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28日の日記に映画「初恋」について書いたが、ツルゲーネフの「初恋」はプロデューサーにとっても監督にとっても非常にやりがいのある作品なのではないかと思う。まず、主演の若者(少年)には瑞々しい感性の新人をその父親には中年の魅力を発揮できるベテランスターをヒロインには、若手の美人女優をそれぞれキャスティングして、その中で主人公の若者とヒロインは新人(あるいはそれに近い存在)を売り出すことができる。しかも、製作費は、それほど高くはない。これは商業的にも極めて効率のいい作品である。マクシミリアン・シェルが最も実力が発揮できる40歳という年齢で、この作品に監督として俳優として取り組んだ気持ちはよくわかる。監督としても俳優としても、まさに「いいとこどり」である。ところで、この「初恋」は何度も映画化されていると思うが、どれが一番いいのだろうか?
2005年04月30日
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インターネットのニュースから下記のものに出会った。リュ・シウォンについては「美しき日々」に出演して、CDを何枚か出している韓流人気スターの一人という程度のことしか知らないが、この講演で発言している内容は非常に素晴らしいと思う。韓流が国を支えているという自覚とプライドが、そこにある本質的な問題をきちんと発言する姿勢を素晴らしいと思う。日本映画界のことを考えてみると、このような発言をできるスターがどれだけいるのだろうか?世界的にみても、人気スターが社会的な発言をしているのはよく見受けられる。ロバート・レッドフォードも、最近ではブラッド・ピッドも。甘い顔の下ではきちんと言うことを言っている。リュ・シウォンの講演からも感じるのであるが、こういう発言からその人自身も映画も社会的に信用される存在になるのであろう。韓流スターたちに、今の日本と韓国に横たわる問題についての発言を聞いてみたいものである。「韓国情報発信基地」より、リュ・シウォン講演---------------------------------------------------リュ・シウォンは25日午後2時、ソウル汝矣島(ヨイド)国会図書館の大講堂で開かれた国会「韓流研究会」創立総会に参席し、「私が感じた韓流」を発表した。端正な黒いスーツ姿で壇上に上がったリュ・シウォンは、「韓流が持続的に発展するためには、政府の体系的な管理と支援が必要だ。」と強調し、「韓流に便乗した一部の無分別な行動から信頼を失いつつある。」と皮肉り、「政府の持続的な管理と体系的な支援が必要だ。」と語った。リュ・シウォンはまた、「韓国では10年以上マネージャーなしで活動してきたが、日本では先進化された管理とプロモーションのためにマネージメント契約を締結した。」と明らかにし、「肖像権と著作権等がまだ保護されていない韓国の現実を見ると、一人のスター、1篇の映画で韓流は持続しない。」と強調し、この日参席した国会議員らに、効率的で国際化された文化政策が必要だと説明した。この日の集まりは、チェ・グシク議員等与野国会議員52名が、持続的な韓流支援をするために政策論議目的で組織した「韓流研究会」創立行事として開かれ、リュ・シオンは代表的な韓流スターとして直接感じた韓流と問題点等を発表した。
2005年04月29日
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マリア・シェルの訃報が報じられていた。長いキャリアの女優であるが、代表作が「最後の橋」や「居酒屋」で、60年代以降には印象に残る作品がないのが淋しい。マクシミリアン・シェルはマリア・シェルの弟である。「ニュールンベルグ裁判」でドイツ側の弁護人で強烈な印象を与え注目された。知的な感じを与える演技派である。この姉弟の共演は「オデッサ・ファイル」だけだと思うが、いかがであろうか。このマクシミリアン・シェルは俳優であると同時に監督にも進出している。その最初の作品はツルゲーネフの「初恋」である。1970年のこと。主人公の少年を演じたのが、当時美少年スターとして人気を集めていたジョン・モルダー・ブラウン。彼が恋心をいだく年上の女性が、これもデビュー間もないドミニク・サンダ。マクシミリアン・シェルは俳優としても出演しており、主人公の少年の父親役である。印象に残る作品である。なお、ジョン・モルダー・ブラウンは、今もその美しい風貌は衰えていないことが判った。当時のファンにはうれしいことではなかろうか。(トラックバックをいただいているエメラマリンさんの日記を参照願いたい)
2005年04月28日
