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今村さんは遠かった。遠いまま、ほんとうに遠くへ行ってしまった。僕らは数人で今村さんの待つ合宿所に向かっていたのだったか。「僕ら」と言っても、自分には知り合いがいなかった。自分は目立たない聴講生だった。まわりはみんなひと癖もふた癖もある大人に見えた。私は誰にも話しかける勇気を持たなかったし、誰も私に話しかけなかった。確かその行事の直前、私は選考試験の課題の創作ではじめて満点をもらったのだ。後にも先にもその時だけだったけれど。もちろん嬉しかった。そうして急遽、呼び出しを受けた。途方に暮れたけれど断る理由なんてなかった。僕らは電車に揺られている。そうしてどうしたわけか、僕らは目当ての駅をいくつも乗り過ごした。そのことは覚えている。僕らは遅れて合宿所に到着する。今村さんはその理由を聞く。そして乗り越して、同じルートをたどり引き返したことを知ると、にやりと笑う。「同じ道を戻るのは犬より劣る」今村さんは確かそのようなことを言ったのだ。なんでそんなことを覚えているのだろう。それはきっとどうでもいい類のエピソードだ。けれど、今村さんのその一言は、長く私の中に残ることになる。同じ道を戻るのは犬より劣る。
2006.05.31
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写真2枚を入れてみました。できたできた、できました、ぼたんさん。これは、さき織りというらしいのです。ぎっこんばたん、ぎっこんぱたん
2006.05.30
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久しぶりにPCの前にすわる。なにげなくポータルサイトを見ていてみつけた産経新聞からの記事。「君が代」の替え歌。少しは無理があるけれど、日本語歌詞に可能な限り英語の音を近づけている苦労が見える。しかし、改訂版という、この詞の完成度の高さは。危ないからコメントは差し控えよう。Kiss me, girlKiss me, girl, your old one.Till you're near, it is years till you're near.Sounds of the dead will she know ?She wants all told, now retained,for, cold caves know the moon's seeing the mad and dead.訳私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。死者たちの声を知ってくれるのかい。すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。だって、そうだよね。冷たい洞窟は知っているんだからね。お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。イメージ例えば元「慰安婦」ハルモニが日本の若者に歴史の真実を知ってほしいと戦後補償裁判に立つ中で出会った日本人の少女。裁判で闘うハルモニを見て、歴史の真実を知り、心にとどめ、ハルモニの無念を自らのものにしようとする少女。ふるさとから遠く離れた沖縄の冷たいガマの中から月を見上げてふるさとを思ったであろう「慰安婦」の無念を。(引用)
2006.05.29
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オオムラサキの幼虫を見たこと。
2006.05.28
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ひとつの日記に複数の写真を貼り込む技をしらないので 涙
2006.05.27
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ほんとは5月29日撮影。北関東南部。もうひとつの美術館のチラシの受け渡しをした帰り道。夕刻。
2006.05.27
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昨日はあれから東京アンダーグラウンド(笑)を斜めに横切って渋谷に到着。道玄坂をのぼって百軒店通りを横目に見つつ、右折。たちまちのうちにラブホ街に入るのですが、最近はいつの間にかクラブ(若い人が入るところ 笑)がぽつりぽつりとできているようです。その世界はまったく知らないのだけれど、午後8時過ぎ、クラブの周辺には若い人たちがたむろしていたりします。思い思いの服装をした女の子同士、アスファルトの道路に座り込んでいたり。でも、全体に不思議と静か。演奏を終えたバンドがワゴン車を寄せて積み込みをしていたり、そこに彼らのファンらしい、やはり女性たちが集まったりしていても、なんだか穏やかな雰囲気があります。そんなところを、いかにもな中年カップルが堂々腕を組んでホテルに入っていく。どちらも互いの存在を上手に無視しているような。ホテルホテルクラブホテルクラブホテルコンビニみたいな並びにユーロスペースのはいってる小さめのビルがある。1階はカフェになっていて、私はそこで友人と映画がはじまるのを待っています。あそこ、斜め前にいるのは俳優のS? そうみたい、役者さんてさあ、なんか顔の大きい人が多くない? なんてどうでもいい話を交えつつ、共通の友人の病気の話におよび、それが症状としてどのようなものか、そして彼女が自分の病気を相対化するための作業について、友人が話してくれるのを私はひたすら聞いていました。映画は終わり(そう、映画はいつか終わります)、帰りは百軒店通りを抜けるようにして二人で歩きました。このあたりは私にとって思い出の場所でもあります。20代の前半、焦る気持ちはあるものの、なすすべなく、結局は怠惰にひたすら時間を浪費していたような日々。ジャズ喫茶にホンダカブ50で乗り付けて。その店は当時でもあまり有名ではなく、その頃すでにフリージャズ系を敬遠する店が多かったのですが、そこでは平気で流していた。かと思うとフリージャズの次にはチック・コリアがかかったり。たぶんそれもポリシーというよりは、どうでもよかったんだろうと思う。私はコルトレーン後期の悲鳴のような音の連なりをなるべく聞かないようにして漫画雑誌を読みふけったりもしていました。それが助走だと忘れてしまうくらい、あなたは走っているのです。もう跳び方を忘れてしまったの? それであなたは疲れない?
