2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全5件 (5件中 1-5件目)
1

明け方から、雨が降ったり止んだりしている。窓を開けると、夏の雨のにおいのする風が入ってくる。突然降り出す気まぐれな雨に、子どもたちが歓声とも悲鳴ともつかない声を上げて走っていく。リディア・デイヴィス『話の終わり』を読む。最近よく行く隣町の図書館で、翻訳者(岸本佐知子)と表紙のデザインにひかれ、借りてきた。物語は、語り手の「私」が、すでに終わりを迎えた年下の男との恋を振り返るかたちですすめられる。現在はほかの男性と結婚し、その父親の介護をしている「私」の日常と、過去の恋愛の断片が入り混じる複雑な構造なのだけれども、ふしぎに読みにくくはない。それどころか、読んでいるわたし自身が、「私」の意識の流れに同調していくのを感じ、奇妙な心地よさをおぼえる。これといった事件が起こるわけでもないのに、目が言葉を追いかけるのを止められない。読み終えてからも、そのざらっとした感触が忘れられず、同じ作者の短編集『ほとんど記憶のない女』をつづけて読む。収められた51の物語は、数行から数十ページまで、長さも文体もばらばらで、「実験小説」とでも呼びたくなるような、ふしぎな味わいをもっている。たいていの文章には名前や明確な主語がなく、たとえば冒頭近くに置かれた表題作は、こんな書き出しで始まる。「とても鋭い知性の持ち主だが、ほとんど記憶のない女がいた。日々を暮らしていくのに必要なだけのことは覚えていた。」表紙をかざるマグリットの抽象画も印象的なのだが、読みながらいつの間にかわたしの頭にうかんでいたのは、アメリカの画家、ホッパーの絵だった。よく晴れて、からっとかわいて、輪郭がくっきりして、手を伸ばせば触れられそうなのに、どこかで見る者を突き放している。決して「そちら側」へは行けない、ガラスのむこうの海を見ているような寂寥感。リディア・デイヴィスのアメリカは、ホッパーのアメリカとすこし似ている、と感じる。今のところ、日本で翻訳されているのはこの二冊だけのよう。ほかの作品の翻訳も楽しみに待ちたい。
2011.05.23
コメント(2)

ヨガをする。最近身体がすっきりしないので、いつもより時間をかけて、ていねいに。妊婦さん用のゆるやかなプログラムだけど、前傾ぎみの姿勢など、ずいぶん動きにくくなってきた。それでも、1時間ばかりつづけたらだいぶ気持ちが落ち着いた。芯が通ったというか、重心が下がったというか。家事でも、食事でも、読書でも、今やっていることにじっくり向き合える感じ。それで、このところ、何かしながら常にほかのことを考えていた(テレビを見ながらごはんを食べる、さんぽしながら晩の献立を考える、読みかけの小説を放っておいて買ってきた雑誌を読む)と気づく。思うように動けなくても、身体の感覚に耳を澄ませフォーカスしようとする、その時間が大事なんだろう。「百パーセント、ここにいる」という言葉を思い出す。梨木香歩『不思議な羅針盤』のなかで、『日日是好日』の著者、森下典子さんの言葉として引かれていた。孫引きになるけれど、さわりだけ紹介したいと思う。25年間お茶を習いつづけている森下さんは、20代のころ、「自分だけ、人生の本番が始まらないような気がした」という。お茶のお稽古に行っても、「こんなことしている間に、みんなはもっと先に行ってしまう」と思う。先生に「あなた、今どこかよそに行っちゃってるでしょ」と言われる。ある日、いつものように濃茶を練っているとき、森下さんは「今、お茶の葉が目覚めた!」という感触を得る。気がつくと焦りは消え、心のすべてを傾けてお茶を練っている自分を発見する。「その時、私はどこへも行かなかった。百パーセント、ここにいたのだ。」(森下典子『日日是好日』より)そう言えば、敬愛する詩人メイ・サートンも、『海辺の家』の中で書いていた。「中心を失わないための秘訣は、あらゆることを絶対の集中力でやってのけることだ。庭づくりをするときはそれがいちばん大事なことのように、書くときにも同じこと、友達に会うときにも、彼らのもたらすものに心を完全に開いていること」目の前にあること、今やっていることがもっとも重要であるかのように振る舞う。百まではいかなくとも、百に近づける努力をすることが、「日日是好日」、宝物を見落とさずに暮らす秘訣かもしれない。ヨガはその、いい練習になるみたいだ。
2011.05.16
コメント(2)

