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キネマ旬報映画総合研究所で「映画検定」を実施するとのこと。これは、映画の歴史、作品、スタッフ、俳優、映画業界全般についての知識を検定するもので概要は次の通り。「映画検定」の概要A:検定内容 ・映画検定3級 ~ 映画の歴史・作品などについて 基礎的な知識レベルを持っている ・映画検定2級 ~ 映画の歴史・作品などについて やや高度な知識レベルを持っている ・映画検定1級 ~ 映画の歴史・作品などについて 高度な知識レベルを持っており、 映画の魅力を自分の言葉で語ることができる。B:受験資格 ・学歴・年齢・性別・国籍等の制限なし (但し、1級受験は、2級合格者に限る)C:第一回試験の日時場所及び試験方式 ・年に1回実施(第一回は2006年4月予定で、2、3級のみ実施) ・受験会場、受験料など詳細については、後日発表予定 ・1級は記述式、2、3級は択一(マークシート)方式D:主催:キネマ旬報社・キネマ旬報映画総合研究所主催者の意図として「映画検定」は、映画を学ぶことによって、映画の世界を広げ、映画のある生活を豊かにしていただきたいという思いから、企画されたものとのこと。また、「映画検定」をきっかけに、映画を学ぶことにより、過去の作品と出会う機会が増え、周囲の人達に映画の楽しさ、面白さを広げていける方々が増えることを願っているとも。最近はいろんな分野でムダ知識ブームで、特に映画の場合は、本質とは関係ない部分で間違い探しなど重箱の隅をつつくような傾向があり、それが映画への深い知識と勘違いされていたような気がする。映画を楽しむには、それなりの知識は必要であることは確かで、上で述べられた意図に従って実施されるなら、これは大いに歓迎である。
2005年11月30日
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「飢餓海峡」、「宮本武蔵」などの脚本家・鈴木尚之氏が亡くなられた。76歳。この方の作品として映画ではないが、「私説・内田吐夢伝」(岩波現代文庫)という本を忘れてなるまい。この脚本家が師事した巨匠・内田吐夢監督の伝記である。内田吐夢は1898年に岡山で生まれた。16歳での年季奉公から放浪を経て映画監督として安定した地位を獲得するも、満州に渡り、満映へ。長い抑留後にやっと帰国。その後は日本映画の黄金期を支えた監督として数々の名作を撮り、鈴木尚之は脚本家としてそれらを支える。後半部は内田吐夢監督自身の私生活上の苦悩と創作上の苦悩に鈴木氏自身の体験も加わり、まさに内田・鈴木の創作の現場を実感できる。日本現代史と戦後映画史の一面をも読み取ることができる優れた伝記であり、まぎれもなく鈴木尚之の代表作のひとつである。巻末に深作欣二の解説が付いている。
2005年11月29日
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コメントでもいただいたように28日は原田知世さんの誕生日。お誕生日おめでとうございます。他にどんな人が生まれているか調べてみると、俳優としては原田知世以外では松平健里見 浩太朗 エド・ハリス監督としてはアルフォンソ・キュアロンジョナサン・モストウジョー・ダンテ作家として宇野千代向田邦子アルベルト・モラヴィア11月28日生まれが集って映画ができそうだ。モラヴィア原作で原田知世主演というも良さそうだ。
2005年11月28日
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「同じ月を見ている」についての明彦さんのコメントから「二世監督」についていただいたが、これについて書いてみよう。二世監督として有名なところでは牛原虚彦-牛原陽一伊丹万作-伊丹一三野村芳亭-野村芳太郎木俣堯喬-和泉聖治今村昌平-天願大介今、思いつくのはこのあたり。他にいらっしゃいましたら、教えてください。父親が映画監督というわけではないが、あるジャンルの第一人者でその恵まれた条件をフルに活かして映画監督に進出した方に羽仁進、勅使河原宏がいる。もちろん彼らの努力や才能は当然としても、父親が監督であることで、他の新人監督に比べて恵まれた条件であったことは確かであろう。その意味では、自民党の2世議員と同じかも知れない。しかし、ここで大事なことは「誰のために、誰に向かって」映画を撮っているのかという、その創作の基本姿勢である。権力の側に立って、権力の意図の代弁を映画で行うなら、そういう作品も作家も私は支持しない。また、どのような内容であろうともつまらない作品ならば、それは観客の支持を失うであろう。成果もなく、何の仕事もしなくても地盤があれば、それが機能して集票マシンとなって当選する政治家とは大きく違うと思う。それにしてもいろんなジャンルで2世が多数登場しているようだが、これでいいのだろうか。
2005年11月28日
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実に面白い、興味をかきたてられる内容である。題名の「オランダの光」とは、フェルメールやレンブラントなどの絵画が持つ独特の光、あの当時のオランダにあった自然光のことである。ヨーゼフ・ボイスは20世紀前半に行われたエイセル湖の埋めたて事業により湖面が縮小し、地形が変化したため、その光は失われてしまったと発言。はたして、「オランダの光」とは失われてしまったのであろうか、また、その「オランダの光」とは何であったのだろうか。「光あれ」天地創造はこの光から始まっているが、建築、絵画、写真、映画と多くの創作物は光との戦いであった。光をいかに操り、そこから光をいかに描き、自分の作品に織り込んでいくかこそが作家に課せられた最重要課題であったのだ。この映画「オランダの光」とはさわることも捕まえることもできない「光」を追い求める旅の映画である。映画という光に最も関係深いジャンルから、このような内容の作品が生まれるのは必然であろうが、「光」を追求する内容には、驚くばかりである。その過程では画家、美術評論家、気象学者、長距離トラックの運転手などが、それぞれの立場で「光」について述べる。これがまた面白い。また、水槽を使って、「オランダの光」の存在を証明する実験までもが登場する。「光」というものが、それぞれの地域の風土や創作物に大きな影響を与え、それらの特性を生み出していく。「2001年宇宙の旅」と並ぶ宇宙的規模のエンタテインメントがオランダから生まれた!