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昨日の日記でゲストの明彦さんから下記のコメントをいただいた。これは明彦さんの主張というより、世の中にはこういう意見もあるという紹介のようです。確かに「なるほど、そういう見方もあるな」とは思います。吹き替えにあたり声優もまた創造的な仕事をしており、そこに新たな価値を生み出すとなれば、そういうことも言えるかもしれません。それでは、「ローマの休日」や「夕陽のガンマン」がカットされ、吹き替えられてテレビ放映された場合、それはオリジナルの作品とどのように違う価値が生まれるのであろうか。これまで数多くの作品が、そのような形で放映されているのであるが、一体どんな新しい価値を生み出したのであろうか。もし、新しい価値を生み出したとすれば、その作品の作者は誰になるのであろうか?<コメント>テレビ放映される「吹替、カットありの」映画について、「まったく別の価値」を見出そうというのが、漫画家のとり・みきを始めとする一派ですね。つまり、ベテラン声優による吹替が、一個の作品としてきちんと批評されたことがないから、という理由からですが・・・。
2005年04月28日
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昨日の日記に書いたが、映画が放映や上映の事情に合わせてカットされたり、画面がトリミングされたりすることが当然のように受け入れられている。作者が、「これがベスト」と考えて世に出したものを創作に関係のない人が、その人の事情で勝手にいじる。これが許されているとすれば、映画というのは実に特殊なものだということだ。他の芸術作品、娯楽作品でも作者以外が勝手に改変すれば、これは大問題になるのであるが、映画の場合はその観客自身が黙っているのである。やはり映画は非常に特殊なものだ。
2005年04月27日
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映画はカットされるのが当然のような扱われ方である。これはテレビ映画も、劇場用映画も同じこと。放送時間枠に合わせる為に。CMを入れるために。様々な理由でカットされる。また、そのような時間的なカットだけではなく、劇場用映画をテレビの画面に合わせる為に画面をトリミングすることもある。しかし、私も含めて多くの人が、そういうことをほとんど当然のように受け入れているのではないか。それは、ある絵画を展示する場合、「この展示会場ではスペースが取れないので、キャンバスをカットして展示します」と言っているようなものだと思う。キャメラの位置を、シーンの長さを綿密な演出プランで決定して、作り上げても、作品が提供される場ではズタズタにされるのである。
2005年04月26日
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福岡2区と宮城2区の衆院補欠選では、二つとも自民が勝った。議席を伸ばし、政権交替を視野に入れた民主党の今後への試金石であり、小泉政権への審判という意義があるとされたこの2つの選挙の結果である。福岡であの候補者が勝ったことで「福岡の有権者は何を考えているのだ」と言いたい方もおられるであろう。私もそう思う。しかし、福岡の場合、投票率が45.99%である。得票数から計算すれば、全有権者の約23%で当選したことになる。宮城については投票率がもっと低い36.75%であり、得票数からの計算では恐ろしくなるような数字になる。要するに、勝ったといっても、全有権者の多数の支持を得たわけではない。数字を見る限り民意などまったく反映していない。勝った、負けたといっても所詮は小規模の範囲であるが、この結果が選挙民の代表となることは事実。現在、国会で決められているこの国の行方を決める様々なことがらは、この程度の得票率で選ばれた議員によって決められるのである。最大の問題は投票率の低さ、つまり棄権の多さである。この状況はかなり長く続いているが、どの党も棄権防止を法的に制定しようとか、有効投票率を制定しようとかいう意見を出すことはないのはどういうことか。より多くの票を得ることより、今の仕組みでうまく当選することだけを考えているようだ。こういうのを「ずるい!」というのではないか。棄権については防止も含めて真剣に考えるべきであろう。
2005年04月25日
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キャメラの位置が1センチずれれば、それは全く違う場面となり、画面が意味するものが違ってくる。ある場面でも、音楽があるかないかで意味することが違ってくる。映画作りというものは、これほどに厳しい態度でなされている。これは劇場用映画であっても、テレビ映画であっても同じことである。ましてや、ある場面がカットされるということはその作品にとって致命的である。しかし、現実には、「場面のカット」や「音楽の付け替え」は当然のごとく行われている。話題の「美しき日々」でも事情は同じようだ。ここでも韓国のオリジナル版と日本での放映版は違っているようだ。これについては、カットの権利や作家への了解はどうなっているのであろうか?この作品は非常に評判がよく、カットなどが起きてもあまり関係ないようであるが、日本で見られている作品は、本当に作家が伝えようとしたものかどうかは不明である。本当の「美しき日々」はどこにあるのだろうか?
