモデルにしミニ車両編成で、入館者は無料で乗車できるみたい。自動運転ではなく、博物館のおねーさんが運転してくれるのですね。 同じくパークゾーンにあるのは、ミニ運転列車。 こちらは、1周300メートルのコースを、自分でミニ車両を運転してまわれるのですな。車両は、長さ約2.4メートル、幅約1.2メートル。ミニ車両と言っても3人乗りで、乗ってしまえば大人でも意外と狭さは感じなかったですね。 所要時間は約6分で、コースの途中にはカーブによる減速や、ポイントの速度制限など、実際の運転シーンが体感できました。 こちらは有料で、一回200円。さまざまな種類の車両があって、種類は自分で選べないので、どれに当たるかも楽しそう。 エントランスゾーンに戻ったら、蒸気機関車が窓ガラスの向こうをすごいスピードで通り過ぎていきました。煙と音がすごい。やはり、走っている姿は迫力ありますな。 5.ノスタルジックな気分に浸れるヒストリーゾーン 博物館の屋内一階は、広大なスペースのヒストリーゾーンになっています。もらったパンフレットには、鉄道創世期から現在までの各時代の鉄道車両の実物が8つのテーマごとに展示されていると書かれていました。 懐かしい車両もたくさんありましたね。それらを見ると、当時の記憶が蘇ってきます。見学した順にご紹介しますと、まずは東海道本線を走っていた特急用一等展望車。昭和5年製造なので、私は記憶がありませんので念のため。 桃山式の荘厳な内装ということですが、確かに桃山時代の唐門の意匠によく似ていますな。秀吉が生きていたら、きっとこんな客車に乗ったのですかね。いや、黄金列車かも。 これは、戦前を代表する通勤型車両だとか。3扉ロングシート車で、今と基本的には同じデザインですね。 間違っているかもしれませんが、子供の頃、山手線にこんなチョコレート色の電車が走っていたおぼろげな記憶があります。 当時は、黄色とか、黄緑とか、いろいろな色の電車が走っており、自分の好きな色の電車に乗りたいとだだをこねた思い出が…。 このあと、鉄道ファンならずともうれしい1964(昭和39)年製造の新幹線や東海道本線で活躍した旅客用機関車・特急「富士」を見ることができました。 新幹線の運転席にも座ることができて、車窓からエイトマンが走っている姿をイメージしてしまいましたね。 ヒストリーゾーンの中央にあるC57形式蒸気機関車は、大きな汽笛の合図とともに、巨大な転車台とともにゆっくり回転するのですよ。 歴史好きとしては、1871(明治4)年製造の1号機関車に注目してしまいます。通称、陸蒸気で、日本史の教科書にも登場しますが、それがリアルに見られるとは。 ほかにも、見どころがたくさんあり、とてもここでは書き切れませぬ。 本の中では、それらを詳しくご紹介しています。 ご興味のある方は、是非、こちらをご覧ください。 『 おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編 』 ちなみに、第8章の目次は、以下の通りです。 第8章 様変わりした大宮駅前とノスタルジックな魅力満載の鉄道博物館を歩く 埼玉県さいたま市1.様変わりした大宮駅西口 2.かつての城館で、幕末の有名人のお墓がある普門院 3.鉄道ファンでなくても楽しめる鉄道博物館 4.パークゾーンでは、ミニ列車やミニ運転列車に乗車できる 5.ノスタルジックな気分に浸れるヒストリーゾーン 6.ラウンジやパノラマデッキから、モノホンの車両が走っているところが見られる
2019年01月23日
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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。 例年通り、神社と城跡に初詣に行き、いろいろなネタを仕込んできました。 素敵な写真も撮れたので、またブログの中でご紹介したいと思います。 未発表の写真がたまっておりまして、まだ先になりそうですが…。 さて、今回も、拙著「おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編」の内容の一部をご紹介されていただきます。 それは、こちら。 本日は、第7章の「歴史好きならイメージを膨らませたくなる巨大古墳と個性的な城跡めぐり」から。 1.無量寿寺は、かつては鎌倉武士の館だった 今回も、埼玉県東松山市のウォーキングを続けます。前回は、古墳や埋蔵文化財センターなど、主に古墳時代の東松山に触れましたが、今回は、戦国時代の視点でも歩いてみようか、と…。 野本八幡神社から県道を渡ると、草が刈られた敷地の向こうにお寺が見えます。