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この映画の失敗の原因について更に考えてみよう。前回はシナリオについて述べたが、今回はこの映画の製作または演出方針について。宣伝コピーや登場人物たちのセリフにもあるように、「国家とは何か」、「戦争と平和とは」、あるいは「国を守るとは」といったテーマが潜んでいることは確かである。こうしたテーマに正面から向き合ったのかというと、それは大いに疑問である。娯楽性をある程度犠牲にしても、こうしたテーマに正面から取り組む方法もあったはずであるが、それが出来たとは、とてもではないが言えない。では、監督が言う「娯楽映画として楽しんで欲しい」という姿勢が作品を貫いているかというと、スリルもサスペンスも大して感じられない。これは「ダイハード」や「沈黙の戦艦」と比べると落ちる。何故、そうなったのか。それは脚本家、監督も含めた製作者たちに遠慮があったのではないか。右にも、左にも、政界にも、経済界にも。また北朝鮮という国名を具体的に出さなかったという点にも、それは感じられる。作品の中で何かを追求しようとしたら、他のものを犠牲にすることは当然であるはず。その摩擦や緊張関係こそが作品を面白くして、社会的にも認知させるもののはず。やはり、ここは「バトル・ロワイアル」の時のように国会議員から異論が出るくらいの内容にして欲しかった。戦後60年の夏に最も相応しい作品となったはずで、それを実現できなかった製作者たちの罪は大きい。
2005年08月31日
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本編を観る意欲をかき立てない内容である。「陸軍残虐物語」で颯爽とデビューし、「組織暴力」で評価を高め、一時期は深作、中島、佐藤という東映のエーストリオであり、「新幹線大爆破」では日本映画最高の娯楽映画を生み出した佐藤純弥の晩節を汚す作品にならないことを祈るのみである。この予告編の中で「彼らは愛する者の為に戦った」という意味のナレーションが流れる。ここで言う「愛する者」とは、家族であったり、恋人であったり、友人であったりということだ。そうなのか?天皇陛下の為、お国の為に戦ったのではないか?この場合の「お国」とは「天皇陛下」と同義語のはず。戦後60年を経て、戦艦大和を映画化するにあたって、こういう情緒的な言葉でいいのか?いつの間にか日本の戦争映画のコピーはこの種のものが多くなったようである。そういう一面もあったし、そういう人もいたであろうが、侵略戦争という醜い部分を覆い隠す為に使われているとしか感じないので、非常に抵抗がある。
2005年08月30日
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この映画に失敗の原因はいくつかあるが、その最大のものはシナリオにあると思う。分厚いハードカバー、文庫本でも厚めの上下巻という膨大な原作をいかに約2時間の上映時間におさめるかに腐心するのみで、この原作を映画化した場合の面白さやそのテーマにまで至っていない。最大の責任は脚本家にあるが、監督にもある。原作ものの映画化は、単に原作の映画化によるダイジェストではなく、映画作家としての主張やテーマがなければ意味はない。だからこそ、原作からのそぎ落としという作業が必要なのであるが、この「亡国のイージス」映画化では、そうしたプロセスがあったのか?そもそも、映画の作り手は「亡国のイージス」を映画化することによって観客に何を伝えたかったのか?「エンターテイメントとして観てもらいたい」とは完成披露試写会でも阪本監督の挨拶であるが、この映画、娯楽になっていないと思う。ましてや、戦争や国防やらを考える素材にもならない。
2005年08月29日