2005年04月24日
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姫野カオルコの「ツ、イ、ラ、ク」を読んだ。2003年のベストワンだとか評されていて、以前から気になっていたのであるが、やっと読んだ。これを読んでいる間、実は恩田陸の「夜のピクニック」が思い出された。「ツ、イ、ラ、ク」は中学生、「夜のピクニック」は高校生と非常に近い年代の物語であり、この時期独特の「自分の存在が確固たるものであることを主張するが、それを周囲から認められない、確認できないもどかしさ」と「自分を認めてくれる相手を求める必死さ」が、この二つの作品からはひしひしと伝わってくる。どちらも青春小説という形態をとりながら実はもっと汎用性のある人生ドラマなのである。もし、この二つの作品に違いがあるとすれば、「ツ、イ、ラ、ク」は<夜の言葉>で書かれているということであろう。
2005年04月23日
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3作品を通して描かれた物語は、果たして現実に起きたことであろうか。この「現実」とは、この物語の世界での「現実」のことである。第3部のラストに病院で治療を受けている廃人同様になったと思われるラウ(アンディ・ラウ)が登場するが、この3部作で語られる物語はすべてこのラウによる幻想なのではなかろうか。その幻想を生み出す要因は、ヤン(トニー・レオン)にある。そして、このヤンに対して複雑な感情を抱く人物がもう一人いる。彼が去ったことで警察学校で首席となったヨン(レオン・ライ)である。この物語の核となるのはヤンの存在である。もしかしたら、この3部作の物語はヤンをめぐるラウとヨンとの三角関係が生み出したものではなかろうか。このシリーズは第1部では黒澤の「羅生門」を、第2部では深作の「仁義なき戦い」を、それぞれ連想させたが、全体を通して連想したのは、「去年マリエンバートで」である。
2005年04月22日
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香港ノワールの中に黒澤の「羅生門」を導入したような「1」。それを更に平面的に拡大して新たな抗争のドラマとなった「2」。いずれも映画ならではの魅力にあふれた作品であった。そんな中で「3」への期待は大きく膨らんだ。めくるめくような迷宮に誘い込む「1」の魅力たたみかけるような抗争シーンが魅力であった「2」今回の「3」は、そのどちらでもなく、サイコスリラーのティストである。アンディ・ラウの心理を中心にトニー・レオンとの精神的な共感と離反という葛藤を中心として物語は展開する。香港映画独特の派手なアクション・シーンを期待する観客には失望かも知れないが、魅力は堪能できる。「1」を見たのが2003年秋、「2」は2004年秋、そして今、「3」を見る。これらを全体通して連続してみるともっと発見があって面白いのではないかと思う。もし、「3」だけを初めて見る方には、ほとんど意味不明の展開かも知れない。もし3部作全体を連続してみると、このドラマは「去年マリエンバートで・香港ノワール版」と感じるのかも知れないと思った。
2005年04月21日
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これは楽しい映画である。主要登場人物は5人。彼らがそれぞれに対していろんな感情を持つ。・あなただけを愛している。・あなたが欲しい。・よりを戻そう。・私の前から消えてくれ。・仕事相手として信用している。・あなたには興味がない。・眼中にない。・あなたに夢中こうした感情の交差が楽しい恋の迷宮を作り出し、ラストは6番目の人物が参加して見事なハッピーエンドに。登場人物たちが歌う歌が実に楽しい。「ゴージャス!うっとり!ミュージカル!」という宣伝文句に偽りはない。これは1925年にパリでヒットしたオペレッタの映画化とのこと。監督はアラン・レネ。前作「恋するシャンソン」と同じ系列の作品だと想像するが、この「恋するシャンソン」を見ていないのが悔やまれる。さて、アラン・レネといえば、「夜と霧」、「二十四時間の情事」、「去年マリエンバートで」である。表面的にはあまりにも違う最新作と、これらの作品を共通して貫いているレネならではの映画の原理とは何であろうか?