2006.05.26
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明日は映画にしよう。病気になってから男運がいいの、あさってにはカエルさんにも会えるしね、なんてメールがはいる。もちろんそれは冗談だ。彼女は代々木上原にある美容室に予約が入っていて、そこでベリーショートにしてから新宿の待ち合わせ場所にやってくるはずだった。美容室は住宅街のなかにひっそりと在る。彼は20代前半にして表参道あたりで華々しく腕をふるっていた。雑誌の仕事もこなすようになって、あっという間にいわゆるカリスマ美容師と呼ばれるようになる。けれど、あるとき突然店を辞めるとインドあたりに貧乏旅行に出てしまう。何年かして帰ってくると、こんどは自分とスタッフひとりという小さな店を立ち上げた。もう無理はしない。好きなように生きる。どこへ行くかはわからないけれど。ひょんなことで知り合ったカエルが彼女に紹介したのだ。「先手をうって思い切り短くしたいのよ」て彼女が言うからね。ということはカエルとサキが新しい彼女に最初に会うわけだ、そんなふうに楽しみにしていたのだけれどキャンセルのメールがはいる。仕事を頼んでいたフォトグラファーがその日しか空いてないっていうの、ごめんねー、いま記録しておかなければならないから、て友人は言う。取り残されたふたりは少しばかり宙ぶらりんになって、じゃあ映画でもみようかという流れになる。サキは「ファザー、サン」かブレッソンがいいと言う。カエルは「ファザー、サン」にしたいけれど、「隠された記憶」も観たい。まあ、「ファザー、サン」はレイトショーだから、そこで合流してもいいやと思っている。少しだけ開けた窓から入り込んでくる風が急に冷たくなったと思ったら、空はにわかに暗くなる。それから激しい雨が落ちてくる。雷が近づいてきて、ばりばりと世界を揺るがす。で、カエル、その友人のプロジェクトについて考えてみた? 考えてみたさ。そしてそれは当たっていた。彼女はいま進行していること、これから起こることをまず記録しておきたいのだ。それは彼女にとって必要なことだから。カエルは仕事場を出て、ママチャリをガレージからひっぱりだす。雨は容赦なく落ちてくる。気まぐれな雷が乾いた轟音を響かせる。カエルは笑ってしまう。けれど迷うことはない、漕ぎ出せばいい。さあ、雨より速く。
2006.05.24
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今日は気分がいい。と言ってみる。根拠はある。少し、たぶん。春先からひっかかっていた仕事が、とりあえず自分の手から離れて、あとはまあ、なんというか自分を信じず他人を信じろ状況になるので少し気が楽になった。自分を信じるのは難しい。それは人によるかもしれないけれど。後は気を抜かずに残っている仕事を粛々と進めたいものである。誰が? 自分が。ツバメの子どもたちも順調に育っている様子だ。個体数は確認できないけれど仰ぎ見ればいくつかのクチバシが巣からはみ出てのぞいている。その形が成鳥のものよりも平たく、先端だけが申し訳程度に尖っている。どことなくユーモラスで緊張感のない顔つきである。まだあまり目が見えないのか、食事を要求する声もかすかだ。さてカブトムシの幼虫はどうか。いまなお蛹になる兆候は見えない。もっともその兆候とはいかなるものか、知らないわけだけれど。だがよく食べる。空恐ろしい。クヌギの木片はあっという間に表皮を食べ尽くされて丸裸になってしまった。NANAである。はったりもないし、才気も見せびらかしたりしないので、気がつくとおだやかな気持ちで見ている。こうした設定とストーリーでは、とんがったりしたところをちょっとは見せたくなるものではないか。あるいはあえて、少しは壊してみたり。やってもいいと思う。しかしこの監督はそのようなことをしない。気恥ずかしさを感じる場面もあるけれど、きっとそれは私が齢を重ねているからだろう。まっすぐだなあ、こんなにまっすぐでいいのか、と戸惑いつつ、どこかで許してしまうのだった(だったってなんだ)。それにしてもナカシマミカの存在感である。この子の漠とした孤独、と言ってみる。私の時代にもいたかもしれない。しかしどうにも古くて新しい。核のようなものがつかみきれないもどかしさがあって、つい注目してしまうのだ。この子はどんなふうにこれから生きていくのだろう。ふと、共演のミヤザキアオイにしてみれば、彼女の役柄のほうが案外、難しいものがあるように思った。どこにもいるようであり、誰もができるような役を演じるほうが存外難しいのではないか。大げさになれば嘘くさい、共感されない、陳腐化してしまう、大変なことだ。そのうえ、ナカシマミカの空気といなければならない。そのように考えればすごく損な役割である。ごくろうさまと言ってあげたい(なにを言ってるんだか)。気になった出演者はというと、新たにベースをひくことになった男の子である。隠れ美少年好きとしては、チェックである。笑
