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ピート・シンフィールドがキング・クリムゾン初期に付き合い始めた女性というと、最初の奥さんになったステファニー・ルービンという方でした。彼女、実はシド・スミスさんによるクリムゾン伝記本においても多くの証言でバンド事情を語るキーパーソンの一人でしたね。 キング・クリムゾンがアイランズを制作し始めた当初、フォーメンテラ・レディにおいてピアノでセッション参加したのが、その父親で大ベテランピアニスト、ジュールズ・ルービンでした。しかし、セッションは数回の演奏後、音楽的に合わないと判り、録音テイクは採用されず、その経緯がシドさんの本に書き残されているのみです。今後フリップ師が気まぐれで初期セッションでも公開すれば別ですがw(マルチテープが高かったので、NGテイクなんかはラフミックスでも残ってない限り現存は絶望的だとは思いますがw) さてこのジュールズ・ルービン氏について、娘のステファニーさんがバイオグラフィーを公開しています。既に故人ではありますが、その足跡をコチラで閲覧する事が可能です。Jules Ruben - A Lifetime In Musichttp://www.jabw.demon.co.uk/julesruben.htm ここでそのジュ-ルズ氏が活躍した時代の演奏を Youtubeには残念ながらジュールズ・ルービン・トリオの演奏は無く、ラテンアンサンブルとの演奏しかありませんでしたw 実はこの話はコレだけで終わるわけではありません。1950年代末、トラディショナルジャズの流行を受け、ジャズピアニストとして練習に明け暮れていた10代のキース・エマーソンは、メロディーメーカー紙に宣伝が出ていたジャズピアノの通信講座を申し込みました。 その通信講座が、当時既にBBCなどラジオでも活躍していたジャズピアニスト、ジュールズ・ルービン氏そのご本人の講座だったのでしたw 実際キースは毎週送られてくるコードチャートを勉強し、アドリブに生かす5度圏などインターバルからジャズの基本演奏理解を深めたようです。「ジャズの即興を目指す人にはとても重要だ」と自伝でも評していますね。毎週答えを送ると解答に添削されて戻ってきてたそうですw(昔、ケント・ギルバート氏が80年代に日本のテレビに出ていた某ジャズシンガーを称して「ストラクチャーの勉強をして無いから酷いアドリブだ」と酷評してましたが、やっぱ基礎勉強は大切ですねw) キースは90年代の初め、ピート・シンフィールドとステファニーから直接「ジュールズはステファニーの父親だ」と聞かされて初めてその関係を知ったのだそうですw その時のキースの驚きっぷりが判るようなエピソードですね♪ 上記リンクのJules Ruben - A Lifetime In MusicにはThe Jules Rubin Systemという彼の名前のジャズピアノ教材の写真も載っていました。音楽誌で宣伝されてる通信講座というと日本でも古くから様々な物がありましたね。 余談ですが、キース・エマーソン自伝日本版では彼の事がジュールズ・ルービンズと書かれてしまっていました。たぶん、ルービンの通信講座が原文でRuben'sとでも書かれていたのでちょろっと間違えちゃったのかもしれませんね。私も人のことは言えませんがw
May 30, 2015
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ロバート・フリップとのアルバムStarless Starlightついて語ってるそうですInterview with David Cross. Violinist, Composer and Performer Starless Starlight Loops by David Cross and Robert Fripp
May 27, 2015
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ジョンやイアンが1964年にレコードデビューしたウォリアーズの唯一出演映画「ジャストフォーユー」リマスターされDVD商品化されていたんですねー♪しかも昨年w リンクは販売サイトのものです。JUST FOR YOU 1964 http://www.thevideobeat.com/rock-roll-movies/just-for-you-1964.htmlただしこちらは支払いにペイパルが使えなさそうです。と言う事でAMAZONNだとどうかなと思うと、アマゾンUKでは販売してました。しかも安いw送料含めるといくらになるかはちょっと未確認ですが。出演アーチストは以下のとおりです。