2005年04月20日
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コール・ポーターについては、既に映画化されている。1946年の「夜も昼も」である。監督は「カサブランカ」のマイケル・カーティス。主人公のコール・ポーターを演じたのはケーリー・グラント。46年といえば、コール・ポーターが現役で活躍している最中であり、そうした時期に伝記映画が作られたということは、彼の存在の大きさと力が想像される。この映画、ストーリーを調べたが、本人がゲイであることは語られていない。今回の「五線譜のラブレター」と比較するといろんな意味で面白いのではなかろうか。
2005年04月19日
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今週の土曜日23日からは次の2作品が公開される。「甘い人生」(主演:イ・ビョンホン)「シャル・ウィ・ダンス」(主演:リチャード・ギア)話題作だけあって、土曜日と日曜日の公開直後2日間の興行成績が注目される。女性に絶大な人気がある新旧2大スターが話題の新作で同じ日に初日とは、観点からは実に興味深い。私もこの2作品は内容だけではなく、興行面にも興味がある。それぞれの作品の観客の「性別」、「年代」、「何を求めて見に来た」などの観客像を調べてみたい。映画なら何でも見るという映画ファンは別として、この2作品を両方とも見るという観客はどんな層であろうか。非常に興味がある。時間があれば、映画館の入口で調べてみたいのだが・・・。
2005年04月18日
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ある女性がある男性を深く愛して結婚する。男性も女性に対して真摯で誠実な愛をささげる。しかし、男性はゲイでもあった。そういう事実もふまえて女性は男性を愛するが、やはりそこには超えられないものが・・・。こういう題材で愛の映画を作ろうとしたら、かなり濃いものになるはず。これがフランス映画であれば、非常に強烈な愛の映画になったのではないかと思うが、この「五線譜のラブレター」は、素晴らしい歌と踊りに彩られて素晴らしい夫婦愛の映画になっていた。これは、まさにハリウッド流の映画作りなのであろう。あまりにも甘くさわやかに仕上げすぎたという見方もあるが、これだけの素材をよくぞ、このように仕上げることが出来たものと驚きもある。それにしてもコール・ポーターがゲイであったとはこの映画で初めて知った。あの当時、ゲイであること自体がタブーであること、それだけで社会的には抹殺されたような時代であったことを考えれば、彼の活躍には驚かされる。
2005年04月17日
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このタイトルは原題ではない。日本で付けた題名であるが、カタカナの題名によりこれが原題かと思ってしまう。原題は「THE MANCHURIAN CANDIDATE」。この作品はジョン・フランケンハイマーの62年の作品である「影なき狙撃者」のリメークである。「THE MANCHURIAN CANDIDATE」は、そのときのタイトルでもある。私はフランケンハイマーのファンであるが、この残念ながら映画を見ていない。だから以下は私の想像であるので、そのつもりで読んでいただきたい。62年の作品は、背景の戦争は朝鮮戦争であり、中国の影があった。また、ハリウッドの赤狩りは崩壊しつつあるが、まだその呪縛は生きている。そんな時代である。今回は、背景の戦争は湾岸戦争である。この映画では仮想敵国はない。現政権が進めているテロとの戦いにおける敵としてのテロリストも「ならずもの国家」も登場しない。今回の映画に登場する洗脳、マインドコントロールも対象は「国家内部の統制」である。62年の作品が、どのような作品になっているのかは判らないが、この映画を見る限りにおいて思考が内向きになっていることは確かである。
2005年04月16日
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なかなか面白く出来ているのであるが、さほどのインパクトはない。こういうこともあるのかも知れないなと思う。今となっては、どういう内容を持ってきても、それが奇想であれば、あるほど「あ、それもありだな」と、インパクトはなくなるようだ。この映画はジョン・フランケンハイマーの「影なき狙撃者」のリメークである。私はフランケンハイマーのファンであるが、この作品は見ていない。両作品をご覧になった方、いかがでしょうか?