2005年11月27日
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原田知世の久々の本格主演作。それだけにファーストシーンで彼女がどのように登場するのか注目した。彼女が寝ているであろう病院のベッドにキャメラは近づく。ところがなかなか彼女の顔が出ない。ドラマの中の人物の動き、セリフ、そしてキャメラの動きが期待を高める。この演出はまさに見事な映画術。このあたりの演出は、まるでヒッチコックかトリュフォーだ。竹中監督は、映画監督としてのセンスは素晴らしいと思う。この映画は一種の<難病+純愛>ものだ。しかも、この作品は主人公二人が共に難病をかかえている。更に、これは実際に見ていただくしかないが、主人公二人の立場が逆転する。その経緯を情緒過剰になることなく、冷徹に描いていく。その展開も見事であるが、演じきった原田知世も素晴らしい。「時をかける少女」でデビューしたときの神秘さが、今回は、彼女の実年齢に相応しい透明感を醸し出す。原田知世の女優としての新しい出発作だ。
2005年11月26日
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深作健太の新作である。彼の前作は「バトル・ロワイアル2」。これは父親である深作欣二の遺志を受け継いだ作品であるので、今回が本格的な監督第1作である。かっては同じ心を持ちながら、同じ道を歩んでいた仲間が時を経るに従い、次第に離れて仲違いしていくということがこの物語の核のひとつであるが、これは深作欣二作品の核のひとつでもある。随所に見られる不良性感度の高さや人物造形は深作欣ニ作品の心を受け継いでいる。念力、心臓病、脱獄、やくざ、天才画家など物語を構成する要素は最近には珍しいほどに多く、ごった煮状態。そんな中で、人物描写の深みが足りない、エピソード間のつなぎがまずいなど欠点は多いが、お仕着せ企画を自分のもとに引き寄せて物語を再構成する力はあると見たし、何よりも楽しめる作品に仕上がっている。山本太郎が良いし、エディソン・チャンは「ベルベット・レイン」より魅力的だ。久しぶりに次の作品が楽しみな新人作家に出会った。がんばれ!深作健太!
2005年11月25日
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長崎港から船で約30分のところに高島という島がある。軍艦島という呼び名で有名な端島と共に炭鉱の島であった。かっては高島と端島併せて人口2万人を超えていたが、今では端島は無人島で、高島の人口は約800人。今年4月から長崎市に編入され、今では長崎市高島町である。端島が閉山と共に無人になったのに反して、高島は、少ない人口ながら閉山後の町の将来像を模索しながら取り組んでいる。23日にその高島へ行ってきた。高島で町づくりに取り組んでいる人と、今後共同で事業が展開できないかと協議を行う為である。約5時間かけて島全体を案内してもらった。アパートの空き部屋、空き店舗など過疎の地域にありがちな場所、それに対して最新の公共設備があり、この島の歴史を物語る石炭資料館がある。そして、この島からの軍艦島の眺め。これらは今後のこの高島の町づくりにすべてプラスの材料になりそうだ。それにしても、炭鉱があった時代の高島と端島(軍艦島)が当時、いかに最先端の島であり、究極の企業城下町であったがよくわかる。日本の近代の夜明けから近代化を支えた歴史の一旦を知ることも含めて、この高島には見るべきものが多い。もちろん楽しめるものも多い。みなさん、是非、高島へ!