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一応は最後まで退屈しないで見ることが出来るが、はっきり言って「不合格!」。物語のパターンとしては「ダイハード」であるが、足元にも及ばない。イージス艦乗っ取り、日本国への脅迫を何故、起こしたのかという肝心の動機の部分がまったく描かれていないので、見ていて説得力に欠ける。また、登場人物間の関係も不明瞭。それゆえ、意味が判らない場面がいくつかある。あの二人の水中での格闘中のキスは何故?その彼女が死んだときにヨンファが流す涙とあの写真は?詳しく知りたければ、原作を購入して読めということか?それはないだろう。この種の映画ではストーリー展開の中で明かされる事実に観客は翻弄され、衝撃を受けるはずなのだが、そういうものが全くない。本来なら、ヨンファの正体がわかったときにはもっと衝撃があるはずなのだが・・・。「日本人は恥を失くした」「他国に国を守ってもらって何も感じないのか」「日本人よ、これが戦争だ」などというセリフはまったく機能していない。そもそも、この映画は物語の映像による解説をしているようで映画を見ている面白さは全く感じない。
2005年08月28日
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文庫本の背表紙には「ミステリー巨編」とあるが、ここにはミステリーの要素はない。九州から上京して平凡な大学生生活をおくる川尻笙は、突然の父の訪問から三十年以上前に失踪した叔母・松子の存在と、その彼女が最近東京で何者かに殺されたことを知る。松子の部屋の後始末を頼まれた笙は、興味本位から松子の生涯を調べ始める。まだ世間や人生にもまれていない彼にとって、それは凄まじい人生との遭遇であった。大学を出て中学校の教員であった松子がある事件をきっかけに退職に追い込まれ、そこから彼女の流転と堕落の人生がスタートする。それはまさにジェットコースターのような展開であり、変転の様は凄まじい。昔なら「赤い疑惑」などの大映テレビ、あるいは昼メロ、最近では韓流ドラマであろうか。松子が抜き差しならぬ状況に追い込まれている様は奥田英明の「最悪」や「邪魔」を連想させるが、読み手としては「人の不幸は蜜の味」と楽しめる仕掛けである。松子は1947年生まれという設定であるから、団塊の世代。大学生であったわけであるが、全共闘運動との関連は全く登場しない点が、この世代の人生を描いたものとしては新味である。松子の人生が、複数の視点で語られるが、それが後半になるに従って効果をあげていく。映画化されるとのことで、それも期待したい。
2005年08月27日
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映画「亡国のイージス」を見に行ったら、予告編として「男たちの大和」「ステルス」「トップガン」が立て続けに・・・・。今や、映画は兵器オタク・戦争オタクのものか・・・・?さて、「亡国のイージス」であるが、編集と音楽という映画の中核に相当する部分がハリウッドのスタッフによるということは、システム自体がアメリカ製でアメリカに技術依存しているイージス艦そのものではないか。
2005年08月26日
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私が住む市には市が運営する掲示板があり、これが市内のあちこちに設置され、市民団体もイベント通知などを掲示できるようになっている。その運営ルールに「政治、宗教及び営利行為に関するものでないこと」という一文がある。この制限事項は確かに正当であると思う。このような制限事項はあるべきだ。しかし、営利行為というものの解釈については、どうもすっきりしない。例えば、市民団体の自主上映や講演会などはどうなのだろうか?主催者はこれらを無償の行為でやっているわけではない。やはり団体の活動費を稼ぐという目的はある。しかし、そういうことを言った途端に、「それではこれは営利目的のイベントですね」となってしまうこともある。そういう制限を設けながらも、進学塾、私立学校、営利企業による○○教室のポスターは許可されている。わが映画祭も明確に営利行為であるが、このポスターも掲示が許可されることになった。「営利目的のイベントについては」というルールについては全国の自治体でそれぞれ設定されていると思うが、どういう運営をされているのだろうか?