2006.05.23
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エレベーターの箱の中は、ライトグリーンで塗りたくられている。明らかに素人の仕事だ。エレベーターはぐおんとワイヤーに引っ張られて悲鳴をあげながらゆっくりと上昇する。エレベーターは9年前と何も変わっていない。その色以外は。元同僚の顔は、蛍光灯の光がそのライトグリーンに反射しているせいだろう、青紫に見える。9年前に退社したその会社に、かつてチームを組んでいた二人に誘われて、退社以来はじめて足を踏み入れる。夜は10時を過ぎ、エレベーターがこんどはずどんと停まって開いたドアの向こうは、非常口の照明が見えるだけだ。元同僚が照明のスイッチを入れる。なにもかわっていない。机の配置は変わったけれど、その部屋は驚くほどそのままだ。さわったらそのまま崩れてしまいそうな、酸化し尽くし茶色に変色した洋書を陳列した棚、くたびれた応接セット、そして元同じチームのふたり。僕らは残業の途中で夕食をとりに出かけ、そしていやいや職場にもどってきたみたいだ。やっぱ今夜はこれであがろうぜ、そんな感じ。3人は再び傘を手に取る。今日もそうしてこの夜まで、いっしょに働いていたように。自分はこの9年何をしてきたのだろう。帰り道、その職場も近々移転することが知らされる。ちゃらになる。そうなればこの体にしみこんだような場所の記憶は、いったいどこにおさまるのだろう。「もう帰るところはなくなるんだ」。まるでそんなふうにとまどっている自分に愕然としたりする。そんな場所であるはずもないのに。ついこの間まで、後輩の愚痴を聞いていた。なにもできぬまま、しかし彼の言いたいことはその背景とともにいくぶんかは理解できた。だが今は違う。彼がここ数年に重ねてきた経験は、自分のそれとはまったく違う性格のものだ。例えばそれは、彼の父親ほどの年齢の元上司に、労働条件の提示を行う、そうした経験でありもする。私は彼の話を黙って聞いている。彼はまた、どうにも伝わるはずもない経験を扱いかねて、ときおり沈黙するしかない。そして共有することのできるものなど、もはや何もないことを、たがいに痛いほど感じているのだ。
2006.05.19
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とある会に参加してみることにした。勉強会のようなものだ。間違っても自己啓発セミナーではない(笑)。自己啓発というのは私の雑ぱくな理解では、軟禁された状態で、結局、周囲から刺激を与えられる、尻をたたかれるというものだ。そういうものは苦手というか、憎悪すら感じる。洗脳などされるものかと思う(もっともそういう人ほどつかまりやすいという説もある)。そうは言っても、右も左もわからず新人研修などでいきなりそういう環境に放り込まれた人を捕まえて批判するつもりはない。放り込む方が悪い。だいたい人をコントロールしよう、人はコントロールできる、と発想することじたいが許し難い。そういうことは現実には起こりうる。それは悲しい現実だ。だからといって、それを利用したりマニュアル化するとはどういうことだ。でも、世界の一部はそんなふうにして動いているのだろう。自分だってそんな世界から必死に逃れようとしているけれど、べつだん闘っているわけではない。それにたとえば日々流れるテレビコマーシャルに自分がまったく影響を受けていないかというとそんなことはないわけだ。て、そんな話じゃなかった。脇道にそれた。
2006.05.19
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この写真は5月14日のもの。この日はひならしきものが三つみえる。でも動いているように見えなくて心配になる。ピントも合っていないし。翌15日、この写真に見える三つの卵の姿は見えなくなって、巣の中の赤黒いものがもやもやと動いているのを確認する。ということは6羽すべて生まれたのだろうか。ここでおさらいしてみたい。笑4月3日 ツバメの飛来を確認。4月14日 一週間ほど前からつがいでの活動が見受けられる。この頃、昨年の巣を補修している様子。途中で一部崩壊したりするけれど、再度改修。4月26日3個の卵を確認。4月27日4個の卵を確認。4月28日5個の卵を確認。4月29日6個の卵を確認。翌日以降、卵の個数は増えていない様子。5月14日それまで1日おきくらいに巣を観察してきたけれど、ついにこの日、3羽の孵化確認。たぶん5月15日巣の中に卵を確認できず。すべて孵化?こうしてみてくると、これもささやかな歴史。