Faye Craig: ‘Bongo Baby’The Applejacks: ‘Tell Me When’Al Saxon: ‘Mine All Mine’A Band of Angels: ‘Hide ‘n’ Seek’(EGレコード創始者ジョン・ゲイドンがギターで参加していたバンド)The Orchids: ‘Mr Scrooge’The Bachelors: ‘The Fox’Doug Sheldon: ‘Night Time’Caroline Lee, Roy Sone and Judy Jason: ‘Teenage Valentino’Peter and Gordon: ‘Leave Me Alone’Freddie and the Dreamers: ‘You Were Made for Me’Millie Small: ‘Sugar Dandy’Jackie and the Raindrops: ‘Loco-motion’Mark Wynter: ‘I Wish you Everything’Johnny B. Great: ‘If I had a Hammer’Peter and Gordon: ‘Soft as the Dawn’Faye Craig: ‘Voodoo’The Warriors: ‘Don’t Make Me Blue’(ジョン・アンダーソンとイアン・ウォーレスが最初にデビューしたバンド)Louise Cordet: ‘It’s So Hard to be Good’The Merseybeats: ‘Milk’The Bachelors: ‘Low the Valley’Freddie and the Dreamers: ‘Just for You’ 残念ながら以前YOUTUBEにあったウォリアーズ動画は現在消えておりますが、このDVDの予告編が公開中です。'' just for you '' - official film trailer - 1964. 日本のアマゾンではまだ商品リンクが無いので、英国以外での販売状況は不明です。AMAZONUKでの商品リンクは以下に(※ご注意:この商品はPAL方式DVDです。PAL方式輸入DVDが掛かるプレイヤーやPCソフトで鑑賞可能です。くれぐれも日本方式のみのDVDプレイヤーでは掛けないでください。)http://www.amazon.co.uk/exec/obidos/ASIN/B00JMI86JI/cinemaretro-21ご購入の際はあくまでも自己責任にてお願いします。私も買おうかどうか今の所まだ決断に至ってませんがwと書いてるそばから、ボタン押して買っちゃいました(自滅)送料コミで1600円ちょっとでした。はー、到着が待ち遠しいなーw
May 24, 2015
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ひとえにお越しいただく皆様のお陰です。
May 24, 2015
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May 20, 2015
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フィールズのCDライナーでシド・スミスさんは出来る限り当時の状況をグラハムから聞きだそうとしている為、その多くが当時のマネージメントの不条理さの説明でしめられております。 フィールズのグラハム・フィールドのサイトや2010年にでたフィールズの1stアルバムリマスター盤においてもフィールド自身がシド・スミス氏に語っていましたが、フィールズの悲劇は当時のレコード会社の体制変化が大きく影を落としていたそうです。 実際1971年年末フィールズがアルバムを発表した頃英国国内でのギグも若干あったそうですが、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、スペイン、オランダ、イタリア、ベルギーといった海外フェスティバルの出演を行い、アルバム売り上げの多くも欧州が主だったようです。 英国CBSのA&Rマン(今で言うプロデューサー陣)全員が解雇され、アメリカ本国から新しいマネージメントが乗り込んで来た際、彼らはプログレッシヴ・ロックには一切興味が無かったそうでバーズばかり注目していたそうです。デビューしたフィールズへのバックアップ体制もろくに取られてなかったのでしょうね。 アラン・バリーはもうこれ以上続けられないと言い残して脱退したと言う事ですから、1972年の年明け早々フィールズはデビューしてじきに危機的状況を迎えてしまったともいえます。 フィールズがレコードデビューした当時のインタビュー記事を以前紹介した時、アラン・バリーの発言が一言も乗っていなかったのも彼の脱退と何か関係しているのでしょうか。