2005年04月15日
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イ・ビョンホン(「甘い人生」)キアヌ・リーブス(「コンスタンティン」)オーランド・ブルーム(「キングダム・オブ・ヘブン」)アンディ・ラウとトニー・レオン(「インファナル・アフェア3終極無間」)まさにスターの来日ラッシュである。それだけ日本は稼げる、あるいはヒットが充分に見込まれるところなのであろう。食い物にされているという見方もあろうが、ヒットを見込まれているなら、それはそれでいいのではないか。主演スターなどが来日して盛り上がる情景は、なかなかいいものである。しかし、こういうことは東京、あるいは大阪が中心で地方では実現できない。地方のファンはマスコミを通して間接的に楽しむのみである。地方の劇場で舞台挨拶をしたいという奇特な海外スターはおられないでしょうか。これはかえって話題になると思うのだが、いかがであろうか?韓国、中国からは東京よりも九州が近いと思うぞ。
2005年04月15日
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「レイ」、「ライフ・イズ・コメディ!」、「アビエイター」とエンターティンメント界で活躍された偉大な人の伝記映画が次々と公開されている。続いてボビー・ダーリンを描いた「ビヨンド the シー ~夢見るように歌えば~」も近日公開される。いずれも、その偉大さを、あるいはその過程での努力を賞賛するだけではなく、その人物のダークな面、あまり表には出すことのできない要素、例えば、性格破綻的な面、麻薬、金銭面や人間関係のスキャンダルなどもきっちりと描いている点も大きな特徴である。ここで注目しておきたいのは、そうした面を描くにあたって、それが決して露悪的・暴露的になっていないという点である。それらの面を全体のテーマの中でバランスよく処理して作品テーマに結びつけている。これができるかどうかが、プロの商業映画監督としてやっていけるかどうかと試される点であろう。もちろん、それがあまりにもスマートな処理であれば、物足りないという欠点にもなりうる。描かれている人物の関係者も生きておれば、その人物のすべてを描くのは非常に難しいと思う。冒頭にあげた3作品は、「関係者への配慮」、「テーマの重視」、「商業性」のバランスがうまくとれていると思う。
2005年04月14日
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10日の「情報ライブEZ!」にイ・ビョンホンが生出演。新作の「甘い人生」を中心に、役者としての姿勢などを語った。スターとしての姿勢について次の発言もなかなか興味深い。「役をリアルにするためには、私本人のキャラクターはあまり表に出さずにある程度神秘的でいたい。だか、あまりにもそれでは新しいことは吸収できず、役者としての成長ができない。神秘性と自分を表に出すという二つのバランスをうまく保っていきたい」(発言はそのままではなく、私の記憶による概要。間違いあれば指摘願います。)日本映画への関心も強く、北野監督作品が好きとのことで、中でも「ソナチネ」は好きだそうだ。そして、今回の来日で二人は会ったそうだ。将来は、北野武監督、イ・ビョンホン主演の作品が生まれることも考えられる。新作の主演スターが登場して語るのは常であるが、今回のイ・ビョンホンの場合は、日本やハリウッドスターによく見られるような新作への過剰な思い入れではなく、極めて冷静な語り方が印象に残った。また、インタビューへの対応は非常に冷静で知的であった。私はイ・ビョンホンのファンではないが、非常に好感を持った。
2005年04月13日
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デビュー作「邪馬台国はどこですか」の待望のシリーズ続編である。今回はアトランティスをはじめとして、ピラミッド、ナスカの地上絵、ストーンヘンジ、ノアの箱舟、始皇帝、モアイ像という世界の七不思議を取り上げ、まさに驚天動地の新解釈が展開される。前作での面白さは、そのままであるが、面白さを説明するとネタバレになるので、次の点のみをあげておこう。・アトランティスの意外な正体・ノアの箱舟と日本の有名な昔話との関係・始皇帝と邪馬台国との関係・ナスカの地上絵と日本のお盆(先祖供養のお盆のこと)との関係いずれも驚きの一語に尽きる。どの話も非常に論理的で、単に変り種の展開をやっているだけではないのである。意外な視点から意外な結論へ。しかし、その出発点も、結論も、その過程も非常に説得力があり、これは学説として充分に通用するのではと思わせる。この歴史検証バトルを展開する設定は、今回も前作「邪馬台国はどこですか」と同じでスリーバレーというあまりはやっていないバー、そして物語を展開するのは早乙女静香、宮田、バーテンダーの松永という3人にゲストの登場人物。今回も早乙女静香の毒舌は冴えている。さて、最近ビジネス書では「論理思考」、「論理トレーニング」、「プレゼン術」、そして「頭がいい人の話し方」などが流行であるが、前作「邪馬台国はどこですか」とこの「新・世界の七不思議」も、その方面でも充分に活用できるので、フレッシュマン、あるいはくたびれかけたビジネスマンも必読の一冊だと思うぞ。このシリーズは多作困難であることは承知の上であるが、第3作目以降も期待して日本史、世界史に驚愕の視点による新解釈が生まれることを期待したい。「アナスタシアは誰ですか」「源氏物語は誰が書いたか」「源義経はジンギスカンか」「沈んだのはタイタニックか」など題材は多い!鯨先生、お願いします!