2006.05.15
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連休明けの一週間。そういうことか。今週は長かった。東京徘徊。満足行かないこともありながら仕事を回していく。やれることはやり、いまやれることはこの程度なのかとくやしい思いもかかえつつ、それでも前に行くしかなく。仕事場でながめてみる、ある日の日の出。生きているのかカブトムシの幼虫。いまだ孵らぬツバメの卵を心配しつつ。
2006.05.13
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僕たちはその夜、川辺に座り込んでいた。川の流れは、それが流れているのかわからないくらいゆっくりとしたもので、水面はのっぺりとしていてほとんど動かない。この季節には、夜になると、そんな川面から水蒸気があがり、あたり一体には靄が立ちこめることがある。そんな夜は幽玄だとも言えるけれど、こんなふうに座って、ただ時間をやり過ごしていると、いつの間にか着ているものは湿り気をおびて、重く、体にまとわりつくようになる。数十メートル先には、この知人の車が停まっている。なんという色かわからないけれど、限りなく白に近い色のベンツだ。ベンツは、靄の中、その輪郭がぼやけて、静かで大きな生き物がうずくまっているように見える。その白い生き物は何かを待っている。そんなふうにしてそこにじっと座っている。僕たちに話すことはなにもなかった。いつだって話すことはほとんどない。僕たちの間にはもうこの世にはいない友人が佇んでいる。20年近く前に死んでしまった男。そこにはいない者によって僕らの間は隔てられ、その不在のためにこうして僕らは微かに繋がっている。僕らは中学で一緒だった。だがふたりが友だちだったことはなかった。友人は不在の男だった。僕らはそれぞれ彼といくらかは友人であり、それぞれ別のかたちでその友人とつながっていた。白いベンツの男は、中学時代からその腕っ節で頭角を現していた。度胸があり、知恵があった。敵対する者には容赦しない、そんな噂があった。死んだ友人は当時、今でいう、彼のバシリだといわれていた。本当にそうだったかはわからない。だが暴力とは縁遠いような佇まいをしていながら、多くの時間、彼は白いベンツの男とともにいた。僕が死んだ友人と話すようになったのは、同じラジオの深夜放送を聞いていたことがきっかけだった。そして漫画だ。僕らの趣味は近かった。ふたりで話している限り、彼は物静かで内向的な少年だった。彼は大島弓子と萩尾望都と樹村みのりをこよなく愛していた。まだおおっぴらに中学生男子が少女漫画が好きだとは言えないような時代だ。今だって言えるかどうかはわからないけれど。白いベンツの男と友人と僕とが一緒になったのはたった一度しかない。友人の家族が泊まりがけで外出し、その日に僕は彼の家に泊まりにいった。そこへ突然、白いベンツの男がやってきたのだ。僕は緊張した。目を合わせたら何をされるかわからない、そんなふうに凶暴さがささやかれる男だったからだ。彼は階段をあがり、ごく当たり前のように、二階にあった友人の部屋に上がり込んだ。その男は、そしてまたすごく自然に、先客だった僕に挨拶をした。友人の対応もとくに変わった様子はない。友人はくつろいでいた。その様子はとてもパシリには見えなかった。その男は酒を持ってきていた。僕らは飲み慣れない酒を飲んだ。それは不思議な夜だった。どうしてそんな展開になったのか、どうしても思い出すことができないのだが、こんなことがあった。僕らは男3人で、いつの間にか下半身裸になっていた。3人ともペニスが勃起していて、それをチャンバラのようにしてぶつけあって遊んだりした。他人の勃起したペニスなんて、それまで見たことがなかった(その後だってない)。人によって、こんなに色も形も違うのかと驚いた。白いベンツの男のそれは、短く、そして驚くほど黒ずみ、太かった。友人のそれは、白く細く長いのだ。僕らは奇声をあげてペニスをぶつけ合う。そのとき、僕らは、いや僕には、どこにも持っていきようもない、形容しがたい性的快感がおとずれていたと思う。そこには何かしらの快感があった。いろいろ逆算してみるのだけれど、まだそのころ、僕はマスターベーションすら知らなかったのだ。それから先のことはあまり覚えていない。覚えているのは、夜が明ける頃まで僕らはたくさんのことを話していた。その日のことを印象深く覚えているのは、繰り返しになるけれど、後にも先にも3人で過ごした時間は、これが最初で最後だったからだ。