2005年08月25日
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スピルバーグとは、おそらく世界で有名な映画監督であろう。そのスピルバーグ論というのは、どれくらい出ているのだろうか。「スピルバーグ 宇宙と戦争の間」(竹書房刊)は、おそらく日本では最新の「スピルバーグ論」であろう。20人の論者によるもので、スピルバーグ作品や彼の作家としての精神の是非という単純なものではなく、もっと広い視点に立った内容である。但し、最新作の「宇宙戦争」論はない。おそらく刊行に間に合わなかったのであろうが、それが残念。中原昌也と柳下毅一郎の対談は期待はずれであったが論考には面白いものが多い。私には梅本洋一、粉川哲夫、斉藤英治の論考が面白かった。
2005年08月24日
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長崎県内においてコミュニティビジネスに取り組む、もしくはこれから取り組もうとする個人・団体がネットワークを構築し、参加者同士がWin-Win の関係となって各々の活動を充実させることが出来る場。お互いの課題や情報を共有したり、複数の団体や個人が連携できる場。そんな場が先月、発足した。22日はその第2回の例会であったが、第1回は発足にあたっての説明やお互いの自己紹介であったので具体的な内容は今回が初めて。私は、その最初のレポーターの一人として「浜んまち映画祭」についてプレゼンを行った。単に映画祭の宣伝ではなく、「映画祭がコミュニティ・ビジネスのインフラとなりうる」というテーマで、今後の構想を中心に行った。映画は入口であり、発火点である。映画をきっかけに、様々なビジネスが、コミュニティが生まれてくるはずだ。
2005年08月23日
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映画「宇宙戦争」でトム・クルーズ演じる主人公は、火星人の襲来からただひたすら逃げ回る。トライポットに捕まって一度だけ活躍する場面があるが、これはハリウッド映画としてのお約束であろう。逃げ回り、家族を守る為に、本来ならやってはならないこともやる。迫り来る敵をさけて、戦うこともなくひたすら逃げ回る男。これは、ポランスキー監督作品「戦場のピアニスト」の主人公と共通している。スピルバーグもまた、ユダヤ系であることを考えれば、「宇宙戦争」を作るにあたり「戦場のピアニスト」を意識したことは間違いないであろう。襲来して容赦なく人々を焼き殺す火星人が何を暗示しているかは明白であり、現代においては「アフガニスタンやイラクにおけるアメリカ軍」という暗示も間違いではないと思う。
2005年08月22日
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映画「仁義なき戦い」は日本映画史上最高の娯楽映画であると同時にこの時代に生きる人々への強烈かつ示唆に富んだメッセージを放つ映画である。この混乱と混沌の時代に個人が組織との摩擦の中でいかに組織に圧殺されることなく生きていくかということを教えてくれる。この観点に立って書かれた本が「訓録『仁義なき戦い』」である。「人生に必要なことはみんな『仁義』に学んだ」というサブタイトルがついている。(ここでいう『仁義』とは「仁義なき戦い」のこと)「仁義なき戦い」の数多の登場人物の中での最高のキャラクターは何といっても「山守」である。この本には「あなたに潜む山守度」というテストがある。私は、なんと80%。最も厄介な含有量とのこと。一問毎に「イエスまたはノー」で進んでいくテストで、いくつかどちらも答えにくいものもあるが、そうしたものも何回かやっても結局は「80%」に落ち着く。まあ、山守度80%であることを自覚して生きていこう。この日記を読んでおられる方へ本当は善良な市民ですので、ご安心を。(笑)
2005年08月21日
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最初の作品が日本公開されたのが78年で、2005年の「シスの復讐」で完結。まさに世代を超えたシリーズで、途中に約15年の空白がありながらも常に話題の中心であり続けたという点はすごいと思う。さて、この映画は公開順に見ていくのと、エピソード1から6までの順に見ていくのでは、かなり印象が異なるのではなかろうか?「ゴッド・ファーザー」3部作が、最後まで見ると血と暴力のマフィア稼業を最も嫌い、縁がなかったマイケルがドンの地位に登りつめて、嫌いなはずの暴力世界に身を置いて自らも手を汚していく物語であった。そして、最後のPART3では、マイケルの贖罪がテーマとなっていた。この見方を「スター・ウォーズ」6部作にあてはめると、アナキン少年が、ダースベーダーとなり、最後はルークに告白する贖罪の物語とも考えられる。これはエピソード1から順に見て初めて可能なもの。しかし、コッポラとルーカスでは作家としての力量の差は歴然としており、また、「4」から「6」までは監督が異なっており、はたしてそのような見方が本当に出来るかどうか・・・。