2005年11月24日
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北野武の新作「TAKESHIS’」の評判はかなり悪い。実際に見てみるとその不評も納得であるが、事前にそうした評価を聞いていた私はある程度の覚悟(?)で見たせいかさほどの不出来な作品とは思わなかった。この程度のレベルの作品は珍しくはない。たとえ国際映画祭でグランプリを獲得する作家といえども、不出来な作品を作る例は数多ある。さて、この「TAKESHIS’」を見ながら、いろいろな映画を思い出した。現実か空想か、実か虚かという展開にアラン・レネやミケランジェロ・アントニオーニの作品を連想したのであるが、「甘い人生」も連想させた。ソヌがふと思ったもうひとつの人生、もうひとりの北野の人生と共通点は多く、ここにも邯鄲の夢が感じられる。さて、イ・ビョンホンは北野武のファンであるというが、彼はこの作品をどのように見たであろうか?
2005年11月23日
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21日にはこんなところからの訪問者がありました。 *.jda.go.jp *.hosp.go.jp
2005年11月22日
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今日は11月22日。1963年のこの日にジョン・F・ケネディがダラスで暗殺された。この事件を扱った映画としては「ダラスの熱い日」や「JFK」があるが、私は「パーフェクト・ワールド」が強く印象に残っている。この作品はクリント・イーストウッド監督、ケヴィン・コスナー主演で話題を呼んだ。物語の設定は1963年のケネディ暗殺の直前の日の出来事である。希望に輝くケネディ時代から、やがてアメリカは暗雲に覆われるのであるが、その転換点の日々の出来事である。冒頭の夢見心地のケヴィン・コスナー演じる男の表情が、ラストでは実は・・・、という皮肉さ。題名の「パーフェクト・ワールド」が何を意味しているのかは明白である。
2005年11月22日
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東野圭吾氏の「白夜行」が、来年1月にTBSで連続ドラマ化され、主役に綾瀬はるかと山田孝之が決定。ヒロインの雪穂に綾瀬はるかとは意外。原作通りでドラマ化するなら、雪穂を演じるには綾瀬はるかでは軽すぎると思う。いわゆるセカチュー・コンビで純愛ドラマとして再構成するならいいのかも知れないが、それではこの小説の魅力は半減だと思うが、さて・・・?
2005年11月21日
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「あの人」の挨拶は、話題になっているようだ。やはりみな、注目しているということか。「信仰と結婚は似ている。本質は賭け」はベルクソンではないとの声が。パスカルだという人も。本当に、一体誰が言った言葉なのであろうか?以下「日刊スポーツ」より-----------------------------------------------石原慎太郎東京都知事(73)が、15日に東京・内幸町の帝国ホテルで行われた、天皇家の長女黒田清子さん(36)と東京都職員黒田慶樹さん(40)の披露宴で述べた乾杯のあいさつが波紋を広げている。石原都知事はフランスの哲学者ベルグソンの言葉として「信仰と結婚は似ている。本質は賭け」と紹介したが、研究者の間では「聞いたことがない」との声が広がっている。 天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻らが出席した披露宴で、石原都知事が行った乾杯のあいさつに、ベルグソンの研究者から疑問の声が相次いでいる。 「ベルクソンとカントの社会論」(近代文芸社)の著者、筒井文隆東京学芸大名誉教授(西洋近現代哲学=65)は「私の記憶の限りではそのような言葉はありません。ベルグソンに人間同士の問題である結婚と、信仰とを同列に見るという考えはなかったと思います。『信仰とは賭けである』とはパスカルの言葉だと思うのですが…」。ベルグソンの著作「物質と記憶」の訳者・田島節夫(さだお)氏(80)も「そのようなベルグソンの言葉は聞いたことがない」と話している。フランス哲学の研究者によると、ベルグソンの著作「道徳と宗教の二源泉」(1932)は婚姻制度に触れているが「賭け」という言葉は出てこないという。この研究者は「引用した言葉が、ベルグソンの言葉ではないと証明することはできないが、かなり疑わしい。ほかの人の言葉と混在している可能性がある」と、疑問を呈した。「小林秀雄とベルクソン」(彩流社)の著者、文芸評論家の山崎行太郎氏(58)は「聞いたことがない。出典を明かしてほしい」と前置きして「仮にその言葉があったとしても、石原都知事は言葉足らずだった。あの言い方では、宗教や哲学で『それ以外の選択肢がない』という重い意味の賭けという言葉が、当たり外れがある賭けというように聞こえる。違和感を感じた人は多いと思う。一般的にはマニアックなベルグソンを出したのはいいが、ひねりすぎたかもしれない」と指摘した。「フランス文化に愛着もあるし、尊敬している」と話す石原都知事のことだけに専門家が知らないところから引用した可能性はある。東京都の知事本局では「今のところ(都民らから)そのような指摘は受けていない」としている。[2005/11/18/16:53 紙面から]