元々60年代末アンディとルームシェアする友人だったという事でバンドへ誘われたアランの発言は一切残されて無いだけに単にマネージメントの扱いだけで脱退したのかどうかは謎です。 グラハムはその頃スーパートランプにいたフランク・ファレルを勧誘しバンドの存続を図りました。資料によるとファレルがスーパートランプを抜けたのは72年2月とされているので、丁度フィールズへの移籍がこの頃だと推測できます。素晴らしいテナーヴォイスだったアランを失ったが、フランクは心地よい声を持ち合わせたと称しています。確かに繊細でナイーヴさを感じさせる歌声ですしね。 グラハム・フィールド自身はセカンドアルバムではじっくり制作に時間を掛けようと思っていたようですが、録音もほぼ終わり、さあこれから仕上げようと思ってる段階でCBSから棚上げと言われてしまったようです。実際は3年でアルバム三作の契約だったそうですが、契約段階のCBSマネージメントが全員解雇されてしまっていたので、非常に運の悪さを考えさせられます。 グラハムにしても前のバンド、レア・バードでも音楽以外のマネージメント問題で法外なプロモーション費用を要求されたり印税の支払いで揉めたりと、シンパシーの世界的なヒットの裏で相当嫌な思いをして、新たにフィールズを立ち上げたわけですから、そこでまたマネージメントに悩まされるとは何とも運が悪すぎる感じがしますし、気の毒というほかありません。 私たちファンは昔「何でいつまでも再発されないんだろう」とCDも出てなかった再発前には思っていたのですが、怒りと共にロックビジネスから離れたグラハムが何十年もの間、当時を振り返らずに来た思いを責めることなんてできませんね。 グラハムの子供たちが、彼に「なんでフィールズは続かなかったの?」と尋ねたのが、ネットでのファンとのやり取りや1stリマスターでの再評価も手伝い、セカンドアルバムの発掘に繋がったらしいのですが、40年以上も前のテープ音源について当初グラハムは「相当悪い状態になっているかも」と懸念していたようです。ところがアーカイブから発見された音源は状態も良く、3曲のデモ曲までもが発見と40年以上の長いときを経て、幸運にめぐり合えたわけです。 ホントこのまま埋もれたまま忘れ去られたり、廃棄処分されなくて良かったとファンの立場でも感じますね。 ちなみにこのセカンドアルバムは、ロンドンのバタシーから隣接する農村地帯バッキンガムシャー州アイバー村に住まいを移し、そこで初めて木を所有した際に受けた幻想的な感動からアイディアが生まれたそうです。既に作品を聞かれた方なら御存知のように冒頭のサイレンSEは都市部のイメージを表しているのでしょう。そこから徐々に平穏な田舎へと移って行く。まさにCDジャケットのイメージを基に作られた作品だったというわけです。
May 19, 2015
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20分ほどのインタビュー映像ですが、インタビュアーがグレッグに根掘り葉掘り様々質問を矢継ぎ早に浴びせ、それに対しグレッグも饒舌に答えています。INTERVIEW: Greg Lake from Emerson, Lake & Palmerhttps://vimeo.com/42236606 ジミヘンと組んでELPがHELPになった可能性とかも質問していますが、あの件はエクスペリエンスにいたドラマー、ミッチ・ミッチェルがエマーソン+グレッグのバンド結成時に有力な候補者だった当時の話でしたので、仮に組んでたとしたらカールは加入できなかったわけで、組んだとしてもけっしてHELPにはなりえなかったという落ちですがw
May 19, 2015
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グラハム・フィールド、アンドリュー・マカロック、アラン・バリーの三人により1971年秋に制作されたフィールズのアルバム。昔からLPの日本盤や英国盤でしつこく聞き返してきましたが、CDで何度かリイシューされリマスターも出ている時代ですから、その音がどんだけ違うのか目で見られるようにしてみたのです。 比べたのはA Friend Of Mineについて、英国盤オリジナルLP、オランダ盤シングルでのイントロを短く編集されたヴァージョン、そしてリマスターCDで、曲冒頭のイントロ二小節(リフから最初のドラム・フィルまで)をダイナミック・レンジと周波数帯域分布で画像化。レコードは24Bit96KHzで盤から起こしたものを使用音源としました。全体の音量は大まかに曲の音量レベルが合うように調整しました。 比較するとCDでのリマスターでは最近のリイシューCDに見受けられる全体へのリミッター処理をして無い事が判ります。比べてみるとレコード二種については、細かいレンジの変化がありますが、CDはそれに比べるとグラフが少し荒めに見て取れます。