2005年08月20日
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9日に「リトル・バーズ」を見て以来、映画を見ていなかった。なんと9日間である。私の最長記録。久々に見た映画は「スター・ウォーズ エピソード3」。予想したより面白く感じたのは映画への禁断症状ゆえか。今回はアナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ちていき、ダースベーダーになるという骨子が明確であり、強引ともいえる展開で何とか破綻もなく展開できた。しかし、物語に深みが感じられない。また、見る者の心をかき乱すものもない。「『スター・ウォーズ』が生まれて、映画作家ジョージ・ルーカスが死んだ」という言葉があるが、その通りだと思う。非常に緻密で、驚くべき特殊撮影であるが、わくわく、どきどきさせるものはなかった。ただ、「すごい特殊撮影だなあ」と思うだけ。しかしながら、ラストシーンが77年公開(日本では78年)の「スター・ウォーズ」につながるものであることが示されたときにはある種の感慨を覚えた。それは映画史と自分史を重ねることが出来た瞬間であった。
2005年08月19日
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本日、第2回浜んまち映画祭についてマスコミにオープン。各社集ってもらい、記者発表を行った。映画祭初日まで1ケ月というところで、いよいよ宣伝は本格化。商店街と映画館が組んで、映画を切り口に商店街に賑わいを生み出すというコンセプトがマスコミには受けているようで、これは我々のねらいでもあるので、その受け止め方はうれしい。現在の宣伝を行いつつ、同時に来年以降の実施体制も模索中である。
2005年08月18日
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60年という節目の終戦記念日に「不戦」、「慰霊」、「祈念」の行事が行われた。祈りや誓いの後に大事なことは「具体的に何を行うか」であるが、「何をやってはいけないか」ということも忘れてはいけない。この「何をやってはいけないか」ということは案外と忘れられているような気がする。これを強く気付かせるのが、映画「Little Birds-イラク戦火の家族たち」である。この映画の中で戦火に傷ついたイラクの人々が投げかける日本への失望と疑問をもっと聴くべきである。この映画は、現在、全国で上映活動が展開されており、わが町でも1週間の上映が終了したが、うれしいニュースが飛び込んできた。スイスのロカルノで3日から開かれていた第58回ロカルノ国際映画祭のドキュメンタリーフィルムの「人権作品」部門では、この映画が最優秀賞に当たる「人権賞」を受けた。心から喜びたい!この映画は、現在の日本人必見であると思う。
2005年08月17日
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15日の全国戦没者追悼式における内閣総理大臣式辞を読んで、先の広島・長崎の平和祈念式典での挨拶との比較を行ってみる。最大の違いは広島・長崎では「平和憲法を遵守」とあったものがここではない!それに相当する部分としては次のように全く具体性に欠ける内容である。------------------------------------------------戦後60年の節目にあたる本日、内閣総理大臣談話において、改めて過去の戦争への反省を示すとともに、戦後60年の歩みを踏まえ、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意を明らかにしました。各国との友好関係を一層発展させ、平和を大切にする国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。 ------------------------------------------------
2005年08月16日