2005年11月20日
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今年、長崎市には「美術館」と「歴史文化博物館」という2つの文化施設がオープンした。前者は4月23日にオープンして約半年で入館者数40万人を突破と、順調である。後者は11月3日にオープンしたばかり。この2つは、いろんな意味で対照的である。美術館が海に面した場所で、ガラス張りの開放的なイメージであるのに対して、博物館は山のふもとの住宅地の側にあり、石垣の上に城砦のような建物で、やや威圧感があり、何となく近寄り難い感じで、実を言うと私は、なかなか入館しようという意欲がわかない。しかし、博物館や美術館にとっては冬の時代と言われる中でオープンしたこの二つの施設をいかに活用して、この町を変えていくか、これは市民側の課題でもある。
2005年11月20日
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もう週末だ。今週はなんと言ってもあの出来事であろう。皇室イベントにはあまり興味はないのであるが、今回は何といっても、あの人がいかなるスピーチをするかということで興味を持った。「あの人」とは新郎の上司のこと。日頃から問題発言の多い人なので、一体、何を言うかと思ったら、ベルクソンが登場!ベルクソンは、そういうことも言ったのか。もしかして、アンブローズ・ビアスの言葉を引用するのではないかと、期待したのですがね・・・。
2005年11月19日
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映画「男たちの大和/YAMATO」が完成したそうだ。それにあたっての関係者の挨拶やメッセージがすごい。●製作総指揮の高岩淡・東映会長は「戦後のあらゆる映画の中で最高傑作となった」●プロデューサーの角川春樹氏は「『Wの悲劇』など満足のいく作品をつくってきたが、全部吹き飛びました。10年に1本の作品」●原作者の辺見じゅん氏が映画について「腰が抜けそうなくらいすごい」いくら宣伝とはいえ、一体どんな映画なんだ?監督は佐藤純彌。この人には「北京原人」というトンデモ作品という実績があり、まさか本当に腰が抜けるような作品ではないでしょうね!ドイツでは戦後60年を経て「ヒトラー 最期の12日間」という映画が作られた。(この映画は本国では2004年公開であるから、戦後59年)わが国からは、この「男たちの大和/YAMATO」か。この映画を世界に向けて公開したとしたら、どのような評価を得るのだろうか。
2005年11月18日
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昨日の日記では映画「ヒトラー 最期の12日間」に対して否定的な意見を述べた。KUMA0504さんのコメントにあるように私の意見は、この映画に対しては「ないものねだり」かも知れない。ヒトラーとその政権が人々にどのように浸透して、支持を得ていったのかについては、別の舞台で描かれることになろう。むしろ、私はそういう映画を見たいという気持ちが強いし、今の日本に限らず、現在には重要だと思う。そんな気持ちになりながらも、一方で私は、この映画「ヒトラー 最期の12日間」を見ている間に現代の日本に通じるものが感じられた。崩壊するドイツが、まるで現代の日本のように感じられたのである。冒頭の秘書の採用場面。先の選挙で刺客になって欲しいとか改革のマドンナになって欲しいと言われた人たちもきっとこんな状態であったのだろうと想像される。崩壊を目前に裏切りと離反が渦巻く政権中枢部の姿は、郵政解散前後の自民党内部も同様であったろうし、今後、小泉政権がレームダック状態になったときにも、こういう状況が生じるのであろう。また、破綻する企業の直前の状況は、このようなものであろう。もっと大きい視点で見れば、今の日本はこういう状況ではなかろうか?「改革」の名で行われようとしていることは、崩壊・破綻寸前の日本で、少しでも稼いでおこう、自分の資産を増やしておこうとするドサクサ紛れの収奪行為ではないか。ソ連軍の砲撃・爆撃で「若者が次々に死んでいます。」と報告がなされても、「それは彼らの義務だろう」と平然と応える幹部。市民が爆撃で大変なのだと報告されても「彼らに涙しない。彼らが(私を)選んだのだ。自業自得だ。」と応えるヒトラー。「われわれはドイツ国民に無理強いをしてきたわけではない。同じように私はいかなる人間に対しても、自分の部下になるように無理強いした覚えはない。国民が自分のほうからわれわれに委任したのだ。…つまりは自業自得ということだ。」とはゲッペルス。今後、日本がどのような状況になっても、小泉総理も閣僚も、これと同様なことを言うのではないかと容易に推察される。劇場型政治とか、衆愚政治とか、ポピュリズムとか言われながらもあれだけの議席を与え、支持率もあれだけ高いのだから。映画「ヒトラー 最期の12日間」で描かれる狂気の姿はヒトラーとその幹部という特殊な狂人の集団の物語ではなく、あのシナリオをほとんど流用して、現在の日本の政権の姿を映画化できるのではなかろうか。我々は、この映画を一時期の特殊な物語と見てはいけないと思う。