学校で見かけるその男の様子は、到底話しかけることができるような雰囲気はなかった。それに彼は僕を避けているように感じた。あまりにも無防備に過ごしたあの夜のことを恥じているかのように。友人が、自殺したのは20代の中頃のことだ。その頃には僕らはなんの交渉もなくなっていた。彼が自殺したことは、郷里の友人から聞いたのだと思う。だがそれも彼が亡くなって、もう1年以上が経っていた。白いベンツの男にとっても似たようなものだったことは、後になって知る。そうして彼が死んで10年ほども経って、男は突然、僕に連絡をとってきた。僕らはそうして再会し、その後何回か会うことになる。そしていま、靄の立ちこめる川辺で、たがいに話すこともなく、二人きりで、何かが訪れるのを待っている。
2006.05.11
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あなたがカブトムシの幼虫の飼い方について話していたとき、黒いラブラドールのラクテンは前足の上にあごを乗せて休んでいた。何かを考えていたのではなかった。あなたの話し声が音楽のように流れてきて、そして通り過ぎるみたいに消えていく、その様子を眺めていたのだ。なにをぼんやりしているの? そう言ってあなたは、ラクテンの首を撫でる。少し乱暴なくらいに。それでラクテンは半身を起こす。「ぼんやり」だ、それは聞いたことがある。それからキツネの映像が浮かび上がる。ラクテンはキツネを知っていた。知っているように思った。その映像はそれこそぼんやりとしていて、放っておけばそのまま、遠く離れていってしまいそうだった。キツネキツネキツネ、そんなふうに反芻する。やがて悲しみの固まりが鼻先をくすぐるようにしてやってきてそれから喉元に落ちていく。そうだ、キツネは言ったのだ。「ぼんやりだ。大切なのはぼんやりとした確かさなんだ。はっきりしているものは大したことじゃない」ラクテンは確かに覚えている。キツネはそう言って、ラクテンを見た。それから牙をむき出しにして、笑ってみせた。記憶はそこで途切れている。途切れているような気がする。小さくなっていく後ろ姿を見た、そんなことがあったようにも思う。それはでも本当のことだったろうか。ラクテンはだいたいにおいて考え詰めることができない。あなたは話しかけている。カブトムシの幼虫が入ったプラスチック製の箱を指さして、何かを言っている。ラクテンはその意味がとれない。ことばはまた音楽のようにして通り抜けていく。ラクテンは少しの間、あなたを眺めるけれど、再び姿勢を下げると、両方の前足にあごをのせ、やがて目を閉じる。
2006.05.09
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早朝。仕事場からの帰り道。
2006.05.08
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連休前半のデスクワークが祟ったのか、というかただ姿勢が悪かったからなのだが、背中が張り、やがて左側の尻に違和感が生まれた。5日のローカル線始発に乗って北に向かうのだが、その電車に揺られているうちに、あ、これは来るなと思った。そういうわけでたぶん軽度の座骨神経痛になった。しかし子どもたちは待っており(まだそういう年齢だから)、目的地近隣の里山に登った。歩いているといくぶん楽になる。だが山から下りるともういけなかった。それで横になることにした。今日になって、行きつけの整骨院に寄る。背中はばりばりと音を立てるみたいに硬かった。
2006.05.08
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こどもたちは、この圧倒的な晴天のもと、田植えをしているだろう。初夏の紫外線は容赦なく照りつけ、しかし風は少し冷たく、けれども心地よく、彼女たちの身体を涼めるだろう。そして私は居残ってこの圧倒的な晴天のもと(繰り返し)、仕事場で、OSXでクラシック環境を開いてなぜかうまく作動してくれないシンプルテキストに嘲笑われているのであった。なんでこんな単純なソフトのそれこそシンプルな作業で時間をとられなければいけないのか、とじりじりと焦燥はつのり。昨夜、友人に教えてもらったgoogle Earthで遊んでいる。まだその全体像をつかめていないのだけれど、とにかくいじっている。開くとアメリカ大陸というのが気に入らないけれど、まずは地球を回してみる。操作になれていないので地球はさまざまに回転し、いうことを聞いてくれない。それからいきなり下降する。地球は迫ってくる。やがて日本列島に近づき、地上が迫り、地面がせりあがってくるようにみえる。私は高所恐怖症の気があるので、一瞬ではあるけれど思わず悪酔いする。そうして私は東京の中心、皇居に落下する。それが皇居というところに思わず笑ってしまう深夜だ。