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本当の刺客とは、こういうことをやるのである。----------------------------------------------------------------スリランカ警察当局によると、同国最大都市コロンボで12日深夜(日本時間13日未明)、ラクシュマン・カディルガマル外相(73)が自宅のプールからあがった際、何者かに頭と胸を銃撃され、収容先の病院で13日未明に死亡した。これを受け、クマラトゥンガ大統領は国内に非常事態宣言を発令した。----------------------------------------------------------------刃物や拳銃で人を殺傷する事件は多い。それも「イライラして、ムシャクシャして」などという事件は多い。しかし、その原因になっている政治に直接に向けられることはない。これだけ腐敗しても、政治家がテロに遭うことがない国も珍しいのではないか。緊張感のない平和ボケの政治家たち、マスコミは「刺客ごっこ」に夢中である。そこでは、本来考えるべき「人々の幸福なあり方」や「その人々が住むこの国の姿」というものは一顧だにされていない。
2005年08月15日
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もう映画館で「甘い人生」を見ることはできないのであるが、いろんな人が書いている日記を読むことで、まだこの映画についていろいろと考えている。オープニングとラストでの「弟子と師匠との会話」であるが、あの声は、イ・ビョンホンの声らしい。ということは、主人公のソヌの声である。そのことは、全く考えていなかった。私はてっきり、このドラマとは関係のない人物の声かとばかり思っていた。これが主人公のソヌの声、つまりソヌの語りならば、彼はどういう状況でこれを語っているのであろうか?あのシャドーボクシングをしているときに、頭の中に浮かんだのであろうか?最後にカン社長と対決したときに、頭をよぎったのであろうか?テグに銃弾を撃ち込まれたときに、薄れ行く意識の中でのものであろうか?
2005年08月14日
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石井輝男監督が亡くなられました。1957年の監督デビューから2001年の遺作「盲獣vs一寸法師」までの生涯の監督本数は85本。新東宝、東映、松竹、日活と各社で撮っている。題材、内容、まさに「映画魂」という呼称がぴったりであった。心よりご冥福をお祈り致します。
2005年08月13日
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この言葉は、もしかして年末に選出される「今年の流行語」のひとつになるのかも知れない。最初に使ったのは誰だ?この言葉の意味は、国語辞典によると「人をつけねらって殺す人」とある。この殺伐とした世の中、できるだけこのような言葉を使わないで欲しいものだ。「対抗馬」とか、代替可能な言葉はあるはずだ。品がないにもほどがあるが、センセイ方の品性、それをめぐるマスコミの品性とはそんなもんだろう。ついでに言っておくと、この言葉は「しかく」というのが正しい。「しきゃく」と発音しているアナウンサーは至急訂正すべし。このような品のない使い方は、本来使われているもの、例えば、名作時代劇「十三人の刺客」への冒涜にもなりかねない。
2005年08月13日
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いつもこの日記を読んでくれている友人から「姑獲鳥の夏」の感想はあれだけかと言われた。この映画の感想が、「永瀬と原田との初共演に対する感慨」だけでは、「あれっ?」と思うのは当然かも。しかし、仕方がない。これだけなのだから。出演者も熱演で、ミスキャストなし、演出もスムーズで退屈もしない。しかし、この映画はどこか物足りない。京極原作・実相寺監督作品としては、少しばかり「濃さ」が不足ではないか。観客が作品に対して拒否反応を示すような過剰な描写やこだわりがあってもいいのではないかと思う。しかし、多くの観客に親しんでもらう為にファミレス風の味付けになってしまったのではないか。この作品は当地では本日12日で終了。どうも観客の入りはよくないようだ。ファミレス風にしたことによって、本来の観客層にそっぽを向かれたのではなかろうか。実相寺作品としては「帝都物語」では、この未開のジャンルの映画を作り上げ認知させるのだという熱気のようなものが感じられた。そのような熱気が、「姑獲鳥の夏」ではないのである。そもそもこの映画、セリフへの依存が強すぎることが最大の欠陥ではないかと思った。
2005年08月12日
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この夏、長崎市では非常に重要な作品が2本公開された。ひとつは7月30日の日記に書いた「ヒバクシャ 世界の終わりに」。そしてもうひとつは「リトル・バーズ-イラク 戦火の家族たち」。後者は2003年3月20日の空爆以降のイラクを描くドキュメンタリーである。この二つの映画には共通したものがある。それは「ヒロシマ・ナガサキ」である。ヒロシマ・ナガサキの惨状を体験した日本人が今、新たなグランド・ゼロを生み出している。このことを鋭くつきつける映画である。これらの映画、特に後者を見ると日本人が加害の側、つまり虐殺者の側に立っていることが判る。
