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しばらく荷物をまとめて出かけてみることにしました。出かけた先では、これまでのものを引っ張り出してみたり、これからのことをつくってみたり、そんなことができればと思っています。もし、連絡をくださる、そんな物好きな方がいらっしゃいましたら、私書箱にメッセージを残していただければと思います。それではまた。
2006.09.25
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男の子が生まれたというので、薫はお祝いを風呂敷に包んで出かけることにした。お祝いにはなにがいいか、と考えたけれど妙案もないので鮒の甘露煮にしたのである。町に出ると気のせいか、ふだんより賑わっているように感じる。駅前では号外が出たらしく、坂通りを姐さんたちが連れだってその号外を振るようにしてさんざめいて歩いてくる。薫はなんだか気後れしたので、下駄屋の源吉さんのところを冷やかすことにした。娘の運動靴もついでに買ってやろう。女房が言っていたけれど、源吉さんはいまでもSHINSEIを吸っている。あれ、どこの煙草だろう、と女房が言うからびっくりした。なにいってやんでえ、れっきとした日本の煙草よ、と言ってみるのだが、最近ではついぞ見かけることがない。銀製の煙管だって使っている。刻み煙草は高価なので、吸い終えたSHINSEIから煙草の葉をほぐして使うのである。黒縁のめがねもいい。まるで絵に描いたように、縁のところはセロハンテープが何重にも巻かれている。いや、これは本当の話。「どうしたい、お祝いかい?」「いや、男の子が生まれたって聞いてね」「うんうん、だけどなんだな、これからは大変だ」なにが大変なのかはわからないのだが、源吉さんはそのまま黙って、運動靴の入った箱の埃を払っている。どうみても10年は眠っていたに違いない商品だ。娘には中身だけを渡してやろう。格好だって案外悪くない、たぶん。「どうだい、やっちゃんは?」「どうもこうもねえな。あっちとこっちをいったりきたりだ」やっちゃんは安夫といって、源吉さんのところの三男だ。外地に出ていたのだが、抑留されて別人のようになって帰ってきた。薫とは小学校の同級になる。やっちゃんは、家に戻ったその日、すたたたたと座敷に上がり込むと畳をひっくり返し、いきなり床板を引っぱがすと大きな穴を掘り出した。それからは丁寧な仕事ぶりで、内部を固め、藁をしきつめ、裸電球を引き込むと、そこに横になった。やっちゃんはいまでも一日の大半はそこで過ごし、気が向くと穴からはい出してきて、よしいばあさんの用意した飯を食う。源吉さんのいう「あっちとこっち」というのはそういう意味である。いや、外と内という意味か。外地と内地? 源吉さんのところで茶をごちそうになり、それから暇を告げるともう夕の刻になっている。そこから路地を抜けて近道するとほどなく屋敷街だ。屋敷街でもひときわ立派な当のお屋敷は、案の定、人だかりができている。薫は警護に当たっているらしい顔見知りの警官と目が合ったので、ひょいと挨拶する。こっちへこい、と手招きするので行ってみる。すると人混みをかきわけてくれて、記帳台まで案内してくれた。それで記帳する。祝いの品はどうするのかと見渡すと、記帳台の隣に設けられたテント内にそれらしきものがすでに数え切れないほどに積み上げられている。ネクタイをした係のものらしい男がやってきて、中身は何か、と聞く。鮒の甘露煮です、と薫が答えると、面白くもないという顔をして、帳面のようなものを取り出して品名を記入をし、包みからとりだした祝いの品を受け取ると、また別のネクタイ男に手渡した。帰りは屋敷の外堀沿いにあたる柳通りを通ってみる。川のせせらぎが微かに聞こえてくる。どこからか秋の虫が鳴き始めていて、一陣の風が吹き抜けていく。はじめて今日生まれたという男の子のことを考える。「だけどあれだな」気がつくと、大きな声が出ている。独り言を言っているのだ。前を歩く若夫婦がその声で振り向く。いや、独り言で、すいません、というように薫は軽く頭を下げる。それから突然文子姉のことを思い出す。文子姉は薫をカエルと呼んでいた。こんなとき、ほら、またカエルの独り言だって、よく言われてたっけな。へへ。こんなふうにして頭を撫でてくれながらさ。その文子姉も外地に嫁に行ったきり音沙汰がない。気丈で賢い人だった。ふだんは物静かな人だけれど、納得がいかないことがあれば、すっくと立ち上がり、両足を踏ん張って話し出す人だった。そんなとき、文子姉は震えていて、後になっていつも泣いていたのだ。だけどそんなこと、こんな世界ではなんの役にも立ちはしないな。安夫といい、文子姉といい、そうだろう?「なあ、カエル」カエルは涙がとまらなかった。