2006.05.03
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…大義というような抽象的なものによって、決断をすべきじゃない。人間にはそんなことを判断する能力はないんだ。誰となら、一緒に行動していいか。それをよく見るべきだ。そもそも私は懐疑主義者だから、普遍的な倫理はない、他人にも説かないという立場なんだ。…私はこういうふうに生きようと思っている、こういうふうに生きてきた、というふうにしか言わないんだよ。それ以上のことは言わない。鶴見俊輔
2006.05.02
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4月29日付朝日新聞朝刊、「私の視点」というコーナーで、元都立高校校長という人が一文を寄せている。4月13日の都教育委員会の通知に対して批判する、というのがその大意だ。その通知には、都立校での職員会議においては「挙手や採決を禁止」するということが書かれている。またさらに、「所属職員等の意見を聞くことが必要な場合において」も「挙手・採決」などの方法を禁止した。「」かっこで括っているのは、この元校長氏によるもので、ここではそのまま引用している。したがって都の通知が全体としてどのようなものであったのか、ここではこれ以上のことはわからない。この人は、現在、教育現場は様々な問題を抱えており、こうした「改革」の名のもとに行政から下ろされてくる指導・指示で「疲弊しきっている」と書いている。今回の通知は、学校教育破壊の行き着いたところそのものと言い、最後に、当時の文部省はこう言っていました、としてふたつの文章を提示してこの一文を終えている。その二つをそのまま引用する。「学校の経営において、校長や二三の職員のひとりぎめで事をはこばないこと、すべての職員がこれに参加して、自由に十分に意見を述べ協議した上できめること、そして全職員がこの共同の決定にしたがひ、各々の受け持つべき責任を進んではたすこと」(1946年「新教育指針」)「真の指導性は、外的な権威によって生ずるものではなく、人々の尊敬と信頼に基づいて、おのずから現れることが、その本質をなすものである」(1949年「小学校経営の手引き」)●この一文を寄せた人の文章は激しているわけではない。むしろ自分自身の無力感に囚われてもいる。そして辛抱強く仕事を続けてきた人特有のある種の静けさも持っている。●いまさら、わかったようなことは言いたくない。ただ、この文部省作成の一文から思い出したことがあった。●それは、1947年8月に文部省が中学一年生社会科の教科副読本として発行した「あたらしい憲法のはなし」である。記録では1952年の4月まで実際に使用されたとある。これは80頁ほどの小さな本で、憲法についてわかりやすく解説するものになっている。たとえば戦争の放棄については次のように書いている。ちなみに原文では総ルビとなっている。六 戦争の放棄みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送り出されたかたも多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんなに利益があったのでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかし、みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。●最初にわきたつのは「恥ずかしさの感覚」である。そして、理想はかくも美しかった、というつもりなのではない。確かに美しい部分がある、というのは可能だろう。しかしそこがまた脆弱な部分でもあるように思う。倫理的に研ぎ澄まされているかというと、まったくそんなことはない。ここでは恐らく意図して書かれなかったものがある。そのために美しくとも弱い。美しいから弱い。だから簡単になぎ倒される。けれども2006年に訳知り顔でこれを引用し、批判する気にもなれない。戦後、「隠された醜悪なもの」も「美しくうたいあげられたもの」も、そのまま引き継いで今に至っている。そのように考えれば、特に権力を持たなかった自分にも責任がないとは言えない。もう十分に戦後を生きてきたのだから。そのように記憶にとどめてみる。
2006.05.01
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