2005年08月11日
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下記に紹介する<挨拶A>と<挨拶B>は、どのように違うのか?これは、そっくりの絵を二つ並べて、「違うのはどこ?」という類のクイズに出したいものである。「広島」と「長崎」を適当に入れ替えれば、文章の流れも、言い回しも全く同じである。「挨拶事例集」から同じパターンをもってきて、そのまま流用するようなもの。6日と9日で中3日で、これをやると誰も気が付くぞ。まあ、それだけ心がこもっていない証拠だ。二つの被爆地は、それぞれ状況は異なり、現在の被爆体験の継承や核兵器廃絶運動の内容もそれぞれに特長がある。本当に「悲劇を繰り返してはならない」と思うなら、現在、長崎の高校生たちが取り組んでいる運動にも触れてもいいはずだ。ところで、この人が遵守しようとしている「平和憲法」とは何?-----------------------------------------------------------<挨拶A>本日、被爆60周年の原爆死没者慰霊・平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲者の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。 今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に対して、心からお見舞い申し上げます。今後とも、高齢化の進行など被爆者の実状に配慮しながら、在外被爆者への支援も含め、援護施策の推進に誠心誠意努力してまいります。 人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの堅い決意の下、今後とも、平和憲法を遵守するとともに、非核三原則を堅持してまいります。また、国際社会の先頭に立ち、国際的な核軍縮・核不拡散のための取組を推し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。 戦後、広島は、国際平和文化都市として、大きな発展を遂げました。今日まで、広島の復興に尽力してこられた多くの方々に心から敬意を表します。世界平和実現に向けて取り組んできた市民の願いは、歴史の証人として世界文化遺産に登録された原爆ドームの姿とともに、世界中の人々の心に届いています。今後とも、広島が、世界平和を考えるシンボルとして、また、平和を希求する人々を惹きつける都市として発展することを確信します。 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸をお祈り申し上げます。 <挨拶B>本日、被爆六十周年の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲者の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。 今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に対して、心からお見舞い申し上げます。今後とも、高齢化の進行など被爆者の実状に配慮しながら、在外被爆者への支援も含め、援護施策の推進に誠心誠意努力してまいります。 人類史上唯一の被爆国である我が国は、長崎、広島の悲劇を再び繰り返してはならないとの堅い決意の下、今後とも、平和憲法を遵守するとともに、非核三原則を堅持してまいります。また、国際社会の先頭に立ち、国際的な核軍縮・核不拡散のための取組を推し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。 戦後、長崎は、歴史がいきづく観光都市として、大きな発展を遂げました。今日まで、長崎の復興に尽力してこられた多くの方々に心から敬意を表します。世界平和実現に向けて取り組んできた市民の願いは、平和の鐘の音とともに、世界中の人々の心に届いています。本年は、原爆の惨禍を世界に訴えるため、追悼平和祈念館が、アメリカで「海外原爆展」を開催しています。今後とも、長崎が、平和について世界に発信する国際的な交流拠点都市として発展することを確信します。 終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の今後の御多幸をお祈り申し上げます。
2005年08月10日