2005年11月17日
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全編、異様な緊張感に満ちた作品である。かってソ連が国をあげて製作した超大作「ヨーロッパの解放・3」の視点とは反対の内容である。迫り来るソ連軍に対してベルリンの首相官邸の地下要塞とその周辺を描いている。具体的には追い詰められたヒトラーが妄想にかられていく姿と彼の側近の実態が描かれるのであるが、それらは意外でも衝撃でもない。映画の原作として二つの著作があるとのことであるが、ヒトラーの最期の日々とは映画作家にとって野心的な対象であるのだろう。この映画は、よく出来ているのであるがどこか物足りないものを感じる。私は不満を感じる。そもそも、この映画の現代的な意義は何であろうか。この映画を見る限り、意義というより映画作家の野心を満足させただけという感じである。 この映画には決定的に欠けたものがある。迫り来るソ連軍を前にして、落ち着きをなくし、裏切りと離反の空気が高まるヒトラーとその閣僚たち。では、そのヒトラーはいかに政権を獲得して、ドイツを支配していったのかという映画が描く「崩壊」の「出発点」への視点であり、ここで崩壊したはずのファシズムが60年後の現在も尚も様々な形態で進んでいることへの視点である。今、重要なことは、特に後者の視点ではなかろうか。作品の中では、この戦争が終了しても次は東西の対立が起きることを予感させるものがあるが、主人公である秘書と少年が、ソ連兵の包囲網を抜けた解放感で映画を終えたことで、ある種の約束事のハッピーエンドに陥ってしまっている。ここで作家は現代的な視点を喪失してしまっているのではないか。この作品が、ベルリンを脱出して、ナチが崩壊しても、更に全体主義の恐怖、あるいは次の時代の新しい戦争の予感を抱かせる終わり方であれば、どれほど衝撃的であったか残念でならない。 私はヒトラーの最期の日々より、ヒトラーがいかに政権を獲得して、それが人々に支持されていったのか、また、この映画の中でも述べられているように「人々に強制したのではない、人々が選んで任せたのだ」という状況を描いて欲しい。 それはまさに現在の日本で起きていることなのだから。
2005年11月16日
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13日の「田舎暮らしについて」の日記には予想以上のコメントをいただきました。ありがとうございます。このテーマには、みなさん、実行するしないに関わらず関心を持っておられるということがよくわかりました。都会は生活のあらゆる面でインフラが整備されているので、これに慣れてしまっている人には田舎暮らしはつらいようです。それとインフラが整備されていることを考えると都会の方が田舎より生活のコストは安くなると思います。ゲストの明彦さんのコメントの中でそして車嫌いのペーパードライバーとしては、「持たない」「乗らない」生き方が認められないのが辛い。地方が車抜きで生活出来ない環境になっているのは、決して健全とは言えないと思うのですが・・・。とありますが、確かに田舎暮らしでは車は必須のようです。セミナーの中で体験者(実践者)が、言っておられました。これから団塊の世代が定年退職して、かなり多くの人がこの田舎暮らしを実践したとしたら、車世代の彼らのこと、もしかしたら、「もっと道路を整備えよ」とか「車が使い易い地域づくり」などという声が出てこないとも限りません。それによって本来、自然が豊かな田舎が車社会に毒されるという状況になりはしないか・・・・。また、☆かよさんからはただ田舎の方が近所との密接な関係があると言われますよね。どちらかというと人とのべったりしたコミニュケーションが苦手な私は無理だろうとは思ってます。同じようなコメントとしてビーニャさんからは田舎で昔からのコミュニティーに再編成されるのって考えると大変そう!とのコメントが寄せられましたが、これは確かです。プライバシーへの介入が日常的な田舎よりむしろ、他人に無関心な都会の方が気楽な場合があり、これは、ストレスという点では大きな差ありそうです。「気楽な田舎暮らし」に憧れる背景には日常の生活からより、むしろ、会社生活にあるのではないかと思う次第。
2005年11月15日
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「そうか!これはこういうことだったのか」衝撃のラストとか、驚愕の結末とかのコピーに相応しい結末であった。事前にはそのようなことを知らなかった、そもそもこの映画は香港4大スター夢の競演ということと黒社会のドラマであることしか予備知識がなかったので、このラストには本当に驚いた。これはもう一度見たくなる映画である。どこで騙されたのだろうか?いや、騙されたと思うのが間違いだろうか?もちろん、騙されたにしても快感である。「インファナル・アフェア」に続く迷宮ドラマである。
2005年11月14日