2005年04月12日
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もはやアメリカ映画界だけではなく、世界の映画界の巨匠ともいうべきクリント・イーストウッドの次回作は太平洋戦争における硫黄島の激戦を題材にしたものとのことだ。また、この企画ではアメリカ側の視点だけではなく、同じ題材で日本側からの視点でも描き、視点を変えた2本の映画が作られるというかってない野心的な企画だ。イーストウッドの次回作は常に期待を持たせるのであるが、これはすごい!日本側からの視点を描くのは誰になるのだろうか?韓国や中国ともこういう企画を実現させるべきだと思う。
2005年04月11日
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話題と期待の映画「甘い人生」であるが、このタイトルでいいのだろうか?もちろんまだ見ていないので、勝手な憶測であるが、このことについて書いてみよう。「甘い人生」とは日本の配給会社による命名。おそらく、原題の「a Bittersweet Life」から「美しき日々」を意識してのラブストーリーとして売ろうという戦略でのネーミングであろう。しかし、この内容はどうも、甘いだけのロマンスものではない。裏社会を生きる切れ者が、ふと陥った人生の隘路の中での非情な物語のようである。かなり血なまぐさいハードな場面もありそうだ。チラシを見ると表では写真も暗めのトーンで「究極のラブストーリー」とか「命を賭けた選択」という言葉が並んでいる。裏面では、イ・ビョンホンが拳銃を持った写真をメインに流血を表現する場面もいくつかあげられている。ここで「アクション・ノワール」という言葉が登場する。要するに宣伝として、・ラブストーリー・裏社会の冷酷さとそこに生きる者の心情・アクションをどのようにバランスをとって表現できるかということである。かって「地下室のメロディー」や「さらば友よ」などのアラン・ドロンの暗黒街ものを成功させた配給会社の手腕が発揮されているようだ。(「サムライ」の日本初公開のときの配給会社もこの会社だったのであろうか?これは未確認)そんな中でこの「甘い人生」というタイトルは、もう一工夫が必要ではないかと思うのであるが、どうだろうか?このままでは原題の「Bittersweet」が活かされていないと思うのだが・・・。とにかく、早く実物を見たいものである。
2005年04月10日
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野村芳太郎監督が亡くなられた。喜劇、歌謡曲映画、社会派、ミステリー、ホラーなど実に様々なジャンルの作品を作りあげた職人監督であった。もうこのような監督が日本映画界に生まれることはないと思う。監督だけではなく、製作者としても困難な作品に取り組まれた。松本清張とのコンビは有名で「霧プロ」を設立している。清張作品の映画化としては「砂の器」が最も有名であり、評価も高いが、清張自身も熱望していた「黒地の絵」や「熱い絹」の映画化はついに実現できなかった。私は、地道な捜査を描きながらも途中でミステリーであることを放棄して情緒に流れてしまった「砂の器」は、あまり好きではない。この「黒地の絵」と「熱い絹」の映画化ができなかったことを惜しみたい。今から、これにチャレンジする映画作家が出ることを望みたい。野村芳太郎監督のご冥福を心よりお祈り致します。
2005年04月09日
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この日記でもかなりの方が感想を書いておられる「ナラタージュ」(島本理生)を買おうと思っていつもの書店に行くと、棚にはない。そこで注文しようとすると「出版社でも品切れになっており重版検討中」とのこと。届くまでにはしばし時間が必要。この本はかなり売れているようだ。ちょうど、その頃、書棚では「本屋大賞決定」のディスプレイを取り付け中。本屋大賞とは、「全国書店員が選んだ いちばん! 売りたい本 2005年本屋大賞」のこと。2005年の第一位は恩田陸の「夜のピクニック」である。納得!これは夜を徹して高校生が歩くだけ、そして主人公の女子高生が、同級の男子生徒に話しかけることができるかどうかという、ただそれだけ。単純な構成であり、大きなドラマが起きるわけではないが、これほどに瑞々しく心躍らせるとは!読んでいる間、とにかく「終わらないで欲しい」と思いながら読んだ。この本屋大賞には、わが町を舞台にした「黄金旅風」も入選。これも読もう。