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わが地域の地方紙である「長崎新聞」が、そのホームページにブログ形式でのコラム「長崎新聞ウェブ・コラム」を新設した。社内外から選ばれたライターが交代で書くことになっているが、題材は全くの自由なようだ。ブログであるから、当然、コメントも書き込めるし、トラックバックも可能。こういう企画は新聞社としてはひとつの英断ではなかったかと思う。新聞社が、いつまでも定型的な取材やしかるべきところから提供される情報だけで紙面を作っていける状況ではない。こうしたウェブ・コラムから外部の風に当たりながら本当の地元密着型の企画が生まれてくるのではなかろうか。よくよく周辺をながめてみれば、昨日の日記に紹介した「浜んまち映画祭」というイベントが実現できる環境が生まれたこと、伝統的な浜町の商店街の中に「キューブ・ギャラリー」という「小箱ショップ」が生まれたこと。県美術館に人が集っていることなど、この長崎にも、いろいろと変化が生まれている。それぞれは、まだあるべき姿からは遠く、改善すべきことは多いかもしれないが、そうした状況に積極的に参加して「あるべき姿」に変えていくことが大事だと思う。
2005年08月09日
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昨年はフランソワ・トリュフォー特集であったが、今年の「第2回浜んまち映画祭」のテーマは「フランスがいっぱい」。フランス映画の大スターの魅力を堪能してもらうことで6作品を選定。只今、チラシとポスターを持って市内を歩き回り、宣伝中である。いろんなお店にチラシを置いてもらい、ポスターを掲示してもらおうということだ。店によっては「昨年の続きですね」とか「あ、あれですね」という反応があって、なかなかいい。こうして次第に定着していくのではないかと思う。この映画祭は、映画館周辺の商店街の協賛を得ており、チケット購入者や鑑賞者には、協賛店のサービスや特典があり、非常にお得なイベントである。この日記でも、これから不定期にこの映画祭や上映作品について紹介していきたい。まずは、トップに映画祭のポスターと上映時刻表を掲載し、トップの写真も、これまでのジャンヌ・モローから「冒険者たち」のアラン・ドロンに交代となった。このトップの写真は随時、変えていくのでお楽しみに。(「冒険者たち」のこの写真は、早速、好評を得ているようで、うれしい限り)現在、長崎市内で最も人を集めている場所といえば、県美術館であるが、ここのロビーにもチラシを置いてもらった。最近は名刺交換の折には、名刺と共にこのチラシを出している。チラシは折り畳み式で約9センチ四方でハンディなので名刺と出してもおかしくない。とにかく「浜んまち映画祭をよろしく!」の日々である。
2005年08月08日
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4月にオープンした長崎県美術館には150名収容できるホールがあり、ここでは上映会も可能である。その最初の上映会が本日(6日)に開催された。作品は「ダウンタウン81」。これはバスキアが19歳のときに主演した映画であり、非常に貴重なもの。映画は大空の雲の中を上昇していく。 ここで見る者はひきつけられる。物語はバスキアが演じる若きアーティストが、街をさまよいながら、出会うミュージシャンやアーティストたひとの交流が描かれるのであるが、主人公はバスキア自らの姿であろう。だから、これはフィクションというよりドキュメンタリーであろう。その当時のニューヨークの空気がリアルに伝わってくるようだ。現在、この美術館ではバスキアの絵も展示されており、そこでこういう作品が上映されるということは展示作品にも広がりが出てきて、観客にも世界が広がってくるので、非常にいい企画であると思う。残念なことは、上映がDVDであり、フィルムではない。それによって夜のシーンが多い、この作品では闇の美しさがほとんど伝わらなかった。そのうち、このホールでフィルムを使った美術館に相応しい上映会を企画しよう。
2005年08月07日
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「いつか読書する日」は、長崎市での先行上映を終了して、現在は全国各地で順次公開中である。また、近く公開される「釣りバカ日誌16」は長崎ロケ。このところ長崎にゆかりのある映画が多い。その意味では「亡国のイージス」も、また長崎市に縁のある作品である。映画「亡国のイージス」は本物のイージス艦みょうこうにおいて撮影されているが、この「みょうこう」は、長崎市の造船所で造されている。被爆地・長崎市は平和都市として、反核・反戦運動の先頭に立っており、また高校生1万人署名活動などの若い世代の平和運動も盛んである。しかし、長崎市は同時に「兵器産業都市」としての一面も持っている。自衛隊をアメリカの世界戦略の中に巻き込むイージス艦4隻のうち、3隻がこの長崎で建造されている。非常に複雑な気持ちである。映画「亡国のイージス」の予告編では「平和なら、それで国と言えるのか」というセリフのシーンがある。これはどのような展開と文脈の中で述べられるのか、そこを注目して見ておきたい。映画の感想は、見た後に。