図形最後のドラムのオカズ(フィル)部分がLPよりシングルやCDの方がレベルが高くなっていますが、これには全体的な音色調整が影響しています。 この各メディア別の周波数分布を見ると、シングル盤とCDにおいて低域が割りとカットされてる様子がわかります。比べてオリジナル盤LPは過剰なほど低域が出てるのがお解かりいただけると思います。楽曲において低域は全体音量レベルに対し影響する為、低域が少ないシングルとCDを音量レベルでLPと合わせてグラフ化した為、LPのドラムオカズ部分の音量が比較すると相対的に小さくなってしまいました。 オランダでのシングル盤で、LPと比較してかなり低音が抑えられてたのは、シングル盤回転数45回転/分で、フロアドラムなどの低い打撃音がのっけから連打されてる事で針飛びのリスクが出るのを押さえていたんじゃないのかな?と感じました。日本でも80年代初めに出たヒカシューのパイクが非常に低音成分が多く、当時の私の針圧低いレコードプレイヤーでは針飛びが起きてしまいレコード屋で相談した事がありましたw 私が音響学校で学んでいた時もレコードの針飛びが起きないようにするミキシングについても講義があったのですが、回転数の早いシングルでは低音で定位や音量に注意をしないと針飛びしやすくなると言うものでした。 回転数が早いシングル用にあえて低域をカットした可能性もありそうですね。曲自体も編集で切り刻んでいるくらいですからやりかねませんw LPでは低域成分がシングルやCDと比べかなり多い事が上の画像からもお解かりいただけるものと思います。シングルは中域が、CDは全体がバランスよく聞えるように調整したのでしょうね。モーガル・スラッシュ等他のリマスターCDであるような過剰な高域上げは無さそうです。ただ、CD故にあるポイントから上の高域周波数はばっさり切れてますが、聞いた感じではしゃきっと引き締まった感じで不足は感じません。 LPの持つあの独特なもやもや感は、この低域成分が豊かに含まれているというのもあるのでしょうね。まあLPはLPでアンディのドラミングがズッシリと響くのが聞きモノになりますがw CDのリマスターで感じるのは、レコード制作当時の元マスターで行なわれていたリミッター処理が、最近のリマスターでは低域補正で若干カットされ、もやもや低域成分が消え去った跡としてリミッターの癖だけが表面に際立ってしまいが、楽曲にもろ浮き出てきてる点でしょうか。トリオ編成で楽器音がそもそも少ないから致し方ない部分ですね。個人的にはいいリマスターだと思っています。上から目線に聞えたらごめんなさいw
May 18, 2015
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昨日ツイッターでちょろっと書いたけど、コチラにも備忘録として残しておきます。そうしないとたぶん忘れてしまいそうなのでw ロバート・フリップが1961年に入手した17Wアンプ、ワトキンス・ドミネータ http://www.vintagehofner.co.uk/britamps/watkins/domin.html取っ手が付いています(日本だと昔のテスコのアンプみたい)。 ハンツとドーセットを運行している二階建てバスでフリップ自身が運び、1961年ドーセット・ステープヒル村でのバンド練習に使用していたそうで、ギター二本とヴォーカルマイクをコレで鳴らしたとか。今もDGM倉庫にあるそうです。 ロバート・フリップが一番最初に購入したギター・アンプは、ワトキンスのウェストミンスターなのだとか。http://www.vintagehofner.co.uk/britamps/watkins/westminster/west21.html フリップ、ハスケル、ティノ・リチニオ、グラハム・ワーレイの4人組レイヴンズは1961年9月1日、ウィンボーン・ユースクラブの教会で最初のコンサートを行ないました。
May 14, 2015
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John Mizarolliというギタリストのサイトにおいて、BOZ Burrellがベースで参加したライブ音源などをダウンロード販売していました。果たしてどういう流れでボズが参加したのかサッパリ判りませんが、一部楽曲は30秒ほどの試聴が可能になっています。支払いはPayPalが利用できる様ですが、購入しておりません。試聴した所ライブ音源のバランスがあまり良くなくて、私個人としては是非にとおすすめできる物ではなさそうです。 リンクはコチラGuitar Music Downloads by John Mizarolli - Cds & Guitar Lessonshttp://www.mizarolli.net/acatalog/ たくさん並んでいる作品集の中のGuitar Guru ImprovisionJazz Rebel 2000二作品にボズが参加しているようです。せっかくの生前のボズの演奏ですから、ちゃんと説明をしたライナー付きCDなら買う人もおるのではないでしょうか。DL販売ならばコストが掛からないのは判るのですがもったいない気もしますね。
