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・8、31、日いよいよ夏休み最後の一日であった。一か月半の学校の生活はとても長く感じるのに、夏休みの一か月半はあっという間である。夏休み中には大好きな読書も少しはした。井上ひさしが伊能忠敬のことを書いたもので「四千万歩の男」。そこには「人生二山説」ということが書いてあった。例えば定年というものを基準に考えると、寿命が延びた今、60歳の定年から約二十年か三十年の生活をそれまでの余力だけの人生なんてバカげている。当然もう一山超える人生があっていいはずだと。何と江戸時代に伊能忠敬はそれをやってのけた。人生五十年と言われていた時代に、彼が地図作りの旅に出たのは56歳のとき。そこから十七年掛かって全日本地図を完成させて74歳で没している。彼が地図を作ることになった経緯にはいろいろあるのだが、婿養子入りしてその商家を立派に繁栄させて、家督を息子に譲ってから昔から抱いていた星学に没頭する。この何かに対しての情熱、というところが大事であろう。彼は50歳を超えて、今なら70歳を超えてというところだろうか、星学への溢れ出る情熱から江戸に出て自分の息子ほどの年の師匠に弟子入りするのだが、特に人よりも体が丈夫だった訳でもなさそうである。どちらかと言えば、日本中を歩き回るようになってから体が丈夫になったことを手紙に書いている。暦作りという目的から成り行き上地図作りの作業に変化し、その仕事にも誠実に従事する。夏休みの終わりに、彼の人生ふた山説を胸に新たな戦いへと踏み出したいと思う。二学期からの僕個人の密かな努力目標がある。今までもそれに気づいてはいたのだが、僕はピンチが訪れるとものすごく慌てる傾向が強いのだ。だから何につけても人との競争が苦手で、鍼の授業で物への刺鍼競争でタイムなど測られると、慌てるものだから全くうまく行かない。競争で実力が出せないことは、今までの人生でも節目節目で痛い目をして来ている。今クラスで周りを見ると、皆そんな時も驚くほど落ち着いて実力を発揮している。何故僕は競争で落ち着いて自分の手元だけを見ながら邪念なしにもくもくと作業できないのかと問いかけたとき、おそらくだが、子供のころに友人や兄弟とゲームをして遊ぶことが好きではなく、それを面白いと思えなかったことに原因があるのではとも思われる。皆子供のころに遊びを通じて、すでに競争に慣れているのではないか。これからはどんなピンチが訪れようとも、どんな競争の場面に置かれてもゆっくりと落ち着いてマイウェイでいられるよう、自分なりの模索をしてみたいと思う。それさえできれば僕だってもう少しは何でもうまく熟せることが出来るはずだろう。
2014.08.31
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・8、30、土やはり耳鳴りがよくならないので、昨日午前中の合唱団の後、掛かっている耳鼻科、鍼灸院と梯子した。聴力検査の結果やはり突発性難聴は完治しているという。「耳鳴りは残ることがあります」とドクターは恐ろしいことをあっさりと言う。「まあでも日が経つと音は小さくはなりますよ、僕がそうですから」と自分も突発性難聴から若干耳鳴りが残っていることを明かす。耳鳴りに対する薬とやらが出て、処方箋を持って薬屋に行き「この薬の成分は?」と尋ねるとしばらく口ごもりながら「まあビタミンみたいなもんです」という答え。多分精神安定剤のようなものなのだろう。その後半年ぶりに行きつけの鍼灸院。先生は僕の顔を見るなり「えらく痩せましたね、頬がこけていますよ。学校に入学して相当絞られていますね」と笑う。先生が刺す鍼の場所を指して「あそれは何々だ!」とツボの名前を言っていると「違います、それはこっち、ここは別の経絡。はい、落第ですね」と厳しいことを言う。治療を受けながら学校では聞けない興味深い話をいろいろ聞く。突発性難聴に対する治療として、先生は当たり前のようにもくもくと脈を診て鍼を刺す。