2005年08月06日
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原田知世と永瀬正敏。二人とも1983年にデビュー。共に俳優の魅力を引き出すことのできる優れた作家の下で順調にそのキャリアをスタートさせた。共に話題性のある二人で、この二人を共演させようという企画もあったかも知れない。デビューから22年を経てこの二人が初の共演。まさに時をかける二人の共演にこそ、この映画がもたらす感慨がある。
2005年08月05日
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ある場で「『映像』と『映画』とはどのように違うのか」ということが話題になった。その場では、あまり深い議論にならなかったが、これは非常に面白い話題だと思う。実は、この二つは明確な定義の違いがあるにもかかわらず、案外と無神経に使っている場合がある。この二つの差については「映画には作家独特の文体がある」という意見や、黒沢清の「映像は、誰がどう撮っても、それはつまらないに決まっている。そこからスタートする。撮った映像が面白いと思い込むほうが間違いだ。したがって、このつまらない映像を、なんとかして面白くしていく。それが映画を作るという行為だ」という意見もある。私はどちらも納得である。さて、この日記を読まれた方のご意見はいかがであろうか?
2005年08月04日
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OECD(経済協力開発機構)は国民の標準的な所得(中央値)の半分を基準として、それを下回る所得の人を「貧困」と見なして、これを「貧困者」の共通定義としているが、これによると日本の貧困率は15.3%で第5位。先進国としては3位ということだ。 一時期は、「もはや欧米に見習うことはない」とか言っていたわが国の実態である。もしかしたら、これは現在の日本の最大の問題ではないか。
2005年08月03日
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昨日は「調味料バトン」だったので、今日は「食べる」とか「食料」をテーマにした小説を紹介しよう。次の3編である。いずれも短編小説。「蟹甲癬」「最高級有機質肥料」「二壜のソース」前2編は筒井康隆、最後のはロード・ダンセイニである。ご試食、ではなかった、ご一読下さい。但し、取り扱い注意です。
2005年08月02日
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亜美さんからのご指名。こういうジャンルは、あまり興味がないのであるが、やってみましょう。(食べ物については空腹が満たされればいいと考える人間なので)Q.1:次のメニューにどんな調味料をかけますか? ( 薬味は含みません。)実は、第一問からひっかかっている。調味料と薬味とは違うのか?目玉焼き・・・・ソース納 豆・・・・醤油冷 奴・・・・醤油餃 子・・・・ポン酢、ラー油、大蒜 カレーライス・・・・そのままですナポリタン・・・・特にかけない。 かけるとしたら、パルメザンチーズピ ザ・・・・特にかけない生キャベツ・・・・マヨネーズまたはソーストマト・・・・そのまま サラダ・・・・マヨネーズカキフライ・・・・ソースとマヨネーズ またはとんかつソース メンチカツ・・・・ソースコロッケ・・・・ソースとマヨネーズ天ぷら・・・・ソースとんかつ・・・・とんかつソースご飯(おかず無しの時)・・・・味付け海苔Q.2:周囲に意外だと驚かれる好きな組み合わせはありますか?カレーライスに生卵(笑われてしまったが、そんなにヘンかな?)Q.3:それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?苦手な組み合わせはないが、刺身と鮨は苦手!このバトンを受け取られた方、トラックバックをお願いします。-----------------------------------------------それにしても楽天広場ではバトンが大流行だな。そのうちに「やめて欲しい議員」とか「こんな法律いらない」というテーマのバトンが出てくるのではないか。「こんなものはいらない」というテーマは面白いかも。
2005年08月01日
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