May 12, 2015
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昨年当ブログで元リーグ・オブ・ジェントルメンのDave Anthonyがバンド解散後組んだDave Anthony's Moodsが、1967年イタリアで出した「青い影」カバーを紹介いたしました。 デイヴ・アンソニー自身が68年にトニー・ヘッドとしてFleur De Lysへ加入し、後任にはピーター・バーデンスやミック・フリードウッドとチェインズやマーク・リーマン・ファイヴ等で活動していたロジャー・ピーコックを迎え69年まで活動したようです。 まずは彼らの本国イギリスでの唯一レコードで現在激レアのため物凄いプレミア価格のシングルからDave Anthony's moods - New directions(1966)Dave Anthony's Moods, See My Soul, 1967 Dave Antony's Moods - Fading Away 1967Dave Anthony's Moods-My baby 1967最後になぜかhが抜けてDave Antony名義で出されたソロシングルからwDave Antony - Hide And Seek 1968コレはコレで中々かっこいいですねー Fleursと関わり深いJohn Bromleyさんと以前何度もやり取りしている時Fleur De Lysのメンバーの行方を必死に探してるようでしたが、デイヴ・アンソニー氏は2006年10月既に亡くなられていた為に2009年のFDL復活コンサートには出ることは叶いませんでした。 現在フェイスブックにはデイヴ・アンソニー・モーズの貴重な画像がたくさん掲載されています。デイヴがハスケルと組んでいた時期の画像は見当たりませんが、60年代初めのジャイルズ兄弟との演奏風景なども見る事が可能です。興味のある方は是非。Facebook/DAVE ANTHONY'S MOODS:https://www.facebook.com/daveanthonysmoods/photos_stream 彼は1967年にこのdave anthony's moodsを抜けていたようで、一部のレコード発売は彼の脱退後という奇妙なリリースになっています。まあFDLでもハスケルがメインヴォーカルのシングルが彼の脱退後発売されていたりしますしw バンドをミュージシャンが次々と移り変わる60年代にはよくある話だったのかもしれませんね。 以前紹介したトニー・ヘッドがトニー・サイモン名義でFDLやシャロン・タンディとレコーディング、ドニー・エルバートがプロデュースしたシングル盤は今もYoutube上には無かったので、そのデータだけリンクしておきます。関連記事TONY SIMON - GIMME A LITTLE SIGN / NEVER TOO MUCH LOVE (Oct. 1967)
May 12, 2015
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60年代に激しいメンバーチェンジを繰り返したバンドFleur De Lys。ゴードン・ハスケルが加入する1965年末までベーシストとして在籍した初期メンバーがダニー・チャーチル。彼の家族が彼とその仲間たちについて語っている動画です。Family and friends on Danny's local celebrity 2009年100クラブでの同窓会ライブでも演奏していたダニーさんですが、音楽界から去った後は紳士服の仕立て屋さんになっていたみたいですね。
May 12, 2015
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ゴードン・ハスケルが70年代末にサード・アルバムを制作するも未発表に終わっていたのですが、その中から数曲が当時RCAからシングルとして発売されていました。この曲は後にサードがCDで再発された際に収録されなかった楽曲でディスコ風のアレンジが特徴的です。プロデュースは、ハスケル氏の親友ビル・キンバー(ビリー・フォレスト)でサードアルバムと同じです。Gordon Haskell 5-10-15 現在彼のCDのどれにも収録はされていないようですので、入手するにはオリジナル盤シングルレコードしか方法は無さそうです。ebayなどではよく安価で出品されていますので、簡単に手に入るでしょう。 上記動画の男性は音楽とは無関係と思われます。アップロードした本人でしょうか?背後のキーボードの上にヤマハのシーケンサーらしき物があるように見えますが。。。となると撮影年代は1980年代中頃でしょうか?なんなんだか判りませんが、音とはたぶん無関係でしょうね。