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先日、「田舎暮らしセミナー」というものに参加した。最近は都会から「田舎暮らし」に移る人が多いらしく、一方では、人口減少時代において都会から人を呼び寄せる自治体の施策も、その流れに乗っているようだ。「田舎暮らし」と言ってもいろいろとパターンがある。1.定年後を田舎で暮らしたいという人2.定年ではないが、生活の拠点を田舎に移す人3.仕事の場を田舎において、パソコンとネットワークで 従来通りの仕事をしたい人4.都会と同様の仕事が田舎にもあるので、単に居住地を 移すだけの人5.時々、田舎で暮らす人など様々のようだ。いずれもそれぞれに課題は多いが、「1」と「2」のパターンの人が最もハードルが高いのではないか。結論から言うと、「仕事とお金を生み出す知恵と技術力」を持って、「人間関係のネットワークを広げていける人」でないと成功しないということだ。つまり都会でもある程度の成功をしている人ということ。これは脱サラしても成功する人は、サラリーマンとしても成功している人というのと同じではないか。ところで、私はというと田舎暮らしなど全くやる気はない。私の場合、田舎か都会かということより、映画館と本屋があるかどうかが問題なのである。現状より映画館も本屋も少ない町では住みたくない。では、なんでこんなセミナーに参加したかというと、一緒に活動している人、これからする予定の人が事務局やコーディネーターやパネラーであることも大きな要因であるが、こういう場からもいろいろとこれからの事業のヒントはあるものだ。その意味でも収穫はあり、参加して良かった。
2005年11月13日
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今、公開を楽しみにしている映画がある。それは「同じ月を見ている」。監督は深作健太。あの深作欣二から「バトル・ロワイアル2」の監督を引き継いで後に、次の作品の企画が実現することなく、失意に落ち込んだ日々を超えての新作である。自分の企画ではなく、お仕着せ企画であるというが、それでいいと思う。父親は東映のお仕着せ企画の中で、いわゆる企業内抵抗によって作家性をいかに表現するかの格闘を行ってきた。その意思を受け継いで欲しい!彼にとっては、これが完全な意味での監督第1作といえよう。さあ、作品を期待しよう!
2005年11月12日
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リンクしているマガリーさんところで知ったのだが、今日(11月11日)は世界平和記念日なのである。そこでもうちょっと調べて、「ピーナッツの日」でもあることを知った。ピーナッツといえば、「ザ・ピーナッツ」で、モスラの守護天使だ。モスラという怪獣は、平和のイメージだと思う。●世界平和記念日1918(大正7)年、ドイツとアメリカ合衆国が停戦協定に調印し、4年あまり続いた第1次世界大戦が終結した。主戦場となったヨーロッパの各国では、この日は祝日。●ピーナッツの日全国落花生協会が1985(昭和60)年に制定。新豆を使った落花生が市場に出始めるのがこの頃で、ピーナッツは1つの殻に2粒の豆が同居する双子であることから、11のぞろ目の日を記念日にした。
2005年11月11日
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4日の日記で映画「NANA」について私は、この映画には「核がない」と述べたのであるが、このことに対して私の友人が非常に的確な意見を述べたので紹介したい。「テレビで映画『NANA』の紹介を見ましたたが、漫画に出てくる服や家具、小物まで映画ではかなり忠実に再現しているようで、漫画を原作に一本の映画をつくることよりも、原作ファンの夢を壊さないよう漫画の世界をそのまま実写化することがメインになっているように感じました。だから映画としての「核」があいまいになってしまうのかもしれないですねー」なるほどである。まさに眼からウロコの意見だ。そもそも原作の映画化は、原作者の個性と映画作家の個性の衝突によって、より新たなものを生み出す作業である。映画作家は、その過程で原作の何を取り除き、何を付加するかを格闘するのである。映画「NANA」の監督は、おそらくそれを怠って、原作の再現だけに注力したということであろう。さて、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では昭和30年代の再現が非常に話題であるが、これはどうなのだろうか。
2005年11月11日
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ジョン・ファウルズの訃報が、新聞の死亡記事欄の片隅に小さく掲載されていました。この人が亡くなったということが、こんなに小さい記事でいいのだろうか。映画「コレクター」、「フランス軍中尉の女」の原作者である。後者を映画化するにあたり、脚本を手がけたのはノーベル文学賞を授賞したハロルド・ピンター。ジョン・ファウルズの作品では「魔術師」も、これはかなり以前であるが、映画化されている。マイケル・ケイン、アンソニー・クィン、キャンディス・バーゲン、アンナ・カリーナという豪華キャスト。どういうわけか映画館では公開されていない。見たい!