地図で確認すると、これが無量寿寺ですか。 曹洞宗の寺院ですが、ここはかつてこの地方で勢力を誇った野本氏の館だったそうです。お寺の門前の解説板によれば、平安時代、公卿・藤原基経の警護を務めていた片田基親の子基員がこの地に移り住み、野本左衛門と名乗ったことが野本氏の始まりと言われている、とありました。 野本左衛門は、源頼朝の信頼が厚い武士だったらしい。そういえば、今も鎌倉時代の武士の館の雰囲気が残っているような。鎌倉時代の武士の館と言うと方形で、周りに土塁を巡らしているイメージがあります。無量寿寺の境内もほぼ方形で、敷地がそっくりお寺になっているのがわかります。 2.鎌倉時代と戦国時代の館の姿をイメージさせる土塁が残る それでは土塁は?と思って、境内を探すと、本堂の後ろにそれらしい土地の隆起を発見しました。本堂の建物に沿って、土塁が曲がっているように見えるのですが、これは当時のカーブですかね。かなりの高さですが、残念ながら途中で土塁はなくなっていました。 土塁の外側は、かつて竹藪だったみたい。今は竹や草が切られていて、更地化しつつあるのでしょうか。見晴らしは申し分ないですが、この空き地は今後、どうなるのかなと思いました。 さきほど見た解説板には、堀の遺構も確認できるそうですが、草が堆積していてよくわかりませぬ。ただ、よく見ると、少し凹みがあるようには見えますね。 ほかに館の痕跡はないだろうかと調査を続けます。すると本堂の横の墓地に、段差を発見。さきほどの土塁を延長すると直角に交わる位置にあり、これはかつて土塁だったのかもしれませんね。自然地形とすれば、この場所に段差があるのは少し不自然ですし…。 ただ、鎌倉時代の野本館からはかなり改変されているらしい。この土地は、戦国時代、上杉氏と足利氏が抗争を繰り広げたと言われています。解説板にも、二重の堀と土塁が存在したものの、外側の土塁は後世に作られたとありました。 戦国時代に野本氏がここにいたかどうかわからないようですが、かつての武士の館を増強して戦国の荒波を乗り切ろうとしたのかも。 3.武士の館との関連が興味深い将軍塚古墳 鎌倉時代の武士の館の痕跡が残る場所は興味深いですが、見どころはそれだけではありませぬ。無量寿寺の門の前に、巨大な山があるのですよ。しかも、人工の…。丘ではなく山と言いたくなるこの地形が人工のものとは驚きです。これは、将軍塚古墳。全長が115メートルで、後円部の高さ15メートル。前方部の高さは8メートルもあるのだとか。前方後円墳として、埼玉県では最大級の大きさだそうですね。発掘調査が行われていないので、築造年代については4世紀から6世紀前半まで分かれて論争が行われているそうです。 当然、野本館が作られた頃には、この古墳が存在したわけで、館のすぐ近くにこんな大きな古墳があったら落ち着かないのではと思ったりしました。ただ、お城の天守や櫓には、物見の機能もありますからね。戦国時代には城の一部としてこの古墳が活躍したのだろうと思いました。 こちらの古墳は後円部に社があって登れるのですか。 まず前方部へ上って行くと、日露戦役の忠魂碑が建っていました。ここもかなりの標高があって、古代の人たちの努力に頭が下がります。 後円部には階段を使って上るのですな。その途中、古墳というより、城の郭のような広場もあって、戦国時代は後円部を城の本丸のように使ったのだろうかと妄想が膨らみました。 急峻な崖の上に立つのが利仁神社。八王子城の本丸のようなイメージで、下との標高差もかなりありますな。 戦国時代、館を平時の城として使い、有事の際はこちらを詰めの城として考えていたのかもしれませぬ。 このあと、戦国時代の館の面影が残る高済寺・旧高坂館へ向かいます。 ここでは、戦国時代の城塞クラスの巨大な土塁と空堀に鳥肌が立ったのでした。 なぜ、現存する館の跡の規模から不釣り合いな防御施設が作られたのか。素人なりに、城の縄張り(設計図)について考えてみたのですよ。 本の中で、詳しくご紹介しています。 ご興味のある方は、是非、こちらをご覧ください。 『 おもしろ歴史ウォーキング 首都圏編 』 ちなみに、第7章の目次は、以下の通りです。 第7章 歴史好きならイメージを膨らませたくなる巨大古墳と個性的な城跡めぐり 埼玉県東松山市 1.無量寿寺は、かつては鎌倉武士の館だった 2.鎌倉時代と戦国時代の館の姿をイメージさせる土塁が残る 3.武士の館との関連が興味深い将軍塚古墳 4.戦国時代の館の面影が残る高済寺・旧高坂館 5.戦国時代の城塞クラスの巨大な空堀に驚く 6.不釣り合いなほどの巨大な土塁と空堀の謎
2019年01月09日
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