May 11, 2015
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1970年代からメル・コリンズがキング・クリムゾン在籍当時にプロデュースをしたと言われていたいくつかの作品については、同姓同名の別人プロデューサーの存在もあり、ややこしい事態となっていました。 それらの作品の内、トランペッターアラン・ボウンのバンド作品については、当時のシングル盤「ピラミッド」紹介記事などからメルコリンズ自身がセッション参加した事が判明しました。 逆に明確に同姓同名別人関連作となると、アージェントのHold Your Head Upがありましたね。 ピーター・グリーンの参加で知られ、70年代からレアアイテムとして珍重されてきたGASSについても別人ではないかと推測しつつも確証が得られませんでした。 ビルボード1971年11月13日52ページに当時GASSが所属した音楽プロダクション、アクティヴ・アーチスト、及び制作部門アクティヴ・ミュージック、アクティヴ・レコーズのプロデューサー氏である、別人のメル・コリンズ氏についての記事が出ていました。 GASSについては過去から現在まで様々な書籍やサイトでメル・コリンズ関連作品と言われてきた面がありましたが、これで明確に無関係と結論付けられますね。 上記紙面記事から、当時のアクティヴ・アーチストには、アージェント、コリン・ブランストーン、アラン・ボウン。ドリス・トロイ、ボブ・テンチ、ダフィ・パワー、そしてこのバンド、ギャスが在籍していた事が判ります。 え?ということは、やっぱりアラン・ボウンのISLANDSレコードに残した2枚のアルバムでプロデュースしていたのは、やはりこのひと? クリムゾン在籍時のメルがアランボウンのシングル「ピラミッド」にセッション参加したのは、あれのみで、制作はコチラのアクティヴミュージックのメル・コリンズプロデューサーっつー事なんでしょうか。同姓同名のひとが一枚の作品に関わるともうややこしくて仕方ありませんね。 ともあれ、上記アクティブ所属アーチスト関連作品でプロデュース表記されているのは同姓同名の別人だったと確定して良さそうですね。
May 11, 2015
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ジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップのアルバムにも参加した女性コーラスグループ、ブレイカウェイズをYoutubeで漁って見ました。 だいぶ以前にブログで取り上げましたが、今一度動画で彼女たちの仕事を集めてみようというわけです。The Breakaways - Here She Comes (1963)KENNETH COPE & The BREAKAWAYS - 'Hands Off, Stop Muckin' About'(1963) SIMONE JACKSON WITH THE BREAKAWAYS-AIN,T GONNA KISS YA(1963)the breakaways - that's how it goes (1964)Petula Clark - Downtown (1964)The Breakaways - He Doesn't Love Me (1964)Big Dee Irwin with The Breakaways (and Little Eva) - Heigh-Ho(1964)Big Dee Irwin with The Breakaways - It My Birthday(1964)The BREAKAWAYS - Someone to talk to (1965)Burt Bacharach - Trains And Boats And Planes (1965)Sharon Tandy - Now That You're Gone (1965)Jimi Hendrix - Hey Joe (1966)Breakaways 'Sacred Love'(1967)彼女らのセッション数が膨大なのでもっと他に色々あるようですがここらへんでw
May 6, 2015