2005年11月10日
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映画「マザー・テレサ」は4日で終了し、同じ映画館で5日からは「ヒトラー 最期の12日間」が上映されている。20世紀を代表する2人、それも両極端に位置する2人が続けて上映されるのである。それは、わが町でのたまたまの偶然としても、この二人はある意味では共通点がある。それは二人とも、自らの周辺の現実を見て、これを何とかしなければいけないという気持ちを強く持ったことである。その現実は、それぞれ違うが、そこに社会の矛盾、貧困があったことは共通している。しかし、その結果はみんなが知っている通りである。評価も両極端である。その相違を生んだ要因は何であろうか?今、それを考えることは非常に重要であると思う。現実に、我々の前にヒトラーがいるのであるから。映画「ヒトラー 最期の12日間」は、近く見る予定である。感想はその時に。
2005年11月09日
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平田オリザの2作品を観た。「ヤルタ会談」が30分、「忠臣蔵・OL編」が50分で、短編2本立てであるが、慣れない観劇には疲れた。但し、不快な疲労ではない。観劇は目前で俳優が演じているので、観客としても映画とは違った緊張感がある。どちらも実にタイムリーな内容である。「ヤルタ会談」には、現在の出発点であり、戦後60年でアメリカが始めた戦争に加担した日本としては、再度、振り返る必要があろう。また、「忠臣蔵」は日本人が感動する要素がつまったドラマである。二つともディスカッション・ドラマ。おそらく現実にもこのようにして多くの人々と国の運命が決定したのであろう。「忠臣蔵」も、討ち入りに向かっての経緯と決定は、きっとこうであったのであろう。これまでのどの「忠臣蔵」よりも、リアルなディスカッションが描かれたのではなかろうかと思う。最近の日本の行方を左右する重要法案も、おそらくこのようにして決まっていったのではないか。
2005年11月08日
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闘病中の本田美奈子さんが亡くなられた。38歳とは、あまりにも早すぎる。これからもっと活躍の場を広げることができたはずであったのに・・・もしかしたら、映画にも進出できたのかもしれない。ご冥福をお祈り致します。このような訃報に接する度に思うのであるが、人々に楽しみを与える人は次々と亡くなり、人々に危害を与える人だけが残るような気がする。誰かが死なねばならないのなら、早く死んで欲しい人はいっぱいいる。麻垣康三、小中百蔵、アホなチルドレンとそのお父さん・・・。
2005年11月07日
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ジュリエットを、聖母マリアを、人類滅亡後の再生のイヴをそして今回はマザー・テレサをそれぞれ演じたということはある意味、女優としては非常に幸福なのではなかろうか。モーゼ、ヨハネ、ミケランジェロを演じたチャールトン・ヘストンのようなものと思う。さて、この映画におけるオリビア・ハッセーは素晴らしい。映画としてはエピソードをつめこみすぎで、後半はやや駆け足で、物足りないが、オリビア・ハッセーの熱演は、この映画のそうした欠点を補っている。数々の障害を乗り越えて、自らの目標を達成したマザー・テレサの手法は、なかなか興味をかきたてられるものがある。彼女は新たな修道会を立ち上げたことを除いては、組織の力をほとんど信用していなかったようだ。目標を達成することは意思と行動だけという思いであったのだろう。もちろん、マザー・テレサを支援する組織はあるが、それはむしろ周辺が作って運営していたもののようだ。それゆえ、その組織が自分の活動を阻害するものと判ったら、あっさりとその組織を解散させてしまう。私としては、マザー・テレサの活動内容よりは、むしろそうしたアプローチの手法の方に興味をひかれた。従って、寄付金がダーティ・マネーであったことをどのように乗り切り、最後の組織解散をどのようにして実行していったのか、その後のそのスタッフたちをどのように処遇していったのかに関心を持った。これへの関心は、単なる内幕ものへのものではなく、組織と個人の問題、特に現在、政治や経営が直面している問題を解く手がかりがあるのではなかろうか。
2005年11月06日
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3200億円を前向きに検討!つまりやるってことだ。その一方では、新潟県中越地震の発生から1年経っても、いまだに9000人もの人々が仮設住宅暮らしで、多くの人々が自宅再建の目途がたっていない。この人々への救いの手は政治から差し伸べられているのだろうか?この国の政治家は一体どこを向いているのだ?!それでも内閣の支持率は高い。なんてこった・・・。(ニュース)----------------------------------------------------------日米両政府が在日米軍再編に関する中間報告で合意した在沖縄海兵隊司令部などのグアム移転を巡り、米側が日本政府に対し、移転費用3200億円以上の財政負担を求めていることが2日、分かった。 日本側は、前向きに検討することを米側に伝えた。 日本側の具体的な負担額は今後、日米間で詰める。政府・与党内では、米軍再編の日本側の負担が巨額に上るため、防衛費とは別枠を設ける案も浮上している。また、日米両政府はグアム移転を来年3月の最終報告後、6年程度で完了することを目指すことで基本的に合意した。 関係者によると、米側は日米交渉で、キャンプ・コートニー(沖縄県うるま市)の第3海兵遠征軍司令部などをグアムに移転する方針を伝えた際、グアムでの新施設建設費などの移転費用が総額30億~35億ドル(2005年度予算の換算レート1ドル=107円の場合、3210億~3745億円)に上ると説明。さらに、「米軍が単独で行うと20年かかるが、日本が支援してくれれば6年程度で完了できる」として財政負担を求めた。日本側も前向きな検討を約束したという。 小泉首相も、「米国に任せていては、なかなか進まないだろう」と周辺に語り、積極的な検討を防衛庁などに指示している。 (読売新聞) 11月3日(木)より