一体どういう理論による治療なのか聞ききたかったけど、邪魔になりそうだったので尋ねそびれた。今確かに耳鳴りは幾分ましである。この世界の勉強を始めてから、手を施して患者の症状を和らげたり治癒したりできることが、どれほど難しいことか分かって来た。先日知人に「音楽から離れていることが寂しくないんですか?」と尋ねられた。自分の胸に問いかけると、それは何やら複雑である。学校の授業で一心不乱に先生の話を聞いている。この学校には音楽科があって、音楽室からイタリア歌曲を歌う声が聴こえて来ることがある。気が付けば僕の意識は授業を離れ演奏に耳を傾けている。故郷に帰りほっとしているような気持になる。と同時に僕にはヘッドライトしか付いていないようである。
2014.08.30
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・8、27、水月曜日に二回目の耳鼻科訪問で診察を受けた。この日は夏休み中の登校日で、午前中の按摩実技と午後からの鍼実技の訓練がある。午前中の授業を休んで御堂筋あびこに向かう。朝一番に入ったので空いていてすぐ聴力検査を行い、ドクターの前に座ると「はい、治っています」と一言。余計なことは一切言わないタイプの人で、とりあえず右耳の中を覗いて「このように発症してすぐ来ていただくと治る訳です」と呟いた。診察は一分で終わり。クールなのだ。この先生はネットで調べると甲状腺の専門で、たくさん論文も発表している研究者のようである。前回発症したときは、ドイツから帰国した直後で、環境の変化によるストレスが原因と思われたが、今回も4月に激動的に変わった環境のストレスが今になって体調に現れたという可能性もある。しかし僕の右耳は今まで三回も突発性難聴を発症し、三回目のこの度もどうにか完治できたことは居るか居ないか分からない神に感謝したい気持である。
2014.08.27
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・8、23、土今週木曜日に京都のライブハウスに出向いた。例の学校の先生の出演するコンサートで、もう一度聴いてみたいと思ったので足を延ばした。いわゆる追っかけというやつである。当日朝目覚めると右耳が何だかおかしい。閉塞感と耳鳴りで「あ、これは突発性難聴だ!」と悟った。何故なら今から十年以上前に一度発症しているのですぐ分かった。「これは兎に角急いで処置しなければ手遅れになる」とすぐ近くの耳鼻科に出向いた。その日は木曜日で、診察している病院は限られていた。電話ボックスのような部屋に入って聴力検査を行い「右耳はちゃんと聴こえていますから、これは突発性難聴ではないでしょう、とりあえずビタミンB12を飲んで様子を見て下さい」と診断され病院を出た。その後馴染みの喫茶店に入り昼食を取った。店のママに一部始終を話すと、彼女は皿を洗いながら下を向いて「その病院は評判が悪いので、別のドクターに診てもらった方がいい」と小さな声で言った。僕が驚いていると電話帳を繰って、御堂筋線の我孫子駅にある木曜日でも開いている耳鼻科を探してタクシーを呼んでくれた。そこでも同じような検査を行い、ドクターの前に座ると「右耳の低音がかなり聴こえていません、これは突発性難聴です」と言われた。普段からあんなに恐れていたステロイドを服用し、ビタミンと共に今飲み続けている。まる一日経っても何の変化もないので俄かに恐ろしくなって来ていたが、昨日の夕方になってようやく少し閉塞感が薄れて来た。耳鳴りは相変わらずあるが、とりあえず薬で症状が動いたので少し安心である。木曜日は二軒の耳鼻科を経て、京都に向かいまず妹のジャズ喫茶に寄ったが、店内の音楽の音がワンワン頭に響き耐えられない。店の外の椅子に座り時間を潰す。その後姪っ子に同行してもらい、三条木屋町上がるにある「モダンタイムズ」というライブハウスに行く。本来は安静にしていた方がいいし、大きな音も聞かない方がいいのだが、先生のステージがやはりどうしても聴きたかった。