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1960年代にいくつかのローカルバンドや初期トレンドセッターズでジャイルズ兄弟と共に活動していたアル・カートリーさんが自身のライブ映像を現在Youtube上に公開しており、92年の映像にピーター・ジャイルズ氏が参加しております。 演奏内容はジャズですが、貴重な映像なのでコチラで紹介させていただきます。Birdland at Palookaville Covent Garden London 27.6.92.mpg Birdland at the Brickmakers Arms Jazz Day 1992
May 5, 2015
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みなさんは43年ぶりに日の目を見たフィールズ幻のセカンドアルバム、もう入手されましたか? やっと届いたアルバム、じっくりじっくり、もう何と言うかCDから全てのエキスを吸い取らん勢いで聴きまくっています。これほどアンディのドラムがじっくりと聴ける作品も近年のアーカイブ音源では皆無でしたからね。彼のドラミングのエッセンスを事細かに聞き込んでいます。無論ドラムだけじゃなく歌も演奏も。音質も丁寧に収録されててファーストと比べ意外なほど繊細なサウンドで埋め尽くされていますね。 今回の作品ではメロトロンが姿を消し、シンセサイザーが顔を出していますが、あくまでもグラハムのメインはピアノやオルガンであり、ナイスのイミディエイト時代の録音の様な取ってダシっぽさはなりを潜め、じっくりと練り込まれたつくりから細やかなサウンドがバランスよく聞き取れるのがファンとしてうれしい点ですね。ファーストで魅せてたワイルドさとは違った魅力が詰まっていました。 38年前に作品を知り、70年代に日本盤LPを二回買い、その後英国盤を3回買いなおし、CD再発でまた買い、エディットヴァージョンが入ってると聴けばシングル盤も探して着ましたが、やはり未発表でアルバム丸々聴く事が可能になったのは本当にうれしい限りです。 まだまだ聞き込みが私個人満足行ってないので。作品内容について解説なんぞおこがましくてとても出来ませんw しばらくはこの感激に浸っていたいと思う次第w ただアンディのドラム一つとっても、とても丁寧に収録されてて、ハイハットのペダルワークや独特のゴーストノートの使い方もとてもよく聞き分けられます。ファーストアルバムでのドラムの音は拾音にダイナミックマイクロフォンばかり使ったんじゃないかと思えるような目の詰まったサウンドでしたが、コチラのセカンドでは表現の細やかさまでもが事細かに聞き取れます。ファレルさんの声は大変ソフトでこれまた前任者バリーが朗々と歌っていたのとは趣が大きく違っていますね。マクドナルト・アンド・ジャイルズを思い起こすようなソフトさで、それはもう柔軟剤のCMに使いたいくらいですw発売以前の記事でもフィールズのファミリーツリーを書きましたが、アルバム発売でまた謎が深まりましたw一体ファレルとデュエットしている女性歌手はダレなんだ?哀愁深い流麗なヴァイオリンソロは誰が弾いているのか?クレジットがないんすよ、弱りましたね、とほほwシド・スミスさんにツイートで質問したら「残念ながら判らないよ」とのお答えということで無理を承知でグラハムさんに教えてもらえませんか?メール出しましたw返事が来る保障はなんもありません。しかしもしもお返事が得られたのなら、こちらでまた報告させて頂きます。懲りずにまた作った2015年5月分 フィールズ ファミリーツリーJpeg版http://livedoor.blogimg.jp/chop100-0000/imgs/2/3/23e758f7.jpgFlash版http://chop100.doorblog.jp/Fields.swf毎度の如くサイズがでかいのでご注意を関連記事:別窓で開きますフィールズのレコードデビュー直前インタビューよりhttp://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201409120000/Fieldsのファーストアルバム各メディア版をそれぞれ分析してみたですよ♪http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201505180000/グリーンスレイド時代のアンドリュー・マカロック インタビューhttp://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201506070000/Fields / Contrasts – From Urban Roar to Country Peace ライナーを読んでhttp://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201505190001/
May 2, 2015
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