2005年04月08日
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この日記で韓国映画やスターのことを話題にしたときのアクセス数はすごい。他の話題の約2倍である。韓流の熱気は相変わらずである。公開される作品は上質であり、スターも魅力なので、当然かもしれない。もはや韓国映画は定着したというべきかも知れない。しかし、政治の世界では非常に刺々しく対立が起きている。そういう中で映画を楽しんでいていいのかという意見もある。私は、政治の世界で対立している国の映画を楽しんでも一向に構わないと思う。そもそもある国と何かが対立していたときに、その国との間のすべてにわたり対立したり忌避したりすることの方が異常である。それにしても、近隣の国々と常に摩擦を起こすこの国の政治家たちは異常であると思う。「オオカミの誘惑」上映中近日公開「甘い人生」「コックリさん」「大統領の理髪師」「英語完全制服」「サマリア」
2005年04月07日
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ハリウッドでリメークの「シャル・ウィ・ダンス?」の宣伝コピーは幸せに飽きたら、ダンスを習おうである。主人公(もちろんギア様)は、順調なキャリアと幸福な家庭を持ち、何もかもが満たされているにもかかわらず、心のどこかに空しさを感じる中年男。そんな気持ちからダンスの世界に入っていくという物語であるが、バブルの時代や一億総中流意識が定着していた時代ならいざ知らず、今の日本人に「幸福に飽きたら」というフレーズは共感を持てるだろうか?もちろん、言いたいことはよく判るのであるが・・・。ところで、この映画の主人公の名前はジョン・クラーク。「8月の狂詩曲」でギア様が演じたアメリカ人の名前もクラークであったが、ここから来たのだろうか。
2005年04月07日
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ヨハネ・パウロ2世が亡くなられた。ローマ法王としては異色の存在であったと思う。そして、わが町を訪れたこともあることから、親近感もあった。さて、この方の前任者ヨハネ・パウロ1世は、教皇在位33日目で亡くなられている。死因は心臓発作と発表されているが、行動は改革的であり、その突然すぎる死は謀殺説もささやかれている。コッポラの「ゴッドファーザーPART3」にはこの事件をモチーフにしたエピソードが描かれている。ついでに言うと松本清張の「霧の会議」の内容とこの映画とはかなりかぶさる部分がある。ヨハネ・パウロ2世が重体がそして死去が、それぞれ報じられて、世界中に祈る人が満ちていた。しかし、そうした人々の世界とは別に法王庁内部では次の教皇選出に向けて暗闘が展開しているに違いない。
2005年04月06日
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「アビエイター」を見て、改めてキャサリン・ヘプバーンという俳優に興味をいだいたが、彼女の名前をあげたら、スペンサー・トレイシーのことをふれないわけにはいくまい。彼のことを俳優事典で調べると、誕生日は本日4月5日なのである。この日に生まれた俳優としてはグレゴリー・ペックもいる。4月5日に生まれたこの二人の俳優が共に「ヘプバーン」という女優と深い縁があるとは、なかなか面白い。しかし、これは日本語発音が同じであって、スペルは次の通り、同じではない。AUDREY HEPBURN KATHARINE HEPBERNスペンサー・トレイシーの遺作はキャサリン・ヘプバーンと夫婦を演じた「招かれざる客」である。「アビエイター」の中でも、もしかしたら、あれがスペンサー・トレイシーかという人物が登場する。
2005年04月05日
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既存の大スタアのイメージに似せてプロモーションすることは、たびたび行われるようだ。イ・ビョンホンをアラン・ドロンのイメージにかぶせていくことは成功するかも知れない。しかし、アラン・ドロンとの差は「その生い立ちによる翳」である。この要素だけは、おそらくドロンを追い越せないのではなかろうか。その代わりにどのような要素を持ってくるか。それはイ・ビョンホンの今後の課題であると思うが、彼が背負う国が持っている翳が、それを表現するのかも知れない。いずれにしても、スターには翳は必要で、それをどのように表現するかである。アラン・ドロンは美男スターと言われながらも、それに安住することなくギャングものからラブコメ風まで幅広い作品をこなしているが、「冒険者たち」で青春に訣別し、「サムライ」で大きく飛躍している。イ・ビョンホンが「甘い人生」で、どのように飛躍するのか楽しみにしたい。