2005年11月05日
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遅ればせながら、やっと映画「NANA」を見た。作品としてピンとくるものがない。つまり作品の「核」が感じられないのだ。それでも退屈することなく見ることが出来るのは主役の二人、宮崎あおいと中島美嘉が持ち前のキャラクターを活かして演じているからであろう。二人は確かに魅力的である。共演者のうち、松田龍平には魅力がない。「御法度」で衝撃の登場であったが、この俳優はだんだん魅力がなくなってきている。この映画はヒットしているようで、早速、続編を作ることが決まったらしいが、このままでは続編はつまらないのではないか。もうちょっと工夫がいるのではないか。監督交代をお願いしたいものだ。この監督の「約三十の嘘」は見逃してしまったが、これの出来はどうだったのだろうか?
2005年11月04日
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123456番目の訪問者は誰だろうと期待をしておりましたら、次の方でした。ゲストさん。123456 2005-11-03 06:53:27 *.cncm.ne.jp このドメイン名は地元のケーブルテレビ局のもの。地元の方でしたか!ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。(コメントしていただければ、うれしいです)
2005年11月03日
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安倍普三という政治家を述べるときにマスコミではよく「国民的な人気のある」という形容句をつけるが、彼は本当に人気があるのだろうか。そもそもマスコミが「人気がある」とか「国民的人気」とかの形容をつけるときの基準は何なのか。彼を見ると、私は「胡散臭さ」と「いかがわしさ」しか感じない。そもそも彼は次期総理候補と言われるほどの成果をあげたことがあるのか?彼は自民党の憲法草案の前文の起草担当である。あのような前文を書く者に日本の政治を任せるわけにはいかない。彼のホームページのトップには「この国を守る決意」とあるが、あのような文章(憲法草案前文)を書く政治家が、国民の側に立つわけがない。私としては、この国の平和と自由、そして我々の生命を守る決意が必要だ。彼の顔からは、ちょび髭のないヒトラーを連想するのだが・・・
2005年11月03日
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今やフランス映画界を代表するスター、ジェラール・ドパルデューが引退を宣言。宣言というより「ほのめかした」というべきか。170もの作品に出演とあるが、日本で公開されたものは、このうちの半分にも達していないと思う。90年代に入ってからは、彼は急速に肥満。昨年、久しぶりに「終電車」と「隣の女」を見たときには、思わず人違いかと思ってしまった。何しろ、「隣の女」ではテニス・ウェア姿なのである。また造船技師として模型の船の上に乗っているではないか。肥満で役柄が制限されたせいか、最近の彼の作品にはあまりいいのがないと思う。「ヴィドック」なんかに出てはいけないぞ。引退するなら、今一度、映画史に残るような作品に出演して欲しいぞ!それと、ドパルデューは引退しないでもいいから、その代わりにわが国の首相以下全閣僚、全自民党議員は政界をとっとと引退して欲しいぞ。(ニュース)------------------------------------------------------------30日付の仏新聞ル・パリジャン紙日曜版によると、仏人気俳優ジェラール・ドパルデュー(56)が映画界から引退する意向であるという。ドパルデューは、同紙のインタビューで、「私には失うものはない。170もの作品に出演した。証明すべきものはもう残っていない。愚か者のように(俳優という職業に)しがみつくつもりはない」とし、「映画界から引退する準備を始めている」と述べた。ドパルデューは、新作映画「Michou d'Auber」の公開が控えているほか、来年完成予定の映画への出演も決まっているという。
2005年11月02日
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「ポスト小泉」候補として注目された4人のうち、3人が入閣したが、この4人、すべて世襲議員である。小泉自身が世襲議員である。「改革」を叫ぶなら、まず世襲議員を追放することだ。彼らは、親の代から受け継いで、その世界しか知らない視野の狭いオタクでしかない。愛国オタク・愛国フェチ。そんな彼らが行う政治など現実には有害以外のなにものでもない。あのような憲法草案が出来るもの当然だ。
2005年11月01日
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