散ってゆく桜を追いかけるように、さくらんぼの白い花が咲きはじめました。朝、出かけてゆくくまを見送るために勝手口を開けたら、裏山の方から、ツツピーとシジュウカラの鳴く声がした。デボラ・ソロモン「ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア」を読む。ジョゼフ・コーネルはアメリカの芸術家。小さな箱の中に閉じこめた物語、小宇宙のような作品をひと目見たときから、その世界観にひかれ、もう一度見たい、もっと知りたいと思いつづけていた。新聞の書評で、伝記の翻訳が出版されたことを知り、図書館でたしかめたら五百ページの大作!返却期限までに読みきれるかどうか心配だったけれど、時間のある今こそ…と思い切って借りてきた。結果は、杞憂でした。読みすすめるごとにおもしろくなって、あっという間に読みきってしまった。早逝した父親とすごした時間。障がいを持つ弟の介護。束縛する母親との確執。踊り子たちと映画への、ほとんど執着と言っていいほどの情熱。生身の女性に対する、抑圧された欲望。幼い日に夢の時間を過ごしたペニーアーケード。星の運行や、庭にやってくる鳥たちへの興味。「天文台」と呼んだ自宅の台所で、あるいは蒐集品に埋もれた地下室で、コーネルはそれらすべてを、小さな箱とコラージュ作品の中に閉じこめようとする。やがて箱が世間の耳目を集めるようになっても、自分の「作品」に寄せられる評価に対して、彼はほとんど頓着しない。それどころか、自ら創りあげた小宇宙への執着から売ることを拒んだり、小さな子供や町のウェイトレスにぽんと箱をあげてしまったりする。本書に添えられたポートレイトの中で、晩年の芸術家は庭の安楽椅子に腰掛け、物憂い表情をうかべている。人は誰もある種の「ゆがみ」と共に生きていて、それはときに孤独の名で呼ばれるけれど、おそれずに奥へ、奥へと分け入っていくと、自分ひとりの世界ではない、多くの人と共鳴する、つながる広場に出るのかもしれない…というようなことを考えた。
2011.05.08
コメント(0)

高台の公園で、名残のお花見。近所のパン屋さんで、ランチボックスを買っていきました。春の日差しの下で食べるお弁当は格別!来年は親子三人で来られたらいいな。
2011.05.07
コメント(0)

連休に入って初めての、気持ちいい青空。さんぽがてら、散りぎわの桜をめでる。目をつぶると、無数のミツバチの羽音、喧しくさえずるヒヨドリたちの声が聞こえる。下草が芽を出した地面は、ふかふかでやわらかい。見上げたら、太陽の周りに虹が出ていた。雨が降っているわけでもないのに、ふしぎ。 *午後から図書館へ。勤めは卒業したのだけど、ときどきちょっとだけ仕事を手伝ったり、本を借りたり、おしゃべりしたり(これがおもな目的!)しに行くのです。今日もみんなとおせんべいを食べて茶を飲んでいたら、先輩から箱を手わたされた。なんと、わたしのために送別プレゼントを用意してくれていたのでした。名前入りの消しゴムはんこに、みんなからのメッセージと図書館の思い出をつづったミニアルバム。赤ちゃん用のガーゼと木製クリップには、消しゴムはんこのスタンプが押してある。赤ちゃんが生まれてから使える白紙のアルバムや、オリジナルの模様を焼き付けた豆皿、キャンディの入ったポチ袋。おどろくべきは、これらすべてが先輩たちの手づくりということ!みじかい間だったけど、ぎゅっと中身が詰まった幸せな時間だったことだ。図書館ではたらいたことで、わたしは心の底から、ここを自分の町と思えるようになった。
2011.05.03
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1