2005年04月04日
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いよいよ4月23日公開で、この映画は期待している。宣伝文句には「究極の愛を描いたアクション・ノワール」とあるが、ポスターやチラシにあるイ・ビョンホンのイメージは、暗黒街もののつまり、フィルム・ノワールのアラン・ドロンのイメージである。拳銃を持って親指を唇に当てている横顔のスチールは、まさにその感じである。「甘い人生」のストーリーもドロンの代表作のひとつである「サムライ」を彷彿とさせる。このイメージ戦略は配給会社のものか、本国でのものなのか判らないが、かってのドロン・ファンの層をつかむことができそうである。監督がフィルム・ノワールに傾倒しているなら、この映画、ますます期待したい。
2005年04月03日
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「アビエイター」に、わずかだけ登場するエロール・フリンは、30年代末から40年代にかけての人気スターで、ナチスと内通していたなどスクリーン以外では、なにかと黒い噂があった。91年に「ロケッティア」というジェニファー・コネリー主演の映画があった。ここでもエロール・フリンが登場。但し、エロール・フリンという名前ではなく、彼を想像させる人物に設定されており、ティモシー・ダルトンが演じていた。なお、この映画にもハワード・ヒューズが登場。これは単純明快な痛快娯楽映画であるが、当時にハリウッドへのオマージュに満ちていたようだ。また、ハワード・ヒューズはコッポラの「タッカー」にも、確かハーキュリーズと思しき飛行機をバックに登場。もっと古い映画ではジョージ・ペパード主演の「大いなる野望」の主人公はハワード・ヒューズをモデルにしたもの。
2005年04月02日
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ハワード・ヒューズといえば、晩年の20年間は人前に一切、姿を見せないという謎の人物として、その前の華々しい行動と共にまさに伝説的な人物として語られていた。後年の神経症で自己を失ったイメージが強いのであるが、この映画は、それと同じくらいに前半の行動的でエネルギッシュな起業家としての姿を描いている。実在のスターやタイクーンなどが登場して、実際の映画や出来事も登場する。これはハリウッド映画に興味のある者にとっては非常にわくわくする展開。「ライフ・イズ・コメディ!」が楽しませたものと同じで、映画ファンのミーハー気分を満喫させてくれる。さて、ハワード・ヒューズであるが、あれだけの複雑な人物像を混乱なく描ききっていると思う。ある面では非常に頭がきれて、行動的な優れた特質を持った若者が同じく持っている性格のある面にとらわれて人生の悪路をたどっていく。「タクシー・ドライバー」の主人公トラヴィスもまた、そうであった。スコセッシは、ハワード・ヒューズの人物像を自らの世界を引き込んで、「タクシー・ドライバー」をリメイクしたのではなかろうか。ここしばらく、ディカプリオとのコンビが続くが、これはデ・ニーロにつぐコンビとなるのかもしれない。
2005年04月02日
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またまたギアネタ。(ファンじゃないぞ。誤解するな!)3月30日の朝日新聞の「時事まんが」(やくみつる)はリチャード・ギアと小泉首相のダンスを扱っているが、これがなかなか面白い。ギアが「おや?なかなかお上手で」小泉が「米国に踊らされているの慣れてるからね」まあ、実物をご覧下さい。思わず「ニヤリ!」とさせる内容であるが、当の首相本人に「踊らされている」という認識はない場合には、こちらとしては「ニヤリ!」ではなく、「慄然!」である。どうなんだろう?気になる。それにしても、この二人が踊るシーンは今風に言えば、キモイ!
2005年04月01日
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