2006.09.06
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この夏、たくさん考えていたのは、古くからの友人のことだったかもしれない。正確には、その友人と自分のことを行ったり来たり、ということかも知れないのだけれど。友人は癌を宣告された。それが夏の始まりだった。盛夏には余命の話まで出た。それから夏も終わりに近くなって、ようやく抗癌剤投与が始まった。あまりに急な話だった。友人たちの間にも動揺が走った。私たちは無力ではあるけれど、体を動かし頭を働かせたいと願った。なにかをしていなければ耐え難い、ということだったのかもしれない。彼は長く独身として暮らし、彼の兄弟たちは東京から遠くにそれぞれの生活を営んでいたので、具体的にすべきことは探せば山ほど見つかった。私たちは必要なことをリストにし、役割を分担し、いくつかの仕事を担った。そのようにして集まった友人は、5年ぶり、あるいは10年ぶりの者もいた。ある女性は夏の休暇をまるまる使って、飛行機で東京にやってきた。友人たちは確実に齢を重ねていて、それぞれに否応なく降り積もった時間を眺めやる、そして思わず顔を見合わせ笑ってしまったりもした。はじめて知り合う人もいた。私たちが集まる目的ははっきりとしていて、そのためもあって、少しでも時間を共有すると、まるで昔からの知り合いのように話し合った。当の友人は、そんな私たちを眺めて、あきれたように「まるでイベントだね」なんていう。もちろん居心地の悪い思いもあっての、彼らしい言い方だ。しかしどこかその通りなのだ。私たちは浮き足立ち、ひとりでは耐え難く、彼の周りをただ踊っているようにも感じることがある。彼の病院やマンションに顔を出した後、私は彼のことを考える。騒がしい私たちが去った後、ひとりになった彼に去来するものはなんだろう。24時間の点滴投与のために浅くなる、その睡眠の合間に思い起こすことはどのようなことか。もとよりそれは知る術もない。本当のところ知りたくもない。私の思考はどうしても過去に向かう。私たちは、途中空白はあっても何十年来の友人だ。彼はもともと人並み外れた記憶力の持ち主で、彼との昔話になると、自分に都合のよいようにいつの間にか修正された私の記憶は、いつも酷薄に再修正を迫られる。それは気持ちのよい場合もあるけれど、大抵はほろ苦い経験だ。私は何を忘れようとしたのか、そのことに対面せざるを得なくなるからだ。そんなことも、いま懐かしく思い出す。彼の病の行き先は、本当のところわからない。抗癌剤は劇的な効果を上げるかもしれない。さらに次の治療は、まるで別の生命体のように分裂し増殖を続けるそれに、決定的な打撃を与えることができるかもしれない。(それに誰の命の行き先も、結局のところわからないではないか)。彼が失われれば、私のなかの何かが確実に損なわれる。これほど自明なことにただ呆然とする。9月4日午後6時50分の山手線ターミナル駅。JRの改札口を出た人たちの群れは、吸い込まれるようにして、郊外へと向かう私鉄の改札口に流れ込んでいく。私はそれに逆行するように地下鉄の改札口をめざして歩く。これから向かう仕事先のこと、ヤマ場を迎える仕事のこと、今月末の残金、今年後半の仕事、こどものための新しい運動靴をそろそろ買い足さなければならない、そんなこと。それからこの駅の地上に所在なげに佇んでいた黒服の青年たちの群れ、なにを勧誘していたのだろう、彼らは一様に疲労していて、申し訳ないけれど、どこか薄汚れた印象があったこと、そんなこと。それから先ほど通り過ぎた若い女性の胸元に思わず目が吸い寄せられたこと、そしてそうしたときに必ずやってくる哀しみのようなもの、そんなこと。いつもいつもいつも。突然叫び出したくなるような静けさ。
2006.09.04
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