その日は四人の出演者が一人ずつ順番に演奏し、先生は三番目である。皆ギター一本で自作の曲を歌う。しかしどれも綺麗な単語を並べただけの詩にそれらしい曲が付けられた退屈なもので、我々は半ば辟易していたが、先生の演奏が始まるとすっかり引き込まれた。その日は先生はギターを使わず、40分ほどのステージを全曲ピアノを弾きながら歌われた。二回目に耳にする曲も幾つかあり、一回目よりもずっと胸に響いた。先生の作品には、その曲を通じて何を表現したいかというシュートがちゃんと明確で、ピアノの腕が素晴らしく、歌も独特の味がある。言い忘れたが先生は全盲であり、にも関わらずミスタッチは全くないし、歌詞を間違えることもない。陰では相当の練習があるのだろう。耳の病気を押してやって来てよかったと思った。出番が終わってから先生と少し話すことが出来た。「茶木さん、僕の歌をいつか歌って下さいよ」とおっしゃっていた。喜んで挑戦してみたい。でも勉強に追いまくられている今、いつになったらそんな余裕ができるだろう。MASARU・TANAKAの次のステージを心から楽しみにしている。
2014.08.23
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・8、16、土あれだけ待ちに待った夏休みも、すでに三分の二が過ぎた。7月の18日に終業式を終えてから「さー遊んでやるぞ!」と思ったのも束の間、各教科で出た宿題と、試験以後に進んだ各教科の範囲を復習するのにやたら苦労している。そんなに多い量でもないのに、いくらやっても頭に入ってこないのだ。やっぱりヴァカンスということで気が緩んでいるのだろうか。それで結局仕事をしている以外はずっとパソコンに向かっている毎日である。それでも時間を作ってずっと行きたかった店にも足を運んだし、クラスメートとも美味しいビールを飲みに出かけたりもした。その中でも8月の初めに、あるライヴに出かけたことが印象深い。これは学校の先生(推定年齢40代前半、男性)のソロステージであった。この先生には今直接授業は受けていないが、361こある経穴を学生が少しでも覚えられるようにと14曲にまとめて、CDにしたものを僕もダビングしてもらい聴いて感服したからである。何に感服したかというと、ピアノ・ギター・ベース・ドラム、シンセサイザーなどを一人で巧みに演奏し、それをスタジオでミキシングして制作されていることである。作曲、アレンジ、歌もバックコーラスももちろん一人でこなされている。それがすべてアマチュアの域を超えて見事な演奏なのである。僕は経穴を覚えるどころか、その作曲能力と演奏力にばかり耳を傾けてCDを聴いていた。クラスメートの一人が先生が定期的にライヴをしておられると教えてくれ、その友人と二人で出かけてみることになったのだ。道頓堀にある店で、先生はピアノとギター、ハーモニカを使って一人で演奏された。全曲オリジナルの曲である。先生はやはり筋金入りのシンガーソングライターで、聴くからに高価そうな音色のギターを巧みに操って素敵なオリジナルナンバーを聴かせてくれた。先生の意識は明らかにプロのもので、演奏への情熱がビンビン伝わって来る力のあるステージであった。しかし先生は公務員だから、ステージでギャラを取る訳には行かないし、オリジナルCDを作成して販売する訳にも行かない。活動したくてもやはり制限はあるだろう。この日記の内容も書いていいものかどうか少し悩んだ。でもアマであろうが、プロであろうが、その意識に厳しく横溢する情熱が感じ取れなければ、そのステージに何の魅力も感じえないだろう。もし誰かの目に留まって、メジャーデビューなんてチャンスが訪れたら、先生はあっさり退職してしまわれるのでは、とも思えるほどの演奏であった。また次チャンスがあれば是非聴きに伺いたいと思っている。
2014.08.16
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